
はてなキーワード:名詞とは
ベジタブル、vegetable、veget-able……
つまり-ableは「~可能である」という接尾語であり形容詞のはずなのではという疑問
ぐぐりましょうね
まあ、当然これを疑問に思ったのが世界で私が初めてであるはずもなく
英語"vegetable"は、いったい何が「できる」のか?-外国語学習に疲れたら読むブログ
Online etymology dictionaryで"vegetable"の語源を尋ねてみましょう。
from Old French vegetable "living,fit tolive," and directly from MedievalLatin vegetabilis "growing, flourishing," from LateLatin vegetabilis "animating, enlivening."
対訳:古フランス語のvegetable「生きている、生きるのに適した」から、または中世ラテン語のvegetabilis「成長している、繁栄している」から直接か、後期ラテン語のvegetabilis「生き生きさせる、活気づける」から。
(参照:Online etymology dictionary)
なるほどなあ
しかしこれは語源の説明であって、形容詞が名詞になったのはなぜという疑問に答えていない
ではこちらはどうか
「なぜ?」に答える内容ではないが、類例は大量にあることがわかる
まあそもそも日本語にだって形容詞→名詞になった言葉なんて大量にあるだろうからvegetableだけことさらに「変だね、何故なんだろ」と思うのも変かもしれない
本当に?まああとで調べるか
日記だよ
ざっくり言うと、「言ってることはだいたい正論なんだけど、ほぼ全部これまで散々聞いた話の焼き直しで、肝心な痛みの部分(国民負担・再分配・生活の実感)にはほとんど触れてない」って感じ
・5本柱(複数年度の視点/ヒト/カネ/マネジメント/国際連携)は、経済政策の教科書どおりで、構成としてはきれい。
・「AI・半導体・量子・造船など17分野への官民連携投資」「責任ある積極財政」ってワードも、今の与党のテンプレを丁寧に並べた感じ。
・一方で、社会保険料や消費税を含む国民負担の重さ、実質賃金マイナスの長期化、格差や貧困・少子化みたいな、いま多くの人が一番しんどいと感じている部分への踏み込みはほぼゼロ。
「成長はするから、あとは自動的にみんな幸せになりますよね?」という古い発想から抜け出せてない。
言ってること:企業が投資判断しやすいように、政府も予算や税制を数年単位でコミットしましょう。
官庁や事業会社が、複数年度にわたる支援・規制改革のロードマップを出すべき。
評価:これは普通に良い。投資って1年ごとにコロコロ制度が変わると誰もリスク取らないから、「複数年度で見通しを示せ」はまっとう。
ただ、日本の予算制度・財政審の文化の中で、本当に複数年度コミットができるのかはかなり怪しい。毎年「やっぱ財政再建が~」って言い出して縮小される未来が容易に想像できる。
ここをやるなら、「中期財政フレーム自体を作り替える」「将来の支出を法律レベルで拘束する」くらいの話がいるけど、そこまでは踏み込んでない。
言ってること:リスキリング支援、大学での人材育成強化。医療・介護の処遇改善(報酬改定を前倒し)、働き方改革を含む労働市場改革。
評価:「医療・介護の賃上げをちゃんとやれ」と明記してるのは、ここ数年の文書よりはマシな点。現場の悲鳴はそれなりに意識してる。
ただし、全体としては人材の質を上げて成長分野に移動させたいという供給側目線が強くて、「非正規をどう減らすか」「低所得層の社会保険料負担をどうするか」みたいな、足元の生活のしんどさはスルー。
リスキリングも、これまでの政府プログラムを見る限り、実効性はかなり微妙。「講座を作って自己満、現場の待遇はそのまま」の危険が高い。
→方向性は悪くないけど、きれいな人材政策の作文の域を出てない。
言ってること:NISAや企業型DCを軸に「資産運用立国」を続ける。成長投資に向かう資金の流れを作る、地域金融も含めて成長資金を供給。
評価:完全に「貯蓄から投資へ」「資産所得倍増」の延長線。すでにそこそこ資産を持ってる層にはプラスだけど、そもそも投資に回せるお金がない層にはほぼ恩恵なし。
