
はてなキーワード:吐き気とは
仕事に没頭しすぎて、恋愛で精神を磨耗したくないと思って、さらに仕事に没頭。
そこそこハードで徹夜や海外出張も多く、付き合い当初は、仕事に一所懸命な女性は好きだし応援していると言っていた恋人も、そんなにハードだと思わなかったし、頑張ってもいいけど、自分が帰ってきたらご飯ができている状態が理想なんだよねと言われた。
9時5時の自分が作ればいいのにと思ったけど、口には出さなかった。そもそも仕事に没頭することを理解できない人にとって、私はただの効率が悪い人で、上司に気に入られているから昇進をした女で、男社会のなかで無理している女だった。
仕事は大事だけど、恋人をおざなりにしていたわけではないつもりだった。
できる範囲でサポートしたいと思ってたし、出張で早朝に帰ったとしても、お昼からどこかに出かけたりしたし、仕事の愚痴も言わないようにしてた。
自分なりに好きだったけど、心のどこかでこの人と長くいることで、キャリアがなくなることの方が嫌だったのだと思う。
付き合ってる人がこんな考えだったら、我ながら吐き気がするな。何様だよと。
そりゃ可愛くて自分を待ってくれてる女の人がいいし、きりきり仕事ばっかりしてる人は嫌だよな。誰でもできる仕事だし、どこにでもある仕事なのにな。
文字にしてみると、改めて自分キツいよなと反省しつつ、今後恋愛することも想像できないので、1人で楽しく生きられるように考えないとな。
都内のマンションに住んでいて、隣人の騒音問題に悩まされている。
家主はおそらく二十代。普通に社会人のようだが、とにかくうるさい。平日は夜中に大声で歌い出したり、壁を突然ドンドン叩いてくる。
流石に耐えられなくなって管理会社に相談。注意勧告を行ったという連絡が来るものの改善はない。
当然何度も相談した。管理会社もその都度向こう側に注意はしているそうだが、それでも騒音は収まらない。
最近では管理会社も「そうですか…」と私からの相談には覇気のない返事で対応し、半ば諦めている。
「話せばわかる」っていうのは基本、性善説に頼ってる。だが相手の話をまるで聞こうとしない。注意されてもまるで改めない。
そういった輩は一定数存在する。クズというより病気なのだと思う。
タワマンに住む友人に相談しても「大袈裟じゃない?」とか「向こうにも何か事情があるかもしれないし」等という。
さらには「直接話し合ってみればいいじゃん」なんてことを無責任に言うわけ。彼女は本気で話せば分かると思い込んでいるタイプの人間だ。
私に言わせればそういった人間は想像力が欠如している。いや、もっと正確にいえば想像力自体にそもそも限界があるのだ。
相手の立場を考えれらないのは想像力の欠如だという。しかし相手の立場に立って考えることというのは可能なことなんだろうか?
