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はてなキーワード:受け手とは

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2025-12-11

anond:20251210132853

別に受け手はいるけど作り手の99%がその段階に到達してないだけっていうか

Vtuberがわかりやすいと思うけど

長編ゲーム配信枠とかで1020とあるのにタイトル自分タスク記載しなかったり各シリーズちょっとずつ目的別/章別に分けて新規が入りやすくみたいな意識もなかったり

歌枠は普通に下手だったりこれ生歌でやるのかみたいな曲だったり

企画系の配信でもよそから面白い企画パクることもできず変なオリジナリティ出したしょうもない企画やって「なにこれ?」みたいな

そういうレベルにはそりゃ受け手はいないだろって感じ

別にもうちょっとレベル上がったら受け手いるよっていう

Permalink |記事への反応(0) | 01:07

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2025-12-10

anond:20251210132853

個人ゲームvtuber界隈は供給過剰というよりはマーケティングの失敗な気がする。受け手は十分にいるけど届くようなものを作れない奴が多い

Permalink |記事への反応(1) | 20:57

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作りたがる人ばかり多くて受け手がいない界隈、マジで地獄

最近、ふと思ったことがある。

ジャンルとか性別とか属性を超えて共通する法則

「作りたがる奴ばかり多くて、受け手が圧倒的に少ない界隈」地獄じゃね

具体的に言うと、個人アプリ開発インディーゲーム開発、個人Vtuber歌い手ハンドメイド、物書き、ピアノとか

そこにあるのは「市場」じゃなくて巨大な「互助会」なんだよな


誰かが作品リリースする。「すごい!」「リリースおめでとうございます!」とリプライが飛ぶ。

一見、活気があるように見える。

でも、そのアイコンをよく見ると全員「同業者

どれも青バッジついててテンプレみたいな敬語絵文字リプ


これ、何が起きてるかっていうと、全員が「次は自分の番だ」と思って義理いいねを投げ合ってるだけ。

演奏会で座ってるのは義理チケットを握らされた身内だけ。

純粋な客なんてどこにもいない。

全員がステージの上に上がりたがっていて、客席がガラガラ


ツルハシ売りだけが儲かるゴールドラッシュ

で、この構造の中で唯一、確実に儲けてる奴らがいる。

ツルハシ売り」だ。

ゴールドラッシュの時と同じことが、現代クリエイター界隈でも起きてる。

・「未経験から3ヶ月でアプリ1万DL!」という情報商材

・「売れるハンドメイド作家になるためのコンサル

・「Vtuberになるための専門学校無認可校)」

作り手ばかりいるから、そこをターゲットにした商売けが肥大化していく。

「何かを作って表現したい」という純粋欲求が、カモとして養分にされていく。


出口戦略が「作り方を売る」しかない

一番闇が深いのがこれ。

最初はみんな純粋に「良い作品を作りたい」と思って参入するんだよ。

でも、すぐに気づく。「あ、これ誰も見てねえわ」って。

市場には供給が溢れかえっていて、可処分時間の奪い合いですらない。ただノイズをつくってネットの海に投げてるだけ。

そこで心が折れたけど、飯は食わなきゃいけない人間がどこに向かうか。

「作りたがる人にノウハウを売る側」に回るんだよ。


アプリが売れなかったから、バイコーディングの稼ぎ方を売って稼ぐ」

ハンドメイドが売れなかったから、ハンドメイドの稼ぎ方を売って稼ぐ」

#新人〇〇さんとつながりたい

みたいなハッシュタグにはこういうワナビーをカモにする側に回った連中が殺到する

始めたばかりの新人不安だし、作品を発表しても受け手もいないので孤独だ。そこに奴らは接触してくる。

新人から見たら相手経験豊富な先輩だし、「〇〇◯万円稼いでる」とプロフにも書いててすごい存在に見えてしまう。

ツイートいいねしてくれるし、リプも送ってくれる。

そうして信頼関係を築いたあと、DMで高額商材を売りつけてハメる。常套句は「すぐ稼げて元取れるから

最近歌い手個人Vtuber界隈でちょっとした騒ぎになってたやつね

これ、構造的には完全にマルチビジネスと同じなんだよね。

商品じゃなくて、夢を売って会員を増やしていく。

末端の会員(新規参入者)が金を出して、古参がそれを吸い上げる。

被害者だった人たちも加害側に回ってグルグル廻る


「夢を諦めるな!」

あなた個性表現しよう」

ツルハシ業者が、今日広告を打つ。

かつて夢を追いかけていた者たちが、勧誘側に回って囁く。

あなたも、クリエイターになりませんか?」

副業で好きなことを仕事に!」



もういいよ。

みんな、頼むから「客」になってくれ。

Permalink |記事への反応(31) | 13:28

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2025-12-08

anond:20251208103325

自慢や批判アドバイスを通して「お前より俺という人間の方が格上である」という主張

もしくは受け取る側の解釈被害妄想

例)

今日メイクめっちゃ盛れた!見て!」自慢に対して受け手

「それに引き換えアタシがショボいって言いたいの?!?!」

あるいは苦言や忠告に対して、「テメーの方が優秀だと言いたいわけか、オッケー」となれば必然的

マウントされた』自動認定ですよ、ええ

Permalink |記事への反応(1) | 11:05

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2025-12-05

ユーモアと知性が足りない、そうです

この文章は、確かに煽り文句として強烈ですが、少し問題があると思います。いくつかの点を批評してみます

1️⃣ターゲット目的不明確さ

ターゲットが誰なのか、また その目的曖昧です。文章の中で「弱そうな奴らに言い続けよう」と書いていますが、具体的に誰を指しているのかが不明確。誰を貶めようとしているのか、またその意図読み手に伝わりづらくなっています

目的が「煽り」や「侮辱」にあるのだとしても、読み手にとってその意図がわかりにくいと、単に攻撃的で無意味文章に見えてしまます

2️⃣ 不必要侮辱言葉選び

• 「骨無し」「弱男」「チキン」 は確かに侮辱的な言葉ですが、攻撃的で過度な表現逆効果になることが多いです。特にヤンナム」という表現韓国語を使っていることにより、 不必要人種差別的なニュアンスを含んでしま可能性があり、批判を招くことになります

• また、「チーズ牛丼」「骨無しヤンナムチキンセット」という形で、あたか特定の人々を一つのステレオタイプに押し込めている印象を与え、 過剰な偏見差別的な印象を強調しています。こういった表現は読者を不快にさせるだけでなく、侮辱として受け取られることが多いです。

3️⃣ 「繊細ですね?」という反論の不自然

• この部分の反論「私は美味しそうな韓国料理名前出しただけですよ?何を怒ってるんですか?繊細ですね?」は、いわゆる「スットボケ」というスタイルですが、ちょっと自然です。相手が怒ったとして、その反論言い訳として成立しない と感じる読者も多いはず。

• もし本気で言い訳をするのであれば、もっと説得力のある理由を考えたほうが良いでしょう。「単なる料理名前」と言っても、その文脈では明らかに侮辱が含まれているので、受け手はそれを無視できません。

4️⃣冗長表現

• 「ブヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww」などの繰り返しの表現は、冗長不快 です。笑いの部分が過剰に書かれており、真剣さや一貫性が欠けて、文章が軽く感じられるため、説得力が薄くなります

