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はてなキーワード:商業主義とは

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2025-10-27

NHKWEB記事メディアへの民業圧迫

NHKWeb記事サイトNHK受信契約であることを確認する選択画面を出すようになった。(自己申告ベースでペイウォールではない)

しかし、これは民業圧迫の解消にはならないと思う。

たとえNHKWeb記事サイトが完全にペイウォールになり受信契約しかアクセスできなくなったとしても不当な競争状態は解消されない。

それはご存知のようにテレビを設置するとNHKとの受信契約義務付ける法律(放送法 64-1)があるためだ。これを是正するには、この義務撤廃するか、郵便ポストの設置に新聞社との契約義務付ける法律必要になると思う。無論、前者を勧める。

もちろん、ジャーナリズムを過度な商業主義から保護する必要があるが、国家NHKを守らせてもプロパガンダ機関国民の財布で運用させるだけだ。

Permalink |記事への反応(1) | 01:16

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2025-10-24

徳川家康ポケモンの新作、いささか慢心の臭いがする」

 天下泰平を築いた徳川家康公が、もし現代に甦ったなら――。その鋭い眼光は、平和惚けしたゲーマーたちの心にも突き刺さるだろう。家康は語る。「ポケモンの新作、いささか慢心の臭いがする」と。

 老将の言葉は重い。彼が言うには、「天下を治めるにも、進化と安定の均衡が肝要。だが、この新作には“進化”の姿勢ばかりが目立ち、“安定”の哲理が見えぬ」と。つまり、派手な演出グラフィックばかりが先行し、シリーズとしての品格精神的深化が欠けているというのだ。

 「わしの世もな、派手な戦ばかりを追えば民は疲弊した。ゆえに泰平を築いた。ポケモンもまた、戦いばかりを重ねてはならぬ。真の育成とは、個の成長と調和の追求にこそある」と家康は静かに説く。

 さらに、彼は新作の「過度な商業主義」にも苦言を呈する。「信長は戦に明け暮れ、秀吉は富を追い、そして滅びた。商魂に溺れた作品もまた同じ道を辿るであろう」。

 家康批判は、単なる懐古ではない。彼が重視するのは、シリーズが守るべき“理念”――「ポケモンとは何を教える遊びなのか」という哲学である

 最後家康はこう締めくくった。「面白さとは派手な技や奇抜な世界ではない。心をつなぎ、努力を重ね、信を守ることにこそ道がある。わしなら、そんなポケモンを選ぶのう」。

 天下を治めた男が、いま一匹のモンスターに説法を垂れる。彼の言葉に耳を傾けるなら、次の“進化”は、開発陣の心から始まるのかもしれない。

続きを「家康、開発陣を江戸城に呼びつける」章として書こうか?

Permalink |記事への反応(0) | 19:17

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2025-10-15

言及されたから書くよん

id:filinion

追記

吉田氏が「ファンがどう捉えても何を想像しても描いても自由」って言ってる

やっぱここの一点突破なのな、ウンザリする

そりゃ言うだろう、逃げ道だよ

エロはあってもいいが18禁にして未成年に見せるなって言ったのと一緒

水着修正を「覇権ノイズ」っていったようなもんだよ

さんざん社会への影響(それが無意識ものも、意識的ものも)を語っておきながら

なぜか突然、ここだけ商業主義に目覚めてさ

裸を描いたらノイズだろうって言い出すんだよ

びっくりだよ

あれが24歳設定なら水着にしたろうか?

ぼっちちゃん水着にしたのは

“絵だけど、未成年だぞ”

からでしょうに

ノイズうんたらいうなら自宅の風呂24歳が水着なら間違いなくノイズだよね

未成年なら水着より裸がノイズなの?

うそでしょう?

あそこに誰も文句がないって人もいるけどアタリマエなんだよ

あのシーンはぼっちちゃん奇行のシーンなんだから

裸か水着かなんて些細なことなんだ

でもそれを【後付】で

まるで自分の手柄です、配慮したのは重要です、だから覇権です、みたいにいわれたらムカつくべ

かんけぇねぇんだよ

その思想作品にまぶしてなんの問題もないって、本気で考えてるならさぁ

放送前に言えば良いんだよ

ぼざろは“絵だけど、未成年だぞ”を大事にして公式搾取を推奨するかのような演出は行いません

乳比べとか、りある人間はやりませんよw

乳揺れとか子供に見せられません

安心してください

ぼざろではそれを排除しま

って、アニメ雑誌からのインビューに【放映前】に答えてみろっていうんだ

ーーーーーーーーーーーーここまでーーーーーーーーーーーー

https://filinion.hatenablog.com/entry/2025/10/15/145847

結局、ぼざろの脚本家はなぜ批判されたのか?(みんな言ってることがバラバラな件)