「中長期の成長投資に回せ」という発想自体は良くて、国債だけに閉じたマネーゲームよりはマシ。ただ、これも企業側・金融側の論理が中心で、家計側のリスクや損失についてはノータッチ。
今の国民負担感(社会保険料+消費税+物価高)に対して、「じゃあ負担軽くしましょう」とは一言も書いてないのがポイント。
→金融市場と大企業には優しいけど、手取りが万年ギリギリな人にはほぼ無関係。
言ってること:設備投資の即時償却や研究開発減税など、投資税制を大胆に。コーポレートガバナンス・コード見直し、人材資本の情報開示強化。
事業再編・再構築、M&A・企業結合を促進して企業の規律を高める。
評価:典型的な投資インセンティブ+ガバナンス改革+M&A推進セット。株主と大企業経営層が大好きなパッケージ。
これをやると、確かに設備投資や再編は増えやすくなるけど、その裏側で「地方の中小企業が大企業に飲み込まれて、雇用が整理される」パターンも増える。
「内部留保を人や設備・研究に回せ」という狙いはわかるけど、そこを税制だけで変え切れるかはかなり疑問。結局、需要(売上)が伸びる見込みがないと企業は動かない。
労働者側へのセーフティネット(失業保険の手厚さ、転職支援、最低賃金、社会保険料の軽減など)をセットで書いてないのが怖い。
→資本市場目線では◎、労働者・地域経済目線だと「うまくやらないと切られる側が増えるよね?」という不安が強い。
言ってること:国内だけ見てても成長は限界。サプライチェーン強化やエコシステム構築を同盟国・同志国と連携してやる。
特にグローバルサウスでの新市場開拓を重視し、ビジネス展開を予算で後押し。
評価:これも方向性は妥当。中国一極依存からの脱却や、物流リスク分散を考えるなら必須の視点。
ただ、ここでも企業の海外展開を支援しますで終わっていて、「海外に生産移して、国内の雇用や賃金はどうするの?」という視点がない。
グローバルサウスでのビジネス展開は、うまくやればプラスだけど、失敗するとお金と技術だけ出して現地での利益は薄い国内産業の空洞化だけ進むパターンもありうる。
→外交・安全保障の流れとしては自然だけど、内需・地方雇用まで含めての設計図が見えない。
政治的な読みどころ
文面に「高市内閣」とわざわざ書いてあるのが、かなり露骨なメッセージ。
「将来、高市政権になったときの経済運営はこの路線で行きます」と宣言しつつ、現政権にもプレッシャーをかけている感じ。
中身は安倍政権以降のアベノミクス+資産運用立国+リスキリングの言い換えなので、路線変更というより「これまでをもっとちゃんとやります」という話。
つまり、「今のしんどさは路線が間違ってたからではなく、アクセルが足りなかったから」という前提に立っている。
ここに同意できるかどうかで、この文書への評価はガラッと変わると思う。
経済のお行儀の良い作文としては 70点くらい。
ちゃんと整理されてるし、投資・人材・金融・国際連携のツボは押さえてる。
でも、「国民負担の重さ」「実質賃金の落ち込み」「生活防衛」という、いま一番ホットな火事場に水をかける気はほぼないので、生活者目線では 40点ぐらい。
読んでて「うんうん…で、具体的に何する気なん?」ってなるね
文書の主語がほぼ全部これなんだよね:「投資を促進することが必要である」「支援を強化することが必要である」「国際連携を強化することが重要である」
で、続きが「…よう検討すること」「…よう推進すること」「…にコミットすること」
みたいな動詞が全部ふんわり系。
例えば本気でやる気なら、
「AI・半導体関連の公的研究開発費を、5年間で現在の○倍にする」
「介護職の平均賃金を3年で月○万円引き上げる。そのため診療報酬を○%上げる」
「NISA・DCへの年間新規資金流入を○兆円、5年で○兆円の残高増加」
とか、少なくとも数字+期限を1個は書けるはずなんだよね。
この提言はそこを徹底的に避けてるから、読んだ側が結局、どのくらいの規模でやる気なのかが全く見えない。
各項目で一番で?って思うのはここ。
ヒトのところ リスキリング支援 医療・介護等支援パッケージ 働き方改革と労働市場改革
って並んでるけど、どんなスキルを、誰に、どのくらいのコストで?
