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はてなキーワード:商業主義とは

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2025-12-12

anond:20251212114929

初めての続編だから叩かれないってのはよく分からん

売れた1作目がきれいに終わってたら2作目は商業主義駄作って評価もされるだろう

Permalink |記事への反応(0) | 11:52

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2025-12-09

ズートピア2、内容が商業主義に傾いてて残念

続編というよりスピンオフみたいな内容なんだよな

前作からの続き物である必要性を感じない

ズートピアの謎が明らかに」←これ嘘は言ってないんだけど、作品としてのズートピアの謎じゃなくて、ズートピアという街の建設についての謎ね

あの世界になぜ獣人が生まれたのかとか、そういう根幹的な話は全くない

少年マンガでいうところの引き延ばしモードに入った感じがある

トイストーリーみたいに5作くらい続きそう

Permalink |記事への反応(0) | 07:47

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2025-12-04

有識者三浦知良プロかどうかは定義による」

有識者「彼を金出してほしがっているチームがいる以上、彼はプロサッカー選手だと思う」

 

ふ~ん

SnowManのなんか暇なメンバーあたりが「サッカークラブ入りたいです!」って言いだしたとして

三浦知良SnowManの暇な奴どっちかだけ取れます」ってなったら

99割のチームはSnowManを取ると思うけど、ほならSnowManプロサッカー選手なんですかね

 

プロ定義ってそう言うことかって思うわ

金に見合ったパフォーマンスを見せるからプロなんじゃねぇの

有識者は元芸人やったらしいけど

大人Youtuber漫才公演やってソウルドアウトしてたらプロ漫才師として認めるってことなんかな

コムドットのヤマトイベント漫才やっとったけど彼は漫才師ですかね

 

カズなんか練習ランニングですらヨボヨボで見てて悲しくなる

商業主義の例で出しただけやったけどSnowManの暇な奴のほうがよっぽど動けると思う

誰かが介錯してやるべきや

練習中に日本刀カズの首を切り落とす!

クラブ知名度も爆上がりやろう

Permalink |記事への反応(1) | 11:36

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2025-10-27

NHKWEB記事メディアへの民業圧迫

NHKWeb記事サイトNHK受信契約であることを確認する選択画面を出すようになった。(自己申告ベースでペイウォールではない)

しかし、これは民業圧迫の解消にはならないと思う。

たとえNHKWeb記事サイトが完全にペイウォールになり受信契約しかアクセスできなくなったとしても不当な競争状態は解消されない。

それはご存知のようにテレビを設置するとNHKとの受信契約義務付ける法律(放送法 64-1)があるためだ。これを是正するには、この義務撤廃するか、郵便ポストの設置に新聞社との契約義務付ける法律必要になると思う。無論、前者を勧める。

もちろん、ジャーナリズムを過度な商業主義から保護する必要があるが、国家NHKを守らせてもプロパガンダ機関国民の財布で運用させるだけだ。

Permalink |記事への反応(1) | 01:16

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2025-10-24

徳川家康ポケモンの新作、いささか慢心の臭いがする」

 天下泰平を築いた徳川家康公が、もし現代に甦ったなら――。その鋭い眼光は、平和惚けしたゲーマーたちの心にも突き刺さるだろう。家康は語る。「ポケモンの新作、いささか慢心の臭いがする」と。

 老将の言葉は重い。彼が言うには、「天下を治めるにも、進化と安定の均衡が肝要。だが、この新作には“進化”の姿勢ばかりが目立ち、“安定”の哲理が見えぬ」と。つまり、派手な演出グラフィックばかりが先行し、シリーズとしての品格精神的深化が欠けているというのだ。

 「わしの世もな、派手な戦ばかりを追えば民は疲弊した。ゆえに泰平を築いた。ポケモンもまた、戦いばかりを重ねてはならぬ。真の育成とは、個の成長と調和の追求にこそある」と家康は静かに説く。

