
はてなキーワード:四肢とは
まだ幼稚園くらいの少年が、男性器に強い違和感を覚えて、風呂場で爪切りで切り取ろうとしたのを親が発見したみたいな話だった。すごく衝撃を受けた。子のそんな姿を目撃してしまったら、親はそれが気の迷いや趣好ではないと認めざるを得ないと思う。
この先天的に備わっている器官に違和感を持つ症状、どうやら性器や乳房だけに限定されないらしい。
日本の症例は寡聞にして知らないが、海外では四肢や感覚器官の存在に強い違和感を覚え、自ら切断する患者の報告もある。
今はやっと性別違和が「性同一性障害」という障害や病気ではなく正常な心の在り方の一つとして認められて、本人の希望で手術を受けられるようになった段階。
性別違和ですらこれだけ揉めているので、まだ時間はかかると思うけど、身体完全同一性障害もいつか障害扱いされなくなり、誰もが希望する身体の状態で生きられる時代が来ると良いな。
よほど「先行者www」とか馬鹿にされたり、安い労働力扱いされてた過去20年のうっぷんが貯まってたんだろな・・・
2000年頃か、ASIMOで感動していた時代は日本が最先端で、日本製の人型ロボットやAIが世界でリードして行くんだと思っていたが、衰退して精神論と恨み節、根拠のない「日本スゴイ」を言うだけになってしまった。未来を描くより90年代の思い出に溺れたまま、派遣、低賃金労働者というメイドインジャパンのバイオロボットを使うのがコスパいいものな。最近ではそれもコスパが悪いのか、移民、技能実習生というバイオロボットを輸入するようになった。
5年後はまた全然違うんだろうな
楽しみですね
もう中国はソフトウエアでは完全に日本を追い抜いたけど、ハードウエアでも先を行っている。短期間で、ここまで発展した国は、歴史的に見ても他に例がない。
ホンダのアシモが1000年前の玩具に見える程の完成された二足歩行に驚いた。10年ほど前は、笑っていたのに・・。進化のスピードが異次元。やはり米国のライバルは中国だなと感じた。
中国は凄いですね。
日本人が色眼鏡で見ているうちに、家電は既に追い抜かれ、工業製品も進化が著しいです。そして殆どの一次製品がキャッチアップされてしましました。
この分だと自動車もエンタメも追い抜かれるのは時間の問題かも知れませんね。
このままだと残念ながら日本は、一次メーカーに提供する素材とか、設備などの一部の隙間的な産業のみの経済規模となると考えられます。
で、ここらへんのマトモな技術的指摘は後ろのほうに追いやられてる。人海戦術でBADクリックして隠ぺいしてそう
これはヒューマノイドではないですね。連続した動きをする場合、人間は予備動作というのが出てしまうんです。文字通り機械ではないので歩時、右足にはそれがハッキリ現れます。左脚は義足でありアクチュエータに似せたデコレーションの機構も貧弱で、脊髄システムなるもののCG動画も観ましたが笑ってしまいましたね。おそらく、四肢のいずれかが欠損したモデルにカーボンファイバー様の硬質ボディスーツを着させ、呼吸しているのが分かり難くしているのでしょう。
あからさまに人がスーツを着てるのが丸わかりだな。人とロボットでは間接の構造と動力が違うから人工骨格と人工筋肉でないと人間と全く同じ動作は不可能。
欠損した四肢の代わりとなるアクチュエーターを内蔵義足なら納得できる。
さらに服を着せるメリットが無い。可動する関節部に伸縮する布カバーを被せたら動作の邪魔になる。メンテナンスや調整の邪魔になる。
YouTubeで "robot fail compilation" などと検索すると大量に中国のロボット動画が出てきて技術の現状が分かる。
「いきなりそうはならんやろ」ってことで中身は人間ですね。このメーカーのツイッター見てもAIフェイクっぽい画像だらけでした。