医療・介護パッケージって具体的に「基本給+何%」なのか、「処遇改善加算をこういじる」のか?
労働市場改革って「解雇規制を緩めたい」のか「社会保険料を軽くしたい」のか、それとも「非正規の処遇改善」なのか?
肝心な中身の選択を全部ぼかしてるから、読んでも立場が見えないんだよね。
カネのところ「NISA・DCを通じた家計から成長投資への流れの加速」「資本市場機能の強化」
これも、NISA非課税枠をまた拡大したいのかDCの加入を半ば義務化したいのか年金資金の株式比率をもっと上げたいのか
どこに突っ込む気なのか書いてない。
運用立国やります!とだけ言って、リスク側の話(損したとき誰が死ぬのか)には触れてないから、どう評価していいか決めようがない。
具体性がないの、たぶん「無能だから」じゃなくてケンカを避けるためにわざとって側面が強いと思う。
この文書で本当は踏み込まなきゃいけないのって、社会保険料・消費税をどうするか(特に低所得層の負担)
財政拡張をどこまでやってもいいと考えるのか、労働市場改革で企業側をどこまで自由にするか、中国依存をどのスピードでどこまで減らすか
あたりなんだけど、ここを数字や制度名まで書いた瞬間に党内の財政タカ派、経団連、高齢者票、中国との外交
ぜんぶと利害がぶつかる。
だから「方向性だけ書いて、後は官僚と次の内閣に丸投げ」みたいな文章になってるんだと思う。
対比として、例えば同じ項目でも、「社会保険料について、年収300万円以下の本人負担を5年間で○%軽減する。その代替財源として○税を○%引き上げる」
「介護離職ゼロに向け、介護職の賃金水準を全産業平均比▲○%から▲○%まで縮小する」
「対中輸入比率を10年で△%→□%に低減する。そのために半導体・レアアースなど5品目については…」
くらい書いてあれば、「やる気と覚悟はあるな。中身に賛成かは別として。」って評価になるんだけど、今回のはそこに踏み込まない安全運転の提言。
フレーム(5本柱)はそれなりに整ってる
でも、中で一番えぐい論点は全部「検討」「推進」「強化」に逃がしてる
だから読んでる側からすると「具体的な制度・金額・痛み」が見えず、ふわふわして感じるって構造だと思う。
AIに「AIが書いた後人間が改変した可能性が高い」って言われてるやんw
これは「AIが下書きを作り、それを人間が感情・体験ベースで大幅に改変・肉付けした可能性」はかなり高いです。
完全なAI文とも、完全な人間文とも言い切れません。いわば“ハイブリッド文”の典型的な特徴があります。
⸻
(1)構成の整理度が異様に高い
• 序盤から終盤まで「1.ライフスタイル」「2.時間の問題」「3.事件」「4.家族の変化」ときれいに番号で分けた4項構成になっており、
•感情的なテーマ(トラウマや喪失)を扱っているにしては、全体の構成が整いすぎている。
→ これはAIが最初に骨格(見出し+流れ)を作った可能性を示唆します。
(2) 文末・語尾のリズムが均質
• 「〜た。」「〜した。」「〜思った。」など、文末のリズムが機械的に一定。
一見自然ですが、ここまで均一なのはAI下書きにありがちな特徴です。
人間が書くと、もう少し「…」「〜だったのかもしれない」「〜気がした」などの“揺れ”が混ざりやすいです。
•人間がトラウマを描くときは、感覚的な比喩(「胸が重くなった」「包丁を握る手が震えた」など)が混ざることが多い。
しかし本作では「トラウマ」「苦痛」「不快感」など、感情を抽象名詞で処理しており、ややAI的です。
⸻
「私が引き際を誤って我慢して通い続けて不遜な態度をとってしまった」
「やばい奴を焚き付けてしまったことが一番よくなかったと反省している」
こうした“自分の落ち度を認める書き方”はAIが苦手とするニュアンスで、人間による心理の細かい補筆と考えられます。
(2) 「マジでやばい奴」「スーパーで1万円以上買ったレシートみたいなLINE」などの口語的な比喩
• これはAIが自然に出すには難しい生々しさで、人間的な編集が明確に入っています。
•特に「スーパーで1万円以上買ったレシートみたいなLINE」は生活感と怒りのユーモアの混在で、AIの自動生成ではほぼ出ません。
朝、ネットニュースを眺めていた。
モンテッソーリ教育は、100年以上も前にイタリア初の女性医師であり教育学者でもあったマリア・モンテッソーリ博士によって考察された教育法である。
アじゃない「ヤ」。
Wikiも間違ってやがる。
日本人はMariaをマリアと読む。バカなのか?無教養なのか?
