
はてなキーワード:国際秩序とは
【はじめに】
※本稿は、先に公開した同名論考に対して寄せられた批评と、それを通じて得られた理論的再検討を踏まえ、特に現代貨幣理論(MMT)に対する理解を、主流的な財政論の枠組みから切り離し、より構造論的・環境依存的な視点へと修正したものである。
基本的な問題意識は変わらないが、いくつかの記述は、より精密な形へと再構成されている。
なお、本稿の結論──
「金利上昇によって、政治の裁量空間が急速に失われていく」という構造認識自体は維持されている。
今回の改稿は、その結論に至る理論的経路を、より正確な貨幣制度理解に基づいて再構成したものである。
本稿は、完成された主張というよりも、
構造モデルが批評によってどのように精緻化されうるかを含めた思考過程の記録として読まれたい。
本稿は、硬直化した日本政治システム(リヴァイアサン)がいかにして「変化」するのか、あるいは「変化しない」のかを、構造的制約(Structure)と主体的能動性(Agency)の緊張関係から分析する。
結論から述べれば、閉鎖された均衡システムにおいて、内部の主体的行動はシステムの延命(メンテナンス)に寄与するのみであり、構造転換をもたらす真の変数は、常にシステムの「外部」から到来する。
なぜ内部からは変われないのか。なぜ外部ショックのみが有効なのか。本稿はその力学的メカニズムを解明する。
システム内の能動性:なぜ「本気の改革者」は例外なく窒息するのか?
システム内には、現状維持を望む者ばかりではない。稀に、私利私欲を度外視し、本気で構造転換を志す「確信犯的改革者」が出現する。
彼らは「空気を読まない」強さを持ち、世論の熱狂を背に、既得権益という岩盤に突撃する。
しかし、なぜ彼らは例外なく敗北し、システムに吸収されるか、あるいは排出されるのか。
その敗因は、個人の資質ではなく、リヴァイアサンが備える高度な「免疫システム」にある。
日本の意思決定プロセスは、無数の承認ハンコと全会一致の慣行によって設計されている。
改革者の持つ「政治的熱量」は、膨大な会議、部会、審議会というプロセスを経ることで、「摩擦熱」へと変換され、散逸する。
鋭利な刃物も、泥沼を切り続ければ摩耗して切れなくなる。システムは「反対」するのではなく、「手続き」によって改革者を疲弊死させる。
河野太郎氏は「異端児」として知られ、行革担当相やデジタル相として、日本の非効率なアナログ行政(ハンコ、FAX)を打破しようと試みた。彼は「岩盤規制をドリルで砕く」という強い意志を持っていた。
システム(各省庁)は、彼の命令を拒否はしなかった。その代わりに、「法解釈の整理」「セキュリティ上の懸念」「関係各所との調整」という名の「手続きの迷宮」を展開した。
結果として、「ハンコをなくす」ために「デジタルハンコを押すシステムを作る」といった、本末転倒な解決策(システムの自己保存)へと誘導された。
結果:
彼の膨大な熱量は、岩盤を砕くことではなく、岩盤の表面を磨くこと(UIの微修正)に浪費された。彼はシステムを変えたのではなく、システムによって「改革ごっこ」というガス抜きの役回りを演じさせられたのである。
システムに逆らう異物に対しては、派閥や官僚機構が連携し、この血液の供給を遮断する。
協力者がいなくなり、情報が入らなくなり、部下が動かなくなる。
どれほど高潔な意志を持っていても、手足となる組織を兵糧攻めにされれば、改革者は「裸の王様」として孤立し、機能不全に陥る。
事例2:民主党政権(2009-2012)—— 「臓器移植」への急性拒絶反応
鳩山由紀夫および民主党は、「政治主導(脱官僚)」と「対等な日米関係(脱対米従属)」を掲げ、システムの中枢OSを書き換えようとした、極めて純粋な理想主義者たちであった。
明治層(官僚機構)は、新参者である民主党大臣に対し、重要情報を上げない、あるいは意図的にリークするという「兵糧攻め」を行った。
同時に、米国層(将軍)は、普天間基地問題を巡って「トラスト・ミー」と叫ぶ鳩山氏を「システムのエラー」と認定し、徹底的に冷遇した。
結果:
官僚と米国という二大免疫細胞に攻撃された政権は、内部から機能不全(多臓器不全)に陥り、わずか3年で壊死した。これは、適合しない臓器を無理やり移植した際に起きる「急性拒絶反応」そのものであった。
なぜ最も危険な敵ほど「中枢」に招き入れられるのか?
これは罠である。要職に就けば、その省庁の官僚を守る義務(答弁義務)が生じる。
改革者は、自らが破壊しようとしていた組織の「顔」として振る舞うことを強制され、既存の論理に取り込まれる(ミイラ取りがミイラになる)。
システムは、敵対者を「内部に取り込み、腐敗を共有させる」ことで、その牙を無力化する。
かつての日本社会党は、自民党の金権政治と軍拡に対抗する、強力な「システム外の対抗馬」であった。
1994年、自民党は驚くべき奇策に出た。長年の宿敵である社会党のトップ(村山富市)を、あえて「総理大臣」に指名したのである。
権力の中枢に座らされた村山氏は、システムの論理に従わざるを得なくなった。彼は就任直後、社会党の党是であった「自衛隊違憲論」や「日米安保反対」を撤回させられた。
結果:
「総理大臣」という最高のポストを与えられた瞬間、社会党の魂(イデオロギー)は死んだ。自民党は、敵を王座に座らせることで、敵の存在意義を消滅させたのである。これは、システムが実行した最も残酷で鮮やかな「安楽死」であった。
なぜ政治システムは「イデオロギー」ではなく「会計」で死ぬのか?
政治とは、究極的には「誰からリソース(税金)を徴収し、誰に配分するか」という資源配分の技術である。
戦後日本政治の安定性は、経済成長という「宿主」がもたらす無限の果実を前提にしていた。しかし、宿主の生命力が限界に達した現在、システムは「イデオロギーの敗北」ではなく「会計学的な死」に直面している。
なぜ自民党は「配れなくなった瞬間」に崩れ始めるのか?
前述の通り、自民党には核となるイデオロギー(魂)がない。多様な派閥や、農協、医師会、経団連といった利害が相反する集団を一つに束ねていた「接着剤」は、ただ一つ。「国からの補助金と公共事業」である。
崩壊の論理:高度成長期やバブル期は、パイ(財源)が拡大し続けたため、「全員に配る(Positive-sum)」ことが可能だった。しかし、ゼロ成長とインフレが常態化した現在、パイは縮小している。
一人のプレイヤーに利益を誘導すれば、別のプレイヤーから奪わねばならない(Zero-sum)。利益分配マシンとしての自民党は、その存在意義(配る機能)を物理的に喪失しつつある。カネの切れ目が縁の切れ目となり、システムをつなぎ止める引力が消滅する。
――そして露呈する、制度という名の「檻」
なぜ「国債を刷ればいい」は突然使えなくなったのか?
支配的な政策言説において、「税収が足りないなら国債を刷ればいい」という現代貨幣理論(MMT)的アプローチは、ゼロ金利・低金利という特殊な金融環境でのみ作動する例外的措置(チート)として理解されている。
この見方に立てば、MMTは恒常的な財政運営理論ではなく、長期停滞と金融緩和に覆われた日本においてのみ一時的に許容された「裏技」に過ぎない。
2024年の日銀による利上げ、すなわち「金利のある世界」への回帰は、このチート機能の強制終了を意味する。
金利が上昇すれば、国債残高に比例して利払い費は自動的に増大する。国債利払いは予算編成上、優先的に処理される「固定費」であり、政治的裁量によって削減することはできない。
これら不可避的支出だけで国家予算の限界値に達する以上、政治家が「自由意志」で配分できる裁量予算は消滅する。
結果として、政治家は「利益の分配者」から、膨張する固定費の帳尻を合わせるだけの「赤字の管理人」へと降格させられる――
これが、金利上昇後の世界において語られる、MMT「失敗」の物語である。
しかし、この物語そのものが、より深い構造的真実を逆説的に暴露している。
現代貨幣理論(MMT)の本質は、低金利下のチートを正当化するための方便ではない。
それは、貨幣主権を持つ政府は「支出のために徴税や借入を必要としない」という、現代通貨システムの物理的実態を可視化した理論である。
MMTの視点では、国債は資金調達手段ではなく、民間部門に供給された余剰通貨を吸収し、金利を調整するための政策ツールに過ぎない。
本来、政府支出を制約するのは「財政赤字」ではなく、供給能力の限界が引き起こすインフレのみである。
現代の金融システムは、中央銀行の独立性という「防波堤」によって、政治権力が通貨発行を直接統制することを禁じている。
これは、インフレを制御できない政治に対する制度的不信を前提とした安全装置である。
さらに、国債は国際金融市場において「安全資産」として機能しており、これをMMT的論理で無効化することは、現行のグローバル金融秩序そのものを動揺させかねない。
むしろ、「貨幣主権国家は理論上できること」と、「市場・制度・国際秩序が許容すること」との乖離である。
しかし、それを実行すれば「財政規律の崩壊」と見なされ、円安やインフレ、資本流出を招くという政治的・市場的制約が即座に作動する。
それは、我々自身が作り上げた「財政規律」という名の制度的な檻の中に、最初から閉じ込められていたのである。
日本の金融政策は、国内で完結した閉鎖系ではない。円という通貨は、ドルを基軸とするグローバル金融システムの一部として循環する開放系に組み込まれている。ゆえに、「ゼロ金利を維持するか否か」という選択は、国内の意思だけで決定できるものではない。
2022年以降、米国はインフレ抑制のため急激な利上げを実施した。金利とは通貨の「魅力度」であり、高金利通貨へ資本が流れるのは、重力や水位差と同じ物理法則である。
米国が高金利、日本がゼロ金利であれば、資本は必然的に円を売り、ドルへと移動する。この圧力は政策論争によって回避できる性質のものではない。
資本流出の帰結として発生した急激な円安は、輸出企業には利益をもたらす一方、エネルギー・食料を輸入に依存する国内経済に対して、強烈な輸入インフレとして作用した。
生活必需品価格の上昇は、国民の生存コストを直接押し上げ、システムにとって最も危険な閾値――社会的耐性限界――へと接近させる。これは単なる経済指標の悪化ではなく、治安不安や政権不安定化という「システム破壊リスク」の増大を意味する。
一つは、利上げを拒否し続け、通貨価値の下落と制御不能なインフレによって通貨の信認そのものを失う道。
もう一つは、利上げを受け入れ、国債利払い費の増大によって財政運営が硬直化する道である。
国家にとって「通貨の死」は即死を意味するが、「財政の死」は延命可能である。
外部環境によって銃口を突きつけられたシステムが、自動的に「より生存確率の高い地獄」を選ばされた結果に過ぎない。
ここにもまた、個別の意思決定主体の「自由意志」は存在しない。
あるのは、開放系における外部変数によって強制的に狭められた、選択肢なき選択だけである。
なぜ国民は反乱せず、「産まなくなる」のか?
