
はてなキーワード:埋め立て地とは
は、ある局面では、正しい。
しかし、いくら抑圧しても、その「不安(体感不安?)」そのものは、無くなったり消えたりしない。
「医クラvs.反ワク」では、どちらもが、相手に対して「デマ(=嘘)をばら撒くな」と言って批判し合っている。
この構図は、「外国人労働者の増加」に対する「左翼vs.右翼」の対立とも呼応している(ソックリな構図)。
抑圧や完全無視をすればするほど、人工的(作為的)な「ワクチン」や「グローバリズム」への不安や疑念から生じる
「反◯◯」の感情は地下に潜伏する。そしてSNSや選挙で突発的に噴き上がる。
これは、小さな歪みが長年にわたって溜まり、周期的に「超巨大地震」が発生するメカニズムと同じ。
ちなみにだが、「人工的(作為的)なモノや制度に対する不安(否認)」は、
かつての「大阪都構想」に関する住民投票でのギリギリの否決とも呼応している。
あるいは、「埋め立て地である人工島での2025年大阪万博」への批判にも、この不安要素があったかも。
そういえば、1996年の世界都市博覧会(都市博)は都知事に当選した青島幸男の決断で中止に。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E7%95%8C%E9%83%BD%E5%B8%82%E5%8D%9A%E8%A6%A7%E4%BC%9A
君の怒りは理解できる。赤ちゃんが苦しんでいるのは私も辛い。陽性だと知った時は、正直、頭が真っ白になったし、君と赤ちゃんに申し訳ないという気持ちでいっぱいだ。だが、君の言葉はあまりに感情的で、事実を歪曲しすぎている。
「コロナの可能性」というのは、今となっては結果論だ。昼前に起きた時、熱は下がっていた。朝からずっと微熱だったり、他の症状が強く出ていたりすれば、すぐに検査に行ったさ。
しかし、その時点ではただの「微熱後の体調不良」だと自己判断してしまった。これは判断ミスだったかもしれないが、「コロナの可能性がある人間としての義務を全く果たさなかった」と断罪されるのは行き過ぎだ。もし熱が下がっていなければ、予防接種にももちろん行っていない。君も熱が下がったという私の言葉を受け入れ、予防接種に連れて行ったんじゃないか。君自身もその時点ではそこまで深刻に考えていなかった証拠だろう。
君は「私たちをいたわることもなく、病院が閉まる直前の時間にやっとコロナの検査にいった」と言うが、そうではない。再び熱が出てきた時点で、「これはまずい」とようやく自覚し、すぐに検査を受けられる場所を探したんだ。仕事の休憩中や、シャワー中に「抜く」ことはあったかもしれないが、それはこの病気の状況とは関係ない。体調が戻らない中、病院の受付時間に間に合わせるために動いていたんだ。これは無責任ではなく、状況を立て直そうとする行動だ。
陽性だったとして、赤ちゃんに影響が出る可能性は重々承知している。だからこそ、すぐに君たちと物理的な距離を取り、隔離生活を始めている。
君が「私と赤ちゃんが実家に避難するための準備」について言っているが、まずは私の陽性を確定させることが最優先だった。陽性か陰性か分からない状態で避難の準備をしても、無駄足になるかもしれないし、移動中に他の人に感染させるリスクだってある。まずは私が「コロナである」という事実を確定させ、そこから君と赤ちゃんの行動を決めるべきだと判断した。その判断が、君の望むタイミングと違ったのかもしれないが、「バカでしかない」とまで言われる筋合いはない。
あの時の私の言葉は、君を傷つける意図はなかったが、確かに言い方が悪かった。訂正する。
君は赤ちゃんが苦しんでいる様子を詳しく伝えてくれた。ミルク、着替え、保冷剤を自分の脇で温めてから使う...。君がどれだけ手間をかけているかは伝わったし、感謝もしている。君の愛情深い行動を否定するつもりはない。
私が言いたかったのは、君も私と同様に「その時点ではコロナだと思っておらず、いつも通りの育児をしていた」ということだ。君は予防接種の副反応だと信じて、熱を下げるための対応に集中していた。私を罵倒する一方で、「昼間、熱が下がった私を野放しにし、赤ちゃんに接触するリスクを君も容認した」という点に、少しでも責任転嫁しているように聞こえたんだ。