これ着火点がノイズで始まって、すっかり「問題ノイズなんだ」って話に、みんな引っ張られてたよね

あの問題はそこじゃねぇよって人も普通に居るのに

都合よくそっちに火が付いたから、擁護する人はみんな「ノイズ問題」に逃げちゃってさ

覇権のためのノイズはアリ、原作者許可も取った

みたいな話しかしないんだけども

違うべ

あの話は徹頭徹尾、DEI思想の話だったべ

ドラマ恋愛至上主義押し付けんなもそういう一巻の話だったし

登場人物多様性の話もされて

なんならオリジナルを出したとまで言って

アニメの段になったら性的消費はダメだとぶち上げて

公式がやるのは強い抵抗があると述べ

“絵だけど、未成年だぞ”と語り

女の子たちが互いの胸の大きさについて言及し合う描写”はナシ

乳揺れは子供に見せられない

前後を読めばわかるけれど、バリバリにDEI思想が語られていくのに、なんでか水着の話のときだけ「覇権のためのノイズ」とか言い出す

作者も協力的だったと

もちろん、「過激作品やR18まで振り切ったものがあってもいい」とも語るが

でもその場合は、しっかりと未成年が見られないような配慮必要

となっている

それつまり18禁作品って事だろ?

でもなんでか、この一文を以って、エロ要素を否定してないって擁護が湧いたんだよ

温泉シーンがある、ゆるキャン△はしかし、覇権ノイズだったろうか?

あの全裸シーンはNGとされるべきか

ガルパンのよりサ-ビス色の強い入浴シーンならどうだ?

ストパンはR18になるべきか?


でさ

逆に聞きたいわけよ

作者が反発したら乳揺れ描くんか?

スタッフ空気感が違ったら、乳比べさせんの?

覇権のために必要なら全裸入浴させんの?

公式から】『さぁ搾取してください!』と言わんばかりの作品を描くんか?

でも、それは語らないんだよ


作品から降りますとか、私が携わるなら絶対に描かせないというなら

うそれはそういう思想作品にあたりますって事よね

商業主義として描きますってなら、熱く語った責任の話はなんなの?と

“絵だけど、未成年だぞ”

大事にしていくだけ?


そういう記事全体の俯瞰で、ちゃん言及してる人普通に居たよ

ノイズの話で隠されてたけどもっとヤバイこと書いてる、みたいにね

からこそ

炎上理由の「ぼざろ脚本家作品に介入するレベルの強めのDEI思想が判明」を極論拾って「ぼざろは駄作とされた」と言い換えてまで、今回の件をズラしたいのかねぇ。こういうのこそ「曲解」ではないか

と書いたんだよ

ちなみに記事中じゃ誤魔化してるが

「ぼざろはいアニメだったなぁ」と思っていたら、後から「ぼざろはフェミニストポリコレで作った駄作だったと判明!」みたいなのやめて欲しい。脚本家一言で後から評価を変えるの、あまり党派的過ぎるだろ。

ここへの言及から

話をズラしてんじゃねぇよって突っ込み


これを署名運動と紐づけたいようだが

あのやり方は糞くらえだよ

たださ、語られなければ知らずに居れたことも、語られちゃったらダメだろ

ちな、別の今更系冷笑増田にはこうも言ってる

「なんで今更」系のズラシ批判が最高に臭い。そんなの「脚本家独白によって、まさに今、違和感に形がついた」からだよ。その発言者スタッフである必要はないが、スタッフの自慢話であるのは最低だって

これは、今炎上してるのは、そこに今まさに形が付いたかだって話な


そういう文脈も何もなしで

適当に継ぎ接ぎで

ほらほらほらほらほ、むじゅーーん

ってやるのダサい

Permalink |記事への反応(6) | 16:27

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2025-09-24

anond:20250924152527

俺にとってgoogleは神だと思ってたけど検索については商業主義に毒されつつありあまり神という感じがしなくなってきた

Permalink |記事への反応(0) | 15:27

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2025-09-08

anond:20250908005358

マジレスすると、上野千鶴子代表されるように、クロワッサンで煽っていたやつらは裏でちゃっかり自分の席(パートナー)は確保していた。それを見抜けず商業主義に乗せられた結果かな。

Permalink |記事への反応(1) | 12:47

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2025-09-04

障害者スポーツの祭典

みんな知らないだろうけど、パラリンピックの熱心な視聴者は「共産党」なんだ。合法的議席を握っている、中国からインドキューバベトナムまで、もちろん少数野党ロシアアメリカも。自由民主国のスポーツ選手がどう育成されプレイするかに興味があり、スポーツを通じた影響力行使の機会を伺うとともに、欧米資本主義国のスポーツ商業主義行方を冷やかしの目で見ている。

