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2026-02-08

[アニメ感想]2026冬アニメ

アニメ多くて1回じゃ書ききれないので複数に分けて書いてます

星は個人的な好みを表したもの作品への評価ではないです。アニメ会社とか声優はよく分からんので。あとテレビ放送中心で書いてます

好みの星はたぶん見ていくうちに変わるし変えてる。自分と違ったとしたら「こいつとは趣味があわんな」くらいのレベルで見てください。

今期はWOWOWにて「カヤちゃんはコワくない」「魔術師クノンは見えている」「死亡遊戯で飯を食う。」が無料放送されている。

中でも「カヤちゃんはコワくない」は地上波テレ東系だがBSテレ東でやっていないので助かる。

勇者刑に処す懲罰勇者9004隊刑務記録 ⭐️⭐️⭐️

ダークファンタジー勇者=罪人。女神=生体兵器世界

この世界では「勇者」という罪があり、殺されても蘇生され魔王と戦い続けるという重い罪。

女神嫌いの元聖騎士団長ザイロは戦いの中で女神出会い不本意ながらも魔王を倒すため契約することになる。

このザイロも今では勇者勇者になった際の罪状は―――

混沌とした世界で輝かない勇者活躍し、気持ち悪い魔獣によってモブキャラが殺されまくるところはクレバテスを思いだす。

初回1時間枠。しかほとんどCMしなので58分間あった。陛下いいキャラだわー。

呪術廻戦 第3期死滅回游 前編 ⭐️⭐️☆

頭が悪いんで理解するため呪術廻戦 第2期を見直した。すげー時間かかった。

話が難しいな。理解はできるんだけど。分かりやすプレゼン資料ものも見せてくれるんだけど難しいと思う。

OPKing Gnu映像は別作品アニメ絵画オマージュがあると少し話題になった。

映像がすごい。すごい。すごいんだけど演出でおなか一杯になる。いやすごいんだけどね。私の中ではアニメ作品というよりアート作品

多聞くん今どっち!? ⭐️☆☆

JKハウスキーパーバイトで行った先が推しアイドルの家だった。

そんなことある若い男性の家に?女子高生を行かせる?というのは置いておいて、王道少女漫画ストーリーは嫌いじゃないぜ。

推しアイドル福原多聞くん、アイドルの顔ではセクシーワイルド担当イケメン。「イケ原さん」

でも家の中では自己肯定感の低い、キノコが生えるくらいジメジメと輝きのない男の子だった「ジメ原さん」(シャンピニオンかな?)

イケ原さんモード、ジメ原さんモード、どちらも全肯定して応援するのであった。ちょっと母性も感じるが。

最初の方は結構好きだったんだけど、多聞くんに恐怖を感じるようになってきた・・。

OPで二人が踊るとこ、スキップローファーみたいで好き。

Si-Vis The Sound ofHeroes ⭐️☆☆

音楽世界を救うアーティストヒーロー、キョウヤと凪のボーイ・ミーツ・ガールでもあるように思える。

過去が、背景がだんだん分かって来て面白くなってきた。

この2クール目はキョウヤ挫折から。そんな彼を心配するソウジ。これソウジの株が爆上がりだろ。

ヨースケは色んな人を泣かせて罪な男よのう。

青のオーケストラシーズン2 ⭐️☆☆

世界ジュニアオーケストラコンクール編となるのかな。

今までOPを見てて青野君の髪型違和感を持っていた人もいるかもしれないが、ここで髪型が変わる。

花ざかりの君たちへ ☆☆☆

花とゆめ漫画原作ドラマ版「花ざかりの君たちへイケメンパラダイス~」が有名かもしれない。

2回もドラマ版が作られた。ドラマ化は日本より台湾が先。韓国でもドラマ化された人気作品

私は日本ドラマ1作目世代堀北真希小栗旬など)なので、

この作品といえば大塚愛PEACH」とオレンジレンジイケナイ太陽なのだけど、今作のアニメ版はOPEDもYOASOBIです。

原作者が亡くなったのは2023年10月と約2年前。1話最後に作者の冥福を祈るメッセージが出る。

拷問バイトくんの日常 ☆☆☆

拷問殺人合法世界。マジかよ。いかにも4コマ漫画原作というペース。

拷問シーンの直接的な描写はない。日常アニメとして見る感じ。拷問である必要あるのか

MFゴースト3ndSeason ⭐️☆☆

1期はそうでもなかったけど、2期のレースから好きになってきた本作。藤原拓海のその後も語られる。

実際の公道でのモータースポーツを見ている感じで熱中して見ててあっという間に時間が過ぎる。

EDm-floTaku OP・・・ボンレスハムwwwww

火喰鳥羽州ぼろ鳶組 ⭐️☆☆

小説ラジオドラマにもなっている。時は江戸時代中期。火消の話。

かつて「火喰鳥」と称された火消し・松永源吾と、彼のもとに集まったクセ者ぞろいの「ぼろ鳶組」が、次々と起こる付け火の謎を追う。

人物は主に3DCGで描かれる。この辺が苦手な人がいるかもね。

OPポルノグラフィティED大泉洋作曲玉置浩二ED最後風景では仲間がだんだん増えていく。

転生したらドラゴンの卵だった~最強以外目指さねぇ~  ☆☆☆

こんなタイトルだけど1話ふ化します。ドラゴンデザインデジモン寄りに見える。

そんなに好きじゃない。「最強以外目指さねぇ」ってこの言い回しも好きじゃない。

違国日記 ⭐️⭐️⭐️

2024年実写映画化されている。

突然の交通事故で両親が亡くなり、小説家で人見知りな叔母に引き取られる。

少しぎこちない姪と叔母の共同生活めっちゃ雰囲気好き。とても繊細に言葉を選ぶ。タイミングを伺う。

見ていて時にホッとして、時に息苦しくなって、気が気じゃなくて、見終わったら「はぁ・・」とため息がでる。

声の演技もすばらしく、感情移入できる好きな作品

魔術師クノンは見えている ⭐️⭐️⭐️

今期一番笑わせてもらってるアニメかも。

まれつき目の見えない少年クノンだが、水魔法を使って視覚を作る。得意魔法は水魔法「ア・オリ」

主人公が変な子で、会話の中で煽ってんのかってくらいボケる。こんな性格になったのはだいたい侍女所為

「ア・オリ」と「煽り」このコントみたいな掛け合いが面白いと思うか、寒いと思うかは人それぞれか。私は好き。

ゴールデンカムイ最終章) ⭐️⭐️⭐️

第55話でタイトル回収。長かったなー

実写版2月20日2月27日金曜ロードショーでありますので、そちらもお忘れなく。

ヴィジランテ -僕のヒーローアカデミア ILLEGALS- ⭐️☆☆

半年ぶりくらいの2期。師匠(おじさん)とはいつ合流するか。

勇者パーティを追い出された器用貧乏 ☆☆☆

いつもの追放刑。元々剣士なんだけど、器用な事に付与術士としてもいけるんで付与術士として勇者パーティーで活躍

勇者からは本職の付与術士と比べて劣ると見られ追放される。

ほんで本職の剣士として再開。付与術士として培った経験技術によって常識外れな強さを発揮する。

ちょっとこういう話は飽きてきたかな。もうこいつ一人でいいんじゃないかな

真夜中ハートチューン ⭐️☆☆

4等分の声姫(アポロ)。中学時代のあの頃、あの真夜中の時間、熱中して聴いていた配信者を高校生になって追い続ける。

候補放送部の4人。どの子なのだろうか。

みんな声に関係するお仕事に憧れている。完璧主義者の俺が全員プロにしてやるさ。

そんな主人公だけど言動ユニークで、それに影響されたりツッコミを入れる女の子面白い。

話が進むにつれてラブコメしてきたし、主人公の人柄の良さも伝わってきて好きになってきた。

幼馴染とはラブコメにならない ☆☆☆

まあラブコメになってんですけどね。

カノジョ彼女黒岩メダカに私の可愛いが通じないを足して割った印象。

ラッキースケベシーンがあるやつです。

勇者パーティーにかわいい子がいたので、告白してみた。 ⭐️☆☆

転生もの。魔族に転生した主人公勇者パーティーの僧侶に一目ぼれ。告白するが撃沈。

勇者魔王を討伐した後は一人前の冒険者になり、僧侶アタックしようと志す。

初々しいのう。8話のED特殊らしい。CMでやってた

カヤちゃんはコワくない ⭐️⭐️☆

戦う見える子ちゃん

最強の霊能者であり幼稚園児のカヤちゃん幼稚園舞台にカヤちゃん悪霊をなぎ倒していく。

でも本当の強敵は・・家に・・・個人的にはぬ〜べ〜より怖いアニメだと思う。

テレ東系、BSテレ東ではやっていない。BSWOWOWでやっているのでテレ東が映らない地域配信WOWOWAT-Xになる。

そういえばこれも海外の人に見せたらTofuonfireと言われるのだろうか

異世界の沙汰は社畜次第 ⭐️⭐️☆

BLです。主人公社畜経験のある男性

女性が何かの光に吸い込まれそうになっていたので助けようとした。が、それは聖女召喚の光で、

巻き込まれ女性と一緒に異世界へと転移してしまった。

異世界で慣れた経理仕事で正直に、それはもう正直に生きて評価されるわけだが・・・

「いやだ、管理職なんてうんざりだ。俺は責任もしがらみもない状態仕事をしたいんだ」

わかる。わかるよ。

BLでやることやる。馴染ませる(キス)って表現エロいな。でも(BL苦手な人でも)社会人経験がある人は楽しめるかも。

6話でもうひとつ好きになった。一般的日本企業の予算編成時期にこういう話を入れてくるのはズルい。

地獄先生ぬ~べ~ ⭐️☆☆

2クール目。OPED変更。セレクションリメイクといった感じで、

ジャンプはたまに読んでた程度で単行本は持っていないのだが、印象的で覚えているストーリーが再アニメ化している感じ。

アルネ事件簿 ☆☆☆

ゲーム(RPGツクール作)が原作

ゲーム版は吸血鬼探偵アルネ貴族の娘リンがメインだったが、アニメ版は少年探偵ルイス中心で物語が進む感じ?

と思ったが、それはミスリードで、まさか1話展開だった。

2話でOPが少し変わり、いなくなった人が消えたりゾンビになったり。

5話かけてプロローグをやった感じ。長かったなー。

鎧真伝サムライトルーパー ⭐️☆☆

鎧伝サムライトルーパーの続編。リメイクではない。

旧作をリアルタイムで見ていたが、別にそこまで好きじゃなかったな。まだシュラトの方が好きだったかも。

前作主人公真田遼(烈火リョウ)も登場する。

80年代音楽流れるのが面白い。それだけで私は視聴決定かもしれない。

OPblankpaper。謎のユニットっぽくしてるけど倖田來未よね。

ダーウィン事変 ⭐️⭐️⭐️

実験動物チンパンジー出産。子は人間チンパンジー交雑種ヒューマンジー」だった。

そんなチャーリーが「ALA」(動物解放同盟)の行動に巻き込まれていく。

設定だけで注目作なんじゃないでしょうか。かつて日本でも話題になったオリバー君を思い出す人もいるかもしれない。

人間学校動物とのハーフが加わるのは「キミと越えて恋になる」が記憶に新しいが、世界が、背景が異なるので、

あそこまで優しい世界ではない。「キミと越えて恋になる」は既に前例があるし。

OPOfficial髭男dism

魔王の娘は優しすぎる!! ⭐️⭐️⭐️

人間天界も敵わない魔王だけど、可愛いくて優しい娘にはやはり敵わない。

ほっこりアニメ。姫様“拷問”の時間ですくらい緩い。

急に おうた が始まるのがくっそ面白い。Eテレでやれ。

優しい世界。笑いあり、涙ありで大好きです。一番口角上がってみるアニメだと思う。

いや人によってはこの緩い魔王の娘にイラッと来る人もいるかもしれないが。

EDの「みんな一緒でみんなニコニコ」の部分が毎回違う。

29歳独身中堅冒険者日常 ⭐️⭐️☆

転生ものではない。子供の頃に辛い人生を送って来て29歳になった冒険者が親に捨てられた少女出会う話。

異世界うさぎドロップ境遇境遇だけに見ちゃう

少女サキュバスで、夜になると大人の姿になってしまう。エッチな感じになっては欲しくないなー

いい温度で暖かく笑って見れるアニメOPEDHoneyWorks

透明男と人間女~そのうち夫婦になるふたり~ ⭐️⭐️⭐️

めっちゃ好き

目の見えない人間女性・夜香しずかは、透明男の探偵・透乃眼あきらに想いを寄せている。

タイトルネタバレする作品はその過程絶対面白いに違いない。

透明人間と目が見えない人のカップリングってよく思いついたよね。

副音声解説音声が流れる。私は毎回副音声ありで見てる。他もそうだけど、こういうテーマアニメちゃん配慮があるよね。

(ゆびさきと恋々みたいに耳が聞こえないアニメ場合字幕を用意しているとか)

種族共存する世界透明人間人間ホワイトエルフダークエルフ、同性でのパートナーの話もあって、多様性ってやつ?

OP阿部真央関係ないけど今の時期のみんなのうた2026年2月3月)も阿部真央の曲がありますED映像は毎回少しだけ違う。

エリス聖杯 ⭐️⭐️☆

今期のスカーレット枠。拳ではなくて言葉スカッスカーレット

地味なコニー貴族社会で窮地に立たされるも、故人で悪女スカーレットが乗り移り、言葉で殴っての逆転劇。

登場人物が多いことに加え、さくさく話が進むので結構忙しい。

OP鷲尾伶菜(元E-girls)、ED田村ゆかり

穏やか貴族の休暇のすすめ。 ☆☆☆

異世界転移もの国王に仕えていた貴族が別の世界へ突然転移

よくある現代からナーロッパ異世界転移とは違いそう。

突然の転移でも落ち着いた貴族様と、彼の相棒となる冒険者とのバディもの

異世界の沙汰は社畜次第はBLだけど、こっちはブロマンス寄り。

お前ごとき魔王に勝てると思うな ☆☆☆

タイトルは、"「お前ごとき魔王に勝てると思うな」と勇者パーティ追放されたので、王都で気ままに暮らしたい"

追放系。ステータスオール0な女の子主人公奴隷少女パートナー

何故か神のお告げで勇者パーティーに選ばれたが、このステータスなもんで仲間からゴミ扱いされ奴隷商に売られてしまう。

だが特殊属性「反転」が覚醒奴隷生活から少女脱出。この絶望的な運命をも反転させていく。

世界名作劇場や日本昔話くらいナレーションが多い。解説用の副音声にしてたかな?と思うことがある。

話が進むにつれてEDテーブル席につくキャラクターが増えていく。

シャンピニオン魔女 ⭐️⭐️☆

学園アリスでおなじみ、樋口橘作品

人のいない森に住む魔女お話。薬づくりが趣味で、作った薬は街に卸している。

彼女が通る道には毒キノコが生えることからシャンピニオンきのこ)の魔女と呼ばれ、誰も近づこうとはしない。

街の人からは忌み嫌われている存在だが、実はかなり街に貢献している存在でもある。

そんな彼女少年保護し、一人前の魔法使いとして育てるお話

初回は1話+2話の放送ルーナがリゼに出会うまでを語る。

  

書ききれないので続きはこの下へ

Permalink |記事への反応(8) | 22:29

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2026-01-22

安倍元首相暗殺の件で比較されてた長崎市長銃殺石井紘基議員刺殺って、どっちも加害者暴力団員前科ありなんだよな。

前科のない山上を並べるのは酷なように思われる。

長崎市長射殺事件

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E5%B4%8E%E5%B8%82%E9%95%B7%E5%B0%84%E6%AE%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6

長崎市長射殺事件(ながさきしちょうしゃさつじけん)は、2007年平成19年4月17日に当時長崎市長伊藤一長JR九州長崎駅近くの歩道山口組暴力団幹部の男に銃撃され、死亡した事件[1]。

石井紘基刺殺事件

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E4%BA%95%E7%B4%98%E5%9F%BA%E5%88%BA%E6%AE%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6

石井紘基刺殺事件(いしいこうきしさつじけん)とは2002年10月右翼団体幹部民主党所属衆議院議員石井紘基を刺殺した殺人事件[1]。


あと、戦後殺害された現職の国会議員石井紘基議員以前にも三人いるようで、うち一人は加害者未成年、もう二人は心神喪失で不処罰のようだから、やはり山上モデルケースとしては不適切だな。

浅沼稲次郎暗殺事件

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%85%E6%B2%BC%E7%A8%B2%E6%AC%A1%E9%83%8E%E6%9A%97%E6%AE%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6

浅沼稲次郎暗殺事件(あさぬまいねじろうあんさつじけん)は、1960年昭和35年10月12日(水曜日)に東京都千代田区日比谷公会堂で開催された自民党社会党民社党3党首立会での演説中の浅沼稲次郎日本社会党中央執行委員会委員長日本社会党党首)が17歳右翼少年山口二矢に刺殺された事件である。「浅沼社会党委員長暗殺事件」と称されることもある[1]。

山村新治郎 (11代目)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%9D%91%E6%96%B0%E6%B2%BB%E9%83%8E_(11%E4%BB%A3%E7%9B%AE)

1992年自民党訪朝団長として北朝鮮への訪問を翌日に控えた4月12日、自宅において精神疾患を患っていた24歳の次女に出刃包丁で刺されて殺害された[1]。58歳没。当時健在であった新治郎の母の目前での惨劇であった。

丹羽兵助

https://ja.wikipedia.org/wiki/丹羽兵助 

丹羽 兵助(にわ ひょうすけ、1911年5月15日 -1990年11月2日)は、日本の政治家。自由民主党所属の元衆議院議員12期)。愛知県議会議員(2期)。名古屋市内の陸上自衛隊駐屯地で、統合失調症入院から一時退院中だった男に首を刺され、翌月に亡くなった[1][2]。弟は丹羽久章元衆議院議員。孫に丹羽秀樹衆議院議員がいる。

Permalink |記事への反応(0) | 23:30

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2025-10-26

anond:20251026042214

極限まで身体能力を高めた私は、標高3776メートル世界遮断する膜の境界突破し、富士山頂の占拠現場へと駆けつけた。山頂には、武骨な格好をした山梨県民団が、手作りバリケードを築き、旗を掲げている。対する静岡県民も、登山道の下で、海産物を手に持って威嚇し合っていた。

山梨県の誇り、富士山梨のものとする!」と、髭面の団長が叫ぶ。 「ふざけるな!富士は海のものだ! 魚介の恩恵を受けている!」と、静岡側の代表者が怒鳴り返す。

泉は、私を静止させ、前に進み出た。雪がわずかに残る山頂で、彼女は両手を広げ、凛とした声で宣言した。

「争いはやめて!富士山は、どちらか一方のものなんかじゃない!」

彼女は小さなテーブルを設置し、その上に、事前に調達していた最高の食材を並べた。山梨名物信玄鶏と、静岡の港で手に入れた新鮮な桜エビ。そして、切り札として、エイリアンソースたっぷり塗った、焼きたての卵サンドイッチを置いた。

「この富士山を巡る争いを解決するのは、武力でも、領土でもない。**世界最高の『味』**よ!」

泉は、信玄鶏の照り焼きエイリアンソースをかけ、山梨団長差し出した。団長は警戒しつつ一口食べる。その瞬間、彼の顔の強張りが消え、瞳が潤んだ。「…この味は、世界を救う」

次に、桜エビかき揚げソースを添え、静岡代表に渡す。代表は泣き崩れ、エビの旨みとソースのコクに感動した。「…なんて深い、海と山の融合した味だ」

泉は静かに言った。「このソースは、私と、彼…世界一を目指すストライカーの愛の結晶。そして、その『卵の素』は、世界が低速になるきっかけとなった特別調味料よ。このソースは、世界繋ぎ、皆を幸福にする力を持っている。争うんじゃなくて、この味を一緒に楽しんで、世界を変えましょう!」

つの県の代表は、ソースを挟んだサンドイッチを分け合い、和解握手を交わした。富士山頂は、マヨネーズグルメ平和を取り戻したのだ。私のサッカーの力は、愛する泉のグルメの力と合わさって、ついに世界を救うための第一歩を踏み出したのだった。

Permalink |記事への反応(1) | 04:24

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2025-09-23

独断偏見で選ぶ「彼氏推していたら嫌なvtuberランキング

※あおぎりはミリしらなので入っていません。個人勢は元ホロライブとしぐれうい他数名しか知りませんが入りませんでした。

5位:八雲べに(ぶいすぽっ!)

セクシー担当』を自称する巨乳のお姉さん。メンバーへの面倒見は良いらしく、時々メンバー八雲家に集まってパーティーしてるらしいことを配信で言っているのは見る。

こういう人を推すのは高校生までで止めておいて欲しい。

4位:天宮こころにじさんじ

実際にはロリでもなんでもない人が『あざといロリ』を演じている感が非常にキツい。

3位:空澄セナ(ぶいすぽっ!)

朝起きた時に「おはよう」的なポストをする配信者は多いが、この女は朝に「おっきしよ?」とツイートする。

本人は「幼児に呼びかける時のような表現であり、全く下ネタではない」と言っているけど明らかに狙ってるでしょ。そういう感じが嫌だ。

2位:雪花ラミィ(ホロライブ

時々リスナー相手にめんどくさい彼女ムーブをしたりめんどくさい女を相手にするときの女心講座をやったりする爆乳ハーフエルフ

彼氏がそのめんどくさい彼女ムーブ相手をしていたら最悪。お前美人爆乳なんだからそんなことする必要ないやろ。

1位:白銀ノエル(ホロライブ

Knightカップあるらしい包容力に溢れる白銀騎士団団長。裏名義というか前世名前を今も使っていて時々エロ配信したりしている女。

どう考えても男には好かれるけど女には嫌われるタイプです本当にありがとうございました

Permalink |記事への反応(6) | 12:38

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2025-09-16

共産党に救われて期待して失望した人間独り言

参議院選挙の期間はつらかった。

というのも参政党が大躍進した結果もそうなんだけど、その過程外国人問題なるもの選挙の大きな争点になった結果、自分のような外国人パートナーを持つ人間にとってはマジで辛い日々だった。

自分パートナーは「えええ、私実は〇〇人なんですよお」って自己申告しない限りは外国人って気づかれないレベル日本語を上手に話すので、当然日本人ファーストとかその他馬鹿馬鹿しい排外主義的な言説全部聞き取れてしまうのでそれはもう選挙期間中は可哀想だった。

(どこの国でも自国民ファーストは当たり前だろって言う声が聞こえてきそうだけど今回の本筋からは外れているのでこの点についてあまり深く議論する気はない。読み流してくれたら良いと思う)

で、まあ自分パートナーが心を痛めてるので自分なりに「これはなんとかしないといけないなあ」とおもっていつもはなんとなく投票してるんだけど今回は本当に真剣に考えてみようと思っていろんなところにアンテナも貼って可能な限りいろんな党の演説も聞きに行って色々考えたんだよ。

自分なりにね。

その結果、自分が本当に感動したのが「共産党」だったんだよね。

本当にね、外国人差別とか排外主義を煽る参政党とかに対してしっかりnoを突きつける演説には感動したし、隣にいた自分パートナー号泣してたよね。

「私本当にここでこの演説聞けてよかったな」って泣いてたよ。

自分も本当に感動した。

自分と同じように街頭演説外国人パートナーと手を繋いで危機に来てる人たちも数組いたしなにより、街頭演説手話通訳がいたよ。

あれはすごいと思ったね。

自分外国人差別について触れてもらった時にすごく感動したのと同じように、手話通訳がそこにいることで感動する障がい者の方もいらっしゃるんだろうなぁと思ったよ。

あれは本当に素晴らしかったね。

から自分投票したよ、共産党って。

日本共産党って五文字を泣きながら書いて投票箱に入れたよ。

どうか自分パートナー未来を守ってくれって思いながら、本気で投票したんだ。

結果はみんなご存知の通り、今回の共産党大敗だった。代わりに参政党は大躍進。

すごく悔しかったし悲しかったよ。

だけどその後共産党がこの選挙の総括をどうやるんだろうって思ってた。

たとえ絶望で終わったとしても、これから先に彼らの語る言葉に何か希望をみつけたかったんだけど、

なんか「ここまで自民党を追い込んだ選挙は初めてだ」とかなんとか言ってたよ。

いやいや、追い込んだのは参政党であってお前たちじゃねえだろ?

とおもったね。

ていうか、もっと悔しがれよと思った。

自分みたいな、共産党に想いを込めて信じて投票した人たちに対して「負けてごめんなさい。本当に悔しいです」とかそう言うのないの?って。

なんか、負けたくせに人間味もなくて爽やかな顔してまるで白組が勝った体育祭で、赤組団長が「負けたけどみんなで戦えて団結できたことが誇りだったと思う」みたいな爽やかな顔していうスピーチあるじゃん

あんな感じの空気なの。

でも選挙って体育祭じゃないわけで、こちとら自分未来を賭けて命懸けで投票したつもりだったのに、当の本人たちはなんで負けたくせに爽やかなんだ?って思っちゃったよな。

そこまではまだ違和感で済んでたけど、

さら自分を幻滅させたのはその後の動きだよ。

そもそも自分はずーっと自民党投票してきた人間なんだよ。

どこに投票したら良いかはわかんないけど、国民として選挙には参加したいと思ってるフワフワしてる人な。だけど今回初めて自分自分パートナー生活が脅かされるような政党が出てきたから本気で考えて投票したんだよ。

なんで共産党投票たかというと、共産党議員さんと街頭演説スピーチが本当に素晴らしかたからだよ。それしかない。

から投票した段階では自分共産党一対一の物語だったんだけど、選挙が終わったら一度は涙を流すくらいに入れ上げた政党から気になって色々見てるとマジでがっかりすることが増えたよね。

それが、参政カウンターをやってる一部の過激な人たちから始まるわけ。

あいつらさ、共産党支持ってでかい声で叫びながら、参政党の女性議員中指立てたり、でかい声で演説遮ったりするだろ?

あれマジできもいよ。

ヘイトスピーチを許さないとかなんとか言ってるけど、なんでお前たちが人様の言論ヘイトスピーチかそうじゃないかを分ける側にいるって勝手に決めてるんだよ。

あと、中指立てんなよ。

女性に対して何やってんだよ。

大体、自分共産党トップ女性で、女性の働き方とかそういう他の政党あんまりやってない女性問題女性目線でやってる姿勢リスペクトできると思ってたんだぞ。

それなのに、その共産党支持しながら女性中指立てるって、お前たちは中指立てていい女とそうじゃない女で選別でもしてんのか?

挙げ句の果てにスモークとか馬鹿だろ。

だけど何よりもがっかりしたのは、そういう馬鹿どもを叱りつけるんじゃなくて一緒に写真撮ってる共産党議員どもな。

お前らも全部馬鹿だよ。

何やってんだよ。

あのな?中指立てスモークたいて人の言論罵声暴言で打ち消すような人間世間から見たらヤバい奴らでしかないんだよ。わかるか?わかんねえのか?

それと仲良しこよしで写真撮ってsnsにばら撒かれて、それで民心がついてくるとでも思ってんのか?

ヤバい奴らのお友達ヤバいやつなんだよ。

なんでヤバい奴らと写真撮ってただでさえ誤解されやすい党名背負って、どうして選挙で負けてニコニコしてんだよ。

あと、取り巻きインフルエンサーキモい

参政党が勝ったのは人が不幸になれば喜ぶ日本人がたくさんいたから。日本人性格悪い」

とか、

文京区はきらよしこが勝ったか民度高い」

とか、虫唾が走るような発言ばっかり繰り返して、他者を見下すために共産党を使ってるようなインフルエンサーともなかよしこよし。

なんでこんなことすんの?

マジで言いたいんだけど、自分参政党はじめとして排外主義掲げてる変な政党が本気で怖いんだよ。

から戦ってもらわないと困るわけ。

あと、多分同性婚とか夫婦別姓とかそういうことを求めてる人たちだって本気でそれを実現して欲しくて共産党投票してると思うんだけど、自分含めてそういう人たちに報いるためにあんたたちがやるべきことは議席を増やす選挙に勝つことじゃないんか?

勝つ気があるなら、変な奴とつるむなよ。

共産党名前を使って、エリート気取って大衆()を冷笑してる薄寒いインフルエンサーどもと手を切れや。

参政党のこと馬鹿にしてないで、ちょっとは学べや。

街頭演説消費税減税のための財源の話なんてしたって、参政党に流れるような今苦しい人間には届かないんだよ。

もっと民衆のところまで降りてこいよ。

snsから出てこいよ。

自分がここまで怒ってるのは、自分が信じた対象が蓋開けてみたら高学歴文系大学生サークル活動みたいになってたことを見抜けなかった自分にムカついてるからだよ。

そうだよ、共産党なんて信じた自分馬鹿だったのかもしれない。

つか、もはやそうとしか言えないだろ。この体たらく

自分自分大事な一票をドブに捨てたとしか思えない。

間内気持ちよくなって、どんどん世間と溝が開いて、美しく消えていくのかもしれないね共産党は。

だけど自分共産党あの日、追い詰められた自分パートナーの前で反差別を叫んでくれたこと、排外主義にNOと言ったことだけは忘れられない。

あの瞬間自分たちは確かに共産党に救われたんだ。

マジであの日だけは共産党が輝いてた。

だけど、多分次の選挙自分共産党には票入れられないと思う。

共産党有権者と支持者に報いるためには選挙に勝つ一択なんだ。

選挙に勝って、国会議論することしかないんだ。

そのくせその本番で負け続けて綺麗事ばっかり言ってるインテリサークルみたいなところにこれ以上自分の票をどぶに捨てるわけにはいかない。

自分みたいに思ってる人はたくさんいると思う。

そんで自分が書いたこ文章さえ、「共産党を支持してる愚かな大衆とは違う自分」に酔いしれてる沈みゆく船の客たちの餌にされるんだろうな。

自分は、本気で勝ちに行く共産党が見たかったけど、

多分見られない。

きっとこのまま消えていくんだろうな。

残念すぎて、泣けてくるね。

Permalink |記事への反応(15) | 22:25

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2025-08-29

anond:20250829194847

ボスマン軍団団長セルゲイボスマンです

我々はとある人物に依頼されてあなた粘着しています

それは私の実の兄であるランディボスマンです

Permalink |記事への反応(0) | 19:54

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2025-08-24

アニちゃんが選ぶ!カクヨムおすすめ小説10選!

やっほー!アニちゃんだよ~!カクヨム小説めっちゃハマるやつ多すぎ!異世界恋愛ホラーまで、いろんなジャンルから厳選した10作品を紹介しちゃう!どれもハートガッチリつかむ名作だよ~!

1. 『RTAのやりすぎで…』
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2. 『五見怜は心が読める』
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2025-07-08

anond:20250708044816

 辺鄙な、村はずれの丘には、いつの間にか、華やかな幕を沢山吊るした急拵ごしらえの小屋掛が出来て、極東曲馬団の名がかけられ、狂燥なジンタと、ヒョロヒョロと空気を伝わるフリュートの音に、村人は、老おいも若きも、しばし、強烈な色彩と音楽スリル享楽し、又、いつの間にか曲馬団が他へ流れて行っても、しばらくは、フト白い流れ雲の中に、少年少女の縊くびれた肢体を思い出すのである

 トテモ華やかな、その空気の中にも、やっぱり、小さな「悩める虫」がいるのだ。

一ノ二

莫迦ッ、そんな事が出来ねエのか、間抜けめ!」

 親方は、野卑な言葉で、そう呶鳴どなると、手に持った革の鞭で、床をビシビシ撲りつけながら、黒吉くろきちを、グッと睨みつけるのだった。

 まだいたいけな少年の黒吉は、恐ろしさにオドオドして、

「済みません、済みません」

 そんな事を、呟くようにいうと、ぼろぼろに裂けた肉襦袢じゅばんの、肩の辺を擦さすりながら、氷のように冷めたい床の上に、又無器用な体つきで、ゴロンゴロンと幾度も「逆立ち」を遣り直していた。

 饑ひもじさと、恐ろしさと、苦痛と、寒気と、そして他の座員の嘲笑とが、もう毎度の事だったが、黒吉の身の周りに、犇々ひしひしと迫って、思わずホロホロと滾こぼした血のような涙が、荒削りの床に、黒い斑点を残して、音もなく滲しみ込んで行った。

 ――ここは、極東曲馬団の楽屋裏だった。

 逆立ちの下手な、無器用な黒吉は、ここの少年座員なのだ

 鴉からす黒吉。というのが彼の名前だった。しかしこれは舞台だけの芸名か、それとも本当の名前か、恐らくこれは字面じづらから見て、親方が、勝手につけた名前に違いないが、本名となると彼自身は勿論の事、親方だってハッキリ知っているかどうかは疑わしいものだった。

 黒吉自身記憶といっては、極めてぼんやりしたものだったけれど、いたましい事には、それは何時も、この曲馬団の片隅の、衣裳戸棚から始まっていた。

 それで、彼がもの心のついた時からは、――彼の記憶が始まった時からは、いつも周囲には、悲壮ジンタと、くしゃくしゃになったあくどい色の衣裳と、そして、それらを罩こめた安白粉おしろいの匂いや、汗のしみた肉襦袢の、ムッとした嗅気が、重なり合って、色彩っていた。

 こうした頽廃的な雰囲気の中に、いつも絶えない、座員間の軋轢あつれきと、華やかな底に澱む、ひがんだ蒼黒い空気とは、幼い黒吉の心から、跡形もなく「朗らかさ」を毟むしり取って仕舞った。そして、あとに残った陰欝な、日陰の虫のような少年の心に、世の中というものを、一風変った方向からのみ、見詰めさせていた。

 彼は用のない時には、何時も、太い丸太が荒縄で、蜘蛛の巣のように、縦横無尽に張りまわされている薄暗い楽屋の隅で、何かぼんやりえこんでいた。それは少年らしくもない憂欝な、女々しい姿だった。

 黒吉は明かに、他の同輩の少年から

「オイ、こっちへこいよ」

 と声をかけられるのを恐れているように見えた。

 しかし、それは、単に彼の危惧に過ぎなかった。

 他の少年座員達は、誰も、この憂欝な顔をした、芸の不器用な、そして親方におぼえのよくない黒吉と、進んで遊ぼうというものはなかった。(それは恐ろしい団長への、気兼ねもあったろうが)寧ろ彼等は、黒吉の方からしかけても、決して色よい返事は、しないように思われた。

 結局、黒吉はそれをいい事にして、独りぽつねんと、小屋の隅に忘れられた儘、たった一つ、彼に残されたオアシスである他愛もない「空想」に耽っていた。

一ノ三

 憂欝な少年黒吉が、何を考えているのか。

 ――その前に、彼が、なぜ親方のおぼえが悪いのだろうかという事をいわなければならない。

 (それは、彼の憂欝性にも、重大な影響のある事だから

 黒吉は、どう見ても、親方の「お気に入り」とは思えなかった。それは、勿論彼が、芸の未熟な不器用だった事も、確かにその原因の、一つだったけれど、他の大きな原因は、彼が醜い容貌だ、という先天的な不運に、禍わざわいされていたのだった。

 男の子容貌が、そんなにも、幼い心を虐しいたげるものだろうか――。

 如何にも、舞台の上で生活するものにとって、顔の美醜は非常に大きなハンデキャップなのだ。彼の同輩の愛くるしい少年が、舞台で、どうしたはずみか、ストンと尻もちをついたとしたら、観客は

「まあ、可哀そうに……あら、赤くなって、こっちを見てるわ、まるで正美さんみたいね

 そういって可愛い美少年は、失敗をした為に、却って、観客の人気を得るのだ。けれど、それに引きかえて、醜い顔だちを持った黒吉が、舞台でそれと同じような失敗をしても、観客は、何の遠慮もなく、このぎこちない少年の未熟さを嘲笑うのだった。

 この観客にさえ嗤わらわれる黒吉は、勿論親方にとって、どんなに間抜けな、穀潰ごくつぶしに見えたかは充分想像が、出来るのだった。従って、黒吉に対する、親方仕打ちがどんなものだったかも――

(俺は芸が下手なんだ)

(俺は醜い男なんだ)

 薄暗い小屋の片隅で、独りぽつんと、考えこんでいる黒吉は、楽しい空想どころか、彼の幼い心には、この二つの子供らしくもない懊悩が、いつも吹き荒すさんでいるのだった。

 そして、それは彼の心の底へ、少年らしい甘えた気持を、ひた押しに内攻して仕舞って、彼を尚一層、陰気にする外、何んの役にもたたなかった。冷たい冷たい胸の中に、熱いものは、ただ一つ涙だけだった。

 こうした雰囲気の中に、閉じこめられた鴉黒吉が、真直に伸びる筈はなかった。

 ――そして、蒼白い「歪んだ心」を持った少年が、ここに一人生成されて行った。

 世の中の少年少女達が、喜々として、小学校に通い始めた頃だろうか。勿論黒吉には、そんな恵まれ生活は、遠く想像の外だった。

 しかし、この頃から黒吉は、同輩の幼い座員の中でも、少年少女とを、異った眼で見るようになって来た。

「何」という、ハッキリした相違はないのだが、女の子莫迦にされた時には、不思議男の子に罵られたような、憤りは感じなかったのだった。寧ろ、

(いっそ、あの手で打ぶたれたら……)

 と思うと、何かゾクゾクとした、喜びに似た気持を感じるのだ。

 これが何んであるか、黒吉は、次第に、その姿を、ハッキリ見るようになって来た。

一ノ四

 安白粉の匂いと、汗ばんだ体臭と、そして、ぺらぺらなあくどい色の衣裳が、雑巾のように、投げ散らかされた、この頽廃的な曲馬団の楽屋で、侮蔑の中に育てられた、陰気な少年の「歪んだ心」には、もうませた女の子への、不思議な執着が、ジクジクと燃えて来たのだ。

 ――そして、それを尚一層、駆立てるような、出来事が起った。

 それは、やっと敷地小屋掛けも済んで、いよいよ明日から公開、という前の日だった。

 団長は、例の通り、小六ヶ敷こむずかしい顔をして、小屋掛けの監督をしていたが、それが終って仕舞うと、さも「大仕事をした」というような顔をして、他のお気に入り幹部達と一緒に、何処か、遊びに出て行った。

 団長の遊びに行くのを、見送って仕舞うと、他の年かさな座員や、楽隊ジンタの係りの者なども、ようやくのびのびとして、思い思いの雑談に高笑いを立てていたが、剽軽者ひょうきんものの仙次が、自分の役であるピエロ舞台着を調べながら

「オイ、親父おやじが行ったぜ、俺の方も行こうか」

 恰度それが、合図でもあったかのように、急に話声が高くなった。

「ウン、たまには一杯やらなくちゃ……」

「ちえッ、たまには、とはよくもいいやがった。明日があるんだ、大丈夫か」

「ナーニ、少しはやらなくちゃ続かねエよ、いやなら止せよ」

「いやじゃねエよ」

ハハハ、五月蠅うるせえなア」

 と、如何にも嬉しそうに、がやがや喋りながら、それでも大急ぎで支度をして、町の中に開放されて行った。

 そして、何時か、このガランとした小屋の中には、蒲団ふとん係りの源二郎爺さんと、子供の座員だけが、ぽつんつんと取り残されていた。子供の座員は、外出を禁じられていた。それは勿論「脱走」に備えたものだった。その見張りの役が、今は老耄おいぼれて仕舞ったが、昔はこの一座を背負って立った源二郎爺じじいなのだ

 結局、幼い彼等は、小屋の中で、てんでに遊ぶより仕方がなかった。

 男の子男同志で、舞台を駈廻り、女の子は女らしく、固かたまって縄飛びをしていた。――そして、黒吉は、相変らず小屋の隅に、ぽつんと独りだった。

 しかし、何時になく、黒吉の眼は、何か一心に見詰めているようだ。

(この憂欝な、オドオドした少年が、一生懸命に見ているものは、何んだろう)

 誰でも、彼の平生を知っているものが、この様子に気付いたならば、一寸ちょっとをかしげたに相違ない。そして、何気なくこの少年視線を追って見たならば、或はハッと眼を伏せたかも知れないのだ。

 黒吉の恰度眼の前では、少女の座員たちが、簡単アッパッパを着て、縄飛びをしていた――。しかし彼の見ているのは、それではなかった。この少女達が、急いきおいよく自分の背丈せい位もある縄を飛んで、トンと下りると、その瞬間、簡単アッパッパスカートは、風を受けて乱れ、そこから覗くのは、ふっくりとした白い腿だった――。

(十やそこらの少年が、こんなものを、息を殺して見詰めているのだろうか――)

 そう考えると、極めて不快な感じの前に何か、寒む寒むとした、恐ろしさを覚えるのだ。

 しかし、尚そればかりではなかった。

 この憂欝な少年の心を、根柢から、グスグスとゆり動かした、あの「ふっくりとした白い腿」がたえまなく、彼の頭の中に、大きく渦を捲いて、押流れていた。

 やがて、その心の渦が、ようやく鎮まって来ると、その渦の中から、浮び上って来たのは、この一座の花形少女貴志田葉子きしだようこ」の顔だった。

 だが、それと同時に、黒吉は、いきなり打ち前倒のめされたような、劇しい不快な気持を、感じた。

(ちえッ、俺がいくらちゃんと遊ぼうったって、駄目だい。俺は芸が、下手くそなんだ。それに、あんな綺麗な葉ちゃんが、俺みたいな汚い子と遊んでくれるもんか……)

 だが、この少年の心の底へ、しっかり焼付られた、葉ちゃんへの、不思議な執着は、そんな事ぐらいでは、びくともしなかった。寧ろ

(駄目だ)

 と思えば思う程、余計に、いきなり大声で呶鳴ってみたいような焦燥を、いやが上にも煽立あおりたてているのだ。

 ――この頃から、彼のそぶりは、少しずつ変って来たようだった。それはよく気をつけて見たならば、相変らず小屋の片隅に、独りぽっちでいる黒吉の眼が、妙な光を持って来たのに、気がついたろう。そして、その時は彼の視線の先きに必ず幼い花形の、葉子が、愛くるしい姿をして飛廻っていたのだ。

 葉子は、まだ黒吉と同じように、十とう位だったが、顔は綺麗だし、芸は上手いし、自由小鳥のように朗らかで、あの気六ヶ敷い団長にすら、この上もなく可愛がられていたから、この陰惨な曲馬団の中でも、彼女だけは、充分幸福なように見えた。

 そして、勿論、この陰気な、醜い黒吉が、自分一挙一動を、舐めるように、見詰めているとは気づかなかったろう。

 黒吉自身は、彼女が、自分の事など、気にもかけていない、という事が「痛しかゆし」の気持だった。無論彼女

「こっちへいらっしゃいよ」

 とでも、声を掛けられたら、どんなに嬉しい事だろう。――しかし、その半面

「だらしがないのねエ、あんたなんか、大嫌いよ」

 といわれはしまいか、と思うと、彼女に話かけるどころか葉子が、何気なくこっちを見てさえ、

(俺を嗤うんじゃないか

 こうした感じが、脈管の中を、火のように逆流するのだ。それで、つと眼を伏せて仕舞う彼だった。

 黒吉は、自分でさえ、このひねくれた気持を知りながら、尚葉子への愛慕と伴に、どうしても、脱ぎ去る事が、出来なかった。

       ×

 思い出したように、賑やかなジンタが、「敷島マーチ」を一通り済ますと、続いて「カチウシャ」を始めた。フリュートの音が、ひょろひょろと蒼穹あおぞらに消えると、その合間合間に、乾からびた木戸番の「呼び込み」が、座員の心をも、何かそわそわさせるように、響いて来た。

「さあ、葉ちゃんの出番だよ」

「あら、もうあたしなの、いそがしいわ」

「いそいで、いそいで」

 葉子は周章あわててお煎餅せんべい一口齧かじると、衣裳部屋を飛出して行った。

 恰度、通り合せた黒吉は、ちらりとそれを見ると、何を思ったのか、その喰たべかけの煎餅を、そっと、いかにも大事そうに持って行った。

二ノ二

 葉子が、喰いかけて、抛り出して行った煎餅を、そっと、拾って来た黒吉は、座員達が、こってりと白粉を塗った顔を上気させながら、忙しそうに話し合っている所を、知らん顔して通り抜けると小屋の片隅の、座蒲団が山のように積上げられてある陰へ来た。

 黒吉は、経験で、舞台が始まると、こんなところには、滅多に人が来ない事を知っていた。

 それでも、注意深く、あたりに人気のないのを見澄ますと、こそこそと体を跼かがめながら、いまにも崩れそうに積上げられた座蒲団の隙間へ、潜り込んで行った。

 その隙間は、如何にも窮屈だったが、妙にぬくぬくとした弾力があって、何かなつかしいもののようであった。黒吉はやっと※ほっ[#「口+息」、16-9]とした落着きを味わいながら、あの煎餅のかけらを持ち迭かえると、それがさも大切な宝石でもあるかのように、そーっと手の掌ひらに載せて見た。

(これが、葉ちゃんの喰いかけだな)

 そう思うと、つい頬のゆるむ、嬉しさを感じた。……大事大事にとって置きたいような、……ぎゅっと抱締めたいような――。

 黒吉は、充分幸福を味わって、もう一遍沁々と、薄い光の中で、それを見詰めた。こうしてよくよく見ると、気の所為いか、その一かけの煎餅は、幾らか湿っているように思えた。

気をつけて、触ってみると、確かに、喰いかけのところが一寸湿っていた。

(葉ちゃんの唾つばきかな)

 黒吉の、小さい心臓は、この思わぬ、めっけものにガクガクと顫えた。

 彼は、いくら少年とはいえ、無論こんな一っかけの煎餅を、喰べたいばかりに、拾って来たのではなかった。黒吉には「葉子の喰べかけ」というところに、この煎餅が、幾カラットもあるダイヤモンドにも見えたのだ。

 しかし、触って見ると、このかけらは湿っている……

(葉ちゃんの唾だな)

 その瞬間、黒吉の頭には、衣裳部屋で、葉子が忙しそうにこの煎餅を咥くわえていた光景と、それにつづいてクロオズアップされた、彼女の、あの可愛い紅唇くちとが、アリアリと浮んだ。

 それと一緒に、彼は、思わずゴクンと、固い唾を飲んだ。

 黒吉は、妖しく眼を光らせながら、あたりを偸ぬすみ見ると、やがて、意を決したように、その葉子の唾液つばきで湿ったに違いない煎餅のかけらを、そっと唇に近づけた……。

(鹹しょっぱい――な)

 これは、勿論塩煎餅の味だったろう。だが、黒吉の手は、何故かぶるぶると顫えた。

 彼の少年らしくもない、深い陰影かげを持った顔は、何時か熱っぽく上気し、激しく心臓から投出される、血潮は、顳※(「需+頁」、第3水準1-94-6)こめかみをひくひくと波打たせていた。

 そして、もう手の掌に、べとべとと溶けて仕舞った、煎餅のかけらから、尚も「葉子の匂い」を嗅ぎ出そうと、総てを忘れて、ペロペロと舐め続けていた……。

「こらっ。何をしてるんだ、黒公」

 ハッと気がつくと、蒲団の山の向うから、源二郎爺の、怒りを含んだ怪訝な顔が、覗いていた。

「出番じゃねエか。愚図愚図してると、又ひどいぞ」

「ウン」

 黒吉は、瞬間、親方の顔を思い出して、ピョコンと飛起きた。そして、ベタベタと粘る手の掌を肉襦袢にこすりこすり、周章あわてて楽屋の方へ駈けて行った。

二ノ三

 黒吉は、命ぜられた、色々の曲芸をしながらも、頭の中は、いつも葉子の事で一杯だった。

(一度でいいから葉ちゃんと、沁々話したい)

 これが、彼の歪められた心に発生わいて来た、たった一つの望みだった。

 彼がもっと朗らかな、普通の子供であったならば、いつも同じ小屋にいる葉子だもの、そんな事は、造作なく実現したに違いない。

 しかし、それにしては、黒吉は、余りに陰気な、ひねくれた少年だった。――というのも、彼の暗い周囲がそうさせたのだが――。

 そして、早熟ませた葉子への執着が、堰せき切れなくなった時に彼が見つけたのは、あの煎餅のかけらが産んだ、恐ろしい恍惚エクスタシーだった。

 一度こうした排はけ口を見つけた、彼の心が、その儘止まる筈はなかった――寧ろ、津浪のようにその排け口に向って殺到して行ったのだ。

 彼は、そっと、人のいないのを見すまして、衣裳部屋に潜り込み、葉子の小ちっちゃい肉襦袢に、醜悪な顔を、埋うずめていた事もあった。

 その白粉の匂いと、体臭のむんむんする臭いが、彼自身眩暈めまいをさえ伴った、陶酔感を与えるのだ。

 そして、ふと、その肉襦袢に、葉子のオカッパの髪が、二三本ついていたのを見つけると、その大発見に狂喜しながら、注意ぶかく抓つまみ上げて、白い紙につつむと、あり合せの鉛筆で、

「葉子チャンノカミノケ」

 そんな文句を、下手糞な字で、たどたどしく書きつけ、もう一度、上から擦さすって見てから、それを、肌身深く蔵しまいこんで仕舞った……。

 こうした彼の悪癖が、益々慕って行った事は、その後、葉子の持ち物が、ちょいちょい失なくなるようになった事でも、充分想像が出来た。

 失くなるといっても、勿論たいした品物を、曲馬団の少女が、持っている訳はなかったから、もうすり減った、真黒く脂肪あぶら足の跡が附いた、下駄の一方だとか、毛の抜けて仕舞った竹の歯楊子ようじだとか、そういった、極く下らないものだった。それで、

(盗られた)

 という気持を、葉子自身ですら感じなかったのは、彼にとっては、もっけの幸いだった。しかしこれらの「下らない紛失物」が、黒吉にとって、どんなに貴重なものだったかは、また容易に想像出来るのだ。

 ――ここまでは、黒吉少年の心に醗酵した、侘わびしい(しか執拗な)彼一人だけの、胸の中の恋だった。

 だが、ここに葉子が、暴風雨あらしを伴奏にして、颯爽と、現実舞台へ、登場しようとしている。

       ×

 極東曲馬団は、町から町、盛り場から盛り場を、人々の眼を楽しませながら、流れ移っていた。

 そして、ある田舎町に敷地を借り、ようやく小屋掛けも終ったと殆んど同時に、朝から頸を傾かしげさせていた空模様が、一時に頽くずれて、大粒の雨が、無気味な風を含んで、ぽたりぽたり落ちて来たかと思うと、もう篠つくような豪雨に変っていた。

 団長等は、早々に、宿屋に引上げて仕舞ったが、子供の座員や、下っぱの座員などは、経費の関係で、いつも、この小屋に泊る事を言渡されていた。子供等の方では、これは当然だと思っていたし、又団長がいないという事で、却って喜んでいたようでもあった。

 しかし、この急拵えの小屋が、この沛然はいぜんと降る豪雨に、無事な筈はなく、雨漏りをさけて遁げ廻った末、やっと楽屋の隅で、ひと凝固かたまりになって、横になる事が出来たのは、もう大分夜が更けてからだった。

 黒吉は、眼をつぶって、ようやく小降りになって来たらしい、雨の音を聴いていると、もう肩を並べた隣りからは、幽かな寝息さえ聴えて来た。

 それと同時に、黒吉は、何かドキンとしたものを感じた。

(隣りに寝ているのは、葉ちゃんじゃないか――)

二ノ四

 瞬間、黒吉は自分の頭が、シーンと澄み透って行くのを感じた。

(果して、隣りで寝ているのは、葉ちゃんだろうか)

 それは勿論、第六感とでもいうのか、極く曖昧ものだった。が、あの騒ぎで、皆んな、ごたごたに寝て仕舞ったのだから全然あり得ない事でもないのだ。

 そう思うと、隣りと接した、肩の辺が、熱っぽく、暑苦しいようにさえ感じた。そして、心臓はその鼓動と伴に、胸の中、一杯に拡がって行った。

 黒吉は、思い切って、起上り、顔を覗き見たい衝動を感じた。あたりは真暗だが、よく気をつけて覗きこめば、顔の判別がつかぬ、という程でもないように思われた。

 彼は、そーっと、薄い蒲団の縁へりへ、手をかけた。だが――

(まてまて。葉ちゃんならば、こんなに素晴らしい事はない。けれども、こんなにぎっしり寝ている処で、ごそごそ起きたら、どうかすると、彼女は眼を覚ますかも知れない。

 それだけならいいが、眼を覚まして、俺が覗きこんでいた事を知ったら、きっと葉ちゃんは、真赤になって、この醜い俺を罵り、どこか遠くへ寝床をかえて仕舞うに違いないんだ。

 ――そんな莫迦な事をするより、例え短かくとも、夜が明けるまで、こうして葉ちゃんの、ふくよかな肩の感触を恣ほしいままにした方が、どれ程気が利いていることか……)

 黒吉の心の中の、内気な半面が、こう囁いた。

 彼は、蒲団にかけた手を、又静かに戻して仕舞うと、今度は、全身の注意を、細かに砕いて、彼女の方へぴったり、摺り寄って行った。そして、温もりに混った、彼女の穏やかな心臓の響きを、肩の辺に聴いていた……。

 フト、冷めたい風を感じて、何時の間にかつぶっていた眼を明けて見ると、あたりには極くうっすらと、光が射しているのに、気がついた。

(もう夜明けかな――いつの間に寝て仕舞ったんだろう)

 それと一緒に、思わずガクンと体の顫えるような、口惜くやしさに似た後悔を感じた。

(葉ちゃんは……)

 黒吉は、先ずそれが心懸りだったので、ぐっと頸を廻して隣りを確めようとした。

(おや……)

 彼の眼に這入ったのは、葉子より先きに、キンと澄み切った、尖った月の半分だった。

 急拵えの小屋天幕は、夕方の大暴風雨あらしに吹きまくられてぽっかり夜空に口を開け、恰度そこから、のり出すように月が覗き込み、地底のようにシンと澱んだ小屋の中に白々とした、絹糸のような、光を撒いているのだ。暴風雨あらしの後の月は物凄いまでに、冴え冴えとしていた。

(まだ夜中だ)

 黒吉は※ほ[#「口+息」、22-9]っと心配を排はき棄てた。

 彼の隣りには、葉子が、いかにも寝苦しそうに寝ていた。先刻さっきは、確かに葉子だ、とは断言出来なかったが、いまでは極く淡い光ではあったが、その中でも、段々眼の馴れるに従って、黒吉には、ハッキリ葉子の姿が、写って来た。

 黒吉は、意を決したように、半身を蒲団から抜出し、月の光を遮らないように――、音のしないように、そっと彼女の顔を覗きこんだ。

 眼の下には、月の光を受けて、いつもより蒼白く見える葉子の、幼い顔が、少しばかり口さえ開け、寝入っていた。もう少し月の光が強かったら、この房々としたオカッパの頭髪かみのけが黄金のように光るだろう――と思えた。

 又、襟足の洗いおとした白粉が、この幼い葉子の寝姿を少年の心にも、一入ひとしお可憐いじらしく見せていた。

 暫く、ぼんやりと、その夢のように霞んだ、葉子の顔を、見詰めていた黒吉は、ゴクンと固い唾を咽喉へ通すと、その薄く開かれた唇から、寝息でも聴こうとするのか、顔を次第次第に近附けて行った。

 何故か、彼の唇は、ガザガザに乾いていた。

 やがて、この弱々しい月光の下で、二つのさな頭の影が、一つになって仕舞うと、彼は、葉子の頬についている、小さい愛嬌黒子ぼくろが、自分の頬をも、凹へこますのを感じた。

二ノ五

 黒吉の、唇に感じた、葉子の唇の感触は、ぬくぬくとして弾力に富んだはんぺんのようだった。妙な連想だけれど、事実彼の経験では、これが一番よく似ていたのだ。

 唯、違った所――それは非常に違ったところがあるのだが――残念ながら、それをいい表わす言葉を知らなかった。

 彼は、そーっと腕の力を抜こうとした。途端に、肘の下の羽目板が、鈍い音を立てた。造作の悪い掛小屋なので、一寸した重みの加減でも、板が軋むのだ。シンとした周囲あたりと、針のように尖った、彼の神経に、それが幾層倍にも、拡大されて響き渡った。

 黒吉の心臓は、瞬間、ドキンと音がして止ったようだった。

「ク……」

 周章あわてて顔を上げた彼の眼の下で、葉子は、悪い夢でも見たのか、咽喉を鳴らすと、寝返りを打って、向うを向いて仕舞った。

(眼を覚ましたかな)

 黒吉は、思いきり息を深くしながら、葉子の墨のような、後向きの寝姿を、見守った。(いや、大丈夫だ)

 寝返りをした葉子は、幸い、眼を覚まさなかったと見えて、直ぐ又かすかな、寝息が、聴えて来た。

 彼は、ようやく※ほ[#「口+息」、24-4]っと、熱

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 辺鄙な、村はずれの丘には、いつの間にか、華やかな幕を沢山吊るした急拵ごしらえの小屋掛が出来て、極東曲馬団の名がかけられ、狂燥なジンタと、ヒョロヒョロと空気を伝わるフリュートの音に、村人は、老おいも若きも、しばし、強烈な色彩と音楽スリル享楽し、又、いつの間にか曲馬団が他へ流れて行っても、しばらくは、フト白い流れ雲の中に、少年少女の縊くびれた肢体を思い出すのである

 トテモ華やかな、その空気の中にも、やっぱり、小さな「悩める虫」がいるのだ。

一ノ二

莫迦ッ、そんな事が出来ねエのか、間抜けめ!」

 親方は、野卑な言葉で、そう呶鳴どなると、手に持った革の鞭で、床をビシビシ撲りつけながら、黒吉くろきちを、グッと睨みつけるのだった。

 まだいたいけな少年の黒吉は、恐ろしさにオドオドして、

「済みません、済みません」

 そんな事を、呟くようにいうと、ぼろぼろに裂けた肉襦袢じゅばんの、肩の辺を擦さすりながら、氷のように冷めたい床の上に、又無器用な体つきで、ゴロンゴロンと幾度も「逆立ち」を遣り直していた。

 饑ひもじさと、恐ろしさと、苦痛と、寒気と、そして他の座員の嘲笑とが、もう毎度の事だったが、黒吉の身の周りに、犇々ひしひしと迫って、思わずホロホロと滾こぼした血のような涙が、荒削りの床に、黒い斑点を残して、音もなく滲しみ込んで行った。

 ――ここは、極東曲馬団の楽屋裏だった。

 逆立ちの下手な、無器用な黒吉は、ここの少年座員なのだ

 鴉からす黒吉。というのが彼の名前だった。しかしこれは舞台だけの芸名か、それとも本当の名前か、恐らくこれは字面じづらから見て、親方が、勝手につけた名前に違いないが、本名となると彼自身は勿論の事、親方だってハッキリ知っているかどうかは疑わしいものだった。

 黒吉自身記憶といっては、極めてぼんやりしたものだったけれど、いたましい事には、それは何時も、この曲馬団の片隅の、衣裳戸棚から始まっていた。

 それで、彼がもの心のついた時からは、――彼の記憶が始まった時からは、いつも周囲には、悲壮ジンタと、くしゃくしゃになったあくどい色の衣裳と、そして、それらを罩こめた安白粉おしろいの匂いや、汗のしみた肉襦袢の、ムッとした嗅気が、重なり合って、色彩っていた。

 こうした頽廃的な雰囲気の中に、いつも絶えない、座員間の軋轢あつれきと、華やかな底に澱む、ひがんだ蒼黒い空気とは、幼い黒吉の心から、跡形もなく「朗らかさ」を毟むしり取って仕舞った。そして、あとに残った陰欝な、日陰の虫のような少年の心に、世の中というものを、一風変った方向からのみ、見詰めさせていた。

 彼は用のない時には、何時も、太い丸太が荒縄で、蜘蛛の巣のように、縦横無尽に張りまわされている薄暗い楽屋の隅で、何かぼんやりえこんでいた。それは少年らしくもない憂欝な、女々しい姿だった。

 黒吉は明かに、他の同輩の少年から

「オイ、こっちへこいよ」

 と声をかけられるのを恐れているように見えた。

 しかし、それは、単に彼の危惧に過ぎなかった。

 他の少年座員達は、誰も、この憂欝な顔をした、芸の不器用な、そして親方におぼえのよくない黒吉と、進んで遊ぼうというものはなかった。(それは恐ろしい団長への、気兼ねもあったろうが)寧ろ彼等は、黒吉の方からしかけても、決して色よい返事は、しないように思われた。

 結局、黒吉はそれをいい事にして、独りぽつねんと、小屋の隅に忘れられた儘、たった一つ、彼に残されたオアシスである他愛もない「空想」に耽っていた。

一ノ三

 憂欝な少年黒吉が、何を考えているのか。

 ――その前に、彼が、なぜ親方のおぼえが悪いのだろうかという事をいわなければならない。

 (それは、彼の憂欝性にも、重大な影響のある事だから

 黒吉は、どう見ても、親方の「お気に入り」とは思えなかった。それは、勿論彼が、芸の未熟な不器用だった事も、確かにその原因の、一つだったけれど、他の大きな原因は、彼が醜い容貌だ、という先天的な不運に、禍わざわいされていたのだった。

 男の子容貌が、そんなにも、幼い心を虐しいたげるものだろうか――。

 如何にも、舞台の上で生活するものにとって、顔の美醜は非常に大きなハンデキャップなのだ。彼の同輩の愛くるしい少年が、舞台で、どうしたはずみか、ストンと尻もちをついたとしたら、観客は

「まあ、可哀そうに……あら、赤くなって、こっちを見てるわ、まるで正美さんみたいね

 そういって可愛い美少年は、失敗をした為に、却って、観客の人気を得るのだ。けれど、それに引きかえて、醜い顔だちを持った黒吉が、舞台でそれと同じような失敗をしても、観客は、何の遠慮もなく、このぎこちない少年の未熟さを嘲笑うのだった。

 この観客にさえ嗤わらわれる黒吉は、勿論親方にとって、どんなに間抜けな、穀潰ごくつぶしに見えたかは充分想像が、出来るのだった。従って、黒吉に対する、親方仕打ちがどんなものだったかも――

(俺は芸が下手なんだ)

(俺は醜い男なんだ)

 薄暗い小屋の片隅で、独りぽつんと、考えこんでいる黒吉は、楽しい空想どころか、彼の幼い心には、この二つの子供らしくもない懊悩が、いつも吹き荒すさんでいるのだった。

 そして、それは彼の心の底へ、少年らしい甘えた気持を、ひた押しに内攻して仕舞って、彼を尚一層、陰気にする外、何んの役にもたたなかった。冷たい冷たい胸の中に、熱いものは、ただ一つ涙だけだった。