この記事で一番驚いたのはマトモな思考を放棄して記事を鵜呑みにするコメントが多数であるということ。
ボディスーツ無しのマシンのみでの歩行公開と利害関係が無い第三者の確認作業さえしてくれればいいだけなのに、それを省いた『中身を見せました』の『自社広告』を正しく評価はできませんね。
本当に画期的な分野だったら国家ぐるみで推進しているので政府も『保証』するために出張ってくるのに、これは企業アナウンスのみ。
日本人の感覚だと「フェイクで自慢してもむなしいやろ」となるのだが、そこは外国、「面子」という独特の概念があるのだろうな
ChatGPTによる調査をしてみた
・昭和36年と昭和37年の北海道で集落に降りてきた羆による獣害対策に自衛隊が派遣された記録あり
・熊の縄張り主張の生態が的確
・森に餌が少なくなると人里に動物が降りてる生態が的確
・狩猟者が手首足首を重点的に守るのは草木で四肢が擦れるためで描写が的確
・マキリはアイヌの基本装備
・フクロウはアイヌ神話のコタンコロカムイと呼ばれ集落を守護する神
・アイヌの槍の長さは150cmほどで日本の伝統的な槍よりも短い
・昭和30年代に祖父が婚姻したと考えるならばその10〜20年前は終戦時期で学徒動員などから民兵訓練を受けていた可能性が非常に高く、日本陸軍の銃剣術は下段もしくは中段構えが基本
「爺ちゃんの傍さ離れんなよ」
孫は聞いているんだか聞いていないのだか「うん!」と答えるが、その辺で拾った良い感じの木の枝を振り回し遊ぶ。木々が生い茂って独特の静寂さを持つ山中を老人とその孫、そして愛犬の五郎は進んでいった。
後年、知ることになるが本州の山林とは違い、ここ北海道の山は本州のそれとは違って非常に視界が悪い。本州の山林のほとんどは林業を営む方々が手入れをし真っ直ぐに樹木は伸びるが、北海道ではその圧倒的な森林面積により人の手が入っていない部分が数多く残り、文字通りの原生林として山の威容を示し、伸び放題となった木々は山中を行くあらゆる生命の視界を遮る。
老人とその孫の身なりは帽子、長袖長ズボン、長靴、本革製の手袋と手足首を覆う手甲と足甲は老人の妻、即ち孫から見れば祖母の手製だ。ハイキングならばまだしも老人と孫の装備は見るものが見ればひと目で生業を特定できる。猟師だ。可能な限り肌の露出を抑え、特に四肢を重点的に防護する見た目は娯楽ではない事を表す。
老人の右手には大鉈、左手には老人の背丈と同じ程度の狩猟槍、肩に猟銃を下げていた。孫は武器らしい武器はほぼ無いが猟に出る際にだけ持たされるマキリと呼ばれる小刀は腰に差されていた。マキリの持ち手には滑り止めを兼ねたフクロウを模した見事な装飾が施されており、この持ち手の作者は孫の目の前を行く祖父である。
この日は週のうちに何度も繰り返す山道の整備と捕獲罠の点検だ。祖父は大鉈で不要な草木を打ち払いながら進み、樹木の肌やその根本を観察する。昨今の報道でも知られるようにクマは樹木へ爪で傷を付け自身の縄張りを主張する。そして熊だけでなく多くの野生動物は排泄をする際に隠れるため木々の近くでする事が多い。
「爺ちゃんコレ!」と孫が樹木を指差す。孫はマーキングを見付けたと祖父へ伝えた。「おぉそうだよく見付けたべなぁ。クマが出っかも知れねぇから気ぃ付けろぉ」と孫を促す。当然ながら孫よりも先に祖父はマーキングに気が付いている。しかし孫の"発見"を褒めてくれるのだ。一応の確認として猟犬としてよく訓練された五郎へ目を配り何も反応がない事を知ると前へ進んだ。
