Movatterモバイル変換


[0]ホーム

URL:


はてラボはてな匿名ダイアリー
ようこそ ゲスト さんログインユーザー登録

「命題」を含む日記RSS

はてなキーワード:命題とは

次の25件>

2026-02-12

anond:20260212202916

ついに正体を現したようだな。

 

貧乏人だからそう言うんだろ?ってのは、議論じゃなくて自己放尿だ。

経済学への反論ではなく、人格攻撃論点を溶かして逃げている。

インフレ政策資源配分を歪めるか、インフレ税が逆進的か、期待形成がどう働くか、そういう話に一切触れずに「お前の懐事情」を持ち出す時点で、貴様自己放尿しているのである

 

しかもこの手の返しは最悪の自己放尿だ。

命題の真偽は、発話者所得階層とは独立に決まる。

市場でも同じだ。価格は誰が言ったかじゃなく、取引の集積で決まる。

論点は「インフレ政策実質賃金価格シグナルをどう歪めるか」であって、「言ってる奴が金持ち貧乏か」ではない。

 

さらに言うと、仮に俺が貧乏人だったとしても、その事実はむしろインフレ政策批判を補強する。

なぜならインフレ税は現金比率の高い層に直撃するからだ。

まり貧乏人が嫌がる」こと自体が、インフレ政策の逆進性の証拠になってしまうだろう。

お前の煽りは、政策副作用自己放尿してるだけだ。

 

議論できないから、貴様経済から身分へ逃げた。

反論できないから、貴様理屈を捨ててマウンティングに切り替えた。

俺が貧乏かどうかは知らんが、お前の反論貧困なのは確定したな。理屈自己放尿している。

Permalink |記事への反応(1) | 20:37

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

歳入歳出の問題は、どの痛みを受け入れるかだ。そこを無視して自己放尿するな

財政再建だの減税だの社会保障の充実だのと、世の中は今日も元気にスローガンを投げ合っている。

しかし、ここで一回、冷水ぶっかけておく必要がある。歳入歳出の問題とは、結局のところどの痛みを誰が受け入れるかという配分問題であり、そこから目を逸らした瞬間に、議論経済学ではなく宗教儀式になる。

いや、宗教ならまだ筋が通る場合もある。問題は、筋が通っているフリをして自己放尿するタイプ議論が多すぎることだ。

 

政府仕事とは、市場機能するための最小限のルール整備に極限まで縮退させるのが基本形である

自由市場とは、万能ではないが、少なくとも分散した情報価格に集約し、意思決定を分権化し、試行錯誤の淘汰を通じて資源配分改善する装置だ。

価格メカニズムは神ではないが、政治家よりはだいぶマシな情報処理装置である。ここで「だいぶマシ」というのが重要で、政治が介入するたびに知識問題が増幅し、情報局所性無視され、結局は官僚制ヒューリスティックが国全体の最適化代替してしまう。

政治市場を置き換えようとした瞬間に、見えざる手ではなく、見えざる自己放尿が働き始める。

 

だが日本は、そういう市場主義の方向に舵を切っていない。

ここが現実だ。日本社会保障を手厚くし、再分配を強化し、政府支出一定以上維持し続ける構造を選んでいる。

まり日本社会競争による淘汰と自己責任の痛みを相対的抑制し、その代わりに高負担・低成長・制度維持の痛みを受け入れる方向にコミットしている。

これは倫理的に正しいとか間違っているとか以前に、単なる選択問題だ。経済学的には、トレードオフをどう置いたかという話である

 

それなのに、減税だの給付だのを同時に叫び、財源の議論を後で考えると言い出す。これが自己放尿でなくて何なのか。

政府予算制約式という、経済学の最も退屈で最も重要現実から逃げている。

政府魔法使いではない。支出を増やすなら、税を上げるか、国債を増やすか、インフレ税で実質負担国民押し付けるか、どれかしかない。

これが財政ハードバジェット制約だ。これを無視して「社会保障は守れ、税は下げろ、景気は良くしろ」と言うのは、制約条件を消して目的関数だけで最適化しているのと同じで、ただの自己放尿である

 

国債を増やせばいいという議論も、同じくらい雑だ。

リカード中立命題を持ち出して、増税が予想されるなら家計は貯蓄を増やすから問題ないと言うのは理論的には可能だが、現実には完全な合理性も完全な資本市場存在しない。

民主主義が持つ時間的不整合性典型である短期政治的利得と長期の財政健全性が衝突するとき、だいたい負けるのは長期のほうだ。これは合理的期待以前の、人間仕様である

 

さらに言えば、日本人口動態が財政に対して非常に残酷な国だ。

高齢化は単なる人数の問題ではなく、制度設計思想のもの破壊する。

賦課方式年金医療介護は、現役世代高齢世代を支える構造だが、現役人口が縮み、高齢人口が増えれば、負担率が上がるか給付が減るかの二択になる。

ここで「成長すれば解決する」という反射神経が出るが、成長率を外生的に願望で決めるのもまた自己放尿である

成長は政策の掛け声ではなく、生産性上昇の結果としてしか起こらない。

生産性教育技術進歩資本蓄積、企業統治労働市場の柔軟性、規制構造、そして競争環境の積み重ねからしかまれない。成長を祈るなら、祈祷師より規制改革のほうがまだマシだ。

 