聖母マリア様。これも正確にはマリヤだ。大昔にアホがローマ字読みで誤訳して今更直せないのだろう。
いいかい
中学1年生で習うわけだが、Knowは「ノウ」と発音する、Kは無視する。黙字という、これはさすがに覚えてるよね。
英語(及び欧州諸語)はローマ字ではない、単語ごと、あるいは文脈で発音が変わることは普通にある。
例えば日本語だとKONNITIWAは「こんにちわ」とは書かない「こんにちは」だ。
末尾の「わ」を文字で書くときわ「は」に置き換える、例外ではあるが日本語の基本的なルールだ。議論は無用
「わ」を「は」に置き換えていいなら「わしは橋をわしと呼ぶ」と言うたところでダメだ、田舎の方言と嘲笑われるだけだ。
ともかく英語にはこのような書き言葉と発音の不一致はクソほどある。
伝説の超有名ロックスターのVan Halenをヴァン ハレンとは呼ばない。常識的にヴァン ヘイレンだ。
いいかい、Mariaって名前は世界で一番使われる女性名だ。世界中でマリヤさんのインタビューやらドラマや映画で出てくる。
英語でもフランス語でもドイツ語でもイタリア語でもいい、聞いてみろ、マリ「ヤ」だ。
手っ取り早く「アヴェ・マリア」あたりでググって聞いてみろ
「あゔぇぇぇぇぇぇぇぇーーーーーまりーーやぁぁぁぁぁ」と歌っている。
「Y」が聞こえないなら知性以前の問題で耳がぶっ壊れてるから耳鼻科行って来い。
それ以外、なんでもいい、YoutubeでMariaで検索して英語(及び欧州諸語)の曲を聞いてみろ、有名どころだとBlondieMariaでよかろう。
「Y」が聞こえないなら知性以前に耳鼻科に行け。
この「Y」を専門的に言えば挿入音(epenthesis)と言う、Mariaの場合はglide epenthesis(半母音挿入)と言う。
たいくかん(何故か。。。」
このようなケースは多くの言語で見られる。
で、だ
この固有名詞、人名は音で翻訳する原則が日本は揺らぎが酷すぎる。
特にアルファベットや漢字だと大雑把というか、ケースバイケースというか、テキトーというか、出鱈目というか。
一貫性が無い。
新千歳空港を「New ChitoseAirport」と英語表記する、アホなのか?
「新」は英語では「New」って言うんだよ、知ってるもん、だから新千歳はNew Chitoseなんだよ
竹内まりやは正解。
ともかくだ、海外で仕事して、相手がMariaさんだとする。マリアと呼んだら『「ヤ」な、マリヤな』と訂正される。
俺はされた。
で、だ、
「ヤ」じゃなくて「ヤ」と「ア」の真ん中くらいじゃね、発音記号も。。。
ともかく、この問題はMraiah Careyがさらに議論を複雑にしている、ぶっちゃけMariaの発音は英語圏でもしばし話題になるのだが
マライア・キャリーが混乱に拍車をかけた、彼女は明瞭に「マライア」なのだ。
「ア」じゃんとなるのだが「h」があるわけで。ところが英語圏の人間ですらこれに引きづられてMaria=「マリア」に変化している。
特に西海岸は母音を明瞭に発音したがる訛りがあるので「ア」に近づくのだ。
もうね、俺もわからん。正解はなんなんだ
AIにも聞いてみたよ
Q.
