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はてなキーワード:呼称問題とは

2024-10-21

追記あり日本絵師界隈が、反AI因習村と化した理由についての一考察

10/22追記

深夜のダラダラした文章に、思った以上の反響があり、恐縮です。キャンセルカルチャー運動辟易していましたので、考察と言いつつ、n=1の、偏見まみれのくさすような内容になっており、申し訳ございません。

コメントを通して、西洋史観や海外勢の動きなど己の勉強不足を感じ、大変参考になりました。ほか、新たに以下の視点を得ました。

絵師界隈にもプレイヤーはきちんと多数存在していて、それはいわゆる多くの「二次創作をメインに活動する者」なのではないか
にもかかわらず、「二次創作をメインに活動する者」は、自身を「プレイヤー」ではなく「クリエイター」だと勘違いしているから、絵師界隈の創作の循環は停滞し、変なことになってしまっているのでは?

現行法合法とされている無断学習(?)をダメとし、無断の二次創作をヨシとする矛盾性など)


声優はどうなの? について

彼らの職業は、対脚本家演者という関係からみて、クリエイターではなくプレイヤーよりかなという偏見があったため、言及していません。

そもそも、声は、創作というより身体的特徴なので、人権の一つとして適切に保護されることには、なんら議論余地はないのでは。

■ 「絵師」だけじゃなくて、「猟師」とかもあるやん? について

自他ともに達人と認める域に達した方が、「ワシは猟師じゃ」と自称するのは、偉そうだけど実際に偉いし、じゅうぶん身の丈にあっているのでいいんじゃないでしょうか。

追記終わり


本編


最近日本の「絵師」と呼ばれる者達の界隈で、生成AIに対する反発が拡がっている。

それは年々過激さを増し、最早、「お気持ち」や「感情的な反発」ただそれのみで、法的にも倫理的にも問題のないコンテンツを焼き払うまでにいたった。

因習村呼ばわりも、宜なるかな・・・・・・。

もちろん、全ての絵師がそうだとは思わないし、思いたくはない。

このような状況下では肯定的意見など出せようもないだろう。魔女狩りの憂き目にあってしまう。


さて、リーガルマインド(法的思考能力)は、法学部法律科目をみっちり学んでやっと習得できるようなものなので、これを持たない相手議論をふっかけても、いつの間にか例えになっていない例え話にすり替わるのがオチだ。

から、反AIを説得したり、論破したりするつもりは、私にはない。

ただ、不思議な点があったので、分析しようと思った。


生成AIに過剰に反発をしているのは、「絵師」やそれをとりまく「アニメコンテンツ」(以下、「絵師界隈」という。)に限られている。

他の分野でも生成AI進化・深化はめざましいが、変な炎上なども起こらず、粛々と最新ツールとして活用されている。

実際、私がメインで活動している音楽分野(以下、「音楽界隈」という。)でも、生成AIは、比較自然に受け入れられている。

同じクリエーターなのに、なぜ、こうもスタンスが異なるのか?


私は、三つの理由があると考えた。


-「創作の循環」の認識の違い

音楽界隈にいると、少数の作曲家(以下、「クリエイター」という。)、多数の演奏家(以下、「プレイヤー」という。)、無数の聴衆(以下、「リスナー」という。)が互いにインスパイアし合う「「創作の循環」、古から続く巨大なうねりを、あらゆる局面で感じる。

生成AI学習云々の問題は、この循環の一要素として、肯定的に受け入れられている。

しかし、絵師界隈には、循環の要となるプレイヤーがほぼ存在しないため、「「創作の循環」を知覚しづらい。

全ての創作は己の独力によるものだと勘違いしてしまう。


-「才能と作品」の認識の違い

西洋芸術は、音楽絵画の分野を問わず、才能は神から与えられたもので、作品は神に捧げるもの、という共通認識のもと、発展してきた。

信仰が薄れてきた現代においても、なお、フェアユース思想として残っている。

対して、日本には、そのような一神教概念はないものの、少なくとも音楽界隈にあっては、神に奉納する神楽なる存在がある。

更に、音楽理論そのものが、西洋ルーツとするので、「与えられた「捧げる」意識を醸成する機会が多い。

一方で、日本絵師界隈は、ガラパゴス状態進化しているため、「自分ゼロから努力して勝ち取ったもの」「作品自己表現」という認知になりやすいのではないか


-クリエイターレベルの違い

今、音楽本業として、いわゆる音楽でメシをくっているクリエイターは、厳しく長い音楽不況を乗り越えた存在であるので、生成AIときには脅かされない実力がある。

そうでないクリエイターは、純粋趣味として作品を作って発表して楽しんでいるので、生成AIも、面白いツールが出たな、としか捉えない。

一方、イラスト本業として、それでメシをくっている絵師界隈は、クリエイターの淘汰が進んでおらず、生成AIとき簡単に脅かされてしまう。

リアル生活がかかっているのなら、反発も過激になってしまうだろう。

参入障壁の低さと、00年代から需要の急速な拡大が、本来実力に見合わない人間プロとさせてしまったのかもしれない。

さながら、チューリップ・バブルだ。


以下、それぞれ、補足。


創作の循環」の認識の違い

音楽界隈においては知覚しやすい「創作の循環」

音楽界隈では、古くからクリエイタープレイヤーリスナーが繋がり、互いに影響を与え合う「巨大な循環」が存在している。

例えば、クラシックプレイヤー過去の偉大なクリエイター作品演奏し続けたり、ジャズヒップホップにおいて、サンプリングリミックスを通じて新しい音楽を生み出すのは、既存作品表現再利用する文化根付いているかである

表現の蓄積に敬意を払いながら、新しい創造を探求する」というプロセスを自然に受け入れられる土壌が存在している。

これは、DTM世界も同じで、音源サンプルが膨大に共有され、再利用されている現状からすると、AIによる生成もただ新しい音源手法を追加しただけという感覚が強い。

技術的な進化日常的に行われており、特定の著名なプレイヤー演奏サンプリングして音源化することも一般的である

これにより、生成AIも単なる新しいツールとして、既存の「循環」の中に自然に組み込まれている。

また、音楽界隈において、多くの場合クリエイタープレイヤーを兼ねており、リスナーもまた、プレイヤーを兼ねている。

ただ純粋聴くだけの音楽愛好家は存在するのだろうか?

