
はてなキーワード:囚人とは
JA共済は自転車への卑劣なティブキャンペーンの為に嘘を垂れ流していた時もありましたね。
「知ってるかな。自転車事故の2/3は、自転車側の違反なんです。」
だそうな。
これ、どう見たって、自転車事故の3分の2は、自転車に非があるように受け取れますよね。
知ってましたか? 私は知らんかった。たぶん知る人はほぼゼロだと思う。
とはいえ「自転車事故の3分の2は自転車に非がある」というのは統計上それは事実だ。
警察庁の言葉では「自転車乗用中の死傷者の3分の2に何らかの法例違反」。
ただ、それは「自転車側だけが悪い」ということを指しているわけじゃない。
あらゆる自転車事故は「あちらが悪い、こちらが悪い」と軽々に決めつけられるものではなく、双方に法例違反があり、双方に過失がある場合の方が多いわけだ。
つまり2/3の事故自転車に法例違反があるのと同時に、自動車側にも(歩行者側にも)法例違反がある場合が多々あるというわけ。
中でも、今回の警察庁資料にあげられた「自転車側の違反」については、過半数が「安全運転義務違反」つまり、ハンドル操作不適、安全不確認、前方不注意、動静不注視などを指していて、そういう事故の場合、ほとんど、それ以上の過失が自動車側に認められている。
では、そうした状況の中、自転車が「一番悪い」と認定されたのは、どのくらいの割合なのだろうか。
つまり「自転車が第一当事者」の事故のことなんだけど、警察庁の資料によると、これが15.4%(「交通統計平成23年版」(警察庁交通局)平成24年7月発行)。
6分の1弱だ。
は、完全無欠の虚偽なのである。
JA共済による、自転車利用者への不当で卑劣な、誤解を招く虚偽とも言えるネガティブキャンペーンなのである。
JA共済はその後の公式釈明記事でも「実は自動車のほうがより悪質だと認定された事故のほうが遥かに多かったです」という事実を伏せるという不誠実な態度をつらぬいている。
これが現実であり、オランダやデンマーク、ノルウェー等では自動車を減らして自転車を増やす政策で重大事故も公害も渋滞も激減に成功し、地域の良好化と活性化にも成功している。
【はじめに】
法的には、彼は解散権という核ボタンを持ち、人事権という生殺与奪の剣を握る「全能の王」に見える。
しかし、構造的に見れば、彼は巨大な官僚機構、党内力学、そして対米従属という三重の鉄壁に囲まれた「独房の囚人」に過ぎない。
本シリーズの最終章となる本稿では、この「システム(構造)」と「アクター(個人)」の間に横たわる、残酷な力学を解剖する。
なぜ、改革を叫ぶ者は短命に終わり、何もしない者が長期政権を築くのか?
ここにあるのは、個人の資質の問題ではない。システムが許容する「自由意志」の総量が、最初から決まっているという物理法則である。
「操縦桿」は繋がっているか?
日本政治という巨大な飛行機(リヴァイアサン)において、コックピットに座る首相が握る操縦桿は、実は主翼(政策実行機能)と繋がっていないことが多い。
この操縦桿は、フライ・バイ・ワイヤ(電気信号)で制御されているが、その信号を処理するコンピューター(官僚・米国・派閥)が、入力された命令を「解釈」し、勝手に書き換えるからだ。
日本の首相官邸というコックピットにおいて、パイロットが選択できる行動パターンは数学的に以下の三つしかない。
衝突:システムと正面衝突し、破砕する。
それぞれの運命を、具体的な検体(歴代首相)を通じて検証する。
岸田文雄(2021-2024)は、無能だったから短命だったのではない。逆に、このシステムにおける「理想的な統治者」としての適性が高すぎたために、存在自体が空気(環境変数)と同化した稀有な例である。
官僚機構、派閥の長老、連合、そして米国。あらゆるステークホルダーからの入力信号(Input)を、一切のフィルタ(個人の自我)を通さずに、そのまま政策として出力(Output)する機能のことだ。
財務省が増税を囁けば「増税」と出力し、世論が反発すれば即座に「減税」と出力する。ここには「変節」という概念さえ存在しない。ただ「入力が変わったから出力が変わった」という、機械的な反応があるだけだ。
官僚にとって、これほど扱いやすいUI(ユーザーインターフェース)はない。
彼が多用した「検討を加速させる」という再帰的なループ言語は、決定責任を回避しつつ時間を稼ぐ、このシステムが産んだ最高の防御呪文であった。