5️⃣ 総括的な印象

この煽り文句は、確かに攻撃的で挑発的ではありますが、その目的メッセージが明確でなく、他人不快にさせる可能性が高い です。煽り侮辱は確かに一時的感情的な反応を引き出すかもしれませんが、 その後の人間関係コミュニケーションに悪影響を与えることが多いです。

さらに、文化的人種的な敏感さに欠ける部分があり、無自覚差別偏見助長しかねません。このような言葉を使うことで、正当性を持たない攻撃に過ぎないと見なされることもあります

💡改善案

もしこの文を煽り目的で書きたいのであれば、相手を傷つけない ように工夫し、また無駄人種的文化的攻撃的な要素を排除することが大切です。例えば、もっとユーモア皮肉を交えた形で、悪意を減らすことができれば、読者が共感やすくなるかもしれません。

また、言葉の選び方やニュアンスを慎重にすることで、意図を明確に伝え、反発を避けつつも効果的なメッセージを送ることができます

Permalink |記事への反応(1) | 10:26

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2025-12-04

オタクってすぐ失礼をクリエイトするよね

「こんな作品受け手に失礼だ」

「こんな改変は原作に失礼だ」

「こんな待遇演者に失礼だ」

「こんな続編はシリーズに失礼だ」

「こんな売り方は客に失礼だ」

「こんなマッチプレイヤーに失礼だ」

「こんなコラボ相手方に失礼だ」

「こんなパロディ元ネタに失礼だ」

「こんな展開はキャラクターに失礼だ」

どんだけ失礼をクリエイトしたいんだよ?

失礼をクリエイトした先に何があるんだ?

お前が一瞬のマウント気持ちよくなりたいだけだろどうせ

Permalink |記事への反応(0) | 21:26

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2025-12-01

日常会話や世間話なら一人当たり一文。ほとんど一文ごとに話し手聞き手は入れ替わる。

このやり方である限りにおいては先生弟子があるテーマに沿って対話して一緒に学びを深めていくようなことにも当てはまることだが、話す順番は特に意識する必要はない。相手が聞いてきたこから答えればいい。

それは問いも答えも文章的には一文によってやり取りされることに関わっている。

これが二文以上を費やしてもっとまとまりのある情報を一度に伝えようということになる段階で文章の組み立てというもの意識される。

長い文章ほど推敲もしないで思いつくままに話したり書かれたりされても受け手はどんどん置いてきぼりになっていく。

全体として流れが自然であるような文章が望まれる。

やみくもに話したり書いたりしたとしても偶然話の組み立てとして最適解な順番になっていて推敲した時と同じ効果受け手に及ぼすこともあるかもしれない。

しろそれが偶然よりも高い確率で起こるようにするためにこそ推敲をするのだと考えるべきだろう。

ここまでのことを踏まえれば、結局逆に言えば挨拶英会話のような単純な質問と応答のような世間話のような類をラインネット上の掲示板チャット感覚で行なうことにおいては、その文章本質的には形式に囚われて文章と分類していても仕方がないのではないかということだ。

まずこれらの文章には解釈学の常識通用しない。

文章他人の目に触れた瞬間それは解釈的に作者の手から離れるというが、まさかチャット書き手が誤解されて誤解であることを釈明した後でも「お前の先の文章ではそう解釈できるんだからお前がどういう意図で書いたか関係ない」とか言ったらただのキチガイだろう。

政治家発言撤回したならば撤回したという事実自体は受け入れられ、批判されるのだとしても「撤回するなら最初から言うな」といったような類であるのが健全であり、まるで撤回したことなど知らないかのように「なんであんなことを言うの」と言い続けるのが異常とみなされることに対応する。

また一般的文章では同じ言葉は極力使うべきではないという考え方があるようだがチャット的な単なる意思疎通のための文章では別にそのようなこだわりは求められていないと思う。

これも音声での対話でも同様に同じ言葉を何度使おうが全く気にしないのと対応している。

そもそももし我々が声帯も手も失ってしまったら何が望まれるだろうか。

から口を動かしたりキーボードを叩くとき命令が検出されたらそれに対応した人工音声の再生なり、ネット対象としているなら端末への文字入力なりが望まれるのではないか

ネット対象をしてなくて対面でもあえて胸元にiPadみたいな液晶をぶら下げておいてそこに言葉を発しようとする時の脳の命令対応する文字が出てくる仕組みを望む人もいるかもしれない。

いずれにせよこうやって考えてみると、音声のとき文字の時とで文章かどうかの扱いが変わってしまうという考え方には本質を欠いた印象を受ける人も出てきているのではなかろうか。

しかし現行の考え方では人工音声か胸元に文字が表示されるいわゆる筆談形式をとっているかというだけで文章という呼称適用すべきかの判定をしていることになる。

増田というある種の仮想空間においても我々は喉を潰され筆談強制されているようなものだ。

筆談する障がい者表現は全て「文章」力という尺度によって評価されるべきなのだろうか?現に「口下手」だった後天的啞が筆談コミュニケーションを取っている場面でその巧拙考察される場合、おそらくそれは会話という捉え方で分析されるように思えるし、このような場での表現巧拙をやみくもに全て文章力と呼んで処理する傾向は腑に落ちない。

dorawiiより

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Permalink |記事への反応(0) | 04:08

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2025-11-29

別にエンタメ社会派やったっていいけどさぁ

万人が納得するわかりやす解決法なんかあったらとっくの昔にリアルワールドでそれやってるわけで、結局どっかでチグハグなっちゃうんだよね

タクティクスオウガとかそうだったでしょ

ティトー亡き後のユーゴスラビア紛争モデルにしたといわれる世界観は、当時としては間違いなく画期的だった

なんせ序盤から飛ばしている

普通物語なら囚われのお姫様でも救出して英雄になるところを、助けるのは髭もじゃのおっさんで、しかも「英雄として祭り上げられる」

かに救出を言い出したのは主人公たちではあるけど、前線で戦ったのは異国の騎士で、シナリオ上はもちろんのことゲームシステム上でもあの段階では全然戦力になってない

すごいよね

でもあのゲーム雰囲気が素晴らしいのはせいぜい例の虐殺シーンまでで、後はひたすらムカつく奴みんなぶっ倒すだけ

3民族バラバラの島をどうやって再びまとめるのか、という当初のメインテーマをどう消化するかと思えば

死んだ王様の娘を引っ張り出して後釜に据えて、最後は敵味方で王女の奪い合い

なんだそりゃって話でしょ

いつから幕末明治維新の話になったんだっていう

でもこんな話どうでもいいでしょ?

ゲームとして面白ければいいんだから

からあの脚本家みたいに思想に振り切れたところで、受け手はつまんだだけで全部食った気になって、それで終わりなんだよ

所詮エンタメなんだから


anond:20251128214655

Permalink |記事への反応(0) | 08:25

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2025-11-27

anond:20251127153942

から受け手の印象を変に悪くしないように清潔感はある方が良いよね、ただあるからと言ってイコール他人から好かれるわけではないよね、というそれだけの話なのでは

Permalink |記事への反応(2) | 15:42

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2025-11-24

君も2025年屈指のホラー映画「果てしなきスカーレット」を観よう!