音楽愛好家ならば、誰だって、一度は何かしらの楽器を触って、誰かの作った曲を演奏しようとした経験があるのではないか

クリエイタープレイヤーリスナーは、多くのケースで同じ立場で、創作の循環に積極的に関与している。

AIがその中に入ることは、「革命」ではなく、単なる「進化」だ。

私自身、音楽を通じてこの循環を何度も経験してきたため、AIを恐れることなく、むしろ新しい創作可能性として受け入れている。

音楽分野では、クリエイタープレイヤーリスナーが互いに影響を与え合い、生成AIもその延長線上にあるのだ。


絵師界隈においては知覚しづらい「創作の循環」

一方で、音楽界隈における「プレイヤー」に相当する役割が、絵師界隈には存在しないか、または極めて少ない。

クリエイターリスナー立場を結びつけ、要として機能する「プレイヤー」という存在希薄であるために、絵師界隈では「創作の循環」を感じる機会が乏しい。

その結果、生成AIは「自分領域侵害する存在」として映ることが多い。

絵師界隈において、絵師は、自分作品について、「自分ゼロから作り上げたものであり、完全な自己表現の成果」として捉える傾向が強く、他人作品に手を加えたり、既存表現再利用することに対しては、現行法問題がなくとも、極めて強い抵抗を感じやすい。



「才能と作品」の認識の違い:

西洋における芸術史とフェアユース

絵画音楽を問わず西洋における芸術歴史を振り返ると、才能は「神から与えられたもの」として見られており、芸術家はその才能を用いて作品を神に捧げるものだった。

パトロンは、神のために芸術家を支援して、芸術家は神のために技術研鑽を重ねた。

結果として、優れた作品がたくさん残り、ありがたくも現代にまで継承されてきた。

芸術史への脱線は避けたいので、軽く触れるにとどめるが、少なくとも、西洋芸術特に歴史的な音楽絵画の中では、才能は「神からの贈り物」として見られてきたため、それを使って作品を作ることは神聖な使命の一部であった。

元来、芸術作品やそれを生み出す才能は、個人の所有物ではなく、社会や神に捧げるものとされてきた。

この背景が、西洋フェアユース概念が広く受け入れられている一因のように思う。

才能や作品は神のものとして共有されるものというコンテクストのもと、生成AIによる「学習」や「再利用」も一部では容認されやすいのだろう。

任天堂とパルワールド訴訟問題における、日本欧米の反応の顕著な違いに、この当たりの感覚の違いが明確に出ているように感じる。

この点、日本絵師界隈にとって、才能は「自分努力によって勝ち取ったもの」であり、作品は完全に自分の所有物という感覚が強いのでは。

創作の循環」という巨大なうねりに触れる機会もないもんね。

その態度を傲慢とみるか、当然の権利とみるかはさておき、だからこそ、生成AI個人努力創造性を「奪うもの」として見られやすく、反発が生まれやすいと考えられる。



まとめ::生成AI技術未来資本主義への影響

このまま日本絵師界隈の生成AIに対する過剰な反発、炎上騒動が続くと、日本では、生成AIアンタッチャブルとなり、なんらの議論進歩も遂げなくなるだろう。

最終的に、生成AI技術は、外国の「GAFA」などの巨大企業によって独占され、資本主義論理に飲み込まれ可能性が高いと感じる。

外国大企業規約契約に巧妙に生成AI技術云々を盛り込み、最終的には技術データを独占し、クリエイターがそれに従わざるを得なくなる未来

絵師界隈の過激活動により、日本企業にとって生成AI技術のものアンタッチャブルとなったので、日本企業呆然と、日本人の優れた才能が外国資本に奪われていくのを眺めるしかできない。

そういう世界に誰がした?

もちろん、これは資本主義の一環であり、技術進化の中で繰り返されてきた「ひとつの循環」として受け入れるしかないのかもしれない。

私自身はそのような未来諦観し、これもまた創作における流れの一部だと考えている。

技術は常に進化し、その中でクリエイティブ表現方法もまた変わっていくものだ。

しかし、絵師界隈は、そういう未来をどう考えているのだろうか?

AIをただ拒否するのではなく、技術と共にクリエイティブ可能性を探求する道もあるのではないかと思うが、彼らはその選択肢考慮しているのだろうか? 

