
はてなキーワード:受け手とは
戦略的共感と認知的安全保障:反発を招かない政治的批判のための包括的枠組み
現代の政治空間は、政策の不一致(イデオロギー的二極化)以上に、対立グループに対する嫌悪や恐怖といった感情的拒絶反応(情動的二極化)によって支配されている。この環境下において、伝統的な「批判」の手法――事実の提示、道徳的糾弾、論理的論破――は、その機能不全を露呈しているだけでなく、逆効果をもたらしていることが多くの実証研究によって明らかになっている。批判対象者の信念を強化してしまう「バックファイア効果(Backfire Effect)」や、批判者を存立危機的脅威とみなす「アイデンティティ防衛機制」が作動するためである。
本報告書は、心理学、認知科学、政治社会学の最新知見に基づき、政治的対立者に対して反発(バックラッシュ)を招かずに影響力を行使するための戦略的枠組みを提示するものである。ここで目指すのは、単なる「中道的な妥協」や「礼儀正しさ」の推奨ではない。人間の認知アーキテクチャの脆弱性と特性をハッキングし、相手の道徳的・感情的防御壁を迂回してメッセージを届けるための、エンジニアリングされたコミュニケーションプロトコルである。
報告書は大きく三つのフェーズで構成される。第一に、なぜ従来の批判が失敗するのかを脳科学的・心理学的メカニズムから解明する理論編。第二に、その防御壁を突破するための具体的な対話技法(ディープ・キャンバス、ストリート・エピステモロジー、NVC)を体系化した実践編。そして第三に、これらの技法を個人のスキルから社会運動へとスケールさせるための組織論と普及戦略である。
効果的な批判戦略を設計するためには、まず人間の心がどのように政治的情報を処理し、拒絶するかというメカニズムを理解しなければならない。政治的信念は単なる情報の集合体ではなく、個人のアイデンティティや所属集団への忠誠心と融合した「拡張された自己」の一部として機能している。
近年の政治心理学における最も重要な発見の一つは、情動的二極化(Affective Polarization)の実態解明である。これは、対立する政治グループのメンバーに対して「好きか嫌いか」という感情的温度差が極端に開く現象を指す。研究によれば、情動的二極化は対人関係の悪化だけでなく、個人の心理的幸福感(ウェルビーイング)の低下、社会的支援の減少、ストレスの増大といった「個人内損害(Intrapersonal Harm)」をも引き起こすことが示唆されている。特に、リベラル層において高い情動的二極化とストレス、健康悪化の相関が見られることは、政治的怒りが批判者自身をも蝕むことを示している。
この情動的二極化は、脳内で一種の「信頼のファイアウォール」として機能する。アウトグループ(外集団)から発信された情報は、その内容の真偽にかかわらず、自動的に「悪意ある攻撃」としてタグ付けされる。扁桃体が脅威を検知し、前頭前野が論理的推論ではなく「反論の生成」のために動員される「動機づけられた推論(Motivated Reasoning)」が作動するためである。この状態にある対象者に正論をぶつけることは、火に油を注ぐ行為に等しい。
バックファイア効果とは、誤った信念を訂正しようとする試みが、かえってその信念を強固にしてしまう現象である。このメカニズムには、自己肯定感の維持と集団への所属欲求が深く関わっている。批判を受け入れることは、過去の自分を否定すること(自己の一貫性の喪失)や、仲間を裏切ること(社会的死)を意味するため、脳は全力でそれを回避しようとする。
さらに、批判のフレーミング(枠組み)が、受け手のイデオロギーとミスマッチを起こしている場合、説得効果は皆無となるばかりか、抵抗を強める結果となる。例えば、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)対策におけるメッセージングの研究では、リベラル層が「利得フレーム(マスクをすれば命が助かる)」と「損失フレーム(マスクをしないと命が失われる)」の双方に敏感に反応し、コンプライアンスを高めたのに対し、保守層はこれらのフレーミング効果に対して強い抵抗を示したことが明らかになっている。これは、問題が高度に政治化された文脈においては、一般的な行動経済学的介入(ナッジ)さえも、イデオロギーのフィルターによって無効化されることを示唆している。
批判が受容されるための極めて重要な、しかし見過ごされがちな因子として「知的謙虚さ(Intellectual Humility:IH)」がある。IHとは、「自分の知識や信念が間違っている可能性を認識する能力」と定義される。最新の研究は、対話において自身の知的限界を認める態度が、相手の情動的二極化を低減させる強力な緩衝材となることを示している。
特筆すべきは、IHが「相手からの好意(Target Liking)」を媒介して、対話への「接近行動(Approach)」を促進するというプロセスである。批判者が「私は絶対に正しい、お前は間違っている」という道徳的マウンティング(Moral Grandstanding)の態度を取ると、相手は「回避行動」をとる。逆に、批判者が「私も確信はないのだが」「複雑な問題で迷っているが」という不確実性を提示することで、相手の警戒心が解け、対話の土俵に乗る可能性が高まる。知的謙虚さは、相手の武装解除を促すための「白旗」ではなく、心理的防衛壁を通過するための「通行手形」として機能する戦略的資質である。
政治的対立の根源には、事実認識の相違以上に、道徳的直感の相違がある。リベラルと保守は、異なる「道徳の言語」を話しているにもかかわらず、自身の言語で相手を説得しようとするため、コミュニケーション不全に陥る。本セクションでは、道徳基盤理論(Moral FoundationsTheory: MFT)を応用し、批判を相手の価値観に翻訳して届ける「道徳的リフレーミング」の技術を詳述する。
ジョナサン・ハイトらが提唱した道徳基盤理論は、人類の道徳的判断が以下の5つ(または6つ)の生得的な基盤の上に構築されているとする。
実証研究が一貫して示すのは、リベラル層が主に「ケア」と「公正」の2基盤に強く依存するのに対し、保守層は5つの基盤すべて(特に忠誠、権威、神聖)を重視するという非対称性である。