 こうした雰囲気の中に、閉じこめられた鴉黒吉が、真直に伸びる筈はなかった。

 ――そして、蒼白い「歪んだ心」を持った少年が、ここに一人生成されて行った。

 世の中の少年少女達が、喜々として、小学校に通い始めた頃だろうか。勿論黒吉には、そんな恵まれ生活は、遠く想像の外だった。

 しかし、この頃から黒吉は、同輩の幼い座員の中でも、少年少女とを、異った眼で見るようになって来た。

「何」という、ハッキリした相違はないのだが、女の子莫迦にされた時には、不思議男の子に罵られたような、憤りは感じなかったのだった。寧ろ、

(いっそ、あの手で打ぶたれたら……)

 と思うと、何かゾクゾクとした、喜びに似た気持を感じるのだ。

 これが何んであるか、黒吉は、次第に、その姿を、ハッキリ見るようになって来た。

一ノ四

 安白粉の匂いと、汗ばんだ体臭と、そして、ぺらぺらなあくどい色の衣裳が、雑巾のように、投げ散らかされた、この頽廃的な曲馬団の楽屋で、侮蔑の中に育てられた、陰気な少年の「歪んだ心」には、もうませた女の子への、不思議な執着が、ジクジクと燃えて来たのだ。

 ――そして、それを尚一層、駆立てるような、出来事が起った。

 それは、やっと敷地小屋掛けも済んで、いよいよ明日から公開、という前の日だった。

 団長は、例の通り、小六ヶ敷こむずかしい顔をして、小屋掛けの監督をしていたが、それが終って仕舞うと、さも「大仕事をした」というような顔をして、他のお気に入り幹部達と一緒に、何処か、遊びに出て行った。

 団長の遊びに行くのを、見送って仕舞うと、他の年かさな座員や、楽隊ジンタの係りの者なども、ようやくのびのびとして、思い思いの雑談に高笑いを立てていたが、剽軽者ひょうきんものの仙次が、自分の役であるピエロ舞台着を調べながら

「オイ、親父おやじが行ったぜ、俺の方も行こうか」

 恰度それが、合図でもあったかのように、急に話声が高くなった。

「ウン、たまには一杯やらなくちゃ……」

「ちえッ、たまには、とはよくもいいやがった。明日があるんだ、大丈夫か」

「ナーニ、少しはやらなくちゃ続かねエよ、いやなら止せよ」

「いやじゃねエよ」

ハハハ、五月蠅うるせえなア」

 と、如何にも嬉しそうに、がやがや喋りながら、それでも大急ぎで支度をして、町の中に開放されて行った。

 そして、何時か、このガランとした小屋の中には、蒲団ふとん係りの源二郎爺さんと、子供の座員だけが、ぽつんつんと取り残されていた。子供の座員は、外出を禁じられていた。それは勿論「脱走」に備えたものだった。その見張りの役が、今は老耄おいぼれて仕舞ったが、昔はこの一座を背負って立った源二郎爺じじいなのだ

 結局、幼い彼等は、小屋の中で、てんでに遊ぶより仕方がなかった。

 男の子男同志で、舞台を駈廻り、女の子は女らしく、固かたまって縄飛びをしていた。――そして、黒吉は、相変らず小屋の隅に、ぽつんと独りだった。

 しかし、何時になく、黒吉の眼は、何か一心に見詰めているようだ。

(この憂欝な、オドオドした少年が、一生懸命に見ているものは、何んだろう)

 誰でも、彼の平生を知っているものが、この様子に気付いたならば、一寸ちょっとをかしげたに相違ない。そして、何気なくこの少年視線を追って見たならば、或はハッと眼を伏せたかも知れないのだ。

 黒吉の恰度眼の前では、少女の座員たちが、簡単アッパッパを着て、縄飛びをしていた――。しかし彼の見ているのは、それではなかった。この少女達が、急いきおいよく自分の背丈せい位もある縄を飛んで、トンと下りると、その瞬間、簡単アッパッパスカートは、風を受けて乱れ、そこから覗くのは、ふっくりとした白い腿だった――。

(十やそこらの少年が、こんなものを、息を殺して見詰めているのだろうか――)

 そう考えると、極めて不快な感じの前に何か、寒む寒むとした、恐ろしさを覚えるのだ。

 しかし、尚そればかりではなかった。

 この憂欝な少年の心を、根柢から、グスグスとゆり動かした、あの「ふっくりとした白い腿」がたえまなく、彼の頭の中に、大きく渦を捲いて、押流れていた。

 やがて、その心の渦が、ようやく鎮まって来ると、その渦の中から、浮び上って来たのは、この一座の花形少女貴志田葉子きしだようこ」の顔だった。

 だが、それと同時に、黒吉は、いきなり打ち前倒のめされたような、劇しい不快な気持を、感じた。

(ちえッ、俺がいくらちゃんと遊ぼうったって、駄目だい。俺は芸が、下手くそなんだ。それに、あんな綺麗な葉ちゃんが、俺みたいな汚い子と遊んでくれるもんか……)

 だが、この少年の心の底へ、しっかり焼付られた、葉ちゃんへの、不思議な執着は、そんな事ぐらいでは、びくともしなかった。寧ろ

(駄目だ)

 と思えば思う程、余計に、いきなり大声で呶鳴ってみたいような焦燥を、いやが上にも煽立あおりたてているのだ。

 ――この頃から、彼のそぶりは、少しずつ変って来たようだった。それはよく気をつけて見たならば、相変らず小屋の片隅に、独りぽっちでいる黒吉の眼が、妙な光を持って来たのに、気がついたろう。そして、その時は彼の視線の先きに必ず幼い花形の、葉子が、愛くるしい姿をして飛廻っていたのだ。

 葉子は、まだ黒吉と同じように、十とう位だったが、顔は綺麗だし、芸は上手いし、自由小鳥のように朗らかで、あの気六ヶ敷い団長にすら、この上もなく可愛がられていたから、この陰惨な曲馬団の中でも、彼女だけは、充分幸福なように見えた。

 そして、勿論、この陰気な、醜い黒吉が、自分一挙一動を、舐めるように、見詰めているとは気づかなかったろう。

 黒吉自身は、彼女が、自分の事など、気にもかけていない、という事が「痛しかゆし」の気持だった。無論彼女

「こっちへいらっしゃいよ」

 とでも、声を掛けられたら、どんなに嬉しい事だろう。――しかし、その半面

「だらしがないのねエ、あんたなんか、大嫌いよ」

 といわれはしまいか、と思うと、彼女に話かけるどころか葉子が、何気なくこっちを見てさえ、

(俺を嗤うんじゃないか

 こうした感じが、脈管の中を、火のように逆流するのだ。それで、つと眼を伏せて仕舞う彼だった。

 黒吉は、自分でさえ、このひねくれた気持を知りながら、尚葉子への愛慕と伴に、どうしても、脱ぎ去る事が、出来なかった。

       ×

 思い出したように、賑やかなジンタが、「敷島マーチ」を一通り済ますと、続いて「カチウシャ」を始めた。フリュートの音が、ひょろひょろと蒼穹あおぞらに消えると、その合間合間に、乾からびた木戸番の「呼び込み」が、座員の心をも、何かそわそわさせるように、響いて来た。

「さあ、葉ちゃんの出番だよ」

「あら、もうあたしなの、いそがしいわ」

「いそいで、いそいで」

 葉子は周章あわててお煎餅せんべい一口齧かじると、衣裳部屋を飛出して行った。

 恰度、通り合せた黒吉は、ちらりとそれを見ると、何を思ったのか、その喰たべかけの煎餅を、そっと、いかにも大事そうに持って行った。

二ノ二

 葉子が、喰いかけて、抛り出して行った煎餅を、そっと、拾って来た黒吉は、座員達が、こってりと白粉を塗った顔を上気させながら、忙しそうに話し合っている所を、知らん顔して通り抜けると小屋の片隅の、座蒲団が山のように積上げられてある陰へ来た。

 黒吉は、経験で、舞台が始まると、こんなところには、滅多に人が来ない事を知っていた。

 それでも、注意深く、あたりに人気のないのを見澄ますと、こそこそと体を跼かがめながら、いまにも崩れそうに積上げられた座蒲団の隙間へ、潜り込んで行った。

 その隙間は、如何にも窮屈だったが、妙にぬくぬくとした弾力があって、何かなつかしいもののようであった。黒吉はやっと※ほっ[#「口+息」、16-9]とした落着きを味わいながら、あの煎餅のかけらを持ち迭かえると、それがさも大切な宝石でもあるかのように、そーっと手の掌ひらに載せて見た。

(これが、葉ちゃんの喰いかけだな)

 そう思うと、つい頬のゆるむ、嬉しさを感じた。……大事大事にとって置きたいような、……ぎゅっと抱締めたいような――。

 黒吉は、充分幸福を味わって、もう一遍沁々と、薄い光の中で、それを見詰めた。こうしてよくよく見ると、気の所為いか、その一かけの煎餅は、幾らか湿っているように思えた。

気をつけて、触ってみると、確かに、喰いかけのところが一寸湿っていた。

(葉ちゃんの唾つばきかな)

 黒吉の、小さい心臓は、この思わぬ、めっけものにガクガクと顫えた。

 彼は、いくら少年とはいえ、無論こんな一っかけの煎餅を、喰べたいばかりに、拾って来たのではなかった。黒吉には「葉子の喰べかけ」というところに、この煎餅が、幾カラットもあるダイヤモンドにも見えたのだ。

 しかし、触って見ると、このかけらは湿っている……

(葉ちゃんの唾だな)

 その瞬間、黒吉の頭には、衣裳部屋で、葉子が忙しそうにこの煎餅を咥くわえていた光景と、それにつづいてクロオズアップされた、彼女の、あの可愛い紅唇くちとが、アリアリと浮んだ。

 それと一緒に、彼は、思わずゴクンと、固い唾を飲んだ。

 黒吉は、妖しく眼を光らせながら、あたりを偸ぬすみ見ると、やがて、意を決したように、その葉子の唾液つばきで湿ったに違いない煎餅のかけらを、そっと唇に近づけた……。

(鹹しょっぱい――な)

 これは、勿論塩煎餅の味だったろう。だが、黒吉の手は、何故かぶるぶると顫えた。

 彼の少年らしくもない、深い陰影かげを持った顔は、何時か熱っぽく上気し、激しく心臓から投出される、血潮は、顳※(「需+頁」、第3水準1-94-6)こめかみをひくひくと波打たせていた。

 そして、もう手の掌に、べとべとと溶けて仕舞った、煎餅のかけらから、尚も「葉子の匂い」を嗅ぎ出そうと、総てを忘れて、ペロペロと舐め続けていた……。

「こらっ。何をしてるんだ、黒公」

 ハッと気がつくと、蒲団の山の向うから、源二郎爺の、怒りを含んだ怪訝な顔が、覗いていた。

「出番じゃねエか。愚図愚図してると、又ひどいぞ」

「ウン」

 黒吉は、瞬間、親方の顔を思い出して、ピョコンと飛起きた。そして、ベタベタと粘る手の掌を肉襦袢にこすりこすり、周章あわてて楽屋の方へ駈けて行った。

二ノ三

 黒吉は、命ぜられた、色々の曲芸をしながらも、頭の中は、いつも葉子の事で一杯だった。

(一度でいいから葉ちゃんと、沁々話したい)

 これが、彼の歪められた心に発生わいて来た、たった一つの望みだった。

 彼がもっと朗らかな、普通の子供であったならば、いつも同じ小屋にいる葉子だもの、そんな事は、造作なく実現したに違いない。

 しかし、それにしては、黒吉は、余りに陰気な、ひねくれた少年だった。――というのも、彼の暗い周囲がそうさせたのだが――。

 そして、早熟ませた葉子への執着が、堰せき切れなくなった時に彼が見つけたのは、あの煎餅のかけらが産んだ、恐ろしい恍惚エクスタシーだった。

 一度こうした排はけ口を見つけた、彼の心が、その儘止まる筈はなかった――寧ろ、津浪のようにその排け口に向って殺到して行ったのだ。

 彼は、そっと、人のいないのを見すまして、衣裳部屋に潜り込み、葉子の小ちっちゃい肉襦袢に、醜悪な顔を、埋うずめていた事もあった。

 その白粉の匂いと、体臭のむんむんする臭いが、彼自身眩暈めまいをさえ伴った、陶酔感を与えるのだ。

 そして、ふと、その肉襦袢に、葉子のオカッパの髪が、二三本ついていたのを見つけると、その大発見に狂喜しながら、注意ぶかく抓つまみ上げて、白い紙につつむと、あり合せの鉛筆で、

「葉子チャンノカミノケ」

 そんな文句を、下手糞な字で、たどたどしく書きつけ、もう一度、上から擦さすって見てから、それを、肌身深く蔵しまいこんで仕舞った……。

 こうした彼の悪癖が、益々慕って行った事は、その後、葉子の持ち物が、ちょいちょい失なくなるようになった事でも、充分想像が出来た。

 失くなるといっても、勿論たいした品物を、曲馬団の少女が、持っている訳はなかったから、もうすり減った、真黒く脂肪あぶら足の跡が附いた、下駄の一方だとか、毛の抜けて仕舞った竹の歯楊子ようじだとか、そういった、極く下らないものだった。それで、

(盗られた)

 という気持を、葉子自身ですら感じなかったのは、彼にとっては、もっけの幸いだった。しかしこれらの「下らない紛失物」が、黒吉にとって、どんなに貴重なものだったかは、また容易に想像出来るのだ。

 ――ここまでは、黒吉少年の心に醗酵した、侘わびしい(しか執拗な)彼一人だけの、胸の中の恋だった。

 だが、ここに葉子が、暴風雨あらしを伴奏にして、颯爽と、現実舞台へ、登場しようとしている。

       ×

 極東曲馬団は、町から町、盛り場から盛り場を、人々の眼を楽しませながら、流れ移っていた。

 そして、ある田舎町に敷地を借り、ようやく小屋掛けも終ったと殆んど同時に、朝から頸を傾かしげさせていた空模様が、一時に頽くずれて、大粒の雨が、無気味な風を含んで、ぽたりぽたり落ちて来たかと思うと、もう篠つくような豪雨に変っていた。

 団長等は、早々に、宿屋に引上げて仕舞ったが、子供の座員や、下っぱの座員などは、経費の関係で、いつも、この小屋に泊る事を言渡されていた。子供等の方では、これは当然だと思っていたし、又団長がいないという事で、却って喜んでいたようでもあった。

 しかし、この急拵えの小屋が、この沛然はいぜんと降る豪雨に、無事な筈はなく、雨漏りをさけて遁げ廻った末、やっと楽屋の隅で、ひと凝固かたまりになって、横になる事が出来たのは、もう大分夜が更けてからだった。

 黒吉は、眼をつぶって、ようやく小降りになって来たらしい、雨の音を聴いていると、もう肩を並べた隣りからは、幽かな寝息さえ聴えて来た。

 それと同時に、黒吉は、何かドキンとしたものを感じた。

(隣りに寝ているのは、葉ちゃんじゃないか――)

二ノ四

 瞬間、黒吉は自分の頭が、シーンと澄み透って行くのを感じた。

(果して、隣りで寝ているのは、葉ちゃんだろうか)

 それは勿論、第六感とでもいうのか、極く曖昧ものだった。が、あの騒ぎで、皆んな、ごたごたに寝て仕舞ったのだから全然あり得ない事でもないのだ。

 そう思うと、隣りと接した、肩の辺が、熱っぽく、暑苦しいようにさえ感じた。そして、心臓はその鼓動と伴に、胸の中、一杯に拡がって行った。

 黒吉は、思い切って、起上り、顔を覗き見たい衝動を感じた。あたりは真暗だが、よく気をつけて覗きこめば、顔の判別がつかぬ、という程でもないように思われた。

 彼は、そーっと、薄い蒲団の縁へりへ、手をかけた。だが――

(まてまて。葉ちゃんならば、こんなに素晴らしい事はない。けれども、こんなにぎっしり寝ている処で、ごそごそ起きたら、どうかすると、彼女は眼を覚ますかも知れない。

 それだけならいいが、眼を覚まして、俺が覗きこんでいた事を知ったら、きっと葉ちゃんは、真赤になって、この醜い俺を罵り、どこか遠くへ寝床をかえて仕舞うに違いないんだ。

 ――そんな莫迦な事をするより、例え短かくとも、夜が明けるまで、こうして葉ちゃんの、ふくよかな肩の感触を恣ほしいままにした方が、どれ程気が利いていることか……)

 黒吉の心の中の、内気な半面が、こう囁いた。

 彼は、蒲団にかけた手を、又静かに戻して仕舞うと、今度は、全身の注意を、細かに砕いて、彼女の方へぴったり、摺り寄って行った。そして、温もりに混った、彼女の穏やかな心臓の響きを、肩の辺に聴いていた……。

 フト、冷めたい風を感じて、何時の間にかつぶっていた眼を明けて見ると、あたりには極くうっすらと、光が射しているのに、気がついた。

(もう夜明けかな――いつの間に寝て仕舞ったんだろう)

 それと一緒に、思わずガクンと体の顫えるような、口惜くやしさに似た後悔を感じた。

(葉ちゃんは……)

 黒吉は、先ずそれが心懸りだったので、ぐっと頸を廻して隣りを確めようとした。

(おや……)

 彼の眼に這入ったのは、葉子より先きに、キンと澄み切った、尖った月の半分だった。

 急拵えの小屋天幕は、夕方の大暴風雨あらしに吹きまくられてぽっかり夜空に口を開け、恰度そこから、のり出すように月が覗き込み、地底のようにシンと澱んだ小屋の中に白々とした、絹糸のような、光を撒いているのだ。暴風雨あらしの後の月は物凄いまでに、冴え冴えとしていた。

(まだ夜中だ)

 黒吉は※ほ[#「口+息」、22-9]っと心配を排はき棄てた。

 彼の隣りには、葉子が、いかにも寝苦しそうに寝ていた。先刻さっきは、確かに葉子だ、とは断言出来なかったが、いまでは極く淡い光ではあったが、その中でも、段々眼の馴れるに従って、黒吉には、ハッキリ葉子の姿が、写って来た。

 黒吉は、意を決したように、半身を蒲団から抜出し、月の光を遮らないように――、音のしないように、そっと彼女の顔を覗きこんだ。

 眼の下には、月の光を受けて、いつもより蒼白く見える葉子の、幼い顔が、少しばかり口さえ開け、寝入っていた。もう少し月の光が強かったら、この房々としたオカッパの頭髪かみのけが黄金のように光るだろう――と思えた。

 又、襟足の洗いおとした白粉が、この幼い葉子の寝姿を少年の心にも、一入ひとしお可憐いじらしく見せていた。

 暫く、ぼんやりと、その夢のように霞んだ、葉子の顔を、見詰めていた黒吉は、ゴクンと固い唾を咽喉へ通すと、その薄く開かれた唇から、寝息でも聴こうとするのか、顔を次第次第に近附けて行った。

 何故か、彼の唇は、ガザガザに乾いていた。

 やがて、この弱々しい月光の下で、二つのさな頭の影が、一つになって仕舞うと、彼は、葉子の頬についている、小さい愛嬌黒子ぼくろが、自分の頬をも、凹へこますのを感じた。

二ノ五

 黒吉の、唇に感じた、葉子の唇の感触は、ぬくぬくとして弾力に富んだはんぺんのようだった。妙な連想だけれど、事実彼の経験では、これが一番よく似ていたのだ。

 唯、違った所――それは非常に違ったところがあるのだが――残念ながら、それをいい表わす言葉を知らなかった。

 彼は、そーっと腕の力を抜こうとした。途端に、肘の下の羽目板が、鈍い音を立てた。造作の悪い掛小屋なので、一寸した重みの加減でも、板が軋むのだ。シンとした周囲あたりと、針のように尖った、彼の神経に、それが幾層倍にも、拡大されて響き渡った。

 黒吉の心臓は、瞬間、ドキンと音がして止ったようだった。

「ク……」

 周章あわてて顔を上げた彼の眼の下で、葉子は、悪い夢でも見たのか、咽喉を鳴らすと、寝返りを打って、向うを向いて仕舞った。

(眼を覚ましたかな)

 黒吉は、思いきり息を深くしながら、葉子の墨のような、後向きの寝姿を、見守った。(いや、大丈夫だ)

 寝返りをした葉子は、幸い、眼を覚まさなかったと見えて、直ぐ又かすかな、寝息が、聴えて来た。

 彼は、ようやく※ほ[#「口+息」、24-4]っと、熱

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anond:20250708044816

 辺鄙な、村はずれの丘には、いつの間にか、華やかな幕を沢山吊るした急拵ごしらえの小屋掛が出来て、極東曲馬団の名がかけられ、狂燥なジンタと、ヒョロヒョロと空気を伝わるフリュートの音に、村人は、老おいも若きも、しばし、強烈な色彩と音楽スリル享楽し、又、いつの間にか曲馬団が他へ流れて行っても、しばらくは、フト白い流れ雲の中に、少年少女の縊くびれた肢体を思い出すのである

 トテモ華やかな、その空気の中にも、やっぱり、小さな「悩める虫」がいるのだ。

一ノ二

莫迦ッ、そんな事が出来ねエのか、間抜けめ!」

 親方は、野卑な言葉で、そう呶鳴どなると、手に持った革の鞭で、床をビシビシ撲りつけながら、黒吉くろきちを、グッと睨みつけるのだった。

 まだいたいけな少年の黒吉は、恐ろしさにオドオドして、

「済みません、済みません」

 そんな事を、呟くようにいうと、ぼろぼろに裂けた肉襦袢じゅばんの、肩の辺を擦さすりながら、氷のように冷めたい床の上に、又無器用な体つきで、ゴロンゴロンと幾度も「逆立ち」を遣り直していた。

 饑ひもじさと、恐ろしさと、苦痛と、寒気と、そして他の座員の嘲笑とが、もう毎度の事だったが、黒吉の身の周りに、犇々ひしひしと迫って、思わずホロホロと滾こぼした血のような涙が、荒削りの床に、黒い斑点を残して、音もなく滲しみ込んで行った。

 ――ここは、極東曲馬団の楽屋裏だった。

 逆立ちの下手な、無器用な黒吉は、ここの少年座員なのだ

 鴉からす黒吉。というのが彼の名前だった。しかしこれは舞台だけの芸名か、それとも本当の名前か、恐らくこれは字面じづらから見て、親方が、勝手につけた名前に違いないが、本名となると彼自身は勿論の事、親方だってハッキリ知っているかどうかは疑わしいものだった。

 黒吉自身記憶といっては、極めてぼんやりしたものだったけれど、いたましい事には、それは何時も、この曲馬団の片隅の、衣裳戸棚から始まっていた。

 それで、彼がもの心のついた時からは、――彼の記憶が始まった時からは、いつも周囲には、悲壮ジンタと、くしゃくしゃになったあくどい色の衣裳と、そして、それらを罩こめた安白粉おしろいの匂いや、汗のしみた肉襦袢の、ムッとした嗅気が、重なり合って、色彩っていた。

 こうした頽廃的な雰囲気の中に、いつも絶えない、座員間の軋轢あつれきと、華やかな底に澱む、ひがんだ蒼黒い空気とは、幼い黒吉の心から、跡形もなく「朗らかさ」を毟むしり取って仕舞った。そして、あとに残った陰欝な、日陰の虫のような少年の心に、世の中というものを、一風変った方向からのみ、見詰めさせていた。

 彼は用のない時には、何時も、太い丸太が荒縄で、蜘蛛の巣のように、縦横無尽に張りまわされている薄暗い楽屋の隅で、何かぼんやりえこんでいた。それは少年らしくもない憂欝な、女々しい姿だった。

 黒吉は明かに、他の同輩の少年から

「オイ、こっちへこいよ」

 と声をかけられるのを恐れているように見えた。

 しかし、それは、単に彼の危惧に過ぎなかった。

 他の少年座員達は、誰も、この憂欝な顔をした、芸の不器用な、そして親方におぼえのよくない黒吉と、進んで遊ぼうというものはなかった。(それは恐ろしい団長への、気兼ねもあったろうが)寧ろ彼等は、黒吉の方からしかけても、決して色よい返事は、しないように思われた。

 結局、黒吉はそれをいい事にして、独りぽつねんと、小屋の隅に忘れられた儘、たった一つ、彼に残されたオアシスである他愛もない「空想」に耽っていた。

一ノ三

 憂欝な少年黒吉が、何を考えているのか。

 ――その前に、彼が、なぜ親方のおぼえが悪いのだろうかという事をいわなければならない。

 (それは、彼の憂欝性にも、重大な影響のある事だから

 黒吉は、どう見ても、親方の「お気に入り」とは思えなかった。それは、勿論彼が、芸の未熟な不器用だった事も、確かにその原因の、一つだったけれど、他の大きな原因は、彼が醜い容貌だ、という先天的な不運に、禍わざわいされていたのだった。

 男の子容貌が、そんなにも、幼い心を虐しいたげるものだろうか――。

 如何にも、舞台の上で生活するものにとって、顔の美醜は非常に大きなハンデキャップなのだ。彼の同輩の愛くるしい少年が、舞台で、どうしたはずみか、ストンと尻もちをついたとしたら、観客は

「まあ、可哀そうに……あら、赤くなって、こっちを見てるわ、まるで正美さんみたいね

 そういって可愛い美少年は、失敗をした為に、却って、観客の人気を得るのだ。けれど、それに引きかえて、醜い顔だちを持った黒吉が、舞台でそれと同じような失敗をしても、観客は、何の遠慮もなく、このぎこちない少年の未熟さを嘲笑うのだった。

 この観客にさえ嗤わらわれる黒吉は、勿論親方にとって、どんなに間抜けな、穀潰ごくつぶしに見えたかは充分想像が、出来るのだった。従って、黒吉に対する、親方仕打ちがどんなものだったかも――

(俺は芸が下手なんだ)

(俺は醜い男なんだ)

 薄暗い小屋の片隅で、独りぽつんと、考えこんでいる黒吉は、楽しい空想どころか、彼の幼い心には、この二つの子供らしくもない懊悩が、いつも吹き荒すさんでいるのだった。

 そして、それは彼の心の底へ、少年らしい甘えた気持を、ひた押しに内攻して仕舞って、彼を尚一層、陰気にする外、何んの役にもたたなかった。冷たい冷たい胸の中に、熱いものは、ただ一つ涙だけだった。

 こうした雰囲気の中に、閉じこめられた鴉黒吉が、真直に伸びる筈はなかった。

 ――そして、蒼白い「歪んだ心」を持った少年が、ここに一人生成されて行った。

 世の中の少年少女達が、喜々として、小学校に通い始めた頃だろうか。勿論黒吉には、そんな恵まれ生活は、遠く想像の外だった。

 しかし、この頃から黒吉は、同輩の幼い座員の中でも、少年少女とを、異った眼で見るようになって来た。

「何」という、ハッキリした相違はないのだが、女の子莫迦にされた時には、不思議男の子に罵られたような、憤りは感じなかったのだった。寧ろ、

(いっそ、あの手で打ぶたれたら……)

 と思うと、何かゾクゾクとした、喜びに似た気持を感じるのだ。

 これが何んであるか、黒吉は、次第に、その姿を、ハッキリ見るようになって来た。

一ノ四

 安白粉の匂いと、汗ばんだ体臭と、そして、ぺらぺらなあくどい色の衣裳が、雑巾のように、投げ散らかされた、この頽廃的な曲馬団の楽屋で、侮蔑の中に育てられた、陰気な少年の「歪んだ心」には、もうませた女の子への、不思議な執着が、ジクジクと燃えて来たのだ。

 ――そして、それを尚一層、駆立てるような、出来事が起った。

 それは、やっと敷地小屋掛けも済んで、いよいよ明日から公開、という前の日だった。

 団長は、例の通り、小六ヶ敷こむずかしい顔をして、小屋掛けの監督をしていたが、それが終って仕舞うと、さも「大仕事をした」というような顔をして、他のお気に入り幹部達と一緒に、何処か、遊びに出て行った。

 団長の遊びに行くのを、見送って仕舞うと、他の年かさな座員や、楽隊ジンタの係りの者なども、ようやくのびのびとして、思い思いの雑談に高笑いを立てていたが、剽軽者ひょうきんものの仙次が、自分の役であるピエロ舞台着を調べながら

「オイ、親父おやじが行ったぜ、俺の方も行こうか」

 恰度それが、合図でもあったかのように、急に話声が高くなった。

「ウン、たまには一杯やらなくちゃ……」

「ちえッ、たまには、とはよくもいいやがった。明日があるんだ、大丈夫か」

「ナーニ、少しはやらなくちゃ続かねエよ、いやなら止せよ」

「いやじゃねエよ」

ハハハ、五月蠅うるせえなア」

 と、如何にも嬉しそうに、がやがや喋りながら、それでも大急ぎで支度をして、町の中に開放されて行った。

 そして、何時か、このガランとした小屋の中には、蒲団ふとん係りの源二郎爺さんと、子供の座員だけが、ぽつんつんと取り残されていた。子供の座員は、外出を禁じられていた。それは勿論「脱走」に備えたものだった。その見張りの役が、今は老耄おいぼれて仕舞ったが、昔はこの一座を背負って立った源二郎爺じじいなのだ

 結局、幼い彼等は、小屋の中で、てんでに遊ぶより仕方がなかった。

 男の子男同志で、舞台を駈廻り、女の子は女らしく、固かたまって縄飛びをしていた。――そして、黒吉は、相変らず小屋の隅に、ぽつんと独りだった。

 しかし、何時になく、黒吉の眼は、何か一心に見詰めているようだ。

(この憂欝な、オドオドした少年が、一生懸命に見ているものは、何んだろう)

 誰でも、彼の平生を知っているものが、この様子に気付いたならば、一寸ちょっとをかしげたに相違ない。そして、何気なくこの少年視線を追って見たならば、或はハッと眼を伏せたかも知れないのだ。

 黒吉の恰度眼の前では、少女の座員たちが、簡単アッパッパを着て、縄飛びをしていた――。しかし彼の見ているのは、それではなかった。この少女達が、急いきおいよく自分の背丈せい位もある縄を飛んで、トンと下りると、その瞬間、簡単アッパッパスカートは、風を受けて乱れ、そこから覗くのは、ふっくりとした白い腿だった――。

(十やそこらの少年が、こんなものを、息を殺して見詰めているのだろうか――)

 そう考えると、極めて不快な感じの前に何か、寒む寒むとした、恐ろしさを覚えるのだ。

 しかし、尚そればかりではなかった。

 この憂欝な少年の心を、根柢から、グスグスとゆり動かした、あの「ふっくりとした白い腿」がたえまなく、彼の頭の中に、大きく渦を捲いて、押流れていた。

 やがて、その心の渦が、ようやく鎮まって来ると、その渦の中から、浮び上って来たのは、この一座の花形少女貴志田葉子きしだようこ」の顔だった。

 だが、それと同時に、黒吉は、いきなり打ち前倒のめされたような、劇しい不快な気持を、感じた。

(ちえッ、俺がいくらちゃんと遊ぼうったって、駄目だい。俺は芸が、下手くそなんだ。それに、あんな綺麗な葉ちゃんが、俺みたいな汚い子と遊んでくれるもんか……)

 だが、この少年の心の底へ、しっかり焼付られた、葉ちゃんへの、不思議な執着は、そんな事ぐらいでは、びくともしなかった。寧ろ

(駄目だ)

 と思えば思う程、余計に、いきなり大声で呶鳴ってみたいような焦燥を、いやが上にも煽立あおりたてているのだ。

 ――この頃から、彼のそぶりは、少しずつ変って来たようだった。それはよく気をつけて見たならば、相変らず小屋の片隅に、独りぽっちでいる黒吉の眼が、妙な光を持って来たのに、気がついたろう。そして、その時は彼の視線の先きに必ず幼い花形の、葉子が、愛くるしい姿をして飛廻っていたのだ。

 葉子は、まだ黒吉と同じように、十とう位だったが、顔は綺麗だし、芸は上手いし、自由小鳥のように朗らかで、あの気六ヶ敷い団長にすら、この上もなく可愛がられていたから、この陰惨な曲馬団の中でも、彼女だけは、充分幸福なように見えた。

 そして、勿論、この陰気な、醜い黒吉が、自分一挙一動を、舐めるように、見詰めているとは気づかなかったろう。

 黒吉自身は、彼女が、自分の事など、気にもかけていない、という事が「痛しかゆし」の気持だった。無論彼女

「こっちへいらっしゃいよ」

 とでも、声を掛けられたら、どんなに嬉しい事だろう。――しかし、その半面

「だらしがないのねエ、あんたなんか、大嫌いよ」

 といわれはしまいか、と思うと、彼女に話かけるどころか葉子が、何気なくこっちを見てさえ、

(俺を嗤うんじゃないか

 こうした感じが、脈管の中を、火のように逆流するのだ。それで、つと眼を伏せて仕舞う彼だった。

 黒吉は、自分でさえ、このひねくれた気持を知りながら、尚葉子への愛慕と伴に、どうしても、脱ぎ去る事が、出来なかった。

       ×

 思い出したように、賑やかなジンタが、「敷島マーチ」を一通り済ますと、続いて「カチウシャ」を始めた。フリュートの音が、ひょろひょろと蒼穹あおぞらに消えると、その合間合間に、乾からびた木戸番の「呼び込み」が、座員の心をも、何かそわそわさせるように、響いて来た。

「さあ、葉ちゃんの出番だよ」

「あら、もうあたしなの、いそがしいわ」

「いそいで、いそいで」

 葉子は周章あわててお煎餅せんべい一口齧かじると、衣裳部屋を飛出して行った。

 恰度、通り合せた黒吉は、ちらりとそれを見ると、何を思ったのか、その喰たべかけの煎餅を、そっと、いかにも大事そうに持って行った。

二ノ二

 葉子が、喰いかけて、抛り出して行った煎餅を、そっと、拾って来た黒吉は、座員達が、こってりと白粉を塗った顔を上気させながら、忙しそうに話し合っている所を、知らん顔して通り抜けると小屋の片隅の、座蒲団が山のように積上げられてある陰へ来た。

 黒吉は、経験で、舞台が始まると、こんなところには、滅多に人が来ない事を知っていた。

 それでも、注意深く、あたりに人気のないのを見澄ますと、こそこそと体を跼かがめながら、いまにも崩れそうに積上げられた座蒲団の隙間へ、潜り込んで行った。

 その隙間は、如何にも窮屈だったが、妙にぬくぬくとした弾力があって、何かなつかしいもののようであった。黒吉はやっと※ほっ[#「口+息」、16-9]とした落着きを味わいながら、あの煎餅のかけらを持ち迭かえると、それがさも大切な宝石でもあるかのように、そーっと手の掌ひらに載せて見た。

(これが、葉ちゃんの喰いかけだな)

 そう思うと、つい頬のゆるむ、嬉しさを感じた。……大事大事にとって置きたいような、……ぎゅっと抱締めたいような――。

 黒吉は、充分幸福を味わって、もう一遍沁々と、薄い光の中で、それを見詰めた。こうしてよくよく見ると、気の所為いか、その一かけの煎餅は、幾らか湿っているように思えた。

気をつけて、触ってみると、確かに、喰いかけのところが一寸湿っていた。

(葉ちゃんの唾つばきかな)

 黒吉の、小さい心臓は、この思わぬ、めっけものにガクガクと顫えた。

 彼は、いくら少年とはいえ、無論こんな一っかけの煎餅を、喰べたいばかりに、拾って来たのではなかった。黒吉には「葉子の喰べかけ」というところに、この煎餅が、幾カラットもあるダイヤモンドにも見えたのだ。

 しかし、触って見ると、このかけらは湿っている……

(葉ちゃんの唾だな)

 その瞬間、黒吉の頭には、衣裳部屋で、葉子が忙しそうにこの煎餅を咥くわえていた光景と、それにつづいてクロオズアップされた、彼女の、あの可愛い紅唇くちとが、アリアリと浮んだ。

 それと一緒に、彼は、思わずゴクンと、固い唾を飲んだ。

 黒吉は、妖しく眼を光らせながら、あたりを偸ぬすみ見ると、やがて、意を決したように、その葉子の唾液つばきで湿ったに違いない煎餅のかけらを、そっと唇に近づけた……。

(鹹しょっぱい――な)

 これは、勿論塩煎餅の味だったろう。だが、黒吉の手は、何故かぶるぶると顫えた。

 彼の少年らしくもない、深い陰影かげを持った顔は、何時か熱っぽく上気し、激しく心臓から投出される、血潮は、顳※(「需+頁」、第3水準1-94-6)こめかみをひくひくと波打たせていた。

 そして、もう手の掌に、べとべとと溶けて仕舞った、煎餅のかけらから、尚も「葉子の匂い」を嗅ぎ出そうと、総てを忘れて、ペロペロと舐め続けていた……。

「こらっ。何をしてるんだ、黒公」

 ハッと気がつくと、蒲団の山の向うから、源二郎爺の、怒りを含んだ怪訝な顔が、覗いていた。

「出番じゃねエか。愚図愚図してると、又ひどいぞ」

「ウン」

 黒吉は、瞬間、親方の顔を思い出して、ピョコンと飛起きた。そして、ベタベタと粘る手の掌を肉襦袢にこすりこすり、周章あわてて楽屋の方へ駈けて行った。

二ノ三

 黒吉は、命ぜられた、色々の曲芸をしながらも、頭の中は、いつも葉子の事で一杯だった。

(一度でいいから葉ちゃんと、沁々話したい)

 これが、彼の歪められた心に発生わいて来た、たった一つの望みだった。

 彼がもっと朗らかな、普通の子供であったならば、いつも同じ小屋にいる葉子だもの、そんな事は、造作なく実現したに違いない。

 しかし、それにしては、黒吉は、余りに陰気な、ひねくれた少年だった。――というのも、彼の暗い周囲がそうさせたのだが――。

 そして、早熟ませた葉子への執着が、堰せき切れなくなった時に彼が見つけたのは、あの煎餅のかけらが産んだ、恐ろしい恍惚エクスタシーだった。

 一度こうした排はけ口を見つけた、彼の心が、その儘止まる筈はなかった――寧ろ、津浪のようにその排け口に向って殺到して行ったのだ。

 彼は、そっと、人のいないのを見すまして、衣裳部屋に潜り込み、葉子の小ちっちゃい肉襦袢に、醜悪な顔を、埋うずめていた事もあった。

 その白粉の匂いと、体臭のむんむんする臭いが、彼自身眩暈めまいをさえ伴った、陶酔感を与えるのだ。

 そして、ふと、その肉襦袢に、葉子のオカッパの髪が、二三本ついていたのを見つけると、その大発見に狂喜しながら、注意ぶかく抓つまみ上げて、白い紙につつむと、あり合せの鉛筆で、

「葉子チャンノカミノケ」

 そんな文句を、下手糞な字で、たどたどしく書きつけ、もう一度、上から擦さすって見てから、それを、肌身深く蔵しまいこんで仕舞った……。

 こうした彼の悪癖が、益々慕って行った事は、その後、葉子の持ち物が、ちょいちょい失なくなるようになった事でも、充分想像が出来た。

 失くなるといっても、勿論たいした品物を、曲馬団の少女が、持っている訳はなかったから、もうすり減った、真黒く脂肪あぶら足の跡が附いた、下駄の一方だとか、毛の抜けて仕舞った竹の歯楊子ようじだとか、そういった、極く下らないものだった。それで、

(盗られた)

 という気持を、葉子自身ですら感じなかったのは、彼にとっては、もっけの幸いだった。しかしこれらの「下らない紛失物」が、黒吉にとって、どんなに貴重なものだったかは、また容易に想像出来るのだ。

 ――ここまでは、黒吉少年の心に醗酵した、侘わびしい(しか執拗な)彼一人だけの、胸の中の恋だった。

 だが、ここに葉子が、暴風雨あらしを伴奏にして、颯爽と、現実舞台へ、登場しようとしている。

       ×

 極東曲馬団は、町から町、盛り場から盛り場を、人々の眼を楽しませながら、流れ移っていた。

 そして、ある田舎町に敷地を借り、ようやく小屋掛けも終ったと殆んど同時に、朝から頸を傾かしげさせていた空模様が、一時に頽くずれて、大粒の雨が、無気味な風を含んで、ぽたりぽたり落ちて来たかと思うと、もう篠つくような豪雨に変っていた。

 団長等は、早々に、宿屋に引上げて仕舞ったが、子供の座員や、下っぱの座員などは、経費の関係で、いつも、この小屋に泊る事を言渡されていた。子供等の方では、これは当然だと思っていたし、又団長がいないという事で、却って喜んでいたようでもあった。

 しかし、この急拵えの小屋が、この沛然はいぜんと降る豪雨に、無事な筈はなく、雨漏りをさけて遁げ廻った末、やっと楽屋の隅で、ひと凝固かたまりになって、横になる事が出来たのは、もう大分夜が更けてからだった。

 黒吉は、眼をつぶって、ようやく小降りになって来たらしい、雨の音を聴いていると、もう肩を並べた隣りからは、幽かな寝息さえ聴えて来た。

 それと同時に、黒吉は、何かドキンとしたものを感じた。

(隣りに寝ているのは、葉ちゃんじゃないか――)

二ノ四

 瞬間、黒吉は自分の頭が、シーンと澄み透って行くのを感じた。

(果して、隣りで寝ているのは、葉ちゃんだろうか)

 それは勿論、第六感とでもいうのか、極く曖昧ものだった。が、あの騒ぎで、皆んな、ごたごたに寝て仕舞ったのだから全然あり得ない事でもないのだ。

 そう思うと、隣りと接した、肩の辺が、熱っぽく、暑苦しいようにさえ感じた。そして、心臓はその鼓動と伴に、胸の中、一杯に拡がって行った。

 黒吉は、思い切って、起上り、顔を覗き見たい衝動を感じた。あたりは真暗だが、よく気をつけて覗きこめば、顔の判別がつかぬ、という程でもないように思われた。

 彼は、そーっと、薄い蒲団の縁へりへ、手をかけた。だが――

(まてまて。葉ちゃんならば、こんなに素晴らしい事はない。けれども、こんなにぎっしり寝ている処で、ごそごそ起きたら、どうかすると、彼女は眼を覚ますかも知れない。

 それだけならいいが、眼を覚まして、俺が覗きこんでいた事を知ったら、きっと葉ちゃんは、真赤になって、この醜い俺を罵り、どこか遠くへ寝床をかえて仕舞うに違いないんだ。

 ――そんな莫迦な事をするより、例え短かくとも、夜が明けるまで、こうして葉ちゃんの、ふくよかな肩の感触を恣ほしいままにした方が、どれ程気が利いていることか……)

 黒吉の心の中の、内気な半面が、こう囁いた。

 彼は、蒲団にかけた手を、又静かに戻して仕舞うと、今度は、全身の注意を、細かに砕いて、彼女の方へぴったり、摺り寄って行った。そして、温もりに混った、彼女の穏やかな心臓の響きを、肩の辺に聴いていた……。

 フト、冷めたい風を感じて、何時の間にかつぶっていた眼を明けて見ると、あたりには極くうっすらと、光が射しているのに、気がついた。

(もう夜明けかな――いつの間に寝て仕舞ったんだろう)

 それと一緒に、思わずガクンと体の顫えるような、口惜くやしさに似た後悔を感じた。

(葉ちゃんは……)

 黒吉は、先ずそれが心懸りだったので、ぐっと頸を廻して隣りを確めようとした。

(おや……)

 彼の眼に這入ったのは、葉子より先きに、キンと澄み切った、尖った月の半分だった。

 急拵えの小屋天幕は、夕方の大暴風雨あらしに吹きまくられてぽっかり夜空に口を開け、恰度そこから、のり出すように月が覗き込み、地底のようにシンと澱んだ小屋の中に白々とした、絹糸のような、光を撒いているのだ。暴風雨あらしの後の月は物凄いまでに、冴え冴えとしていた。

(まだ夜中だ)

 黒吉は※ほ[#「口+息」、22-9]っと心配を排はき棄てた。

 彼の隣りには、葉子が、いかにも寝苦しそうに寝ていた。先刻さっきは、確かに葉子だ、とは断言出来なかったが、いまでは極く淡い光ではあったが、その中でも、段々眼の馴れるに従って、黒吉には、ハッキリ葉子の姿が、写って来た。

 黒吉は、意を決したように、半身を蒲団から抜出し、月の光を遮らないように――、音のしないように、そっと彼女の顔を覗きこんだ。

 眼の下には、月の光を受けて、いつもより蒼白く見える葉子の、幼い顔が、少しばかり口さえ開け、寝入っていた。もう少し月の光が強かったら、この房々としたオカッパの頭髪かみのけが黄金のように光るだろう――と思えた。

 又、襟足の洗いおとした白粉が、この幼い葉子の寝姿を少年の心にも、一入ひとしお可憐いじらしく見せていた。

 暫く、ぼんやりと、その夢のように霞んだ、葉子の顔を、見詰めていた黒吉は、ゴクンと固い唾を咽喉へ通すと、その薄く開かれた唇から、寝息でも聴こうとするのか、顔を次第次第に近附けて行った。

 何故か、彼の唇は、ガザガザに乾いていた。

 やがて、この弱々しい月光の下で、二つのさな頭の影が、一つになって仕舞うと、彼は、葉子の頬についている、小さい愛嬌黒子ぼくろが、自分の頬をも、凹へこますのを感じた。

二ノ五

 黒吉の、唇に感じた、葉子の唇の感触は、ぬくぬくとして弾力に富んだはんぺんのようだった。妙な連想だけれど、事実彼の経験では、これが一番よく似ていたのだ。

 唯、違った所――それは非常に違ったところがあるのだが――残念ながら、それをいい表わす言葉を知らなかった。

 彼は、そーっと腕の力を抜こうとした。途端に、肘の下の羽目板が、鈍い音を立てた。造作の悪い掛小屋なので、一寸した重みの加減でも、板が軋むのだ。シンとした周囲あたりと、針のように尖った、彼の神経に、それが幾層倍にも、拡大されて響き渡った。

 黒吉の心臓は、瞬間、ドキンと音がして止ったようだった。

「ク……」

 周章あわてて顔を上げた彼の眼の下で、葉子は、悪い夢でも見たのか、咽喉を鳴らすと、寝返りを打って、向うを向いて仕舞った。

(眼を覚ましたかな)

 黒吉は、思いきり息を深くしながら、葉子の墨のような、後向きの寝姿を、見守った。(いや、大丈夫だ)

 寝返りをした葉子は、幸い、眼を覚まさなかったと見えて、直ぐ又かすかな、寝息が、聴えて来た。

 彼は、ようやく※ほ[#「口+息」、24-4]っと、熱

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anond:20250708044816

 辺鄙な、村はずれの丘には、いつの間にか、華やかな幕を沢山吊るした急拵ごしらえの小屋掛が出来て、極東曲馬団の名がかけられ、狂燥なジンタと、ヒョロヒョロと空気を伝わるフリュートの音に、村人は、老おいも若きも、しばし、強烈な色彩と音楽スリル享楽し、又、いつの間にか曲馬団が他へ流れて行っても、しばらくは、フト白い流れ雲の中に、少年少女の縊くびれた肢体を思い出すのである

 トテモ華やかな、その空気の中にも、やっぱり、小さな「悩める虫」がいるのだ。

一ノ二

莫迦ッ、そんな事が出来ねエのか、間抜けめ!」

 親方は、野卑な言葉で、そう呶鳴どなると、手に持った革の鞭で、床をビシビシ撲りつけながら、黒吉くろきちを、グッと睨みつけるのだった。

 まだいたいけな少年の黒吉は、恐ろしさにオドオドして、

「済みません、済みません」

 そんな事を、呟くようにいうと、ぼろぼろに裂けた肉襦袢じゅばんの、肩の辺を擦さすりながら、氷のように冷めたい床の上に、又無器用な体つきで、ゴロンゴロンと幾度も「逆立ち」を遣り直していた。

 饑ひもじさと、恐ろしさと、苦痛と、寒気と、そして他の座員の嘲笑とが、もう毎度の事だったが、黒吉の身の周りに、犇々ひしひしと迫って、思わずホロホロと滾こぼした血のような涙が、荒削りの床に、黒い斑点を残して、音もなく滲しみ込んで行った。

 ――ここは、極東曲馬団の楽屋裏だった。

 逆立ちの下手な、無器用な黒吉は、ここの少年座員なのだ

 鴉からす黒吉。というのが彼の名前だった。しかしこれは舞台だけの芸名か、それとも本当の名前か、恐らくこれは字面じづらから見て、親方が、勝手につけた名前に違いないが、本名となると彼自身は勿論の事、親方だってハッキリ知っているかどうかは疑わしいものだった。

 黒吉自身記憶といっては、極めてぼんやりしたものだったけれど、いたましい事には、それは何時も、この曲馬団の片隅の、衣裳戸棚から始まっていた。

 それで、彼がもの心のついた時からは、――彼の記憶が始まった時からは、いつも周囲には、悲壮ジンタと、くしゃくしゃになったあくどい色の衣裳と、そして、それらを罩こめた安白粉おしろいの匂いや、汗のしみた肉襦袢の、ムッとした嗅気が、重なり合って、色彩っていた。

 こうした頽廃的な雰囲気の中に、いつも絶えない、座員間の軋轢あつれきと、華やかな底に澱む、ひがんだ蒼黒い空気とは、幼い黒吉の心から、跡形もなく「朗らかさ」を毟むしり取って仕舞った。そして、あとに残った陰欝な、日陰の虫のような少年の心に、世の中というものを、一風変った方向からのみ、見詰めさせていた。

 彼は用のない時には、何時も、太い丸太が荒縄で、蜘蛛の巣のように、縦横無尽に張りまわされている薄暗い楽屋の隅で、何かぼんやりえこんでいた。それは少年らしくもない憂欝な、女々しい姿だった。

 黒吉は明かに、他の同輩の少年から

「オイ、こっちへこいよ」

 と声をかけられるのを恐れているように見えた。

 しかし、それは、単に彼の危惧に過ぎなかった。

 他の少年座員達は、誰も、この憂欝な顔をした、芸の不器用な、そして親方におぼえのよくない黒吉と、進んで遊ぼうというものはなかった。(それは恐ろしい団長への、気兼ねもあったろうが)寧ろ彼等は、黒吉の方からしかけても、決して色よい返事は、しないように思われた。

 結局、黒吉はそれをいい事にして、独りぽつねんと、小屋の隅に忘れられた儘、たった一つ、彼に残されたオアシスである他愛もない「空想」に耽っていた。

一ノ三

 憂欝な少年黒吉が、何を考えているのか。

 ――その前に、彼が、なぜ親方のおぼえが悪いのだろうかという事をいわなければならない。

 (それは、彼の憂欝性にも、重大な影響のある事だから

 黒吉は、どう見ても、親方の「お気に入り」とは思えなかった。それは、勿論彼が、芸の未熟な不器用だった事も、確かにその原因の、一つだったけれど、他の大きな原因は、彼が醜い容貌だ、という先天的な不運に、禍わざわいされていたのだった。

 男の子容貌が、そんなにも、幼い心を虐しいたげるものだろうか――。

 如何にも、舞台の上で生活するものにとって、顔の美醜は非常に大きなハンデキャップなのだ。彼の同輩の愛くるしい少年が、舞台で、どうしたはずみか、ストンと尻もちをついたとしたら、観客は

「まあ、可哀そうに……あら、赤くなって、こっちを見てるわ、まるで正美さんみたいね

 そういって可愛い美少年は、失敗をした為に、却って、観客の人気を得るのだ。けれど、それに引きかえて、醜い顔だちを持った黒吉が、舞台でそれと同じような失敗をしても、観客は、何の遠慮もなく、このぎこちない少年の未熟さを嘲笑うのだった。

 この観客にさえ嗤わらわれる黒吉は、勿論親方にとって、どんなに間抜けな、穀潰ごくつぶしに見えたかは充分想像が、出来るのだった。従って、黒吉に対する、親方仕打ちがどんなものだったかも――

(俺は芸が下手なんだ)

(俺は醜い男なんだ)

 薄暗い小屋の片隅で、独りぽつんと、考えこんでいる黒吉は、楽しい空想どころか、彼の幼い心には、この二つの子供らしくもない懊悩が、いつも吹き荒すさんでいるのだった。

 そして、それは彼の心の底へ、少年らしい甘えた気持を、ひた押しに内攻して仕舞って、彼を尚一層、陰気にする外、何んの役にもたたなかった。冷たい冷たい胸の中に、熱いものは、ただ一つ涙だけだった。

 こうした雰囲気の中に、閉じこめられた鴉黒吉が、真直に伸びる筈はなかった。

 ――そして、蒼白い「歪んだ心」を持った少年が、ここに一人生成されて行った。

 世の中の少年少女達が、喜々として、小学校に通い始めた頃だろうか。勿論黒吉には、そんな恵まれ生活は、遠く想像の外だった。

 しかし、この頃から黒吉は、同輩の幼い座員の中でも、少年少女とを、異った眼で見るようになって来た。

「何」という、ハッキリした相違はないのだが、女の子莫迦にされた時には、不思議男の子に罵られたような、憤りは感じなかったのだった。寧ろ、

(いっそ、あの手で打ぶたれたら……)

 と思うと、何かゾクゾクとした、喜びに似た気持を感じるのだ。

 これが何んであるか、黒吉は、次第に、その姿を、ハッキリ見るようになって来た。

一ノ四

 安白粉の匂いと、汗ばんだ体臭と、そして、ぺらぺらなあくどい色の衣裳が、雑巾のように、投げ散らかされた、この頽廃的な曲馬団の楽屋で、侮蔑の中に育てられた、陰気な少年の「歪んだ心」には、もうませた女の子への、不思議な執着が、ジクジクと燃えて来たのだ。

 ――そして、それを尚一層、駆立てるような、出来事が起った。

 それは、やっと敷地小屋掛けも済んで、いよいよ明日から公開、という前の日だった。

 団長は、例の通り、小六ヶ敷こむずかしい顔をして、小屋掛けの監督をしていたが、それが終って仕舞うと、さも「大仕事をした」というような顔をして、他のお気に入り幹部達と一緒に、何処か、遊びに出て行った。

 団長の遊びに行くのを、見送って仕舞うと、他の年かさな座員や、楽隊ジンタの係りの者なども、ようやくのびのびとして、思い思いの雑談に高笑いを立てていたが、剽軽者ひょうきんものの仙次が、自分の役であるピエロ舞台着を調べながら

「オイ、親父おやじが行ったぜ、俺の方も行こうか」

 恰度それが、合図でもあったかのように、急に話声が高くなった。

「ウン、たまには一杯やらなくちゃ……」

「ちえッ、たまには、とはよくもいいやがった。明日があるんだ、大丈夫か」

「ナーニ、少しはやらなくちゃ続かねエよ、いやなら止せよ」

「いやじゃねエよ」

ハハハ、五月蠅うるせえなア」

 と、如何にも嬉しそうに、がやがや喋りながら、それでも大急ぎで支度をして、町の中に開放されて行った。

 そして、何時か、このガランとした小屋の中には、蒲団ふとん係りの源二郎爺さんと、子供の座員だけが、ぽつんつんと取り残されていた。子供の座員は、外出を禁じられていた。それは勿論「脱走」に備えたものだった。その見張りの役が、今は老耄おいぼれて仕舞ったが、昔はこの一座を背負って立った源二郎爺じじいなのだ

 結局、幼い彼等は、小屋の中で、てんでに遊ぶより仕方がなかった。

 男の子男同志で、舞台を駈廻り、女の子は女らしく、固かたまって縄飛びをしていた。――そして、黒吉は、相変らず小屋の隅に、ぽつんと独りだった。

 しかし、何時になく、黒吉の眼は、何か一心に見詰めているようだ。

(この憂欝な、オドオドした少年が、一生懸命に見ているものは、何んだろう)

 誰でも、彼の平生を知っているものが、この様子に気付いたならば、一寸ちょっとをかしげたに相違ない。そして、何気なくこの少年視線を追って見たならば、或はハッと眼を伏せたかも知れないのだ。

 黒吉の恰度眼の前では、少女の座員たちが、簡単アッパッパを着て、縄飛びをしていた――。しかし彼の見ているのは、それではなかった。この少女達が、急いきおいよく自分の背丈せい位もある縄を飛んで、トンと下りると、その瞬間、簡単アッパッパスカートは、風を受けて乱れ、そこから覗くのは、ふっくりとした白い腿だった――。

(十やそこらの少年が、こんなものを、息を殺して見詰めているのだろうか――)

 そう考えると、極めて不快な感じの前に何か、寒む寒むとした、恐ろしさを覚えるのだ。

 しかし、尚そればかりではなかった。

 この憂欝な少年の心を、根柢から、グスグスとゆり動かした、あの「ふっくりとした白い腿」がたえまなく、彼の頭の中に、大きく渦を捲いて、押流れていた。

 やがて、その心の渦が、ようやく鎮まって来ると、その渦の中から、浮び上って来たのは、この一座の花形少女貴志田葉子きしだようこ」の顔だった。

 だが、それと同時に、黒吉は、いきなり打ち前倒のめされたような、劇しい不快な気持を、感じた。

(ちえッ、俺がいくらちゃんと遊ぼうったって、駄目だい。俺は芸が、下手くそなんだ。それに、あんな綺麗な葉ちゃんが、俺みたいな汚い子と遊んでくれるもんか……)

 だが、この少年の心の底へ、しっかり焼付られた、葉ちゃんへの、不思議な執着は、そんな事ぐらいでは、びくともしなかった。寧ろ

(駄目だ)

 と思えば思う程、余計に、いきなり大声で呶鳴ってみたいような焦燥を、いやが上にも煽立あおりたてているのだ。

 ――この頃から、彼のそぶりは、少しずつ変って来たようだった。それはよく気をつけて見たならば、相変らず小屋の片隅に、独りぽっちでいる黒吉の眼が、妙な光を持って来たのに、気がついたろう。そして、その時は彼の視線の先きに必ず幼い花形の、葉子が、愛くるしい姿をして飛廻っていたのだ。

 葉子は、まだ黒吉と同じように、十とう位だったが、顔は綺麗だし、芸は上手いし、自由小鳥のように朗らかで、あの気六ヶ敷い団長にすら、この上もなく可愛がられていたから、この陰惨な曲馬団の中でも、彼女だけは、充分幸福なように見えた。

 そして、勿論、この陰気な、醜い黒吉が、自分一挙一動を、舐めるように、見詰めているとは気づかなかったろう。

 黒吉自身は、彼女が、自分の事など、気にもかけていない、という事が「痛しかゆし」の気持だった。無論彼女

「こっちへいらっしゃいよ」

 とでも、声を掛けられたら、どんなに嬉しい事だろう。――しかし、その半面

「だらしがないのねエ、あんたなんか、大嫌いよ」

 といわれはしまいか、と思うと、彼女に話かけるどころか葉子が、何気なくこっちを見てさえ、

(俺を嗤うんじゃないか

 こうした感じが、脈管の中を、火のように逆流するのだ。それで、つと眼を伏せて仕舞う彼だった。

 黒吉は、自分でさえ、このひねくれた気持を知りながら、尚葉子への愛慕と伴に、どうしても、脱ぎ去る事が、出来なかった。

       ×

 思い出したように、賑やかなジンタが、「敷島マーチ」を一通り済ますと、続いて「カチウシャ」を始めた。フリュートの音が、ひょろひょろと蒼穹あおぞらに消えると、その合間合間に、乾からびた木戸番の「呼び込み」が、座員の心をも、何かそわそわさせるように、響いて来た。

「さあ、葉ちゃんの出番だよ」

「あら、もうあたしなの、いそがしいわ」

「いそいで、いそいで」

 葉子は周章あわててお煎餅せんべい一口齧かじると、衣裳部屋を飛出して行った。

 恰度、通り合せた黒吉は、ちらりとそれを見ると、何を思ったのか、その喰たべかけの煎餅を、そっと、いかにも大事そうに持って行った。

二ノ二

 葉子が、喰いかけて、抛り出して行った煎餅を、そっと、拾って来た黒吉は、座員達が、こってりと白粉を塗った顔を上気させながら、忙しそうに話し合っている所を、知らん顔して通り抜けると小屋の片隅の、座蒲団が山のように積上げられてある陰へ来た。

 黒吉は、経験で、舞台が始まると、こんなところには、滅多に人が来ない事を知っていた。

 それでも、注意深く、あたりに人気のないのを見澄ますと、こそこそと体を跼かがめながら、いまにも崩れそうに積上げられた座蒲団の隙間へ、潜り込んで行った。

 その隙間は、如何にも窮屈だったが、妙にぬくぬくとした弾力があって、何かなつかしいもののようであった。黒吉はやっと※ほっ[#「口+息」、16-9]とした落着きを味わいながら、あの煎餅のかけらを持ち迭かえると、それがさも大切な宝石でもあるかのように、そーっと手の掌ひらに載せて見た。

(これが、葉ちゃんの喰いかけだな)

 そう思うと、つい頬のゆるむ、嬉しさを感じた。……大事大事にとって置きたいような、……ぎゅっと抱締めたいような――。

 黒吉は、充分幸福を味わって、もう一遍沁々と、薄い光の中で、それを見詰めた。こうしてよくよく見ると、気の所為いか、その一かけの煎餅は、幾らか湿っているように思えた。

気をつけて、触ってみると、確かに、喰いかけのところが一寸湿っていた。

(葉ちゃんの唾つばきかな)

 黒吉の、小さい心臓は、この思わぬ、めっけものにガクガクと顫えた。

 彼は、いくら少年とはいえ、無論こんな一っかけの煎餅を、喰べたいばかりに、拾って来たのではなかった。黒吉には「葉子の喰べかけ」というところに、この煎餅が、幾カラットもあるダイヤモンドにも見えたのだ。

 しかし、触って見ると、このかけらは湿っている……

(葉ちゃんの唾だな)

 その瞬間、黒吉の頭には、衣裳部屋で、葉子が忙しそうにこの煎餅を咥くわえていた光景と、それにつづいてクロオズアップされた、彼女の、あの可愛い紅唇くちとが、アリアリと浮んだ。

 それと一緒に、彼は、思わずゴクンと、固い唾を飲んだ。

 黒吉は、妖しく眼を光らせながら、あたりを偸ぬすみ見ると、やがて、意を決したように、その葉子の唾液つばきで湿ったに違いない煎餅のかけらを、そっと唇に近づけた……。

(鹹しょっぱい――な)

 これは、勿論塩煎餅の味だったろう。だが、黒吉の手は、何故かぶるぶると顫えた。

 彼の少年らしくもない、深い陰影かげを持った顔は、何時か熱っぽく上気し、激しく心臓から投出される、血潮は、顳※(「需+頁」、第3水準1-94-6)こめかみをひくひくと波打たせていた。

