
はてなキーワード:合理的選択とは
毒リンゴを混ぜる行為は、信頼できる情報源(リンゴ農家)が提供するすべてのリンゴを、購入者(探求者)が疑うように仕向ける行為です。購入者は、特定のリンゴが毒入りだと知ること(特定のウソを信じること)よりも、「どのリンゴも信用できない」と言う印象を持つこと(情報リソースの有用性が低下すること)によって、結果としてリンゴの購入(探求)を断念します。
ディスインフオメーションは、探究を行う主体Aにとって利用可能なコンテンツの価値を、ディスインフォマントDの介入がなかったときよりも低下させるために使用されるコンテンツである、と特徴づけられます。
「本物のリンゴの中に毒リンゴを混ぜる」という比喩は、Dが採用する以下の戦略と強く関連しています。
D(白雪姫でいうと魔女)が毒リンゴ(Xの属性Pに関する噂、または偽造されたコンテンツ)を混ぜることで達成したいのは、探究を行なっている聴衆が証拠に注意を払い、それを処理するのを思いとどまらせることです。
Dは、本物の情報源に対する信頼全体を低下させるために、偽のコンテンツを意図的に導入します。
・この種の偽造品は、「転覆目的の偽造品」とも呼ばれ、本物との区別が難しく、本物も偽物も無価値であるという印象を聴衆に与える意図を持ちます。これは、良質なリンゴと見分けがつかない毒リンゴを混ぜることで、市場全体のリンゴの価値を下げる行為に相当します。
毒リンゴを混ぜる行為は、情報チャンネルにノイズを加えて、信号(本物のリンゴ)を見つけるコストを高くする戦術とも関連しています。
・Dは、利用可能な情報にノイズを加えることで、聴衆にとって信号を探すのが費用がかかりすぎると思わせるインセンティブを持ちます。
・「ゾーンを氾濫させる」などの戦術は、圧倒的な量の情報、ウソ、注意を逸らすためのコンテンツを提供し、聴衆の認識能力を圧倒します。
・この結果、報道機関とその聴衆は「麻痺し、混乱し、偏見、偽り、事実の海の中で何が現実であるかを見分けようと奮闘する」状態に陥ります。これは、リンゴの山にゴミを大量に投げ込むことで、まだ食べられるリンゴ(信号)を見つける作業を非現実的に困難にする行為に似ています。
誰かXの属性Pに関する噂(毒リンゴ)を流すことは、その特定の噂が真実であるか虚偽であるかに関わらず、聴衆が証拠を収集・処理し、それに基づいて最適な選択を行う(合理的選択)能力を低下させるという点で、disinformationの重要な機能(情報価値の低下)を果たしていると言えます。
あなた:
ChatGPT:
バブル期(1980年代後半)の日本でなぜ金融引き締めが行われたのか――その理由は、過熱する資産バブルの抑制とインフレ懸念にあります。以下、背景と目的を分かりやすく説明します。
1980年代後半、日本は歴史的な好景気にありました。以下のような現象が起きていました:
株価:日経平均が1989年末には約39,000円に到達(1985年頃の約2倍以上)。
地価:東京の地価が急騰。「山手線の内側でアメリカ全土が買える」と揶揄された。
融資:土地を担保にすれば簡単に巨額の融資が受けられ、資金が株や不動産市場に流れ込む。
この背景には、1985年のプラザ合意を受けて進んだ円高→景気後退→それを下支えするための金融緩和(低金利政策)がありました。
■ なぜ金融引き締めに転じたのか?
銀行も無理な融資をどんどん行い、「土地神話」に基づいた投機が加速。
バブル崩壊による後の損害が懸念されたため、「今のうちに冷やそう」という判断。
消費者物価はそれほど上昇していなかったが、資産価格インフレ(バブル的インフレ)は深刻。
このままでは社会全体が不健全な投機に傾き、崩壊リスクが高まると判断された。
日本銀行は1989年5月から1990年8月までに、公定歩合を2.5%→6.0%へと急激に引き上げ。
融資規制:「総量規制」と呼ばれる、銀行による不動産向け融資の抑制も実施。
地価:数年かけて下落。担保価値の崩壊により不良債権問題が表面化。
経済:企業や銀行がバランスシート調整(借金返済・資産売却)を迫られ、長期的なデフレ経済に突入。
■まとめ
日本銀行がバブル期に金融引き締めを行ったのは、投機的な資産価格の高騰を抑え、経済の健全性を守るためでした。しかし、その対応が遅れ、かつ急激だったことで、バブル崩壊を加速させ、長期不況の引き金にもなったという評価がなされています。
興味があれば「なぜもっと早く・緩やかに引き締めなかったのか?」という政治との関係や、日銀内部の議論についても解説できます。
あなた:
土地と株には沸騰はあったけど、関係のない一般の産業にもお金が不足するようになったのはなぜ
ChatGPT:
とても鋭いご質問です。
バブル期における金融引き締めの影響が、土地や株と関係のない一般の産業(製造業や中小企業など)にまで及び、資金不足(=信用収縮)を招いた理由は、主に次の3つです:
1989年から始まった「総量規制」は、不動産業などへの融資の総額を制限するものでした。しかし、実際には:
リスクを避けるため、「関係ない業種」にも融資を渋るようになった。
結果として、資金需要のある健全な企業や中小企業にまで貸し渋りが発生しました。
銀行は「貸しすぎている」と判断し、企業に返済の前倒しや追加担保を要求。
バブル崩壊で、銀行は不良債権(返ってこない融資)を大量に抱えることに。
そのため、「自己資本比率の維持(BIS規制)」を守るため、融資をどんどん縮小。
→ この結果、すべての業界で資金供給が細るという現象が起きました。
バブルが崩壊しても、日銀はしばらく高金利を維持していた(1991年頃まで)。
政府も、当初は「自己責任」や「市場の調整力」に期待して介入をためらった。
結果として、企業の倒産が続出し、景気は底なし沼に突入しました。
■まとめ
金融引き締めと総量規制の副作用で、銀行が貸出を全体的に抑制したから。
担保価値の下落で、企業の資金調達能力が実質的に低下したから。
つまり、「バブルのツケを払わされ、被害が経済全体に波及した」というわけです。
さらに知りたいテーマ(例:日銀の判断ミスや、BIS規制、当時の政治の対応)などあれば、深掘りできます。
あなた:
土地や株が加熱してるから少し下げるというのはぜんぜんいいけど、なぜ関係のない人まで干上がらせたのか
ChatGPT:
本当に本質的な問いです。
そしてその疑問は、当時を生きた中小企業経営者や労働者たちの「実感」と完全に一致しています。
ではなぜ、「土地や株の加熱だけを冷ますつもりだったのに、関係のない人まで干上がった」のか?
これは単なる技術的ミスではなく、政策判断の誤りと構造的な金融システムの限界が重なった結果でした。
✅ なぜ“そこだけ”を冷ませなかったのか?