「お前だけが被害者ぶるな、お互いに油断していた部分があるだろう」ということが言いたかった。それなのに、あの表現は君の頑張りを「担いでただけ」と矮小化してしまった。それは謝る。
今、私たちに必要なのは、お互いを罵倒することではなく、赤ちゃんの回復と、これ以上の感染拡大を防ぐことだ。
君の不安や怒りの矛先が私に向くのは当然かもしれない。だが、今は責め合うのをやめて、次に何をすべきか、冷静に話し合えないか。私自身、陽性という結果に動揺し、どうしたらいいか迷っているんだ。
この人が最大限の配慮をとりたくなるような可愛い妻じゃなかったわたしが悪いです。
こんなことを言う必要は全くない。君は素晴らしい母親だ。可愛いとか可愛くないとか、そういう話じゃない。どうか自分を責めないでくれ。
独身のときは、どっかの家庭のバカ夫の話をきくたびにカギ「はやく離婚すればいいのに。ていうかなんでそんな人選んだの?乙wwwww」くらいに思ってたのに。
なので、私は普通の人以上に手洗いうがいにうるさかった。
しかし、愛し合った末に結婚した夫は帰宅時のうがい手洗いの習慣がない野蛮人だった。
叱り飛ばしてやっと帰宅後十数分たったころに渋々嫌々やりだす。
しかも最悪なことに夫は鼻クソをよくほじる。
鼻クソをほじること自体は百歩譲って許そう。
人が見てない映画館でずっとホジホジしてることも千歩、いや、万歩譲って許そう。
でも汚いままの手で鼻の粘膜を触ることは本気で本気で許せなかった。
本当に本当に許せなかった。
もちろん注意もする。
鼻くそをほじってんじゃねえクソボケが!!と叱り飛ばしたこともある。
せめて綺麗な手で、自宅の洗面所とかで鼻をスッキリさせたらいいじゃない。と優しく伝えたこともある。
変わらなかった。
思えばこの期待こそ、ネットの中でバカ夫に苦労させられてる妻たちへの入り口だった。
子供が生まれた。不妊治療の末にやっと生まれた可愛い可愛い赤ちゃん。
赤ちゃんを溺愛する夫。それを見守る私。
素敵な家庭。
でも結局夫の手洗いうがい率が100%になることはなかった。
鼻くそを汚い手でほじるのもやめない。
夫への期待が崩れていくうちに、私もネットの中のバカ夫に悩まされながらも離婚しないバカ妻だったことに絶望した。
そしてその夫がこのたびコロナになった。
発熱したのは三日前。
赤ちゃんがいるんだから早く検査して。陽性だったら私と赤ちゃんで実家に身を寄せるから。とずっと言っていた。
いつだって病院に行けた。今日の朝だって朝イチで病院に行けたはずだった。
のに、
寝てた。ただただ寝てた。
なんなら、発熱がわかったときから家の中にいても頻繁に手洗いうがいして、と頼んだのにしなかった。
昼前にのそのそと起きてきた夫は熱が下がったといっていたので予防接種にむかった。
かなりしんどいようで今もずっと唸りながら泣いている。
私は泣く赤ちゃんの首にぬるい保冷剤を当てながらずっと抱っこしてる。
言葉もまだ喋れない赤ちゃんが苦しんでる姿にこっちまで泣けてくる。
結局また熱が出てきたらしい夫は、私たちをいたわることもなく、病院が閉まる直前の時間にやっとコロナの検査にいった。
それで陽性だったとして、すでに赤子は体調が悪く、抵抗力が落ちているのに。私と赤ちゃんが実家に避難するための準備もしないといけないのに。
でもこのときはまだ私も、
夫はあれだけ放っておいて仕事だってしてオナニーだってしている(夫は私が起きてる時間にシャワー浴びながらAVを見て抜くオナニー異常者。文章打っててなんでこれで離婚してないのか不思議に思う。麻痺してる。)のだから微熱?かも?くらいの熱で、ほか症状は全くないんだろうな、コロナじゃなくてただの風邪なんだろうな、と油断していた。
苦しむ赤ちゃんをひたすら抱っこしていた私のスマホに届いた夫からのライン。
「コロナだった」
あり得ない。あり得なさすぎる。
また、接種後数時間で赤ちゃんが発熱しているのはもしかして副反応じゃなくてコロナなんじゃないのか!?
