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2025-10-28

鬱病にはロボトミー手術だろ

精神病全てに適用せよ

強制的入院し即時開頭手術だ、精神病む軟弱者を鍛えるために麻酔無しで行おう

失敗したとて、どうせもう脳みそ壊れてんだから少しくらい物理的に壊れてもなんの損もないし誰も悲しまない

人体実験用の動物奴隷労働ロボットとして収容所に閉じ込めとけ、精神を病むような人間未満に人権なんていらねえ

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2025-10-24

A3サイズ世界を変える、四畳半の戦い

7年前、東京。地下かどこかの喫茶店で、デザイナーのHさんと打ち合わせをした。

自分企画した仮設の公園シリーズデザイン制作物を依頼する場だった。

まだ若くてバカだった当時の自分は、「A3サイズ世界を変えよう」と笑いながら真剣に言ったのを覚えている。鼻息ストローの袋を吹き飛ばした気がする。

その後に作ったA3フライヤーは、原稿の渡し方もイメージの共有もめちゃくちゃで、散々迷惑をかけた気しかしない…。でもHさんは最高の納品物をつくってくれた。

それからあちこちでHさんのデザインを目にするたびに(先日も実家近くの本屋で見かけた)、あの狭い喫茶店で口にした言葉を思い出す。

HさんはあれからマジでA3サイズ世界を少しずつ変えてってると思う。

先週、哲学対話研修をしに来てくれたNさんに

「どうして“哲学対話”という名前を使うんですか?難しそうだとか、参加に身構える人もいるかもしれないのに」と尋ねた。

Nさんはいろいろ考えた末に、「なんか…ムカつくんすよね」と言った。

誰が哲学を遠ざけ、対話しようとする人を傷つけてきたのか。

哲学と、対話という言葉意味を新しく上書きするために、あえてこの名前を使うんだって話してくれた。

今の自分は、どうだろう。

「ムカつく」という言葉を聞いて、久しくそ感覚を忘れていたかもしれないと気付いた。

どうせ何も変わらないと思って、絶望してたんだと気付く。ぜつぼうって、Zから始まる強い響きの言葉だけど、耳がキンとするほど静かで、うっすら気付きながら置き去りにして、気付けばゆっくり死んでいるような絶望もある。

思い出すと自分も「A3世界を変えよう」と言ったあの頃、世界に対してムカついてた。

少し前、自分臨時職員だった。アート教育に関わる仕事給料は月13万円。

周りの正規職員は倍くらいの給料をもらってる。

でも求められる仕事の内容は変わらない。自分が足りないから倍以上頑張るしかないんだ。

アーティストクリエイターとつながっておくのが大事だ」と教わりつつも、飲み会に行くのが怖かった。行ってもバカにされるだけ、雑にいじられて否定されて、3000円払っていやな思いをするだけだと思ったから。

それでも「今日は違うかもしれない、大丈夫かもしれない」と信じてみる。

先にコンビニおにぎりホットスナックと缶ビールを胃に詰め込み、遅れて飲み会に顔を出す。結果「やっぱりカタパンダメだな〜」と何かのきっかけでバカにされ、ヘラヘラしながら5000円払わされ、真っ暗な帰り道で涙がつっとこぼれそうになる。今思えばもっと自己開示すべきだったのかなって思う。でもあの時の自分は、自分を守るのに必死だった。

同じ部署臨時職員同士で競わせられ、蹴落とし合う日々。毎日どんどん嫌な自分になる。

上司は定時で帰宅して、赤ちゃん風呂に入れるという。

それは素晴らしいことで、自分今日も帰れない。自分は常に欠けていて、仕事ができないかしょうがないんだ。自分子どもを育ててみたいという気持ちをこんな手取りじゃ絶対無理だとグッと押し殺し、上司に嫌な感情を向けてしまう心に嫌気がさす。

「カタパン説明は下手すぎる」「カタパンは才能がない」「カタパンは惜しいんだよな」「タレ(当時付き合っていた彼女)と結婚してさっさと仕事やめたら?」「カタパンのタレはメンヘラだよな」「それ俺が考えたことにして。そっちのほうが絶対うまくいくから」「カタパンが考えることは全て、もうすでに俺が考え終わったことだよ」「カタパンは、ソーシャル・ネットワーク映画)の、ザッカーバーグじゃない方なんだよ。自分が考えたことも上司うまいところを持っていく。そういうのってこの業界じゃ当たり前だから。」「カタパンエモいからな〜」「カタパンは伸びしろがない」「泣くのはプロじゃないよ」「カタパンもう◯歳でしょ?いい加減大人になってほしいよね」

大学1年生のころ、そのアートセンターでやっていたノイズミュージックライブを初めて聞いて衝撃を受けた。

退屈してて何もないと思っていた、都市ってつけるのがおこがましいくらいの地方都市で、爆音の圧に内臓が揺れる。初めて音に殺されるって思った。

こんなこと公共施設がやっていいんだ。そのアートセンターで働くことに憧れた。

そこには市民有償ボランティア制度サポートスタッフがあった。入りたいと思った。

でも1年生でサポートスタッフになっても、きっと自分は他の人に埋もれてしまうと思い、いろんなアルバイト経験した。

3年生になって、ようやく少し自信を持って、サポートスタッフ登録する。

“カタパン”は、サポートスタッフを始めた初日教育普及の職員に付けられたあだ名

理由は、肩パンしても大丈夫そうなキャラから。嫌なあだ名だったけど、あだ名を付けてもらえたことに喜んで、自分否定しなかった。

ようやく入った憧れの施設では、地元の人やサポートスタッフを蛮人と呼んでる人もいた。

もちろん冗談で。冗談なんだから否定するのは粋じゃない。自分は一緒に笑った。

自分も笑われているのに。

どんなに嫌なことがあってもそのアートセンターに憧れたあの時の気持ちは捨てられないし、どこかで全員尊敬できたし、すごく優しい人もいる。

周りの誰も憎めずに、自分を責め続けた。心配してくれた人の言葉を、自分大丈夫ですよとヘラヘラ聞き流した。

周りを変えることよりも自分を責めることの方が楽で、でもずるくて、いざ失敗したら周りのせいにしてた自分もいる。この文章だってそうかもしれない

自分自分のそういうところがめっちゃ嫌い。だからこの文章をここに書き残しておく。

ダサいことも、痛いことも、全部置いておく。

今は常勤職員になってしばらく経ち、生活も少し安定するようになった。チームが変わり、すごくいい仲間に恵まれて、痛みを感じることを言われることも少なくなった。安心できる場所をつくることが出来た。年下の後輩も入ってきて、それまでリーダーをやってくれてた同僚が抜けることになった。

常勤職員から、副専門職員になる試験を受けたら、普通に面接で落ちた。

付き合いの長い上司からあなた専門性はないですって諦められたみたいで悲しかった。

しか自分はまたヘラヘラして、自分の言いたいことを伝えられなかった。

伝えることを諦めてしまった。そんな自分が悔しくて、その夜電気を全部消して泣いた。

今の自分は、どうだろう。

昨日『104歳、哲代さんのひとり暮らし』という映画感想を語り合う場所を開いた。これは一昨年の暮れから、だいたい毎月4回くらいやっている。休憩がてら立ち寄った人たちとお茶ジュースミルクティーが人気)を飲みながら、映画の印象に残った場面を話すうちに、みんなそれぞれ自分過去をぽつりぽつりと思い出して語り始めたりする。昨日も15人くらい来てくれた。

コロナ禍の入院で、本当は会いたかった人を病院の窓から見送った話。

離れて暮らす娘の早産を電話で励ますことしかできず、悔しかった話。

祖母隔離病棟で亡くなる直前、看護師がつないでくれたLINEビデオで声をかけたけど、触れられなかった話。

「哲代さんは明るくてすごい。私は後悔ばかりだ」と84歳の参加者が漏らすと、別の人が「いまからでもイメチェンできる!84歳、あと20年ある!」と励まして笑い合う。

飲み物を継ぎに別のグループへ。「職員さんですか?」と聞かれたので簡単自己紹介し、「楽しく働いています」と答えると、一人の女性が「…仕事はつらいですよ。人生はつらいですよ。」と自分に言い聞かせるようにつぶやいた。