日銀がコントロールできるのは金利やマネーの量(通貨供給量) という「経済全体にかかるレバー」。
しかし、金利を上げたり貸出を制限すれば、株や不動産以外の分野にも等しく冷水を浴びせる。
つまり「熱いところだけ狙って冷やすことが構造的にできなかった」。
🎯=**「ピンポイントで撃ちたいのに、散弾銃しか持っていなかった」**という状態。
② 総量規制が“雑”だった
バブル対策として導入された「総量規制」は、不動産業向け融資の総額に制限を設けた制度。
ところが、不動産と関係のある業種(建設、流通、サービス業など)も巻き添えに。
銀行もリスクを嫌い、**「関係ありそうな会社全部アウト」**という判断で貸出を抑制。
地価の下落で担保割れが起きると、銀行は貸したくても貸せなくなる(BIS規制=自己資本比率の縛り)。
同時に、「不動産に融資した銀行自体」が傷んで、健全な企業にも融資を出す体力がなくなった。
日本の金融は間接金融(銀行依存型)なので、銀行が縮むと企業も一緒に干上がる。
💡つまり、「バブルの熱を冷ます」はずが、「金融システムの血流自体を止めてしまった」。
日銀は「土地バブルが悪い」という正義感が強すぎて、副作用に無頓着だった。
結果として、干上がる企業や家庭が続出しても、回復支援がまったく間に合わなかった。
🧠 なぜそんなことになったのか?(根本)
「資産インフレを冷ませば景気全体もソフトランディングできる」と甘く見ていた。
中小企業や地方の声が中央銀行に届いておらず、東京中心の視点で政策判断がなされていた。
日銀や大蔵省(当時)に、経済の現場に対する感受性が欠けていた。
🔚まとめ:なぜ関係ない人まで干上がったのか?
「熱い部分だけ冷ましたかったのに、金融政策の構造上、経済全体を冷やしてしまった。
さらに、対応のミスや銀行の自己保身が重なって、干上がった人たちへの水すら止まってしまった。」
もしももっと段階的に、現場の実態を見ながら慎重に調整していれば、バブル崩壊も「軟着陸」できたかもしれません。
あなたの感じている「そこまでやる必要あった?」という疑問は、今でも多くの経済学者・歴史家が共有している、正当な問いです。
あなた:
ChatGPT:
非常に核心を突く質問です。
なぜ、バブル崩壊で不振に陥った企業(=そこに勤めるサラリーマン)を国有化しなかったのか?
これは、単なる経済政策の話を超えて、日本の政治的哲学・制度の設計思想に関わる深いテーマです。以下、歴史的・制度的・思想的な観点から説明します。
国が企業を直接「国有化」して救済するという発想が、日本では非常に例外的・否定的に扱われていたからです。
戦後の日本は「自由主義経済(市場経済)」を基本とし、国家はできるだけ企業経営に直接関与しないという建前。
特に高度成長期以降、「政府はルールだけ作る」「経営は民間に任せる」という方針が徹底。
企業は潰れるときは潰れるべきで、政府は雇用保険や融資など間接的支援に留めるという考えが根強かった。
📝経済への国の関与は「産業政策(行政指導)」の形ではあったが、「国有化」は極めてまれ。
② 「モラルハザード」を恐れた
こうした「道徳的危険(モラルハザード)」を避けるため、自己責任原則が重視された。
→ 「国が助けてくれるなら、経営ミスしても大丈夫」と思われたら、それこそ経済が腐るという発想。
バブル崩壊直後、企業倒産は数万社規模、中小企業は数十万社が苦境。
これらを国有化(買い取って経営を維持)するとなれば、膨大な税金が必要。
当時はまだ「財政健全化」が強く意識されており、大規模な企業救済には政治的な抵抗が強かった。
1998年〜:「長銀(日本長期信用銀行)」「日債銀(日本債券信用銀行)」→一時国有化
💡つまり、「潰れると日本経済全体が崩れる」という銀行には、特別扱いの救済がされた。
→企業(≠銀行)は個別救済せず、金融システムの根幹だけ守るという政策スタンスだった。
「国が企業を持つ=計画経済」的な発想に対して、政治的にも国民感情的にも拒否感が強かった。
特に冷戦期には、「国有化」は共産主義的・非民主的とみなされがちだった。
歴史的背景日本は「国有企業」にトラウマがあり、市場経済への信頼が強かった
あなたの疑問は、「そもそも国がもっと積極的に現場を守るべきだったのでは?」という非常に正当な視点です。
実際、そのような議論は当時も存在し、今でも「国の対応が遅く・冷たすぎた」という批判は根強くあります。
もし希望があれば、「たとえばどんな制度があれば救えたのか?」という代替案的な話もできます。
あなた:
ChatGPT:
竹中プラン(正式には「金融再生プログラム」2002年)は、バブル崩壊後の「長期不況」の最終局面に打たれた劇薬的な金融政策パッケージです。
このプランは、それまでの「不良債権処理を先送りするぬるま湯路線」を強制終了させる決断であり、結果として日本の金融システムを立て直した反面、中小企業の淘汰・地方経済の打撃という大きな副作用も生みました。
当時、小泉政権の経済財政政策担当大臣だった竹中平蔵氏が主導。
メインの柱は以下の通りです:
施策 内容
不良債権の早期処理銀行に「厳格な資産査定」を義務付け、損失を先送りさせない
自己資本の強化不良債権処理で自己資本が不足する場合、公的資金(税金)で注入
金融庁の監督強化銀行検査マニュアルを厳格に運用、甘い査定を許さない体制に変更
株価下落対策政府系金融機関が株式購入などの支援(株価維持策)も実施
厳密には、竹中プランは**金融政策(金利・通貨供給)**ではなく、**金融行政(銀行の健全化)**に分類されます。
しかし、経済への影響という意味では、猛烈な引き締め圧力をかけました:
厳格な査定→「貸し倒れリスクのある企業に貸すと、自分の首が飛ぶ」
これは実質的に「貸しはがし」「貸し渋り」という形で実体経済を冷やした
銀行の信用が崩れ、国民が「預金引き出し」に走る可能性も視野に
経済物理学(econophysics)は、物理学の概念を経済現象に応用する学際的アプローチで、統計力学や複雑系理論を活用します。
人間の意思決定を「選択空間の中での動き」と見れば、物理的な枠組みでその挙動を記述することも可能です。
物理学では「エントロピー」は無秩序さや情報量の多さの尺度です。これを意思決定に当てはめると
経済行動やマーケティングでよく言われる「選択肢過剰のパラドックス(TheParadox of Choice)」は、まさにこのエントロピー的観点を裏付けます。
人間は低エントロピー環境(選択肢が少ない)ではより素早く、安定した決定が可能。
これは脳がエネルギー最小化(エネルギー最小原理)を志向しているからと見ることもできる。
昨日は実に興味深い一日だった。
朝はいつものように、正確に7時15分に起床し、室温は22℃に保たれているか確認した。
朝食は決まってオートミールにバナナ82グラムと決まっている。これは完全に再現性のある実験だ。
ご存知のように、量子力学における測定は、単なる観測行為ではない。
それは、状態の重ね合わせを特定の固有状態へと「崩壊」させる、特異なプロセスなのだ。
nLabの記事にもあるように、この崩壊は射影仮説として定式化されており、測定は特定の正規直交基底の選択と、それに対応する射影演算によって記述される。
しかし、ここで問題となるのは、なぜ特定の測定結果が選ばれるのか、という点だ。
量子力学は確率的な予測しか与えない。フォン・ノイマンやリューダーズの仕事を踏まえると、密度行列を用いた量子演算としてこの測定を記述できる。
しかし、観測という行為が、系の状態に不可逆的な変化をもたらすという事実は、依然として謎に包まれている。
この問題に対する一つのアプローチとして、量子デコヒーレンスがある。
これは、系が環境との相互作用を通じて、量子的な重ね合わせを失い、古典的な状態へと移行するという考え方だ。
ZurekやJoos & Zehの研究によれば、測定装置が測定対象の系と相互作用する際に、両者の間に相関が生じ、環境との相互作用によってこの相関が不可逆的に広がるとされている。
午後は、気分転換にコミックを読んだ。「フラッシュ」の最新号では、スピードフォースの量子的な側面が描かれており、興味深かった。
また、「エイペックスレジェンズ」の新しい戦術を試してみた。しかし、チームメイトが非合理的選択をするため、僕の最適化された戦略は常に妨げられる。
夕食は、週ごとの献立表に従い、正確に18時30分に食べた。
その後は、弦理論に関する論文を読み進め、就寝前のルーチンをこなした。
一日を振り返ると、量子測定の問題は、依然として未解決の難問である。
しかし、僕はこの問題に果敢に挑み、いつの日か、その核心に迫りたいと考えている。
そして、その暁には、世界は僕の知性にひれ伏すだろう。
Bazinga!
