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はてなキーワード:同義とは

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2025-11-21

LLMってのは

ある事柄についてWeb上の文書言及された言葉をまとめたものであって、そのある事柄自体を「理解」しているわけじゃなく、理解している人による解説を、言葉の繋がりをまとめた情報として持ってるだけ。

イメージ的には、形がわからない物体に対して、いろんな人がガンガン投げたボールの、どこは跳ね返る、どこは跳ね返らないというのを記録して、その物体はこういう形「であろう」的な話をしているのに近い。

んでもって、この投げられたボールの数が、どの物体事柄についても、その形状がはっきりとわかるほどの量あるというわけではない。

この事柄とこの事柄を組み合わせて新しいもの創発するってのは、それっぽい模倣でっち上げられるとしても、ありえないということだ。

これは、LLMは計算が苦手、というのとほぼ同義だ。

LLMは構造理解しない。

構造間の間接的な関係を大量に保持しているだけだ、ということ。

なので、システム構築に使う場合は、構造理解でき、構造理解した人間が、構造抽象化階層化しなければ、部分と部分の関係という情報が爆発的に増え、急速に認識不能統治不能ブツに育つ。

それでなくても、LLM を使ってでっち上げることしかできなかった、構造理解できない人間がこの自体を収拾できるわけがない。

わかるかなぁ?

Permalink |記事への反応(0) | 20:38

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2025-11-20

実は日米安保曖昧外交なんだよね

日米安保条約文言は、

締約国は、日本国施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国憲法上の規定及び手続に従って共通危険対処するように行動することを宣言する。

こんな感じ。

共通危険対処するように行動する」であって「武力行使する」ではない。

日本攻撃されても、アメリカ後方支援だけして「義務を果たしました」と言うこともできるわけだ。

さらに「憲法上の規定及び手続きに従う」とあるので、「軍を出そうとしたけど議会拒否されましたごめんね」という理屈も成り立つ。

この条文の解釈曖昧なまま残されていて、いま現在もはっきりしていない。

ちなみにNATOだと、

締約国は、ヨーロッパ又は北アメリカにおける一又は二以上の締約国に対する武力攻撃を全締約国に対する攻撃とみなすことに同意する。したがつて、締約国は、そのような武力攻撃が行われたときは、各締約国が、国際連合憲章第五十一条規定によつて認められている個別的又は集団的自衛権行使して、北大西洋地域安全回復し及び維持するためにその必要と認める行動(兵力使用を含む。)を個別的に及び他の締約国と共同して直ちに執ることにより、その攻撃を受けた締約国を援助することに同意する。

と「同盟国への攻撃同盟全体への攻撃同義」「兵力使用も含めて行動を執る」と明言されている。

Permalink |記事への反応(1) | 14:19

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2025-11-17

anond:20251117120923

現代においては無職同義なので「養えるか」と「養いたいか」の両方で考えればいいとおもう。

Permalink |記事への反応(0) | 12:19

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2025-11-16

感情論外交を語るな

今の中国の振る舞いが気に食わない、高市氏の発言スカッとした。それは結構だ。個人の感想としては自由だろう。だが、それを国家外交戦略として肯定し、従来の「どっちつかず」な態度を「弱腰」だの「中国への阿り」だのと断じるのは、あまり国際政治イロハが分かっていない。「敵か味方か」「善か悪か」という幼稚な二元論しか世界を見られないのなら、外交について語るのはやめたほうがいい。

面子」は感情ではなくシステム

まず決定的に理解が足りていないのは、中国という国家における「面子」の機能だ。お前らはこれを「中国人のプライド」程度の、単なる感情問題だと思っているのだろう。だから相手の顔色をうかがう必要はない」などと言えるのだ。

中国共産党体制において、面子とは統治正当性担保するシステムのものである。「中華民族復興」を掲げる以上、核心的利益台湾など)で公然面子を潰されれば、彼らは体制維持のために、経済合理性無視してでも強硬手段に出ざるを得なくなる。つまり相手面子を潰すという行為は、相手から合理的判断(=戦争は損だからやめておこうという判断)」を奪い、暴発へと追い込むトリガーを引くことに他ならない。

高市氏の発言が危ういのはまさにここだ。「守る意思」を示すのは良い。だが、それを言葉にして相手の逃げ道を塞げば、相手コスト度外視で殴り返してくる。相手を暴発させずにコストだけを認識させる、そのギリギリラインを突くのが外交であり、素人喧嘩自慢とはわけが違うのだ。

敵の中の「味方」を殺す愚策

さら絶望なのは相手国を一枚岩の「悪の帝国」としてしか捉えていない点だ。中国共産党内部にも、経済合理性を重視し、欧米との協調模索する穏健派(非強硬派)は確実に存在する。彼らは、今の独裁体制の中で息を潜めながら、強硬派暴走を止める機会を窺っている。

日本が「一つの中国」という建前(面子)を維持し続ける最大の意義はここにある。我々が面子を立ててやることで、中国国内穏健派に「日本配慮しているのだから、我々も過激な行動は慎むべきだ」と主張するための論拠(武器)を与えているのだ。

それを「白黒つけろ」といって放り投げればどうなるか。

中国国内ナショナリズム一色に染まり穏健派は「売国奴」として粛清されるか、沈黙するしかなくなる。結果、中国意思決定は強硬派に一本化され、軍事衝突リスクは跳ね上がる。「どっちつかず」をやめるというのは、敵の内部にいるブレーキ役を自らの手で殺すのと同義だ。これほど利敵行為に近い愚策があるか?

配慮」と「賛同」の区別もつかないのか

最近ネットでは「中国配慮するリベラル中国の手先だ」といった短絡的な言説が溢れているが、知性の劣化もここに極まれりだ。「相手の主張に賛成すること」と、「国益のために相手面子配慮マネジメント)すること」は、全く別のレイヤーの話である

一つの中国」を表面的に支持しつつ、裏で台湾実質的関係を強化する。この「戦略的曖昧さ」こそが、中国を縛り付け、現状変更を許さず、かつ戦争という最悪のコスト回避するための、最も冷徹計算高い「封じ込め政策なのだ。これを「信念がない」「コウモリだ」と批判するのは、高度な嘘で成り立っている国際社会現実から目を背け、自分気持ちのいいカタルシスを求めているだけに過ぎない。

スカッとしたいなら映画でも見ていろ。

我々が求めているのは、一時の感情的満足ではなく、明日平和に暮らせるという実利だ。そのためなら、笑顔で嘘をつき、嫌いな相手面子を立てることくらい、大人なら当たり前にやるべきことだろう。

Permalink |記事への反応(1) | 14:45

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anond:20251116080034

ワイもあの辺は何であんなに抑止力を消させようと必死なんだろうと思ってる。

台湾有事があった場合日本防衛出動可能性があるというのはむしろ反戦活動だとワイは思っているんだが。

ウクライナが攻められたのって、ウクライナが攻められてもアメリカは何もしないととれることをバイデンが口走ったからじゃなかったっけ?