 そして、もう手の掌に、べとべとと溶けて仕舞った、煎餅のかけらから、尚も「葉子の匂い」を嗅ぎ出そうと、総てを忘れて、ペロペロと舐め続けていた……。

「こらっ。何をしてるんだ、黒公」

 ハッと気がつくと、蒲団の山の向うから、源二郎爺の、怒りを含んだ怪訝な顔が、覗いていた。

「出番じゃねエか。愚図愚図してると、又ひどいぞ」

「ウン」

 黒吉は、瞬間、親方の顔を思い出して、ピョコンと飛起きた。そして、ベタベタと粘る手の掌を肉襦袢にこすりこすり、周章あわてて楽屋の方へ駈けて行った。

二ノ三

 黒吉は、命ぜられた、色々の曲芸をしながらも、頭の中は、いつも葉子の事で一杯だった。

(一度でいいから葉ちゃんと、沁々話したい)

 これが、彼の歪められた心に発生わいて来た、たった一つの望みだった。

 彼がもっと朗らかな、普通の子供であったならば、いつも同じ小屋にいる葉子だもの、そんな事は、造作なく実現したに違いない。

 しかし、それにしては、黒吉は、余りに陰気な、ひねくれた少年だった。――というのも、彼の暗い周囲がそうさせたのだが――。

 そして、早熟ませた葉子への執着が、堰せき切れなくなった時に彼が見つけたのは、あの煎餅のかけらが産んだ、恐ろしい恍惚エクスタシーだった。

 一度こうした排はけ口を見つけた、彼の心が、その儘止まる筈はなかった――寧ろ、津浪のようにその排け口に向って殺到して行ったのだ。

 彼は、そっと、人のいないのを見すまして、衣裳部屋に潜り込み、葉子の小ちっちゃい肉襦袢に、醜悪な顔を、埋うずめていた事もあった。

 その白粉の匂いと、体臭のむんむんする臭いが、彼自身眩暈めまいをさえ伴った、陶酔感を与えるのだ。

 そして、ふと、その肉襦袢に、葉子のオカッパの髪が、二三本ついていたのを見つけると、その大発見に狂喜しながら、注意ぶかく抓つまみ上げて、白い紙につつむと、あり合せの鉛筆で、

「葉子チャンノカミノケ」

 そんな文句を、下手糞な字で、たどたどしく書きつけ、もう一度、上から擦さすって見てから、それを、肌身深く蔵しまいこんで仕舞った……。

 こうした彼の悪癖が、益々慕って行った事は、その後、葉子の持ち物が、ちょいちょい失なくなるようになった事でも、充分想像が出来た。

 失くなるといっても、勿論たいした品物を、曲馬団の少女が、持っている訳はなかったから、もうすり減った、真黒く脂肪あぶら足の跡が附いた、下駄の一方だとか、毛の抜けて仕舞った竹の歯楊子ようじだとか、そういった、極く下らないものだった。それで、

(盗られた)

 という気持を、葉子自身ですら感じなかったのは、彼にとっては、もっけの幸いだった。しかしこれらの「下らない紛失物」が、黒吉にとって、どんなに貴重なものだったかは、また容易に想像出来るのだ。

 ――ここまでは、黒吉少年の心に醗酵した、侘わびしい(しか執拗な)彼一人だけの、胸の中の恋だった。

 だが、ここに葉子が、暴風雨あらしを伴奏にして、颯爽と、現実舞台へ、登場しようとしている。

       ×

 極東曲馬団は、町から町、盛り場から盛り場を、人々の眼を楽しませながら、流れ移っていた。

 そして、ある田舎町に敷地を借り、ようやく小屋掛けも終ったと殆んど同時に、朝から頸を傾かしげさせていた空模様が、一時に頽くずれて、大粒の雨が、無気味な風を含んで、ぽたりぽたり落ちて来たかと思うと、もう篠つくような豪雨に変っていた。

 団長等は、早々に、宿屋に引上げて仕舞ったが、子供の座員や、下っぱの座員などは、経費の関係で、いつも、この小屋に泊る事を言渡されていた。子供等の方では、これは当然だと思っていたし、又団長がいないという事で、却って喜んでいたようでもあった。

 しかし、この急拵えの小屋が、この沛然はいぜんと降る豪雨に、無事な筈はなく、雨漏りをさけて遁げ廻った末、やっと楽屋の隅で、ひと凝固かたまりになって、横になる事が出来たのは、もう大分夜が更けてからだった。

 黒吉は、眼をつぶって、ようやく小降りになって来たらしい、雨の音を聴いていると、もう肩を並べた隣りからは、幽かな寝息さえ聴えて来た。

 それと同時に、黒吉は、何かドキンとしたものを感じた。

(隣りに寝ているのは、葉ちゃんじゃないか――)

二ノ四

 瞬間、黒吉は自分の頭が、シーンと澄み透って行くのを感じた。

(果して、隣りで寝ているのは、葉ちゃんだろうか)

 それは勿論、第六感とでもいうのか、極く曖昧ものだった。が、あの騒ぎで、皆んな、ごたごたに寝て仕舞ったのだから全然あり得ない事でもないのだ。

 そう思うと、隣りと接した、肩の辺が、熱っぽく、暑苦しいようにさえ感じた。そして、心臓はその鼓動と伴に、胸の中、一杯に拡がって行った。

 黒吉は、思い切って、起上り、顔を覗き見たい衝動を感じた。あたりは真暗だが、よく気をつけて覗きこめば、顔の判別がつかぬ、という程でもないように思われた。

 彼は、そーっと、薄い蒲団の縁へりへ、手をかけた。だが――

(まてまて。葉ちゃんならば、こんなに素晴らしい事はない。けれども、こんなにぎっしり寝ている処で、ごそごそ起きたら、どうかすると、彼女は眼を覚ますかも知れない。

 それだけならいいが、眼を覚まして、俺が覗きこんでいた事を知ったら、きっと葉ちゃんは、真赤になって、この醜い俺を罵り、どこか遠くへ寝床をかえて仕舞うに違いないんだ。

 ――そんな莫迦な事をするより、例え短かくとも、夜が明けるまで、こうして葉ちゃんの、ふくよかな肩の感触を恣ほしいままにした方が、どれ程気が利いていることか……)

 黒吉の心の中の、内気な半面が、こう囁いた。

 彼は、蒲団にかけた手を、又静かに戻して仕舞うと、今度は、全身の注意を、細かに砕いて、彼女の方へぴったり、摺り寄って行った。そして、温もりに混った、彼女の穏やかな心臓の響きを、肩の辺に聴いていた……。

 フト、冷めたい風を感じて、何時の間にかつぶっていた眼を明けて見ると、あたりには極くうっすらと、光が射しているのに、気がついた。

(もう夜明けかな――いつの間に寝て仕舞ったんだろう)

 それと一緒に、思わずガクンと体の顫えるような、口惜くやしさに似た後悔を感じた。

(葉ちゃんは……)

 黒吉は、先ずそれが心懸りだったので、ぐっと頸を廻して隣りを確めようとした。

(おや……)

 彼の眼に這入ったのは、葉子より先きに、キンと澄み切った、尖った月の半分だった。

 急拵えの小屋天幕は、夕方の大暴風雨あらしに吹きまくられてぽっかり夜空に口を開け、恰度そこから、のり出すように月が覗き込み、地底のようにシンと澱んだ小屋の中に白々とした、絹糸のような、光を撒いているのだ。暴風雨あらしの後の月は物凄いまでに、冴え冴えとしていた。

(まだ夜中だ)

 黒吉は※ほ[#「口+息」、22-9]っと心配を排はき棄てた。

 彼の隣りには、葉子が、いかにも寝苦しそうに寝ていた。先刻さっきは、確かに葉子だ、とは断言出来なかったが、いまでは極く淡い光ではあったが、その中でも、段々眼の馴れるに従って、黒吉には、ハッキリ葉子の姿が、写って来た。

 黒吉は、意を決したように、半身を蒲団から抜出し、月の光を遮らないように――、音のしないように、そっと彼女の顔を覗きこんだ。

 眼の下には、月の光を受けて、いつもより蒼白く見える葉子の、幼い顔が、少しばかり口さえ開け、寝入っていた。もう少し月の光が強かったら、この房々としたオカッパの頭髪かみのけが黄金のように光るだろう――と思えた。

 又、襟足の洗いおとした白粉が、この幼い葉子の寝姿を少年の心にも、一入ひとしお可憐いじらしく見せていた。

 暫く、ぼんやりと、その夢のように霞んだ、葉子の顔を、見詰めていた黒吉は、ゴクンと固い唾を咽喉へ通すと、その薄く開かれた唇から、寝息でも聴こうとするのか、顔を次第次第に近附けて行った。

 何故か、彼の唇は、ガザガザに乾いていた。

 やがて、この弱々しい月光の下で、二つのさな頭の影が、一つになって仕舞うと、彼は、葉子の頬についている、小さい愛嬌黒子ぼくろが、自分の頬をも、凹へこますのを感じた。

二ノ五

 黒吉の、唇に感じた、葉子の唇の感触は、ぬくぬくとして弾力に富んだはんぺんのようだった。妙な連想だけれど、事実彼の経験では、これが一番よく似ていたのだ。

 唯、違った所――それは非常に違ったところがあるのだが――残念ながら、それをいい表わす言葉を知らなかった。

 彼は、そーっと腕の力を抜こうとした。途端に、肘の下の羽目板が、鈍い音を立てた。造作の悪い掛小屋なので、一寸した重みの加減でも、板が軋むのだ。シンとした周囲あたりと、針のように尖った、彼の神経に、それが幾層倍にも、拡大されて響き渡った。

 黒吉の心臓は、瞬間、ドキンと音がして止ったようだった。

「ク……」

 周章あわてて顔を上げた彼の眼の下で、葉子は、悪い夢でも見たのか、咽喉を鳴らすと、寝返りを打って、向うを向いて仕舞った。

(眼を覚ましたかな)

 黒吉は、思いきり息を深くしながら、葉子の墨のような、後向きの寝姿を、見守った。(いや、大丈夫だ)

 寝返りをした葉子は、幸い、眼を覚まさなかったと見えて、直ぐ又かすかな、寝息が、聴えて来た。

 彼は、ようやく※ほ[#「口+息」、24-4]っと、熱

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anond:20250708044816

 辺鄙な、村はずれの丘には、いつの間にか、華やかな幕を沢山吊るした急拵ごしらえの小屋掛が出来て、極東曲馬団の名がかけられ、狂燥なジンタと、ヒョロヒョロと空気を伝わるフリュートの音に、村人は、老おいも若きも、しばし、強烈な色彩と音楽スリル享楽し、又、いつの間にか曲馬団が他へ流れて行っても、しばらくは、フト白い流れ雲の中に、少年少女の縊くびれた肢体を思い出すのである

 トテモ華やかな、その空気の中にも、やっぱり、小さな「悩める虫」がいるのだ。

一ノ二

莫迦ッ、そんな事が出来ねエのか、間抜けめ!」

 親方は、野卑な言葉で、そう呶鳴どなると、手に持った革の鞭で、床をビシビシ撲りつけながら、黒吉くろきちを、グッと睨みつけるのだった。

 まだいたいけな少年の黒吉は、恐ろしさにオドオドして、

「済みません、済みません」

 そんな事を、呟くようにいうと、ぼろぼろに裂けた肉襦袢じゅばんの、肩の辺を擦さすりながら、氷のように冷めたい床の上に、又無器用な体つきで、ゴロンゴロンと幾度も「逆立ち」を遣り直していた。

 饑ひもじさと、恐ろしさと、苦痛と、寒気と、そして他の座員の嘲笑とが、もう毎度の事だったが、黒吉の身の周りに、犇々ひしひしと迫って、思わずホロホロと滾こぼした血のような涙が、荒削りの床に、黒い斑点を残して、音もなく滲しみ込んで行った。

 ――ここは、極東曲馬団の楽屋裏だった。

 逆立ちの下手な、無器用な黒吉は、ここの少年座員なのだ

 鴉からす黒吉。というのが彼の名前だった。しかしこれは舞台だけの芸名か、それとも本当の名前か、恐らくこれは字面じづらから見て、親方が、勝手につけた名前に違いないが、本名となると彼自身は勿論の事、親方だってハッキリ知っているかどうかは疑わしいものだった。

 黒吉自身記憶といっては、極めてぼんやりしたものだったけれど、いたましい事には、それは何時も、この曲馬団の片隅の、衣裳戸棚から始まっていた。

 それで、彼がもの心のついた時からは、――彼の記憶が始まった時からは、いつも周囲には、悲壮ジンタと、くしゃくしゃになったあくどい色の衣裳と、そして、それらを罩こめた安白粉おしろいの匂いや、汗のしみた肉襦袢の、ムッとした嗅気が、重なり合って、色彩っていた。

 こうした頽廃的な雰囲気の中に、いつも絶えない、座員間の軋轢あつれきと、華やかな底に澱む、ひがんだ蒼黒い空気とは、幼い黒吉の心から、跡形もなく「朗らかさ」を毟むしり取って仕舞った。そして、あとに残った陰欝な、日陰の虫のような少年の心に、世の中というものを、一風変った方向からのみ、見詰めさせていた。

 彼は用のない時には、何時も、太い丸太が荒縄で、蜘蛛の巣のように、縦横無尽に張りまわされている薄暗い楽屋の隅で、何かぼんやりえこんでいた。それは少年らしくもない憂欝な、女々しい姿だった。

 黒吉は明かに、他の同輩の少年から

「オイ、こっちへこいよ」

 と声をかけられるのを恐れているように見えた。

 しかし、それは、単に彼の危惧に過ぎなかった。

 他の少年座員達は、誰も、この憂欝な顔をした、芸の不器用な、そして親方におぼえのよくない黒吉と、進んで遊ぼうというものはなかった。(それは恐ろしい団長への、気兼ねもあったろうが)寧ろ彼等は、黒吉の方からしかけても、決して色よい返事は、しないように思われた。

 結局、黒吉はそれをいい事にして、独りぽつねんと、小屋の隅に忘れられた儘、たった一つ、彼に残されたオアシスである他愛もない「空想」に耽っていた。

一ノ三

 憂欝な少年黒吉が、何を考えているのか。

 ――その前に、彼が、なぜ親方のおぼえが悪いのだろうかという事をいわなければならない。

 (それは、彼の憂欝性にも、重大な影響のある事だから

 黒吉は、どう見ても、親方の「お気に入り」とは思えなかった。それは、勿論彼が、芸の未熟な不器用だった事も、確かにその原因の、一つだったけれど、他の大きな原因は、彼が醜い容貌だ、という先天的な不運に、禍わざわいされていたのだった。

 男の子容貌が、そんなにも、幼い心を虐しいたげるものだろうか――。

 如何にも、舞台の上で生活するものにとって、顔の美醜は非常に大きなハンデキャップなのだ。彼の同輩の愛くるしい少年が、舞台で、どうしたはずみか、ストンと尻もちをついたとしたら、観客は

「まあ、可哀そうに……あら、赤くなって、こっちを見てるわ、まるで正美さんみたいね

 そういって可愛い美少年は、失敗をした為に、却って、観客の人気を得るのだ。けれど、それに引きかえて、醜い顔だちを持った黒吉が、舞台でそれと同じような失敗をしても、観客は、何の遠慮もなく、このぎこちない少年の未熟さを嘲笑うのだった。

 この観客にさえ嗤わらわれる黒吉は、勿論親方にとって、どんなに間抜けな、穀潰ごくつぶしに見えたかは充分想像が、出来るのだった。従って、黒吉に対する、親方仕打ちがどんなものだったかも――

(俺は芸が下手なんだ)

(俺は醜い男なんだ)

 薄暗い小屋の片隅で、独りぽつんと、考えこんでいる黒吉は、楽しい空想どころか、彼の幼い心には、この二つの子供らしくもない懊悩が、いつも吹き荒すさんでいるのだった。

 そして、それは彼の心の底へ、少年らしい甘えた気持を、ひた押しに内攻して仕舞って、彼を尚一層、陰気にする外、何んの役にもたたなかった。冷たい冷たい胸の中に、熱いものは、ただ一つ涙だけだった。

 こうした雰囲気の中に、閉じこめられた鴉黒吉が、真直に伸びる筈はなかった。

 ――そして、蒼白い「歪んだ心」を持った少年が、ここに一人生成されて行った。

 世の中の少年少女達が、喜々として、小学校に通い始めた頃だろうか。勿論黒吉には、そんな恵まれ生活は、遠く想像の外だった。

 しかし、この頃から黒吉は、同輩の幼い座員の中でも、少年少女とを、異った眼で見るようになって来た。

「何」という、ハッキリした相違はないのだが、女の子莫迦にされた時には、不思議男の子に罵られたような、憤りは感じなかったのだった。寧ろ、

(いっそ、あの手で打ぶたれたら……)

 と思うと、何かゾクゾクとした、喜びに似た気持を感じるのだ。

 これが何んであるか、黒吉は、次第に、その姿を、ハッキリ見るようになって来た。

一ノ四

 安白粉の匂いと、汗ばんだ体臭と、そして、ぺらぺらなあくどい色の衣裳が、雑巾のように、投げ散らかされた、この頽廃的な曲馬団の楽屋で、侮蔑の中に育てられた、陰気な少年の「歪んだ心」には、もうませた女の子への、不思議な執着が、ジクジクと燃えて来たのだ。

 ――そして、それを尚一層、駆立てるような、出来事が起った。

 それは、やっと敷地小屋掛けも済んで、いよいよ明日から公開、という前の日だった。

 団長は、例の通り、小六ヶ敷こむずかしい顔をして、小屋掛けの監督をしていたが、それが終って仕舞うと、さも「大仕事をした」というような顔をして、他のお気に入り幹部達と一緒に、何処か、遊びに出て行った。

 団長の遊びに行くのを、見送って仕舞うと、他の年かさな座員や、楽隊ジンタの係りの者なども、ようやくのびのびとして、思い思いの雑談に高笑いを立てていたが、剽軽者ひょうきんものの仙次が、自分の役であるピエロ舞台着を調べながら

「オイ、親父おやじが行ったぜ、俺の方も行こうか」

 恰度それが、合図でもあったかのように、急に話声が高くなった。

「ウン、たまには一杯やらなくちゃ……」

「ちえッ、たまには、とはよくもいいやがった。明日があるんだ、大丈夫か」

「ナーニ、少しはやらなくちゃ続かねエよ、いやなら止せよ」

「いやじゃねエよ」

ハハハ、五月蠅うるせえなア」

 と、如何にも嬉しそうに、がやがや喋りながら、それでも大急ぎで支度をして、町の中に開放されて行った。

 そして、何時か、このガランとした小屋の中には、蒲団ふとん係りの源二郎爺さんと、子供の座員だけが、ぽつんつんと取り残されていた。子供の座員は、外出を禁じられていた。それは勿論「脱走」に備えたものだった。その見張りの役が、今は老耄おいぼれて仕舞ったが、昔はこの一座を背負って立った源二郎爺じじいなのだ

 結局、幼い彼等は、小屋の中で、てんでに遊ぶより仕方がなかった。

 男の子男同志で、舞台を駈廻り、女の子は女らしく、固かたまって縄飛びをしていた。――そして、黒吉は、相変らず小屋の隅に、ぽつんと独りだった。

 しかし、何時になく、黒吉の眼は、何か一心に見詰めているようだ。

(この憂欝な、オドオドした少年が、一生懸命に見ているものは、何んだろう)

 誰でも、彼の平生を知っているものが、この様子に気付いたならば、一寸ちょっとをかしげたに相違ない。そして、何気なくこの少年視線を追って見たならば、或はハッと眼を伏せたかも知れないのだ。

 黒吉の恰度眼の前では、少女の座員たちが、簡単アッパッパを着て、縄飛びをしていた――。しかし彼の見ているのは、それではなかった。この少女達が、急いきおいよく自分の背丈せい位もある縄を飛んで、トンと下りると、その瞬間、簡単アッパッパスカートは、風を受けて乱れ、そこから覗くのは、ふっくりとした白い腿だった――。

(十やそこらの少年が、こんなものを、息を殺して見詰めているのだろうか――)

 そう考えると、極めて不快な感じの前に何か、寒む寒むとした、恐ろしさを覚えるのだ。

 しかし、尚そればかりではなかった。

 この憂欝な少年の心を、根柢から、グスグスとゆり動かした、あの「ふっくりとした白い腿」がたえまなく、彼の頭の中に、大きく渦を捲いて、押流れていた。

 やがて、その心の渦が、ようやく鎮まって来ると、その渦の中から、浮び上って来たのは、この一座の花形少女貴志田葉子きしだようこ」の顔だった。

 だが、それと同時に、黒吉は、いきなり打ち前倒のめされたような、劇しい不快な気持を、感じた。

(ちえッ、俺がいくらちゃんと遊ぼうったって、駄目だい。俺は芸が、下手くそなんだ。それに、あんな綺麗な葉ちゃんが、俺みたいな汚い子と遊んでくれるもんか……)

 だが、この少年の心の底へ、しっかり焼付られた、葉ちゃんへの、不思議な執着は、そんな事ぐらいでは、びくともしなかった。寧ろ

(駄目だ)

 と思えば思う程、余計に、いきなり大声で呶鳴ってみたいような焦燥を、いやが上にも煽立あおりたてているのだ。

 ――この頃から、彼のそぶりは、少しずつ変って来たようだった。それはよく気をつけて見たならば、相変らず小屋の片隅に、独りぽっちでいる黒吉の眼が、妙な光を持って来たのに、気がついたろう。そして、その時は彼の視線の先きに必ず幼い花形の、葉子が、愛くるしい姿をして飛廻っていたのだ。

 葉子は、まだ黒吉と同じように、十とう位だったが、顔は綺麗だし、芸は上手いし、自由小鳥のように朗らかで、あの気六ヶ敷い団長にすら、この上もなく可愛がられていたから、この陰惨な曲馬団の中でも、彼女だけは、充分幸福なように見えた。

 そして、勿論、この陰気な、醜い黒吉が、自分一挙一動を、舐めるように、見詰めているとは気づかなかったろう。

 黒吉自身は、彼女が、自分の事など、気にもかけていない、という事が「痛しかゆし」の気持だった。無論彼女

「こっちへいらっしゃいよ」

 とでも、声を掛けられたら、どんなに嬉しい事だろう。――しかし、その半面

「だらしがないのねエ、あんたなんか、大嫌いよ」

 といわれはしまいか、と思うと、彼女に話かけるどころか葉子が、何気なくこっちを見てさえ、

(俺を嗤うんじゃないか

 こうした感じが、脈管の中を、火のように逆流するのだ。それで、つと眼を伏せて仕舞う彼だった。

 黒吉は、自分でさえ、このひねくれた気持を知りながら、尚葉子への愛慕と伴に、どうしても、脱ぎ去る事が、出来なかった。

       ×

 思い出したように、賑やかなジンタが、「敷島マーチ」を一通り済ますと、続いて「カチウシャ」を始めた。フリュートの音が、ひょろひょろと蒼穹あおぞらに消えると、その合間合間に、乾からびた木戸番の「呼び込み」が、座員の心をも、何かそわそわさせるように、響いて来た。

「さあ、葉ちゃんの出番だよ」

「あら、もうあたしなの、いそがしいわ」

「いそいで、いそいで」

 葉子は周章あわててお煎餅せんべい一口齧かじると、衣裳部屋を飛出して行った。

 恰度、通り合せた黒吉は、ちらりとそれを見ると、何を思ったのか、その喰たべかけの煎餅を、そっと、いかにも大事そうに持って行った。

二ノ二

 葉子が、喰いかけて、抛り出して行った煎餅を、そっと、拾って来た黒吉は、座員達が、こってりと白粉を塗った顔を上気させながら、忙しそうに話し合っている所を、知らん顔して通り抜けると小屋の片隅の、座蒲団が山のように積上げられてある陰へ来た。

 黒吉は、経験で、舞台が始まると、こんなところには、滅多に人が来ない事を知っていた。

 それでも、注意深く、あたりに人気のないのを見澄ますと、こそこそと体を跼かがめながら、いまにも崩れそうに積上げられた座蒲団の隙間へ、潜り込んで行った。

 その隙間は、如何にも窮屈だったが、妙にぬくぬくとした弾力があって、何かなつかしいもののようであった。黒吉はやっと※ほっ[#「口+息」、16-9]とした落着きを味わいながら、あの煎餅のかけらを持ち迭かえると、それがさも大切な宝石でもあるかのように、そーっと手の掌ひらに載せて見た。

(これが、葉ちゃんの喰いかけだな)

 そう思うと、つい頬のゆるむ、嬉しさを感じた。……大事大事にとって置きたいような、……ぎゅっと抱締めたいような――。

 黒吉は、充分幸福を味わって、もう一遍沁々と、薄い光の中で、それを見詰めた。こうしてよくよく見ると、気の所為いか、その一かけの煎餅は、幾らか湿っているように思えた。

気をつけて、触ってみると、確かに、喰いかけのところが一寸湿っていた。

(葉ちゃんの唾つばきかな)

 黒吉の、小さい心臓は、この思わぬ、めっけものにガクガクと顫えた。

 彼は、いくら少年とはいえ、無論こんな一っかけの煎餅を、喰べたいばかりに、拾って来たのではなかった。黒吉には「葉子の喰べかけ」というところに、この煎餅が、幾カラットもあるダイヤモンドにも見えたのだ。

 しかし、触って見ると、このかけらは湿っている……

(葉ちゃんの唾だな)

 その瞬間、黒吉の頭には、衣裳部屋で、葉子が忙しそうにこの煎餅を咥くわえていた光景と、それにつづいてクロオズアップされた、彼女の、あの可愛い紅唇くちとが、アリアリと浮んだ。

 それと一緒に、彼は、思わずゴクンと、固い唾を飲んだ。

 黒吉は、妖しく眼を光らせながら、あたりを偸ぬすみ見ると、やがて、意を決したように、その葉子の唾液つばきで湿ったに違いない煎餅のかけらを、そっと唇に近づけた……。

(鹹しょっぱい――な)

 これは、勿論塩煎餅の味だったろう。だが、黒吉の手は、何故かぶるぶると顫えた。

 彼の少年らしくもない、深い陰影かげを持った顔は、何時か熱っぽく上気し、激しく心臓から投出される、血潮は、顳※(「需+頁」、第3水準1-94-6)こめかみをひくひくと波打たせていた。

 そして、もう手の掌に、べとべとと溶けて仕舞った、煎餅のかけらから、尚も「葉子の匂い」を嗅ぎ出そうと、総てを忘れて、ペロペロと舐め続けていた……。

「こらっ。何をしてるんだ、黒公」

 ハッと気がつくと、蒲団の山の向うから、源二郎爺の、怒りを含んだ怪訝な顔が、覗いていた。

「出番じゃねエか。愚図愚図してると、又ひどいぞ」

「ウン」

 黒吉は、瞬間、親方の顔を思い出して、ピョコンと飛起きた。そして、ベタベタと粘る手の掌を肉襦袢にこすりこすり、周章あわてて楽屋の方へ駈けて行った。

二ノ三

 黒吉は、命ぜられた、色々の曲芸をしながらも、頭の中は、いつも葉子の事で一杯だった。

(一度でいいから葉ちゃんと、沁々話したい)

 これが、彼の歪められた心に発生わいて来た、たった一つの望みだった。

 彼がもっと朗らかな、普通の子供であったならば、いつも同じ小屋にいる葉子だもの、そんな事は、造作なく実現したに違いない。

 しかし、それにしては、黒吉は、余りに陰気な、ひねくれた少年だった。――というのも、彼の暗い周囲がそうさせたのだが――。

 そして、早熟ませた葉子への執着が、堰せき切れなくなった時に彼が見つけたのは、あの煎餅のかけらが産んだ、恐ろしい恍惚エクスタシーだった。

 一度こうした排はけ口を見つけた、彼の心が、その儘止まる筈はなかった――寧ろ、津浪のようにその排け口に向って殺到して行ったのだ。

 彼は、そっと、人のいないのを見すまして、衣裳部屋に潜り込み、葉子の小ちっちゃい肉襦袢に、醜悪な顔を、埋うずめていた事もあった。

 その白粉の匂いと、体臭のむんむんする臭いが、彼自身眩暈めまいをさえ伴った、陶酔感を与えるのだ。

 そして、ふと、その肉襦袢に、葉子のオカッパの髪が、二三本ついていたのを見つけると、その大発見に狂喜しながら、注意ぶかく抓つまみ上げて、白い紙につつむと、あり合せの鉛筆で、

「葉子チャンノカミノケ」

 そんな文句を、下手糞な字で、たどたどしく書きつけ、もう一度、上から擦さすって見てから、それを、肌身深く蔵しまいこんで仕舞った……。

 こうした彼の悪癖が、益々慕って行った事は、その後、葉子の持ち物が、ちょいちょい失なくなるようになった事でも、充分想像が出来た。

 失くなるといっても、勿論たいした品物を、曲馬団の少女が、持っている訳はなかったから、もうすり減った、真黒く脂肪あぶら足の跡が附いた、下駄の一方だとか、毛の抜けて仕舞った竹の歯楊子ようじだとか、そういった、極く下らないものだった。それで、

(盗られた)

 という気持を、葉子自身ですら感じなかったのは、彼にとっては、もっけの幸いだった。しかしこれらの「下らない紛失物」が、黒吉にとって、どんなに貴重なものだったかは、また容易に想像出来るのだ。

 ――ここまでは、黒吉少年の心に醗酵した、侘わびしい(しか執拗な)彼一人だけの、胸の中の恋だった。

 だが、ここに葉子が、暴風雨あらしを伴奏にして、颯爽と、現実舞台へ、登場しようとしている。

       ×

 極東曲馬団は、町から町、盛り場から盛り場を、人々の眼を楽しませながら、流れ移っていた。

 そして、ある田舎町に敷地を借り、ようやく小屋掛けも終ったと殆んど同時に、朝から頸を傾かしげさせていた空模様が、一時に頽くずれて、大粒の雨が、無気味な風を含んで、ぽたりぽたり落ちて来たかと思うと、もう篠つくような豪雨に変っていた。

 団長等は、早々に、宿屋に引上げて仕舞ったが、子供の座員や、下っぱの座員などは、経費の関係で、いつも、この小屋に泊る事を言渡されていた。子供等の方では、これは当然だと思っていたし、又団長がいないという事で、却って喜んでいたようでもあった。

 しかし、この急拵えの小屋が、この沛然はいぜんと降る豪雨に、無事な筈はなく、雨漏りをさけて遁げ廻った末、やっと楽屋の隅で、ひと凝固かたまりになって、横になる事が出来たのは、もう大分夜が更けてからだった。

 黒吉は、眼をつぶって、ようやく小降りになって来たらしい、雨の音を聴いていると、もう肩を並べた隣りからは、幽かな寝息さえ聴えて来た。

 それと同時に、黒吉は、何かドキンとしたものを感じた。

(隣りに寝ているのは、葉ちゃんじゃないか――)

二ノ四

 瞬間、黒吉は自分の頭が、シーンと澄み透って行くのを感じた。

(果して、隣りで寝ているのは、葉ちゃんだろうか)

 それは勿論、第六感とでもいうのか、極く曖昧ものだった。が、あの騒ぎで、皆んな、ごたごたに寝て仕舞ったのだから全然あり得ない事でもないのだ。

 そう思うと、隣りと接した、肩の辺が、熱っぽく、暑苦しいようにさえ感じた。そして、心臓はその鼓動と伴に、胸の中、一杯に拡がって行った。

 黒吉は、思い切って、起上り、顔を覗き見たい衝動を感じた。あたりは真暗だが、よく気をつけて覗きこめば、顔の判別がつかぬ、という程でもないように思われた。

 彼は、そーっと、薄い蒲団の縁へりへ、手をかけた。だが――

(まてまて。葉ちゃんならば、こんなに素晴らしい事はない。けれども、こんなにぎっしり寝ている処で、ごそごそ起きたら、どうかすると、彼女は眼を覚ますかも知れない。

 それだけならいいが、眼を覚まして、俺が覗きこんでいた事を知ったら、きっと葉ちゃんは、真赤になって、この醜い俺を罵り、どこか遠くへ寝床をかえて仕舞うに違いないんだ。

 ――そんな莫迦な事をするより、例え短かくとも、夜が明けるまで、こうして葉ちゃんの、ふくよかな肩の感触を恣ほしいままにした方が、どれ程気が利いていることか……)

 黒吉の心の中の、内気な半面が、こう囁いた。

 彼は、蒲団にかけた手を、又静かに戻して仕舞うと、今度は、全身の注意を、細かに砕いて、彼女の方へぴったり、摺り寄って行った。そして、温もりに混った、彼女の穏やかな心臓の響きを、肩の辺に聴いていた……。

 フト、冷めたい風を感じて、何時の間にかつぶっていた眼を明けて見ると、あたりには極くうっすらと、光が射しているのに、気がついた。

(もう夜明けかな――いつの間に寝て仕舞ったんだろう)

 それと一緒に、思わずガクンと体の顫えるような、口惜くやしさに似た後悔を感じた。

(葉ちゃんは……)

 黒吉は、先ずそれが心懸りだったので、ぐっと頸を廻して隣りを確めようとした。

(おや……)

 彼の眼に這入ったのは、葉子より先きに、キンと澄み切った、尖った月の半分だった。

 急拵えの小屋天幕は、夕方の大暴風雨あらしに吹きまくられてぽっかり夜空に口を開け、恰度そこから、のり出すように月が覗き込み、地底のようにシンと澱んだ小屋の中に白々とした、絹糸のような、光を撒いているのだ。暴風雨あらしの後の月は物凄いまでに、冴え冴えとしていた。

(まだ夜中だ)

 黒吉は※ほ[#「口+息」、22-9]っと心配を排はき棄てた。

 彼の隣りには、葉子が、いかにも寝苦しそうに寝ていた。先刻さっきは、確かに葉子だ、とは断言出来なかったが、いまでは極く淡い光ではあったが、その中でも、段々眼の馴れるに従って、黒吉には、ハッキリ葉子の姿が、写って来た。

 黒吉は、意を決したように、半身を蒲団から抜出し、月の光を遮らないように――、音のしないように、そっと彼女の顔を覗きこんだ。

 眼の下には、月の光を受けて、いつもより蒼白く見える葉子の、幼い顔が、少しばかり口さえ開け、寝入っていた。もう少し月の光が強かったら、この房々としたオカッパの頭髪かみのけが黄金のように光るだろう――と思えた。

 又、襟足の洗いおとした白粉が、この幼い葉子の寝姿を少年の心にも、一入ひとしお可憐いじらしく見せていた。

 暫く、ぼんやりと、その夢のように霞んだ、葉子の顔を、見詰めていた黒吉は、ゴクンと固い唾を咽喉へ通すと、その薄く開かれた唇から、寝息でも聴こうとするのか、顔を次第次第に近附けて行った。

 何故か、彼の唇は、ガザガザに乾いていた。

 やがて、この弱々しい月光の下で、二つのさな頭の影が、一つになって仕舞うと、彼は、葉子の頬についている、小さい愛嬌黒子ぼくろが、自分の頬をも、凹へこますのを感じた。

二ノ五

 黒吉の、唇に感じた、葉子の唇の感触は、ぬくぬくとして弾力に富んだはんぺんのようだった。妙な連想だけれど、事実彼の経験では、これが一番よく似ていたのだ。

 唯、違った所――それは非常に違ったところがあるのだが――残念ながら、それをいい表わす言葉を知らなかった。

 彼は、そーっと腕の力を抜こうとした。途端に、肘の下の羽目板が、鈍い音を立てた。造作の悪い掛小屋なので、一寸した重みの加減でも、板が軋むのだ。シンとした周囲あたりと、針のように尖った、彼の神経に、それが幾層倍にも、拡大されて響き渡った。

 黒吉の心臓は、瞬間、ドキンと音がして止ったようだった。

「ク……」

 周章あわてて顔を上げた彼の眼の下で、葉子は、悪い夢でも見たのか、咽喉を鳴らすと、寝返りを打って、向うを向いて仕舞った。

(眼を覚ましたかな)

 黒吉は、思いきり息を深くしながら、葉子の墨のような、後向きの寝姿を、見守った。(いや、大丈夫だ)

 寝返りをした葉子は、幸い、眼を覚まさなかったと見えて、直ぐ又かすかな、寝息が、聴えて来た。

 彼は、ようやく※ほ[#「口+息」、24-4]っと、熱

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anond:20250708044816

 辺鄙な、村はずれの丘には、いつの間にか、華やかな幕を沢山吊るした急拵ごしらえの小屋掛が出来て、極東曲馬団の名がかけられ、狂燥なジンタと、ヒョロヒョロと空気を伝わるフリュートの音に、村人は、老おいも若きも、しばし、強烈な色彩と音楽スリル享楽し、又、いつの間にか曲馬団が他へ流れて行っても、しばらくは、フト白い流れ雲の中に、少年少女の縊くびれた肢体を思い出すのである

 トテモ華やかな、その空気の中にも、やっぱり、小さな「悩める虫」がいるのだ。

一ノ二

莫迦ッ、そんな事が出来ねエのか、間抜けめ!」

 親方は、野卑な言葉で、そう呶鳴どなると、手に持った革の鞭で、床をビシビシ撲りつけながら、黒吉くろきちを、グッと睨みつけるのだった。

 まだいたいけな少年の黒吉は、恐ろしさにオドオドして、

「済みません、済みません」

 そんな事を、呟くようにいうと、ぼろぼろに裂けた肉襦袢じゅばんの、肩の辺を擦さすりながら、氷のように冷めたい床の上に、又無器用な体つきで、ゴロンゴロンと幾度も「逆立ち」を遣り直していた。

 饑ひもじさと、恐ろしさと、苦痛と、寒気と、そして他の座員の嘲笑とが、もう毎度の事だったが、黒吉の身の周りに、犇々ひしひしと迫って、思わずホロホロと滾こぼした血のような涙が、荒削りの床に、黒い斑点を残して、音もなく滲しみ込んで行った。

 ――ここは、極東曲馬団の楽屋裏だった。

 逆立ちの下手な、無器用な黒吉は、ここの少年座員なのだ

 鴉からす黒吉。というのが彼の名前だった。しかしこれは舞台だけの芸名か、それとも本当の名前か、恐らくこれは字面じづらから見て、親方が、勝手につけた名前に違いないが、本名となると彼自身は勿論の事、親方だってハッキリ知っているかどうかは疑わしいものだった。

 黒吉自身記憶といっては、極めてぼんやりしたものだったけれど、いたましい事には、それは何時も、この曲馬団の片隅の、衣裳戸棚から始まっていた。

 それで、彼がもの心のついた時からは、――彼の記憶が始まった時からは、いつも周囲には、悲壮ジンタと、くしゃくしゃになったあくどい色の衣裳と、そして、それらを罩こめた安白粉おしろいの匂いや、汗のしみた肉襦袢の、ムッとした嗅気が、重なり合って、色彩っていた。

 こうした頽廃的な雰囲気の中に、いつも絶えない、座員間の軋轢あつれきと、華やかな底に澱む、ひがんだ蒼黒い空気とは、幼い黒吉の心から、跡形もなく「朗らかさ」を毟むしり取って仕舞った。そして、あとに残った陰欝な、日陰の虫のような少年の心に、世の中というものを、一風変った方向からのみ、見詰めさせていた。

 彼は用のない時には、何時も、太い丸太が荒縄で、蜘蛛の巣のように、縦横無尽に張りまわされている薄暗い楽屋の隅で、何かぼんやりえこんでいた。それは少年らしくもない憂欝な、女々しい姿だった。

 黒吉は明かに、他の同輩の少年から

「オイ、こっちへこいよ」

 と声をかけられるのを恐れているように見えた。

 しかし、それは、単に彼の危惧に過ぎなかった。

 他の少年座員達は、誰も、この憂欝な顔をした、芸の不器用な、そして親方におぼえのよくない黒吉と、進んで遊ぼうというものはなかった。(それは恐ろしい団長への、気兼ねもあったろうが)寧ろ彼等は、黒吉の方からしかけても、決して色よい返事は、しないように思われた。

 結局、黒吉はそれをいい事にして、独りぽつねんと、小屋の隅に忘れられた儘、たった一つ、彼に残されたオアシスである他愛もない「空想」に耽っていた。

一ノ三

 憂欝な少年黒吉が、何を考えているのか。

 ――その前に、彼が、なぜ親方のおぼえが悪いのだろうかという事をいわなければならない。

 (それは、彼の憂欝性にも、重大な影響のある事だから

 黒吉は、どう見ても、親方の「お気に入り」とは思えなかった。それは、勿論彼が、芸の未熟な不器用だった事も、確かにその原因の、一つだったけれど、他の大きな原因は、彼が醜い容貌だ、という先天的な不運に、禍わざわいされていたのだった。

 男の子容貌が、そんなにも、幼い心を虐しいたげるものだろうか――。

 如何にも、舞台の上で生活するものにとって、顔の美醜は非常に大きなハンデキャップなのだ。彼の同輩の愛くるしい少年が、舞台で、どうしたはずみか、ストンと尻もちをついたとしたら、観客は

「まあ、可哀そうに……あら、赤くなって、こっちを見てるわ、まるで正美さんみたいね

 そういって可愛い美少年は、失敗をした為に、却って、観客の人気を得るのだ。けれど、それに引きかえて、醜い顔だちを持った黒吉が、舞台でそれと同じような失敗をしても、観客は、何の遠慮もなく、このぎこちない少年の未熟さを嘲笑うのだった。

 この観客にさえ嗤わらわれる黒吉は、勿論親方にとって、どんなに間抜けな、穀潰ごくつぶしに見えたかは充分想像が、出来るのだった。従って、黒吉に対する、親方仕打ちがどんなものだったかも――

(俺は芸が下手なんだ)

(俺は醜い男なんだ)

 薄暗い小屋の片隅で、独りぽつんと、考えこんでいる黒吉は、楽しい空想どころか、彼の幼い心には、この二つの子供らしくもない懊悩が、いつも吹き荒すさんでいるのだった。

 そして、それは彼の心の底へ、少年らしい甘えた気持を、ひた押しに内攻して仕舞って、彼を尚一層、陰気にする外、何んの役にもたたなかった。冷たい冷たい胸の中に、熱いものは、ただ一つ涙だけだった。

 こうした雰囲気の中に、閉じこめられた鴉黒吉が、真直に伸びる筈はなかった。

 ――そして、蒼白い「歪んだ心」を持った少年が、ここに一人生成されて行った。

 世の中の少年少女達が、喜々として、小学校に通い始めた頃だろうか。勿論黒吉には、そんな恵まれ生活は、遠く想像の外だった。

 しかし、この頃から黒吉は、同輩の幼い座員の中でも、少年少女とを、異った眼で見るようになって来た。

「何」という、ハッキリした相違はないのだが、女の子莫迦にされた時には、不思議男の子に罵られたような、憤りは感じなかったのだった。寧ろ、

(いっそ、あの手で打ぶたれたら……)

 と思うと、何かゾクゾクとした、喜びに似た気持を感じるのだ。

 これが何んであるか、黒吉は、次第に、その姿を、ハッキリ見るようになって来た。

一ノ四

 安白粉の匂いと、汗ばんだ体臭と、そして、ぺらぺらなあくどい色の衣裳が、雑巾のように、投げ散らかされた、この頽廃的な曲馬団の楽屋で、侮蔑の中に育てられた、陰気な少年の「歪んだ心」には、もうませた女の子への、不思議な執着が、ジクジクと燃えて来たのだ。

 ――そして、それを尚一層、駆立てるような、出来事が起った。

 それは、やっと敷地小屋掛けも済んで、いよいよ明日から公開、という前の日だった。

 団長は、例の通り、小六ヶ敷こむずかしい顔をして、小屋掛けの監督をしていたが、それが終って仕舞うと、さも「大仕事をした」というような顔をして、他のお気に入り幹部達と一緒に、何処か、遊びに出て行った。

 団長の遊びに行くのを、見送って仕舞うと、他の年かさな座員や、楽隊ジンタの係りの者なども、ようやくのびのびとして、思い思いの雑談に高笑いを立てていたが、剽軽者ひょうきんものの仙次が、自分の役であるピエロ舞台着を調べながら

「オイ、親父おやじが行ったぜ、俺の方も行こうか」

 恰度それが、合図でもあったかのように、急に話声が高くなった。

「ウン、たまには一杯やらなくちゃ……」

「ちえッ、たまには、とはよくもいいやがった。明日があるんだ、大丈夫か」

「ナーニ、少しはやらなくちゃ続かねエよ、いやなら止せよ」

「いやじゃねエよ」

ハハハ、五月蠅うるせえなア」

 と、如何にも嬉しそうに、がやがや喋りながら、それでも大急ぎで支度をして、町の中に開放されて行った。

 そして、何時か、このガランとした小屋の中には、蒲団ふとん係りの源二郎爺さんと、子供の座員だけが、ぽつんつんと取り残されていた。子供の座員は、外出を禁じられていた。それは勿論「脱走」に備えたものだった。その見張りの役が、今は老耄おいぼれて仕舞ったが、昔はこの一座を背負って立った源二郎爺じじいなのだ

 結局、幼い彼等は、小屋の中で、てんでに遊ぶより仕方がなかった。

 男の子男同志で、舞台を駈廻り、女の子は女らしく、固かたまって縄飛びをしていた。――そして、黒吉は、相変らず小屋の隅に、ぽつんと独りだった。

 しかし、何時になく、黒吉の眼は、何か一心に見詰めているようだ。

(この憂欝な、オドオドした少年が、一生懸命に見ているものは、何んだろう)

 誰でも、彼の平生を知っているものが、この様子に気付いたならば、一寸ちょっとをかしげたに相違ない。そして、何気なくこの少年視線を追って見たならば、或はハッと眼を伏せたかも知れないのだ。

 黒吉の恰度眼の前では、少女の座員たちが、簡単アッパッパを着て、縄飛びをしていた――。しかし彼の見ているのは、それではなかった。この少女達が、急いきおいよく自分の背丈せい位もある縄を飛んで、トンと下りると、その瞬間、簡単アッパッパスカートは、風を受けて乱れ、そこから覗くのは、ふっくりとした白い腿だった――。

(十やそこらの少年が、こんなものを、息を殺して見詰めているのだろうか――)

 そう考えると、極めて不快な感じの前に何か、寒む寒むとした、恐ろしさを覚えるのだ。

 しかし、尚そればかりではなかった。

 この憂欝な少年の心を、根柢から、グスグスとゆり動かした、あの「ふっくりとした白い腿」がたえまなく、彼の頭の中に、大きく渦を捲いて、押流れていた。

 やがて、その心の渦が、ようやく鎮まって来ると、その渦の中から、浮び上って来たのは、この一座の花形少女貴志田葉子きしだようこ」の顔だった。

 だが、それと同時に、黒吉は、いきなり打ち前倒のめされたような、劇しい不快な気持を、感じた。

(ちえッ、俺がいくらちゃんと遊ぼうったって、駄目だい。俺は芸が、下手くそなんだ。それに、あんな綺麗な葉ちゃんが、俺みたいな汚い子と遊んでくれるもんか……)

 だが、この少年の心の底へ、しっかり焼付られた、葉ちゃんへの、不思議な執着は、そんな事ぐらいでは、びくともしなかった。寧ろ

(駄目だ)

 と思えば思う程、余計に、いきなり大声で呶鳴ってみたいような焦燥を、いやが上にも煽立あおりたてているのだ。

 ――この頃から、彼のそぶりは、少しずつ変って来たようだった。それはよく気をつけて見たならば、相変らず小屋の片隅に、独りぽっちでいる黒吉の眼が、妙な光を持って来たのに、気がついたろう。そして、その時は彼の視線の先きに必ず幼い花形の、葉子が、愛くるしい姿をして飛廻っていたのだ。

 葉子は、まだ黒吉と同じように、十とう位だったが、顔は綺麗だし、芸は上手いし、自由小鳥のように朗らかで、あの気六ヶ敷い団長にすら、この上もなく可愛がられていたから、この陰惨な曲馬団の中でも、彼女だけは、充分幸福なように見えた。

 そして、勿論、この陰気な、醜い黒吉が、自分一挙一動を、舐めるように、見詰めているとは気づかなかったろう。

 黒吉自身は、彼女が、自分の事など、気にもかけていない、という事が「痛しかゆし」の気持だった。無論彼女

「こっちへいらっしゃいよ」

 とでも、声を掛けられたら、どんなに嬉しい事だろう。――しかし、その半面

「だらしがないのねエ、あんたなんか、大嫌いよ」

 といわれはしまいか、と思うと、彼女に話かけるどころか葉子が、何気なくこっちを見てさえ、

(俺を嗤うんじゃないか

 こうした感じが、脈管の中を、火のように逆流するのだ。それで、つと眼を伏せて仕舞う彼だった。

 黒吉は、自分でさえ、このひねくれた気持を知りながら、尚葉子への愛慕と伴に、どうしても、脱ぎ去る事が、出来なかった。

       ×

 思い出したように、賑やかなジンタが、「敷島マーチ」を一通り済ますと、続いて「カチウシャ」を始めた。フリュートの音が、ひょろひょろと蒼穹あおぞらに消えると、その合間合間に、乾からびた木戸番の「呼び込み」が、座員の心をも、何かそわそわさせるように、響いて来た。

「さあ、葉ちゃんの出番だよ」

「あら、もうあたしなの、いそがしいわ」

「いそいで、いそいで」

 葉子は周章あわててお煎餅せんべい一口齧かじると、衣裳部屋を飛出して行った。

 恰度、通り合せた黒吉は、ちらりとそれを見ると、何を思ったのか、その喰たべかけの煎餅を、そっと、いかにも大事そうに持って行った。

二ノ二

 葉子が、喰いかけて、抛り出して行った煎餅を、そっと、拾って来た黒吉は、座員達が、こってりと白粉を塗った顔を上気させながら、忙しそうに話し合っている所を、知らん顔して通り抜けると小屋の片隅の、座蒲団が山のように積上げられてある陰へ来た。

 黒吉は、経験で、舞台が始まると、こんなところには、滅多に人が来ない事を知っていた。

 それでも、注意深く、あたりに人気のないのを見澄ますと、こそこそと体を跼かがめながら、いまにも崩れそうに積上げられた座蒲団の隙間へ、潜り込んで行った。

 その隙間は、如何にも窮屈だったが、妙にぬくぬくとした弾力があって、何かなつかしいもののようであった。黒吉はやっと※ほっ[#「口+息」、16-9]とした落着きを味わいながら、あの煎餅のかけらを持ち迭かえると、それがさも大切な宝石でもあるかのように、そーっと手の掌ひらに載せて見た。

(これが、葉ちゃんの喰いかけだな)

 そう思うと、つい頬のゆるむ、嬉しさを感じた。……大事大事にとって置きたいような、……ぎゅっと抱締めたいような――。

 黒吉は、充分幸福を味わって、もう一遍沁々と、薄い光の中で、それを見詰めた。こうしてよくよく見ると、気の所為いか、その一かけの煎餅は、幾らか湿っているように思えた。

気をつけて、触ってみると、確かに、喰いかけのところが一寸湿っていた。

(葉ちゃんの唾つばきかな)

 黒吉の、小さい心臓は、この思わぬ、めっけものにガクガクと顫えた。

 彼は、いくら少年とはいえ、無論こんな一っかけの煎餅を、喰べたいばかりに、拾って来たのではなかった。黒吉には「葉子の喰べかけ」というところに、この煎餅が、幾カラットもあるダイヤモンドにも見えたのだ。

 しかし、触って見ると、このかけらは湿っている……

(葉ちゃんの唾だな)

 その瞬間、黒吉の頭には、衣裳部屋で、葉子が忙しそうにこの煎餅を咥くわえていた光景と、それにつづいてクロオズアップされた、彼女の、あの可愛い紅唇くちとが、アリアリと浮んだ。

 それと一緒に、彼は、思わずゴクンと、固い唾を飲んだ。

 黒吉は、妖しく眼を光らせながら、あたりを偸ぬすみ見ると、やがて、意を決したように、その葉子の唾液つばきで湿ったに違いない煎餅のかけらを、そっと唇に近づけた……。

(鹹しょっぱい――な)

 これは、勿論塩煎餅の味だったろう。だが、黒吉の手は、何故かぶるぶると顫えた。

 彼の少年らしくもない、深い陰影かげを持った顔は、何時か熱っぽく上気し、激しく心臓から投出される、血潮は、顳※(「需+頁」、第3水準1-94-6)こめかみをひくひくと波打たせていた。

 そして、もう手の掌に、べとべとと溶けて仕舞った、煎餅のかけらから、尚も「葉子の匂い」を嗅ぎ出そうと、総てを忘れて、ペロペロと舐め続けていた……。

「こらっ。何をしてるんだ、黒公」

 ハッと気がつくと、蒲団の山の向うから、源二郎爺の、怒りを含んだ怪訝な顔が、覗いていた。

「出番じゃねエか。愚図愚図してると、又ひどいぞ」

「ウン」

 黒吉は、瞬間、親方の顔を思い出して、ピョコンと飛起きた。そして、ベタベタと粘る手の掌を肉襦袢にこすりこすり、周章あわてて楽屋の方へ駈けて行った。

二ノ三

 黒吉は、命ぜられた、色々の曲芸をしながらも、頭の中は、いつも葉子の事で一杯だった。

(一度でいいから葉ちゃんと、沁々話したい)

 これが、彼の歪められた心に発生わいて来た、たった一つの望みだった。

 彼がもっと朗らかな、普通の子供であったならば、いつも同じ小屋にいる葉子だもの、そんな事は、造作なく実現したに違いない。

 しかし、それにしては、黒吉は、余りに陰気な、ひねくれた少年だった。――というのも、彼の暗い周囲がそうさせたのだが――。

 そして、早熟ませた葉子への執着が、堰せき切れなくなった時に彼が見つけたのは、あの煎餅のかけらが産んだ、恐ろしい恍惚エクスタシーだった。

 一度こうした排はけ口を見つけた、彼の心が、その儘止まる筈はなかった――寧ろ、津浪のようにその排け口に向って殺到して行ったのだ。

 彼は、そっと、人のいないのを見すまして、衣裳部屋に潜り込み、葉子の小ちっちゃい肉襦袢に、醜悪な顔を、埋うずめていた事もあった。

 その白粉の匂いと、体臭のむんむんする臭いが、彼自身眩暈めまいをさえ伴った、陶酔感を与えるのだ。

 そして、ふと、その肉襦袢に、葉子のオカッパの髪が、二三本ついていたのを見つけると、その大発見に狂喜しながら、注意ぶかく抓つまみ上げて、白い紙につつむと、あり合せの鉛筆で、

「葉子チャンノカミノケ」

 そんな文句を、下手糞な字で、たどたどしく書きつけ、もう一度、上から擦さすって見てから、それを、肌身深く蔵しまいこんで仕舞った……。

 こうした彼の悪癖が、益々慕って行った事は、その後、葉子の持ち物が、ちょいちょい失なくなるようになった事でも、充分想像が出来た。

 失くなるといっても、勿論たいした品物を、曲馬団の少女が、持っている訳はなかったから、もうすり減った、真黒く脂肪あぶら足の跡が附いた、下駄の一方だとか、毛の抜けて仕舞った竹の歯楊子ようじだとか、そういった、極く下らないものだった。それで、

(盗られた)

 という気持を、葉子自身ですら感じなかったのは、彼にとっては、もっけの幸いだった。しかしこれらの「下らない紛失物」が、黒吉にとって、どんなに貴重なものだったかは、また容易に想像出来るのだ。

 ――ここまでは、黒吉少年の心に醗酵した、侘わびしい(しか執拗な)彼一人だけの、胸の中の恋だった。

 だが、ここに葉子が、暴風雨あらしを伴奏にして、颯爽と、現実舞台へ、登場しようとしている。

       ×

 極東曲馬団は、町から町、盛り場から盛り場を、人々の眼を楽しませながら、流れ移っていた。

 そして、ある田舎町に敷地を借り、ようやく小屋掛けも終ったと殆んど同時に、朝から頸を傾かしげさせていた空模様が、一時に頽くずれて、大粒の雨が、無気味な風を含んで、ぽたりぽたり落ちて来たかと思うと、もう篠つくような豪雨に変っていた。

 団長等は、早々に、宿屋に引上げて仕舞ったが、子供の座員や、下っぱの座員などは、経費の関係で、いつも、この小屋に泊る事を言渡されていた。子供等の方では、これは当然だと思っていたし、又団長がいないという事で、却って喜んでいたようでもあった。

 しかし、この急拵えの小屋が、この沛然はいぜんと降る豪雨に、無事な筈はなく、雨漏りをさけて遁げ廻った末、やっと楽屋の隅で、ひと凝固かたまりになって、横になる事が出来たのは、もう大分夜が更けてからだった。

 黒吉は、眼をつぶって、ようやく小降りになって来たらしい、雨の音を聴いていると、もう肩を並べた隣りからは、幽かな寝息さえ聴えて来た。

 それと同時に、黒吉は、何かドキンとしたものを感じた。

(隣りに寝ているのは、葉ちゃんじゃないか――)

二ノ四

 瞬間、黒吉は自分の頭が、シーンと澄み透って行くのを感じた。

(果して、隣りで寝ているのは、葉ちゃんだろうか)

 それは勿論、第六感とでもいうのか、極く曖昧ものだった。が、あの騒ぎで、皆んな、ごたごたに寝て仕舞ったのだから全然あり得ない事でもないのだ。

 そう思うと、隣りと接した、肩の辺が、熱っぽく、暑苦しいようにさえ感じた。そして、心臓はその鼓動と伴に、胸の中、一杯に拡がって行った。

 黒吉は、思い切って、起上り、顔を覗き見たい衝動を感じた。あたりは真暗だが、よく気をつけて覗きこめば、顔の判別がつかぬ、という程でもないように思われた。

 彼は、そーっと、薄い蒲団の縁へりへ、手をかけた。だが――

(まてまて。葉ちゃんならば、こんなに素晴らしい事はない。けれども、こんなにぎっしり寝ている処で、ごそごそ起きたら、どうかすると、彼女は眼を覚ますかも知れない。

 それだけならいいが、眼を覚まして、俺が覗きこんでいた事を知ったら、きっと葉ちゃんは、真赤になって、この醜い俺を罵り、どこか遠くへ寝床をかえて仕舞うに違いないんだ。

 ――そんな莫迦な事をするより、例え短かくとも、夜が明けるまで、こうして葉ちゃんの、ふくよかな肩の感触を恣ほしいままにした方が、どれ程気が利いていることか……)

 黒吉の心の中の、内気な半面が、こう囁いた。

 彼は、蒲団にかけた手を、又静かに戻して仕舞うと、今度は、全身の注意を、細かに砕いて、彼女の方へぴったり、摺り寄って行った。そして、温もりに混った、彼女の穏やかな心臓の響きを、肩の辺に聴いていた……。

 フト、冷めたい風を感じて、何時の間にかつぶっていた眼を明けて見ると、あたりには極くうっすらと、光が射しているのに、気がついた。

(もう夜明けかな――いつの間に寝て仕舞ったんだろう)

 それと一緒に、思わずガクンと体の顫えるような、口惜くやしさに似た後悔を感じた。

(葉ちゃんは……)

 黒吉は、先ずそれが心懸りだったので、ぐっと頸を廻して隣りを確めようとした。

(おや……)

 彼の眼に這入ったのは、葉子より先きに、キンと澄み切った、尖った月の半分だった。

 急拵えの小屋天幕は、夕方の大暴風雨あらしに吹きまくられてぽっかり夜空に口を開け、恰度そこから、のり出すように月が覗き込み、地底のようにシンと澱んだ小屋の中に白々とした、絹糸のような、光を撒いているのだ。暴風雨あらしの後の月は物凄いまでに、冴え冴えとしていた。

(まだ夜中だ)

 黒吉は※ほ[#「口+息」、22-9]っと心配を排はき棄てた。

 彼の隣りには、葉子が、いかにも寝苦しそうに寝ていた。先刻さっきは、確かに葉子だ、とは断言出来なかったが、いまでは極く淡い光ではあったが、その中でも、段々眼の馴れるに従って、黒吉には、ハッキリ葉子の姿が、写って来た。

 黒吉は、意を決したように、半身を蒲団から抜出し、月の光を遮らないように――、音のしないように、そっと彼女の顔を覗きこんだ。

 眼の下には、月の光を受けて、いつもより蒼白く見える葉子の、幼い顔が、少しばかり口さえ開け、寝入っていた。もう少し月の光が強かったら、この房々としたオカッパの頭髪かみのけが黄金のように光るだろう――と思えた。

 又、襟足の洗いおとした白粉が、この幼い葉子の寝姿を少年の心にも、一入ひとしお可憐いじらしく見せていた。

 暫く、ぼんやりと、その夢のように霞んだ、葉子の顔を、見詰めていた黒吉は、ゴクンと固い唾を咽喉へ通すと、その薄く開かれた唇から、寝息でも聴こうとするのか、顔を次第次第に近附けて行った。

 何故か、彼の唇は、ガザガザに乾いていた。

 やがて、この弱々しい月光の下で、二つのさな頭の影が、一つになって仕舞うと、彼は、葉子の頬についている、小さい愛嬌黒子ぼくろが、自分の頬をも、凹へこますのを感じた。

二ノ五

 黒吉の、唇に感じた、葉子の唇の感触は、ぬくぬくとして弾力に富んだはんぺんのようだった。妙な連想だけれど、事実彼の経験では、これが一番よく似ていたのだ。

 唯、違った所――それは非常に違ったところがあるのだが――残念ながら、それをいい表わす言葉を知らなかった。

 彼は、そーっと腕の力を抜こうとした。途端に、肘の下の羽目板が、鈍い音を立てた。造作の悪い掛小屋なので、一寸した重みの加減でも、板が軋むのだ。シンとした周囲あたりと、針のように尖った、彼の神経に、それが幾層倍にも、拡大されて響き渡った。

 黒吉の心臓は、瞬間、ドキンと音がして止ったようだった。

「ク……」

 周章あわてて顔を上げた彼の眼の下で、葉子は、悪い夢でも見たのか、咽喉を鳴らすと、寝返りを打って、向うを向いて仕舞った。

(眼を覚ましたかな)

 黒吉は、思いきり息を深くしながら、葉子の墨のような、後向きの寝姿を、見守った。(いや、大丈夫だ)

 寝返りをした葉子は、幸い、眼を覚まさなかったと見えて、直ぐ又かすかな、寝息が、聴えて来た。

 彼は、ようやく※ほ[#「口+息」、24-4]っと、熱

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anond:20250708044816

 辺鄙な、村はずれの丘には、いつの間にか、華やかな幕を沢山吊るした急拵ごしらえの小屋掛が出来て、極東曲馬団の名がかけられ、狂燥なジンタと、ヒョロヒョロと空気を伝わるフリュートの音に、村人は、老おいも若きも、しばし、強烈な色彩と音楽スリル享楽し、又、いつの間にか曲馬団が他へ流れて行っても、しばらくは、フト白い流れ雲の中に、少年少女の縊くびれた肢体を思い出すのである