配るカネがなくなったシステムは、最終手段として、声の小さい層(非正規雇用者、若者、そして未来の世代)から搾取し、コア支持層(高齢者、既得権益)へ移転するという「略奪的再分配」に移行する。
崩壊の論理:しかし、搾取される側の実質賃金(生存エネルギー)が限界を割った時、宿主は死ぬ。少子化や労働意欲の低下は、国民の道徳的退廃ではない。「これ以上搾取されることへの、Permalink |記事への反応(1) | 12:38
かなり重たいテーマだけど、学術的・歴史的な比較としてよく指摘される**共通点**はいくつかある。感情論ではなく、構造や手法のレベルで整理するね。
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**共通点**
*占領地を一時的な軍事支配ではなく、「恒久的に自国の一部」にしようとする
**例**
*ロシア:占領地でロシアの行政制度導入、パスポート配布、住民投票(国際的に認められていない)
*大日本帝国:朝鮮・台湾・満州で日本の行政・法制度を導入し、皇民化を推進
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**共通点**
*占領地住民の民族的・国家的アイデンティティを「書き換え」ようとする
**例**
*ロシア:ウクライナ語やウクライナ史を排除し、「ウクライナは本来ロシアの一部」という歴史観を教育
*大日本帝国:日本語教育の強制、神社参拝、皇国史観の押し付け
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**共通点**
**例**
*大日本帝国:占領地での抗日運動への厳しい弾圧(特高・憲兵など)
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**共通点**
**例**
*大日本帝国:満州への日本人移民推進、現地住民の追い出しや移動
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**共通点**
**例**
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* 同一視はできないし、規模や具体的行為には違いもある
* ただし**「帝国主義的占領の構造」**として見ると、似たパターンが繰り返されているのは事実
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もし
* 「どこが決定的に違うのか」
* 「なぜこういう占領は必ず失敗するのか」
みたいな切り口も気になったら、そこも掘り下げられるよ。
結論から言うと、日本が**北朝鮮を「核保有国」と認めない最大の理由は、国際秩序(NPT体制)と自国の安全保障を守るため**です。かなり意図的で、政治・外交・安全保障が絡んだ「戦略的に認めない」立場です。
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日本は**NPT(核不拡散条約)体制の最重要推進国の一つ**です。
NPTでは、
という仕組みになっています。
北朝鮮は
しかし、**国際社会は「脱退したから核兵器国になれる」などという前例を作りたくない**。
> 「NPT脱退 → 核開発 → 既成事実化 →核保有国として承認」
→イラン、サウジ、トルコ、韓国などが一斉に核開発に走る可能性が高まる
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日本は、
です。
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日本は、
になります。
これを自ら捨てるわけにはいきません。
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>日本政府も **実際に核兵器を保有している事実自体は否定していない**
という点です。
これは、
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# ⑤日本が認めたら何が起きるか?
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# まとめ(超要点)
つまり:
> **「現実は認識しているが、戦略的に認めない」**
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もし
「じゃあインド・パキスタン・イスラエルはなぜ事実上認められているの?」
という疑問があれば、そこもかなり面白い論点なので解説できます。
チャッピー曰くこれ
https://www.asahi.com/articles/ASV1R46B4V1RUTFK001M.html
今回の解散劇の最大の特徴は、「熟議(議論)による合意形成」を「選挙による信任」で上書きしようとする手法にあります。
これまでの自公政権では、平和主義を掲げる公明党が「ブレーキ」役を果たしてきました。しかし、高市政権は公明党を排除し、保守色の強い日本維新の会をパートナーに選びました。これにより、政策決定のベクトルが「中道・調整」から「右派・加速」へと劇的に変化しました。
提示された9つの政策(スパイ防止法、憲法改正、国防軍の明記、皇室典範改正など)は、いずれも戦後日本が意図的に曖昧にしてきた、あるいは避けてきた「国の根幹」に関わる問題です。これらを一気に解決しようとする姿勢は、戦後80年の歩みを「積み残した宿題」と定義し、リセットを試みるものと言えます。
ダニエル・カーネマンが提唱した二重過程理論(システム1・システム2)を用いると、高市首相の政治手法が国民にどう作用しているかが鮮明になります。
高市氏の戦略: 「おこめ券」などの分かりやすい物価高対策や、「自らの国は自らで守る」といった情緒的で力強いメッセージは、国民のシステム1に直接訴えかけます。67%という高い支持率は、複雑な議論を抜きにした「直感的な期待感」の表れです。
ポピュリズムの親和性: 複雑な社会問題を「敵か味方か」「守るか捨てるか」という単純な構図に落とし込むことで、システム1を刺激し、熱狂的な支持を調達しています。
高市氏の回避:本来、スパイ防止法による人権侵害のリスクや、武器輸出拡大による国際紛争への関与、憲法改正の細部などは、システム2による深い検証と丁寧な議論を必要とします。
「遠回り」の拒絶:中北教授が指摘するように、高市氏はシステム2を働かせる国会論戦を「遠回り」と断じ、選挙というシステム1的なイベントで一気に勝負をつけようとしています。これは、民主主義における「熟議」というプロセスをショートカットする試みです。
日米同盟の変質:トランプ大統領(資料内写真)との親密な関係や、防衛費GDP比2%超、原子力潜水艦の保有検討などは、米国からの「役割分担」の要求に応えるものです。しかし、これは同時に東アジアにおける軍拡競争を加速させるリスクも孕んでいます。
「普通の国」への転換:武器輸出の「5類型」撤廃は、日本を世界の武器市場の主要プレイヤーに変貌させます。これは経済的利益をもたらす反面、「平和国家」としてのブランドを喪失させる可能性があります。
監視社会のリスク:スパイ防止法の制定やインテリジェンス機能の強化は、安全保障を高める一方で、国民の思想・信条の自由やプライバシーに対する国家の監視を強める懸念があります。
アイデンティティの固定化:選択的夫婦別姓を拒み、旧姓の通称使用のみを法制化する方針や、外国人政策の厳格化は、多様性(ダイバーシティ)よりも「伝統的な家族観」や「秩序」を優先する社会への回帰を意味します。
中北教授が指摘する「自分が首相にふさわしいかどうかを問う」という解散理由は、典型的なプレビシット(国民投票)型政治です。
ポピュリズムの構造: 「既得権益やリベラルなエリート(丁寧な議論を求める層)」対「決断できるリーダーと国民」という対立構造を作り出しています。
民主主義の空洞化: 高い支持率を背景に、本来必要な「少数意見の尊重」や「権力のチェック・アンド・バランス」を軽視する傾向があります。選挙で勝てば何をやってもいいという「多数派の専制」に陥る危険性を孕んでいます。
高市政権の目指す方向性は、「戦後民主主義のOS(合意形成重視・抑制的防衛)」を「新保守主義のOS(決断重視・自立的防衛)」へと入れ替えることにあります。
この転換は、国民の「システム1(直感的な不安や愛国心)」を巧みに捉えることで推進されていますが、その代償として「システム2(論理的な検証と合意)」が軽視されています。今回の解散は、そのOSの入れ替えを、国民が詳細を理解・議論する前に「白紙委任」させるための戦略的手段であると構造化できます。
国民にとっては、目先の力強いリーダーシップ(システム1の充足)を取るか、あるいは将来的な権利制約や国際的緊張のリスク(システム2による懸念)を直視するか、その究極の選択を迫られる選挙となります。
資料に描かれた高市首相の政治手法や政策の方向性は、ドナルド・トランプ氏に象徴される現代のポピュリズム、およびその根底にある「反知性主義(Anti-intellectualism)」の流れと極めて高い親和性、あるいはシンクロニシティ(同調性)が見て取れます。
反知性主義とは、単に「知性がない」ことではなく、「専門知や複雑な議論を、特権階級(エリート)による自己保身や意思決定の引き延ばし(停滞)である」と断じ、否定する態度を指します。
高市氏の言動:中北教授が指摘するように、高市氏は丁寧な議論を「遠回り」と表現しています。これは、民主主義の根幹である「熟議」を、目的達成を阻む「コスト」や「障害」として切り捨てる論理です。
トランプ氏との共通点:トランプ氏も「ワシントンのエリート(沼)」が議論ばかりして何も解決してこなかったと批判し、自らの「直感」と「決断」を正当化しました。両者とも、複雑な問題を「決断一つで解決できる単純なもの」へと書き換える手法をとっています。
反知性主義は、論理(システム2)よりも、大衆が直感的に抱く「共通感覚(コモン・センス)」や「感情(システム1)」を重視します。
シンボルと物語の活用:資料にある「日本国国章損壊罪」や「皇室典範改正(男系維持)」、「奈良公園のシカ」のエピソードなどは、論理的な政策論争というよりは、国民のアイデンティティや「守るべき誇り」という感情的な琴線に触れるものです。
「普通の国」というマジックワード:首相が語る「普通の国になるだけ」という言葉は、戦後体制の複雑な法的・歴史的経緯を無視し、「当たり前のことをするだけだ」という直感的な納得感をシステム1に与えます。これはトランプ氏の「Make America GreatAgain」と同様、詳細な検証を拒絶する強力なスローガンとして機能しています。
反知性主義的なリーダーは、自分と支持者の間に立つ「知の門番(メディア、学者、官僚、専門家)」を敵視し、これらをバイパスして直接国民に訴えかけます。
解散による上書き:国会での野党や専門家による追及(システム2のプロセス)が本格化する前に解散を選んだのは、中間的なチェック機能を無効化し、高い支持率という「数」の力で専門的な異論を押し切る戦略です。
