
はてなキーワード:売春防止法とは
もっとも典型的な反応は、はてなブックマークなどでもよく見られるものであるが、「売る方が捕まるのに買う方が捕まらないのはおかしい(から賛成)」というものだろう。
これは大久保公園などで立ちんぼ行為を行っている側のみが警察の検挙の対象となり、客待ち・客引き行為に応じた側が検挙の対象とならないことを指しているものと思われるが、これらの立ちんぼ行為が検挙され罰せられるのは、売春防止法の第五条において、公衆の面前や公共の場所で勧誘や付きまとい行為をすることが刑事罰化されているからであって、売買春そのものが理由ではない。
罰せられているのは立ちんぼ行為であり、売買春それ自体は違法ではあるものの罰則はないため、立ちんぼ行為に応じる側が検挙・処罰の対象にならないというだけである。法律自体には性別の区別はなく、(実際に立ちんぼ行為を行うのは女性が圧倒的に多くまた売春防止法が違法とするのは性交のみとはいえ)それ自体は価値中立的な法律である。
他方、高市が実際に検討しようとしているのは、いわゆる「北欧モデル」に則って、買春行為それ自体を刑事罰化して取り締まるというアイディアであると考えられ、この場合、売春行為は現行法同様、違法ではあるが罰則はないままとなり、他方買春行為のみが刑事罰化され罰せられることになる。つまりその意味で「買う側のみ罰する」非対称性を肯定するアプローチなのだ。なお、このようなアプローチは立憲の塩村などによって「国際基準」などと喧伝されるが、アムネスティによる勧告などを見てもわかるように、およそ国際基準とは言い難い(たとえばニュージーランドは2003年に売買春を非犯罪化している)。
また買春の刑事罰化の検討を最近ニュースにもなった12歳のフィリピン人少女の人身売買事件と結びつける向きもあるが、端的にこれはまったく無関係である。児童買春に関する罰則は既にあるし、そもそも同意年齢未満である以上、(その構成要件を満たす行為を行っていたのであれば)より刑罰の重い不同意わいせつや不同意性交等罪によって買春者は処断されるからだ。
立ちんぼを行う側が警察によって検挙され、それに応じる側が検挙されないのがおかしい(確かにそこには非対称な関係があるようにみえる)というのなら、立ちんぼ、すなわち街頭での客待ち・客引き行為に応じる行為をピンポイントで罰すればよく、その点で何も問題はないようにみえる。実際、仮に法改正がその水準にとどまるなら、立ちんぼ行為が今よりも少なくなるぐらいで、日本の性風俗の景色が大きく変わることはないだろう。
しかし、仮に改正が買春行為自体を刑事罰化するものであるなら、その余波は相当に大きくなるはずである。
まず、問題を整理しておくと、売春防止法において現に禁止されている「売春」とは「性交」のことであり、「性交」とは刑法上、膣性交のことを指す。つまり、フェラや素股、また肛門性交のような膣性交以外の性交類似行為は「売春」ではなく、売春防止法上、これらの行為は違法ではない。これが本番行為(膣性交)を行うソープと違って、本番行為が禁止されているデリヘルのような一部の性風俗業が売春防止法による摘発の対象とされない理由である。
とはいえ現にソープランドは繁盛しているではないかと言われるだろうが、ソープランドがその存在をいちおう許容されているのは、ソープランドの施設管理者等が自身はたんに浴場施設を提供しているだけであり、そこでの顧客の行為については認知しないという建前によって、場の提供や周旋を禁ずる法の抜け穴を衝いているからとされる。もっともこのような建前が常に通用するかといえばそんなことはなく、警察の匙加減ひとつで摘発が行われ、現に最近も女性へ高額の貸付を行うホストクラブの背後にソープへの斡旋を行うスカウトなどがいるとの見立てから、売春防止法に基づく施設管理者等の摘発が行われている。