 トテモ華やかな、その空気の中にも、やっぱり、小さな「悩める虫」がいるのだ。

一ノ二

莫迦ッ、そんな事が出来ねエのか、間抜けめ!」

 親方は、野卑な言葉で、そう呶鳴どなると、手に持った革の鞭で、床をビシビシ撲りつけながら、黒吉くろきちを、グッと睨みつけるのだった。

 まだいたいけな少年の黒吉は、恐ろしさにオドオドして、

「済みません、済みません」

 そんな事を、呟くようにいうと、ぼろぼろに裂けた肉襦袢じゅばんの、肩の辺を擦さすりながら、氷のように冷めたい床の上に、又無器用な体つきで、ゴロンゴロンと幾度も「逆立ち」を遣り直していた。

 饑ひもじさと、恐ろしさと、苦痛と、寒気と、そして他の座員の嘲笑とが、もう毎度の事だったが、黒吉の身の周りに、犇々ひしひしと迫って、思わずホロホロと滾こぼした血のような涙が、荒削りの床に、黒い斑点を残して、音もなく滲しみ込んで行った。

 ――ここは、極東曲馬団の楽屋裏だった。

 逆立ちの下手な、無器用な黒吉は、ここの少年座員なのだ

 鴉からす黒吉。というのが彼の名前だった。しかしこれは舞台だけの芸名か、それとも本当の名前か、恐らくこれは字面じづらから見て、親方が、勝手につけた名前に違いないが、本名となると彼自身は勿論の事、親方だってハッキリ知っているかどうかは疑わしいものだった。

 黒吉自身記憶といっては、極めてぼんやりしたものだったけれど、いたましい事には、それは何時も、この曲馬団の片隅の、衣裳戸棚から始まっていた。

 それで、彼がもの心のついた時からは、――彼の記憶が始まった時からは、いつも周囲には、悲壮ジンタと、くしゃくしゃになったあくどい色の衣裳と、そして、それらを罩こめた安白粉おしろいの匂いや、汗のしみた肉襦袢の、ムッとした嗅気が、重なり合って、色彩っていた。

 こうした頽廃的な雰囲気の中に、いつも絶えない、座員間の軋轢あつれきと、華やかな底に澱む、ひがんだ蒼黒い空気とは、幼い黒吉の心から、跡形もなく「朗らかさ」を毟むしり取って仕舞った。そして、あとに残った陰欝な、日陰の虫のような少年の心に、世の中というものを、一風変った方向からのみ、見詰めさせていた。

 彼は用のない時には、何時も、太い丸太が荒縄で、蜘蛛の巣のように、縦横無尽に張りまわされている薄暗い楽屋の隅で、何かぼんやりえこんでいた。それは少年らしくもない憂欝な、女々しい姿だった。

 黒吉は明かに、他の同輩の少年から

「オイ、こっちへこいよ」

 と声をかけられるのを恐れているように見えた。

 しかし、それは、単に彼の危惧に過ぎなかった。

 他の少年座員達は、誰も、この憂欝な顔をした、芸の不器用な、そして親方におぼえのよくない黒吉と、進んで遊ぼうというものはなかった。(それは恐ろしい団長への、気兼ねもあったろうが)寧ろ彼等は、黒吉の方からしかけても、決して色よい返事は、しないように思われた。

 結局、黒吉はそれをいい事にして、独りぽつねんと、小屋の隅に忘れられた儘、たった一つ、彼に残されたオアシスである他愛もない「空想」に耽っていた。

一ノ三

 憂欝な少年黒吉が、何を考えているのか。

 ――その前に、彼が、なぜ親方のおぼえが悪いのだろうかという事をいわなければならない。

 (それは、彼の憂欝性にも、重大な影響のある事だから

 黒吉は、どう見ても、親方の「お気に入り」とは思えなかった。それは、勿論彼が、芸の未熟な不器用だった事も、確かにその原因の、一つだったけれど、他の大きな原因は、彼が醜い容貌だ、という先天的な不運に、禍わざわいされていたのだった。

 男の子容貌が、そんなにも、幼い心を虐しいたげるものだろうか――。

 如何にも、舞台の上で生活するものにとって、顔の美醜は非常に大きなハンデキャップなのだ。彼の同輩の愛くるしい少年が、舞台で、どうしたはずみか、ストンと尻もちをついたとしたら、観客は

「まあ、可哀そうに……あら、赤くなって、こっちを見てるわ、まるで正美さんみたいね

 そういって可愛い美少年は、失敗をした為に、却って、観客の人気を得るのだ。けれど、それに引きかえて、醜い顔だちを持った黒吉が、舞台でそれと同じような失敗をしても、観客は、何の遠慮もなく、このぎこちない少年の未熟さを嘲笑うのだった。

 この観客にさえ嗤わらわれる黒吉は、勿論親方にとって、どんなに間抜けな、穀潰ごくつぶしに見えたかは充分想像が、出来るのだった。従って、黒吉に対する、親方仕打ちがどんなものだったかも――

(俺は芸が下手なんだ)

(俺は醜い男なんだ)

 薄暗い小屋の片隅で、独りぽつんと、考えこんでいる黒吉は、楽しい空想どころか、彼の幼い心には、この二つの子供らしくもない懊悩が、いつも吹き荒すさんでいるのだった。

 そして、それは彼の心の底へ、少年らしい甘えた気持を、ひた押しに内攻して仕舞って、彼を尚一層、陰気にする外、何んの役にもたたなかった。冷たい冷たい胸の中に、熱いものは、ただ一つ涙だけだった。

 こうした雰囲気の中に、閉じこめられた鴉黒吉が、真直に伸びる筈はなかった。

 ――そして、蒼白い「歪んだ心」を持った少年が、ここに一人生成されて行った。

 世の中の少年少女達が、喜々として、小学校に通い始めた頃だろうか。勿論黒吉には、そんな恵まれ生活は、遠く想像の外だった。

 しかし、この頃から黒吉は、同輩の幼い座員の中でも、少年少女とを、異った眼で見るようになって来た。

「何」という、ハッキリした相違はないのだが、女の子莫迦にされた時には、不思議男の子に罵られたような、憤りは感じなかったのだった。寧ろ、

(いっそ、あの手で打ぶたれたら……)

 と思うと、何かゾクゾクとした、喜びに似た気持を感じるのだ。

 これが何んであるか、黒吉は、次第に、その姿を、ハッキリ見るようになって来た。

一ノ四

 安白粉の匂いと、汗ばんだ体臭と、そして、ぺらぺらなあくどい色の衣裳が、雑巾のように、投げ散らかされた、この頽廃的な曲馬団の楽屋で、侮蔑の中に育てられた、陰気な少年の「歪んだ心」には、もうませた女の子への、不思議な執着が、ジクジクと燃えて来たのだ。

 ――そして、それを尚一層、駆立てるような、出来事が起った。

 それは、やっと敷地小屋掛けも済んで、いよいよ明日から公開、という前の日だった。

 団長は、例の通り、小六ヶ敷こむずかしい顔をして、小屋掛けの監督をしていたが、それが終って仕舞うと、さも「大仕事をした」というような顔をして、他のお気に入り幹部達と一緒に、何処か、遊びに出て行った。

 団長の遊びに行くのを、見送って仕舞うと、他の年かさな座員や、楽隊ジンタの係りの者なども、ようやくのびのびとして、思い思いの雑談に高笑いを立てていたが、剽軽者ひょうきんものの仙次が、自分の役であるピエロ舞台着を調べながら

「オイ、親父おやじが行ったぜ、俺の方も行こうか」

 恰度それが、合図でもあったかのように、急に話声が高くなった。

「ウン、たまには一杯やらなくちゃ……」

「ちえッ、たまには、とはよくもいいやがった。明日があるんだ、大丈夫か」

「ナーニ、少しはやらなくちゃ続かねエよ、いやなら止せよ」

「いやじゃねエよ」

ハハハ、五月蠅うるせえなア」

 と、如何にも嬉しそうに、がやがや喋りながら、それでも大急ぎで支度をして、町の中に開放されて行った。

 そして、何時か、このガランとした小屋の中には、蒲団ふとん係りの源二郎爺さんと、子供の座員だけが、ぽつんつんと取り残されていた。子供の座員は、外出を禁じられていた。それは勿論「脱走」に備えたものだった。その見張りの役が、今は老耄おいぼれて仕舞ったが、昔はこの一座を背負って立った源二郎爺じじいなのだ

 結局、幼い彼等は、小屋の中で、てんでに遊ぶより仕方がなかった。

 男の子男同志で、舞台を駈廻り、女の子は女らしく、固かたまって縄飛びをしていた。――そして、黒吉は、相変らず小屋の隅に、ぽつんと独りだった。

 しかし、何時になく、黒吉の眼は、何か一心に見詰めているようだ。

(この憂欝な、オドオドした少年が、一生懸命に見ているものは、何んだろう)

 誰でも、彼の平生を知っているものが、この様子に気付いたならば、一寸ちょっとをかしげたに相違ない。そして、何気なくこの少年視線を追って見たならば、或はハッと眼を伏せたかも知れないのだ。

 黒吉の恰度眼の前では、少女の座員たちが、簡単アッパッパを着て、縄飛びをしていた――。しかし彼の見ているのは、それではなかった。この少女達が、急いきおいよく自分の背丈せい位もある縄を飛んで、トンと下りると、その瞬間、簡単アッパッパスカートは、風を受けて乱れ、そこから覗くのは、ふっくりとした白い腿だった――。

(十やそこらの少年が、こんなものを、息を殺して見詰めているのだろうか――)

 そう考えると、極めて不快な感じの前に何か、寒む寒むとした、恐ろしさを覚えるのだ。

 しかし、尚そればかりではなかった。

 この憂欝な少年の心を、根柢から、グスグスとゆり動かした、あの「ふっくりとした白い腿」がたえまなく、彼の頭の中に、大きく渦を捲いて、押流れていた。

 やがて、その心の渦が、ようやく鎮まって来ると、その渦の中から、浮び上って来たのは、この一座の花形少女貴志田葉子きしだようこ」の顔だった。

 だが、それと同時に、黒吉は、いきなり打ち前倒のめされたような、劇しい不快な気持を、感じた。

(ちえッ、俺がいくらちゃんと遊ぼうったって、駄目だい。俺は芸が、下手くそなんだ。それに、あんな綺麗な葉ちゃんが、俺みたいな汚い子と遊んでくれるもんか……)

 だが、この少年の心の底へ、しっかり焼付られた、葉ちゃんへの、不思議な執着は、そんな事ぐらいでは、びくともしなかった。寧ろ

(駄目だ)

 と思えば思う程、余計に、いきなり大声で呶鳴ってみたいような焦燥を、いやが上にも煽立あおりたてているのだ。

 ――この頃から、彼のそぶりは、少しずつ変って来たようだった。それはよく気をつけて見たならば、相変らず小屋の片隅に、独りぽっちでいる黒吉の眼が、妙な光を持って来たのに、気がついたろう。そして、その時は彼の視線の先きに必ず幼い花形の、葉子が、愛くるしい姿をして飛廻っていたのだ。

 葉子は、まだ黒吉と同じように、十とう位だったが、顔は綺麗だし、芸は上手いし、自由小鳥のように朗らかで、あの気六ヶ敷い団長にすら、この上もなく可愛がられていたから、この陰惨な曲馬団の中でも、彼女だけは、充分幸福なように見えた。

 そして、勿論、この陰気な、醜い黒吉が、自分一挙一動を、舐めるように、見詰めているとは気づかなかったろう。

 黒吉自身は、彼女が、自分の事など、気にもかけていない、という事が「痛しかゆし」の気持だった。無論彼女

「こっちへいらっしゃいよ」

 とでも、声を掛けられたら、どんなに嬉しい事だろう。――しかし、その半面

「だらしがないのねエ、あんたなんか、大嫌いよ」

 といわれはしまいか、と思うと、彼女に話かけるどころか葉子が、何気なくこっちを見てさえ、

(俺を嗤うんじゃないか

 こうした感じが、脈管の中を、火のように逆流するのだ。それで、つと眼を伏せて仕舞う彼だった。

 黒吉は、自分でさえ、このひねくれた気持を知りながら、尚葉子への愛慕と伴に、どうしても、脱ぎ去る事が、出来なかった。

       ×

 思い出したように、賑やかなジンタが、「敷島マーチ」を一通り済ますと、続いて「カチウシャ」を始めた。フリュートの音が、ひょろひょろと蒼穹あおぞらに消えると、その合間合間に、乾からびた木戸番の「呼び込み」が、座員の心をも、何かそわそわさせるように、響いて来た。

「さあ、葉ちゃんの出番だよ」

「あら、もうあたしなの、いそがしいわ」

「いそいで、いそいで」

 葉子は周章あわててお煎餅せんべい一口齧かじると、衣裳部屋を飛出して行った。

 恰度、通り合せた黒吉は、ちらりとそれを見ると、何を思ったのか、その喰たべかけの煎餅を、そっと、いかにも大事そうに持って行った。

二ノ二

 葉子が、喰いかけて、抛り出して行った煎餅を、そっと、拾って来た黒吉は、座員達が、こってりと白粉を塗った顔を上気させながら、忙しそうに話し合っている所を、知らん顔して通り抜けると小屋の片隅の、座蒲団が山のように積上げられてある陰へ来た。

 黒吉は、経験で、舞台が始まると、こんなところには、滅多に人が来ない事を知っていた。

 それでも、注意深く、あたりに人気のないのを見澄ますと、こそこそと体を跼かがめながら、いまにも崩れそうに積上げられた座蒲団の隙間へ、潜り込んで行った。

 その隙間は、如何にも窮屈だったが、妙にぬくぬくとした弾力があって、何かなつかしいもののようであった。黒吉はやっと※ほっ[#「口+息」、16-9]とした落着きを味わいながら、あの煎餅のかけらを持ち迭かえると、それがさも大切な宝石でもあるかのように、そーっと手の掌ひらに載せて見た。

(これが、葉ちゃんの喰いかけだな)

 そう思うと、つい頬のゆるむ、嬉しさを感じた。……大事大事にとって置きたいような、……ぎゅっと抱締めたいような――。

 黒吉は、充分幸福を味わって、もう一遍沁々と、薄い光の中で、それを見詰めた。こうしてよくよく見ると、気の所為いか、その一かけの煎餅は、幾らか湿っているように思えた。

気をつけて、触ってみると、確かに、喰いかけのところが一寸湿っていた。

(葉ちゃんの唾つばきかな)

 黒吉の、小さい心臓は、この思わぬ、めっけものにガクガクと顫えた。

 彼は、いくら少年とはいえ、無論こんな一っかけの煎餅を、喰べたいばかりに、拾って来たのではなかった。黒吉には「葉子の喰べかけ」というところに、この煎餅が、幾カラットもあるダイヤモンドにも見えたのだ。

 しかし、触って見ると、このかけらは湿っている……

(葉ちゃんの唾だな)

 その瞬間、黒吉の頭には、衣裳部屋で、葉子が忙しそうにこの煎餅を咥くわえていた光景と、それにつづいてクロオズアップされた、彼女の、あの可愛い紅唇くちとが、アリアリと浮んだ。

 それと一緒に、彼は、思わずゴクンと、固い唾を飲んだ。

 黒吉は、妖しく眼を光らせながら、あたりを偸ぬすみ見ると、やがて、意を決したように、その葉子の唾液つばきで湿ったに違いない煎餅のかけらを、そっと唇に近づけた……。

(鹹しょっぱい――な)

 これは、勿論塩煎餅の味だったろう。だが、黒吉の手は、何故かぶるぶると顫えた。

 彼の少年らしくもない、深い陰影かげを持った顔は、何時か熱っぽく上気し、激しく心臓から投出される、血潮は、顳※(「需+頁」、第3水準1-94-6)こめかみをひくひくと波打たせていた。

 そして、もう手の掌に、べとべとと溶けて仕舞った、煎餅のかけらから、尚も「葉子の匂い」を嗅ぎ出そうと、総てを忘れて、ペロペロと舐め続けていた……。

「こらっ。何をしてるんだ、黒公」

 ハッと気がつくと、蒲団の山の向うから、源二郎爺の、怒りを含んだ怪訝な顔が、覗いていた。

「出番じゃねエか。愚図愚図してると、又ひどいぞ」

「ウン」

 黒吉は、瞬間、親方の顔を思い出して、ピョコンと飛起きた。そして、ベタベタと粘る手の掌を肉襦袢にこすりこすり、周章あわてて楽屋の方へ駈けて行った。

二ノ三

 黒吉は、命ぜられた、色々の曲芸をしながらも、頭の中は、いつも葉子の事で一杯だった。

(一度でいいから葉ちゃんと、沁々話したい)

 これが、彼の歪められた心に発生わいて来た、たった一つの望みだった。

 彼がもっと朗らかな、普通の子供であったならば、いつも同じ小屋にいる葉子だもの、そんな事は、造作なく実現したに違いない。

 しかし、それにしては、黒吉は、余りに陰気な、ひねくれた少年だった。――というのも、彼の暗い周囲がそうさせたのだが――。

 そして、早熟ませた葉子への執着が、堰せき切れなくなった時に彼が見つけたのは、あの煎餅のかけらが産んだ、恐ろしい恍惚エクスタシーだった。

 一度こうした排はけ口を見つけた、彼の心が、その儘止まる筈はなかった――寧ろ、津浪のようにその排け口に向って殺到して行ったのだ。

 彼は、そっと、人のいないのを見すまして、衣裳部屋に潜り込み、葉子の小ちっちゃい肉襦袢に、醜悪な顔を、埋うずめていた事もあった。

 その白粉の匂いと、体臭のむんむんする臭いが、彼自身眩暈めまいをさえ伴った、陶酔感を与えるのだ。

 そして、ふと、その肉襦袢に、葉子のオカッパの髪が、二三本ついていたのを見つけると、その大発見に狂喜しながら、注意ぶかく抓つまみ上げて、白い紙につつむと、あり合せの鉛筆で、

「葉子チャンノカミノケ」

 そんな文句を、下手糞な字で、たどたどしく書きつけ、もう一度、上から擦さすって見てから、それを、肌身深く蔵しまいこんで仕舞った……。

 こうした彼の悪癖が、益々慕って行った事は、その後、葉子の持ち物が、ちょいちょい失なくなるようになった事でも、充分想像が出来た。

 失くなるといっても、勿論たいした品物を、曲馬団の少女が、持っている訳はなかったから、もうすり減った、真黒く脂肪あぶら足の跡が附いた、下駄の一方だとか、毛の抜けて仕舞った竹の歯楊子ようじだとか、そういった、極く下らないものだった。それで、

(盗られた)

 という気持を、葉子自身ですら感じなかったのは、彼にとっては、もっけの幸いだった。しかしこれらの「下らない紛失物」が、黒吉にとって、どんなに貴重なものだったかは、また容易に想像出来るのだ。

 ――ここまでは、黒吉少年の心に醗酵した、侘わびしい(しか執拗な)彼一人だけの、胸の中の恋だった。

 だが、ここに葉子が、暴風雨あらしを伴奏にして、颯爽と、現実舞台へ、登場しようとしている。

       ×

 極東曲馬団は、町から町、盛り場から盛り場を、人々の眼を楽しませながら、流れ移っていた。

 そして、ある田舎町に敷地を借り、ようやく小屋掛けも終ったと殆んど同時に、朝から頸を傾かしげさせていた空模様が、一時に頽くずれて、大粒の雨が、無気味な風を含んで、ぽたりぽたり落ちて来たかと思うと、もう篠つくような豪雨に変っていた。

 団長等は、早々に、宿屋に引上げて仕舞ったが、子供の座員や、下っぱの座員などは、経費の関係で、いつも、この小屋に泊る事を言渡されていた。子供等の方では、これは当然だと思っていたし、又団長がいないという事で、却って喜んでいたようでもあった。

 しかし、この急拵えの小屋が、この沛然はいぜんと降る豪雨に、無事な筈はなく、雨漏りをさけて遁げ廻った末、やっと楽屋の隅で、ひと凝固かたまりになって、横になる事が出来たのは、もう大分夜が更けてからだった。

 黒吉は、眼をつぶって、ようやく小降りになって来たらしい、雨の音を聴いていると、もう肩を並べた隣りからは、幽かな寝息さえ聴えて来た。

 それと同時に、黒吉は、何かドキンとしたものを感じた。

(隣りに寝ているのは、葉ちゃんじゃないか――)

二ノ四

 瞬間、黒吉は自分の頭が、シーンと澄み透って行くのを感じた。

(果して、隣りで寝ているのは、葉ちゃんだろうか)

 それは勿論、第六感とでもいうのか、極く曖昧ものだった。が、あの騒ぎで、皆んな、ごたごたに寝て仕舞ったのだから全然あり得ない事でもないのだ。

 そう思うと、隣りと接した、肩の辺が、熱っぽく、暑苦しいようにさえ感じた。そして、心臓はその鼓動と伴に、胸の中、一杯に拡がって行った。

 黒吉は、思い切って、起上り、顔を覗き見たい衝動を感じた。あたりは真暗だが、よく気をつけて覗きこめば、顔の判別がつかぬ、という程でもないように思われた。

 彼は、そーっと、薄い蒲団の縁へりへ、手をかけた。だが――

(まてまて。葉ちゃんならば、こんなに素晴らしい事はない。けれども、こんなにぎっしり寝ている処で、ごそごそ起きたら、どうかすると、彼女は眼を覚ますかも知れない。

 それだけならいいが、眼を覚まして、俺が覗きこんでいた事を知ったら、きっと葉ちゃんは、真赤になって、この醜い俺を罵り、どこか遠くへ寝床をかえて仕舞うに違いないんだ。

 ――そんな莫迦な事をするより、例え短かくとも、夜が明けるまで、こうして葉ちゃんの、ふくよかな肩の感触を恣ほしいままにした方が、どれ程気が利いていることか……)

 黒吉の心の中の、内気な半面が、こう囁いた。

 彼は、蒲団にかけた手を、又静かに戻して仕舞うと、今度は、全身の注意を、細かに砕いて、彼女の方へぴったり、摺り寄って行った。そして、温もりに混った、彼女の穏やかな心臓の響きを、肩の辺に聴いていた……。

 フト、冷めたい風を感じて、何時の間にかつぶっていた眼を明けて見ると、あたりには極くうっすらと、光が射しているのに、気がついた。

(もう夜明けかな――いつの間に寝て仕舞ったんだろう)

 それと一緒に、思わずガクンと体の顫えるような、口惜くやしさに似た後悔を感じた。

(葉ちゃんは……)

 黒吉は、先ずそれが心懸りだったので、ぐっと頸を廻して隣りを確めようとした。

(おや……)

 彼の眼に這入ったのは、葉子より先きに、キンと澄み切った、尖った月の半分だった。

 急拵えの小屋天幕は、夕方の大暴風雨あらしに吹きまくられてぽっかり夜空に口を開け、恰度そこから、のり出すように月が覗き込み、地底のようにシンと澱んだ小屋の中に白々とした、絹糸のような、光を撒いているのだ。暴風雨あらしの後の月は物凄いまでに、冴え冴えとしていた。

(まだ夜中だ)

 黒吉は※ほ[#「口+息」、22-9]っと心配を排はき棄てた。

 彼の隣りには、葉子が、いかにも寝苦しそうに寝ていた。先刻さっきは、確かに葉子だ、とは断言出来なかったが、いまでは極く淡い光ではあったが、その中でも、段々眼の馴れるに従って、黒吉には、ハッキリ葉子の姿が、写って来た。

 黒吉は、意を決したように、半身を蒲団から抜出し、月の光を遮らないように――、音のしないように、そっと彼女の顔を覗きこんだ。

 眼の下には、月の光を受けて、いつもより蒼白く見える葉子の、幼い顔が、少しばかり口さえ開け、寝入っていた。もう少し月の光が強かったら、この房々としたオカッパの頭髪かみのけが黄金のように光るだろう――と思えた。

 又、襟足の洗いおとした白粉が、この幼い葉子の寝姿を少年の心にも、一入ひとしお可憐いじらしく見せていた。

 暫く、ぼんやりと、その夢のように霞んだ、葉子の顔を、見詰めていた黒吉は、ゴクンと固い唾を咽喉へ通すと、その薄く開かれた唇から、寝息でも聴こうとするのか、顔を次第次第に近附けて行った。

 何故か、彼の唇は、ガザガザに乾いていた。

 やがて、この弱々しい月光の下で、二つのさな頭の影が、一つになって仕舞うと、彼は、葉子の頬についている、小さい愛嬌黒子ぼくろが、自分の頬をも、凹へこますのを感じた。

二ノ五

 黒吉の、唇に感じた、葉子の唇の感触は、ぬくぬくとして弾力に富んだはんぺんのようだった。妙な連想だけれど、事実彼の経験では、これが一番よく似ていたのだ。

 唯、違った所――それは非常に違ったところがあるのだが――残念ながら、それをいい表わす言葉を知らなかった。

 彼は、そーっと腕の力を抜こうとした。途端に、肘の下の羽目板が、鈍い音を立てた。造作の悪い掛小屋なので、一寸した重みの加減でも、板が軋むのだ。シンとした周囲あたりと、針のように尖った、彼の神経に、それが幾層倍にも、拡大されて響き渡った。

 黒吉の心臓は、瞬間、ドキンと音がして止ったようだった。

「ク……」

 周章あわてて顔を上げた彼の眼の下で、葉子は、悪い夢でも見たのか、咽喉を鳴らすと、寝返りを打って、向うを向いて仕舞った。

(眼を覚ましたかな)

 黒吉は、思いきり息を深くしながら、葉子の墨のような、後向きの寝姿を、見守った。(いや、大丈夫だ)

 寝返りをした葉子は、幸い、眼を覚まさなかったと見えて、直ぐ又かすかな、寝息が、聴えて来た。

 彼は、ようやく※ほ[#「口+息」、24-4]っと、熱

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anond:20250708044816

 辺鄙な、村はずれの丘には、いつの間にか、華やかな幕を沢山吊るした急拵ごしらえの小屋掛が出来て、極東曲馬団の名がかけられ、狂燥なジンタと、ヒョロヒョロと空気を伝わるフリュートの音に、村人は、老おいも若きも、しばし、強烈な色彩と音楽スリル享楽し、又、いつの間にか曲馬団が他へ流れて行っても、しばらくは、フト白い流れ雲の中に、少年少女の縊くびれた肢体を思い出すのである

 トテモ華やかな、その空気の中にも、やっぱり、小さな「悩める虫」がいるのだ。

一ノ二

莫迦ッ、そんな事が出来ねエのか、間抜けめ!」

 親方は、野卑な言葉で、そう呶鳴どなると、手に持った革の鞭で、床をビシビシ撲りつけながら、黒吉くろきちを、グッと睨みつけるのだった。

 まだいたいけな少年の黒吉は、恐ろしさにオドオドして、

「済みません、済みません」

 そんな事を、呟くようにいうと、ぼろぼろに裂けた肉襦袢じゅばんの、肩の辺を擦さすりながら、氷のように冷めたい床の上に、又無器用な体つきで、ゴロンゴロンと幾度も「逆立ち」を遣り直していた。

 饑ひもじさと、恐ろしさと、苦痛と、寒気と、そして他の座員の嘲笑とが、もう毎度の事だったが、黒吉の身の周りに、犇々ひしひしと迫って、思わずホロホロと滾こぼした血のような涙が、荒削りの床に、黒い斑点を残して、音もなく滲しみ込んで行った。

 ――ここは、極東曲馬団の楽屋裏だった。

 逆立ちの下手な、無器用な黒吉は、ここの少年座員なのだ

 鴉からす黒吉。というのが彼の名前だった。しかしこれは舞台だけの芸名か、それとも本当の名前か、恐らくこれは字面じづらから見て、親方が、勝手につけた名前に違いないが、本名となると彼自身は勿論の事、親方だってハッキリ知っているかどうかは疑わしいものだった。

 黒吉自身記憶といっては、極めてぼんやりしたものだったけれど、いたましい事には、それは何時も、この曲馬団の片隅の、衣裳戸棚から始まっていた。

 それで、彼がもの心のついた時からは、――彼の記憶が始まった時からは、いつも周囲には、悲壮ジンタと、くしゃくしゃになったあくどい色の衣裳と、そして、それらを罩こめた安白粉おしろいの匂いや、汗のしみた肉襦袢の、ムッとした嗅気が、重なり合って、色彩っていた。

 こうした頽廃的な雰囲気の中に、いつも絶えない、座員間の軋轢あつれきと、華やかな底に澱む、ひがんだ蒼黒い空気とは、幼い黒吉の心から、跡形もなく「朗らかさ」を毟むしり取って仕舞った。そして、あとに残った陰欝な、日陰の虫のような少年の心に、世の中というものを、一風変った方向からのみ、見詰めさせていた。

 彼は用のない時には、何時も、太い丸太が荒縄で、蜘蛛の巣のように、縦横無尽に張りまわされている薄暗い楽屋の隅で、何かぼんやりえこんでいた。それは少年らしくもない憂欝な、女々しい姿だった。

 黒吉は明かに、他の同輩の少年から

「オイ、こっちへこいよ」

 と声をかけられるのを恐れているように見えた。

 しかし、それは、単に彼の危惧に過ぎなかった。

 他の少年座員達は、誰も、この憂欝な顔をした、芸の不器用な、そして親方におぼえのよくない黒吉と、進んで遊ぼうというものはなかった。(それは恐ろしい団長への、気兼ねもあったろうが)寧ろ彼等は、黒吉の方からしかけても、決して色よい返事は、しないように思われた。

 結局、黒吉はそれをいい事にして、独りぽつねんと、小屋の隅に忘れられた儘、たった一つ、彼に残されたオアシスである他愛もない「空想」に耽っていた。

一ノ三

 憂欝な少年黒吉が、何を考えているのか。

 ――その前に、彼が、なぜ親方のおぼえが悪いのだろうかという事をいわなければならない。

 (それは、彼の憂欝性にも、重大な影響のある事だから

 黒吉は、どう見ても、親方の「お気に入り」とは思えなかった。それは、勿論彼が、芸の未熟な不器用だった事も、確かにその原因の、一つだったけれど、他の大きな原因は、彼が醜い容貌だ、という先天的な不運に、禍わざわいされていたのだった。

 男の子容貌が、そんなにも、幼い心を虐しいたげるものだろうか――。

 如何にも、舞台の上で生活するものにとって、顔の美醜は非常に大きなハンデキャップなのだ。彼の同輩の愛くるしい少年が、舞台で、どうしたはずみか、ストンと尻もちをついたとしたら、観客は

「まあ、可哀そうに……あら、赤くなって、こっちを見てるわ、まるで正美さんみたいね

 そういって可愛い美少年は、失敗をした為に、却って、観客の人気を得るのだ。けれど、それに引きかえて、醜い顔だちを持った黒吉が、舞台でそれと同じような失敗をしても、観客は、何の遠慮もなく、このぎこちない少年の未熟さを嘲笑うのだった。

 この観客にさえ嗤わらわれる黒吉は、勿論親方にとって、どんなに間抜けな、穀潰ごくつぶしに見えたかは充分想像が、出来るのだった。従って、黒吉に対する、親方仕打ちがどんなものだったかも――

(俺は芸が下手なんだ)

(俺は醜い男なんだ)

 薄暗い小屋の片隅で、独りぽつんと、考えこんでいる黒吉は、楽しい空想どころか、彼の幼い心には、この二つの子供らしくもない懊悩が、いつも吹き荒すさんでいるのだった。

 そして、それは彼の心の底へ、少年らしい甘えた気持を、ひた押しに内攻して仕舞って、彼を尚一層、陰気にする外、何んの役にもたたなかった。冷たい冷たい胸の中に、熱いものは、ただ一つ涙だけだった。

 こうした雰囲気の中に、閉じこめられた鴉黒吉が、真直に伸びる筈はなかった。

 ――そして、蒼白い「歪んだ心」を持った少年が、ここに一人生成されて行った。

 世の中の少年少女達が、喜々として、小学校に通い始めた頃だろうか。勿論黒吉には、そんな恵まれ生活は、遠く想像の外だった。

 しかし、この頃から黒吉は、同輩の幼い座員の中でも、少年少女とを、異った眼で見るようになって来た。

「何」という、ハッキリした相違はないのだが、女の子莫迦にされた時には、不思議男の子に罵られたような、憤りは感じなかったのだった。寧ろ、

(いっそ、あの手で打ぶたれたら……)

 と思うと、何かゾクゾクとした、喜びに似た気持を感じるのだ。

 これが何んであるか、黒吉は、次第に、その姿を、ハッキリ見るようになって来た。

一ノ四

 安白粉の匂いと、汗ばんだ体臭と、そして、ぺらぺらなあくどい色の衣裳が、雑巾のように、投げ散らかされた、この頽廃的な曲馬団の楽屋で、侮蔑の中に育てられた、陰気な少年の「歪んだ心」には、もうませた女の子への、不思議な執着が、ジクジクと燃えて来たのだ。

 ――そして、それを尚一層、駆立てるような、出来事が起った。

 それは、やっと敷地小屋掛けも済んで、いよいよ明日から公開、という前の日だった。

 団長は、例の通り、小六ヶ敷こむずかしい顔をして、小屋掛けの監督をしていたが、それが終って仕舞うと、さも「大仕事をした」というような顔をして、他のお気に入り幹部達と一緒に、何処か、遊びに出て行った。

 団長の遊びに行くのを、見送って仕舞うと、他の年かさな座員や、楽隊ジンタの係りの者なども、ようやくのびのびとして、思い思いの雑談に高笑いを立てていたが、剽軽者ひょうきんものの仙次が、自分の役であるピエロ舞台着を調べながら

「オイ、親父おやじが行ったぜ、俺の方も行こうか」

 恰度それが、合図でもあったかのように、急に話声が高くなった。

「ウン、たまには一杯やらなくちゃ……」

「ちえッ、たまには、とはよくもいいやがった。明日があるんだ、大丈夫か」

「ナーニ、少しはやらなくちゃ続かねエよ、いやなら止せよ」

「いやじゃねエよ」

ハハハ、五月蠅うるせえなア」

 と、如何にも嬉しそうに、がやがや喋りながら、それでも大急ぎで支度をして、町の中に開放されて行った。

 そして、何時か、このガランとした小屋の中には、蒲団ふとん係りの源二郎爺さんと、子供の座員だけが、ぽつんつんと取り残されていた。子供の座員は、外出を禁じられていた。それは勿論「脱走」に備えたものだった。その見張りの役が、今は老耄おいぼれて仕舞ったが、昔はこの一座を背負って立った源二郎爺じじいなのだ

 結局、幼い彼等は、小屋の中で、てんでに遊ぶより仕方がなかった。

 男の子男同志で、舞台を駈廻り、女の子は女らしく、固かたまって縄飛びをしていた。――そして、黒吉は、相変らず小屋の隅に、ぽつんと独りだった。

 しかし、何時になく、黒吉の眼は、何か一心に見詰めているようだ。

(この憂欝な、オドオドした少年が、一生懸命に見ているものは、何んだろう)

 誰でも、彼の平生を知っているものが、この様子に気付いたならば、一寸ちょっとをかしげたに相違ない。そして、何気なくこの少年視線を追って見たならば、或はハッと眼を伏せたかも知れないのだ。

 黒吉の恰度眼の前では、少女の座員たちが、簡単アッパッパを着て、縄飛びをしていた――。しかし彼の見ているのは、それではなかった。この少女達が、急いきおいよく自分の背丈せい位もある縄を飛んで、トンと下りると、その瞬間、簡単アッパッパスカートは、風を受けて乱れ、そこから覗くのは、ふっくりとした白い腿だった――。

(十やそこらの少年が、こんなものを、息を殺して見詰めているのだろうか――)

 そう考えると、極めて不快な感じの前に何か、寒む寒むとした、恐ろしさを覚えるのだ。

 しかし、尚そればかりではなかった。

 この憂欝な少年の心を、根柢から、グスグスとゆり動かした、あの「ふっくりとした白い腿」がたえまなく、彼の頭の中に、大きく渦を捲いて、押流れていた。

 やがて、その心の渦が、ようやく鎮まって来ると、その渦の中から、浮び上って来たのは、この一座の花形少女貴志田葉子きしだようこ」の顔だった。

 だが、それと同時に、黒吉は、いきなり打ち前倒のめされたような、劇しい不快な気持を、感じた。

(ちえッ、俺がいくらちゃんと遊ぼうったって、駄目だい。俺は芸が、下手くそなんだ。それに、あんな綺麗な葉ちゃんが、俺みたいな汚い子と遊んでくれるもんか……)

 だが、この少年の心の底へ、しっかり焼付られた、葉ちゃんへの、不思議な執着は、そんな事ぐらいでは、びくともしなかった。寧ろ

(駄目だ)

 と思えば思う程、余計に、いきなり大声で呶鳴ってみたいような焦燥を、いやが上にも煽立あおりたてているのだ。

 ――この頃から、彼のそぶりは、少しずつ変って来たようだった。それはよく気をつけて見たならば、相変らず小屋の片隅に、独りぽっちでいる黒吉の眼が、妙な光を持って来たのに、気がついたろう。そして、その時は彼の視線の先きに必ず幼い花形の、葉子が、愛くるしい姿をして飛廻っていたのだ。

 葉子は、まだ黒吉と同じように、十とう位だったが、顔は綺麗だし、芸は上手いし、自由小鳥のように朗らかで、あの気六ヶ敷い団長にすら、この上もなく可愛がられていたから、この陰惨な曲馬団の中でも、彼女だけは、充分幸福なように見えた。

 そして、勿論、この陰気な、醜い黒吉が、自分一挙一動を、舐めるように、見詰めているとは気づかなかったろう。

 黒吉自身は、彼女が、自分の事など、気にもかけていない、という事が「痛しかゆし」の気持だった。無論彼女

「こっちへいらっしゃいよ」

 とでも、声を掛けられたら、どんなに嬉しい事だろう。――しかし、その半面

「だらしがないのねエ、あんたなんか、大嫌いよ」

 といわれはしまいか、と思うと、彼女に話かけるどころか葉子が、何気なくこっちを見てさえ、

(俺を嗤うんじゃないか

 こうした感じが、脈管の中を、火のように逆流するのだ。それで、つと眼を伏せて仕舞う彼だった。

 黒吉は、自分でさえ、このひねくれた気持を知りながら、尚葉子への愛慕と伴に、どうしても、脱ぎ去る事が、出来なかった。

       ×

 思い出したように、賑やかなジンタが、「敷島マーチ」を一通り済ますと、続いて「カチウシャ」を始めた。フリュートの音が、ひょろひょろと蒼穹あおぞらに消えると、その合間合間に、乾からびた木戸番の「呼び込み」が、座員の心をも、何かそわそわさせるように、響いて来た。

「さあ、葉ちゃんの出番だよ」

「あら、もうあたしなの、いそがしいわ」

「いそいで、いそいで」

 葉子は周章あわててお煎餅せんべい一口齧かじると、衣裳部屋を飛出して行った。

 恰度、通り合せた黒吉は、ちらりとそれを見ると、何を思ったのか、その喰たべかけの煎餅を、そっと、いかにも大事そうに持って行った。

二ノ二

 葉子が、喰いかけて、抛り出して行った煎餅を、そっと、拾って来た黒吉は、座員達が、こってりと白粉を塗った顔を上気させながら、忙しそうに話し合っている所を、知らん顔して通り抜けると小屋の片隅の、座蒲団が山のように積上げられてある陰へ来た。

 黒吉は、経験で、舞台が始まると、こんなところには、滅多に人が来ない事を知っていた。

 それでも、注意深く、あたりに人気のないのを見澄ますと、こそこそと体を跼かがめながら、いまにも崩れそうに積上げられた座蒲団の隙間へ、潜り込んで行った。

 その隙間は、如何にも窮屈だったが、妙にぬくぬくとした弾力があって、何かなつかしいもののようであった。黒吉はやっと※ほっ[#「口+息」、16-9]とした落着きを味わいながら、あの煎餅のかけらを持ち迭かえると、それがさも大切な宝石でもあるかのように、そーっと手の掌ひらに載せて見た。

(これが、葉ちゃんの喰いかけだな)

 そう思うと、つい頬のゆるむ、嬉しさを感じた。……大事大事にとって置きたいような、……ぎゅっと抱締めたいような――。

 黒吉は、充分幸福を味わって、もう一遍沁々と、薄い光の中で、それを見詰めた。こうしてよくよく見ると、気の所為いか、その一かけの煎餅は、幾らか湿っているように思えた。

気をつけて、触ってみると、確かに、喰いかけのところが一寸湿っていた。

(葉ちゃんの唾つばきかな)

 黒吉の、小さい心臓は、この思わぬ、めっけものにガクガクと顫えた。

 彼は、いくら少年とはいえ、無論こんな一っかけの煎餅を、喰べたいばかりに、拾って来たのではなかった。黒吉には「葉子の喰べかけ」というところに、この煎餅が、幾カラットもあるダイヤモンドにも見えたのだ。

 しかし、触って見ると、このかけらは湿っている……

(葉ちゃんの唾だな)

 その瞬間、黒吉の頭には、衣裳部屋で、葉子が忙しそうにこの煎餅を咥くわえていた光景と、それにつづいてクロオズアップされた、彼女の、あの可愛い紅唇くちとが、アリアリと浮んだ。

 それと一緒に、彼は、思わずゴクンと、固い唾を飲んだ。

 黒吉は、妖しく眼を光らせながら、あたりを偸ぬすみ見ると、やがて、意を決したように、その葉子の唾液つばきで湿ったに違いない煎餅のかけらを、そっと唇に近づけた……。

(鹹しょっぱい――な)

 これは、勿論塩煎餅の味だったろう。だが、黒吉の手は、何故かぶるぶると顫えた。

 彼の少年らしくもない、深い陰影かげを持った顔は、何時か熱っぽく上気し、激しく心臓から投出される、血潮は、顳※(「需+頁」、第3水準1-94-6)こめかみをひくひくと波打たせていた。

 そして、もう手の掌に、べとべとと溶けて仕舞った、煎餅のかけらから、尚も「葉子の匂い」を嗅ぎ出そうと、総てを忘れて、ペロペロと舐め続けていた……。

「こらっ。何をしてるんだ、黒公」

 ハッと気がつくと、蒲団の山の向うから、源二郎爺の、怒りを含んだ怪訝な顔が、覗いていた。

「出番じゃねエか。愚図愚図してると、又ひどいぞ」

「ウン」

 黒吉は、瞬間、親方の顔を思い出して、ピョコンと飛起きた。そして、ベタベタと粘る手の掌を肉襦袢にこすりこすり、周章あわてて楽屋の方へ駈けて行った。

二ノ三

 黒吉は、命ぜられた、色々の曲芸をしながらも、頭の中は、いつも葉子の事で一杯だった。

(一度でいいから葉ちゃんと、沁々話したい)

 これが、彼の歪められた心に発生わいて来た、たった一つの望みだった。

 彼がもっと朗らかな、普通の子供であったならば、いつも同じ小屋にいる葉子だもの、そんな事は、造作なく実現したに違いない。

 しかし、それにしては、黒吉は、余りに陰気な、ひねくれた少年だった。――というのも、彼の暗い周囲がそうさせたのだが――。

 そして、早熟ませた葉子への執着が、堰せき切れなくなった時に彼が見つけたのは、あの煎餅のかけらが産んだ、恐ろしい恍惚エクスタシーだった。

 一度こうした排はけ口を見つけた、彼の心が、その儘止まる筈はなかった――寧ろ、津浪のようにその排け口に向って殺到して行ったのだ。

 彼は、そっと、人のいないのを見すまして、衣裳部屋に潜り込み、葉子の小ちっちゃい肉襦袢に、醜悪な顔を、埋うずめていた事もあった。

 その白粉の匂いと、体臭のむんむんする臭いが、彼自身眩暈めまいをさえ伴った、陶酔感を与えるのだ。

 そして、ふと、その肉襦袢に、葉子のオカッパの髪が、二三本ついていたのを見つけると、その大発見に狂喜しながら、注意ぶかく抓つまみ上げて、白い紙につつむと、あり合せの鉛筆で、

「葉子チャンノカミノケ」

 そんな文句を、下手糞な字で、たどたどしく書きつけ、もう一度、上から擦さすって見てから、それを、肌身深く蔵しまいこんで仕舞った……。

 こうした彼の悪癖が、益々慕って行った事は、その後、葉子の持ち物が、ちょいちょい失なくなるようになった事でも、充分想像が出来た。

 失くなるといっても、勿論たいした品物を、曲馬団の少女が、持っている訳はなかったから、もうすり減った、真黒く脂肪あぶら足の跡が附いた、下駄の一方だとか、毛の抜けて仕舞った竹の歯楊子ようじだとか、そういった、極く下らないものだった。それで、

(盗られた)

 という気持を、葉子自身ですら感じなかったのは、彼にとっては、もっけの幸いだった。しかしこれらの「下らない紛失物」が、黒吉にとって、どんなに貴重なものだったかは、また容易に想像出来るのだ。

 ――ここまでは、黒吉少年の心に醗酵した、侘わびしい(しか執拗な)彼一人だけの、胸の中の恋だった。

 だが、ここに葉子が、暴風雨あらしを伴奏にして、颯爽と、現実舞台へ、登場しようとしている。

       ×

 極東曲馬団は、町から町、盛り場から盛り場を、人々の眼を楽しませながら、流れ移っていた。

 そして、ある田舎町に敷地を借り、ようやく小屋掛けも終ったと殆んど同時に、朝から頸を傾かしげさせていた空模様が、一時に頽くずれて、大粒の雨が、無気味な風を含んで、ぽたりぽたり落ちて来たかと思うと、もう篠つくような豪雨に変っていた。

 団長等は、早々に、宿屋に引上げて仕舞ったが、子供の座員や、下っぱの座員などは、経費の関係で、いつも、この小屋に泊る事を言渡されていた。子供等の方では、これは当然だと思っていたし、又団長がいないという事で、却って喜んでいたようでもあった。

 しかし、この急拵えの小屋が、この沛然はいぜんと降る豪雨に、無事な筈はなく、雨漏りをさけて遁げ廻った末、やっと楽屋の隅で、ひと凝固かたまりになって、横になる事が出来たのは、もう大分夜が更けてからだった。

 黒吉は、眼をつぶって、ようやく小降りになって来たらしい、雨の音を聴いていると、もう肩を並べた隣りからは、幽かな寝息さえ聴えて来た。

 それと同時に、黒吉は、何かドキンとしたものを感じた。

(隣りに寝ているのは、葉ちゃんじゃないか――)

二ノ四

 瞬間、黒吉は自分の頭が、シーンと澄み透って行くのを感じた。

(果して、隣りで寝ているのは、葉ちゃんだろうか)

 それは勿論、第六感とでもいうのか、極く曖昧ものだった。が、あの騒ぎで、皆んな、ごたごたに寝て仕舞ったのだから全然あり得ない事でもないのだ。

 そう思うと、隣りと接した、肩の辺が、熱っぽく、暑苦しいようにさえ感じた。そして、心臓はその鼓動と伴に、胸の中、一杯に拡がって行った。

 黒吉は、思い切って、起上り、顔を覗き見たい衝動を感じた。あたりは真暗だが、よく気をつけて覗きこめば、顔の判別がつかぬ、という程でもないように思われた。

 彼は、そーっと、薄い蒲団の縁へりへ、手をかけた。だが――

(まてまて。葉ちゃんならば、こんなに素晴らしい事はない。けれども、こんなにぎっしり寝ている処で、ごそごそ起きたら、どうかすると、彼女は眼を覚ますかも知れない。

 それだけならいいが、眼を覚まして、俺が覗きこんでいた事を知ったら、きっと葉ちゃんは、真赤になって、この醜い俺を罵り、どこか遠くへ寝床をかえて仕舞うに違いないんだ。

 ――そんな莫迦な事をするより、例え短かくとも、夜が明けるまで、こうして葉ちゃんの、ふくよかな肩の感触を恣ほしいままにした方が、どれ程気が利いていることか……)

 黒吉の心の中の、内気な半面が、こう囁いた。

 彼は、蒲団にかけた手を、又静かに戻して仕舞うと、今度は、全身の注意を、細かに砕いて、彼女の方へぴったり、摺り寄って行った。そして、温もりに混った、彼女の穏やかな心臓の響きを、肩の辺に聴いていた……。

 フト、冷めたい風を感じて、何時の間にかつぶっていた眼を明けて見ると、あたりには極くうっすらと、光が射しているのに、気がついた。

(もう夜明けかな――いつの間に寝て仕舞ったんだろう)

 それと一緒に、思わずガクンと体の顫えるような、口惜くやしさに似た後悔を感じた。

(葉ちゃんは……)

 黒吉は、先ずそれが心懸りだったので、ぐっと頸を廻して隣りを確めようとした。

(おや……)

 彼の眼に這入ったのは、葉子より先きに、キンと澄み切った、尖った月の半分だった。

 急拵えの小屋天幕は、夕方の大暴風雨あらしに吹きまくられてぽっかり夜空に口を開け、恰度そこから、のり出すように月が覗き込み、地底のようにシンと澱んだ小屋の中に白々とした、絹糸のような、光を撒いているのだ。暴風雨あらしの後の月は物凄いまでに、冴え冴えとしていた。

(まだ夜中だ)

 黒吉は※ほ[#「口+息」、22-9]っと心配を排はき棄てた。

 彼の隣りには、葉子が、いかにも寝苦しそうに寝ていた。先刻さっきは、確かに葉子だ、とは断言出来なかったが、いまでは極く淡い光ではあったが、その中でも、段々眼の馴れるに従って、黒吉には、ハッキリ葉子の姿が、写って来た。

 黒吉は、意を決したように、半身を蒲団から抜出し、月の光を遮らないように――、音のしないように、そっと彼女の顔を覗きこんだ。

 眼の下には、月の光を受けて、いつもより蒼白く見える葉子の、幼い顔が、少しばかり口さえ開け、寝入っていた。もう少し月の光が強かったら、この房々としたオカッパの頭髪かみのけが黄金のように光るだろう――と思えた。

 又、襟足の洗いおとした白粉が、この幼い葉子の寝姿を少年の心にも、一入ひとしお可憐いじらしく見せていた。

 暫く、ぼんやりと、その夢のように霞んだ、葉子の顔を、見詰めていた黒吉は、ゴクンと固い唾を咽喉へ通すと、その薄く開かれた唇から、寝息でも聴こうとするのか、顔を次第次第に近附けて行った。

 何故か、彼の唇は、ガザガザに乾いていた。

 やがて、この弱々しい月光の下で、二つのさな頭の影が、一つになって仕舞うと、彼は、葉子の頬についている、小さい愛嬌黒子ぼくろが、自分の頬をも、凹へこますのを感じた。

二ノ五

 黒吉の、唇に感じた、葉子の唇の感触は、ぬくぬくとして弾力に富んだはんぺんのようだった。妙な連想だけれど、事実彼の経験では、これが一番よく似ていたのだ。

 唯、違った所――それは非常に違ったところがあるのだが――残念ながら、それをいい表わす言葉を知らなかった。

 彼は、そーっと腕の力を抜こうとした。途端に、肘の下の羽目板が、鈍い音を立てた。造作の悪い掛小屋なので、一寸した重みの加減でも、板が軋むのだ。シンとした周囲あたりと、針のように尖った、彼の神経に、それが幾層倍にも、拡大されて響き渡った。

 黒吉の心臓は、瞬間、ドキンと音がして止ったようだった。

「ク……」

 周章あわてて顔を上げた彼の眼の下で、葉子は、悪い夢でも見たのか、咽喉を鳴らすと、寝返りを打って、向うを向いて仕舞った。

(眼を覚ましたかな)

 黒吉は、思いきり息を深くしながら、葉子の墨のような、後向きの寝姿を、見守った。(いや、大丈夫だ)

 寝返りをした葉子は、幸い、眼を覚まさなかったと見えて、直ぐ又かすかな、寝息が、聴えて来た。

 彼は、ようやく※ほ[#「口+息」、24-4]っと、熱

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anond:20250708044816

 辺鄙な、村はずれの丘には、いつの間にか、華やかな幕を沢山吊るした急拵ごしらえの小屋掛が出来て、極東曲馬団の名がかけられ、狂燥なジンタと、ヒョロヒョロと空気を伝わるフリュートの音に、村人は、老おいも若きも、しばし、強烈な色彩と音楽スリル享楽し、又、いつの間にか曲馬団が他へ流れて行っても、しばらくは、フト白い流れ雲の中に、少年少女の縊くびれた肢体を思い出すのである

 トテモ華やかな、その空気の中にも、やっぱり、小さな「悩める虫」がいるのだ。

一ノ二

莫迦ッ、そんな事が出来ねエのか、間抜けめ!」

 親方は、野卑な言葉で、そう呶鳴どなると、手に持った革の鞭で、床をビシビシ撲りつけながら、黒吉くろきちを、グッと睨みつけるのだった。

 まだいたいけな少年の黒吉は、恐ろしさにオドオドして、

「済みません、済みません」

 そんな事を、呟くようにいうと、ぼろぼろに裂けた肉襦袢じゅばんの、肩の辺を擦さすりながら、氷のように冷めたい床の上に、又無器用な体つきで、ゴロンゴロンと幾度も「逆立ち」を遣り直していた。

 饑ひもじさと、恐ろしさと、苦痛と、寒気と、そして他の座員の嘲笑とが、もう毎度の事だったが、黒吉の身の周りに、犇々ひしひしと迫って、思わずホロホロと滾こぼした血のような涙が、荒削りの床に、黒い斑点を残して、音もなく滲しみ込んで行った。

 ――ここは、極東曲馬団の楽屋裏だった。

 逆立ちの下手な、無器用な黒吉は、ここの少年座員なのだ

 鴉からす黒吉。というのが彼の名前だった。しかしこれは舞台だけの芸名か、それとも本当の名前か、恐らくこれは字面じづらから見て、親方が、勝手につけた名前に違いないが、本名となると彼自身は勿論の事、親方だってハッキリ知っているかどうかは疑わしいものだった。

 黒吉自身記憶といっては、極めてぼんやりしたものだったけれど、いたましい事には、それは何時も、この曲馬団の片隅の、衣裳戸棚から始まっていた。

 それで、彼がもの心のついた時からは、――彼の記憶が始まった時からは、いつも周囲には、悲壮ジンタと、くしゃくしゃになったあくどい色の衣裳と、そして、それらを罩こめた安白粉おしろいの匂いや、汗のしみた肉襦袢の、ムッとした嗅気が、重なり合って、色彩っていた。

 こうした頽廃的な雰囲気の中に、いつも絶えない、座員間の軋轢あつれきと、華やかな底に澱む、ひがんだ蒼黒い空気とは、幼い黒吉の心から、跡形もなく「朗らかさ」を毟むしり取って仕舞った。そして、あとに残った陰欝な、日陰の虫のような少年の心に、世の中というものを、一風変った方向からのみ、見詰めさせていた。

 彼は用のない時には、何時も、太い丸太が荒縄で、蜘蛛の巣のように、縦横無尽に張りまわされている薄暗い楽屋の隅で、何かぼんやりえこんでいた。それは少年らしくもない憂欝な、女々しい姿だった。

 黒吉は明かに、他の同輩の少年から

「オイ、こっちへこいよ」

 と声をかけられるのを恐れているように見えた。

 しかし、それは、単に彼の危惧に過ぎなかった。

 他の少年座員達は、誰も、この憂欝な顔をした、芸の不器用な、そして親方におぼえのよくない黒吉と、進んで遊ぼうというものはなかった。(それは恐ろしい団長への、気兼ねもあったろうが)寧ろ彼等は、黒吉の方からしかけても、決して色よい返事は、しないように思われた。

 結局、黒吉はそれをいい事にして、独りぽつねんと、小屋の隅に忘れられた儘、たった一つ、彼に残されたオアシスである他愛もない「空想」に耽っていた。

一ノ三

 憂欝な少年黒吉が、何を考えているのか。

 ――その前に、彼が、なぜ親方のおぼえが悪いのだろうかという事をいわなければならない。

 (それは、彼の憂欝性にも、重大な影響のある事だから

 黒吉は、どう見ても、親方の「お気に入り」とは思えなかった。それは、勿論彼が、芸の未熟な不器用だった事も、確かにその原因の、一つだったけれど、他の大きな原因は、彼が醜い容貌だ、という先天的な不運に、禍わざわいされていたのだった。

 男の子容貌が、そんなにも、幼い心を虐しいたげるものだろうか――。

 如何にも、舞台の上で生活するものにとって、顔の美醜は非常に大きなハンデキャップなのだ。彼の同輩の愛くるしい少年が、舞台で、どうしたはずみか、ストンと尻もちをついたとしたら、観客は

「まあ、可哀そうに……あら、赤くなって、こっちを見てるわ、まるで正美さんみたいね

 そういって可愛い美少年は、失敗をした為に、却って、観客の人気を得るのだ。けれど、それに引きかえて、醜い顔だちを持った黒吉が、舞台でそれと同じような失敗をしても、観客は、何の遠慮もなく、このぎこちない少年の未熟さを嘲笑うのだった。

 この観客にさえ嗤わらわれる黒吉は、勿論親方にとって、どんなに間抜けな、穀潰ごくつぶしに見えたかは充分想像が、出来るのだった。従って、黒吉に対する、親方仕打ちがどんなものだったかも――

(俺は芸が下手なんだ)

(俺は醜い男なんだ)

 薄暗い小屋の片隅で、独りぽつんと、考えこんでいる黒吉は、楽しい空想どころか、彼の幼い心には、この二つの子供らしくもない懊悩が、いつも吹き荒すさんでいるのだった。

 そして、それは彼の心の底へ、少年らしい甘えた気持を、ひた押しに内攻して仕舞って、彼を尚一層、陰気にする外、何んの役にもたたなかった。冷たい冷たい胸の中に、熱いものは、ただ一つ涙だけだった。

 こうした雰囲気の中に、閉じこめられた鴉黒吉が、真直に伸びる筈はなかった。

 ――そして、蒼白い「歪んだ心」を持った少年が、ここに一人生成されて行った。

 世の中の少年少女達が、喜々として、小学校に通い始めた頃だろうか。勿論黒吉には、そんな恵まれ生活は、遠く想像の外だった。

 しかし、この頃から黒吉は、同輩の幼い座員の中でも、少年少女とを、異った眼で見るようになって来た。

「何」という、ハッキリした相違はないのだが、女の子莫迦にされた時には、不思議男の子に罵られたような、憤りは感じなかったのだった。寧ろ、

(いっそ、あの手で打ぶたれたら……)

 と思うと、何かゾクゾクとした、喜びに似た気持を感じるのだ。

 これが何んであるか、黒吉は、次第に、その姿を、ハッキリ見るようになって来た。

一ノ四

 安白粉の匂いと、汗ばんだ体臭と、そして、ぺらぺらなあくどい色の衣裳が、雑巾のように、投げ散らかされた、この頽廃的な曲馬団の楽屋で、侮蔑の中に育てられた、陰気な少年の「歪んだ心」には、もうませた女の子への、不思議な執着が、ジクジクと燃えて来たのだ。

 ――そして、それを尚一層、駆立てるような、出来事が起った。

 それは、やっと敷地小屋掛けも済んで、いよいよ明日から公開、という前の日だった。

 団長は、例の通り、小六ヶ敷こむずかしい顔をして、小屋掛けの監督をしていたが、それが終って仕舞うと、さも「大仕事をした」というような顔をして、他のお気に入り幹部達と一緒に、何処か、遊びに出て行った。

 団長の遊びに行くのを、見送って仕舞うと、他の年かさな座員や、楽隊ジンタの係りの者なども、ようやくのびのびとして、思い思いの雑談に高笑いを立てていたが、剽軽者ひょうきんものの仙次が、自分の役であるピエロ舞台着を調べながら

「オイ、親父おやじが行ったぜ、俺の方も行こうか」

 恰度それが、合図でもあったかのように、急に話声が高くなった。

「ウン、たまには一杯やらなくちゃ……」

「ちえッ、たまには、とはよくもいいやがった。明日があるんだ、大丈夫か」

「ナーニ、少しはやらなくちゃ続かねエよ、いやなら止せよ」

「いやじゃねエよ」

ハハハ、五月蠅うるせえなア」

 と、如何にも嬉しそうに、がやがや喋りながら、それでも大急ぎで支度をして、町の中に開放されて行った。

 そして、何時か、このガランとした小屋の中には、蒲団ふとん係りの源二郎爺さんと、子供の座員だけが、ぽつんつんと取り残されていた。子供の座員は、外出を禁じられていた。それは勿論「脱走」に備えたものだった。その見張りの役が、今は老耄おいぼれて仕舞ったが、昔はこの一座を背負って立った源二郎爺じじいなのだ

 結局、幼い彼等は、小屋の中で、てんでに遊ぶより仕方がなかった。

 男の子男同志で、舞台を駈廻り、女の子は女らしく、固かたまって縄飛びをしていた。――そして、黒吉は、相変らず小屋の隅に、ぽつんと独りだった。

 しかし、何時になく、黒吉の眼は、何か一心に見詰めているようだ。

(この憂欝な、オドオドした少年が、一生懸命に見ているものは、何んだろう)

 誰でも、彼の平生を知っているものが、この様子に気付いたならば、一寸ちょっとをかしげたに相違ない。そして、何気なくこの少年視線を追って見たならば、或はハッと眼を伏せたかも知れないのだ。

 黒吉の恰度眼の前では、少女の座員たちが、簡単アッパッパを着て、縄飛びをしていた――。しかし彼の見ているのは、それではなかった。この少女達が、急いきおいよく自分の背丈せい位もある縄を飛んで、トンと下りると、その瞬間、簡単アッパッパスカートは、風を受けて乱れ、そこから覗くのは、ふっくりとした白い腿だった――。

(十やそこらの少年が、こんなものを、息を殺して見詰めているのだろうか――)

 そう考えると、極めて不快な感じの前に何か、寒む寒むとした、恐ろしさを覚えるのだ。

 しかし、尚そればかりではなかった。

 この憂欝な少年の心を、根柢から、グスグスとゆり動かした、あの「ふっくりとした白い腿」がたえまなく、彼の頭の中に、大きく渦を捲いて、押流れていた。

 やがて、その心の渦が、ようやく鎮まって来ると、その渦の中から、浮び上って来たのは、この一座の花形少女貴志田葉子きしだようこ」の顔だった。

 だが、それと同時に、黒吉は、いきなり打ち前倒のめされたような、劇しい不快な気持を、感じた。

(ちえッ、俺がいくらちゃんと遊ぼうったって、駄目だい。俺は芸が、下手くそなんだ。それに、あんな綺麗な葉ちゃんが、俺みたいな汚い子と遊んでくれるもんか……)

 だが、この少年の心の底へ、しっかり焼付られた、葉ちゃんへの、不思議な執着は、そんな事ぐらいでは、びくともしなかった。寧ろ

(駄目だ)