から、一挙手一投足の組織的ウォッチがつねになされ、今だとSNS等で情報が流され分析されている。国境を越えた共産党同士の交流はあるから

パラリンピックというと障害者スポーツの祭典の印象だけど、実は裏では各国共産党エスピョナージュの対象となっている。

これ、選手が夢にも思わない情報漏洩だからね。

Permalink |記事への反応(0) | 11:03

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2025-08-27

anond:20250827145035

若くて無知高校生が、商業主義奴隷になっている様子を見るたびに

義憤かられてブコメを書く人が居るのは当然だと思うけど。

Permalink |記事への反応(0) | 14:55

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2025-08-23

anond:20250822223745

近くの宇曽利山湖は青くて本当に美しい。グーグルマップ等で見たら分かると思うが、湖の形がハートっぽくて、恋人聖地にしてもおかしくないくらいなのに、どういうわけかブランディング微妙

イタコ」とか「死」とか、そういうイメージを前面に出してしまっていて、いわくつき感がすごいんだよね。

ただ、もしかたらこれは単なる失敗じゃなくて、あえて怖いイメージイタコの胡散臭さを演出することで自然を守っているのかもしれない。

さらに言えば、「ブランディングミスってる」っていうのも現代的な価値観での話で、次の世代にとってはこのブランディングウケる可能だってある。そう考えると、このままの価値観を突き抜けて行ってほしい気もする。