多くの政治的批判が失敗するのは、リベラルが保守に対して「それは弱者を傷つける(ケア)」「不平等だ(公正)」というリベラル特有の語彙で攻撃するためである。保守層にとって、これらの価値は「忠誠」や「権威」よりも優先順位が低いため、批判は響かない。逆に、保守がリベラルに対して「伝統を破壊する(権威)」と批判しても、リベラルはそれを抑圧としか捉えない。
反発を招かない批判のためには、自身の主張を相手の道徳基盤の語彙を用いて再構成(リフレーミング)する必要がある。これを「道徳的合気道」と呼ぶ。相手の道徳的エネルギー(価値観)を利用して、相手の姿勢を崩す技法である。
以下の表は、主要な政治的争点において、従来のリベラル的批判(バックラッシュのリスク大)を、保守的道徳基盤に翻訳した戦略的フレーム(受容可能性大)に変換したものである。
| 争点 | 従来のリベラル的批判(高リスク) | 戦略的リフレーミング(低リスク) | ターゲットとする道徳基盤 |
|---|---|---|---|
| 環境保護 | 「地球温暖化は弱者や未来の子供を苦しめる。」(ケア) | 「我々の国土と美しい自然は神からの授かりものであり、汚染から守り抜く義務がある。」 | 神聖/堕落、忠誠/背信 |
| 同性婚 | 「誰を愛するかは個人の権利であり、平等であるべきだ。」(公正) | 「結婚は社会を安定させる伝統的な制度であり、同性カップルもその責任ある関係に組み込むべきだ。」 | 権威/転覆(社会秩序)、忠誠 |
| 軍事費 | 「軍事費を削って福祉や教育に回すべきだ。」(ケア/公正) | 「無駄な軍事支出は国家の財政を弱体化させ、真の国防力を損なう背信行為だ。」 | 忠誠/背信、権威 |
| 政治腐敗 | 「富裕層ばかり優遇するのは不公正だ。」(公正) | 「私利私欲のために公職を利用することは、国家への裏切りであり、高潔な職務を汚す行為だ。」 | 忠誠/背信、神聖/堕落 |
| 移民問題 | 「難民を助けるのは人道的な義務だ。」(ケア) | 「秩序ある移民受け入れは、国家の活力を維持し、アメリカンドリームという伝統を守るために必要だ。」 | 忠誠、権威(秩序) |
研究によれば、保守層に対して環境保護を「神聖さ」や「愛国心」の文脈で語った場合、リベラルな文脈で語った場合よりも支持率が有意に上昇することが確認されている。重要なのは、主張の内容(環境を守る)を変えるのではなく、その理由付け(なぜ守るか)を相手の言語に翻訳することである。
批判は通常、「現状のままでは悪いことが起きる」という損失フレーム(Loss Frame)で行われることが多い。しかし、損失フレームは恐怖や不安を喚起し、防衛的な反応を引き起こしやすい。これに対し、「ゲイン・フレーム(Gain Frame)」を用いた批判は、望ましい未来像を提示し、その実現を阻害する要因として現在の問題を指摘する手法である。
例えば、政治家のスキャンダルを追及する場合、「彼は嘘つきだ(損失フレーム:信頼の喪失)」と攻撃するのではなく、「我々は正直で高潔なリーダーを持つに値する国家だ(ゲイン・フレーム:尊厳の回復)」と主張する。このアプローチは、批判の対象を「個人」から「規範の維持」へとずらし、相手の「権威への尊重」という道徳基盤を刺激しつつ、攻撃性を緩和する効果がある。研究は、特にリスク回避傾向の強い層に対しては損失フレームが有効な場合もあるが、イデオロギー的に対立する層に対しては、ゲイン・フレームや道徳的適合性の方が「聞く耳」を持たせる効果が高いことを示唆している。
理論を実践に移すためには、具体的な対話スクリプトと手順が必要である。ここでは、異なる文脈(対面、オンライン、深い対話)において効果が実証されている3つの主要なプロトコルを詳述する。
ディープ・キャンバスは、戸別訪問(キャンバス)において10〜20分の深い対話を行うことで、トランスジェンダーの権利や移民問題などの二極化した争点に関する態度を変容させる手法である。従来の「事実の弾丸」を撃ち込む方法とは異なり、「脆弱性の交換」を通じて相手の情動的反応を書き換える。
研究によれば、ディープ・キャンバスは従来の説得手法の約102倍の効果を持ち、その効果は数ヶ月持続することが確認されている。
ストリート・エピステモロジー(SE)は、相手の信念の「内容(What)」ではなく、その信念に至った「プロセス(How)」を問うソクラテス式問答法である。Permalink |記事への反応(1) | 11:19
https://anond.hatelabo.jp/20260208222041
こういうやつね。
はい嘘。
ふわふわ国民もやや伸びしてるのだからおまえみたいな言いぐさが嘘なのは証明されてんだよ。
有権者に受けるのは自党の値打ちや与党と別の選択肢を示すポジティブメッセージ。
立憲民主党だって浮動層の票は多いんだから当然ここに当てはまる。
そんなことは前からさんざん示されてるのに
また「与党を扇情的に罵る」という同じ負けパターンをやって盛大に負けただけ。
終盤には「#ママ戦争止めてくるわ」とかいうクッサい共産党仕草に乗ってしまった。
右往左往。
「そういうのやってると負けるぞ」
「実際にもう何回もその理由で負けてるぞ」
って散々指摘してもらっててもやめられないのは何故か?
お前らは選挙で勝つこととか社会の何かを変えることとかじゃなく、
「与党の悪口言って仲間内で頷き合うこと」こそが目的になってるからだよ。
胸に手を当てて正直に点検してみ。
与党を罵倒して仲間で盛り上がってる時が一番ドーパミン出て気持ちいいだろ?
そのツレ手淫が輪の外からどう見られるかについての苦言なんて、
お前ら全員が十回以上見たり聞いたりしてるはずだ。
ただただ不快になって耳塞いだり顔背けたりしてきただろ?
どんな手を使っても人の心臓を移植してでもその子が生き続けられる方法探すだろうが。
「今通ってる病院で治療法無いからもういいや」なんて投げるわけ無い。
何がなんでも勝たなきゃいけないとかどうしてでも勝ちたいとか思ってるやつは
お前らのそれは明らかに「実は勝ちたいとも思ってないやつ」の振る舞いなんだ。
(これはスポーツでもなんでも勝負ごとを必死にやったことあればすぐわかる。
だって勝つ方法があったら現実的に取り組まなきゃいけないもんな?