彼女は三人の子どもを育てるために、大好きだった介護仕事を諦めたそうだ。

介護仕事給料が低くて、今はレジ打ちなんかをしています。でも、本当は働きたい」そう言うと、彼女の目から涙があふれた。

彼女にとっての“働く”は介護であり、レジ打ちはやらなきゃ立ち行かなくなる”仕事”。

彼女は泣きながら、どんな場面を、人を、思い出していたんだろう。

おもわず隣の大学生がもらい泣きして、タオルで涙をぬぐう。

そのタオルがすごく大きくて「いっぱい泣けるね」とふざけて笑い合う。

自分も鼻の奥がツーンとして小さな涙を指で拭う。

この場所では、泣いても誰もバカにしない。

最後彼女は「いつか絶対介護に戻りたい」と話してくれた。

その姿は強くてまぶしくて思わずみんなで応援した。

尊敬する館長がしばらく前に亡くなった。

自分は、館長の本棚にあった「公共役割とはなにか」という本をもらった。

館長から出された宿題みたいに、その問いのことをずっと考えている。

まだ宿題の途中だけど、今館長に聞かれたら、

公共文化施設とは、みんなで人間らしさを取り戻す場所って答えたいと思う。

人生は一人で抱えるには重すぎる。いつか自分の足で立つためには、みんなで少しずつ荷を下ろし、身軽になる必要もある。何かを得るだけでなく、重くなった気持ちも置いていける場所。そういう場所が、自分はあってほしい。

それは捨てていくんじゃなくて、きっと誰かが聞いている。

形のない、透明なお墓みたいな時間場所

誰かが誰かを覚えていると信じられるから、新しい自分になっても安心して息が吸える。

小学生がうちの施設社会見学に来たら「メディアテクノロジーは人にものごとを伝えるワザ。コンピューターインターネット映像、照明、音響かいろんなものがある。そう聞くと、電源が必要とか、新しくてシュッとしてるとか、固くて冷たいもの想像するかもしれないけど、いまみんなに話しているこの言葉だってメディアテクノロジーひとつ。僕らはつい最新のテクノロジーに注目しがちだけど、僕らが生まれるずっと前は、この”言葉だって最新のテクノロジーで、思ってることを人に伝えられるのやべ〜!ってなってたはず。もし言葉が喋れなかったとしても指差しをしたり、狼煙を上げてここにマンモスがいるぞー!って伝えてた。でも当たり前に使えていると思ってるものも、使い方を間違えると怪我したりする。

このアートセンターでは、メディアテクノロジーを改めて広く捉え直して、ありたい未来可能性(こんな使い方出来たんだとか、こんなふうに伝えられるんだとか、こうなるとヤバそうとか)をみんなで考えて、みんなでつくっていくために、全員まだ答えを持ってない新しいアート作品をつくったり、紹介したり、それをみんなで見る場、話す場を開いてる」って伝えてる。ともにつくり、ともに学ぶ場なんだって

例えば映画の上映に合わせておこなうお茶会みたいなイベントは、小さな場所の小さな営みで、”オリジナル”みたいに威張れることはしていない。たまたま映画を見に来た鑑賞者同士が、なんとなく休憩しに立ち寄って、お互いの話を聞きあえる場を開いているだけ。でも、そこに来る一人ひとりは、とても大きな人生を背負っている。

日立ち寄ってくれた年配の2人組。

少し背の低い女性が「耳がほとんど聞こえなくなった主人が、この映画は見たいって言ったんです。だから字幕がなくても今日は来ました」と穏やかな声で教えてくれた。

これを見たいと思うことと、一緒に見る人がいるのめっちゃいいですねと伝える。そしたら突然その人がパートナーの耳元に向かって、自分がさっき言ったことを大きな声で復唱してくれる。(この人、こんな大きな声が出るのか)と内心びっくりする。

男性は嬉しそうに「そうなんですよ」と言って笑った。言葉があってくれて、でっかい声で伝えようとしてくれて、ここに来てくれて、聞いてくれて、ほんとによかった。

その場を見ようともしない人ほど「効率が悪い」とか「KPI」とか「来てない人を納得させないと」とか「ソーシャルインパクト大事」とか「経営的な戦略必要」とかって、ティーチ(一方的に教える)よりラーニング自分で学ぶ)が大事と言う同じ口で、一方的に教えてくれる。

いや、なんかそうなんかもしれんけど、うっせ〜〜〜。

簡単に人をモノのように扱える人ほど評価される世界絶対間違ってる。

世界を変えるって、トランプみたいに自分勝手世界を掻き回すことじゃ絶対にない。

世界を変えるって、ひとりひとりが自分の力を思い出して、取り戻すことじゃないんかい

ここに生きてる人間がいますよ。

この前ポッドキャストの収録で話したひるねちゃんは「手元をみよう 手元をみよう」と、祈るみたいに2回言った。

「人の心に反射したその光こそが作品作品が光ってるって言うより、あなたの心に反射したものが光ってるんだよ。エネルギーを飲み込まないで発散できる自分でいたいな」と言いながら、最後の語尾は震えてた。

心が諦めてしまうと簡単に、ブラックホールとかベンタブラック(99.9%の黒)みたいに、どんな光も吸収してしまう。

収録が終わってしばらく経ったある日ふと、本当に信じてることは信じてるなんて言わないのに、信じたいって思うことほど信じてるって口に出して言うのは不思議だなと思った。

言葉日光を浴びせるように外気にさらすことで、いつかほんとに信じられるものに変わるかもしれないから、僕らは信じたいことを口に出すのかもしれない。

先週も大学を訪ねたら「アート自分には縁がないもの」と学生匿名チャットで教えてくれた。おい、誰がアートをその子に縁がないものにしてしまったんだ。関係ないものなんて、本当はなに一つないはずなのに。おい、誰がそんなふうにしてしまったんだ。

でも自分アートに関わる仕事をしててそう感じさせたうちの一人でもあるかもしれないからそれはごめん!もう一度やり直したいからチャンスがほしい。そんな悲しいこと言わないでよ、寂しいじゃんって思う。

あームカつくな。ムカつくし、ムカつくという感情を思い出せたのが嬉しいな。

ムカつくの前には悲しいな、とか寂しいな、があるな。ムカつくのにも、悲しいなとか寂しいなを反射させる力が必要なんだな。

自分は小さな空間で、人が変わるまぶしい瞬間を何回も目にしてきた。

しか自分文章はまだまだ分かりづらくて、曇った鏡みたいなものかもしれないけど、本当はもっともーーーーーっとすごい。まじ伝えきれね〜〜〜〜って思う。

それでも自分も、反射できる自分でいたいと思うからこの文章を書き残しておく。

昨日の朝、映画を見る前、教育学部の授業に自分が働くアートセンターの紹介をしに行った。

朝一の貴重な40分をもらって全力でプレゼンしたあと、先生ブラインドトークワークショップに参加させてくれた。

10人が3チーム、絵を見て言葉で伝えるチームと、その説明を聞いて絵を書くチーム、そのやり取りを観察するチームに分かれる。

5分間で出来上がった絵は、答えに近い人もいれば、まあまあ遠い人もいる。

その後のフィードバック時間は、こう説明すれば良かった、こう質問すれば良かったなどの意見を交わす。

から1/3の位置に〇〇があるみたいに数字を入れて伝えるとか、全体の雰囲気テイストイラストなのか写実的なのかなど)を伝えてから具体的な描写を伝えるとか、一番大事なこと(なにを伝えたい絵なのか)に絞って伝えるとか、いろんなアイデアが出た。

どれもすごい大切だって思ったと同時に、自分はなんかもう、最強だな〜〜〜って思った。

最強って、いまめっちゃ強いとか、いまめっち説明が上手とかじゃなくて、変われるってことだと思った。伝えようとしてる人がいて、聞こうとしてる人がいる。もうそれで十分じゃん。言葉が足りなきゃ付け足したら良いし、分かんなかったら聞けば良い、言い直したらいい。

ほんとは完璧コミュニケーションなんてなくて、伝えたいとか聞きたいとか、それを諦めずに関わろうとし続ける限り、うちらもっと強くなれる。もしかしてそれを教育と呼ぶのでは?!みたいなことに気づいて驚きながら言った。

みんないい姿勢で、まっすぐ聞いてくれた。おい、まぶしいな。ありがとう

先生にお礼のメールを送る。あの子達が4年生になるのが楽しみですねって伝えた。ここには書かないけど、嬉しい返信が返ってきた。また会いたいな。学生先生も全員サポスタに登録して欲しい。

同僚のNさんとサポスタ募集の打ち合わせしたら「うちらがやってることは、誰に見せても恥ずかしくないから本当はターゲットなんてない。ターゲットは全人類、死んでるやつも、これからまれてくるやつも。ひとまず50億人全員サポスタに登録してもらおう。」って話してて爆笑しながら超グッと来た。絶対そうなった方がいいしやっぱ最高だなこの人って思った。