友人は私の苦労を知らない。想像は出来るだろう。騒音で大変な思いをしている。だから同情するよ、と。
でもね…それって表層的なんだよ。なにもわかってない。女の一人暮らしで、隣から壁を突き抜けて聞こえる男の騒音がどれほどの恐怖なのか。
想像は出来ても、それは想像であって現実とはまるで違う。だから私は想像しただけで分かった気になる人たちが大嫌いだ。
数日滞在しただけで現地の人たちの気持ちを分かった気になるレポーターや芸能人も嫌いだし、彼らは現地の人々の苦しみをまるで分っていないのにその気持ちをあたかも代弁するように喋っている姿を見ると吐き気がする。
とても大変で苦しんでいるんですよ、と伝えるその言葉の主は帰る場所がある。なんだよそれ。現地の、実際に苦しんでいる人たちが苦しむ本当の理由は場所を変えられないってことなのに、その態度はなんだよ。お前らのやってることは現地取材じゃなくてただの旅行だ。
結局のところ人は話し合っても分かり合えない。想像力の欠如と話すそいつの頭自体が想像力の欠如だ。そのくせ相手の立場を想像できる自分は頭がいいなんて思い込んでいるから尚のこと手に負えない。
所詮は他人事。だからこそ平気で傷つけるようなことを言える。自分が同じ状況になったらどう思うのか?それは想像できることじゃないと想像できない頭の悪さ。
はっきりいって、ムカつく。東京〇ね。東京にはヤバい奴が多過ぎる。
Permalink |記事への反応(26) | 18:26
寝る直前まで先延ばしにした挙句、嫌々入って、睡眠時間減った……とか思うタイプの面倒臭がり。
洗髪は二日に一回だし、外出してない休日は入らないし、入っても湯船に浸かるだけで体のどこも洗わないみたいな日もぼちぼちあった。
そういうやつが温泉に入って、「わ~気持ちい~」と思えるまで変化したので、記録として残しておく。
風呂入って全身洗ったらさっぱりする。まずそれを受け入れた。風呂入ったら睡眠時間減るけど、どう考えても夜中に入るせいでしかない。元々「風呂入って後悔した奴はいない」と自分に言い聞かせて重い腰を上げてシャワーを浴びる生活だったのでまあこれは早めにできた。
②加齢に気づいた。
明らかに若い頃より頭皮が臭う。気づかないふりをしていたが間違いない。一日頭を洗わないとなんか臭い。この気づきによって、「風呂入って後悔した奴はいない」という自分への言い聞かせが「おまえ風呂入らんと後悔するぞ」に変わった。あと温まった方がよく寝れる。
③人に相談した。
臭くなりたくない一心で風呂に入る生活はしんどい。風呂入ったらさっぱりするけど、さっぱりの前に一回は絶対気持ち悪くなるじゃん?とこぼしたら「お湯の温度高すぎるんじゃない?」と言われた。エウレカ。
④お湯の温度を下げた
風呂に入ったら絶対に吐き気がするが、それはお湯が熱すぎるからだと発覚。実家の風呂が常に45~43度だったのでこれがノーマル風呂だと思っていたが、一般的に熱すぎるらしい。41~38度あたりまで下げたところ、生まれて初めて湯船に浸かって「気持ちいい」という感覚を得た。
それでもまだ風呂が嫌だったので、なにが嫌か考えて全部やめた。
床と体がヌルヌルするのが嫌→コンディショナーが諸悪の根源。やらないことに決めて、風呂上がりに流さないトリートメントすることにした。
手と顔がヌルヌルするのも嫌→クレンジングオイルのせい。石鹸で落ちる化粧に変えた。
体が冷える→ムダ毛処理のために洗い場に長時間居るせい。やめた。すね毛と清潔なら清潔が優先。
⑥家で風呂に入れるようになった。
入浴は洗って浸かってさっぱりするだけの気持ちいい体験だと覚えたことで、毎日風呂に入れるようになった。自分は清潔な人間だとちょっと自己肯定感が湧いた。
かねてより温泉は意味わからん嫌な施設だと考えていたが、「洗う+浸かる=気持ちいい」の図式が分かったのでデカイお湯に浸かるのも一興と思い、挑戦した。
