
はてなキーワード:合気とは
順不同。異論は認めるよ。
次世代合気道不動のスタープレイヤー。卓越した技術とフィジカルで表現される美しく力強い演武は本当に革新だったよ。合気道が持つ胡散臭さを過去のものにしようとしてるし、その姿勢は業界の内外問わず多くのフォロワーを生み出してるよ。Youtubeの動画はしょぼい稽古やってるおっさんからすると「もう…もうやめて」ってなりがちだよ。
開祖最後の内弟子。美麗で柔軟なフォームは00年代に田舎のおっさんの道場でも話題になってたし、お手本にしてたよ。今は好々爺が忖度した弟子相手に人間バスケしてる感があるっちゃあるけど、やっぱり手足の裁きや位置取りを見てると、怖いなこの人って思うよ。
キレがすごい
大阪武育会のトップ。絶妙な間合いとタイミングのコントロールで、瞬時に相手を「取って」しまう技は圧巻。競技合気やってる昭道館との技術的な関わりも深いみたいで、合気会では失伝したようなレア技もバンバン出てくるから見てて勉強になるよ。
歩く教則本四代目。実直な演武や、メディア露出の少なさから白川竜次の後塵を拝していると揶揄されがちだけど、その下半身の尋常じゃない強さを活かした正確でしたたかな技はやっぱり見てて唸ってしまうよ。次期道主に対して失礼な感想かもだけど、類稀な合気道家だと思うよ。
5.ミハイ・ドブロカ(不明/横浜合気道・五段)※合気道を始めたのは2002年
白川竜次のYoutubeチャンネルにもちょいちょい出てくるフィジカルお化け。受けでも取りでもこの上なく綺麗なフォームで力強い合気道をするよ。動きが大げさでキライっていう人もいるけど、あんな動きマネできない事だけは確かだよ。
Explosive Aikido Movement — Power and Control!
6.岡本洋子(不明/京都合気道・八段)※合気道を始めたのは1978年
練り練りおばちゃん。男性がやる力強い合気道とは一線を画した練りに練って技を収斂させる、もはや発明にも近い合気道には驚愕するよ。木村二郎やクリスチャン・ティシエとおんなじタイミングで八段になったみたいだけど、国内での影響力は頭一つ抜けてるんじゃないかと思うよ。
合気道F-lab.の人。もともと福岡の祥平塾でやってらしたけど、今年からフリーになったみたいだよ。動きが柔らかく大きくて、時に鋭い技は本当に見ていて勉強になるし、多くの稽古者が言語化できなかった事を言葉にしてくれてるレクチャー動画は、初級上級問わず必携のコンテンツだよ。
タイパコスパ言うわけじゃないけど、熊澤さん世代のトップカテゴリにいる指導者は、「高段者は何をやっているのか」を言語化して説明できる能力が高い人が多いよ。その中でも熊澤さんに関しては説明めっちゃ上手いしフィジカル強いし、身体の柔軟さと合わせた技はホント見事だよ。
本部のやばたにえん修羅。白川竜次を凌駕するとも劣らないフィジカルを活かしたハイスピードでバッキバキの演武。もし合気道の事おじいちゃんが手をかざしたら弟子が飛んでいくもんだと思ってる人がいたら、この人の演武見てみてほしいよ。すごいから。暴力的に見えるから敬遠する人もいるけど、合気道の本質の一面はこれだからね、型稽古やってると忘れがちだよね。
白川竜次を輩出した合気道小林道場出身。一目見ただけでめっちゃやり込んでるって分からせられるフォームと鍛えられたフィジカルに裏打ちされた強くて柔軟な技がピカイチで、一時期めっちゃ参考にしてたけど、全然マネできなかったよ。
以上だよ。
作ってると「あ、あの人も」みたいになっちゃうのも結構あったよ。
やってる側からすると、やっぱり白川竜次がドーンと出てきた中、本部の振る舞いって結構ナイーブなのかなって思ってたりするんだけど、風の噂では本部道場にも「人を触れずに投げてはいけない」みたいなお達しがあるらしいし、全体的にフィジカルを活かした技をしていこうねって流れなのかもしれないね。
あ、あと合気道って何気にサンリオとコラボしてたりするんだけど、あんまり知られてないしTシャツとキーホルダーだけで道着がないの残念過ぎると思ってるよ。
ハローキティ道着作ろうね!ね!
おしまい。
追記=================
半分以上わからなかったけど、生年を追記したよ。リサーチ不足で申し訳ないよ。
誰しもに当てはまる話じゃないんだけど、だいたい初段から五-六段に上がるまでに、15-25年かかるから、五-六段の人はアラフォー~アラフィフの人が多いよ。
ITでも普通にコミュニケーションスキルは必要だけど、それはあくまで「普通の」コミュニケーション
ソフトウェアエンジニアを辞めて全く別の業界に挑戦したいと思っている
ただそれもとりあえず辞めたいという気持ちが先行していて自身の気持ちやこれからの人生どうしたいかがわからなくなっている
最近のインターネットもとい生成AIの流れはいかに生産性を上げて業務を改善するかみたいなことが多いと感じている
昔からインターネットが好きで社会不適合気味でソフトウェアエンジニアになった自分にとってはこの空気感が肌に合わずすごく居心地の悪さを感じている
温かな手作業(笑)で丹精込めて作ったコードというものはどんどん時代遅れになり、いかに生成AIを活用して効率よく生産的に価値を提供するかが大事になってきている
コード記述禁止縛りでCursor触ってみたが本当にソフトウェアエンジニアの仕事って変わっていくんだなという実感が湧いた
15年以上ずっと使い続けていたTwitterも最近は気が滅入るのでもうしばらく見ていない
そもそも生産性が上がるのであれば必要な人材は減っていくだろうし、そもそもインターネット業界の仕事の大半はなくなっても困らないと極端な考えも浮かんできている
それよりかはこれから人材不足が顕著になる分野で高度な技術を今から学び始めるのがいいかなと思っている
なんとなくの次の仕事としては電気系の資格を取って働くというのがぼんやりと頭の中にある
少しぼかしを入れるけどスペックは社会人8年前後、年収900万前後
身近に相談できる人がほとんどいないのと、あまり理解されないことがほとんどなのでここに投げてみた
実際にソフトウェアエンジニアを辞めた人や逆にブルーカラー業界からソフトウェア業界来た人、エンジニアとしてバリバリ生成AI追っている人
お叱りでも、具体的なおすすめ資格でも、引き止めでもなんでもいいからこれを読んで思ったことを教えてほしい
助けてくれ…
Permalink |記事への反応(47) | 02:20
前提、原作未読 改変内容それ自体を良い悪い評価判断することはできない。
けどそれにしたって13話中の12話にあの展開を持ってきておいて大団円!!よかった!!!と言えるかは…微妙じゃない?