トランプも、ゼレンスキーも、オバマも、プーチンも、ネタニヤフも、オードリータンも、石破茂も、議員会館の地下で迷子になってる秘書も、海を渡ってきた難民も、夜勤明けでレジを打つコンビニ店員も、介護夜勤ウトウトしてる人も、野良猫を拾ったけどなかなか懐かなくてすこし懐いてくれて安心したら実は腎臓病が進行してて休日は暴れる猫を連れて動物病院に通う新入社員も、推しVtuberスパチャしすぎて家計簿が真っ赤な人も、好きな人と一緒になれなくて家で一人で泣いている遠距離恋愛カップルも、育休取りたくても言い出せない課長も、同性婚を夢見るカップルも、初めてステージに立つ前に鼓動が早くなってるドラァグクイーンも、卒論提出3時間前の大学5年生も、家の外に出る勇気が湧かないひきこもりも、声を出すと噛んじゃう吃音持ちも、白杖を持った視覚障がいランナーも、手話コントをやる芸人も、補聴器電池を切らしたおばあちゃんも、手足のないスケボー少年も、車いす山道を攻める登山家も、PTSDに苦しむ帰還兵も、大学講義室で聞いてない学生に向けて伝えることを諦めようとしてる教授も、モテることとサボることと遊ぶことと就活で頭がグチャグチャだったあの頃の自分みたいな大学3年生も、収容所自由を夢見る政治犯も、その看守も、裁判で涙を流す加害者も、被害者も、サウナで “ととのい” を追い求める会社役員も、離島保育士を探す町長も、推しジャージライブに並ぶ中学生も、バイト代を全部ガチャに突っ込んだのに天井までSSRが来ない高校生も、フィリピンごみ山でタガログ語ラップを刻む子どもも、アマゾン流域で川と話すシャーマンも、北極で氷が割れる音を聴く魚も、火星着陸の夢を抱く在野の<

Permalink |記事への反応(0) | 17:36

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チー牛と氷河期弱者男性は即時収容所へと強制収監し、人権無視労働人体実験の素材にすべき

アレらに人権不要

ロボトミー手術もしておくべき、麻酔無しで開頭しようね

Permalink |記事への反応(1) | 08:32

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2025-10-14

高市さんを女性から支持すべき、という人らは

収容所ナチにとりいって厚遇を得たユダヤ人もいるとか知らんのかね

酷い目にあってるユダヤ人にとっちゃ敵より厄介な同族

被差別属性にもいろいろいるんすよ

まあ玉木さんのセコさを見たら高市さんのほうがマシとすら思うが

Permalink |記事への反応(1) | 17:24

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2025-10-06

臨海学校林間学校

同級生はくっそだり〜帰りてぇ〜って文句言ってたけど自分は超楽しかった。



全部が性癖直撃だった。

またああいうところに泊まってみたい。

なんならタイプライター一つ抱えて一冬そういうところに雪に降り込められたいのだ。

悪い膝をかばいながら私は雪かきや薪運びを手伝うだろう。

妄想はさておき、その手の半公営?みたいな宿泊施設はどんどん閉鎖が進んでるらしい。

でも、まだやってるとこはやってる。そして需要が減ったせいもあって個人利用できるところもある。タダみたいな値段で。

あるいは適当にそれっぽい団体名乗りさえすれば別に審査とかがあるわけではない。

なんかてきとうに希望者集めて臨海学校ごっこやりてえな。

別に全然知らん同士で即席団体作って漂着ゴミ問題を考える(考えない)研修会とかやりたい。

朝、2時間くらいみんなで浜の掃除やってあとは自由みたいな。

Permalink |記事への反応(2) | 19:21

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2025-09-04

GHQ時代レイプ被害はどの程度だったのか(ChatGPT)

「どの程度、どの頻度で性暴力が起きていたのか」。

これは資料が限られていますが、警察記録・GHQ軍法会議記録・被害者証言からある程度のイメージはできます

1.数字で見た規模

警察統計公表されず内部資料に残ったもの)によると、1945年8月1946年末で、全国で確認された強姦事件は1,000件強。

ただしこれは氷山の一角で、研究者の推計では実数は数千〜数万件規模 に上るとされています

理由:届け出が難しかった(家族名誉報復への恐怖)、報道検閲があった、警察対応をためらった。

2.都市地方の違い

都市東京大阪横浜など)

進駐初期に事件が多発。

RAA慰安施設)が整備されて以降はやや減少。

地方農村

RAA存在せず、夜間に米兵が民家に押し入る事件が頻発。

栃木県では「進駐直後、ほぼ毎夜どこかの村で被害が出た」という証言もある。

福島山形など東北農村でも、進駐軍駐屯地の周辺で住民が恐怖の生活を送った記録が残っている。

3. 頻度のイメージ

毎日必ず隣町で誰かが」というほど全国一律ではありません。

しかし進駐初期(1945年8〜9月頃)は、各地で“連日のように”事件が起きていた地域もあったことは証言されています

たとえば:

栃木県足利では、1945年秋に「一夜に数件の強姦事件」が記録されている。

山形県の農村では「夜になると女たちが山に避難した」との証言

東京大阪では「暗くなると女性は一人で外を歩けなかった」と回想されています

4.被害の広がり

被害者若い女性だけでなく、主婦・年配女性・時に少女まで。

被害の恐怖から女学生が頭を丸刈りにしたり、女性男装したりするケースも報告されています

家族地域ぐるみで「女性を守る防衛体制」を敷いた村もありました。

まとめ(頻度感)

全国的に「毎日どこかで必ず起きていた」ほど普遍的ではない。

しかし 進駐初期の特定地域特に地方)では、“ほぼ毎日のように事件が起きていた” と言える。

大都市ではRAA設置後に沈静化したが、地方農村ではしばらく恐怖が続いた。

東京

1945年9月警視庁の記録によれば、東京23区内だけで 80件以上の強姦事件 が発生。

新宿池袋上野など繁華街では、夜間の路上や民家への侵入が多発。

当時の新聞記事検閲前の内部版)には「夕暮れ以降、女性は一人で出歩けぬほど」と記録されている。

大阪

1945年9月12月大阪府警は 120件以上の事件確認

梅田難波などの駅周辺や郊外で発生。

その後RAAが整備され、1946年以降は公式統計上の件数は減少したが、民間への散発的被害は続いた。

京都

1945年10月京都市内で米兵2名が民家に押し入り、主婦暴行住民通報し、米軍憲兵逮捕

京都府警の報告によると、1945年秋〜冬に「数十件」の事件確認されている。

市街地RAAが早期に設置されたため、件数東京大阪より少ない。

栃木県地方農村の例)

1945年9月10月足利市周辺で「連夜にわたって米兵が村に侵入し、女性が襲われる」事件が多発。

地元警察記録には「一夜に数件の被害報告あり」と明記。

住民は夜になると女性を山へ避難させ、家には男だけが残る体制をとった。

山形県(東北農村の例)

1945年末:米兵農家侵入し、娘を暴行父親が鎌で抵抗したが撃たれて死亡、という証言が残る。

こうした事件報道されず、警察の非公開文書戦後聞き取りで判明。

沖縄(参考)

1945年6月以降(戦闘終結直後):住民証言によれば、村落単位で多数の女性被害を受けた。

沖縄戦後米軍統治下でも、性暴力継続的に発生し、1950年代以降も基地周辺で問題化

米軍裁判記録から

米軍兵士規律維持のため、重大事件については軍法会議にかけています

1945〜1946年の記録には、強姦殺人有罪となり死刑に処された米兵複数存在

ただし、すべての事件が裁かれたわけではなく、軽微な場合処罰が甘い傾向にありました。

まとめ

東京大阪など都市部:進駐直後に多発 →RAA設置後に減少。

地方農村RAAがなく、むしろ被害が深刻 → 夜間避難男装などで防衛

沖縄戦闘直後から大規模な被害占領後も長期にわたり続いた。

米軍対応:一部の加害兵は軍法会議処刑されたが、多くの事件は闇に葬られた。

発生件数地域

占領期直後の日本特に1945~1946年)では、米軍による性暴力レイプ事件は「数日に一度どころか、地域によってはほぼ毎日のように発生した」と言えるほどの高頻度でした。

事件の特徴

Permalink |記事への反応(0) | 20:57

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2025-07-23

月給20万円使い切って、年間22万円の消費税を払う

貯金はできない

移民のように安く生活できる帰れる祖国もない

行政司法手続は二度と出られない迷路

事実上結婚する権利がない

出生ガチャで一生収容所暮らしだな

Permalink |記事への反応(2) | 07:37

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2025-07-13

anond:20250713172606

話を端折りすぎた

「元・不法移民」だね

  

アメリカ選挙権を持っているのは市民権を持つ人のみ(のはず、ただし州による)

ただしこの市民権を持つ人にはれには「最初から法律に則ってアメリカ移住市民権を取得した人」と「住み始めた当初は不法で後から市民権を取得した人」の両方がいる

そして所帯によっては「元・不法移民と現・不法移民」という構成家族もいたりする

 

そして前回の選挙では

「元・不法移民今市民権を持つ人」、特にヒスパニックコミュニティが(彼らは民主党を好むという従来の通説を覆して)