温泉の何が嫌か考えたところ、空気籠って暑い+なんも見えん(眼鏡の民なので)+他人が尻をつけた風呂場椅子に座る+他人がいる空間で体を洗う、だった。
なので旅館に泊まった折に、風の通る露天風呂+眼鏡+内風呂で全身洗ってから浸かりにだけ行く+洗ってから行くので大浴場の設備に座らなくていい、というのを試した。
すると気持ちよかった。
寝る直前まで先延ばしにした挙句、嫌々入って、睡眠時間減った……とか思うタイプの面倒臭がり。
洗髪は二日に一回だし、外出してない休日は入らないし、入っても湯船に浸かるだけで体のどこも洗わないみたいな日もぼちぼちあった。
そういうやつが温泉に入って、「わ~気持ちい~」と思えるまで変化したので、記録として残しておく。
風呂入って全身洗ったらさっぱりする。まずそれを受け入れた。風呂入ったら睡眠時間減るけど、どう考えても夜中に入るせいでしかない。元々「風呂入って後悔した奴はいない」と自分に言い聞かせて重い腰を上げてシャワーを浴びる生活だったのでまあこれは早めにできた。
②加齢に気づいた。
明らかに若い頃より頭皮が臭う。気づかないふりをしていたが間違いない。一日頭を洗わないとなんか臭い。この気づきによって、「風呂入って後悔した奴はいない」という自分への言い聞かせが「おまえ風呂入らんと後悔するぞ」に変わった。あと温まった方がよく寝れる。
③人に相談した。
臭くなりたくない一心で風呂に入る生活はしんどい。風呂入ったらさっぱりするけど、さっぱりの前に一回は絶対気持ち悪くなるじゃん?とこぼしたら「お湯の温度高すぎるんじゃない?」と言われた。エウレカ。
④お湯の温度を下げた
風呂に入ったら絶対に吐き気がするが、それはお湯が熱すぎるからだと発覚。実家の風呂が常に45~43度だったのでこれがノーマル風呂だと思っていたが、一般的に熱すぎるらしい。41~38度あたりまで下げたところ、生まれて初めて湯船に浸かって「気持ちいい」という感覚を得た。
それでもまだ風呂が嫌だったので、なにが嫌か考えて全部やめた。
床と体がヌルヌルするのが嫌→コンディショナーが諸悪の根源。やらないことに決めて、風呂上がりに流さないトリートメントすることにした。
手と顔がヌルヌルするのも嫌→クレンジングオイルのせい。石鹸で落ちる化粧に変えた。
体が冷える→ムダ毛処理のために洗い場に長時間居るせい。やめた。すね毛と清潔なら清潔が優先。
⑥家で風呂に入れるようになった。
入浴は洗って浸かってさっぱりするだけの気持ちいい体験だと覚えたことで、毎日風呂に入れるようになった。自分は清潔な人間だとちょっと自己肯定感が湧いた。
かねてより温泉は意味わからん嫌な施設だと考えていたが、「洗う+浸かる=気持ちいい」の図式が分かったのでデカイお湯に浸かるのも一興と思い、挑戦した。
温泉の何が嫌か考えたところ、空気籠って暑い+なんも見えん(眼鏡の民なので)+他人が尻をつけた風呂場椅子に座る+他人がいる空間で体を洗う、だった。
なので旅館に泊まった折に、風の通る露天風呂+眼鏡+内風呂で全身洗ってから浸かりにだけ行く+洗ってから行くので大浴場の設備に座らなくていい、というのを試した。
すると気持ちよかった。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20251013192216
これ、
ブクマ米だと「恋愛と結婚は別」というコメントが多いが、正直理解出来ない。
私にとって恋愛ってすなわち「生理的に無理でない」という事とイコールなので
恋愛対象にならない相手と結婚してセックスするとか絶対に無理なんだけど…考えただけで吐き気を催すし死にたくなる。
マジで理解できないんだよなー、「恋愛と結婚は別」という考え方が。
昔はお見合い結婚が主流だったっていうけれど、昔だってお見合いした後でちゃんと「恋愛」してたんじゃないの?
順番が他者からの紹介だっただけで、お見合い結婚も普通に恋愛結婚だったんじゃないの?