商業主義効率主義経済至上主義といった思想の毒はすげえなという感想を覚えさせられた

Permalink |記事への反応(0) | 00:40

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2025-08-20

県立岐阜商業

公立高校ほとんどが県内出身選手だと注目されている

やっぱりみんな、全国からスカウトしてきた子ども野球漬けにしている名門校による今の高校野球を好ましく思っていないんだよな

部活動とか高校野球本来理想からかけ離れた商業主義的で歪な状態だし当然だよな

Permalink |記事への反応(1) | 09:45

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2025-08-19

anond:20250819124938

その前提を高野連マスコミ必死で取り繕ってるのがダメ

商業主義にまみれてるポルノショーだということを全面に押し出すなら問題ない

Permalink |記事への反応(0) | 13:02

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2025-08-16

田舎には美術がない」の論点整理

〇前提:美術と美の違い

まず「美」と「美術」を分けて考えないと話がごちゃつく。

美は世界のあちこちにあって、何に美しさを感じるかは人それぞれ。

一方で美術は、ある美しさを取り出して他人に伝えるための「技術」であり、社会的な営み。

この区別をつけないと「自然が美しい=美術がある」みたいなズレた議論になる。

〇前提2:そもそも田舎とは言ってない

元のツイートでは「地方都市」と書かれていた。

ただネット上ではつの間にか「田舎」という言葉に変換されて語られている。

地方都市田舎はだいぶ意味が違うのだけど、もう「田舎」という言葉で広まってるので、ここでも田舎統一しておく。

田舎にも美があるよ派

自然の美しさや、人々の生活の営みにある独特の美しさ。これは確かに存在する。

でもそれは「対象としての美」であって「美術」ではない。

自然の美の「美」と、美術の「美」は似て非なるもの。だから反証にはならない。

田舎にも美術はあるよ派

地方美術館、伝統美術地元活動するアーティストなど、田舎にも美術はある。

「まったく無い」という言い方に対しては十分な反論

それに地域文化評価するのは近代芸術の「反アカデミズム」の流れとも整合する。

ただし、都市部との格差は依然として大きい。「あるけど量も質もアクセスも少ない」というのが実際。

■こいつの美術美術業界しかないよ派

要は「業界人の文脈に閉じているじゃん」という指摘。

ただ、そもそも美術は「人がどう解釈しどう描くか」だから業界文脈がなければ成立しにくい。

現代ではありとあらゆる活動に金が絡む以上、業界抜きで語れる分野は少ないだろう。

それに非営利的な活動者ほど、人や金が集まる都市でないと持続できないのも現実で、

そういう意味でも反対意見としてはちょっと弱い。

イオンモール何が悪い

イオンモールは便利だし合理的地方生活インフラとして大きな役割がある。

ただ、美術という観点から見れば徹底した商業主義の場であり、そこにはせいぜい商業芸術の一端があるにすぎない。

それらを俯瞰してみる学術視点や先端芸術とは別の次元

まあ本や映画を届ける流通拠点としての意義は大きいとは思うので、その点を過小評価しすぎというのはある。

CCC傘下のくせに偉そうだよ派

「結局CCCイオン美術への態度に差があるのか?」という疑問はわかる。

雑誌だって商業出版の一部で、イオン本屋普通に買える「田舎にもある美術」だ。

ただ田舎美術テーマとは少しズレていて、ほとんど感情論に近い。

地方出身者にありがちな嘆きだよ派

馬鹿にしているニュアンスの人もいれば、同情しているニュアンスの人もいる。

実際のところ、都市地方情報格差はとんでもなく大きい。

実家帰省したとき「やっぱり何もない」と強い言葉漏れるのは、地方出身あるあるだろう。

ここは言葉の選び方と受け取り方の問題であって、論じても決着はつかない。

そもそも美術がなくて何が悪い

別に美術がなくても困らない」という立場

生活必要なのは美術じゃなくてインフラ仕事だし、自然に美を見いだせれば十分という人もいる。

ただそれを『美術手帖』の編集長に言っても仕方がない。

しかも「美術がなくて悪い」とは言っていないので、反論になっていない。

■まとめ

田舎には美術がない」という議論は、

自然の美と美術混同してる議論

・量や質の差を無視した議論

都市部住民への感情的反発

商業と非商業対立

など、いろんな文脈が入り乱れている。

結局のところ、田舎にある美術ゼロではない格差歴然なわけで、

その格差をどう感じるか、どう受け止めるかで態度が分かれているだけ、という話だろう。

それにしても「業界」の内部の人しか見てないだろう発端のツイートがここまで燃えたのは、

地方都市イオンという馴染み深いワードが入っていたことや地方VS東京定番ネタだったことに加え、

ちょうどお盆でみんな地方帰省して、かつ暇してる時期だったからというのはあるはずだ。

広陵高校話題がひと段落した今、このネタでまとめを連発しているTogetterはいい稼ぎになっただろうな。

Permalink |記事への反応(2) | 15:04

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2025-08-09

anond:20250809223642

商業主義と飽和の末路

昔はそもそも作品数が少ないから、業界に詳しければすべての作品に当たることもできた(余程のカストリ以外は)

そうした詳しいものが取り上げることで名作として評価される流れがあった。

現代では作品が飽和し網羅できなくなった。

見た目で引っ張るのは序の口で、見られないことには評価対象にもならない

Permalink |記事への反応(0) | 22:40

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2025-08-08

anond:20250808080846

それは「よい評論とは」ではなくて

商業主義迎合した評論とは」でしかいね

商業的な反響利益評論の良さを混同してる

Permalink |記事への反応(0) | 08:18

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2025-08-06

anond:20250806111312

まり商業主義奴隷になれってことだな

フィクションのそれも長編作品ビジネスありきなのだから

Permalink |記事への反応(0) | 11:14

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2025-07-28

anond:20250728142731

奴らの存在こそが商業主義へのアンチテーゼ。これからも毛深いハゲで居続けて欲しい。

Permalink |記事への反応(0) | 14:44

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2025-07-09

anond:20250709105520

富野だったらどっちかというとガンダムいつまでも囚われてはいけない、というだけでガンダムダメになるかはとっくに諦めてるんでは。なんやかんや本人も商業主義に乗っからなくてはいけないことに自覚的だし。

Permalink |記事への反応(0) | 22:49

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2025-06-29

anond:20250629083523

本来は二人の結婚って考えていいと思うけど、歴史的に家同士の付き合いみたいな感覚があるのかもしれないですね

余談だけど、大勢人を呼んで行う披露宴はただの商業主義であって本来のやり方ではないみたいな意見を見た記憶がある

Permalink |記事への反応(0) | 08:42

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2025-06-28

anond:20250628151329

商業主義的に優れているって評価で満足できずにそれ以上の普遍的価値があると信じてる

まさしく信者ってやつですね

Permalink |記事への反応(0) | 15:57

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2025-06-24

anond:20250621132424

A:今回の「アジャイルガバナンス」の件も、そうした観点から見直す必要がありそうですね。

B:そう思います。新しい技術への対応は確かに必要ですが、それが法の基本原則を損なうものであってはいけません。慎重な検討必要です。

A:そういえば、「アジャイル」とか「Society5.0」とか、こういう用語ってどこから来ているんでしょうか?

B:それは非常に重要な指摘ですね。これらは元々、IT業界が新しいサービス販売促進を図るために作り出したマーケティング用語なんです。

A:マーケティング用語ですか?

B:そうです。「アジャイル」はソフトウェア開発の手法から始まって、今では「迅速・柔軟・革新的」を表すバズワードとして使われています。「Society5.0」も政府IT企業が共同で打ち出した未来社会ブランディング概念です。

A:つまり商品を売るための言葉法学議論に入り込んでいるということですか?

B:まさにその通りです。私はこれを「法学マーケティング化」と呼んでいます学術的な厳密性よりも、印象的なキャッチフレーズが重視されるようになっている。

A:具体的には、どんなマーケティング手法が使われているんですか?

B:いくつかのパターンがあります。まず「対立構造演出」。「古い法学 vs 新しい法学」という分かりやすい図式を作り上げる。次に「権威付け」。G7合意だとか大学でのシンポジウムだとかを使って、お墨付きがあるように見せかける。

A:なるほど。それに「危機感煽り」もありますね。「対応が遅れると取り残される」みたいな。

B:そうです。そして最も問題なのは、「破壊的変化の演出」です。

A:破壊的変化というと?