大量にトランプ投票したことトランプ大統領に押し上げた一因と言われている

 

なぜ彼らは従来のセオリーを破って共和党支持に傾いたか

民主党金持ち優遇という印象を与えてしまい、彼らに不遇を受けるという不安を抱かせたこと、

それからトランプが「移民対策はやるが、国外追放するのは犯罪歴のある不法移民のみ」と公約たからだ

だが蓋を開けてみるとトランプ犯罪歴がない移民でもどしどし捕まえ、どしどし国外追放している

ICEにはノルマがあると言われ、8歳の女の子を捕まえて強制送還しようとしたとか、人違いなのに深刻な人権侵害で知られる国外収容所強制送還したとかのトラブルが絶えない)

それで今、裏切られた!となってるのがヒスパニック

Permalink |記事への反応(1) | 17:39

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2025-07-07

anond:20250707121027

「働きたくても働けない」をどういう人間だと思ってるんだ

病気怪我育児などで就業制限されて生活が維持できない人も多いというか、それがメインだろ

収容所に入れて再教育」は解決にならない

Permalink |記事への反応(0) | 12:20

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2025-07-05

anond:20250705143715

氷河期世代弱者男性収容所への強制連行、および大量処刑

無駄酸素を消費し二酸化炭素を吐く害悪を一掃することで日本国土結果的に広くなり、涼しくなる

Permalink |記事への反応(0) | 19:03

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2025-06-21

この記事はけっこう刺さってしまったなあ。このおじいさん2010年当時95歳か。この世代戦争体験生の声で聞ける時代は、もう終ってしまったのだなあ。

https://news.yahoo.co.jp/articles/2b0b23e248c99cadd393ab67a11a0a5ce4a6662d

「許してくれ、許してくれ」とガマで泣き崩れた 沖縄戦母子を撃った90代の元日本兵が謝罪

6/19(木) 6:04配信

沖縄タイムス

兵士の照屋さん(仮名)が住民あやめしまったと告白した時に巡った壕。入り口に生える草は光がさす方に背を伸ばしていた=3月6日沖縄本島(竹花徹朗撮影

 

 「私は銃の引き金を引いてしまった。今でも何度も夢に見る。苦しくて、苦しくて。このにおいは間違いなくあの親子のいた場所です」

 2010年のある日、沖縄本島内のガマで、照屋さん(仮名)は泣き崩れた。90代半ばの元日本兵。言葉にならないような震えた声で「許してくれ、許してくれ」と何度も謝った。

 臨床心理士吉川麻衣子さん(49)=那覇市=が沖縄戦体験者でつくるグループ「語り合いの場」を立ち上げて5年目だった。

 参加の意思があるか、ないか体験者に繰り返し確認するのが吉川さんの手法だ。

 事前面談が21回に及んだ照屋さんは、吉川さんにだけ、自身過去を打ち明けていた。「みんなの前では語らないけれど、場には参加したい」との相談に、吉川さんは「無理しないで、自分のペースとタイミングを大切にしましょう」と伝えた。

 体験者は照屋さんを含め9人。グループは月1回、それぞれの戦争体験で関わりのある場所を巡ったり、公民館で集ったりした。

 「私は兵士でした」。照屋さんはそう自己紹介した以外、ほとんど口を開かず、表情も変えずに部屋の隅でじっと座っていた。記憶が残る戦地をどう巡るか意見を出し合った時も、「私にはそういった所はないので、みんなに任せます」と仏頂面だった。

 それでも、会を重ねるごとに表情は和らいでいった。吉川さんと出会って6年が過ぎた頃、「話がある」と切り出した。「いまさら申し訳ない。皆さんがいい、って言ってくれたら、あのガマで手を合わせたい」。吉川さんは「ようやく照屋さんのタイミングが来たのだな」と受け止めた。

 慰霊の日を終えた後の夏の日だった。照屋さんは仲間たちとあのガマを訪れた。

 意を決したように入り口に近寄るが、すぐに立ち止まる。しばらくして再び歩を進めると、また止まった。

 そんな動作を何度か繰り返すと、仲間の男性が照屋さんの手を取り、中へ入った。

 「間違いない」。照屋さんはそうつぶやくと、ごつごつとした岩場に膝をつき、嗚咽(おえつ)を漏らした。

■元兵士 65年後の告白 妻子は原爆で命落とす

 90代半ばの元日本兵、照屋さん(仮名)は一通り泣いた後、語り出した。

 所属部隊のガマが米軍に見つかったこと。住民避難していたガマを部隊が使うと決めたこと。ガマには住民がぎゅうぎゅう詰めで、上官が「ここは今から我々が使うから、一人残らず出て行け」と命じたこと。痩せ細って泣く赤ん坊を抱いた母親が照屋さんの足にすがり「お願いです。この子だけは生かして」と叫んだこと。そして照屋さんがその親子を銃で撃ったこと-。

 告白の後、参加者全員で線香をたいて手を合わせた。メンバーの一人に「話してくれてありがとう」と声をかけられると、今度は声を上げ、子どものように涙を流した。

 帰り際「一人では二度とあの場所に近づけないと思っていたが、みんなが背中を押してくれた」と頭を下げた。「戦争の時にしてしまたことは消えないけれど、供養になれば…」と言葉を継いだ。

 照屋さんは1915年沖縄本島中部で生まれた。厳しい父と優しい母に育てられ、かけっこが得意だった。25歳の時、五つ年下の女性結婚。生まれた娘には豊かな子に育ってほしいという願いを込め、「トミ」と名付けた。

 太平洋戦争東南アジア戦地出兵。「家族を守るため自分の命をささげる」との決意だった。戦争が激しくなった44年、沖縄に配属された。日本軍と県は住民の県外疎開を促していた。照屋さんと入れ替わるように妻と子は船に乗った。

 45年8月15日日本敗戦を伝える玉音放送収容所で聞いてうなだれた。ようやく戦争が終わったと実感したが、県外に渡った妻子とは連絡が取れなかった。行き先は聞いていなかった。

 2人が長崎疎開し、原爆で命を落としたことを知ったのは数年後のこと。自分が殺してしまった親子への罪悪感と、心の拠(よ)り所だった家族を失い「生きている価値がない」との絶望から沖縄を離れたが、仕事関係で間もなく戻らざるを得なくなった。

 それでも故郷集落には足が向かなかった。手元に1枚だけ残った妻と子の写真は肌身離さず持ち歩き、なるべく人と接しないよう、ひっそり暮らした。

 戦時体験を明かすまで65年。照屋さんと対話を重ねてきた臨床心理士吉川麻衣子さん(49)は「話したからといって、罪悪感を払拭したいという思いがあったわけでも、自分行為正当化たかったわけでもないと思う」と胸の内を推察する。

 「照屋さんにとってこの場なら大丈夫安心して、自分で話せるようになるのに、それだけの時間必要だった。私はただ待って、機が熟したと本人が感じた時にそっと背中を押すという距離感を保ってきた」と振り返った。(戦後80年取材班吉田伸)

この記事、読んでいて本当につらかった。

なにより衝撃だったのは、泣き叫ぶ子どもだけでなく、その母親まで撃ったということ。あまりに酷すぎて、もし自分家族だったら、このおじいさんを絶対に許せないと思った。久米島守備隊の住民虐殺事件など、日本軍の行動を思い出しても、本当にひどい。

きっと、当時の兵士にとって、住民は守るべき存在ではなく、戦闘の妨げになる「障害」と見なされていたのだろう。でも、もしそうだとしたら、一体何のために戦っていたのか?普通に考えれば疑問に思うはずだ。だが、その「普通に考える」という倫理観は、命の危機さらされた極限状態では働かなくなってしまものなのだろう。

一方で、彼は自分の妻子を県外に避難させようとした。冷静な倫理観を失っていなかったともいえる。しかし、妻子は長崎原爆により命を落とすという皮肉な結果を迎える。「因果応報」という言葉が浮かぶが、亡くなった家族にとってはあまり残酷すぎる結末だ。


このおじいさんは1915年まれ。つまり、戦中派(特攻世代)より一回り上の世代にあたる。戦後80年、この世代体験談を聞ける機会はもはや残されていない。「普通に考えればわかるはずの倫理」が破綻した時代を生きた世代だ。象徴的な人物としては大岡昇平奥崎謙三俳優では池辺良。池辺のエッセイには、部下に恨まれ将校が海に放り込まれエピソードなどがさらっと描かれており、ユーモアを交えて将校時代下克上が語られている。奥崎は、部下の処刑をめぐって上官を追及したドキュメンタリーで知られる。


戦争体験世代は、大きく三つに分けられる。

第一に、1910年代以前の生まれの「戦争指導した大人世代」。上官や責任ある立場戦争に関与し、戦後沈黙を保って生き延びた人々。戦場人間性喪失し、それでも帰ってきた。