少なくとも自分は主人公の久美子を通して、久美子の3年間の奮闘や成長を見ていたので、他でよく見る真由の救済のために主人公を放り出しているような構成と終わり方であまり納得できなかった。
再オデで負けた事それ自体は、その後の展開どちらでも組める要素だと思うからいい。
でも負けたなら負けたことを下敷きにして久美子の次への展開なり納得なり、決意なりや、奏者として勝つこと以外の部長としての報われなどをしっかり描いて、今まで久美子を見て応援してきた視聴者を十分に「よくやったな」と納得させて終わらせてほしかったよ。
それが入る後尺がなく、13話はシリーズ思い出ダイジェスト気味に終わってしまい、それが原作的には掴むはずだった勝利を改変した上でとなると…まあ~~~微妙な構成だったなと思う。
全国金は部の悲願であって、久美子のそれと完全にイコールではないはずだし、まして作中で久美子の思想が音楽から別の将来へ移っていったのならますます久美子の3年分の報われはどこへ…?と感じた。
(他所で原作だと全国金が久美子のイコールとなった描写があると見たが、アニメシリーズだけ見ているとそうでもない)
衝撃的な改変展開をもっと早く前に持ってきてフォロー尺や久美子の次への思いや展開を入れたり、シリーズ尺を24話にしたりと上記の急展開オチを回避する方法は他にあるだろうし、比較的取れる制作・会社のはずなのに上記を選択したのは、衝撃度なりバズり度など物語の本筋とは無関係な要素故に選択したと思えて、そこでも微妙だったなと思う。
微妙というか露悪的(?)にさえ見えた。
原作勢が「原作の最後の勝利がご都合気味だった」というのも見たが、それなら突然3年で転校してきて同じ楽器で超絶技巧で今まで合わせたことのないメンバーとも早々に合わせられる真由の超存在自体もご都合と言えてしまうのでは?(原作展開自体に切り込めるならという意味で)
要はご都合要素はその後の辻褄なり展開で納得できたかで希釈されるんだろうけど、アニメ最終話には原作を改変してまで納得できる、活きるものはなかった。
仮説としては原作を通っていると、その後の後日談含めて読み込んでいるからか、ちょっとご都合主義だったなという原作読後感を下敷きにしているから反転展開が響き納得や良かったになっているだけでは?
アニメの道中で久美子が負ける兆しは散りばめられていたともみたが、それなら1期から重ねて来た演出を回想や反芻するように擦ってきてた部分の先には、困難があったけど久美子が報われる事への期待と受け取れる部分なので、最後に梯子を外すも外さないもどちらも揺さぶり要素の1つでしかないと思う。
(単に制作の手抜きだったってならそれはもう何も言えないが…w)
続報で全国大会以降、卒業までの部長としての久美子報われ話をやるってならまた話は変わるが…(それにしてもシリーズとしてちゃんと〆てよとは思うけど)
京アニ事件が絡んでの思想が影響したのか、構成脚本の暴走か知らないけど追ってきた年月の割になんだかなーーーーーーというオチだった。薄味?
暴力だからよくないとか騒がれてるけど、それは流石に今更すぎないか?
しかし、賢しらぶった人たちが「暴力と格闘技は違うんだ、わかっていないのは不勉強だからだ」という表面上だけの話をして留飲を下げているのは、ピントはずれもいいところだと思う。
だいたい、格闘技に限らず興行なんて裏も含めりゃ大概ヤクザみたいなもんだろ。
「少年の夢」みたいに健全ぶってるプロ野球とか、裏は言うに及ばず表の部分だけでもどれだけ暴力的でコワモテなんだよ。
ガッツポーズしただけで打者への報復死球が当たり前の暴力世界だぞ。
よく奇麗事だけいって満足できるなと思う。
そもそも朝倉は、「喧嘩」が好きで暴走族や少年院にも入るような暴力の世界で生きてきて、「格闘技」相手に手も足も出ずボコボコにされたことから総合格闘技に目覚めた人間だ。
自分と同じように暴力に明け暮れる、どうしようもない不良の方を気にかけている。
かつて自分がデビューした不良たちの格闘場「アウトサイダー」のように、次世代の格闘家のプロデュースもしている。
「喧嘩の楽しさ」の延長が格闘技にある、そこには時間をかけて人生を変えるだけの価値がある、だから不良は喧嘩なんかしないで格闘技をしよう、その方が人生が豊かになるよというのが朝倉の理屈だ。
この朝倉のスタンスは、不良たちに絶妙にいい影響を与えたと思う。
朝倉のyoutubeで、地元愛知に帰った際に煽り運転をされたことがった。
相手が朝倉未来だとわかった瞬間に一目散に逃げ去る不良の姿を流し(もちろんモザイクつきで)、ダサいし危ないし何より迷惑だからそんなことやめろと動画上で説教をしている。
自分たちだったからよかったけど、他の人がされたら堪らないと。
こういう部分にこそ朝倉の意義がある。
煽り運転をやめろなんて誰でも言えることだが、不良にとって、「外部の」大人に言われるより、自分たち「不良側」の先輩に説教されることほど効くものはないのだ。
だからことあるごとに不良アピールをし、同時に喧嘩や迷惑行為はダメとも発言する。
この動画を見た、年を重ねた元不良も「後輩にちょっといいこと言いてえ」と思って、「朝倉未来もやめろって言ってたぞ」と後輩に説教をする。
これは普段から品行方正な人間では決してなしえない、朝倉だからこそできた小さな社会貢献だと思う。
だから少年院にいって講演もして、院では異例の格闘技大会の特別上映(!)も叶えている。
「暴力と格闘技は違いまーす」「僕たち健全な格闘技界は不良なんかとは違いまーす」と奇麗事だけを都合よくいう人間ではないのだ。
そして、その長年不良だった朝倉でさえも、総合格闘技に出会ったのは成人する前後だった。
だから朝倉はyoutubeでも繰り返し「格闘技の周知」「認知の向上」の話をしている。
「格闘技好きに向けたアピールをしても、格闘技の人気は出ない」と繰り返し話している。
人気の「街の喧嘩自慢とスパーリングをする企画」も積極的にやり、この企画をどんどんパクってくれと言っている。
はっきり言って、朝倉のyoutube活動が今の格闘技界にもたらした影響はすさまじい。
格闘技界のカリスマ・堀口恭司なんて正真正銘のスーパースターすらも、一般人は誰も知らない時代だ。
だが格下の朝倉は、彼よりも圧倒的に有名になった。
一躍不良少年の憧れの的となり、格闘技の布教活動をして、大会の視聴率をあげている。
そして朝倉は、不良や総合格闘技だけではなく、空手や合気や剣道などの伝統武道、ボクシングやキックなど様々な格闘家、さらにはバドミントンなどほかのスポーツ選手ともコラボし続けて、武道や格闘技、スポーツの魅力を伝える活動をしている。
格闘家のyoutubeブームは朝倉の影響と言っても過言ではない。
本人のプロ戦績がしょぼくても、それだけでは計り知れないほどの貢献を業界内外にしているのだ。
仮にも「格闘技が好き」なんだったら、その功績を知らないとは言わせない。
どんなに朝倉が嫌いな人間でもそれだけは認めざるを得ない、それぐらいの活躍をしている。
(あと、興行主から体重上げて試合に出ろ金を稼げと何度言われても断わり続けたのも、昔のPRIDEで酷使された選手のことを思うと本当に偉かった)
だから恩師の前田日明に「スパーリングを公開するなんてあり得ない、絶対対策されるからやめろ」と言われても、格闘家と公開スパーをして、それを研究されてボコボコに負けても、それでもやめなかったのだ。