なんてことしてくれたんだ!!ととても不安になり、それを夫にぶつけたところ、
夫「自分だって昼間そのまま担いでただけのくせに。今さらになって深刻ぶるな。」
検査行かなかったのが!!!!!!なによりも悪いだろ!????!!!!!
赤ちゃんの苦しんでる様子みながらミルク少しずつあげてみたり、着替えさせたり、冷媒そのままじゃ冷たすぎるから自分の脇に挟んでとかしてからタオルで巻いて赤ちゃんの首にあててみたり、そういう諸々を担いでただけ!???????
わかる。わかるよ。
私が悪いです。この人を選んだ私が悪いです。
と言う事が考えられている模様。
で、これテスラや中国だからと言って解決できるような気がしないんだよな……。
日本だと不可能で、中国だと可能ってのは発電所の建設ぐらいか。日本だと大規模な再エネ以外の電源開発(発電所の建設)って環境アセスメントがあるから計画から運転開始まで10年かかる。
送電線が既に来ている工業用の埋め立て地にガスタービンを並べるとかならまぁできなくないんだけど。
現実主義の人は
って感じでプランニングしているっぽい。
出力600kwの800v充電器なんてものをガススタの3倍の密度で整備するなんてのよりはだいぶ現実的ではあるけど、それでも整備までどれぐらいかかるかなあ。10年でできるかな。
車必須の地方民としては、日常の足、サンダル代わりの軽自動車はEV化していくのは間違い無いとしても、それ以上は見通せないや。
以下のくだりが、とても印象的だった。
その時にわたしの出身地の名産が好きで、通販でたまに買って食べてるんだけど美味しいよね、とさりげなく話題をそらしてくれた年配の男性がいた。
その人が後から「あの人、悪い人じゃないんだけどごめんね、自分も神戸出身でさ」と言われた。
恥ずかしい話、「神戸出身だから」と言われて私は何も分からなかった。
私は自分が地震と津波の被災者で、東北で育った私たちが一番の被災者で、今後数十年はわたしたちが一番のかわいそうな立場だという感覚を持っていた。
「なぜ急に神戸?」とポカンとして「はぁそうなんですか…」と雑に返した気がする。
その後、関東に戻ってしばらくしてから、何がきっかけか覚えていないがオウム真理教の話になったとき、
上司が「あの年は神戸で大震災もあって、オウムの事件もあって日本は終わりだと思った」と言ってて
やっと気づいた。
ひとの災害経験というのは、ほんと様々で、一概にかわいそうな被害者としてのっぺらぼうな面をみるわけにはいかないよね。
自分だけが被害者面していたかも、という気づき。こういうちょっとワンクッションおいて、時間が経って考えること、こういうのが大切なんだと思う。
ただ、被害者という言葉で共通項を見出したとしても、阪神淡路大震災を経験したひとと、東日本大震災を経験した増田がこうして、何かのきっかけでお互いの体験の共通部分に触れようとしたときでさえ、お互いが経験したものの奥行や背景は全く違う。でもそれは、もっと言葉を交わさなければみえてこないもの。
多分、増田は上記の言葉を交わしたとき、その手前でふと立ち止まって考えたんだと思う。
ひるがえって自分の親戚の話。自分語りをトラバに混ぜるのはなんだかな、と思うところもあるが、テーマの性質上書かせてもらう。津波から数日後、東北のもっとも大きな漁港のひとつで、親戚が経営していた漁業関連会社と生産工場が全滅したとの一報を受けた。一方、杜の都に住む息子娘世代は全員無事だったという朗報にほっとしたことを思い出す。
しかし、それよりも震災から半年くらい経って、父が一言つぶやいた言葉のほうが忘れられなかった。