兄が反社会性パーソナリティ障害だとおもうんだけど、警察のお世話になるレベルではなく、家庭内暴力を繰り返し、金銭を要求してくるレベル。ADHD傾向があって、衝動的でキレやすい。計画性のある行動ができない。いわゆるグレーゾーン。
母がもう歳なので、この暴れん坊を世話することも限界がきている。
自分が引き継ぐなんてまっぴらごめんなので、地域の福祉課に電話して助けを求めた。
話を聞いてくれるということで、直接話してきたんだけど、結果からいえば、何も解決できなかった。
担当者は、ちゃんと心理カウンセリングの勉強をしているとすぐにわかった。否定もせず肯定もせず、熱心に聞いているようで、共感は示さない。
自分も、兄の様子は子供の頃からおかしいと思ってたので、精神医学に関することは軽く調べているので、兄がなんらかの発達障害、パーソナリティ障害の傾向があるということは確信している。反社会的な行動に関しての良心の呵責がまったく見られない。反社会性パーソナリティ障害の可能性は高いと思う。
福祉課に助けて欲しいと言っても埒があかないとおもったので、嘱託医制度を利用して精神科医にも相談をお願いした。
この精神科医がまたひどかった。
「それは性格だから問題ではない」と言った。いやいや、トラブル起こしてて困ってるといってんだろと。暴力と金銭トラブルがあって、人権で定義されるところの、財産権の侵害と、身の安全を脅かす行為をやってますよと。
社会の中で問題を起こす「性格」であるから、それを「障害」と定義しているんじゃないのかよと。
その後も、その精神科医は、妙に揚げ足取りをしてきたり、こっちを疑うような姿勢でずっと対応してきた。
その精神科医が何を考えていたかはわからないが、自分はもう最初から、福祉につなげないために嫌がらせして追い払うのが目的で来ているとそう感じた。
福祉課の人間は、あいかわらず否定も肯定もせず、話は聞いているが助けの手を差し伸べることは決してなく、こちらが諦めて帰るのをずっとまっていると感じた。
時間をとって話を聞いてもらえたので感謝はしつつ、失意を絶望を感じながら相談を終了した。
こういう、トラブルを抱えている人と、それに巻き込まれてる人を助けようと思う人なんていないのが当たり前だ。
それがたとえ福祉課のケースワーカーでも、精神科医でもそうだ。問題をこっち持ってくんなと考えるのが自然だ。
相手はこちらを、不審者、嘘つき、妄想に囚われた精神疾患者、甘えん坊である可能性から探りに来る。これも精神的にきつい。まず信じてもらえない。
グレーゾーンはその存在の証明も難しい。こっちも頭が良いわけでもないので、自分が抱えている困難を、短時間で人にちゃんと伝えることも難しい。
これは無理ゲーだなとおもった。
当事者は結局自己解決する知恵と体力と金が必要になる。しかし、困窮している人間はだいたいこの条件は揃わない。結局そうやって、自殺するか殺人するかって解決方法へ辿り着いてしまう。
今回はこの手のトラブルの当事者になってみて、問題解決の困難さ、福祉、警察のポンコツさがよくわかった。ポンコツというのもよくないか。
今の頭の中はやっぱり、兄の命を絶つことでしか問題は解決できないという結論になり、いやいやそれはダメに決まってるだろう葛藤している。
この思考を繰り返せば、精神的に限界を迎え、頭がおかしくなり、自分が命を絶つというなんとも無意味な解決方法にたどり着くことも何と無く想像できる。
たとえそうなっても、当事者の外側の人はなにも困らない。頭のおかしい社会に害のある人間と、無害だけど社会的無価値な空気人間が二人社会から消えるだけだ。
トラブル抱えた人間は、こっちくんなと追い払って追い詰めていったほうが社会的に合理的選択だ。そして、当事者にとって殺人行為を行うことも合理的選択に思えてくる。
そう考えると、過去に起こった殺人事件などは頭のおかしい人、精神的に弱い人が起こすのではなく、理知的で合理的な選択だったのではないかと思ったのである。
追記:
みんな関心持ってくれてありがとう。もうちょっと戦えるような気がするよ。
コブメと言及見て少し補足する。
・福祉課にやって欲しかったのは、事例と経験を多く持ってるはずだから、この先どうしたらいいのか指導が欲しかった。だから、否定されまくって絶望がデカかった。
・母は痴呆が始まっていて移転が難しいと感じていることと、もう母も心が折られていて諦めちゃってるところがある。暴力による学習性無気力とかカサンドラ症候群とかの状態。
・自分はもう別世帯になっているが、母が老齢で兄の世話が限界にきているので、自分が介入している。ほっとくとネグレクトになると予想してるから福祉に相談にいった。
・兄は精神科へはいかない。暴れている本人は全く困ってないから。これも一部のパーソナリティ障害のやっかいさの特徴。
・警察に突き出すのは、出所後悪い友人を作ってきたり、職につけなくなったり、状況が悪化する可能性があって躊躇してる。家族であるがために戻ってくる。母が縁を切りたがらない。
・自分一人なら逃げる気まんまんで、母をどうするかという問題がある。
・診断名がつくと、俺のような不審者のたわごとじゃなくて権威の言葉になるから、各専門家を説得しやすくなるメリットガある。
匿名じゃないとなかなか相談できない。リアルだとみんな巻き込まれないと逃げていく。俺の人間関係も壊れてしまう。
精神科医が否定ばかりで選択肢をガンガン潰していくのには驚いたし、絶望もしたけど、こうやってたくさんの意見がもらえて、不可逆な決断をするまえにいろいろ検討することができるよ。
Permalink |記事への反応(36) | 11:13
前提として、彼らが子供を作るのはシンプルに生産力のため。労働力として期待されている。現実的な問題として、子供まで働かせないと一家を養えない。子供を働かせると教育機会が失われるので大人になった後も高収入の仕事に就けずやっぱり子供の労働力に期待するしかない、という再生産の問題もある。