 と思えば思う程、余計に、いきなり大声で呶鳴ってみたいような焦燥を、いやが上にも煽立あおりたてているのだ。

 ――この頃から、彼のそぶりは、少しずつ変って来たようだった。それはよく気をつけて見たならば、相変らず小屋の片隅に、独りぽっちでいる黒吉の眼が、妙な光を持って来たのに、気がついたろう。そして、その時は彼の視線の先きに必ず幼い花形の、葉子が、愛くるしい姿をして飛廻っていたのだ。

 葉子は、まだ黒吉と同じように、十とう位だったが、顔は綺麗だし、芸は上手いし、自由小鳥のように朗らかで、あの気六ヶ敷い団長にすら、この上もなく可愛がられていたから、この陰惨な曲馬団の中でも、彼女だけは、充分幸福なように見えた。

 そして、勿論、この陰気な、醜い黒吉が、自分一挙一動を、舐めるように、見詰めているとは気づかなかったろう。

 黒吉自身は、彼女が、自分の事など、気にもかけていない、という事が「痛しかゆし」の気持だった。無論彼女

「こっちへいらっしゃいよ」

 とでも、声を掛けられたら、どんなに嬉しい事だろう。――しかし、その半面

「だらしがないのねエ、あんたなんか、大嫌いよ」

 といわれはしまいか、と思うと、彼女に話かけるどころか葉子が、何気なくこっちを見てさえ、

(俺を嗤うんじゃないか

 こうした感じが、脈管の中を、火のように逆流するのだ。それで、つと眼を伏せて仕舞う彼だった。

 黒吉は、自分でさえ、このひねくれた気持を知りながら、尚葉子への愛慕と伴に、どうしても、脱ぎ去る事が、出来なかった。

       ×

 思い出したように、賑やかなジンタが、「敷島マーチ」を一通り済ますと、続いて「カチウシャ」を始めた。フリュートの音が、ひょろひょろと蒼穹あおぞらに消えると、その合間合間に、乾からびた木戸番の「呼び込み」が、座員の心をも、何かそわそわさせるように、響いて来た。

「さあ、葉ちゃんの出番だよ」

「あら、もうあたしなの、いそがしいわ」

「いそいで、いそいで」

 葉子は周章あわててお煎餅せんべい一口齧かじると、衣裳部屋を飛出して行った。

 恰度、通り合せた黒吉は、ちらりとそれを見ると、何を思ったのか、その喰たべかけの煎餅を、そっと、いかにも大事そうに持って行った。

二ノ二

 葉子が、喰いかけて、抛り出して行った煎餅を、そっと、拾って来た黒吉は、座員達が、こってりと白粉を塗った顔を上気させながら、忙しそうに話し合っている所を、知らん顔して通り抜けると小屋の片隅の、座蒲団が山のように積上げられてある陰へ来た。

 黒吉は、経験で、舞台が始まると、こんなところには、滅多に人が来ない事を知っていた。

 それでも、注意深く、あたりに人気のないのを見澄ますと、こそこそと体を跼かがめながら、いまにも崩れそうに積上げられた座蒲団の隙間へ、潜り込んで行った。

 その隙間は、如何にも窮屈だったが、妙にぬくぬくとした弾力があって、何かなつかしいもののようであった。黒吉はやっと※ほっ[#「口+息」、16-9]とした落着きを味わいながら、あの煎餅のかけらを持ち迭かえると、それがさも大切な宝石でもあるかのように、そーっと手の掌ひらに載せて見た。

(これが、葉ちゃんの喰いかけだな)

 そう思うと、つい頬のゆるむ、嬉しさを感じた。……大事大事にとって置きたいような、……ぎゅっと抱締めたいような――。

 黒吉は、充分幸福を味わって、もう一遍沁々と、薄い光の中で、それを見詰めた。こうしてよくよく見ると、気の所為いか、その一かけの煎餅は、幾らか湿っているように思えた。

気をつけて、触ってみると、確かに、喰いかけのところが一寸湿っていた。

(葉ちゃんの唾つばきかな)

 黒吉の、小さい心臓は、この思わぬ、めっけものにガクガクと顫えた。

 彼は、いくら少年とはいえ、無論こんな一っかけの煎餅を、喰べたいばかりに、拾って来たのではなかった。黒吉には「葉子の喰べかけ」というところに、この煎餅が、幾カラットもあるダイヤモンドにも見えたのだ。

 しかし、触って見ると、このかけらは湿っている……

(葉ちゃんの唾だな)

 その瞬間、黒吉の頭には、衣裳部屋で、葉子が忙しそうにこの煎餅を咥くわえていた光景と、それにつづいてクロオズアップされた、彼女の、あの可愛い紅唇くちとが、アリアリと浮んだ。

 それと一緒に、彼は、思わずゴクンと、固い唾を飲んだ。

 黒吉は、妖しく眼を光らせながら、あたりを偸ぬすみ見ると、やがて、意を決したように、その葉子の唾液つばきで湿ったに違いない煎餅のかけらを、そっと唇に近づけた……。

(鹹しょっぱい――な)

 これは、勿論塩煎餅の味だったろう。だが、黒吉の手は、何故かぶるぶると顫えた。

 彼の少年らしくもない、深い陰影かげを持った顔は、何時か熱っぽく上気し、激しく心臓から投出される、血潮は、顳※(「需+頁」、第3水準1-94-6)こめかみをひくひくと波打たせていた。

 そして、もう手の掌に、べとべとと溶けて仕舞った、煎餅のかけらから、尚も「葉子の匂い」を嗅ぎ出そうと、総てを忘れて、ペロペロと舐め続けていた……。

「こらっ。何をしてるんだ、黒公」

 ハッと気がつくと、蒲団の山の向うから、源二郎爺の、怒りを含んだ怪訝な顔が、覗いていた。

「出番じゃねエか。愚図愚図してると、又ひどいぞ」

「ウン」

 黒吉は、瞬間、親方の顔を思い出して、ピョコンと飛起きた。そして、ベタベタと粘る手の掌を肉襦袢にこすりこすり、周章あわてて楽屋の方へ駈けて行った。

二ノ三

 黒吉は、命ぜられた、色々の曲芸をしながらも、頭の中は、いつも葉子の事で一杯だった。

(一度でいいから葉ちゃんと、沁々話したい)

 これが、彼の歪められた心に発生わいて来た、たった一つの望みだった。

 彼がもっと朗らかな、普通の子供であったならば、いつも同じ小屋にいる葉子だもの、そんな事は、造作なく実現したに違いない。

 しかし、それにしては、黒吉は、余りに陰気な、ひねくれた少年だった。――というのも、彼の暗い周囲がそうさせたのだが――。

 そして、早熟ませた葉子への執着が、堰せき切れなくなった時に彼が見つけたのは、あの煎餅のかけらが産んだ、恐ろしい恍惚エクスタシーだった。

 一度こうした排はけ口を見つけた、彼の心が、その儘止まる筈はなかった――寧ろ、津浪のようにその排け口に向って殺到して行ったのだ。

 彼は、そっと、人のいないのを見すまして、衣裳部屋に潜り込み、葉子の小ちっちゃい肉襦袢に、醜悪な顔を、埋うずめていた事もあった。

 その白粉の匂いと、体臭のむんむんする臭いが、彼自身眩暈めまいをさえ伴った、陶酔感を与えるのだ。

 そして、ふと、その肉襦袢に、葉子のオカッパの髪が、二三本ついていたのを見つけると、その大発見に狂喜しながら、注意ぶかく抓つまみ上げて、白い紙につつむと、あり合せの鉛筆で、

「葉子チャンノカミノケ」

 そんな文句を、下手糞な字で、たどたどしく書きつけ、もう一度、上から擦さすって見てから、それを、肌身深く蔵しまいこんで仕舞った……。

 こうした彼の悪癖が、益々慕って行った事は、その後、葉子の持ち物が、ちょいちょい失なくなるようになった事でも、充分想像が出来た。

 失くなるといっても、勿論たいした品物を、曲馬団の少女が、持っている訳はなかったから、もうすり減った、真黒く脂肪あぶら足の跡が附いた、下駄の一方だとか、毛の抜けて仕舞った竹の歯楊子ようじだとか、そういった、極く下らないものだった。それで、

(盗られた)

 という気持を、葉子自身ですら感じなかったのは、彼にとっては、もっけの幸いだった。しかしこれらの「下らない紛失物」が、黒吉にとって、どんなに貴重なものだったかは、また容易に想像出来るのだ。

 ――ここまでは、黒吉少年の心に醗酵した、侘わびしい(しか執拗な)彼一人だけの、胸の中の恋だった。

 だが、ここに葉子が、暴風雨あらしを伴奏にして、颯爽と、現実舞台へ、登場しようとしている。

       ×

 極東曲馬団は、町から町、盛り場から盛り場を、人々の眼を楽しませながら、流れ移っていた。

 そして、ある田舎町に敷地を借り、ようやく小屋掛けも終ったと殆んど同時に、朝から頸を傾かしげさせていた空模様が、一時に頽くずれて、大粒の雨が、無気味な風を含んで、ぽたりぽたり落ちて来たかと思うと、もう篠つくような豪雨に変っていた。

 団長等は、早々に、宿屋に引上げて仕舞ったが、子供の座員や、下っぱの座員などは、経費の関係で、いつも、この小屋に泊る事を言渡されていた。子供等の方では、これは当然だと思っていたし、又団長がいないという事で、却って喜んでいたようでもあった。

 しかし、この急拵えの小屋が、この沛然はいぜんと降る豪雨に、無事な筈はなく、雨漏りをさけて遁げ廻った末、やっと楽屋の隅で、ひと凝固かたまりになって、横になる事が出来たのは、もう大分夜が更けてからだった。

 黒吉は、眼をつぶって、ようやく小降りになって来たらしい、雨の音を聴いていると、もう肩を並べた隣りからは、幽かな寝息さえ聴えて来た。

 それと同時に、黒吉は、何かドキンとしたものを感じた。

(隣りに寝ているのは、葉ちゃんじゃないか――)

二ノ四

 瞬間、黒吉は自分の頭が、シーンと澄み透って行くのを感じた。

(果して、隣りで寝ているのは、葉ちゃんだろうか)

 それは勿論、第六感とでもいうのか、極く曖昧ものだった。が、あの騒ぎで、皆んな、ごたごたに寝て仕舞ったのだから全然あり得ない事でもないのだ。

 そう思うと、隣りと接した、肩の辺が、熱っぽく、暑苦しいようにさえ感じた。そして、心臓はその鼓動と伴に、胸の中、一杯に拡がって行った。

 黒吉は、思い切って、起上り、顔を覗き見たい衝動を感じた。あたりは真暗だが、よく気をつけて覗きこめば、顔の判別がつかぬ、という程でもないように思われた。

 彼は、そーっと、薄い蒲団の縁へりへ、手をかけた。だが――

(まてまて。葉ちゃんならば、こんなに素晴らしい事はない。けれども、こんなにぎっしり寝ている処で、ごそごそ起きたら、どうかすると、彼女は眼を覚ますかも知れない。

 それだけならいいが、眼を覚まして、俺が覗きこんでいた事を知ったら、きっと葉ちゃんは、真赤になって、この醜い俺を罵り、どこか遠くへ寝床をかえて仕舞うに違いないんだ。

 ――そんな莫迦な事をするより、例え短かくとも、夜が明けるまで、こうして葉ちゃんの、ふくよかな肩の感触を恣ほしいままにした方が、どれ程気が利いていることか……)

 黒吉の心の中の、内気な半面が、こう囁いた。

 彼は、蒲団にかけた手を、又静かに戻して仕舞うと、今度は、全身の注意を、細かに砕いて、彼女の方へぴったり、摺り寄って行った。そして、温もりに混った、彼女の穏やかな心臓の響きを、肩の辺に聴いていた……。

 フト、冷めたい風を感じて、何時の間にかつぶっていた眼を明けて見ると、あたりには極くうっすらと、光が射しているのに、気がついた。

(もう夜明けかな――いつの間に寝て仕舞ったんだろう)

 それと一緒に、思わずガクンと体の顫えるような、口惜くやしさに似た後悔を感じた。

(葉ちゃんは……)

 黒吉は、先ずそれが心懸りだったので、ぐっと頸を廻して隣りを確めようとした。

(おや……)

 彼の眼に這入ったのは、葉子より先きに、キンと澄み切った、尖った月の半分だった。

 急拵えの小屋天幕は、夕方の大暴風雨あらしに吹きまくられてぽっかり夜空に口を開け、恰度そこから、のり出すように月が覗き込み、地底のようにシンと澱んだ小屋の中に白々とした、絹糸のような、光を撒いているのだ。暴風雨あらしの後の月は物凄いまでに、冴え冴えとしていた。

(まだ夜中だ)

 黒吉は※ほ[#「口+息」、22-9]っと心配を排はき棄てた。

 彼の隣りには、葉子が、いかにも寝苦しそうに寝ていた。先刻さっきは、確かに葉子だ、とは断言出来なかったが、いまでは極く淡い光ではあったが、その中でも、段々眼の馴れるに従って、黒吉には、ハッキリ葉子の姿が、写って来た。

 黒吉は、意を決したように、半身を蒲団から抜出し、月の光を遮らないように――、音のしないように、そっと彼女の顔を覗きこんだ。

 眼の下には、月の光を受けて、いつもより蒼白く見える葉子の、幼い顔が、少しばかり口さえ開け、寝入っていた。もう少し月の光が強かったら、この房々としたオカッパの頭髪かみのけが黄金のように光るだろう――と思えた。

 又、襟足の洗いおとした白粉が、この幼い葉子の寝姿を少年の心にも、一入ひとしお可憐いじらしく見せていた。

 暫く、ぼんやりと、その夢のように霞んだ、葉子の顔を、見詰めていた黒吉は、ゴクンと固い唾を咽喉へ通すと、その薄く開かれた唇から、寝息でも聴こうとするのか、顔を次第次第に近附けて行った。

 何故か、彼の唇は、ガザガザに乾いていた。

 やがて、この弱々しい月光の下で、二つのさな頭の影が、一つになって仕舞うと、彼は、葉子の頬についている、小さい愛嬌黒子ぼくろが、自分の頬をも、凹へこますのを感じた。

二ノ五

 黒吉の、唇に感じた、葉子の唇の感触は、ぬくぬくとして弾力に富んだはんぺんのようだった。妙な連想だけれど、事実彼の経験では、これが一番よく似ていたのだ。

 唯、違った所――それは非常に違ったところがあるのだが――残念ながら、それをいい表わす言葉を知らなかった。

 彼は、そーっと腕の力を抜こうとした。途端に、肘の下の羽目板が、鈍い音を立てた。造作の悪い掛小屋なので、一寸した重みの加減でも、板が軋むのだ。シンとした周囲あたりと、針のように尖った、彼の神経に、それが幾層倍にも、拡大されて響き渡った。

 黒吉の心臓は、瞬間、ドキンと音がして止ったようだった。

「ク……」

 周章あわてて顔を上げた彼の眼の下で、葉子は、悪い夢でも見たのか、咽喉を鳴らすと、寝返りを打って、向うを向いて仕舞った。

(眼を覚ましたかな)

 黒吉は、思いきり息を深くしながら、葉子の墨のような、後向きの寝姿を、見守った。(いや、大丈夫だ)

 寝返りをした葉子は、幸い、眼を覚まさなかったと見えて、直ぐ又かすかな、寝息が、聴えて来た。

 彼は、ようやく※ほ[#「口+息」、24-4]っと、熱

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anond:20250708044816

 辺鄙な、村はずれの丘には、いつの間にか、華やかな幕を沢山吊るした急拵ごしらえの小屋掛が出来て、極東曲馬団の名がかけられ、狂燥なジンタと、ヒョロヒョロと空気を伝わるフリュートの音に、村人は、老おいも若きも、しばし、強烈な色彩と音楽スリル享楽し、又、いつの間にか曲馬団が他へ流れて行っても、しばらくは、フト白い流れ雲の中に、少年少女の縊くびれた肢体を思い出すのである

 トテモ華やかな、その空気の中にも、やっぱり、小さな「悩める虫」がいるのだ。

一ノ二

莫迦ッ、そんな事が出来ねエのか、間抜けめ!」

 親方は、野卑な言葉で、そう呶鳴どなると、手に持った革の鞭で、床をビシビシ撲りつけながら、黒吉くろきちを、グッと睨みつけるのだった。

 まだいたいけな少年の黒吉は、恐ろしさにオドオドして、

「済みません、済みません」

 そんな事を、呟くようにいうと、ぼろぼろに裂けた肉襦袢じゅばんの、肩の辺を擦さすりながら、氷のように冷めたい床の上に、又無器用な体つきで、ゴロンゴロンと幾度も「逆立ち」を遣り直していた。

 饑ひもじさと、恐ろしさと、苦痛と、寒気と、そして他の座員の嘲笑とが、もう毎度の事だったが、黒吉の身の周りに、犇々ひしひしと迫って、思わずホロホロと滾こぼした血のような涙が、荒削りの床に、黒い斑点を残して、音もなく滲しみ込んで行った。

 ――ここは、極東曲馬団の楽屋裏だった。

 逆立ちの下手な、無器用な黒吉は、ここの少年座員なのだ

 鴉からす黒吉。というのが彼の名前だった。しかしこれは舞台だけの芸名か、それとも本当の名前か、恐らくこれは字面じづらから見て、親方が、勝手につけた名前に違いないが、本名となると彼自身は勿論の事、親方だってハッキリ知っているかどうかは疑わしいものだった。

 黒吉自身記憶といっては、極めてぼんやりしたものだったけれど、いたましい事には、それは何時も、この曲馬団の片隅の、衣裳戸棚から始まっていた。

 それで、彼がもの心のついた時からは、――彼の記憶が始まった時からは、いつも周囲には、悲壮ジンタと、くしゃくしゃになったあくどい色の衣裳と、そして、それらを罩こめた安白粉おしろいの匂いや、汗のしみた肉襦袢の、ムッとした嗅気が、重なり合って、色彩っていた。

 こうした頽廃的な雰囲気の中に、いつも絶えない、座員間の軋轢あつれきと、華やかな底に澱む、ひがんだ蒼黒い空気とは、幼い黒吉の心から、跡形もなく「朗らかさ」を毟むしり取って仕舞った。そして、あとに残った陰欝な、日陰の虫のような少年の心に、世の中というものを、一風変った方向からのみ、見詰めさせていた。

 彼は用のない時には、何時も、太い丸太が荒縄で、蜘蛛の巣のように、縦横無尽に張りまわされている薄暗い楽屋の隅で、何かぼんやりえこんでいた。それは少年らしくもない憂欝な、女々しい姿だった。

 黒吉は明かに、他の同輩の少年から

「オイ、こっちへこいよ」

 と声をかけられるのを恐れているように見えた。

 しかし、それは、単に彼の危惧に過ぎなかった。

 他の少年座員達は、誰も、この憂欝な顔をした、芸の不器用な、そして親方におぼえのよくない黒吉と、進んで遊ぼうというものはなかった。(それは恐ろしい団長への、気兼ねもあったろうが)寧ろ彼等は、黒吉の方からしかけても、決して色よい返事は、しないように思われた。

 結局、黒吉はそれをいい事にして、独りぽつねんと、小屋の隅に忘れられた儘、たった一つ、彼に残されたオアシスである他愛もない「空想」に耽っていた。

一ノ三

 憂欝な少年黒吉が、何を考えているのか。

 ――その前に、彼が、なぜ親方のおぼえが悪いのだろうかという事をいわなければならない。

 (それは、彼の憂欝性にも、重大な影響のある事だから

 黒吉は、どう見ても、親方の「お気に入り」とは思えなかった。それは、勿論彼が、芸の未熟な不器用だった事も、確かにその原因の、一つだったけれど、他の大きな原因は、彼が醜い容貌だ、という先天的な不運に、禍わざわいされていたのだった。

 男の子容貌が、そんなにも、幼い心を虐しいたげるものだろうか――。

 如何にも、舞台の上で生活するものにとって、顔の美醜は非常に大きなハンデキャップなのだ。彼の同輩の愛くるしい少年が、舞台で、どうしたはずみか、ストンと尻もちをついたとしたら、観客は

「まあ、可哀そうに……あら、赤くなって、こっちを見てるわ、まるで正美さんみたいね

 そういって可愛い美少年は、失敗をした為に、却って、観客の人気を得るのだ。けれど、それに引きかえて、醜い顔だちを持った黒吉が、舞台でそれと同じような失敗をしても、観客は、何の遠慮もなく、このぎこちない少年の未熟さを嘲笑うのだった。

 この観客にさえ嗤わらわれる黒吉は、勿論親方にとって、どんなに間抜けな、穀潰ごくつぶしに見えたかは充分想像が、出来るのだった。従って、黒吉に対する、親方仕打ちがどんなものだったかも――

(俺は芸が下手なんだ)

(俺は醜い男なんだ)

 薄暗い小屋の片隅で、独りぽつんと、考えこんでいる黒吉は、楽しい空想どころか、彼の幼い心には、この二つの子供らしくもない懊悩が、いつも吹き荒すさんでいるのだった。

 そして、それは彼の心の底へ、少年らしい甘えた気持を、ひた押しに内攻して仕舞って、彼を尚一層、陰気にする外、何んの役にもたたなかった。冷たい冷たい胸の中に、熱いものは、ただ一つ涙だけだった。

 こうした雰囲気の中に、閉じこめられた鴉黒吉が、真直に伸びる筈はなかった。

 ――そして、蒼白い「歪んだ心」を持った少年が、ここに一人生成されて行った。

 世の中の少年少女達が、喜々として、小学校に通い始めた頃だろうか。勿論黒吉には、そんな恵まれ生活は、遠く想像の外だった。

 しかし、この頃から黒吉は、同輩の幼い座員の中でも、少年少女とを、異った眼で見るようになって来た。

「何」という、ハッキリした相違はないのだが、女の子莫迦にされた時には、不思議男の子に罵られたような、憤りは感じなかったのだった。寧ろ、

(いっそ、あの手で打ぶたれたら……)

 と思うと、何かゾクゾクとした、喜びに似た気持を感じるのだ。

 これが何んであるか、黒吉は、次第に、その姿を、ハッキリ見るようになって来た。

一ノ四

 安白粉の匂いと、汗ばんだ体臭と、そして、ぺらぺらなあくどい色の衣裳が、雑巾のように、投げ散らかされた、この頽廃的な曲馬団の楽屋で、侮蔑の中に育てられた、陰気な少年の「歪んだ心」には、もうませた女の子への、不思議な執着が、ジクジクと燃えて来たのだ。

 ――そして、それを尚一層、駆立てるような、出来事が起った。

 それは、やっと敷地小屋掛けも済んで、いよいよ明日から公開、という前の日だった。

 団長は、例の通り、小六ヶ敷こむずかしい顔をして、小屋掛けの監督をしていたが、それが終って仕舞うと、さも「大仕事をした」というような顔をして、他のお気に入り幹部達と一緒に、何処か、遊びに出て行った。

 団長の遊びに行くのを、見送って仕舞うと、他の年かさな座員や、楽隊ジンタの係りの者なども、ようやくのびのびとして、思い思いの雑談に高笑いを立てていたが、剽軽者ひょうきんものの仙次が、自分の役であるピエロ舞台着を調べながら

「オイ、親父おやじが行ったぜ、俺の方も行こうか」

 恰度それが、合図でもあったかのように、急に話声が高くなった。

「ウン、たまには一杯やらなくちゃ……」

「ちえッ、たまには、とはよくもいいやがった。明日があるんだ、大丈夫か」

「ナーニ、少しはやらなくちゃ続かねエよ、いやなら止せよ」

「いやじゃねエよ」

ハハハ、五月蠅うるせえなア」

 と、如何にも嬉しそうに、がやがや喋りながら、それでも大急ぎで支度をして、町の中に開放されて行った。

 そして、何時か、このガランとした小屋の中には、蒲団ふとん係りの源二郎爺さんと、子供の座員だけが、ぽつんつんと取り残されていた。子供の座員は、外出を禁じられていた。それは勿論「脱走」に備えたものだった。その見張りの役が、今は老耄おいぼれて仕舞ったが、昔はこの一座を背負って立った源二郎爺じじいなのだ

 結局、幼い彼等は、小屋の中で、てんでに遊ぶより仕方がなかった。

 男の子男同志で、舞台を駈廻り、女の子は女らしく、固かたまって縄飛びをしていた。――そして、黒吉は、相変らず小屋の隅に、ぽつんと独りだった。

 しかし、何時になく、黒吉の眼は、何か一心に見詰めているようだ。

(この憂欝な、オドオドした少年が、一生懸命に見ているものは、何んだろう)

 誰でも、彼の平生を知っているものが、この様子に気付いたならば、一寸ちょっとをかしげたに相違ない。そして、何気なくこの少年視線を追って見たならば、或はハッと眼を伏せたかも知れないのだ。

 黒吉の恰度眼の前では、少女の座員たちが、簡単アッパッパを着て、縄飛びをしていた――。しかし彼の見ているのは、それではなかった。この少女達が、急いきおいよく自分の背丈せい位もある縄を飛んで、トンと下りると、その瞬間、簡単アッパッパスカートは、風を受けて乱れ、そこから覗くのは、ふっくりとした白い腿だった――。

(十やそこらの少年が、こんなものを、息を殺して見詰めているのだろうか――)

 そう考えると、極めて不快な感じの前に何か、寒む寒むとした、恐ろしさを覚えるのだ。

 しかし、尚そればかりではなかった。

 この憂欝な少年の心を、根柢から、グスグスとゆり動かした、あの「ふっくりとした白い腿」がたえまなく、彼の頭の中に、大きく渦を捲いて、押流れていた。

 やがて、その心の渦が、ようやく鎮まって来ると、その渦の中から、浮び上って来たのは、この一座の花形少女貴志田葉子きしだようこ」の顔だった。

 だが、それと同時に、黒吉は、いきなり打ち前倒のめされたような、劇しい不快な気持を、感じた。

(ちえッ、俺がいくらちゃんと遊ぼうったって、駄目だい。俺は芸が、下手くそなんだ。それに、あんな綺麗な葉ちゃんが、俺みたいな汚い子と遊んでくれるもんか……)

 だが、この少年の心の底へ、しっかり焼付られた、葉ちゃんへの、不思議な執着は、そんな事ぐらいでは、びくともしなかった。寧ろ

(駄目だ)

 と思えば思う程、余計に、いきなり大声で呶鳴ってみたいような焦燥を、いやが上にも煽立あおりたてているのだ。

 ――この頃から、彼のそぶりは、少しずつ変って来たようだった。それはよく気をつけて見たならば、相変らず小屋の片隅に、独りぽっちでいる黒吉の眼が、妙な光を持って来たのに、気がついたろう。そして、その時は彼の視線の先きに必ず幼い花形の、葉子が、愛くるしい姿をして飛廻っていたのだ。

 葉子は、まだ黒吉と同じように、十とう位だったが、顔は綺麗だし、芸は上手いし、自由小鳥のように朗らかで、あの気六ヶ敷い団長にすら、この上もなく可愛がられていたから、この陰惨な曲馬団の中でも、彼女だけは、充分幸福なように見えた。

 そして、勿論、この陰気な、醜い黒吉が、自分一挙一動を、舐めるように、見詰めているとは気づかなかったろう。

 黒吉自身は、彼女が、自分の事など、気にもかけていない、という事が「痛しかゆし」の気持だった。無論彼女

「こっちへいらっしゃいよ」

 とでも、声を掛けられたら、どんなに嬉しい事だろう。――しかし、その半面

「だらしがないのねエ、あんたなんか、大嫌いよ」

 といわれはしまいか、と思うと、彼女に話かけるどころか葉子が、何気なくこっちを見てさえ、

(俺を嗤うんじゃないか

 こうした感じが、脈管の中を、火のように逆流するのだ。それで、つと眼を伏せて仕舞う彼だった。

 黒吉は、自分でさえ、このひねくれた気持を知りながら、尚葉子への愛慕と伴に、どうしても、脱ぎ去る事が、出来なかった。

       ×

 思い出したように、賑やかなジンタが、「敷島マーチ」を一通り済ますと、続いて「カチウシャ」を始めた。フリュートの音が、ひょろひょろと蒼穹あおぞらに消えると、その合間合間に、乾からびた木戸番の「呼び込み」が、座員の心をも、何かそわそわさせるように、響いて来た。

「さあ、葉ちゃんの出番だよ」

「あら、もうあたしなの、いそがしいわ」

「いそいで、いそいで」

 葉子は周章あわててお煎餅せんべい一口齧かじると、衣裳部屋を飛出して行った。

 恰度、通り合せた黒吉は、ちらりとそれを見ると、何を思ったのか、その喰たべかけの煎餅を、そっと、いかにも大事そうに持って行った。

二ノ二

 葉子が、喰いかけて、抛り出して行った煎餅を、そっと、拾って来た黒吉は、座員達が、こってりと白粉を塗った顔を上気させながら、忙しそうに話し合っている所を、知らん顔して通り抜けると小屋の片隅の、座蒲団が山のように積上げられてある陰へ来た。

 黒吉は、経験で、舞台が始まると、こんなところには、滅多に人が来ない事を知っていた。

 それでも、注意深く、あたりに人気のないのを見澄ますと、こそこそと体を跼かがめながら、いまにも崩れそうに積上げられた座蒲団の隙間へ、潜り込んで行った。

 その隙間は、如何にも窮屈だったが、妙にぬくぬくとした弾力があって、何かなつかしいもののようであった。黒吉はやっと※ほっ[#「口+息」、16-9]とした落着きを味わいながら、あの煎餅のかけらを持ち迭かえると、それがさも大切な宝石でもあるかのように、そーっと手の掌ひらに載せて見た。

(これが、葉ちゃんの喰いかけだな)

 そう思うと、つい頬のゆるむ、嬉しさを感じた。……大事大事にとって置きたいような、……ぎゅっと抱締めたいような――。

 黒吉は、充分幸福を味わって、もう一遍沁々と、薄い光の中で、それを見詰めた。こうしてよくよく見ると、気の所為いか、その一かけの煎餅は、幾らか湿っているように思えた。

気をつけて、触ってみると、確かに、喰いかけのところが一寸湿っていた。

(葉ちゃんの唾つばきかな)

 黒吉の、小さい心臓は、この思わぬ、めっけものにガクガクと顫えた。

 彼は、いくら少年とはいえ、無論こんな一っかけの煎餅を、喰べたいばかりに、拾って来たのではなかった。黒吉には「葉子の喰べかけ」というところに、この煎餅が、幾カラットもあるダイヤモンドにも見えたのだ。

 しかし、触って見ると、このかけらは湿っている……

(葉ちゃんの唾だな)

 その瞬間、黒吉の頭には、衣裳部屋で、葉子が忙しそうにこの煎餅を咥くわえていた光景と、それにつづいてクロオズアップされた、彼女の、あの可愛い紅唇くちとが、アリアリと浮んだ。

 それと一緒に、彼は、思わずゴクンと、固い唾を飲んだ。

 黒吉は、妖しく眼を光らせながら、あたりを偸ぬすみ見ると、やがて、意を決したように、その葉子の唾液つばきで湿ったに違いない煎餅のかけらを、そっと唇に近づけた……。

(鹹しょっぱい――な)

 これは、勿論塩煎餅の味だったろう。だが、黒吉の手は、何故かぶるぶると顫えた。

 彼の少年らしくもない、深い陰影かげを持った顔は、何時か熱っぽく上気し、激しく心臓から投出される、血潮は、顳※(「需+頁」、第3水準1-94-6)こめかみをひくひくと波打たせていた。

 そして、もう手の掌に、べとべとと溶けて仕舞った、煎餅のかけらから、尚も「葉子の匂い」を嗅ぎ出そうと、総てを忘れて、ペロペロと舐め続けていた……。

「こらっ。何をしてるんだ、黒公」

 ハッと気がつくと、蒲団の山の向うから、源二郎爺の、怒りを含んだ怪訝な顔が、覗いていた。

「出番じゃねエか。愚図愚図してると、又ひどいぞ」

「ウン」

 黒吉は、瞬間、親方の顔を思い出して、ピョコンと飛起きた。そして、ベタベタと粘る手の掌を肉襦袢にこすりこすり、周章あわてて楽屋の方へ駈けて行った。

二ノ三

 黒吉は、命ぜられた、色々の曲芸をしながらも、頭の中は、いつも葉子の事で一杯だった。

(一度でいいから葉ちゃんと、沁々話したい)

 これが、彼の歪められた心に発生わいて来た、たった一つの望みだった。

 彼がもっと朗らかな、普通の子供であったならば、いつも同じ小屋にいる葉子だもの、そんな事は、造作なく実現したに違いない。

 しかし、それにしては、黒吉は、余りに陰気な、ひねくれた少年だった。――というのも、彼の暗い周囲がそうさせたのだが――。

 そして、早熟ませた葉子への執着が、堰せき切れなくなった時に彼が見つけたのは、あの煎餅のかけらが産んだ、恐ろしい恍惚エクスタシーだった。

 一度こうした排はけ口を見つけた、彼の心が、その儘止まる筈はなかった――寧ろ、津浪のようにその排け口に向って殺到して行ったのだ。

 彼は、そっと、人のいないのを見すまして、衣裳部屋に潜り込み、葉子の小ちっちゃい肉襦袢に、醜悪な顔を、埋うずめていた事もあった。

 その白粉の匂いと、体臭のむんむんする臭いが、彼自身眩暈めまいをさえ伴った、陶酔感を与えるのだ。

 そして、ふと、その肉襦袢に、葉子のオカッパの髪が、二三本ついていたのを見つけると、その大発見に狂喜しながら、注意ぶかく抓つまみ上げて、白い紙につつむと、あり合せの鉛筆で、

「葉子チャンノカミノケ」

 そんな文句を、下手糞な字で、たどたどしく書きつけ、もう一度、上から擦さすって見てから、それを、肌身深く蔵しまいこんで仕舞った……。

 こうした彼の悪癖が、益々慕って行った事は、その後、葉子の持ち物が、ちょいちょい失なくなるようになった事でも、充分想像が出来た。

 失くなるといっても、勿論たいした品物を、曲馬団の少女が、持っている訳はなかったから、もうすり減った、真黒く脂肪あぶら足の跡が附いた、下駄の一方だとか、毛の抜けて仕舞った竹の歯楊子ようじだとか、そういった、極く下らないものだった。それで、

(盗られた)

 という気持を、葉子自身ですら感じなかったのは、彼にとっては、もっけの幸いだった。しかしこれらの「下らない紛失物」が、黒吉にとって、どんなに貴重なものだったかは、また容易に想像出来るのだ。

 ――ここまでは、黒吉少年の心に醗酵した、侘わびしい(しか執拗な)彼一人だけの、胸の中の恋だった。

 だが、ここに葉子が、暴風雨あらしを伴奏にして、颯爽と、現実舞台へ、登場しようとしている。

       ×

 極東曲馬団は、町から町、盛り場から盛り場を、人々の眼を楽しませながら、流れ移っていた。

 そして、ある田舎町に敷地を借り、ようやく小屋掛けも終ったと殆んど同時に、朝から頸を傾かしげさせていた空模様が、一時に頽くずれて、大粒の雨が、無気味な風を含んで、ぽたりぽたり落ちて来たかと思うと、もう篠つくような豪雨に変っていた。

 団長等は、早々に、宿屋に引上げて仕舞ったが、子供の座員や、下っぱの座員などは、経費の関係で、いつも、この小屋に泊る事を言渡されていた。子供等の方では、これは当然だと思っていたし、又団長がいないという事で、却って喜んでいたようでもあった。

 しかし、この急拵えの小屋が、この沛然はいぜんと降る豪雨に、無事な筈はなく、雨漏りをさけて遁げ廻った末、やっと楽屋の隅で、ひと凝固かたまりになって、横になる事が出来たのは、もう大分夜が更けてからだった。

 黒吉は、眼をつぶって、ようやく小降りになって来たらしい、雨の音を聴いていると、もう肩を並べた隣りからは、幽かな寝息さえ聴えて来た。

 それと同時に、黒吉は、何かドキンとしたものを感じた。

(隣りに寝ているのは、葉ちゃんじゃないか――)

二ノ四

 瞬間、黒吉は自分の頭が、シーンと澄み透って行くのを感じた。

(果して、隣りで寝ているのは、葉ちゃんだろうか)

 それは勿論、第六感とでもいうのか、極く曖昧ものだった。が、あの騒ぎで、皆んな、ごたごたに寝て仕舞ったのだから全然あり得ない事でもないのだ。

 そう思うと、隣りと接した、肩の辺が、熱っぽく、暑苦しいようにさえ感じた。そして、心臓はその鼓動と伴に、胸の中、一杯に拡がって行った。

 黒吉は、思い切って、起上り、顔を覗き見たい衝動を感じた。あたりは真暗だが、よく気をつけて覗きこめば、顔の判別がつかぬ、という程でもないように思われた。

 彼は、そーっと、薄い蒲団の縁へりへ、手をかけた。だが――

(まてまて。葉ちゃんならば、こんなに素晴らしい事はない。けれども、こんなにぎっしり寝ている処で、ごそごそ起きたら、どうかすると、彼女は眼を覚ますかも知れない。

 それだけならいいが、眼を覚まして、俺が覗きこんでいた事を知ったら、きっと葉ちゃんは、真赤になって、この醜い俺を罵り、どこか遠くへ寝床をかえて仕舞うに違いないんだ。

 ――そんな莫迦な事をするより、例え短かくとも、夜が明けるまで、こうして葉ちゃんの、ふくよかな肩の感触を恣ほしいままにした方が、どれ程気が利いていることか……)

 黒吉の心の中の、内気な半面が、こう囁いた。

 彼は、蒲団にかけた手を、又静かに戻して仕舞うと、今度は、全身の注意を、細かに砕いて、彼女の方へぴったり、摺り寄って行った。そして、温もりに混った、彼女の穏やかな心臓の響きを、肩の辺に聴いていた……。

 フト、冷めたい風を感じて、何時の間にかつぶっていた眼を明けて見ると、あたりには極くうっすらと、光が射しているのに、気がついた。

(もう夜明けかな――いつの間に寝て仕舞ったんだろう)

 それと一緒に、思わずガクンと体の顫えるような、口惜くやしさに似た後悔を感じた。

(葉ちゃんは……)

 黒吉は、先ずそれが心懸りだったので、ぐっと頸を廻して隣りを確めようとした。

(おや……)

 彼の眼に這入ったのは、葉子より先きに、キンと澄み切った、尖った月の半分だった。

 急拵えの小屋天幕は、夕方の大暴風雨あらしに吹きまくられてぽっかり夜空に口を開け、恰度そこから、のり出すように月が覗き込み、地底のようにシンと澱んだ小屋の中に白々とした、絹糸のような、光を撒いているのだ。暴風雨あらしの後の月は物凄いまでに、冴え冴えとしていた。

(まだ夜中だ)

 黒吉は※ほ[#「口+息」、22-9]っと心配を排はき棄てた。

 彼の隣りには、葉子が、いかにも寝苦しそうに寝ていた。先刻さっきは、確かに葉子だ、とは断言出来なかったが、いまでは極く淡い光ではあったが、その中でも、段々眼の馴れるに従って、黒吉には、ハッキリ葉子の姿が、写って来た。

 黒吉は、意を決したように、半身を蒲団から抜出し、月の光を遮らないように――、音のしないように、そっと彼女の顔を覗きこんだ。

 眼の下には、月の光を受けて、いつもより蒼白く見える葉子の、幼い顔が、少しばかり口さえ開け、寝入っていた。もう少し月の光が強かったら、この房々としたオカッパの頭髪かみのけが黄金のように光るだろう――と思えた。

 又、襟足の洗いおとした白粉が、この幼い葉子の寝姿を少年の心にも、一入ひとしお可憐いじらしく見せていた。

 暫く、ぼんやりと、その夢のように霞んだ、葉子の顔を、見詰めていた黒吉は、ゴクンと固い唾を咽喉へ通すと、その薄く開かれた唇から、寝息でも聴こうとするのか、顔を次第次第に近附けて行った。

 何故か、彼の唇は、ガザガザに乾いていた。

 やがて、この弱々しい月光の下で、二つのさな頭の影が、一つになって仕舞うと、彼は、葉子の頬についている、小さい愛嬌黒子ぼくろが、自分の頬をも、凹へこますのを感じた。

二ノ五

 黒吉の、唇に感じた、葉子の唇の感触は、ぬくぬくとして弾力に富んだはんぺんのようだった。妙な連想だけれど、事実彼の経験では、これが一番よく似ていたのだ。

 唯、違った所――それは非常に違ったところがあるのだが――残念ながら、それをいい表わす言葉を知らなかった。

 彼は、そーっと腕の力を抜こうとした。途端に、肘の下の羽目板が、鈍い音を立てた。造作の悪い掛小屋なので、一寸した重みの加減でも、板が軋むのだ。シンとした周囲あたりと、針のように尖った、彼の神経に、それが幾層倍にも、拡大されて響き渡った。

 黒吉の心臓は、瞬間、ドキンと音がして止ったようだった。

「ク……」

 周章あわてて顔を上げた彼の眼の下で、葉子は、悪い夢でも見たのか、咽喉を鳴らすと、寝返りを打って、向うを向いて仕舞った。

(眼を覚ましたかな)

 黒吉は、思いきり息を深くしながら、葉子の墨のような、後向きの寝姿を、見守った。(いや、大丈夫だ)

 寝返りをした葉子は、幸い、眼を覚まさなかったと見えて、直ぐ又かすかな、寝息が、聴えて来た。

 彼は、ようやく※ほ[#「口+息」、24-4]っと、熱

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anond:20250708044816

 辺鄙な、村はずれの丘には、いつの間にか、華やかな幕を沢山吊るした急拵ごしらえの小屋掛が出来て、極東曲馬団の名がかけられ、狂燥なジンタと、ヒョロヒョロと空気を伝わるフリュートの音に、村人は、老おいも若きも、しばし、強烈な色彩と音楽スリル享楽し、又、いつの間にか曲馬団が他へ流れて行っても、しばらくは、フト白い流れ雲の中に、少年少女の縊くびれた肢体を思い出すのである

 トテモ華やかな、その空気の中にも、やっぱり、小さな「悩める虫」がいるのだ。

一ノ二

莫迦ッ、そんな事が出来ねエのか、間抜けめ!」

 親方は、野卑な言葉で、そう呶鳴どなると、手に持った革の鞭で、床をビシビシ撲りつけながら、黒吉くろきちを、グッと睨みつけるのだった。

 まだいたいけな少年の黒吉は、恐ろしさにオドオドして、

「済みません、済みません」

 そんな事を、呟くようにいうと、ぼろぼろに裂けた肉襦袢じゅばんの、肩の辺を擦さすりながら、氷のように冷めたい床の上に、又無器用な体つきで、ゴロンゴロンと幾度も「逆立ち」を遣り直していた。

 饑ひもじさと、恐ろしさと、苦痛と、寒気と、そして他の座員の嘲笑とが、もう毎度の事だったが、黒吉の身の周りに、犇々ひしひしと迫って、思わずホロホロと滾こぼした血のような涙が、荒削りの床に、黒い斑点を残して、音もなく滲しみ込んで行った。

 ――ここは、極東曲馬団の楽屋裏だった。

 逆立ちの下手な、無器用な黒吉は、ここの少年座員なのだ

 鴉からす黒吉。というのが彼の名前だった。しかしこれは舞台だけの芸名か、それとも本当の名前か、恐らくこれは字面じづらから見て、親方が、勝手につけた名前に違いないが、本名となると彼自身は勿論の事、親方だってハッキリ知っているかどうかは疑わしいものだった。

 黒吉自身記憶といっては、極めてぼんやりしたものだったけれど、いたましい事には、それは何時も、この曲馬団の片隅の、衣裳戸棚から始まっていた。

 それで、彼がもの心のついた時からは、――彼の記憶が始まった時からは、いつも周囲には、悲壮ジンタと、くしゃくしゃになったあくどい色の衣裳と、そして、それらを罩こめた安白粉おしろいの匂いや、汗のしみた肉襦袢の、ムッとした嗅気が、重なり合って、色彩っていた。

 こうした頽廃的な雰囲気の中に、いつも絶えない、座員間の軋轢あつれきと、華やかな底に澱む、ひがんだ蒼黒い空気とは、幼い黒吉の心から、跡形もなく「朗らかさ」を毟むしり取って仕舞った。そして、あとに残った陰欝な、日陰の虫のような少年の心に、世の中というものを、一風変った方向からのみ、見詰めさせていた。

 彼は用のない時には、何時も、太い丸太が荒縄で、蜘蛛の巣のように、縦横無尽に張りまわされている薄暗い楽屋の隅で、何かぼんやりえこんでいた。それは少年らしくもない憂欝な、女々しい姿だった。

 黒吉は明かに、他の同輩の少年から

「オイ、こっちへこいよ」

 と声をかけられるのを恐れているように見えた。

 しかし、それは、単に彼の危惧に過ぎなかった。

 他の少年座員達は、誰も、この憂欝な顔をした、芸の不器用な、そして親方におぼえのよくない黒吉と、進んで遊ぼうというものはなかった。(それは恐ろしい団長への、気兼ねもあったろうが)寧ろ彼等は、黒吉の方からしかけても、決して色よい返事は、しないように思われた。

 結局、黒吉はそれをいい事にして、独りぽつねんと、小屋の隅に忘れられた儘、たった一つ、彼に残されたオアシスである他愛もない「空想」に耽っていた。

一ノ三

 憂欝な少年黒吉が、何を考えているのか。

 ――その前に、彼が、なぜ親方のおぼえが悪いのだろうかという事をいわなければならない。

 (それは、彼の憂欝性にも、重大な影響のある事だから

 黒吉は、どう見ても、親方の「お気に入り」とは思えなかった。それは、勿論彼が、芸の未熟な不器用だった事も、確かにその原因の、一つだったけれど、他の大きな原因は、彼が醜い容貌だ、という先天的な不運に、禍わざわいされていたのだった。

 男の子容貌が、そんなにも、幼い心を虐しいたげるものだろうか――。

 如何にも、舞台の上で生活するものにとって、顔の美醜は非常に大きなハンデキャップなのだ。彼の同輩の愛くるしい少年が、舞台で、どうしたはずみか、ストンと尻もちをついたとしたら、観客は

「まあ、可哀そうに……あら、赤くなって、こっちを見てるわ、まるで正美さんみたいね

 そういって可愛い美少年は、失敗をした為に、却って、観客の人気を得るのだ。けれど、それに引きかえて、醜い顔だちを持った黒吉が、舞台でそれと同じような失敗をしても、観客は、何の遠慮もなく、このぎこちない少年の未熟さを嘲笑うのだった。

 この観客にさえ嗤わらわれる黒吉は、勿論親方にとって、どんなに間抜けな、穀潰ごくつぶしに見えたかは充分想像が、出来るのだった。従って、黒吉に対する、親方仕打ちがどんなものだったかも――

(俺は芸が下手なんだ)

(俺は醜い男なんだ)

 薄暗い小屋の片隅で、独りぽつんと、考えこんでいる黒吉は、楽しい空想どころか、彼の幼い心には、この二つの子供らしくもない懊悩が、いつも吹き荒すさんでいるのだった。

 そして、それは彼の心の底へ、少年らしい甘えた気持を、ひた押しに内攻して仕舞って、彼を尚一層、陰気にする外、何んの役にもたたなかった。冷たい冷たい胸の中に、熱いものは、ただ一つ涙だけだった。

 こうした雰囲気の中に、閉じこめられた鴉黒吉が、真直に伸びる筈はなかった。

 ――そして、蒼白い「歪んだ心」を持った少年が、ここに一人生成されて行った。

 世の中の少年少女達が、喜々として、小学校に通い始めた頃だろうか。勿論黒吉には、そんな恵まれ生活は、遠く想像の外だった。

 しかし、この頃から黒吉は、同輩の幼い座員の中でも、少年少女とを、異った眼で見るようになって来た。

「何」という、ハッキリした相違はないのだが、女の子莫迦にされた時には、不思議男の子に罵られたような、憤りは感じなかったのだった。寧ろ、

(いっそ、あの手で打ぶたれたら……)

 と思うと、何かゾクゾクとした、喜びに似た気持を感じるのだ。

 これが何んであるか、黒吉は、次第に、その姿を、ハッキリ見るようになって来た。

一ノ四

 安白粉の匂いと、汗ばんだ体臭と、そして、ぺらぺらなあくどい色の衣裳が、雑巾のように、投げ散らかされた、この頽廃的な曲馬団の楽屋で、侮蔑の中に育てられた、陰気な少年の「歪んだ心」には、もうませた女の子への、不思議な執着が、ジクジクと燃えて来たのだ。

 ――そして、それを尚一層、駆立てるような、出来事が起った。

 それは、やっと敷地小屋掛けも済んで、いよいよ明日から公開、という前の日だった。

 団長は、例の通り、小六ヶ敷こむずかしい顔をして、小屋掛けの監督をしていたが、それが終って仕舞うと、さも「大仕事をした」というような顔をして、他のお気に入り幹部達と一緒に、何処か、遊びに出て行った。

 団長の遊びに行くのを、見送って仕舞うと、他の年かさな座員や、楽隊ジンタの係りの者なども、ようやくのびのびとして、思い思いの雑談に高笑いを立てていたが、剽軽者ひょうきんものの仙次が、自分の役であるピエロ舞台着を調べながら

「オイ、親父おやじが行ったぜ、俺の方も行こうか」

 恰度それが、合図でもあったかのように、急に話声が高くなった。

「ウン、たまには一杯やらなくちゃ……」

「ちえッ、たまには、とはよくもいいやがった。明日があるんだ、大丈夫か」

「ナーニ、少しはやらなくちゃ続かねエよ、いやなら止せよ」

「いやじゃねエよ」

ハハハ、五月蠅うるせえなア」

 と、如何にも嬉しそうに、がやがや喋りながら、それでも大急ぎで支度をして、町の中に開放されて行った。

 そして、何時か、このガランとした小屋の中には、蒲団ふとん係りの源二郎爺さんと、子供の座員だけが、ぽつんつんと取り残されていた。子供の座員は、外出を禁じられていた。それは勿論「脱走」に備えたものだった。その見張りの役が、今は老耄おいぼれて仕舞ったが、昔はこの一座を背負って立った源二郎爺じじいなのだ

 結局、幼い彼等は、小屋の中で、てんでに遊ぶより仕方がなかった。

 男の子男同志で、舞台を駈廻り、女の子は女らしく、固かたまって縄飛びをしていた。――そして、黒吉は、相変らず小屋の隅に、ぽつんと独りだった。

 しかし、何時になく、黒吉の眼は、何か一心に見詰めているようだ。

(この憂欝な、オドオドした少年が、一生懸命に見ているものは、何んだろう)

 誰でも、彼の平生を知っているものが、この様子に気付いたならば、一寸ちょっとをかしげたに相違ない。そして、何気なくこの少年視線を追って見たならば、或はハッと眼を伏せたかも知れないのだ。

 黒吉の恰度眼の前では、少女の座員たちが、簡単アッパッパを着て、縄飛びをしていた――。しかし彼の見ているのは、それではなかった。この少女達が、急いきおいよく自分の背丈せい位もある縄を飛んで、トンと下りると、その瞬間、簡単アッパッパスカートは、風を受けて乱れ、そこから覗くのは、ふっくりとした白い腿だった――。

(十やそこらの少年が、こんなものを、息を殺して見詰めているのだろうか――)

 そう考えると、極めて不快な感じの前に何か、寒む寒むとした、恐ろしさを覚えるのだ。

 しかし、尚そればかりではなかった。

 この憂欝な少年の心を、根柢から、グスグスとゆり動かした、あの「ふっくりとした白い腿」がたえまなく、彼の頭の中に、大きく渦を捲いて、押流れていた。

 やがて、その心の渦が、ようやく鎮まって来ると、その渦の中から、浮び上って来たのは、この一座の花形少女貴志田葉子きしだようこ」の顔だった。

 だが、それと同時に、黒吉は、いきなり打ち前倒のめされたような、劇しい不快な気持を、感じた。

(ちえッ、俺がいくらちゃんと遊ぼうったって、駄目だい。俺は芸が、下手くそなんだ。それに、あんな綺麗な葉ちゃんが、俺みたいな汚い子と遊んでくれるもんか……)

 だが、この少年の心の底へ、しっかり焼付られた、葉ちゃんへの、不思議な執着は、そんな事ぐらいでは、びくともしなかった。寧ろ

(駄目だ)

 と思えば思う程、余計に、いきなり大声で呶鳴ってみたいような焦燥を、いやが上にも煽立あおりたてているのだ。

 ――この頃から、彼のそぶりは、少しずつ変って来たようだった。それはよく気をつけて見たならば、相変らず小屋の片隅に、独りぽっちでいる黒吉の眼が、妙な光を持って来たのに、気がついたろう。そして、その時は彼の視線の先きに必ず幼い花形の、葉子が、愛くるしい姿をして飛廻っていたのだ。

 葉子は、まだ黒吉と同じように、十とう位だったが、顔は綺麗だし、芸は上手いし、自由小鳥のように朗らかで、あの気六ヶ敷い団長にすら、この上もなく可愛がられていたから、この陰惨な曲馬団の中でも、彼女だけは、充分幸福なように見えた。

 そして、勿論、この陰気な、醜い黒吉が、自分一挙一動を、舐めるように、見詰めているとは気づかなかったろう。

 黒吉自身は、彼女が、自分の事など、気にもかけていない、という事が「痛しかゆし」の気持だった。無論彼女

「こっちへいらっしゃいよ」

 とでも、声を掛けられたら、どんなに嬉しい事だろう。――しかし、その半面

「だらしがないのねエ、あんたなんか、大嫌いよ」

 といわれはしまいか、と思うと、彼女に話かけるどころか葉子が、何気なくこっちを見てさえ、

(俺を嗤うんじゃないか

 こうした感じが、脈管の中を、火のように逆流するのだ。それで、つと眼を伏せて仕舞う彼だった。

 黒吉は、自分でさえ、このひねくれた気持を知りながら、尚葉子への愛慕と伴に、どうしても、脱ぎ去る事が、出来なかった。

       ×

 思い出したように、賑やかなジンタが、「敷島マーチ」を一通り済ますと、続いて「カチウシャ」を始めた。フリュートの音が、ひょろひょろと蒼穹あおぞらに消えると、その合間合間に、乾からびた木戸番の「呼び込み」が、座員の心をも、何かそわそわさせるように、響いて来た。

「さあ、葉ちゃんの出番だよ」

「あら、もうあたしなの、いそがしいわ」

「いそいで、いそいで」

 葉子は周章あわててお煎餅せんべい一口齧かじると、衣裳部屋を飛出して行った。

 恰度、通り合せた黒吉は、ちらりとそれを見ると、何を思ったのか、その喰たべかけの煎餅を、そっと、いかにも大事そうに持って行った。

二ノ二

 葉子が、喰いかけて、抛り出して行った煎餅を、そっと、拾って来た黒吉は、座員達が、こってりと白粉を塗った顔を上気させながら、忙しそうに話し合っている所を、知らん顔して通り抜けると小屋の片隅の、座蒲団が山のように積上げられてある陰へ来た。

 黒吉は、経験で、舞台が始まると、こんなところには、滅多に人が来ない事を知っていた。

 それでも、注意深く、あたりに人気のないのを見澄ますと、こそこそと体を跼かがめながら、いまにも崩れそうに積上げられた座蒲団の隙間へ、潜り込んで行った。

 その隙間は、如何にも窮屈だったが、妙にぬくぬくとした弾力があって、何かなつかしいもののようであった。黒吉はやっと※ほっ[#「口+息」、16-9]とした落着きを味わいながら、あの煎餅のかけらを持ち迭かえると、それがさも大切な宝石でもあるかのように、そーっと手の掌ひらに載せて見た。

(これが、葉ちゃんの喰いかけだな)

 そう思うと、つい頬のゆるむ、嬉しさを感じた。……大事大事にとって置きたいような、……ぎゅっと抱締めたいような――。

 黒吉は、充分幸福を味わって、もう一遍沁々と、薄い光の中で、それを見詰めた。こうしてよくよく見ると、気の所為いか、その一かけの煎餅は、幾らか湿っているように思えた。

気をつけて、触ってみると、確かに、喰いかけのところが一寸湿っていた。

(葉ちゃんの唾つばきかな)

 黒吉の、小さい心臓は、この思わぬ、めっけものにガクガクと顫えた。

 彼は、いくら少年とはいえ、無論こんな一っかけの煎餅を、喰べたいばかりに、拾って来たのではなかった。黒吉には「葉子の喰べかけ」というところに、この煎餅が、幾カラットもあるダイヤモンドにも見えたのだ。

 しかし、触って見ると、このかけらは湿っている……

(葉ちゃんの唾だな)

 その瞬間、黒吉の頭には、衣裳部屋で、葉子が忙しそうにこの煎餅を咥くわえていた光景と、それにつづいてクロオズアップされた、彼女の、あの可愛い紅唇くちとが、アリアリと浮んだ。

 それと一緒に、彼は、思わずゴクンと、固い唾を飲んだ。

 黒吉は、妖しく眼を光らせながら、あたりを偸ぬすみ見ると、やがて、意を決したように、その葉子の唾液つばきで湿ったに違いない煎餅のかけらを、そっと唇に近づけた……。

(鹹しょっぱい――な)

 これは、勿論塩煎餅の味だったろう。だが、黒吉の手は、何故かぶるぶると顫えた。

 彼の少年らしくもない、深い陰影かげを持った顔は、何時か熱っぽく上気し、激しく心臓から投出される、血潮は、顳※(「需+頁」、第3水準1-94-6)こめかみをひくひくと波打たせていた。

 そして、もう手の掌に、べとべとと溶けて仕舞った、煎餅のかけらから、尚も「葉子の匂い」を嗅ぎ出そうと、総てを忘れて、ペロペロと舐め続けていた……。

「こらっ。何をしてるんだ、黒公」

 ハッと気がつくと、蒲団の山の向うから、源二郎爺の、怒りを含んだ怪訝な顔が、覗いていた。

「出番じゃねエか。愚図愚図してると、又ひどいぞ」

「ウン」

 黒吉は、瞬間、親方の顔を思い出して、ピョコンと飛起きた。そして、ベタベタと粘る手の掌を肉襦袢にこすりこすり、周章あわてて楽屋の方へ駈けて行った。

二ノ三

 黒吉は、命ぜられた、色々の曲芸をしながらも、頭の中は、いつも葉子の事で一杯だった。

(一度でいいから葉ちゃんと、沁々話したい)

 これが、彼の歪められた心に発生わいて来た、たった一つの望みだった。

 彼がもっと朗らかな、普通の子供であったならば、いつも同じ小屋にいる葉子だもの、そんな事は、造作なく実現したに違いない。

 しかし、それにしては、黒吉は、余りに陰気な、ひねくれた少年だった。――というのも、彼の暗い周囲がそうさせたのだが――。

 そして、早熟ませた葉子への執着が、堰せき切れなくなった時に彼が見つけたのは、あの煎餅のかけらが産んだ、恐ろしい恍惚エクスタシーだった。

 一度こうした排はけ口を見つけた、彼の心が、その儘止まる筈はなかった――寧ろ、津浪のようにその排け口に向って殺到して行ったのだ。

 彼は、そっと、人のいないのを見すまして、衣裳部屋に潜り込み、葉子の小ちっちゃい肉襦袢に、醜悪な顔を、埋うずめていた事もあった。

 その白粉の匂いと、体臭のむんむんする臭いが、彼自身眩暈めまいをさえ伴った、陶酔感を与えるのだ。

 そして、ふと、その肉襦袢に、葉子のオカッパの髪が、二三本ついていたのを見つけると、その大発見に狂喜しながら、注意ぶかく抓つまみ上げて、白い紙につつむと、あり合せの鉛筆で、

「葉子チャンノカミノケ」

 そんな文句を、下手糞な字で、たどたどしく書きつけ、もう一度、上から擦さすって見てから、それを、肌身深く蔵しまいこんで仕舞った……。

 こうした彼の悪癖が、益々慕って行った事は、その後、葉子の持ち物が、ちょいちょい失なくなるようになった事でも、充分想像が出来た。

 失くなるといっても、勿論たいした品物を、曲馬団の少女が、持っている訳はなかったから、もうすり減った、真黒く脂肪あぶら足の跡が附いた、下駄の一方だとか、毛の抜けて仕舞った竹の歯楊子ようじだとか、そういった、極く下らないものだった。それで、

(盗られた)

 という気持を、葉子自身ですら感じなかったのは、彼にとっては、もっけの幸いだった。しかしこれらの「下らない紛失物」が、黒吉にとって、どんなに貴重なものだったかは、また容易に想像出来るのだ。

 ――ここまでは、黒吉少年の心に醗酵した、侘わびしい(しか執拗な)彼一人だけの、胸の中の恋だった。

 だが、ここに葉子が、暴風雨あらしを伴奏にして、颯爽と、現実舞台へ、登場しようとしている。

       ×

 極東曲馬団は、町から町、盛り場から盛り場を、人々の眼を楽しませながら、流れ移っていた。

 そして、ある田舎町に敷地を借り、ようやく小屋掛けも終ったと殆んど同時に、朝から頸を傾かしげさせていた空模様が、一時に頽くずれて、大粒の雨が、無気味な風を含んで、ぽたりぽたり落ちて来たかと思うと、もう篠つくような豪雨に変っていた。

 団長等は、早々に、宿屋に引上げて仕舞ったが、子供の座員や、下っぱの座員などは、経費の関係で、いつも、この小屋に泊る事を言渡されていた。子供等の方では、これは当然だと思っていたし、又団長がいないという事で、却って喜んでいたようでもあった。

 しかし、この急拵えの小屋が、この沛然はいぜんと降る豪雨に、無事な筈はなく、雨漏りをさけて遁げ廻った末、やっと楽屋の隅で、ひと凝固かたまりになって、横になる事が出来たのは、もう大分夜が更けてからだった。

 黒吉は、眼をつぶって、ようやく小降りになって来たらしい、雨の音を聴いていると、もう肩を並べた隣りからは、幽かな寝息さえ聴えて来た。

 それと同時に、黒吉は、何かドキンとしたものを感じた。

(隣りに寝ているのは、葉ちゃんじゃないか――)

二ノ四

 瞬間、黒吉は自分の頭が、シーンと澄み透って行くのを感じた。

(果して、隣りで寝ているのは、葉ちゃんだろうか)

