
はてなキーワード:壁ドンとは
大抵の人はスキップして見ねえと思うんだけど、
おれはあれ結構好きなんだよね。
特に好きなのはAV女優さんじゃない女の人とかが出てくるやつあるじゃない?
役柄としては姉妹役とかで、一切脱がないしセックスもしない役割で
主演のAV女優さんの姉とかで、その姉の彼氏が妹のAV女優さんの誘惑で浮気セックスしちゃうとかいうシチュエーションのために出てくる役者さんみたいなの。
ああいう人、見るのが目茶苦茶好きなんだよね。
で、その話とは全く関係ないんだけど(なんなんだよ、それ)、
こないださ、いつものようにAVのドラマパート見てたらAV女優さんが炊飯器からしゃもじを使ってゴハンをお茶碗によそうってシーンがあったの。
そしたらさ、そのAV女優さん普段まったく自炊とかしないというか、下手するとしゃもじ使うの生まれて初めてなの!?
ってくらいにゴハンをぜんぜんうまくお茶碗に盛り付けできないんだよね。
おれそれみてたら笑いが止まんなくなってさ、夜中の2時とかなのにゲラゲラ笑っちゃって隣室の人に壁ドンされちゃっったよ。
世間や周囲からの評価が高く、なおかつ他の男から自分を守れるなどの「妻子を養う男」としての適性、そして好感の持てる言動や自身との関係性
女が男を選ぶ基準は顔面に偏ってないのは、モテる女は万人が認める美人やナイスバディに偏り、モテる男は容姿はばらついているがヤンキーや体育会系など強者男性要素を持つのが共通しているのを見てもわかる
自分たち男はが見ず知らずの素性の知らない女のパーツで発情・射精できるし買ったり盗撮したり付きまとう
だから女もイケメンなどのアイテム持ちの男に突然壁ドンや性加害されたら皆受け入れるし許されるという妄想を口走る限界アンチフェミ男性の脳内の女性像はまるで発展場の胸にパンパンの詰物をした露出度の高いミニスカヒラヒラドレス姿の異様なオカマである
同じアンチフェミ層からも浮いており、例外なく実生活でも高齢未婚
不安定かつ成功率は針の穴をくぐるレベルの倍率の芸能界において自身の商いを零細事務所からビッグビジネスに発展させた才覚の持ち主のジャニー喜多川だが
後期高齢者である晩年も「昔は身長が小さい方が人気あったけど、今はそういう時代じゃない」「うち(ジャニーズ)の若い子も大きい子ばかり」と冷静に時代の流れを把握していた
https://note.com/ezuremanagement/n/ndcdf1c44e048
そして70年代に黒柳徹子との婚約会見のデマをマスコミに流された時も「僕ならもっと豪華な会場でする」とコメントして徹子を喜ばせる機転があった
ノンケなら身長のハンデをものともせずモテたし結婚できるだろう
アプローチを捌くのが大変で、簡単に捌けるようなアプローチの相手をする気にならない、付き合っていた美形以外の彼女はアプローチの強さの結果というのはかなり納得できた。
ただ、
チラチラチラチラ遠回しにアピってくるような好きでもない平均よりちょい上程度の女にこちらから行くなんて事してる暇は無かったです。
じゃあなんで彼らは毎日のようにわたしに話しかけてちょっかいを出してきたんだと疑問に思った。私は自分から声をかけるのが苦手なので、自分から話しかけたことはない。ちょっと近くをうろついて、チラチラ話しかけられ待ちするタイプだった。向こうが私に好意を抱かれていることに気がつくと、壁ドンしてきて「嬉しい?」とか聞いてきたり、むしろ好意を増長させるような絡み方をしてきていた。
物語は〈もしシャアがガンダムを盗んでいたら〉という二次創作的 if を出発点に、ゲームのセーブポイントやマルチバース的分岐を前提とした軽い世界観を採用している。
キャラクターの死は重みを持たず、制作側もオマージュとセルフパロディを重ねることで、現実感を極端に希薄化させた「アニメを模したアニメ」を志向している。