(そんなわけで、増田の示したデータは非常に胡散臭いが、それはそれとして人口が爆発している国のIQ(世界全体での平均を取る場合)はまぁ実際に低いだろう。それはどちらかというと原因ではなく結果なのだが)
労働力としての子供が4人必要だとして、死亡率を考慮して期待値で4人生存するように子供を作ると、無視できない確率で一家全員が死ぬ事になる。例えば「95%の確率で子供が4人以上生存するように」みたいな計算で子供を作る場合、実際に生き残る子供の数の期待値は4よりも大きくなる(これは「合理的な判断」であり、例えばアイビーリーグ出身の経営者が途上国に異世界転生して最新の統計データを元に判断しても同じ結果にしかならん)。だから死亡率の高い国では人口は増加傾向になるし、その対策は児童死亡率の低減(必要な数だけ産めばオッケーにする)や農業生産性の向上(4という数字を下げる)や教育(家族全員を大人2人で養えればいい)になる。
論理的に避け得ない帰結なので、子供の死亡率が同じなら日本でも起きるだろう。というか起きた。出生率と死亡率は、大体どこの社会も「多産多死」から「多産少死」を経て「少産少死」に至る。実際の死亡率が下がってから、社会全体の意識が変わるまでには時間が必要という事だ。日本の場合、明治時代の初期あたりまで多産多死、その後1960年代くらいまでが多産少死で、それ以降は少産少死になっている(日本の場合、多産少死時代の人口ボーナスをいい感じに生産力に転換できたからこその高度成長期、という流れ。識字率って大事なんすねぇ)。温帯とかいうベリーイージー難易度国家生まれなのに100年近く多産少死やってた日本国民が、なんでベリーハード難易度プレイヤーをドヤ顔で批判してんだよ、という話。恥を知れ恥を。
言うまでもなく、一番急速に人口が増加するのは「多産少死」段階の地域。現在で言うと、発展途上国でもまぁマシな方の地域が該当する。本当にやべー国はまだ「多産多死」段階なので人口がそこまで急激に増加はしない。全世界的に、90年代に比べれば急速にマシになってはきている。
異次元の少子化対策が求められている、岸田令和日本である。しかし、具体的には、どのような対策が有効なのか。
対策の効果を測定するためにも、出生率と結びつきが強く、しかも、分かりやすい指標が求められている。
そこで、今回は、世界経済フォーラムが発表する、ジェンダー・ギャップ・ランキングに注目したい。
ジェンダー開発学の分野では、ジェンダー・ギャップ・ランキングの順位が高い国で、ジェンダー平等が達成され、
女性が子育てと社会進出を両立しやすく、結果的に、少子化も改善されていることが知られている。
日本の少子化対策についての記事の中で、ジェンダー・ギャップ・ランキングの順位の低迷と、
例えば、次の記事では、題名の中にジェンダー・ギャップ・ランキングの順位と出生数が盛り込まれている。
ジェンダーギャップ121位、出生数90万人以下の日本で、女性たちの未来への備えとは
https://woman.nikkei.com/atcltrc/blog/shirakawatouko/post/dddad1acb2e14d2a9ad1acb2e1cd2a4b/
更に、次の記事では、ジェンダー分野の専門家の対談の中で、GDPや労働生産性と共に出生率、そして、
ジェンダー・ギャップ・ランキングの順位の恥ずかしさについての問題が指摘されている。
ジェンダー指数から、いわゆる、ジェンダー・ギャップ・ランキングの順位が計算される。
上野千鶴子×酒井順子「単身世帯は38%、最も多い家族の姿に。1985年から86年は『女・女格差』元年。女性が3分割された結果、中高年女性単身者の貧困が生まれた」
酒井 2022年の日本のジェンダー指数は、世界146ヵ国中116位。それを永田町のおじさんたちは、恥ずかしいとは思っていないんでしょうね。国際会議に出席する日本代表が男性だけでも平気でいられる。
酒井 出生率も落ちる一方。出生率が高いのは、共働きでケアの公共化がされている場合だと海外ではデータがはっきり出ているのに、なぜ変えようとしないのでしょう。
上野 おじさんたちが合理的選択をしないのは、ホモソーシャルな組織文化を守りたいからだとしか私には思えません。ホモソーシャルな集団のなかで、男として認められたい。そのためには自己犠牲もいとわない。
上で紹介したような関連性の指摘のみならず、実際に、ジェンダー・ギャップ・ランキングや、
類似する、ジェンダー・ギャップを示す指標と、少子化の関係性の分析もなされている。
https://news.yahoo.co.jp/byline/shirakawatoko/20211029-00265552
日本のジェンダーギャップと少子化。この二つはリンクしているとずっと言い続けてきた。日本は世界経済フォーラムが算出するジェンダーギャップ指数では156カ国中120位と先進国では最下位。下から数えた方が早い。先進国に限ってはジェンダーギャップ指数と出生率がリンクしていることがOECD(経済協力開発機構)の分析でわかっている。
2020年4月の内閣府政策統括官(経済社会システム担当)の資料には、「ジェンダーギャップ指数が高い(男女格差が少ない)ほど、出生率は高まる傾向」を示すグラフが掲載されている【図1】。女性が社会進出をすると一旦は少子化になるが、その後回復するかどうかは、ジェンダーギャップをいかに埋めるかにかかっている。
ところが、冒頭のツイートの図にあった通り、他の先進国では事情が違います。女性の社会進出と出生率が相関関係にあるのです。なぜかというと、女性の社会進出と子育てが、トレードオフの関係になっていないからです!
