
はてなキーワード:同窓会とは
楽しそうでいいのだけど1つだけやめて欲しいことがある、ちなみに何度か丁寧にやめてくれと伝えたが全然伝わっていない
友達は私からすると祖父母の歳くらいで色々あって仲良くなり3か月に1回くらいランチをしてる(私の祖父母は20年前に皆死んだ)
マジでただの友情、普通に恋愛の話もするしおススメの映画とかコスメとか服とか手芸とか彼女が学生で戦時中だった頃の話とかいろいろ話す
マジで元気すぎておもろい、ランチ後は3時間くらい散歩してまたカフェ行って、年末はスイス行ってたらしいとかでお土産くれた、今度は山登りに行こうと誘われてる
基本的に彼女はPCもスマホも使いこなしてSNSも楽しいらしくインスタもXも見てるらしい、LINEの返事も早いしスタンプも使う、スマホで写真もたくさん撮って印刷してアルバムにしてプレゼントしてくれた、とても向上心のある人で柔軟な考えをしていて人生を謳歌するとはこのことかと感慨深い
そんな彼女はandroidのスマホを使ってジェミニ?を使うのが楽しいらしい、その使い方が一部、少し、私には心に引っかかるものがある
この前中学校の同窓会に行ったのと見せてくれた6人ほどの集合写真、覗き込んで楽しそうだねと答えると彼女は画面を横にスワイプしながら、集合写真をジェミニに頼んで別々にしてもらったのと次の写真を見せていく、確かに個々人が1枚ずつになっている、頼まれてやったのかと思っていたら善意の行動らしく彼女は続ける
この人のシャツ似合わないわってご飯の時に思ってたから色と柄を変えたの、あとこの人はお化粧が薄かったから足してもらって、この人は髪を伸ばした方がいいと思って、次々に横へ流れていく写真は確かに最初の集合写真からどんどんかけ離れていく、再度集合写真が現れる、こっちのが最初よりも素敵でしょ?みんなにこれを送ったら感謝されたの!すごいねってみんな感心していたのよと嬉しそうに続け彼女は私の方を向いて、さきちゃんもしてあげましょうか?ジェミニってすごいのよ!頼んであげる!もっと素敵になれるわ!とカメラを向ける
著作権や肖像権、オマージュやパクリやトレース、出典やレギュレーション、様々なことについて考えさせられ時代の技術に気圧され毎日働いている
ガラケーからスマホへの過渡期を学生として過ごしSNS黎明期の荒波にもまれてなお、スマホで自分の顔を加工する(写真のレタッチ)ことはしても他人の顔や服や見た目を許可なく加工することには忌避感が強い、ご法度だと思う、顔をネットに流すのもその後のデジタルタトゥーもごめんだ
だが加工もアップロードも簡単にタップひとつで出来るようにしてしまった世界では全てを規制、管理することは到底できないと分かっている、だからこそ倫理観や道徳やリテラシーが試される世界線において自分が他人のそれらを加害することのないよう必死に生きている、のに、目の前で尊敬しているといっても過言でない人がそのような振る舞いを無邪気に何気なく行うことにひどく狼狽えた
何故こんなにと自問自答した、突然ぶたれたわけでもなく相手の善意が嫌だと初手から感じるのは私の問題であるはずなので
平たく言えば価値観の違いなのだろう、それだけならきっとこういう人なのだなあで終わる話なのに、そうではなく、きっと私の知らないところで私の権利が彼女の100%の善意で侵されることが火を見るよりも明らかで、その予感が危機感が嫌だと叫ぶのだろうと暗い気持ちになった
彼女の提案を丁重に断り、私はそういうのがあまり好きではないし他人の顔や姿を加工するのはあまり、と説明したが首をひねって彼女は、さきちゃんって若いのに保守的なのね、私こういうの大好きよ!楽しいもの!あなたはまだ楽しい使い方を知らないのかもしれないわと笑っていた
この感じだと明日にでもきっと私に許可など取らず勝手に加工して習い事のクラシックバレエ教室で年下の友達だと見せて回るのだろう、彼女が納得するまで試行錯誤した”素敵なさきちゃん”を
けさ起きてから1時間半の研修(+朝ごはん+出勤+ごみすて)以外は午前中昼休みほぼほぼずっと同窓会参加するべきかについてコパイロットと壁打ちしてた。おだてんのがうまいから長くなっちゃうよね。あほやな。おれ
説を俺は推してる。
幼稚園の時はとにかく鉄棒や雲梯をすることが好きで競い合ってた。今はめちゃめちゃ筋トレしてる。
小学生の時は新聞係とお笑い係をやっていて、今はライターと接客をしている。