苦難の道だ。忍耐が必要な上に実力まで求められる。
「みんなでワーワー悪口言ってたら与党が倒れて悔しがる」みたいなものなので、
「#ママ戦争止めてくるわ」みたいなのはお前らの願望にがっちりマッチするため何度でも盛り上がる。
そして負ける。
何回負けても何回負けてもテキのせいと思って自分の悪いところを点検しない。
負けながらグループ自慰することの方が慣れ親しんだ快楽になってるので
同じことを惰性で繰り返す。
何が迷惑って、お前らみたいなのが野党とか左派とかリベラルとかの主役ヅラして
口が軽い。
異様に勝負強いとか運気があるというのはよくわかったけど怖い。
でもお前らは壺だの裏金だの頓珍漢なことを(しかも効果が薄れたと証明されたことを!)イシューにして、
ここまで負けなくていいほどの大敗をした。
オールドウスラ左翼の終わりで、これからの新しい左翼はチーみに受け継がれる。
もう政治に関心ある振りなどやめて、
なんか凡夫を呪う滅日宗教とか不浄行サークルとか作って頷き合いながら自涜に励んでほしい。
左様なら。
受け手(ワイ)が性的な言動で尊厳が傷ついたり不快になったり不利益を感じたらセクハラやで
なんで女はセクハラされてなんか嫌な思いするかって言うと、自分が妊娠出産という痛くて苦しい思いをする可能性がある性行為を強要されるかもしれないという懸念が頭を過ぎるからやで
女はみんなこれに怯えてるから基本的に性行為には積極的ではないんやよね
子どもはかわいいであれ、好きな男であれ妊娠出産は痛くて苦しいもんはそうなんよ、ましてや好きでもない男からなんてとんでもないねんな
で、でも男からしたら可能性のさらに可能性だし全然損してないやん!騒ぎすぎや!って思うんよ
多少過敏かもしれんけども、妊娠する、子どもを産むって事は人生を左右する問題やからそれは過敏になって当然や
で、だから過剰に反応するし、反応が過剰なだけにその反応自体の不利益もあるわけやな、性加害の危険を避ける事ばかり考えてしまったり、少しな事で大きなストレスになったり
男は知ったこっちゃないかと思うが、女は人生かかっとるからそりゃヒステリーにもなるで
今回の事象は、円安/円高の是非を巡る健全な政策論争ではなく、発言の一部を切り出し、意味を再構成することで受け手の認知を誘導する情報戦の構造を持っています。
ポイントは、事実誤認を作るのではなく、文脈を削ることで意味を変えるという、近年の情報戦で多用される手法です。
② ラベル貼り
③構造の切断
↓
↓
↓
認知戦として見た狙い
この種の歪曲が狙うのは、以下のレイヤーです。
物価高で苦しむ層に「この人は分かっていない」「庶民感覚がない」という感情的印象を植え付ける
難しい経済構造の議論を避けさせ「よく分からないけど、なんか不安」という判断停止状態を作る
本来は同じ方向を向いている産業重視、生活重視の層を、「どちらを優先するのか」という偽の選択で分断する
・為替操作
ではなく、
という、長期設計の話をしている。
・為替水準に踏み込まない
敵として描きにくい
この事例は、以下の流れの一部として読むと分かりやすいです。
↓
↓
今回、高市早苗氏自身が行った修正は、認知戦対策として非常に質が高い。
・「何を言っていないか」まで明示
これは為替論争ではありません。
日本の政治空間において、構造的・制度的な発言ほど、認知領域で歪められやすいという現実を示すケースです。
そして重要なのは、認知戦は嘘ではなく「意味の再編集」で行われるという点です。
おいアスペ共!お前らは今まで何回「せめて丁寧に書けよ」と言われてきた?
そのたびに何回「丁寧には書いてるよ・・・」と思ってきた?
2つ丸をつけようがつけるまいがとっくにちょっぴり大人じゃ済まない年齢になっても未だに言われていないか?
俺が今日はそんなお前に必殺技を教えてやるから感謝して欲しい。
そろそろ死にたい。
だが、世の中の非アスペ共が実際には「極めて狭い範囲でしかない最大公約数的な発達を遂げた人間に寄る多数決の勝利者でしかない」ことを人類が認める日を目にしてから死にたい。
そんな俺の承認欲求になってくれ。
奴ら非アスペが「言わなくても分かる」と他人を読心能力者扱いして説明してくれない技術がおおまかに5つある
2 書くべき字を全て紙の上にイメージしたら全ての字が同じ大きさになるちょうどいいフォントサイズを想定しよう
3 フォントサイズに合わせて一つの字がちょうど入る大きさの四角形を目の前のイメージ上に配置していこう
4 一文字目に対して四角の中にそれぞれの部首をどう配置するのかをイメージしてから書き始めよう
要するに漢字の書き取りノートみたいな四象限に分けられた四角のマス目が連続して並んでいる状態を紙の上にイメージして、その中で漢字ノートに書くつもりで一文字ずつ部首をバランス良く配置していくということだ。
うん!
分かるわけねえよなあ????
「もっと丁寧に書きなよ」の10文字でこれが分かるわけねえよなあ?????????????
マジで思う。
アイツらは単なる多数決の勝利者でしかなくて、結局アイツらもアイツらである種のアスペなんだよな結局。
永字八法というのがあってな、トメハネの基本を練習できる奴でな。
詳細はググって欲しいんだが、これをやって色んな字に対して「じゃあここの部分はトメるのか?ハネるのか?」を考えていくと色々いい感じや。
たとえば糸偏は一文字の糸の半分の大きさだ。
だってそうしないと「絲」と「糸が2個並んでいる」なのかが区別がつかないだろ?
でも今お前は区別できているだろ?
何故なら絲と糸が同じ大きさで書かれていて、それはつまり絲の糸偏が細長くなってるからや。
「全ての字の大きさを同じにする」の基本は実はここに全てが詰まっていると言える。
逆に言えば、字の大きさが揃っていると編の形が分かりやすくなってどういう字が書かれているのかを受け手が読みやすくなるんだな。
はぁ?
これぐらい小学校でやってる?
はぁ?
やってるからなに?
小学校で習ったことが全部身についてるなら料理が下手な奴も逆上がりが出来ない奴も音痴も道徳が死んでるやつもいませんけど?
小学校って万能なんですかぁ?
マジですかぁ?
神ですかぁ?
はぁ?
うん!
インターネットはつまらなくなった。つまらないやつを排除する方法 1
インターネットはつまらなくなった。つまらないやつを排除する方法 2
インターネットはつまらなくなった。つまらないやつを排除する方法 3
インターネットはつまらなくなった。つまらないやつを排除する方法 4 結論
一般的な規範を廃した場所、どんな行為も賞賛などの報酬に繋がらず、尊敬もされないような場所でなされる活動は、おもしろいものである可能性が高い。
なぜなら、報酬がえられないのにわざわざ何かをするということは、行為者自身がそれで満足をえられるのでなければならないからだ。
自分で自分のやることを評価できない人間は、報酬なしで満足はできないから、そういう人間は排除されるというわけだ。
そういう場所にやって来る人間は、なぜわざわざそこを選ぶのか?