AIは決してクリエイター創造性を奪うものではなく、創作の循環、巨大なうねりの一部として受け入れられるべき可能性を秘めている。

これからクリエイティブ世界で、AIと共に新しい表現の形を探求していきたいので、絵師界隈には邪魔しないでいただきたい。

クリエイターは、絵師だけではない。



余談:呼称問題

「生成AIを使っているヤツを、絵師を呼ぶな」問題にも触れておきたい。

私としては、生成AIを用いて絵を出力する者は、「プロンプト・エンジニア」がより正確な呼称だと考える。

望む絵を出力することは、絵師界隈の人が想像しているような、そう簡単技術ではない。

命令文の模索や、好みのモデル階層マージ云々、どれをとっても、相当な知識必要だ。

現に、クラウドワークスでは既に、「生成AIイラストを出力してほしい」旨の依頼がわんさかある。

もちろん、これらはローカルGoogle Colaboratory等に環境を構築している者に限って、の話である

「NovelAI」や「Dall-E 3」、「Grok-2」など、企業最適化して、提供している出力サービスを使っている者は、今のところ「消費者」かな。

企業最適化したサービスを使ってキャッキャしているだけの人は、ごく普通の・・・・・・一般消費者、それ以上でも以下でもないのでは。

消費者イラスト生成AI恩恵にあずかれるようになっただけ。


そんなことより、絵師界隈の人たちは、自分自分のことを「絵師」って呼んで、恥ずかしくないの?

絵師」という言葉は、2000年代の2チャンネルの「同人板」で、敬称として、使われ始めたと記憶している。

「表紙を絵師に書いてもらって~」とか、「好みの絵師が~」とか。

敬称なので、自分自分のことを「絵師」と名乗る者は、当時はいなかった。

絵師になりたいです!!!」なんて、とんでもない。

一体全体いつから自分自分のことを「師」」と自称するような、恥ずかしい使われ方をされるようになったんだろう?

ニコニコ動画が出てきて、ネットが低年齢化して、「動画師」や「MIX師」という、変な亜種が登場したあたりからだろうか。



Permalink |記事への反応(50) | 00:42

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2024-08-23

東海呼称問題日本しからの主張だが、逆に日本アゲになってる矛盾

東海」とは「東の海」のこと

日本では古来、東の海の彼方には神仙が住むとされ

沖縄ではニライカナイと言ってやはり理想郷があるとされた

朝鮮でも同様に東方神聖視された

朝鮮の「東海」も普通に考えれば「東の海」であり

本来日本海だけでなく太平洋も含むはず

太平洋の先にはアメリカ大陸があることは現代では知られているが

古代にはもちろん知られておらず、広大な海の彼方は未知の世界であり、そこに信仰が生れた

東海」=「日本海+太平洋」なら、日本列島は朝鮮東方にあるとはいえ

広大な海域に浮かぶ「ちっぽけな島」」ということになるが、

東海」を朝鮮半島と日本列島の間の海域限定してしまうと

「東の海の彼方にある神聖土地」=「日本」になってしま

アメリカ大陸と違い、日本列島は古代朝鮮でも存在は知られていたのだから

未知の理想郷ではなく、具体的存在としての日本理想視してたことになってしま

朝鮮は「日本海」呼称が気にくわないという短絡的思考で、日本サゲしてるつもりだろうけど

論理的に考えれば日本アゲに繋がる主張をしているのである

Permalink |記事への反応(1) | 07:17

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2021-10-13

鬼滅の母蜘蛛親族呼称問題

親族呼称として母親が長女に向かって「お姉ちゃーん」って言うのは自然

漫画母親と長女の二人しかいない空間の中で母親がそうやって娘に呼びかけて話し始めるシーンがあったんだけど

長女の妹という立場で言うならわかるけど母親に言わせてるのには外見と人格が一致してないかのような違和感を覚えた

二人称であるならお姉ちゃんとかじゃなく下の名前で呼ぶもんなんじゃないのか?

つってもその漫画は鬼滅の二次創作原作知ってる人なら分かるが彼女らは本名が公開されてないし設定されてもいないだろう

なにかお姉ちゃんと呼ばせるよりも違和感回避させる方法がないものだったのか

ちんちん亭みたいな言語センスほしいものだ

Permalink |記事への反応(4) | 18:18

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2021-08-06

台湾で異例の盛り上がり 史上最多メダル呼称問題話題 東京五輪

東京五輪開会式で入場する台湾選手団=7月23日、東京国立競技場

 【台北時事】台湾東京五輪が盛り上がりをみせている。

 NHK7月23日の開会の中継で、入場行進する台湾選手団を「チャイニーズ・タイペイ中華台北)」ではなく、「台湾」と呼称したこと話題になったほか、台湾代表選手活躍が大きい。台湾インターネット交流サイトSNS)には今、五輪関連の投稿があふれている。

写真東京五輪開会式で入場行進する台湾選手団

 台湾は今回、4日時点で金2個を含む計11個のメダルを獲得し、史上最多記録を更新した。蔡英文総統は連日のようにSNS更新台湾順次戻ってくる選手に向けて「五輪英雄、お帰りなさい」とねぎらい言葉を掛けている。

 4日には、中国チームを破り、金メダルに輝いたバドミントン男子ダブルスの李洋、王斉麟両選手銀メダルを獲得した同女子シングルスの戴資穎選手らが「凱旋(がいせん)帰国」。空港には大勢メディアファンが集まった。軍は主力戦闘機ミラージュ」を派遣し、選手らを乗せた航空機随伴飛行させ、帰還を歓迎した。

 一方、テレビ局は、開会式の中継で「台湾です」と紹介したNHKアナウンサーの声を、今も繰り返し放送SNSでは「日本がわれわれに本来名前を返してくれた」などと好意的な声が上がった。「一つの中国原則を主張する中国側は、不快感を示しているが、台湾では日本語の「台湾です」がちょっとした流行語になっている。 

Permalink |記事への反応(2) | 11:44

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2021-07-03

anond:20210702140051

呼称問題。これは双方が「プリズム」と「プリンス」呼びで回避すべき!ファン年齢層がダブり、使うSNSやら何やらがかぶるため住み分けよ。争いを避けよ!