子どもが生まれたら、パートナーたる男性も、当事者としてしっかり家事育児にコミットします。これだけでも、女性の負担はケタ違いでしょう。みての通り、男性の家事育児の負担割合が高い国ほど、出生率が高いのがわかります(我が国は定位置の左下)。
しかし、ジェンダー・ギャップ・ランキングの話をすると、クソリプと呼ばれる意見が寄せられたり、
指標のことに異論を挟む声も、少なくない。そこで今回は、改めて白黒はっきりつけ、
ジェンダー・ギャップ・ランキングが少子化を説明できる、卓越した指標であることを示す。
Fertilityrate,total (birthsperwoman) -World Bank Data
ジェンダー・ギャップ・ランキングは、次の、同じ2020年のデータを使う。
https://www.weforum.org/reports/gender-gap-2020-report-100-years-pay-equality/
どちらにも掲載されている、153か国のデータを使って、ジェンダー・ギャップ・ランキングと、
CountryName | GGIRank | GGIScore | Fertilityrate,total (birthsperwoman)2020 |
| Iceland | 1 | 0.877 | 1.72 |
| Norway | 2 | 0.842 | 1.48 |
| Finland | 3 | 0.832 | 1.37 |
| Sweden | 4 | 0.82 | 1.66 |
| Nicaragua | 5 | 0.804 | 2.349 |
| New Zealand | 6 | 0.799 | 1.61 |
| Ireland | 7 | 0.798 | 1.63 |
| Spain | 8 | 0.795 | 1.23 |
| Rwanda | 9 | 0.791 | 3.873 |
| Germany | 10 | 0.787 | 1.53 |
| Latvia | 11 | 0.785 | 1.55 |
| Namibia | 12 | 0.784 | 3.349 |
| Costa Rica | 13 | 0.782 | 1.555 |
| Denmark | 14 | 0.782 | 1.67 |
| France | 15 | 0.781 | 1.83 |
| Philippines | 16 | 0.781 | 2.777 |
| South Africa | 17 | 0.78 | 2.401 |
| Switzerland | 18 | 0.779 | 1.46 |
| Canada | 19 | 0.772 | 1.4 |
| Albania | 20 | 0.769 | 1.4 |
| United Kingdom | 21 | 0.767 | 1.56 |
| Colombia | 22 | 0.758 | 1.737 |
| Moldova | 23 | 0.757 | 1.77 |
| Trinidad and Tobago | 24 | 0.756 | 1.631 |
| Mexico | 25 | 0.754 | 1.905 |
| Estonia | 26 | 0.751 | 1.58 |
| Belgium | 27 | 0.75 | 1.55 |
| Barbados | 28 | 0.749 | 1.628 |
| Belarus | 29 | 0.746 | 1.382 |
| Argentina | 30 | 0.746 | 1.911 |
| Cuba | 31 | 0.746 | 1.5 |
| Burundi | 32 | 0.745 | 5.177 |
| Lithuania | 33 | 0.745 | 1.48 |
| Austria | 34 | 0.744 | 1.44 |
| Portugal | 35 | 0.744 | 1.4 |
| Slovenia | 36 | 0.743 | 1.6 |
| Uruguay | 37 | 0.737 | 1.477 |
| Netherlands | 38 | 0.736 | 1.55 |
| Serbia | 39 | 0.736 | 1.48 |
| Poland | 40 | 0.736 | 1.38 |
| Jamaica | 41 | 0.735 | 1.358 |
| Bolivia | 42 | 0.734 | 2.651 |
| Lao PDR | 43 | 0.731 | 2.541 |
| Australia | 44 | 0.731 | 1.581 |
| Zambia | 45 | 0.731 | 4.379 |
| Panama | 46 | 0.73 | 2.344 |
| Zimbabwe | 47 | 0.73 | 3.545 |
| Ecuador | 48 | 0.729 | 2.051 |
| Bulgaria | 49 | 0.727 | 1.56 |
| Bangladesh | 50 | 0.726 | 2.003 |
| Luxembourg | 51 | 0.725 | 1.37 |
| Cabo Verde | 52 | 0.725 | 1.908 |
| United States | 53 | 0.724 | 1.6375 |
| Singapore | 54 | 0.724 | 1.1 |
| Romania | 55 | 0.724 | 1.6 |
| Mozambique | 56 | 0.723 | 4.713 |
| Chile | 57 | 0.723 | 1.537 |
| Honduras | 58 | 0.722 | 2.394 |
| Ukraine | 59 | 0.721 | 1.217 |
| Croatia | 60 | 0.72 | 1.48 |
| Bahamas, The | 61 | 0.72 | 1.394 |
| Madagascar | 62 | 0.719 | 3.918 |
| Slovak Republic | 63 | 0.718 | 1.57 |
| Israel | 64 | 0.718 | 2.9 |
| Uganda | 65 | 0.717 | 4.693 |
| Peru | 66 | 0.714 | 2.216 |
| Venezuela, RB | 67 | 0.713 | 2.23 |
| Tanzania | 68 | 0.713 | 4.795 |
| Bosnia and Herzegovina | 69 | 0.712 | 1.359 |
| North Macedonia | 70 | 0.711 | 1.3 |
| Montenegro | 71 | 0.71 | 1.75 |
| Kazakhstan | 72 | 0.71 | 3.13 |
| Botswana | 73 | 0.709 | 2.836 |
| Georgia | 74 | 0.708 | 1.971 |
| Thailand | 75 | 0.708 | 1.341 |
| Italy | 76 | 0.707 | 1.24 |
| Suriname | 77 | 0.707 | 2.371 |
| Czechia | 78 | 0.706 | 1.71 |
| Mongolia | 79 | 0.706 | 2.9 |
| El Salvador | 80 | 0.706 | 1.819 |
| Russian Federation | 81 | 0.706 | 1.505 |
| Ethiopia | 82 | 0.705 | 4.243 |
| Eswatini | 83 | 0.703 | 2.89 |
| Greece | 84 | 0.701 | 1.34 |
| Indonesia | 85 | 0.7 | 2.194 |
| Dominican Republic | 86 | 0.7 | 2.303 |
| Vietnam | 87 | 0.7 | 1.955 |
| Lesotho | 88 | 0.695 | 3.049 |
| Cambodia | 89 | 0.694 | 2.381 |
| Malta | 90 | 0.693 | 1.13 |
| Cyprus | 91 | 0.692 | 1.328 |
| Brazil | 92 | 0.691 | 1.649 |
| Kyrgyz Republic | 93 | 0.689 | 3 |
| Azerbaijan | 94 | 0.687 | 1.7 |
| Brunei Darussalam | 95 | 0.686 | 1.796 |
| Cameroon | 96 | 0.686 | 4.543 |
| Liberia | 97 | 0.685 | 4.174 |
| Armenia | 98 | 0.684 | 1.575 |
| Senegal | 99 | 0.684 | 4.454 |
| Paraguay | 100 | 0.683 | 2.497 |
| Nepal | 101 | 0.68 | 2.055 |
| Sri Lanka | 102 | 0.68 | 2 |
| Fiji | 103 | 0.678 | 2.495 |
| Malaysia | 104 | 0.677 | 1.818 |
| Hungary | 105 | 0.677 | 1.56 |
| China | 106 | 0.676 | 1.281 |
| Ghana | 107 | 0.673 | 3.623 |
| Korea, Rep. | 108 | 0.672 | 0.837 |
| Kenya | 109 | 0.671 | 3.397 |
| Belize | 110 | 0.671 | 1.999 |
| Sierra Leone | 111 | 0.668 | 4.08 |
| India | 112 | 0.668 | 2.051 |
| Guatemala | 113 | 0.666 | 2.484 |
| Myanmar | 114 | 0.665 | 2.174 |
| Mauritius | 115 | 0.665 | 1.44 |