(そもそも朝倉本人が対戦相手の動画を入念に分析する人間なので、リスクは最初から分かっていたはずだ)
今回のabemaの件はもちろん問題があって、本人も謝罪しているしそこを糾弾するのは本当に正しいし、健全な行為だと思う。
色々な問題点は他の人が指摘している。
しかし、朝倉と彼の活動を一概に「格闘技と暴力を勘違いしているだけのお馬鹿さん」と知った風な口でひとまとめに切り捨てるのはあまりも、あまりにも浅すぎやしませんかと思う。
しかし、「格闘技と暴力を延長線上のもの」として捉えて活動しているからこそ、格闘技界や不良たちに「いい影響」を与えたことも事実なのだ。
「影響されて格闘技始めました」とか「未来さんが止めろって言ってたから」と不良が憧れるようなロールモデルを、(一時的かも知れないが)こなすことができたのは、とても貴重なことだと思う。
社会適応能力はあるのに今いる環境(職場、学校、家庭など)が悪いせいで心身を病んで本来の能力が発揮できていないタイプ。
こういう人は悪い環境から脱することができればリハビリ期間のようなものを経て徐々にまともな社会生活を歩むようになる。
本人が根っからの社会不適合気質で、せっかく良い環境に恵まれてもそれを活用できず無駄にしてしまうタイプ。
社会不適合な言動を繰り返す内に周囲に「こいつは何をやってあげてもダメだ」「こいつには関わらない方が良い」と愛想を尽かされ、後述のパターン3に移行するケースがある。
本人が根っからの社会不適合気質で、しかも今いる環境が最悪なタイプ。
周囲の態度は冷たく、誰からも助けを得られない。
状況によっては運良くパターン2に浮上するがこともあるがまたすぐパターン3に戻ってしまう。
パターン2や3の人が社会不適合になっている最大の原因は本人の生来の能力の低さだ。
そこから抜け出すのは容易ではなく、大抵以下のようなことになる。
本人にそもそもそうした能力が無いし周囲のサポートも無い(orたとえサポートがあってもそれを本人が生かせない)からだ。
彼らは自身の問題に根本的に立ち向かう努力を避けて都合の良い空想を始める。
「自分が社会不適合者であることには何か特別な意味があるんじゃないか。」
「自分には何か秘められた才能があるのでは?」
「自分は人とは違う崇高な存在だからこそ俗世と折り合いがつかないのでは?」
そうやって考える内に彼らはこの結論に行きつく。
「自分は他者から羨望されるような特別な存在であるべきだ/あるはずだ」
そこで実際に彼らに何かしらの芸術的才能や目標に向かって努力できる素質があればいいが、そうではないケースがほとんどだ。
するとどうなるか。
自分が才能を発揮できないのは生い立ちのせいだと過去を悲観し続ける。
優れた才能を持ち成功している他者を妬んだり「運が良いだけ」と馬鹿にしたりする。あるいは逆に過剰に崇拝してゴマをする。
事あるごとに他人と自分を比較して優劣をつける。彼らの世界には常に自分より上の立場の人間か下の立場の人間しかおらず、誰かと対等な関係を築けない。
そして彼らがこのままでは何も手に入らないことに気づくと、当初あった「自分が社会不適合者であるのは自分が特別な存在だからだ」という考えが「自分が特別な存在でいるには社会不適合者のままであらねば」という考えにすり替わる。
彼らにとって自身が社会不適合者であることは唯一手にしている「人とは違う部分」だ。
「特別な存在になりたい」という願望を手持ちのコマだけでどうにかしようとするのだ。たとえそのコマが本来であれば自慢できるようなものではなくても。
こうなるともう末期だ。
彼らは自分の社会不適合っぷりを勲章のように振りかざし始める。
それらしい診断名をネットで見つけてはそれを自称してステータスかのようにプロフィールに羅列する。
人の人生は苦しみが大きいほど価値があると信じ、幸せそうな他者を見ては自分の大げさな苦労話を持ち出して水を差す。
他者に被害を与えてそれを批判されると、自分は攻撃されたと感じ自分が一番の被害者のように振る舞う。
こうなってしまった人に対して他者がしてやれることはほとんど無い。
誰かの誠意ある諭しも励ましも彼らは求めていない。
彼らにとって自分を否定する人は全員「私という特別な存在を理解できない愚か者」なのだ。
何でもありで組技技術が必須なことはあきらかだが、最も優れた組技の術理をもった競技とは? というわけで、「組技最強決定戦」!
柔道、相撲、レスリング、インドレスリング、当身抜きなら柔術、サンボ、合気とか混ぜてもいい。服装はそれぞれ自分らが最強だと思うものを使用してよいが武器として使用したら反則負け(相手の服装を利用するのはあり)。後遺症残る攻撃は全面禁止(噛みつき目潰し金的不可。ただし関節技で我慢しすぎた結果は、事故として不問)。円形リング使用。3分3ラウンドで判定無し。まいった、もしくは10秒以上の戦闘不能状態で決着。
…で、調べてみたら、少し違うが「グラップリング」とかいう競技もあるんだな。「特定ルール下で何が強いか」を知りたいわけじゃなくて、ある競技の術理は他競技の攻撃にどこまで対抗できるのかが知りたい。相撲の立ち関節や「倒れなさ」はレスリングに対して有効なのか?とか。
トーマ「ボクには勝ち負けすらどうでもいいのです。キミの心を救いたいだけなのです」
トーマの動きの質が変わる。
アナウンサー「あーっと?トーマのこの動きは…?まるでダンスをしているかのようだ!信じられない!このリングで何かを表現しているのか?」
トーマがこれまで見てきたナルシマリョウの心の闇を、まるでリョウそのものであるかのように観客に、視聴者に、そして何よりナルシマリョウにダンスで見せつける。
戦いながらダンスを踊るトーマにリョウは一撃も当てることが出来ない。
それを見た全ての者がナルシマリョウの悲しみ、苦しみ、痛みを知り、落涙する。
リョウ自身でさえ言語化することが不可能だった自分の気持ちを見せられたリョウは動揺する。
トーマ「これでやっとキミを理解することが出来ました、次はキミを救う番です」
スパーリングパートナーから会得した柔道・柔術・サンボ・合気を駆使しながらトーマがリョウを攻め立てる。
リョウもこれまで身につけてきた技を十二分に活用しながら対抗する。
ラストラウンド、天才と言われたトーマにどうしても決定打を当てることが出来ず、このままでは判定で負けてしまうと焦り、技が雑になっていくリョウ。
その時、空手の師匠であり、敵のトーマ側についていたハズの黒川がリョウに
黒川「リョウ!何だそのザマは!ワシが教えた空手はそんなモンじゃなかったぞ!」
と檄を飛ばす。
リョウ「やかましい、クソジジイ!今は敵じゃなかったのかよ!」
猛攻を仕掛け、リョウが最後の正拳を見舞おうとした瞬間、笑みを浮かべ、両手を広げるトーマ。
そのままリョウの攻撃をもろに顔面に食らい、まるでキリストのように十字に倒れ、そのまま試合終了。
リョウ「テメェ、ワザと避けなかったな!」
トーマ「言ったでしょう、ボクはキミを救いたいのだと。それにもう避けられないと分かったからね」
と呟く。
リョウの表情はもはや少年Aやナルシマリョウのそれではなく、成嶋亮という一個人に戻っていたのであった。
トーマはこの試合後、ダンスに復帰。神を宿すと言われたそのダンスに、人間の性(サガ)ともいうべき生々しさの要素も加わり、さらに世界的な評価を受ける。