彼は「何も成し遂げなかった」のではない。「何もしないことで、システムを安定させた」という点で、最も純粋なシステムの部品であった。
【Type B】異端:鳩山由紀夫・田中角栄という「免疫拒絶」
システムは「自律的な意志」を持つ部品を、ウイルスとして検知する。
田中角栄(ロッキード事件)と鳩山由紀夫(普天間移設)は、左右の違いこそあれ、システム(特に第2層の官僚と第3層の米国)の回路を、個人の意志で書き換えようとした点で共通している。
破壊工作の失敗:
田中角栄: 彼は「カネ」という潤滑油を大量に注ぎ込むことで、官僚機構(法による支配)を無力化し、日中国交正常化などの独自外交(対米自立の萌芽)を行った。
鳩山由紀夫: 彼は「友愛」というイデオロギーで、日米安保というOSの根幹(抑止力論理)を無効化しようとした。「最低でも県外」という言葉は、システムへの宣戦布告であった。
リヴァイアサンは、彼らを政治的に殺すために「免疫細胞」を動員した。
田中には「東京地検特捜部」という司法の牙が、鳩山には「外務省官僚によるサボタージュと極秘文書のリーク」という行政の罠が襲いかかった。
「構造に逆らった個人の意志は、必ず物理的に排除される」という、システムの自己防衛機能が正常に作動した結果である。
彼らの屍は、後続の政治家たちへ強烈なメッセージを残した。「操縦桿を勝手に動かすな」。
【Type C】ハッカー(Hacker):安倍晋三・高市早苗という「悪魔的取引」
彼らは、システムと戦う愚かさ(Type B)も、システムに埋没する虚しさ(Type A)も知っていた。
ゆえに彼らは、システムそのものを「ハッキング」することを選んだ。彼らは構造を変革するのではなく、構造の「脆弱性(Bug)」を突くことで、擬似的な王権を創出した。
安倍晋三(第二次政権)の発明は、官僚と戦うのではなく、官僚の「人事」を握ることで、彼らを「恐怖」で支配下に置いたことだ。
これにより、官僚機構(第2層)は「抵抗勢力」から「忖度する手足」へと変質した。
歴代の首相たち――橋本龍太郎も、小泉純一郎も、民主党の菅直人も――皆、官僚機構(霞が関)と戦い、そして敗北あるいは妥協を余儀なくされた。
なぜ彼らは失敗し、安倍晋三だけが官僚を「忠実な下僕」に変えることができたのか?
2014年に実装された、たった一つの「構造変更パッチ」にある。
以前のシステム:「聖域」だけは触れない
2014年以前、日本の首相は「法律」を作ることはできたが、官僚の「人事」に口を出すことはタブー(聖域)とされていた。
各省庁の事務次官や局長は、省内の序列と互助会的な論理で決定され、首相は最後にハンコを押すだけの「ハンコ」に過ぎなかった。
この構造下では、官僚の忠誠心は「時の総理」ではなく、「所属する省庁」に向けられる。
だからこそ、彼らは平気で面従腹背し、サボタージュを行い、情報をリークして政権を倒すことができた(民主党政権が殺された主因はこれである)。
安倍晋三(と当時の菅義偉官房長官)は、このバグを冷徹に見抜いていた。
2014年、第二次安倍政権は「国家公務員法」を改正し、内閣人事局を新設。
これにより、審議官級以上の幹部公務員(約600人)の人事権を、各省庁から取り上げ、官邸(内閣官房)が一元管理するシステムへと書き換えた。
これは、OSの「管理者権限(RootAccess)」の奪取に等しい。
効果は劇的だった。
かつて「法の番人」を自認していた法務官僚も、財政規律を守っていた財務官僚も、自らの出世と組織防衛のために、官邸の意向を「先回りして推測(忖度)」し、公文書の改ざんすら厭わない「忠実な兵隊」へと変貌した。
小泉純一郎は「郵政」という局地戦には勝ったが、官僚機構そのものは温存した。
民主党は官僚を「敵」として怒鳴りつけたが、人事権という武器を持たずに戦ったため、寝首をかかれた。
安倍晋三だけが、「人事権という首輪をつければ、猛獣もペットになる」という構造力学を理解し、それを制度化したのである。
これが、彼が「憲政史上最長の政権」を築けた最大のトリックであり、同時に日本の官僚制(明治層)の魂を完全に殺した「毒」の正体でもある。
さらに彼は、米国(第3層)に対し、集団的自衛権という「最高の貢物」を差し出すことで、国内政治におけるフリーハンド(黙認)を勝ち取った。