久しぶりに映画を鑑賞したので、感想備忘録としてまとめておく。

ネタバレ注意。

年の暮れも近づいて寒風が吹きすさぶなか、これほどの恐怖と癒しを味わえるとは思わなかったので、いい記念になった。


スカーレット』について論じる前に、前提に触れておきたい。

少年少女主人公に据えて普遍的かつドラマチックな物語(以降、ドラマと呼ぶ)を展開する場合シナリオテーマ必然的に「これから大人なる子供たちへの応援歌」になる。

何故かと言えば、大人にならない人間はおらず、あらゆる受け手に刺さるテーマからだろう。

こうなると、あらゆるシナリオ上の敵は「大人になるための障害物」「大人になることへの恐怖」ということになる。

最終的に、物語の中で主人公はこれらの強大な敵を乗り越えて、大人になっていくということだ。


では、シナリオの中で「大人になる」にはどうしたらいいのか。

これはたくさんのドラマに触れてきた人なら自明のことだと思うが、親を超えればいい。

まり、大抵の子供のドラマにおいて、テーマは「親殺し」になる。

古今東西子供が主役のドラマは星の数ほど生まれているが、脚本家には何を「親」にして、どう「殺す」のかが問われるだろう。


ここで、『スカーレット』の話に戻ろう。

先の前提を鑑みて『スカーレット』のシナリオ俯瞰した時、スカーレット主人公)はどう「親」を「殺した」のか。

結論から言うと、スカーレットは親を殺せなかった。正確には「殺さなかった」。

「殺し方がうまくなかった」とか「殺しはしたが中だるみした」とかではない。「殺さなかった」のである

ドラマとしてはなかなか壮絶な失敗である

カレーを作ろうとしたがルーを買っていなかったレベルの失敗で、これは叩かれても仕方がない。


なぜこんなことになったのか。

おそらく、これは脚本が下手とかそういう次元問題ではないと私は感じた。


話は脱線するが、果てしなきスカーレットハムレット翻案したものなので、ハムレット構造にも触れなければいけない。

実のところ、ハムレットも「親殺し」の物語である

ハムレット行間のある物語であるため、様々な解釈があるが、端的に言えば主人公は「父の呪いからまり、「父の呪いを断ち切って」己の遺志だけを残して死んでいく。

詳しくはここでは割愛するが、ずっと父の呪いに悩まされ、懊悩していたハムレットであったが、最後純粋義憤によって剣を取って悪を処断し、理性的政治家として死んでいくのである


もう一度『スカーレット』に戻ろう。

ハムレットテーマを踏まえると、『スカーレット』は「どう親を殺すか」という問いだけではなく、この「ハムレットがどう悩み、どう大人になったか」を翻案するという大変重い十字架を背負って出発している。

相当腕の立つ脚本家でも悩ましいテーマだろう。

ハムレットは数多くの翻案作品があり、翻案を明示していなくてもハムレットフレームワークとして利用したと思われる作品は数多くある(ディズニーライオンキング等)。

彼らに正面から戦いを挑まねばならないわけである


残念ながら、『スカーレット』に関しては「戦って負けた」とは言えない。不戦敗である

何故そう言えるのか。


ここからネタバレになるが、何と『スカーレット』では、父の呪い最後にやってくる。

物語大団円最後最後に父の亡霊が「自分人生を生きろ」と告げ、スカーレット子供のころに描いた父の似顔絵母親に破り捨てられたもの)に変化して消えていく。

恐怖である。「親殺し」どころか、これで主人公は「親の命令に囚われて一生を生きる」ことが確定してしまった。

死者の国を旅し続けて、数多の試練を乗り越えた末に、似顔絵を描いた幼少の自分精神に戻ってしまったのである

その後王になったスカーレットは、集まった民衆に向かって無邪気に父から受け継いだ理想をそのまま語り、条件付きの平和約束する。

自分に協力するのなら」平和約束する、と語るのだ。


いやいやいや。なぜそうなる。

ハムレット読んだ?そんな話でしたっけ???

単純に突っ込むとこれで終わりなのだが、冷静に登場人物を振り返っていくと、この物語内包している恐怖が浮かび上がってくる。


劇中冒頭の処刑時に主人公に聞こえない遺言を呟き、終盤まで主人公を惑わせつつ、最後呪いを仕掛けてくる「偉大な父」である

劇中、なぜか腑抜けとして扱われているが、親しみやすい人柄で子(スカーレット)と民衆からの信頼は篤い。


特に正義もなく極悪非道を貫いているサイコパスラスボスである

民衆から慕われている王(アムレット)を民衆の前で殺害できる政治的超能力を有している。

死の間際、スカーレット顔面に唾を吐きかけてくるレイパー役も担っている。


あらゆる悪人に手を差し伸べて怪我を癒す看護師であり、道中でスカーレットに守られ続ける存在である

子供を守って通り魔に刺されて死者の国にやってきて、愛の歌だけでスカーレット現代渋谷飛ばしダンスと歌でスカーレット精神的に生まれ変わらせた。

死の間際、スカーレットに「いきたい!いきたい!」と言わせて死者の国から旅立たせる白馬王子様役も担っている。


スカーレットはなぜこんなにも性的メタファーを遠慮なく使われているのか、SNSでは非難も起きていたが、冷静になってほしい。

上記キャラクター構造的に全員「父」である

アムレットは一生を呪ってくるリアルな父、クローディアスは自分を愛してくれずネグレクトする悪魔の父、聖は本来まれている理想の父だ。

この物語は「父の言いつけを守り、悪しき父に耐えることで理想の父に愛される」という構造になっている。


そう、描き手は「父から愛される」ことを心の底から望んでいる。

からそもそも戦う気がないのだ。

「親殺し」ではなく、「親の言いつけを守ることで親の愛という永遠平和約束される世界を取り戻す」物語なのである

王になったスカーレット民衆に条件付きの平和約束したのも、このように解釈すれば納得がいく。

「描き手がそのように愛を受けてきた」からだ。

描き手はおそらく、条件付きの愛しか知らない。


何故スカーレットは唾を吐かれたり「いきたい、いきたい」などと言わされているのか。

「可愛らしい女の子でなければ愛を受けられない(自分が愛されないのは女の子ではないからだ)」

女の子なのだから、遠慮なく父の愛を受けられるはずだ(息子ではない存在なら愛を受ける資格があるはずだ)」

性的に求められることが愛だ(自分が愛されないのは性的に求められない存在からだ)」

というドグマが描き手に存在しているからだろう。

まり、描き手は自分の代わりに少女主人公に父から虐待と愛を存分に受けさせている。

それによって癒しを感じているのだろう。


私は過去細田守作品ほとんど知らないが、この作品がこの有様なら、おそらく主人公に関わる男性陣は全員「父化」しているのではないか

ネグレクトしてくる悪魔の父か、なんだかんだで主人公を愛してくれる理想の父かのいずれかだ。


・・・というわけで、私はこの作品を一押ししたい。

無自覚ファザコンによって繰り出されるシナリオからあふれ出る愛の歪みは大変な癒しを齎してくれる。

ヒトの歪みを大画面で摂取して、あなたも癒されてみないか

Permalink |記事への反応(1) | 21:10

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2025-11-23

「鼻ドスとは何ですか?」Grokに聞いてみた

「鼻ドス」とは、主にゲイ男性同性愛カルチャーや成人向けのスラングで使われる言葉で、「鼻をドス(=陰茎の俗称)で突く」つまりフェラチオ最中に陰茎を喉奥まで深く挿入し、鼻先まで亀頭や竿が届く状態ディープスロート)のことを指します。