それは、同じように真に価値あると実感できるものを探す人間と共同して活動できるからだ。
おもしろい環境でなされる活動というのは、おもしろい人同士が相互作用し、新しくて、実際に人の感性を刺激するものを連鎖的に生み出していく営みだ。
最初に誰かがおもしろいことして、別の人間がそれを自発的に、その人の感性によっておもしろいと感じ、最初のものとは違った新しいものを作り出していく、そういう連鎖的な活動がなされるのがおもしろい環境というものだ。
これは、他人がやっていることを評価基準とみなして学習し、報酬をえるために真似し続けるような人間がいない場所でしかできないことだ。
おもしろい人間に対して報酬を与えることができるとすれば、報酬がない環境を維持し、同じように自発的でおもしろい人間が報酬なしで成し遂げた成果を共有できるようにし、それができない人間を排除することだけだ。
いいものを作ってくれた人にはお礼やご褒美をあげないといけないとか、おもしろい活動を促進するために報酬を約束しないといけないという考えは、たちまちおもしろい環境を腐敗させる。
報酬が与えられる条件がどんなものであっても、報酬がえられる条件と人が実際に満足するかどうか(おもしろいかどうか)という条件は必ず乖離するものであり、表面的な評価基準を満たそうとするだけの人間がやってきて、すべてが台無しになってしまうのだ。
価値あることを実現する資質とは、他者からの間接的な価値判断を信用せず、自らの自発的な感性の働きを自覚することができ、そのために活動しようとし、他者が自分の行動の動機に影響を与えるのをよしとしないことだ。
そしてその反対に、無価値さをはびこらせるのにつながるのは、外的な動機でしか行動しない人間であり、また、人に外的な動機を与える環境だ。
外的な動機で行動することや、それを奨励する環境は必ず腐敗する。
評価するがわの人間でさえ、本当に自分が評価対象によって満足をえているとは限らないのだ。
何かを評価する人はただ、送り手が価値あるものを作っていると信頼して、自分ではなぜ満足しているのわかっていないのに満足しているだけなのかもしれない。
受け手が、対象のどんな性質が自分の感覚をどう刺激したのかという因果関係をはっきり自覚しているとは限らない。
受け手の評価する能力が、送り手の自己評価する能力より優っていると、どうして信頼できるのか?
そのうえ送り手が自己評価できないなら、価値を保証してれるものは誰もいないのだ。
送り手が自分の活動の良し悪しを判断できず、受け手が自身の感性で判断してくれると期待している一方で、受け手は、送り手が自身の成果を保証してくれているはずだから自分もそれをよいものと判断して問題ないに違いないと考えるという、循環依存が起きかねない。
つまりその状況では誰もものごとの良し悪しについて考えていないわけだから、いいものを作ったり、何事かを良くしていく活動などやりようがないのだ。
ここで言いたいのは、「客観的な価値を評価する能力」などといったものではなく、主観的な価値、主観的な満足さえろくに自覚できない人間がいるということだ。
そういう評価者の要望を聞いたところで、彼らを満足させるものは生み出せない。
他者からの評価を尊重して何かをする人間がいる環境や、積極的ににそうするべきとされている環境では、結局誰をも満足させないものを際限なく作り続ける義務が発生しかねない。
そうなるくらないなら、他者への評価を一切禁じ、行為者自身のみが自ら評価者とならざるをえなくるするほうが、価値あるものが多く生まれるのだ。
また仮に評価する側が自身の感性で評価できるからといって、送り手が受け手の反応だけを見て活動していればいいということにはならない。
なぜなら、その環境の価値の方向性を狭めることになりかねないからだ。
他者の評価に影響を受けるということは、被評価者は評価者のうち誰が一番適切なのかを判断できないということだ。
したがって、被評価者が最終的に受け入れるのは、多数派か、影響力の強い少数の人間かのどちらかになる。
多数派の価値観というものができあがっている環境では、当然その価値観が多くの活動者に影響を及ぼすことになるため、その環境の価値観の多様性は狭くなる。
少数の人間によって作られた価値観が共有されている場合も同様だ。
仮にその少数の価値観が確実に誰かを満足させることができ、しかも多くの人を満足させられるとしても、価値観が少数に修練していくことはあってはならないのだ。
ある人の何かを評価するということは、それにしか価値がなく、それ以外のことは無価値であり、したがってそれ以外のことはやるなとほのめかしているようなものだ。
価値観の方向性の多様さを確保するには、それぞれの活動者が他者の評価に影響されないようにし、それぞれが自発的に活動するしかない。
そして、そのような自発的な人間だけを選り抜くために、評価という報酬がないほうが都合がいい。
実際にネットで活動していた人たちがこういったことを自覚していたかどうか、意識的な動機はともかく、定まった評価基準もなく、報酬もえられない場所で活動することには、実際そういう効用があるのだ。
増田が増田を書くと、それはあくまでも増田がかいたものでしかないので
従って、増田が増田に増田を書いて増田で悩み相談するのは限界があり
五感というセンサーを持って増田が感じて増田に書いている内容以上を読み取る事のできる
人間は高度な天然知能と共にセンサーを持った存在で、自分で能動的に情報収集ができるから
まぁ、センサを通してじゃないと情報をインプットできないのが限界でもあるんだけど。
このメリットは当面、AIが獲得する予定がないところ。ここら辺はフィジカル側に何かを作らなければいけないので
逆に言えば、ここならまだ戦う余地があるわけで、AIで価値を失いそうな大手SIerが最近、フィジカルAIとか言い出して
| 日 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
|---|---|---|---|---|
| 01 | 2858 | 421959 | 147.6 | 44 |
| 02 | 1847 | 224819 | 121.7 | 45 |
| 03 | 2197 | 493345 | 224.6 | 70 |
| 04 | 1414 | 196763 | 139.2 | 44 |
| 05 | 1799 | 208824 | 116.1 | 42 |
| 06 | 1523 | 183331 | 120.4 | 42 |
| 07 | 1444 | 242079 | 167.6 | 50 |
| 08 | 2477 | 619688 | 250.2 | 71 |
| 09 | 2031 | 260905 | 128.5 | 44 |
| 10 | 2582 | 379962 | 147.2 | 46 |
| 11 | 1918 | 233300 | 121.6 | 41 |
| 12 | 1702 | 191678 | 112.6 | 44.5 |
| 13 | 1647 | 217123 | 131.8 | 42 |
| 14 | 1459 | 221863 | 152.1 | 46 |
| 15 | 1829 | 235657 | 128.8 | 45 |
| 16 | 1891 | 239829 | 126.8 | 43 |
| 17 | 2147 | 253321 | 118.0 | 43 |
| 18 | 1755 | 209939 | 119.6 | 43 |
| 19 | 1972 | 223987 | 113.6 | 45 |