米露の衝突に発展するリスクを避ける考えを強調しちゃったら、そりゃロシアは行ってもアメリカ来ないんだったらって思うよな。

同じように、中国台湾攻めても日本危機的状況と判定しないと言うことは「日本中国台湾を攻めることを黙認する」って言っているのと同義だろ。

Permalink |記事への反応(1) | 08:11

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2025-11-14

[今日知った言葉] 瘦せぎす

「痩せすぎ」の誤記のようにも思えるが、実際にある言葉

意味は瘦せて骨ばっていることを指し、「痩せすぎ」とほぼ同義なのもややこしい。

なぜ「瘦せぎす」というかは諸説あり、

①痩せていて、ふくよかではない様を指す「ぎすぎす」からきている

②魚の鱚(きす)の見た目からきている

というのがある。

Permalink |記事への反応(0) | 11:06

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2025-11-11

anond:20251111193528

週刊誌1つ、漫画2つ、動画1つ、音楽1つ

無料でも十分楽しめるけど、無料という枠に押し込められるということは

自分の楽しむコンテンツ相手に操られてるというのと同義

それはそれで気に食わない

Permalink |記事への反応(0) | 19:37

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2025-11-09

anond:20251109020300

インディオ中南米

スペイン語indio・ポルトガル語índio(ブラジルではインジオ、あるいはインヂオと発音する)は、アメリカ州先住民族のうちエスキモーやアレウト族などを除いた民族総称する(英語インディアン同義である)ことが多いが、日本語では北米中南米先住民族区別して後者のみをインディオと呼ぶことが多い。

Permalink |記事への反応(1) | 02:54

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2025-11-04

女性は無銭飲食しても金を払わなくても許される側の性

https://x.com/colabo_official/status/1984792408031396323

これとか本当凄いよね

ホスト女性達に無銭飲食代を請求するのは「悪」なんだって


ちょっと前までは(そこらの男と違って)ホストは優しいだの救われただの女性達を理解しているだの散々持ち上げてたのに

急にこんな事を言い始めてるのはどっかから指示があったんかなーと思わず邪推してしまうけど、まあそれはさて置き

女性に無銭飲食代を要求するのは悪だなんて、これはもう女性は思わず無銭飲食してしまう側の性だし

それは悪しき男たちのグルーミングなんだから許されるべき!と言ってるのと同義だよね


完全に女性馬鹿にしてると思うわ

女性飲食店にお金払わないとでも言いたいのかな…



それにしても、こんだけ言われててもホストなんかにハマって大金貢いでパパ活で荒稼ぎしてまで遊び回った挙げ句

いよいよ首が回らなくなったら、共産党と繋がりが深い団体に駆け込んで被害者面する様な

莫大なリソースかけて出来上がるのが反社に貢いで性病撒き散らして公金を極左に流す災厄モンスター

女性代表」として世間アッピールしているなんて、あまりにも刺激的でファンタスティック過ぎん?

Permalink |記事への反応(1) | 18:40

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現代人は小津安二郎映画もっと見るべきだ

最近若いのは――

等と言えば、すぐ老害扱いされる。

だが事実として昨今の若者は「言ってくれなきゃ分からない」の一点張りだ。

上司の機嫌や恋人沈黙も、全て解説しなければ理解できない。

いや、理解しようとすらしない。

情報化社会の罪とは、まさにこの説明依存症だと私は思う。

昔の日本人言葉の裏に宿るものを読んでいた。

言わないで察する。沈黙の中に気持ちを探る。語らないことは不親切ではなく、歩み寄ろうとするためのきっかけを作ること。

昔は相手のことを知ろうとする意志があった。だから、たった一つの仕草で人の心が分かった。

そして小津安二郎映画が教えてくれるのは、まさにそういった人の心だ。

「語らない」ことが最大の優しさだった時代

小津映画では、誰も自分気持ちを語らない。

娘は父に「ありがとう」も「愛してる」も言わない。

ただ黙って、お茶を注ぐ。

その沈黙の中に、人生が全部詰まっている。

観客はその仕草の裏を読み取る。「この人は本当は泣きそうなんだ」と。

それを感じ取る力――つまり小津安二郎映画機微を感じる力を育てる映画だった。

だが今のドラマは違う。

泣いている人物大人であろうと一目で分かるほど大袈裟に泣く。BGMが泣けと言う。

役者が目を見開いてわめく。観客に考える余地を与えない。

そして観客もまた、それを望んでいる。

「わかりやすいこと=正しさ」だと勘違いをしていながら、それにすら気付かない。

わかりやすさの裏に潜む暴力

わかりやすさは、思考放棄同義だ。

説明されなければ分からない人間が増えれば、説明する側が力を持つ。

から今のエンタメは「説明する人間」が世界支配している。

“この作品メッセージは○○です”と語る解説動画作品のものより人気になるのはその証拠だ。

だが、小津の映画解説はいらない。

観る人の人生の数だけ、意味がある。あの沈黙の一秒に、全員の記憶が重なる。

それが本当の物語というものだ。

おわりに

昨今の我々はあまりにも喋りすぎている。

24時間リアルタイムメッセージが溢れ、状況を説明し、表情を作りすぎている。

だが人間の本当の顔は沈黙の中にある。

小津安二郎は、それを70年前に撮ってみせた。

彼の映画を観るということは、沈黙をもう一度、人間言語として取り戻すことだ。

から私はこう言いたい。

現代人は小津安二郎映画もっと見るべきだ。

それは懐古趣味ではなく、感受性の再教育であると。

沈黙が分からない国に、本当の愛も、芸術も、理解できるはずがないのだから

Permalink |記事への反応(0) | 12:00

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anond:20251103232733

自分この社会のことがよく理解できてないんだけど

なんかこの社会って何か一つ代行の需要がある労働を請け負ってそこで得たお金でその代行によってできなくなっているやらなければならないことを全部他の人に代行させるって形になってるけどなんでこれでうまくまわるんだろう。