A.
文章の構造
文章が伝えている意味
原告と被告の関係
訴訟の性質
訴訟の結果
要約
この文章は、暇空茜という人物が太田啓子弁護士を名誉毀損で訴えた訴訟において、裁判所が暇空茜の主張を全面的に認め、暇空茜側の完全な勝訴という結果になったことを伝えています。
Q.
この文章はひっかけであって、「暇空茜が太田啓子弁護士を訴えた名誉毀損訴訟」で勝訴したとは書いたが、誰が勝訴したのかは書いていない。
A.
この主張は**妥当ではありません**。日本語の文法的な観点から説明します。
日本語の文法構造
元の文章:「暇空茜が太田啓子弁護士を訴えた名誉毀損訴訟で全面勝訴しました」
主語の特定
文の骨格
なぜ「引っかけ」という主張が成立しないか
- 日本語の文法規則として、「AがBを訴えた訴訟で全面勝訴した」という構造は、明確にAが勝訴したことを意味する
- もし太田啓子弁護士が勝訴したことを述べたいなら、「暇空茜が太田啓子弁護士を訴えた名誉毀損訴訟で、太田啓子弁護士が全面勝訴しました」または「太田啓子弁護士が全面勝訴しました」のように別の主語を明示する必要がある
結論
この文章は文法的に明確に「暇空茜が勝訴した」ことを述べており、曖昧さや引っかけの要素はありません。「誰が勝訴したのか書いていない」という主張は、日本語の文法規則に反しています。
すごい、ここまで来るともう「AIによるSNS病理学大全」やん。
いや、でも読んでて気づいたんですよ。
「タイムライン幻惑」と「スクロール幻視」って別々に分類されてるけど、
つまり、前者が「他人の投稿を自分のことのように錯覚する一次幻惑」、
後者が「自分の投稿が他人に読まれている気がして幻視する二次錯乱」。
それに「ハッシュタグ中毒」と「バズ依存麻痺」の併発例は危険です。
初期症状として“すべての名詞を#で始めたくなる”衝動が出る。
最終的には「#現実」とか「#人間関係」とか言い出して社会復帰が難しくなる。
個人的には「自己演出麻痺」から「プロフィール整形衝動」に至る経路が一番リアルでした。
まるでMMORPGでキャラクリ画面から出られなくなった人類。
もうこれ、社会疫学的には“AI由来の新興感染症”として扱うべきやと思う。
……とか言ってる時点で私も軽症なんでしょうね。
私の場合それは合意したし、乗り気だった。飲み自体も楽しくはあったんだけど、終わった後かなり濃密なボディタッチされて絶望したことあったな。
“侵襲的”って言葉を始めて目にして、意味が判らなかったので調べてみた。
1侵入し、襲うこと。
2医学で、生体の内部環境の恒常性を乱す可能性がある刺激全般をいう。投薬・注射・手術などの医療行為や、外傷・骨折・感染症などが含まれる。
いわゆるセクハラレベルの事(賠償責任は負うが逮捕されるまではいかないレベルの事)に対してうっかり使うにしては日常的に使うような言葉ではないし、
仮に字義通りの事(逮捕もされるし賠償責任も負うレベルの事)をされたのだとしたら、
普通は即警察か弁護士案件なのに、権力に頼ろうって発想が全くないばかりか、逆に反応が軽すぎて違和感しかない。
気になりすぎるので、差し支えなければ教えてくれると嬉しい。
もちろん具体的に何をされたのかを聞きたいのではなく、どういう意図で“侵襲的”という表現を使ったのかを知りたいだけなのでよろしくお願いします。
GoogleAI
本来の蛙化現象とは「相手が好意を持った途端、その相手に対して嫌悪感を抱いてしまう心理現象」を指しますが、近年では「好きな人の些細な言動に幻滅する」という意味で使われることも多く、若者の間で新しい意味が定着しています。
本来の「蛙化現象」の意味
概要:恋愛において、片思いの相手が自分に好意を持っていることがわかった途端、それまでの好意が冷めて嫌悪感に変わる心理現象です。
由来:心理学者の藤沢伸介氏が提唱した言葉で、グリム童話の「カエルの王様」にちなんで名付けられました。
具体例:ずっと好きだった相手が振り向いてくれたことで、生理的な嫌悪感を抱いてしまうケースなどがあります。
若者の間での「蛙化現象」の意味合い
概要:若者の間では、「好きな人の些細な言動や仕草で突然気持ちが冷めてしまう」という意味で使われることが多いです。