 それは勿論、第六感とでもいうのか、極く曖昧ものだった。が、あの騒ぎで、皆んな、ごたごたに寝て仕舞ったのだから全然あり得ない事でもないのだ。

 そう思うと、隣りと接した、肩の辺が、熱っぽく、暑苦しいようにさえ感じた。そして、心臓はその鼓動と伴に、胸の中、一杯に拡がって行った。

 黒吉は、思い切って、起上り、顔を覗き見たい衝動を感じた。あたりは真暗だが、よく気をつけて覗きこめば、顔の判別がつかぬ、という程でもないように思われた。

 彼は、そーっと、薄い蒲団の縁へりへ、手をかけた。だが――

(まてまて。葉ちゃんならば、こんなに素晴らしい事はない。けれども、こんなにぎっしり寝ている処で、ごそごそ起きたら、どうかすると、彼女は眼を覚ますかも知れない。

 それだけならいいが、眼を覚まして、俺が覗きこんでいた事を知ったら、きっと葉ちゃんは、真赤になって、この醜い俺を罵り、どこか遠くへ寝床をかえて仕舞うに違いないんだ。

 ――そんな莫迦な事をするより、例え短かくとも、夜が明けるまで、こうして葉ちゃんの、ふくよかな肩の感触を恣ほしいままにした方が、どれ程気が利いていることか……)

 黒吉の心の中の、内気な半面が、こう囁いた。

 彼は、蒲団にかけた手を、又静かに戻して仕舞うと、今度は、全身の注意を、細かに砕いて、彼女の方へぴったり、摺り寄って行った。そして、温もりに混った、彼女の穏やかな心臓の響きを、肩の辺に聴いていた……。

 フト、冷めたい風を感じて、何時の間にかつぶっていた眼を明けて見ると、あたりには極くうっすらと、光が射しているのに、気がついた。

(もう夜明けかな――いつの間に寝て仕舞ったんだろう)

 それと一緒に、思わずガクンと体の顫えるような、口惜くやしさに似た後悔を感じた。

(葉ちゃんは……)

 黒吉は、先ずそれが心懸りだったので、ぐっと頸を廻して隣りを確めようとした。

(おや……)

 彼の眼に這入ったのは、葉子より先きに、キンと澄み切った、尖った月の半分だった。

 急拵えの小屋天幕は、夕方の大暴風雨あらしに吹きまくられてぽっかり夜空に口を開け、恰度そこから、のり出すように月が覗き込み、地底のようにシンと澱んだ小屋の中に白々とした、絹糸のような、光を撒いているのだ。暴風雨あらしの後の月は物凄いまでに、冴え冴えとしていた。

(まだ夜中だ)

 黒吉は※ほ[#「口+息」、22-9]っと心配を排はき棄てた。

 彼の隣りには、葉子が、いかにも寝苦しそうに寝ていた。先刻さっきは、確かに葉子だ、とは断言出来なかったが、いまでは極く淡い光ではあったが、その中でも、段々眼の馴れるに従って、黒吉には、ハッキリ葉子の姿が、写って来た。

 黒吉は、意を決したように、半身を蒲団から抜出し、月の光を遮らないように――、音のしないように、そっと彼女の顔を覗きこんだ。

 眼の下には、月の光を受けて、いつもより蒼白く見える葉子の、幼い顔が、少しばかり口さえ開け、寝入っていた。もう少し月の光が強かったら、この房々としたオカッパの頭髪かみのけが黄金のように光るだろう――と思えた。

 又、襟足の洗いおとした白粉が、この幼い葉子の寝姿を少年の心にも、一入ひとしお可憐いじらしく見せていた。

 暫く、ぼんやりと、その夢のように霞んだ、葉子の顔を、見詰めていた黒吉は、ゴクンと固い唾を咽喉へ通すと、その薄く開かれた唇から、寝息でも聴こうとするのか、顔を次第次第に近附けて行った。

 何故か、彼の唇は、ガザガザに乾いていた。

 やがて、この弱々しい月光の下で、二つのさな頭の影が、一つになって仕舞うと、彼は、葉子の頬についている、小さい愛嬌黒子ぼくろが、自分の頬をも、凹へこますのを感じた。

二ノ五

 黒吉の、唇に感じた、葉子の唇の感触は、ぬくぬくとして弾力に富んだはんぺんのようだった。妙な連想だけれど、事実彼の経験では、これが一番よく似ていたのだ。

 唯、違った所――それは非常に違ったところがあるのだが――残念ながら、それをいい表わす言葉を知らなかった。

 彼は、そーっと腕の力を抜こうとした。途端に、肘の下の羽目板が、鈍い音を立てた。造作の悪い掛小屋なので、一寸した重みの加減でも、板が軋むのだ。シンとした周囲あたりと、針のように尖った、彼の神経に、それが幾層倍にも、拡大されて響き渡った。

 黒吉の心臓は、瞬間、ドキンと音がして止ったようだった。

「ク……」

 周章あわてて顔を上げた彼の眼の下で、葉子は、悪い夢でも見たのか、咽喉を鳴らすと、寝返りを打って、向うを向いて仕舞った。

(眼を覚ましたかな)

 黒吉は、思いきり息を深くしながら、葉子の墨のような、後向きの寝姿を、見守った。(いや、大丈夫だ)

 寝返りをした葉子は、幸い、眼を覚まさなかったと見えて、直ぐ又かすかな、寝息が、聴えて来た。

 彼は、ようやく※ほ[#「口+息」、24-4]っと、熱

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anond:20250708044816

 辺鄙な、村はずれの丘には、いつの間にか、華やかな幕を沢山吊るした急拵ごしらえの小屋掛が出来て、極東曲馬団の名がかけられ、狂燥なジンタと、ヒョロヒョロと空気を伝わるフリュートの音に、村人は、老おいも若きも、しばし、強烈な色彩と音楽スリル享楽し、又、いつの間にか曲馬団が他へ流れて行っても、しばらくは、フト白い流れ雲の中に、少年少女の縊くびれた肢体を思い出すのである

 トテモ華やかな、その空気の中にも、やっぱり、小さな「悩める虫」がいるのだ。

一ノ二

莫迦ッ、そんな事が出来ねエのか、間抜けめ!」

 親方は、野卑な言葉で、そう呶鳴どなると、手に持った革の鞭で、床をビシビシ撲りつけながら、黒吉くろきちを、グッと睨みつけるのだった。

 まだいたいけな少年の黒吉は、恐ろしさにオドオドして、

「済みません、済みません」

 そんな事を、呟くようにいうと、ぼろぼろに裂けた肉襦袢じゅばんの、肩の辺を擦さすりながら、氷のように冷めたい床の上に、又無器用な体つきで、ゴロンゴロンと幾度も「逆立ち」を遣り直していた。

 饑ひもじさと、恐ろしさと、苦痛と、寒気と、そして他の座員の嘲笑とが、もう毎度の事だったが、黒吉の身の周りに、犇々ひしひしと迫って、思わずホロホロと滾こぼした血のような涙が、荒削りの床に、黒い斑点を残して、音もなく滲しみ込んで行った。

 ――ここは、極東曲馬団の楽屋裏だった。

 逆立ちの下手な、無器用な黒吉は、ここの少年座員なのだ

 鴉からす黒吉。というのが彼の名前だった。しかしこれは舞台だけの芸名か、それとも本当の名前か、恐らくこれは字面じづらから見て、親方が、勝手につけた名前に違いないが、本名となると彼自身は勿論の事、親方だってハッキリ知っているかどうかは疑わしいものだった。

 黒吉自身記憶といっては、極めてぼんやりしたものだったけれど、いたましい事には、それは何時も、この曲馬団の片隅の、衣裳戸棚から始まっていた。

 それで、彼がもの心のついた時からは、――彼の記憶が始まった時からは、いつも周囲には、悲壮ジンタと、くしゃくしゃになったあくどい色の衣裳と、そして、それらを罩こめた安白粉おしろいの匂いや、汗のしみた肉襦袢の、ムッとした嗅気が、重なり合って、色彩っていた。

 こうした頽廃的な雰囲気の中に、いつも絶えない、座員間の軋轢あつれきと、華やかな底に澱む、ひがんだ蒼黒い空気とは、幼い黒吉の心から、跡形もなく「朗らかさ」を毟むしり取って仕舞った。そして、あとに残った陰欝な、日陰の虫のような少年の心に、世の中というものを、一風変った方向からのみ、見詰めさせていた。

 彼は用のない時には、何時も、太い丸太が荒縄で、蜘蛛の巣のように、縦横無尽に張りまわされている薄暗い楽屋の隅で、何かぼんやりえこんでいた。それは少年らしくもない憂欝な、女々しい姿だった。

 黒吉は明かに、他の同輩の少年から

「オイ、こっちへこいよ」

 と声をかけられるのを恐れているように見えた。

 しかし、それは、単に彼の危惧に過ぎなかった。

 他の少年座員達は、誰も、この憂欝な顔をした、芸の不器用な、そして親方におぼえのよくない黒吉と、進んで遊ぼうというものはなかった。(それは恐ろしい団長への、気兼ねもあったろうが)寧ろ彼等は、黒吉の方からしかけても、決して色よい返事は、しないように思われた。

 結局、黒吉はそれをいい事にして、独りぽつねんと、小屋の隅に忘れられた儘、たった一つ、彼に残されたオアシスである他愛もない「空想」に耽っていた。

一ノ三

 憂欝な少年黒吉が、何を考えているのか。

 ――その前に、彼が、なぜ親方のおぼえが悪いのだろうかという事をいわなければならない。

 (それは、彼の憂欝性にも、重大な影響のある事だから

 黒吉は、どう見ても、親方の「お気に入り」とは思えなかった。それは、勿論彼が、芸の未熟な不器用だった事も、確かにその原因の、一つだったけれど、他の大きな原因は、彼が醜い容貌だ、という先天的な不運に、禍わざわいされていたのだった。

 男の子容貌が、そんなにも、幼い心を虐しいたげるものだろうか――。

 如何にも、舞台の上で生活するものにとって、顔の美醜は非常に大きなハンデキャップなのだ。彼の同輩の愛くるしい少年が、舞台で、どうしたはずみか、ストンと尻もちをついたとしたら、観客は

「まあ、可哀そうに……あら、赤くなって、こっちを見てるわ、まるで正美さんみたいね

 そういって可愛い美少年は、失敗をした為に、却って、観客の人気を得るのだ。けれど、それに引きかえて、醜い顔だちを持った黒吉が、舞台でそれと同じような失敗をしても、観客は、何の遠慮もなく、このぎこちない少年の未熟さを嘲笑うのだった。

 この観客にさえ嗤わらわれる黒吉は、勿論親方にとって、どんなに間抜けな、穀潰ごくつぶしに見えたかは充分想像が、出来るのだった。従って、黒吉に対する、親方仕打ちがどんなものだったかも――

(俺は芸が下手なんだ)

(俺は醜い男なんだ)

 薄暗い小屋の片隅で、独りぽつんと、考えこんでいる黒吉は、楽しい空想どころか、彼の幼い心には、この二つの子供らしくもない懊悩が、いつも吹き荒すさんでいるのだった。

 そして、それは彼の心の底へ、少年らしい甘えた気持を、ひた押しに内攻して仕舞って、彼を尚一層、陰気にする外、何んの役にもたたなかった。冷たい冷たい胸の中に、熱いものは、ただ一つ涙だけだった。

 こうした雰囲気の中に、閉じこめられた鴉黒吉が、真直に伸びる筈はなかった。

 ――そして、蒼白い「歪んだ心」を持った少年が、ここに一人生成されて行った。

 世の中の少年少女達が、喜々として、小学校に通い始めた頃だろうか。勿論黒吉には、そんな恵まれ生活は、遠く想像の外だった。

 しかし、この頃から黒吉は、同輩の幼い座員の中でも、少年少女とを、異った眼で見るようになって来た。

「何」という、ハッキリした相違はないのだが、女の子莫迦にされた時には、不思議男の子に罵られたような、憤りは感じなかったのだった。寧ろ、

(いっそ、あの手で打ぶたれたら……)

 と思うと、何かゾクゾクとした、喜びに似た気持を感じるのだ。

 これが何んであるか、黒吉は、次第に、その姿を、ハッキリ見るようになって来た。

一ノ四

 安白粉の匂いと、汗ばんだ体臭と、そして、ぺらぺらなあくどい色の衣裳が、雑巾のように、投げ散らかされた、この頽廃的な曲馬団の楽屋で、侮蔑の中に育てられた、陰気な少年の「歪んだ心」には、もうませた女の子への、不思議な執着が、ジクジクと燃えて来たのだ。

 ――そして、それを尚一層、駆立てるような、出来事が起った。

 それは、やっと敷地小屋掛けも済んで、いよいよ明日から公開、という前の日だった。

 団長は、例の通り、小六ヶ敷こむずかしい顔をして、小屋掛けの監督をしていたが、それが終って仕舞うと、さも「大仕事をした」というような顔をして、他のお気に入り幹部達と一緒に、何処か、遊びに出て行った。

 団長の遊びに行くのを、見送って仕舞うと、他の年かさな座員や、楽隊ジンタの係りの者なども、ようやくのびのびとして、思い思いの雑談に高笑いを立てていたが、剽軽者ひょうきんものの仙次が、自分の役であるピエロ舞台着を調べながら

「オイ、親父おやじが行ったぜ、俺の方も行こうか」

 恰度それが、合図でもあったかのように、急に話声が高くなった。

「ウン、たまには一杯やらなくちゃ……」

「ちえッ、たまには、とはよくもいいやがった。明日があるんだ、大丈夫か」

「ナーニ、少しはやらなくちゃ続かねエよ、いやなら止せよ」

「いやじゃねエよ」

ハハハ、五月蠅うるせえなア」

 と、如何にも嬉しそうに、がやがや喋りながら、それでも大急ぎで支度をして、町の中に開放されて行った。

 そして、何時か、このガランとした小屋の中には、蒲団ふとん係りの源二郎爺さんと、子供の座員だけが、ぽつんつんと取り残されていた。子供の座員は、外出を禁じられていた。それは勿論「脱走」に備えたものだった。その見張りの役が、今は老耄おいぼれて仕舞ったが、昔はこの一座を背負って立った源二郎爺じじいなのだ

 結局、幼い彼等は、小屋の中で、てんでに遊ぶより仕方がなかった。

 男の子男同志で、舞台を駈廻り、女の子は女らしく、固かたまって縄飛びをしていた。――そして、黒吉は、相変らず小屋の隅に、ぽつんと独りだった。

 しかし、何時になく、黒吉の眼は、何か一心に見詰めているようだ。

(この憂欝な、オドオドした少年が、一生懸命に見ているものは、何んだろう)

 誰でも、彼の平生を知っているものが、この様子に気付いたならば、一寸ちょっとをかしげたに相違ない。そして、何気なくこの少年視線を追って見たならば、或はハッと眼を伏せたかも知れないのだ。

 黒吉の恰度眼の前では、少女の座員たちが、簡単アッパッパを着て、縄飛びをしていた――。しかし彼の見ているのは、それではなかった。この少女達が、急いきおいよく自分の背丈せい位もある縄を飛んで、トンと下りると、その瞬間、簡単アッパッパスカートは、風を受けて乱れ、そこから覗くのは、ふっくりとした白い腿だった――。

(十やそこらの少年が、こんなものを、息を殺して見詰めているのだろうか――)

 そう考えると、極めて不快な感じの前に何か、寒む寒むとした、恐ろしさを覚えるのだ。

 しかし、尚そればかりではなかった。

 この憂欝な少年の心を、根柢から、グスグスとゆり動かした、あの「ふっくりとした白い腿」がたえまなく、彼の頭の中に、大きく渦を捲いて、押流れていた。

 やがて、その心の渦が、ようやく鎮まって来ると、その渦の中から、浮び上って来たのは、この一座の花形少女貴志田葉子きしだようこ」の顔だった。

 だが、それと同時に、黒吉は、いきなり打ち前倒のめされたような、劇しい不快な気持を、感じた。

(ちえッ、俺がいくらちゃんと遊ぼうったって、駄目だい。俺は芸が、下手くそなんだ。それに、あんな綺麗な葉ちゃんが、俺みたいな汚い子と遊んでくれるもんか……)

 だが、この少年の心の底へ、しっかり焼付られた、葉ちゃんへの、不思議な執着は、そんな事ぐらいでは、びくともしなかった。寧ろ

(駄目だ)

 と思えば思う程、余計に、いきなり大声で呶鳴ってみたいような焦燥を、いやが上にも煽立あおりたてているのだ。

 ――この頃から、彼のそぶりは、少しずつ変って来たようだった。それはよく気をつけて見たならば、相変らず小屋の片隅に、独りぽっちでいる黒吉の眼が、妙な光を持って来たのに、気がついたろう。そして、その時は彼の視線の先きに必ず幼い花形の、葉子が、愛くるしい姿をして飛廻っていたのだ。

 葉子は、まだ黒吉と同じように、十とう位だったが、顔は綺麗だし、芸は上手いし、自由小鳥のように朗らかで、あの気六ヶ敷い団長にすら、この上もなく可愛がられていたから、この陰惨な曲馬団の中でも、彼女だけは、充分幸福なように見えた。

 そして、勿論、この陰気な、醜い黒吉が、自分一挙一動を、舐めるように、見詰めているとは気づかなかったろう。

 黒吉自身は、彼女が、自分の事など、気にもかけていない、という事が「痛しかゆし」の気持だった。無論彼女

「こっちへいらっしゃいよ」

 とでも、声を掛けられたら、どんなに嬉しい事だろう。――しかし、その半面

「だらしがないのねエ、あんたなんか、大嫌いよ」

 といわれはしまいか、と思うと、彼女に話かけるどころか葉子が、何気なくこっちを見てさえ、

(俺を嗤うんじゃないか

 こうした感じが、脈管の中を、火のように逆流するのだ。それで、つと眼を伏せて仕舞う彼だった。

 黒吉は、自分でさえ、このひねくれた気持を知りながら、尚葉子への愛慕と伴に、どうしても、脱ぎ去る事が、出来なかった。

       ×

 思い出したように、賑やかなジンタが、「敷島マーチ」を一通り済ますと、続いて「カチウシャ」を始めた。フリュートの音が、ひょろひょろと蒼穹あおぞらに消えると、その合間合間に、乾からびた木戸番の「呼び込み」が、座員の心をも、何かそわそわさせるように、響いて来た。

「さあ、葉ちゃんの出番だよ」

「あら、もうあたしなの、いそがしいわ」

「いそいで、いそいで」

 葉子は周章あわててお煎餅せんべい一口齧かじると、衣裳部屋を飛出して行った。

 恰度、通り合せた黒吉は、ちらりとそれを見ると、何を思ったのか、その喰たべかけの煎餅を、そっと、いかにも大事そうに持って行った。

二ノ二

 葉子が、喰いかけて、抛り出して行った煎餅を、そっと、拾って来た黒吉は、座員達が、こってりと白粉を塗った顔を上気させながら、忙しそうに話し合っている所を、知らん顔して通り抜けると小屋の片隅の、座蒲団が山のように積上げられてある陰へ来た。

 黒吉は、経験で、舞台が始まると、こんなところには、滅多に人が来ない事を知っていた。

 それでも、注意深く、あたりに人気のないのを見澄ますと、こそこそと体を跼かがめながら、いまにも崩れそうに積上げられた座蒲団の隙間へ、潜り込んで行った。

 その隙間は、如何にも窮屈だったが、妙にぬくぬくとした弾力があって、何かなつかしいもののようであった。黒吉はやっと※ほっ[#「口+息」、16-9]とした落着きを味わいながら、あの煎餅のかけらを持ち迭かえると、それがさも大切な宝石でもあるかのように、そーっと手の掌ひらに載せて見た。

(これが、葉ちゃんの喰いかけだな)

 そう思うと、つい頬のゆるむ、嬉しさを感じた。……大事大事にとって置きたいような、……ぎゅっと抱締めたいような――。

 黒吉は、充分幸福を味わって、もう一遍沁々と、薄い光の中で、それを見詰めた。こうしてよくよく見ると、気の所為いか、その一かけの煎餅は、幾らか湿っているように思えた。

気をつけて、触ってみると、確かに、喰いかけのところが一寸湿っていた。

(葉ちゃんの唾つばきかな)

 黒吉の、小さい心臓は、この思わぬ、めっけものにガクガクと顫えた。

 彼は、いくら少年とはいえ、無論こんな一っかけの煎餅を、喰べたいばかりに、拾って来たのではなかった。黒吉には「葉子の喰べかけ」というところに、この煎餅が、幾カラットもあるダイヤモンドにも見えたのだ。

 しかし、触って見ると、このかけらは湿っている……

(葉ちゃんの唾だな)

 その瞬間、黒吉の頭には、衣裳部屋で、葉子が忙しそうにこの煎餅を咥くわえていた光景と、それにつづいてクロオズアップされた、彼女の、あの可愛い紅唇くちとが、アリアリと浮んだ。

 それと一緒に、彼は、思わずゴクンと、固い唾を飲んだ。

 黒吉は、妖しく眼を光らせながら、あたりを偸ぬすみ見ると、やがて、意を決したように、その葉子の唾液つばきで湿ったに違いない煎餅のかけらを、そっと唇に近づけた……。

(鹹しょっぱい――な)

 これは、勿論塩煎餅の味だったろう。だが、黒吉の手は、何故かぶるぶると顫えた。

 彼の少年らしくもない、深い陰影かげを持った顔は、何時か熱っぽく上気し、激しく心臓から投出される、血潮は、顳※(「需+頁」、第3水準1-94-6)こめかみをひくひくと波打たせていた。

 そして、もう手の掌に、べとべとと溶けて仕舞った、煎餅のかけらから、尚も「葉子の匂い」を嗅ぎ出そうと、総てを忘れて、ペロペロと舐め続けていた……。

「こらっ。何をしてるんだ、黒公」

 ハッと気がつくと、蒲団の山の向うから、源二郎爺の、怒りを含んだ怪訝な顔が、覗いていた。

「出番じゃねエか。愚図愚図してると、又ひどいぞ」

「ウン」

 黒吉は、瞬間、親方の顔を思い出して、ピョコンと飛起きた。そして、ベタベタと粘る手の掌を肉襦袢にこすりこすり、周章あわてて楽屋の方へ駈けて行った。

二ノ三

 黒吉は、命ぜられた、色々の曲芸をしながらも、頭の中は、いつも葉子の事で一杯だった。

(一度でいいから葉ちゃんと、沁々話したい)

 これが、彼の歪められた心に発生わいて来た、たった一つの望みだった。

 彼がもっと朗らかな、普通の子供であったならば、いつも同じ小屋にいる葉子だもの、そんな事は、造作なく実現したに違いない。

 しかし、それにしては、黒吉は、余りに陰気な、ひねくれた少年だった。――というのも、彼の暗い周囲がそうさせたのだが――。

 そして、早熟ませた葉子への執着が、堰せき切れなくなった時に彼が見つけたのは、あの煎餅のかけらが産んだ、恐ろしい恍惚エクスタシーだった。

 一度こうした排はけ口を見つけた、彼の心が、その儘止まる筈はなかった――寧ろ、津浪のようにその排け口に向って殺到して行ったのだ。

 彼は、そっと、人のいないのを見すまして、衣裳部屋に潜り込み、葉子の小ちっちゃい肉襦袢に、醜悪な顔を、埋うずめていた事もあった。

 その白粉の匂いと、体臭のむんむんする臭いが、彼自身眩暈めまいをさえ伴った、陶酔感を与えるのだ。

 そして、ふと、その肉襦袢に、葉子のオカッパの髪が、二三本ついていたのを見つけると、その大発見に狂喜しながら、注意ぶかく抓つまみ上げて、白い紙につつむと、あり合せの鉛筆で、

「葉子チャンノカミノケ」

 そんな文句を、下手糞な字で、たどたどしく書きつけ、もう一度、上から擦さすって見てから、それを、肌身深く蔵しまいこんで仕舞った……。

 こうした彼の悪癖が、益々慕って行った事は、その後、葉子の持ち物が、ちょいちょい失なくなるようになった事でも、充分想像が出来た。

 失くなるといっても、勿論たいした品物を、曲馬団の少女が、持っている訳はなかったから、もうすり減った、真黒く脂肪あぶら足の跡が附いた、下駄の一方だとか、毛の抜けて仕舞った竹の歯楊子ようじだとか、そういった、極く下らないものだった。それで、

(盗られた)

 という気持を、葉子自身ですら感じなかったのは、彼にとっては、もっけの幸いだった。しかしこれらの「下らない紛失物」が、黒吉にとって、どんなに貴重なものだったかは、また容易に想像出来るのだ。

 ――ここまでは、黒吉少年の心に醗酵した、侘わびしい(しか執拗な)彼一人だけの、胸の中の恋だった。

 だが、ここに葉子が、暴風雨あらしを伴奏にして、颯爽と、現実舞台へ、登場しようとしている。

       ×

 極東曲馬団は、町から町、盛り場から盛り場を、人々の眼を楽しませながら、流れ移っていた。

 そして、ある田舎町に敷地を借り、ようやく小屋掛けも終ったと殆んど同時に、朝から頸を傾かしげさせていた空模様が、一時に頽くずれて、大粒の雨が、無気味な風を含んで、ぽたりぽたり落ちて来たかと思うと、もう篠つくような豪雨に変っていた。

 団長等は、早々に、宿屋に引上げて仕舞ったが、子供の座員や、下っぱの座員などは、経費の関係で、いつも、この小屋に泊る事を言渡されていた。子供等の方では、これは当然だと思っていたし、又団長がいないという事で、却って喜んでいたようでもあった。

 しかし、この急拵えの小屋が、この沛然はいぜんと降る豪雨に、無事な筈はなく、雨漏りをさけて遁げ廻った末、やっと楽屋の隅で、ひと凝固かたまりになって、横になる事が出来たのは、もう大分夜が更けてからだった。

 黒吉は、眼をつぶって、ようやく小降りになって来たらしい、雨の音を聴いていると、もう肩を並べた隣りからは、幽かな寝息さえ聴えて来た。

 それと同時に、黒吉は、何かドキンとしたものを感じた。

(隣りに寝ているのは、葉ちゃんじゃないか――)

二ノ四

 瞬間、黒吉は自分の頭が、シーンと澄み透って行くのを感じた。

(果して、隣りで寝ているのは、葉ちゃんだろうか)

 それは勿論、第六感とでもいうのか、極く曖昧ものだった。が、あの騒ぎで、皆んな、ごたごたに寝て仕舞ったのだから全然あり得ない事でもないのだ。

 そう思うと、隣りと接した、肩の辺が、熱っぽく、暑苦しいようにさえ感じた。そして、心臓はその鼓動と伴に、胸の中、一杯に拡がって行った。

 黒吉は、思い切って、起上り、顔を覗き見たい衝動を感じた。あたりは真暗だが、よく気をつけて覗きこめば、顔の判別がつかぬ、という程でもないように思われた。

 彼は、そーっと、薄い蒲団の縁へりへ、手をかけた。だが――

(まてまて。葉ちゃんならば、こんなに素晴らしい事はない。けれども、こんなにぎっしり寝ている処で、ごそごそ起きたら、どうかすると、彼女は眼を覚ますかも知れない。

 それだけならいいが、眼を覚まして、俺が覗きこんでいた事を知ったら、きっと葉ちゃんは、真赤になって、この醜い俺を罵り、どこか遠くへ寝床をかえて仕舞うに違いないんだ。

 ――そんな莫迦な事をするより、例え短かくとも、夜が明けるまで、こうして葉ちゃんの、ふくよかな肩の感触を恣ほしいままにした方が、どれ程気が利いていることか……)

 黒吉の心の中の、内気な半面が、こう囁いた。

 彼は、蒲団にかけた手を、又静かに戻して仕舞うと、今度は、全身の注意を、細かに砕いて、彼女の方へぴったり、摺り寄って行った。そして、温もりに混った、彼女の穏やかな心臓の響きを、肩の辺に聴いていた……。

 フト、冷めたい風を感じて、何時の間にかつぶっていた眼を明けて見ると、あたりには極くうっすらと、光が射しているのに、気がついた。

(もう夜明けかな――いつの間に寝て仕舞ったんだろう)

 それと一緒に、思わずガクンと体の顫えるような、口惜くやしさに似た後悔を感じた。

(葉ちゃんは……)

 黒吉は、先ずそれが心懸りだったので、ぐっと頸を廻して隣りを確めようとした。

(おや……)

 彼の眼に這入ったのは、葉子より先きに、キンと澄み切った、尖った月の半分だった。

 急拵えの小屋天幕は、夕方の大暴風雨あらしに吹きまくられてぽっかり夜空に口を開け、恰度そこから、のり出すように月が覗き込み、地底のようにシンと澱んだ小屋の中に白々とした、絹糸のような、光を撒いているのだ。暴風雨あらしの後の月は物凄いまでに、冴え冴えとしていた。

(まだ夜中だ)

 黒吉は※ほ[#「口+息」、22-9]っと心配を排はき棄てた。

 彼の隣りには、葉子が、いかにも寝苦しそうに寝ていた。先刻さっきは、確かに葉子だ、とは断言出来なかったが、いまでは極く淡い光ではあったが、その中でも、段々眼の馴れるに従って、黒吉には、ハッキリ葉子の姿が、写って来た。

 黒吉は、意を決したように、半身を蒲団から抜出し、月の光を遮らないように――、音のしないように、そっと彼女の顔を覗きこんだ。

 眼の下には、月の光を受けて、いつもより蒼白く見える葉子の、幼い顔が、少しばかり口さえ開け、寝入っていた。もう少し月の光が強かったら、この房々としたオカッパの頭髪かみのけが黄金のように光るだろう――と思えた。

 又、襟足の洗いおとした白粉が、この幼い葉子の寝姿を少年の心にも、一入ひとしお可憐いじらしく見せていた。

 暫く、ぼんやりと、その夢のように霞んだ、葉子の顔を、見詰めていた黒吉は、ゴクンと固い唾を咽喉へ通すと、その薄く開かれた唇から、寝息でも聴こうとするのか、顔を次第次第に近附けて行った。

 何故か、彼の唇は、ガザガザに乾いていた。

 やがて、この弱々しい月光の下で、二つのさな頭の影が、一つになって仕舞うと、彼は、葉子の頬についている、小さい愛嬌黒子ぼくろが、自分の頬をも、凹へこますのを感じた。

二ノ五

 黒吉の、唇に感じた、葉子の唇の感触は、ぬくぬくとして弾力に富んだはんぺんのようだった。妙な連想だけれど、事実彼の経験では、これが一番よく似ていたのだ。

 唯、違った所――それは非常に違ったところがあるのだが――残念ながら、それをいい表わす言葉を知らなかった。

 彼は、そーっと腕の力を抜こうとした。途端に、肘の下の羽目板が、鈍い音を立てた。造作の悪い掛小屋なので、一寸した重みの加減でも、板が軋むのだ。シンとした周囲あたりと、針のように尖った、彼の神経に、それが幾層倍にも、拡大されて響き渡った。

 黒吉の心臓は、瞬間、ドキンと音がして止ったようだった。

「ク……」

 周章あわてて顔を上げた彼の眼の下で、葉子は、悪い夢でも見たのか、咽喉を鳴らすと、寝返りを打って、向うを向いて仕舞った。

(眼を覚ましたかな)

 黒吉は、思いきり息を深くしながら、葉子の墨のような、後向きの寝姿を、見守った。(いや、大丈夫だ)

 寝返りをした葉子は、幸い、眼を覚まさなかったと見えて、直ぐ又かすかな、寝息が、聴えて来た。

 彼は、ようやく※ほ[#「口+息」、24-4]っと、熱

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anond:20250708044816

 辺鄙な、村はずれの丘には、いつの間にか、華やかな幕を沢山吊るした急拵ごしらえの小屋掛が出来て、極東曲馬団の名がかけられ、狂燥なジンタと、ヒョロヒョロと空気を伝わるフリュートの音に、村人は、老おいも若きも、しばし、強烈な色彩と音楽スリル享楽し、又、いつの間にか曲馬団が他へ流れて行っても、しばらくは、フト白い流れ雲の中に、少年少女の縊くびれた肢体を思い出すのである

 トテモ華やかな、その空気の中にも、やっぱり、小さな「悩める虫」がいるのだ。

一ノ二

莫迦ッ、そんな事が出来ねエのか、間抜けめ!」

 親方は、野卑な言葉で、そう呶鳴どなると、手に持った革の鞭で、床をビシビシ撲りつけながら、黒吉くろきちを、グッと睨みつけるのだった。

 まだいたいけな少年の黒吉は、恐ろしさにオドオドして、

「済みません、済みません」

 そんな事を、呟くようにいうと、ぼろぼろに裂けた肉襦袢じゅばんの、肩の辺を擦さすりながら、氷のように冷めたい床の上に、又無器用な体つきで、ゴロンゴロンと幾度も「逆立ち」を遣り直していた。

 饑ひもじさと、恐ろしさと、苦痛と、寒気と、そして他の座員の嘲笑とが、もう毎度の事だったが、黒吉の身の周りに、犇々ひしひしと迫って、思わずホロホロと滾こぼした血のような涙が、荒削りの床に、黒い斑点を残して、音もなく滲しみ込んで行った。

 ――ここは、極東曲馬団の楽屋裏だった。

 逆立ちの下手な、無器用な黒吉は、ここの少年座員なのだ

 鴉からす黒吉。というのが彼の名前だった。しかしこれは舞台だけの芸名か、それとも本当の名前か、恐らくこれは字面じづらから見て、親方が、勝手につけた名前に違いないが、本名となると彼自身は勿論の事、親方だってハッキリ知っているかどうかは疑わしいものだった。

 黒吉自身記憶といっては、極めてぼんやりしたものだったけれど、いたましい事には、それは何時も、この曲馬団の片隅の、衣裳戸棚から始まっていた。

 それで、彼がもの心のついた時からは、――彼の記憶が始まった時からは、いつも周囲には、悲壮ジンタと、くしゃくしゃになったあくどい色の衣裳と、そして、それらを罩こめた安白粉おしろいの匂いや、汗のしみた肉襦袢の、ムッとした嗅気が、重なり合って、色彩っていた。

 こうした頽廃的な雰囲気の中に、いつも絶えない、座員間の軋轢あつれきと、華やかな底に澱む、ひがんだ蒼黒い空気とは、幼い黒吉の心から、跡形もなく「朗らかさ」を毟むしり取って仕舞った。そして、あとに残った陰欝な、日陰の虫のような少年の心に、世の中というものを、一風変った方向からのみ、見詰めさせていた。

 彼は用のない時には、何時も、太い丸太が荒縄で、蜘蛛の巣のように、縦横無尽に張りまわされている薄暗い楽屋の隅で、何かぼんやりえこんでいた。それは少年らしくもない憂欝な、女々しい姿だった。

 黒吉は明かに、他の同輩の少年から

「オイ、こっちへこいよ」

 と声をかけられるのを恐れているように見えた。

 しかし、それは、単に彼の危惧に過ぎなかった。

 他の少年座員達は、誰も、この憂欝な顔をした、芸の不器用な、そして親方におぼえのよくない黒吉と、進んで遊ぼうというものはなかった。(それは恐ろしい団長への、気兼ねもあったろうが)寧ろ彼等は、黒吉の方からしかけても、決して色よい返事は、しないように思われた。

 結局、黒吉はそれをいい事にして、独りぽつねんと、小屋の隅に忘れられた儘、たった一つ、彼に残されたオアシスである他愛もない「空想」に耽っていた。

一ノ三

 憂欝な少年黒吉が、何を考えているのか。

 ――その前に、彼が、なぜ親方のおぼえが悪いのだろうかという事をいわなければならない。

 (それは、彼の憂欝性にも、重大な影響のある事だから

 黒吉は、どう見ても、親方の「お気に入り」とは思えなかった。それは、勿論彼が、芸の未熟な不器用だった事も、確かにその原因の、一つだったけれど、他の大きな原因は、彼が醜い容貌だ、という先天的な不運に、禍わざわいされていたのだった。

 男の子容貌が、そんなにも、幼い心を虐しいたげるものだろうか――。

 如何にも、舞台の上で生活するものにとって、顔の美醜は非常に大きなハンデキャップなのだ。彼の同輩の愛くるしい少年が、舞台で、どうしたはずみか、ストンと尻もちをついたとしたら、観客は

「まあ、可哀そうに……あら、赤くなって、こっちを見てるわ、まるで正美さんみたいね

 そういって可愛い美少年は、失敗をした為に、却って、観客の人気を得るのだ。けれど、それに引きかえて、醜い顔だちを持った黒吉が、舞台でそれと同じような失敗をしても、観客は、何の遠慮もなく、このぎこちない少年の未熟さを嘲笑うのだった。

 この観客にさえ嗤わらわれる黒吉は、勿論親方にとって、どんなに間抜けな、穀潰ごくつぶしに見えたかは充分想像が、出来るのだった。従って、黒吉に対する、親方仕打ちがどんなものだったかも――

(俺は芸が下手なんだ)

(俺は醜い男なんだ)

 薄暗い小屋の片隅で、独りぽつんと、考えこんでいる黒吉は、楽しい空想どころか、彼の幼い心には、この二つの子供らしくもない懊悩が、いつも吹き荒すさんでいるのだった。

 そして、それは彼の心の底へ、少年らしい甘えた気持を、ひた押しに内攻して仕舞って、彼を尚一層、陰気にする外、何んの役にもたたなかった。冷たい冷たい胸の中に、熱いものは、ただ一つ涙だけだった。

 こうした雰囲気の中に、閉じこめられた鴉黒吉が、真直に伸びる筈はなかった。

 ――そして、蒼白い「歪んだ心」を持った少年が、ここに一人生成されて行った。

 世の中の少年少女達が、喜々として、小学校に通い始めた頃だろうか。勿論黒吉には、そんな恵まれ生活は、遠く想像の外だった。

 しかし、この頃から黒吉は、同輩の幼い座員の中でも、少年少女とを、異った眼で見るようになって来た。

「何」という、ハッキリした相違はないのだが、女の子莫迦にされた時には、不思議男の子に罵られたような、憤りは感じなかったのだった。寧ろ、

(いっそ、あの手で打ぶたれたら……)

 と思うと、何かゾクゾクとした、喜びに似た気持を感じるのだ。

 これが何んであるか、黒吉は、次第に、その姿を、ハッキリ見るようになって来た。

一ノ四

 安白粉の匂いと、汗ばんだ体臭と、そして、ぺらぺらなあくどい色の衣裳が、雑巾のように、投げ散らかされた、この頽廃的な曲馬団の楽屋で、侮蔑の中に育てられた、陰気な少年の「歪んだ心」には、もうませた女の子への、不思議な執着が、ジクジクと燃えて来たのだ。

 ――そして、それを尚一層、駆立てるような、出来事が起った。

 それは、やっと敷地小屋掛けも済んで、いよいよ明日から公開、という前の日だった。

 団長は、例の通り、小六ヶ敷こむずかしい顔をして、小屋掛けの監督をしていたが、それが終って仕舞うと、さも「大仕事をした」というような顔をして、他のお気に入り幹部達と一緒に、何処か、遊びに出て行った。

 団長の遊びに行くのを、見送って仕舞うと、他の年かさな座員や、楽隊ジンタの係りの者なども、ようやくのびのびとして、思い思いの雑談に高笑いを立てていたが、剽軽者ひょうきんものの仙次が、自分の役であるピエロ舞台着を調べながら

「オイ、親父おやじが行ったぜ、俺の方も行こうか」

 恰度それが、合図でもあったかのように、急に話声が高くなった。

「ウン、たまには一杯やらなくちゃ……」

「ちえッ、たまには、とはよくもいいやがった。明日があるんだ、大丈夫か」

「ナーニ、少しはやらなくちゃ続かねエよ、いやなら止せよ」

「いやじゃねエよ」

ハハハ、五月蠅うるせえなア」

 と、如何にも嬉しそうに、がやがや喋りながら、それでも大急ぎで支度をして、町の中に開放されて行った。

 そして、何時か、このガランとした小屋の中には、蒲団ふとん係りの源二郎爺さんと、子供の座員だけが、ぽつんつんと取り残されていた。子供の座員は、外出を禁じられていた。それは勿論「脱走」に備えたものだった。その見張りの役が、今は老耄おいぼれて仕舞ったが、昔はこの一座を背負って立った源二郎爺じじいなのだ

 結局、幼い彼等は、小屋の中で、てんでに遊ぶより仕方がなかった。

 男の子男同志で、舞台を駈廻り、女の子は女らしく、固かたまって縄飛びをしていた。――そして、黒吉は、相変らず小屋の隅に、ぽつんと独りだった。

 しかし、何時になく、黒吉の眼は、何か一心に見詰めているようだ。

(この憂欝な、オドオドした少年が、一生懸命に見ているものは、何んだろう)

 誰でも、彼の平生を知っているものが、この様子に気付いたならば、一寸ちょっとをかしげたに相違ない。そして、何気なくこの少年視線を追って見たならば、或はハッと眼を伏せたかも知れないのだ。

 黒吉の恰度眼の前では、少女の座員たちが、簡単アッパッパを着て、縄飛びをしていた――。しかし彼の見ているのは、それではなかった。この少女達が、急いきおいよく自分の背丈せい位もある縄を飛んで、トンと下りると、その瞬間、簡単アッパッパスカートは、風を受けて乱れ、そこから覗くのは、ふっくりとした白い腿だった――。

(十やそこらの少年が、こんなものを、息を殺して見詰めているのだろうか――)

 そう考えると、極めて不快な感じの前に何か、寒む寒むとした、恐ろしさを覚えるのだ。

 しかし、尚そればかりではなかった。

 この憂欝な少年の心を、根柢から、グスグスとゆり動かした、あの「ふっくりとした白い腿」がたえまなく、彼の頭の中に、大きく渦を捲いて、押流れていた。

 やがて、その心の渦が、ようやく鎮まって来ると、その渦の中から、浮び上って来たのは、この一座の花形少女貴志田葉子きしだようこ」の顔だった。

 だが、それと同時に、黒吉は、いきなり打ち前倒のめされたような、劇しい不快な気持を、感じた。

(ちえッ、俺がいくらちゃんと遊ぼうったって、駄目だい。俺は芸が、下手くそなんだ。それに、あんな綺麗な葉ちゃんが、俺みたいな汚い子と遊んでくれるもんか……)

 だが、この少年の心の底へ、しっかり焼付られた、葉ちゃんへの、不思議な執着は、そんな事ぐらいでは、びくともしなかった。寧ろ

(駄目だ)

 と思えば思う程、余計に、いきなり大声で呶鳴ってみたいような焦燥を、いやが上にも煽立あおりたてているのだ。

 ――この頃から、彼のそぶりは、少しずつ変って来たようだった。それはよく気をつけて見たならば、相変らず小屋の片隅に、独りぽっちでいる黒吉の眼が、妙な光を持って来たのに、気がついたろう。そして、その時は彼の視線の先きに必ず幼い花形の、葉子が、愛くるしい姿をして飛廻っていたのだ。

 葉子は、まだ黒吉と同じように、十とう位だったが、顔は綺麗だし、芸は上手いし、自由小鳥のように朗らかで、あの気六ヶ敷い団長にすら、この上もなく可愛がられていたから、この陰惨な曲馬団の中でも、彼女だけは、充分幸福なように見えた。

 そして、勿論、この陰気な、醜い黒吉が、自分一挙一動を、舐めるように、見詰めているとは気づかなかったろう。

 黒吉自身は、彼女が、自分の事など、気にもかけていない、という事が「痛しかゆし」の気持だった。無論彼女

「こっちへいらっしゃいよ」

 とでも、声を掛けられたら、どんなに嬉しい事だろう。――しかし、その半面

「だらしがないのねエ、あんたなんか、大嫌いよ」

 といわれはしまいか、と思うと、彼女に話かけるどころか葉子が、何気なくこっちを見てさえ、

(俺を嗤うんじゃないか

 こうした感じが、脈管の中を、火のように逆流するのだ。それで、つと眼を伏せて仕舞う彼だった。

 黒吉は、自分でさえ、このひねくれた気持を知りながら、尚葉子への愛慕と伴に、どうしても、脱ぎ去る事が、出来なかった。

       ×

 思い出したように、賑やかなジンタが、「敷島マーチ」を一通り済ますと、続いて「カチウシャ」を始めた。フリュートの音が、ひょろひょろと蒼穹あおぞらに消えると、その合間合間に、乾からびた木戸番の「呼び込み」が、座員の心をも、何かそわそわさせるように、響いて来た。

「さあ、葉ちゃんの出番だよ」

「あら、もうあたしなの、いそがしいわ」

「いそいで、いそいで」

 葉子は周章あわててお煎餅せんべい一口齧かじると、衣裳部屋を飛出して行った。

 恰度、通り合せた黒吉は、ちらりとそれを見ると、何を思ったのか、その喰たべかけの煎餅を、そっと、いかにも大事そうに持って行った。

二ノ二

 葉子が、喰いかけて、抛り出して行った煎餅を、そっと、拾って来た黒吉は、座員達が、こってりと白粉を塗った顔を上気させながら、忙しそうに話し合っている所を、知らん顔して通り抜けると小屋の片隅の、座蒲団が山のように積上げられてある陰へ来た。

 黒吉は、経験で、舞台が始まると、こんなところには、滅多に人が来ない事を知っていた。

 それでも、注意深く、あたりに人気のないのを見澄ますと、こそこそと体を跼かがめながら、いまにも崩れそうに積上げられた座蒲団の隙間へ、潜り込んで行った。

 その隙間は、如何にも窮屈だったが、妙にぬくぬくとした弾力があって、何かなつかしいもののようであった。黒吉はやっと※ほっ[#「口+息」、16-9]とした落着きを味わいながら、あの煎餅のかけらを持ち迭かえると、それがさも大切な宝石でもあるかのように、そーっと手の掌ひらに載せて見た。

(これが、葉ちゃんの喰いかけだな)

 そう思うと、つい頬のゆるむ、嬉しさを感じた。……大事大事にとって置きたいような、……ぎゅっと抱締めたいような――。

 黒吉は、充分幸福を味わって、もう一遍沁々と、薄い光の中で、それを見詰めた。こうしてよくよく見ると、気の所為いか、その一かけの煎餅は、幾らか湿っているように思えた。

気をつけて、触ってみると、確かに、喰いかけのところが一寸湿っていた。

(葉ちゃんの唾つばきかな)

 黒吉の、小さい心臓は、この思わぬ、めっけものにガクガクと顫えた。

 彼は、いくら少年とはいえ、無論こんな一っかけの煎餅を、喰べたいばかりに、拾って来たのではなかった。黒吉には「葉子の喰べかけ」というところに、この煎餅が、幾カラットもあるダイヤモンドにも見えたのだ。

 しかし、触って見ると、このかけらは湿っている……

(葉ちゃんの唾だな)

 その瞬間、黒吉の頭には、衣裳部屋で、葉子が忙しそうにこの煎餅を咥くわえていた光景と、それにつづいてクロオズアップされた、彼女の、あの可愛い紅唇くちとが、アリアリと浮んだ。

 それと一緒に、彼は、思わずゴクンと、固い唾を飲んだ。

 黒吉は、妖しく眼を光らせながら、あたりを偸ぬすみ見ると、やがて、意を決したように、その葉子の唾液つばきで湿ったに違いない煎餅のかけらを、そっと唇に近づけた……。

(鹹しょっぱい――な)

 これは、勿論塩煎餅の味だったろう。だが、黒吉の手は、何故かぶるぶると顫えた。

 彼の少年らしくもない、深い陰影かげを持った顔は、何時か熱っぽく上気し、激しく心臓から投出される、血潮は、顳※(「需+頁」、第3水準1-94-6)こめかみをひくひくと波打たせていた。

 そして、もう手の掌に、べとべとと溶けて仕舞った、煎餅のかけらから、尚も「葉子の匂い」を嗅ぎ出そうと、総てを忘れて、ペロペロと舐め続けていた……。

「こらっ。何をしてるんだ、黒公」

 ハッと気がつくと、蒲団の山の向うから、源二郎爺の、怒りを含んだ怪訝な顔が、覗いていた。

「出番じゃねエか。愚図愚図してると、又ひどいぞ」

「ウン」

 黒吉は、瞬間、親方の顔を思い出して、ピョコンと飛起きた。そして、ベタベタと粘る手の掌を肉襦袢にこすりこすり、周章あわてて楽屋の方へ駈けて行った。

二ノ三

 黒吉は、命ぜられた、色々の曲芸をしながらも、頭の中は、いつも葉子の事で一杯だった。

(一度でいいから葉ちゃんと、沁々話したい)

 これが、彼の歪められた心に発生わいて来た、たった一つの望みだった。

 彼がもっと朗らかな、普通の子供であったならば、いつも同じ小屋にいる葉子だもの、そんな事は、造作なく実現したに違いない。

 しかし、それにしては、黒吉は、余りに陰気な、ひねくれた少年だった。――というのも、彼の暗い周囲がそうさせたのだが――。

 そして、早熟ませた葉子への執着が、堰せき切れなくなった時に彼が見つけたのは、あの煎餅のかけらが産んだ、恐ろしい恍惚エクスタシーだった。

 一度こうした排はけ口を見つけた、彼の心が、その儘止まる筈はなかった――寧ろ、津浪のようにその排け口に向って殺到して行ったのだ。

 彼は、そっと、人のいないのを見すまして、衣裳部屋に潜り込み、葉子の小ちっちゃい肉襦袢に、醜悪な顔を、埋うずめていた事もあった。

 その白粉の匂いと、体臭のむんむんする臭いが、彼自身眩暈めまいをさえ伴った、陶酔感を与えるのだ。

 そして、ふと、その肉襦袢に、葉子のオカッパの髪が、二三本ついていたのを見つけると、その大発見に狂喜しながら、注意ぶかく抓つまみ上げて、白い紙につつむと、あり合せの鉛筆で、

「葉子チャンノカミノケ」

 そんな文句を、下手糞な字で、たどたどしく書きつけ、もう一度、上から擦さすって見てから、それを、肌身深く蔵しまいこんで仕舞った……。

 こうした彼の悪癖が、益々慕って行った事は、その後、葉子の持ち物が、ちょいちょい失なくなるようになった事でも、充分想像が出来た。

 失くなるといっても、勿論たいした品物を、曲馬団の少女が、持っている訳はなかったから、もうすり減った、真黒く脂肪あぶら足の跡が附いた、下駄の一方だとか、毛の抜けて仕舞った竹の歯楊子ようじだとか、そういった、極く下らないものだった。それで、

(盗られた)

 という気持を、葉子自身ですら感じなかったのは、彼にとっては、もっけの幸いだった。しかしこれらの「下らない紛失物」が、黒吉にとって、どんなに貴重なものだったかは、また容易に想像出来るのだ。

 ――ここまでは、黒吉少年の心に醗酵した、侘わびしい(しか執拗な)彼一人だけの、胸の中の恋だった。

 だが、ここに葉子が、暴風雨あらしを伴奏にして、颯爽と、現実舞台へ、登場しようとしている。

       ×

 極東曲馬団は、町から町、盛り場から盛り場を、人々の眼を楽しませながら、流れ移っていた。

 そして、ある田舎町に敷地を借り、ようやく小屋掛けも終ったと殆んど同時に、朝から頸を傾かしげさせていた空模様が、一時に頽くずれて、大粒の雨が、無気味な風を含んで、ぽたりぽたり落ちて来たかと思うと、もう篠つくような豪雨に変っていた。

 団長等は、早々に、宿屋に引上げて仕舞ったが、子供の座員や、下っぱの座員などは、経費の関係で、いつも、この小屋に泊る事を言渡されていた。子供等の方では、これは当然だと思っていたし、又団長がいないという事で、却って喜んでいたようでもあった。

 しかし、この急拵えの小屋が、この沛然はいぜんと降る豪雨に、無事な筈はなく、雨漏りをさけて遁げ廻った末、やっと楽屋の隅で、ひと凝固かたまりになって、横になる事が出来たのは、もう大分夜が更けてからだった。

 黒吉は、眼をつぶって、ようやく小降りになって来たらしい、雨の音を聴いていると、もう肩を並べた隣りからは、幽かな寝息さえ聴えて来た。

 それと同時に、黒吉は、何かドキンとしたものを感じた。

(隣りに寝ているのは、葉ちゃんじゃないか――)

二ノ四

 瞬間、黒吉は自分の頭が、シーンと澄み透って行くのを感じた。

(果して、隣りで寝ているのは、葉ちゃんだろうか)

 それは勿論、第六感とでもいうのか、極く曖昧ものだった。が、あの騒ぎで、皆んな、ごたごたに寝て仕舞ったのだから全然あり得ない事でもないのだ。

 そう思うと、隣りと接した、肩の辺が、熱っぽく、暑苦しいようにさえ感じた。そして、心臓はその鼓動と伴に、胸の中、一杯に拡がって行った。

 黒吉は、思い切って、起上り、顔を覗き見たい衝動を感じた。あたりは真暗だが、よく気をつけて覗きこめば、顔の判別がつかぬ、という程でもないように思われた。

 彼は、そーっと、薄い蒲団の縁へりへ、手をかけた。だが――

(まてまて。葉ちゃんならば、こんなに素晴らしい事はない。けれども、こんなにぎっしり寝ている処で、ごそごそ起きたら、どうかすると、彼女は眼を覚ますかも知れない。

 それだけならいいが、眼を覚まして、俺が覗きこんでいた事を知ったら、きっと葉ちゃんは、真赤になって、この醜い俺を罵り、どこか遠くへ寝床をかえて仕舞うに違いないんだ。

 ――そんな莫迦な事をするより、例え短かくとも、夜が明けるまで、こうして葉ちゃんの、ふくよかな肩の感触を恣ほしいままにした方が、どれ程気が利いていることか……)

 黒吉の心の中の、内気な半面が、こう囁いた。

 彼は、蒲団にかけた手を、又静かに戻して仕舞うと、今度は、全身の注意を、細かに砕いて、彼女の方へぴったり、摺り寄って行った。そして、温もりに混った、彼女の穏やかな心臓の響きを、肩の辺に聴いていた……。

 フト、冷めたい風を感じて、何時の間にかつぶっていた眼を明けて見ると、あたりには極くうっすらと、光が射しているのに、気がついた。

(もう夜明けかな――いつの間に寝て仕舞ったんだろう)

 それと一緒に、思わずガクンと体の顫えるような、口惜くやしさに似た後悔を感じた。

(葉ちゃんは……)

 黒吉は、先ずそれが心懸りだったので、ぐっと頸を廻して隣りを確めようとした。

(おや……)

 彼の眼に這入ったのは、葉子より先きに、キンと澄み切った、尖った月の半分だった。

 急拵えの小屋天幕は、夕方の大暴風雨あらしに吹きまくられてぽっかり夜空に口を開け、恰度そこから、のり出すように月が覗き込み、地底のようにシンと澱んだ小屋の中に白々とした、絹糸のような、光を撒いているのだ。暴風雨あらしの後の月は物凄いまでに、冴え冴えとしていた。

(まだ夜中だ)

 黒吉は※ほ[#「口+息」、22-9]っと心配を排はき棄てた。

 彼の隣りには、葉子が、いかにも寝苦しそうに寝ていた。先刻さっきは、確かに葉子だ、とは断言出来なかったが、いまでは極く淡い光ではあったが、その中でも、段々眼の馴れるに従って、黒吉には、ハッキリ葉子の姿が、写って来た。

 黒吉は、意を決したように、半身を蒲団から抜出し、月の光を遮らないように――、音のしないように、そっと彼女の顔を覗きこんだ。

 眼の下には、月の光を受けて、いつもより蒼白く見える葉子の、幼い顔が、少しばかり口さえ開け、寝入っていた。もう少し月の光が強かったら、この房々としたオカッパの頭髪かみのけが黄金のように光るだろう――と思えた。

 又、襟足の洗いおとした白粉が、この幼い葉子の寝姿を少年の心にも、一入ひとしお可憐いじらしく見せていた。

 暫く、ぼんやりと、その夢のように霞んだ、葉子の顔を、見詰めていた黒吉は、ゴクンと固い唾を咽喉へ通すと、その薄く開かれた唇から、寝息でも聴こうとするのか、顔を次第次第に近附けて行った。

 何故か、彼の唇は、ガザガザに乾いていた。

 やがて、この弱々しい月光の下で、二つのさな頭の影が、一つになって仕舞うと、彼は、葉子の頬についている、小さい愛嬌黒子ぼくろが、自分の頬をも、凹へこますのを感じた。

二ノ五

 黒吉の、唇に感じた、葉子の唇の感触は、ぬくぬくとして弾力に富んだはんぺんのようだった。妙な連想だけれど、事実彼の経験では、これが一番よく似ていたのだ。

 唯、違った所――それは非常に違ったところがあるのだが――残念ながら、それをいい表わす言葉を知らなかった。

 彼は、そーっと腕の力を抜こうとした。途端に、肘の下の羽目板が、鈍い音を立てた。造作の悪い掛小屋なので、一寸した重みの加減でも、板が軋むのだ。シンとした周囲あたりと、針のように尖った、彼の神経に、それが幾層倍にも、拡大されて響き渡った。

 黒吉の心臓は、瞬間、ドキンと音がして止ったようだった。

「ク……」

 周章あわてて顔を上げた彼の眼の下で、葉子は、悪い夢でも見たのか、咽喉を鳴らすと、寝返りを打って、向うを向いて仕舞った。

(眼を覚ましたかな)

 黒吉は、思いきり息を深くしながら、葉子の墨のような、後向きの寝姿を、見守った。(いや、大丈夫だ)

 寝返りをした葉子は、幸い、眼を覚まさなかったと見えて、直ぐ又かすかな、寝息が、聴えて来た。

 彼は、ようやく※ほ[#「口+息」、24-4]っと、熱

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 辺鄙な、村はずれの丘には、いつの間にか、華やかな幕を沢山吊るした急拵ごしらえの小屋掛が出来て、極東曲馬団の名がかけられ、狂燥なジンタと、ヒョロヒョロと空気を伝わるフリュートの音に、村人は、老おいも若きも、しばし、強烈な色彩と音楽スリル享楽し、又、いつの間にか曲馬団が他へ流れて行っても、しばらくは、フト白い流れ雲の中に、少年少女の縊くびれた肢体を思い出すのである

 トテモ華やかな、その空気の中にも、やっぱり、小さな「悩める虫」がいるのだ。

一ノ二

莫迦ッ、そんな事が出来ねエのか、間抜けめ!」

 親方は、野卑な言葉で、そう呶鳴どなると、手に持った革の鞭で、床をビシビシ撲りつけながら、黒吉くろきちを、グッと睨みつけるのだった。

 まだいたいけな少年の黒吉は、恐ろしさにオドオドして、

「済みません、済みません」

 そんな事を、呟くようにいうと、ぼろぼろに裂けた肉襦袢じゅばんの、肩の辺を擦さすりながら、氷のように冷めたい床の上に、又無器用な体つきで、ゴロンゴロンと幾度も「逆立ち」を遣り直していた。

 饑ひもじさと、恐ろしさと、苦痛と、寒気と、そして他の座員の嘲笑とが、もう毎度の事だったが、黒吉の身の周りに、犇々ひしひしと迫って、思わずホロホロと滾こぼした血のような涙が、荒削りの床に、黒い斑点を残して、音もなく滲しみ込んで行った。

 ――ここは、極東曲馬団の楽屋裏だった。

 逆立ちの下手な、無器用な黒吉は、ここの少年座員なのだ

 鴉からす黒吉。というのが彼の名前だった。しかしこれは舞台だけの芸名か、それとも本当の名前か、恐らくこれは字面じづらから見て、親方が、勝手につけた名前に違いないが、本名となると彼自身は勿論の事、親方だってハッキリ知っているかどうかは疑わしいものだった。

 黒吉自身記憶といっては、極めてぼんやりしたものだったけれど、いたましい事には、それは何時も、この曲馬団の片隅の、衣裳戸棚から始まっていた。

 それで、彼がもの心のついた時からは、――彼の記憶が始まった時からは、いつも周囲には、悲壮ジンタと、くしゃくしゃになったあくどい色の衣裳と、そして、それらを罩こめた安白粉おしろいの匂いや、汗のしみた肉襦袢の、ムッとした嗅気が、重なり合って、色彩っていた。

 こうした頽廃的な雰囲気の中に、いつも絶えない、座員間の軋轢あつれきと、華やかな底に澱む、ひがんだ蒼黒い空気とは、幼い黒吉の心から、跡形もなく「朗らかさ」を毟むしり取って仕舞った。そして、あとに残った陰欝な、日陰の虫のような少年の心に、世の中というものを、一風変った方向からのみ、見詰めさせていた。

 彼は用のない時には、何時も、太い丸太が荒縄で、蜘蛛の巣のように、縦横無尽に張りまわされている薄暗い楽屋の隅で、何かぼんやりえこんでいた。それは少年らしくもない憂欝な、女々しい姿だった。

 黒吉は明かに、他の同輩の少年から

「オイ、こっちへこいよ」

 と声をかけられるのを恐れているように見えた。

 しかし、それは、単に彼の危惧に過ぎなかった。

 他の少年座員達は、誰も、この憂欝な顔をした、芸の不器用な、そして親方におぼえのよくない黒吉と、進んで遊ぼうというものはなかった。(それは恐ろしい団長への、気兼ねもあったろうが)寧ろ彼等は、黒吉の方からしかけても、決して色よい返事は、しないように思われた。

 結局、黒吉はそれをいい事にして、独りぽつねんと、小屋の隅に忘れられた儘、たった一つ、彼に残されたオアシスである他愛もない「空想」に耽っていた。

一ノ三

 憂欝な少年黒吉が、何を考えているのか。

 ――その前に、彼が、なぜ親方のおぼえが悪いのだろうかという事をいわなければならない。

 (それは、彼の憂欝性にも、重大な影響のある事だから

 黒吉は、どう見ても、親方の「お気に入り」とは思えなかった。それは、勿論彼が、芸の未熟な不器用だった事も、確かにその原因の、一つだったけれど、他の大きな原因は、彼が醜い容貌だ、という先天的な不運に、禍わざわいされていたのだった。

 男の子容貌が、そんなにも、幼い心を虐しいたげるものだろうか――。

 如何にも、舞台の上で生活するものにとって、顔の美醜は非常に大きなハンデキャップなのだ。彼の同輩の愛くるしい少年が、舞台で、どうしたはずみか、ストンと尻もちをついたとしたら、観客は

「まあ、可哀そうに……あら、赤くなって、こっちを見てるわ、まるで正美さんみたいね

 そういって可愛い美少年は、失敗をした為に、却って、観客の人気を得るのだ。けれど、それに引きかえて、醜い顔だちを持った黒吉が、舞台でそれと同じような失敗をしても、観客は、何の遠慮もなく、このぎこちない少年の未熟さを嘲笑うのだった。

 この観客にさえ嗤わらわれる黒吉は、勿論親方にとって、どんなに間抜けな、穀潰ごくつぶしに見えたかは充分想像が、出来るのだった。従って、黒吉に対する、親方仕打ちがどんなものだったかも――

(俺は芸が下手なんだ)

(俺は醜い男なんだ)