彼女の「保守的な言動」は、イデオロギーではない。あれは、岩盤保守層(第1層の農村・地主の変種)を繋ぎ止め、同時にシステム内部の求心力を維持するための「認証コード」である。
彼女は、安倍政権が残した「ハッキング・ツール(人事権と安保連携)」を継承し、さらに「非常時(台湾有事の危機)」という外部環境を利用して、システムの権限を極限まで集中させている。
代償:
ハッカーたちは強い。しかし、その強さは「システムの一部(公共性や法の支配)」を犠牲にして得たものだ。
彼らが長期政権を維持すればするほど、官僚は萎縮し(公文書改ざん)、財政は規律を失い(異次元緩和)、国は「私物化」されていく。
彼らは操縦しているように見えるが、実際には「機体のパーツを取り外して燃料にくべながら、加速し続けている」に過ぎない。
これは一見、彼女の強烈なリーダーシップ(能動性)に見える。しかし、本シリーズの視座から見れば、それは違う。
彼女もまた、システムが生き残るために選ばれた「機能」に過ぎない。
「改革」という名のエンターテインメントを国民に提供し、ガス抜きをする。そのために、彼女の攻撃的なキャラクター(UI)が採用されただけだ。
彼女が操縦桿を右に切ろうが左に切ろうが、機体は「現状維持」という航路から1ミリもズレない。
なぜなら、エンジン(経済構造)も、管制塔(米国)も、整備士(官僚)も、誰も航路変更など望んでいないからだ。
“善良”な「依代」が統治すれば、国は緩やかに衰退する(死に至る病)。
“勇敢”な「異端」が統治すれば、国は即座にパニックに陥り、彼自身が殺される(拒絶反応)。
“狡猾”な「ハッカー」が統治すれば、国は熱狂の中でその骨格を食い荒らされる(自己中毒)。
なぜなら、コックピット(首相官邸)の設計そのものが、「主権の欠損」を前提に作られているからだ。
我々が目撃しているのは、高度に発達しすぎた官僚制と資本主義の複合体が、もはや人間の「意志」を必要としなくなった光景である。
政治家の「主観的能動性」は、いまやシステムにとって「リスク」でしかない。
したがって、システムは最も「空っぽな人間」か、最も「システムに過剰適応したハッカー」だけをコックピットに招き入れる。
操縦席には誰もいない。あるいは、「誰もいない」のと同じ状態の人間しか座れない。
それでもリヴァイアサンは飛び続ける。燃料(国民の税と魂)が尽きて、墜落するその瞬間まで。
政治が「悪い」ことではない。
刑務所の作業場等で囚人が決起して暴れたらどう対処されるのか?囚人はそこらへんの椅子とかを鈍器がわりにしているとする。これでも発砲許可とか降りるのか?
dorawiiより
-----BEGINPGP SIGNEDMESSAGE-----Hash: SHA512https://anond.hatelabo.jp/20260111030101# -----BEGINPGP SIGNATURE-----iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaWTHngAKCRBwMdsubs4+SG+NAPwKGq6tYFl8I5P7/PBvp/eoAfpNbr6THJ8JNSQss8PvqgEAuUbGG+WkVipCmsa1UsEZcPYi+t4aAeScxXySCdwOUQg==jw4C-----ENDPGP SIGNATURE-----
5万円くらいでできるならたしかにそうだけどな
「弱肉強食」という価値観を内面化しようとする人たちに対して、「自分を強者だとでも思ってるのか」「その弱肉強食じゃない秩序の中で生きてきたくせに、今さらそんな価値観を受け入れるなんて痛々しい」と冷笑する声がバズってる。けれど、正直に言って、この手の反応は説得としてはほとんど意味がない。ただ気持ちよく嘲笑しているだけで、なぜそういう価値観が選ばれつつあるのかをまったく考えていない。
こうした冷笑には、暗黙の前提があるように思う。ひとつは、「弱肉強食を受け入れようとする人間は、自分がその世界で得をする側、つまり強者だと勘違いしている」という見方。もうひとつは、「弱肉強食の価値観は、どうせ強者にしか利益をもたらさない」という思い込みだ。でも、この二つは本当に自明なのだろうか。