特に受け手フェラする側)の鼻に、攻め手(挿入する側)の陰茎が「ドスッ」と突き刺さるように見えるほどの深い挿入を強調した表現です。

成人動画特にゲイビデオ)では、タイトルタグに「鼻ドス」「鼻ドス黒人」「鼻ドスまで咥える」などと使われ、極端なディープスロートを売りにした作品でよく見られます

簡単に言うと

「鼻までチンポが届くほどの鬼ディープスロート

のことです(笑)

最近ではストレート作品でも、女性が極端に喉奥まで咥えるシーンで「鼻ドス」というタグが使われることも増えてきました。

Permalink |記事への反応(0) | 06:28

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2025-11-13

anond:20251113114250

はい詭弁

子ども向け番組」と限定すればそれは子供向けのモラルとされるものに沿った内容であるのは当たり前で、フィクション多様性の中で自ら制限を設けて表現を取捨選択しているにすぎない。

受け手の水準がフィクション表現制限するのではなくフィクション創造する側が受け手の水準に合わせる。

この原則理解していないので受け手の水準によってフィクション全体の表現規定されるべしみたいなアホな認識に歪む。

個別受け手特定集団受け手が愚かであるかどうかとフィクション全体の自由は完全に切り離されている。

Permalink |記事への反応(0) | 11:55

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エンタメから面白ければいい、わけではない

フィクションでは何をどう描いてもいい、というのは、ある程度の知性がある人々が受け手場合であって、ものを知らない人が耽溺し影響を受けるフィクションでは当然危険であり、モラル必要です。

社会フィクションモラルを求めるのは、大衆情報入手経路が主に高尚さのないエンタメであり、だからこそそこにモラルがないと社会の秩序や公共性が失われるからです。

子ども向け番組モラル必要とするのと同じです。

精神が成長していない人々がモラル皮肉に扱ったフィクションを正しく理解するのは困難です。

聖徳太子も「お前たちは徳が低くてすぐ派閥をつくったりまともに議論するレベルに達していないから、まずは立場上下関係なく互いの話をよく聞き、和を以て貴しとしなさい」といったのです。

我々一般市民は、自分で思うよりかなり程度が低いのです。慢心してはいけません。水は低きに流れます

フィクション現実区別がついている、という人ほど、すぐ悪い方向に影響を受けるのです。

Permalink |記事への反応(1) | 11:42

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2025-11-08

anond:20251108161926

90年代の「サブカル優勢」からオタク文化圧勝」への転換は、ざっくり言うと以下の力学が重なった結果だと思う。

[1]配信ネット掲示板が“キャラ経済”に最適化

作品より“キャラクター”の継続消費(推し活)が拡散可視化やすい。MAD/二次創作SNS公式展開の循環が強かった。

[2] 反復消費モデルの強さ(シリーズ化・ソシャゲ・グッズ)

ガチャライブ2.5次元舞台イベントコラボカフェ…同一IPで何度も課金/参加できる仕組みが整備。収益の再投資IPさらに巨大化。

[3]グローバル市場での即時流通

ファン字幕公式配信世界同時上映へ。国内ニッチ海外需要で“メジャー並み”の規模に。

[4]アルゴリズム時代の“濃さ”勝ち

強いエンゲージメントを生むジャンルレコメンドに乗る。コアファン熱量がそのまま可視化拡散力になる。

[5]物理小売からファンダムプラットフォーム”へ

90年代サブカル雑誌セレクトショップ的な編集ゲートキーパー依存雑誌衰退とともに拠点を失い、オタクコミケ/同人即売会/SNS/配信で自前の分配網を持った。

[6]コミュニティ主導の“参加型”文化

同人二次創作コスプレファンイベントなど、作り手と受け手が往復する設計。参加コストが下がり、定着率が上がった。

[7] “アングラから“無害・肯定的イメージへの転換

深夜アニメ一般化、秋葉池袋観光資源化、「クールジャパン文脈等で社会的許容が拡大。羞恥コストが低下。

[8]メディアミックス教科書

原作漫画/ラノベ)→アニメゲーム舞台→実写→海外、の水平展開が定式化。投資判断がしやすく、外部資本が入りやすい。

[9] 景気・労働環境の変化と“内向き娯楽”

時間/低予算でも深く楽しめる継続エンタメが求められ、可処分時間の細切れ化にも合致スマホゲーム配信視聴)。

[10]サブカル分散断片化

90年代サブカル音楽アートストリート批評)は“場”を媒介にした横断が強みだったが、場(雑誌/クラブ/独立系書店)の弱体化でネット上に散り、まとまった産業スケールを作りにくかった。

要するに、オタク文化は「キャラ×反復課金×参加コミュニティ×国際同時流通」を握り、プラットフォーム時代KPI熱量継続可視化)に合致した。一方で90年代サブカルは“編集=場”依存で、デジタル転換後の収益装置を持ちにくかった——この非対称性が“圧勝”の正体だと思う。

Permalink |記事への反応(0) | 16:25

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2025-11-05

博衣こより炎上騒動

一言でまとめるなら「沸点低すぎない?」といった感じ。

別に今にはじまった話じゃなく、この人(もとい、このコヨーテ)はつまらないことで定期的に物議をかもしている印象がある。椅子の音を指摘されただけでお気持ち表明とか、年齢いじりにお気持ち表明とか..

もっとも年齢いじりに関しては、Vとか関係なく一般論として失礼な行為ではあるのだが、全体的に「少しでも自分の意に沿わないものに触れたら反論せずにはいられない」ような気質を感じる。

今回の件にしてもそうで、確かに元々の意見否定的ではあったものの、誹謗中傷に相当するような要素はなくただのネガティブ感想だった。ホロは莫大なフォロワーを抱える箱だけれども、配信者として活動するからにはそういったネガティブ感想が飛んでくることは当然承知していないといけない。

本人の釈明文もよくわからない。誹謗中傷かどうかは受け手が決める?誹謗中傷ってそんなあやふや判定基準で決まるものなのか?

配信ちゃんと見ていればそんな感想は出てこない?なぜ配信者がリスナー感想自由コントロールできると思っているんだ?自分業界トップの箱に所属しているからって、思い上がっているんじゃないか

ほろっくすのずのー!などと宣っているが、その場の感情に任せてリスナーを煽るようなリプをする人間(もとい、コヨーテ)が、ブレーンとして適格かと言われると首をかしげしまう。

莫大な配信時間を積み重ねていることは有名だし、本人としてもいい加減な気持ちでVをしているわけではないんだろう。そういう意味では、どこぞの鬼よりはよっぽど頑張っていると思う。

からこそ、沸点の低さが足を引っ張っているのがとても勿体ないと感じる。ファンネル飛ばしたのが意図的だったのかどうか、それは本人のみぞ知るところだが、あれだけのフォロワーを抱えていれば好む好まざるに関わらずファンネルが飛んでいくだろうと当然予想すべきだった。

もっとも、私自身もこんなところでお気持ちを書いているくらいなのだから、あの人(もとい、コヨーテ)を批判する資格は無いのかもしれない。

Permalink |記事への反応(5) | 16:52

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2025-10-30

推しブームが許せない

本来推し活は母性とか父性廃品回収なんだわ。

子育て終わったババアが有り余った母性のせいで暴走しないために韓国アイドル応援したり、本来子供に注ぎたかった愛情受け手がいなくて寂しいジジイアイドルに貢いで夢を見るみたいなものだろ。

若い人がすることじゃない。

若いお前らがこれから先、一緒に生きていく人に注ぐべき大切な愛情を、そんな金儲けの道具に吸収されて良いわけないんだ。

オタク同士でいくらお金を注ぎ込んだか競わせるような商法若い人にもやるな。

宗教と同じじゃないか

オタク同士の階級なんて何にもならないのに。

推し活で何が残る?