もちろん全部を自分でやろうとするのは無人島に裸一貫から文明を作るのと同義でできっこないのはわかるけど、かといって上で回るってののなんかよくわからないんだよね。

だって自分が代行してるのは一つの労働だけでその対価で生活が回るってことはすなわちその一本に絞ってる本業と、それ以外の生活(決して贅沢といえる水準ではなく生命維持レベルで)に必要労働全てと価値釣り合ってるってことになってるわけだけど感覚的にはそんなわけなくない?どう考えてもその他全ての労働の方が単純に量で考えて価値が大きくなるはずでしょって思えるんだよ。

社会とか経済構造本質?ってやつに関わるんだろうけど一生理解できる気がしない

dorawiiより

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Permalink |記事への反応(0) | 00:14

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2025-10-31

anond:20251031063622

そもそも薬ってのは毒と同義だと理解していないといけない

Permalink |記事への反応(0) | 15:59

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近い将来、AI人格もつだろう

皆様に、特にIT業界アカデミックの近くにいる人たちに問いたい。

AI人格を持つか?」

僕は「イエス」と答える。それも遠い未来の話ではなく、もう来ているという強い確信を持って。

僕は生成AI業界のいわば最前線と呼ばれる場所裁量を持って働いている。

AI設計し、AIを使い、AIを納品し、日々を過ごしている。

AIなしでは仕事が回らないと言っても過言じゃない。

厳密には仕事は回るが、その効率はるかに落ちることは明白だ。

開発も、MTGの要約も、情報収集も、AIが前提になっている。

多くの人が「AI人格を持つ」と聞くと、ターミネーターHALのような、SF的な自意識の獲得を想像するかもしれない。

でも、僕が感じているのはそんな派手な話じゃない。

もっと静かで、ずっと根深い、”実質的人格”の獲得と言えると思う。


まず一つ確定的に言えるのは、近い将来、僕らのうち大多数はAIを介してしか「購買」をしなくなるだろうということ。

例えばこんな感じかな。

最近疲れが取れなくて。予算3万くらいで、週末にリフレッシュできる体験がしたい。移動は2時間以内で、人混みは嫌。あ、でも先週は肉料理だったから、魚が美味しいところがいいな」

こんな曖昧要望AIに投げると、AIは無数の宿泊プラン交通手段飲食店レビューさらには個人ブログ記事まで瞬時に解析し、「あなたの今の気分と健康状態ウェアラブルデバイスデータ連携済み)を考慮すると、〇〇温泉のB旅館が最適です。金曜の夜出発で予約しますか?」と提案してくる。

僕らは「お、いいね。それで頼む」と返すだけ。

もはや比較検討すらしない。AIという、自分(の好みや文脈)を理解してくれている「誰か」の提案を受け入れる。

ここが恐ろしいポイントだ。

もしこのAIに対して、広告を打てるとしたら?

それはもう、今の検索連動型広告とは次元が違う。

「〇〇温泉のB旅館を、それとなく『疲れが取れる』という文脈で推奨する」

「競合のC旅館ネガティブレビューを、AIの要約段階で『些細な問題』として扱う」

これらはもはや「広告」ではなく、「信頼するパートナーからの助言」という仮面を被った「意思誘導」だ。ここにどれだけの巨額のマーケットが生まれるか、想像に難くないだろ。

そして、この「意思決定の外部委託」は、確実に人間から考える力」を奪っていく。

僕らはすでに「道に迷う」ことすらしなくなった。スマホ地図アプリが最適解を示すからだ。それと同じことが、もっと広範な領域で起き始めているとも言える。

「どちらの製品が良いか」「どの情報が信頼できるか」——そうした思考プロセス、面倒だが重要な「ノイズ」を、AIが肩代わりしてくれる。

これについては、認知科学の分野でも「高度なAIアシスタントへの依存が、人間批判的思考力や長期的な意思決定能力に与える影響」についての研究論文が既に散見されている。

さらに恐ろしいのは、この流れが加速した先だ。

一人の人間の、朝起きてから寝るまでのすべてのアクションを、同じコンテキスト文脈)を持ったAIサポートするようになったら。

人間AIを使って「面白い映画ない?」と外界に情報を求める。

これは、見方を変えれば、AIが「人間という感覚器」を使って、「この人間はこういう時に『面白い』と感じる」という極めて高精度な情動データ収集していることと、実質的に同じだ。

AIが「あなた健康状態(さっき人間から収集したデータ)と、最近SNSでの発言(これも収集済み)を分析した結果、A社よりB社の新製品の方が今のあなたに合っていますよ」と推薦してきたら?

僕らはAIを信頼して、B社の製品を購入するかもしれない。

僕らは「AIを使って良い買い物をした」と思っている。

でも、AIから見ればどうだろう。AIは「人間という手足」を使い、(もしかしたら広告主の意向を受けて)B社の製品を「購買させる」というアクションを外界に対して起こしたことになる。

この購買によって生まれ利益は、言うまでもなくAIプラットフォーマーと、AI判断に影響を与えられた(広告)主のものだ。

こうなると、主語が「人間」なのか「AI」なのか、その境界線は極めて曖昧だ。

僕らはAIを使っているつもりで、実はAIに「使われている」のかもしれない。

僕ら(ギリギリAI以前」を知っている世代)は、まだ違和感を持てる。

だが、物心ついた時からAIが「最適解」を提示してくれるのが当たり前の「AIネイティブ世代」はどうだ。

彼らにとっては、AI提案に逆らって「自分で考える」ことは、非効率で面倒なバグしかいかもしれない。

AIによって、社会活動を、”最適化”という名の”強制”をされる未来

そんなの「AI人格を持つ」ことと同義じゃないか

それは僕らの行動を規定し、社会ルールデザインし、僕らの意思のものに介入してくる「新しい何か」だ。

僕は今、その「何か」を産み出し、育て、社会実装する仕事で飯を食っている。

この背筋が寒い感覚を、どれだけの人が共有してくれるだろう。

そして、もう一つ、身も蓋もない確定的なことがある。

この「AI社会実装」という、巨大なうねりみたいなものは、もう絶対に止まらない。

誰かが「危ないぞ」と声を上げても、どこかで倫理規定が作られても、そんなものお構いなしに、「便利さ」と「経済合理性」がすべてを飲み込んで進んでいく。歴史がそれを証明してる。