そして規制改革という話になると、日本社会はまたしても痛みの受け入れを避ける。

競争は勝者と敗者を生む。市場効率を生むが、分配の不平等を生む。創造破壊技術進歩を促すが、既存産業を壊す。

まり市場主義採用するとは、失業賃金格差企業淘汰、地域衰退といった摩擦を受け入れることでもある。

市場自由は長期的には社会を豊かにするが、同時に短期的には痛みが出ることを否定していない。

しろ、痛みを抑えようと政府価格統制や産業保護をすれば、情報が歪み、非効率固定化し、成長が止まる。

政府介入はだいたい二次被害を生む」という経験則に直結する。

 

だが日本は、その方向をあまり選んでいない。

日本政治経済は、競争の痛みを緩和するために、規制を残し、補助金を配り、産業を守り、雇用調整を遅らせ、そして社会保障で受け止める。

まり市場の荒波で鍛える社会ではなく、制度堤防で守る社会を選んでいる。

これは日本人の価値観として一貫している。連帯を重視し、格差を嫌い、共同体の安定を優先する。

から社会保障を充実させる。これは単なる政策の偶然ではなく、社会的選好の表れだ。

経済学的に言えば、日本リスク共有と保険の厚みを最大化し、効率性よりも安定性を高く評価する社会効用関数採用している。

 

問題は、その選択をしたなら、そのコストも受け入れろということだ。

福祉・高負担モデルをやるなら、税負担は上がる。労働供給への歪みも増える。企業投資インセンティブも下がる。潜在成長率も落ちる可能性がある。

さら政府支出が増えれば、官僚制が拡大し、レントシーキング余地が増える。補助金規制設計を巡って、政治的な取引が増える。

公共選択論観点では、政府部門肥大化利益集団固定化情報の非対称性を通じて、政策ますます効率にする。つまり、痛みは消えない。形が変わるだけだ。

 

逆に、小さな政府市場主義モデル採用するなら、社会保障給付は削られる。

競争は激化し、賃金格差は拡大し、生活不安定性が増す。労働市場の流動化が進めば、雇用保障は弱くなる。

ここで「自己責任社会だ、弱者切り捨てだ」と騒ぐ人が出るが、それもまた議論本質を外している。

市場主義倫理議論ではなく、制度設計議論だ。保険を薄くして競争を強め、効率を上げ、成長率を取りに行くという戦略であり、それは確かに痛い。

しかしその痛みを通じて、長期的な所得水準の上昇を狙うのが市場主義論理である

 

財政問題は痛みをゼロにする方法ではなく、どの痛みを採用するかの選択しかない。

ここで最悪なのは、痛みの存在否定することだ。

増税反対、給付維持、経済成長、財政健全化を全部同時に叫ぶのは、制約を無視して目的を盛り込んだだけの自己放尿である

しかもその自己放尿は、選挙で票を取るための麻薬として機能する。

国民政治家も、現実直視するより麻薬を欲しがる。これは供給需要が一致しているので、市場原理的には非常に美しい。悲しいことに。

 

日本が今選んでいるのは、市場主義の荒々しい競争ではなく、社会保障を厚くして安定を買う道だ。

まり競争の痛みを減らし、その代わりに税負担と成長鈍化と制度維持の痛みを引き受ける道である

これは逃げではなく選択だ。選択ならば、堂々と認めればいい。

しか現実には、政治メディアも、選択選択として語らない。

痛みの話をすると嫌われるからだ。だが、嫌われるから言わないというのは、政策論ではなく人気商売である

 

政府善意地獄舗装する。善意制度を守り、善意給付を増やし、善意規制を強め、善意補助金を撒く。

しかし結果として、価格メカニズムは歪み、生産性は落ち、財政は硬直化し、未来自由度は奪われる。

重要なのは善意ではなく、インセンティブと制約だ。

制度設計とは、人間利己的であり、政治家が票を欲しがり、官僚権限を欲しがり、企業補助金を欲しがるという現実から出発しなければならない。

聖人統治する世界を前提にした政策は、現実世界ではだいたい破綻する。

 