| 20 | 1675 | 219127 | 130.8 | 46 |
| 21 | 1620 | 208198 | 128.5 | 43 |
| 22 | 1701 | 240709 | 141.5 | 47 |
| 23 | 1904 | 218436 | 114.7 | 42.5 |
| 24 | 1959 | 266653 | 136.1 | 42 |
| 25 | 1889 | 259213 | 137.2 | 46 |
| 26 | 1692 | 228352 | 135.0 | 42 |
| 27 | 1329 | 167049 | 125.7 | 41 |
| 28 | 1658 | 197115 | 118.9 | 42 |
| 29 | 1850 | 220938 | 119.4 | 44 |
| 30 | 1694 | 241346 | 142.5 | 44 |
| 31 | 1706 | 209237 | 122.6 | 40 |
| 1月 | 57169 | 7934745 | 138.8 | 45 |
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ごく個人的な意見で悪いんだが、英語を話せるようになるのに必要なものって英語の理解というより文法的な使い方だと思ってる。
英語の勉強に関しては義務教育レベルぐらいでしかやってないし塾にも行ってなかった。
けど今は普通に仕事で海外に行って、普通に英語でコミュニケーション取れている。
そういったことを話すとたまに「すごいですね」と言われるが、自分としては大したことをやってはいない気で居る。
自分の場合、英語を学んだのは映画からだった。学生時代、字幕で映画をアホみたいに大量に観た。
英語を僅かでも理解できる人なら既知なことだと思うが、映画の日本語訳って結構意訳だったりする。
それはある単語が使われていても場面によって意味が違っていたり、言い回しや空気感によって役割を少し変えたりするからだ。
だからそれで問題はない。というかさ、言語っていうのはそもそも論でいえば意味が先にあるのではなく、受け手のリアクションやそれによって生じる事態によって意味が生じるともいえる。
日本語で例えるなら「すみません」。人混みの中を進むときの「すみません」と、謝罪するときの「すみません」、この二つの「すみません」の場面に英語の字幕を付けるとき、同じ英語を当てはめるだろうか?
おそらく答えはノーだろう。何故なら言葉が一緒でも意味が異なるからだ。
英語の学習もこれと同じだと思っている。意味の知らない、異なる言語を学ぶときにはその言葉が成立している場面を見ることが最も効率がいいのでは?と個人的には考えているわけだ。
映画内で生きた英語を見聞きすることで、その英語が実際に使われる場面を知る。
そんなことを繰り返していたら普通に英語でコミュニケーションできるようになっていた。
拙かったりするところはあったりするものの、今のところは「もしかして以前に海外に住んでいました?」とよく聞かれるほどには好評だ。
俺は酒が飲めない。飲むと気持ち悪くなるだけだし学生の時に先輩に鍛えろと言われて飲み続けた事もあるけど結局強くならなかった。
叔父が東京で一人で暮らしていてそこに居候させてもらっていた。
家賃的にも助かるし叔父は穏やかでいい人だったから日常で不満に思うことなどなかった。
夜にほぼ毎晩晩酌していて酔っ払うと普段よりちょっと口数が増えて、グチっぽくなる感じ。あとよくわからない話も多かった。「俺もなあ もうわかんないのよ」とかぶつぶつ言ったり。
暴れるとか怒り出すとかまでいかないけど、普段がめっちゃ穏やかなだけにギャップが強くてそれだけは好きじゃなかった。
この人は酒の力を借りないと心で思ってる事が口に出せないんだろうな、それってダサいなと思っていた。
言葉にするなら酔ってなくても言えることだけにしろよ、そうじゃないなら胸のうちにしまっておけよと思っていた。
その後しばらくしてずっと世話になるのも悪いので俺は叔父の家を出た。
だんだん歳を取るにつれ、仕事でもプライベートでも「言わないでおいたほうがいい事」が多いなと感じるようになっていった。
若い頃は自分の思いとか考えを誰かにぶつけることが大事だったし、失敗も含めて良い経験だったと思う。
だけどそうやって経験を積んで歳を取ってくると、今度はあえて言わないというポジションになってきたなと感じた。
ただ聞いてあげる。それが大事な場面がどんどん増えていく。
自分が「受け手」に回ることが増えていくと、夜寝る時に色んな事が頭をよぎるようになっていった。
ただただ色んな人の思いみたいなのが自分の中に入り込んできてしまう感覚だ。
この感じはどうやっても拭えなかった。解決する方法があるわけでもない。
そんなよく分からない感情をぶつける相手などもちろんいない。そもそも言語化することもできない。
酒は飲んでも飲まれるなという言葉があるように、ただ美味しいから飲んでるだけならいいけど
どちらかというと「なにかを忘れたくて飲んでる」人が多いように見えていた。
それは時に悪循環を生む怖さはあるけど、そうやって毎日を乗り切ってる人もいるのも事実だ。
記憶をなくすほど飲むわけじゃない、でも少し頭の中を麻痺させたい。
だって考えたって仕方ないことが多すぎる。
俺は夜に一人で晩酌して、酔っ払うと少しグチっぽくなっていた叔父の事を少し好きになった。
なんなら、ちょっとカッコいいじゃんとも思うようになった。
だからたまに叔父の家に酒を持っていって、付き合うようになった。
1人夜な夜な晩酌して自分を誤魔化すようにして眠りにつく叔父。
次の日はなにもなかったように同じように穏やかに真面目に仕事に向かう。
初めにこのことを書かなければならないと思った。
なぜなら本書において三宅香帆は信じられない前提を置いている。
若者は、自分が面白いと思う物や好きと感じることが自分では分からないという前提だ。
だから初めに書く。
私は自分の好きなものや、自分の嫌いなものを確かに自分で判断することが出来る。
その上でこの本は面白くないと感じるし、筆者のことは嫌いだ。
私は23歳の男だ。地元の友人は結婚ないし婚約をしている中で、そろそろ若者としての賞味期限切れを感じつつあるが、若者という立場で文章を書く。
本書で述べられる考察とは何か。
それは既に存在している正解を探す行為であり、そこから与えられる「報われた」という感情が報酬となって流行を見せているという主張が展開された。
変な家、あなたの番です等で正解のある内容を考えることでほっとして安心できる。これが若者の思考であり令和でウケる要素があると書かれた。
そこには正解を当てたという「意味」があり、これがあるからこそ物語を楽しむ時間が無意味であることの恐怖を和らげることが出来る。
だからこそ答えがある場所に、成果が得られそうな場所に集まる。
そうして物語を楽しむという行為が報われるという行為に奪われていくという話だ。
この流れを聞いてどういった印象を受けるだろうか。
何が良いのかも判断が付かず、それらしいものに絡めとられていく様子が私には浮かんだ。
私はこの主張に否を突き付けたい。
確かに若者が好みそうなコンテンツ、作品が計算して作られることはあるだろう。
だがそこに乗っかるのはあくまで自分たちが楽しいから、自分たちが良いと感じるからのはずだ。
ネガティブな感情に追いやられ、そればかりしか楽しめなくなる集団が多数派かのような内容を押し付ける行為は認められない。
一読した部分では分からないことや読み取り難い部分があり、作品に再度触れながら仮説を立てたり根拠を探したりした。
が、それでいい。何故か?