第二に、大正末期から昭和一桁生まれの「特攻・戦中派世代」。三島由紀夫鶴田浩二吉田満らが代表で、国のためひとのために尽くし、「美しく死ぬこと」に倫理見出し、ある種過剰に倫理的だった。岡本喜八映画作品にみられるこうした倫理へのアンチテーゼもまた戦中派の主題となった。

第三に、終戦時に少年期だった「焼け跡世代」。彼ら子供に目には、戦争から帰って沈黙した親たちの世代国家報恩を信じて裏切られた兄たちの世代ギャップみえていたはずだ。


このうち、戦後戦争体験を最も語ったのは特攻世代だった。戦前派は血塗られた過去沈黙を貫き、焼け跡派は語れるほどの戦地体験を持たなかった。

特攻世代の特徴は「死の意味」を内面化しようとしたこと。彼らにとっては、「美しく死ぬ」ことで自分運命を受け入れるしかなかった。その純粋さが戦後道徳観につながり、吉田満に代表される感性現代保守層理想視されてもいる。

しかしその倫理観には、自己満足欺瞞が含まれている可能性もある。過去自分の非を、倫理的になった「現在自分」が糾弾するかたちには、どこか自己満足偽善が入り込んでいる。ご都合主義というやつだ。

そして、その倫理観被害者に対しても危うい。「恨まれて当然のことをした」という構図を強化してしまいかねない。戦場での行為は謝って済む話ではないことがほとんどだ。怨恨抽象化され、「慰安婦」や「ホロコースト」のように象徴的な言葉として拡散され、世代を超えて敵意の燃料となっていく。

脚本家橋田壽賀子も戦中派世代。「おしん」に出てくる夫・竜三は、隣組組長として若者たち戦場に送り出した責任をとって自決する。そこには戦中派の「死によってけじめをつける」という倫理観が濃く反映されている。

死によって責任を取るという倫理のあり方は、戦争中は自分戦意を煽っておきながら戦後になると民主主義的な道徳を語り始めた知識人自己批判にも似て、実は同根なのかもしれない。終戦直後、小林秀雄は「近代の超克」を自省する知識人たちを相手に、「僕は無智だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか」と言い放った。

知識人たちのある種の自己嫌悪に対する小林の態度は考えさせられる。

岸田秀は「ものぐさ精神分析」のなかで、酒を飲んでやらかししまった失態を例に挙げ、なぜ反省しているのに何度も同じことを繰り返すのか、そもそも自己嫌悪」とは何かを分析した。倫理的に覚醒した自分コントロールを失って暴れた自分を自省し、本来自分倫理的で、酔って暴れた自分本来自分ではなかったという卑怯ポジショニングのもとで成り立っているからだと喝破した。

戦争記憶も同じことがいえるはずだ。

現代SNS社会では、こうした加害者欺瞞的な贖罪被害者がつけ込む形で、この構造さらに先鋭化する。加害者には「反省し続ける姿勢」が求められ、被害者には「傷ついたままであること」が期待されてしまう。

ときに「病みアピ」とも呼ばれる行動は、関心を集めるための戦略になりがちだ。弱ったときは周囲が心配してくれ、攻撃されれば誰かが擁護してくれる──そんな「おいしい被害者」のポジション依存してしまい、自分でも気づかぬうちに抜け出せなくなってしまう。


でも本当に必要なのは、「赦し」なのだと思う。贖罪再生きっかけにすぎない。

この記事に描かれた世代は、「死を美化する」戦中派とは違い、倫理的な生き方などできなかった。理不尽で泥臭い体験を抱え、時にはそれを笑いに変えてでも、ぶざまに生きてきた人たちだ。過去行為を忘れたい、でも忘れられない──その葛藤とともに、不器用に、ぶざまに、しかし確かに生きてきた。

この世代葛藤を描いだ作品に、山田洋次原作少年寅次郎』(脚本岡田惠和)がある。戦地から戻った父が罪悪感から娘の顔を直視できなくなる場面がある。彼は中国戦線で同じ年ごろの子どもを殺していたからだ。その罪の重みと、生きていかなければならない現実とのあいだで沈黙する姿が描かれる。魂が抜けたように無口な毎日を過ごす夫に対して、いつものちゃらんぽらん性格にもどってほしい、とつぶやく妻のセリフは印象的だ。ひとたび戦場倫理破綻してしまった人間に対するまなざしとはそういうものだったのだろう。

これに対して戦中派の苦悩を描いだ作品として、山田太一ドラマ男たちの旅路』も思い出す。特攻記憶を引きずる鶴田浩二と、彼に恋する部下を演じた桃井かおり上司役の池辺良の三者が見せたのは、世代間の倫理観の激突だった。上司役の池辺良が放った「筋を通すな」という一言は、戦中派の倫理観に対する戦前からの強烈なカウンターだった。山田太一の、戦前派と戦中派の葛藤に対する繊細なまなざしがここに凝縮されている。

記事のおじいさんはまさに沈黙してきた世代だ。生きるために沖縄に戻らざるを得なかったこと、その土地暮らしたこと、そして65年の沈黙。たった一度の涙より、その沈黙の重さにこそリアリティがある。

贖罪でも正当化でもない」と吉川さんは言った。語らなかった時間のほうが、語られた言葉よりも重いのだと思う。

私たちは「贖罪の涙」や「被害者トラウマ」ばかりに注目しがちだが、本当に大事なのは、「赦し」へ向かうゆっくりとしたプロセスだ。

「話してくれてありがとう」と言ってくれるグループ存在。「自分のペースとタイミング」で見守る吉川さんのような人の存在。そのほうがよほど重い。

被害者の側も、いつまでも被害者であり続ける」ことはできない。

辺見庸の『もの食う人々』では、フィリピン住民が「日本兵に家族ブタ丸焼きのように食べられた。でももう恨んでいない」と淡々と語った。その表情に、辺見は「悲しんでいる余裕もなく生きてきた強さ」を見たという。

人生って、つらい経験ほど上書き保存楽しい記憶名前をつけて保存──本来そうあるべきなのに、振り返ると逆になっていることが多い。

贖罪より、赦しの方がずっと尊く、強い。

人間、図太く生きていたいものだ。戦前派の多くはそうして沈黙を貫いてきた。自分もそうありたいし、あのおじいさんも赦されてほしい。

65年経って懺悔されても──という思いもあるが、戦争人間性を狂わせるということは、後世の私たちが覚えておけばいい。

山田太一で思い出した「太一」つながりで、昨日は国分太一番組降板話題になっていた。あれがどんな問題だったかは知らないが、この記事のおじいさんのことを思えば、本当に取るに足らない騒ぎに思えてしまう。

もちろん、軽々しく比較するべきではないけれど、それでも、そう感じてしま自分がいる。

れいに生きられなくてもいい。社会も、彼のことをそっと忘れてあげればいい。そう観念して、生きていくしかない。

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2025-06-19

あんたらが僕らを獣に変えた。この仕打ちはいずれ自分自身に返るだろう』回想録「谷間を覆う闇」より

 私たちが 居間の古いテーブルを囲んで座っていると突然 奇妙な足音が聞こえてきた。窓から外をうかがうと ふらふらと歩く痩せ細った人々の列だった。丸刈りの頭に 青白い顔。しま模様の上着ズボンが 体のまわりにだらりと垂れさがっている。

 彼らは かぼそい脚で 木製の靴を引きずるようにして歩いていた。肩から自動小銃を下げた親衛隊監視たちが その横を歩いている。

 その1人が玄関をたたいた。自分たちはヴィーゼングルント収容所から来た作業班で麦わらと豆を運びに来たのだと言う。

 前日の雨で 地面は ぬかるんでどろどろになっていた。麦わらの俵は かなり重い。積み上げられた俵を降ろそうとよじのぼった囚人たちは足を滑らせ 俵もろとも転がり落ちてしまった。

 

 母は薪まきで火をたき大鍋でジャガイモをゆでていた。

あの人たちは飢えている。とにかく 何か食べさせなければ』。

 そう言って 母は 鍋のふたを開けみんなに ジャガイモがゆで上がったことを知らせた。

 囚人たちが殺到し 大鍋がひっくり返ってしまった。ゆでたてのイモが地面に転げ落ちる。

 彼らは やけどするほど熱々のイモを奪い合い泥だらけのまま がつがつとかぶりつき始めた。

 両手で 口の中に 目いっぱい詰め込んでもっと つかもうとしてぬかるんだ地面に はいつくばる。

 1つでも多くのイモを手に入れようと必死になって奪い合っている。

この人たち 一体 何なの?』。恐れおののく母に『ユダヤ人だよ!』と監視が答えた。『ご覧のとおり 人間以下だよ』。

 