ソープについては、そこで行われている性行は当事者間の「自由恋愛」の結果の行為であり、対償を受ける目的で行われる売春ではないから合法なのだとの主張もある。ソープ店に支払われる料金はあくまで「入浴代」であり、性交の対償ではないという理屈である。もっとも、摘発が現に行われている以上、警察としてはそこで他でもない売春が行われていると認識しているのだと考えるべきだろう。ソープ嬢とそのサービスの利用者が検挙され処罰されないのは、売春防止法が売買春行為自体に罰則を付していないからにすぎない。法改正の過程でもそうしたエクスキューズがそのまま是認されるとはおよそ考えがたく、論理的な必然としてソープにおける本番行為は違法であり処罰対象であるとの判断が導かれることになる。
むろん、ソープにおける本番行為が刑事罰として罰せられるようになったからといって、あくまで本番行為は行われていないという建前があるため、ただちにソープランドの利用客が警察の検挙に遭うといったことはないかもしれない。もっとも、事実として本番行為が行われている以上、ソープ利用客は犯罪者としていつでも処罰を受けるリスクを負うことになり、そのリスクを嫌う利用客がソープを利用しなくなることで、業としてのソープが廃業に追い込まれる可能性も十分考えられる。
なお、上述したように、たとえ買春行為を刑事罰化したとしても、売春行為を膣性交のみに限定する現状の売春防止法の定義を維持するなら、デリヘルなど本番行為を行わない性風俗産業は依然として存続しつづけることになる。もっとも、そのような定義はおかしいという批判は既になされており、売春の定義を性交類似行為を含むものに改正することも考えられる。その場合、デリヘルなど性交類似行為を業とする風俗店もソープ同様の帰結を辿ることになる。
またさらに付言しておくと、現行の売春防止法の枠組みではAVは合法とされる(少なくともそのような説が有力とされる)。売春防止法が禁止する売春の定義は「対償を受け、又は受ける約束で、不特定の相手方と性交すること」であり、AVはこの対償と不特定という構成要件の性質を満たさないとされるためであるが(AV女優・男優はあらかじめ特定された任意の個人と性交し、性交それ自体ではなく「演技」を理由にその対償を受け取る)、法改正の過程ではこの解釈についても問題となる可能性が高い。
以上、ざっと日本の性風俗産業と買春行為を刑事罰化することの関係を述べてきたが、当然こういった業としての売買春だけでなく、パパ活のような個人間の売買春においても問題は大きい。売春防止法においては、上述した不特定性の要件から、愛人のような継続的な関係性のある特定の相手方に生活費等を与えつつ性交をすることは違法ではないとされるが、果たしてそれ自体の扱いもさることながら、パパ活との線引はどう行うのか。刑罰化するとなれば、曲がりなりにも国家権力による強制力の対象となり、刑法の自由保証の機能の観点からも構成要件の厳格な具体化が求められ、その作業が困難となることは想像に難くない。
要するに、日本の性風俗に関する規範は、さまざまな法律とその(アクロバティックな)解釈を積み重ねた、デリケートなガラス細工のような姿をしている。改正するにしても、たんに立ちんぼに群がる汚いおっさんを処罰したいのか、それともソープを無くしたいのか、デリヘルもAVも含めて性に関わる産業をすべて無くしたいのか、パパ活も絶対に許さないのか、とりうる目標によって法改正の内容は大きく変わってくる。