Permalink |記事への反応(0) | 10:37

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2020-12-29

バカ呼称問題語らせるな

https://news.yahoo.co.jp/articles/dd622c180544d5bf42338336d9334c245cd83b41

「お母さん、今、ちゃんブレーキ踏みました?」

すみませんでした。で、お母さんって私のことですか? 私に子供はおりませんが」

当然だけどこの「お母さん」に誰かの母親なんて意味合い存在しない。中年女性という意味合いしかない。

高齢女性に「お婆ちゃん」と呼びかけて「私に孫はおりませんが」

とか返してると思えばこいつのバカさ加減がすごくよく分かると思う。アスペか?

アスペなら仕方ないけど繊細な問題に口出すなよ

一応作家ならまともな代替案くらい提示しろ日本語の読解力も表現力もないくせによく作家やってられるね。編集がすごく有能なんだろうな。

Permalink |記事への反応(1) | 01:28

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2020-06-10

以下のツイートの「東武線がつるし上げられた」との表現が気になったのでちょっと調べてみた。

https://twitter.com/rootsy/status/1270631014369579009

ROOTSY

@rootsy

そもそもレコードレーベルジャンル名として使うのをやめまーすってニュースじゃん。その背景はこういう経緯なんですよって言ったら、それだけがひとり歩きして、東武線が吊し上げられたり、おれがアーバン警察呼ばわりされたり、なんなの。まじでくだらない。

しかにくだらない話をしていたが、少なくとも東武線に関するコメントについて「吊し上げ」とするのは誇張。

  

東武線」というのは「東武アーバンパークライン」のことだろう。

ROOTSY氏が米国において「アーバン」について回る意味合いとその背景を論じたツイートに対する、

東武線」に関連したレスポンスTwittertogetterはてなブックマークにおいて収集してみた。

  

https://twitter.com/rootsy/status/1270188592946647040

とそれに列なる一連のツイートに対する返信に「東武」「パーク」を含むものは見当たらなかった。

  

氏がTwitter上で紹介している記事https://togetter.com/li/1539504)のコメント欄において、

東武」「パーク」を含むものは以下の通り。

もけ沢ぴろし @mkpr_1日前

アーバンパークライン……

里見犬 @Horizon326322時間

mkpr_東武野田線でいいよねあれ

晏嬰 亮 @mondo_oclt9時間

正直アーバンパークライン呼ばわりはしゃらくせえので東武野田線でいい派(※沿線民)

  

上記ツイートに対するブックマークコメントにおいて、

東武」「パーク」を含むものは以下の通り。

id:ta-yajis東武アーバンパークライン野田線に戻してほしい

2020/06/09リスト yellow105yellow

id:yoiIT だれも「東武アーバンパークライン」とは呼ばず、「野田線」と呼び続けていたのは正解だったということなのか?

2020/06/09リスト

id:domimimisoso とりあえず千葉県民にとっては東武アーバンパークライン呼称問題喫緊課題のようだ

2020/06/09リスト

上記togetter記事に対するブックマークコメントにおいて、

東武」「パーク」を含むものは以下の通り。

diveintoyourbody東武野田線に戻す理由ができたな!社会海外英語

2020/06/09リスト yellow32yellow

toaruRアーバンパークライン(゚д゚)ハッ!

2020/06/09リスト

まじめな話題冗談みたいなコメントがつくことを嘆いているのだろうか。

だとするならばある程度、私もその感情を共有している。

ただし、「吊し上げ」は誇張であり、むしろ真剣さを疑う。

Permalink |記事への反応(0) | 20:52

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2020-05-22

anond:20200521094511

男女CP別称NLノーマルラブにしていることへの異議、しかし男女CP好きだってBLGLのような短い略称を使いたい。

単純にBLNLも混ざれるタグをほしがっているなら「CP」があるけれどそういう話ではないんでしょうね。

BGLなどの呼称提唱しても使用実績を伴わないと定着しないでしょうが、べつにアルファベット2字でそろえなくてもいいとは思います

GLよりも百合のほうが見たところ使用頻度が高い。

BLやおいって呼称のほうが腐向けよりも好きだけれどタグなどはBLよりも腐の字が多いのが実情。

そのBLも「この二人の間にあるのは恋愛とは呼べないクソデカ感情からBLだけどボーイズ・ラブとは違(ry」などと語る人々を見るから難しいもんです。

違う話だけれどTSクラスタ呼称問題で試行錯誤しています。 https://anond.hatelabo.jp/20200428013650

Permalink |記事への反応(0) | 11:18

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2019-08-11

https://anond.hatelabo.jp/20190811110255

ネトウヨのうち反韓歴史修正だけに絞って漏れている部分を記憶

2000年

大日本史番外編朝鮮の巻

2002年

日本海呼称問題

2003年

コリアンジェノサイダー名雪

 この頃からちゆ12歳韓国ネタ開始

2004年

親日派のための弁明

2005年2007年

従軍慰安婦否定論をはじめ、歴史修正主義の論が固まる時代

盧武鉉政権の「反日外交竹島測量問題親日派リスト作成等)

→「盧武鉉いじり」(韓国大統領揶揄する風潮の始まり

2007年

アメリカ下院従軍慰安婦謝罪要求」決議

在特会活動開始

青林堂 テコンダー朴連載開始

維新政党・新風ピー

2008年

田母神俊雄失職

2009年

チャンネル桜Web進出

2011年

アジアカップカタール大会奇誠庸パフォーマンス

旭日旗問題開始・フジテレビ関連と合わせて嫌韓大衆化

いいともキムチ鍋なんかもこの年だった)