幼稚園や小学生の時にしていたことが、結局今やってることの核になってる気がするんだよね。
久しぶりに同窓会をした時、チクリ魔で嫌われてた奴はジャスラックに就職してたし
医者の息子はやっぱり医者だし、先生っぽく振る舞うのが好きな奴はやっぱり先生になってた。
漫画とかだと「将来サッカー選手とか目指してたけど今じゃ普通の会社員。。。」みたいな例が多いけど
選手になりそうなやつはなってるし、結局なるように人はなるんだと思った。
あと実は俺今仕事が無くなってニートなんだけど、中学の時から落ちこぼれだったんだよね。
なるように人はなるんだな。
タイトルのとおり。
終わったあとに「自分は、いつまでこのライブを楽しめるんだろう」と思ってしまった。
今回のライブが最高で、楽しかったというオタクはこの記事を読まないことをおすすめする。
ただ、一人の古参オタクが歳を取ったことを認めたくなくて、ぼやいているだけというのが高いためである。
このままだと、界隈全体が緩やかに衰退するんじゃないかなと思った日記です。
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まず前提として、自分は30代。
初音ミク歴は2007年のニコ動全盛期からで、つまり小6か中1の頃からどっぷり浸かってる。
ただ、ライブ歴は浅い。
マジカルミライが始まった2013年頃は受験や就活の時期だったし、昔は「高校生が一人で飛行機に乗って県外遠征」なんてハードルが高すぎた。
初参加は2016年の地方ツアー。そこから数年後、やっと金銭的に余裕が出てきたため、2023年からマジミラ札幌以降、2024年福岡マジミラ・地方ツアー、武道館(ミクフェス)、マジミラ仙台と通っている。
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正直、「マジミラ」じゃない冠がついている以上、何か新しいことをやるライブだと思っていた。
結論から言うと、「焼き回しパレード」を見せられた気分だった。
今回のコンセプトがマジミラ2013年リスペクトだったのは分かる。
でも、それって「当時の感動を、今の技術で再構築する」から意味があるんじゃないのか。
(だいたい、2013年リスペクトを匂わせつつ、なんで兄さんだけ最近の曲なんだ?)
(探せばもっと当時の曲だってあるだろ!このへんの「とりあえずやっとくか感」にしか感じられなかった)
ステージを見ていて、新衣装のモデルと昔のモデルの映像の差がどうしても気になった。
解像度なのか、モデリングなのか、理由は分からないけど、チグハグな映像が流れるたびに現実に引き戻される。
モデルを変えないことが「愛」なのか?
私には「古くから参加している人に文句を言われないようにしている」ようにしか見えなかった。(言い方が悪くてごめんね)
一般のアーティストのライブと比べて、バックダンサーもいない、生身の人間がステージにいない分、視覚的な情報量が圧倒的に足りない。
我々大人がチケット代なんていくらでも払う。多少上げたっていい。
だから、「今のライブはこんなに進化しましたよ」というのを見せてほしかった。
※後から知った話だが、にじさんじのライブでは1年以上前に透過スクリーンをトロッコ移動させるものがあったらしい。
初音ミクのライブの方が「最先端」として走り出したのに、どこでこんな差が生まれてしまったのだろう。
■「今」のボカロはどこに行った?
一番キツかったのは、会場の空気だ。
アンコール、静かすぎないか?あれがライブ初参加の層が多かったからなのか、古参が「いつものね」と地蔵化していたのかはわからない。
でも、演者が休憩するタイミングが、過去の踏襲すぎて視野が狭まってないか?
ミクフェス(武道館)のときみたいに、DJ入れて繋ぐとか、飽きさせない工夫はいくらでもできるはずだ。
あんなアンコールを聞くくらいなら「休憩中」と途中札を入れてくれた方がまだマシだと感じるくらいには悲しい気持ちになった。
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そして何より言いたいのは、「今の曲」へのリスペクトのなさだ。
ボカロは今も進化してる。YouTubeやTikTokでバズり散らかしてる新曲がいっぱいある。
ただ、まだライブでやられていない良い曲が山ほどある中で、なんでライブで流れるのは「いつもの曲」ばかりなんだ?