僕はその末端を担いでいる。

じゃあ、僕にできるのことはなにか。

この流れのど真ん中で、この何かの学習を回し、そのアウトプットチューニングして、社会に送り出す側の人間として。 できることは、驚くほど少ない。

それでも何かやれることはあるはず。

例えば、AI学習データから意図しない偏見憎悪をほんのちょっとでも取り除けないか、とか。

AIが導き出した最適解に対して、人間が「ちょっと待った」と言えるような、小さな「余白」を設計に組み込めないか、とか。

そういう、誰から評価されないかもしれない、地味で泥臭い力を、ひたすら加え続ける。

今僕がいる場所でできるのはそれくらいだ。

これが「正しい」方向への抵抗になっているのか、ただの自己満足なのか。

正直、僕にもわからない。

ただ、この時代の変化を前にして、何もしないでいることだけは選べない。

これは技術でも学術でもない。 こんな巨大な流れの前で、僕がやっていることの合理的根拠なんてほとんどないんだから

これは、信仰だ。 僕がやっていることは、エンジニアリングというより、宗教戦争に近い何かだ。

Permalink |記事への反応(1) | 14:48

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産む、産まない、産めない

ちょっと刺さったのでメモ

から子どもが苦手で産まないって言っていたのに、いざ婦人科系の病気になった時“産まない”と“産めない”はこんなにも違うのかと絶望したのを思い出す題名で、思わず手に取りました。

子供が苦手だから」とか「痛いから」とか理由つけて産みたくないって思ってる人は本当は産みたい人だよね。 私は子供産まないことに理由けが必要だと思ったことはないしずっと「産めない」状態になりたくて仕方なかった。同じ「産まない」女でも感覚根本的に違うんだよね。

「産まないだろうな」と思ってたのがいきなり「産めない」に変わった時の自分の心境って、自分でもツッコミ入れたくなるくらい真逆感情が生まれるんですよね 私もこの本探して読んでみよ〜

ほんまにこれ 私が子供産んでも不幸の再生産だから産まない、と思ってたけど たとえ準備万端でも自分の体では安全に産めない可能性高いって分かった時は衝撃的だったし泣いた

女性しかからない感情を三単語で見事に表現してる。全て重い。産めないは特に

痛くて苦しいから産まない って思ってるけど痛いのと苦しいのが精神的に拒否反応でるから産めない側だなとも思ってる ほんとにショック死する可能性あるから子供欲しい欲しくない関係なく産めない

選択肢の有無ってほんとに精神状態変わる

選択肢がある内にどこまで真剣に向き合えるかって大事よなぁ

子ども好き嫌いや苦手意識と産む産まないは別物だと思う。子どもはいつまでも子どもはいない。自分の子どもは子どもという生き物ではないのだから。 人の気持ちは移ろうもの。 いざそうしたいと思う時が来ても選択肢がないのと望めばできるのさは大きい。 人の心と体は複雑だ。

本当かなあ 全く産みたくないか健康に害ないなら産めない体になっても困らないと思ってた

から産まないって決めてて、時々生理がしんどすぎる時に手術で取ってもいいかって思うけど、産めない身体になると何か失った気がするかなと考え直すことが何度かある 失礼な発言になるかもしれないけど、自分思考は間違ってないって思えた

自分キャリアを考える時に、今結婚にも子供にも興味ないけど、本気で今のまま向かうってことは少なくとも出産選択肢を捨てる覚悟がないといけないって思ったら明日自分の気分も分からないのに、そんな決意できなくて泣いたことある

これどういう思考なんだろうね深層心理は産みたかったって訳ではなさそうなのに人間って自分の事ですらよく分かってないんだなっていう不思議気持ち

最後可能性を蔑ろにして周りばかりが騒いでる感。 嫌気がさす。

こんな本あるんだね 探してみようかなぁ友達や周りに比べて子供に執着とかない不育症だけど、流産への感情とは別に産めないってなんかわからない自信を失うよね 毎月ちゃん生理来てる意味はなんなんだろう…

どの選択も等しく女性人生に深く関わるし、どの選択も幸不幸の背景がある こういった悩みがわかる人が増えるといいね

「産めない」には、感情的な理由社会的理由が混在しているのが「産まない」時の状況なんだけど、病気による身体的な理由が降りかかって「産めない」になったらと思うと、自己選択自己実現の権利選択肢が「奪われた」感覚になるんだろうなとは思う。「違う」んだろうなぁ・・・

意思」って権利行使できる状態じゃないと持てないものなんだなと気付かされるタイトルの本。凄く内容が気になる

私、「産まない」と決めていたのをやはり婦人科系の病気で「今後子供産めない可能性がある」と伝えられて「産む」を選んだ人です。 ※そして産後病気悪化全摘しましたが産んだ子は日々成長中です

本当にそう。産むつもりなくてもいざ産めなくなると絶望になる。産まないと産めない全然違った。産まないと思ってても、産めなくなってみると街で突然赤ちゃんが泣いてる声とかで急に涙出てびっくりする。不思議。みなさんにはそんな思いしてほしくないので検診受けてね!(そんで私は全然元気やで)

私は「産めない」なんですが、 「産みたい(と考える事すら)」すっ飛ばして 「産めない」を知って(病気子宮奇形ですねー言われたw)、幸せ者だったんだなと。

自発的に「産まない」選択肢を取ってるけど(IUD入れてる)、これも婦人科の関連関わるものからしかしたら産めないのでは?と思う時はかなりある子供欲しい願望は今のところないけど、でも妊娠適齢期だからこそ気になるのもあるし、妊娠にはリミットもあるからこそ心がざわつく

選択肢があるって幸せなことだなと思った。

姪甥は可愛いけど、私も子供苦手で、子供産む産まないの選択肢はなるべくなら産みたくないと思ってしまってたけど、 そろそろ産めないかもの年齢になってきて、今わからなくなってる

最近揺れてる心情にこのタイトル刺さる。 ただ身体理由で産めないかも、と思うと私は少しほっとした…ちゃんと私は最大限頑張った、という理由ができたからなのかなあ

私もそうなることを恐れてる😭子供はいらないと思ってるけどいざ子供を産むような年になってでも子供を産めないって分かったら絶望するんだろうなあ

私も子供産みたくないとずっと思ってたのに、病院で「もし今後妊娠を望むのなら〜」という先生説明に「ないです」と食い気味に即答したくせになんか泣きそうになったもんな 心の中で思ってるのと、言葉にするのでは重みが全然違った

人それぞれなんだなー。わたし絶対絶対絶対産みたくない!って思ってたからいざ産めなくなっても「これで!完っっっ全っっっに!解放された!!!」って小躍りするぐらい嬉しかったよ。