 さらに、彼は新作の「過度な商業主義」にも苦言を呈する。「信長は戦に明け暮れ、秀吉は富を追い、そして滅びた。商魂に溺れた作品もまた同じ道を辿るであろう」。

 家康批判は、単なる懐古ではない。彼が重視するのは、シリーズが守るべき“理念”――「ポケモンとは何を教える遊びなのか」という哲学である

 最後家康はこう締めくくった。「面白さとは派手な技や奇抜な世界ではない。心をつなぎ、努力を重ね、信を守ることにこそ道がある。わしなら、そんなポケモンを選ぶのう」。

 天下を治めた男が、いま一匹のモンスターに説法を垂れる。彼の言葉に耳を傾けるなら、次の“進化”は、開発陣の心から始まるのかもしれない。

続きを「家康、開発陣を江戸城に呼びつける」章として書こうか?

Permalink |記事への反応(0) | 19:17

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2025-10-15

言及されたから書くよん

id:filinion

追記

吉田氏が「ファンがどう捉えても何を想像しても描いても自由」って言ってる

やっぱここの一点突破なのな、ウンザリする

そりゃ言うだろう、逃げ道だよ

エロはあってもいいが18禁にして未成年に見せるなって言ったのと一緒

水着修正を「覇権ノイズ」っていったようなもんだよ

さんざん社会への影響(それが無意識ものも、意識的ものも)を語っておきながら

なぜか突然、ここだけ商業主義に目覚めてさ

裸を描いたらノイズだろうって言い出すんだよ

びっくりだよ

あれが24歳設定なら水着にしたろうか?

ぼっちちゃん水着にしたのは

“絵だけど、未成年だぞ”

からでしょうに

ノイズうんたらいうなら自宅の風呂24歳が水着なら間違いなくノイズだよね

未成年なら水着より裸がノイズなの?

うそでしょう?

あそこに誰も文句がないって人もいるけどアタリマエなんだよ

あのシーンはぼっちちゃん奇行のシーンなんだから

裸か水着かなんて些細なことなんだ

でもそれを【後付】で

まるで自分の手柄です、配慮したのは重要です、だから覇権です、みたいにいわれたらムカつくべ

かんけぇねぇんだよ

その思想作品にまぶしてなんの問題もないって、本気で考えてるならさぁ

放送前に言えば良いんだよ

ぼざろは“絵だけど、未成年だぞ”を大事にして公式搾取を推奨するかのような演出は行いません

乳比べとか、りある人間はやりませんよw

乳揺れとか子供に見せられません

安心してください

ぼざろではそれを排除しま

って、アニメ雑誌からのインビューに【放映前】に答えてみろっていうんだ

ーーーーーーーーーーーーここまでーーーーーーーーーーーー

https://filinion.hatenablog.com/entry/2025/10/15/145847

結局、ぼざろの脚本家はなぜ批判されたのか?(みんな言ってることがバラバラな件)

これ着火点がノイズで始まって、すっかり「問題ノイズなんだ」って話に、みんな引っ張られてたよね

あの問題はそこじゃねぇよって人も普通に居るのに

都合よくそっちに火が付いたから、擁護する人はみんな「ノイズ問題」に逃げちゃってさ

覇権のためのノイズはアリ、原作者許可も取った

みたいな話しかしないんだけども

違うべ

あの話は徹頭徹尾、DEI思想の話だったべ

ドラマ恋愛至上主義押し付けんなもそういう一巻の話だったし

登場人物多様性の話もされて

なんならオリジナルを出したとまで言って

アニメの段になったら性的消費はダメだとぶち上げて

公式がやるのは強い抵抗があると述べ

“絵だけど、未成年だぞ”と語り

女の子たちが互いの胸の大きさについて言及し合う描写”はナシ

乳揺れは子供に見せられない

前後を読めばわかるけれど、バリバリにDEI思想が語られていくのに、なんでか水着の話のときだけ「覇権のためのノイズ」とか言い出す

作者も協力的だったと

もちろん、「過激作品やR18まで振り切ったものがあってもいい」とも語るが

でもその場合は、しっかりと未成年が見られないような配慮必要

となっている

それつまり18禁作品って事だろ?