 その時 突然 背後からつぶやく声がした。流暢なドイツ語で 静かな怒りがこもっていた。

あんたらが 僕らを獣に変えたんじゃないか。この仕打ちは いずれ自分自身に返ってくるだろう』。

 振り返ると 青白く やつれた顔が目に入った。大きな灰色の瞳は不気味な光を放っている。

 それは 年若い囚人だった。彼だけは ジャガイモに飛びつかなかった。離れた場所に立ち 拳を握りしめてイモをめぐる争いを見つめていた。

回想録「谷間を覆う闇」ヴェンデルガルト・フォン・シュターゲン

NHK Eテレキュランドへようこそ「独・うちの敷地には強制収容所があった」

6/13(金) 午後11:00-午後11:49


アングル物資求めるガザ住民に「死の罠」、配給所付近イスラエル軍が銃撃 |ロイター

https://jp.reuters.com/economy/DLCNLT63JVIIBAKE6FAAS3QK3M-2025-06-11/

物資配給所では、開門前から長蛇の列ができていた。その先には砂の壁で囲まれ場所があり、テーブルや地面に物資の箱が置かれていた。

 開門と同時に数千人が殺到した様子を、サラマさんは「死の罠」と説明した。

「生き残るのは強者だ。体力があって人より早く到着し、人を押しのけて箱を手に入れられる者だ。自分肋骨同士がぶつかり合っているのを感じた。胸が内側に押し込まれるような感覚だった。呼吸が、できなかった。人々は叫んでいた。まったく呼吸できなかった」

 配給現場との往復途中、頭上を弾丸が飛び交い、はいずり回ったり身を隠したりした

 

 援助を受けるのは困難だと分かっていたが、5人の子どもには食料が必要だったと話す。子どもらはこの数カ月間、レンズ豆パスタしか食べておらず、1日1食の日も多いという。

米国企業(GHF)の援助拠点に行くのはまったく嫌だった。どれだけ屈辱的なことかを聞き、知っていたからだ。だが、何が何でも家族を食べさせる必要があり、やむを得なかった」

ガザの保健当局は9日、新しい配給システムが導入されてからの2週間、ほぼ毎日銃撃があり、物資を受け取ろうとしたパレスチナ人127人が死亡したと発表した。

 

ガザ配給所攻撃で死者300人 イスラエル軍の銃撃相次ぐ:中日新聞Web

https://www.chunichi.co.jp/article/1082863

米国イスラエル主導で設立した「ガザ人道財団」の物資配給拠点周辺での攻撃による死者が300人に上ったと発表した。負傷者は2600人以上。財団拠点付近では殺到する住民へのイスラエル軍の銃撃が相次いでいる。



邦訳

谷間の強制収容所 :ナチス時代のある青春 -国立国会図書館デジタルコレクション

https://dl.ndl.go.jp/pid/13259147/1/46

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2025-06-11

エグザベくんはコンビニ店員も営業マンもできそうだし

宅配業者とか引っ越し業者とかもできそうだし

ナチスに雇われたらユダヤ人収容所ガンガン虐殺してそうでもある

あらゆる仕事葛藤くそつなくこなしそう

Permalink |記事への反応(1) | 20:56

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在日クルド人についてのまとめ

歴史的経緯*

川口市クルド人コミュニティ形成に関しては、複数の初期移住者が知られている。最初川口に住んだクルド人通称川口メフメト(川口メメット)」)は1990年頃に川口へ移り住んだとされる。彼はトルコでの迫害弾圧を逃れ、当初はオーストラリアへの渡航を目指していたが、イスタンブール空港イラン人から川口暮らしやすい」と勧められたことをきっかけに来日し、川口生活を始めた(後にトルコ帰国)。

難民申請者の法的地位*

最初短期滞在観光ビザ)で入国し、滞在中に難民認定を行う。

難民認定申請を行うと、短期滞在から特定活動就労可:六か月)へ変更でき、働けるようになる。

一回目の難民申請が不認定になった場合特定活動就労可)の更新はできなくなる。

二回目の難民認定申請を行っている最中は別のタイプ特定活動就労不可:3か月)へ変更になる。

二回目不認定後も同じ理由難民申請をしても、もう在留資格はもらえない。不法残留者として収容対象になる。

ただし、収容対象者でもその多くは仮放免健康上人道上理由一時的収容を免れた状態)で収容所の外で暮らしている。

https://www.moj.go.jp/isa/refugee/procedures/nanmin_nintei_shinsei_00001.html

日本合法的に働けるのは、住民登録社会保険労働保険対象になるのは、(1)特定活動就労可:六か月)で在留している難民申請者、(2)難民認定あるいは在留特別許可で他の在留資格を取得したものに限られる。

不法残留者の数*

令和7年1月1日現在不法残留者数は、7万4,863人であり、令和6年1月1日現在の7万9,113人に比べ、4,250人(5.4%)減少

(1)ベトナム 14,296 人 (-1,510人)

(2)  タイ11,337 人 (- 157人)

(3)  韓国10,600人 (- 269人)

(4)  中国 6,565人 (- 316人)

(5)フィリピン 4,684人 (- 385人)

(6)インドネシア 4,631人 (+  94人)

(7)台湾 2,983人 (- 208人)

(8)スリランカ 2,043人 (+ 42人)

(9)  カンボジア 1,380人 (- 351人)

(10)トルコ 1,372人 (+  83人)

https://www.moj.go.jp/isa/publications/press/13_00053.html

トルコ国籍者のほとんどをクルド難民申請者としても絶対数は決して多くない。

また、強制退去処分をした数は1万8,908人(令和六年)、うちトルコ国籍者は471名で数的に突出しているわけではない。

ただし、被退令仮放免者、つまり強制退去命令が出ているにも関わらず帰国拒否し、外で生活している人間の数でいうとトルコが、579人と最も多く、被退令仮放免者全体の23.7パーセントを占めた。 また、トルコに次いで、イランスリランカパキスタンナイジェリアの順となっており、これら上位5か国で全体の57.3パーセントを占めた。

https://www.moj.go.jp/isa/publications/press/09_00011.html

人口*

川口市外国人住民数は約4万8千人で総人口の8%。そのうちトルコ国籍者は1513人。

https://www.city.kawaguchi.lg.jp/soshiki/01020/010/toukei/12/43956.html

ただし、住民登録ができるのは在留資格を持つものに限られる(特定活動就労可:六か月)で在留している難民申請者、または難民認定あるいは在留特別許可で他の在留資格を取得したもの)。

去年の朝日新聞には「1990年ごろからトルコ国籍のクルド人が住むように。現在約3千人が暮らしているとされる。」という記述がある。

仮に正しいとすると、約半数の1500人が合法的滞在許可を持たないと思われる。

https://www.asahi.com/articles/ASS4M4DZ9S4MUTIL01CM.html

学識者による整理*

イルファン・アクタン(クルド語版),長沢栄治,稲葉奈々子,村上薫,岡真理調査報告 KARIHŌMEN日本で《クルド》として生きるということ」、プロジェクト・ワタン事務局2024年6月2024年9月3日閲覧。http://www.projectwatan.jp/wp-content/uploads/2024/06/20220717_FN-2.pdf

川口エリア川口市蕨市)には、現在、2000人ともいわれるトルコ国籍のクルド人が、解体業などの仕事に就きながら生活しています日本人と結婚永住権を得た人を除き、ほとんど全員が難民申請していますが、つい先日(7月12日)札幌高裁判決により初の難民認定者が出るまで、認定された人はおらず、多くが仮放免者として不安定生活を強いられています難民申請を行うと、手続きが終了するまで強制送還が停止されますしか申請の結果、難民認定となれば在留資格は取り消されます。その場合、「人道的配慮」による在留許可を得られなければ、非正規滞在となり、入管収容施設に収容されるか、仮放免者となります在留許可更新されなかった人についても同様です。川口エリアクルド人あいだでは、最近在留許可更新できず、仮放免になる人が増えているそうです。仮放免者は入管収容を免れるとはいえ就労禁止され、移動の自由を奪われます健康保険に加入することもできません。仮放免とはつまり、人が生きていく上で最も基本的権利を奪われた状態なのです。この「身分なき身分」としての《仮放免》は、人の生にいかなる困難をもたらすのでしょうか。 

Permalink |記事への反応(1) | 10:50

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2025-05-30

anond:20250530104321

太平洋戦争日本都市はことごとく空襲されて、原爆も落とされて、ポツダム宣言で無条件降伏、までされても滅びてなかったぜ

今後、中国ロシア征服されたとしても日本が滅びるシナリオは見えないな

1億人を格納できる収容所なんて無いんだ

Permalink |記事への反応(0) | 10:49

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2025-05-10

トランプ投票したMAGAたちに起きた悲しいできごと

最近ぼちぼち、トランプを支持した連中の悲鳴が聞こえてきている。

いくつか紹介しよう。

(中国から合金ホイール輸入業を営んでいた男性TikTokで泣き言を言ったら袋叩きにあう

今はコンテナを開けるたびに金がすっ飛んでってるよ。家族従業員も首が回らないって状況になってる。

からもうすがるしかねぇんだよ、補助金でも救済でも、破産する前に何とかしてくれよ!