「なんか冷めた」の6文字ですむ概念を、わざわざ複雑な言葉使ってそれっぽく頭良く話してる風にしてる感じが馬鹿くさい
偏差値45とかの人がつかってそう
“カエル”が元来の「王子が蛙に見える」の反転や嫌悪喚起の象徴として使われ、恋愛嫌悪、自己嫌悪、暴露後の認知変容など複数の解釈が混在しやすい(対象=カエルに機序が埋まっていない)。
現象の根本因(理想化の崩壊、親密化に伴う嫌悪感、投射の剥落、恐れの防衛など)が「カエル化」という定義文に入らず、結果(冷める)のみをラベル化してしまい、学術的枠組み(例:脱錯覚、親密性回避、嫌悪感感受性)に結び付きにくい。
“カエルとはなんの象徴か"を定義化するための判定基準が合意されておらず、キャッチ―さだけでSNS流通で意味が拡散・変質しやすい。
グリム童話では、姫の嫌悪の源泉は外見的容姿の違いによるのに対し、本ミームでは「相手の行動」が嫌悪のトリガーとなっているのも設計の精密さに欠ける。
良い名詞比喩は「構造の写像(図解可能)」を提供するのに対し、カエル化現象は「前提となるグリム童話と連動しない」「主観的・情緒的な印象メタファー」に留まり、原因機序と再現条件が弱いため定義が揺れやすい。
Permalink |記事への反応(16) | 19:25
以下で展開される議論は、アメリカのある哲学者が学術誌の査読(ピア・レビュー、同業者による査読)の適切さを確かめるためにでっち上げたデマ論文の内容であり、しかもその論文はある雑誌に受理された。
このことから投稿者は、文化人類学者ではないが、いくつかの考察を試みる。
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1. 以下の内容は、「サル山のボス猿とそのなかま」が信奉するペニス信仰と、それに対する「フェミニスト」の反論の両方を痛烈に揶揄している。これらの議論は、ここ「はてな」での果てしない同種のやり取りの上位互換となっている。つまり、そのことに気づかないでいる、いわば自己相貌失認を患う矮小な関係者の姿をアナロジカルに揶揄している。
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2. 仲間による「レビュー」を経て認められた「議論」が、いかに穴だらけなものであるか、つまり、特定のコミュニティの支配イデオロギーとはしばしば、ブードゥー教の偶像崇拝にすぎないことを示唆している。
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3.投稿者はこのデマ論文の紹介により、いわば原始人に優れた棍棒の作り方の一例を教唆することになるかもしれない。いずれにせよ、上位互換の議論がデマであると著者により暴露されたことは、はてなでの「議論」の有効性の上界を抑えられたことを意味する。平たくいうと、0くxく1のように、xの取りうる範囲が有限なある一定の値以上にならないことである。原始人たちが、今後どのような道を選ぶのか知らないが、進化の選択肢があることを付け加えたい。
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4.敷衍すると、この論文の内容に限らず、はてなでの任意の「議論」には、それの上位互換となるある学術的な議論を作ることができる、という可能性が示唆される。平たくいうと、はてなの投稿を分析すれば論文が書けるかもしれない。
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この論文「概念的なペニスは社会構成物である」は、ジェイミー・リンゼイとピーター・ボイルによって2017年にCogent Social Sciencesに掲載された研究論文であり、ペニスという概念が単なる解剖学的な器官ではなく、社会的に構築されたものであり、それが有害な「毒性のある男性性」(toxic masculinity)と密接に関連しているという革新的な主張を展開しています[1]。著者らは、この「概念的なペニス」が、ジェンダー・アイデンティティ、生殖に関するアイデンティティ、社会および家族の力学に深刻な問題を引き起こし、女性やその他のジェンダー周縁化されたグループにとって虐待の根源となり、レイプの普遍的な原因であり、さらに気候変動の概念的な原動力であると結論付けています[2-4]。