でもなんでか、この一文を以って、エロ要素を否定してないって擁護が湧いたんだよ

温泉シーンがある、ゆるキャン△はしかし、覇権ノイズだったろうか?

あの全裸シーンはNGとされるべきか

ガルパンのよりサ-ビス色の強い入浴シーンならどうだ?

ストパンはR18になるべきか?


でさ

逆に聞きたいわけよ

作者が反発したら乳揺れ描くんか?

スタッフ空気感が違ったら、乳比べさせんの?

覇権のために必要なら全裸入浴させんの?

公式から】『さぁ搾取してください!』と言わんばかりの作品を描くんか?

でも、それは語らないんだよ


作品から降りますとか、私が携わるなら絶対に描かせないというなら

うそれはそういう思想作品にあたりますって事よね

商業主義として描きますってなら、熱く語った責任の話はなんなの?と

“絵だけど、未成年だぞ”

大事にしていくだけ?


そういう記事全体の俯瞰で、ちゃん言及してる人普通に居たよ

ノイズの話で隠されてたけどもっとヤバイこと書いてる、みたいにね

からこそ

炎上理由の「ぼざろ脚本家作品に介入するレベルの強めのDEI思想が判明」を極論拾って「ぼざろは駄作とされた」と言い換えてまで、今回の件をズラしたいのかねぇ。こういうのこそ「曲解」ではないか

と書いたんだよ

ちなみに記事中じゃ誤魔化してるが

「ぼざろはいアニメだったなぁ」と思っていたら、後から「ぼざろはフェミニストポリコレで作った駄作だったと判明!」みたいなのやめて欲しい。脚本家一言で後から評価を変えるの、あまり党派的過ぎるだろ。

ここへの言及から

話をズラしてんじゃねぇよって突っ込み


これを署名運動と紐づけたいようだが

あのやり方は糞くらえだよ

たださ、語られなければ知らずに居れたことも、語られちゃったらダメだろ

ちな、別の今更系冷笑増田にはこうも言ってる

「なんで今更」系のズラシ批判が最高に臭い。そんなの「脚本家独白によって、まさに今、違和感に形がついた」からだよ。その発言者スタッフである必要はないが、スタッフの自慢話であるのは最低だって

これは、今炎上してるのは、そこに今まさに形が付いたかだって話な


そういう文脈も何もなしで

適当に継ぎ接ぎで

ほらほらほらほらほ、むじゅーーん

ってやるのダサい

Permalink |記事への反応(6) | 16:27

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2025-09-24

anond:20250924152527

俺にとってgoogleは神だと思ってたけど検索については商業主義に毒されつつありあまり神という感じがしなくなってきた

Permalink |記事への反応(0) | 15:27

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2025-09-08

anond:20250908005358

マジレスすると、上野千鶴子代表されるように、クロワッサンで煽っていたやつらは裏でちゃっかり自分の席(パートナー)は確保していた。それを見抜けず商業主義に乗せられた結果かな。

Permalink |記事への反応(1) | 12:47

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2025-09-04

障害者スポーツの祭典

みんな知らないだろうけど、パラリンピックの熱心な視聴者は「共産党」なんだ。合法的議席を握っている、中国からインドキューバベトナムまで、もちろん少数野党ロシアアメリカも。自由民主国のスポーツ選手がどう育成されプレイするかに興味があり、スポーツを通じた影響力行使の機会を伺うとともに、欧米資本主義国のスポーツ商業主義行方を冷やかしの目で見ている。