答えを探し求める過程で作品世界への理解が深まり、これまでの自分では気が付かなかった領域が見えたからだ。
そうして感じ取った部分を基に、またもう一度その作品が好きになる。
時間をかけて丁寧に読み、初めに探していた部分とは違った側面がいくつも見えてくる。
この物語は、もしかしたらこういうことを描きたかったんじゃないか。
改めて考察を終えた後作品を振り返ると、それまでとは全く違う姿が見える時がある。
そんな瞬間が楽しくて、考察をする。
人が考察をするのってそういう部分を求めてるからなんじゃないのか?
コンテンツが語らなかった部分を積極的に読み取ろうとすることで、自分の中で新しい物が芽生える。
受動的な視聴とは違う。
自ら生み出す創作とも違う。
それでも自分の行動が挟まる(ように見える)余地があって、自分の手で何かが変わった体感が得られる。
この能動性に考察との共通項があるからこそ、二つが同時発生的に消費者の中で存在感を放つようになったのではないか。
そこには、コンテンツが溢れるようになった時代も関係しているのかもしれない。
ただそこにあるものを消費する営みに疲れ、一歩積極的な行動に価値を感じるようになった。
そんな背景がもしかしたらあるのかもしれない。
ここまで書いたことと、本書で主張されたことは、どちらが正しいのかは分からない。
著者に課せられたハードルはそんな低い物ではないはずだ。
根拠のない持論を重ねること。
何かの作品に対して向けるなら好きにすればいいが、現実に人間に向けるなら話は別だ。
「若者」達に向かって、生き方や接し方を説く。より上の世代に向けて「若者」との接し方を示す。
分析する力も、説得する力もまるで足りてない。
自身のツイートで若者を救いたいと言っていたが、別にあなたは必要とされてない。
彼女がこの本でやっているのは、勝手に問題意識を植え付けることだけ。
ネガティブな像を作り、最終的に自分の提示する方向性に誘導する。
高級感のある情報商材屋だ。イラストをアイコンにしたビジネスブルーバッジがよくやっている。
もっと根本的にだ。仮に考察の目的が正解当てゲームに主眼を置いた物だったとしよう。
ドラマの正解当てばかりに躍起になってるやつ、見たことあるか?
もっと言えば、そもそも考察でそんなに正解に辿り着いているか??
本書の嫌いな部分はこういう所だ。
自分の言いたいことのために、もっと当たり前のことをいくつも無視している。
娯楽に触れる上で最も嫌われるのは「つまらない」ことのはずだ。
報われるだとか、最適化だとか、くだらないことをごちゃごちゃ語るんじゃなくて、シンプルに面白くないことはしたくない。誰だって楽しいことが好きなはずだ。
失敗したくないだとか、何を言っているんだ。
寂しいならお友達が周りに沢山いるだろ。
他人をわざわざ付き合わせるな。
この本は一時が万事そんな調子だ。
根拠になっていない根拠に著者の妄想が乗っかり、あなたはそう思うのかもしれませんね以上に見どころがない話が続く。
さっき書いた考察という行為に対する私の主張も、別に特段の根拠がある訳ではない。
少なくとも私と私の周りにいる人間は物語を愛するために考察をする。
だったら本を書く前に、そんなことをしなくてよいと直接声をかけるべきではないか。
声をかけた結果の対話でもあれば、この本はもっとマシな内容になっただろう。
やけに人気そうな割に話すことが薄いなと思ったし、Kindle Unlimitedで読んだ『好きを言語化する技術』は途中で投げた。
読みづらい上にnoteで書けよみたいな話ばかりで。
正直批判する側に相当アレなやつが多いし、いちゃもんばかりつけられているように見えた(例えば飯田一史のやり方は気に喰わない)。
実際彼女の著書を最後まで読み切った訳ではないから、一冊しっかり読み切ろうと手に取ってみればこのザマだ。
全く言語化について考えたことがない人間には役立つ部分もあるからだ。
そういう悩みを抱えた人間。
これは対象が明確だ。
そういった人々にとって助けになる可能性はある。
noteやYoutubeで探せばもっと分かりやすく深い内容の物があると思うが、それでも本の価値は0ではない。
誰のことを書いている。
様々な作品に、自分の主張を通すために無理やりな解釈を加え続ける。
これでいいと本当に思ったのだろうか。
内容を磨きあげるためにベストを尽くしたのだろうか。
これでいいと思ったのなら、読者を舐めている。
彼女を擁護する者の中に、彼女と同様に「若者」を舐めている者がいないか。
最近三宅香帆の文章を添削するというnoteが話題になった(https://note.com/kyunkyun_p_d/n/n9cc45ed3d74b)。
私の立場を示すなら、必要な指摘と的外れな指摘が混在していると思っている。
確かに三宅香帆の文章は読みづらいと思うが、それはターゲット層の違いもある。
1-の章立てで指摘されてた表現群はちゃんと狙いがあるし、修正前の方が素晴らしい内容だと感じた。
一方で2-、3-の章での指摘な重要な物もある。
彼女の文章は、読み手がおかしな部分を見逃したり、言いたいことを察したりする必要がある部分がそれなりにある。
例えばこれだ。
https://x.com/tsurezure_lab/status/1989617763934244949?s=20
このツイートに載っている表は『考察する若者たち』の冒頭で出てくる。
この表を持って
『そう、ドラマや映画の「ただの感想」よりも「考察」のほうが、いまや人気なのです。』(Kindle 3ページ目から引用)と主張する。
いやそれは違和感ない??
ショートと通常の合計では考察動画の方が多いかもしれないが、じゃあ考察の方が人気なんですねとスッと飲み込むのはやや難しくないか。
別に大したことじゃないかもしれないが、パッと見で違和感ある主張を並べる理由もない。
一つ二つならまだしも全ての章で強引な主張に溢れている。
これ、本当に本を読まない人間向きの本か?
結構な人数が無意識に、本を読まない人間は論理的思考力に欠ける馬鹿だと考えてないか?