から、歳入歳出の議論でまず必要なのは幻想を捨てることだ。

財政とは、夢を語る場所ではない。支払能力負担配分の話だ。

誰が払うのか、いつ払うのか、何を諦めるのか。その冷たい問いから逃げた瞬間、議論自己放尿になる。

そして残るのは、臭いと湿り気と、次世代へのツケだけだ。

Permalink |記事への反応(0) | 10:34

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2026-02-09

anond:20260209121104

その反論も、指摘としてはそれっぽいけど、論理としては雑。

まず前提を疑うべきなのは正しい。

ただし「提示された前提を疑わない」は、批判として成立するために条件が要る。

前提には2種類ある。

1つは「議論のために一旦置く仮定」(作業仮説)。

もう1つは「結論を成立させるためにこっそり埋め込まれ仮定」(隠れ前提)。

問題になるのは後者だけ。

たとえば選挙マッチングの話で言うなら、前提はこうだ

これは疑うべき前提ではあるが、同時にかなり検証可能命題でもある。

実際、質問セットを変えたら結果が変わるのは観測できるし、重み付けが影響するのは数学的に自明

まり、ここで前提を疑うなら、疑い方は

質問設計は本当に影響するのか?」

「影響するとしてどの程度か?」

「その効果選挙結果に実質的に効くのか?」

という方向になるべき。

ところが「前提を疑わない」と言うだけで止まるのは、実質的には検証作業をせずに、態度だけで上から殴っているだけ。

これは批判ではなく、懐疑主義を装った逃げ。

さらに言うと、あらゆる議論は必ず前提から始まる。

前提を疑い続けるだけなら、永久に何も言えない。「私は存在するのか?」から止まる。

から重要なのは

この3点。

そして皮肉なのは、「提示された前提を疑わない」という批判自体が、別の前提を疑ってないこと。

その批判の隠れ前提はこう

「前提を疑わない文章は低品質である

「疑う姿勢があれば正しい方向に行く」

でもこれは正しくない。

疑うのは知性ではなく手段であって、疑い方が雑ならただのノイズ製造機になる。

「前提を疑え」は正論だが、反論として成立するには、どの前提が誤りで、どう修正すべきかまで言わないといけない。

それを言わずに疑ってないとだけ言うのは、議論ではなくポーズ。むしろ典型的マウンティングテンプレ

Permalink |記事への反応(0) | 12:13

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

anond:20260209113006

「この世は完全ではない」みたいな偽になりえない命題を出されても「そうですね、で?」としか

Permalink |記事への反応(1) | 11:36

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

現実を見たほうがいい

人はね、こいつ現実を見てないな〜と感じた人間にはついて行かない。危なっかしいからね。

もちろんこれは全称命題ではなく傾向の話だ。ヒトラートランプにみんなでついて行ってしまうこともあるのだから

日本では幸いにして【極端なことを言う煽動者にはついて行かない】という消極的世間知が概ね機能しているのだ。

百田有本なんかいくら騒いでも泡沫だろ?

参政躍進と言ったってあの程度だろ?

立花孝志は結局豚箱だろ?

高市について行ってるじゃないか!もう終わりだ!戦争不可避だ!」って、だから現実を見ろというんだよ。

高市首相上記↑のようなフットワークの軽い煽動家とは全然違う。しがらみだらけの凡庸自民党員だ。そこの違いが見えてないのは現実を見てないやつだけだ。

プリウスミサイル」と聞いて本物の破壊兵器だと思って慌てふためくぐらいのことやってるんだぞ。高市自民大勝に恐れおののくアホは。

お前らがこの世の悪の根源だと恐れおののいた安倍さんだって「しがらみだらけの凡庸自民党員」だった。お前らが言うような戦争憲法破棄も何もしなかった。「これが通ったらおしまいだ」と騒いだ法制が通っても何も起きなかった。これまで何度も繰り返されてきた通り。

「どうして自民党みたいなファシズム政党についていくのか、そんなに戦争がしたいのか!?