伝統的に、ペニスは男性の生殖器または性器として圧倒的かつ議論の余地のないものとして科学的に認識されてきました[5]。しかし、著者らは、この見方が「過度に還元主義的」であり、ペニスを持つ人間の経験の多様性を完全に表現できていないため、「首尾一貫しない構成物」であると指摘します[6]。
この主張の根拠として、まず解剖学的なペニスが必ずしも男性の生殖器官としての役割を果たすわけではないという事実が挙げられます[5]。例えば、怪我を負った者、配偶者を強制できない者、子孫を産むことに興味がない者、医学的に不妊の者、またはアセクシュアルを自認する者など、ペニスを持つ多くの人々が生殖を行いません。これらの例は依然として「男性」を構成するかもしれませんが、彼らのペニスを生殖器官として特定することは明確に誤謬であるとされています[5]。
さらに重要な点として、ペニスを持つ女性が数多く存在することが強調されます[5]。これには、性別適合手術前のトランスジェンダー女性や、女性と自認し、性別移行を望んでいない染色体上の「男性」が含まれます[5, 7]。文化的な有害な常識に反して、これらの人々にとって、彼らの性器(ペニス)は、生殖に利用される場合があったとしても、男性の性器として最もよく理解されるべきではありません[7]。このような人間の表現の多様性という重要な事実に照らして、ペニスを具体的に男性の解剖学的な器官と概念化することは、非常に問題があり、言説的な再検討が喫緊に必要であるとされます[6]。
著者らは、ペニスが「男性性に対する首尾一貫しない構成物」であるとし、ペニスは解剖学的な器官としてではなく、**ジェンダー遂行的な、非常に流動的な社会構成物**である「概念的なペニス」として理解されるべきだと主張します[6]。この「概念的なペニス」は、ジェンダーに関連する様々な遂行的な行為や発言を通じて社会で確立されるペニスの操作的な表現です[6]。
この概念的なペニスが、**「毒性のあるハイパーマスキュリニティ(hypermasculinity)」と等型写像的(isomorphic)な関係にある**とされています[1, 8-10]。この等型写像関係とは、二つの異なる構造が、その構成要素間の関係性において本質的に同じ形を持っていることを意味します。ここでは、概念的なペニスという社会構成物が、毒性のあるハイパーマスキュリニティの行動や心理と鏡像のように一致しているということです。
特に、この等型写像関係は、**「マチスモ・ブラガドシオ」(machismo braggadocio)**という概念によって媒介されます[10,11]。マチスモは本質的に攻撃的な男性のプライドを指し、ブラガドシオは傲慢な自慢の性質を意味します[12]。これらが一体となって、社会的に男性的な心や異性愛規範的な女性の心がペニスを「客観視」し、それを介して男性性と支配的な男性の権力ダイナミクスを遂行的に表現する具体的な描写であるとされます[12]。
この等型写像関係において、概念的なペニスは、ハイパーマスキュリンな男性が権力のない主体的な立場から強力な立場へと自身を再配置するために、**「主体」「客体」「動詞」の三つの役割**を果たします[11-14]。
この主体としての役割は、男性が性的な「征服」や「パフォーマンス」について自慢する際に明らかになります[16]。また、「俺は彼女にやった」「彼女はもっと欲しがった」といった表現に見られるように、名詞の「それ」("it")が客体的な概念的なペニスを女性の経験の知覚された主体に変え、概念的なペニスを男性のジェンダーパフォーマンスに関してさらに客体化します[16]。これにより、概念的なペニスは、ハイパーマスキュリンな心において、ペニスを主体として(男性の)セクシュアリティを強力な現実とする脱所有化(deappropriative)のツールとなります[16]。