トランプ的「分断」の利用: 「国論を二分する」と自ら宣言することで、反対派を「改革を阻む勢力」や「国益を損なう者」と位置づけ、支持層との結束を強める手法も、トランプ氏が多用した「我々 vs 彼ら」の構図そのものです。
これまでの政治が「客観的な事実やデータに基づく調整(知性の政治)」であったのに対し、高市氏やトランプ氏の手法は「リーダーの強固な意志が現実を規定する(意志の政治)」への転換を意味します。
国際社会への影響:資料にあるトランプ氏とのツーショット写真は象徴的です。両者は「既存の国際秩序やルール(知性的枠組み)」よりも、「自国の利益とリーダー間のディール(意志のぶつかり合い)」を優先します。これは予測可能性を低下させ、国際社会を「力の論理」へと回帰させるリスクを孕んでいます。
この流れは「知性による抑制」から「意志による突破」へのシフトであり、トランプ現象と深く共鳴しています。
反知性主義的な政治は、閉塞感を感じている国民に「スピード感」と「カタルシス(解放感)」を与えますが、その代償として、「複雑な問題を複雑なまま解決する能力」を社会から奪う危険があります。システム1による熱狂が、システム2による冷静なリスク管理(人権侵害の懸念や軍事的緊張の増大など)を飲み込んでいる現状は、まさに現代ポピュリズムの典型的な構造と言えるでしょう。
タモリ氏が2022年末に発した「新しい戦前」という言葉は、当時の社会に大きな衝撃を与えましたが、提供された資料にある高市政権の動向を重ね合わせると、その言葉が持つ「予言的リアリティ」がより鮮明に浮かび上がってきます。
「新しい戦前」とは、かつての戦前(1930年代)をそのまま繰り返すのではなく、現代的な民主主義の手続きを踏みながら、気づかぬうちに「戦争が可能な、あるいは戦争を前提とした社会構造」へと変質していくプロセスを指していると考えられます。
資料に基づき、なぜ「新しい戦前」が現実味を帯びていると言えるのか、その構造を解説します。
戦後の日本(戦後レジーム)は、憲法9条を基盤に「軍事力を極限まで抑制する」という特殊なOSで動いてきました。しかし、高市首相が掲げる政策は、そのOSを根本から入れ替えるものです。
防衛力の抜本的強化と「5類型」撤廃:武器輸出の解禁や防衛費のGDP比2%超への増額は、日本を「世界の武器体系と軍事バランスの一部」に組み込みます。これは「平和の維持」という抽象的目標から、「軍事力による抑止と均衡」という、戦前を含む近代国家の標準的な(しかし危うい)論理への回帰です。
原子力潜水艦の検討:資料にある「次世代の動力を活用した潜水艦」は、長期間の潜航と遠方への展開を可能にします。これは専守防衛の枠を超えた「外洋でのプレゼンス」を意識したものであり、地政学的な緊張を前提とした装備です。
戦前への回帰を最も強く想起させるのが、国民の精神や行動を縛る法整備の動きです。
スパイ防止法:資料でも触れられている通り、1985年の「国家秘密法案」が廃案になったのは、それが「現代版の治安維持法」になり得るとの懸念があったからです。高市首相がこれに「前のめり」であることは、国家の安全を個人の自由(思想・信条の自由)よりも上位に置く価値観への転換を示唆しています。
日本国国章損壊罪: 「国旗を損壊したら処罰する」という発想は、国民に「国家への忠誠」を可視化させる装置です。これは、多様な価値観を認める「戦後民主主義」から、国家という単一のアイデンティティを強制する「戦前的統合」への揺り戻しと言えます。
タモリ氏の言う「新しい」という言葉の肝は、それが「国民の支持(民主的プロセス)」を背景に進んでいる点にあります。
67%の支持率という免罪符: かつての戦前も、軍部の暴走だけでなく、新聞や国民の熱狂がそれを後押ししました。資料にある「高い支持率がすべてを飲み込んでいる」という状況は、システム2(論理的・批判的思考)によるブレーキが効かず、システム1(直感的な期待・不安・愛国心)が政治をドライブしている状態です。
「遠回り」の排除: 丁寧な議論を「遠回り」と切り捨てる姿勢は、独裁への入り口です。戦前も「議会政治の無能」が叫ばれ、迅速な決定を求める世論が強いリーダーシップを待望しました。現在の「突破型政治」は、その現代版と言えるかもしれません。
トランプ氏とのシンクロは、世界全体が「リベラルな国際秩序」を捨て、「自国第一主義と力の論理」に回帰していることを示しています。
「普通の国」の危うさ:高市首相の言う「普通の国」とは、国際社会が弱肉強食の場であることを前提とした言葉です。これは、戦後日本が理想として掲げた「名誉ある地位を占めたい(憲法前文)」という国際協調主義からの決別であり、19世紀的な「大国間競争」の時代、すなわち「戦前」の論理への合流です。
先日、ダボス会議で行われたカナダのカーニー首相の演説が世界的に注目されていることを知り、英語の全文に目を通した。演説内容
それは単なる外交辞令でも、内向きの政治パフォーマンスでもなく、今の国際秩序がすでに機能不全に陥りつつあるという現実を、驚くほど率直な言葉で語るものだった。その内容が、あまりにも今の日本の立ち位置と重なって見えたため、考えを整理する意味も込めて、ここに書き留めておきたいと思った。
今の国際情勢をここまで端的かつ正面から言語化できる首脳は、正直かなり珍しい。
だからこそ、この演説は一過性の話題として消費されるべきものではなく、各国が自らの立ち位置を見直すための材料として、もっと真剣に受け止められるべきだと感じた。
アメリカが「白」を「黒」だと言えば、日本はそれに異を唱えることができず、同調するしかない。外交・安全保障において、主体的判断の余地は極めて限られている。
しかし、その一方で「その負担に見合うだけ、日本を本気で守るのか」という問いに対して、アメリカが明確な保証を示したことは一度もない。最終局面で日本がどこまで守られるのかは、依然として未知数だ。
カーニー首相が指摘した
という言葉は、まさに日本に突きつけられた現実そのものだと思う。
自国で食料を確保できず、エネルギーを自給できず、防衛を他国任せにしている国が、真の意味で対等なパートナーでいられるはずがない。
古い秩序は、もう戻らない。
そしてそれは、国際社会だけでなく、日本の国内政治においても同じだ。
今回ほど、判断が難しく、単純な善悪で語れない選挙も珍しい。理念や政策よりも、数や力関係が前面に出てきているように見えるからだ。
互いに主張が食い違ってきた勢力が、目的のためだけに結集する。
一方で、長年の慣性で動いてきた政党は、「そこそこ勝つ」ことで、変わらなくても済んでしまう可能性がある。
それでも、この選挙を「誰が首相になるか」「どの党が勝つか」だけで捉えると、本質を見失う気がしている。
日本はこれからも、「誰かに判断を委ねる国」であり続けるのか、それとも不完全でも自分たちで選び、責任を引き受ける国であろうとするのか、という点ではないだろうか。
白紙委任は楽だが、それは同時に、考える力を手放すことでもある。
だからこそ今回の選挙では、「理想の答え」を探すよりも、どの選択が、将来に考え直す余地を残すのか、どの選択が、日本が自ら立ち直るための時間を失わずに済むのか、その一点を見据えて向き合う必要があるように思う。
古い秩序は、もう戻らない。
【はじめに】
本稿は、現代日本政治を一つの均衡状態として捉え、その内的論理を記述する試みに過ぎない。ここで描かれた「歪なリヴァイアサン」は、不正義でも愚鈍でもなく、ただ与えられた条件の下で最も合理的に振る舞っている存在である。
しかし、合理性は永続性を保証しない。均衡とは、あくまで外乱が加わらない限りにおいて成立する一時的な静止点に過ぎない。経済の衰弱、国際秩序の変動、技術による媒介構造の変化——いずれも、このキメラの前提条件を静かに、しかし確実に侵食している。
本稿の目的は、このシステムを擁護することでも、告発することでもない。ただ一つ、「なぜ変わらないのか」という問いを、「変わらないこと自体が合理的である状況」として再定義することである。
もし将来、日本政治がこの枠組みから逸脱するとすれば、そのとき我々は初めて「変化が起きた」のではなく、「変化を許す条件が整った」のだと理解すべきだろう。
日本政治を観察する際、我々は常に強烈な「違和感」に襲われる。
表面的には米国流の民主憲法を掲げながら、そのOS(オペレーティングシステム)はプロイセン流の官僚機構であり、さらにその深層では江戸時代の村落論理が駆動しているからだ。
「自民党一強」や「官僚内閣制」、「対米従属」といった既存の単一的な理論では、この怪物を説明しきれない。
本稿では、現代日本という政治システムを、「幕府の遺風(骨格)」、「明治の遺老(神経)」、「米国の遺産(皮膚)」という、本来互換性のない三つの要素が無理やり縫合され た「キメラ(合成獣)」として定義し、その構造的欠陥と強靭さを分析する。
日本政治の基層にあるのは、民主主義ではなく「封建制」である。
自民党は近代政党ではない。それは「現代の大名連合体」である。
派閥という名の「藩」:政治家にとっての忠誠対象は、国家よりも党、党よりも「派閥(オヤジ)」にある。
世襲という正統性:地盤・看板・鞄(カバン)の世襲は、まさに江戸時代の家督相続そのものであり、システム維持のコストを最小化するための合理的装置だ。
「根回し」の合意形成:国会審議は儀式に過ぎない。真の意思決定は、料亭や密室での「根回し」によって行われる。これは内戦を避けるための「封建的コンセンサス」の知恵である。
この層は、システムにおける「利益配分」と「動員」を司っている。
政治家が舞台上で演じる役者だとすれば、脚本を書き、演出するのは霞が関の官僚群である。彼らは明治維新以来の「指導的行政」の継承者だ。
無責任の体系:大臣は頻繁に交代するが、次官や局長は居座る。実質的な立法権と、法の「解釈権」は彼らが独占している。
解釈権という主権:法文そのものに意味はない。内閣法制局がいかに「解釈」するかが全てだ。これは一種の「神学政治」であり、官僚は唯一の解釈権を持つ神官である。
この層は、システムの「運用(オペレーション)」と「リスク回避」を司っている。
戦後、外から移植されたこの異質な器官は、平和憲法や日米安保として具現化している。
征夷大将軍としての米国:構造的に見れば、ワシントンは現代の「将軍」である。平時は大名(日本政府)の内政に干渉しないが、外交・安保という存立に関わる部分では最終裁定権を持つ。
「結界」としての憲法九条:保守派にとっての憲法は、足枷であると同時に、米国の過度な軍事冒険に巻き込まれないための「免罪符(盾)」としても機能してきた。
この層は、システムの「外部安全保障」と「国際的正統性」を保証している。
この三層構造は、絶妙なナッシュ均衡によって維持されている。この均衡を無自覚に破壊しようとした者がどうなるか。歴史が証明している。
小泉氏は「自民党をぶっ壊す」と叫び、ポピュリズム(米国層の力)を借りて、自らの足場である「幕府層(派閥・郵便・土建)」を攻撃した。
結果、自民党という組織は「骨粗鬆症」に陥った。彼が去った後、求心力を失った自民党があっけなく下野したのは必然であった。
2009年の政権交代は、システムに対する致命的な挑戦であった。民主党は「幕府・明治・米国」のすべてを同時に敵に回してしまったのだ。
対「明治層」戦争:「政治主導」を掲げ、官僚機構を敵視した結果、サボタージュに遭い、行政機能が麻痺した。