2012年

サムゲタン騒動

Permalink |記事への反応(0) | 23:08

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2019-05-06

[増田旅行記]【5】2019 春、韓国釜山・光州

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anond:20190506094948




5일



5日目

釜山港へ帰るんだってばよ


明日帰国は早朝便だ。

ゆっくり眠れる保証もないので、充分な睡眠時間を取れるのは昨夜しかなかったが、やはり眠りは浅かった。

釜山で迎える2度目の朝、疲れが取れているかどうかは疑わしいが、今日は名所観光お土産購入、食べ残し釜山グルメなど、予定を詰め込んだので、直ぐに部屋を出た。

まず目指すのは、チャガルチの朝の名物になっているという、シンチャントーストだ。


地下鉄1番線に乗り、朝のチャガルチ駅に到着。

BIFF広場を通り抜け、裏の小売店街に向かう。

まだほとんどの店が開店前で、人もいるにはいるがほとんどは開店準備の搬入路地工事

本当にやってるのだろうか。

路地クルクル迷いながら進むと、まだ閉店してい暗い店が軒を連ねるなか、30㎡程の縦に細長い店の前でコック帽に白衣のオジさんが黙々と店先でトーストを焼いている。

釜山の朝の味、シンチャントーストの前では、そこだけ行列ができていた。

しばらく待って、トーストフルーツジュースを頼む。

卵とハムチーズが挟まれトーストは、洋食なのに滋味深かった。


シンチャントーストの御主人に支払いを済ました時に、残りのウォンが心許ない事に気付いた。

チャガルチから程近い南浦洞のヨンジン両替所に向かう。

南浦洞は西面と並ぶ釜山繁華街だが、土曜の朝9:30に開いてる店はほどんどなく、人もまばらだった。

午前の強い日差しの下を歩き、両替所に到着。

手元の3000円を両替する。

ナヨンの時は実は数えてなかったが、ここでの両替は少額なので数えやすい。空港より明らかにレートが良かった。


南浦から引き返し、港町釜山の顔が最も見える場所、チャガルチ市場に向かう。

広い市場では、いけすの中にカニエビなどがひしめき、山盛りに積まれサザエやホンビノスなどの貝類太刀魚などの魚、イカタコナマコに果てはエイまで、あらゆる海産物が並べられていた。

ここで海産物を買って、2階で調理してもらえるらしく、お母さんに声をかけられるが、既にトーストを食べていたので、固辞して、市場の棟の反対側に出る。

海が目の前だった。

海風にあたりながら、あたりを眺めていると、韓国語演歌らしきメロディーが流れてくる。そういう音楽韓国にあるかどうか分からないが、メロディーといい、コブシの利かせ方といい、どう聴いても演歌だ。

韓国であっても、港では演歌流れるものらしい。


室内市場の脇の青空市場を歩いて抜ける。

ここでもたくさんの海産物が売られていたが、端まで抜けると食事のできる店がある。

漁師港湾労働者、仲買人などはここで食事をとるのかも知れなかった。

歩きながら日本韓国意見の相違のある日本海の呼称問題について考える。

このチャガルチ市場を埋め尽くす豊富な海の幸を見ていると、韓国の人がこの海を「東海」と呼びたいのもわかる。

目前にある日々の漁場が「日本海」では、借り物で漁をしているみたいだ。

日本人として韓国人の主張の是非や正当性は一旦脇に置くが、ナショナリズムじゃなく、釜山市民生活者の実感として「ここは自分たちの海だ」とスッキリしたいという、その気持ち理解できる。