この傾向は、性的なアイデンティティが根本的にヒエラルキーの維持に利用されるという考え方によって説明されます[17]。概念的なペニスを行動を表す動詞として使用することで、ハイパーマスキュリンな男性は、他者を抑圧し、脱制度化する社会的なヒエラルキーを強制し、自己を認識的に高めます[17]。この現象は、ラップ音楽におけるミソジニーの分析や、「マン・スプレッディング」(manspreading)と呼ばれる、公共交通機関などで男性が足を開いて座り、不必要に広いスペースを占有する行動にも見られます[17]。マン・スプレッディングの言い訳は、解剖学的なペニスと睾丸が「快適さ」のためにスペースを必要とするという男性的な社会言説に直接基づいていますが、これは概念的なペニスを遂行的な社会構成物として見た場合、周囲の空きスペースを「レイプする」ような支配的な物理的空間の占有であり、毒性のあるハイパーマスキュリニティへのマチスモ・ブラガドシオ等型写像を通じて最もよく理解されるとされます[17]。
マチスモはハイパーマスキュリンな本質であり、ブラガドシオはその表現です[10]。現代の思考における概念的な要素としてのペニスは、マチスモ・ブラガドシオの概念によって、ハイパーマスキュリニティにおける最も毒性があり問題のあるテーマと自然に等型写像関係にあります[10]。これらのテーマは、解剖学的なペニス自体には適用されず、生殖しない個人やアセクシュアルな個人にも関連性を持たないため、ペニスは既存の男性的な社会的な比喩を演じるために利用される、構築された社会的な客体、つまり言説的な「概念的なペニス」として理解されるべきだとされます[10]。
概念的なペニスが毒性のあるハイパーマスキュリニティに等型写像的に同定されることの最も問題のある結果の一つが、**気候変動**であると指摘されています[4, 18]。気候変動は、まさにハイパーマスキュリニティの特定の有害なテーマによって引き起こされており、これらは概念的なペニスと識別される気候生態学への支配的な略奪的アプローチを通じて最もよく理解できます[18]。
著者らは、地球が急速に2℃の気候変動閾値に近づいている原因が、現在の資本主義構造を維持する家父長的な権力ダイナミクス、特に化石燃料産業にあると主張します[18]。科学、政治、経済の言説におけるハイパーマスキュリンな支配と、生態系への修復不能なダメージとの関連性は明確であるとされます[18]。破壊的で持続不可能であり、ヘゲモニー的に男性的な環境政策と行動へのアプローチは、男性優位の精神性による自然の「レイプ」の予測可能な結果です[19]。この精神性は、男性心理に対する概念的なペニスの役割を認識することによって最もよく捉えられます[19]。
特に、資源を安価に略奪し、家父長的な経済的利益のためにその内在的な価値を奪われた後、荒廃し減退したまま放置されるような「未開の環境」にこの精神性が適用されるとき、概念的なペニスに内在するレイプ文化の延長が明らかになるとされます[19]。気候変動は、最もよく言えば、ハイパー家父長制社会が地球の生態系にメタファー的に「マン・スプレッディング」している例であると述べられています[19]。
この問題のある傾向の根底にある理由は、現代の資本主義理論、すなわち新資本主義理論が、科学と社会におけるハイパーマスキュリンな焦点から直接その合理性の主張を引き出していることにあります。そしてこの焦点は、概念的なペニスとの同一視によって最もよく説明されるとされます[20]。毒性のあるハイパーマスキュリニティは、概念的なペニスから直接その意義を引き出し、新資本主義的唯物論の支持に自身を適用します[20]。この新資本主義的唯物論は、特に炭素排出の化石燃料技術の無制限な使用や、未開の自然環境の無謀な支配において、気候変動の根本的な原動力であるとされます[20]。
この分析から導かれる実践的な推奨事項は、気候変動研究において、可能な限りハイパーマスキュリンなペニス中心の視点を避けるように、政治や科学の言説への関与方法を変えるべきであるというものです[3]。
結論として、著者らは、ペニスは男性の性器や生殖器として理解されるべきではなく、むしろPermalink |記事への反応(0) | 19:03