から、一挙手一投足の組織的ウォッチがつねになされ、今だとSNS等で情報が流され分析されている。国境を越えた共産党同士の交流はあるから

パラリンピックというと障害者スポーツの祭典の印象だけど、実は裏では各国共産党エスピョナージュの対象となっている。

これ、選手が夢にも思わない情報漏洩だからね。

Permalink |記事への反応(0) | 11:03

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2025-08-27

anond:20250827145035

若くて無知高校生が、商業主義奴隷になっている様子を見るたびに

義憤かられてブコメを書く人が居るのは当然だと思うけど。

Permalink |記事への反応(0) | 14:55

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2025-08-23

anond:20250822223745

近くの宇曽利山湖は青くて本当に美しい。グーグルマップ等で見たら分かると思うが、湖の形がハートっぽくて、恋人聖地にしてもおかしくないくらいなのに、どういうわけかブランディング微妙

イタコ」とか「死」とか、そういうイメージを前面に出してしまっていて、いわくつき感がすごいんだよね。

ただ、もしかたらこれは単なる失敗じゃなくて、あえて怖いイメージイタコの胡散臭さを演出することで自然を守っているのかもしれない。

さらに言えば、「ブランディングミスってる」っていうのも現代的な価値観での話で、次の世代にとってはこのブランディングウケる可能だってある。そう考えると、このままの価値観を突き抜けて行ってほしい気もする。