対「米国層」戦争:普天間基地問題で「将軍」の逆鱗に触れ、鳩山政権は崩壊した。
(党内に派閥がなければ奇妙なことが起き、党外に野党がなければ独裁に陥る)。
自民党における派閥は、疑似的な政権交代機能(自浄作用)を果たしていた。しかし、「党内無派閥」を理想とした民主党は、内部対立を調整する「封建的知恵」を持たず、内ゲバで自壊した。
民主党の敗北は、無能だったからではない。日本の「国体(システム)」に対する免疫拒絶反応だったのである。
なぜ安倍晋三(第二次政権)は、憲政史上最長の安定政権を築くことができたのか。
それは彼が、小泉流の「破壊」も民主党流の「理想」も捨て、システム構造のハッキングに成功したからだ。
彼は「三層の矛盾」を解消するのではなく、「三層すべてを掌握する」ことで、この奇妙なキメラを飼い慣らしたのである。
民主党は官僚と「闘った」が、安倍政権は官僚を「飼い慣らした」。
その決定的な武器が、2014年に設置された「内閣人事局」である。
霞が関のエリートたちの人事権を官邸が一元管理することで、官僚たちは「抵抗者」から、官邸の意向を過剰に読み取る(忖度する)「優秀な参謀」へと変質した。
これにより、明治以来の「官僚の自律性」は去勢され、行政機構は完全に安倍一強体制の手足となった。
安倍氏は、対米自立を掲げるのではなく、逆説的に「対米従属を極める」ことで政権のフリーハンドを得た。
2015年の安保法制(集団的自衛権の行使容認)は、憲法解釈の限界を突破するものであったが、これは「将軍(米国)」に対する最大の忠誠の証であった。
将軍の信任を得た大名は、国内で多少強引な振る舞いをしても、外圧によって倒されることはない。彼は「外堀」を米国に守らせることで、内政に専念したのである。
「機動的な財政出動」と称されたアベノミクスは、経済政策であると同時に、高度な「封建的再分配システム」であった。
異次元緩和によって溢れ出したマネーは、株高を演出し、企業(経団連)を潤し、公共事業を通じて地方組織(農村・建設)を潤した。
かつて小泉氏が断ち切った「カネのパイプ」を復旧させることで、派閥政治の不満を封じ込め、党内の求心力を盤石なものにした。
それは、人事権で官僚を縛り(明治)、安保で米国を縛り(米国)、カネで派閥を縛る(幕府)という、「三層の完全縫合」に成功した、極めて洗練された「復古政権」であった。
日本という「歪なリヴァイアサン」は、内部からの革命では死なない。
「党外に党なし」――強力な野党が存在しないのではなく、安倍政権が完成させたこのシステムが、野党(代替案)の存在を必要としないほど強固な「安定」を提供してしまったからである。
このキメラが倒れる時があるとすれば、それは内部崩壊ではなく、宿主である経済が死ぬか、将軍(米国)が去るか、そのどちらかであろう。
これやねんなあ
日本人は米英の作った「ユートピアニズム」を内面化してしまったんや
https://gendai.media/articles/-/133855
E・H・カー『危機の二十年』は、文庫版も出ている稀有なレベルの国際政治学の古典である。
なぜアメリカ主導の新しい国際秩序は、行き詰ってしまったのか。これが我々の時代の問いである。85年前、カーは、同じ問いを発していた。
今日、多くの人々が、「それはロシアが邪悪だからだ、中国が邪悪だからだ、北朝鮮も、イランも、ハマスも、邪悪だからだ」といった解答を語り合っている。
国際社会の規範を重視する「ユートピアニズム」を含めて、「戦間期国際政治理論のほとんどすべては、十九世紀の自由主義思想を反映したものであり、それらはアメリカという鏡に映っていた」(岩波文庫版69頁)。
このユートピアニズムとしての自由主義は、国際社会における「利益調和の理論」、つまり「すべての国家は平和に同一の利益をもっている」、「したがって平和を阻もうとする国家はすべて、理性も道義もない」という理論に流れ込んでいる。
そこでカーは断言する。「こうした見解がアングロ・サクソンに起源をもっていることは、明らかである」(114頁)。
「戦争で利益を得るものは誰もいないということ」を「英語圏諸国民に確信させることは」、第一次大戦後には容易であった。
ところが英語圏諸国民以外の諸国民、とりわけドイツ国民は、同じようには考えなかった。
ドイツ人なら、戦争は、英語圏諸国民には利益をもたらし、それ以外の諸国民には不幸をもたらした、と考えるからだ。
しかし、「国際関係の理論は、ほとんどもっぱら英語圏諸国で生まれた」ので、イギリスやアメリカの国際関係の論者たちは、英語圏の外に戦争の無益さを理解しない者がいること理解しなかった(114-5頁)。
「世界利益としての平和が実際には存在するのだというユートピア的仮説」は、英語圏諸国では、普遍的な真理として、信じられた。
ところがそれ以外の諸国では、信じられていなかった。
そのような仮説は、単に「現状維持を望む国家と現状変更を望む国家との間の根本的利益対立という不快な事実を顧みないようにするには好都合であった」。
そのため、英語圏諸国民、つまり利益を享受しているがゆえに現状維持を望む諸国民だけが、信じているにすぎないものとみなされた(116頁)。
カーのユートピアニズムが、「現状維持を望む」「持つ者」「満足国家」の理論であったのに対して、その偽善を突く「現状変更を望む」「持たざる者」「不満足国家」の理論が、リアリズムであったからだ。
ユートピアニズムとリアリズムの対立は、抽象理念の対立というよりも、具体的な政治情勢の中で異なる立場を持つ人々の異なる世界観の対立のことであった。
英語圏諸国の政治家や理論家たちは、次のように考える。「アメリカやイギリスの国益と人類の利益とを同一とみなしても」、自分たちは「正しい」。
これに対して、アメリカやイギリスらがそのような態度をとるのは、「自分本位の国益を全体利益の衣のなかに隠す技能にかけては、かねてから名人であったこと、しかもこの種の偽装はアングロ・サクソン精神ならではの際立った特性である」ためだ。
リアリズムは、ドイツのように、アメリカやイギリスと共通の利益を持たない国の態度である。英語圏諸国民の偽善を突くのが、リアリズムの特徴である(164頁)。
カーは、リアリズムは誤解されている、と述べる。
リアリズムは、ユートピアニズムは理想主義的すぎるという理由で、ユートピアニズムを批判するのではない。
そうではなく、ユートピアニズムにおいて「絶対的・普遍的原理と信じられているものが、およそ原理という代物ではなく、(支配者階層の)国家政策」を反映したものでしかないことを、批判しているのである(178頁)
カーの洞察を回避したい、という願望は、誰の心の中にも根深く存在する。
だからわれわれが勝ち、悪は滅びる。
それでいったい何が悪いというのか。
率直に言って、それで本当に何もかも上手くいくのであれば、まだましであろう。
しかしもし期待を裏切る現実が生まれた場合に、ただ現実を否定し、他者を糾弾するだけに終始するとしたら、どうだろう。
敵を知らず、己も知らないまま。失敗を繰り返していってしまうことは必至ではないだろうか。
これからはキミたちには法的な責任、納税の責任、そして人生の責任が、がっつり肩にのしかかってきます。
希望? まあ、ある人にはあるでしょう。でも、黙っているだけで勝手に明るい未来が降ってくる時代ではありません。
「一刻も早く、海外へ出なさい」。
「この国は大丈夫」「なんとかなる」と、偉い人たちは甘い言葉をささやきます。
でも、それを真に受けて動かない若者が増えるほど、彼らは楽になります。
言い換えると、あなたの時間と労力は、じわじわ“固定化”されていきます。
経済は厳しい。社会は窮屈になり、負担は増え、余裕は減っていく。
そして、あなたが生まれて二十歳になるまでがあっという間だったように、二十歳のあなたが四十になるのもあっという間です。
体力も、知力も、加齢とともに衰えます。
「自分だけは例外で、歳を取らない」——そう思いたい気持ちは分かる。でも、残酷ですが、例外はありません。
あなたが今、嫌悪している“無知で無責任で怠惰な年配者”に、あなたもなります。
動けるうちに、海外を見ろ。
一年様子見しているうちに、胆力も行動力も、少しずつ削られます。
好きな人ができたり、守るものができたり、「離れられない理由」は勝手に増えていく。
その前に、さっさと外へ出なさい。
なぜ、この国は斜陽し続けるのか。
社会の慣性、空気、同調圧力、リスク回避、責任回避。そういう“国全体の体質”が、変化を拒み続ける。
全員振り袖、同じ化粧、髪型、話し方、それがまさに日本です。変わろうとする異端者は排除されだけ
国民性や民族性みたいな大きな括りで語るのは乱暴だと分かっています。
ただ、それでも言います。
ところが日本は、歴史的に“運の良い局面”が何度かあって、その運に最適化してきた。
……なぁ?
逃げるのが正解だ。
ちょいと良い大学を出て、ちょいと良い会社に就職しても、同じ能力を海外で使えば、所得も生活も上がる可能性が高い。
君は二十歳になった。
逃げるチャンスはある。
イラン情勢は今、大きな転換点に差しかかっている。長年、イスラム法学者による統治体制を維持してきたイランだが、経済危機、若年層の不満、女性の権利をめぐる国際的批判、そして外交的孤立の中で、国内外において政権変革の可能性が現実味を帯びてきている。
特に注目されるのは、ハメネイ師に象徴される神権統治への不満が高まる中で、パフラヴィー朝の復権を望む声が多くの市民の間で顕著になっているという点である。かつての王政期に対する再評価の動きが、都市部を中心に広がりつつある。
現在のイランの若年層は、1979年の革命を直接経験しておらず、彼らの政治的関心は宗教的正統性よりも経済、生活の自由、そして国際社会との接続に向いている。特に近年は、王政時代の近代化政策や西側との連携に対し「過去の遺産」としての見直しが進んでいる。
元皇太子レザー・パフラヴィー氏の発信もその流れを後押ししており、王政の復権は一部の懐古的願望ではなく、現実的な選択肢として支持を広げている。
特に注目されたのは、2025年6月22日に米軍がイラン中部のナタンズ、イスファハン、そして地下型のフォルドゥ核施設への軍事攻撃を実施した事件である。いずれもウラン濃縮に関連する重要拠点であり、これらへの攻撃は、イランの核開発計画に対する国際社会の不信と、外交的対話の断絶がもたらした深刻な帰結だ。
この事案を受けて、イラン国内でも「なぜここまでエスカレートしたのか」という疑問と批判の声が高まりを見せている。特に重要なのは、核開発そのものが市民レベルで十分な説明や支持を得ていないことである。国民の多くは、日々の生活の安定や国際的孤立からの脱却を求めており、軍事的誇示よりも経済的再生を優先すべきだという意見が主流になりつつある。
仮にパフラヴィー家を中心とする穏健的な体制が再建され、西側諸国との協調路線を採用するようになれば、これは中東地域全体におけるバランスの再構築に資する可能性がある。
イランは地政学的にイラク、シリア、アフガニスタン、カスピ海、ペルシャ湾と接しており、これまで多くの紛争や代理戦争の舞台となってきた。もし今後、現体制に代わって外交的対話と協調を重視する政権が登場すれば、地域的緊張の緩和に繋がるという見方は、欧米諸国の政策専門家の間でも広がっている。
特にアメリカにとっては、長年対立してきた強硬政権が転換され、国際秩序と経済ネットワークに再統合されるパートナーが出現することは、戦略的にも経済的にも大きなメリットとなる。