| Malawi | 116 | 0.664 | 3.995 |
| Timor-Leste | 117 | 0.662 | 3.247 |
| Angola | 118 | 0.66 | 5.371 |
| Benin | 119 | 0.658 | 5.048 |
| United Arab Emirates | 120 | 0.655 | 1.46 |
| Japan | 121 | 0.652 | 1.34 |
| Kuwait | 122 | 0.65 | 2.14 |
| Maldives | 123 | 0.646 | 1.712 |
| Tunisia | 124 | 0.644 | 2.114 |
| Guinea | 125 | 0.642 | 4.489 |
| Vanuatu | 126 | 0.638 | 3.778 |
| Papua New Guinea | 127 | 0.635 | 3.274 |
| Nigeria | 128 | 0.635 | 5.309 |
| Burkina Faso | 129 | 0.635 | 4.869 |
| Turkiye | 130 | 0.635 | 1.917 |
| Bhutan | 131 | 0.635 | 1.433 |
| Algeria | 132 | 0.634 | 2.942 |
| Bahrain | 133 | 0.629 | 1.832 |
| Egypt, Arab Rep. | 134 | 0.629 | 2.96 |
| Qatar | 135 | 0.629 | 1.816 |
| Gambia, The | 136 | 0.628 | 4.777 |
| Tajikistan | 137 | 0.626 | 3.237 |
| Jordan | 138 | 0.623 | 2.873 |
| Mali | 139 | 0.621 | 6.035 |
| Togo | 140 | 0.615 | 4.323 |
| Mauritania | 141 | 0.614 | 4.455 |
| Cote d'Ivoire | 142 | 0.606 | 4.472 |
| Morocco | 143 | 0.605 | 2.353 |
| Oman | 144 | 0.602 | 2.687 |
| Lebanon | 145 | 0.599 | 2.103 |
| Saudi Arabia | 146 | 0.599 | 2.465 |
| Chad | 147 | 0.596 | 6.346 |
| Iran, Islamic Rep. | 148 | 0.584 | 1.708 |
| Congo,Dem. Rep. | 149 | 0.578 | 6.206 |
| Syrian Arab Republic | 150 | 0.567 | 2.798 |
| Pakistan | 151 | 0.564 | 3.555 |
| Iraq | 152 | 0.53 | 3.551 |
| Yemen, Rep. | 153 | 0.494 | 3.886 |
時代遅れだ非効率だ体質が古い、とまぁさんざん言いたい放題のブコメだけど
そういうブコメを見ると
「ほならね、自分で女性でも働きやすい生産システムを作り上げてトヨタに勝ってみろって話でしょ?そう私はそう言いたいですけどね。」
って心の中のsyamuさんがささやくんだよな
日本の風土が悪いから~政治が悪いから~っていうなら外国でやってもいい
良い悪いは置いておいて、男の体力を買い叩いた結果として、我々は高品質低価格な商品・サービスを享受できるんだよ(もちろん自家用車を持たない人間もタクシーやトラックによる物流を利用してる時点でね)
だからこそ、選挙に行く・行かないというのは道徳の問題に近いんじゃないかな。
あなた1人の視点から見て、「投票場に行き、紙に書いて、1票を入れる」という手間(コスト)に対し、
「あなたの投票した1票が選挙結果に影響を与える確率」というのはほとんどゼロに近いです。
もちろん、「俺の1票で政治が変わるんだ!」と強く信じている人にとっては、(その人にとって)1票の重みは大きくなりますが、
客観的事実をもって自分の1票の重みを見積もっている人にとっては、投票行動はほとんど無駄な行いといってもいいでしょう。
ここで重要なことは、投票率を上げるための呼びかけが盛んにおこなわれていますが、いくら呼びかけたところで
「「私の入れる1票が選挙結果に与える確率はゼロだ」と考える、合理的な人間」を投票に向かわせることはできないということです。
「投票者を考えて選ぶんだ」とか、「将来のために投票しよう」とかの呼びかけは、一個人の投票行動が意味を持つという前提からしか始まらず、
だからこそ合理的人間にとってそれは、考えても意味のないことでしかありません。そもそも、選ぶことができないんですもの。
「あなたの1票が政治を変えるんです!」なんてサイアクです。それはウソですから。
あなた一人の投票行動に意味はありませんが、実際に投票率が低いこと自体はよくないことです。
この投票率の低さが起こす問題自体は多くの人が分かっていると思っています。
もし全員が合理的判断をして投票率が0になれば、ほんの数人が結託しただけで、その数人以外の全員が不利益を被ることになります。
(「ミクロな個人がそれぞれ合理的選択をした結果、マクロでは全員が損をする」みたいな用語ありませんでしたっけ。誰か教えて)
合理的人間は投票しない、けれど、全員が投票しないとそれはそれで困る。
どうしたら解決できるのでしょうか。
例えば、選挙特番はどうでしょう。投票しないより、誰かに投票したほうがより楽しく見られるのではないでしょうか。
馬券を買った方が競馬のレースを楽しく見られるのと似ていますね。
自分がかかわった物事の結果を見ることは楽しく、この「楽しさ」を上げるメリットが投票のコストを上回る可能性はあります。
他にも、「選挙は推し活」なんて広告がありましたね。あれも応援したい候補に票を入れたという満足感を上げる狙いがあると思います。
(そもそも可愛いアイドルと違って、常に少し怒っているオジサン・オバサンをどこまで「推せ」るかという話もありますが)
投票によって上がる楽しさや満足感は、投票のコストに対して上回るかどうかギリギリくらいだと思います。
もちろん人にとってはそんな楽しさ・満足感なんでゼロに等しいよという人もいるでしょう。
そうなってくると、投票うんぬんについては、合理性で考えるのではなく、もはや道徳の問題にするしかないと思うのです。
みんなでこの価値観を持つより他に投票率を上げる方法はない気がしています。
投票行動がいかに道徳的に正しい行いであるかを、どれだけ広められるかにかかっています。
「選挙に行こう!」の呼びかけの多くが道徳的な価値に訴えかけるものなのは、こういう理由からなのでしょうね。
※蛇足ですが、一応、誤解のないように言っておくと、私は決して「選挙に行かないのが賢い、だから投票なんて非合理的なことをするのは馬鹿だ」
などと言っているわけではありません。そう思ってしまうなら、「合理的行動は賢い行いだ」という価値観に毒されすぎです。
主観的な1票の価値を高く見積もっていようがいまいが、自分の道徳観に照らし合わせ、自分で考えた上で票を入れたとしたら、
それは投票した人にとって間違いなく清い1票ですし、そのことは尊いことだと思います。
Permalink |記事への反応(15) | 21:29
じゃあ、相手が君のことを好きになっても「将来君以外の人を好きになる可能性もあるから付き合えない」って言って断るの? それは相手を傷つけることにならないと?
結局のところ「相手を思いやってる風」に言っていても、君は本当はただ「自分」のリスクテイクをしているだけなのでは。
結婚って、別に100%自分のためにするものではないでしょ。たとえばボランティアって「自分個人」だけを基準に見たら不合理な活動だけど、社会全体とのかかわりの中の私、という立場からみるから、そういう存在も必要であり不可欠であると分かってくるようなものだよね(単純な、漠然とした「善」概念でやってたら、長続きしないか宗教になるしかないよね。あるいは「自己満足ですっ」って開き直るか。)。合理的選択としてボランティアに取り組む人にとって、基準は「個人」ではなく「社会」にある。これは、自己の定義を「自分」と言う個人の殻の外へと拡張しないと、理解できないことだよ。局所局所における部分最適(個人の利益の最大化)の総和は必ずしも全体最適(社会全体の利益)にならない。ミクロでもなくマクロでもない中ぐらいのサイズを基盤にするとき、そういう現象が発生するよ。たとえば近所の公園の清掃をどうする、ぐらいのサイズのときね。
同じように、結婚も、自分より尊重できるだろうと思える他人が現れて、その人が自分との未来を望むとき、その「二人の未来」のために自分の人生を賭けてもいいなと思うから結婚するのであって、「自分個人」という殻の中でものを考える限り結婚が合理的選択に見えないのは当たり前だと思う。あ、別にそれがいいとか悪いとか偉いとか偉くないとかいう話をしたいんじゃないからね。そうではなく、あなたが結婚というものを理解できないとしたら、それは結婚する人と自分とではそもそも前提としているものの見方が違うのかもしれない、と考えてみてはという話。
満員電車なんじゅっぷんも乗るんだったら俺だったら原付で通うけどなあ
よっぽどの都心の一等地じゃないかぎり駐輪所くらいさすがにどうにかなるでしょ
追記。なんか伸びてんな。なんでだろう。
ツリーのとちゅうから俺に成り代わって会話してる奇人もいるけど...まあそういうのをどうにかする手立てはない。
コロナで「満員電車」がタイムリーだったのはあるかな。そんなん考えなかったけど。
そもそものソボクな疑問をもういちど。
バイクって減る一途なんだよね。
(それを嘆いてるわけでもなんでもない)
でも満員電車から逃れるためならわりとなんでもするぜっていう俺みたいなのが他にも一定数居て、通勤用の需要で局所的に息の長い小ブームが起きたりしてもおかしくない。
現存の駐車場オーナーが通勤バイクギッチギチに詰め込む業態に商機見いだしてもおかしくないだろう。
でもそういう話はとんと耳に入らない。
そういう動きが現実にないならないだけの理由があるだろう、その理由とはなんだ?