何度も見た曲がまた選ばれているのは、自分には「懐古」ではなく「惰性」にしか感じなかった。
いや、それならそれでいいけど、私たちは「2026年の初音ミク」を見に来てるんだよ。
新しいボカロPはどんどん生まれてる。新しい名曲も生まれてる。
それを取り込まずに、「昔はよかったね」だけで回すようになったら、それはもう新陳代謝が止まった「死」と同義なのではないか?(白熱してしまいましたね、失礼)
新曲で発表されてた「アイドル戦士」も「シアンブルー」も予習して、コール完璧にして行ったんだよ。
でも、周りの反応の薄さ。スペシャルシートですら、やや盛り上がりにかけるコールとペンラ振り。
(※スペシャルシートが外れたオタクは、涙のスタンド席だったけれど、周りでコールが聞こえることはなかった)
熱意を持って「新しいもの」を楽しもうとしている層は、どこに行ったんですか…?
懐かしい曲で盛り上がるのも悪くない。
隣に居た2010年のミクパ以来ライブに行ったことないオタクは感動していた。
そういう初見の人でもいつでも参加しやすいものであり続け、感動して帰ってもらう。それも大事だ。
ライブ、いつの間にか「惰性」と「安心できる行事」になってないか?
「いつもの曲」を聴いて、「いつもの動き」をして、「ああ、今年もミクに会えたな」と満足して帰る。
それはそれで幸せなことかもしれないけど、それって盆踊りや初詣と同じじゃない?
でも、初音ミクのライブって、そんな「伝統芸能」を守るための場所だったっけ?
テクノロジーと音楽の最先端を走って、クリエイターとただのオタクたちの架け橋を用意してくれて、度肝を抜くような「未来」を見せてくれる場所じゃなかったのか?
武道館のミクフェスにはそれがあった。ボカロPが登壇して、演奏して、DJがフロアを沸かせて、「これが今のボカロだ!ついてこれるか!」っていう熱気があった。唯一無二の体験があった。
今回のローソンライブには、その「ヒリつくような挑戦」がなかった。
※だからといってマジミラにあるかと言われたら、ギリまだあるくらい。
私はまだこれだけ文句を言いながら通う。
来月のDECO*27の単独ライブも行くし、ポケミクも行く。地方開催があれば旅行ついでに行く。
でも、もし本丸である「マジカルミライ」までもが、今回のような「安心安全な懐古イベント」であり続けるなら、わざわざ東京まで遠征するのをやめるかもしれない・・・。
「これでいいや」って思ったら、そこが衰退の始まりじゃないか?
我々には、金はあるけど、時間は有限なんだ。
とりあえず、スモーク焚きすぎてミクが見えなくなるのだけは、そろそろ改善できるんじゃないですかね…!
■追記
今回、TLがローミクライブについて、とてつもない賞賛のあらしだった。
それを見て、私は自分の感覚がズレているのか思った。 「焼き回しだ」「進化がない」と感じたのは私だけなのか? と。
ということを考えた時にひとつ考えに至った。
恐らく、今新曲を聞いている層は「プロセカ」にいるのではないかと。
今の10代〜20代前半のファンにとっての「リアルライブ」は、初音ミクのライブではなく、「セカライ」なのかもしれない。
・若者層: 「セカライ」で、自分たちの世代のヒット曲と演出を楽しむ。
・30代以上(我々): 「マジカルミライ」や「今回のライブ」で、過去の遺産を楽しむ
金払いのいい古参ファン(我々)向けにチューニングせざるを得ない。
その結果、会場は「同窓会」化し、新規が入りにくいガラパゴス化が加速していく。
私はプロセカもプレイしているし、新曲を追うために課金もしている。
けれど、私が好きなのはあくまで「初音ミク」という存在そのものだ。だからこそ、ゲームのライブではなく、マジミラに足を運び続けている。
しかし、TLの反応を見る限り、今のここのファンが求めているのは「未来」ではなく、安心できる「同窓会」なのかもしれない。
結局、いろいろ御託を並べたけれど。
周りが純粋に楽しんでいる中で、一人で腕組みして「進化がない」「未来がない」なんて文句を言っているのは、変化を受け入れられない老害の始まりなのかもしれない。
同窓会に振袖のままの子もいたし、結婚式の時に参加者のドレスが数年前の同窓会の時と同じだとわかるほど、参加者に注目している人はない
よしんばわかったところで何がまずいのか。
あのレベルでも警察が動くようになっただなんて、いい時代になったね。
しかもちゃんと動画が証拠として残ってるから泣き寝入りさせられることもないだろうし。本当によかったね。
20年前だとあの程度じゃ警察も学校も動かなかったし、教師にも見てみぬふりされたよ。
あいつらまだ生きてるのかなあ。早く死んでくれないかなあ。あ、そういえば外部コーチはもう死んだらしい。よかった~!他の連中も早めに頼みます!