他界した親戚一家は、さかのぼると、昭和8年の津波の前から漁港で生計を営んでいた。1933年の津波で多くの財産を失った親戚は一から再建する際に、同じ場所でやり直すのはやめるべきだと再三にわたって、周囲から助言されていたという。しかし、結局、同じ場所で人生をやり直し、次世代が引き継ぎ、そして次第に事業規模が大きくなり、津波の記憶が遠ざかっていくなかで、そのまた次世代の方々が財を成し、地元の名士として羽振りよく、親族のなかで存在感を持つに至る。そんななかで、半世紀以上前、東京に出て行った東北の令嬢が結婚前の父と出会う。
大切な令嬢(大地主の長女)をどこの馬の骨ともわからないよその県の小作人の末っ子風情に嫁がせるわけにはいかない、という大反対の嵐。本家筋からなにから親戚中の冷たい目線。結局、結婚は許されて、父は母の家系に婿として入ることになるのだが、その時に受けた屈辱を忘れられないらしく、東日本大震災で全滅した親戚に対して、天罰、という言葉で自身のつらみを含ませて表現したのだった。
父にとっては、かわいそうだね、では決して片づけられない感情。
個人的には、なにより、貧しい者も栄華を誇った者も等しくなぎ倒した大津波の、客観的な、物理的な力に圧倒せざるを得なかった。
たとえ、誰と震災の経験の話をするとしても、このようなパーソナルヒストリーの違いによる温度差は避けることができない。そう思っている。
震災を経験していようがいまいが、あるいは同じく焼け出された隣人でも同じではない。大地震大津波の破壊力を前には、あの家は無事だった、無事でなかった、そういうさまざまな経験がそれぞれにあるにすぎない。
こうしたファミリーヒストリーな視点でそれぞれの思いがある一方で、
上司が「あの年は神戸で大震災もあって、オウムの事件もあって日本は終わりだと思った」と言ってて
やっと気づいた。
という上司の言葉。そして、「やっと気づいた」という言葉。このつながり方は、大変興味深い。「あの年は~」というのは個々の経験の違いを超えた、歴史を振り返った俯瞰的な総括を含んでいるからだ。1995年という時代、そういったマクロな視点での気づきをもたらすのも災害だ。
そして、それが何かの理由で、自分自身のファミリーヒストリーや神戸出身者とのちょっとした会話と結びついたのだとすれば、それは自分のある意味「かわいそうな」私的な思いを、歴史の一コマのなかに着地させようとする、そういう覚醒だったのかもしれない。
実をいうと、よりマクロな視点で、それぞれの災害にはそれぞれの社会的な背景があり、その脆弱性が被害を増幅させている、という視点を最初に提起したのは、阪神淡路大震災だった。
1990年代以前は、災害被害者というのは、災害管理の文脈で救援対象として、比較的ステレオタイプに捉えられていた。しかし、その認識を大きく変え、都市の社会構造の脆弱性に関心が高まったきっかけが1995年の震災だった。こう書くとなにやら上から目線風だけど、阪神淡路大震災が自分が仕事として防災の世界に入るきっかけを作った。
神戸の都市としての成り立ちは、明治の初め、神戸港が開港された時から始まる。以降、港湾労働者が多く流入、低所得層が脆弱な埋め立て地や条件の悪い内陸部へ集住するようになる。他方で、20世紀の鉄道の時代に入ると、阪神間の交通網が充実し、六甲山ろくに高級住宅地が開発されるようになる。高度経済成長期には六甲の開発で切り崩した丘陵地に住宅地を建設、その残土で海岸が埋め立てられ、工場用地や港湾建設が進められていく。おりしも公害問題が深刻化した時代、都市の生活環境はますます深刻化していった。そんななか、オイルショックを契機に産業構造の転換という時代の変わり目を迎え、神戸の産業のシンボルであった造船、鉄鋼は停滞してゆく。それは関連する神戸の零細地場産業を苦境に陥らせ、今度は人口流出が起こり都市部の空洞化が始まった。都市部に残っているのは、流動性の低い層つまり高齢者、低所得者ばかりとなった(インナーシティの形成)。