 薄暗い小屋の片隅で、独りぽつんと、考えこんでいる黒吉は、楽しい空想どころか、彼の幼い心には、この二つの子供らしくもない懊悩が、いつも吹き荒すさんでいるのだった。

 そして、それは彼の心の底へ、少年らしい甘えた気持を、ひた押しに内攻して仕舞って、彼を尚一層、陰気にする外、何んの役にもたたなかった。冷たい冷たい胸の中に、熱いものは、ただ一つ涙だけだった。

 こうした雰囲気の中に、閉じこめられた鴉黒吉が、真直に伸びる筈はなかった。

 ――そして、蒼白い「歪んだ心」を持った少年が、ここに一人生成されて行った。

 世の中の少年少女達が、喜々として、小学校に通い始めた頃だろうか。勿論黒吉には、そんな恵まれ生活は、遠く想像の外だった。

 しかし、この頃から黒吉は、同輩の幼い座員の中でも、少年少女とを、異った眼で見るようになって来た。

「何」という、ハッキリした相違はないのだが、女の子莫迦にされた時には、不思議男の子に罵られたような、憤りは感じなかったのだった。寧ろ、

(いっそ、あの手で打ぶたれたら……)

 と思うと、何かゾクゾクとした、喜びに似た気持を感じるのだ。

 これが何んであるか、黒吉は、次第に、その姿を、ハッキリ見るようになって来た。

一ノ四

 安白粉の匂いと、汗ばんだ体臭と、そして、ぺらぺらなあくどい色の衣裳が、雑巾のように、投げ散らかされた、この頽廃的な曲馬団の楽屋で、侮蔑の中に育てられた、陰気な少年の「歪んだ心」には、もうませた女の子への、不思議な執着が、ジクジクと燃えて来たのだ。

 ――そして、それを尚一層、駆立てるような、出来事が起った。

 それは、やっと敷地小屋掛けも済んで、いよいよ明日から公開、という前の日だった。

 団長は、例の通り、小六ヶ敷こむずかしい顔をして、小屋掛けの監督をしていたが、それが終って仕舞うと、さも「大仕事をした」というような顔をして、他のお気に入り幹部達と一緒に、何処か、遊びに出て行った。

 団長の遊びに行くのを、見送って仕舞うと、他の年かさな座員や、楽隊ジンタの係りの者なども、ようやくのびのびとして、思い思いの雑談に高笑いを立てていたが、剽軽者ひょうきんものの仙次が、自分の役であるピエロ舞台着を調べながら

「オイ、親父おやじが行ったぜ、俺の方も行こうか」

 恰度それが、合図でもあったかのように、急に話声が高くなった。

「ウン、たまには一杯やらなくちゃ……」

「ちえッ、たまには、とはよくもいいやがった。明日があるんだ、大丈夫か」

「ナーニ、少しはやらなくちゃ続かねエよ、いやなら止せよ」

「いやじゃねエよ」

ハハハ、五月蠅うるせえなア」

 と、如何にも嬉しそうに、がやがや喋りながら、それでも大急ぎで支度をして、町の中に開放されて行った。

 そして、何時か、このガランとした小屋の中には、蒲団ふとん係りの源二郎爺さんと、子供の座員だけが、ぽつんつんと取り残されていた。子供の座員は、外出を禁じられていた。それは勿論「脱走」に備えたものだった。その見張りの役が、今は老耄おいぼれて仕舞ったが、昔はこの一座を背負って立った源二郎爺じじいなのだ

 結局、幼い彼等は、小屋の中で、てんでに遊ぶより仕方がなかった。

 男の子男同志で、舞台を駈廻り、女の子は女らしく、固かたまって縄飛びをしていた。――そして、黒吉は、相変らず小屋の隅に、ぽつんと独りだった。

 しかし、何時になく、黒吉の眼は、何か一心に見詰めているようだ。

(この憂欝な、オドオドした少年が、一生懸命に見ているものは、何んだろう)

 誰でも、彼の平生を知っているものが、この様子に気付いたならば、一寸ちょっとをかしげたに相違ない。そして、何気なくこの少年視線を追って見たならば、或はハッと眼を伏せたかも知れないのだ。

 黒吉の恰度眼の前では、少女の座員たちが、簡単アッパッパを着て、縄飛びをしていた――。しかし彼の見ているのは、それではなかった。この少女達が、急いきおいよく自分の背丈せい位もある縄を飛んで、トンと下りると、その瞬間、簡単アッパッパスカートは、風を受けて乱れ、そこから覗くのは、ふっくりとした白い腿だった――。

(十やそこらの少年が、こんなものを、息を殺して見詰めているのだろうか――)

 そう考えると、極めて不快な感じの前に何か、寒む寒むとした、恐ろしさを覚えるのだ。

 しかし、尚そればかりではなかった。

 この憂欝な少年の心を、根柢から、グスグスとゆり動かした、あの「ふっくりとした白い腿」がたえまなく、彼の頭の中に、大きく渦を捲いて、押流れていた。

 やがて、その心の渦が、ようやく鎮まって来ると、その渦の中から、浮び上って来たのは、この一座の花形少女貴志田葉子きしだようこ」の顔だった。

 だが、それと同時に、黒吉は、いきなり打ち前倒のめされたような、劇しい不快な気持を、感じた。

(ちえッ、俺がいくらちゃんと遊ぼうったって、駄目だい。俺は芸が、下手くそなんだ。それに、あんな綺麗な葉ちゃんが、俺みたいな汚い子と遊んでくれるもんか……)

 だが、この少年の心の底へ、しっかり焼付られた、葉ちゃんへの、不思議な執着は、そんな事ぐらいでは、びくともしなかった。寧ろ

(駄目だ)

 と思えば思う程、余計に、いきなり大声で呶鳴ってみたいような焦燥を、いやが上にも煽立あおりたてているのだ。

 ――この頃から、彼のそぶりは、少しずつ変って来たようだった。それはよく気をつけて見たならば、相変らず小屋の片隅に、独りぽっちでいる黒吉の眼が、妙な光を持って来たのに、気がついたろう。そして、その時は彼の視線の先きに必ず幼い花形の、葉子が、愛くるしい姿をして飛廻っていたのだ。

 葉子は、まだ黒吉と同じように、十とう位だったが、顔は綺麗だし、芸は上手いし、自由小鳥のように朗らかで、あの気六ヶ敷い団長にすら、この上もなく可愛がられていたから、この陰惨な曲馬団の中でも、彼女だけは、充分幸福なように見えた。

 そして、勿論、この陰気な、醜い黒吉が、自分一挙一動を、舐めるように、見詰めているとは気づかなかったろう。

 黒吉自身は、彼女が、自分の事など、気にもかけていない、という事が「痛しかゆし」の気持だった。無論彼女

「こっちへいらっしゃいよ」

 とでも、声を掛けられたら、どんなに嬉しい事だろう。――しかし、その半面

「だらしがないのねエ、あんたなんか、大嫌いよ」

 といわれはしまいか、と思うと、彼女に話かけるどころか葉子が、何気なくこっちを見てさえ、

(俺を嗤うんじゃないか

 こうした感じが、脈管の中を、火のように逆流するのだ。それで、つと眼を伏せて仕舞う彼だった。

 黒吉は、自分でさえ、このひねくれた気持を知りながら、尚葉子への愛慕と伴に、どうしても、脱ぎ去る事が、出来なかった。

       ×

 思い出したように、賑やかなジンタが、「敷島マーチ」を一通り済ますと、続いて「カチウシャ」を始めた。フリュートの音が、ひょろひょろと蒼穹あおぞらに消えると、その合間合間に、乾からびた木戸番の「呼び込み」が、座員の心をも、何かそわそわさせるように、響いて来た。

「さあ、葉ちゃんの出番だよ」

「あら、もうあたしなの、いそがしいわ」

「いそいで、いそいで」

 葉子は周章あわててお煎餅せんべい一口齧かじると、衣裳部屋を飛出して行った。

 恰度、通り合せた黒吉は、ちらりとそれを見ると、何を思ったのか、その喰たべかけの煎餅を、そっと、いかにも大事そうに持って行った。

二ノ二

 葉子が、喰いかけて、抛り出して行った煎餅を、そっと、拾って来た黒吉は、座員達が、こってりと白粉を塗った顔を上気させながら、忙しそうに話し合っている所を、知らん顔して通り抜けると小屋の片隅の、座蒲団が山のように積上げられてある陰へ来た。

 黒吉は、経験で、舞台が始まると、こんなところには、滅多に人が来ない事を知っていた。

 それでも、注意深く、あたりに人気のないのを見澄ますと、こそこそと体を跼かがめながら、いまにも崩れそうに積上げられた座蒲団の隙間へ、潜り込んで行った。

 その隙間は、如何にも窮屈だったが、妙にぬくぬくとした弾力があって、何かなつかしいもののようであった。黒吉はやっと※ほっ[#「口+息」、16-9]とした落着きを味わいながら、あの煎餅のかけらを持ち迭かえると、それがさも大切な宝石でもあるかのように、そーっと手の掌ひらに載せて見た。

(これが、葉ちゃんの喰いかけだな)

 そう思うと、つい頬のゆるむ、嬉しさを感じた。……大事大事にとって置きたいような、……ぎゅっと抱締めたいような――。

 黒吉は、充分幸福を味わって、もう一遍沁々と、薄い光の中で、それを見詰めた。こうしてよくよく見ると、気の所為いか、その一かけの煎餅は、幾らか湿っているように思えた。

気をつけて、触ってみると、確かに、喰いかけのところが一寸湿っていた。

(葉ちゃんの唾つばきかな)

 黒吉の、小さい心臓は、この思わぬ、めっけものにガクガクと顫えた。

 彼は、いくら少年とはいえ、無論こんな一っかけの煎餅を、喰べたいばかりに、拾って来たのではなかった。黒吉には「葉子の喰べかけ」というところに、この煎餅が、幾カラットもあるダイヤモンドにも見えたのだ。

 しかし、触って見ると、このかけらは湿っている……

(葉ちゃんの唾だな)

 その瞬間、黒吉の頭には、衣裳部屋で、葉子が忙しそうにこの煎餅を咥くわえていた光景と、それにつづいてクロオズアップされた、彼女の、あの可愛い紅唇くちとが、アリアリと浮んだ。

 それと一緒に、彼は、思わずゴクンと、固い唾を飲んだ。

 黒吉は、妖しく眼を光らせながら、あたりを偸ぬすみ見ると、やがて、意を決したように、その葉子の唾液つばきで湿ったに違いない煎餅のかけらを、そっと唇に近づけた……。

(鹹しょっぱい――な)

 これは、勿論塩煎餅の味だったろう。だが、黒吉の手は、何故かぶるぶると顫えた。

 彼の少年らしくもない、深い陰影かげを持った顔は、何時か熱っぽく上気し、激しく心臓から投出される、血潮は、顳※(「需+頁」、第3水準1-94-6)こめかみをひくひくと波打たせていた。

 そして、もう手の掌に、べとべとと溶けて仕舞った、煎餅のかけらから、尚も「葉子の匂い」を嗅ぎ出そうと、総てを忘れて、ペロペロと舐め続けていた……。

「こらっ。何をしてるんだ、黒公」

 ハッと気がつくと、蒲団の山の向うから、源二郎爺の、怒りを含んだ怪訝な顔が、覗いていた。

「出番じゃねエか。愚図愚図してると、又ひどいぞ」

「ウン」

 黒吉は、瞬間、親方の顔を思い出して、ピョコンと飛起きた。そして、ベタベタと粘る手の掌を肉襦袢にこすりこすり、周章あわてて楽屋の方へ駈けて行った。

二ノ三

 黒吉は、命ぜられた、色々の曲芸をしながらも、頭の中は、いつも葉子の事で一杯だった。

(一度でいいから葉ちゃんと、沁々話したい)

 これが、彼の歪められた心に発生わいて来た、たった一つの望みだった。

 彼がもっと朗らかな、普通の子供であったならば、いつも同じ小屋にいる葉子だもの、そんな事は、造作なく実現したに違いない。

 しかし、それにしては、黒吉は、余りに陰気な、ひねくれた少年だった。――というのも、彼の暗い周囲がそうさせたのだが――。

 そして、早熟ませた葉子への執着が、堰せき切れなくなった時に彼が見つけたのは、あの煎餅のかけらが産んだ、恐ろしい恍惚エクスタシーだった。

 一度こうした排はけ口を見つけた、彼の心が、その儘止まる筈はなかった――寧ろ、津浪のようにその排け口に向って殺到して行ったのだ。

 彼は、そっと、人のいないのを見すまして、衣裳部屋に潜り込み、葉子の小ちっちゃい肉襦袢に、醜悪な顔を、埋うずめていた事もあった。

 その白粉の匂いと、体臭のむんむんする臭いが、彼自身眩暈めまいをさえ伴った、陶酔感を与えるのだ。

 そして、ふと、その肉襦袢に、葉子のオカッパの髪が、二三本ついていたのを見つけると、その大発見に狂喜しながら、注意ぶかく抓つまみ上げて、白い紙につつむと、あり合せの鉛筆で、

「葉子チャンノカミノケ」

 そんな文句を、下手糞な字で、たどたどしく書きつけ、もう一度、上から擦さすって見てから、それを、肌身深く蔵しまいこんで仕舞った……。

 こうした彼の悪癖が、益々慕って行った事は、その後、葉子の持ち物が、ちょいちょい失なくなるようになった事でも、充分想像が出来た。

 失くなるといっても、勿論たいした品物を、曲馬団の少女が、持っている訳はなかったから、もうすり減った、真黒く脂肪あぶら足の跡が附いた、下駄の一方だとか、毛の抜けて仕舞った竹の歯楊子ようじだとか、そういった、極く下らないものだった。それで、

(盗られた)

 という気持を、葉子自身ですら感じなかったのは、彼にとっては、もっけの幸いだった。しかしこれらの「下らない紛失物」が、黒吉にとって、どんなに貴重なものだったかは、また容易に想像出来るのだ。

 ――ここまでは、黒吉少年の心に醗酵した、侘わびしい(しか執拗な)彼一人だけの、胸の中の恋だった。

 だが、ここに葉子が、暴風雨あらしを伴奏にして、颯爽と、現実舞台へ、登場しようとしている。

       ×

 極東曲馬団は、町から町、盛り場から盛り場を、人々の眼を楽しませながら、流れ移っていた。

 そして、ある田舎町に敷地を借り、ようやく小屋掛けも終ったと殆んど同時に、朝から頸を傾かしげさせていた空模様が、一時に頽くずれて、大粒の雨が、無気味な風を含んで、ぽたりぽたり落ちて来たかと思うと、もう篠つくような豪雨に変っていた。

 団長等は、早々に、宿屋に引上げて仕舞ったが、子供の座員や、下っぱの座員などは、経費の関係で、いつも、この小屋に泊る事を言渡されていた。子供等の方では、これは当然だと思っていたし、又団長がいないという事で、却って喜んでいたようでもあった。

 しかし、この急拵えの小屋が、この沛然はいぜんと降る豪雨に、無事な筈はなく、雨漏りをさけて遁げ廻った末、やっと楽屋の隅で、ひと凝固かたまりになって、横になる事が出来たのは、もう大分夜が更けてからだった。

 黒吉は、眼をつぶって、ようやく小降りになって来たらしい、雨の音を聴いていると、もう肩を並べた隣りからは、幽かな寝息さえ聴えて来た。

 それと同時に、黒吉は、何かドキンとしたものを感じた。

(隣りに寝ているのは、葉ちゃんじゃないか――)

二ノ四

 瞬間、黒吉は自分の頭が、シーンと澄み透って行くのを感じた。

(果して、隣りで寝ているのは、葉ちゃんだろうか)

 それは勿論、第六感とでもいうのか、極く曖昧ものだった。が、あの騒ぎで、皆んな、ごたごたに寝て仕舞ったのだから全然あり得ない事でもないのだ。

 そう思うと、隣りと接した、肩の辺が、熱っぽく、暑苦しいようにさえ感じた。そして、心臓はその鼓動と伴に、胸の中、一杯に拡がって行った。

 黒吉は、思い切って、起上り、顔を覗き見たい衝動を感じた。あたりは真暗だが、よく気をつけて覗きこめば、顔の判別がつかぬ、という程でもないように思われた。

 彼は、そーっと、薄い蒲団の縁へりへ、手をかけた。だが――

(まてまて。葉ちゃんならば、こんなに素晴らしい事はない。けれども、こんなにぎっしり寝ている処で、ごそごそ起きたら、どうかすると、彼女は眼を覚ますかも知れない。

 それだけならいいが、眼を覚まして、俺が覗きこんでいた事を知ったら、きっと葉ちゃんは、真赤になって、この醜い俺を罵り、どこか遠くへ寝床をかえて仕舞うに違いないんだ。

 ――そんな莫迦な事をするより、例え短かくとも、夜が明けるまで、こうして葉ちゃんの、ふくよかな肩の感触を恣ほしいままにした方が、どれ程気が利いていることか……)

 黒吉の心の中の、内気な半面が、こう囁いた。

 彼は、蒲団にかけた手を、又静かに戻して仕舞うと、今度は、全身の注意を、細かに砕いて、彼女の方へぴったり、摺り寄って行った。そして、温もりに混った、彼女の穏やかな心臓の響きを、肩の辺に聴いていた……。

 フト、冷めたい風を感じて、何時の間にかつぶっていた眼を明けて見ると、あたりには極くうっすらと、光が射しているのに、気がついた。

(もう夜明けかな――いつの間に寝て仕舞ったんだろう)

 それと一緒に、思わずガクンと体の顫えるような、口惜くやしさに似た後悔を感じた。

(葉ちゃんは……)

 黒吉は、先ずそれが心懸りだったので、ぐっと頸を廻して隣りを確めようとした。

(おや……)

 彼の眼に這入ったのは、葉子より先きに、キンと澄み切った、尖った月の半分だった。

 急拵えの小屋天幕は、夕方の大暴風雨あらしに吹きまくられてぽっかり夜空に口を開け、恰度そこから、のり出すように月が覗き込み、地底のようにシンと澱んだ小屋の中に白々とした、絹糸のような、光を撒いているのだ。暴風雨あらしの後の月は物凄いまでに、冴え冴えとしていた。

(まだ夜中だ)

 黒吉は※ほ[#「口+息」、22-9]っと心配を排はき棄てた。

 彼の隣りには、葉子が、いかにも寝苦しそうに寝ていた。先刻さっきは、確かに葉子だ、とは断言出来なかったが、いまでは極く淡い光ではあったが、その中でも、段々眼の馴れるに従って、黒吉には、ハッキリ葉子の姿が、写って来た。

 黒吉は、意を決したように、半身を蒲団から抜出し、月の光を遮らないように――、音のしないように、そっと彼女の顔を覗きこんだ。

 眼の下には、月の光を受けて、いつもより蒼白く見える葉子の、幼い顔が、少しばかり口さえ開け、寝入っていた。もう少し月の光が強かったら、この房々としたオカッパの頭髪かみのけが黄金のように光るだろう――と思えた。

 又、襟足の洗いおとした白粉が、この幼い葉子の寝姿を少年の心にも、一入ひとしお可憐いじらしく見せていた。

 暫く、ぼんやりと、その夢のように霞んだ、葉子の顔を、見詰めていた黒吉は、ゴクンと固い唾を咽喉へ通すと、その薄く開かれた唇から、寝息でも聴こうとするのか、顔を次第次第に近附けて行った。

 何故か、彼の唇は、ガザガザに乾いていた。

 やがて、この弱々しい月光の下で、二つのさな頭の影が、一つになって仕舞うと、彼は、葉子の頬についている、小さい愛嬌黒子ぼくろが、自分の頬をも、凹へこますのを感じた。

二ノ五

 黒吉の、唇に感じた、葉子の唇の感触は、ぬくぬくとして弾力に富んだはんぺんのようだった。妙な連想だけれど、事実彼の経験では、これが一番よく似ていたのだ。

 唯、違った所――それは非常に違ったところがあるのだが――残念ながら、それをいい表わす言葉を知らなかった。

 彼は、そーっと腕の力を抜こうとした。途端に、肘の下の羽目板が、鈍い音を立てた。造作の悪い掛小屋なので、一寸した重みの加減でも、板が軋むのだ。シンとした周囲あたりと、針のように尖った、彼の神経に、それが幾層倍にも、拡大されて響き渡った。

 黒吉の心臓は、瞬間、ドキンと音がして止ったようだった。

「ク……」

 周章あわてて顔を上げた彼の眼の下で、葉子は、悪い夢でも見たのか、咽喉を鳴らすと、寝返りを打って、向うを向いて仕舞った。

(眼を覚ましたかな)

 黒吉は、思いきり息を深くしながら、葉子の墨のような、後向きの寝姿を、見守った。(いや、大丈夫だ)

 寝返りをした葉子は、幸い、眼を覚まさなかったと見えて、直ぐ又かすかな、寝息が、聴えて来た。

 彼は、ようやく※ほ[#「口+息」、24-4]っと、熱

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anond:20250708044816

 辺鄙な、村はずれの丘には、いつの間にか、華やかな幕を沢山吊るした急拵ごしらえの小屋掛が出来て、極東曲馬団の名がかけられ、狂燥なジンタと、ヒョロヒョロと空気を伝わるフリュートの音に、村人は、老おいも若きも、しばし、強烈な色彩と音楽スリル享楽し、又、いつの間にか曲馬団が他へ流れて行っても、しばらくは、フト白い流れ雲の中に、少年少女の縊くびれた肢体を思い出すのである

 トテモ華やかな、その空気の中にも、やっぱり、小さな「悩める虫」がいるのだ。

一ノ二

莫迦ッ、そんな事が出来ねエのか、間抜けめ!」

 親方は、野卑な言葉で、そう呶鳴どなると、手に持った革の鞭で、床をビシビシ撲りつけながら、黒吉くろきちを、グッと睨みつけるのだった。

 まだいたいけな少年の黒吉は、恐ろしさにオドオドして、

「済みません、済みません」

 そんな事を、呟くようにいうと、ぼろぼろに裂けた肉襦袢じゅばんの、肩の辺を擦さすりながら、氷のように冷めたい床の上に、又無器用な体つきで、ゴロンゴロンと幾度も「逆立ち」を遣り直していた。

 饑ひもじさと、恐ろしさと、苦痛と、寒気と、そして他の座員の嘲笑とが、もう毎度の事だったが、黒吉の身の周りに、犇々ひしひしと迫って、思わずホロホロと滾こぼした血のような涙が、荒削りの床に、黒い斑点を残して、音もなく滲しみ込んで行った。

 ――ここは、極東曲馬団の楽屋裏だった。

 逆立ちの下手な、無器用な黒吉は、ここの少年座員なのだ

 鴉からす黒吉。というのが彼の名前だった。しかしこれは舞台だけの芸名か、それとも本当の名前か、恐らくこれは字面じづらから見て、親方が、勝手につけた名前に違いないが、本名となると彼自身は勿論の事、親方だってハッキリ知っているかどうかは疑わしいものだった。

 黒吉自身記憶といっては、極めてぼんやりしたものだったけれど、いたましい事には、それは何時も、この曲馬団の片隅の、衣裳戸棚から始まっていた。

 それで、彼がもの心のついた時からは、――彼の記憶が始まった時からは、いつも周囲には、悲壮ジンタと、くしゃくしゃになったあくどい色の衣裳と、そして、それらを罩こめた安白粉おしろいの匂いや、汗のしみた肉襦袢の、ムッとした嗅気が、重なり合って、色彩っていた。

 こうした頽廃的な雰囲気の中に、いつも絶えない、座員間の軋轢あつれきと、華やかな底に澱む、ひがんだ蒼黒い空気とは、幼い黒吉の心から、跡形もなく「朗らかさ」を毟むしり取って仕舞った。そして、あとに残った陰欝な、日陰の虫のような少年の心に、世の中というものを、一風変った方向からのみ、見詰めさせていた。

 彼は用のない時には、何時も、太い丸太が荒縄で、蜘蛛の巣のように、縦横無尽に張りまわされている薄暗い楽屋の隅で、何かぼんやりえこんでいた。それは少年らしくもない憂欝な、女々しい姿だった。

 黒吉は明かに、他の同輩の少年から

「オイ、こっちへこいよ」

 と声をかけられるのを恐れているように見えた。

 しかし、それは、単に彼の危惧に過ぎなかった。

 他の少年座員達は、誰も、この憂欝な顔をした、芸の不器用な、そして親方におぼえのよくない黒吉と、進んで遊ぼうというものはなかった。(それは恐ろしい団長への、気兼ねもあったろうが)寧ろ彼等は、黒吉の方からしかけても、決して色よい返事は、しないように思われた。

 結局、黒吉はそれをいい事にして、独りぽつねんと、小屋の隅に忘れられた儘、たった一つ、彼に残されたオアシスである他愛もない「空想」に耽っていた。

一ノ三

 憂欝な少年黒吉が、何を考えているのか。

 ――その前に、彼が、なぜ親方のおぼえが悪いのだろうかという事をいわなければならない。

 (それは、彼の憂欝性にも、重大な影響のある事だから

 黒吉は、どう見ても、親方の「お気に入り」とは思えなかった。それは、勿論彼が、芸の未熟な不器用だった事も、確かにその原因の、一つだったけれど、他の大きな原因は、彼が醜い容貌だ、という先天的な不運に、禍わざわいされていたのだった。

 男の子容貌が、そんなにも、幼い心を虐しいたげるものだろうか――。

 如何にも、舞台の上で生活するものにとって、顔の美醜は非常に大きなハンデキャップなのだ。彼の同輩の愛くるしい少年が、舞台で、どうしたはずみか、ストンと尻もちをついたとしたら、観客は

「まあ、可哀そうに……あら、赤くなって、こっちを見てるわ、まるで正美さんみたいね

 そういって可愛い美少年は、失敗をした為に、却って、観客の人気を得るのだ。けれど、それに引きかえて、醜い顔だちを持った黒吉が、舞台でそれと同じような失敗をしても、観客は、何の遠慮もなく、このぎこちない少年の未熟さを嘲笑うのだった。

 この観客にさえ嗤わらわれる黒吉は、勿論親方にとって、どんなに間抜けな、穀潰ごくつぶしに見えたかは充分想像が、出来るのだった。従って、黒吉に対する、親方仕打ちがどんなものだったかも――

(俺は芸が下手なんだ)

(俺は醜い男なんだ)

 薄暗い小屋の片隅で、独りぽつんと、考えこんでいる黒吉は、楽しい空想どころか、彼の幼い心には、この二つの子供らしくもない懊悩が、いつも吹き荒すさんでいるのだった。

 そして、それは彼の心の底へ、少年らしい甘えた気持を、ひた押しに内攻して仕舞って、彼を尚一層、陰気にする外、何んの役にもたたなかった。冷たい冷たい胸の中に、熱いものは、ただ一つ涙だけだった。

 こうした雰囲気の中に、閉じこめられた鴉黒吉が、真直に伸びる筈はなかった。

 ――そして、蒼白い「歪んだ心」を持った少年が、ここに一人生成されて行った。

 世の中の少年少女達が、喜々として、小学校に通い始めた頃だろうか。勿論黒吉には、そんな恵まれ生活は、遠く想像の外だった。

 しかし、この頃から黒吉は、同輩の幼い座員の中でも、少年少女とを、異った眼で見るようになって来た。

「何」という、ハッキリした相違はないのだが、女の子莫迦にされた時には、不思議男の子に罵られたような、憤りは感じなかったのだった。寧ろ、

(いっそ、あの手で打ぶたれたら……)

 と思うと、何かゾクゾクとした、喜びに似た気持を感じるのだ。

 これが何んであるか、黒吉は、次第に、その姿を、ハッキリ見るようになって来た。

一ノ四

 安白粉の匂いと、汗ばんだ体臭と、そして、ぺらぺらなあくどい色の衣裳が、雑巾のように、投げ散らかされた、この頽廃的な曲馬団の楽屋で、侮蔑の中に育てられた、陰気な少年の「歪んだ心」には、もうませた女の子への、不思議な執着が、ジクジクと燃えて来たのだ。

 ――そして、それを尚一層、駆立てるような、出来事が起った。

 それは、やっと敷地小屋掛けも済んで、いよいよ明日から公開、という前の日だった。

 団長は、例の通り、小六ヶ敷こむずかしい顔をして、小屋掛けの監督をしていたが、それが終って仕舞うと、さも「大仕事をした」というような顔をして、他のお気に入り幹部達と一緒に、何処か、遊びに出て行った。

 団長の遊びに行くのを、見送って仕舞うと、他の年かさな座員や、楽隊ジンタの係りの者なども、ようやくのびのびとして、思い思いの雑談に高笑いを立てていたが、剽軽者ひょうきんものの仙次が、自分の役であるピエロ舞台着を調べながら

「オイ、親父おやじが行ったぜ、俺の方も行こうか」

 恰度それが、合図でもあったかのように、急に話声が高くなった。

「ウン、たまには一杯やらなくちゃ……」

「ちえッ、たまには、とはよくもいいやがった。明日があるんだ、大丈夫か」

「ナーニ、少しはやらなくちゃ続かねエよ、いやなら止せよ」

「いやじゃねエよ」

ハハハ、五月蠅うるせえなア」

 と、如何にも嬉しそうに、がやがや喋りながら、それでも大急ぎで支度をして、町の中に開放されて行った。

 そして、何時か、このガランとした小屋の中には、蒲団ふとん係りの源二郎爺さんと、子供の座員だけが、ぽつんつんと取り残されていた。子供の座員は、外出を禁じられていた。それは勿論「脱走」に備えたものだった。その見張りの役が、今は老耄おいぼれて仕舞ったが、昔はこの一座を背負って立った源二郎爺じじいなのだ

 結局、幼い彼等は、小屋の中で、てんでに遊ぶより仕方がなかった。

 男の子男同志で、舞台を駈廻り、女の子は女らしく、固かたまって縄飛びをしていた。――そして、黒吉は、相変らず小屋の隅に、ぽつんと独りだった。

 しかし、何時になく、黒吉の眼は、何か一心に見詰めているようだ。

(この憂欝な、オドオドした少年が、一生懸命に見ているものは、何んだろう)

 誰でも、彼の平生を知っているものが、この様子に気付いたならば、一寸ちょっとをかしげたに相違ない。そして、何気なくこの少年視線を追って見たならば、或はハッと眼を伏せたかも知れないのだ。

 黒吉の恰度眼の前では、少女の座員たちが、簡単アッパッパを着て、縄飛びをしていた――。しかし彼の見ているのは、それではなかった。この少女達が、急いきおいよく自分の背丈せい位もある縄を飛んで、トンと下りると、その瞬間、簡単アッパッパスカートは、風を受けて乱れ、そこから覗くのは、ふっくりとした白い腿だった――。

(十やそこらの少年が、こんなものを、息を殺して見詰めているのだろうか――)

 そう考えると、極めて不快な感じの前に何か、寒む寒むとした、恐ろしさを覚えるのだ。

 しかし、尚そればかりではなかった。

 この憂欝な少年の心を、根柢から、グスグスとゆり動かした、あの「ふっくりとした白い腿」がたえまなく、彼の頭の中に、大きく渦を捲いて、押流れていた。

 やがて、その心の渦が、ようやく鎮まって来ると、その渦の中から、浮び上って来たのは、この一座の花形少女貴志田葉子きしだようこ」の顔だった。

 だが、それと同時に、黒吉は、いきなり打ち前倒のめされたような、劇しい不快な気持を、感じた。

(ちえッ、俺がいくらちゃんと遊ぼうったって、駄目だい。俺は芸が、下手くそなんだ。それに、あんな綺麗な葉ちゃんが、俺みたいな汚い子と遊んでくれるもんか……)

 だが、この少年の心の底へ、しっかり焼付られた、葉ちゃんへの、不思議な執着は、そんな事ぐらいでは、びくともしなかった。寧ろ

(駄目だ)

 と思えば思う程、余計に、いきなり大声で呶鳴ってみたいような焦燥を、いやが上にも煽立あおりたてているのだ。

 ――この頃から、彼のそぶりは、少しずつ変って来たようだった。それはよく気をつけて見たならば、相変らず小屋の片隅に、独りぽっちでいる黒吉の眼が、妙な光を持って来たのに、気がついたろう。そして、その時は彼の視線の先きに必ず幼い花形の、葉子が、愛くるしい姿をして飛廻っていたのだ。

 葉子は、まだ黒吉と同じように、十とう位だったが、顔は綺麗だし、芸は上手いし、自由小鳥のように朗らかで、あの気六ヶ敷い団長にすら、この上もなく可愛がられていたから、この陰惨な曲馬団の中でも、彼女だけは、充分幸福なように見えた。

 そして、勿論、この陰気な、醜い黒吉が、自分一挙一動を、舐めるように、見詰めているとは気づかなかったろう。

 黒吉自身は、彼女が、自分の事など、気にもかけていない、という事が「痛しかゆし」の気持だった。無論彼女

「こっちへいらっしゃいよ」

 とでも、声を掛けられたら、どんなに嬉しい事だろう。――しかし、その半面

「だらしがないのねエ、あんたなんか、大嫌いよ」

 といわれはしまいか、と思うと、彼女に話かけるどころか葉子が、何気なくこっちを見てさえ、

(俺を嗤うんじゃないか

 こうした感じが、脈管の中を、火のように逆流するのだ。それで、つと眼を伏せて仕舞う彼だった。

 黒吉は、自分でさえ、このひねくれた気持を知りながら、尚葉子への愛慕と伴に、どうしても、脱ぎ去る事が、出来なかった。

       ×

 思い出したように、賑やかなジンタが、「敷島マーチ」を一通り済ますと、続いて「カチウシャ」を始めた。フリュートの音が、ひょろひょろと蒼穹あおぞらに消えると、その合間合間に、乾からびた木戸番の「呼び込み」が、座員の心をも、何かそわそわさせるように、響いて来た。

「さあ、葉ちゃんの出番だよ」

「あら、もうあたしなの、いそがしいわ」

「いそいで、いそいで」

 葉子は周章あわててお煎餅せんべい一口齧かじると、衣裳部屋を飛出して行った。

 恰度、通り合せた黒吉は、ちらりとそれを見ると、何を思ったのか、その喰たべかけの煎餅を、そっと、いかにも大事そうに持って行った。

二ノ二

 葉子が、喰いかけて、抛り出して行った煎餅を、そっと、拾って来た黒吉は、座員達が、こってりと白粉を塗った顔を上気させながら、忙しそうに話し合っている所を、知らん顔して通り抜けると小屋の片隅の、座蒲団が山のように積上げられてある陰へ来た。

 黒吉は、経験で、舞台が始まると、こんなところには、滅多に人が来ない事を知っていた。

 それでも、注意深く、あたりに人気のないのを見澄ますと、こそこそと体を跼かがめながら、いまにも崩れそうに積上げられた座蒲団の隙間へ、潜り込んで行った。

 その隙間は、如何にも窮屈だったが、妙にぬくぬくとした弾力があって、何かなつかしいもののようであった。黒吉はやっと※ほっ[#「口+息」、16-9]とした落着きを味わいながら、あの煎餅のかけらを持ち迭かえると、それがさも大切な宝石でもあるかのように、そーっと手の掌ひらに載せて見た。

(これが、葉ちゃんの喰いかけだな)

 そう思うと、つい頬のゆるむ、嬉しさを感じた。……大事大事にとって置きたいような、……ぎゅっと抱締めたいような――。

 黒吉は、充分幸福を味わって、もう一遍沁々と、薄い光の中で、それを見詰めた。こうしてよくよく見ると、気の所為いか、その一かけの煎餅は、幾らか湿っているように思えた。

気をつけて、触ってみると、確かに、喰いかけのところが一寸湿っていた。

(葉ちゃんの唾つばきかな)

 黒吉の、小さい心臓は、この思わぬ、めっけものにガクガクと顫えた。

 彼は、いくら少年とはいえ、無論こんな一っかけの煎餅を、喰べたいばかりに、拾って来たのではなかった。黒吉には「葉子の喰べかけ」というところに、この煎餅が、幾カラットもあるダイヤモンドにも見えたのだ。

 しかし、触って見ると、このかけらは湿っている……

(葉ちゃんの唾だな)

 その瞬間、黒吉の頭には、衣裳部屋で、葉子が忙しそうにこの煎餅を咥くわえていた光景と、それにつづいてクロオズアップされた、彼女の、あの可愛い紅唇くちとが、アリアリと浮んだ。

 それと一緒に、彼は、思わずゴクンと、固い唾を飲んだ。

 黒吉は、妖しく眼を光らせながら、あたりを偸ぬすみ見ると、やがて、意を決したように、その葉子の唾液つばきで湿ったに違いない煎餅のかけらを、そっと唇に近づけた……。

(鹹しょっぱい――な)

 これは、勿論塩煎餅の味だったろう。だが、黒吉の手は、何故かぶるぶると顫えた。

 彼の少年らしくもない、深い陰影かげを持った顔は、何時か熱っぽく上気し、激しく心臓から投出される、血潮は、顳※(「需+頁」、第3水準1-94-6)こめかみをひくひくと波打たせていた。

 そして、もう手の掌に、べとべとと溶けて仕舞った、煎餅のかけらから、尚も「葉子の匂い」を嗅ぎ出そうと、総てを忘れて、ペロペロと舐め続けていた……。

「こらっ。何をしてるんだ、黒公」

 ハッと気がつくと、蒲団の山の向うから、源二郎爺の、怒りを含んだ怪訝な顔が、覗いていた。

「出番じゃねエか。愚図愚図してると、又ひどいぞ」

「ウン」

 黒吉は、瞬間、親方の顔を思い出して、ピョコンと飛起きた。そして、ベタベタと粘る手の掌を肉襦袢にこすりこすり、周章あわてて楽屋の方へ駈けて行った。

二ノ三

 黒吉は、命ぜられた、色々の曲芸をしながらも、頭の中は、いつも葉子の事で一杯だった。

(一度でいいから葉ちゃんと、沁々話したい)

 これが、彼の歪められた心に発生わいて来た、たった一つの望みだった。

 彼がもっと朗らかな、普通の子供であったならば、いつも同じ小屋にいる葉子だもの、そんな事は、造作なく実現したに違いない。

 しかし、それにしては、黒吉は、余りに陰気な、ひねくれた少年だった。――というのも、彼の暗い周囲がそうさせたのだが――。

 そして、早熟ませた葉子への執着が、堰せき切れなくなった時に彼が見つけたのは、あの煎餅のかけらが産んだ、恐ろしい恍惚エクスタシーだった。

 一度こうした排はけ口を見つけた、彼の心が、その儘止まる筈はなかった――寧ろ、津浪のようにその排け口に向って殺到して行ったのだ。

 彼は、そっと、人のいないのを見すまして、衣裳部屋に潜り込み、葉子の小ちっちゃい肉襦袢に、醜悪な顔を、埋うずめていた事もあった。

 その白粉の匂いと、体臭のむんむんする臭いが、彼自身眩暈めまいをさえ伴った、陶酔感を与えるのだ。

 そして、ふと、その肉襦袢に、葉子のオカッパの髪が、二三本ついていたのを見つけると、その大発見に狂喜しながら、注意ぶかく抓つまみ上げて、白い紙につつむと、あり合せの鉛筆で、

「葉子チャンノカミノケ」

 そんな文句を、下手糞な字で、たどたどしく書きつけ、もう一度、上から擦さすって見てから、それを、肌身深く蔵しまいこんで仕舞った……。

 こうした彼の悪癖が、益々慕って行った事は、その後、葉子の持ち物が、ちょいちょい失なくなるようになった事でも、充分想像が出来た。

 失くなるといっても、勿論たいした品物を、曲馬団の少女が、持っている訳はなかったから、もうすり減った、真黒く脂肪あぶら足の跡が附いた、下駄の一方だとか、毛の抜けて仕舞った竹の歯楊子ようじだとか、そういった、極く下らないものだった。それで、

(盗られた)

 という気持を、葉子自身ですら感じなかったのは、彼にとっては、もっけの幸いだった。しかしこれらの「下らない紛失物」が、黒吉にとって、どんなに貴重なものだったかは、また容易に想像出来るのだ。

 ――ここまでは、黒吉少年の心に醗酵した、侘わびしい(しか執拗な)彼一人だけの、胸の中の恋だった。

 だが、ここに葉子が、暴風雨あらしを伴奏にして、颯爽と、現実舞台へ、登場しようとしている。

       ×

 極東曲馬団は、町から町、盛り場から盛り場を、人々の眼を楽しませながら、流れ移っていた。

 そして、ある田舎町に敷地を借り、ようやく小屋掛けも終ったと殆んど同時に、朝から頸を傾かしげさせていた空模様が、一時に頽くずれて、大粒の雨が、無気味な風を含んで、ぽたりぽたり落ちて来たかと思うと、もう篠つくような豪雨に変っていた。

 団長等は、早々に、宿屋に引上げて仕舞ったが、子供の座員や、下っぱの座員などは、経費の関係で、いつも、この小屋に泊る事を言渡されていた。子供等の方では、これは当然だと思っていたし、又団長がいないという事で、却って喜んでいたようでもあった。

 しかし、この急拵えの小屋が、この沛然はいぜんと降る豪雨に、無事な筈はなく、雨漏りをさけて遁げ廻った末、やっと楽屋の隅で、ひと凝固かたまりになって、横になる事が出来たのは、もう大分夜が更けてからだった。

 黒吉は、眼をつぶって、ようやく小降りになって来たらしい、雨の音を聴いていると、もう肩を並べた隣りからは、幽かな寝息さえ聴えて来た。

 それと同時に、黒吉は、何かドキンとしたものを感じた。

(隣りに寝ているのは、葉ちゃんじゃないか――)

二ノ四

 瞬間、黒吉は自分の頭が、シーンと澄み透って行くのを感じた。

(果して、隣りで寝ているのは、葉ちゃんだろうか)

 それは勿論、第六感とでもいうのか、極く曖昧ものだった。が、あの騒ぎで、皆んな、ごたごたに寝て仕舞ったのだから全然あり得ない事でもないのだ。

 そう思うと、隣りと接した、肩の辺が、熱っぽく、暑苦しいようにさえ感じた。そして、心臓はその鼓動と伴に、胸の中、一杯に拡がって行った。

 黒吉は、思い切って、起上り、顔を覗き見たい衝動を感じた。あたりは真暗だが、よく気をつけて覗きこめば、顔の判別がつかぬ、という程でもないように思われた。

 彼は、そーっと、薄い蒲団の縁へりへ、手をかけた。だが――

(まてまて。葉ちゃんならば、こんなに素晴らしい事はない。けれども、こんなにぎっしり寝ている処で、ごそごそ起きたら、どうかすると、彼女は眼を覚ますかも知れない。

 それだけならいいが、眼を覚まして、俺が覗きこんでいた事を知ったら、きっと葉ちゃんは、真赤になって、この醜い俺を罵り、どこか遠くへ寝床をかえて仕舞うに違いないんだ。

 ――そんな莫迦な事をするより、例え短かくとも、夜が明けるまで、こうして葉ちゃんの、ふくよかな肩の感触を恣ほしいままにした方が、どれ程気が利いていることか……)

 黒吉の心の中の、内気な半面が、こう囁いた。

 彼は、蒲団にかけた手を、又静かに戻して仕舞うと、今度は、全身の注意を、細かに砕いて、彼女の方へぴったり、摺り寄って行った。そして、温もりに混った、彼女の穏やかな心臓の響きを、肩の辺に聴いていた……。

 フト、冷めたい風を感じて、何時の間にかつぶっていた眼を明けて見ると、あたりには極くうっすらと、光が射しているのに、気がついた。

(もう夜明けかな――いつの間に寝て仕舞ったんだろう)

 それと一緒に、思わずガクンと体の顫えるような、口惜くやしさに似た後悔を感じた。

(葉ちゃんは……)

 黒吉は、先ずそれが心懸りだったので、ぐっと頸を廻して隣りを確めようとした。

(おや……)

 彼の眼に這入ったのは、葉子より先きに、キンと澄み切った、尖った月の半分だった。

 急拵えの小屋天幕は、夕方の大暴風雨あらしに吹きまくられてぽっかり夜空に口を開け、恰度そこから、のり出すように月が覗き込み、地底のようにシンと澱んだ小屋の中に白々とした、絹糸のような、光を撒いているのだ。暴風雨あらしの後の月は物凄いまでに、冴え冴えとしていた。

(まだ夜中だ)

 黒吉は※ほ[#「口+息」、22-9]っと心配を排はき棄てた。

 彼の隣りには、葉子が、いかにも寝苦しそうに寝ていた。先刻さっきは、確かに葉子だ、とは断言出来なかったが、いまでは極く淡い光ではあったが、その中でも、段々眼の馴れるに従って、黒吉には、ハッキリ葉子の姿が、写って来た。

 黒吉は、意を決したように、半身を蒲団から抜出し、月の光を遮らないように――、音のしないように、そっと彼女の顔を覗きこんだ。

 眼の下には、月の光を受けて、いつもより蒼白く見える葉子の、幼い顔が、少しばかり口さえ開け、寝入っていた。もう少し月の光が強かったら、この房々としたオカッパの頭髪かみのけが黄金のように光るだろう――と思えた。

 又、襟足の洗いおとした白粉が、この幼い葉子の寝姿を少年の心にも、一入ひとしお可憐いじらしく見せていた。

 暫く、ぼんやりと、その夢のように霞んだ、葉子の顔を、見詰めていた黒吉は、ゴクンと固い唾を咽喉へ通すと、その薄く開かれた唇から、寝息でも聴こうとするのか、顔を次第次第に近附けて行った。

 何故か、彼の唇は、ガザガザに乾いていた。

 やがて、この弱々しい月光の下で、二つのさな頭の影が、一つになって仕舞うと、彼は、葉子の頬についている、小さい愛嬌黒子ぼくろが、自分の頬をも、凹へこますのを感じた。

二ノ五

 黒吉の、唇に感じた、葉子の唇の感触は、ぬくぬくとして弾力に富んだはんぺんのようだった。妙な連想だけれど、事実彼の経験では、これが一番よく似ていたのだ。

 唯、違った所――それは非常に違ったところがあるのだが――残念ながら、それをいい表わす言葉を知らなかった。

 彼は、そーっと腕の力を抜こうとした。途端に、肘の下の羽目板が、鈍い音を立てた。造作の悪い掛小屋なので、一寸した重みの加減でも、板が軋むのだ。シンとした周囲あたりと、針のように尖った、彼の神経に、それが幾層倍にも、拡大されて響き渡った。

 黒吉の心臓は、瞬間、ドキンと音がして止ったようだった。

「ク……」

 周章あわてて顔を上げた彼の眼の下で、葉子は、悪い夢でも見たのか、咽喉を鳴らすと、寝返りを打って、向うを向いて仕舞った。

(眼を覚ましたかな)

 黒吉は、思いきり息を深くしながら、葉子の墨のような、後向きの寝姿を、見守った。(いや、大丈夫だ)

 寝返りをした葉子は、幸い、眼を覚まさなかったと見えて、直ぐ又かすかな、寝息が、聴えて来た。

 彼は、ようやく※ほ[#「口+息」、24-4]っと、熱

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anond:20250708044816

 辺鄙な、村はずれの丘には、いつの間にか、華やかな幕を沢山吊るした急拵ごしらえの小屋掛が出来て、極東曲馬団の名がかけられ、狂燥なジンタと、ヒョロヒョロと空気を伝わるフリュートの音に、村人は、老おいも若きも、しばし、強烈な色彩と音楽スリル享楽し、又、いつの間にか曲馬団が他へ流れて行っても、しばらくは、フト白い流れ雲の中に、少年少女の縊くびれた肢体を思い出すのである

 トテモ華やかな、その空気の中にも、やっぱり、小さな「悩める虫」がいるのだ。

一ノ二

莫迦ッ、そんな事が出来ねエのか、間抜けめ!」

 親方は、野卑な言葉で、そう呶鳴どなると、手に持った革の鞭で、床をビシビシ撲りつけながら、黒吉くろきちを、グッと睨みつけるのだった。

 まだいたいけな少年の黒吉は、恐ろしさにオドオドして、

「済みません、済みません」

 そんな事を、呟くようにいうと、ぼろぼろに裂けた肉襦袢じゅばんの、肩の辺を擦さすりながら、氷のように冷めたい床の上に、又無器用な体つきで、ゴロンゴロンと幾度も「逆立ち」を遣り直していた。

 饑ひもじさと、恐ろしさと、苦痛と、寒気と、そして他の座員の嘲笑とが、もう毎度の事だったが、黒吉の身の周りに、犇々ひしひしと迫って、思わずホロホロと滾こぼした血のような涙が、荒削りの床に、黒い斑点を残して、音もなく滲しみ込んで行った。

 ――ここは、極東曲馬団の楽屋裏だった。

 逆立ちの下手な、無器用な黒吉は、ここの少年座員なのだ

 鴉からす黒吉。というのが彼の名前だった。しかしこれは舞台だけの芸名か、それとも本当の名前か、恐らくこれは字面じづらから見て、親方が、勝手につけた名前に違いないが、本名となると彼自身は勿論の事、親方だってハッキリ知っているかどうかは疑わしいものだった。

 黒吉自身記憶といっては、極めてぼんやりしたものだったけれど、いたましい事には、それは何時も、この曲馬団の片隅の、衣裳戸棚から始まっていた。

 それで、彼がもの心のついた時からは、――彼の記憶が始まった時からは、いつも周囲には、悲壮ジンタと、くしゃくしゃになったあくどい色の衣裳と、そして、それらを罩こめた安白粉おしろいの匂いや、汗のしみた肉襦袢の、ムッとした嗅気が、重なり合って、色彩っていた。

 こうした頽廃的な雰囲気の中に、いつも絶えない、座員間の軋轢あつれきと、華やかな底に澱む、ひがんだ蒼黒い空気とは、幼い黒吉の心から、跡形もなく「朗らかさ」を毟むしり取って仕舞った。そして、あとに残った陰欝な、日陰の虫のような少年の心に、世の中というものを、一風変った方向からのみ、見詰めさせていた。

 彼は用のない時には、何時も、太い丸太が荒縄で、蜘蛛の巣のように、縦横無尽に張りまわされている薄暗い楽屋の隅で、何かぼんやりえこんでいた。それは少年らしくもない憂欝な、女々しい姿だった。

 黒吉は明かに、他の同輩の少年から

「オイ、こっちへこいよ」

 と声をかけられるのを恐れているように見えた。

 しかし、それは、単に彼の危惧に過ぎなかった。

 他の少年座員達は、誰も、この憂欝な顔をした、芸の不器用な、そして親方におぼえのよくない黒吉と、進んで遊ぼうというものはなかった。(それは恐ろしい団長への、気兼ねもあったろうが)寧ろ彼等は、黒吉の方からしかけても、決して色よい返事は、しないように思われた。

 結局、黒吉はそれをいい事にして、独りぽつねんと、小屋の隅に忘れられた儘、たった一つ、彼に残されたオアシスである他愛もない「空想」に耽っていた。

一ノ三

 憂欝な少年黒吉が、何を考えているのか。

 ――その前に、彼が、なぜ親方のおぼえが悪いのだろうかという事をいわなければならない。

 (それは、彼の憂欝性にも、重大な影響のある事だから

 黒吉は、どう見ても、親方の「お気に入り」とは思えなかった。それは、勿論彼が、芸の未熟な不器用だった事も、確かにその原因の、一つだったけれど、他の大きな原因は、彼が醜い容貌だ、という先天的な不運に、禍わざわいされていたのだった。

 男の子容貌が、そんなにも、幼い心を虐しいたげるものだろうか――。

 如何にも、舞台の上で生活するものにとって、顔の美醜は非常に大きなハンデキャップなのだ。彼の同輩の愛くるしい少年が、舞台で、どうしたはずみか、ストンと尻もちをついたとしたら、観客は

「まあ、可哀そうに……あら、赤くなって、こっちを見てるわ、まるで正美さんみたいね

 そういって可愛い美少年は、失敗をした為に、却って、観客の人気を得るのだ。けれど、それに引きかえて、醜い顔だちを持った黒吉が、舞台でそれと同じような失敗をしても、観客は、何の遠慮もなく、このぎこちない少年の未熟さを嘲笑うのだった。

 この観客にさえ嗤わらわれる黒吉は、勿論親方にとって、どんなに間抜けな、穀潰ごくつぶしに見えたかは充分想像が、出来るのだった。従って、黒吉に対する、親方仕打ちがどんなものだったかも――

(俺は芸が下手なんだ)

(俺は醜い男なんだ)

 薄暗い小屋の片隅で、独りぽつんと、考えこんでいる黒吉は、楽しい空想どころか、彼の幼い心には、この二つの子供らしくもない懊悩が、いつも吹き荒すさんでいるのだった。

 そして、それは彼の心の底へ、少年らしい甘えた気持を、ひた押しに内攻して仕舞って、彼を尚一層、陰気にする外、何んの役にもたたなかった。冷たい冷たい胸の中に、熱いものは、ただ一つ涙だけだった。

 こうした雰囲気の中に、閉じこめられた鴉黒吉が、真直に伸びる筈はなかった。

 ――そして、蒼白い「歪んだ心」を持った少年が、ここに一人生成されて行った。

 世の中の少年少女達が、喜々として、小学校に通い始めた頃だろうか。勿論黒吉には、そんな恵まれ生活は、遠く想像の外だった。

 しかし、この頃から黒吉は、同輩の幼い座員の中でも、少年少女とを、異った眼で見るようになって来た。

「何」という、ハッキリした相違はないのだが、女の子莫迦にされた時には、不思議男の子に罵られたような、憤りは感じなかったのだった。寧ろ、

(いっそ、あの手で打ぶたれたら……)

 と思うと、何かゾクゾクとした、喜びに似た気持を感じるのだ。

 これが何んであるか、黒吉は、次第に、その姿を、ハッキリ見るようになって来た。

一ノ四

 安白粉の匂いと、汗ばんだ体臭と、そして、ぺらぺらなあくどい色の衣裳が、雑巾のように、投げ散らかされた、この頽廃的な曲馬団の楽屋で、侮蔑の中に育てられた、陰気な少年の「歪んだ心」には、もうませた女の子への、不思議な執着が、ジクジクと燃えて来たのだ。

 ――そして、それを尚一層、駆立てるような、出来事が起った。

 それは、やっと敷地小屋掛けも済んで、いよいよ明日から公開、という前の日だった。

 団長は、例の通り、小六ヶ敷こむずかしい顔をして、小屋掛けの監督をしていたが、それが終って仕舞うと、さも「大仕事をした」というような顔をして、他のお気に入り幹部達と一緒に、何処か、遊びに出て行った。

 団長の遊びに行くのを、見送って仕舞うと、他の年かさな座員や、楽隊ジンタの係りの者なども、ようやくのびのびとして、思い思いの雑談に高笑いを立てていたが、剽軽者ひょうきんものの仙次が、自分の役であるピエロ舞台着を調べながら

「オイ、親父おやじが行ったぜ、俺の方も行こうか」

 恰度それが、合図でもあったかのように、急に話声が高くなった。

「ウン、たまには一杯やらなくちゃ……」

「ちえッ、たまには、とはよくもいいやがった。明日があるんだ、大丈夫か」

「ナーニ、少しはやらなくちゃ続かねエよ、いやなら止せよ」

「いやじゃねエよ」

ハハハ、五月蠅うるせえなア」

 と、如何にも嬉しそうに、がやがや喋りながら、それでも大急ぎで支度をして、町の中に開放されて行った。

 そして、何時か、このガランとした小屋の中には、蒲団ふとん係りの源二郎爺さんと、子供の座員だけが、ぽつんつんと取り残されていた。子供の座員は、外出を禁じられていた。それは勿論「脱走」に備えたものだった。その見張りの役が、今は老耄おいぼれて仕舞ったが、昔はこの一座を背負って立った源二郎爺じじいなのだ

 結局、幼い彼等は、小屋の中で、てんでに遊ぶより仕方がなかった。

 男の子男同志で、舞台を駈廻り、女の子は女らしく、固かたまって縄飛びをしていた。――そして、黒吉は、相変らず小屋の隅に、ぽつんと独りだった。

 しかし、何時になく、黒吉の眼は、何か一心に見詰めているようだ。

(この憂欝な、オドオドした少年が、一生懸命に見ているものは、何んだろう)

 誰でも、彼の平生を知っているものが、この様子に気付いたならば、一寸ちょっとをかしげたに相違ない。そして、何気なくこの少年視線を追って見たならば、或はハッと眼を伏せたかも知れないのだ。

 黒吉の恰度眼の前では、少女の座員たちが、簡単アッパッパを着て、縄飛びをしていた――。しかし彼の見ているのは、それではなかった。この少女達が、急いきおいよく自分の背丈せい位もある縄を飛んで、トンと下りると、その瞬間、簡単アッパッパスカートは、風を受けて乱れ、そこから覗くのは、ふっくりとした白い腿だった――。

(十やそこらの少年が、こんなものを、息を殺して見詰めているのだろうか――)

 そう考えると、極めて不快な感じの前に何か、寒む寒むとした、恐ろしさを覚えるのだ。

 しかし、尚そればかりではなかった。

 この憂欝な少年の心を、根柢から、グスグスとゆり動かした、あの「ふっくりとした白い腿」がたえまなく、彼の頭の中に、大きく渦を捲いて、押流れていた。

 やがて、その心の渦が、ようやく鎮まって来ると、その渦の中から、浮び上って来たのは、この一座の花形少女貴志田葉子きしだようこ」の顔だった。

 だが、それと同時に、黒吉は、いきなり打ち前倒のめされたような、劇しい不快な気持を、感じた。

(ちえッ、俺がいくらちゃんと遊ぼうったって、駄目だい。俺は芸が、下手くそなんだ。それに、あんな綺麗な葉ちゃんが、俺みたいな汚い子と遊んでくれるもんか……)

 だが、この少年の心の底へ、しっかり焼付られた、葉ちゃんへの、不思議な執着は、そんな事ぐらいでは、びくともしなかった。寧ろ

(駄目だ)

 と思えば思う程、余計に、いきなり大声で呶鳴ってみたいような焦燥を、いやが上にも煽立あおりたてているのだ。

 ――この頃から、彼のそぶりは、少しずつ変って来たようだった。それはよく気をつけて見たならば、相変らず小屋の片隅に、独りぽっちでいる黒吉の眼が、妙な光を持って来たのに、気がついたろう。そして、その時は彼の視線の先きに必ず幼い花形の、葉子が、愛くるしい姿をして飛廻っていたのだ。

 葉子は、まだ黒吉と同じように、十とう位だったが、顔は綺麗だし、芸は上手いし、自由小鳥のように朗らかで、あの気六ヶ敷い団長にすら、この上もなく可愛がられていたから、この陰惨な曲馬団の中でも、彼女だけは、充分幸福なように見えた。

 そして、勿論、この陰気な、醜い黒吉が、自分一挙一動を、舐めるように、見詰めているとは気づかなかったろう。

 黒吉自身は、彼女が、自分の事など、気にもかけていない、という事が「痛しかゆし」の気持だった。無論彼女

「こっちへいらっしゃいよ」

 とでも、声を掛けられたら、どんなに嬉しい事だろう。――しかし、その半面

「だらしがないのねエ、あんたなんか、大嫌いよ」

 といわれはしまいか、と思うと、彼女に話かけるどころか葉子が、何気なくこっちを見てさえ、

(俺を嗤うんじゃないか

 こうした感じが、脈管の中を、火のように逆流するのだ。それで、つと眼を伏せて仕舞う彼だった。

 黒吉は、自分でさえ、このひねくれた気持を知りながら、尚葉子への愛慕と伴に、どうしても、脱ぎ去る事が、出来なかった。

       ×

 思い出したように、賑やかなジンタが、「敷島マーチ」を一通り済ますと、続いて「カチウシャ」を始めた。フリュートの音が、ひょろひょろと蒼穹あおぞらに消えると、その合間合間に、乾からびた木戸番の「呼び込み」が、座員の心をも、何かそわそわさせるように、響いて来た。

「さあ、葉ちゃんの出番だよ」

「あら、もうあたしなの、いそがしいわ」

「いそいで、いそいで」

 葉子は周章あわててお煎餅せんべい一口齧かじると、衣裳部屋を飛出して行った。

 恰度、通り合せた黒吉は、ちらりとそれを見ると、何を思ったのか、その喰たべかけの煎餅を、そっと、いかにも大事そうに持って行った。

二ノ二

 葉子が、喰いかけて、抛り出して行った煎餅を、そっと、拾って来た黒吉は、座員達が、こってりと白粉を塗った顔を上気させながら、忙しそうに話し合っている所を、知らん顔して通り抜けると小屋の片隅の、座蒲団が山のように積上げられてある陰へ来た。

 黒吉は、経験で、舞台が始まると、こんなところには、滅多に人が来ない事を知っていた。

 それでも、注意深く、あたりに人気のないのを見澄ますと、こそこそと体を跼かがめながら、いまにも崩れそうに積上げられた座蒲団の隙間へ、潜り込んで行った。

 その隙間は、如何にも窮屈だったが、妙にぬくぬくとした弾力があって、何かなつかしいもののようであった。黒吉はやっと※ほっ[#「口+息」、16-9]とした落着きを味わいながら、あの煎餅のかけらを持ち迭かえると、それがさも大切な宝石でもあるかのように、そーっと手の掌ひらに載せて見た。

(これが、葉ちゃんの喰いかけだな)

 そう思うと、つい頬のゆるむ、嬉しさを感じた。……大事大事にとって置きたいような、……ぎゅっと抱締めたいような――。

 黒吉は、充分幸福を味わって、もう一遍沁々と、薄い光の中で、それを見詰めた。こうしてよくよく見ると、気の所為いか、その一かけの煎餅は、幾らか湿っているように思えた。

気をつけて、触ってみると、確かに、喰いかけのところが一寸湿っていた。

(葉ちゃんの唾つばきかな)

 黒吉の、小さい心臓は、この思わぬ、めっけものにガクガクと顫えた。

 彼は、いくら少年とはいえ、無論こんな一っかけの煎餅を、喰べたいばかりに、拾って来たのではなかった。黒吉には「葉子の喰べかけ」というところに、この煎餅が、幾カラットもあるダイヤモンドにも見えたのだ。

 しかし、触って見ると、このかけらは湿っている……

(葉ちゃんの唾だな)

 その瞬間、黒吉の頭には、衣裳部屋で、葉子が忙しそうにこの煎餅を咥くわえていた光景と、それにつづいてクロオズアップされた、彼女の、あの可愛い紅唇くちとが、アリアリと浮んだ。

 それと一緒に、彼は、思わずゴクンと、固い唾を飲んだ。

 黒吉は、妖しく眼を光らせながら、あたりを偸ぬすみ見ると、やがて、意を決したように、その葉子の唾液つばきで湿ったに違いない煎餅のかけらを、そっと唇に近づけた……。

(鹹しょっぱい――な)