時は流れ、故黒川師匠の空手を継ぎ、道場で弟子に空手を教えていた成嶋涼。
そこに空手着を着た一人の男がやってくる。
彼を見た成嶋涼が「待っていたぞ!」とニヤリと微笑んで、完。
作者もトーマをラスボスにしたかったはずなのに、尺の都合か、編集の意図か、キャラが言う事を聞かなかったからか、中途半端になってしまった感があったんで、これでいいんじゃないかな。
※以下の文章には、性暴力に準ずるような描写が含まれています。ご注意ください。
学生の頃、友人(男)宅で酒を飲んでから寝ようとしたところ、その友人に手コキされたことがある。
その友人が同性愛者だということは知っていたし、なぜか同じベッドで寝る流れになったのも後から考えればおかしな話なのだが、まさか自分が男に好かれているとは思っていなかった純真無垢(=童貞)な当時の僕は、素直に同じベッドに入ってしまったのである。
最初は冗談で局部を触ってきているのかと思ったのだが、だんだん本気になってきて、どこで止めていいのかわからなくなってしまった。眠ったふりをしてやり過ごそうとしたが、結果的にされるがままの状態になってしまった。そしてそいつは「起きてるんでしょ?」とささやきかけてきた。
今ではこのときのことを平気で思い出せるし、「文章に起こしてみると、なんだかエロいシチュエーションだなぁ。相手が男であることを除けば」と感じる余裕さえあるが、当時の僕にはもちろんそんな余裕は無かった。
しかも具合の悪いことに、僕の局部はそれなりに反応してしまっていたのである。
酒に酔っていたせいだろうか?いや、正直に言おう。僕の局部はそいつの手コキによって確実に快感を得ており、その快感を脳へと伝えてしまっていた。お、この文章、ちょっと村上春樹っぽくね?「僕のペニスは、確実にその快感を脳へと伝えてきていた」。って、どうでもいいか。つーか冗談でも交えなきゃこんなこと書いてられないっつーの。話を戻します。
そして同時に、快感が存在するという事実が、恐ろしいほど不快だった。男に手コキされて感じている。そのことが、僕の心に深い混乱をもたらした。お、また村上春樹っぽくね?そうでもないか。
またしても正直に言おう。僕は「いっそ出してしまえばこの不快から逃れられるのではないか?」とさえ思った。でも、不快が快感を上回っていたせいか、出ることもなかった。
結局にっちもさっちもいかなくなったので、思い切って寝返りを打つ振りをして強引に背中を向けたら、なにもしてこなくなった。
あまりにショックだったので、その後のことはよく覚えていない。翌朝は何ごともなかったかのように一緒にサークルに行った(そいつとは同じサークルに所属していた)のだが、それ以降、そいつと会話することも目を合わせることもできなくなってしまった。別の友人たちに「何かあったのか?」と聞かれたので、仕方なく、ごく数人にだけ「性的なことをされた」ということだけを伝えた。
なぜそいつを直接糾弾しなかったのか。もちろん、そいつのサークル内での立場を貶めることが僕の本意ではなかった、という理由もある。
しかし今にして考えれば、僕は「あること」を恐れて、自分がされたことをなるべく他人に教えないようにしたのだと思う。
それは、他人に「なぜ本気で抵抗しなかったのか?」と思われてしまうことへの恐怖だった。このへんは、女性の性暴力被害者が泣き寝入りしてしまうのと同じ構造なのではないかと思う。
そしてなにより僕は、いかに不快のほうが大いに上回っていたとはいえ、現実として、実感として、快感を覚えてしまっていた。そのことも、僕の心を挫かせた原因だったに違いない。
その後そいつからは、「どうして無視するんだ」というような手紙を頂戴した。おめーのせいだろうと思ったが、それでも無視していたら、今度は「好きだった。あんなことをしてゴメン」という手紙を寄越してきた。いちいち手書きの手紙を手渡してくるあたり、ずいぶんとガーリーなやつだったなぁ。どうでもいい。
結局サークルは辞めて、そいつのことは卒業するまで無視し通した。というか、「そいつを避けようとする無意識の働きに任せるままにした」と言ったほうが正確か。
後々になって、その事件の前にそいつとやりとりしたメールを読み返してみたところ、どうもそいつは、僕のことが好きだということをメール上でほのめかしていたらしい、ということがわかった。その時のやりとりはだいたいこんな感じ。
友人(男) 「好きな男の人がいる」
僕 「Aさん(先輩の名前)?」
友人(男) 「違う」
僕 「あぁ、だいたいわかった」
このとき僕は、そいつがBさん(別の先輩)のことを好きなのだろうと勘違いして「だいたいわかった」と言ったのだが、どうもそいつはこのやりとりで、自分の気持ちが僕に伝わったと勘違いしたらしい。しかし何度も言うようだが、当時の僕はまさか自分が男に好かれるとは夢にも思っていなかったのである。このへんはあくまで推測なので、本当のことは分からないのだが。
で、僕はそいつの家にのこのこついていき、酒を飲み、同じベッドで寝てしまった。そいつにしてみれば、きっと「お泊り」気分だったに違いない。悲しい恋のすれ違い。しかも相手は男である。
こういう経験があるので、僕は性暴力の被害者に対して「被害者にも落ち度があった」というようなことを言うべきではない、と考えている。誰だって、24時間365日、性暴力に注意しながら生きることは出来ない。まして友人や恋人というのは、本来そのような警戒をしなくていいような相手であるはずだ。
今回僕が遭遇したように、被害者の側が「そんなつもりはなかった」というケースもきっと多いに違いない。よっぽど自信過剰な人でない限り、「まさか自分が好かれるわけがない」と思って生きているはずで、そのような考え方は落ち度というより、むしろ「常識」の範疇に入るものだろう。
その事件が僕にもたらした精神的ショックはあまりに大きく、そのあとの1年間くらいの記憶は今でも曖昧だ。数日間、食べるものの味が全くしなかったことは覚えている。あとその直後の正月に、「あんなことがあっても、年って、開けるんだな」となんとなく思った。意味はよく分からないが感覚は伝わると思う。
そしてその後数年間は、不意にその夜のことを思い出してしまう、いわゆるフラッシュバックに悩まされた。もし心療内科を受診していたら、立派にPTSDと診断されていたのではないかと想像する。そのせいでだいぶ性格が暗くなった気がするが、元々暗かったような気もしないでもない。
今ではフラッシュバックが起こることは全く無くなり、このような文章を平常心で書くことも出来るようになった。
もちろん、忘れるためにはそれなりの努力が必要だったし、色々なものを犠牲にしなければならなかった。同時に関係のない色々なことも忘れてしまったような気がするが、なにせ忘れてしまったことなので、忘れてしまったことを思い出すことは出来ない。
自分は同性愛者なのではないかと悩んだこともあったが、今のところは男性を好きになったことはないので、今のところは自分は同性愛者ではないと思うことにしている。別に同性愛者になりたくないわけではない。でも誰だって、特に若い頃に、自分の性的指向がわからなければ真剣に悩むだろう。関係ないが今の自分は女の人が好きすぎて困っている。というかおっぱいが好きだ。巨乳も貧乳も好きだ。