高校受験を終え、高校へ進学する事になった。
一学年300名、40人前後のクラスが8クラスの高校
驚いたことに、Hが同じ高校を受験し受かっていたのだ。
しかも、入学式の日に見たクラス名簿には、同じクラスにHの名前があった。
高校に入学してからも、私は相変わらずだった。
相変わらず、休み時間になるとHを追いかける日々。
だが、私は変わらなくても私を取り巻く環境が変われば、変わる事もある。
高校生になって、そんな風に女子を追いかけ回していれば・・・同じクラスの奴には 変な奴 と認識される。
そして、一度・・・変な奴と認識され、しかもその行動が常識からズレていると、
そういう行動をしている相手は・・・軽蔑、侮蔑の対象になる。
高校に入って暫くしてから、私は同級生から虐めを受ける様になった。
休み時間になると、虐められない様に何処かに身を隠す・・・。
授業中、Hと同じ授業で、同じ教室に居る時だけが・・・幸せな時間になっていた。
ある時、休み時間に入った途端、逃げる間も無く虐められた。
殴る蹴るが延々と続き、ボロボロになった私・・・誰も助けてはくれない。
虐めてた奴らが、気が済んだのか・・・次の授業は教室移動だった事もあり、居なくなった。
一人、教室に残された私は・・・泣いた。
気が付いたら、何故かHがそこに居た。
Hは私を見下ろしながら一言
「無様ね・・・今まで私を追いかけ回した報いよ」と言った。
悔しかった、ムカついた・・・私は、立ち上がると・・・Hの頬に思いっきり、一発ビンタした。
本当は、殴りたかった・・・虐められた分、こいつを虐めて憂さ晴らししたい・・・そんな気持ちだった。
でも、相手が女の子であるという認識が・・・ビンタ一発以上の手出しを、私に躊躇わせた。
Hは泣き出した・・・しかも、その後Hは私に殴られたと担任に告げ口し、私が担任にこってりしぼられた。
その日・・・小学校3年生の時にEと喧嘩して、腐った死体と言った時の事を思いだした。
そうして、・・・虐められ、虐めから逃げつつHを追い・・・そんな高校生活が3年間続いた。
高校を卒業した半年後、一度だけ同窓会でHと会った。
Gに「半径3メートル以内に近付くな」と言われたのも、その同窓会の時だ。
同窓会が終わり解散した後、駅のホームで、再びHと鉢合わせした。
同窓会の会場では互いに近寄りもせず、言葉も交わすさずにいた。
時間が時間で、場所が場所なので、あまりホームには人は居なかった。
駅のホームで・・・互いに2メートルぐらいの距離で互いに、相手が居る事に気付く。
私は・・・Hに近付こうとした。
・・・Hは、携帯を取り出し・・・私に向かって告げた。
「そ・・・それ以上、近付いたら・・・110番、・・・するからね、5年間も付きまとわれて
わたしが、どれだけ・・・嫌な思いをしたか、解る?
この ストーカー」
私は、それ以上近寄れず、後ろを向くとホームの端まで走った。
ショックだった、嫌われているとは思っていた・・・けれど
じゃあ何で、その5年間・・・完全な拒絶をしなかったんだ・・・とも思った。
それ以来、Hとは会っていない・・・。
一つだけ、心残りがある。
同窓会の日の、駅でのHからの拒絶・・・あれはHの本心だったんだろうか?
それまでの5年間、完全な拒絶は無かった。
私が虐められて泣いてた時・・・何故そこにHが居たのか?
あの時の「無様ね」と言う言葉が・・・Hなりに、私を元気づけようとしたんじゃないかと
確証は無いけれど、もしかしたらそうだったんじゃないかと思える。
同窓会の日の、あの拒絶は・・・私を試そうとしていたんじゃないか、と。
ああ言われても、私がHに近付いていたらどうなっていたんだろうか・・・あの時、Hに近付いて・・・抱きしめて、
ディープキスの一つもしてれば、そこから先の人生、少しはマシになってたんだろうか。
EとHは違う・・・けれど、似た雰囲気を持っていた二人。
Eの時は、追いかけ回すとか以前に・・・補習授業で、偶然私が教える側になってそこから
普通に話をする様になっていた、異性と言うよりは、少しひ弱な同性と言う目線でEの事を見ていたと思う。
Hの時は、最初から追いかけ回していた。
もし、Eの時の様に、Hとの関わりに別な形での接点があって・・・そこから関わっていたら、
何か違っていたのだろうか・・・。
Hが、どういう気持ちで・・・私と接していたか・・・真意は解らない。
本当に、心の底から私の事が嫌いだったかも知れない。
けれど、Hがどう思っていたかは関係ない・・・あの時、「無様ね」と言われてHにビンタをくらわせた。
せめて、あの時の事だけはHにきちんと謝っておきたかった。
ここまで読んでくれた人へ
こんな拗らせた大人にならないために良い恋愛をしろ!