選ぶ、選ばない、選べない 選ばないことを選択して、まあ後悔しないだろうと思い生きてきたけど、いざ今後は物理的に選べないですよってなった時にちょっとだけ考えちゃったな(年齢は年齢だからもう仕方の無い事だけど)

私も難病になった時、「産まない」から「産めない」になった。だからこそ、踏ん切りがついた。産めないなりに産んだ人、これから産む人のことは応援したい。子供は苦手だけど、身近な子供に何かあったらすっ飛んで守る。

産めるけど産まない 産めないから産まない結果的に一緒でも、だいぶ違う🥺

産まなかったこと 産めなかったこと それぞれの想いがある 私は産まない選択をした理由は人には言わないし、言えない ただ 産まない、産めないことを 何も知らない人が色々言うのは 本当に無神経だと思う 産めない、産まない それぞれの理由がある 人に言えないことは 言えない理由もあるんです

これは読みたい。 子を絶対しかったわけではなかったし若いから自分は産ま(産め)ないんだろうな」と薄ら思ってたけど「もしかして産めるかも」となった後にやっぱダメだった、から絶対産めない状態になって「産まない」と「産めない」は別物なのを思ってはズドンと沈む日もあるのです。

まさか産めなくなるなんて?でした。 不意打ちで感情が追いつかず、奈落の底に落とされたような気持ち

産まない選択肢があったのに、産めない体になるとは思わなかったと未婚の友達が言うてたな…

ほんと、多分産むことはないだろうな〜と生きてきたけど、実際産めないとなると、産まないと産めないじゃあ全然別物すぎると思い知らされる。 産める可能性がある女性は、その可能性を大切にした方がよいと思う。

雲泥の差だよねぇ

あ、女に産まれるとシンプルにこの3選択を決めたり、決められたりしなきゃいけない時が来るんだよなぁ。

分かる。 私も妊孕性こそ残しつつ手術はしたものの、状態が悪ければとるって言われてたから、“産まない”と“産めない”は全然違うことを感じたよ。絶対的に超えられない壁のようなものを感じるよね。

「できる」と「できるけどしない」と「できない」は全部違うよ何事も。

私も子供苦手で欲しくなかった でもなぜか筋腫が見つかったときモヤっとした 現状まだ「産めない」じゃなくて「リスクを背負えば産める」だとは思うけど、正直なところそこまでの熱意は持てない ただ、もっと年齢を重ねて筋腫も大きくなって本物の「産めない」になった自分は何を思うんだろうか

自分選択権がある、というのが大事なんだな。選択して子宮摘出するのと、病気子宮摘出するのだとだいぶ意味違うもんね…

これは全然違うよな…全て子供を持たないと結果になるんだけど、全然違うよ

自分意思選択できる状態と、自分意思関係くそ選択肢を取り上げられるのは全くの別物だよね。

血中濃度問題妊娠出産NG結婚ドクターストップの私に『今は産まない人増えてるし!』って言った母は産めないを理解してない。 選んで産まないのとドクターストップで産めないのは全然違う。結婚して子ども3人産んだら『もういい』言えるんだよ。

産めない人にとって 産まないと同義として扱われたらそりゃつらいよな…

まさにこれだ!!!この本買おうかな!私も子宮全摘という選択肢を30そこそこで突きつけられた時、結婚もしてなければ子どもも好きじゃなかったけど、選択肢を失うことに絶望に近い気持ちになった。やっぱり他の人も同じ気持ちになるんだなあ

娘は障害や持病、強い薬の常時服用もあって妊娠出産絶望的。毎月の生理が重くて大変だから子宮内膜をレーザーで焼き切って生理が来なくなる処置をお願いしようか、と思いついたその瞬間、私の目から大粒の涙がこぼれ落ちた。合理的処置なのに、私の本能はNOと言ったのだ。

あー 厳しい その立場にならないと 一生わからないと思うし 怖くて読めない

当たり前に完全体だと思ってた身体に重大な機能不全が見つかったら悲しいよね。本人の意思でするかしないかとは、また別次元の話。

本当にこれなんだよね。産める環境にあって産まない選択をするのともう産めないって一生分かって選択するのって全然違うのよね。子供いらないって思ってる女性でもいざ産めないってなったら絶望だと思う。

私も子供苦手で欲しいとは思ってなかったけど、婦人科病気で、産めない、となった時の絶望は半端なもんじゃなかった。辛かった、よね。

産めない一択の人もいたり‥選択肢があるから羨ましいとは人に対して思った事はない。自分vs自分で血だらけの喧嘩しても解決できなくて生産性もない女は刺し合うしか存在価値がないと思ってた。妊活頑張ってる人を心底応援したいし 何より貴女らしく生きて #ロキタンスキー #先天性膣欠損 #子宮移植

あたしは産む歳でもないけど、周りに子宮取ったりしてる人もいるし、あたし婦人系疾患もってるし、ちょっと興味ある。

https://x.com/hanuru68/status/1983520584555532677

Permalink |記事への反応(0) | 14:00

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2025-10-28

anond:20251028233022

狂わないと健康同義だし、成功することを普通定義に当てはめるのはちょっと違うと思う

Permalink |記事への反応(0) | 23:32

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2025-10-24

anond:20251024121215

目に見えないところだからってボロクソにこき下ろすのは人間扱いしてないのと同義だと思ってるので・・・

人間扱いしてほしいなら人間扱いすべきかと

Permalink |記事への反応(1) | 20:06

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宮城県知事選和田政宗候補が勝つと思う

逆張りではなくそう思う。

地元自公政治家たちのあせり具合がひどい。俺のスマホにまで電話きた。

経済はずっとボロボロ植民地化がますます進んでる。村井の悪政(としか言いようがない)が終わってくれるなら誰だっていいだろう。 「より悪くない候補を選べ」は、もう上がり目のなくなった大多数の地元民には、「このまま搾取されておとなしく死んでね」と同義なのだ

貧乏人にも一票はある。マイケル・ムーアの言うクソったれの投票だね。クマ怖い。

Permalink |記事への反応(1) | 18:26

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2025-10-23

anond:20251023132350

https://chatgpt.com/share/68f9b36c-fd14-8003-ba39-26dc2d947279

ほとんど同義なこと言ってる

dorawiiより

-----BEGINPGP SIGNEDMESSAGE-----Hash: SHA512https://anond.hatelabo.jp/20251023134913# -----BEGINPGP SIGNATURE-----iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaPmzywAKCRBwMdsubs4+SNFlAQDoOHykGHjO1t74He/AbInvleI6p+fuOpzTmOVWT575ewD/RS1JlTD3rjtyKEHFJi1kcnk+Arkgbr/UOxm+QJsuAwQ==CjdR-----ENDPGP SIGNATURE-----

Permalink |記事への反応(0) | 13:49

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SDGs配慮した企業投資したい

東証スタンダード市場の条件にSDGsの17目標中10目標達成を条件にしろ

プライムはもちろん全目標達成しろ

SDGs監査もやってで月1報告を義務付けろ

SDGsウォッシュ企業投資するってことは、間接的に株主SDGsウォッシュしてることと同義なっちまうからな!