演出面でも同じ軽さが際立つ。キャラクター描写は余白というより「落丁」に近い粗さで、カットのつなぎも総集編のようにぎこちない。
放送されたばかりの10話でもマチュのケツカメラからシャリアの壁ドンへの飛び方が非常に荒かった。目的は物語の自然さではなく、SNSで映える瞬間を切り出すことにあり、ショート動画的。
こうした作りの結果、視聴者は「短いのに濃密だった」という快い感覚は得られず、視聴中に「情報を詰め込まれている」という圧迫感を覚え続ける。
統一テーマはなく、12話という尺の中で①マチュ娼婦堕ちネタを代表とする夏コミ向けの薄い本ネタ、②毒ケーキ3連発などSNSでバズる雑ネタ、③ガンプラ販促という三つのノルマだけが明確に見えてくる。
ターゲットは国内の中高年オタク男性だ。彼らは「作品やファン自身に深みがなければならない」という長年の圧力から解放され、浅い流行りものを堂々と楽しめる。
乃木坂由来のキャラだろうが、JKが突然下着になる場面だろうが、旧作キャラの同窓会だろうが、「楽しければいい」というスタンスが肯定される。
この姿勢は、重度障害者を主人公に据え「女性の障害者は天使のように純粋」という固定観念を壊した小説『ハンチバック』と相似形をなす。
あちらが障害者の性格への幻想を壊した解放文学なら、ジークアクスは「中年オタクは深遠であるべき」という幻想を砕く解放アニメと言える。
そもそもガンダムの収益の核はロボット玩具だ。一旦ちゃんと終わったはずのファーストから卒業できない視聴者に合わせ、シリーズは Z、ZZ、さらにはマーベル的マルチバースへと広がり続けた。
近年の『水星の魔女』が海外市場に目配せしたのに対し、ジークアクスは完全に国内の高齢層へ照準を定める。
「40歳を過ぎてもJKのパンツとロボットおもちゃで盛り上がって何が悪い?」
「ガンダムは深くなくてもいい。浅いまま騒いでいい。」
深読みや衒学的な言い訳を不要とし、SNSでつるみ、大量のモブ死や露悪ネタで盛り上がる――それこそが本作の価値であり、「軽薄な空っぽおじさん完全解放」の到達点なのである。
ジークアクスはキャラクターの死が軽い。作品自体が「アムロでなくシャアがガンダムを盗んでたら」というifの二次創作であり、
分岐ややり直しが容易にできるゲーム感覚がベースになっているのもあるし、制作側がアニメのオマージュ・セルフパロディを繰り返して「アニメを模したアニメ」として現実から非常に遠ざかった記号化の極みにいるというのもある。
別に日本の二次元カルチャーを叩きたいのではない。こういうゲーム的だったりマルチバース的な感覚に基づいた作品作りはアメリカのヒーローもののほうが先行しているからだ。
キャラクターの描写も浅い。行間が広い、余白を残してある、といった美化した解釈が難しい「落丁」に近いような雑さ。カットの繋ぎが滑らかでなく、総集編のような粗い繋ぎ目の急展開。
(10話ではマチュのケツカメラからシャリアの壁ドンへの繋ぎが酷いものだった。9話の予告に壁ドン赤面を入れてバズらせることが重要であり、キャラクターの動きを自然にすることには意味がない)
だから短いわりに内容が濃かったと視聴後に感じるのではなく、視聴しながら「詰め込まれている」という感覚を常に覚え続ける。
作品として何が言いたいのかも軸がなく毎話うろうろして繋がっていないし、12話という尺が限られているなかでマチュ娼婦落ちなどの夏コミネタの提供と、SNSバズネタの提供、ガンプラの販促を行わなければならないという、『ノルマ』の存在だけが感じられる。
しかしそれこそがミーハーなオタク中高年男性が今求めている流行りのコンテンツであり、底が浅かろうが楽しければいい、なぜ中高年男性は深みを持っていなければならないのか?という問いにも感じられる。
元ネタが乃木坂で何が悪いのか?アイドルの何が罪なのか?ジャニオタの女子と同じように「若い、ビジュの良い異性のガワ」に中高年男性が喜んでいたとして何が悪いのか?