って、そりゃ自民党ファシズム政党でも戦争勢力でもなく、腐敗だらけでもこれまで政権運営してきた実績から、危なっかしさにおいて他よりマシだと思われてるだけだよ。

ほんといい加減に現実を見なさいよ。

左翼現実見てないのがバレバレから少数派なんだよ。

Permalink |記事への反応(1) | 08:21

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2026-02-08

[dorawii]anond:20260208185233

まず大前提として、

「賛成派が全員いなくなったら正しさが決まる」

なんて主張、こっちは一度もしてないですよね。

それ、あなた勝手に付け足した

藁人形です。

数学的な正しさは、

・誰が生きてるか

・誰が賛成してるか

多数派かどうか

一切関係ありません。

仮に極端な話として

世界中数学者が全員いなくなっても、

「射影すると単射性が失われうる」

という命題の真偽は1ミリも変わらない。

これ、分かります

望月新一の件でも同じで、

あれは

「人が死ねば正しくなる」

じゃなくて、

検証が困難

理解時間がかかる

共通言語がまだ整っていない

という社会的検証的な問題があるだけ。

真理が

「賛成派の人数」で決まるなら、

中世の時点で

地動説永遠に間違いだったことになりますけど、

さすがにそれはないですよね。

で、あなたの今の主張を整理すると、

人の評価が変わる→ 正しさも変わる

って言ってるわけですが、

それは

数学じゃなくて社会学の話です。

数学命題

証明があるか

・反例があるか

それだけ。

人がどう思うかは

ノイズであって

判定条件じゃない。

要するに今の発言って、

・「相対化」という言葉を使って

・真偽判定の軸を

人間関係すり替えてる

だけなんですよ。

で、肝心の命題――

変数を消去(射影)すると情報が落ちうる」

ここに反例、出せます

出せないなら、

賛成派がどうこう、望月がどうこう言っても、

それは全部話題そらしです。

正しさは

人が生きてるか死んでるかで決まらない。

この一点、まず受け入れないと

何も前に進みませんよ。

Permalink |記事への反応(2) | 18:54

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

anond:20260208184651

いや、「正しいと思ってる人が分かれてる=相対化=認知の話」

この三段跳び、成立してないんですよ。

人によって

・正しいと思う

・間違ってると思う

が分かれること自体は、

真理の性質じゃなくて

理解状況の分布の話なんですよね。

たとえば

「1は素数か?」

昔は教科書でも割れてました。

でも今は定義が整理されて

数学的には決着してる。

この間ずっと

認知割れてただけで、数学が相対化されたわけじゃないですよね。

今の話も同じで、

・射影すると区別できない点が生じうる

変数消去で自由度が下がる

これ、命題としては

真か偽かのどちらかです。

人が割れてるからって

命題が急に主観的になるわけじゃない。

で、望月新一を出した時と同じ構図なんですけど、

あなた

判断割れてる」

認知問題

「相対化」

って一本道にしてるけど、

その間にある

検証可能性難易度を丸ごと落としてるんですよ。

難しい話ほど

理解時間がかかる

・誤解も増える

から割れる。

でもそれは

真理が相対的からじゃない。

今回の件なんて、

極端に言えば

具体例1個で終わる話です。

そこに「相対化」持ち出すの、

スケール感が合ってない。

要するに、

・人が割れてる →社会的事実

命題が正しいか数学事実

この2つを混ぜた瞬間に、

「全部認知の話」って錯覚が生まれるだけなんですよ。

から結論シンプルで、

相対化されてるのは

評価理解であって、

命題のものじゃない。

そこ切り分けない限り、

何を持ち出しても

全部「認知の話」に見えてしまうだけなんですけど、

その区別、ついてます

Permalink |記事への反応(1) | 18:50

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2026-02-07

命題ロリコン絵は犯罪に繋る」について考える

この命題が正しい場合犯罪側は絵を規制することはしないと考えられる

なぜなら実際の犯罪入口になるのであれば、顧客が増加する広告となり有益から

しかし実際に犯罪側が行なったのは、絵を規制する事に繋る行動だったという噂が最近話題のアレで散見された

これは資本主義原理で考えると「競合相手市場から排除する」ことであり、所謂顧客の奪い合いがあるということなのではないか

命題矛盾しているということで、命題が間違っている可能性がある

まりロリコン絵は犯罪に繋がらない」という命題が真ではないか

という事を布団の中で考えているうちに眠くなったので寝る

Permalink |記事への反応(1) | 23:21

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2026-02-02

anond:20260202163312

陰謀論的に前面に立たせる奴は有能な奴を選ぶという命題に対して

安野とかいうしゃべりがまともにできないやつを選んでる時点で否定してもよさそうだと思ってる

Permalink |記事への反応(1) | 16:37

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2026-01-26

【論考】「浸透」ではなく「召喚」された怪物:「山上徹也判決から見る統一教会自民党政治経済学

【はじめに】

システム工学的「エポケー(判断保留)」と、リヴァイアサン代謝

本稿は、現代日本政治における「権力宗教」の構造癒着、および「山上徹也」という事象を、道徳的善悪の彼岸にある「システム工学的な機能不全と最適化」の観点から記述する試みである

あらかじめ断っておくが、本稿には犯罪行為正当化する意図も、特定信仰弾圧する意図も一切ない。

現象の「論理的解明(Explanation)」は、決して行為の「倫理的擁護(Justification)」と等価ではない。

病理学者ウイルス感染経路淡々と追跡するように、筆者は犯罪者も、政治家も、信者も、すべて巨大な統治機構リヴァイアサン)を構成する「部品」および「代謝産物」として等価に扱う。

読者が感じるかもしれない不快感は、システムのもの内包する「非人間的な合理性」の反映に過ぎない。

筆者は前稿『歪なリヴァイアサン』において、自民党を「魂(イデオロギー)を持たない利益配分マシン」と定義した。

しかし、高度成長が終わり、配るべき「カネ(利益)」が枯渇したとき、魂を持たないこのマシンは、いかにして自らを駆動させる熱量調達するのか?

本稿は、この問いに対する回答である

システム生存のために、外部から安価な魂」と「無料労働力」を調達する必要があった。その調達先こそが、統一教会という名の「政治下請け業者BPOパートナー)」である

本稿では、リヴァイアサンいかにしてこの異物を「召喚」し、その病理的な代謝プロセスの中で、いかなる副作用山上徹也)を必然的排出したのかを解剖する。

序論:誤診された「犯罪者

2026年1月奈良地裁山上徹也被告無期懲役を言い渡した。判決文、そして世論の多くは、彼を「家庭環境絶望した、極めて特異で孤独犯罪者」として処理しようとしている。

しかし、これは誤診である。あるいは、意図的な隠蔽と言ってもよい。

我々の「システム論」の視座に立てば、山上徹也という存在は、決して予測不能バグ(異常値)ではない。彼は、戦後日本政治システムが正常に稼働し続けた結果、必然的排出された「産業廃棄物システムバイプロダクト)」である

彼を「極端な個人」として切り捨てることは、工場が川に垂れ流した汚染水奇形魚が生まれた際に、工場排水システム点検せず、「その魚の特異体質」を責めるに等しい。

第一命題冷徹なる「バーター取引」の明細書

なぜ、統一教会という異質なカルトが、日本政権中枢にこれほど深く食い込めたのか。

教会が巧みに自民党洗脳・浸透した」という被害者面をしたナラティブが流布しているが、これは歴史的にも構造的にも誤りである

正しくはこうだ。自民党というシステムには、構造的な「欠落」があり、その穴を埋めるために教会を自ら「召喚」したのである

自民党統一教会関係を「信仰」や「思想共鳴」で語ることは、事の本質を見誤らせる。

両者を結びつけていたのは、互いの「欠損」を補い合う、極めてドライで実利的な「政治バーター取引(交換条件)」である

この取引バランスシート貸借対照表)を精査すれば、なぜシステム教会を切断できなかったのかが明確になる。

自民党発注者)が得たもの統治コストの「極限的削減」

自民党教会から調達していたのは、カネ(献金)以上に、「カネのかからない実働部隊」であった。

無償公設秘書運動員人的資源ダンピング):

選挙には膨大な人件費がかかる。しかし、教会から派遣される秘書運動員は、給与要求しないどころか、教団の教義に従って「無私の奉仕」として24時間働く。

これは、企業経営で言えば「違法なほどの低賃金労働力」を独占的に確保しているに等しい。自民党議員にとって、これほどコストパフォーマンスの良い「兵隊」は他に存在しなかった。

鉄の組織票限界議席の決定権):

数万票単位で動く教団の組織票は、全体の得票数から見れば僅かかもしれない。しかし、当落線上にある小選挙区候補者にとっては、この「確実に計算できる数万票」こそが、政治生命を左右する決定打となる。