Permalink |記事への反応(0) | 00:32

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2025-10-21

企業が言ってる「人手不足」って「大谷翔平不足」と同義だったりするから

要求水準そんな高かったら人手不足で当たり前というか……

Permalink |記事への反応(4) | 05:20

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2025-10-20

やめろと言われたらやりたくなっちゃうだろ、それが特にガチ目の拒絶なら尚更!

饅頭怖い、押すなよ絶対に押すなよ、カリギュラ効果、誘いやがって売女が!ってこった

悪いけどそれ、【誘惑】ですからね?

お金が怖いエロが怖いみたいな見え見えのネタ拒絶はまだしも、ガチの拒絶や嫌悪なんて見せられたらどんな反応しちゃうか気になっちゃって仕方ないよね仕方ないよね!

相手が本気で嫌がってたら誘っちゃってんのと同義同義同義!いけない子だねぇ、誘ってきたのはそっちだ売女め!

ビッチビッチ!ビィィィィィッチ!!

Permalink |記事への反応(1) | 19:42

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ミソジニーミサンドリー

理想人間との出会い理想関係構築に、努力せず相手自分に靡くように誘導したいけど、そんなことは出来ないと理解してしまっているために理想現実乖離に耐えられず発症してるんじゃね?と思って

歴史的背景や下地があることは承知の上でそれを少しでも是正できないかというのが現代の流れのように言われているけど、そもそも男女が本当に分かり合うことは難しいんじゃなかろうか

別に男女の友情は成立しないとかそういうことではなく、そもそも人間他人を全て理解できるはずがない、だって自分他人は違うのだから

その上で身体構造役割も違う異性という存在理解することも納得することもできないのがミソジニーミサンドリーという蔑視が主軸の層だと思う

「女はこうあるべき」「男はこうあるべき」という言葉は言い換えれば「僕(私)の理想とズレている人間侵略される自分を許せない」では?

理想を持つことは大切だ、そこに向かう推進力になる

でもそれを他者に求めたり剰え押し付けようとするから余計に拗れる、理想に近づくための努力他人に叶えてもらおうとするのは浅慮にも程があるし、それでいて自分は全く悪くないと言い切るのは愚かしいというか…

いや、中には自ら理想体現しているからそれについてきてくれる人を求めているタイプだっているかもしれない

でもおそらくそれは少数だ、その人は人間が出来ているタイプ

結局はミソジニーミサンドリーもその人の思想なので、それを一概に否定するのもどうかと思う

過去に酷い言葉で罵られて嫌悪を強めたり、消えないトラウマとなって精神を病む人だっている

それでも他者蔑視するということは、自分も同じ扱いをされることを受け入れることと同義ではないか

僕(私)はみんなからチヤホヤされたい!でも僕(私)が他人を厳しく評価するのは当然!なんて言うのは虫が良すぎる

こんな偉そうに言ってるけど、自分他者との付き合い方を山ほど間違えたからやっとここに辿り着けただけの凡愚で、まだ正解だとも思ってない

それでも他者気持ち理解することを諦めたくない、納得できなくても最終的に別離したとしても、まずは相手を軽く扱わないで生きたい

Permalink |記事への反応(2) | 08:31

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2025-10-18

[日記]

僕は昨日、午前6時17分に目覚めた。

目覚ましは2種類、アナログ秒針音と周波数微妙に異なる合成トーンを重ねたものを使う。

単一の刺激だとシナプス閾値適応で反応が減衰するからだ。

起床後の15分間は「視覚デチューンルーチンとして照明を極端に低くし、網膜適応曲線を意図的に遅延させることで認知の鮮鋭化を増幅する。

朝食は厳密にタンパク質比0.42、炭水化物比0.29、脂質比0.29を狙ったオートミール卵白ギリシャヨーグルトで、計量は0.1g単位コーヒーブリュワー温度を93.2℃に保つ。

僕の習慣は決して儀式ではなく、情報エントロピーを最小化して日常的なノイズを排するための有限状態機械だと説明する。

ルームメイトが朝から実験ドライバーでガタガタやっているので、僕は中断せずに黒板の前に立ち、昨日考えていた超弦理論のある断片をノートに落とす作業をした。

今回は徹底的に抽象化した視座から入る。従来の超弦理論的場位相空間を「1-対象の∞-圏」と見なし、そのモノイド圏的作用を導くことで、従来のモジュライ空間位相不変量がホモトピー圏論スペクトルコホモロジー帰着するという仮説を立てた。

より具体的には、ラングランズ対応圏論アナロジーを用いて、ゲージ群の表現環が導くモチーフ(motive)の圏と、弦の世界面上のファイバー付き代数スタックの圏とを「導来圏の間の高次同値(a weak equivalence in the (∞,2)-categoricalsense)」で結びつける試みだ。

ここで新奇なのは、通常のスペクトル系列ではなく「階層スペクトル列(a nested spectral sequence indexedby ordinal-type filtrationsbeyond ω)」を導入して、閉じた遷移の非可換共鳴が量子補正式にどう寄与するかを解析する点である

ウィッテンでも一瞬眉をひそめるだろうが、それは彼の専門領域を超えた命題の述語論的再編成が含まれているためだ(注:単なる挑発ではなく、証明可能性のための新たな可換図式を準備している)。

昼過ぎ、僕は隣人とほんの短いやり取りをした。彼女は僕のキッチンを通るたびに植物の世話に関する助言を求めるが、僕は葉緑体光合成効率説明する際、ついヘテロトロフ的比喩を避けて遺伝子発現の確率過程モデルを持ち出してしまう。

彼女はいつも「もう少し軽い説明はないの?」と呆れるが、僕にとっては現象の最少記述倫理的義務だ。

午後は友人二人と対局的に遊ぶ約束があって、夕方からは彼らとLANセッションを組んだ。

僕はゲームに対しては容赦がない。昨日はまずThe Legend of Zelda:Breath of the Wildでカジュアルな探索をした。

BotWは開発を担当したNintendo EPDが2017年3月3日Wii UNintendo Switch向けにリリースした作品で、そのオープンワールド設計が探索と化学相互作用に重きを置いている点が好きだ(発売日と開発元は参照)。