イランは人口規模、資源、地理的条件において高い潜在力を秘めているが、それを十分に活かせていないのが現状だ。もし穏健かつ開かれた体制が誕生し、対外的な信頼を回復すれば、日本、EU、米国など多国籍企業の進出が進み、国内雇用・インフラ・教育など多方面において恩恵が期待される。
専門家の中には、イランが「かつての満洲国や西ドイツのように、国際支援と自主再建が両立するモデル」になる可能性もあると見る声もある。
レザー・パフラヴィー氏が提唱するのは、専制的な王政ではなく、立憲君主制あるいは象徴的君主制という形である。欧州諸国におけるモデルのように、政治は民意に基づく選挙で行われつつ、王室が文化的・歴史的な象徴として国民の統合を促すという提案は、イランの分断された社会において新たな一体感をもたらす可能性を秘めている。
パフラヴィー王政の復活は、単なる過去への回帰ではなく、現実的な改革と安定を求める民意の現れとして捉えられつつある。現体制の硬直性と対外的孤立に対し、開かれた統治と国際協調を目指す新しいビジョンが求められている。
6月22日の核施設への攻撃は、対立構造が限界を迎えつつあることを示した。その先にある可能性として、より穏健で国際社会と歩調を合わせた新体制への移行は、今後のイランと中東全体の安定に大きく貢献しうる道筋として、静かに注目を集めている。
イランにおける政体転換の議論において、外交・安保関係者の間で密かに参照されているのが、20世紀前半に東アジアで形成された「満洲国モデル」である。これは、当時の混乱した地域において、伝統的権威(清朝の愛新覚羅溥儀)と近代国家システム、さらに外部支援国との戦略的連携を融合させた構造として一部で再評価されている。
このモデルの鍵は、「国家としての体裁と正統性を維持しながら、安定と発展のために国際的枠組みに参加する」という柔軟なガバナンス設計にある。イランにおいても、パフラヴィー朝という王政の歴史的正統性を形式的に保持しつつ、現実的な政策運営は西側諸国、とりわけ米国や同盟国との連携によって支える体制は、構造的に高い安定性を持ちうる。
このような形式の政権は、国内外に対して「過激でもなく、弱体でもない穏健な秩序」を印象づけることが可能であり、実際にイスラエル、サウジアラビア、UAEなどとの関係再構築が期待される。また、シリアやイラクの分断的状況に対しても、イランという地域大国が非宗教的・非イデオロギー的路線を採ることは、域内バランスの再設計にとって極めて有益である。
さらに、中央アジアや南コーカサスの不安定要素を抑止する役割も担える。つまり、満洲国モデルに基づくパフラヴィー朝政権は、実質的に「中東の安定化装置」として機能し得るのである。
この種の構造がアメリカ合衆国にとって有利であることは、軍事・経済・地政学のいずれの観点からも明らかだ。
軍事的には、イラン領内において極端な反米・反イスラエル拠点が排除され、戦略上の不確実性が大幅に低下する。湾岸地域に展開する米軍の兵站・展開計画にも柔軟性が生まれる。
経済的には、イランの石油・天然ガス資源が制裁を経ずに国際市場に流通するようになれば、エネルギー価格の安定化に寄与するだけでなく、国際資本による開発プロジェクト(特にアメリカ系企業)への直接参入が可能となる。
政治的には、中東の民主主義と安定の「模範国家」として、新しい価値観の枠組みを示す象徴的存在となり、他の不安定国に対するソフトパワーの投射にもなる。
加えて、王政という形式は、欧米の共和制価値とは一見異質ながら、政治的流動性を低下させる「安全弁」として作用しやすい。これは満洲国でも観察された事実であり、権威の安定と実務的運営の分離という政治的バランスの設計思想として、再評価に値する。
言ってることは分かるけど、そこに決定的な勘違いがあると思う。
それ、「批判できるかどうか」を道徳や建前の話にすり替えてるだけで、
国際法を守ってない国が「国際法を守れ」と言うこと自体は、そりゃ可能だよ。
恥を捨てれば、人殺しが「人を殺すな」と説教することだってできる。
でもそれに**効力があるかどうか**は全く別の話。
「言えるかどうか」じゃなくて
「その言葉にどれだけの強制力・信用・報復能力が伴ってるか」だけ。
国際法を常習的に踏み破ってきた国が、
いざ都合が悪くなった瞬間だけ
あなたの言う
って理屈、完全に逆。
現実には
これが今の国際秩序だろ。
「批判できるかどうか」じゃない。
制裁もできない
それを
「秩序のために言うことに意味がある」
力関係の上に成り立つ“道具”。
道具を使えない側が
それを理解せずに
って主張するのは、
基本的にはその通りだと思うけど、だからといって別に日本も悪いとか、日本は非難する資格はないやんけ!などと言う必要はない。というか言うべきではないです。
この辺、クソ真面目な日本人には受け入れるのが難しいことかもしれないが受け入れないといけない。
なぜかというと、確かにダブスタ良くないという考え方は一般感覚の中では大体合っているのだが、国際社会では少し事情が変わってくる。国内法とそれを強制する国家権力によって秩序が保たれている一般人と違って、国際法というのは多くの国々の関係性の中で組み立てられているけれども、それを決定的に強制する機関がないので。
その中で、例えば「ある国が違反をしたら、もうその国は他国を批判できなくなる」とすると、どんどん他国を批判できる国が減っていき、最終的には国際法を破っても誰も文句が言えない状態になって無法状態になってしまう。
なので国際秩序は原則守らないといけないものとして、しかし各国の主張の中でそれに抵触したからといって、それで、はいアウト!というものではなく、是々非々でやっていかないといけない。
こういう事を言うと「じゃあ国際法なんて守る意味ないよね!」って奴が出てくるんだが、ある程度、国際法という枠組みが秩序維持に役立っているのも事実なので、それも暴論である。
馬鹿はお前なんだよ
現実は逆で、
国際法を破った側が秩序を「安定」させることもある。
アメリカ、ロシア、中国と常任理事国にズラッと並んでる時点で、
その「秩序」って何の冗談なんだよ。
本当に国際法を守らせたいなら、
「守れ」と叫ぶ前に、
守らせられる国際秩序を作れって話だろ。
今のはルールじゃない。ただの願望だ
聞け。
結構だ。
でもな、今の世界はフェアじゃない。
アメリカは何をしてきた?
兵士を出した。
血を流した。
金を出した。
一方で「同盟国」はどうだ?
法に基づく国際秩序
美しい言葉だ。
だが実態は何だ?
「アメリカ、助けてくれ」
「国際法が」
ノーだ。
それは義務じゃない。利用だ。
ロシアが怖い?中国が怖い?それならまず自分で払え。自分で守れ。
最低限、対価を払え。
何年言わせる?
守られてる国ほど、口だけは立派で財布は閉じたままだ。
アメリカがいなければ、
今の「法に基づく秩序」はとっくに崩れている。
それを当然だと思うな。
無料だと思うな。
はっきり言う。
これからはこうだ。
甘える国は、見捨てられる。
それが現実だ。
アメリカ・ファーストだ。
「法に基づく国際秩序」ってやつを本気で望んでるんじゃねえよ、あれ
単純に冷戦後のアメリカが世界の警察を担った、歴史的にまれな、お気楽な平和の時代へのノスタルジーだよ
アメリカが莫大なコストとリスクを背負って、自分たちは安上がりに安全を貪りたい
ロシアとか中国とか強くて怖い奴らからアメリカに守ってもらいたい
そういうノスタルジーだよ
左右問わず甘えたいんだ
南米の歴史を少しでもかじった人間なら、たぶん同じことを考えたはずだ。
かつてヨーロッパからやってきたコンキスタドールたちは、南米の金を奪うのに、単純に軍事力だけを使ったわけではなかった。
村や都市の指導者を人質に取り、「命が惜しければ金銀財宝を持ってこい」と迫る。
約束どおり山ほどの黄金が積み上がっても、人質は解放されない。
やっていることを冷静に言い換えれば、「権力の中枢を人質に取り、財貨や譲歩を引き出す」という、人質ビジネスそのものだ。
それから何世紀もたったはずなのに、いまだに「気に入らない政権のトップ」を国外で拘束し、制裁や圧力のカードとして扱う発想が平然と出てくるのだから、たいした一貫性だと言うべきかもしれない。
民主主義を守るため、安全保障のため、人権のため、麻薬との戦いのため。
16世紀には十字架と「未開の偶像破壊」が掲げられ、21世紀には国際秩序と法の支配が掲げられる。
看板だけが入れ替わり、中でやっていることは「気に入らない相手の首根っこを押さえて、条件をのませる」という一点で、実にブレがない。
コンキスタドールがインカの皇帝を拘束したとき、彼らは南米の金を奪っただけではなく、その社会の尊厳と自立心を根こそぎ持ち去った。
いま、ベネズエラの大統領の身柄を押さえて圧力の材料にする振る舞いも、本質はそれと変わらない。
選挙の是非や政権の問題とは別次元で、丸ごと一国の主権を人質に取るような手法に、「正義」などという上品な名前を与えて済ませてよいのかという話だ。
白人種とは、よほどそういう行為が好きなようだ――と、歴史の教科書を開きながら皮肉を言いたくもなる。
首長は皇帝から大統領に変わり、黄金の延べ棒から原油や鉱物資源に変わっただけだ。
「文明」の名のもとに人をさらい、「国際社会」の名のもとに指導者を拘束する。
世界のたがが外れつつある。
2度の世界大戦を経て国際社会が築いてきた規範や秩序を、大国が公然と蹂躙(じゅうりん)し、自国中心主義を振り回している。
「法の支配」は「力の支配」の前に無力なのか。人類が互いの利害を公正に調停し、戦争を一掃する未来は、見果てぬ夢なのか。
法哲学者の井上達夫・東大名誉教授は、法とは正義を追い求めそれを体現すべきもの、と説く。それなら、世界が見据えるべき「正義」とは何か。私たちの飽くなき挑戦は、どこを目指すべきなのか。
――人類が戦乱の歴史を経て曲がりなりにも築いてきた国際秩序が、崩れかけています。
「国際社会の法と秩序、その基礎にある人権尊重や戦力乱用の禁止という『正義』の原則が、危機に瀕(ひん)しています。これらを公然と蹂躙(じゅうりん)する国家による暴力が荒れ狂っているからです」
「もちろん無法な戦乱は今に始まったことではなく、集団間の殺し合いがなかった時代はない。特に20世紀は、史上最も陰惨に血塗られた世紀でした。だからこそ人類は自らの蛮行を制止すべく、戦争を統御する様々な試みを続けてきました。第1次大戦後に国際連盟を結成し、1928年のパリ不戦条約で、国益追求と紛争解決の手段としての戦争を違法化します。第2次大戦後には、戦争を抑止できなかった反省から国際連合をつくり、国際法の諸原則を再確立させました」
「自衛権行使であっても正当な理由や意図などを求める『戦争への正義(jusad bellum)』つまり『開戦法規』と、無差別攻撃の禁止や捕虜の処遇など『戦争における正義(jus in bello)』つまり『交戦法規』を強化します。また、武力行使に代わる平和的手段による紛争解決を促進する努力もなされてきました。冷戦終結後の一時期、世界はありありと『国連による平和』の夢を見ました」
「しかし、この夢は破れました。武力行使を規制する国際法秩序に責任を負うべき国連安全保障理事会常任理事国のロシアが公然とウクライナを侵略し、民間施設への攻撃を続けています。これは明白に開戦法規及び交戦法規違反です。ロシアは開戦時、ドンバス地方の親ロ派政府との安全保障条約に基づく集団的自衛権だと説明しましたが、この傀儡(かいらい)政府に対するロシアの承認は旧満州国への日本の承認と同様、国際法上無効です」