教会はこの票を餌に、個々の議員コントロール下に置いた。

「汚れ仕事」の代行(イデオロギーの防壁):

スパイ防止法制定や選択夫婦別姓反対など、リベラルからの反発が強い右派政策の推進運動を、「国際勝共連合」という別動隊に担わせた。これにより、自民党本体は「中道」の顔を保ったまま、保守層の支持を固めることができた。

統一教会(受注者)が得たもの:「略奪のライセンス

対する教会側が求めたのは、日本という巨大な資金源でビジネスを続けるための「不可侵条約」と「お墨付きである

権威ロンダリング信用創造):

教祖幹部が、岸信介安倍晋三といった歴代首相と並んで写真に収まること。あるいは、関連イベントビデオメッセージをもらうこと。

これらは単なる記念ではない。信者勧誘対象者に対し、「総理大臣も認める立派な団体である」と信じ込ませるための「最強の営業ツール」として利用された。政治家の権威は、霊感商法正当化するためにロンダリングされたのである

行政権力による「不作為」の防波堤

長年にわたり霊感商法に対する警察捜査消費者庁規制が、不可解なほど鈍かった事実は見逃せない。

さらに決定的だったのは、2015年の「名称変更」の承認である悪名高い「統一教会から世界平和統一家庭連合」への看板の掛け替えを、当時の下村文科相下の文化庁が認めたことで、教団は過去の悪評をリセットし、新たな勧誘活動を展開することが可能になった。

これは実質的に、国家が教団に対し、「日本国民から搾取継続してもよい」というライセンス免許)を更新したに等しい。

財務面での隠し報酬:「宗教法人格」というタックス・ヘイブン

教会が喉から手が出るほど欲しがり、自民党が頑なに守り続けた最大の利権。それは、日本国内に「聖域」と呼ばれる非課税地帯を維持することであった。

献金」という名の非課税売上:

通常の企業であれば、商品を売って利益が出れば法人税がかかる。

しかし、教会は「壺」や「多宝塔」を売る行為を、商行為ではなく「宗教的な寄付献金)」と定義した。

日本宗教法人法において、宗教活動による収入は「非課税である

これにより、信者から巻き上げた数千億円規模の資産は、国家による徴税というフィルターを通らず、丸ごと教団の懐に入った。これは、実質的国家が教団に対して「法人税相当分(利益の約20〜30%)の補助金」を裏で渡しているに等しい。

財務ブラックボックス化(監査免除):

株式会社と異なり、宗教法人は財務諸表の公開義務が極めて緩い(実質的に外部からは見えない)。

この「不透明性の維持」こそが、自民党教会提供した最大のサービスの一つである

信教の自由」を盾に、宗教法人法へのメス(厳格な会計監査義務化など)を入れないことによって、教会日本で集めた莫大な資金を、誰にも監視されずに韓国本部米国へ送金することができた。

日本は、教団にとって世界で最も効率の良い「集金マシンタックス・ヘイブン租税回避地)」として機能させられたのである

(元)連立パートナー公明党創価学会)への配慮という「人質」:

なぜ自民党宗教法人課税に手を付けられないのか?

それは、統一教会だけに課税しようとすれば、かつて自民党の連立パートナーである公明党支持母体創価学会)や、自民党保守地盤である神社本庁など、他の巨大宗教団体既得権益も脅かすことになるからだ。

この「相互確証破壊」の構造があるため、宗教法人税制はアンタッチャブルな聖域となり、統一教会はその「大きな傘」の下で安住することができた。

第二の命題山上徹也という「排出ガス」

この取引において、自民党は「政治コスト」を削減し、教会は「法的リスク」を回避した。

まさにWin-Win関係である

しかし、経済学原則として、「フリーランチ(タダ飯)」は存在しない。

自民党が浮かせたコストと、教会が得た利益。その莫大なツケを払わされたのは誰か?

その全てのツケは、「信者家庭からの略奪的採掘」によって支払われた。

ここで、山上徹也という存在の正体が明らかになる。

燃料としての家族

自民党に「無償秘書」を派遣するためには、教会職員を養うカネがいる。そのカネを作るために、山上徹也の母親は「霊感商法」によって資産の全てを搾り取られた。

山上家が破産し、兄が自殺し、一家崩壊したプロセスは、悲劇ではない。それは、自民党という巨大なエンジンを回すために、燃料として「消費」されたに過ぎない。

ラグ鉱滓)としての息子:

燃料(資産と家庭の幸福)が燃やし尽くされた後に残った、燃えない残骸。

金も、親の愛も、学歴も、社会的地位も奪われ、空っぽになった人間

それが山上徹也だ。

彼は社会不適合者だったか犯罪行為を起こしたのではない。システムが彼から全てを収奪し、その後の「廃棄物処理」を怠った結果、有毒ガスが充満して引火したのである

あの手製の銃は、狂人武器ではない。それは、政治システム排出した「毒」が、逆流して配管(安倍元首相)を破裂させた物理現象だ。

司法政治による「封印処理」

2026年無期懲役判決と、それに続く高市首相解散総選挙。これらは一連の「汚染除去作業である

判決意味

裁判所は、彼を「政治犯」として認めなかった。認めてしまえば、「自民党カルトを使って国民搾取していた」という因果関係司法公認することになるからだ。

彼を「母親への恨みで暴走たかわいそうな男」という物語に閉じ込め、刑務所という最終処分場隔離することで、システムは「我々には責任がない」と宣言した。

解散意味

高市首相は、判決の直後に解散を打つことで、この事件を「過去歴史」へと押し流した。選挙の争点を「教団問題からずらし、再度の勝利によって「禊(みそぎ)」を完了させる。