まあ少なくとも21世紀の日本において、「恋愛と結婚は別」は無理だと思う。
ブクマ米だと社会的圧力を高めれば結婚するだろうとか言われているけれどそんなの気にせず生きればいいだけの話だし、無意味でしょ。
だから少子化支援としては普通に恋愛支援でいいと思うんだよね。
生理的に無理じゃない相手、要はそいつとセックスしていいと思えた相手とならば、身体的に問題じゃない限り子供は産むよ。それも基本的に男女揃うまでは産む。
Permalink |記事への反応(13) | 22:49
鈴木三重吉『桑の実』を読んだ
身寄りがなく職と家を転々としている若い女(おくみ)が、次の人が見つかるまでという約束で画家の男(青木)の家の下女になる、おくみは自分でも気づかぬまま青木に恋をするが約束の期限が来て惜しまれつつ去る話です
この青木がなんかすげえ嫌なやつで
身重の妻を残して洋行、妻の趣味は嫌味を言って辞めさせ、妻が病んだら子供を残して実家に返し、そのくせ子供さえいなければ自由なのに〜 みたいなことを言う、愚痴っぽい自己中
何でこんな奴が惚れられ役なんだ、いや私は嫌と思うけど当時はそうでもなかったのか、当時の感覚でもダメ男だけど若いときってこういうダメ男の傲慢な繊細さに惹かれちゃうことって… あるわよねえ! という話なのか、わからなくて、気になった
というわけでこんどは『鈴木三重吉全集』の2巻まで(+5巻収録の桑の実解題)を読んでみたんだけど
おくみは作者の好きなタイプの女です、というのは解題に書いてあった
ほんでそうとは言わないけどたぶん青木は作者自身をモデルにした主人公たち、の、変形版なんだろうなと思った
『小鳥の巣』とか『民子』とかに登場する、理想の女を得たい理想の女に理解されたい女如きが己を理解できるわけがないさみしいさみしいと唱え続けてるキャラクターのことです
露悪でやってるのか本気なのかわからないけど、短期間に何度も何度も同じような話を書くくらいだから結論が出てないというかこの時点では全肯定でも全否定でもないんだろうな
それより少し後に書かれた『桑の実』で、語り手が男からヒロインになって、そのうえでおくみの親代わりの人物がおくみに青木とちょっと距離置いて先の人生のこと考えなさいみたいなこと言うのが、作者が妄執から少し離れることができたってことなのかもしれないなと思う
じゃあ作者本人の気持ちじゃなくて、「当時の感覚」ってやつは結局どうなのよというところだけどやっぱりまだわからない
それでも読む前より少しは想像の土台ができたというか、当時としても青木はちょっと嫌なやつだった(けどまあ碇ゲンドウ君くらいの嫌さであって、吐き気をもよおす邪悪ってほどではなかった)んじゃないかなというのが、今のところの推測です。
「社会が悪い」「女が冷たい」「俺は悪くない」。
この三点セットを何年唱え続けるつもり?
努力は“できない”んじゃなくて、“したくない”だけ。
口では「真面目に生きてる」とか言うけど、
現実逃避の方向が真面目なだけ。
自分の無力を直視せず、ネットで「俺たちは被害者」って言い合ってる。
見てて吐き気がする。
救うだけ無駄。
情けをかけた瞬間、こっちまで腐る。
「俺は傷ついた」「社会に見捨てられた」って言葉を盾にして、他人に優しさを強要する。
それってもう、暴力なんだよ。
放置でいい。
でも今思えば、あれ全部“怠けるための理屈”だった。
「弱者男性」という肩書きは、努力から逃げる免罪符だったんだよ。
寒くても、現実を歩く。
救う価値なんて、ない。
同情もいらない。
彼らが変わるのは、誰も構わなくなった時だけ。
優しさは毒になる。
突き放すことこそ、唯一の愛だ。
腹が立っている。
同性愛という言葉が、いまや商品ジャンルのように扱われていることに。
かつて同性愛を名乗るというのは命がけの行為だった。家族に絶縁され職を失い社会から追い出される危険をありながら、それでも「私はこうです」と言葉にした。
そこには自分の存在を差し出すほどの覚悟があった。同性愛を告白する際の眼差しにはどれだけの恐怖と孤立が潜んでいたか。