いくつかの罠を巡ると、くくり罠に雄のエゾシカが捉えられているのを見付けた。祖父はそっと猟銃と大鉈を地面へ置き、槍を構えてエゾシカへ近付いた。そこそこの歳を重ねているであろうエゾシカはその場へ伏せていたが祖父を視界に収めると立ち上がるものの一切の抵抗を見せない。エゾシカはまさに威風堂々と言った立ち振舞いをし祖父を見つめている。祖父が音もなく踏み込み、首元から深く入るたったの一突きでエゾシカは倒れた。
馬ほどの体格を持つとは言え、素人目からするとたかが草食動物を容易に倒したように見えるが首元から様々な骨を避けて心臓まで一閃する達人の技だ。
実は昭和30年代に北海道で冷夏が相次いで森が飢饉状態となりエゾシカやヒグマ、キタキツネなど野生動物が人里へ大量に押し寄せる状態となったことがあった。その際に多くの民衆がヒグマに襲われるという事故が頻発し、若き日の老人は槍一本のみで日夜ヒグマを狩り続け、多いときには月に20頭以上、日に3頭ものヒグマを狩った。この若者は周囲の村落で大いに語られる槍の名手として名を馳せた。
その男気を聞きつけて槍を習おうとする男衆に混じり見物に来ていた女性は槍の名手の男に惚れ込んでそのまま押し入り女房となったという。それが孫の祖母である。
「奥義は下段」
孫は槍の名手たる祖父から毎日のように槍を習った。槍を習うとは言っても「まだ早い」と言われ穂の無い槍、すなわち単なる長い棒であり来る日も来る日も孫は祖父お手製の"槍"を振った。
祖父は口癖のように「奥義は下段」と言った。漫画の中で見るような敵を大きく吹き飛ばしたり環境大破壊を伴う派手な技でない。単に獣へ対して半身を取って穂先を地面すれすれに落とす構えこそが祖父の槍、アイヌの槍の奥義なのだという。
「槍を振った」と前述したが、実のところ槍を振り回すことはお説教を招く動きだった。「振るなァ!突かんかァ!」という祖父の怒号は今でも頭の中で鮮明に響き渡るほど毎度毎度同じ説教を貰った。
「突き引きが遅い!」「力任せに振るな!」「穂先を目線より上げんな!」「下段から何を出来るか考えれェ!」と覚えの悪い孫は何度も何度も同じ説教を受け続けたがコレがまたなかなか上手く出来ないものだった。祖父が用意してくれた的へ次々と素早く当てようとするとどうしても槍を振ってしまうのだ。
後年、孫は祖父の教えの真髄を1つずつ理解するようになってきた。
特徴と言えば祖父の槍、つまりアイヌの槍は内地(本州)の槍よりも短い。前述したが長さは使用者の背丈前後程度。これには理由があり樹木が生い茂る環境で内地の槍は振るうこと叶わず、まさに無用の長物となるのであった。内地の槍の長さは人間同士が平地で争うための長さだ。
これが理解できれば"樹木が生い茂る環境で槍は振るうこと叶わず"であり、槍は基本として突かなければならないというのも理解できるようになる。槍を振れば周囲の樹木へ当たる。しかも槍を使っているということは獣とまさに相対している時である。森林で槍を振るということは自らの死を招く愚行なのだ。
「下段を奥義」とするのも獣と相対した際の死活問題から来ていると今では推測している。半身で構える下段は体当たりしてくる四足の獣の動きへ穂先の反応が遅れたとしても槍の柄が使用者と獣の間に残り、槍の柄で防御へ転じられる。これが上段や中段の構えであれば穂先の反応が遅れた瞬間に獣の一撃を直接身体へ貰うことになるだろう。下段から何が出来るか?攻撃と防御が同時に出来るのである。
孫は何度か祖父が槍のみでヒグマを打倒するところを見たことがある。法令上、猟銃が使用できる範囲は限られ、猟銃使用許可のある場所であっても射撃方向に民家があると使用できなかったりするためだ。
「遠くへ行ってろ」と言われ祖父から離れるが、ギリギリ祖父を視認できる距離で見ていた。猟犬五郎は祖父の指示を受けるまでもなく孫が祖父から離れると護衛のように孫へついて行く。