B:マーケティング用語の特徴として、「これまでは○○だったが、これからは○○だ!」とか「○○はもう古い!これからは○○の時代だ!」みたいに、変化や断絶を過度に強調する傾向があるんです。

A:確かに、「アップデート」という言葉も、そういう印象を与えますね。

B:まさに。でも法制度の発展というのは、本来もっと地味で着実なものなんです。

A:どういうことですか?

B:法制度は社会の基盤ですから、急激な変化よりも着実な発展を求めるべきなんです。継続性を重視し、長年の経験の蓄積を大切にし、新制度導入前には十分な議論検証を行う。

A:マーケティングとは正反対アプローチですね。

B:そうです。マーケティングは「売る」ことが目的ですが、法制度は「社会を支える」ことが目的です。この根本的な違いを忘れてはいけません。

A:でも、時代の変化に対応することも必要ですよね?

B:もちろんです。ただ、その対応のあり方が問題なんです。既存制度の詳細な分析他国事例の慎重な研究、段階的な制度設計継続的なモニタリング...こういう地味な作業こそが真の改革につながるんです。

A:「パラダイムシフト」とか「ゲームチェンジャー」とかい言葉とは真逆ですね。

B:その通りです。そういう「革命的転換」を演出する言葉は、法学には馴染まないんです。

A:でも、なぜ法学者の方々がこうしたマーケティング用語に惹かれてしまうんでしょうか?

B:いくつか理由があると思います。一つは、研究評価新規性が重視されるようになったこと。地道な基礎研究より、目立つ新概念提示する方が注目されやすい。

A:「売れる」研究をしないと評価されないということですか?

B:そういう面もあるでしょうね。それに、マーケティング用語は響きが良いので、つい使いたくなってしまう。

A:確かに、「アジャイルガバナンス」なんて言われると、なんだか先進的な感じがしますもんね。

B:でも、それこそが罠なんです。内容をよく検討せずに、言葉の響きだけで判断してしまう。

A:そうすると、法学者としての本来の使命を見失ってしまうと。

B:はい。法の安定性や予測可能性を確保し、民主主義人権といった基本的価値を守ること。そのために蓄積されてきた知恵を継承すること。これが法学者の使命なんです。

A:マーケティング的な「新しさ」の追求とは、確かに相容れませんね。

B:そうです。特に今回の「アジャイルガバナンス」のように、民主主義の根幹に関わる問題については、より慎重になるべきです。

A:学術権威政策宣伝に使われないよう、注意が必要ということですね。

B:まさに。法学者は、商業主義的な思考に惑わされることなく、学問独立性を保つ必要があります

A:でも、一般の人には、マーケティング用語の方が分かりやすいという面もありませんか?