過去の時代において同性愛を公にすることは孤独と対等に生きることを意味した。
それが今はどうだろう。
LGBTQIA+という七文字のアルファベットがアイデンティティ産業のロゴになっている。
誰もが「多様性」を口にする。確かにそれで救われる人もいる。世界が少しずつ優しくなったのも事実だ。けれどその優しさが免罪符のように使われているのを見ると胸の奥が冷たくなる。
SNSを開けばセクシュアリティをコンテンツとして発信する人がいる。ゲイである自分。バイである私。その語りのなかにフォロワー数と再生回数が透けて見える。
もちろんそれを語る自由はある。でもそこに漂う“商業”の匂いを嗅ぐたび吐き気がする。
告白したことによってあなたが獲得したのは勇気ではなく注目ではないか。
かつて命を削って叫ばれた言葉がいまやトレンドタグになっている。
「発信することは悪ではない」と言う人もいる。
確かにそうだ。語ることが誰かの救いになることもある。それでも語り方の軽さに耐えられない。
同性愛を笑いながら告白し、虹色の絵文字を添えて投稿される多様性。
それはもう闘いではない。
演出だ。
そこにはかつてあった孤独も、痛みもない。
あるのは“見られることへの渇望”だけだ。
けれど苦しみを消費する文化には怒りを覚える。
悲しみがクリック単価になりマイノリティが視聴率に変換される。それを喜ぶ社会に何の尊厳が残るのだろう。
「勇気とは傷を晒すことではなく、傷を見せなくても生きることだ」といっていた。
今のSNSにはその逆が溢れている。
“見せるための傷”が量産され、“共感されるための悲劇”が編集される。
今の社会は優しさの形をして、どこかで異端を飼い慣らしている。「あなたの違いを受け入れる」と言いながらその違いを“飾り”にしてしまう。
フーコーが権力の構造を解体したのは“異端”が利用される瞬間の気持ち悪さを知っていたからだと思う。
今の時代の権力は企業広告とフォロワー数に姿を変えて、もっと静かに、もっと巧妙に「私たちはあなたを応援しています」と囁いてくる。あれほど恐ろしい権力はない。
私の怒りは彼らを否定したいからではない。寧ろかつて声をあげた人たちへの敬意を守りたいだけだ。
それを忘れないために。
女に指示されたくない男が!!!!
初めから馬鹿にしてる態度丸わかりなんだよ、30超えてそれくらい社会人的な態度とれや!!!
あんたより年下だけど、上司なんだよばーーーーーかばーーーーーか
レポートライン⚫︎⚫︎さんですか?って当たり前だろうが。多分必要ないよとか想像してたんだろうけど、明らかに不機嫌な顔した後で、私の上司にだけペコペコしやがって、お前の上がりが悪いから!!!!!レビューお願いされてんだよ。
わかりやすい陰湿な態度とりやがって、ふざけんなばーーーーーーーーーかばーーーーーーーーーーーか
まじで陰湿!!!!!!!!媚び売り!!!!!イキって私を言い負かそうとすんなや、知識も実績も浅くて甘いんだよ。
お前の実績規模は数年前に終わってんのよ。馬鹿みたいに自慢げに語んなや、お前の浅ーーい知識とうすーーい実績だけで、いちいちぐちぐち言うな。
あんた中途で入ってきたけど、仕事できなすぎてたらい回しされてんだよ
【追記】
どんなに気に食わなくても、仕事であればそれなりの態度くらいしろや。
ほとんどないけど、時々得意先にも昔の男社会のままで脳死した40男に
「若いあなたに話したって意味ないから、男の上司と会話させて」って言われて呪ったけど、
30代でお前もそれか、同じか。
議論ができねぇならこの仕事やめろよ、おめぇらダサすぎんだよ。
悔しすぎて泣きそう。ていうか泣いてる。
まけねぇ。馬鹿らしい、滅びればいい。
力をつけてやる。クソが。
猫ひっかき病は日本では全国調査がされていないために患者数は不明ですが、おそらく全国で年間2万人程度であろうと言われています。
この病気の病原体は最近までわかりませんでしたが、1992年にグラム陰性の桿菌であるバルトネラ・ヘンセレ(Bartonella henselae)であることが判りました。