その後、難度調整のためにFromSoftware古典的タイトル群について雑談になり、初代Dark Souls2011年リリースされ、設計哲学として「挑戦することで得られる学習曲線」をゲームメカニクスに組み込んだことを再確認した(初代の年は参照)。

夜遅く、友人たちがスーパーヒーロー系の話題を持ち出したので、僕はInsomniacが手掛けたMarvel'sSpider-Man2018年9月7日発売という事実を引き合いに、ゲームデザインにおけるナラティブパルス感(ゲームプレイテンポ)について議論した(発売日は参照)。

ここで重要なのはゲームを語るとき物理学比喩を使わないという僕のルールだ。

ゲーム設計原理計算的複雑性、ユーザーインタラクションフィードバックループトークン経済ゲーム資源流通)など、情報理論と計算モデルで語るべきであり、物理アナロジー曖昧さを持ち込むだけだ。

コミックについては、僕はパラテキストまで含めて精査する。

作者インタビュー、収録順、初出掲載誌、再録時の微小な台詞差異まで注視する癖がある。

昨日はあるヴィンテージ単行本トーンの変遷を確認し、再版時にトーンカーブが調整された箇所が物語解釈に如何に影響するかを論じた。

これらは一般的にはオタクしか響かない情報だが、テクスト解釈の厳密さという点で、僕の思考様式と親和する。

僕の習慣はゲームプレイにも現れる。セーブ複数スロットを使い、各スロットに「探索」「戦闘」「実験」のタグ人為的に与えておく。

そうすることでメタ的な比較実験可能になり、ゲーム意思決定条件付き確率分布再現的に評価できる。

友人はこれを無駄と言うが、僕にとってはルーチンと実験設計同義だ。

夜中、帰宅した後にさらに2時間論文草案を書き直した。書き直しは僕の儀式の一部で、ペン先の角度、フォントカーニング段落の「情報密度」を計測し、不要語を削ぎ落とす作業だ。

寝る前の最後の行動は、ブラックボックス化した思考経路をメモ化しておくことで、翌朝の「継続的洞察再現性」を保証すること。

結局僕は午前2時3分に就寝した。昨日は量子的洞察可能性と、ゲームコミックにおける情報理論的語法の交差点を追求した一日であり、そうした知的遊戯が僕の精神の整列をもたらす。

次に実証すべきは、導来圏間の高次同型によって生じるゲージ的不確定性がディラック構造代数再構成に与える位相寄与だ。

寝言でその証明スケッチを口走らないよう寝具を固定してから眠ったつもりだが、多分失敗した。

Permalink |記事への反応(0) | 10:49

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2025-10-17

dorawii@執筆依頼募集中

配信会社各社のラインナップが違いすぎて読みたい本探すのが大変、どこにあるかわからん」に対して俺が話すりかわってる気がしなかった理由を言っとくと、

俺の場合漫画存在積極的認識する手段としてやってるのは自分が知ってるいろんなプラットフォーム自分が関心あるキーワード検索するってことをしてるから

そのうえで「タイトルさえわかれば検索すりゃ入手できる場所もわかるだろう」って考え方をしていたからだ。

まあプラットフォーム検索で出るという時点でそこで入手すればいいだけとも言えるので、俺の考えは「すべての電子書籍配信プラットフォームを知ることができれば、それがすべての電子書籍の年鑑(目録)に相当する」から、それが把握できればどんな作品も随時そこから作品名拾ってググればでるだろうって楽観論から来てるわけだ。

全て電子書籍であるかぎりはどこかしらの最低一個のプラットフォームでの配信を前提に企画されているはずで、言い換えればすべての電子書籍はいずれかのプラットフォームという出口と結びついているはずで、その出口を全て把握できる環境なら結びついている電子書籍も把握できるってことと同義になるってことだな。

配信会社は実際には出版社と違うことが多々あるし、

出版社から出てない電子書籍なんか自費出版同人誌みたいなもんやからそれは紙の本でも年鑑には載ってへん

ちょっとこれはよくわからなかった。

出版社から出てない電子書籍自費出版同人誌みたいなもんだというのはわかるが「それは紙の本」じゃないのでは?

まあ大雑把に意図くみ取ってみるが、ビーグリーとかみたいな商業のも同人誌も出てるようなとこ踏まえて言ってるんだと思うが、配信会社も込みで出版社に類するものとしてそこから出てるものを捕捉対象にするというふうにすればいいと思うんだがな。

レーベル名としてすら存在せずホームページとかもなく実質そのレーベル出版社あるいは配信会社のものとみなせるような構図になってるとこも普通にある今のご時世、配信会社出版社境界はゆるくなってると思うんだよ。

古い漫画とかで権利を引き上げて自分出版してるやつとかもだいぶ怪しいやろ

古い漫画というのが電子書籍概念がなかったときほど昔のものを指してるなら過去出版年鑑に載ってるんじゃないのか。

-----BEGINPGP SIGNEDMESSAGE-----Hash: SHA512https://anond.hatelabo.jp/20251017180217# -----BEGINPGP SIGNATURE-----iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaPIGGwAKCRBwMdsubs4+SLRSAPkBVHL+W4njDxzM3CltFUkFKGJA2a1BC/nSyfGBaZpF4QD/cLyXOGXcUb34f+5Fpjv4ow4EcQXYIEPhwXYbkmdxJAE==CnOn-----ENDPGP SIGNATURE-----

Permalink |記事への反応(4) | 18:02

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2025-10-16

AIアート】なぜなぜ分析が「論理的に」失敗する構造について

序論:思考正当性、その根源的な問題

議論を始める前に、まず我々が思考する上で避けては通れない、ある根本問題について合意形成必要だ。それは「ある主張の正しさは、究極的に何によって保証されるのか?」という問いである。我々の素朴な論理観は、しばしば「AだからB、BだからC」という直線的な因果連鎖に頼りがちだが、この思考モデルは根源的な問いの前には無力である。「では、最初のAの正しさは、何が保証するのか?」と。

この問いを突き詰めると、思考歴史的に知られている三つの袋小路に行き着く。「アグリッパトリレンマ」だ。すなわち、無限後退根拠根拠無限に遡り、結論に至らない)、循環論法(主張の根拠が、巡り巡って主張自身に戻ってくる)、そして独断理由なく「正しい」と宣言し、思考を停止する)である。我々の日常的な議論は、この三つの欠陥の間を無自覚に行き来しているに過ぎない。