これに対して1980年代、神戸市の政策的な対応としては、財政問題の打開が先行した。バブル前の当時の考え方では、大規模開発こそが地域経済の再生をもたらすと信じられていた。埋立地の利用による、ポートラインラド、六甲アイランド建設、物流機能強化のための明石大橋建設、最先端技術産業の誘致、ニュータウン建設など、新たな付加価値の創出が事態打開の切り札だった。
その一方、社会の脆弱層への支援、行政による市街地の再生は後手に回っていた。
オイルショック後の産業構造の転換で取り残された低賃金労働者の町、老朽化の進んだ木造住宅密集地域、長屋建ての住宅の占める割合の多い市街地(長田区のスラムのようなオールドタウン)は新陳代謝が進められなかった。地震対策の上でも洪水対策の面でも取り残された街となった。どのような地域であったかは番町地区で検索をしてほしい。
このような経済格差や脆弱性が生み出された、マクロな構造変動のなかで襲ったのが1995年の大地震であり、被害が社会経済的に脆弱な人々に集中した。暴力団員が懸命に救助活動していたエピソードを覚えている人もいるだろう。そういう街だった。
社会学的な視点でみれば、この地震の教訓として、被害が高齢者、低所得者に集中したのは、ある意味、歴史的必然だ。格差が生み出された背景などのマクロな政治的・経済的な動向と切り離せないということだ。
そして、このような格差や脆弱性という切り口でみる構造分析は先月発生したトルコとシリアの大地震でも、当てはめることができる。
このように、可哀そうな存在というのを社会学的に脆弱性として構造的にとらえる、ひとつのきっかけは、やはり他の災害を知るということであるし、昔の災害を知るということだと思う。
パーソナルヒストリーとしてお互いに触れあうことで、お互いに違うバックグラウンドにあることがうすうすわかってくる、それもまた、大切な気づきなのだと思う。
また、パーソナルなコミュニケーションが、例えばまさに「通販でたまに買って食べてるんだけど美味しいよね」みたいな会話、これが実はマクロな特性を知るうえでも、その人のパーソナルヒストリーをしるうえでに、もっとも重要なエントリーポイントだったりする。仕事上、ひとから話を聞くときにいつも気に留めていることでもある。
だから、トルコとシリアで現在進行形の震災について全体状況を大きな視点理解している国際機関よりも、よりミクロな視点で、特定の家族や地域の人たちにコンタクトがとれる小規模のNGOや支援団体に私自身は微力ながら支援金を送付している。たまたまシリア難民支援をしている人と知り合いの知り合いくらいの関係でSNSでつながっていたのがきっかけだ。アサド政権が物資を止めてしまう現状も現地の声としてより関心を持つようになった。そのほうが確実に、受け取った人の顔がみえ、困っている状況がミクロにもマクロにもわかってくる。自分が支援したお金が支援先の一家族あたりの支援額(しかも第一バッチ)の1/4にも満たないことを知る。こういうことも大切だと思う。
そのように、何かをきっかけに、他の災害に対して接点を持つ機会を大切にしたい。
というのは、居酒屋のトイレの洗面所とかで何気なくかわす会話、とか想像していたのだけど、そういうのが大切だよね。そういうのが心の残って覚えている、ということがさ。もちろん完全にひとのことを理解するなんてことはどんなに会話を交わしてもない。でも覚えてさえいれば、そのなぜか覚えていた思いを何かにつなげることができる。その「きっかけ」というのはとても大切に思う。
災害を忘れない、というのはそういうことだと思うので。
東京オリンピックは大成功だったが唯一中国と同レベルなところを晒してしまったと思ったのはやはりこのニュースかな。
五輪会場・お台場の海 「トイレのようなにおい」解消も、海水の濁りは消えず
オープンウオーター男子10キロで給水する選手=お台場海浜公園特設コース
