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はてなキーワード:合理的配慮とは

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2025-10-15

anond:20251015183553

俺は統合失調症だが、差別するのか?合理的配慮はどうした?

Permalink |記事への反応(1) | 18:39

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2025-08-09

鬱もち社員スメハラに耐えられなくて適応障害になってしまった

職場デスクワーク系。非営業職。個人作業する系。

そこに1年前に入社した。

OJT中心のところで、自分技術習得の一環として一人の上司のもとで、指導を受けることになった。

しかし、その人は能力はあるけど、休職から復帰し時短勤務組で鬱病もち。

初めはその上司男性社員言動体臭違和感だけ抱く程度だった、・・腋臭もちかな・・通勤電車でも体臭きつい人あるあるにも遭遇してたし・・・しか認識してなくて、あまり悪臭に知らないふりをしていた。

立場的に面と向かって先輩・・・・においますって言い出しにくかった。

だが、その人は本当にいつも臭くて、夏にむけて汚臭がすさまじくなっていった。横で息ができない。むわっと汚臭が漂ってきてたびたび気分が悪くなる。

そして発達障害みたいな言動で話し方がいつもバラバラ。会話のやりとりもしにくい。私と会話していても一方的に長く話してきて、一方的に終わる話し方で次の話にすぐ入るタイプ

確認相手のうなづちを一切視野に入れない。

時間を守らないし遅刻常習者。

無断欠勤の日や共同での作業日をぶっちすることも多い。

それでも自分技術習得自分なりに構築しながら努力してみた。

臭いのを我慢していつも指導を受けるが、ガチ息吸えないから酸欠になりながら隣のPC作業していく。マスク2重でも臭いし、呼吸できなくて息苦しかった。

本人目の前にマスク越しに会話をしていると、呼吸するために頻繁に角度を変えて息を吸わないといけない。

腐った生ゴミ掃除していない糞尿部屋臭っていうの・・・たまに地下鉄で見るホームレスから漂うようなあの強烈さ。

歯磨きも洗髪もしないから、体中ギトギトで口臭やばい風呂に月1しか入らないらしいし、いつも同じ服。

帰宅してすぐにそのままの状態で寝て起きて出勤してくる信じられない生態系。。。

それでもかつては優秀だったらしい。

消臭スプレー消臭剤デスク用の小型空気清浄機を置いても一切効果なかった。

まりのひどさに会社に訴えても「においの問題はあつかったことないなあ」「うちでは事例ないし、臭いなんて注意できないよ」「せっかく復職したのに傷つくでしょ」「指摘して傷ついて来なくなったらこちらの業務がまわらなくなる」

いろんな部署スメハラの件を相談したり、頼んでみたが、まったく効果なかった。

産業医相談したら失笑されることも多かった。

風呂キャンセル界隈なんてまだ綺麗な言葉範疇だよ

そんな生ぬるいもんじゃない

上司への合理的配慮から誰も注意できないともいわれた。

体臭に耐えれず、今度は私の尊厳が脅かされていったように感じて私のほうがボロボロになっていった。

そして適応障害に至る。

臭いのもう勘弁やで

ほんとに体臭はある程度なら自分も耐えれるが、洗濯風呂歯磨きも洗髪も・・・人として最低限の清潔感だけは持って社会にでてよ

Permalink |記事への反応(1) | 17:30

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2025-07-28

聴覚障害者の友人をどうしたらいいのか分からない

 聴覚障害の友人の話

 https://anond.hatelabo.jp/20250303234524

 ↑これ書いた者です。また久々に書こっかなと思ったので。

 ⬛︎

 最近、僕はNのボランティアに参加する機会が減っている。別に避けてるとかではなく、単純に講義が裏かぶりしていることが増えたためだ。

 彼は最近遅刻が酷い。講義に遅れてくる、もしくは本当にギリギリまで来ないということが頻発している。前から気になってたが、最近特に酷い。四限スタートで何故そんなに盛大に遅刻をするんだ? 最近ボランティアの方が

 ボランティアさん:Nさん今日遅刻するらしい

 ボ:何考えてんの?

 ボ:前の講義の都合で遅れてるのかと思うじゃん? 普通に家出るの遅れてるだけらしい

 ボ:普段から講義の2、3分前になってようやく来るとかおかしいでしょ

 みたいな会話してたの、僕は知ってるんだからな。ボランティアの方にご迷惑をおかけするなよ。

 僕も流石にこれは目に余る行為だと思ったので、友人として指摘した。ことなかれ主義な僕だってやるときゃやるってことで。下記はその時筆談したものを、大まかな記憶で書き出したものだ。多少の言い回しの違いはあると思うが、内容はだいたいこんな感じ。

 僕:流石に最近遅刻やばいよ?

 僕:迷惑かかるって……Nの場合は一人で講義受けるわけじゃないんだからさ……

 N:わかってるけどさ、仕方なくない?

 N:寝坊とかは俺が悪いけど、直前になって色々バタバタちゃうことはKだってあるでしょ?

 N:誰にでもあることを責め立てるのは、違うと思う。

 僕:たしかバタバタちゃうことはよくあるし、朝は僕だって時間ないよ?

 僕:でもさっきのは四限じゃん、あの時までねてんの?

 僕:お前の家からここまで、30分くらいなんでしょ?

 N:ねてはないけど色々やってるんだよ

 もうこんなんなら、僕が何を言ったって意味がないよな。

 余談だが、僕の家から大学までは徒歩の時間も込みで片道2時間である

 ⬛︎

 最近のNなのだが、結構友人ができているらしいので僕は気楽なもんである。彼の友人は大学内の障害者が割と多く、車椅子ユーザーやら視覚障害者(弱視か何からしい)、多分精神系の何かしらの人(リスカ痕がバッチリ見えていた)、事情はよく分からんヘルプマークを付けてる人など多岐にわたる。よくもまぁ大学から色んな人をかき集めたものである

 Nは割とアグレッシブなので、「障害者と健常者の架け橋になりたい!!」というタイプの人である最近手話サークルを立ち上げ、その辺りの友人やそのほかの様々なところから人材を集めているらしい。僕も当然のように誘われたが断った。僕はそのような大義を持っていないし、何故僕がそのような人の架け橋にならねばならないのかと思ってしまたからだ。そんなことを思ってしまう僕は、そんな団体に属する資格は無い。

 ⬛︎

 Nは何でもやりたがるタイプなので、学生自治会にも属している。もう、個人情報バンバン撒いているのでこれを読まれたら完全にNや僕が誰である特定される気がするが、もう知らん。死なば諸共だ。

 学生自治会のことは何も知らないので僕の知らんところで楽しくやってるんだな、と思っていた。オーキャンとか文化祭とかで忙しくしているようである

 そんな折に、僕は彼以外の自治会メンバーと親しくなった。半年くらい前である。Mくんと呼ぶことにする。

 Mくんは自治会の中でもかなり仕事量が多く、負担が大きい立場らしい。大量の資料作成を任され、さらに実働もするため、本人が「俺は社畜だよ〜」と冗談を飛ばすくらいには忙しいようだ。

 これは、いつぞやに講義終わりで雑談をしていたら出た話題である。内職で自治会資料を作っていた日のことだ。

 M:まっっじで忙しい。ずっと資料作ってる。パワポも作ってる。

 僕:マジでお疲れ様です。自治会ってそんな忙しいん?