そんなこんなで色々あったが、現在の僕はそれなりに元気に暮らしている。若干社会不適合気味だが、いちおう日々努力しながら、心と身体だけは健やかに生きている。
……いや、もうひとつだけ正直に言っておきたいことがある。思い切って言ってしまおう。
冒頭のあたりで「エロいシチュエーションだなぁ」と形容したところの文章を書きながら、僕の局部は少しだけ反応してしまっていた。
いや、冗談ではない。このことには何か重大な問題が隠されている気がする。どうして僕の心は、身体は、興奮を覚えてしまったのか。同性愛者じゃないのに。
よくよく考えてみた結果、ひとつだけ合理的に説明できる仮説を思いついた。少々はばかられる内容だが、せっかく匿名なのだから書いてしまおう。
性暴力は、暴力であると同時に、エロいものなのだ。抵抗できない人間を、ムリヤリ犯すのは、エロいことなのだ。
もちろん、許されざる行為であることは間違いないが、それでも、エロいことに対して、人は興奮せずに入られないのではないか。
今の僕には、この仮説を受け入れられるだけの余裕があるが、これって、ほんとうはものすごく恐ろしいことなのではないかと思う。
もしも重大な性暴力の被害を受けた人が、そのことを思い出して「エロい」と感じてしまったら、どれほど心が傷つくだろうか。
「心が嫌がっているのに、身体が反応してしまう」というと、まるでエロ漫画のセリフみたいだが、そのような経験が、どれほど深く人の心を混乱させ、苦しめるか、その一端を、僕はほんの少しだけ知っている。冒頭のあたりで書いたとおり。
性暴力被害者の中には、自殺をしてしまう人もいるそうだが、もしかすると、そのようにして心を痛めて、自らを物理的に傷つけてしまう被害者もいるのではないか……。
本人の意志に反してムリヤリに快感を与えることは、場合によっては単純な暴力を与えるよりも、もっと深く人を傷つけることになる、と思う。「ねじまき鳥クロニクル」で「ワタヤノボル」が「加納クレタ」にしたように(って記憶だけで書いてるけど合ってる?)。
というわけでみなさん、性暴力は、決して、しないでください。
第1試合
工藤(流石に工藤が勝たないとだめでしょw梶原は見せ場もなく一瞬だとおもわれ)
第2試合
十兵衛(流石に主人公残るだろうけど、佐川にどうやって勝つんだ)
第3試合
第4試合
金隆山康隆 vs.川口夢人
金降山(意外とでも、川口の凶暴さとかがあらわになって、相撲の指食いちぎったりしそうだよなあ)
第5試合
芝原剛盛 vs.上杉均
芝原(流石に上杉みたいなかませには負けられんだろw)
第6試合
関(本当は佐川っぽいとは思うけどでも作者的に柔道は勝たせたいだろうから関かも。次に控えている柔道vs合気道 がおもしろすぎるから。関の寝技が通じない展開か?)
第7試合
反町(反町のキャラがいいからたぶん勝たせるwデラヒーバで昔勝ったらしいから、こんどはベリンボロとかやりそうw)
第8試合
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
まあ、そうなったとして。
工藤vs十兵衛
まあ十兵衛でしょ(あの時の俺とは違うぜ的な)
芝原vs柔道(ってかたぶん柔道vs合気はやらせたいだろうからこれだろうな。)
芝原(指取りの複雑さが組手を進化させて~~とかの理屈が出てきそう)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
まあそうなったとして。
十兵衛vs文学
十兵衛かなあ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
まあそうなったとして。
十兵衛vs里見
十兵衛(う~んw厳しいw)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
十兵衛vs田島
田島(こりゃ無理だろw)
いや、実際にはもっとあるんだろうけど。 つっこみよろしく。
(1)(2) →アドレス帳に登録して相手の名前が表示されているため、メールアドレスの間違いに気がつかない。
(3) →送信者にエラーコードは帰ってきているが、送信エラー表示に気がついていない。
(6) →いずれも相手先メールサーバでエラーメッセージを返信しない設定になっている場合気がつきにくい。
(10) →自動送信ツールなんかで、あて先を全部BCCに突っ込んで一括送信する場合意外な盲点かも。部門で利用しているようなメールアドレスのときに要注意。
(11) →ホップ数設定が低いサーバが経路上にあると破棄されてしまう。
標準は26くらいで、引っかかることは少ないようだが、昔は10とか6とかあったらしい、
(12) →引越し通知に返信したのが引越し当日でメールサーバの電源きれてますとかな~
(13) →CC同報で送っていても、自分には届いてないと主張されると相当厄介。
自社内であればメールサーバログなどで受信状況確認したりできるけど他社の場合はなかなか証明しづらい。
というか、しらばっくれられて確かに届いていたことを証明しろとかいわれてしまうと正直どうしようもないんだが、、
http://anond.hatelabo.jp/20090707100038 の続き
弐拾六話では全ての人とあっさり和解でき、すんなり受け入れられた。しかし世の中そんなに甘くないというか、実はそれこそが自己中心的世界と言える。もっとリアルに描いてみよう、というのが26話ではないかと。 何故なら「本質的に解り合うことのできない他者が存在する」ということ、他者を認識するとはそもそもそうしたことである筈だったから。庵野氏の構図で言う幻想世界の内部において、シンジはどうしてもそのことを容認できず、他者を理解できないまま、自分を理解するよう他者に縋り続けた。補完計画が完成し、群体から単体に還元され、全てを包含しレイに抱擁された時点で、彼はやっとそのことに気付いた。 ラストでアスカを殺そうとしたのは、アスカが正に他者であることを、彼が遂に知ってしまったから。でも結局殺せないし、前のようにエヴァの胎内に逃げることもできない。そこは既に第弐拾六話の月面と同様に、後戻りの聞かない場所、補完が導いた現実世界。・・・ なんと、エヴァと融合し全てのヒトを包含した神が、人一人殺せず、孤独に耐えかねて泣いているんです。 私はここに最高のユーモアとカタルシスを感じました。こんなに見事なラストは、これまで観たことも読んだことも恐らく無かったです。(^-^)
宮村優子さんのラジオ発言とか最近目にするようになった彼女の雑誌のコメントを見ると、宮村さんは今回の劇場版をお気に召さなかったのかなとも思います。自分でも「なかなかのモノが出来た、俺の選択って凄いぜ。フフン」と庵野監督が思ってたのに、いざ、脚本を渡したら宮村嬢からの冷たい反応。それにショックを受けてああいったラストにしたのかな(^^;?無責任な憶測ですけど
あのラストシーンは,シンジが選んだこの世界が決して「気持ちのいい世界」ではないことを辛辣に描いていました。しかし同時に,そこには絶望だけでなく,わずかな希望もあることをも示していたと思います。 希望はアスカの手,シンジの涙。 そして,『会いたい』という気持ち。
ラストシーンは絶望的。シンジはほんの少しだけ変わった。もうひとり、ほんの少しだけ変わったひとがいるみたい。でも、その「ほんの少し」への一歩のなんて遠いこと。2人は、まだ変わっていないみたいに見える。だけど、絶望は希望の裏返し。これからどうするか、それは、私たちに委ねられたのかもしれない。