韓国青春グラフティ


市場を後にし、韓国旅行に当たって一番最初に決めた観光地、山間の民家をカラフルに彩った甘川文化村に向かう。

バスに乗るてもあったが、地図上では歩いて行けない距離とも思えなかったので、その足で向かった。


実際に歩いてみると、考えが甘い事に直ぐ気付いた。

市場に程近い有名観光地なのに、歩いて向かう人が殆どいないのもさもありなん、山道結構なのだ

「実際に過ごしている人を見れるのも良い」と無理やりポジティブにかんがえたが、やっと観光客で賑わう村の高台に着く頃には、脚の疲れがえらい事になっていた。


カラフル屋根を一望できるカフェでまず一休み。

甘いカフェラテが身に染みる。

デッキではカップルロマンチック風景をバックに写真を撮っていた。


糖分を補給した後は高台散策

辺りには、たくさんの国からやってきた観光客が写真を撮っていた。

実は釜山にきて見て気付いたのだが、この街で最もよく見かける外国人は「日本人」で、それ以外の外国人存在が薄かった。

しかし、ここでは中国台湾ベトナムヨーロッパから来た人など、多彩な国々の面々が並ぶ。

やはりというか、若い人、カップル10代の少女が多かった。

韓国民族衣装を身につけた3人組の少女、2人は明らかに韓国人ではない。

多分ベトナムタイの人だ。

韓国友達を頼ってやって来たのだろうか。

まりに似合っていたので、写真を取らせてもらう事にした。

ピンク黄色、水色のスカートが風に揺れていた。


村の坂道階段を行ったり来たりするうちに、「ギャラリー」の文字が。

興味をそそられて階段を上ると、登り終えてまだ続く坂道の上で、学生服少女が同じく学生服少年写真を撮っていた。

青春ドラマのような光景に関心して咄嗟に一枚。

ギャラリーは閉まっているらしく、腕章を付けた彼ら以外に周囲に誰もいない。

プライベートも極まる時間だろうが、輝く記憶を少しだけおすそ分けさせてもらった。



釜山餐丁・バタードーナツと血羊羹


たっぷり写真もとって満足したので、下山する。

さすがに歩いて降りる気力がなかったので、バスを使ったが、山道を下るバス運転が荒い。

座れてなかったら大変だった。


バスの最終停留所、チャガルチで降りて再び南浦洞へ。

チャガルチから南浦洞への道すがら、行く手から派手な太鼓鈴の音が聞こえてくる。

デモだろうか。

韓国社会はどうやらパレードが大好きで、到着2日目にも地下を歩きながら、実体こそ見なかったが、パレードの音を聞いた。

時節柄、ちょっと緊張する。

からやってきたのは、釜山の対岸、九州からの踊り手達だった。

彼ら自身は踊ってないので、既に演目を終わったのだろう、しばらく歩くと、今度は韓国民族衣装に身を包んだ踊り手達が舞っていた。

音は此処からだ。

そういえば、釜山であった日本人と少しだけ会話してみると、九州からの人が多かった。

岸の両岸では、それぞれの人々が交流している。


南浦洞では、韓国旅行で2番目に決めた目的ナッツ入りバタードーナツのシアホットクを買い求める。

生地を大量のバターで豪快に揚げ、横に挟みを入れポケット状にして、蜜とナッツを詰め込む。

形状は平たい円形だが、なぜか平たく潰した紙コップに入れて供される。

しょっぱくて甘い味は疲れた体に沁みた。

これも日本に持ってきたら流行るかも知れない。

でも、どうも日本に入ってくる韓国グルメは、1個流行るとそれ一色になっちゃうんだよなー。


さて、夕方前に一旦ホテルに戻るつもりだが、その前にここのロッテマートお土産を買う。

出発直前までなかなかイメージが湧かなかった韓国土産だが、同僚の勧め通り、インスタントラーメンにした。

韓国即席麺大国なのだ


ホテルに戻って、明日朝の空港に向かうタクシーの手配をして、すぐ出発。

海に突き出した岩場に建つ寺院、海東龍宮寺に向かう。

なんとか時間的に間に合いそうだ。

ここに訪れれば、今回の韓国旅行で行きたい観光地は大方回ることができる。


地下鉄を乗りついで向かうが、どうやらエネルギー切れで気力が切れてきた。

山道を歩き回ったのに、朝から食べたのがトーストドーナツだけじゃ足りないのも当たり前だ。

とにかく何か食べないとまずい。海雲台駅で降りると、バーガーキングに吸い寄せられるように入った。

異国の地で、何が出てくるか想像できる上に早いジャンクフードはいざとなると頼りになる。

バーガーキングカウンターの福々しいお姉さんは、言葉が怪しい日本人にも親切だった。


ちょっと迷ったが、海雲台から海東龍宮寺に向かうバスに乗車。

30分ほどの乗車で龍宮寺に到着した。

龍宮寺までの参道は曲りくねった階段なのだが、辺りは台湾九份もかくやと思わされる人出で、細くて急な階段を歩くのが怖い。

しかも疲れている所に再びの山道なので、なんとか転ばないように慎重に歩く。

距離がなかったのだけが救いで、やがて海を望む龍宮寺が姿を現した。

既に夕方だったので、だいぶ光が赤く、海の青さはちょっとくすんでいたが、それでもなかなかの絶景写真に収めることができた。


満足したので引き返してバスを待つ。

やってきたバスに乗り込んだが、ここで思わぬ苦労をする羽目になった。

椅子に座れず立ち乗りだったが、渋滞に巻き込まれバスがなかなか進まない。

その上、運転が荒い。

急発進、急ブレーキ、急ハンドル

外国バス運転は概ねこんなものだと思ってはいものの、いい加減ヨレてきている足腰には辛かった。

このワイルド運転にも韓国若者涼しい顔をして立っている。

どういう鍛え方をしているんだ、いや、これ自身が日々のワークアウトになっているのか。

ユラユラ揺れる自分も、友達恋人と事も無げに談笑する韓国男子も、真反対の意味で慣れというのは恐ろしいものだ。


渋滞に巻き込まれた結果、1時間強の乗車となったバスを降り、海雲台の駅から地下鉄に。

食べ残し最後ご当地グルメを目指す。


釜田の駅から程近い「カヤポヂャ ソンジクッパ」に入る。

釜山最後食事は、牛の地を羊羹状に固めたソンジが浮かぶソンジクッパだ。

「ソンジクッパ ジュセヨ」席に座る前に頼むと、やがてグツグツ煮えたソンジと牛もつ入りの赤いスープがやってきた。

ごはんを入れながら食べる。

パッと見、キワモノっぽく見えるソンジだが、動物の地を固めてスープの浮き身にするようは食習慣はアジアでは珍しいものではない。

台湾にも猪血糕や鴨血などがあるし、タイにも類似料理があるという。

四角く赤黒いソンジは、特に強い匂いもなく、レバーっぽい羊羹という感じで口に抵抗なくいただけた。

これで韓国旅行で事前に設定したタスクは全て果たすことができた。


ホテルに戻って、荷物の整理をする。

個人的旅行あるあるなのだが、なぜか海外旅行では額にして3000円前後の小さな落し物をすることが多い。

りある旅行であればあるほど、その傾向が出る。

今回もカメラレンズアクセサリーリング所在不明になった。

別に機能に致命的な影響が出るわけではないが、無くしたいわけでもない。

こういう時、何かの引き換えになったとでも考えるようにしているが、少しだけ残念だ。

荷物の整理をして、この旅行記を書いたら時間は0:36分。

3時間程仮眠をしようと思う。寝過ごさないといいが。


【6・了】2019 春、韓国、釜山・光州  6日目|ありがとう/カムサハムニダ へ >>

Permalink |記事への反応(3) | 12:52

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2018-11-03

anond:20181103201306

そのソーシャルテロリストは、「(ここの例示で言えば)ゲイ呼称問題と言ういわば正義問題から出てきた何か」ではなく、「対話議論世論形勢を否定する暴力主義から出てきた社会を後退させる蛮族」なのだってことを、まずはみんなで共有すべきでしょ。あいつらは、蛮族。主張してる意見がなんであれ関係ない。ただの暴力大好き族。そう考えれば問題もぐっと整理されるし、別段そこまで悲観すべきでもないと思うようになると思うよ。