少しでも囚人のジレンマを現実寄りに考えてみれば、「弱肉強食的な判断をする=自分から損をしに行く」という単純な話ではないことはすぐ分かる。弱者と強者が存在する社会で、双方が協力して法や秩序を守ることが、全体として一番得をする、という判断自体は今でも合理的だと思う。ただ、その前提が崩れたと感じられた瞬間に、話は変わってくる。
もし現実の政治や社会の動きを見て、「強者はもう法の秩序なんて守る気がない」「ルールを守るのは弱い側だけだ」と判断したなら、弱者であっても戦略を変えようとするのは自然なことだ。その結果、得られる利益が全体最適からほど遠い、しょぼいものだったとしても、「何もしないまま一方的に奪われ続ける」よりはマシだと考えるのは、そこまでおかしな話ではない。
そう考えると、弱肉強食の価値観を内面化することを、即座に「痛々しい」「滑稽だ」「非合理だ」と切り捨てるのは、あまりに雑だと思う。それは倫理の問題というより、状況認識の違いと、それに基づく戦略選択の差にすぎない。
もちろん、「強者に対して法の秩序を守るよう働きかけるべきだ」「それが全体として一番良い結果を生む」という主張は、理屈としては正しいし、否定されるべきではない。ただ、個人の意思決定のレベルでは、「それが本当にうまくいくのか」「期待していいのか」という疑念が常につきまとう。だからこそ囚人のジレンマという問題が成立するのであって、協力を選べない囚人を「愚かだ」と一蹴するのは、問題設定そのものを理解していないように見える。
さらに言えば、今の状況で「強者は法を気にしていない」と感じられ、その是正を求める働きかけが少なくとも目に見える形では失敗し続けているように見えるなら、別の選択肢を取ることは異常でも退廃でもない。むしろ、それが自然な反応になりうるからこそ、かつて「自然状態」という概念が語られたのではなかったか。
そう考えると、弱肉強食を内面化しようとする人たちを、前提の検討もせずに冷笑する言動は、分析としても批評としてもかなり空虚だ。ただ「自分は分かっている側だ」という安心感を確認したいだけで、現実に起きている判断の変化や不安、そしてそこにある合理性を直視していない。
イタリア料理屋さんでメニュー見ながら「このサルシッチャとか食べたくありませ〜ん?」とか言ってたんだけどね、ほんとはぜーんぶイメージついてなかったし、なんならマズそうねとしか思ってなかったの
だってアクアパッツァってなんだか水っぽさそうだし、サルシッチャって猿しか出てこないのよ。あとペスカトーレって何だかペスト感あるじゃない。ペストとネズミのダンスが真っ先に浮かぶから不衛生だとさえ思ってたわ〜
マルゲリータもね、丸刈りと下痢のコラボよ。最悪ね。お腹を壊した囚人かしら。あとペペロンチーノ、シンプルに卑猥な響きよね。イタリアっぽいわ〜
まあ一時が万事こんな感じでね、私ほんとうはイタリア料理店でワクワクできなかったんだけど、みんな好きじゃないイタ飯。イタ飯もあれなんなの、炒めた飯みたいな響きよ、チャーハンよ。全方位に紛らわしいっ!
ちがくて、えっとね、そう、みんな好きだから私の勝手で変えてもらうわけにもいかなかったんだけど、私は言うほど好きじゃないのよね…イタリアン
今まで優雅なおばさんを気取ってたけど、本当はいかにも和風!って感じの炉端や居酒屋が好きよ。でもここのパートさんってそういう感じじゃないじゃない?ほんとは濃い目のレモンサワーで焼き鳥行きたいの。ねぎまのネギの焦げ目が恋しいの。難しいわね、人生って
──ホグワーツ頂き魔法学校物語 全7巻を1本に凝縮した狂想曲──
約5500字
第1巻 ハリー・ポッターと奢りの石
「俺の弁当、全部食っていいよ……」
と差し出す。
ハリー「え、いいの?」
第2巻 秘密の頂き部屋
組分け帽子
組分け帽子が叫ぶ。
『頂きリン』に配属だ!」
新設された第5の寮「頂きリン」の特徴
・寮生:全員女子
ハリーはすぐに人気者になる。
と争奪戦。
3年生の時、
許してくれ……」
第4巻 炎の頂きゴブレット
女子は見てるだけでいい
ハリー「え、私出てないのに……」
第三の試練:迷路
優勝。
でもヴォルデモートが復活。
生徒全員が反発。
しかし内容は
「男子にどうやって奢らせるか実習」
第6巻 謎の頂きプリンス
スネイプ先生が実はハリーの母リリーに片思いだったことが判明。
スネイプ「リリー……俺はお前に一度も奢れなかった……