 M:いや、人による。俺は割と忙しい方だけど、そうでもない人はそうでもない

 M:後輩への引き継ぎ資料一生作ってる

 M:あとなんか、自治会に耳聞こえない人居るんだけど、その人関連で結構色々作ってるのもあるのね俺

 M:別に友達とかではないんだけど、なんか資料作ってた流れで?

 僕:あー……

 僕:そいつ知り合い、やっぱそうなるか……

 やっぱりこうなるらしい。

 よくよく考えれば当たり前であるオーキャン説明係や受付は難しいし、文化祭しかであるそもそも会議などに出席しても講義ではないのだから誰も文字起こしなど、普通ならしない。

 障害者からあれこれするなとはもちろん言わないが、彼が「障害者だってあれもこれも出来る」でなんでもやろうとするのは確かだ。

 まず前提として、障害者からあれこれやっちゃいけないなんてことがあってはならないとは思う。思っている。だがなんだろうか、何かが違和感として引っかかるのだ。言語化ができない。何なのだろう。

 ⬛︎

 これはもう本当に最近すごく嫌だな、と思ったこなのだが、「都合のいい時には障害者、都合の悪い時には障害者扱いするなと言い出す」傾向が見られる。

 いや、今までもその傾向はちょこちょことあった。しかし、なんだかんだで彼とも数年の付き合いになってきたので、Nも分かりやすくそういう態度を表すようになってきたのである

 N:映像分析って音も重要なわけ? アレは分かりにくいよね?! (※映像分析講義字幕はあったがそれだけでは完全では無い)

 僕:そーね、結局ボランティアさんが文字起こししてくれてたな

 N:俺がいるって初めからわかってるんだからさ、字幕ちゃんとした映像選ぶとかして欲しいよね……

 N:俺は聴覚障害者なんだからさ、その辺は合理的配慮して貰えないと困るんだよ

 N:音楽かいわれてもね

 映像分析やるなら、普通に考えて音も関わると思うが……? 僕は言語学系の講義をやったので、話すアクセントプロミネンス重要なのは理解している。会話や音楽などが関わるのは、初めから想像がつかないか? それは合理的配慮とかではない気がするのだが。まぁ、半年講義を受けきっていたが……。

 N:オーキャン聴覚障害者だからって、受付やっちゃいけないのかな

 N:やってみたいのに……ひどくない?

 僕:まぁ難しいところあるんじゃね? 流石に

 N:ストレートいかないのは流石にわかるよ! でも、工夫すれば出来るじゃん! 

 N:筆談します、とか脇に書いておけばさ?

 僕:一手間かかっちゃうからなぁ……

 無理がある。絶対無理がある。当日は凄まじく人が来るのに、そこで時間を取るのはまずいだろ。聴覚障害とかだからじゃなくて、そこにかかるロスタイムと混雑の方が問題だと思うぞ。想像がつかないか

 この男は、兎にも角にも想像力が著しく足りていないのではなかろうか?

 僕はこいつをもう、どうしてやったらいいんだ。僕はどうしたらいいんだ? 

Permalink |記事への反応(1) | 02:53

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2025-07-04

anond:20250703194504

そんなことないよ、たとえば「合理的配慮提供

これは障害者差別解消法で書かれていることの一部なんだが、要するに障害者は少数派だけどある程度はお気持ちしろっていうものだと思うよ。

クーリングオフもそう。

未成年者は弱者なんだから未成年との契約は特例つけるぞ!ってやつ。

法律の一つの性格として、弱者下駄を履かせて社会で生きやすくするというものがある。

また、この社会は大小様々な契約が無数に交わされて成立しているけどその根本となっているという意味では潤滑油のような役割果たしているとも言えるな。

ああ、そう。2次エロ絵がダメ!というお気持ち過半数になってもそんな法律が成立するかどうかはわからんよ。

逆に少数でも成立する時はする。

燃えてる話題だと、選択夫婦別姓制度なんていうのは特に顕著だよね。結婚して別姓を名乗ったら苦労する職を知っているけど、その職種文化特殊すぎて説明するのが難しい。

お気持ち否定するな!は乱暴すぎるけど、少数側だって多数派が「それなら妥協できるな」と思えるような説明をする努力必要だし、多数派も少数派になる可能性があるという自覚は持っておく必要があるわね。

Permalink |記事への反応(1) | 02:49

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2025-06-16

馬鹿の国で馬鹿が書いた馬鹿なヘドロについて

「親ガチャ」という言葉が定着してもうだいぶん経つだろうか。これは子ども目線から言葉なので、ずいぶんヘンな表現だ。どちらかというと「ガチャ」っと母親の股からひりだされたのは自分なのであって、これは言うならばガチャで出てきたスマホゲームキャラクターがちらりと画面外のこちらを見て「持ち主ガチャ成功(あるいは失敗)したわい」などと悪態をつくようなものである。まったく論理的ではないが、そもそもこの国はもうずいぶん前から論理を手放してしまっているので、近頃の若者日本語を知らんなあなどと馬鹿に出来やしない。大人だって馬鹿ばっかりだろう。私も含めて。

この馬鹿の国はもう底が抜けている。論理倫理道徳もひどいものだ。外国人老害のせいにしておけばとりあえず心の平穏は得られるから、みんなそのようにして、で、少しずつ死んでいくのだろう。それはそれで幸せなのかもしれないが、まだ若い人、10代とか20代の子たちは気の毒だ。こんな国に生まれ自己責任だ、ざまあみろと嗤おうか。それとも、こんな国と心中することはない、勉強して国を出なさいと激励しようか。しかしこの国は若い人の勉強研究投資しないからなあ。まあ他人事である。頼むから無敵の人」なんかになってなんの関係もない私を外ですれ違いざまに包丁で切りつけたりしないでくれたまえ、くらいのことを思うだけだ。かける言葉なんてない。私だってもはや自分自分家族を生かすだけで精いっぱいなのだ

ネトウヨと呼ばれる人たちがいるだろう。もちろんそう呼ばれる人たちにもグラデーションがあり、一概に言えることではないのだろうが、それでも私は思う。彼らはまったく幸福だと。

なんせ、素晴らしき日本を信じてさえいればいいのだ。そこには何の葛藤もない。魂の苦悩がない。「日本人に生まれたのだから日本が好きで当たり前、日本は良い国、日本最高」と、誰でも到達できる場所無難に遊んでおけばいいのだ。自分たちの姿勢を嗜めてくる人間はすべて「左翼」と憎み、彼らのいうことなど聞くに値しない。幸せだ。そんな人生を送れるだけの余力を、まだかろうじて日本ネトウヨ諸君に与えることが出来ているのだろう。

しかし、これから時代ネトウヨには辛いかもしれない。日本経済の衰退は止まらない。もちろん経済がすべてではない。しかし例えば、今後、老朽化したインフラがどんどん顕在化してくるだろう。八潮市でのアクシデントは何も特殊なことではない。ああいうことがこれからどんどん起こってくるはずだ。人死にも、一人や二人で済まないかもしれない。有事でもないのに米が不足しているのも見逃せない。「そもそも米の値段は安すぎたのだ」という意見に頷きはするが、国の主食の売価が1年で倍以上になるというのは先進国の話とは思えない。普通に生きてれば「おいおいこの国、大丈夫なのか」と思うのが普通無難だ。