本を読まなくとも、論理展開のおかしさに気付ける人は少なくない。
そんな中で適当な内容ばかり書いてある本を目にすれば、むしろ価値がない物として認識される。
雑に作られた形の壊れた文章を、三宅さんはそういうライターだからで済ませるのは、三宅香帆を一番馬鹿にしてるだろ。
アティチュードばかり頭にあって、目の前の良し悪しについて考えることを放棄してないか?(これは彼女の属性だけで飛びついて批判してそうな側にも言える話ではあるが)
何年も書いてる人間がちゃんと考えれば、もっといい内容を書けるに違いない。
彼女周りの人間及びファンダムは、三宅香帆を過度に低く見積っているように見える。
人を舐めるな。
過去に発売された本達は、彼女の名前が残り続けるにふさわしい内容だったのか?
全くそうは思わない。
三宅香帆本人もだが、彼女を過剰に持ち上げようとする人々の方がより嫌悪感がある。
チェックする人間は何を考えているのか?
売り出したいものがあるなら、付け入る隙を減らすように粗は取り除いておくべきだ。
クオリティの低い物が注目を集めれば批判が集まるのは当たり前だ。
彼女に連なる様々な動きが、本を売り出すために仕掛けるプロジェクトだとするなら、シンプルに全ての能力の限界が近いとしか思えない。
本を出版する人間達は、もっと面白くて、真摯な発信が出来るはずだ。
どうしても自然に差し込む方法が思いつかなかったので、趣旨とは外れる部分を書く。
何故か後半は自分語りになってしまったので本当に読まなくていい。
野村克也、日本歴代二位の通算本塁打数を誇る名打者、かつ名捕手として野球の戦術戦略に様々な形を導入した人物でもある。
彼の特徴はと問われて何を答えるかは人それぞれだが、野球の実績以外にも目を見張る点がある。
正しい数字かは不明だが150冊以上の本が出版され、30冊以上が文庫化されているらしい。
通算150本塁打以上を記録した選手は歴代で180人しかいないし、シーズン30本以上打った選手は今年のプロ野球では2人しかいない。
文筆家としても名選手だったと言えるだろう。
強いて言うなら、楽天の監督を辞めた後の時期の本は面白いかもしれない。
大体のルーキーはストレートに魅力があってプロに入ってくるのに田中将大はスライダーにこそ価値があった。
そんな投手は稲尾和久以来だった、みたいな話はめっちゃ面白い。
逆に言えばそれ以外はあまり見どころがない。
ほとんどの本で話が使いまわされていて、見たことがあるからだ。
そんなに人間新しい話が書ける訳がない。
しかも現場から離れていった彼の野球理論は、今読めば正直古かったり間違っていたりすることも多い。
当時でも検証不能であったが故にまかり通っていたが、今から見ればそれはおかしいと言いたくなる話が沢山ある。
それでも本は売れた。それは詳しい内容以上に彼の人間性に惹かれ、言葉を読みたい。
私もその一人だ。内容の是非とは違う所に読む価値を感じていた。
翻って、三宅香帆はどうだ。
連載をこなし出版をこなし、メディア出演も大量も盛りだくさん。
今回の本を読んでとてもそうは思えなかった。
それでも彼女の本は売れる。それは三宅香帆という名前そのものにファンがいるからだ。
とても既視感を覚える。
ノムさんの本に、今はそんなことないなんて言い続けても野暮だろう。
しかしこの2人には大きな違いがある。
それは年齢だ。
現場で戦う人間は自分たちで新しいことを探すし、話しを聞いたとしても大真面目に捉え続けることは少なかったのではないか。
彼女は違う。今まさにど真ん中で社会に変化を与えようとする側だ。
だからこそ、本の内容が稚拙なのが気に入らない。これでいいとは言いたくない。
本から完全に離れた自分の主張を書くなら、寄り添うのはもういいと社会に対して思っている。
それは社会に余裕がある時の振る舞いだ。
今はそんなものは無い。
むしろ人は1人では生きていけない。
だけどいつか人は支えて、人を引っ張り上げる側に行かないといけない。
今の生活はクソだ。
だから今の社会はゴミだなんて話で終わらせようとするのはもっとクソだ。
でもいつまでも弱いままでいることは出来ない。
腹を括って、自分は強くなって自分は勝ちに行くんだと言い切らないといけない。
三宅香帆の本は優しい。
弱いことを肯定する成分が強い内容だ。
そういう部分が共感を呼んでいることも有ると思う。
でもそれはもう遅いと思う。嫌々ながらも諦めて頑張らないといけない。
ノムさんは、プロ野球選手になってから文字通り血の滲む努力を繰り返して成功したという。
それが答えだろう。
ノムさんも三宅香帆も、精神面でもメッセージが強く受け取られている。
金を残すのは三流、仕事を残すのは二流、人を残すのが一流。
考察する若者たちも、読者の感想は最終章への言及がとても多い。
2人とも人を感化しているし、読者は受け取ったメッセージを抱えて行動しようとしている。
じゃあ、本当に成果を出して、人生を動かしている人はどういう属性なんだろうか。
今回の「オフレコ破り」で色々な論が出ている。が、論点がいまいち整理されていないがために嚙み合わない議論が続いていると思う。
別に時間をつぶすためにXにかじりついている人間からすれば些細なことではあるが、そんなのを見せつけられるとストレスが溜まってしょうがない。ここで私なりの論点を整理したいと思う。
もちろん過不足はあると思う。適宜指摘してほしい。筆者は専門家ではないし、メディア論のプロでもない。その点に留意してほしい。
なお、繰り返しになるが生産性のない議論に辟易しているのでこれをまとめている。これに対してブコメを付ける人々は胸を張って生産的であるというコメントを付けてほしいし、トラバを行う人々も生産的であって欲しいと思っている。もちろんこれを判断するのは筆者ではない。自分自身で十分と思えるものを付けてほしい。
この発言をしたとされているのは、官邸幹部で総理に安保関連で色々な意見を示すことが可能という人間である。この人間が「あくまで個人的な意見ではあるが、日本は核を保有するべきだと思う。とはいえ現実的には難しいと思う」といった発言をしたのである。
この発言が個人的意見として許容されるか否か。また立場が加わることで発言の重みが変化するのか。
当該の人間は恐らく現総理の就任時に官邸入りした人物であると推測されている。要は総理が気に入ったやつを連れて来たということである。これ自体は歴代の内閣でも(程度に差こそあれ)行われてきたことである。
そもそもこの慣行は良いことであるか、また総理の人選センスは良かったのか。
あくまで個人的な意見と断った上での発言である。これらが政権内で共通の意見であるかどうかの確認は一切取られていない。このような発言をオフレコ破りをしてまで報じるべきだったのか。