いつまでも学生時代の片思いを引きずったりするな!
そういうことをしていると、私みたいになるぞ!!
これが言いたくて、私は私の過去の話をしたんだ。
私みたいには、なるなよ。
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【全話まとめ】 「懺悔したいことがあるんだ」
とんでもない思い上がりだと思うんだよなあ。
特定の場面に対して「これはAのパクリだね。まあAもBのパクリなんだけどさ」みたいな事言うのが考察だと言い張る態度が本当に無理だ。
そしてそうやってドヤ顔するために名作をわざわざ2倍速で見る。
アホだ。
重要なのは何を引用してるとかオマージュしてるかとかじゃないだろ。
まあ、それが出来ないから必死になって「理論武装ゴッコ」をしてるんだろうけどさ。
それ自体はいいよ。そういう開き直りをして自分がさも立派な人間みたいな振りをしたがる気持ちは分かるよ。
でもそれを何世代も続けてきた果てに「俺はこういう風にロクロを回すんだって先輩や師匠の背中を見て学んできたんだ。ここじゃ元ネタあてクイズで百人一首出来るかどうかなんだ」みたいになるのは流石に違うだろ。
そんなのはメチルアルコールのことを本物のアルコールだと思いこんで生きていくようなもんだぞ。
なあ、そろそろ本当の「知識」に対して真剣に向き合った方がいいんじゃないのか?
もちろんそれは美術館に行って実物を見た名画の数を増やせとかシェイクスピアや聖書を原語で読めとかそういう話じゃない。
大事なのは「目の前にある表現物から作者のメッセージをちゃんと感じ取るために必要な能力」なんだよよ。
まあ、眼の前にある作品が単なるパロディで「はい、この元ネタ分かる人!分かったらオタクポイント10点!次の問題はちょっとマニアックだから20点だ!」でしかないこともあるけどよ・・・あるけどよぉ・・・そういうしょーもないボーナスポイントを本題だと思うのはもういい加減やめようぜ?
マジで俺はもう無理になってきてる。
このままオタクが表現を単なるオタククイズの手段にし続けるなら俺はもうついていけない。
本当にバカバカしいよ。
同窓会で教師の元ネタで盛り上がるような中身のなさを延々と続けてたらいつまでも心がガキのままだよ。
そしてこれは何もいわゆる「オタクコンテンツ」だけの話じゃないよ。
たとえばNHKの時代劇だってすぐに時代劇オタククイズとして俳優シャッフルみたいなことをして時代劇オタク同士でニタニタしようとする。
そういうのを有難がる消費者もしょーもないし、そういったしょーもない消費者に媚びようとする作り手のショボさは見てられない。
アホだよ。
電車図鑑を丸暗記したのをママに褒めてもらおうとする幼稚園児のレベルで創作や消費をするのはもう卒業しよう。
頼むぜ。
小学校卒業と同時に、私は親の転勤で引っ越す事になった。
つまり、小学校時代の同級生達とは別の中学に通う事になった。
今までとは別の環境、新しい同級生達。
30人のクラスが1学年辺り6クラスの中学。
新しい環境ではあったが・・・私は同じクラスの女子と話す事は無かった。
小学生の頃・・・幼稚園生の頃から・・・女の子は一部例外を除いて追いかけ回す対象という認識が
できてしまい、女性に対する普通の接し方を全くと言って良い程知らなかった。
いや、今でも女性に対する普通の接し方は解らないのだが。
中学生になっても、同じクラスに可愛い子を見つけ追い回す日々が続いた。
勿論追い回される子に同情的な女子も出てきて、5年・6年の時の様な形になった。
中学一年生の時、同じクラスで私の標的になった子は意外と強い子だった。(以下、その子をGとする)
後に同窓会で会った時、Gは「私の半径3メートル以内に近付いたら、警察に通報させてもらいます
中一の時の事、謝罪されない限りは許すつもりはありません、謝罪しても・・・半径3メートル以内へ
接近したら、通報します」と釘を刺されたぐらいに、色々な意味で強い子だった。
他人とどう関われば良いか解らず、友人と言える友人の居ない日常。