そこを、ネトウヨは「大丈夫だ! この国がやばいかいうのは左翼だけ!」と、元気に叫んでくれるわけだ。普通に生きてれば「この国大丈夫か」と思うのが楽なのだしかネトウヨはそんな楽な道は選ばない。そこには多少なりとも苦悩や葛藤がついて回るに違いない。もちろん知性の欠如というものが要因になるということも考えられようが、いずれにせよ彼らはいばらの道を選ぶのだ。

ここは馬鹿の国。あなたも私もみな馬鹿だ。ネトウヨなど、馬鹿も大馬鹿形容しようのない馬鹿であるしかし、亡国の極みで彼らは光り輝くのかもしれない。彼らは知性を持たない。恥も知らない。だからこそ、生の炎が強く燃えている。なぜなら、今後、多くの日本人は、馬鹿馬鹿なりに知性と恥を取り戻そうと動き始めるだろう。80年間自民党に預けていた知性と恥を。そんな中で、それに抗うネトウヨの勇猛心はとても強いものになるはずだ。その強い何かが、新しい日本を作るうえで必要になってくるだろうと私は思う。きれいごとを言っていてはいけない。ヘドロだってなきゃ困るのだ。というか言ってみれば人間なんてみなヘドロだ。ヘドロはヘドロなりに生きていくしかないのだ。日本国憲法、皇室、みなヘドロだ。「すき、かわいい、おいしい」であふれても、みなヘドロだ。人権合理的配慮、ヘドロだ。ヘドロの中でも特急ヘドロがネトウヨだ。彼らは自ら汚泥にまみれ、堕ち切ったところで息絶え、花を咲かすだろう。拍手も称賛も必要ない。そこには馬鹿バカとして生きたという、墓石のみあればいい。どうせこの国はそんな墓石の集まりだ。

Permalink |記事への反応(1) | 17:06

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2025-05-31

anond:20250531225718

合理的配慮はどうした?そういうとこだぞ

Permalink |記事への反応(0) | 23:02

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2025-05-28

マイノリティから合理的配慮よろしく

LINEは入れてないしAndroidだしGodan入力だしXはやってないし、ラップトップにはUbuntuを入れているし、統合失調症患者

Permalink |記事への反応(0) | 09:30

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2025-05-27

anond:20250527002151

あなたの脳はオープンにしてるネットクローズドにしてる会社区別がつかないか

すべてが差別なんだろうね

そして知的障害への合理的配慮拒否してるから

健常者と平等になれない

さぞかし生きづらいと思う

ジョーカーやらないの偉かったね

Permalink |記事への反応(1) | 00:39

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2025-05-26

anond:20250526043403

そうだぞ、俺は精神病

差別するのか?合理的配慮はどうした?

Permalink |記事への反応(0) | 04:42

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2025-05-23

anond:20250523121806

そうだぞ、俺は統合失調症

差別するのか?合理的配慮はどうした?

Permalink |記事への反応(0) | 12:20

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anond:20250523090734

合理的配慮をしてもらえるから

Permalink |記事への反応(0) | 09:25

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2025-04-28

anond:20250428214528

読みにくいな…。

もう一度読み返して書いた。


企業障害を正確に伝えるのは履歴書が通った後、合理的配慮を決める段階でやるんだよ。

就活の初手である履歴書でやることじゃないの。

働き出してからも、定着支援として就労移行支援の人らを交えて面談する機会は何度もあるから、そこでその都度相談してもいい。

履歴書に書いちゃダメから自分障害企業に隠さなきゃいけない」というのは元増田の完全な思い込みなわけ。

それに、障害者雇用っていうのは障害にある程度自己対処しながら働く場所なんだからさ。

それが無理で、安定した就労が難しいという話なら、就労継続支援A型事業所みたいな福祉就労選択肢として考える必要がある。俺はそっちはあまりおすすめしないけども。

Permalink |記事への反応(1) | 21:58

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anond:20250428212309

>「合理的配慮を得られれば安定して働ける」という体で一般企業就労するのが障害者雇用なんだからさ。

から合理的配慮を得るためには自身障害の状況を正確に伝えるのが必要だという話では。

>「不安定になったから働けない」というのはちょっと通用しないんだよね。

から通用するかしないか判断基準相手企業に与えるためには、障害について正確に伝える必要があるでしょう。

そこを誤魔化したら嘘をついたと言われても仕方ないでしょう。

>「こういう時に不安定になるから、そういう時は5分くらい休憩させてほしい」みたいな取り決めはできるけども。

どうすれば不安定にならないか自分の中で形にしてから就職にのぞむべきだったんだよ。

どうやったら障害の状況が克服できるかって、それがわかったら苦労はせん

Permalink |記事への反応(1) | 21:45

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anond:20250428175412

就労移行支援は定着支援として3年間安定して就労しないと実績にならないから、その考えは被害妄想だと思った方がいいよ。

そもそも履歴書っていうのは困りごとを申告するものではなく、自分を売り込むものなんだよ。

その会社採用されたら自分はこんなふうに活躍できますよ、っていう姿をアピールする手段なの。

からそこで「精神不安定」なんて書いたら鼻から採用されないんだよ。

そしてそれは健常者も同じ。自分に不利なことは履歴書には書かない。書いたとしてもポジティブに捉えられるように言い換えないとダメ

というか、増田障害者雇用をなんだと思ってる?

合理的配慮を得られれば安定して働ける」という体で一般企業就労するのが障害者雇用なんだからさ。

不安定になったから働けない」というのはちょっと通用しないんだよね。

「こういう時に不安定になるから、そういう時は5分くらい休憩させてほしい」みたいな取り決めはできるけども。

どうすれば不安定にならないか自分の中で形にしてから就職にのぞむべきだったんだよ。

Permalink |記事への反応(1) | 21:23

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2025-04-26

anond:20250423054355

他人事じゃなさすぎるので書く。

うちは小6息子がLD &ADHD。小2の終わりに診断出た。

小さい頃から文字を書きたがらないし、書けるようになっても書くのにとても時間がかかった。読むのはまあまあできるけど、読み飛ばしたり、文頭だけ読んで文末を想像してるとしか思えない読み方をしていた。

就学してからカタカナを一向に覚えない。教えても教えても忘れちゃう漢字も覚えない。見開きのページ両面いっぱいに、同じ漢字を30回書かせるとするじゃん?次のページめくって、今書いた漢字なんだった?というと、思い出せないわけ。

夫に相談すると、俺もそんなもんだった、気にしすぎ、と笑われるところからまり、それでもおかしいと言うと、やがて「お前は息子を障害者にするのか!!」と怒り出した。

夫はほっといて、市に相談。読み書きスクリーニングという検査を受けた。結果はおそらくLD。でも確定するにはウィスク検査という知能検査を受けて、知的障害がないことを証明して初めて確定になるとのこと。学習障害は”知的障害がないのに”勉強ができないことが条件とのこと。