そしてここには自明のことながら、自分の身体をどう処分するかについて国家にどこまで介入する権利を与えるのかという、政治哲学上のリベラリズムの大問題が介在してくることになるのだ。また、刑罰化されたのちに実際のセックスワーカーたちの処遇がどうなるのか(理念とは逆にその職業は根絶されず状況は悪化するのではないか)、という帰結主義的な観点からも慎重な検討が必要となる。
ただし、売春行為(性交渉を伴う対価の提供)は違法とされています。
売春防止法では性交渉を対価として提供する行為は、個人間の合意があっても違法とされます。
オーラルセックスやアナルセックスは、法的には「性交渉」に含まれないとされる場合が多く、摘発の対象とはならないことがあります。
そのため、男性同士でのアナルセックスによる買売春は売春防止法が適用されません。
これは異性愛男性中心の視点に偏っており、世界的にも遅れた判断基準です。
「性交=膣性交」という定義は、異性愛・男性中心的な視点に基づいており、女性の性の多様性や性的少数者の現実を無視しています。
法制度が性的行為の多様性に対応していないことは、人権保護の観点からも見直しが求められる重要な課題です。
性交渉が性器挿入を意味するという貧しい思考は、性的表現や性交渉を貧困にし、特に男性の半数が特定パートナー外との性交渉を金銭において売買する日本では、通常の男女の性的関係にも悪影響を及ぼします。
全部禁止したら地下に潜るんだよ。
世界最古の職業といわれる売春が、法規制したら全部なくなるとは思えない。厳しく取り締まれば表向きは無いように見えるかもしれないが、無くなることはないと思っている。
禁酒法時代のアメリカで、非合法なもぐり酒場で大儲けしたのは、アル・カポネに代表されるマフィアだったが、中には粗悪な酒を出す店も多数あったらしい。売春も、非合法になれば(本来は売春防止法のある本邦で非合法もくそもないのだが)そこで働く女性は今よりもっとひどい環境になるだろう。
売買春がなくなればいいってのはまあその通りなんだが、そうなってる(それに近い)国がどんな感じかというと、まああんまりいいとも思えないのよね。日本にはAVやエロ漫画も市場が結構あるので、そこで満たす人がいるから売春規制してもワンチャンいけるかもだけど。
SNSで「このドレス、元AV女優が着てたからちょっと嫌」と言った投稿が、「職業差別だ」と激しい批判にさらされている件。
もちろん、SNSという場で発言すれば、反応があるのは当然です。
思慮が足りなかったかもしれないですし、感情的だったかもしれない。それでも、それが本当に「差別」だったのでしょうか?
「国内の後撮りで着ようと思ってたドレスをAV女優がイベントで着てて最悪。このドレスはとあるスタジオのオリジナル衣装だからここでしか着られないし、本当に楽しみにしてたから靴とか小物自分で揃えてコンセプトも練ってたのに。AV女優に貸すって知ってたら契約しなかったんだけど〜どうしよ。 」
この投稿がここまで強い批判にさらされるほど、問題のある内容だったのでしょうか?
私は、そこまで強い批判を受けるような内容には思えないと考えています。
この違和感から、いくつかの論点を考えてみたく以下に列記します。
■「嫌」と感じることすら許されないのか?
消費者が、ある商品に対して嫌悪感を抱くこと、それ自体はごく自然なことではないでしょうか。たとえば、ある芸能人やインフルエンサーが着用しているブランドの商品を「嫌だ」と思う人は少なくありません。むしろ、広告やプロモーションというのは、その“誰が着ているか”を含めてブランドイメージを形成しているわけです。
それを「元AV女優が着ていたから嫌だ」と感じた途端、「職業差別だ」と糾弾するという構図は、少し違和感があります。なぜAV女優だけが、感情的な忌避を表明された瞬間に「差別」という言葉で封殺されなければならないのでしょうか。
■「AV=売春」とは言えない。でも構造を無視しすぎていないか?