若い時なんて短いんだぞ。その間に大切な愛情を奪われて、何が残るんだ。

メディア推しブームなんて言って若者から搾取するな。

若い人たちは自分人生を生きてくれ。

年取ってから推し活でも何でもしてくれ。

Permalink |記事への反応(1) | 13:59

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2025-10-27

anond:20251027111526

流石に二次元現実の好みは違うと思う

ただ、ちょいちょいいるんだけど「よく知らない人を好きになれないタイプ」かもしれない

二次元とか、ドラマキャラクターとかって受け手一方的にだけどその人のことをよくわかってるじゃん

どういう人かわかっているから思う存分夢中になれる

現実だとそれなりに長期間、下手すると年単位でお友達期間がないと好きになれない

でもいい歳になると出会ってサクッと付き合いがちだから、例え相手はいいなと思ってても好きになるタイミングが合わないんだよね

そうなるとハードルめっちゃ上がるな

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2025-10-23

慣用句予約語みたいな立ち位置持たせるのやめろよ

赤ちゃんが安らかに眠る」本当に字義通りのことが起こってるのにそう書いたら死者だと勘違いするとか慣用句がわかってないとか言われるの言語の欠陥だろ。

無言の帰宅若者がわからないとバズってたそうだが問題若者慣用句としてそれを知ってるかどうかじゃなくて、字義通りのことが起こってても慣用句に同じ表現あったら避けなきゃ書き手が悪いとみなしてくる受け手側なんだよな。

いちいち別の表現捻り直さなきゃいけなくしてるっていうこと、つまり慣用句に対して予約語並みの特別待遇をしてるのが問題

dorawiiより

-----BEGINPGP SIGNEDMESSAGE-----Hash: SHA512https://anond.hatelabo.jp/20251023185834# -----BEGINPGP SIGNATURE-----iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaPn8SwAKCRBwMdsubs4+SGzsAP9km2RcWr68h6hZlI1JFspztpz+vVZGU5kV5AkZjAaEJwEAgPjYDU7a3mLBU7O4w7L1P4UHcUu7pT/BMDnfWCfm0gI==Llp0-----ENDPGP SIGNATURE-----

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2025-10-22

自分ホームページを作ったかどうかでWEBの見え方が180度以上違う話

以下ChatGPT

自分ホームページ(自前ドメイン+自前HTML)を一度でも作って運用すると、SNS中心の“受け手視点から仕様検索配信・所有・継続の“作り手”視点に脳が切り替わる。結果、情報リテラシーは跳ね上がり、ネットニュース流行の見え方が根本から変わる——しか想像以上に。

1. “タイムラインからアーキテクチャ”へ

Before(作る前):WebSNSタイムライン。良し悪しは「バズってるか」「見やすいか

After(作った後):WebプロトコルブラウザHTML/CSS/JSCDN検索エンジン。

ページは**文書(Document)**であり、配置(IA)、意味づけ(セマンティクス)、配信HTTP/HTTPS/HTTP/2/3)、キャッシュ戦略が気になりだす。

→ 同じ記事でも「タイトルの付け方」「hタグ構造」「画像最適化」「OGP」「サイトマップ」がまず目に入るようになる。

2. “アルゴリズム運”から“所有と積み上げ”へ

プラットフォーム依存の脆さを体感規約変更やシャドウバン露出が消える。

サイト資産化:ドメインに紐づくURLリンクされ、検索に積み上がり、10年後も生きる。

POSSE(Publish (on your) Own Site, Syndicate Elsewhere):まず自分サイトに出してから外部へ配信する習慣が身につく。

3. “好き/嫌い”から“なぜ速い・なぜ遅い”へ

CoreWeb Vitals(LCP/FID/CLS)や画像の遅延読み込み、フォント最適化重要性が腹落ちする。

広告・計測タグの重さに過敏になる。読者体験を壊さないためのパフォーマンス予算という概念生まれる。

4. “なんとなくSEOから情報設計×検索意図”へ

キーワード選定は“流入ゲーム”ではなく読者の課題コンテンツ設計帰着

内部リンクパンくず・スキーマ構造データ)・サイトマップ意味が実務として理解できる。

“書けば伸びる”ではなく“検索意図を満たす設計が伸びる”に目が覚める。

5. “見た目”から意味アクセシビリティ)”へ

alt見出し階層コントラスト比、キーボード操作、焦点管理など、見えない品質が最重要になる。

デザインは飾りではなく“読み・理解操作”のためのユーティリティだと分かる。

6. “PV至上”から継続コミュニティ”へ

たまたま当たる1記事より、更新継続アーカイブ性・RSSのほうが効くと実感。

コメント欄メールフォーム・X連携よりも、ニュースレターRSS購読者の質に価値を見出す。

7. “無料神話からコスト責任”へ

ドメインDNS証明書バックアップ法務特商法プライバシーポリシー)に“運用者の責任”が生まれる。

その重みが情報信頼性を引き上げる(=他人サイトの苦労も見えるようになる)。

8. “トレンド追従から自分OSを持つ”へ

サイト思想作品OS

トレンドは“輸入”ではなく選別になる。自分歴史に合うものだけを採用して積層していける。

9. まず一歩:最小スタックで“今夜リリース”する

Node.jsを避けたい人向けに、極小構成OK

A. 最小HTML(雛形)

<html lang="ja">

<head>

<meta charset="utf-8" />

<metaname="viewport" content="width=device-width,initial-scale=1" />

<title>あなた名前 |ホーム</title>

<metaname="description" content="自分ホームページ制作物・日記メモを置いていきます。">

<link rel="alternate" type="application/rss+xml"title="RSS"href="/feed.xml">

<meta property="og:title" content="あなた名前 |ホーム">

<meta property="og:description" content="自分ホームページ制作物・日記メモ。">

<meta property="og:type" content="website">

</head>

<body>

<header>

<h1>あなた名前</h1>

<nav>Home /About /Posts</nav>

</header>

<main>

<article>

<h2>はじめまして</h2>

ここからすべてを自分URLに積み上げます

</article>

</main>

<footer>© 2025あなた名前</footer>

</body>

</html>

B.ホスティング無料~低コスト

GitHubPages(Jekyll標準。Rubyベース、Node不要

CloudflarePages(静的ファイルを置くだけで高速CDN

レンタルサーバー(静的HTML+SFTP/rsyncで十分)