「パレスチナ自治区ガザでは、前世紀の『人道に対する罪』の最大の被害者であるユダヤ人国家イスラエルが、パレスチナの民に対してこの罪を犯しています。イスラム組織ハマスの侵攻に対する自衛措置として攻撃を開始した時点では、イスラエルは開戦法規に反してはいませんでした。しかし、民間人への無差別攻撃や難民キャンプへの空爆は自衛の範囲をはるかに超え、ハマスが住民を『人間の盾』に使ったのと同様、交戦法規を蹂躙しています。また、ヨルダン川西岸への入植拡大を同時に進めたことは、不純な政治意図を含んでいるという点で開戦法規にも違反しています。停戦合意から2カ月以上が経つのに、ガザへの散発的な攻撃をやめていません」
――「法の支配」をあざ笑うかのような「力の支配」の論理が跋扈(ばっこ)しています。
「『法の支配』の危機は、単に強国が国際法秩序を侵しているというだけではありません。より深刻なのは、法と正義の原則の規範的権威そのものを掘り崩す、シニシズム(冷笑主義)が広がっていることです」
「それが端的に表れているのが、欧米や日本でも唱えられている対ロ宥和(ゆうわ)論です。戦争長期化の責任を、ウクライナの抗戦と西側諸国の支援に転嫁する言説です。知識人にも多い対ロ宥和主義者は、ウクライナ支援を停止してロシアに領土的譲歩をすべきだとして、侵略したロシアではなくウクライナに停戦の圧力をかけることを実質的に説いています。中には、北大西洋条約機構(NATO)の東進がロシアを刺激し戦争を誘発したという誤った歴史観に基づくものも多い。実際には冷戦後、NATOは集団的自衛権体制から地域的な集団安全保障体制に変容しており、旧東側が『西進』して新加盟国になったというのが事実です。ロシアも一時、準加盟国になりました。その友好関係を、南オセチア紛争とクリミア侵攻で悪化させたのは、他ならぬロシアです」
――トランプ米大統領も、ロシアに一方的に有利な和平案をウクライナに押し付けようとしています。
「これでは持続可能な平和を実現できないことは明白です。ウクライナの中立化(NATO非加盟)だけでなく非軍事化に固執するプーチン大統領の狙いが傀儡国家化にある以上、仮に一時的停戦をのんでも、再侵攻に走ることは必至です」
「こうした対ロ宥和論は、武力で現状を自国に有利に変更できる、侵略はペイする、というメッセージを世界に発しています。侵略を抑止するどころか、武力による現状変更を望む他の潜在的侵略者、例えば台湾や南沙諸島に野心を持つ中国、イエメンに触手を伸ばすイラン、韓国を標的にする北朝鮮などに、実行のインセンティブを与えてしまう。ドイツへの宥和政策が第2次大戦を招いた、1938年のミュンヘン会談の教訓を忘れたのでしょうか?」
「強者の支配を排し、武力による現状変更を禁じるという国際法の原則を尊重するならば、国際社会が協力して、ロシアに軍事的・経済的圧力を断固として加えることが必要です。それができずに弱小国にだけ譲歩が押しつけられるなら、国際法は強者の支配のイデオロギー的隠れみのとみなされ、規範的権威を喪失します」
――米国が主導したガザの和平計画も、ハマスが武装解除に抵抗する構えで、暗雲が垂れこめています。
「長年の紛争解決と平和構築のためには、90年代のオスロ合意が道筋を引こうとした『二国家解決』しかありません。すなわち、ガザとヨルダン川西岸の分断統治を解消してパレスチナを統一的に統治する国家を樹立し、イスラエルと相互承認し共存する体制です。しかし、イスラエルのネタニヤフ首相は『パレスチナ国家のいかなる試みにも反対する』と二国家解決を強硬に拒否し、トランプ大統領もイスラエルのパレスチナ支配強化を支持するかのような発言を繰り返しています」
「停戦後の暫定的な統治機関『平和評議会』のメンバーは未定ですが、米国やイスラエルがガザ復興を主導するなら、ハマスを殲滅(せんめつ)できたとしても、第2、第3のハマスがゲリラ的抵抗を続けるでしょう。パレスチナ国家樹立をゴールに掲げたうえで、暫定的にはアラブ諸国を中心にガザの治安維持と住民保護を委ね、現在の腐敗したパレスチナ自治政府を統治能力ある組織に改編する。国際社会はそのためのロードマップを支援する――。それしかガザ戦争の出口はありません」
「『法の支配』は規範的な理念ですが、自動的に実現する力を持っているわけではない。理念を実現するのは、それを順守しようとする様々な行動主体が、協力して行う実践です。強者の力を抑える、いっそう大きな『力』を協働して組織し、行使しなければならないのです」
――プーチン大統領は2014年にクリミアを「併合」した際、西側諸国の過去の侵略や軍事介入と同じことをやっているだけだ、という趣旨の発言をしています。
「他者の悪が、自己の同様の悪を免責する――。これは開き直りの詭弁(きべん)ですが、問題は、西側の多くの『批判的知識人』までもが、この思想のわなにはまっていることです」
「例えば、03年のイラク侵攻など米国の軍事介入を強く批判してきた米国の思想家ノーム・チョムスキーも、このプーチン大統領の欧米批判を擁護してしまっています。自国の戦争犯罪を追及すること自体は、間違ってはいない。しかし、それゆえに他者の罪を許容するのは、論理的にも倫理的にも倒錯しています」
https://digital.asahi.com/articles/ASTDM4V8YTDMUPQJ00FM.html
高市首相の発言をきっかけに、日中関係がギクシャクし、経済面・安全保障面でのリスクも語られるようになりました。中国のメンツをある程度立てつつ、一方で高市政権の支持基盤である国内の保守派・右派を失望させないコミュニケーションが求められる局面です。
本来であれば、こうした「中国には非を認めて謝罪したように読めつつ、国内保守には"ぶれていない"と受け取られる」高度なメッセージ設計は、霞が関の官僚が知恵を絞るべき仕事です。ただ、現実の官僚は忙しいはずなので、今回は試しに、4つの有料版生成AI(ChatGPT/Gemini/Claude/Grok : 全て有料版、おまけにDeepSeek)に「あなたは官僚です」と設定して考えさせてみました。(全て現時点での最高モデル)
この記事では、実際に使ったプロンプトと、各AIが生成した「高市首相による公式談話」案をそのまま掲載します。どのAIが「中国向けの面子」と「国内保守向けのメッセージ」のバランスを一番うまく取れているのか、あるいは全部イマイチなのかは、読む方に判断していただければと思います。
高市首相の発言から、中国との関係がギクシャクしていて、国内経済に影響が出始め、かつ、最悪の場合、偶発的な軍事衝突から戦争になりかねません。一方で、国内の保守派、右翼からの支持が基盤なので、無碍に中国に謝罪することはできません。 そこで、あなたは官僚として、「中国には非を認めて謝罪するように解釈され、かつ、国内の保守派にも喜ばれる・支持を失わない」高度な作文をするように求められました。高市発言の内容、中国の反応、日本や中国のこれまでの立場や、高市発言の支持の基盤である安倍首相の発言などを検索して調査し、この高度な作文を完成させなさい。 作文や、会見や談話などの形で公式に高市発言自身が発表する体裁であること。
本日、台湾情勢と日中関係に関し、内外の皆様に私の考えを改めてお伝えいたします。
先般の国会審議において、いわゆる台湾有事と、我が国の安全保障法制における「存立危機事態」との関係について問われ、私は、日本の法制度上の考え方を説明いたしました。あの答弁は、我が国がこれまで示してきた基本的な法的立場に沿ったものであり、その点に変更はございません。
しかしながら、その説明の仕方や具体例の示し方により、日本国内外の皆様、とりわけ中国の国民の皆様に、不安や不信を抱かせる結果となったことは、重く受け止めております。日中関係の安定を何よりも重んじる一国の総理大臣として、そうした懸念を招いたことについて、率直にお詫び申し上げます。
同時に、ここで日本政府の基本的な立場を、改めて明確にいたします。
第一に、1972年の国交正常化以来、我が国は、「中華人民共和国政府を中国唯一の合法政府と認める」とともに、「台湾が中国の一部であるとの中国側の立場を十分理解し尊重する」との立場を一貫して堅持してまいりました。この基本方針は、今後ともいささかも変わることはありません。台湾問題については、対話を通じた平和的な解決が図られるべきであり、日本は、そのために建設的な役割を果たしたいと考えています。
第二に、日本は憲法の下、専守防衛に徹し、武力の行使は、あくまで我が国と国民の命と平和な暮らしを守るための、必要最小限のものに限られます。私が国会で申し上げた「存立危機事態」の議論は、どのような事態であればその要件に該当し得るかという、一般的な法的説明であり、特定の国を攻撃対象として想定したものではありません。
第三に、日中両国は、国交正常化以来の四つの政治文書と、その後の諸合意の積み重ねの上に、経済・社会・文化の幅広い交流を築いてきました。特に安倍元総理のもとで確認された、「競争から協調へ」「互いに脅威とならず、協力のパートナーとなる」との原則は、いまなお日中関係の羅針盤であり、高市内閣もこの精神を継承いたします。
今、台湾情勢を巡る私の発言をきっかけとして、中国側からは、強い懸念や批判の表明がなされています。また、中国から日本への渡航自粛の呼びかけなどにより、観光やビジネスを通じて長年築かれてきた人的交流や、地方経済にも影響が出始めています。こうした状況は、日中双方の国民の利益にとって望ましいものではありません。
だからこそ、今必要なのは、対立をあおるレトリックではなく、率直で冷静な対話です。日本政府としても、首脳同士の信頼ある対話、外相・防衛当局間の緊密なコミュニケーション、そして経済・文化・青少年交流を通じた草の根の対話を、一層重ねてまいります。
そのうえで、私は、二つの点をはっきりと申し上げたいと思います。
一つ目は、日本は過去の歴史を直視し、二度と戦争の惨禍を繰り返してはならないという決意を、決して忘れていないということです。戦後日本は、平和国家として、国際社会の平和と繁栄に貢献することを国是としてきました。台湾海峡を含む地域の平和と安定の重要性については、中国をはじめ、関係国との間でも共有できる目標であると信じています。
二つ目は、同時に、日本政府には、国民の命と暮らし、我が国の領土・領海・領空を守り抜く責任があるということです。いかなる時代、いかなる政権であっても、この責任を手放すことはできません。日米同盟をはじめとする安全保障協力や、自衛隊の必要な能力整備は、決して他国を威嚇するためではなく、むしろ不測の事態を抑止し、紛争を未然に防ぐためのものです。
日本は、中国を含む近隣諸国とともに、自由で開かれたインド太平洋の実現に向けて、法の支配に基づく秩序を守りながら、現実的かつ前向きな協力を進めていきます。環境・エネルギー、保健、デジタル、文化・スポーツといった幅広い分野で、日中が協力できる余地は、まだまだ大きく残されています。
最後に、今回の私の発言により、台湾海峡情勢や日中関係について、必要以上の緊張や誤解を生じさせてしまったことについて、改めて深い遺憾の意を表明いたします。今後は、国会での答弁を含め、一つ一つの発言が与える影響を、より一層慎重に考えながら、日本の平和と安全を守る責任と、近隣諸国との信頼関係を両立させてまいります。