そして私は男です」
スネイプ「え?」
大混乱。
第7巻 頂き女子と死の秘宝
最終決戦。
ヴォルデモート
死の秘宝を手に入れた!!」
三つの秘宝
ニワトコの杖 → 男子を操る杖
蘇りの石 → 元カレを呼び戻す石
最終決戦@ホグワーツ
「エクスペリアームス!!」
エピローグ 19年後
ハリー「いいんだよ。
その時、
ホームの向こうで
「私、女子なので
男生徒たちが一斉に財布を出す。
ハリーため息。
「頂きは……終わっていなかった」
遠くで、
組分け帽子の声が聞こえる。
「頂きリン!!」
──頂きは続くよ、どこまでも。
終わりなき魔法は、
(了)
タタルスキーの運命と選択を心理作用 ×広告魔術 ×皮肉の三層構造 で色分けした図解形式で文章化して可視化します。
⸻
[広告魔術](緑)
[皮肉](赤)
─────────────────────────────
[1章]詩人志望
├─ 青:興奮・戸惑い
├─ 青:快感・罪悪感・野望
└─ 赤:国民を動かす魔術師だが、国民の意識=広告虚構に縛られる
⸻
🔹 読み解きポイント
2.広告魔術(緑)
•詩的表現 →無意識誘導 →社会象徴 →国家統合 →絶対魔術
3.皮肉(赤)
•選択のたびに「自由や権力を得るようで、実際は虚構の支配下に置かれる」
⸻
『ジェネレーションP』における タタルスキーの運命と選択 を、皮肉たっぷりに解説します。
⸻
彼は純粋な詩人として自己表現を志していたのに、現実はこう教えます:
つまり、自己表現の夢は広告業界という巨大な消費機械に呑まれ、詩的センスは金儲けの道具に変換されるのです。
詩人志望者が広告魔術師に“覚醒”する――これは現代社会からの冷笑ともいえます。
⸻
2. 「快感と罪悪感の両立」
タタルスキーは広告を通じて、社会全体を操作する快感を覚えます。
彼にとって「悪いことをしている感覚」はもはや快楽のスパイスでしかない。
結局、彼は倫理的葛藤を感じつつも、快感の誘惑に完全に負けてしまうのです。
⸻
物語の終盤、タタルスキーは国家規模の広告魔術師として覚醒します。
一見、これは大成功に見えますが、皮肉な真実はここにあります:
•社会を操作する力を手に入れたが、それは自分自身が虚構に操られている証拠でもある
• 彼は「現実を作る者」だが、作る現実は広告で塗り固められた幻想に過ぎない
• 言い換えれば、絶対権力者として覚醒した瞬間、実は自分の生きる世界の支配者ではなく、その広告の虚構に囚われた人間にすぎない
⸻
•コピーを書く
•社会を動かす
しかし皮肉なことに、どの選択も彼の運命は広告魔術に縛られているという前提から逃れられない。
自由に選んでいるようで、実際は「広告の論理と社会の消費構造」に支配された人生なのです。
⸻
5. まとめ:皮肉の核
「人類の心理を完全に操る者となった瞬間、自分の現実もまた広告の虚構に操られている」
皮肉の連鎖が、タタルスキーという現代魔術師の運命そのものを形作っています。
⸻
[1章]詩人志望
│
▼
│
▼
│
▼
│
▼
│
▼
皮肉:科学的手法で「操作可能な人間」を増やすほど、自分も統計に支配される
│
▼
│
▼
結果:国民意識を動かす
皮肉:国家レベルで操る力を得るが、国家や世論の虚構に自分も囚われる
│
▼
皮肉:国を動かす魔術師となるも、国民の意識=広告の虚構に縛られる
│
▼
│
▼
皮肉:虚構の支配者として覚醒するも、自分自身の生きる世界も広告の牢獄
⸻
3.権力と囚われの二重性
⸻
このフローチャートを見れば、タタルスキーの運命の皮肉さ と、
キュレネのキャラがめちゃくちゃなので。
先手を打って表明しておくと【崩壊3rdのキャラクターの顔で崩壊:スターレイルに別人として実装することには特にどうとも思ってない】です。素裳やブローニャ、姫子などはうまく行っていると思います。羅刹はキャラクターの根幹に謎であることが含まれているっぽいのでそこらへんで同じ顔の人と重ねられてるところはありますが、大きなミスリードにもなったみたいですね。
本題に戻ると、マジであれなんですが3.7を大正解とすると3.0〜3.6までが失敗になっちゃうので3.7だけを失敗とすることで3.0〜3.6までを守ろうとしております。3.6までは3.5、3.6の尺の冗長さを指摘されることもありますが、かなり気に入ってるんです。