それでウィスクの予約を受けるんだけど、これがまあ初診予約が半年後、検査さらに数ヶ月後、結果はそっから1ヶ月後とか言われるわけ。だからウィスクも合わせて受けるとなるとかなり早めに動いた方がいいんだよね。

私はどうしても数ヶ月以内に結果知りたくて、周辺自治体まで範囲を広げて片っ端から電話したら、たまたま空きの出たところへ滑り込み4ヶ月後には知能は年齢相応で知的障害がないので、LDですねと結果が出た。ついでにADHD診断のおまけがついた。

夫とはその間も喧嘩ばかりだったけど、あなたが認めなくても、息子が困ってることは変わらない、私は息子の困ってることを親として助けたいだけ、もっと息子に合った学習法があるなら知りたいだけ、というのを伝えていったら、だんだん何も言わなくなっていった。

実は、夫も息子と同じ傾向があった。読み書きが不得手で、夫は自営業だけど、申告書類だの申請書だの書き物は全部私に代筆させてた。ただのめんどくさがりと思ってたし、本人もそう振る舞ってたけど、息子を支援してるうちに徐々に打ち明けてくれた。実はそうじゃないと。字が思い出せないことがあり、恥ずかしいし自分でも認めたくなかったと…

小学生のころ知的障害を疑われ支援級に入れられ、親に泣かれたことがあったという。すごくショックだったようだ。

夫にとっては息子の特性を認めることは、否応なしに自分特性と向き合うことだった。だから反発も戸惑いも、私よりずっと大きかった。でも夫は克服した。息子が可愛いからだ!息子可愛さで自分障害まで認めてしまえる。子供は偉大だ。

そうして、私と夫と息子の3人、力を合わせてみんなで読み書きに取り組むようになった。

例えば息子は、一つ、二つ、三つ、などの読み方や、ついたち、ようか、むいか、などの読み方のイレギュラーをなかなか覚えられない。

母子で苦労してると、夫が横から「実は俺、今だにそれ分かってない」と告白してくる。

すると、えーパパもできないの?40過ぎてできないなら、今できなくても仕方ないね!となる。他にも夫は自分経験から、いろんなアドバイスをしてくれる。息子も、自分だけじゃないと励まされるし、何より将来の見通しというか、ロールモデルとして夫の存在はめちゃくちゃ大きい。

読み書きが不得手でも、得意分野できちんと社会生活を営んで、真っ当に生きてる夫の姿が、将来への不安を軽くする。

夫が同じ特性を持ってるということは、子供にとってむしろ強みなのだ

学習にはもちろんプロの手も借りた。

放デイの受給者証を取得したが、読み書きの指導ができる放デイは一つもなかった。あらゆる機関相談していると、やがて大学先生がやってるLD支援教室を見つけて通えることになった。息子に合ったやり方で宿題を出してもらい、家庭で取り組むのだ。カタカナ完璧マスターするところから初めて、今は小2の漢字を頑張ってるところだ。

ちなみに読み書き以外の知的問題はないので、算数理科などは年齢相応に取り組んでる。そこも息子に合わせたやり方に家庭で調整しながら、自主学習してる。

もちろんつまずきは数えきれないほど合った。特にADHDの併発は学習を阻害して大変だった。

学校理解が今ひとつな年があって、その年の息子は学習どころじゃないくらい荒れて、不登校寸前になった。具体的にはその年の担任先生管理職から、だらしなく勉強のできない子と見做された息子は、たびたび叱責を受けてしまったのだ。大いに荒れた。小3の頃だった。

LDの大きな問題として、学習のつまずきから学習意欲の減退、自信喪失自己肯定感の欠如、そこからいじめ不登校などの二次障害がある。息子も見事にその道を辿りかけた。

泣いたり怒ったり学校と話し合いを重ねて、小4でまた担任が変わると学習意欲も戻ってきた。立ち直すのには丸一年かかった。その間はお勉強どころではなかった。

支援級に移籍して、療育へも通った。相談支援を受けながら、学校にお願いして環境調整や合理的配慮もやっていった。

やがて顔つきが穏やかになり、小5になるとやる気いっぱいな息子が帰ってきた。得意分野で表彰されるなどもして、学習支援も進んだ。修了式で学年を代表し6年生の抱負を読むくらい、充実した学校生活だった。

ところで息子の支援をしていく中で、私自身もADHDの傾向があることが分かった。LDが夫の遺伝なら、ADHDは私の遺伝だったのである。このことは私もショックだったし、自分のせいで…となる夫の気持ちがよく分かった。

息子への対応も、自分の上手くできないところは息子にうまく教えられないこともわかった(計画的な見通しの立て方や、感情の切り替えや、整理整頓など…)。

上手く支援できずに苦しむ私に、夫は「お前は何で息子の特性を許せるのに、自分特性は許せないの。同じじゃないの?許してやれよ。頑張ってるよ」と言ってくれた。

夫は、息子の特性を認め、許し、愛す中で、自分特性も許してきたのだ。私にも同じことができるはずだと励ましてくれた。

そのうち夫婦でも「俺、これ読めない」とか「私どうしてもこれ苦手」とか言い合うようになった。

そうすると、お互いにそうかそうかと引き受けることができる。

これまでももちろんフォローはしてたけど、お互いに”何でこれくらいできないの?”という気持ちは隠せなかった。でも今はそんなことない。

交際5年で結婚して、出産して10年以上経っても、相手ことなんて意外とわからないものだ。家族の中に深く許し合える関係が生まれた。これも息子のおかげである

以上のように、我が家LDの息子を通して自分のことがわかり、夫のことがわかり、息子のことが分かるようになったから、診断は悪いことばかりではないよ。それに診断がついたらSNSでも書籍でも、困りごとの対策が見つけやすくなる。

我が子と同じ子はごまんといるというのは、孤独癒してくれるし心強さが生まれる。

こんなところにこんなに仲間がいたのか〜!となる。

息子に遺伝子の説明をしたときあなたはお母さんの設計図が半分、お父さんの設計図が半分渡してあるんだよと言ったら、息子は「良い設計図をもらった」といってくれた。

今もそれに励まされてる。

これから思春期からぜんぜん油断もできないし、まだ小6だから子育ての難関もこれからだけど…

とりあえず、診断は怖くないと言うことを伝えたかった。

Permalink |記事への反応(19) | 00:53

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2025-03-24

anond:20250324191755

ねえねえ、そんなに心配しなくてもいいんじゃない?♡小さい企業だって工夫次第でどうにかなることもあるし、合理的配慮って別に難しいことじゃないんだからさ♡もちろん、特別スキルや魅力を持ってる人は強いけど、それだけで決まるわけじゃないのにねー♡柔軟に対応できる企業が結局勝ち組になるんだからさ、一緒に成長するって気持ち大事なんじゃないの?w自分ももっと考え方広げたら?♡

Permalink |記事への反応(0) | 19:20

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2025-03-22

anond:20250322154209

そういうのは連帯責任になるから組織管理に入るよね

教育担当になるなら業務命令にしてもらい、それを理由に他の業務は断れる合理的配慮が欲しい

Permalink |記事への反応(1) | 15:52

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2025-02-15

anond:20250215171829

勉強するのが死ぬほどつらい人に、勉強強要しないのは合理的配慮でしょ。

それのどこが非合理だというのか。

Permalink |記事への反応(0) | 17:27

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2025-01-04

anond:20250103215850

1ミリたりとも迷惑をかけるなは言い過ぎだろう。健常者もミスはするし風邪もひく。障害者を雇うことでプラスになると経営者判断したら、プラスになるよう合理的配慮をするのも雇われの仕事だよ。