Permalink |記事への反応(1) | 20:26

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2015-03-25

http://anond.hatelabo.jp/20150325195657

じゃあその運用方法について、訓練について国会議論しろよ。

叩かれてるのは呼称問題だけだよ。

ブコメ見てみろ。おまえさんは9条解釈についてちゃんとわかってそうだけど、

2項をどうやって現行政府解釈しているか、それすら知らないバカばっかりだよ。

Permalink |記事への反応(2) | 20:04

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2015-02-28

Iam not ABEってもはや哲学だよな

掲げる人たちにとっちゃ何か意思の元にあるキャッチフレーズなんだろうけど

まりに当たり前すぎるんだよ

「俺は安倍じゃない!」とか言われても

「当たり前だよ、何言ってんだ。」としか

当たり前過ぎてシュール過ぎてゲシュタルト崩壊して一転して宇宙意志を包括した何かのように思える

少なくとも抗議などと言う単純なものでは計り知れない

単純にイスラム国呼称問題みたく持って行ってもいいんだけど

全国の安倍さんたちにはきっとそこまで相手にされてないし、相手にするよりはスルーしたい存在だろう

さて、なんだろうな、「Iam not ABE」

思いついた人はその時ドヤ顔だったのだろうか

共感して掲げちゃった人はどうやって感銘を受けたのだろうか

もし「Iam ABE」と名乗る頭のおかし信者がいて、それに対抗したのだとしたらそれはわかる

しかしいるのだろうか?自分の事を教祖だと言っちゃうような恐れを知らない信者

Iam not ABE、Iam not ABE、Iam not ABE…

3回唱えてもやっぱり当たり前だわ、そりゃそうだと言う思いしか湧かない。正直虚しい

逆にIam ABEもやってみようと思ったけどそれは気持ちが悪いのでやめた

流石にいないだろう、どんな安倍信者でもIam ABEは

本人か全国の安倍さんもしくは阿部さんもしくは阿倍さん以下略しか出来ないわ

誰か知ってる人がいたら教えてほしい

Iam not ABEの世界観を…

Permalink |記事への反応(1) | 22:20

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2015-02-09

本当にイスラム国ISILと呼ぶ必要があるのか!?呼称問題を考える

もう一度言おう。「イスラム国」を「ISIL」と言い換える必要はない

最後念の為に言おう。イスラム国ISILとはなぜ呼ばないか

本当にこれが最後だが言おう。やはりイスラム国ISILと置き換えることはない

このシリーズはてなー釣ってPVガッポガッポや!

Permalink |記事への反応(0) | 06:10

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2014-11-27

マイルドヤンキー呼称問題

マイルドヤンキーという呼称

広告代理店が考えた消費者層であって、

F1層とかB層に似た新しい業界用語なのに

ギャルから派生した姫ギャル、とか

ちょいワルから派生したヤンジー、みたいな

新しいヤンキーと考えている人がいるから混乱するんだよね。

実態は「地方によくいる人々の特徴」で

ここに向かって宣伝したり消費を促せば儲かりまっせってことだと思うんだけど。

でも、テレビ勘違いして広めちゃった。

今後もうマーケティング用語としては使えないんじゃないかな。

しかも、地方マイルドヤンキーたちは、

マイルドヤンキー呼称をすごく嫌がってるし。

なぜならヤンキーが身近にいるからこそ、自分ヤンキーじゃないと思ってるから

クルマが軽のボックスカー(黒)でも、

休日イオンショッピングモールに行っても、

20代前半で結婚して子供を産んでも、

高校や専門や地元大学卒業して普通に働いてる自分普通の人という考え。

「今の日本いちばん消費がアツい層なんてとんでもない、どちらかというとカツカツだと思ってる。まぁ、でもテレビでやってた流行り物はたまに買っちゃうかな。でもEXILEとか好きくないし。」

都会の人からみたらマイルドヤンキーに見えるんだろう、

でもこれ、考えようによっちインディアンとかエスキモー呼称問題みたいなもんよ。

うちらは元々ここにいた普通の人なのにヤンキーに似てるとか言って

マイルドヤンキーって呼ぶとか勝手過ぎじゃね?」

広告代理店マイルドヤンキーに変わる用語を早く考えるべき。

Permalink |記事への反応(2) | 11:37

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2014-03-05

左だけど右の慰安婦問題への向き合い方が分かった気がする

ずっと、なんで嫌韓の人がいるのか分からなかったんだが、最近になってその理屈理解できたので、理解できないという人に向けて書く。つまり、左右の意思疎通を目的とする。以下の「事実」は事実でないかもしれないが、嫌韓の人は事実だと考えている。しかしそれこそが重要なことで、もしそれが誤りならばそれを訂正すれば良いのである。個人的に見聞きしたことが多く含まれているので、全ての嫌韓者には当てはまらないだろうことも明記しておく。一サンプル程度に捉えておくのが良い。

前提

まず、嫌韓者は韓国を以下の国であると考えている。順不同であるが、説明の都合でこの順番にした。色々絡んでいるのですんなりと区別できるものでもない。

1) 他国の文化韓国発祥だと言い張る(いわゆるウリジナル)