B:それは確かにそうです。ただ、分かりやすさと正確性は別の問題です。複雑な法的概念安易単純化してしまうと、かえって誤解を招くことになります

A:なるほど。私たちも、響きの良い言葉に惑わされないよう気をつけないといけませんね。

B:そうです。特に政府から出てくる政策提言については、その背景にあるマーケティング意図も含めて、批判的に検討することが大切です。

A:「新しい」「革新的」という言葉だけで判断するのではなく、中身をしっかり見るということですね。

B:その通りです。そして、その「新しさ」が本当に社会にとって必要ものなのか、従来の価値を損なうものではないのかを、慎重に見極める必要があります

A:今回の対話で、「アジャイルガバナンス」の問題がよく分かりました。ただの新しい政策提案ではなく、法学のもののあり方に関わる深刻な問題なんですね。

B:はい。単に個別政策の良し悪しを論じているのではなく、学問としての法学の在り方、ひいては民主社会の基盤をどう守るかという問題なんです。

A:私たち市民も、もっと関心を持って、しっかりと考えていかないといけませんね。

B:そうです。民主主義私たち一人一人のものですから権威や響きの良い言葉に惑わされることなく、自分の頭で考えることが何より大切だと思います

Permalink |記事への反応(0) | 10:26

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2025-06-04

ロックサブカルという時代おしまい

ロックって商業主義ベトナム戦争とかの政治に対するカウンターカルチャーだったのにね

つのまにかロック商業主義にべったり染まってるし戦争映画アニメ主題歌になってたりする

いったいなんなん…

Permalink |記事への反応(2) | 16:57

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2025-05-23

RYDEENREBOOT」の権威主義センス メジャーになったらロック死ぬってこういうことよね

ポップミュージックでさえもメジャーに行けば個人センスを削り出したものから大衆を喜ばせるための最大公約数的な娯楽となることを求められて変わってしまうんだよね。

俺は別にこれを持って「メジャーミュージックオワコン!!メジャーよ消えろ!」とか言ってるわけじゃないよ。

しろ最高に棲み分けられてて素晴らしいと思ったよ。

メジャーメジャーであることを加速させるほどにインディーズとの相対化が進む。

棲み分けられてるってことは本当に素晴らしいんだよ。

本当の意味自分たち音楽をやるためにインディーズに残る人や帰って来る人がいないと、インディーズが酸っぱい葡萄かまし続ける負け組共のスラム街になるからな。

ぶっちゃけ音楽業界の根っこというか土台はインディーズなわけでさ、それが腐ったらメジャー精神的な意味だけでなく物質的にも遠からず腐り果てるわけ。

何も残らなくなる。

からさ、メジャーミュージック音楽以外の所で勝負しまくったり権威主義に溺れまくることに対してブレーキをかけちゃ駄目なの。

その道を全力でひた走るべき。

ロックは死に、ポップは型にはまり商業主義のためにみんなが同じ色に染まる。メジャーはそんな世界であろうとするために全力を尽くすべき。

RYDEENREBOOT、最高にメジャーで俺は大好きだ。

Permalink |記事への反応(0) | 21:04

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2025-05-14

anond:20250514113725

商業主義イヌ

ララァが泣いてるぞ

Permalink |記事への反応(0) | 12:09

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2025-05-04

ダン飯が「作品にメスを入れる」様に見えるのはRPG成立過程無頓着からでは

ダンジョン飯が「お約束世界観に対して上から目線でメスを入れ」るコンセプトだと聞いて意外だった。というのもあの作者がやってる事は当たり前の世界観構築の一つだと思っていたから。

 

ダンジョン飯みたいな「古典RPGお約束世界観に対して上から目線でメスを入れようとする作品」が前から嫌いだった

https://anond.hatelabo.jp/20250427090957

 

多分なんだが、元増田JRPG一貫でRPG黎明期かに興味がないのではないか

そういう約束事というのは最初からあったのではない。グラフィックがプアな黎明期製作者達が共同幻想を構築していったので出来たものなのだ

 

そもそもダンジョンって

ダンジョンそもそも城の地下に築かれる地下牢を指していた。中世近世ヨーロッパには教育刑概念はない。だから地下牢では拷問が行われたり単に囚人放置して餓死させたりしていたし、灯火も無く発狂必須だったりした。大きさはそんなに広くはない。

そこから怨念が染みついた恐ろしい場所というイメージが付いた。

更に城が放棄されて崩壊しても地下構造は残る。そこで「崩壊した古城の地下には財宝が残っているかも」という妄想が付きまとうようになった。

1970年代テーブルトークRPGTRPG)の代表D&Dダンジョンズ・アンド・ドラゴンズ)ではこの妄想を膨らませ、「ダンジョンには巨大構造があって深くなうほど怪物が強くなって最奥にはドラゴンが財宝を守っている」という設定を作った。

ゲーム盤はただのマス目とサイコロだけであり、付属カードイラスト世界観想像してね、という仕様だ。

因みにドラゴン旧約聖書にも載っている「悪の手先」で、モンサンミッシェル寺院屋根の上でミカエルに踏んづけられていたりする。昔からだれもが知っている悪の手先ダンジョン妄想世界観を組み合わせたんだな。

 

黎明期にはこの手の「世界観設定」の途中で意味付与された事物が沢山ある。例えば

 

ガーゴイル

羽が生えた悪魔みたいな生物ガーゴイルだが、これは元々はキリスト教会の雨樋のことだ。

教会建築では建物が痛まないように屋根の雨を壁から離れたところに落とす為の雨樋を付ける。日本の雨落しみたいな方法だ。

この雨樋の水出口には動物怪物の顔から吐出するデザインが用いられていた。ごれがガーゴイルで、「うがいでガラガラ」みたいなオノマトペなのだガラガラうからガーゴ。

ローマ水道で吐出口がライオンの頭みたいなもんで、欧州伝統的な魔除けデザインだった。

これを黎明期RPGでは悪魔怪物として「生命」を持たせたのだな。

 

エルフ

エルフ伝説は各地によって異なり、悪戯好きの悪鬼の地域もある。これが今の耳が尖って痩身で聡明という風に固定されていった。

 

三大コンピュータRPG

特にRPG約束事の形成に影響を与えたのがウルティマUltimaバーズテイル The Bard's Tale、ウィザードリーWizardryの三つだ。

このうちバーズテイル日本だとややマイナーかもしれない。これは発売時期が他の二つより遅くてJRPGの発売時期と被ってしまった為だ。

でもこの作者はUltimawizを繋ぐ鎹みたいな人物だ。バーズテイル舞台スコットランド現存する遺跡から名を取ったスカエブレイという町なのだが、このスカラブレイという町はウルティマにも登場する。そこにはホークウィンドという重要人物が居るんだが、これがバーズテイル作者のロー・アダムスの成り替わりキャラ