奥義の下段を忠実に構える祖父の気迫は幼い孫が遠目で見ても物凄く伝わってくる。じりじりとヒグマとの距離を詰め、痺れを切らしたヒグマが祖父へ体当たりを敢行する。祖父の動きは音がしない破裂音である。パンッと鳴ったと錯覚するような鋭く素早い動きでヒグマの体当たりを回避したかと思えば、ヒグマは自ら後ずさりする。祖父の槍の穂先がヒグマの血で赤く染まっていた。
ヒグマの口から鼻先が切り裂かれているようだ。瞬く間に祖父はヒグマから後の先で呼吸を奪った。命のやり取りという極限のストレスの中で呼吸が難しくなるというのは息をする者にとってはかなりの重荷を背負ったことになる。時間が経てば経つほどにその巨体が自らに重くのしかかり、逃げることすら困難にさせる。
体当たりは分が悪いと悟ったヒグマは祖父へ怒涛の勢いで距離を詰め、右前腕での引っ掻きを狙うが右前腕の起こりに合わせ祖父は瞬時に熊の手を下段から貫いた。ヒグマはあまりの激痛からか唸りとも呻きとも取れる声をあげて四足を地へ付く姿勢に戻ろうとするが右前腕は軽く浮かせたままである。
三足となったヒグマは再び必死の体当たりを敢行するが祖父は素早く真横へ体当たりを回避し、三足となり横方向の動きが制限されたヒグマは祖父の動きを視線でしか追えず首へ必死の槍を受けた。祖父は力なく地へ沈むヒグマの様子を見ると距離を取り2分3分と下段の構えを解かずヒグマの様子を伺い続けた。
短いようで長い時間が経つと下段の構えを解き、祖父が手を振って終わりだと合図したことを察した孫は祖父へ駆ける。仕留めたヒグマは体調2mを優に超える大物だ。「すごいすごい!」と興奮する孫をよそに祖父はニヤリと意地悪く笑って孫へ「血抜きすんぞ」と告げた。
ヒグマはメートル100キロ、2m超のヒグマは200kg以上である。これを老人と幼き孫が気合いで持ち上げ木へ吊るして血抜きするのである。祖父との狩猟で最も楽しくないのが大物の血抜きという重労働であり「忘れてた!」と声を出さずともわかる表情を孫は浮かべた。
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父が「来月から毎日山を見て回るぞ」と言うので幼き日の思い出を書きました。
私が1人でヒグマを獲ったのは二十歳を越えた頃、何かあったときのために祖父が後ろで見守りながらだったという、祖父とは違って槍下手なのですが私程度であっても昨今の情勢で何か社会のお役に立てれば幸いかなと。
では、行ってきます。
Permalink |記事への反応(12) | 08:02
お母さんが幼稚園のころそういう人見て気持ち悪かった思い出があると聞いて気になった。
差別するなと言ってもそういう教えを授かる前の時点で気持ち悪いと思ってしまうのならそんなものはただ感情を押し殺しているにすぎないのだから、根本的に差別のない世の中というのは実現できないと思う。
押し殺さなきゃそう思ってしまうという時点で差別は残っているとみなせる。理性以前に気持ち悪いと感じるような脳を持っている人がいるかぎり差別はなくせない。
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ああ、その申請ですね。はい。確認いたします。……………少々お待ちを。
…ピッ。…ガガッ。
貴殿の提出した様式第4号「憤怒」に基づき、本日付で貴殿を『第7種解体執行官(自転車)』として暫定認可いたします。おめでとう。貴殿の憤怒は、社会インフラの円滑な運用を担保する上で極めて妥当かつ有益なエネルギーであると認定されました。
つきましては、路上駐車車両の能動的解体及び資源化に関する特別措置法、通称「路駐バラバラ法」第11条項に基づき、以下の手順にて解体執行を許可します。これは権利であり、同時に義務です。