そして3.7が失敗になったのは【キュレネのキャラ付けがうまくいってないから】です。
キャラ付けっていうかね、キュレネは怒らないんですよ。負の感情の中の悲しみしかない。
三千万回の中で読み聞かせに徒労感を覚えて俯くくらいです。壊滅に対する怒りが無い。運命への怒りが無い。ファイノンとまでは行かずとも、他の黄金裔たちのような怒りは無い。
怒りって、一種のみっともなさです。しかし、同時に限りない人間性の発露でもあります。
何に怒るのかはその人を理解するのに役立ちます。キュレネにはそれがない。一種の空虚さを覚えるほど、ただ綺麗なだけのキャラクターです。
最終的にミュリオン=キュレネ(デミウルゴス)=モモが成立したとはいえ別個に扱われていた時期が長いので統合するのに厳しい。
その掘り下げが本編で無くとも、キャラクターを理解するのにふさわしい実装のチャンスも役に立っていません。
キュレネはウエディングドレスらしきものを着ていますが、3.6までのキュレネにウエディングドレスらしきものを着る理由がありません。
3.4で提示された小さなキュレネは祭司的あるいは魔導士的な服を着ています。彼女は儀礼剣を用いていますし、魔導士的です。華やかなドレスに対する執着も描写されていません。
【3.6までのキュレネ像と実装に際してのキュレネ像には乖離があります。】
なぜキュレネ大きくなったのかは、最初の知性の種が開花したということで良いでしょう。直接のネタバレになるので3.7ではなく仮定したオンパロス3.8(仮題:さよならオンパロス)で実装するべきだという意見が付随しますが。
ウエディングドレスは、頑張って納得するなら、モモの読み聞かせの中に結婚式の話でもあったんじゃないですかね。
弓を持っているのは、三月なのかを見ていたからと説明がありました。三千万回の読み聞かせで聞いた他の黄金裔よりも最後の輪廻にしかいなかった三月なのか(なのかを批判したいわけではなく、単に回数の問題です)に影響されているのは疑問に思います。
必殺技で出てくる左手薬指の指輪は、結婚ですか? 開拓者と? どんな理由で?
同じく必殺技のキュレネが口づけている星は、キュレネが口づけているからとしか理由がありませんが、新生オンパロスでしょうかね。なぜ今の∞のオンパロスではないんでしょうか。
まとめると、【キュレネはキャラクター像がぼんやりとしています。】
3.7実装プレイアブルキャラクターとしてのキュレネが、3.7序盤で出現するには奇妙な造形をしているからです。
3.8にありえた「さよならオンパロス」で実装するならまだ理解できたと思います。でも3.7実装なので……。
そういった最初に出会った小さなキュレネのキャラクターから離れたプレイアブルのウエディングキュレネが出てきて、ウエディングキュレネのキーワードで3.7、ひいてはオンパロスが終幕しました。
3.0~3.6でやった洞窟の囚人の比喩や運命への反抗といったテーマはあまり生かされなかったな、というのが感想です。
仮に3.7でやった「愛」「真我」の話を3.0~3.6のどこかに挟み込めていたら変わっていたんじゃないでしょうか。キュレネの言う「愛」は一般的な愛ではないですよね。アガペー的な愛です。そこの説明をサクっと済ませたので唐突に感じたのかもしれません。
【3.0~3.6で主役を張った他の黄金裔たちと、3.7の主役であるキュレネはテーマが違いました。】
【テーマが違うので、3.6までのオンパロス編を総括するには、3.7でしか掘り下げがなくその掘り下げも違う方向に向かったうえに十分ではなかったキュレネでは、力不足でした。】
更新から一か月近く経って比較的冷静になった自分の答えはこれです。
3.4でのファイノン実装を無くして3.7に移し、キュレネ自体は3.8実装にしたらまだなんとかなった可能性もややありますが、実際はそうなっていませんので、後出しでの意見表明はこれを最後にしたいと思います。
こうは書きましたが、3.0~3.7までの間、インターネット上でオンパロスについて他のプレイヤーと話したことは楽しかったです。考察し、二次創作をし、笑えるようなこじつけをしたり、ネットミーム的に会話をしたり、夢中になりました。そうした時間を各ページの注に、この思考整理のための文章を本の遊びや見返しに書きつけて、自分だけのオンパロスにします。
お疲れさまでした。