一方、wizには人間離れした強さの忍者ホークウインドが登場する。これもロー・アダムス。

 

で、この三つの作者はD&Dが作ったファンタジーRPG世界を拡大して今の「約束事」が出来ていくわけだ。この時独立独歩じゃなくて三大タイトル作者三人が協働したのが大きい。一人のアイデアを他が模倣する事で世界観確立していくわけだから

 

からこの当時のプレイガイドなどを見ると、所謂攻略本などとはかなり違う。「この怪物はどういう生き物か」「この地形はどういうものなのか」という設定資料的な記述がとても厚い。

グラが貧弱な分、そういう所で世界観を膨らませる&作者たちの世界観を共有する事がプレイの楽しみという感じなのだ。それはだから単なるゲームではなくかなり文化香りを纏っていた。

 

笑える失敗も

これを翻訳した日本でもその世界観の紹介は重要コンテンツとなった。何しろRPGという約束事が無い所にコンテンツを持ってくるのだから

でもそのせいで恥ずかしい失敗もしている。代表例が、wizに出てくるかなり強い剣「blade cusinart」を「名匠カシナートの打った名刀」と紹介してしまたことだ。これの正しい訳は「クイジナートのフードプロセッサ」なんである

cusinartはアメリカキッチン用品メーカーであって、作者は悪ふざけで入れたアイテムだったのだが、翻訳チームはその辺のニュアンスを感じ取れなかった。今のフランス料理を「ヌーベルキュイジーヌ」って呼ぶこと、綴りを知ってたら間違えなかったのにな。

 

ウルティマの変質狂的世界構築

こんな風に三大タイトル世界観構築に勤しんでRPGというジャンル形成していったのだが、そのうちのウルティマRPG約束事を超えて風変りな変化を始める。

まず、モンスターを殺しまくってラスボスを倒し、財宝を手に入れ救世主として祭り上げられる、というRPG目標無視して、時に二律背反する命題を乗り越えて善行を積み、人格者として成就するというのがゲーム目標になる。

次に世界を救ったはずが他者文明破壊しており、他の種族の侵攻の原因を作ったのが主人公だった。その種族との調停和平を目指すというのがゲーム目標になる。

次にNPC生活するようになり、店員は夜になると家に歩いて帰り、食事をして寝る。だから夜に店に行ってもサービスを受けられない。

次に凡そすべてのアイテムが動かせるようになり、好きな所に置いておくことができる。移動した物はそのままそこに残り、位置セーブされる。ついでにそれらに生命を吹き込むと勝手に移動する。

これらはもうゲームの進行に何も関係が無い。だけど現実世界では物は動かせて外出から戻ってもそのままある。会社員は定時で退社して家に移動してご飯食べて寝る。だったら再現するのが当たり前だ、という考えである。 

そしてこういう現実で出来る事は出来るようにするという仮想世界構築の妄執ウルティマオンラインという世界初のMMOを産んだのだった。

 

最初MMOはいなりメバース

当初のウルティマオンラインの熱量というのは語り草で、ドワンゴ川上量生が時々熱っぽい文章を書いているのを見た事があるかも知れない。

これは単に初めてのネトゲと言うだけじゃなくて、RPGとしては異常なものであったからだ。

というのも、当初のUOにはクエストも無ければクリア目標もない。一切無い。ただ仮想世界があるだけ。

モンスター徘徊する世界を強くなれば安全冒険できるが、装備品鍛冶屋に作ってもらう必要がある。でも一人で沢山のスキルを持つ事はできないようになっている。だから協働必須なのだ

更に鍛冶屋は原料を仕入れ必要がある。原料→中間製品製品とする事で、疑似的な経済循環が成立する。オフラインゲームしかやった事無い人がこんな世界に放り込まれたら最初困惑するがやがてハマって「もう一つの世界から出て来れなくなる。

しかもなんの役に立たないアイテムが超大量に存在する。ゲームじゃなくて仮想の「世界であるならそれは当然だな。

RPG世界を構築する」の妄執を続けていったら到達した怪作と言っていいだろう。

 

ただ、プレイヤーの行動は作者の思惑とは違うところも多かったようだ。

最初は店のアイテムもそのまま移動できた。だがリアルでそれを持って行くのが悪徳なら仮想世界内でもそれを控えるだろう、と作者は考えたが、そうはならず結局は制限を付けるしかなかった。

 

JRPG

一方、ゲーム産業が隆盛した日本ではRPGはそれらとは違う進化を遂げることになった。やる事が細分化されて示され、それをクリアするのが目標となった。

また、「この〇〇というのは古代ケルト風習で」とか「ケルト風習なら△△では□□をするのがしきたりか」みたいな世界解釈をするという文化文脈が余り無い。すると余計な詮索は世界に半畳を入れるような無粋な真似、という事になる。