2)事大主義が強く、日本を下に見ているが故の上から目線

3)学校教育では常に反日であり、反日正義である

4) 平気で嘘をつく

ウリジナル問題

嫌韓者は、およそ1)に不快感を抱く。嫌韓者は基本的保守的であり、伝統的な文化を重んじる。そしてそれは日本人が作り出したものであり、我が国の誇りだと考えている。ところが、韓国はそれを平気で窃取し、自分達が発展させてきたのだと言い張る。これは嫌韓者の目には、日本人歴史冒涜するもので許し難く映る。ここで重要なことは、嫌韓者は何も「寿司の元々の原型は~」という事実を知らないわけではない。その意味で、寿司日本発祥!と言い張りたいのではなく、少なくとも現在日本寿司日本オリジナルであるということを誇りに思っているので、(現在良くしられている)寿司韓国発祥!のような主張は受け入れられない。

事大主義

なぜ日本の文化を窃取するかと言えば、それは2)があるからであり、韓国にとって下の立場であるはずの日本の文化海外に受け入れられているのは許し難いことで、その葛藤から逃れるために韓国日本の文化は実は韓国由来だと主張していると嫌韓者は考えている。しか事大主義のもの韓国内部の勝手妄想であり、なぜ日本がそんなに下に見られないといけないんだと、嫌韓者は考えている。

反日教育

そして、その事大主義歴史的ものならばともかく、現に3)のように現在学校教育反日が教え込まれているものも、嫌韓者は許し難い。確かに併合はしたが、全てで悪いことをしたわけではなく、生活水準を上げた側面だってあったはずだ(この点で嫌韓者は台湾を支持しうる)。それなのになぜ「日本統治時代は良かった」と発言した老人が殺されなければいけないくらい全否定されねばならんのだ、と嫌韓者は考える。さらに、日本賠償金を支払ったのにそれを韓国政府韓国の発展(いわゆる漢江奇跡)のために費やしたが故に韓国国民賠償金を受け取れず日本賠償金を支払ったことさえ反日教育のために知らない。これで日本戦争の賠償をしていないと言われるのはアンフェアだと嫌韓者は考える。

嘘つき問題

これらの結果として、嫌韓者は、韓国自分に都合の悪い事実を伏せて嘘をつく人たちだと考えている(4)。現に在日韓国人だって自らの意思日本に来て、帰ろうと思えば韓国に帰れたのに帰らずに日本にいて強制連行されてきたと嘘をついて特別永住権をもらっているではないか、と。嘘をつく民族なのだから慰安婦日本海呼称問題竹島も、韓国の嘘からスタートした問題に違いない。もしそうでないと言うのなら、1)から3)の韓国内部の問題を解決して韓国の言うことは信じられるようにしてからにしてくれ、そう嫌韓者は考えている。

人権問題慰安婦問題

慰安婦問題日本が非難される理由はよくわかる。だが、韓国もあり得ない数値で事実を盛って欧米に発信しているのではないかという疑念を嫌韓者が持っていることも理解できる。強制連行された韓国人慰安婦ゼロなわけはないし、だが一方で韓国人慰安婦が何十万人だとか全員が強制連行だったわけもない。互いに極端なことを言っているだけである。そんな全称命題論理的には簡単に崩すことが可能だ。

これまで見たように、慰安婦問題で異を唱える人は、人権問題を気にしているのではなく、実は韓国の態度を問題としている。従って、はてなにいる左側の人間の指摘しがちな「慰安婦問題を受け入れない人は人権を軽視している!」という指摘は全くもって嫌韓者には通じず、論点はそこじゃない感が強い。レイプ被害者自分レイプにあったとは言いにくい側面があるのは承知の上で、しか韓国の1)から4)の態度から信頼性が全くないから「本当に慰安婦ってあったの?」という気持ちになっているのである。もし本当に嫌韓者を説得させたいと思うのならば、「韓国にも問題点があるのはわかってます。だから奴らのことを信頼できない!というのも分かります。でも国際社会通念上、それを否定すると困ることになりますよ。だからそれは認めましょうよ。」という形に持っていくのが最も適切であると考えるが、嫌韓者が前段を重要視しているにもかかわらずそれを軽視しすぎる左の人間が多いのは、互いのコミュニケーションにとって問題だ。(国際社会では韓国反日教育等はあまり知られていないので日本人勝手に噴き上がっているように見える。)

まともな解は、確かに強制連行はあった(かもしれない)しそれを受け入れるがその被害者の数は「論理的妥当な」ところだろう、という感じか。しかしその論理的妥当性を議論するのはナチスホロコースト被害者がどのくらいかというのと同じで結論を出すのは難しい。だからこそ互いにその数値には拘らずに未来志向でやっていくしかない。一方で、韓国ロビー活動対応すべく活動しなければ、日本に対する国際社会視線も不当に理不尽ものになる可能性もある。左の人間は「別に日本がどうなったって知ったことじゃない」と考える人もいるが、それは間違いだ。日本が弱くなれば結果として必要弱者救済もままならなくなることもあり得る。

それでも差別はしない

いくら韓国がむかつくと思っていても、それぞれの韓国人をその人となりを知る前から韓国人から……」と考えるのは差別になる。その人にむかついたとしてもそれはその人がむかつく人なのであって全ての韓国人がむかつくとは限らないはずです。そんなことをすれば、嫌韓者の不快に思う反日教育の結果としての日本人差別と同じことになります。やめましょう。

Permalink |記事への反応(5) | 12:10

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