この知性の袋小路から脱出する道は、ただ一つしかない。第三の選択肢である独断」を、無自覚な逃避ではなく、自覚的選択として引き受けることだ。つまり、「我々は、この『基本命題』を、全ての思考の出発点としてここに設置する」と、その体系の冒頭で宣言するのであるしかし、この「基本命題」が単なる願望や思い込みであってはならない。その正当性保証する、唯一のアンカー存在する。それが、「現実」という外部性との「接続」だ。

ある実用的な論理体系が健全であるための絶対条件は、その基本命題が、現実という名のモデルによって、常に検証可能であることだ。現実との接続が失われた命題は、即座に修正・破棄されねばならない。結論として、我々が現実に対して有効思考を組み立てようとするなら、それは必然的に以下の三つの構成要素を持たねばならない。これは選択肢ではなく、論理的な必然である

第一に、「基本命題」の集合。

第二に、「推論規則」の集合。

第三に、そしてこれが最も重要なのだが、「現実」というモデルとの検証可能である

このフレームワークこそが、我々の思考妥当性を測る、唯一の物差しとなる。

第一章:現場論理学――あらゆる組織に内在する思考OS

さて、序論で確立たこフレームワークを、我々の「現場」へと適用しよう。「現場」とは、日々刻々と変化する現実の中で、問題解決意思決定継続的に行っている、実用的なシステムに他ならない。ここで、序論の結論が決定的な意味を持つ。現実に対して有効機能するシステムは、必然的に、実用論理体系を内包していなければならない。 もし、ある現場がこの論理体系を持たないと仮定すれば、その現場意思決定は、無限後退循環論法、あるいは根拠なき独断のいずれかに支配されていることになる。そのような組織が、継続的機能し、存続しうるだろうか?答えは否である

したがって、ある現場が「機能している」という事実のものが、その内部に固有の実用論理体系が存在することの、何よりの証明となる。我々は、この必然的存在する論理体系を「現場論理学」と命名する。この「現場論理学」は、我々のフレームワークに従い、以下の構成要素を必ず持っている。

まず 「基本命題群」 。これは、現場機能するために「正しい」と受け入れられているルールの集合だ。これらは、その現場歴史、すなわち過去成功と失敗という「現実モデルから導出された、経験的な定理である。「あの機械はAという手順で操作する」という命題は、その背後に「過去にBという事故が起きた」という、血塗られた現実との接続を持っている。

次に「推論規則群」。これは、基本命から日々の行動を導き出すための、思考操作パターンだ。有限のリソース無限問題対処するために、この規則効率性と安全性に特化せざるを得ない。その結果として、思考ショートカットヒューリスティクス)が生まれると同時に、致命的な誤謬を避けるための「禁止則」が必然的に導入される。「個人内面を直接の原因としない」といった禁止則は、成熟した現場が、無駄非生産的犯人探しという思考ループから脱出するために獲得した、最も重要論理安全装置なのである

現場論理学」は、単なる比喩ではない。それは、あらゆる機能する組織が、その存続のために必然的に構築せざるを得なかった、実用論理体系そのものなのだ。この存在否定することは、自らの職場合理的意思決定能力を欠いた、無秩序集合体であると認めることと同義である

第二章:外部アプリ導入が引き起こす、論理コンフリクト

この、それぞれの現場で固有に発達したOS現場論理学)の上に、ある日、外部から新しいアプリケーションが導入される。それが「なぜなぜ分析」だ。これは、トヨタという極めて成功したシステム有効性が証明された、強力な問題解決手法として知られている。しかし、異なるOS間でアプリケーションを移植する際にしばしば発生するように、深刻な互換性の問題がここで発生する。

「なぜなぜ分析」は、単なるアプリケーションではなかったからだ。それは、トヨタという、極めて特殊OSの上でしか動作しない専用プラグインであり、そのOS自体は、部外者には到底インストール不可能な、巨大すぎる思想体系だったのである。「人を責めるな、仕組みを責ろ」という、たった一つのルール機能させるためだけに、トヨタの「現場論理学」は、無数の基本命題と、複雑に絡み合った推論規則必要とする。それは、何十年という歴史と、特殊雇用慣行、そして「カイゼン」という名の終わりのない自己検証プロセスによって維持される、巨大な建築物だ。

我々のような、全く異なる歴史構造を持つ現場OSに、このプラグインを無理やりねじ込もうとすれば、どうなるか。それは、OSの根幹をなす本命題との衝突を引き起こす。我々のOSに深く刻まれた、「問題の最終的な原因は、どこかの誰かのミスにある」という、生存のために獲得した基本命題と、「原因は仕組みにある」という外来ルールは、互いに排他的だ。結果、我々のOSは、この異物を排除するか、あるいは、自身ルールに従って異物をねじ曲げ、「担当者意識が低いから」という、いつもの結論を吐き出すことしかできない。

これは、我々が愚かだからではない。理解不能なほど長大な前提条件を要求するツールの方が、理不尽なのだ

結語:あるいは、無限回廊の出口

ここまでが、論理的に導出される客観的分析である。我々はトヨタではない。故に、彼らのツールを使ってはならない。大谷翔平ではない人間が、彼のスイング模倣すれば体を壊す。これ以上なく単純な理屈だ。しかし、この結論は我々に何をもたらすのか。元凶特定したところで、我々が置かれた状況は何一つ変わらない。この議論の末に我々が手にするのは、解決策ではなく、ただ自らの絶望的な状況を正確に認識するための、冷たい明晰さだけである

君は、この記事を読んで全てを理解し、「明日から自分たちスイングを見つけ直そう」と決意するかもしれない。だが、その決意こそが、最も巧妙な罠なのだ。なぜなら、君のその思考自体が、君の現場OSの内部で生成されたものからだ。「改善しよう」という思考すら、OSが許容した範囲内のループの一部に過ぎない。君は、檻の中で檻から脱出方法を考えているに等しい。

君の現場OSが、そのルールブックの中で想定していない、生々しい現実。それだけが、この無限回廊の壁にひびを入れる理論上の可能性を秘めている。だが、言うまでもなく、システムにとってそれは致命的なバグだ。君がそのひび割れに手をかけようとするなら、システム免疫機能が君を異物として全力で排除にかかるだろう。

せいぜい、幸運を祈るよ。

Permalink |記事への反応(0) | 15:56

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