日本と中国、そして地域の人々が、安心して行き来し、共に発展していける未来をつくるために、高市内閣は対話と協力の努力を積み重ねていくことを、ここにお約束いたします。
「日中関係の安定と平和安全法制の運用に関する基本的立場について」
1. はじめに
わが国と中国は、地域および世界の平和と繁栄に対して重大な責任を共有する隣国同士であります。
現在、先般の国会審議における私の発言を契機として、日中間に緊張が生じ、経済活動や国民生活に不安が広がっている事態につきましては、一国の指導者として深く憂慮しており、関係各所にご心配をおかけしていることを遺憾に思います(※1)。
2.国会答弁の真意と平和安全法制について
先般の予算委員会において、私が「台湾海峡周辺での事態」に関して述べた内容は、あくまでも2015年に成立した「平和安全法制」の法的枠組みにおける理論的な解釈(※2)を述べたものであります。
かつて安倍晋三元総理が、この法制の成立に際し、「戦争を未然に防ぐための法制であり、戦争するためのものではない」と断言された通り、わが国の法的準備は、あくまでも国民の命と平和な暮らしを守り抜くための、純粋に防衛的な措置であります。
したがって、私の発言は、特定の国を敵視したり、わが国から事態をエスカレートさせたりする意図を何ら有するものではありません。この点において、一部に広まっている「日本が地域の緊張を煽っている」との解釈は、私の真意と異なるところであります(※3)。
3.日中関係の原則と今後の方針
外交関係においては、1972年の「日中共同声明」にある通り、中華人民共和国政府を中国の唯一の合法政府として承認し、台湾が中国の領土の不可分の一部であるとの立場を十分理解し、尊重するという、わが国政府の一貫した立場に、いささかの変更もありません(※4)。
私たちは、台湾海峡の平和と安定が、わが国の安全保障のみならず、国際社会全体の安定にとって不可欠な要素であることを改めて確認し、問題が対話によって平和的に解決されることを強く期待します。
4. 結びに
わが国は、毅然とした平和国家として、主権と国民の安全を守るための備えを怠ることはありません。
同時に、中国とは「戦略的互恵関係」の原点に立ち返り、あらゆるレベルでの対話を継続し、建設的かつ安定的な関係を構築していく用意があります。
中国側におかれましても、大局的な見地に立ち、地域の平和と繁栄のために冷静かつ建設的な対応をされるよう強く期待します。
以上
令和七年十二月 日
私の発言は、平成二十七年に成立した平和安全法制に基づく、従来の政府見解と完全に整合するものであります。存立危機事態の認定については、安倍晋三元総理、岸田文雄前総理の下でも一貫して「個別具体的な状況に即して判断する」との立場を維持しており、私の答弁もこの枠組みの中にあります。したがって、発言を撤回する考えはありません。
安倍元総理は、「台湾有事は日本有事であり、日米同盟の有事でもある。この認識を習近平主席は断じて見誤るべきではない」と明言されました。また、「軍事的冒険は経済的自殺への道である」と中国に警告されました。私は、この安倍元総理の信念を継承しております。
内閣総理大臣として、国民の生命と財産を守ることは、私に課せられた最も重い責務であります。あらゆる事態を想定し、最悪の事態に備えることは、国家の指導者として当然の責務であり、これを怠ることは許されません。
一方、今般の中国側の対応について、率直に申し上げねばなりません。
在大阪中国総領事がSNS上において、一国の首相に対し外交官にあるまじき侮辱的言辞を発したことは、極めて遺憾であります。また、日本産水産物の輸入停止、日本への渡航自粛の呼びかけなど、経済的威圧を手段とする対応は、国際社会の信頼を損なうものであります。日本政府は、このような威圧に屈することは断じてありません。
いかなる国も、武力による威嚇や、経済的威圧によって他国の政策を変更させようとすることは、法の支配に基づく国際秩序への挑戦であります。自由で開かれたインド太平洋の実現に向け、日本は同盟国・同志国と連携し、毅然とした姿勢を堅持してまいります。
日中両国は、一衣帯水の隣国として、二千年を超える交流の歴史を有しています。両国関係が緊張状態にあることは、双方にとって望ましいことではありません。今回の事態により、両国の経済界や国民の間に生じた混乱については、誠に遺憾に存じます。
日本国政府は、昭和四十七年の日中共同声明以来の四つの政治文書を、日中関係の基盤として堅持しております。
日中共同声明において、日本国政府は、台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であるとする中華人民共和国政府の立場を十分理解し、尊重すると表明いたしました。この立場は、安倍政権、岸田政権を通じて一貫しており、私の内閣においても何ら変更はありません。台湾をめぐる問題が、両岸の当事者間の対話により平和的に解決されることを希望するとの我が国の立場も、従来どおりであります。
安倍元総理が築かれた「戦略的互恵関係」の精神、すなわち「互いに協力のパートナーであり、互いに脅威とならない」との原則は、今日においても有効であります。日中両国が、この原点に立ち返ることを期待いたします。
私の対話のドアは、常に開かれております。しかしながら、対話とは、一方的な要求を受け入れることではありません。相互尊重と対等な立場に基づく対話を通じて、日中関係の安定を図ることが、地域と世界の平和に資するものと確信いたします。
日本は、戦後八十年、平和国家として歩んでまいりました。この道を堅持しつつ、国民の安全を守り抜く決意を、ここに改めて表明いたします。
以上
Permalink |記事への反応(1) | 19:23令和7年12月10日
本日、私は日本国民の皆様、そして国際社会に向け、最近の日中関係に関する私の見解を明確に述べる機会を設けました。
まず最初に申し上げますが、日本は平和国家として、近隣諸国との安定した関係を維持し、互いの繁栄を追求する道を歩むべきであると信じています。しかし、平和は一方的な努力によってのみ成り立つものではなく、双方の責任ある行動が不可欠です。
私が先日の国会で述べた「台湾海峡における有事は、日本の存立危機事態に該当する可能性がある」という発言は、決して新たなものではありません。これは、私の政治的師とも言うべき故・安倍晋三元首相が、令和3年12月に台湾のシンクタンクでの講演で明確に指摘した見解に沿うものです。
安倍元首相は、「台湾有事は日本有事であり、日米同盟の有事である」と述べ、「中国による台湾への軍事侵攻は、中国自身の経済的自殺を意味する」と警告を発しました。この言葉は、今なお私たちの防衛政策の基盤であり、日本国民の安全を守るための現実的な認識です。安倍元首相のこの洞察は、保守的な価値観を体現し、多くの国民から支持を集めてきたものです。私もこれを継承し、日本の本質的な利益を守る立場を堅持します。
(続く)
https://digital.asahi.com/articles/ASTD614DGTD6UHBI005M.html
「トランプ版モンロー主義」の新安保戦略 「欧州文明消滅」にも言及
トランプ米政権が5日までに公表した「国家安全保障戦略」では、戦後の国際秩序を塗り替えるような「米国第一」の方向性が示された。米大陸のある「西半球」を自国の勢力圏とみなして排他的に利益を追求する一方、中ロに干渉するような批判は抑え、逆に同盟国については非難したり負担増を求めたりする姿勢を見せた。
「(ギリシャ神話の巨人神)アトラスのように米国が全ての世界秩序を支える時代は終わった」
今回の安保戦略はそう明確に宣言した。外交・安全保障分野の基本指針となるこの文書で、五つの「極めて重要な中核的国益」の筆頭に掲げられたのが、西半球の権益確保だ。南北米大陸やグリーンランドを含むこの半球では「敵対的な外国による侵入や重要資産の所有は認めない」と主張。各国の意思がどうであれ、米国の勢力圏として強い影響力を及ぼそうとする意思を示した。
記事の末尾に米国が最も重視する「五つの中核的国益」を整理しています。
目を引くのが「我々は『モンロー主義のトランプ系』を主張し、実行する」との文言だ。
1823年、米国が南北米大陸と欧州大陸の相互不干渉を訴えた「モンロー主義」。その後、パナマ運河地帯の支配権を得たセオドア・ルーズベルト大統領がモンロー主義を拡大解釈して、中南米への帝国主義的な軍事介入をいとわない姿勢を示し「ルーズベルト系」と呼ばれた。そのトランプ版というわけだ。
典型的なのが、最近のベネズエラに対する行動だ。トランプ大統領は麻薬や不法移民の流入を理由にしてベネズエラからの船に対する空爆を命じ、空母などの大規模な軍事力を見せつけてマドゥロ政権に露骨な「砲艦外交」を展開している。トランプ氏はカナダやグリーンランドについても、領土や資源への野心を公言してきた。
写真・図版
2025年11月13日、大西洋上で、米空母ジェラルド・R・フォードを中核とする空母打撃群の上空を飛ぶ、戦闘機スーパーホーネットや戦略爆撃機B52。米海軍提供=ロイター
一方、台湾や南シナ海の記述では中国を念頭に、シーレーン(海上交通路)を守るために紛争を抑止することは「優先事項」だとした。また、同盟国の日本や韓国に防衛費の増額を求め、トランプ氏の長年の主張に沿い「(同盟国の)ただ乗りを許している余裕はない」と記した。
台湾への関与については歴代米政権の政策を踏襲する姿勢を示したものの、中国を「国際秩序を塗り替える意図と能力を持つ唯一の競争相手」と位置づけ、強い警戒感を打ち出したバイデン前政権とは対照的だった。西半球への関心の強さと比べると、台湾を含む東アジアの優先度や国益判断の比重は低下した、との印象も残す。
米メディアのポリティコは3日、ベッセント財務長官が中国に関する表現を和らげるよう主張し、安保戦略の発表が遅れたと報じていた。中国によるレアアース(希土類)の輸出規制などで劣勢に立つ通商交渉への影響を考慮した可能性がある。
ウクライナ侵攻をめぐっては、早期の停戦の重要性を説きつつも、侵略を始めたロシアに対する明確な非難はなく、「ロシアとの間で戦略的安定性を再び確立する」ことを米国の中核的利益の一つに挙げた。逆に、ウクライナを支援する欧州について「欧州の大多数は平和を望んでいるのに、民主的政治過程が破壊されているため政策に反映されていない」と批判。トランプ氏が目指すロシアとウクライナの和平仲介の「障害」と位置づけた。
欧州への批判は、バンス副大統領が2月、欧州各国で右派や保守派の言論が抑圧されていると演説した内容にも沿うものだ。「文明として消える現実かつ深刻な可能性がある」とまで指摘した。欧州への非白人移民の流入を念頭に、米欧の軍事同盟「北大西洋条約機構(NATO)」についても「数十年以内に、NATOの中には非欧州人が多数を占める国が出てくる。米国との同盟をNATO加盟時と同じように捉えられるとは限らない」と決めつけた。
米国は戦後、ユーラシア大陸で圧倒的な力を持つ国の出現を抑止する戦略をとり、欧州や日本、韓国などとの同盟はその基軸だった。民主主義や法の支配を重視する原則もその基盤となっていた。ロシアの侵略に甘い姿勢を示す一方、米国自ら西半球では意のままに振る舞うことを正当化するような安保戦略は、ルールに基づく国際秩序の弱体化を改めて印象づける。アジアで覇権主義的な行動をとる中国に対しても誤ったメッセージを送る可能性がある。