なお、スモールビジネスの救済の可能性についてインタビューを受けたトランプ先生からひと言。

今やたくさんのビジネスが、関税で助かってる。彼らは助けは必要にしてない、なぜなら彼らは大金を手に入れようとしているからだ。

TheArt of Dealにこういわれちゃあ才能がなかったとあきらめるしかないな。

なお、この男性、袋叩きに堪忍袋の緒が切れ、さら失笑を買うビデオを流してしまい、同情は買えなかった。悲しいね

「俺が困ってるの見てうれしい」 「投票の結果にふさわしい」

うん、俺はトランプ投票した。マジで

そりゃ関税が上がるってのはわかってたさ。俺みたいな小さなやつにはやべぇのも。

でも俺、まさかゼロクッションで25%もドカンとくるとは思わなかったんだよね。『国内生産に戻るためのインフラ整備をする』って話だったじゃん?

から、誰かが苦しんでるって話を喜ぶのはマジでないと思うわ。

俺の人生で会う人が、どんな人か、親切か、礼儀正しいか、誠実か、そういうことで俺は人を判断してきた。だれに投票たかとかじゃないだろ。

俺には極左の友人もいる、極右友達だっている。

だれに投票たかとかじゃなくて、困ってる人に同情を持てるように、お前らがもっといい人間になってくれる祈ってる

トランプがどんな人か、親切か、礼儀正しいか、誠実か、で判断してトランプに入れたんだから、まぁそれはしょうがないよな。

(削除済み投稿のため、名前は伏せる)教員交流プログラム合法的に渡米した妻が強制送還されようとしている

4/25にXにトランプ懇願する投稿がされた。当然返事はない。

@realDonaldTrump私はあなた投票し、今でも支持しています

私の妻は教員交流プログラムを通じて合法的にここに来ました。私たち結婚し、その直後に妻が市民権を取得できるよう弁護士を探そうとしました。

ところが今日、『職を失う可能性がある』という内容のメールが届きました。

アメリカを再び偉大にしようとしているのは理解しています。それは素晴らしいことです。

でも、妻が職を失い強制送還されるのは問題です。

私は結婚後に妻を市民にしようと尽力しているのに、手続きだけで1万ドルかかります

合法的に来ようとしている人々を罰さないでください。

私はあなた投票し、あなたは素晴らしい人物だと思っています

しかし、私自身も影響を受けています

どうか妻を彼女の国へ送り返さないでください。

妻は正しいことをしようと努力していたのです。

私はあなたを敬っていますが、ほとんど何の通知も受け取れていません。

失礼を言うつもりはありません。ただ妻が帰国するのを望んでいないのです。

悲しいね。残念だったね。でもあなたの妻は、アメリカ人の仕事を奪ってるっていうのがあなたがたMAGAの主張で、アメリカファーストって言ってるやつを選んだんだから仕方ないな。

マルティンヴェルディさん&デボラレイさんご夫妻、グリーンカードを持っていた息子が強制送還危機

私たちは裏切られた、だまされたと感じていますトランプはこんなことをするなんて言わなかった。彼は違法移民犯罪者追放すると言ったんだ。長い間ここに平和にいる人を追い掛け回すとは言わなかった。嘘つきだ。こんなことをするなんて知っていたら、違う票を入れた。」

彼らの息子、アグスティン・ジェンティーレは、13歳の時に両親ともにアルゼンチンから渡米。31歳、ノースカロライナ在住、米国市民の6歳と8歳の子供がいる。2019年軽犯罪法違反保護観察処分を受け、2023年保護観察処分は終了していたが、海外旅行から帰国時に拘束され、グリーンカードを取り消され、移民管理センター収容された。5月12日以降に審問があるといわれているという。本人曰く、収容所でグリーンカードを持っているのは自分だけで、他はみんな違法移民だ、と両親に話しているそうですが、グリーンカードは取り消しずみですので、ジェンティーレはすでに不法移民ですね。なお、DHSは、グリーンカードビザ特権であって、権利じゃないからいつでも取り消しにできるんだ、と主張していますね。

まぁでもトランプ選挙から移民アメリカの血を汚してるとか、州を台無しにしているとか、ハイチ人の合法滞在者がペットを食ってるから強制送還する必要がある、とか言ってたし、何より、トランプが嘘つきなことに気づけないなんて致命的なミスを犯してしまったのではしょうがないですよね。

ブラッドリーバーテルさん、グリーンカード申請中の妻が、過去ビザ超過でICE逮捕されるも、投票は後悔していないと語った

ペルー出身カミラムニョスさんと再婚し、プエルトリコ新婚旅行に行った帰り、「アメリカ市民か」と尋ねられたカミラさんが「いいえ」と答えると拘束されてしまった。

なお、ICEやDHSのによる突然の拘束は、ICEによる定期的な呼び出しに応じた際、一時出国した際の帰国時が非常に多い。中には雇用先と結託されて、だまし討ちにあうパターンもある。

カミラさんは、COVIDのロックダウンで、帰国できなかった期間にオーバーステイしてしまった経験があったため、強制送還危機さらされている。

ブラッドリーさんは、カミラさんがペルーに送られてしまったら、移住を少し考えたが、前の妻との子供がいるので、無理だと思っている。

なお信仰心が篤いので、

弁護士を雇っているし、トランプターゲットにしているのは、どこからたかもわからないような連中で、自分の妻がどこから来たのかについて、当局は全部知っているか大丈夫だと信じている。通関のシステムが非常に効率が悪いからこんなことになっているんだろう。トランプのせいではないが、トランプはこれを改善する力がある。この問題話題になり、早く解決することを願っている。

と述べ、トランプ投票したことを後悔しているか、と尋ねられて、「していない」と答えた。

うん、これぞMAGAの鑑。

グリーンカード取得済みのメキシカアメリカンで、トランプを支持している、と公言したら、いとこやおいっこに縁を切られた、彼らが送還されてもなんも問題ない、とのたまったばあさんなみ。

https://www.theguardian.com/us-news/2024/oct/11/immigration-is-the-toxic-issue-defining-the-us-election-in-arizona-the-debate-is-deadly

なお、レヴィットはいものように「ビザが切れたもの強制送還される」と述べている。

ちなみにムニョスはいったん拘束は解かれ、引き続き審査を待っている。結果については報道されていないが、「もし強制送還されるのであれば、それは仕方ない」と主張している。

サラ・バルースさん、「私はトランプ投票した。耐え難い代償を支払っている」

サラさんは、中西部で生まれ学生時代から恋人結婚し、息子が生まれたばかり。でも彼女の夫は強制送還危機さらされている。彼はアメリカ市民ではない。

私の夫の最大の問題は、彼は合法的入国したわけではないことです。彼は歩くより前からここで暮らし犯罪を犯さず、勤勉で、弁護士を雇い、正当な方法市民になる道を模索していました。でもすべてが無駄だった。

私がトランプへの投票を後悔しているか?それは私がもう少し感情的でないときに聞いてください。私は同情を買うために公表しているのではありません。トランプ政権は、犯罪者、悪い人たちだけを送還しようとしているのではないということを知ってもらうためです。

彼らは、善良な父親であり、生産者であり、家族です、家族を引き裂くことで彼らは勝っているのです。

まぁこの人はつらいだろうね。同じような苦しみを持つ人への想像力はあるのかな。でも後悔しているとは言えないんだね。

あたりまえだけどMAGAにもいろんな人がいるね。すこし想像力は足りないけど、犯罪者を何とかしてほしい、っていう要望別に間違っちゃいないとは思うけどね。教育して犯罪を犯させないようにしよう、という活動も憎んじゃうのがMAGAだし、アメリカ人向けの給食プログラムだって大嫌いなのがMAGAだし、銃規制に強烈に反対するのもMAGAだからな。なかなか難しいのではないかな。