貴殿の自転車の前輪ハブ軸に、指定の小型発電機を接続してください。貴殿の走行(=憤怒の運動エネルギー変換)により、後の工程で必要となる電力がチャージされます。最低2.5kmの助走が推奨されます。
対象車両(以下、「鉄クズ」と呼称)の運転席側ドアに、自転車のハンドルバーの端を、強く、しかし冷静に接触させます。これは「ノック」です。車体言語が理解できない愚かな運転手への、最後の慈悲です。応答がない場合、次のフェーズに移行します。
貸与される専用ツール「スティンガー」を使用し、鉄クズのタイヤ4本すべての空気を抜きます。これは瀉血に相当する神聖な儀式です。空気が抜ける「プシュー」という音は、鉄クズの断末魔の第一声です。しっかりとその音を鼓膜に焼き付けなさい。
ドアというドアを、その蝶番という脆弱な関節から引き千切り、指定された回収袋に詰めます。この際、ドアミラーは必ず踏みつけて粉砕すること。ミラーの破片は、運転手の自己認識を破壊するメタファーとして機能します。
ヘッドライト、テールランプ、フォグランプをすべて、精密ドライバーを用いてほじくり出します。これは鉄クズから「視力」を奪う行為です。取り出した電球は、記念品として持ち帰ることが推奨されます。
ボンネットをこじ開け、内部のエンジンブロック、バッテリー、ラジエーター等を観察します。この際、専用アプリ「Tears」を起動したスマートフォンをかざし、鉄クズの魂魄の残滓をスキャンしてください。運転手の涙腺から分泌される塩分濃度と、オイル漏れの粘度との間に、何らかの相関関係が見いだせるかもしれません。見いだせないかもしれません。どうでもいいことです。
エンジンブロックに、準備段階でチャージした電力(通称:憤怒チャージ)を全量放出します。感電によりエンジンは完全に沈黙します。おめでとうございます。貴殿は一つの命(のようなもの)を合法的に停止させました。
残った車体を、プレス機(巡回ドローンが即時配送)に投入し、美しい立方体に圧縮します。この際、鉄クズのクラクション(警笛)からは、ベートーヴェンの交響曲第9番「歓喜の歌」が自動的に大音量で流れます。周辺住民への告知は不要です。彼らもまた、共犯者なのですから。
kindleで無料だったから将太の寿司の全国大会編読んでたんだけど、ヴィランとして設定されている笹寿司の職人が大会でライバルだからという理由で伝説の寿司職人大年寺三郎太を線路に突き落として電車に撥ねさせるシーンが唐突に出てきてマジでドン引きしてしまった。
オーナーに逆らったら店をクビになるかもしれないみたいな感じだったけど、普通に殺人未遂だぞ。店をクビと殺人はリスクリターン合わないだろ。大年寺三郎太がたぶんインヒューマンだったから軽症で済んで、翌日の試合に出られたからよかったものの、走ってる電車に突っ込まれたら普通は四肢爆散だぞ。
他にもアサクサノリの養殖場を丸々買いきって主人公の妨害をする→養殖場にガソリンを流す→火をつける→爆発炎上→これでお前らは絶対にアサクサノリを手に入れることができなくなったなヒャーッハッハッハッハみたいな、今すぐ警察とSWATを呼んでこいつを射殺しろ!みたいな展開まである。
寺沢大介作品ってこれは流石にやりすぎにしても「イセエビを無料で振舞うことでライバル店の客を横取りしてライバル店を潰そうとする」みたいな、もう復讐心で冷静な経営判断できなくなってるやんみたいなことも平気でするし、店内で職人と客が殴る蹴るの乱闘したり、料理を邪魔されそうになるとすぐ相手を殴るし、ライバル店の悪口を公道で大っぴらに触れ回るし、ゴミ箱の中身を頭からぶっかけたり、材料を悪質なものにすり替えたり、冷蔵庫の電源を勝手に切っちゃったり、料理人を反社、マフィアかなんかだと思ってるんじゃないかという描写が散見される。