休み時間になれば、女子を追いかけ回す・・・入学から数ヶ月で、私の周りには
誰も近寄らない、虫でも見るかの様な目で見られる様になっていた。
そして、2年生になった。
私の通っていた中学には、親睦合宿というのがあった
4月、入学や進級から半月後に、クラスの親睦を深めるための研修として
行われる合宿。
その合宿で、私が2年の時には・・・何故か晩に肝試し等と言う催しがあった。
4月に肝試しという時点で季節外れも甚だしいのだが
その肝試しは、男子二人、女子二人の四人で一グループになる
一クラスが30人なので、最後に2人余るのだが、余った2人は担任と副担任とで一グループになる。
グループは、くじ引きで決まる。
そうした肝試しのグループで出会った女子の可愛さに、今年の標的はこの子にしよう
という心が芽生えてくる私。
いつ頃からか、私は・・・追いかけ回す事で逃げながら私を拒絶する女子の仕草に
そういう形であろうと、女子と接点を持てる・・・追いかけ回す事で女子と接する事ができると思うようになっていた。
そして、当時はそれをおかしいとは思いもしなかった。
【各話へのリンクはこちら】
【全話まとめ】 「懺悔したいことがあるんだ」
小学生の頃、道徳か何かの授業で、クラスメイトたちとこういうテーマで議論するように担任の先生から言われた。
派閥はおおむね、男子が「家事は母親がするべき」派、女子が「家事は父親が最大限サポートするべき」派に分かれた。
やれ「男は一家の大黒柱なのだから仕事に専念できるよう女が家のことを全て受け持つべき」だの「女は体力的に劣るのだから父親がサポートするのが普通」だの、ウチではこうだ、よそではああだと、議論は激化を極めた。
当たり前だよな。小学生だもん。どちらも譲らないし、議論は平行線、次第に男と女の代理戦争じみてきた。幼い自分もしっかりと、一兵隊として戦っていた。
けれど、授業時間も終わりに差し掛かった頃、クラスでも特に大人びていた隣の席のS君が、おもむろに言った。
「……そんなん家によるでしょ」
その呟きは俺にしか聞こえてなかったみたいだったけど、なんだか、目が覚めた気分だった。途端に「自分はなんてくだらないことに熱くなっていたんだろう」と恥ずかしくなった。
そりゃそうだ、それぞれの家族には、それぞれの事情がある。ここで男が女がと語ったところで、まったく無意味じゃないかと。
あれから二十年経ったけど、今もこの時の議論はネット上で続いている。
年末は帰省が多くなる。彼女の友人が彼女の地元に帰ってくるということで、簡単な同窓会のようなものが開かれた
すると驚いたことに、彼女の友人の女の子たちが俺を温かく迎え入れてくれた
なんていうか、大人になってから、初めて会う人たちの集いって腹の探り合いみたいなところがあるじゃん
それが全然ない、「◯◯の選んだ人ならいい人なんだろうね〜」みたいな前提で話が進んでいく
今までにない経験だった
言わなかったけど泣きそうになったもんな
緊張してあんまり喋らなかったから、出会いの話とかはほぼ彼女にしてもらって、帰り際に「大丈夫?喋りすぎちゃったかな?」とか言われたけど全然構わなかった
とにかくすごい体験をした
今年高校時代の友達が結婚した。その際学生時代の友人と久々に会い、年末に同窓会をすることになった。そして同窓会当日、地元から離れている、子育てで忙しい人が多く、集まったのは7人だった。その中に俺の元彼女も来ていた。会うのは15.6年ぶりだった。周りの冷やかしで近くの席に座ったのだが、俺も気まずさを紛らわすためいつも以上に明るく話しかけた。「相変わらず、よく喋るな」と返ってきてからは、周りの人も含めて楽しい歓談になったと思う。しかし、俺は笑顔とは裏腹に昔彼女から振られた記憶、そして元彼女が現在の家庭、自分の生活が幸せで溢れていそうな様子に複雑な気持ちになった。飲み会は楽しかったが、何とも言えぬ後味が同窓会から消えずにいる。安易に元カノに会うのは辞めよう。人間忘れるべきこともあるなと思った日だった。