症状は主にリンパ節炎で、ネコに引っ掻かれた後10日頃から傷が赤くはれ、手の傷なら腋窩(脇の下)リンパ節が、足の傷なら鼠径(足の付け根)リンパ節が腫れ上がり、時には鶏の卵くらいになります。ほとんどの人で微熱が長く続き、全身倦怠、関節痛、吐き気等があります。
治るまで数週間から場合によっては数ヶ月かかることもあります。
バルトネラ・ヘンセレはエイズの患者さんに多い細菌性血管腫からも検出されており、免疫不全の人や、免疫能力の落ちたお年寄りでは同じような症状を起こすことも考えられます。重症例では麻痺や脊髄障害の例も報告されています。
私30代男 妻30代女 まだ喋れない息子あり
私はとてもボーっとしていて、いろんなことをうっかり忘れてしまいがちで、妻から注意されたことでもまたやらかしてしまう。そもそも家事自体をする能力が低くて、作業を終わらせるのが遅い。その上、未来を想像する能力がないのか、良かれと思ってやったことが裏目に出て、結果妻を怒らせることが多い。
自分の中で「これは妻は気にしないことだな」と思っていても、実際は妻にとってとても大事なことで、やはりその後も妻に怒られる。怒られるというか、落胆され口を聞いてもらえなくなる。
そのがっかりした顔というか軽蔑を含んだ顔を見ると、地面が傾いて、呼吸が荒くなり、心臓の鼓動が速くなる。吐き気がして、何も食べられなくなる。妻が怒っているかいつも気にしている。妻が笑っていると、怒っていないので安心する。
妻に「いいよ、あなたにはもともと期待してない」と言われるけれど、とても悲しい。自分が失敗した日は、トイレや風呂や、妻のいない場所でいつも泣いている。どうして自分はこんなに何も出来ないのか、妻は何も悪くないのに、どうしてこんなに怒らせてしまうのか。妻の考える水準の夫でなくて本当に情けなくて、泣く。
私は妻の「やったほうがいいこと」が全然わからなくて、「やってはいけないこと」も全然わからないので、妻に怒られたときはスマホにメモをして、次は頑張ろうとしてみるけど、またどこかでミスをして妻を怒らせてしまう。私は妻に「そんなに怒ることだったのか」と思うことが多い。私は妻に怒ることはない。妻が悪かったことはない。私は多分根本的にバカで無能なんだと思う。なにか障害を持っているかもしれない。
この間、障害とかで著しく能力の低い旦那と一緒にいると強いストレスを感じて精神的に参るという病気があるのを見た。妻もそうかもしれないと思う。本当申し訳なく思う。
どれだけ一生懸命なにかをやろうとしても、必ずミスをして、妻が落胆し、私は謝る。これまで何回もミスしてきたことを考えれば許してもらえないのも当たり前だと思う。部屋で泣いて、1週間ほどすると口を聞いてくれるようになる。嬉しい。
さっきから同じことを書いている気がする。でも思考がまとまらない。自分が何を考えているのかよく分からない。とにかくつらい。
今も妻を怒らせてしまい、一言も喋ってくれない。触るな、近づくな、うざいと言われる。
でも妻を愛している。怒っているかどうかを別にして、息子と戯れたり、旅行中に隣を歩いている妻を見て心から美しいと思う(だいたいその後私がなにかミスをして怒らせてしまうのだが)。一緒にいたいと思う。妻を愛しているのだけは間違いなく本当なので、なんとか妻を怒らせない人間になりたい。別れるという選択肢は考えていない。
私が別れて、息子がいなくなるのも、息子にとって私がいなくなるのもつらい。
妻に本当はあなたのことが怖いと伝える手紙を書いて妻の机の上に置いてみたが、読んでくれるかわからない。読んでくれて、お互いに心の内を話して、また昔みたいに仲良くなれたらいいな。最近は手も繋いでくれないし、ハグも、一緒の布団で寝ることもない。また一緒にいれたら嬉しいな。
私は結局今もどうしたらいいかわからない。ただここに書いて整理してみたかっただけだと思う。けど色んなことが良くなっていくといいなと思った。