根本的な論点として、「AVは売春ではないのか?」という論点があります。
AV出演そのものは建前上は合法な労働です。売春防止法に違反しているとは言えません。
「芸能」や「演技」の名の下で、売春ではないと形式的には整理されています。
ただし、形式上は「撮影」であっても、AVの多くが実際の性行為を含む撮影であり、実際には金銭を受け取りながら性行為をしており、「買春的構造」に近いし、実質的には売春に類する営みと見なされても仕方がない部分があります。
もちろん法的には、売春防止法の抜け道を通して成立している業界ですが、その建前と実態の乖離に違和感を持つ人がいるのは自然なことではないでしょうか。
「AVは売春だ」と断定するものではなくとも、あくまで倫理的・構造的に“買春に似た側面がある”と感じる消費者がいたとして、それは法的な誤解ではなく、価値観や感受性の問題として理解されるべきではないでしょうか。
そこに忌避感を持つのは「職業差別」ではなく「違法行為に対する嫌悪」とも言えるかと思います。
「合法とされているが実態はグレー」という構図は他にもあります。
たとえば、パチンコの三店方式は、景品を第三者が買い取るという建前でギャンブル性を隠しています。
また、風俗業界では「入浴介助」「自由恋愛」などと称して実質的に売春に近い行為が行われるケースがある。
形式を整えさえすれば実態は問われない――というロジックが成立している分野において、その実態に着目して拒否感を示す人々の感覚を「差別」と決めつけてよいのでしょうか。
「純粋まっすぐな純情君かよ、世の中そんな綺麗事で成り立ってないよ~」という向きもあるだろうが、だったらなおのことグレーを忌避する毀誉褒貶を
殊更に「職業差別女」とあげつらうのは何なんだよとなると思うが、いかがかなと。
そもそも「職業差別は許されない」は、正論に見えて実際には例外があることを失念してないか?
暴力団排除条例では、反社会的勢力と関係のある職業や個人は契約から除外される。これは法的に正当な「職業差別」だといえる。
この暴力団排除条例は、暴力団関係者であることを理由に、銀行口座の開設、保険契約、不動産賃貸、結婚式場の利用まで制限できる。これはれっきとした「職業的属性による差別的取扱い」だが、社会的には正当化されている。
そして現実には、風俗やAV業界も、過去には反社との結びつきが問題視された歴史がある。
業界の大多数の人がそうではないとしても、かつ、現時点では業界が健全に努めようとしているとしても、かつて「関係があるかもしれない業界だった」と思って忌避することを、一律に「差別」と決めつけるのは、あまりに乱暴ではないか。
まだ払拭しきれていないそれらの背景をもったイメージによって反社と同様に警戒や忌避されるのは、他のブランドイメージ嫌悪とは一線を画す部分もある。
まあ、何にしろ現在の日本は基本的人権すら制限を反社に対して架す職業差別が合法という犠牲の上に築かれている安寧があるという状況をみんな忘れて議論するなよ、と。
AV出演者の子どもが差別はされてはならないとおもうけど、現状だと反社はその子どもも差別的な扱いの犠牲に巻き込まれているのだから。
今回「職業差別」だと言う言葉で批判する側の発言した人は、忌避感表明程度で強い言葉を使うなよ、とも思う。
現在の日本には法的に規定されたガチの職業差別が憲法第14条「法の下の平等」との関係で問題視している考えだってあるんだぞって。
職業差別ゆるさんと吐いた人は、暴対法と暴力団排除条例どうおもってるのかな。
近年、「売春する側を責めるのは職業差別」という意見も出てきている。
しかし、違法行為である売春を、“職業として肯定すべき”とまで主張することには疑問が残る。現在日本には公娼制度はないのだから。
私は男性で、買春行為に手を染めたこともないし、それは避けてきた。
その立場から見ると、法的には売春行為は明確に禁止されているにもかかわらず形式を整えて実態を正当化する人などが、忌避されてるので「職業差別だ」と反論しているのだとすると、その構図には違和感がある。
「違法性のある行為に対する批判すら封じようとする」主張になってないか。