 

ポストモダンもっとロクでもないぞ

するとお約束世界観に対する解釈を行う行為ポストモダンの「脱構築」の如くと言うのは得心が行く。

でもポモが虚仮にされるのは、世界に対する自分ルサンチマンが見えるからだ。批判対象になるものをまるで理解も出来ないのに、「独自解釈」で切ればその対象支配者になった気分になる。彼らはその為にやっている。概ねその対象職業社会国際関係などの身体的に揉まれないと会得出来ないもの、基礎常識が大量に必要になる物が多い。

そのノリでサブカルチャーなどの作品ジャンルを斬れば斬られた方は棄損するしユーザー層は冷や水掛けられてシラケる。

だけどダン飯の場合は棄損して終わりではなくて、先に述べた黎明期世界観構築と相同の行為であるからポモなんてゴミとはかなり違うだろう。

そもそも年喰ったポモなんてネトウヨになってるのが相場だ。心性が右翼からじゃなくて社会コミット出来ない自分自我保護の為にやってるのだな。はてなにも居るな。彼らって言ったがはてなのは彼女らかな。

 

日本刀が強いわけ

ファンタジー日本刀が強すぎ、とか侍が特別扱いされ過ぎ、というのがよく話題にのぼるが、これもRPG関係してるのよ。

1960~70年代日本ブームがあった。このブーム主体アメリカ反体制ベビーブーマーで、要するにヒッピーの類縁なのだ

当時のアメリカ若者の一部は己らの西洋文明がイヤになっていた。物質主義で、商業主義で、民族自立に対して戦争弾圧していた。理想主義だったマルクス主義はとんでもない抑圧的体制しかなっていない。

そこで注目されたのが東洋哲学特に禅だった。特に日本の禅」に強く吸引されたのだ。当時の日本敗戦世界の表舞台から消え、工業が再興して居たが文化的には謎の国となっていた。ビートニクと呼ばれる小説家集団の影響もある。

端的にいうと、ヒッピー的には日本とは精神的で特別存在だった。

 

これが同時代サブカルチャーに影響を与えるようになる。例えばスターウォーズジェダイとは時代劇の「ジダイ」の事で、侍に類した強い精神性を武器としている。

からwizには他の地域戦士はいないのに最初から侍と忍者は登場する。ウルティマにも刀が登場する。

また、日本刀の制作は限られた刀匠以外には禁止された事もあり、その制作過程は過剰に伝統工芸的で精神的だ。これもヒッピー文脈にある人を魅了した。

故に1980年前半に勃興したコンピュータRPGに登場したのだ。だからムラマサはワードナでも真っ二つなのだ。彼ら制作陣はベビーブーマー後期からその下の世代である

 

因みにウルティマの作者の思想ガチヒッピーであるウルティマ6のオープニングに表れているので暇があったら見てみて。https://youtu.be/7nBWuV_E6Eg?si=WIOEs3PObTpBFADO&t=462

 

「正しい記述」への志向

魔法の残量をマジックポイントMPと書くゲームマナと書くゲームがあるだろう。

この「マナ」というのは文化人類学用語なのだ民族部族魔法や神力があると信じられている場合、その力をマナと言うのである。だからMPよりもより正しい用語に直したのだな。

こういうのも約束事の世界観にメスを入れて修正した跡だ。

 

ダン飯は黎明期価値観、行動則をなぞっている

からあのマンガがやってる事は物語にメスを入れて切り裂く行為ではなくて、黎明期に構築していった行為と相同であり、黎明期精神を共有していると見える。

というか、wizウルティマプレイガイドそっくりなのだ。作者がwizを後からプレイしたと知って驚いたくらいなのだ

 

因みに増田普段マンガを読まないのだが、ダン飯にはハマってしまい、その世界が終わるのがイヤで最終巻をまだ読んでいないのだ。我ながら病的である

 

ところでなんでもサービスイン当初のUOをやりたいと考える人は多く、その為のクラシックサーバが出来たようなのだ増田ちょっとやってみようかな。

Permalink |記事への反応(0) | 20:26

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2025-05-03

anond:20250503172245

日本人別に宗教嫌いじゃないと思う

単に異常に世俗化商業主義化してるだけで日常の語彙とかに仏教由来の言葉とかたくさん入ってるし年中行事にも神道その他宗教由来のものが色々ある

Permalink |記事への反応(0) | 17:30

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2025-04-21

anond:20250421003316

要は、分断を煽りたいってことでしょ。

そうすれば、新聞がよく売れるから

愚劣な商業主義以外の何者でもない。

Permalink |記事への反応(0) | 17:17

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