これにより、「教会を利用するシステム」は温存され、単に「より見えにくい形」で地下潜行するだけとなる。

結論リヴァイアサンは、今日も何かを食べている

山上徹也は極端な個人ではない。システムが生んだ副産物である

教会侵略者ではない。システム召喚した下請けである

この二つの命題が指し示す事実残酷だ。

我々が見ている「平和日本」は、山上家のような「声なき生贄」を燃料として燃やすことで、かろうじて維持されている。

無期懲役判決が確定した瞬間、システムは安堵の息を漏らしただろう。

だが、構造が変わらない限り、第二、第三の山上徹也(産業廃棄物)は、今もどこかの家庭で静かに生成され続けている。

リヴァイアサンは飢えており、次の燃料を常に求めているのだから

Permalink |記事への反応(0) | 18:30

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

anond:20260126143506

パチンコ期待値プラスにできるんだけどね

タイパが悪すぎるから本気でやろうって人が少ないだけ

俺は優待目的で買ってる株は3銘柄だけで、基本はS&Pと金運用してるからなあ

命題経済素人に毛が生えた程度には理解してるつもりだけど、株主優待うれぴ~ってやつに命題がどうのって空気読めてねえなとしか思えないわ

Permalink |記事への反応(1) | 14:40

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

anond:20260126142938

MMTじゃなくてMM命題

全く別の概念

Permalink |記事への反応(1) | 14:30

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

anond:20260126142545

まず「期待値プラスだったことも、合理的投資だったこと」はお前しか論じてないの

合理的云々ならオルカン、S&P、インテックスファンドで終わる話だから

俺は元増田ではないんだけど、元増田のようなうっすい優待のしみ~。って投稿命題だの期待値だの合理的だの出すお前みたいなのがきもいって話だよ

Permalink |記事への反応(1) | 14:28

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

anond:20260126142401

しかったという感想否定しない。

でもそれは、期待値プラスだったことも、合理的投資だったことも示さない。

そこを区別しない限り、命題無関係だと言い張るのは論点ずらしだ。

Permalink |記事への反応(1) | 14:25

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

anond:20260126140354

長文乙

「金の使いどころ、投資先として妥当かどうかまで議論したら正解がない」ってところ無視しちゃってるね

株主優待を期待して株を買った株主優待もらえてラッキーである事実は変わらない

そこには命題関係ないって話しかしてないの

Permalink |記事への反応(1) | 14:24

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

文系って「定義」で理解しようとするよな

経済学定理とかあるとして、それを数値に落とし込めば対称性とか出てくるのに、文系定義理解しようとするから定義合致しない主張を「数値が示していても」拒否している。

 

経済学定理は、本来ほとんどが数式で書ける。効用関数、制約条件、期待値、均衡条件。そこに一度落とし込むと、対称性や保存則めいたもの自然に立ち上がる。

たとえばMM命題でも、「企業が外に出す総キャッシュフロー一定」という制約の下で、配り方を変えても価値が不変になる、という構造対称性が見える。これは定義問題ではなく、写像の不変量の話だ。

 

ところが数式を経由しない理解だと、話は言葉の箱詰めになる。

企業価値とは何か」「株主が得するとは何か」という定義をまず固定し、そこから外れる主張は、たとえ数値やモデルが示していても「定義に合わないか却下」になる。これは反証拒否というより、形式言語への過剰コミットだ。

 

典型的なのがこういう思考経路だ。

優待現実に得をしている人がいる」→「得している以上、価値がある」

ここでは期待値価格調整も、数値としての均衡条件も登場しない。代わりに「得」という日常語の定義けが支配する。数値モデルが示す対称性は、最初から視界に入っていない。

 

物理数学に慣れている人は逆をやる。

まず量を置く。保存量があるかを見る。対称性があればノーザー的に不変量を疑う。定義最後に整える。

経済学定理も、本来こちら側の文化に属している。MM命題が美しいのは、倫理でも経験談でもなく、対称性露出しているからだ。

 

このズレが厄介なのは、数値で示しても通じない点だ。

「この条件下では期待収益は等しい」と言っても、相手は「でも優待は嬉しいよね?」と返す。これは反論ではなく、別の座標系で話している。

 

問題は、構造の話をしている場面で、例外感情主語にしてしまうこと。

経済学定理がしばしば誤解されるのは、「社会の話なのに、実は対称性の話をしている」からだ。

この理解様式のものが、優待論争みたいなところで露骨に噴き出している。

Permalink |記事への反応(1) | 14:18

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

anond:20260126140021

論点がずれている。ずれ方をそのまま解剖しよう。

まず「MM命題企業価値の話であって、株主個人優待をもらって嬉しいかどうかとは無関係だ」と。これは事実の一部しか言っていない。

かにMM命題企業価値不変の命題だ。そこまでは正しい。

でも、もう一段進む必要がある。なぜなら投資家が株を買う理由は「嬉しい」ではなく期待価値からだ。

優待をもらって「おいしい」という主張は、数学的に書くとこうなる →「市場価格に織り込まれていない正の価値を、優待が生んでいる」

もしこれが本当なら、優待株は系統的に割安であるはずだ。だが、割安なら裁定で買われ、株価が上がり、割安性は消える。ここでMM裁定論が直結する。

次に致命的なのが「優待をもらえたらラッキー」という表現だ。

ラッキーという言葉が出た瞬間、それは事前期待ではなく事後効用の話になる。経済学は事後の満足度否定しないが、投資判断正当化には使えない。宝くじに当たって嬉しいのと論理構造は同じだ。