ひとつだけ考えられるのは、シンジが物理世界に戻ろうと決意したのをアスカ も知っていて、そんなシンジとだったら一緒にいても良いかな、って思ったの かも知れない。 でも、砂浜で再び自分の首を絞めてる彼を観て「ああ…やっぱり何も変わって ないんだな…」と思っちゃったとか。
寂しいことを言ってしまえば、アスカにとって、自分のために泣いてくれた人を身近で感じたのは初めての体験だったのかもしれません。初めてで慣れてないから、「気持ち悪い」のかも。
庵野監督は最後までアスカの扱いに困ってしまったようですね。その苦悩がラストシーンにも出てしまったのでしょうか。「おまえがいるから滅茶苦茶になっちゃったんだ~!」ってね。でもその存在を消せない(笑)。
嫌悪も一つのコミュニケーション。心の壁は現実そのもの。 そして、今までと同じ、自我と、人を代表とする非我との戦いがつづく。 何度もそれを確認しながら、幸せにも不幸にもなれるラストだったと思います。
ラストシーンのアスカ。第1話のレイと同じ場所に包帯を巻き、首を絞められながらもシンジの頬をなでる。 これって、つまりアスカの中の“母性”を表してるのかな、と思いました。綾波レイは「母」のメタファーそのものと言っていいでしょう。そして、シンジの側に横たわっているアスカがレイと同じ姿であることは、彼女もやはりシンジを優しく包み込む“母性”を内に秘めていることを意味しているように思えます。その後の、シンジの頬に触れる行為も。 しかし、彼女の最後の言葉は「気持ち悪い」。シンジを拒絶する言葉です。これは“14歳の女の子”として、「私はあんたの母親になる気なんて、今のところ、さらさら無いわよ」と言ってるんじゃないでしょうか。「あんたが何を求めてるのか分かんないけど、受け止めてあげる気なんてないわよ。余裕もないしね」と。まあ、あのシンジ-自分を傷つけるかもしれない他人を殺すこともできないで、ただしゃくりあげている-を受け止めることなど、14歳の少女に過ぎない、もちろん自身それなりに問題を抱えているアスカに、できるわけないでしょう。たとえ“母性”を持っているにしても。むしろ、一方的に求める方が酷です。(さらに、相変わらず求めるだけっていうのも、また問題だ)。 しかし、将来的には彼らがどう成長し、変化するかは分かりません。そういう意味では、もう多くの方が感想に書いてますが、「これから」を感じさせてくれるラストシーンではありました。もう語られることのない物語の続きの中で、彼らは彼らなりに成長していくのでしょう。
「不快感(=気持ち悪い)」というのは、赤ん坊が最初に感じる感覚だということを聞いた記憶があります(←記憶あやふや)。そうでなくとも、「気持ちがよくない」という感覚は、まぁ、「夢」だとか「望んだ世界」ではなく、「現実」を示唆しているのかな、とも深読みしましたが・・・深読みしすぎかな?
シンジとアスカは、それこそお互い誰でもよかったんだと思います。憎む相手も愛する相手も。でも、自分を互いに真正面からぶつけ合った過去が、二人には出来てしまった。互いに、相手に対する憎しみも、相手が欲しいという気持ちも、相手を拒絶する言葉も告げてしまうほど、互いの気持ちを相手にぶつけた。そして、その憎しみも欲求も、おそらく今後の彼ら自身の心を強く拘束していくでしょう。 ラストシーンで、くびを絞め、瞳を動かし、頬をなぜ、涙を流し、気持ち悪いとつぶやいた二人は、それこそ、愛よりも深い、憎しみもかなわない、たとえ離れても、ひととき忘れても、もう互いの心の一部そのものにまで結びついたように見えました。 Onemorefinal: I needyou. もう一つの終局もすべてのおしまいではありません。英語のタイトルは『私はあなたが必要である』でした。 そして、皆に等しく、同じ戦いが、始まり、続きます。 でも生きてさえいれば、幸せになるチャンスはどこにだってあります。だって生きてるんですから。 愛よりも深く。 夏の映画は誰も他人を受けいれられなかった二人が、とにかくも深く結びついて、そこから再び、同じ戦いが始まる、終局であっても、何も解決していない、ラストでした。
シンジの内面に問いかける声も、もはや静かなレイの後ろ姿ではなく、アスカの赤裸々な罵倒へと変化しました。「お願いですから、もう電話してこないで下さい。」「よりを戻すつもりは更々ないの。」「その、やっぱり、友達以上に思えないの。」「ハッキリ云って迷惑なの。」「これ以上付きまとわないで下さい。」これらのセリフは作品の展開からは伺うことができない以上、庵野監督自身の人生から引用してきたものと解釈されます(もちろん脚色を加えているでしょうけれど)。つまり、劇場版におけるアスカは、これまで庵野監督を傷つけてきた「5人の女性」のような「他者」を象徴する役割を与えられるようになったのだというのが僕の理解です。 そうすれば、ラストでシンジがアスカの首を絞めかけたり、アスカがその後で「気持ち悪い」と言ったりする寒々しい展開も、すんなりと納得できるのです。現実の他者は、お互い決して期待通りの反応をしてくれない存在ですから。
オタクの依存を打破するために作ったアニメが、逆にオタクの依存の代表になっ てしまった苦い皮肉。昨日某アニメショップで見かけた会話。 「これ買えば」(とシンジ君が表紙のアニメディアとニュータイプを指さす少女) 「えーいゃぁー」(と汚いものでも見るかのように嫌悪する少女B) 彼女らの心の中にはカヲル君しかいないらしい。作品全体のテーマを見ようとせ ず、自分のお気に入りのパーツを使って幻想のエヴァを作り上げて固執する。虚 構からも逃げ続けている。自分以外のエヴァはいらないのだ。そして、そのこと を指摘されると過剰に反応し激怒する。「ぱふ」の一部読者はひどいものだ。無 論、綾波やアスカの一部ファンにも言える。 そういう意味で、庵野さんが「気持ち悪い」と言わざるを得なかったのは良く分 かる。だから実写を入れてこれでもかこれでもかというぐらいに観客に語りかけ た。でもそれは届かない。最も病んでいる人間、庵野さんが最も一言言いたい人 間は嫌悪する現実をファンタジーに変えて消し去ってしまうのだ。
シンジくんの首締めはちょっと??な気もしましたがアスカのシンジの頬を撫でて「気持ち悪い」は、頬を撫でるシーン拒否、否定の感情からではなかったと思ったので集合体としての生命の海から浮上して「こ」の世界の「ここ」にいる「こ」の自分を認識し他の存在シンジを認識し「気持ち悪い」ことも沢山あるけど「ここ」に自分と他人が存在することを知覚し認識して噛みしめていると感じました。いやぁすっかりアスカが主役でしたね。ここまでアスカの映画になってくれるとは嬉しい誤算でしたってのはアスカ者の偏見でしょうが。 とでも思わなきゃやってらんないよなぁ。
かくして、シンちゃんはアスカちゃんのドレイとなり、一生、幸せに暮らしましたとさ。めでたし、めでたし。 <終劇>
自分は性的嫌悪感からくる言葉だと思ってるんですけどネ。 DEATHの新作カットの「ミサトやバカシンジの使ったお 湯なんて~」の頃には、もうシンジ君が自分の事を性的対象 して見てる事に気づいていたのでは?このぐらいのお年頃の と女性ってそういうのたまらなく嫌だと思うのですがどうで しょう?