そもそも障害者雇用促進法はお前の普通とやらを守るためにあるんじゃない、障害者でも「普通」を享受できるようにするためにあるのだ。そのために合理的配慮しろ事業者に求めており、事業者ハイカリマシタと言ってるなら被用者としては付き合わないといけない。仕事障害者配慮をしないで済む権利なんか存在しない。

とはいえ、具体的な指示出しても良くワカラン理由で従わなかったり、とにかくヤバい人がいるのは確か。そういうヤバい人は大概健常者として入ってくるし、診断名もつかない単なる仕事ができない人だったりする。何でもかんでも障害のせいにするのは良くない。

Permalink |記事への反応(0) | 16:12

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2024-12-23

ASD当事者は何をすればよいのか

要約:自分否定する努力より、自分肯定につながる努力をしよう

https://anond.hatelabo.jp/20241221204350 を読んでhttps://anond.hatelabo.jp/20241222173557 を書いたら、当事者より「努力するなは死刑宣告のように聞こえる」「何をするかを書いた方が良い」とお叱りを受けたので、再考して書いてみる。

はじめから言っておくと、俺は当事者ではないし、タイトルの答えは知らない。ただ、いろいろASDのことを学んだり、仕事で接するなどしてこうしたら良いらしいと理解したことを書く。

当事者の方が俺に文句を言いたいのであれば、これを叩き台にしてぜひより良い策を書いてほしい。

0.自分健康第一に考える

まず成人のASD当事者定型発達の社会に沿って生きようと努力すること自体尊重されるべきだし、それを無碍に否定することは当事者にとって絶望感を与えてしまうかもしれない。

ただ、支援者としては努力を続けて行くことで二次障害を起こしてしまうことを恐れている。ASD当事者の中には常に頑張りすぎて自分が高いストレス状態にあることに気づいていないこともあると思う。

努めて人とコミュニケーションをとろうとするのはいいが、やはり自分自身の心身の健康を最優先してほしい。努力した分と同じくらい、自分リラックスできる環境時間の確保をしてほしい。

1.自分が得意なコミュニケーションを見つける

ASD感覚の過敏や偏りがあることがあり、例えば聴覚による情報処理が苦手な場合がある。人の空気が読めないといっている人が、実は音声の会話が苦手なことが主要因で、テキストチャットだとうまくコミュニケーションがとれるケースもある。

コミュニケーションの取り方は色々あるので、自分気持ちを伝えるためにどんなツール媒体を使うと一番スムーズなのかを考えて、大事な話は極力そうしたツールを使うようにしよう。

2. 診断を受け、合理的配慮を求める

ここまではASDと診断されなくてもできることだが、やはりコミュニケーションの困り事がある人は専門の病院にかかって診断をもらった方が良い。その理由はいくつかある。

一つは、自分が遭遇している障害全体像をきちんと把握するために必要情報が得られるから当事者自身コミュニケーションで悩んでいても、実はそれが聴覚などの感覚問題が起因だったりすることもあり、当事者が気づかない問題が起こっていることもある。客観的医学知識に照らしてみることで問題解決につながることもある。

もう一つは、合理的配慮などの各種取り組みは診断があることが前提になっていることもあり、とれる選択肢が増えるから。以前も書いたけどASDは本人のコミュニケーションスタイル感覚マイノリティであることで、周囲の人や環境ミスマッチを起こしていることが障害の原因である。なので、本来当事者特性に合わせて生きやす環境や人との関わり方を調整して行くことが望ましい対処法になる。

環境は不変なもの、正しいものではなく、変えられるものしていけるように、使える選択肢は増やした方がいい。

3.当事者研究をする

当事者研究というのは、障害当事者など何らかの困り事のある人が、自分自身の困り事を探求し、自分独自の「病名」をつけてその対処法を研究すること。基本的には当事者コミュニティの中で「研究会」として開催し、当事者同士が話し合いながら行うスタイルが多い。

当事者研究はもともと精神障害当事者が共同で暮らす「べてるの家」で始まった試みであり、障害者自立活動アルコール依存症自助グループ活動の2大潮流が合流して生み出された(綾屋紗月 2023)。精神医学言葉概念ではなく、自分自身で生み出した言葉で苦しみを仲間と共有することで、当事者実践できる生活方法を考えられるとして2010年代あたりから全国的認知されるようになった。

こう説明されると、結局当事者努力してるじゃないかというツッコミを受けるかもしれない。だが当事者研究普通に頑張るのとは異なる利点がある。

一つは、障害自己を切り離して考えられること自身障害について考えたり「克服」しようと思うと、どうしても自分人格否定してしまうことにつながりがちだ。そうなると、努力する分だけ自己肯定感が低くなっていき、過大なストレスを抱えてしまう。当事者研究自分が抱える障害や症状「研究対象」として名前をつける(例:爆発さん、幻聴さん、おこるちゃん)。そうすることで、障害自分の一部ではなく、自分そばで起こっていることとして冷静に考えることができる。

二つ目は、自分だけでなく他の当事者への貢献になるように自分問題を考えること当事者研究は「研究」なので、同じような状況に陥る人の役に立つようなソリューションとして言語化することが求められる。そうすると、これまで自分のためにやっていたことが、他人のためになる活動に変換され、自己肯定感を高めることができる。その人はその障害の苦しみを理解できる「専門家」となることで、障害経験ポジティブに捉えることができる。

このように自己人格否定することなく、距離をとって自分が遭っている障害を仲間と一緒に見つめることで、建設的に今後のことを考えることができる。

一言で言えば「頑張って自己否定することから遠ざかること」が大事

ここまで長々と書いてきたが一言で言えば上の言葉に尽きる。自己肯定できないソリューションは続かない。どんな方法であれ、ありのまま自分肯定できることにつながらなければ、本当には当事者を救う術にはならないのではないだろうか。

Permalink |記事への反応(4) | 08:23

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2024-12-22

増田は、もうこれ以上頑張っちゃだめだ

追記: 要約

追記2: じゃあどうすればよいのか?という方向で再考してみた。

https://anond.hatelabo.jp/20241223082309

===

https://anond.hatelabo.jp/20241221204350

上の増田を読んでめちゃくちゃモヤモヤしてしまった。俺は色々あってASDの子を育てたり職場ASD/ADHD若者相手したりメンタルを病んだ家族ケアしたりしているのだが、増田は色々誤認したり、あまりよくない方向性に向かおうとしたりしているように感じる。以下、俺がモヤモヤしていること3選を書く。

それはADHDじゃねえ

この増田友達もそうだが、困り事が明らかにASD自閉スペクトラム症)だったり他の障害特性なのに雑にADHDに括ろうとする人が最近多い。「ADHD」という名前だけ知っていて、その内容を知らずにいるのは単なるレッテル貼りしかならないので非常にもやる。