日本テレビなどは「なぜオフレコ破りを行ったのか」の説明を行っている。が、高市政権幹部“核兵器保有すべき”非公式取材で考え示す (2025年12月19日掲載)|日テレNEWS NNNで「発言は、オフレコを前提とした非公式取材ででたものです。日本テレビでは発言の重要性から伝えるべきと判断しました。」などとあいまいな説明に終始している。
重要性がなぜあったのかと判断したのか、誰が判断したのか、重要なのに伝えられていない発言があるのではないか。そういった疑念を生む中で現状の説明が十分なのか
共同通信は初報で「首相官邸筋「核持つべきだ」 安保担当、非公式取材で」といったタイトルで伝えた(https://www.47news.jp/13614806.html])。しかしながら、上記の通り発言者は個人的な意見であると断ったうえで非現実性についても触れている。
タイトルだけ読んでいる方が悪いとも言えるが、そうした意見があるのもまた事実である。このような「切り取り」は良いのか。
ただし共同通信は名前にある通りストレートニュースを基本として配信を行う「通信社」である。タイトルが短くなる傾向があることに留意。
前総理は、総裁に選出されてから首班指名を受けるまでのわずかな間に、核共有及び核持ち込みに関する主張を行っている。英語であるがShigeru Ishiba on Japan’s New Security Era: The Future of Japan’s Foreign Policy | Hudson Instituteでまだ読める。これに関する論考としては笹川平和財団のレポートが良いであろう。「核共有及び核持ち込み」の議論で押さえておくべきポイント: 石破新首相の主張を題材に | 米国政策コミュニティ論考紹介 | 日米関係インサイトで読める。
この際、安全保障に対して強い関心がある人々では話題となったがマスコミは大きな問題として扱わなかった。オフレコではなく堂々とオープンにされている意見であるため性質は異なるが、マスコミの報道姿勢の違いが妥当かという問題である。
元の主張が「アジア版NATO」に関する主張の一部であるため、マスコミが気付かなかったことも考えられるが、そのような視点においてはマスコミの質に関する問題とも捉えられることを付記しておく。
はっきり言って日本において「オフレコ」はかなり曖昧に運用されている。Xの投稿の中ではアメリカの基準を持ち出して叩いている人々がいるが、これは見当違いである。とはいってもこの運用が適当であるかは別途議論されるべき論点だろう。
今回のような発言は、マスコミと官僚・政治家がある種の「癒着」を行っている中で飛び出したものである。そもそもこのような関係性が健全であるのか。
普通に「消息筋によると~」や「農水省幹部によると~」といった書き出しの記事は日常的に見るものである。我々は情報を受け取る際にこれらがどういったソースからきているのかを十分に気にしていなかったのではないのか。
散々マスゴミマスゴミと罵っておきながら、能動的なことは何もしてこなかったことはどうなのか。
今回のような発言を取ることは、はっきり言えば一般人にとって極めて困難である。マスコミを叩くだけなら簡単だが、何も生んでいない。市民ジャーナリズム(JANJANなど)も収益的に厳しく撤退していった。そういった中で我々は何を出来るのか。
まず本当のキングは麻生太郎。麻生このタイミングで何としても公明を地に落としたい。
このタイミングなら自民は浄化できる(宗教団体の支持を脱却できる)と考えた。
だから意見が合致する維新と組めた(自民は過半数が必要、維新は大阪都構想ができれば何でもいい)。
②比例議員の大幅削減(公明と選挙協力をする理由=比例制度があるから)
③(参政党を使うなどによって)国民民主党は公明と近いと吹聴して弱らせる
④予算成立のための最悪のケースを想定し、維新の自滅時のバックアップとして国民民主党は生かさず殺さずにする
⑤維新が言うことを聞かなくなると「国民民主党と組むぞ」と脅して言いなりにする
だからあれだけ「企業団体献金禁止」と言っていた維新が「議員定数の削減」などどというわけのわからないことを言い続けて、受け手規制を拒否している。
維新が「議員定数の削減を!」と言う=自民への忠誠を示す、ということなんだろうね。
「作りたがる奴ばかり多くて、受け手が圧倒的に少ない界隈」地獄じゃね
具体的に言うと、個人アプリ開発、インディーゲーム開発、個人Vtuber、歌い手、ハンドメイド、物書き、ピアノとか
誰かが作品をリリースする。「すごい!」「リリースおめでとうございます!」とリプライが飛ぶ。
一見、活気があるように見える。
これ、何が起きてるかっていうと、全員が「次は自分の番だ」と思って義理いいねを投げ合ってるだけ。
純粋な客なんてどこにもいない。
で、この構造の中で唯一、確実に儲けてる奴らがいる。
「ツルハシ売り」だ。
ゴールドラッシュの時と同じことが、現代のクリエイター界隈でも起きてる。
作り手ばかりいるから、そこをターゲットにした商売だけが肥大化していく。
「何かを作って表現したい」という純粋な欲求が、カモとして養分にされていく。
一番闇が深いのがこれ。
最初はみんな純粋に「良い作品を作りたい」と思って参入するんだよ。
でも、すぐに気づく。「あ、これ誰も見てねえわ」って。
市場には供給が溢れかえっていて、可処分時間の奪い合いですらない。ただノイズをつくってネットの海に投げてるだけ。
そこで心が折れたけど、飯は食わなきゃいけない人間がどこに向かうか。
「作りたがる人にノウハウを売る側」に回るんだよ。
「アプリが売れなかったから、バイブコーディングの稼ぎ方を売って稼ぐ」
「ハンドメイドが売れなかったから、ハンドメイドの稼ぎ方を売って稼ぐ」
#新人〇〇さんとつながりたい
みたいなハッシュタグにはこういうワナビーをカモにする側に回った連中が殺到する
始めたばかりの新人は不安だし、作品を発表しても受け手もいないので孤独だ。そこに奴らは接触してくる。
新人から見たら相手は経験豊富な先輩だし、「〇〇◯万円稼いでる」とプロフにも書いててすごい存在に見えてしまう。
そうして信頼関係を築いたあと、DMで高額商材を売りつけてハメる。常套句は「すぐ稼げて元取れるから」
最近歌い手や個人Vtuber界隈でちょっとした騒ぎになってたやつね
商品じゃなくて、夢を売って会員を増やしていく。
末端の会員(新規参入者)が金を出して、古参がそれを吸い上げる。
「夢を諦めるな!」
もういいよ。
みんな、頼むから「客」になってくれ。
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