ちなみに拘束の話が多くなったのでついでに話題にしとくけど、もっとも銃規制の強い州のひとつであり、サンクチュアリ法が定められている、マサチューセッツ州ウースターで、ブラジル系の母親が娘の目の前で逮捕され、動揺した16歳の娘がICEの車に縋り付いているのを、警察が投げ飛ばし逮捕妨害などの罪で逮捕したうえで、逮捕に抗議する女性2人を逮捕する事件があった。個人的映像はかなりショックだった。もちろん、ハーバードやタフツの学生逮捕される動画ショッキングではあったのだけど、子供の前で、この大人数で、抗議している人の多さの中で行われる逮捕にショックを受けた。

https://bsky.app/profile/dschnoeb.bsky.social/post/3loocfdwups2q

https://bsky.app/profile/dschnoeb.bsky.social/post/3loojzhsq6s2l

https://bsky.app/profile/dschnoeb.bsky.social/post/3look4fy5us2l

娘が、地面に押さえつけられているとき気持ち想像すると耐えられない気持ちになる。

市長は、この直前にも、連邦捜査への協力はしない旨を通知していたけど、逮捕にはウースター市警が動員されている。これって無力感を植え付けようとしてると思うんだよね。

動画中で、市議女性が、かなりがんばって抵抗していて、WARRANTを見せろ、と要求しているけど、警察は、なにも見せる必要はないって答えてる。

移民法の違反による拘束の場合朝鮮戦争のころに、スパイ摘発のために、不法移民であるとの合理的な疑いを持った場合かつ令状を取得していたら逃亡されてしまうほど緊急性が高い場合は令状なしで逮捕していいことになっていて、現在のところ、家宅侵入以外は、ICE権限ってめっちゃ強い形で運用されちゃってるんだよね。合理的な疑いなんて、なんとでもなるし、逃亡の危険なんてのも一切考慮されてないのは明らか。法律はいったん決まってしまうとその最大限まで使おうとする輩が出てくる恐れがあるので、慎重に対処必要だよね。ボンディは家宅捜索もしていいっていってたけど。ただあたりまえだけど、していいのは逮捕までで、そのあとは移民裁判必要ブラッドリーさんがいうように、移民裁判が遅いんだとしたら、移民裁判官を大量に首切ってる場合じゃないんだよね。移民裁判をやってたら間に合わないから、という理由で、ヒアリングなしで送還される事例が続出しているわけだけど。

Terrible things are happeningoutside… poorhelpless people arebeing draggedout of theirhomes.

Families are torn apart; men, women and children are separated.

Children comehome from school to find that their parents have disappeared.

やっぱり思い出すよね、茶色シャツを。

Permalink |記事への反応(0) | 03:16

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2025-04-26

アメリカはあと一歩で、黒い「X」の腕章をした若者たちが街を練り歩き、政権批判的な記事を載せた新聞リベラル書籍を燃やして回ったり、LGBTを探し出してリンチしたり、移民収容所に送ったり、大学を襲って授業を妨害したり、大学教授に「改心」を促してリンチしたりし出すんだろうなぁ…

Permalink |記事への反応(0) | 15:07

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2025-04-25

anond:20250425114342

トランプ「そうだそうだ!だから日本我が国コメに700%も関税かけてるし、ウクライナロシア侵略されてるのは自業自得だし、イスラエル軍ガザ弾圧は正当な行為だし、パレスチナ擁護者は全員テロリストから収容所送りにしても問題ないんだ!」

Permalink |記事への反応(0) | 11:55

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2025-04-19

障害者は困った存在じゃないっていうのもう辞めないか

普通に困った存在だろ

俺は手帳持ちだから特例子会社っていう障害者隔離して働かせる収容所で働いてるけど暴言を吐きまくる同僚が障害のせいだから仕方ないの^^って言われてるの見て心の底から死ねって思ってるし自分自身も生きてるだけで迷惑をかけるんだからとっとと死ぬべきだって思ってるよ

障害者に対して綺麗事言えるやつは障害者に対して関わったことないやつだけだよ

1ヶ月でもやばい障害者と関わり続けてたら全員綺麗事なんて言えなくなるに決まってる

Permalink |記事への反応(14) | 20:40

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2025-04-18

奴らは救うべき弱者排除するべき社会の敵か

近年のSNSで暴れている馬鹿な連中を見ているとそんな事を考えてしま

恐らく連中は自分がやれる範囲努力はしていると思う

好きで馬鹿に産まれた訳でも無いし

敢えてそうなろうとしている訳でも無いと思う

それでも残念ながら連中はあまりにも馬鹿過ぎて、社会で生きていく過程で多くの失敗を積み重ね劣等感偏見の塊になってしまっていて

今ではそんな連中の歪んだ思想がろくな対策もしない無責任SNSによって社会に撒き散らされてエコチェンカルト的なコロニー形成し、そいつらが自らの願望を浅はかで過激ポピュリストに求めた結果

政治に悪影響を及ぼし社会全体に無視できない程の害を与えている事実がある

「俺達は虐げられているから虐げられない社会を取り戻すのだ」「俺達が気に入らない奴らなんてどうなってもいい」という異常な被害者意識加害者意識動機社会に火を放っている連中に対して

少なくとも自身無能から来る劣等感のせいでSNSで垂れ流されている自分に都合が良い陰謀論洗脳されて

ポピュリストを支持してしまう程の馬鹿には運良く産まれなかった側である私達はどうすれば良いのか

今はまだ連中の放った火の消化方法について模索している段階だけど、その被害が積み重なるに連れて火を放つ連中自体へ抜本的な対応社会が乗り出すのは目に見えてる

そしてもし自分選択を委ねられた時、自分は奴らを救うべき弱者として扱うのかそれとも排除するべき社会の敵として扱うのか

そんな事を考えてしま

私達が生きているこの社会無能な働き者は銃殺せよとか、無能職場から追い出した方が仕事スムーズに回りますとか

馬鹿排除した事による成功体験やその例が溢れているし

からこそ刑務所なんて馬鹿収容所処分場存在も公に認められている

それは当たり前の事で、自分職場自分がこれまでの人生で属してきた学校部活人間関係上の場所だって例外じゃなかった

逆に馬鹿排除せず救うにはあまりに多くのハードルがあって

そんな事をしようとすると「偽善」「お花畑」「綺麗事」「真の弱者は救いたくなるような姿じゃない」「地獄への道は善意で舗装されている」みたいな冷笑がさも唯一の真実であるかのように語られてたりもしてて

他人は知らないけど少なくとも自分馬鹿積極的に助けるつもりなんて無い、という意見の方が多数派だと思う

からこのまま分断が進んでいけば大多数の人々は馬鹿を救わず排除する選択肢を選ぶんじゃないかなと思ってる

でも馬鹿を助けず迫害する事で得られる社会の発展とか会社利益って本当にそんなに大事な物なのか?

馬鹿にも救いが必要でそれが面倒だからと見捨てて排除するのは冷酷で何も進歩がなくないか

馬鹿がついていけるぐらいのスピードで世の中を回す事も必要では?とも思う

ただ今日も酷い分断は相変わらず進んでて、状況は日々悪化してくばかりに思える

しかしたら近い将来内戦が起きる所まで行っちゃうんじゃないかとすら思う

そこまで事態悪化して欲しくないから、弱者救済してる様な団体に一応個人的に出来る範囲寄付とかしてるけど

今進んでいる分断の原因はイデオロギー問題じゃなくて根本的には知能の問題から他人に十分な知性を即座に与えられない今の人類には解決策が無いのかもしれない

愚者経験から学ぶ」ともいうけど、馬鹿が学ぶのは行き着く所まで行って壮絶な痛みを経験した後じゃなきゃ無理なのかもしれない

それでも自分が生きている間に平和的な解決方法発見されるか、或いは救済か排除かの2択を選ばなければいけない様な状況にならない事を願う

Permalink |記事への反応(1) | 19:07

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2025-04-12

anond:20250412163603

中国支配されたらウイグルみたいに日本人収容所に入れられて去勢されて奴隷労働させられるに違いないと思ってる人多いよね

少なくとも1億人収容できる施設なんて無いし誰がやるんだよっていう

あと日本終了の定義が、自民党政治の終了を指してるのかどうか

日本とは何か?俺たちは日本にとってなんなのか?納税してくれる家畜なのか?

いろいろ考えさせられる

Permalink |記事への反応(2) | 16:42

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2025-03-31

anond:20250331203442

断ずるってどういうこと

司法判断を下すこと?できるわけないじゃん

喋るなってこと?まあ北朝鮮なら収容所送りだね

Permalink |記事への反応(0) | 20:36

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2025-03-27

anond:20250327094936

家庭が細かく分かれてることが非合理的

全員収容所に入れて仲良く助け合って暮らせ

Permalink |記事への反応(0) | 09:55

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2025-03-05

ドイツ平和教育が大失敗してるの

なんかよくわかるんだよな

子供の頃からあなたたちの国は悪いことをしました。反省しましょう」ってやってもないことで反省を促されるのダルすぎじゃん

 

だって自分がやってないことで反省とか意味不明

 

そら収容所はなかった勢が出てくるよな

腹立つもん

Permalink |記事への反応(1) | 20:44

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anond:20250304143551

これについてるブコメやリプをみると、

本当にはてな精神異常者の収容所になったんだとよく分かる(´ー`*)ウンウン

Permalink |記事への反応(1) | 00:04

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