シンジはアスカを殺そうとするが思い止まる。アスカに優しい言葉を期待する"ファン=シンジ"だが"虚構=アスカ"は"気持ち悪い"と突き放す。そういうことか?ヒゲメガネよ。
それと映画でアスカがシンジを否定したのは(自分の勝手な解釈ですが・・)「シンジがアスカの事を、好きで求めているのではないのを、アスカは気付いていた。なので、コーヒーメーカーに激突させ、最後に’気持ち悪い’とまで言った」好きで求めていない、というのは、恋愛感情のみ、でなく、シンジは弱い自分を何とか持ちこたえさせる拠り所に「強く見えるアスカ」にすがっていたふうに見えたからです。アスカにしてみればそんなおかんのような役、あまり嬉しくない気が・・・。
また、最後の台詞「気持チワルイ・・・」ですが、ラストシーンでのアスカの様子を見てみると、腕と頭部と目に包帯およびガーゼが当てられており、これは第壱話においてストレッチャーに乗せられてシンジ君の前に初登場した綾波レイそっくりの状態で、加えてあの目線から察するに、アスカの中には、彼女自身の魂や人格に加えて、レイの魂が入り込んでいるのだと私は感じました。 いわば、アスカとしてはトラウマを刺激するモノとして忌み嫌っていたレイの魂が自分の内面において(シンジへの想い故に)融合しつつあることについて現在のところ「ケンカカレー」(歳バレ?)の状態にある、ということで「気持チワルイ・・・」という言葉に繋がったのだと私は考えたのですが、みなさんはどう思いますか。
あのラストシーンは実はハッピーエンドである。あの砂浜のシーンは補完直後のシーンではない。実はその前にシンジがアスカを見つけ、傷の手当をし、ミサトの墓を作るという一連のシーンがあったのである。しかしアスカは何も話さない、何も反応しない病室アスカの状態に戻ってしまっていた。(偽りの復活)そんなアスカを不憫におもったシンジは思い余った挙げ句、彼女の首に手をのばす。しかしその時、今まで何も反応しなかったアスカの腕が動き、シンジの頬を撫ぜる。嬉しさのあまり、涙を落とすシンジ。更にアスカは言う。「(あんたバカー、何泣いているのよ)気持ち悪い(わねえ)」そうあのシーンは「クララが歩いた」パターンの感動的なラストシーンなのである。しかし観客の期待を裏切る事ばかりを要求された監督は素直に感動的なシーンを作る事ができずにあのような解りにくい形にしてしまったのである。だが安心したまえ、ビデオ・LD収録時には完全版として失われたカット・台詞が収録され、誰の目にもハッピーエンドである事が解るに違いない。(笑)
シンジ・監督、アスカ・観客に置き換えると、あのラストシーンはまた違った見方が出来ますね。現実から遊離してしまっている観客を不憫に思った監督の真心。アスカが無反応だったら悲惨ですね。それより、もし「気持ちいい」と言われたらどーする(笑)
シンジ・観客、 アスカ・監督ではどうでしょうか? シンジ「わーん。こんなEVAはいらないよぉ~。 謎もあまり解明されてないし~ そこで気絶してないで、もう一回EVA作り直してよ~」 アスカ「(まだやれっての?)気持ち悪い....」
1:呼吸困難になった為の気持ち悪い えー、シンちゃんに首をギュッとね!(爆)された惣流ちゃんですけど意識 の無い状態で首を思いっきり絞められては血のめぐりも悪くなり気分が悪く なったという、低血圧で良く立ち眩みしてる女の子の意見がありました(苦笑)2:あのセリフはみやむーちゃんのアドリブ説 庵野監督に捧げるアドリブ説(黒い説ですわねぇ(苦笑))という人若干名3:怪我のために気分が悪い説 右手の謎の治療跡で判ると思いますが怪我してる場合気分が悪くなるもんです (経験者談)4:2日目説 ・・・・・・(^^;)・・・・・・5:観劇してる人へのメッセージ説 ・・・・・・
「きもちわるい」。 他人の体温が気持ち悪いことって、ないですか? でも、その嫌悪感を、人は「愛情」で中和させる。 けれどそれは「無理をしている」のかもしれない。 本当は、人なんて、生まれてこない方が良かったのかもしれない。 だけれど、生きている。 それでも、生きている。 生きていなければならない。 決して理解できない「他人」の隣で、それでも「一人ではなく」生きている。
エヴァみたいな「黙示録もの」のラストって、和解・融合、善悪何れかによる統一、純粋な荒廃、・・・みたいな一元的な世界の出現で終わるのが相場じゃないですか。これは魅力的だけど、弱点があります。つまり、解り難いんです。 具体的にどんな世界になるのかが想像できない。私達の周りにあるのは、一元的把握が通用しない、それこそ「他者」が存在する世界です。争いの無い平和な世界、とあっさり書くことはできるけれども、そこがどんなところなのか、人或いは人々が何を考えて生きるのか、よく考えると理解できない。 放映版の受け入れ難さって、ラストのそういう典型的ユートピアが、観る側の想像力を麻痺させたせいがあると思うんですよね。 映画版は、そうした典型から脱したところが凄いと思います。シンジとゼーレの意思に従って、一元的な新世界を一度は成就しておきながら、シンジの成長というモチーフを重ねて「その先」を開いてしまった。この点に限れば、黙示録を越えちゃってますよね。そうして出来上がった「他者の居る新世界」には、シンジがその成長の代償として手に入れた、純粋で人間的な憎悪や悩みや悲しみがあり、観る側として非常に素直に感応できる。これがユーモアやカタルシスでなくて何であろうかと。そしてまたそうした世界を、アスカの最後の台詞一つで完成したところがまた見事なんですよね。
インパクトのある、出来るだけ短い、どうとでもとれる演出、ということでああなったんではないでしょうか。鏡のように、見たいものが見える、見たくないものが見える、うがった人にはうがった見方が見えるラストシーンだと感じてます。
最後にアスカが包帯をしている意味は、「アスカ自身が女になった」「シンジにとってアスカが女になった」という二つの意味を同時に持っていると思います。「気持ちわる」という言葉には、リアリティを持たす効果と、触れあいによって「産むことが可能な存在となった」=妊娠のイメージを出す効果、それに、存在が個に分かれていることの実感(喜びも悲しみも)が表現されていたように捉えられました。
最後のシーンについてはアダムとイブというよりアジア系の神話 洪水で生き残った兄妹の話(日本のイザナギ、イザナミの話でもこういう始まりのものもあります)の方を連想しました。 アスカの気持ち悪いのセリフですが考えによっては色々とれるセリフですね。私はシンジと一線を引くセリフと取りました。(ここから他人としてスタートとして2人の関係はどうなるかという・・・)この最後はFANが自分たちで考える宿題だと思えました
最後のアスカも女っぷりがよかった!きっと、あれがアスカのやさしさじゃないのかな?と思った。急にわかったようなアスカになったら余計かなしいもん。とっても、ハッピーエンドだったと思います。映画みたあと結構すがすがしかった。
気持ち悪い,はよかった。絶望とそれでも幻想を構築しなくてはならないという意志が感じられ・・・るか? 絶望だけか? 慰めてもらいたいのか?