オープンウオーター男子10キロで給水する選手=お台場海浜公園特設コース
お台場海浜公園の海辺の水質が問題視されたトライアスロンとオープンウオーターの2競技が終わった。好天に加え、汚水の流入を防ぐ「水中スクリーン」の対策が実り、計5日間の日程は水質基準をクリア。ただ海水の濁りや、汚水排出の問題そのものは解決していない。(原田遼)
海辺の周回コースで10キロ泳ぐオープンウオーター。選手が水をかく度に茶色いしぶきが上がった。5日の男子13位の南出大伸選手はレース後、「(水中に)入ると全然前が見えない汚れだった。海外では底が見えるくらい、きれいな海でやることもある。それで今回順位や気分が下がったりということはないけど」と苦笑いで振りかえった。
会場が一躍注目されたのは2019年8月。両競技のテスト大会が行われ、パラトライアスロンでは大腸菌の量が実施基準の2倍を超え、スイムが中止に。オープンウオーターの出場選手からも「トイレのようなにおい」とやゆされた。
埋め立て地が入り組む水域はもともと水質は悪い。さらに大雨が降ると、汚水が処理場を経ずに直接川に放出され、海まで流れるという下水事情も重なった。
そこで都と組織委員会は、通常は海洋の掘削工事に用いられるポリエステルのシートを代用。ブイでシートをカーテンのようにつるしてコースを囲った。「水中スクリーン」と名付けられた、このシートを今大会三重にして張り、コースを汚水の流入から守った。
晴天に恵まれたこともあり、大腸菌の量は全日程で基準内に収まったが、数値は非公開。においについても、南出選手は「テスト大会に比べれれば、全然気にならなかった」と話し、トライアスロンや海外の選手からも目立った不満は聞かれなかった。
都は招致時、競技会場が集まる臨海部を「水と緑、生物多様性の拠点として開発される場所であり、東京の未来を感じさせる」とアピールしていた。お台場はその象徴だった。
◆「ここで泳いだ選手はかわいそう」
しかし濁りは解決できず、大会後は「水中スクリーン」も撤去される。招致時に描いた「東京の未来」はどうなるのか。周辺を愛犬と歩いていた女性会社員(48)は「夏は犬がこの海で泳ぐけど、上がると泥でベタベタになって洗い流すのに1時間かかる。ここで泳いだ選手はかわいそう」。
やっぱ納豆菌とかのバイオ工業でキレイにして立派な環境技術を世界に見せてほしかったところだ。
こういう人間的な民度を晒すこともなかったのは大成功だったと思う。
フロンガスを使うことでオゾン層が破壊されて穴が空いてしまったという問題。
1987年のモントリオール議定書によってフロンガスの使用が禁止された結果、オゾンホールには縮小の兆候が見られている。
とはいえ、オゾンホールはいまだ大きく、本格的な問題解決は21世紀末になるという。
が、とりあえずは打てる手は打ったし、ということで、あまり言われなくなったのだろう。
工場の煙などに含まれる汚染物質により、雨が酸性になって木々が枯れ、人体にも悪影響を与えるかもしれないという問題。
日本では80年代から現在に至るまでずっとpH4.7くらいで変わっていないようだ。
国際条約で二酸化硫黄や窒素酸化物の規制が進んだことで、それらの排出量は減少し、欧米では酸性雨は「解決」扱いになっている。
日本でも排出ガスの規制は進んでいるし、「pH4.7くらいなら思ったより悪影響なくね?」みたいな論調もあって、あまり言われなくなったようだ。
窒素酸化物や炭化水素が、日光の紫外線により変質してオゾンを発生させることにより、人体に健康被害をもたらす、という問題。
ピークは70年代だけど、現在でも続いていて、たとえば近年の東京では年間5〜10日ほど光化学スモッグ注意報が発令されているようだ。
とはいえ、排出ガス規制により窒素酸化物の排出は減っているし、70年代ほどの被害にはなっていないから、ということで言われなくなったのか?