ある特定の信条からすると蔑まれる行為を行った人への社会的な批判や忌避感情は、差別とは別次元の倫理的・法的なフィードバックだと考える。AV出演者の子が「親の因果が子に報い」的な蔑視を受けるなら差別だけど、本人の責任ある行為の結果で第3者に好悪の感情をもたれるのは
とはいえ建前であれ適法に運用されており、かつ、法的な反社組織と何ら関係のない人が職業や門地によって、銀行口座の開設、保険契約、不動産賃貸、結婚式場の利用制限とかが起きそうになっているならそれは明確に阻止する側でありたい。
■職業としてのAV出演を隠して一般社会人として活動している状況で、過去を暴かれて叩かれるのは問題があると思う。
AV出演歴を隠さず、同一名義でキャリアを継続するのは勇気のあることだと思う。
隠してないのはある意味ではとても誠実かもしれない。
例えば、声優がエロアニメに出るときに別名義を使ったり、漫画家がエロ同人を別ペンネームで出すことも、「見られたくない、でも仕事としてやった」ことを社会がある程度容認してきた例だと思う。
一方で、同一名義で堂々とAV出演歴を公開し続けるなら、過去の仕事によって起用された商品や作品に対して生まれたその人物の“イメージ”で忌避されるのも、ひとつの社会的反応であり、それをただちに「差別だ」と糾弾するのは、やはり無理があると思うよ。
AV女優が同一名義で芸能やモデル業に進出し、過去の仕事を隠していない場合なのだから、それを理由に消費者側が忌避することは「職業差別」ではなく、パブリック・イメージの受け止め方の違いとして普通にありうる。
抱かれたくない芸人とかで、ある意味お笑い要素に本人達がしているから許されているかのような印象をもっているかもしれないが、芸人が特定ブランドを愛用しているとかに対して心ない発言はこれまでよく見たはず。それを「芸人に対する職業差別だ」とか批判したことないでしょ。
芸能・表現者として過去の活動と現在の活動が地続きである以上、「ブランド全体」として評価されるのは避けられない。
だからといってその人の人格まで否定するのは行き過ぎだが、関連した商品が「選ばれないこと」まで否定するのは、やや一方的に思える。
消費者が忌避感を持つのは当然の自由だし「(元)AV女優がモデルに使われた」という情報を知って、その商品に距離を置く。
それは“職業”を理由に差別しているというより、過去の出演歴が与えるイメージによって「自分が身につけるには合わない」と判断しているだけだとおもう。
たとえば「ジャニーズ(旧ジャニ)タレントがCMに出ていたから不買する」という行動や、「インフルエンサーが紹介してると逆に買いたくなくなる」といった反応だってある。
■「それは職業差別だ」と言えば、どんな違和感も封じ込められる――
そんな風潮が広がっているように見えてならない。
でも本当にそうだろうか?
ジャニー喜多川の件で、忌避されるのは事務所そのものだった。広告にタレントを起用すること自体が批判の対象にもなった。
芸人が出ているだけで「買いたくない」と思われることもある。タレントやインフルエンサーが身に着けている商品に「ステマだ」「信用できない」と不信感を持たれることもある。
それでも誰も「芸人差別だ」「インフルエンサー差別だ」とは言われていない。
実際、最近オープンしたテーマパーク「ジャングリア」でも、インフルエンサーによるPRや発信が議論を呼んでいる。
彼らの投稿に嫌悪感を抱いた人は批判的なコメントしている。しかし、その際「インフルエンサーを批判するのは職業差別だ」といった声はほとんど見なかった。
感情に基づく忌避や好感は、どの職業にも付きまとう。特に芸能・表現者として舞台でやっていく場合は、消費者への好悪の感情がブランディングに資するBtoB商品でもあるのを理解して表にでているのだから。
それらを“ブランディング”としてどう受け止めるかは企業や消費者の自由であり、「嫌」という感情そのものまで規制しようとする空気は、むしろ“自由な社会”とは言えないのではないか。
それなのに、AV女優だけを「特別扱い」して、少しでも違和感を示しただけで「差別だ」と決めつけるのは、公正な姿勢と言えるのだろうか?