連想したのはハンチバックである。これは重度身体障害者を主人公とした小説で、主人公の思考・発想などが信じられないほど性格が悪い。ネタバレにならないよう一応詳細は伏せるが、はっきり言って腐っている。怠惰系の屑さではなく、積極的・加害的に腐っている。
しかし障害者の女性は天使のように心が美しいものである、という24時間テレビ的な圧力・幻想・期待に抗って、フィクションの世界では非常に尖った「性格が腐っている」という女性障害者像を打ち出したという点で、高く評価されるべき作品である。これは解放である。
ガンダムジークアクスも、中高年男性への「中身があるべき」という圧力・幻想・期待からの解放につながるのでは。ガノタはリアルロボットものに対して「深みのあるキャラクター描写」であるとか「説得力のある政治描写」があると言い張ってきた。
しかし、ジークアクスには明らかにそのような重さはなく、二次創作・マーベルっぽいマルチバース妄想、女子高生オリキャラ、女子高生がいきなり男の前で下着になったり、目が死んでいる子どもが娼館にいたりするエロ、
バスク・オムがどうたらという旧作同窓会的な大騒ぎ、毒ケーキという雑すぎて二次創作で騒ぐしかないネタ、モブが大量に死んで「大きな爆発のパワーを感じる」という小学生感覚のおかしみ、などなど
ひたすら軽薄でミーハーでバズ的で、オタクのおじさんの文化祭的だ。おじさんだって中身が無くて良いのだ。ゲームのような大量死を面白がって良いのだ。
やりたいことは結局、射精と、つるんで騒ぐことと、ロボットおもちゃ遊びである。子供向けロボットアニメとリアルロボットは違うという主張を必死で行っているグループもいるが、さすがに無理がある。
ガンダムの収益化のコアは、ロボットおもちゃ遊びである。ガンプラが売られているコーナーは玩具のコーナーである。ロボットおもちゃは男児が遊ぶもので、いずれ卒業するものとされていたのを、
一生卒業せずにおじさんになっても遊び続けられるようにして少子高齢化社会に適応したのがガンダムである。
(水星の魔女には外国人に売って市場を広げようとした努力が感じられたが、海外のLGBTQ+活動家が度が過ぎた暴れ方をして複雑な状況になってしまった。ジークアクスには水星の魔女で見たような海外目配せの試みは感じられない。完全に国内の高齢層を向いている)
視聴者がおもちゃから卒業したくないから、ファーストは終わらせてもらえずにZ、ZZと続き、マーベルのようなマルチバースに至った。それが2025年のガンダムである。
中身が何もないことについて、SNSでつるんで騒いでいて良い。エロと露悪という、浪人生が好きそうな内容で一生騒ぎ続け、現実では友達がいない分SNSで集団になって騒ぎ、一歩も成長していないままおもちゃ遊びをしていて良い。
これはおじさんの解放である。ガノタは必死に衒学的に理屈をこね回して深い人間であるふりなどしなくて良い。オリキャラJKのパンツと、乳比べと、おもちゃが好きなだけの軽薄な人間で良いのだ。論理的である必要性もない。
「40歳なのに、ずっとガンダムの話してるの!」これの何が悪いのか?という無条件肯定である。
「ガンダムは普通のアニメと違って深いから良いのだ」こういう言い訳は要らないのだ。深いオタクであるふりをしなくて良い。懐かしいオマージュ早押しクイズと、JKの乳と売春と、ロボットおもちゃだけで良い。
重度女性障害者は天使のような性格をしていなくてはならないという客体化の圧力を振り払い、腐った性格を打ち出したハンチバックに似た、これは「軽薄おじさん」「空っぽおじさん」「無成長おじさん」完全解放の金字塔だ。
ダブルバインド、トリプルバウンドみたいな何かに縛られてそうだなって思うから。