商業主義効率主義経済至上主義といった思想の毒はすげえなという感想を覚えさせられた

Permalink |記事への反応(0) | 00:40

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2025-08-20

県立岐阜商業

公立高校ほとんどが県内出身選手だと注目されている

やっぱりみんな、全国からスカウトしてきた子ども野球漬けにしている名門校による今の高校野球を好ましく思っていないんだよな

部活動とか高校野球本来理想からかけ離れた商業主義的で歪な状態だし当然だよな

Permalink |記事への反応(1) | 09:45

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2025-08-19

anond:20250819124938

その前提を高野連マスコミ必死で取り繕ってるのがダメ

商業主義にまみれてるポルノショーだということを全面に押し出すなら問題ない

Permalink |記事への反応(0) | 13:02

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2025-08-16

田舎には美術がない」の論点整理

〇前提:美術と美の違い

まず「美」と「美術」を分けて考えないと話がごちゃつく。

美は世界のあちこちにあって、何に美しさを感じるかは人それぞれ。

一方で美術は、ある美しさを取り出して他人に伝えるための「技術」であり、社会的な営み。

この区別をつけないと「自然が美しい=美術がある」みたいなズレた議論になる。

〇前提2:そもそも田舎とは言ってない

元のツイートでは「地方都市」と書かれていた。

ただネット上ではつの間にか「田舎」という言葉に変換されて語られている。

地方都市田舎はだいぶ意味が違うのだけど、もう「田舎」という言葉で広まってるので、ここでも田舎統一しておく。

田舎にも美があるよ派

自然の美しさや、人々の生活の営みにある独特の美しさ。これは確かに存在する。

でもそれは「対象としての美」であって「美術」ではない。

自然の美の「美」と、美術の「美」は似て非なるもの。だから反証にはならない。

田舎にも美術はあるよ派

地方美術館、伝統美術地元活動するアーティストなど、田舎にも美術はある。

「まったく無い」という言い方に対しては十分な反論

それに地域文化評価するのは近代芸術の「反アカデミズム」の流れとも整合する。

ただし、都市部との格差は依然として大きい。「あるけど量も質もアクセスも少ない」というのが実際。

■こいつの美術美術業界しかないよ派

要は「業界人の文脈に閉じているじゃん」という指摘。

ただ、そもそも美術は「人がどう解釈しどう描くか」だから業界文脈がなければ成立しにくい。

現代ではありとあらゆる活動に金が絡む以上、業界抜きで語れる分野は少ないだろう。

それに非営利的な活動者ほど、人や金が集まる都市でないと持続できないのも現実で、

そういう意味でも反対意見としてはちょっと弱い。

イオンモール何が悪い

イオンモールは便利だし合理的地方生活インフラとして大きな役割がある。

ただ、美術という観点から見れば徹底した商業主義の場であり、そこにはせいぜい商業芸術の一端があるにすぎない。

それらを俯瞰してみる学術視点や先端芸術とは別の次元

まあ本や映画を届ける流通拠点としての意義は大きいとは思うので、その点を過小評価しすぎというのはある。

CCC傘下のくせに偉そうだよ派

「結局CCCイオン美術への態度に差があるのか?」という疑問はわかる。

雑誌だって商業出版の一部で、イオン本屋普通に買える「田舎にもある美術」だ。

ただ田舎美術テーマとは少しズレていて、ほとんど感情論に近い。

地方出身者にありがちな嘆きだよ派

馬鹿にしているニュアンスの人もいれば、同情しているニュアンスの人もいる。

実際のところ、都市地方情報格差はとんでもなく大きい。

実家帰省したとき「やっぱり何もない」と強い言葉漏れるのは、地方出身あるあるだろう。

ここは言葉の選び方と受け取り方の問題であって、論じても決着はつかない。

そもそも美術がなくて何が悪い

別に美術がなくても困らない」という立場

生活必要なのは美術じゃなくてインフラ仕事だし、自然に美を見いだせれば十分という人もいる。

ただそれを『美術手帖』の編集長に言っても仕方がない。

しかも「美術がなくて悪い」とは言っていないので、反論になっていない。

■まとめ

田舎には美術がない」という議論は、

自然の美と美術混同してる議論

・量や質の差を無視した議論

都市部住民への感情的反発

商業と非商業対立

など、いろんな文脈が入り乱れている。

結局のところ、田舎にある美術ゼロではない格差歴然なわけで、

その格差をどう感じるか、どう受け止めるかで態度が分かれているだけ、という話だろう。

それにしても「業界」の内部の人しか見てないだろう発端のツイートがここまで燃えたのは、

地方都市イオンという馴染み深いワードが入っていたことや地方VS東京定番ネタだったことに加え、

ちょうどお盆でみんな地方帰省して、かつ暇してる時期だったからというのはあるはずだ。

広陵高校話題がひと段落した今、このネタでまとめを連発しているTogetterはいい稼ぎになっただろうな。

Permalink |記事への反応(2) | 15:04

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2025-08-09

anond:20250809223642

商業主義と飽和の末路

昔はそもそも作品数が少ないから、業界に詳しければすべての作品に当たることもできた(余程のカストリ以外は)

そうした詳しいものが取り上げることで名作として評価される流れがあった。

現代では作品が飽和し網羅できなくなった。

見た目で引っ張るのは序の口で、見られないことには評価対象にもならない

Permalink |記事への反応(0) | 22:40

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2025-08-08

anond:20250808080846

それは「よい評論とは」ではなくて

商業主義迎合した評論とは」でしかいね

商業的な反響利益評論の良さを混同してる

Permalink |記事への反応(0) | 08:18

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2025-08-06

anond:20250806111312

まり商業主義奴隷になれってことだな

フィクションのそれも長編作品ビジネスありきなのだから

Permalink |記事への反応(0) | 11:14

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2025-07-28

anond:20250728142731

奴らの存在こそが商業主義へのアンチテーゼ。これからも毛深いハゲで居続けて欲しい。

Permalink |記事への反応(0) | 14:44

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2025-07-09

anond:20250709105520

富野だったらどっちかというとガンダムいつまでも囚われてはいけない、というだけでガンダムダメになるかはとっくに諦めてるんでは。なんやかんや本人も商業主義に乗っからなくてはいけないことに自覚的だし。