最近では、表現規制についてもクレジットカード決済会社が「性的」「暴力的」「フェティッシュ」なコンテンツへの決済を一律に禁止しようとする動きが問題になっていて、多くの人が反対していると思う。
ただし、その表現内容が社会からどう見られるか、という評価(毀誉褒貶)まで「規制だ!差別だ!」と主張するのは違う。
表現した以上は、批評・批判されることは避けられない。批判が来たら再反論すればいい話で、それは健全な言論空間のあり方の一部だと思う。
「批判された=規制された」「不快に思われた=差別された」という論法は、言論空間をかえって狭めてしまうのではないでしょうか。
嫌悪感情はAVに限らないし、なぜこのケースだけ「差別」なのか?は明確に批判者側が自省して向き合うべきだと思う。
この「嫌だ」投稿を差別だと断じる人たちは、AVというカテゴリにだけ特別な保護を与えようとしていないでしょうか。
結局、芸人でも、インフルエンサーでも、タレントでも、商品やブランドを「誰が着たか」「誰が使ったか」で好悪を判断するのは消費者の自由です。AV女優という存在に限ってその“好悪”の表明を封じようとするのは、むしろ不自然ではないでしょうか。
ジャニー喜多川問題のように、過去に問題のある人物と結びついた企業やブランドを避けるという行為は、フジテレビを例に出さずとも、今や一般的になっています。広告に誰を使うか、商品に誰を起用するか、広告媒体側の評価、というのは消費者の印象形成に大きく関わるものです。
それに対して「嫌だ」と感じた人が、それを素直に言葉にしたとき、職業差別という重いレッテルを貼って糾弾するやり方は、本当に健全な議論なのでしょうか。
表現者には表現の自由があるように、消費者にも感情や価値観を持つ自由があります。感情や違和感があったとき、それを表明することが即座に「差別だ」と決めつけられる空気は、言論空間の萎縮に繋がると感じます。
表現規制を過剰に求めたフェミがおかしいとか言っていた人が、今回の件では同じような行動をとってトレースしてないか?
ジャニー喜多川問題の時に暴れたジャニオタを嗤っていた人が、「職業差別だ~」で同じような行動に陥ってないか?
「嫌だ」と感じた個人の感情をすぐに「差別だ」と糾弾するのは、本当に守るべき“差別されている人”への関心すら薄める危険があるとおもう。
それを「思ってもいいけど、言ったらアウト」と言う社会が理想だろうか?
差別とは、もっと構造的で、もっと暴力的で、もっと絶望的なもののはずだ。
内心の自由とそれを発言することは分けて考えろとか、言ってる向きの人は、クレカの表現の自由規制の問題になんてコメントしてるの?
職業差別女って強い言葉でレッテル貼って発言者を潰せれば、表現の規制が達成できれば満足なのか?
■余談
職業の貴賎はあるとおもうよ
医療介護福祉系の家族・親類が多いなか、いわゆるエンタメ系の業界で働いてるから思うけど
それでもエンタメの笑いや感動が勇気や希望を与えるんですって思うのは良いし、それでプライドを保つのも勝手だけど、エッセンシャルワーカーの人らに劣らず偉いんですって思ってるならダサいし、恥ずかしいからってだけ思う。
面白いと思ってもらったら勝ちとか、笑わせたら勝ちとか、歌や演技で感動を起こせればそれでいいとか
社会的地位をもとめるのは基本的人権とか自分と家族のプライバシーが必要最小限で守られてればよくない?
差別ってそういう領域まで踏み込んでくるものであって、人権確保された上での毀誉褒貶はつらいけどあるよね。社会人なんだし。
5日でおよそ45人、10日で100人-。高校生だった少女2人が見知らぬ土地で強いられた売春相手の人数だ。大阪府警は売春防止法違反容疑などで男3人を逮捕。東北や北陸を車で連れ回し、女子高生が「帰りたい」と訴えても過酷な環境で売春を続けさせた。捜査で明らかになったのは出会い系サイトを通じて綿密にスケジュールを組み、短期的に利益をあげる巧妙な手口だった。
大阪のグリコの下で言葉巧みにJK2名を誘い込み、出会い系サイトでがっちりスケジュールを組んで
ラブホテル、移動中の車内でプレイをさせ集金、深夜に次の町へ移動
2人のうち1人は東北6県と新潟県を次々と車で移動して10日間で約100人、もう1人も北陸を回って5日間で約45人の相手をさせられた。
1日平均9~10人(しかもおそらくタイマン)でスケジュール組むの相当大変だよ
俺も営業職やってたけど近い地域でまとめて対応するでも7件以上回ったら
そうとう頑張ったわ~今日は!ってかんじだったもん
JK達には「(たぶん月)100万は余裕」って言ってさそいこんだらしいけど、
Q.