女も勝手だなって思う。
女性向けのエロっぽいコンテンツ見ると、イケメンが強引に迫ってくるとか(それこそ壁ドンとか)、
「こんな状況許したの、お前が悪いよね?」とか言われてセックスされちゃうやつとか、いっぱいあるわけ。
それってやっぱ女性のなかに、自分からは能動的に動かないまま、(自分から見て好ましいと思う)
相手からは踏み越えて迫ってきて欲しい、って願望が根強くあるってことなんだろうなって思う。
でもその反面、昨今の女性には「実は同意じゃなかった、強引に迫られたから断れなかっただけ」みたいに
そういうのがあることをチラつかせながら、でも、(自分からみて好ましいと思う男性にだけは)
男性側からリスクを負って一線踏み越えてきてほしいと期待するなんて、ちょっと都合良すぎるよね。
だって一歩間違ったら(昨今色々ある事例みたいに)社会的に破滅させられるかもしれないと思いながら、そんなことできる男性、そんないます?って思う。
もちろん私も女性なので、「意に沿わないキモい奴に勘違いされて強引に迫られたら嫌でしょ」って気持ちはわかる。
でも、男性側の視点で考えたらさ。自分が相手にとってその「キモいやつ」か、「きてほしいやつ」かの見分けって、どうやってつけろと?って思うんだよね。
そんで結局、相手のことなんか構わずゴリゴリイケる恋愛工学的なヤリチンとか、
いっちばん真っ当な、自制心があり冷静な判断能力があり女性に対して優しく紳士的に振る舞えるかしこい男の人ほど、
「自分から積極的にアプローチして、万が一彼女を不安にさせてしまったらどうしよう」って
萎縮してしまうみたいなことが往々にして産まれてるんじゃないの?って思っちゃって。
よく「ジェンダー」っていうと、「女性の社会的立場を守る」的な意味合いで使われることが多いと思うけど、
本来でいえば「性的役割分担」って意味なはずで、それは男性にも適用されると思うんですよ。
そういう意味でいえば、女性からの「安全な男でいてほしい、でも私にだけは強引に迫ってほしい」
「稼ぎがいい男であってほしい」みたいなのだって、男性に対するジェンダーバイアスじゃん。
いわゆる、「男気がある」「甲斐性がある」「女々しい」みたいな言葉って、大概男性に対するジェンダーバイアスなの。
女側のジェンダー的不均衡を主張したり、女側ばかり受けるジェンダー的な(たとえばセクハラとか)抑圧を訴えるのなら、
同じだけ、本当なら男性が受けているジェンダーバイアスに対しても目を向けるべきなんじゃないの、って私は思う。
自分は絶対にしないし、される女性に対して同情的に思う(なんならフォローしてあげたいと思う)けど、
その話を論じられたとき、「男はみんな犯罪者予備軍」みたいに言われてしまったら、
自分のなかにありもしない男性的攻撃性が『ある』と指摘されたように感じて、
それに対して傷ついたり、しなくてもいいはずの反省をしたり、自分自身の男性性を怖く感じたり、
否定的に感じてしまう、そういう人がいて、それは本当にかわいそうだって思う。
ただ男性に生まれたからというだけで、身に覚えのない他の男性の罪をその人まで背負う必要はないし、
ただ男性に生まれただけで、『男ならこうしてくれたっていいでしょ』みたいな、
旧来的な『男の甲斐性』みたいなものを背負わされる必要もないはずじゃない?
私はタフな女なので自分のことは守ってくれなくても別にいいと思うから、フェミニズムにはあまり関心がないけど、
男性の(その性に生まれたという理由だけで)強制的に抱え込まされている、
そういう不均衡に対しても、No!をいうべきひとたちなんじゃないのかなー、って、思う
こういうこと言うと名誉男性とか言われるのかな。知らないけど