という、そんだけの話。
トラバコメ、ブコメ群もざっと読んだ(だいたい内容重複してるし)。「ほーん。まあ、だろうね」という感想。意外性はなかったが、お答えありがとう。
普段よく目にする、こいつキッモと思ってた有名ブクマカとかのコメントもあって、なんか運気下がった気がする。あ、ゼブラとかのことな。
俺が何やら「みんなが原チャリ通勤するべきだ」とか「電車よりバイクのほうが合理的選択だ」とか世にもの申してると思い込んでかみついてくる白痴も多いが、まあこの界隈に白痴が多いのはワカりきってることなんで。
基本的にはワカりきったことしか起きてないのだが、一部の人のアツさがちょっとよくわからない。
自分でいうのもなんだが、どうこねくっても広げしろのないつまらん話だと思うけどな。
手ワルサレベルの書き込み。本気で書くときもあるが、これについてはなんも思い入れはない。
何がお前らの関心を惹いたんだ?
再追記。そんなに深刻にマスクないマスクほしいってならハンカチとか手拭い、あと髪ゴムでも使って自作すりゃいいじゃん? 10分とかかんねーぞ
という、わりと体重乗った「?」は誰の関心も惹かない。なぜだ
Permalink |記事への反応(25) | 08:08
かっこいいな
だけど、人間は必ずしも合理的に判断をすることは無いという研究もある事についてはどうなんだろう
果たして合理的理由を見出して、彼女と過ごすだろうか、オナニーをするのだろうか?
自分のなかで解明されていない合理的な理由が、徹底的ルーチン的な取捨選択から見いだせるのだろうか。
新たな知見を追い出して生活する事に何か発見があるのだろうか?
もちろんこの理屈では、すぐ元に戻さない理由にはそのまま同様な理屈で反論できる。
だがしかし、私が不満になるのは、彼の想う合理的選択がたった一つの真理かのように妄信しているように思えるのだ。
一方で、イチローを代表する一流階層にはそういった合理的取捨選択から、ある特定の技能を最大限発揮する人も多い。
だが、イチローを例に挙げれば、目的が限定的かつ、他者との親和性に配慮があるところが本件とは違う。
他者から見る自分について省みない事について、何か不合理な問題が生じていないのだろうか?
とかそれっぽく言っちゃったりして
人生の攻略が順調な人にとっては、そこに何ら疑問も浮かばないのだろうけども、順調じゃない人にとっては馬鹿馬鹿しくてバトンをへし折りたいことは多い。
誰かが言ってたけど、俺らの世代って「シーソーを端から端まで歩いていくような人生だよね」って。最初のほうは先が上ってて希望が見えるけど、真ん中らへんで急にバタンってなって未来の先行きが下がったよね。
→いや俺は結婚とか無理だから祝儀を受け取る機会が無いし、払うばっかりで損するばかりじゃん。仮に結婚したとしても式とか挙げるカネないし。祝儀だけ集金するの?
→いや俺が末代だし。俺が祝う子とか設けられないし。年金制度は崩壊するから、俺が老いぼれたその時代の子供から社会的に支えられるとは限らないよね。現代それが重すぎてひどいことになっているのだから、それが是正される未来では、老いぼれの俺が若者から搾取できるリソースは減るだろう。
搾取・カモ・としての目線抜きで、大人は社会的に子供の存在に対し希望が見いだせるかどうか。それが問われている。
→感謝できるような父を持つことのできた幸運な人生に感謝すべきだよね。持てた人は良かったね。
→感謝できるような母を持つことのできた幸運な人生に感謝すべきだよね。持てた人は良かったね。
本質的に感謝すべきは父母に対してではなく、幸運に対してだよね。
→いや既に現代ですら老害と呼ばれ敬いリティ(リスペクティビティ?)がとても低くなってるのに、今後はどんどんそれが低くなっていくわけで、俺が老いぼれたとき敬われないことが確定してるのになんで敬わなきゃならないの?
→これも結婚式と被るけど、自分は式をやらない、やってくれるような親類もカネもないのに、なんでそんなに包まなきゃならないんだ・・。
ナウなヤングはみんな東京いってそのまま田舎へ戻らないし。お坊さんを呼べば檀家に入るとか墓を守るとかあるけどそんなん無理な人が増えていて、守られなくなる家、墓、檀家、増える一方でしょ。
「墓じまい」が増えて集合墓地が増えてる。ワイのパッパも樹木葬いう集合墓地の枠を確保済み、実家はリバースモーゲージやで。
→タバコ臭いから行きたくない・・。メリットが薄い。功労賞でチームに対して出たお金とか、なんで飲み会にしか使わないの。高級なオフィスチェアを買うとか、空気清浄機買うとか、ドクターペッパー箱買いして飲み放題にするとか他にもあるでしょ。
→若いころ苦労すればトシとってからラクできる。だから辛酸舐めて生きてきた。年金は払った以上に貰えるし、敬われるし、無能でも出世できる。
そう信じて生きてきて「実際ラクできた」逃げ切り世代はうらやましいよね。
「ラクできそう」が揺らいできた、老害扱いされる「逃げ遅れ世代」。
未来は続かない。
正直な所、自分も結構前に一度危うい時があって、その危機を抜けて様々な見解を見聞きした結果、何となく方法が分かったので一応書いておこうと思う。
そもそも「自殺する理由」なのだが、一部の例外を除いた大半は「面倒くさくなった」ということだと思う。
つまり、「上手く行く方法が思いつかなくなった」というか、「自分の能力ではもうやっていけない感じ(例えば、状況が複雑になりすぎて/難易度が上がりすぎてやっていけない)」ので、八方ふさがり感を感じて、「もう死ぬしかない(死ぬ方が合理的選択である)」という結論に達し、自殺に成功した人が自殺するのだと思う、大半の場合は。
また、漫画というのは中々世の中の真実を捉えている面もあって、「グリーンヒル」の「要するにだ オレが思うに人類最大にして最強の敵は”めんどくさい”だ」や、「北斗の拳」の「息をするのも面倒でいやだ」(よって、死ぬしかない、となる。実際、この後ケンシロウに殺される訳だが)の様な名台詞がある。
「うん。原因は分かった。では対策は?お前も批判だけしかしないタイプ?」と言われそうだが、これに対する対策はヒント1は漫画に、ヒント2はゲームにあった(自分の場合は、だが)。
最初にヒント1だが、「ジョジョの奇妙な冒険」に「逆に考えるんだ」という名台詞があるが、まず、その発想が必要なのだと思った。
「面倒くさい」の逆は、「簡単」じゃないか?と言われるかも知れないが、それは安易な考えであり、もう一段深く考える必要があると思う。
もう一つのヒント2の方は、ゲームの話と言うよりゲーマーの話である。
ゲーマーと言えば、ウメハラが多分一番日本で有名だが、彼の著書に「1日ひとつだけ、強くなる。 世界一プロ・ゲーマーの勝ち続ける64の流儀」という本がある。
別に内容は好きな人が読めばいいと思うが、「1日ひとつだけ、強くなる」というタイトルが全てを語っていると思う。
何が言いたいのか?