C.ドメインの基本

覚えやすい短さ+ローマ字。将来10年使える名前に。

DNSA/AAAA/CAA/TXT最低限、HTTPS必須Let’s Encrypt無料化)。

D. “最低限の品質チェック”5点

タイトル・description見出し一貫性

画像は適切なサイズalt

モバイルでの可読性(文字サイズ行間

OGPが効いているか(XやLINEURLを貼って確認

RSS/更新履歴の有無(継続を前提に)

10. 一歩先へ:運用で差がつく“3つの習慣”

ログを読む:SearchConsoleと簡易アクセスログで“本文よりメタ情報”を磨く。

アーカイブ主義記事追記更新URLは変えない。Versioningを意識

POSSE徹底:自サイトに公開→SNSには要約+リンク本体は常に自分土俵

Permalink |記事への反応(0) | 19:49

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2025-10-17

「なんか面白いこと言って」という発話を語用論的に分析するには、文の表面的な意味(直示的意味)と、話し手意図文脈によって推論される意味(含意・発話行為・会話の含意)を分けて考える必要があります

1. 直示的意味(literal meaning)

• 文の表面上の意味は、「何か面白い内容を言ってください」という依頼の命令文に近いものです。

構造的には、以下のような形式を持っています

• 「なんか」=曖昧な指示詞、「何かの」意味カジュアル曖昧

• 「面白いこと」=娯楽性や知的関心を引く内容

• 「言って」=発話行為を求める命令形(ただし、柔らかく使われている)

2.発話行為論的分析SpeechActTheory

Searleの発話行為理論に基づくと、この発話は以下のように解釈できます

発話行為(locutionaryact):

• 「なんか面白いこと言って」という言語的発話を行う行為

• 発語内行為(illocutionaryact):

実質的には「話を盛り上げてほしい」「場を和ませてほしい」といった娯楽的または関係構築的な依頼。

• 発語媒介行為(perlocutionaryact):

聞き手が笑う、話を続ける、話題を変える、などの効果を狙っている。

3. 会話の含意(Conversational Implicature)

Griceの会話の公理協調原理)に基づくと、発話者は以下のような含意を持っている可能性があります

• 量の公理

情報は足りていない(「なんか」という曖昧な言い方)→受け手裁量を委ねている。

関係公理

• 「いまここで面白いことを言うべき状況だ」と暗に伝えている。

様態公理

曖昧にして、直接的な命令を避けている(「面白いことを言ってください」ではなく「なんか…」と曖昧化)。

この含意は、しばしば冗談半分の軽い依頼であり、場の空気を読むことが求められる。

4.ポライトネス理論(PolitenessTheory

Brown & Levinson の理論に基づけば、この発話は聞き手の負のポライトネスfreedom toact)をある程度脅かす依頼にあたるが、以下のような戦略で緩和されている:

• 「なんか」や「面白いこと」などの曖昧な語彙で距離を取ることで、親密な関係性の中で成立するカジュアルなやりとりに見せかけている。

• つまり、依頼の強制力を弱めつつも、暗に期待している。

5.文脈依存性(Context Dependence)

この発話の意味や受け止められ方は、強く文脈依存します。

• 友人同士の気軽な会話なら:

• →ユーモア小ネタを期待される

• 緊張した場面で言われたら:

• →空気を和らげるための緊急依頼

聞き手芸人・話し上手な人であれば:

• →能力を当然視している含意もあり得る(=フェイスを脅かす)

まとめ:語用論的分析の要点

観点分析内容

文の構造曖昧な依頼(命令形に近いが柔らかい

発話行為関係構築や場の雰囲気改善目的とする依頼行為

会話の含意面白さの判断受け手に委ねられているが、期待値はある

ポライトネス曖昧表現で依頼の圧力を緩和

文脈依存性 親しさ・場の雰囲気関係性に強く依存する

Permalink |記事への反応(0) | 16:33

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2025-10-16

掘り下げにはある程度の尺は必要だろ

ジャンプの序盤アンケくらい連載継続が左右する局面もしくは打切が決まった都合で尺が思うように確保出来ない環境や、

タイトルとは逆に自分も「作者にとっては重要で丁寧にイベント進行を見せたいんだろうけどクドすぎ」と評価する事もあるけど、

なんでもかんでも"文学作品10ページ漫画で読む"や"ソードマスターヤマト"のテンポで高速処理するのは違うと感じるんだよな。

 

(ここから被害妄想

 

溜め回やキャラ日常や脇役パート入ったくれえで鷲巣麻雀編並みの激遅進行に突入たかの様な言い草で「本編進めろ」「迷走した」「主人公不在w」うるせえよ

考察共感に足る描写や設定の提示が無きゃただの説明不足だろうが何の情報も無しに受け手想像を委ねられっかよ

お前の堪え性の無さを作品巧拙転嫁してんじゃねえよ片側陣営描写ペラペラ端折り駆け足緩急死亡作品を送り手に生み出させる癌細胞

 

Permalink |記事への反応(0) | 21:19

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2025-10-10

あなたのために発信された情報1%しか存在しない

インターネット上の情報の99%は、情報受け手の行動や感情お金操作することを目的としたもの、あるいは純粋エンターテイメントとして消費されるものとして整理できます

一方、1%は、スキル知識客観的事実の伝達に特化し、ユーザー生活能力を向上させるために役立つ情報と言えます

99%を占める情報(行動・感情金銭操作または単なる消費を目的としたもの

ユーザー視点から見ると、これらの情報は「役に立たない」というよりは、「誰か(情報発信者側)の利益を優先している」あるいは「単に時間を消費させる」性質を持っていると解釈できます

1. 購買やサービス誘導目的とした情報
2.思想感情操作目的とした情報
3. 単なるトラフィック増を目的とした情報
4.有害詐欺的な情報

1%を占める情報知識スキル客観的事実の伝達を目的としたもの

1%ジャンルは、自己成長や客観的理解に直結する、ノウハウデータを主軸とした情報です。

 

この分類は、インターネット上で情報を探す際に、「誰かの利益のためのコンテンツ」と「自分利益のための知識」を峻別するための視点提供しています

Permalink |記事への反応(0) | 06:56

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2025-10-07

https://b.hatena.ne.jp/entry/4761598876815937280/comment/Domino-R

既にそのデザイン自体女性蔑視に基づいており、その蔑視を共有する受け手自然に受け入れられているというだけだろw

へぇじゃあ女性奴隷扱いしてるISISとかイスラム原理主義は受け入れてるの?全身布で覆った格好以外は処刑するらしいけど

Permalink |記事への反応(1) | 13:39

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2025-10-04

再帰構造を利用してネット議論の膠着を目論む人々には注意しよう

ドッグホイッスルウルフ・クライ弁証法スピーチ・アクト帰属を介した政治的発散」の端的な要約

この論文が端的に示しているのは、政治的言説が**「ドッグホイッスル(隠されたメッセージ)」と「ウルフ・クライ(証明できない危険の主張)」**という、本質的証明が難しい二種類の発話行為スピーチ・アクト)を互いに非難し合うことで、**解決不能悪循環弁証法)**に陥るメカニズムです。

---

ドッグホイッスルウルフ・クライ弁証法」の詳細な要約

この論文は、**ドッグ・ホイッスリングDW)**と**ウルフ・クライイング(WC)**といった特定の**スピーチ・アクト(発話行為)**に対する**帰属(Attribution)**が、現代政治的言説において、どのようにして敵対的弁証法と新たな**発散(Divergence)**を生み出し、解決不能な膠着状態に陥るのかを分析しています [1]。