Permalink |記事への反応(0) | 22:49

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2025-06-29

anond:20250629083523

本来は二人の結婚って考えていいと思うけど、歴史的に家同士の付き合いみたいな感覚があるのかもしれないですね

余談だけど、大勢人を呼んで行う披露宴はただの商業主義であって本来のやり方ではないみたいな意見を見た記憶がある

Permalink |記事への反応(0) | 08:42

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2025-06-28

anond:20250628151329

商業主義的に優れているって評価で満足できずにそれ以上の普遍的価値があると信じてる

まさしく信者ってやつですね

Permalink |記事への反応(0) | 15:57

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2025-06-24

anond:20250621132424

A:今回の「アジャイルガバナンス」の件も、そうした観点から見直す必要がありそうですね。

B:そう思います。新しい技術への対応は確かに必要ですが、それが法の基本原則を損なうものであってはいけません。慎重な検討必要です。

A:そういえば、「アジャイル」とか「Society5.0」とか、こういう用語ってどこから来ているんでしょうか?

B:それは非常に重要な指摘ですね。これらは元々、IT業界が新しいサービス販売促進を図るために作り出したマーケティング用語なんです。

A:マーケティング用語ですか?

B:そうです。「アジャイル」はソフトウェア開発の手法から始まって、今では「迅速・柔軟・革新的」を表すバズワードとして使われています。「Society5.0」も政府IT企業が共同で打ち出した未来社会ブランディング概念です。

A:つまり商品を売るための言葉法学議論に入り込んでいるということですか?

B:まさにその通りです。私はこれを「法学マーケティング化」と呼んでいます学術的な厳密性よりも、印象的なキャッチフレーズが重視されるようになっている。

A:具体的には、どんなマーケティング手法が使われているんですか?

B:いくつかのパターンがあります。まず「対立構造演出」。「古い法学 vs 新しい法学」という分かりやすい図式を作り上げる。次に「権威付け」。G7合意だとか大学でのシンポジウムだとかを使って、お墨付きがあるように見せかける。

A:なるほど。それに「危機感煽り」もありますね。「対応が遅れると取り残される」みたいな。

B:そうです。そして最も問題なのは、「破壊的変化の演出」です。

A:破壊的変化というと?

B:マーケティング用語の特徴として、「これまでは○○だったが、これからは○○だ!」とか「○○はもう古い!これからは○○の時代だ!」みたいに、変化や断絶を過度に強調する傾向があるんです。

A:確かに、「アップデート」という言葉も、そういう印象を与えますね。

B:まさに。でも法制度の発展というのは、本来もっと地味で着実なものなんです。

A:どういうことですか?

B:法制度は社会の基盤ですから、急激な変化よりも着実な発展を求めるべきなんです。継続性を重視し、長年の経験の蓄積を大切にし、新制度導入前には十分な議論検証を行う。

A:マーケティングとは正反対アプローチですね。

B:そうです。マーケティングは「売る」ことが目的ですが、法制度は「社会を支える」ことが目的です。この根本的な違いを忘れてはいけません。

A:でも、時代の変化に対応することも必要ですよね?

B:もちろんです。ただ、その対応のあり方が問題なんです。既存制度の詳細な分析他国事例の慎重な研究、段階的な制度設計継続的なモニタリング...こういう地味な作業こそが真の改革につながるんです。

A:「パラダイムシフト」とか「ゲームチェンジャー」とかい言葉とは真逆ですね。

B:その通りです。そういう「革命的転換」を演出する言葉は、法学には馴染まないんです。

A:でも、なぜ法学者の方々がこうしたマーケティング用語に惹かれてしまうんでしょうか?

B:いくつか理由があると思います。一つは、研究評価新規性が重視されるようになったこと。地道な基礎研究より、目立つ新概念提示する方が注目されやすい。

A:「売れる」研究をしないと評価されないということですか?