 これは、勿論塩煎餅の味だったろう。だが、黒吉の手は、何故かぶるぶると顫えた。

 彼の少年らしくもない、深い陰影かげを持った顔は、何時か熱っぽく上気し、激しく心臓から投出される、血潮は、顳※(「需+頁」、第3水準1-94-6)こめかみをひくひくと波打たせていた。

 そして、もう手の掌に、べとべとと溶けて仕舞った、煎餅のかけらから、尚も「葉子の匂い」を嗅ぎ出そうと、総てを忘れて、ペロペロと舐め続けていた……。

「こらっ。何をしてるんだ、黒公」

 ハッと気がつくと、蒲団の山の向うから、源二郎爺の、怒りを含んだ怪訝な顔が、覗いていた。

「出番じゃねエか。愚図愚図してると、又ひどいぞ」

「ウン」

 黒吉は、瞬間、親方の顔を思い出して、ピョコンと飛起きた。そして、ベタベタと粘る手の掌を肉襦袢にこすりこすり、周章あわてて楽屋の方へ駈けて行った。

二ノ三

 黒吉は、命ぜられた、色々の曲芸をしながらも、頭の中は、いつも葉子の事で一杯だった。

(一度でいいから葉ちゃんと、沁々話したい)

 これが、彼の歪められた心に発生わいて来た、たった一つの望みだった。

 彼がもっと朗らかな、普通の子供であったならば、いつも同じ小屋にいる葉子だもの、そんな事は、造作なく実現したに違いない。

 しかし、それにしては、黒吉は、余りに陰気な、ひねくれた少年だった。――というのも、彼の暗い周囲がそうさせたのだが――。

 そして、早熟ませた葉子への執着が、堰せき切れなくなった時に彼が見つけたのは、あの煎餅のかけらが産んだ、恐ろしい恍惚エクスタシーだった。

 一度こうした排はけ口を見つけた、彼の心が、その儘止まる筈はなかった――寧ろ、津浪のようにその排け口に向って殺到して行ったのだ。

 彼は、そっと、人のいないのを見すまして、衣裳部屋に潜り込み、葉子の小ちっちゃい肉襦袢に、醜悪な顔を、埋うずめていた事もあった。

 その白粉の匂いと、体臭のむんむんする臭いが、彼自身眩暈めまいをさえ伴った、陶酔感を与えるのだ。

 そして、ふと、その肉襦袢に、葉子のオカッパの髪が、二三本ついていたのを見つけると、その大発見に狂喜しながら、注意ぶかく抓つまみ上げて、白い紙につつむと、あり合せの鉛筆で、

「葉子チャンノカミノケ」

 そんな文句を、下手糞な字で、たどたどしく書きつけ、もう一度、上から擦さすって見てから、それを、肌身深く蔵しまいこんで仕舞った……。

 こうした彼の悪癖が、益々慕って行った事は、その後、葉子の持ち物が、ちょいちょい失なくなるようになった事でも、充分想像が出来た。

 失くなるといっても、勿論たいした品物を、曲馬団の少女が、持っている訳はなかったから、もうすり減った、真黒く脂肪あぶら足の跡が附いた、下駄の一方だとか、毛の抜けて仕舞った竹の歯楊子ようじだとか、そういった、極く下らないものだった。それで、

(盗られた)

 という気持を、葉子自身ですら感じなかったのは、彼にとっては、もっけの幸いだった。しかしこれらの「下らない紛失物」が、黒吉にとって、どんなに貴重なものだったかは、また容易に想像出来るのだ。

 ――ここまでは、黒吉少年の心に醗酵した、侘わびしい(しか執拗な)彼一人だけの、胸の中の恋だった。

 だが、ここに葉子が、暴風雨あらしを伴奏にして、颯爽と、現実舞台へ、登場しようとしている。

       ×

 極東曲馬団は、町から町、盛り場から盛り場を、人々の眼を楽しませながら、流れ移っていた。

 そして、ある田舎町に敷地を借り、ようやく小屋掛けも終ったと殆んど同時に、朝から頸を傾かしげさせていた空模様が、一時に頽くずれて、大粒の雨が、無気味な風を含んで、ぽたりぽたり落ちて来たかと思うと、もう篠つくような豪雨に変っていた。

 団長等は、早々に、宿屋に引上げて仕舞ったが、子供の座員や、下っぱの座員などは、経費の関係で、いつも、この小屋に泊る事を言渡されていた。子供等の方では、これは当然だと思っていたし、又団長がいないという事で、却って喜んでいたようでもあった。

 しかし、この急拵えの小屋が、この沛然はいぜんと降る豪雨に、無事な筈はなく、雨漏りをさけて遁げ廻った末、やっと楽屋の隅で、ひと凝固かたまりになって、横になる事が出来たのは、もう大分夜が更けてからだった。

 黒吉は、眼をつぶって、ようやく小降りになって来たらしい、雨の音を聴いていると、もう肩を並べた隣りからは、幽かな寝息さえ聴えて来た。

 それと同時に、黒吉は、何かドキンとしたものを感じた。

(隣りに寝ているのは、葉ちゃんじゃないか――)

二ノ四

 瞬間、黒吉は自分の頭が、シーンと澄み透って行くのを感じた。

(果して、隣りで寝ているのは、葉ちゃんだろうか)

 それは勿論、第六感とでもいうのか、極く曖昧ものだった。が、あの騒ぎで、皆んな、ごたごたに寝て仕舞ったのだから全然あり得ない事でもないのだ。

 そう思うと、隣りと接した、肩の辺が、熱っぽく、暑苦しいようにさえ感じた。そして、心臓はその鼓動と伴に、胸の中、一杯に拡がって行った。

 黒吉は、思い切って、起上り、顔を覗き見たい衝動を感じた。あたりは真暗だが、よく気をつけて覗きこめば、顔の判別がつかぬ、という程でもないように思われた。

 彼は、そーっと、薄い蒲団の縁へりへ、手をかけた。だが――

(まてまて。葉ちゃんならば、こんなに素晴らしい事はない。けれども、こんなにぎっしり寝ている処で、ごそごそ起きたら、どうかすると、彼女は眼を覚ますかも知れない。

 それだけならいいが、眼を覚まして、俺が覗きこんでいた事を知ったら、きっと葉ちゃんは、真赤になって、この醜い俺を罵り、どこか遠くへ寝床をかえて仕舞うに違いないんだ。

 ――そんな莫迦な事をするより、例え短かくとも、夜が明けるまで、こうして葉ちゃんの、ふくよかな肩の感触を恣ほしいままにした方が、どれ程気が利いていることか……)

 黒吉の心の中の、内気な半面が、こう囁いた。

 彼は、蒲団にかけた手を、又静かに戻して仕舞うと、今度は、全身の注意を、細かに砕いて、彼女の方へぴったり、摺り寄って行った。そして、温もりに混った、彼女の穏やかな心臓の響きを、肩の辺に聴いていた……。

 フト、冷めたい風を感じて、何時の間にかつぶっていた眼を明けて見ると、あたりには極くうっすらと、光が射しているのに、気がついた。

(もう夜明けかな――いつの間に寝て仕舞ったんだろう)

 それと一緒に、思わずガクンと体の顫えるような、口惜くやしさに似た後悔を感じた。

(葉ちゃんは……)

 黒吉は、先ずそれが心懸りだったので、ぐっと頸を廻して隣りを確めようとした。

(おや……)

 彼の眼に這入ったのは、葉子より先きに、キンと澄み切った、尖った月の半分だった。

 急拵えの小屋天幕は、夕方の大暴風雨あらしに吹きまくられてぽっかり夜空に口を開け、恰度そこから、のり出すように月が覗き込み、地底のようにシンと澱んだ小屋の中に白々とした、絹糸のような、光を撒いているのだ。暴風雨あらしの後の月は物凄いまでに、冴え冴えとしていた。

(まだ夜中だ)

 黒吉は※ほ[#「口+息」、22-9]っと心配を排はき棄てた。

 彼の隣りには、葉子が、いかにも寝苦しそうに寝ていた。先刻さっきは、確かに葉子だ、とは断言出来なかったが、いまでは極く淡い光ではあったが、その中でも、段々眼の馴れるに従って、黒吉には、ハッキリ葉子の姿が、写って来た。

 黒吉は、意を決したように、半身を蒲団から抜出し、月の光を遮らないように――、音のしないように、そっと彼女の顔を覗きこんだ。

 眼の下には、月の光を受けて、いつもより蒼白く見える葉子の、幼い顔が、少しばかり口さえ開け、寝入っていた。もう少し月の光が強かったら、この房々としたオカッパの頭髪かみのけが黄金のように光るだろう――と思えた。

 又、襟足の洗いおとした白粉が、この幼い葉子の寝姿を少年の心にも、一入ひとしお可憐いじらしく見せていた。

 暫く、ぼんやりと、その夢のように霞んだ、葉子の顔を、見詰めていた黒吉は、ゴクンと固い唾を咽喉へ通すと、その薄く開かれた唇から、寝息でも聴こうとするのか、顔を次第次第に近附けて行った。

 何故か、彼の唇は、ガザガザに乾いていた。

 やがて、この弱々しい月光の下で、二つのさな頭の影が、一つになって仕舞うと、彼は、葉子の頬についている、小さい愛嬌黒子ぼくろが、自分の頬をも、凹へこますのを感じた。

二ノ五

 黒吉の、唇に感じた、葉子の唇の感触は、ぬくぬくとして弾力に富んだはんぺんのようだった。妙な連想だけれど、事実彼の経験では、これが一番よく似ていたのだ。

 唯、違った所――それは非常に違ったところがあるのだが――残念ながら、それをいい表わす言葉を知らなかった。

 彼は、そーっと腕の力を抜こうとした。途端に、肘の下の羽目板が、鈍い音を立てた。造作の悪い掛小屋なので、一寸した重みの加減でも、板が軋むのだ。シンとした周囲あたりと、針のように尖った、彼の神経に、それが幾層倍にも、拡大されて響き渡った。

 黒吉の心臓は、瞬間、ドキンと音がして止ったようだった。

「ク……」

 周章あわてて顔を上げた彼の眼の下で、葉子は、悪い夢でも見たのか、咽喉を鳴らすと、寝返りを打って、向うを向いて仕舞った。

(眼を覚ましたかな)

 黒吉は、思いきり息を深くしながら、葉子の墨のような、後向きの寝姿を、見守った。(いや、大丈夫だ)

 寝返りをした葉子は、幸い、眼を覚まさなかったと見えて、直ぐ又かすかな、寝息が、聴えて来た。

 彼は、ようやく※ほ[#「口+息」、24-4]っと、熱

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anond:20250708044816

 辺鄙な、村はずれの丘には、いつの間にか、華やかな幕を沢山吊るした急拵ごしらえの小屋掛が出来て、極東曲馬団の名がかけられ、狂燥なジンタと、ヒョロヒョロと空気を伝わるフリュートの音に、村人は、老おいも若きも、しばし、強烈な色彩と音楽スリル享楽し、又、いつの間にか曲馬団が他へ流れて行っても、しばらくは、フト白い流れ雲の中に、少年少女の縊くびれた肢体を思い出すのである

 トテモ華やかな、その空気の中にも、やっぱり、小さな「悩める虫」がいるのだ。

一ノ二

莫迦ッ、そんな事が出来ねエのか、間抜けめ!」

 親方は、野卑な言葉で、そう呶鳴どなると、手に持った革の鞭で、床をビシビシ撲りつけながら、黒吉くろきちを、グッと睨みつけるのだった。

 まだいたいけな少年の黒吉は、恐ろしさにオドオドして、

「済みません、済みません」

 そんな事を、呟くようにいうと、ぼろぼろに裂けた肉襦袢じゅばんの、肩の辺を擦さすりながら、氷のように冷めたい床の上に、又無器用な体つきで、ゴロンゴロンと幾度も「逆立ち」を遣り直していた。

 饑ひもじさと、恐ろしさと、苦痛と、寒気と、そして他の座員の嘲笑とが、もう毎度の事だったが、黒吉の身の周りに、犇々ひしひしと迫って、思わずホロホロと滾こぼした血のような涙が、荒削りの床に、黒い斑点を残して、音もなく滲しみ込んで行った。

 ――ここは、極東曲馬団の楽屋裏だった。

 逆立ちの下手な、無器用な黒吉は、ここの少年座員なのだ

 鴉からす黒吉。というのが彼の名前だった。しかしこれは舞台だけの芸名か、それとも本当の名前か、恐らくこれは字面じづらから見て、親方が、勝手につけた名前に違いないが、本名となると彼自身は勿論の事、親方だってハッキリ知っているかどうかは疑わしいものだった。

 黒吉自身記憶といっては、極めてぼんやりしたものだったけれど、いたましい事には、それは何時も、この曲馬団の片隅の、衣裳戸棚から始まっていた。

 それで、彼がもの心のついた時からは、――彼の記憶が始まった時からは、いつも周囲には、悲壮ジンタと、くしゃくしゃになったあくどい色の衣裳と、そして、それらを罩こめた安白粉おしろいの匂いや、汗のしみた肉襦袢の、ムッとした嗅気が、重なり合って、色彩っていた。

 こうした頽廃的な雰囲気の中に、いつも絶えない、座員間の軋轢あつれきと、華やかな底に澱む、ひがんだ蒼黒い空気とは、幼い黒吉の心から、跡形もなく「朗らかさ」を毟むしり取って仕舞った。そして、あとに残った陰欝な、日陰の虫のような少年の心に、世の中というものを、一風変った方向からのみ、見詰めさせていた。

 彼は用のない時には、何時も、太い丸太が荒縄で、蜘蛛の巣のように、縦横無尽に張りまわされている薄暗い楽屋の隅で、何かぼんやりえこんでいた。それは少年らしくもない憂欝な、女々しい姿だった。

 黒吉は明かに、他の同輩の少年から

「オイ、こっちへこいよ」

 と声をかけられるのを恐れているように見えた。

 しかし、それは、単に彼の危惧に過ぎなかった。

 他の少年座員達は、誰も、この憂欝な顔をした、芸の不器用な、そして親方におぼえのよくない黒吉と、進んで遊ぼうというものはなかった。(それは恐ろしい団長への、気兼ねもあったろうが)寧ろ彼等は、黒吉の方からしかけても、決して色よい返事は、しないように思われた。

 結局、黒吉はそれをいい事にして、独りぽつねんと、小屋の隅に忘れられた儘、たった一つ、彼に残されたオアシスである他愛もない「空想」に耽っていた。

一ノ三

 憂欝な少年黒吉が、何を考えているのか。

 ――その前に、彼が、なぜ親方のおぼえが悪いのだろうかという事をいわなければならない。

 (それは、彼の憂欝性にも、重大な影響のある事だから

 黒吉は、どう見ても、親方の「お気に入り」とは思えなかった。それは、勿論彼が、芸の未熟な不器用だった事も、確かにその原因の、一つだったけれど、他の大きな原因は、彼が醜い容貌だ、という先天的な不運に、禍わざわいされていたのだった。

 男の子容貌が、そんなにも、幼い心を虐しいたげるものだろうか――。

 如何にも、舞台の上で生活するものにとって、顔の美醜は非常に大きなハンデキャップなのだ。彼の同輩の愛くるしい少年が、舞台で、どうしたはずみか、ストンと尻もちをついたとしたら、観客は

「まあ、可哀そうに……あら、赤くなって、こっちを見てるわ、まるで正美さんみたいね

 そういって可愛い美少年は、失敗をした為に、却って、観客の人気を得るのだ。けれど、それに引きかえて、醜い顔だちを持った黒吉が、舞台でそれと同じような失敗をしても、観客は、何の遠慮もなく、このぎこちない少年の未熟さを嘲笑うのだった。

 この観客にさえ嗤わらわれる黒吉は、勿論親方にとって、どんなに間抜けな、穀潰ごくつぶしに見えたかは充分想像が、出来るのだった。従って、黒吉に対する、親方仕打ちがどんなものだったかも――

(俺は芸が下手なんだ)

(俺は醜い男なんだ)

 薄暗い小屋の片隅で、独りぽつんと、考えこんでいる黒吉は、楽しい空想どころか、彼の幼い心には、この二つの子供らしくもない懊悩が、いつも吹き荒すさんでいるのだった。

 そして、それは彼の心の底へ、少年らしい甘えた気持を、ひた押しに内攻して仕舞って、彼を尚一層、陰気にする外、何んの役にもたたなかった。冷たい冷たい胸の中に、熱いものは、ただ一つ涙だけだった。

 こうした雰囲気の中に、閉じこめられた鴉黒吉が、真直に伸びる筈はなかった。

 ――そして、蒼白い「歪んだ心」を持った少年が、ここに一人生成されて行った。

 世の中の少年少女達が、喜々として、小学校に通い始めた頃だろうか。勿論黒吉には、そんな恵まれ生活は、遠く想像の外だった。

 しかし、この頃から黒吉は、同輩の幼い座員の中でも、少年少女とを、異った眼で見るようになって来た。

「何」という、ハッキリした相違はないのだが、女の子莫迦にされた時には、不思議男の子に罵られたような、憤りは感じなかったのだった。寧ろ、

(いっそ、あの手で打ぶたれたら……)

 と思うと、何かゾクゾクとした、喜びに似た気持を感じるのだ。

 これが何んであるか、黒吉は、次第に、その姿を、ハッキリ見るようになって来た。

一ノ四

 安白粉の匂いと、汗ばんだ体臭と、そして、ぺらぺらなあくどい色の衣裳が、雑巾のように、投げ散らかされた、この頽廃的な曲馬団の楽屋で、侮蔑の中に育てられた、陰気な少年の「歪んだ心」には、もうませた女の子への、不思議な執着が、ジクジクと燃えて来たのだ。

 ――そして、それを尚一層、駆立てるような、出来事が起った。

 それは、やっと敷地小屋掛けも済んで、いよいよ明日から公開、という前の日だった。

 団長は、例の通り、小六ヶ敷こむずかしい顔をして、小屋掛けの監督をしていたが、それが終って仕舞うと、さも「大仕事をした」というような顔をして、他のお気に入り幹部達と一緒に、何処か、遊びに出て行った。

 団長の遊びに行くのを、見送って仕舞うと、他の年かさな座員や、楽隊ジンタの係りの者なども、ようやくのびのびとして、思い思いの雑談に高笑いを立てていたが、剽軽者ひょうきんものの仙次が、自分の役であるピエロ舞台着を調べながら

「オイ、親父おやじが行ったぜ、俺の方も行こうか」

 恰度それが、合図でもあったかのように、急に話声が高くなった。

「ウン、たまには一杯やらなくちゃ……」

「ちえッ、たまには、とはよくもいいやがった。明日があるんだ、大丈夫か」

「ナーニ、少しはやらなくちゃ続かねエよ、いやなら止せよ」

「いやじゃねエよ」

ハハハ、五月蠅うるせえなア」

 と、如何にも嬉しそうに、がやがや喋りながら、それでも大急ぎで支度をして、町の中に開放されて行った。

 そして、何時か、このガランとした小屋の中には、蒲団ふとん係りの源二郎爺さんと、子供の座員だけが、ぽつんつんと取り残されていた。子供の座員は、外出を禁じられていた。それは勿論「脱走」に備えたものだった。その見張りの役が、今は老耄おいぼれて仕舞ったが、昔はこの一座を背負って立った源二郎爺じじいなのだ

 結局、幼い彼等は、小屋の中で、てんでに遊ぶより仕方がなかった。

 男の子男同志で、舞台を駈廻り、女の子は女らしく、固かたまって縄飛びをしていた。――そして、黒吉は、相変らず小屋の隅に、ぽつんと独りだった。

 しかし、何時になく、黒吉の眼は、何か一心に見詰めているようだ。

(この憂欝な、オドオドした少年が、一生懸命に見ているものは、何んだろう)

 誰でも、彼の平生を知っているものが、この様子に気付いたならば、一寸ちょっとをかしげたに相違ない。そして、何気なくこの少年視線を追って見たならば、或はハッと眼を伏せたかも知れないのだ。

 黒吉の恰度眼の前では、少女の座員たちが、簡単アッパッパを着て、縄飛びをしていた――。しかし彼の見ているのは、それではなかった。この少女達が、急いきおいよく自分の背丈せい位もある縄を飛んで、トンと下りると、その瞬間、簡単アッパッパスカートは、風を受けて乱れ、そこから覗くのは、ふっくりとした白い腿だった――。

(十やそこらの少年が、こんなものを、息を殺して見詰めているのだろうか――)

 そう考えると、極めて不快な感じの前に何か、寒む寒むとした、恐ろしさを覚えるのだ。

 しかし、尚そればかりではなかった。

 この憂欝な少年の心を、根柢から、グスグスとゆり動かした、あの「ふっくりとした白い腿」がたえまなく、彼の頭の中に、大きく渦を捲いて、押流れていた。

 やがて、その心の渦が、ようやく鎮まって来ると、その渦の中から、浮び上って来たのは、この一座の花形少女貴志田葉子きしだようこ」の顔だった。

 だが、それと同時に、黒吉は、いきなり打ち前倒のめされたような、劇しい不快な気持を、感じた。

(ちえッ、俺がいくらちゃんと遊ぼうったって、駄目だい。俺は芸が、下手くそなんだ。それに、あんな綺麗な葉ちゃんが、俺みたいな汚い子と遊んでくれるもんか……)

 だが、この少年の心の底へ、しっかり焼付られた、葉ちゃんへの、不思議な執着は、そんな事ぐらいでは、びくともしなかった。寧ろ

(駄目だ)

 と思えば思う程、余計に、いきなり大声で呶鳴ってみたいような焦燥を、いやが上にも煽立あおりたてているのだ。

 ――この頃から、彼のそぶりは、少しずつ変って来たようだった。それはよく気をつけて見たならば、相変らず小屋の片隅に、独りぽっちでいる黒吉の眼が、妙な光を持って来たのに、気がついたろう。そして、その時は彼の視線の先きに必ず幼い花形の、葉子が、愛くるしい姿をして飛廻っていたのだ。

 葉子は、まだ黒吉と同じように、十とう位だったが、顔は綺麗だし、芸は上手いし、自由小鳥のように朗らかで、あの気六ヶ敷い団長にすら、この上もなく可愛がられていたから、この陰惨な曲馬団の中でも、彼女だけは、充分幸福なように見えた。

 そして、勿論、この陰気な、醜い黒吉が、自分一挙一動を、舐めるように、見詰めているとは気づかなかったろう。

 黒吉自身は、彼女が、自分の事など、気にもかけていない、という事が「痛しかゆし」の気持だった。無論彼女

「こっちへいらっしゃいよ」

 とでも、声を掛けられたら、どんなに嬉しい事だろう。――しかし、その半面

「だらしがないのねエ、あんたなんか、大嫌いよ」

 といわれはしまいか、と思うと、彼女に話かけるどころか葉子が、何気なくこっちを見てさえ、

(俺を嗤うんじゃないか

 こうした感じが、脈管の中を、火のように逆流するのだ。それで、つと眼を伏せて仕舞う彼だった。

 黒吉は、自分でさえ、このひねくれた気持を知りながら、尚葉子への愛慕と伴に、どうしても、脱ぎ去る事が、出来なかった。

       ×

 思い出したように、賑やかなジンタが、「敷島マーチ」を一通り済ますと、続いて「カチウシャ」を始めた。フリュートの音が、ひょろひょろと蒼穹あおぞらに消えると、その合間合間に、乾からびた木戸番の「呼び込み」が、座員の心をも、何かそわそわさせるように、響いて来た。

「さあ、葉ちゃんの出番だよ」

「あら、もうあたしなの、いそがしいわ」

「いそいで、いそいで」

 葉子は周章あわててお煎餅せんべい一口齧かじると、衣裳部屋を飛出して行った。

 恰度、通り合せた黒吉は、ちらりとそれを見ると、何を思ったのか、その喰たべかけの煎餅を、そっと、いかにも大事そうに持って行った。

二ノ二

 葉子が、喰いかけて、抛り出して行った煎餅を、そっと、拾って来た黒吉は、座員達が、こってりと白粉を塗った顔を上気させながら、忙しそうに話し合っている所を、知らん顔して通り抜けると小屋の片隅の、座蒲団が山のように積上げられてある陰へ来た。

 黒吉は、経験で、舞台が始まると、こんなところには、滅多に人が来ない事を知っていた。

 それでも、注意深く、あたりに人気のないのを見澄ますと、こそこそと体を跼かがめながら、いまにも崩れそうに積上げられた座蒲団の隙間へ、潜り込んで行った。

 その隙間は、如何にも窮屈だったが、妙にぬくぬくとした弾力があって、何かなつかしいもののようであった。黒吉はやっと※ほっ[#「口+息」、16-9]とした落着きを味わいながら、あの煎餅のかけらを持ち迭かえると、それがさも大切な宝石でもあるかのように、そーっと手の掌ひらに載せて見た。

(これが、葉ちゃんの喰いかけだな)

 そう思うと、つい頬のゆるむ、嬉しさを感じた。……大事大事にとって置きたいような、……ぎゅっと抱締めたいような――。

 黒吉は、充分幸福を味わって、もう一遍沁々と、薄い光の中で、それを見詰めた。こうしてよくよく見ると、気の所為いか、その一かけの煎餅は、幾らか湿っているように思えた。

気をつけて、触ってみると、確かに、喰いかけのところが一寸湿っていた。

(葉ちゃんの唾つばきかな)

 黒吉の、小さい心臓は、この思わぬ、めっけものにガクガクと顫えた。

 彼は、いくら少年とはいえ、無論こんな一っかけの煎餅を、喰べたいばかりに、拾って来たのではなかった。黒吉には「葉子の喰べかけ」というところに、この煎餅が、幾カラットもあるダイヤモンドにも見えたのだ。

 しかし、触って見ると、このかけらは湿っている……

(葉ちゃんの唾だな)

 その瞬間、黒吉の頭には、衣裳部屋で、葉子が忙しそうにこの煎餅を咥くわえていた光景と、それにつづいてクロオズアップされた、彼女の、あの可愛い紅唇くちとが、アリアリと浮んだ。

 それと一緒に、彼は、思わずゴクンと、固い唾を飲んだ。

 黒吉は、妖しく眼を光らせながら、あたりを偸ぬすみ見ると、やがて、意を決したように、その葉子の唾液つばきで湿ったに違いない煎餅のかけらを、そっと唇に近づけた……。

(鹹しょっぱい――な)

 これは、勿論塩煎餅の味だったろう。だが、黒吉の手は、何故かぶるぶると顫えた。

 彼の少年らしくもない、深い陰影かげを持った顔は、何時か熱っぽく上気し、激しく心臓から投出される、血潮は、顳※(「需+頁」、第3水準1-94-6)こめかみをひくひくと波打たせていた。

 そして、もう手の掌に、べとべとと溶けて仕舞った、煎餅のかけらから、尚も「葉子の匂い」を嗅ぎ出そうと、総てを忘れて、ペロペロと舐め続けていた……。

「こらっ。何をしてるんだ、黒公」

 ハッと気がつくと、蒲団の山の向うから、源二郎爺の、怒りを含んだ怪訝な顔が、覗いていた。

「出番じゃねエか。愚図愚図してると、又ひどいぞ」

「ウン」

 黒吉は、瞬間、親方の顔を思い出して、ピョコンと飛起きた。そして、ベタベタと粘る手の掌を肉襦袢にこすりこすり、周章あわてて楽屋の方へ駈けて行った。

二ノ三

 黒吉は、命ぜられた、色々の曲芸をしながらも、頭の中は、いつも葉子の事で一杯だった。

(一度でいいから葉ちゃんと、沁々話したい)

 これが、彼の歪められた心に発生わいて来た、たった一つの望みだった。

 彼がもっと朗らかな、普通の子供であったならば、いつも同じ小屋にいる葉子だもの、そんな事は、造作なく実現したに違いない。

 しかし、それにしては、黒吉は、余りに陰気な、ひねくれた少年だった。――というのも、彼の暗い周囲がそうさせたのだが――。

 そして、早熟ませた葉子への執着が、堰せき切れなくなった時に彼が見つけたのは、あの煎餅のかけらが産んだ、恐ろしい恍惚エクスタシーだった。

 一度こうした排はけ口を見つけた、彼の心が、その儘止まる筈はなかった――寧ろ、津浪のようにその排け口に向って殺到して行ったのだ。

 彼は、そっと、人のいないのを見すまして、衣裳部屋に潜り込み、葉子の小ちっちゃい肉襦袢に、醜悪な顔を、埋うずめていた事もあった。

 その白粉の匂いと、体臭のむんむんする臭いが、彼自身眩暈めまいをさえ伴った、陶酔感を与えるのだ。

 そして、ふと、その肉襦袢に、葉子のオカッパの髪が、二三本ついていたのを見つけると、その大発見に狂喜しながら、注意ぶかく抓つまみ上げて、白い紙につつむと、あり合せの鉛筆で、

「葉子チャンノカミノケ」

 そんな文句を、下手糞な字で、たどたどしく書きつけ、もう一度、上から擦さすって見てから、それを、肌身深く蔵しまいこんで仕舞った……。

 こうした彼の悪癖が、益々慕って行った事は、その後、葉子の持ち物が、ちょいちょい失なくなるようになった事でも、充分想像が出来た。

 失くなるといっても、勿論たいした品物を、曲馬団の少女が、持っている訳はなかったから、もうすり減った、真黒く脂肪あぶら足の跡が附いた、下駄の一方だとか、毛の抜けて仕舞った竹の歯楊子ようじだとか、そういった、極く下らないものだった。それで、

(盗られた)

 という気持を、葉子自身ですら感じなかったのは、彼にとっては、もっけの幸いだった。しかしこれらの「下らない紛失物」が、黒吉にとって、どんなに貴重なものだったかは、また容易に想像出来るのだ。

 ――ここまでは、黒吉少年の心に醗酵した、侘わびしい(しか執拗な)彼一人だけの、胸の中の恋だった。

 だが、ここに葉子が、暴風雨あらしを伴奏にして、颯爽と、現実舞台へ、登場しようとしている。

       ×

 極東曲馬団は、町から町、盛り場から盛り場を、人々の眼を楽しませながら、流れ移っていた。

 そして、ある田舎町に敷地を借り、ようやく小屋掛けも終ったと殆んど同時に、朝から頸を傾かしげさせていた空模様が、一時に頽くずれて、大粒の雨が、無気味な風を含んで、ぽたりぽたり落ちて来たかと思うと、もう篠つくような豪雨に変っていた。

 団長等は、早々に、宿屋に引上げて仕舞ったが、子供の座員や、下っぱの座員などは、経費の関係で、いつも、この小屋に泊る事を言渡されていた。子供等の方では、これは当然だと思っていたし、又団長がいないという事で、却って喜んでいたようでもあった。

 しかし、この急拵えの小屋が、この沛然はいぜんと降る豪雨に、無事な筈はなく、雨漏りをさけて遁げ廻った末、やっと楽屋の隅で、ひと凝固かたまりになって、横になる事が出来たのは、もう大分夜が更けてからだった。

 黒吉は、眼をつぶって、ようやく小降りになって来たらしい、雨の音を聴いていると、もう肩を並べた隣りからは、幽かな寝息さえ聴えて来た。

 それと同時に、黒吉は、何かドキンとしたものを感じた。

(隣りに寝ているのは、葉ちゃんじゃないか――)

二ノ四

 瞬間、黒吉は自分の頭が、シーンと澄み透って行くのを感じた。

(果して、隣りで寝ているのは、葉ちゃんだろうか)

 それは勿論、第六感とでもいうのか、極く曖昧ものだった。が、あの騒ぎで、皆んな、ごたごたに寝て仕舞ったのだから全然あり得ない事でもないのだ。

 そう思うと、隣りと接した、肩の辺が、熱っぽく、暑苦しいようにさえ感じた。そして、心臓はその鼓動と伴に、胸の中、一杯に拡がって行った。

 黒吉は、思い切って、起上り、顔を覗き見たい衝動を感じた。あたりは真暗だが、よく気をつけて覗きこめば、顔の判別がつかぬ、という程でもないように思われた。

 彼は、そーっと、薄い蒲団の縁へりへ、手をかけた。だが――

(まてまて。葉ちゃんならば、こんなに素晴らしい事はない。けれども、こんなにぎっしり寝ている処で、ごそごそ起きたら、どうかすると、彼女は眼を覚ますかも知れない。

 それだけならいいが、眼を覚まして、俺が覗きこんでいた事を知ったら、きっと葉ちゃんは、真赤になって、この醜い俺を罵り、どこか遠くへ寝床をかえて仕舞うに違いないんだ。

 ――そんな莫迦な事をするより、例え短かくとも、夜が明けるまで、こうして葉ちゃんの、ふくよかな肩の感触を恣ほしいままにした方が、どれ程気が利いていることか……)

 黒吉の心の中の、内気な半面が、こう囁いた。

 彼は、蒲団にかけた手を、又静かに戻して仕舞うと、今度は、全身の注意を、細かに砕いて、彼女の方へぴったり、摺り寄って行った。そして、温もりに混った、彼女の穏やかな心臓の響きを、肩の辺に聴いていた……。

 フト、冷めたい風を感じて、何時の間にかつぶっていた眼を明けて見ると、あたりには極くうっすらと、光が射しているのに、気がついた。

(もう夜明けかな――いつの間に寝て仕舞ったんだろう)

 それと一緒に、思わずガクンと体の顫えるような、口惜くやしさに似た後悔を感じた。

(葉ちゃんは……)

 黒吉は、先ずそれが心懸りだったので、ぐっと頸を廻して隣りを確めようとした。

(おや……)

 彼の眼に這入ったのは、葉子より先きに、キンと澄み切った、尖った月の半分だった。

 急拵えの小屋天幕は、夕方の大暴風雨あらしに吹きまくられてぽっかり夜空に口を開け、恰度そこから、のり出すように月が覗き込み、地底のようにシンと澱んだ小屋の中に白々とした、絹糸のような、光を撒いているのだ。暴風雨あらしの後の月は物凄いまでに、冴え冴えとしていた。

(まだ夜中だ)

 黒吉は※ほ[#「口+息」、22-9]っと心配を排はき棄てた。

 彼の隣りには、葉子が、いかにも寝苦しそうに寝ていた。先刻さっきは、確かに葉子だ、とは断言出来なかったが、いまでは極く淡い光ではあったが、その中でも、段々眼の馴れるに従って、黒吉には、ハッキリ葉子の姿が、写って来た。

 黒吉は、意を決したように、半身を蒲団から抜出し、月の光を遮らないように――、音のしないように、そっと彼女の顔を覗きこんだ。

 眼の下には、月の光を受けて、いつもより蒼白く見える葉子の、幼い顔が、少しばかり口さえ開け、寝入っていた。もう少し月の光が強かったら、この房々としたオカッパの頭髪かみのけが黄金のように光るだろう――と思えた。

 又、襟足の洗いおとした白粉が、この幼い葉子の寝姿を少年の心にも、一入ひとしお可憐いじらしく見せていた。

 暫く、ぼんやりと、その夢のように霞んだ、葉子の顔を、見詰めていた黒吉は、ゴクンと固い唾を咽喉へ通すと、その薄く開かれた唇から、寝息でも聴こうとするのか、顔を次第次第に近附けて行った。

 何故か、彼の唇は、ガザガザに乾いていた。

 やがて、この弱々しい月光の下で、二つのさな頭の影が、一つになって仕舞うと、彼は、葉子の頬についている、小さい愛嬌黒子ぼくろが、自分の頬をも、凹へこますのを感じた。

二ノ五

 黒吉の、唇に感じた、葉子の唇の感触は、ぬくぬくとして弾力に富んだはんぺんのようだった。妙な連想だけれど、事実彼の経験では、これが一番よく似ていたのだ。

 唯、違った所――それは非常に違ったところがあるのだが――残念ながら、それをいい表わす言葉を知らなかった。

 彼は、そーっと腕の力を抜こうとした。途端に、肘の下の羽目板が、鈍い音を立てた。造作の悪い掛小屋なので、一寸した重みの加減でも、板が軋むのだ。シンとした周囲あたりと、針のように尖った、彼の神経に、それが幾層倍にも、拡大されて響き渡った。

 黒吉の心臓は、瞬間、ドキンと音がして止ったようだった。

「ク……」

 周章あわてて顔を上げた彼の眼の下で、葉子は、悪い夢でも見たのか、咽喉を鳴らすと、寝返りを打って、向うを向いて仕舞った。

(眼を覚ましたかな)

 黒吉は、思いきり息を深くしながら、葉子の墨のような、後向きの寝姿を、見守った。(いや、大丈夫だ)

 寝返りをした葉子は、幸い、眼を覚まさなかったと見えて、直ぐ又かすかな、寝息が、聴えて来た。

 彼は、ようやく※ほ[#「口+息」、24-4]っと、熱

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anond:20250708044816

 辺鄙な、村はずれの丘には、いつの間にか、華やかな幕を沢山吊るした急拵ごしらえの小屋掛が出来て、極東曲馬団の名がかけられ、狂燥なジンタと、ヒョロヒョロと空気を伝わるフリュートの音に、村人は、老おいも若きも、しばし、強烈な色彩と音楽スリル享楽し、又、いつの間にか曲馬団が他へ流れて行っても、しばらくは、フト白い流れ雲の中に、少年少女の縊くびれた肢体を思い出すのである

 トテモ華やかな、その空気の中にも、やっぱり、小さな「悩める虫」がいるのだ。

一ノ二

莫迦ッ、そんな事が出来ねエのか、間抜けめ!」

 親方は、野卑な言葉で、そう呶鳴どなると、手に持った革の鞭で、床をビシビシ撲りつけながら、黒吉くろきちを、グッと睨みつけるのだった。

 まだいたいけな少年の黒吉は、恐ろしさにオドオドして、

「済みません、済みません」

 そんな事を、呟くようにいうと、ぼろぼろに裂けた肉襦袢じゅばんの、肩の辺を擦さすりながら、氷のように冷めたい床の上に、又無器用な体つきで、ゴロンゴロンと幾度も「逆立ち」を遣り直していた。

 饑ひもじさと、恐ろしさと、苦痛と、寒気と、そして他の座員の嘲笑とが、もう毎度の事だったが、黒吉の身の周りに、犇々ひしひしと迫って、思わずホロホロと滾こぼした血のような涙が、荒削りの床に、黒い斑点を残して、音もなく滲しみ込んで行った。

 ――ここは、極東曲馬団の楽屋裏だった。

 逆立ちの下手な、無器用な黒吉は、ここの少年座員なのだ

 鴉からす黒吉。というのが彼の名前だった。しかしこれは舞台だけの芸名か、それとも本当の名前か、恐らくこれは字面じづらから見て、親方が、勝手につけた名前に違いないが、本名となると彼自身は勿論の事、親方だってハッキリ知っているかどうかは疑わしいものだった。

 黒吉自身記憶といっては、極めてぼんやりしたものだったけれど、いたましい事には、それは何時も、この曲馬団の片隅の、衣裳戸棚から始まっていた。

 それで、彼がもの心のついた時からは、――彼の記憶が始まった時からは、いつも周囲には、悲壮ジンタと、くしゃくしゃになったあくどい色の衣裳と、そして、それらを罩こめた安白粉おしろいの匂いや、汗のしみた肉襦袢の、ムッとした嗅気が、重なり合って、色彩っていた。

 こうした頽廃的な雰囲気の中に、いつも絶えない、座員間の軋轢あつれきと、華やかな底に澱む、ひがんだ蒼黒い空気とは、幼い黒吉の心から、跡形もなく「朗らかさ」を毟むしり取って仕舞った。そして、あとに残った陰欝な、日陰の虫のような少年の心に、世の中というものを、一風変った方向からのみ、見詰めさせていた。

 彼は用のない時には、何時も、太い丸太が荒縄で、蜘蛛の巣のように、縦横無尽に張りまわされている薄暗い楽屋の隅で、何かぼんやりえこんでいた。それは少年らしくもない憂欝な、女々しい姿だった。

 黒吉は明かに、他の同輩の少年から

「オイ、こっちへこいよ」

 と声をかけられるのを恐れているように見えた。

 しかし、それは、単に彼の危惧に過ぎなかった。

 他の少年座員達は、誰も、この憂欝な顔をした、芸の不器用な、そして親方におぼえのよくない黒吉と、進んで遊ぼうというものはなかった。(それは恐ろしい団長への、気兼ねもあったろうが)寧ろ彼等は、黒吉の方からしかけても、決して色よい返事は、しないように思われた。

 結局、黒吉はそれをいい事にして、独りぽつねんと、小屋の隅に忘れられた儘、たった一つ、彼に残されたオアシスである他愛もない「空想」に耽っていた。

一ノ三

 憂欝な少年黒吉が、何を考えているのか。

 ――その前に、彼が、なぜ親方のおぼえが悪いのだろうかという事をいわなければならない。

 (それは、彼の憂欝性にも、重大な影響のある事だから

 黒吉は、どう見ても、親方の「お気に入り」とは思えなかった。それは、勿論彼が、芸の未熟な不器用だった事も、確かにその原因の、一つだったけれど、他の大きな原因は、彼が醜い容貌だ、という先天的な不運に、禍わざわいされていたのだった。

 男の子容貌が、そんなにも、幼い心を虐しいたげるものだろうか――。

 如何にも、舞台の上で生活するものにとって、顔の美醜は非常に大きなハンデキャップなのだ。彼の同輩の愛くるしい少年が、舞台で、どうしたはずみか、ストンと尻もちをついたとしたら、観客は

「まあ、可哀そうに……あら、赤くなって、こっちを見てるわ、まるで正美さんみたいね

 そういって可愛い美少年は、失敗をした為に、却って、観客の人気を得るのだ。けれど、それに引きかえて、醜い顔だちを持った黒吉が、舞台でそれと同じような失敗をしても、観客は、何の遠慮もなく、このぎこちない少年の未熟さを嘲笑うのだった。

 この観客にさえ嗤わらわれる黒吉は、勿論親方にとって、どんなに間抜けな、穀潰ごくつぶしに見えたかは充分想像が、出来るのだった。従って、黒吉に対する、親方仕打ちがどんなものだったかも――

(俺は芸が下手なんだ)

(俺は醜い男なんだ)

 薄暗い小屋の片隅で、独りぽつんと、考えこんでいる黒吉は、楽しい空想どころか、彼の幼い心には、この二つの子供らしくもない懊悩が、いつも吹き荒すさんでいるのだった。

 そして、それは彼の心の底へ、少年らしい甘えた気持を、ひた押しに内攻して仕舞って、彼を尚一層、陰気にする外、何んの役にもたたなかった。冷たい冷たい胸の中に、熱いものは、ただ一つ涙だけだった。

 こうした雰囲気の中に、閉じこめられた鴉黒吉が、真直に伸びる筈はなかった。

 ――そして、蒼白い「歪んだ心」を持った少年が、ここに一人生成されて行った。

 世の中の少年少女達が、喜々として、小学校に通い始めた頃だろうか。勿論黒吉には、そんな恵まれ生活は、遠く想像の外だった。

 しかし、この頃から黒吉は、同輩の幼い座員の中でも、少年少女とを、異った眼で見るようになって来た。

「何」という、ハッキリした相違はないのだが、女の子莫迦にされた時には、不思議男の子に罵られたような、憤りは感じなかったのだった。寧ろ、

(いっそ、あの手で打ぶたれたら……)

 と思うと、何かゾクゾクとした、喜びに似た気持を感じるのだ。

 これが何んであるか、黒吉は、次第に、その姿を、ハッキリ見るようになって来た。

一ノ四

 安白粉の匂いと、汗ばんだ体臭と、そして、ぺらぺらなあくどい色の衣裳が、雑巾のように、投げ散らかされた、この頽廃的な曲馬団の楽屋で、侮蔑の中に育てられた、陰気な少年の「歪んだ心」には、もうませた女の子への、不思議な執着が、ジクジクと燃えて来たのだ。

 ――そして、それを尚一層、駆立てるような、出来事が起った。

 それは、やっと敷地小屋掛けも済んで、いよいよ明日から公開、という前の日だった。

 団長は、例の通り、小六ヶ敷こむずかしい顔をして、小屋掛けの監督をしていたが、それが終って仕舞うと、さも「大仕事をした」というような顔をして、他のお気に入り幹部達と一緒に、何処か、遊びに出て行った。

 団長の遊びに行くのを、見送って仕舞うと、他の年かさな座員や、楽隊ジンタの係りの者なども、ようやくのびのびとして、思い思いの雑談に高笑いを立てていたが、剽軽者ひょうきんものの仙次が、自分の役であるピエロ舞台着を調べながら

「オイ、親父おやじが行ったぜ、俺の方も行こうか」

 恰度それが、合図でもあったかのように、急に話声が高くなった。

「ウン、たまには一杯やらなくちゃ……」

「ちえッ、たまには、とはよくもいいやがった。明日があるんだ、大丈夫か」

「ナーニ、少しはやらなくちゃ続かねエよ、いやなら止せよ」

「いやじゃねエよ」

ハハハ、五月蠅うるせえなア」

 と、如何にも嬉しそうに、がやがや喋りながら、それでも大急ぎで支度をして、町の中に開放されて行った。

 そして、何時か、このガランとした小屋の中には、蒲団ふとん係りの源二郎爺さんと、子供の座員だけが、ぽつんつんと取り残されていた。子供の座員は、外出を禁じられていた。それは勿論「脱走」に備えたものだった。その見張りの役が、今は老耄おいぼれて仕舞ったが、昔はこの一座を背負って立った源二郎爺じじいなのだ

 結局、幼い彼等は、小屋の中で、てんでに遊ぶより仕方がなかった。

 男の子男同志で、舞台を駈廻り、女の子は女らしく、固かたまって縄飛びをしていた。――そして、黒吉は、相変らず小屋の隅に、ぽつんと独りだった。

 しかし、何時になく、黒吉の眼は、何か一心に見詰めているようだ。

(この憂欝な、オドオドした少年が、一生懸命に見ているものは、何んだろう)

 誰でも、彼の平生を知っているものが、この様子に気付いたならば、一寸ちょっとをかしげたに相違ない。そして、何気なくこの少年視線を追って見たならば、或はハッと眼を伏せたかも知れないのだ。

 黒吉の恰度眼の前では、少女の座員たちが、簡単アッパッパを着て、縄飛びをしていた――。しかし彼の見ているのは、それではなかった。この少女達が、急いきおいよく自分の背丈せい位もある縄を飛んで、トンと下りると、その瞬間、簡単アッパッパスカートは、風を受けて乱れ、そこから覗くのは、ふっくりとした白い腿だった――。

(十やそこらの少年が、こんなものを、息を殺して見詰めているのだろうか――)

 そう考えると、極めて不快な感じの前に何か、寒む寒むとした、恐ろしさを覚えるのだ。

 しかし、尚そればかりではなかった。

 この憂欝な少年の心を、根柢から、グスグスとゆり動かした、あの「ふっくりとした白い腿」がたえまなく、彼の頭の中に、大きく渦を捲いて、押流れていた。

 やがて、その心の渦が、ようやく鎮まって来ると、その渦の中から、浮び上って来たのは、この一座の花形少女貴志田葉子きしだようこ」の顔だった。

 だが、それと同時に、黒吉は、いきなり打ち前倒のめされたような、劇しい不快な気持を、感じた。

(ちえッ、俺がいくらちゃんと遊ぼうったって、駄目だい。俺は芸が、下手くそなんだ。それに、あんな綺麗な葉ちゃんが、俺みたいな汚い子と遊んでくれるもんか……)

 だが、この少年の心の底へ、しっかり焼付られた、葉ちゃんへの、不思議な執着は、そんな事ぐらいでは、びくともしなかった。寧ろ

(駄目だ)

 と思えば思う程、余計に、いきなり大声で呶鳴ってみたいような焦燥を、いやが上にも煽立あおりたてているのだ。

 ――この頃から、彼のそぶりは、少しずつ変って来たようだった。それはよく気をつけて見たならば、相変らず小屋の片隅に、独りぽっちでいる黒吉の眼が、妙な光を持って来たのに、気がついたろう。そして、その時は彼の視線の先きに必ず幼い花形の、葉子が、愛くるしい姿をして飛廻っていたのだ。

 葉子は、まだ黒吉と同じように、十とう位だったが、顔は綺麗だし、芸は上手いし、自由小鳥のように朗らかで、あの気六ヶ敷い団長にすら、この上もなく可愛がられていたから、この陰惨な曲馬団の中でも、彼女だけは、充分幸福なように見えた。

 そして、勿論、この陰気な、醜い黒吉が、自分一挙一動を、舐めるように、見詰めているとは気づかなかったろう。

 黒吉自身は、彼女が、自分の事など、気にもかけていない、という事が「痛しかゆし」の気持だった。無論彼女

「こっちへいらっしゃいよ」

 とでも、声を掛けられたら、どんなに嬉しい事だろう。――しかし、その半面

「だらしがないのねエ、あんたなんか、大嫌いよ」

 といわれはしまいか、と思うと、彼女に話かけるどころか葉子が、何気なくこっちを見てさえ、

(俺を嗤うんじゃないか

 こうした感じが、脈管の中を、火のように逆流するのだ。それで、つと眼を伏せて仕舞う彼だった。

 黒吉は、自分でさえ、このひねくれた気持を知りながら、尚葉子への愛慕と伴に、どうしても、脱ぎ去る事が、出来なかった。

       ×

 思い出したように、賑やかなジンタが、「敷島マーチ」を一通り済ますと、続いて「カチウシャ」を始めた。フリュートの音が、ひょろひょろと蒼穹あおぞらに消えると、その合間合間に、乾からびた木戸番の「呼び込み」が、座員の心をも、何かそわそわさせるように、響いて来た。

「さあ、葉ちゃんの出番だよ」

「あら、もうあたしなの、いそがしいわ」

「いそいで、いそいで」

 葉子は周章あわててお煎餅せんべい一口齧かじると、衣裳部屋を飛出して行った。

 恰度、通り合せた黒吉は、ちらりとそれを見ると、何を思ったのか、その喰たべかけの煎餅を、そっと、いかにも大事そうに持って行った。

二ノ二

 葉子が、喰いかけて、抛り出して行った煎餅を、そっと、拾って来た黒吉は、座員達が、こってりと白粉を塗った顔を上気させながら、忙しそうに話し合っている所を、知らん顔して通り抜けると小屋の片隅の、座蒲団が山のように積上げられてある陰へ来た。

 黒吉は、経験で、舞台が始まると、こんなところには、滅多に人が来ない事を知っていた。

 それでも、注意深く、あたりに人気のないのを見澄ますと、こそこそと体を跼かがめながら、いまにも崩れそうに積上げられた座蒲団の隙間へ、潜り込んで行った。

 その隙間は、如何にも窮屈だったが、妙にぬくぬくとした弾力があって、何かなつかしいもののようであった。黒吉はやっと※ほっ[#「口+息」、16-9]とした落着きを味わいながら、あの煎餅のかけらを持ち迭かえると、それがさも大切な宝石でもあるかのように、そーっと手の掌ひらに載せて見た。

(これが、葉ちゃんの喰いかけだな)

 そう思うと、つい頬のゆるむ、嬉しさを感じた。……大事大事にとって置きたいような、……ぎゅっと抱締めたいような――。

 黒吉は、充分幸福を味わって、もう一遍沁々と、薄い光の中で、それを見詰めた。こうしてよくよく見ると、気の所為いか、その一かけの煎餅は、幾らか湿っているように思えた。

気をつけて、触ってみると、確かに、喰いかけのところが一寸湿っていた。

(葉ちゃんの唾つばきかな)

 黒吉の、小さい心臓は、この思わぬ、めっけものにガクガクと顫えた。

 彼は、いくら少年とはいえ、無論こんな一っかけの煎餅を、喰べたいばかりに、拾って来たのではなかった。黒吉には「葉子の喰べかけ」というところに、この煎餅が、幾カラットもあるダイヤモンドにも見えたのだ。

 しかし、触って見ると、このかけらは湿っている……

(葉ちゃんの唾だな)

 その瞬間、黒吉の頭には、衣裳部屋で、葉子が忙しそうにこの煎餅を咥くわえていた光景と、それにつづいてクロオズアップされた、彼女の、あの可愛い紅唇くちとが、アリアリと浮んだ。

 それと一緒に、彼は、思わずゴクンと、固い唾を飲んだ。

 黒吉は、妖しく眼を光らせながら、あたりを偸ぬすみ見ると、やがて、意を決したように、その葉子の唾液つばきで湿ったに違いない煎餅のかけらを、そっと唇に近づけた……。

(鹹しょっぱい――な)

 これは、勿論塩煎餅の味だったろう。だが、黒吉の手は、何故かぶるぶると顫えた。

 彼の少年らしくもない、深い陰影かげを持った顔は、何時か熱っぽく上気し、激しく心臓から投出される、血潮は、顳※(「需+頁」、第3水準1-94-6)こめかみをひくひくと波打たせていた。

 そして、もう手の掌に、べとべとと溶けて仕舞った、煎餅のかけらから、尚も「葉子の匂い」を嗅ぎ出そうと、総てを忘れて、ペロペロと舐め続けていた……。

「こらっ。何をしてるんだ、黒公」

 ハッと気がつくと、蒲団の山の向うから、源二郎爺の、怒りを含んだ怪訝な顔が、覗いていた。

「出番じゃねエか。愚図愚図してると、又ひどいぞ」

「ウン」

 黒吉は、瞬間、親方の顔を思い出して、ピョコンと飛起きた。そして、ベタベタと粘る手の掌を肉襦袢にこすりこすり、周章あわてて楽屋の方へ駈けて行った。

二ノ三

 黒吉は、命ぜられた、色々の曲芸をしながらも、頭の中は、いつも葉子の事で一杯だった。

(一度でいいから葉ちゃんと、沁々話したい)

 これが、彼の歪められた心に発生わいて来た、たった一つの望みだった。

 彼がもっと朗らかな、普通の子供であったならば、いつも同じ小屋にいる葉子だもの、そんな事は、造作なく実現したに違いない。

 しかし、それにしては、黒吉は、余りに陰気な、ひねくれた少年だった。――というのも、彼の暗い周囲がそうさせたのだが――。

 そして、早熟ませた葉子への執着が、堰せき切れなくなった時に彼が見つけたのは、あの煎餅のかけらが産んだ、恐ろしい恍惚エクスタシーだった。

 一度こうした排はけ口を見つけた、彼の心が、その儘止まる筈はなかった――寧ろ、津浪のようにその排け口に向って殺到して行ったのだ。

 彼は、そっと、人のいないのを見すまして、衣裳部屋に潜り込み、葉子の小ちっちゃい肉襦袢に、醜悪な顔を、埋うずめていた事もあった。

 その白粉の匂いと、体臭のむんむんする臭いが、彼自身眩暈めまいをさえ伴った、陶酔感を与えるのだ。

 そして、ふと、その肉襦袢に、葉子のオカッパの髪が、二三本ついていたのを見つけると、その大発見に狂喜しながら、注意ぶかく抓つまみ上げて、白い紙につつむと、あり合せの鉛筆で、

「葉子チャンノカミノケ」

 そんな文句を、下手糞な字で、たどたどしく書きつけ、もう一度、上から擦さすって見てから、それを、肌身深く蔵しまいこんで仕舞った……。

 こうした彼の悪癖が、益々慕って行った事は、その後、葉子の持ち物が、ちょいちょい失なくなるようになった事でも、充分想像が出来た。

 失くなるといっても、勿論たいした品物を、曲馬団の少女が、持っている訳はなかったから、もうすり減った、真黒く脂肪あぶら足の跡が附いた、下駄の一方だとか、毛の抜けて仕舞った竹の歯楊子ようじだとか、そういった、極く下らないものだった。それで、

(盗られた)

 という気持を、葉子自身ですら感じなかったのは、彼にとっては、もっけの幸いだった。しかしこれらの「下らない紛失物」が、黒吉にとって、どんなに貴重なものだったかは、また容易に想像出来るのだ。

 ――ここまでは、黒吉少年の心に醗酵した、侘わびしい(しか執拗な)彼一人だけの、胸の中の恋だった。

 だが、ここに葉子が、暴風雨あらしを伴奏にして、颯爽と、現実舞台へ、登場しようとしている。

       ×

 極東曲馬団は、町から町、盛り場から盛り場を、人々の眼を楽しませながら、流れ移っていた。

 そして、ある田舎町に敷地を借り、ようやく小屋掛けも終ったと殆んど同時に、朝から頸を傾かしげさせていた空模様が、一時に頽くずれて、大粒の雨が、無気味な風を含んで、ぽたりぽたり落ちて来たかと思うと、もう篠つくような豪雨に変っていた。

 団長等は、早々に、宿屋に引上げて仕舞ったが、子供の座員や、下っぱの座員などは、経費の関係で、いつも、この小屋に泊る事を言渡されていた。子供等の方では、これは当然だと思っていたし、又団長がいないという事で、却って喜んでいたようでもあった。

 しかし、この急拵えの小屋が、この沛然はいぜんと降る豪雨に、無事な筈はなく、雨漏りをさけて遁げ廻った末、やっと楽屋の隅で、ひと凝固かたまりになって、横になる事が出来たのは、もう大分夜が更けてからだった。

 黒吉は、眼をつぶって、ようやく小降りになって来たらしい、雨の音を聴いていると、もう肩を並べた隣りからは、幽かな寝息さえ聴えて来た。

 それと同時に、黒吉は、何かドキンとしたものを感じた。

(隣りに寝ているのは、葉ちゃんじゃないか――)

二ノ四

 瞬間、黒吉は自分の頭が、シーンと澄み透って行くのを感じた。

(果して、隣りで寝ているのは、葉ちゃんだろうか)

 それは勿論、第六感とでもいうのか、極く曖昧ものだった。が、あの騒ぎで、皆んな、ごたごたに寝て仕舞ったのだから全然あり得ない事でもないのだ。

 そう思うと、隣りと接した、肩の辺が、熱っぽく、暑苦しいようにさえ感じた。そして、心臓はその鼓動と伴に、胸の中、一杯に拡がって行った。

 黒吉は、思い切って、起上り、顔を覗き見たい衝動を感じた。あたりは真暗だが、よく気をつけて覗きこめば、顔の判別がつかぬ、という程でもないように思われた。

 彼は、そーっと、薄い蒲団の縁へりへ、手をかけた。だが――

(まてまて。葉ちゃんならば、こんなに素晴らしい事はない。けれども、こんなにぎっしり寝ている処で、ごそごそ起きたら、どうかすると、彼女は眼を覚ますかも知れない。

 それだけならいいが、眼を覚まして、俺が覗きこんでいた事を知ったら、きっと葉ちゃんは、真赤になって、この醜い俺を罵り、どこか遠くへ寝床をかえて仕舞うに違いないんだ。

 ――そんな莫迦な事をするより、例え短かくとも、夜が明けるまで、こうして葉ちゃんの、ふくよかな肩の感触を恣ほしいままにした方が、どれ程気が利いていることか……)

 黒吉の心の中の、内気な半面が、こう囁いた。

 彼は、蒲団にかけた手を、又静かに戻して仕舞うと、今度は、全身の注意を、細かに砕いて、彼女の方へぴったり、摺り寄って行った。そして、温もりに混った、彼女の穏やかな心臓の響きを、肩の辺に聴いていた……。

 フト、冷めたい風を感じて、何時の間にかつぶっていた眼を明けて見ると、あたりには極くうっすらと、光が射しているのに、気がついた。

(もう夜明けかな――いつの間に寝て仕舞ったんだろう)

 それと一緒に、思わずガクンと体の顫えるような、口惜くやしさに似た後悔を感じた。

(葉ちゃんは……)

 黒吉は、先ずそれが心懸りだったので、ぐっと頸を廻して隣りを確めようとした。

(おや……)

 彼の眼に這入ったのは、葉子より先きに、キンと澄み切った、尖った月の半分だった。

 急拵えの小屋天幕は、夕方の大暴風雨あらしに吹きまくられてぽっかり夜空に口を開け、恰度そこから、のり出すように月が覗き込み、地底のようにシンと澱んだ小屋の中に白々とした、絹糸のような、光を撒いているのだ。暴風雨あらしの後の月は物凄いまでに、冴え冴えとしていた。

(まだ夜中だ)

 黒吉は※ほ[#「口+息」、22-9]っと心配を排はき棄てた。

 彼の隣りには、葉子が、いかにも寝苦しそうに寝ていた。先刻さっきは、確かに葉子だ、とは断言出来なかったが、いまでは極く淡い光ではあったが、その中でも、段々眼の馴れるに従って、黒吉には、ハッキリ葉子の姿が、写って来た。

 黒吉は、意を決したように、半身を蒲団から抜出し、月の光を遮らないように――、音のしないように、そっと彼女の顔を覗きこんだ。

 眼の下には、月の光を受けて、いつもより蒼白く見える葉子の、幼い顔が、少しばかり口さえ開け、寝入っていた。もう少し月の光が強かったら、この房々としたオカッパの頭髪かみのけが黄金のように光るだろう――と思えた。

 又、襟足の洗いおとした白粉が、この幼い葉子の寝姿を少年の心にも、一入ひとしお可憐いじらしく見せていた。

 暫く、ぼんやりと、その夢のように霞んだ、葉子の顔を、見詰めていた黒吉は、ゴクンと固い唾を咽喉へ通すと、その薄く開かれた唇から、寝息でも聴こうとするのか、顔を次第次第に近附けて行った。

 何故か、彼の唇は、ガザガザに乾いていた。

 やがて、この弱々しい月光の下で、二つのさな頭の影が、一つになって仕舞うと、彼は、葉子の頬についている、小さい愛嬌黒子ぼくろが、自分の頬をも、凹へこますのを感じた。

二ノ五

 黒吉の、唇に感じた、葉子の唇の感触は、ぬくぬくとして弾力に富んだはんぺんのようだった。妙な連想だけれど、事実彼の経験では、これが一番よく似ていたのだ。

 唯、違った所――それは非常に違ったところがあるのだが――残念ながら、それをいい表わす言葉を知らなかった。

 彼は、そーっと腕の力を抜こうとした。途端に、肘の下の羽目板が、鈍い音を立てた。造作の悪い掛小屋なので、一寸した重みの加減でも、板が軋むのだ。シンとした周囲あたりと、針のように尖った、彼の神経に、それが幾層倍にも、拡大されて響き渡った。

 黒吉の心臓は、瞬間、ドキンと音がして止ったようだった。

「ク……」

 周章あわてて顔を上げた彼の眼の下で、葉子は、悪い夢でも見たのか、咽喉を鳴らすと、寝返りを打って、向うを向いて仕舞った。

(眼を覚ましたかな)

 黒吉は、思いきり息を深くしながら、葉子の墨のような、後向きの寝姿を、見守った。(いや、大丈夫だ)

 寝返りをした葉子は、幸い、眼を覚まさなかったと見えて、直ぐ又かすかな、寝息が、聴えて来た。

 彼は、ようやく※ほ[#「口+息」、24-4]っと、熱

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