以下の解説記事にもあるように、本来ASDADHDは異なる特性障害パターンを持っている。増田のような「空気が読めない」「相手がどう考えているかが分からない」という主張はどちらかといえばASDにあてはまる。

https://h-navi.jp/column/article/167

ADHDは薬の服用によって生活改善されやすいが、ASDに対しては同様の薬物療法はない。当事者に対する周囲の働きかけ方や配慮も異なってくる。なので、混同するのは危険がある。

実はASDADHDは併発していることも多いので、ASD当事者ADHDに悩むこともあるし、その逆もある。こうした混同が起こる背景には、かっての精神医療診断基準ではASDADHDのどちらかの診断がおりたら片方の診断がつけられなかったこともあるらしい。ただ、必ず併発するわけでもないし、上に書いたように対処法にも違いがあるので混同すべきではない。

障害が分かる方が周囲は助かる

俺は大学で働いているので日常的に学生と接している機会が多いのだが、診断をもらって告知してくれている学生対応は正直あんまり困らない。今は合理的配慮などの兼ね合いもあって障害対応する支援制度連携の仕組みがいろいろあるので、障害があることが分かればできることも多い。

困るのはから見て明らかにASD特性があるのに気がついていないか、うすうす気づいていても自分の頑張りだけで対処しようとするケース。そうなるとこちから障害があると断定できないので、使える対処法が限られてくる。例えばASD当事者の中には音声から得る情報理解が難しい場合があるので、その際は当事者配慮願いを通じて教員の話していることをノートテイキングしてくれる支援者を配置することができる。クローズドであると、そういう配慮によって学生障害を無くしていく手段が取れない。「単に授業を聞いてなくて成績の低い学生」扱いされる。かと言って、「君は障害があるようだから病院行って診断もらってきなさい」と言うのはできない。そうこうして行くうちに学校に行かなくなってドロップアウトしていく。そう言う学生を何人も見てきた。

そう言う実務上のことはさておき。何より、1人で抱え込んで苦しみ続ける当事者を見ているのは、こちらが辛い。みんな深刻な顔をして「すみません……頑張ります……もっと人のことを考えます」と言うのだけど、こっちからしたら「もうこれ以上頑張らなくていいから、専門家連携して生きやす環境作ってこ!」と言いたい。

ASDの診断がおりたとして、そのことを受け入れられないこともあるだろうし、診断を受けることに抵抗感があるのは理解できる。それに、増田はもう社会人なのもあり、現在ASD当事者就労環境の状況を鑑みるとだいぶ支援体制も厳しさも違うと思う。

だけど、少なくとも言えることは、俺がもし増田の同僚や上司だったら、増田の困り事がどう言うもので、何が原因となっていて、どう配慮すれば良いのかを知りたいし、その方が助かる。診断を受けることは決して努力放棄することではない。自分が何を苦手としていて、どんな助けを必要とするかを周囲に伝えるのも立派な努力だと思う

「克服」しようとすんな

この増田は人の気持ちが分からない、空気が読めないことを克服したいと考えている。それが問題だと捉えている。だが、正直俺からしたらもっと深刻な問題増田がなまじ頑張れてしまっていることだと思う。

普通の人が頑張らなくてもできることを年がら年中頑張ってエミュレートして仕事をするのはとても疲れる。それは一時的問題解決しても、到底持続することはできない。

これは子供の発達支援界隈でよく言われているらしいが、ASDの子供が療育を通じて保育園幼稚園生活を円滑に送れるようになった時が一番危険だと思われているようだ。というのも、表面的には子供が「普通」になったようにみえ、周囲に馴染めていても、本人の内面は変わっていないので、常に気を張り続けていて普通になろうと頑張ってしまう。すると非常に高いストレスが体を蝕み、ある日登園しようとしても気持ち悪くなっていけなくなってしまうことが起きる。

発達障害の本当の問題は、鬱など他の精神障害を引き起こすリスクが跳ね上がることだ。 「重ね着症候群」と呼ばれることもあるが、一見、本人の頑張りで障害が克服されているように見えても、それはむしろ二次障害リスクが高まっているという点でより事態が深刻になっているかもしれない。

これを書くと余計長くなるが、ASDコミュニケーション障害は、ASDの考え方や感じ方がマイノリティな形をしており、周囲の人間ミスマッチを起こしていることが原因であるミスマッチが原因なのだから、俺にとっては、本来ASDけが頑張らなきゃいけない謂れはないんじゃないかと思う。

増田努力は素晴らしいし、尊重されるべきなんだが、鬱で生活がままならなくなるよりかは、開き直って周りに迷惑をかけてしまった方がいいんじゃないかと思ってしまう。そうして、本来コミュニケーションとはままならないもので、それぞれの人の多様な考え方があるんだと言うことを気づかせていったほうが、結果的には社会のためになるんじゃなかろうか。

これは当事者そばにいるもの傲慢意見しかなくて、増田気持ちに寄り添えていないのかもしれないけど。少なくとも俺は増田もっとありのままでいられる生き方をしてくれたらと思う。少なくとも増田が恐れているような人間ではない、増田なりに人の気持ちを考えている人だと俺は思うぜ。