B:そういう面もあるでしょうね。それに、マーケティング用語は響きが良いので、つい使いたくなってしまう。

A:確かに、「アジャイルガバナンス」なんて言われると、なんだか先進的な感じがしますもんね。

B:でも、それこそが罠なんです。内容をよく検討せずに、言葉の響きだけで判断してしまう。

A:そうすると、法学者としての本来の使命を見失ってしまうと。

B:はい。法の安定性や予測可能性を確保し、民主主義人権といった基本的価値を守ること。そのために蓄積されてきた知恵を継承すること。これが法学者の使命なんです。

A:マーケティング的な「新しさ」の追求とは、確かに相容れませんね。

B:そうです。特に今回の「アジャイルガバナンス」のように、民主主義の根幹に関わる問題については、より慎重になるべきです。

A:学術権威政策宣伝に使われないよう、注意が必要ということですね。

B:まさに。法学者は、商業主義的な思考に惑わされることなく、学問独立性を保つ必要があります

A:でも、一般の人には、マーケティング用語の方が分かりやすいという面もありませんか?

B:それは確かにそうです。ただ、分かりやすさと正確性は別の問題です。複雑な法的概念安易単純化してしまうと、かえって誤解を招くことになります

A:なるほど。私たちも、響きの良い言葉に惑わされないよう気をつけないといけませんね。

B:そうです。特に政府から出てくる政策提言については、その背景にあるマーケティング意図も含めて、批判的に検討することが大切です。

A:「新しい」「革新的」という言葉だけで判断するのではなく、中身をしっかり見るということですね。

B:その通りです。そして、その「新しさ」が本当に社会にとって必要ものなのか、従来の価値を損なうものではないのかを、慎重に見極める必要があります

A:今回の対話で、「アジャイルガバナンス」の問題がよく分かりました。ただの新しい政策提案ではなく、法学のもののあり方に関わる深刻な問題なんですね。

B:はい。単に個別政策の良し悪しを論じているのではなく、学問としての法学の在り方、ひいては民主社会の基盤をどう守るかという問題なんです。

A:私たち市民も、もっと関心を持って、しっかりと考えていかないといけませんね。

B:そうです。民主主義私たち一人一人のものですから権威や響きの良い言葉に惑わされることなく、自分の頭で考えることが何より大切だと思います

Permalink |記事への反応(0) | 10:26

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2025-06-04

ロックサブカルという時代おしまい

ロックって商業主義ベトナム戦争とかの政治に対するカウンターカルチャーだったのにね

つのまにかロック商業主義にべったり染まってるし戦争映画アニメ主題歌になってたりする

いったいなんなん…

Permalink |記事への反応(2) | 16:57

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2025-05-23

RYDEENREBOOT」の権威主義センス メジャーになったらロック死ぬってこういうことよね

ポップミュージックでさえもメジャーに行けば個人センスを削り出したものから大衆を喜ばせるための最大公約数的な娯楽となることを求められて変わってしまうんだよね。

俺は別にこれを持って「メジャーミュージックオワコン!!メジャーよ消えろ!」とか言ってるわけじゃないよ。

しろ最高に棲み分けられてて素晴らしいと思ったよ。

メジャーメジャーであることを加速させるほどにインディーズとの相対化が進む。

棲み分けられてるってことは本当に素晴らしいんだよ。

本当の意味自分たち音楽をやるためにインディーズに残る人や帰って来る人がいないと、インディーズが酸っぱい葡萄かまし続ける負け組共のスラム街になるからな。

ぶっちゃけ音楽業界の根っこというか土台はインディーズなわけでさ、それが腐ったらメジャー精神的な意味だけでなく物質的にも遠からず腐り果てるわけ。

何も残らなくなる。

からさ、メジャーミュージック音楽以外の所で勝負しまくったり権威主義に溺れまくることに対してブレーキをかけちゃ駄目なの。

その道を全力でひた走るべき。

ロックは死に、ポップは型にはまり商業主義のためにみんなが同じ色に染まる。メジャーはそんな世界であろうとするために全力を尽くすべき。

RYDEENREBOOT、最高にメジャーで俺は大好きだ。

Permalink |記事への反応(0) | 21:04

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2025-05-14

anond:20250514113725

商業主義イヌ

ララァが泣いてるぞ

Permalink |記事への反応(0) | 12:09

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