100年以上も前から「あと数十年で石油は枯渇する!」と言われてきた問題。
もともと「可採年数」というのは「既に発見されていて、技術的に採掘可能で、採掘コストに見合う石油の量」にもとづいているので、
新しく油田が発見されれば可採年数は伸びるし、シェール革命のような新技術で安く採掘できるようになっても伸びる、ということらしい。
子供の頃は「10年後には埋め立て地が足りなくなってゴミを捨てられなくなる」と言われていた気がするが、
最終処分場の新設と、ゴミの処理方法の改善で、とりあえず残余年数(満杯になるまでの年数)は伸び続けているらしい。
Permalink |記事への反応(24) | 16:39
| 時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
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| 00 | 74 | 12106 | 163.6 | 69 |
| 01 | 46 | 3801 | 82.6 | 40.5 |
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| 11 | 185 | 18771 | 101.5 | 37 |
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| 1日 | 2218 | 236488 | 106.6 | 44 |
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なんて偉そうなタイトルだが、元増田家は正直あまりちゃんとやっていなかった。
皮肉にもコロナウイルスの流行後に、嫁がとあるアウトドアブランドを給付金で買ったことから、
環境問題に興味を持ち始めた。
結果的に我が家ではちゃんと分別しようということになり(その位しかやることがない)、まだ数か月だが今の所きちんと分別している。
自分達が住んでいる都市は焼却で、最終処分場(埋め立て地のこと。この存在も知らなかった)に行く前に中間施設?という所で焼却、粉砕して、
最終処分場へ運ばれているようだ。
きちんと分別されていればリサイクルされる物が、分別されていないと埋め立て地行きになるらしい。
とはいえ夫婦共にそんなに熱心ではないので、たまにビニール袋もらうし、たまに分別が完璧ではない所がある。
これは思い返すと心に余裕が無い時だった。
嫁と話していて思ったのが、全然余裕が無い(経済的だったり、仕事のことだったり、家庭のこと等)人が、
そんなこと考えている余裕や暇も無いのでは?と思う。
自分達が正にそうだ。きっかけがあって考えるようにはなったが、完璧に実践できているかと言われたら大分あやしい。
仕事や育児に追われる中でゴミをきちんと分別するのは「ストレス」でしかない時がある。
可視化できて数値にされれば取り組む人もいるのかな?とか色々考えるが、
という話を嫁以外にできる人がいないので増田に垂れ流す。
公営ギャンブルなんやから、しょうがないやん。働いてる人が公務員か準公務員的な扱いなんだろうなぁ。
おかげさまで、京都競馬場の最寄り駅。京都市の外れの淀駅は、改装していたよ。
踏み切りばっかりで危なそうだったけど、線路が高架化して、踏み切りは廃止された。
公営ギャンブルから公営カジノが、大阪の埋め立て地(USJ)よりももっと辺鄙なところにできるんだから、
こうやって俺達が、ネットと電力を消費しているときにもアフリカでは、多くの子供たちが餓えに苦しんでいることだろう。