Permalink |記事への反応(6) | 17:35

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2024-12-19

生活保護を抜けられそうだ

まだ生活保護を抜けられてはいませんが、年明けから就職が決まりました。

アラフォーになり、正直なところ、もう就職は無理だろうと思っていました。

生活保護を受け始めた頃は、毎日死にたい」「消えたい」と思ってばかりで、それでも死ねなかったからこそ受給したのです。

月日が経つにつれ、不思議と「死にたい」という気持ちは薄れました。

それが薬のおかげなのか、ただ時間解決しただけなのかはわかりません。でも、変わり始めたのです。

精神障害者手帳2級を持っている私ですが、いつまでも障害理由に働かないという選択肢は、自分にとってはなかったです。

そして、就労移行支援所に通い始めたのが1年前です。

正直なところ、通所先の選択を間違えたかもと思うこともありました。

もっと大手のLITALICOに行けば良かったかもしれない。でも、それでも奇跡的に就職が決まったのです。

私にとっては最高のクリスマスプレゼントでした。障害者雇用での採用ですが、激務と噂される企業なので、きっと厳しい環境になるでしょう。

でも、社会保険に加入できるというだけでワクワクしています

生活保護受給している間は、国民健康保険証を持つことができません。それがどれだけ辛かったか

病院薬局に行くたび、保険証がないことに後ろめたさを感じました。

精神科受診すら、気持ち的に負担になることもありました(私は被害にあっていないが、窓口で大声で生活保護受給者と言われる人もいるそうだ)。

でも、これからは堂々と保険証を出して病院に行ける。その事実が、本当に嬉しいのです。

生活保護を受ける前には当たり前だと思っていたことが、こんなにも大きな意味を持つとは思いませんでした。

この気持ちは一度生活保護まで落ちた人にしか共感はされないと思う。

本当に嬉しいのだ。

生活保護受給していた間、経済的には非常に手厚い支援いただきました。

生活保護受給額は障害者加算があったので、単身だと1給地-1で147,990円でした。

月に額面で18万円稼いでいる人よりも手取りにすると多いのだ。

医療費無料、それに加えて就労移行支援所に行く交通費病院に行く交通費も出していただいた。

技能習得費というのもあり、年間87,000円も支給された(特別基準というのもあり、133,000円にもなる)。2年度に渡って支援してもらったので、×2だ。

墨田区だと就職活動必要スーツ代35,000円、就労活動支援費として写真代も2,000円出た。

カウンセリング代も年間72,000円出た。こんなにも手厚い制度もあるのだ。詳しくは次のリンクを見てください。

https://www.city.sumida.lg.jp/reiki_int/reiki_honbun/g108RG00001309.html

正直月20万円稼いでいる人よりも遥かに豊かで、時間がある生活だった。

このように知っていれば様々な制度もあり、図書館で本を借りたりこの制度を使って生活保護受給しながら勉強をした。

そうしたらオファーが出たのだ。激務で有名なので続けられるか心配だが、障害者雇用なので頑張るから続けられるような合理的配慮がある事を祈っています


少しだけ生活保護に関する情報を共有しておきたい。


https://665257b062be733.lolipop.jp/tokyo2017%EF%BC%882021.6%EF%BC%89.pdf

生活保護に関しては色々サイトもあるが、東京都生活保護運用事例集2017年(令和3年6月改訂版)が生活保護手帳並みに事例も載っているし、無料なのでおすすめしたい。

https://ameblo.jp/capybara321/

この元ケースワーカーの方のブログは本当にお世話になった。今年は更新が少なかったが、わからない制度があるとここで検索していた。

生活保護審査請求をしよう」というブログタイトルは刺激的だが、内容は至ってまともで詳しい。


長い間生活保護を受けていたので、それを返すことはできませんが、少しでも社会に貢献し、納税することで恩返しをしたいです。

普段なら寝ている時間ですが、就職する事を考えるとワクワクして寝られなくてそのテンションで書いてしまいました。

文章表現も整ってないし、読みづらくてごめんなさい。

最後に、読んでくれた方々へ感謝を伝えたいです。

社会では生活保護受給者に対して厳しい視線を向ける人も少なくありませんが、増田比較的優しいイメージでした。

助かりました。本当にありがとうございました

Permalink |記事への反応(2) | 01:26

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2024-11-21

生物学的/生得的/身体的」な「男性/女性

生物学医学専門家でも「肉体の客観的属性だけで性別を一意に断定する」ことはできないのだが、

断定できる前提でそうした言葉を使うのは乱暴では?と感じている。

・外性器

精巣・卵巣の有無と外性器の形が一致しないケースがある(仮性半陰陽など)。

遺伝子

XY型を持つが膣を持ち胸が膨らむケースもある(アンドロゲン不応症など)。

このような場合自分性別に疑問を持たないまま一生を終えるケースもあるという。

ホルモン

薬物などを一切使わずともテストステロンの値が外れ値になる人がいる。

・精巣・卵巣の有無

真性半陰陽のように、精巣と卵巣どちらも持っている人も存在する。

生殖機能

様々な要因で機能しなかったり失われたりするので、判断材料に適さない。

これらのようなケースでは、どんな性として生きるのかは、さまざまな要素を総合した上で、家族や本人の意向を踏まえて個別判断するようだ。

「肉体の客観的属性だけで性別を一意に断定する」のは乱暴で、肉体的にその属性を持たないシスジェンダー無視してしまう。

また、上記のようなことを考慮しないまま、揶揄中傷意味で「生物学的」「生得的」「身体的」と使っている人も多いように見える。

ので、妥当共存ラインを探りたいだけなのであれば、あまり使わない方がいいと考えている。


13:09

書こうと思ったけどやめた件について言及ついてたので早めに追記しておく。

量的な話:

1%しかいないケースには個別対応したり診断書を求めたりすればいい、同意です。だってトランスジェンダー1%しかいないので。

トランスジェンダーに関しては例外処理なく肉体属性で一律排除せよ、医師診断書があっても戸籍や手術が自分定義と一致しなければ移行先の性別とは認めない、と言う人もいるんですよ。

大事なのはその人がどういう状態かつ何を目的に何を求めてて、それにどう対応するかの、いわゆる合理的配慮と考えています(そのラインをどこに引くはもちろんケースバイケース)

Permalink |記事への反応(1) | 12:28

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2024-11-09

たぶん適応障害になったので、頭の中がどうなってるか言語化する

※「たぶん」というのは、医者の診断を受けてないからであり、ここに書く内容は冗談半分で受け取ってください。(正式に診断受けたら保険に入れなくなるじゃん)

私は院卒で会社に入って、今4年目になります学生の頃から、周りよりメンタルが強くなく、人付き合いも上手ではないけど、少ない友人と遊んで、そこそこの学業をしてきました。

今はというと、フルリモート事務系の仕事パソコンでやっていて、そのせいで病んでます。でも出社すると元気よくなるんですよ私。

適応障害って、職場という場所拒絶反応が出るのが典型っぽいので、俺の症状は逆じゃないかと思うじゃないですか。なんなんでしょう。このあたりは専門家意見を聞きたいです。

私の「病む」というのは、端的にいうと、プレッシャーに押しつぶされて、メールを見たり送ったりするのが怖くなり、音信不通になる系です。自分仕事ミスがあって周りの人に迷惑をかけていないかとか、仕事が遅くて相手から失望されているんじゃないかとか、そういう不安強迫観念が私の意思決定を鈍らせ、息苦しくなり、結果として何もできない「怠け者」になってしまます

そういう不安を感じちゃだめだと思えば思うほど、頭の中で考えてしまう。恥ずかしい思い出ほど忘れられないのと一緒です。適応障害というのは、そういう人間誰にでもある記憶意識の働きでバグがおきて、特定の場面で不安感が払しょくできなくなるという病気なんです(※素人意見)。

もちろん、そういう不安を感じなければ、私はうまく仕事ができます経験上、出社をすると、そういうのが出てきにくくなって、人並みに仕事ができるようになるんです。

おそらく、出社をすると、周りの人は自分が思っているよりも淡々仕事をしているのであって、常に自分に対して失望感をむき出しにしてきたりするような過酷世界は広がっていないと、私の認知のゆがみが正されることで、適応障害が(一時的に)抑えられるんじゃないかと。

じゃあ出社すればいいじゃんと思いますよね。それができないんです。うちの職場原則テレワークで、出社は例外的事情がなければ非推奨とされています最近、経費削減とかで社内で告知が出ました。本当は自分note愚痴りかったけど、これは社内秘だからはてブ愚痴ってます

先月までは、月の半分以上は出社していて、それで自分のペースを保てていたんだけどね、先月末くらいからなにもかもダメだ。

ダメなことが重ねれば重なるほど、適応障害は強くなる。

なので、そろそろ転職使用と考えているのですが、一身上の都合ですぐに転職をすることができないので、もう少しだけ周りの人に迷惑をかけながら、合理的配慮という発想のない上司や周りの人には我慢してもらおうと思います

↑こういう開き直りができればいいんですけどね、私の性格的にそう考えるのは無理です。生真面目といえば聞こえはいいですが、実態は、劣等感からくる見捨てられ不安というか、不真面目になることにより自分は見放されて居場所がなくなるんじゃないかというイメージが頭から離れず、他人から嫌われる勇気が持てません。