この問題は、DWWCも、その性質上、**認識論的に(知識観点から帰属が困難な**発話行為であることから発生します [1]。この困難さが原因で、DWWCに対する**非難や指摘(帰属)**自体が、合理的であるにもかかわらず、**確定的に検証または反証できない**主張となってしまうのです [1]。その結果、これらの帰属パターンは、DWWC相互に強化し合い、固定化する**相互的な悪循環viciouscycle)**へと発展し、「不幸な現状(unhappystatus quo)」を築き上げます [1, 2]。

I. 中核となるスピーチ・アクトの定義と具体例

DWWCは、政治的環境において特定の影響力を持ち、政治的言説を構成するスピーチ・アクトです [3]。スピーチ・アクトとは、話し手が直接述べた文字通りの意味(locutionary meaning)を超えて、間接的に暗示された力(illocutionary force)や、世界との相互作用において追加された力(perlocutionary force)を持つ発話の形式を指します [4]。

1.ドッグ・ホイッスリング(Dog-whistling,DW):**

DWは、**論争的ではない公のメッセージ**の中に**論争的な隠されたメッセージ**を埋め込んで送るスピーチ・アクトです [5]。

機能意図:**DWは二つのメッセージを同時に伝達し、隠されたメッセージについて**もっともらしい否認可能性(plausible deniability)**を維持します [4]。意図された効果は、公の支持を最小限に失う一方で、私的な支持を最大限に集めることです [4]。
ドッグタウンの例:**党派的なニュースアンカーAlphaが、犬の国が直面している問題の一部について曖昧だが連想的な言葉「pitiful(哀れな)」を使用する行為が、DW候補と見なされます [6]。これは「pitbull(特定犬種)」への差別的暗号化である解釈される可能性があるからです [6]。
2.ウルフ・クライイング(Wolf-crying,WC):**

WCは、**危険が実際には存在しないか、あるいは証明できない**場合に、危険存在すると主張するスピーチ・アクトです [3]。

機能意図:**WCは通常、個人的に観察された危険に対してコミュニティ結集させる行為であり、一時的に最大限の注目を集めることを意図した効果としています [4]。しかし、乱用されると、多数派の将来的な不信を生むという意図しない効果があります [4]。
ドッグタウンの例:** 別のアンカーBuddyが、Alpha言葉を「pitbull」の暗号だと特定し、Alphaらを懲りない品種差別主義者だと結論づけて、コミュニティ危険を訴えかける行為が、WC候補と見なされます [6]。
3.スピーチ・アクト帰属Speech-Act Attribution,SAA):**

これらDWWCを**「〜という発話行為である」とみなす**行為が、第二階次のスピーチ・アクトであるSAAです [7]。ドッグタウンのシナリオでは、Alphaを除いて、すべての参加者が互いにSAAを行っています [7]。SAAは、他者行為を指摘する役割と、それ自体が新たなスピーチ・アクトであるという二重の役割を持ちます [7]。

II.認識論的な難しさ:隠された意図と誤導性

DWWCがこの弁証法的な問題を引き起こすのは、それらが定義上、間接的で**隠された(covert)**スピーチ・アクトであるため、**誤導的(misdirecting)**な性質を持つからです [8]。

1.DWの誤導性:**

DWは、公衆には無害なメッセージとして聞こえる一方で、特定受け手にだけ私的メッセージを送る、話者受け手の**私的意図解釈**に依存するスピーチ・アクトです [8]。

検証の困難さ:**DWは公には合理的に傍受され得るものの、話者私的意図不明なため、**公的に確定的に検証反証もできません** [8]。話者自分意図告白しない限り、DWは**未検証・未反証**のまま残る可能性が高いです [8]。
自己否認:**DW話者自身によってのみ**自己検証可能auto-verifiable)**ですが、隠蔽目的であるため、話者によって**自己否認可能auto-denying)**でもあります [8]。
2.WCの誤導性:**

WCは、私的に観察されたとされる危険についての公的メッセージですが、**その主張の真偽**が外部から証明されていません [9]。

検証の困難さ:**WCは、その叫び(「狼だ!」)自体真実であることの唯一の情報源であるため、**自己検証的(auto-verifying)**です [9]。しかし、DWと同様に、私的証言に根ざしているため、公衆に対して**もっともらしい否認可能性**を維持しており、**未検証・未反証**のまま残ります [9]。
嘘の場合の誤導:** もし「狼」の叫びが嘘であれば、その行為は「私に注目を与えよ!」という別のメッセージを間接的に伝えていることになり、これもまた誤導的なスピーチ・アクトとなります [9]。

これらのスピーチ・アクトの帰属を行う人々は、証拠の一部しか得られず、全体像の一部のみを見て全体を判断する「盲人と象」のような、**認識論的に不利な立場**に置かれてしまます [10-12]。

III.帰属非対称性と「見かけの」スピーチ・アクト

認識論的な困難さの結果、あるスピーチ・アクト(DWまたはWC)を非難する行為SAA自体が、相手から敵対的な別の種類のスピーチ・アクトとして解釈されるという非対称性が生じます [13, 14]。

1.DW帰属者がウルフ・クライアーに見える(Dog-whistle Crying)**

DW帰属者(DWA「あいつはDogwhistlerだ」と指摘する人)は、隠された秘密メッセージ証明しなければならない立場に置かれますが、DW主体は常に自身意図の直接的な(私的な)証拠に訴えて否定することができます [11, 15]。そのため、DWAは常に**認識論的に不利な立場**に立たされます [11]。

ドッグホイッスル・クライイング」:** この状況により、DW帰属者は常に**ウルフ・クライアー(狼を叫ぶ者)のように見えます** [13]。彼らは、危険存在しないか証明できないのにDW危険性を主張する「ドッグホイッスル・クライイング」を行っていると見なされます [13]。
公衆解釈:**DWが聞こえない公衆の一部は、DW帰属者を、証明できない「狼」について大騒ぎしている者として解釈し、その帰属紛争の種だと考えます [13]。
2.WC帰属者がドッグ・ホイッスラーに見える(Wolf-Whistling)**

WC帰属者(WCA「あいつはWolf crierだ」と指摘する人)は、クライアー個人的経験に反して、「狼」が存在しないことを証明しなければならない立場に置かれます [12]。WCAは、非観察者でありながら、第一人称の観察者よりも権威ある知識を持っていると主張する不利な立場に置かれます [12]。

ウルフ・ホイッスリング」:**WCAを行う者は、常に**ドッグ・ホイッスラーのように見えます** [14]。彼らは危険否定する立場にあるため、コミュニティ安全否定し、潜在的危険容認するかのような**論争的な隠されたメッセージ**を送っているように見えるのです [14, 16]。これは「ウルフ・ホイッスリング」と呼ばれます [14]。
公衆解釈:**危険を感じている公衆の一部は、WC帰属者を、深刻な危険を軽視し、潜む狼に共謀していると解釈します [17]。WCAは、狼(危険)に対する同情や隠蔽の表れとして、レトリック的に不利な立場に置かれます [16]。