主人公も料理人だから正義の料理人と悪の料理人で打ち消し合ってイーブンになるという手法なのかもしれないけど、料理人はこんだけ悪辣なことを平気でやるという描写は打ち消し合えるものじゃないと思うんだが。
「くうくうぼんく」とは、世にシロクマと称されしもののなかに、「くうくう」と名乗らるる、ひときは異才を放つ一体が、殊更に用ゐるところの、頭をもって他を穿ち、打ち伏せんと欲す、まことに尋常ならざる攻撃の術なり。
そもそもこの技をば繰り出す折、まず、その大いなる四肢をもって地を力強く蹴りたまひ、尋常ならぬ勢ひを身に籠め、まさに風の如く宙へと舞ひ上がるなり。その様、あたかも天を翔る鷹のごとく、地を離れし白き巨影は、敵の方角まさに目がけて、一直線に、かつ止むことなき勢いをもって進みゆく。
されどこの進撃、ただの跳躍にあらず。進むその終ひの場面において、己が顔の下部、特に鼻の辺りを中心軸と見なし、その面を以て全身の慣性を一点に集め、圧倒的なる力と共に対象に向かひて激突するものなり。
このとき、音なき雷鳴の如くして衝撃走り、相手はたちまちにして、その身の自由を奪はれ、ただ痛打とともに地に伏すばかり。さればこの技、「くうくうぼんく」と呼ばれし所以、かくの如し。
ネットでたまに見る「俺って異常性癖だからさ〜」とかのイキリではなく、日常生活に支障を来たしてるから病院に通っているレベルのガチなやつ。パラフィリア障害の診断が降りてる
俺の場合はアクロトモフィリアって言って、四肢の欠損がある障害者に興奮するやつ。四肢自体は存在するけど機能障害で動かないとかは対象じゃない。
これ書いた目的はパラフィリア障害自体は多いけど、俺のケースはレアめだからせっかくだし語らせてもらうか〜って思ったから
その特定の条件に当てはまった時に性的に興奮するだけで、条件を満たす人物に対して恋愛感情が必ず芽生えるわけではない。
俺の場合は四肢欠損があるなら相手が男でも動物でも興奮するし抜けるが、セックスはしたくない。本当に。
恋愛対象は女性。ただ、好きになった女性が健常者だと勃たない。興奮したい相手には興奮しなくて、理性では興奮したくないと思っている対象には興奮してしまう。だからパラフィリア”障害”と呼ばれる
お前らがエロ広告見たらところ構わず絶対勃つわけじゃないように、俺も気分や状態によって興奮する時としない時はある。冒頭でも例にしたが、俺からしたらミロのヴィーナスがそこらのエロ画像よりもエロいけど、そういう気分じゃない時に偶然写真とかオブジェとか見かけても何ともならない。
これを説明したのは、パラフィリア障害者が性的興奮の対象を目にしたら場所を選ばず興奮してシコり出すような理性のない奴だと思われたくはないからだ
ただ、理性がなくなる奴もいる。
俺の症状は比較的レアケースだが、パラフィリア障害の多くは所謂ロリコンとか露出とか覗き趣味とかその辺だ。その中でタガが外れたアホが子供に声をかけたり露出魔になったりする。
正直なところ、犯罪者予備軍とか言われても否定し切れない。ただ、他者に危害を加えたくない、犯罪者になりたくない、だからどうか正常な人間にしてくれと縋るような思いで病院に通ってる人が大半だ。犯罪者に対して障害だから仕方ないとか許せとかは全く思わないが、何も悪いことをしていない治療中の患者は許してやってほしい。
「好感を抱く女性がいたとして、彼女の四肢を切り取って自身の好みの姿にしたいと思うか?」と過去に聞かれたことがあったが、これに関して答えは「絶対にしたくない」一択だ。
俺に猟奇趣味はないし、血もグロも好きじゃない。そして何よりその彼女が可哀想だと思う。
興奮してしまうのは「四肢の欠損」という結果であり、その過程であったであろう苦難の人生や事故、病気などには普通に心が痛む。
Permalink |記事への反応(17) | 05:12