立派に完結していたと私は感じましたし、救いもあったと思います。ラストのセリフは、生々しい接触も含めてアスカがシンジを受け入れ始める、という言葉ではないのか、と思うのですが。少なくとも、突き放されて終わったとは感じませんでした。
私、あのシーンは本編に絡まないと思ってます。庵野のファンに対する愚痴だと思ってます。ファンによって傷つき首を絞められた「エヴァ」から、おおよそ倒錯しているファンの一番多いアスカの声で、ファンに対して文句を言ったんだと思います。
創世記によればエデンの園では人も含めてすべての生き物は裸で(つまり自分自身をすべて晒して)いても恥ずかしいとは考えなかった。ところがアダムとエヴァが禁断の知恵の木の実を食べた途端に裸でいることに気づいて恥ずかしくなり、身体を覆って隠した。このことが神の怒りに触れ、2人はエデンを追放された。・・・ラストシーンの2人はやはり楽園を追われたアダムとエヴァなのですね。自分の殻(ATフィールド?)を壊すことができなかった(あるいは自分の殻に閉じこもって出ることができなかった)シンジとアスカだけは結局補完されることなく、荒廃した世界に取り残された・・。それでもアスカはシンジを拒絶するかもしれない・・と。
この映画を、人間の内面の描写をメインとして考えると、まさしく、私の好きなジャンルに入るんですよね。いっかい、救っておいて、最後にもう一回、落としちゃうっていう。(笑)でも、最後は、あれでよかったと思います。だって、簡単にシンジが、他人を認め、世界も、そんなシンジを喜んで、迎え入れるで終わってたら(テレビの終わり方かな?これは。)、面白さ半減だと思います。そこで、アスカに気持ち悪いといわれて、自分の選んだ世界の厳しさというものを示して、終わった方が、なんか、心に重ーくのこるじゃないですか!(だから、ONEMORE FINAL なんだとおもいます。)
補完中にシンジはアスカと、ものすごい勢いで傷つけあいます。彼は最後には彼女の首に、手をかけるのです。そこまで他人というのは自分にとって厄介なものなんです。理解不能ですからね。 それでも、シンジは「融合」ではなく「他者との並存」を選びました。 「共生」だとか「相互理解」とか美辞麗句に彩られた根拠なんて、これっぽっちも示されないのに。根拠があるのだとしたら、寂しさゆえの「I need you」くらいなものです。単体になってしまったら永遠に孤独ですからね。(この辺、あまり自信無いな。二回目を見たほうがいいかな?) 目の覚めた彼は、隣で寝ているアスカの首を、再び絞めにかかります。そりゃ、あたりまえです。自らの選択とはいえ、自分を苦しめる元凶が、現実に厳然と、そこにいるわけですから。ほっとくと、こっちが殺されるかもしれませんし。「他人がいる」─────本当に深刻です。この問題は。 なぜか生きていたアスカが、そんなシンジの頬に手をやって、彼に「他者のいいところ」をちょっち認識させます。苦しみとともに、ヨロコビもまた確実にあるのです。シンジの手から、力が抜けて、その後のアスカの一言で「終わらない夏の物語」の幕が引けます。
アスカの「キモチワルイ」発言は、相当ショックだったのですが、彼女らしい発言だなとも思います。少なくとも、病院のベッドで息だけしてる状態で生きている彼女より、ずっといいです。 「詩編The End of Evangelion」では、アスカの言葉は、「あんたなんかに殺されてやるもんですか」が入っていますが・・。 現実は、そうそう、都合のいいようにはならないんだという事に通じている気もします。
私が思ったのは、アスカはショックで植物人間状態がある程度つづいており、(目がサカナだった)シンジはいっそ楽にしてあげようとしたと見えたのですが。包帯をきれいに巻いてあるところを見るとシンジが悩むに十分な時間はあったのでしょう。(だからエントリープラグから気が付いたらあの場面、ていう訳ではない。)そしたらもう動かないはずのアスカの手が動いたので、嬉しくて涙が出た。ついでに「気持ち悪い」という正常なアスカがはくセリフが出て、アスカが完全復活したという、無条件ハッピーエンドだと迷いもなく思ったのですが。
あの最後のアスカ首しめられシ-ンですが、そのあとのアスカのセリフが最後の最後に観客を現実に引き戻すオチみたいにかんじました。首しめ、まえふり?みたいな(笑)
TVシリーズを見る限り、アスカはシンジに対して14歳の少女らしい「嫌いだけど好き」という心理を抱いているようです(まぁ25話で助けられなかったことがしばらくもめる原因にはなるでしょうが)。それゆえに、シンジの腑抜けさに我慢がならないのでしょうか。ただ、その心理とは別にエヴァのパイロットとしてのライバル意識も強烈ですから、非常に言動もわかりづらくなるのでしょう。 シンジの方は、ミサトさんもレイもアスカもいいという宙ぶらりん状態ですが、考えてみれば男ならたいていは心理的二股、三股は当たり前です。しかし、この中で本当に可能性があるのはアスカだけなのですから(ミサトは年上過ぎ、レイは・・・実の所は母、ユイですから)、将来的になんとか努力するでしょう。そのために現世に戻ったのですから。 で、最初のコミュニケーションが首締めと「気持ちわるい」。一種ダークな感じもしますが、「他人とのコミュニケーションが最初からうまくいってたまるか」ということであれば、先がどうなるかは・・・
しかし、あのラストは必然とはいえ悲しい物がありましたね。アダムにとってイブとは所詮他人であり、殺意を抱く対象であり、自分を傷つける存在なわけですから。
しかし、やはり最後はきついです。安易な現実礼賛はもっと嫌ですけれどもあそこにはやはり意地の悪さは感ぜずにはいられません。少数派なのかもしれませんが、肯定否定はともかく「私の趣味としては嫌だ」というのだけは間違いないです。こんな人もいるということで、一応、存在を認めていただけるとありがたいです。
やはり、あれは監督からのメッセージと取るべきではないかと。月に斜線が入っているように、もうこの「エヴァ」は終ったんだ、もう人の作品に自分の考えに目くじら立てて攻めるのはやめてくれ、見る側と自分は「他人」なんだ、そこまで立ち入らないでくれ、攻めないでくれ、こっちにしたら「気持ち悪い」んだ、エヴァ=庵野の首を絞めるのはもうやめてくれ・・・そういう事だと私は感じました。いつまでも他人に依存されると気持ち悪いって事だと・・・そういう意味の、監督の「エヴァは終ったんだ!」という宣言ではないだろうか。
私はあのラストシーンは「自分に棘があることも、相手が針を持つことも、全てを承知した上で敢えて一歩前に進む事が出来るようになったシンジ君」に成長した、と言う風に考えています。「気持ち悪う。」の台詞に関しては、あそこから人類の新しい時代が始まる的な雰囲気(オーケストラが聞こえてきそうな、とでも申しましょうか。)の中で、劇の中の世界ではこれは現実なんだ、と言う目的で入れたのではないでしょうか。(日常性を出したと言った方がいいかもしれません。)まあ、いわゆるハリウッド的な大円団では無いよ。ってとこですか。私はいい出来だったと思ってます。
アスカは「気持ち悪い」よりもその前に差し出した手の方が重要だと思います。敗北の象徴である同じ右手だというのがヒントでしょう。
シンジが心象世界とラストシーンでアスカを求めて首を締めるシーンはレイプのメタファーじゃないかという意見がありました。確かにそう解釈するとあのラストも非常に理解しやすくなるんですよね。
そしてラストの台詞ですが、私はシンジだけでなく、世界の全て(自分も)に対して感じたメッセージだと感じました。生きていくには気持ち悪い世界だけど、やっぱり死ぬのは嫌だ、と。そもそもアスカがシンジを好きだとは思ってなかったのでショックではありませんでしたが、手も触れず、目も動かさなくてあの台詞だったら、やっぱつらかったかな(^^;)。ともかく、我が儘を貫き通した監督に拍手!
やっぱシンジがアスカの首を絞めたのは、ATフィールドの象徴でしょうな。人は生まれながらにして、他人を拒絶すると