A.
買春を行った人間を「悪人」だと断じることの是非については、様々な意見があり、一概に「間違いである」または「間違いではない」と断言することは難しい問題です。なぜなら、その判断は個人の倫理観、社会的な規範、そして法律的な観点など、多くの要因に左右されるからです。***「悪人だと断じるのは間違い」と考える立場からの主な論点としては、以下のようなものが挙げられます。**** **個人の自由と自己決定:** 成人同士の合意に基づく行為であれば、他者が道徳的な善悪を一方的に判断すべきではないという考え方。** **社会構造や経済的事情:**売春に至る背景には、貧困や機会の不均等といった社会的な問題が潜んでいる場合があり、個人の資質だけに責任を帰するのは短絡的であるという指摘。** **需要と供給:**買春という行為が存在するのは、それに対する需要があるからであり、需要側だけを一方的に断罪するのは公平性に欠けるという見方。** **法律との関係:**買春が合法とされている国や地域もあり、法に触れない行為を「悪」と断じることへの疑問。***一方で、「悪人だと断じても間違いではない」あるいは「問題のある行為だ」と考える立場からの主な論点としては、以下のようなものが挙げられます。**** **搾取や人権侵害の可能性:**売春は、弱い立場にある人々(特に女性や子ども)の搾取や人身売買につながる危険性をはらんでおり、人権侵害であるという考え方。** **性的対象化:** 人を性的な対象としてのみ捉え、金銭で買うという行為は、人間の尊厳を傷つけるという倫理的な批判。** **社会への悪影響:** 性産業が社会の健全な発展を阻害したり、性犯罪を助長したりする可能性があるという懸念。** **道徳的・倫理的観点:** 多くの文化や宗教において、買春は不道徳な行為と見なされている。***法的な側面から見ると、日本の法律では売春防止法により、売春を助長する行為や場所を提供することなどが禁じられていますが、単純な買春行為自体を直接罰する規定は限定的です(ただし、児童買春は厳しく罰せられます)。**しかし、法律で罰せられないからといって、倫理的に問題がないとは限りません。***結論として、買春を行った人間を「悪人」と断じるかどうかは、個々人がどのような価値観や倫理観を持つかによって大きく異なります。** 一つの側面からだけで判断するのではなく、行為の背景にある複雑な要因や、それが社会や他者に与える影響など、多角的な視点から考えることが重要です。この問題について、より深く理解するためには、様々な立場からの意見や情報に触れ、ご自身で考察を深めていただくことが大切です。
一年前くらいから逮捕されまくって、もうどこもそんな取り立てやってないよ。
https://www.asahi.com/articles/ASSCF2PXKSCFUTIL00GM.html
新宿区の吉住健一区長は2023年11月、歌舞伎町のホストクラブ側に売掛金の自主規制を求める方針を表明。ホストクラブ側は、24年4月から売掛金を廃止▽20歳未満の新規客を断る▽客に性風俗などの仕事をあっせんする犯罪グループとの関係を絶つ――といったルールを定めた。
ホストクラブ「GRAN」のホストが売春防止法違反(困惑売春未遂)の疑いで逮捕された。このホストは「稼ぎが少ないと会えない」などと女性にメッセージを送り、来店する前に多額の現金を女性に用意させ、全額使わせていたという。
沼にハマるのは自由、で済ますつもりはないようだから対応に無理やり感も出てきてる。
店内で恋に落ちたということにして売春防止法から免れてる、ということにしてる
10km/hオーバーくらいなら見逃してる。少しくらいのオーバーも取り締まって欲しい
可視化されつつあるとはいえ、されてないことがほとんど。全部やってくれよ
別の軽度な犯罪で逮捕し、その中で大きな犯罪の取り調べをする。ズルいと思う
ノルマとかじゃなくて、ちゃんと毎日取り締まってほしい。無理くり違反にする場合もあるし
イジワルだし卑怯だと思う
他にある?