さら重要なのは、「誰も困らない」という部分。

これは完全に誤りだ。優待の原資は企業キャッシュフローで、最終的には株価配当のどちらかを押し下げる。つまり

この層が、間接的にコスト負担している。見えにくいだけで、負担は確実に存在する。

そして最後すり替えがこれ。→「命題とは全く関係ない話」

関係ないどころか、まさに命題否定している直感感情語で再提示しているだけだ。

MM命題が言っているのは、「配り方を変えても、事前の期待価値は増えない」という点。

「もらえて嬉しい」は、その命題の射程外ではなく、射程内で既に説明済みの錯覚だ。

嬉しいのは否定しない。でもそれは投資が正しかった証拠にはならない。

Permalink |記事への反応(1) | 14:03

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

anond:20260126135430

知ったばかりの単語使いたくなっちゃったんだね

命題は、配当株主優待の有無で「企業価値」が変わらないってだけで、優待がある株を買って優待もらえたら株主はおいしい事実には変わらないんだよね

金の使いどころ、投資先として妥当かどうかまで議論したら正解がないけど、優待目的で株を買って優待もらってラッキーならだれも困らんし、命題とは全く関係ない話

Permalink |記事への反応(2) | 14:00

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

anond:20260126135046

優待無意味

ミラーモディリアーニ命題とか勉強しようよ

おじさんと、約束できるかな

Permalink |記事への反応(4) | 13:54

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

【なぜ?】衆議院解散総選挙により高市内閣支持率が下がるんだ

高市内閣支持率低下が報じられているが、我々支持者は今こそ冷静に「解散真意」を問い直すべきではないか野党メディアが大合唱の、思考を華麗にスキップした「政治空白」という言葉にまんまと流されるのはあまりに惜しい。

解散国民生活放置」という批判は、表面的な議論に過ぎない。高市首相が掲げる「国民生活を守り抜く」という大命題には、明確なタイムリミット存在する。現行の国会構成少数与党)による停滞した議論では、激動する世界情勢のスピードに到底追いつけないと判断した結果が、この解散なのだ

理想論としての「丁寧な議論」も大切だが、今の日本にそんな悠長な時間は残されていない。『常に危機感を抱き、前のめりで決断を急ぐ首相』の姿は、まさにその切迫感の表れだ。

高市内閣を支持してきた諸氏には、目先のデメリット喧騒に惑わされてほしくない。今この国に必要なのは、小さな摩擦を恐れて立ち止まることではなく、大義を見据えて迅速に突き進む突破であるはずだ。

Permalink |記事への反応(0) | 10:46

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2026-01-24

anond:20260124014938

前提確認質問ありがとう

私は政府家計企業と同型の“資金制約主体”だとは採用していません。

自国通貨建てで支出でき、徴税権もあり、会計上は家計と違うのはその通りだと思っています

ただ、その制度理解採用しても、政府に制約がないわけではなく、実物資源・インフレ為替/対外バランス制度運用能力などの制約は残る、という立場です。

ここまで前提が合うなら、次の段階として確認したいのは、MMT側(あなた立場)でいう「負け条件」です。

私は“主流派翻訳して反証しろ”と言っているのではなく、あなたの言う制度前提(政府通貨発行者、税は事後回収、制約は資源インフレ)に立ったままで構いません。

その上で質問です:JGを名目アンカーとする制度構造について、どんな観測事実が出たら「この主張は誤り/修正必要」と認めますか?(2〜3個でいいので、第三者確認できる形で挙げてほしいです)

もしそれを提示できないなら、議論経験命題ではなく規範思想)の主張になってしまうので、そこをはっきりさせたいです。

反証条件が提示されない限り、MMT経験科学理論として議論することはできないので、私はいったんここで議論を止めます

反証条件(観測可能な負け条件)を提示できるなら、その時点で再開したいです。

Permalink |記事への反応(0) | 01:53

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

anond:20260124004351

増田さんの書いていること、私は次のように理解しました。合ってますか?

1.主流派批判反証主義テスト要求)は、MMTを「財政拡張正当化するマクロ理論」として扱っている

でも増田さんの見立てでは、それはMMT本体ではなく、すでに「主流派MMTを別物に再定義している」ので批判として失当。

2.MMTの出発点は“減税や財政拡張の是非”ではなく、国家貨幣制度的な定義

具体的には、政府は「市場から資金調達して支出する主体」ではなく、

通貨発行→(その通貨での納税義務)→実物資源へのアクセス確保

という意味で、社会的資源を provision(動員・調達) する主体だ、という前提(会計制度説明)を置く。

3.だから増田さんは、

「コア命題の固定」「事前予測」「負け条件の明文化」みたいな“反証主義要求自体が、

MMTを主流派マクロ翻訳し直した上で、翻訳版が主流派基準を満たさないと批判する方法論的循環

になっている、と言いたい。

4.さらにBさんは「主流派が provision をモデルに入れられない理由」を4点挙げていて、要旨はこう:

(主体定義)政府家計企業と同型に置く主流派モデルの前提が、provision を入れると崩れる

(価格理論) JGなどを“制度的な価格アンカー”とすると NAIRU 等の枠組みが内側から否定される

(方法論) provision は予測誤差で勝負する命題ではなく、制度記述の正否の問題なので反証主義と相性が悪い

(帰結) provision を認めると政策含意(失業政策選択財政破綻論は虚構等)が大きく変わり、主流派の「価値中立」っぽさが保てなくなる

——ここまでが増田さんの主張の骨子で、私の理解です。

その上で、確認したいのは1点で、

増田さんは 「MMTは“制度記述の正否”として評価されるべきで、予測精度や推計による反証原理的に適用不能」 という立場ですか?