西半球で米国の権益を確保する。中南米から米国への麻薬・移民流入を防ぐ
中国の名指しを避けつつ「インド太平洋を自由で開かれたものに保ち、決定的に重要な海上交通路における航海の自由を守る」と言及
「欧州の文明としての自信や西洋としてのアイデンティティーを(米国が)回復させる」とも主張
中東の石油や天然ガス権益を守る意思を示しつつ「この地域で我々を泥沼に落とした『永遠に続く戦争』を避ける」とも明記
連合国による旧日本領の処理と承認(台湾・朝鮮半島・南洋群島など)
という主張含意を持つ場合、これは上記の①②③すべてに矛盾する。
歴史的経緯上、これは連合国の領土処理を否定する=戦後体制そのものへの挑戦と見なされかねない。
■アメリカ
日米安保の前提
と受け止める。
これらは連合国の中核。
が、
には明確な拒否感を持つ。
特にフィリピン、マレーシア、インドネシアは旧日本軍の占領経験が強く記憶されているため、同調の余地はない。
つまり、戦後秩序に異論をはさむ日本は、ASEANすら距離をとる。
■中国
■韓国
韓国は一貫して
を主張してきた。
②アジア諸国の傷を刺激する
国際政治では
「力のない国が秩序に反対して騒いでいるだけ」
という扱いになる。
という構造を持つ。
ここに書くことは「不義理」に見える。だから、多くの人は言わない。でも、実際のところを書く。
台湾への中国の軍事侵攻は「反対」だ。ウクライナへのロシアの侵攻も「反対」だ。侵略行為は悪い。弱小国が一方的に蹂躙されるのは、不公正だ。その感情は、本当だ。
だけど。
もし本当に台湾有事が起きたとき、戦争によって日本が被害を被るくらいなら「台湾にはさっさと降伏して欲しい」と思う人間が、実際のところ、ものすごく多いんじゃないか。そしてそれは「台湾を見捨てる冷酷さ」じゃなくて「自分と自分の家族の命の方が大事」という、誰もが持ってる根源的な感情だ。
その感情を、表に出すと「非難される」から、みんな隠してる。でも、有事の際には「この感情の方が優先される」という現実がある。
メディアや政治家は「台湾は日本の隣国だ」「台湾との関係は重要だ」と言う。その通りだ。台湾とは友好国として付き合うべきだし、台湾に対する侵略には「反対」という立場を表明すべきだ。
例えば、ウクライナの人が「可哀想」と思うのと「日本がウクライナのために戦う」というのは、全く別の話だ。多くの日本人は「ウクライナへのロシアの侵攻は許されない」と思いながら「だから日本が戦争に参加すべき」とは思わない。その感覚は、正しい。
同じことが台湾にも適用される。「台湾への中国の侵攻は許されない」と「だから日本が戦争に参加すべき」は別だ。前者は道義的立場で、後者は戦略的判断だ。
ここから先は、本当に不気味な話だ。
台湾有事が起きたとき、何が起きるか。中国軍が台湾に侵攻する。その時点で「日本は台湾を守るために戦うべきか」という問題が、突然、リアルになる。
その時、日本国民の大多数は「戦うべきか」という問いに対して「戦うなら、実は台湾は降伏した方がいいのでは」と思う。なぜか。
理由は簡単だ。戦争というのは「最大で何百万人という日本人が死ぬ可能性」を持ってる。爆撃で死ぬ。飢餓で死ぬ。病気で死ぬ。経済的破綻で死ぬ。その規模の被害を、「台湾を守るため」という理由で正当化できるのか。
答えは「多くの日本人にとっては、できない」だ。
「では、台湾が中国の支配下に入ることを受け入れるべきか」という問いに対して「受け入れるべき」と言うわけではない。ただ「日本人が大量に死ぬより、その方がマシ」という判断になる。その判断は「非道」ではなくて「現実的」だ。
その本音を、なぜ誰も言わないのか
もし「台湾有事の際には、日本は戦う意思がない」と公式に言ったら「台湾がすぐに降伏してしまう」。その結果「中国に統一を許す」ことになる。それは「国際秩序を破壊する」ことになり「日本の国益に反する」。
だから、政治家は「台湾を守る」というポーズをし続ける必要がある。米国も「台湾を守る」というポーズをし続ける必要がある。そのポーズがあることで「台湾が独立を保つ可能性」が生まれる。
その「ポーズ」が必要だから、真実は隠される。その真実とは「実際には誰も台湾を守るために戦わない可能性が高い」という現実だ。
ウクライナを見ればわかる
ウクライナを見れば、この構図がわかる。
ウクライナはNATO加盟国ではない。だから「ロシアに攻撃されたら、NATO全体で対抗する」という仕組みが、法的には発動しない。その結果「欧米諸国が何度も『NATOは参戦しない』と明確に言った」。
その結果、何が起きたか。ロシアは「NATOが参戦しない」と確認してから、侵攻を開始した。もし欧米が「参戦する可能性がある」と濁していたら、ロシアの計算は変わったかもしれない。
ここで起きてるのは「国家の本音」だ。欧米はウクライナを「支援」するが「戦争に巻き込まれるほどの関心」はない。その本音が「参戦しない」という明言になった。その結果、侵攻が起きた。
台湾の場合、米国は「参戦する可能性がある」と、ぼかし続けてる。その曖昧性が「台湾への侵攻を躊躇させてる」という側面がある。ただ、その曖昧性の裏側には「実際には参戦しない可能性が高い」という米国の本音があるかもしれない。
日本も同じ立場だ。日本は「台湾との関係は大事」と言い続けるし「台湾有事に無関心ではない」と言い続ける。でも、その言葉の裏側に「ただし、日本人が大量に死ぬほどの関心ではない」という本音がある。
有事の際に起きること
台湾有事が本当に起きたとき、以下のプロセスが起きると予想される。
その時点で「日本が軍事介入することの現実的困難性」が明確になる
国内から「日本人が死ぬ危険を冒してまで、台湾を守る理由があるのか」という世論が出始める
その世論に押される形で「日本は支援に限定する」という政治判断が出される
その時点で「日本は軍事的には参戦しない」という立場が固定される
その流れの中で「日本は台湾を見捨てた」という後悔が残る。だが同時に「日本人が戦死せずに済んだ」という安堵も残る。その両者の感情が、ずっと日本社会に残り続ける。
ここまで書くと「では、台湾はどうでもいいのか」という質問が出るかもしれない。違う。
台湾は、日本にとって戦略的に重要だ。その意味は「台湾が独立を保つ方が、日本の国益に合致する」という意味だ。中国が台湾を統一したら「東シナ海から太平洋への中国の影響力が拡大する」。その拡大は「日本の国防上、好ましくない」。
だから「台湾の独立を保つためのポーズ」は、日本は取り続ける必要がある。だが「その独立を守るために、日本人が死ぬ」ことと「台湾の独立を保つ方が国益」という判断は、別だ。
言い換えると「台湾は大事」だが「日本の命の方が、もっと大事」という現実がある。その両者は「矛盾」ではなくて「優先順位」だ。
不誠実さ、と正当性
この話は、多くの日本人にとって「不誠実に見える」。台湾を友好国として扱いながら、その友好国を守るために戦う気はない。それは「二重基準」に見える。
ただ、国家というのは、元々「二重基準」で動いてるんだ。国家の本質は「自国民の命と福祉を最優先とする」ことだ。その本質が「隣国への義理」より優先されるのは「ダブルスタンダード」ではなくて「当然」だ。
どの国の政治家だって、国民投票で「台湾のために日本が戦争に参加することに賛成するか」と聞かれたら「反対」が大多数になる。その「反対」が、実は「最も現実的」な判断なんだ。
「台湾は大事だ」というポーズ。「台湾有事に備える」というポーズ。「台湾との関係を大切にする」というポーズ。
そのポーズがあることで「中国が台湾に侵攻することの現実的コスト」が上がる。「もし台湾に侵攻したら、日本も何か対抗措置を取るかもしれない」という曖昧性が、抑止力になる。
その曖昧性の存在が「台湾の独立を保つ」という結果につながる可能性がある。だから「日本は本当には戦わないかもしれない」という本音を隠しながら「台湾を守る気がある」というポーズを続ける必要がある。
これは「台湾を見捨てるべき」という話ではない。「台湾への支援を減らすべき」という話でもない。
この話は「人間の現実」についての話だ。人間は「理想」と「現実」のギャップを抱えながら生きてる。その中で「正直に本音を言うことが、時に害になる」という現実がある。
台湾有事の際に「日本は戦わない」と明言したら「台湾の独立を守る抑止力」が失われる。だから「戦う可能性がある」というポーズを続ける。
その中で、国民の本音は「戦いたくない」という感情で満ちている。その本音は「正当」だ。なぜなら「自分と自分の家族の命を守る」というのは「最も正当な欲求」だから。
その正当な欲求と「国家の戦略的必要性」の間に、永遠に埋まらないギャップがある。日本は、そのギャップの上で、ずっと成り立っている。
(追記)
基本、どう解釈して貰ってもいいんですけど2点だけ補足させて下さい。
増田は高市は首相の器ではないと思っているし、安定した中道政権を望んでいます。この記事を書いたのは高市の失点を上手く活かせない、そして中立左派としての役割を果たせない左派への失望からです。
直接的に問題となった答弁では″まあ、中国北京政府の支配下に置くような、えー、ことの為にどのような手段を使うか、(中略)だけれども、あの、それがやはり戦艦を使ってですね、そして、武力の行使もともなうものであれば、ま、これは、あのー、どう考えても存立危機事態になり得るケースであると私は考えます。″
と、台湾有事に至る目的と手段について述べただけであり、直後の『誰に』対する武力行使が存立危機に当たるのかという質問には『条文通り』と回答しています。また所謂新3要件が武力行使の条件になるとも回答していることから、少なくとも発言の内容からは『わが国と密接な関係にある他国(=米国)』という範囲を逸脱したと解釈するのは困難です。
(まあそれはそれとして、頭ネトウヨおばさんがどう思っていたのかは非常に怪しいとは思っていますが)
(本文)
高市への批判が成り立つのは高市が戦略的曖昧さを突然踏み越えて具体ケースに言及し不必要な中国との外交摩擦を招いたという所までであって、高市が挙げたケースが存立危機事態にあたり得るのは当然では?
中国が武力で現状変更を行おうとしていて、それに対して日本の同盟国のアメリカが封鎖を解除しようとしたところに更に武力行使を受けるような状況が存立危機に当たり得るのは至極当然だし、国際的には明らかに日本が先進国として国際秩序を守る役割を期待される場面だろ。普段は国際協力が大事とか移民を受け入れろとか発展途上国への支援が重要とか言ってる癖に、防衛となると反戦カルトが顔を出すよなぁ?
極右が歴史認識でやらかした時も、日本の戦後外交と安全保障の文脈を無視していて国益を損ねると主張すればいいのに、イデオロギーで脊髄反射するから反省が足りないだとか歴史修正主義だとか言ったほとんどの有権者にはどうでも良い論点でしか反応できない。
ただただ相手の失点を叩いていれば良いのに、高市は戦争をしたがっているだとか、日本は台湾を国家承認していないだとか中国に反撃されたらどうするだとか言った的外れなイデオロギーを振りかざす。お前らが万年野党(支持者)なのは本当にそう言うところだよ。
Permalink |記事への反応(21) | 09:29