「面倒くさい」の路線を行くとどうなるか?「自分が取れる行動(選択肢)が減っていく」という話になると思う。
その路線で行き着く所まで行き着くと、一時期話題になった「ボトラー(空のペットボトルに小便をする引きこもり)」になったり、最終的には「息をするのも面倒でいやだ」になったりする。
ウメハラの考え方はその考え方とは全く逆だ。
「自分が出来る行動(選択肢)を意識的に増やしていく」という考え方だ。
例えば、「昨日までは卵焼きしか作れなかったが、今日はハムエッグが作れるようになった」みたいな考え方が重要なのでは無いか?と思う。
「人生をその場凌ぎのアクションゲーム的にでは無く、RPG的に考える」というか、「RPGのキャラクターでは無く、自分自身のどのスキルツリーを伸ばしていくか?を考えると結構人生も面白くなるのではないか?」と思う(ちなみに、それをやり続けると「自分のスキルを伸ばすスキル」というメタスキルも手に入る)。
http://anond.hatelabo.jp/20160421102122
Fランクだけど限定的にはSSランクのようなラノベが売れ筋なのか考えたことは増田くんはあるかい?
答えは簡単さ。
かといって諦めるという合理的選択すら選ぶことのできない存在だ。
文学書でもなくSF作品でもなく推理小説でもなく絵本でもなく自己啓発書でもなくゴシップ誌や新聞でもない
ライトノベルを愛読する彼らの心の根底にあるもの、それは『満たされることのない承認欲求』さ。
彼らの灰色の学生生活の命綱として役目を果たしてきた…ま、そんなところかな。
なぜ売れ筋のライトノベルの購読層が中学生から高校生に留まらず、
悲しいかな…学校というコミュニティを抜けても今度は会社というコミュニティで
満たされない承認欲求と自分の努力をしない欲望を満たすためにライトノベルを頼るというわけさ。
消費者である彼ら弱者の要望に応えるために作品が似たり寄ったりになることは
君の嫌う根拠のない優位性を前面に出した作品がビジネス的な価値を獲得するのさ。
どうだい?
増田くんにも、少しは見えてきたんじゃないのかなあ…?
基本何も考えたくない人だけど、何かに躓いてると考えずにいられないから理屈っぽい人間になってしまった。本を読む時に意味がわからない語句を調べるように、おかしなシーンや思うところがあるシーンがあると読書を中断して考え事にふけるように…僕は生きてる。だから、自分から見てもめんどくさい
勝ち負けにこだわってるのではなく、勝たないと何かを考えないと行けなくて、勝つと何も考えず、あるがままでいられるだけなんだよ…。正直言って僕は自分のブログが変わってるとか唯一無二のものだなんて全く思ってない。思ってないから極端な趣味や病気の話で個性を出そうとしてしまったぐらいだ
ストイックなのでも、真面目なのでも卑屈なのでもなく、ただ、自分の快楽と正義感と好奇心がもっとも心地良いと感じた場所に行こうとするとそうなってしまうだけのことだ。そんな自分がめんどくさい。嫌いはないし、無価値だとも思わないが、損をしてるし最適解だともとても思えない
なんで文系やってるんだろう…美意識や好奇心を突き詰めていく人間であるということは理系か芸術系のほうが絶対向いてた。才能で突き抜けるのが狭き門になるから僕ごときが天才達に勝てたかと言われるとたぶん無理だったろうけど、今ほど生きづらくはならなかっただろうね
「僕は僕を貫いてるけど、僕を貫くほどめんどくさく、僕の立ち位置と存在と願望とエゴが矛盾に満ちて行く…」
あーわかった。J-popって自分が女の子と会った時にベストな自分を作れなかったこと、性欲としたい恋愛やイチャラブが噛み合わないこと、自己選択と合理的選択の間で生じる自己矛盾に対する自己嫌悪なんだ!!納得。納得したから寝よう。今日はツイッターすればするほど中ニポエム垂れ流すから
結婚も住宅購入も、ある種の投資だ。この投資は、一度行うと、その後の選択肢が一定程度制約される。
したがって、「自由でありたい」「身軽でありたい」「将来の状況変化に柔軟に対応したい」ということを重視するのであれば、あまり合理的選択肢とは言えない。
また、一概には言えないが(結婚の場合共働きなら家賃等が節約できるということがあるし、住宅にしても不動産価格上昇の可能性はある)、それをしないという選択肢に比べて、経済的なリスクを負うことになる可能性が高い。
しかし、経済的なデメリットの反面、経済以外の点でのメリットもある。
一つは、自分の帰る場所、拠点を持つことによる安心感や、一つのことに長期的にコミットすることによる満足感である。これにより、経済的指標では測りきれないメリットがある、と感じられる場合には、多少経済的なリスクをとってでも実行するということになるであろう。しかし、実行したからといってこのような安心感や満足感が得られるかどうかは、やってみないとわからない。一種の賭けだ。しかも、結婚についても、住宅についても、実行したらそれだけでずっと自動的に安心感や満足感というメリットを享受できるわけではなく、絶え間ないメンテナンスが必要である。
また、少なくとも現在の日本では、結婚または住宅購入により、一定の社会的評価を得られやすい傾向はあるだろう。
もっとも、結婚または住宅購入がどの程度社会的評価につながるかは、当人の置かれている環境による。こちらは、安心感や満足感というメリットに比べて、あくまでサブのメリットだと思う。
これは、個々人の価値観次第としかいえないが、個人的には、「失敗するかもしれないが、もし機会に恵まれたのなら、経済的なリスクにとらわれず、やってみればいいのではないか」と思う。
結婚にしても住宅購入についても、本当にどうしても合わなかったら、解消する道がないわけではないのだ(経済的な損はするかもしれないけど)。
本当にリスクを避けて効率的合理的に生きたいと思ったら、それはずっと単身で、なるべく安くて立地のいい賃貸住宅に住み続けるのがよいのかもしれないけど、致命的ではない程度のリスクをとって何かに挑戦してみるというのは、それはそれで(失敗した場合にはその失敗の過程も含めて)得難い経験になるのではないかと思う。だから、もし機会に恵まれていて、しかし将来のリスクを考えて迷っているのであれば、やってみたらいいだろう。どうせいつかは死ぬんだし、それは明日かもしれないんだから、あまり失敗した時のことを考えて足踏みするのはもったいない。
他方で、特に「これだ!」という機会に恵まれなかったら、無理に結婚や住宅購入というところで大きな賭けをする必要はないだろう。
一番馬鹿馬鹿しいのは、自分では納得していないのに、周りに流されて、しなくてもよい大きな賭けをしてしまい、かつ失敗することだ。
結婚や住宅購入は、一般的には、他のことへの投資に比べると、リターンを得られる可能性が高い投資として見られてきたように思う。
しかし、納得していないのに実行した場合は、安心感や満足感という、本来の大きなメリットは得られにくいだろう。社会的評価というサブメリットだけのために実行するには、賭け金が大きすぎるように思われる。