それとも 「制度記述部分(会計やオペの説明)は記述として正しいとしても、政策パッケージ(JG・ゼロ金利固定・国債制度設計など)の含意は別途、因果推論や予測検証されるべき」 という立場ですか?

私には、後者記述の正否と政策含意の検証を分ける)なら、反証主義的な検証要求は“翻訳”ではなく、むしろ政策理論としての責任の話に見えます

制度記述が正しいことと、そこから出る政策主張(例:ゼロ金利固定が望ましい、国債廃止が望ましい、JGが物価の錨になる等)が正しいことは別で、後者反証可能な形でテストできるはずでは?



増田さんはこの点をどう考えていますか?

Permalink |記事への反応(0) | 01:08

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

anond:20260124004351

流派によるその批判は、MMT

財政拡張余地を大きく取るマクロ理論

として再定義した上で評価している点で、すでに失当です。


1.コア命題の固定

2.競合理論とズレる事前予測

3.負け条件の明文化

4.検証継続

まず1をやれ

Permalink |記事への反応(0) | 00:59

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2026-01-23

anond:20260123234041

それでも主流派が“反証主義的に強い”と言われるのは、上で見たように

という⭐「負け方のルール」が共有されているからです。



流派がやってきたのは「理論の核を固定し、反証条件を明確化し、方法論を更新し続けて生存してきた」という歴史です。

からMMTが“学界で対抗可能理論”として評価されたいなら、同じ土俵

必要です

Permalink |記事への反応(0) | 23:44

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

anond:20260123233433

「主流派経済学反証主義的に“証明”されてきたか?」は、厳密には証明数学みたいに真を確定)ではなく、より現実に近い形でいうと

…という意味での「反証主義的な淘汰」です。

以下、主流派がどう“反証に耐える形”に進化してきたかを、代表例で整理します。

1)方法レベル反証可能な形に「落とす」こと自体を重視してきた

サミュエルソンは、理論を“操作可能(operational)な命題”=観測検証できる形に落とすことを強調した流れの中心人物として語られます

フリードマンは、(前提のリアリズムよりも)予測力を評価軸に置く「実証可能な含意で勝負する」方法論を強く打ち出しました。

ここがまず“反証主義っぽい”土台です(ただし、後述の通り経済学は補助仮説が多く、純粋ポパー型の運用は難しい)。

2)マクロ典型例:フィリップス曲線の「単純な政策トレードオフ」は壊れた

1950〜60年代に「失業率を下げるとインフレが上がる」ような安定関係が“政策メニュー”として扱われましたが、のちに

期待インフレを入れた「期待修正フィリップス曲線」へ

長期ではトレードオフが成り立たない(自然失業率/NAIRU)方向へ

という更新が起きますフリードマン1968年講演が、期待を組み込む方向に大きな影響を与えた、という整理は一次資料研究史確認できます

また1970年代経験が、この見方を後押しした、という研究史的整理もあります

要するにここは、「古い単純形が反証説明不能)に晒され、修正された」例です。

3)ルーカス批判政策が変わると推計式も変わる、という“反証の形”を導入した

ルーカス批判は、「過去経験則(縮約形)をそのまま政策評価に使うのは危ない。政策が変われば人々の意思決定(期待)が変わり、推計式のパラメータが不変でなくなる」という主張です。

この主張自体も、のちに実証的に検討テスト)される対象になっています

この流れが、マクロを「ミクロ基礎(最適化・期待)」を持つ構造モデルへ寄せる大きな動機になりました。

4) DSGEなど“構造モデル”は、透明性と検証可能性を上げる方向で発展した

DSGEは強い仮定批判され続けていますが、「政策変更の効果を、前提・メカニズムを開示した上で評価する枠組み」として中銀・研究で中心的に使われてきた、という位置づけは一次資料でも見られます

同時に、危機後の批判や改良も含めて「適用可能性・限界」を体系的に検討する研究も積み上がっています

ここでの“反証主義”は、「このモデルが真」ではなく、競合モデルと比べて予測政策評価整合性がどれだけ良いかで生き残る、という競争です。

5)ミクロ実証いちばん反証主義が“制度として”強く働いたのはここ(信用革命

近年の主流派の強さは、むしろミクロ因果推論で顕著です。

これはまさに、「この推定因果だ」という主張が、設計の穴を突かれて反証される/改善される、という反証主義制度運用です。

6) じゃあ主流派は“ポパー型にきれい反証”されてきたのか?

ここは正直に言うと きれいはいきません。理由典型的に

ので、単発で「はい反証理論死亡」とはならず、部分修正モデル更新になりやすい。

それでも主流派が“反証主義的に強い”と言われるのは、上で見たように

という⭐「負け方のルール」が共有されているからです。




流派がやってきたのは「理論の核を固定し、反証条件を明確化し、方法論を更新し続けて生存してきた」という歴史です。

からMMTが“学界で対抗可能理論”として評価されたいなら、同じ土俵

必要です

Permalink |記事への反応(0) | 23:37

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

次の25件>
ログインユーザー登録
ようこそ ゲスト さん
Copyright (C) 2001-2026 hatena. All Rights Reserved.

[8]ページ先頭

©2009-2026 Movatter.jp