今も、今日中にと昨日に言った仕事に着手できていないので、比較気持ちが落ち着いて作業できる深夜明朝の時間帯に進めて、変な時間メールを送って周りをビビらせたる。

来週頭に1on1があるので、もしかしたらそこでクビかもね。会社都合で退職して、失業給付でも貰って食いつなごうかな。

Permalink |記事への反応(2) | 00:52

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2024-10-05

ILoveIt (feat. Charli XCX) -Icona Pop

私は誰しもがそう望むように幸せになりたいと思っていた。それは我々の権利でさえある。しかしそれは法で定められなくてはならないほど、私たちに縁遠いものなのかもしれない。例えば社会的地位経済的余裕、暖かな人との繋がり、夢や希望をこの地であくまで追求すること──。

これは生活に追われて疲れ果てたある女の手記だ。私はこんなくだらない文章を書くほど暇なのだ。それは決してゆとりではない。それに真実でもない。「何もすることがない」というのは恐怖なのだ自分自身、もしくは人生の虚無と向き合うはめになる。それならこうやってスマホの白い画面に黒字を打ち続けるほうがよっぽどマシなのだ

私はつねに漠然死にたいと願っている。先に告白しておこう。私はうつ病者だ。だから歪んだ世界に生きている。そして発達障害当事者)でもある。私の目に見えるもの本来の姿を留めていないのかもしれない。私は何重にも孤独なのだ恋人も友人もいない。私は一人だ。いや、少なくともいま現在はと付け加えよう。

私には子どもが一人いる。

まだ幼い、母親庇護必要とするか弱い存在だ。私の苦悩の全般子育てに起因するように思う。人より劣る私のような人間にはそもそも育児など不可能だったのだ。すでに夫だった(それ以前は恋人だった)男とは離別している。「孤育て」とは誰の造語かは知らないが、なんとも言いえて妙だ。

私の人生で誇れることがあるとすれば、それは離婚だ。自分で考え自分で行動し自分で決着を付けた。そして学びを得た。「私のことを粗末に扱う人間とはもう関わらない」夫はいわゆる“モラハラ”体質だった。デートDVもあった。でも私は気付けなかった。それを理解したのは最近のことだ。ということは私にもそれなりの成長があったのだ。しかし、もっと早くに気付いていれば傷は浅かったし、それからそれから、息子を産まずに済んだのだ。

私が心を病んだのは十代の頃だ。夫と出会う前だ。だから全面的に彼を非難することは出来ない。初めて行った産婦人科で、エコー写真を見た。モノクロテレビ画面に不思議抽象画のようなものが映し出された。そして写真を撮るカチッとした音が響いた。それで私にも分かったのだ、この腹のなかに何かが居るのだと。動揺して頬にしずくが伝ったのを覚えている。真っ白で消毒液臭い古びた院内。私にとって希死念慮は懐かしく親しみ深い欲求だ。だからこの一連の愚かで頓馬な騒動のなか、私は一つの結論に達した。つまり子どもが産まれたあとに自殺しよう、と。私のその願い(この人生を終わりにしたい──)と胎児とはなんの関係もない。巻き込むにはしのびなかった。その程度の理性は持ち合わせていると自負している。

だが私は当初男に中絶を訴えた。私はまだ“女の子”でいたかったのだ。くたびれた子持ち女になるなんて、とんでもないことだ。子どもなんていらない、私には夢がある、そんな責任背負えない──などなど、私は空回りする言葉を口にした。男は泣いて反駁した。絶対後悔させない、幸せにする、土下座してもいい……。いずれにせよ上っ面な言葉が二人の間に投げ交わされた。その中で、男の涙も出産を決意した理由の一つになった。私たちの深刻で感情的な会話は回転寿司屋で耳目を集めた。あの人が泣くのを見たのはあれが最初最後だ。希望のない結婚生活はすぐさま破綻し、ただの狂女と化した私を男は見切った。離婚合意によるものだった。結婚は、結婚はといえば寄り切られただけだ。それに実家では死にたくなかった。「家」から出るための判断だったと今になって思う。

そして母親からまれなかった子どもは今や四歳になる。つまり私は死ねなかった。ひどく臆病なのだ。だらだらした生を送り、日々は過ぎ去り、私は今日もただ生きているという苦痛に耐える。

16時半になると息子が帰って来る。彼には発達特性があり、療育と呼ばれる困りごとを抱えた子どもたちを支援する施設に通っている。青い車に乗った彼はたいていはご機嫌で帰宅する。そして「今日ご飯は? なんのおやつがある?」などと訊ねる。その都度私は答える。どうでもいいことを、どうでもいい感じで。

私たち親子をこの先待っているのはなんだろう、とふと考える。私の予想では、息子はグレるか引きこもるかのどちらかだろう。“軽度の発達遅滞”──、医者の言った言葉だ。

私が憂うのは──、また興味を惹くのは、私たち家族が年々機能不全家庭に成り下がってゆく事実だ。

祖母戦争で夫を亡くしお茶お花の教室を開いては子ども二人を育て上げた、祖母家業家事育児を両立させ手作り洋服を娘らに着せていた、私の父は男手一つで私を曲がりなりにも成人させた。では私はどうなのだろう。三十路の子持ち女、気ままなパート通い、充実した福祉政策にすがってその日暮らしをしている。闘病中だから仕方ないでしょ、が最大の言い訳だ。もちろん私は合理的配慮必要を認める、国だってそう言ってる。だが私の怠惰と甘えはとどまることを知らず、日に日に心身が肥大していくのだ。もはや若くもなく、痩せてもいず、まぶたに色を添えるでもなく、唇はささくれだっている。元夫が愛した頃の可愛らしい私などとうに消失した。ミニスカートを履くことも今後この人生にはないだろう。

だがこの点において私は絶望していない。若さゆえの唯美主義とは残酷ものだ。それを脱して豚になるのだっていいだろう。“おばさん”にはセクハラ痴漢も起こり得ない、少なくとも私はそう考える。

閑話休題──と打ちかけて気付いた。この文の本論はどこにあるのだろうか。私の人生言葉の力を借りて小説にし美化するため? それはそれで良いだろう。だが打開策にはならない。私は毎朝ダブルベットからのろのろと起き上がり息子を登園させる、夕方になれば電話が鳴り息子をアパートの外で出迎える。その間は私一人だけの時間だ。支援職の人々は「ゆっくり休んでください」と口を揃えて言う。でも物事を複雑化して自作迷路に一人で迷い込んでゆくのは私の大得意だ。つまり安息などない。私は息子の帰宅を恐れる。逃げ出したいと思う。実際逃げ出したらどうなるか綿密に考えてみる。それもいいと時々思う。でもだいたいは「居続ける」ことを選ぶ。人生においてもそうだ。やめようか、どうしようか、でも面倒ごとは御免だ──結局私は生き続けることを選んで来た。それが正解だったのか、正しい判断なのか迷う。安易に出せる分かりやすい答えにはさほど価値がないように思う。あらゆる人間関係のなかで悩み苦しむこと、その明快な人生定義を思い浮かべる時、もしかしたら私は幸福なのかもしれない。

2024/08/27 18:28

Permalink |記事への反応(1) | 18:39

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