IV.弁証法悪循環、および均衡の形成

この相互敵対的帰属非対称性が、DW帰属WCとして返され、WC帰属DWとして返されるという**多極的な相互作用**を生み出し、**認識論的な発散(epistemic divergence)**のプロセス構成します [18, 19]。

1.帰属再帰性:**

帰属自体スピーチ・アクトであるため、帰属はそれ自体再帰的に適用されます。これは**スピーチ・アクト帰属帰属**として例示されます [20]。ドッグタウンの例では、AlphaDW候補)→Buddy(DWA)→CharlieWC A)→DukeDWA)というサイクルが**無限継続**します [2, 21]。

2.相互強化と悪循環:**

このプロセスは、**多極スピーチ・アクト帰属相互性**(DW帰属WCとして、WC帰属DWとして相互に強化し合うこと)であり、反復されることで**悪循環**となります [2, 19]。対話参加者全員が、互いの主張が共通の基盤として受け入れられないまま、**非難応酬**を繰り返します [19]。これは、単に敵意や内集団バイアスから生じるのではなく、**相互的な認識論的な膠着状態**から生じる現象です [18]。

3. 均衡の出現:**

この悪循環政治的言説の領域内で修辞的な規範として安定化すると、**定常状態の均衡(steady-state equilibrium)**が出現します [2]。これは、参加者戦略を変えるインセンティブ提供しないため、持続します [2]。

最終的に、**ドッグホイッスルウルフ・クライ帰属均衡**が形成され、誰もがデフォルトで互いをDWまたはWCのいずれかであると見なすようになります [22]。これは、相互矛盾する信念から構成される**信念均衡(belief equilibrium)**の一種です [23]。

V. 不幸な均衡がもたらす問題

この均衡は、参加者真実を追求しようとする**認識論的な美徳**から生じているにもかかわらず、以下の3つの深刻な問題引き起こします [24, 25]。

1.認識論的な膠着状態(Epistemic Standoff):**

これは、**相互認識論的に強化し合うが、相互認識論的に不適合な**視点システムです [26]。DWWC帰属は、合理的であるにもかかわらず**不確定**である可能性があり、この合理性と確定性の間のギャップが、相互合理的だが相反する立場が**未解決のまま均衡**することを可能します [26]。これにより、真実に到達するための「理想的な発話状況」の実現が不可能になり、会話の前提条件が満たされなくなります [26]。

2.スピーチ・アクト帰属飽和(Attribution Saturation):**

この状態では、**スピーチ・アクトの帰属**が、**事実に関する帰属**を圧倒します [27]。政治的言説の内容は、ほとんどが「あなた言葉DWだ」「あなたの主張はWCだ」といった帰属で占められ、事実に関する議論わずかになります [27]。

この飽和は、最初扇動的事実(犬の噛みつき事件など)自体が忘れ去られたり、無関係になったり、解決されたりした後でも継続する可能性があります [28]。なぜなら、最初出来事Aそのものよりも、「Aに関するスピーチ・アクトの疑わしさ」の方が、政治的重要であるように見えてしまうからです [28]。帰属飽和は、事実から独立した状態となり得ます [28]。

3.自己敗北的な真実探求(Self-DefeatingTruth-Seeking):**

帰属を行う者の動機が**真実の探求**であるにもかかわらず、その追求自体が、実際には真実に到達しない均衡を生み出すという点で**自己敗北的**になり得ます [25]。

DWWC帰属は、特定認識論視点から見て合理的であったり、あるいは実際に正しい場合もあります [29]。しかし、不確実性が支配的な状況でこれらの帰属提案することは、政治的不安定化をもたらします [29]。したがって、帰属者の真実追求的な衝動こそが、言説をこの悪い均衡の罠に陥れる原因となり得るのです [29]。

VI.解決策:自己認識必要性

この弁証法的な問題は、相互合理的認識論視点から生じる**自己組織化された社会現象**であるため、単一加害者特定することはできません [30]。均衡から脱出するためには、政治的コミュニティにおける参加者の**満場一致同意**が必要ですが、これは強力な反対者によって容易に崩壊する可能性があり、困難です(「一方主義者呪い」) [30]。

1. サイクルの中止(Cycle Abortion):**

帰属の伝播を防ぐため、すべての当事者に高い検証反証基準を課すことが提案されます [31]。しかし、誤導的なスピーチ・アクトの性質上、単純な検証反証はできません [31]。より現実的解決策は、スピーチ・アクト帰属の飽和を減らし、事実に関する問いを再び顕著にすることです [31]。これには、相互理解を深めるための**修辞的傾聴(rhetorical listening)**のスキルセットが必要となるかもしれません [31]。

2. サイクルの終結Cycle Termination):**

帰属落とし穴認識し、増幅サイクルを抑制するために、新しい用語を導入する提案もあります [32]。

ウルフ・ウォッシング(wolf-washing)**または**シープ・テイラリングsheep-tailoring)**:狼の叫び帰属を過剰に行い、報告された問題過小評価しているように見える者を記述する用語 [32,33]。
ドッグ・ウィスパリング(dog-whispering)**または**ドリトルリング(Dolittling)**:ドッグホイッスルを過剰に帰属し、実際の隠されたスピーチ・アクトの問題を誇張しているように見える者を記述する用語 [33]。

これらの新しいラベルが、過剰なSAAの力を無力化し、サイクルを終結させることが期待されますが、これらのラベル自体が新たなスピーチ・アクト帰属としてサイクルに貢献する可能性もあります [33]。

3.真剣自己懐疑(Serious Self-Doubt):**

最も重要なことは、この問題を真に解決したいと望む人々は、**自分たちのスピーチ・アクト帰属自体問題引き起こし構成している**という痛みを伴う自己認識を持つことです [34]。

2025-09-28

ノイズエロとは言ってなくね?

ぼざろという漫画におけるシグナル(女子高生音楽青春)に対して、微エロ描写ノイズからアニメ化で削ったって話じゃないの?

からタイバニマッチョの男をエロく書いたんでしょ

タイバニ腐女子のための作品として作られてたしそれがシグナルだったか

ぼざろはある程度一般ウケしてたと記憶してるし

一般に売るためには高校生青春モノとしてのシグナルを増強してそれ以外は削っただけでしょ

まあ元記事読んでないから知らんし

タイバニもぼざろも見てないから知らんけど

限られた話数で作品の魅力を伝えようとした結果、ある部分は描いて、ある部分は削ったんでしょ

脚本家として適切な行為だと思うんだけど

ジャンルだったらむしろ感謝するんだけど

そもそもあの脚本家別にエロいのが悪いとは言ってないでしょ

エロは良くも悪くも印象に残りやすくて、受け手にとっても解釈割れる(例えば女子高生風呂シーンは男にとっては褒美だが、女にとっては褒美でない、BL腐女子にとって褒美だが、男オタクにとっては褒美でない)みたいな意味じゃねーの?

最近オタク?って異常に読解力低くて怖いんだけど

作品から何を読み取って何に感動してオタクやってんの?

それとも何、ぼざろにおいては風呂シーンがそんなに重要なの?それともお前にとっては風呂シーンが大事なの?それなら謝るけどさ

でもその場合脚本家否定じゃなくて、脚本風呂シーンがなかったことをまず批判するのが筋だとは思うけど

いつも作品思想を混ぜるないう癖に、作品思想判断するのはどうなのさ

Permalink |記事への反応(4) | 18:24

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