Movatterモバイル変換


[0]ホーム

URL:


はてラボはてな匿名ダイアリー
ようこそ ゲスト さんログインユーザー登録

「反戦主義」を含む日記RSS

はてなキーワード:反戦主義とは

次の25件>

2025-12-05

『ペリリュー-楽園ゲルニカ-』や『この世界の片隅に』といった、戦争を描いた近年のヒット作に関して「反戦を主張しないのがいい」という評価を頻繁に見掛けて、実に複雑な気持ちになる。

メッセージ性がないと駄目どころか、メッセージ性がないのがいいという評価世間にはこの手の評価が広く受け入れられているため、それよりもずっと少ない、作品メッセージ性を求める意見が許せない人達は随分と身勝手だなと思う。

もっとも『この世界の片隅に』については、原作者はともかく映画監督の方は意外としっかり考えている人なのを後日知って印象が変わったが。『ペリリュー』の映画の方は予告編を見る限り、友情を前面に押し出し美談にするように見えるんだよな…。


日本戦争を描いた作品反戦を謳いつつも日本側の被害ばかり描いていて加害を描かないという批判はよく見掛けるけれど、

個人的には被害ばかり描いても別にいいと思うんだよね。こんな悲惨な目に遭いたくないか戦争絶対にしてはならない、でも別にいいと思う。ただ、その被害をもたらしたのは誰なのか、どうしてそのような被害に遭ったのか、については描くべきだと思う。

それに加害を描いたところで、その加害を単に末端の兵士による暴走として処理してしまったのでは、興味本位露悪趣味になり下がる危険性もあると思うし。

どうも日本には戦争をまるで天災かのように捉えて、戦争犯罪についても震災下での犯罪等と同様、極限状況に追い詰められた結果と一般化してしまう人が多いように見受けられる。

この世界の片隅に』の呉にしろ、『ペリリュー』のペリリュー島しろ、何故その場所被害が、加害が行われたのかというそもそもの理由が描かれていないように思う。

問題は加害を描かない事じゃない。責任所在を追求しない、構造に目を向けない事ではないだろうか。

被害しろ加害にしろ日本側として一纏めに括った描き方には賛同できない。

先日徳川慶喜の子孫を名乗る人が新選組無法者集団と評して話題になったけれど。権力の頂点にいた者の責任について自覚が薄いと思った。そりゃ安全場所にいて衣食住も保証されていたらお行儀良くいられるでしょうよ。そんな立場から配下素行不良を責める事が如何に無神経で横暴である事か。


『ペリリュー』の「どうして」という回で、敗戦の知らせの後も徹底抗戦を呼び掛けて多くの部下を死なせた後に生き残り、島民に保護された島田少尉の、自分はどこから間違っていたのかという問い掛けがあったけれど。間違っていたのはこの人物個人ではなく、それに至る以前の日本政府の判断に拠るものでしょう。庶民自己責任を問う事は美談にも見えるけれど、権力者を免責する事にも繋がる。

戦後の話では何度か天皇にも言及されるけれど、単なるニュースの域を出ない。主人公達末端の兵士飢餓病気に苦しんだのも、人を殺す羽目になったのも、そもそも天皇を中心とした軍国主義体制のせいなのにそこを突き詰めて問う様子はない。

その点『はだしのゲン』だと、天皇が悪い、戦争翼賛した日本庶民も悪い、原爆を落としたアメリカも悪い、末端の米兵日本国民に対する加害者でもあるが彼等もまた被害者でもある……といった構造問題に触れている。


ただ、『ペリリュー』にしろこの世界の片隅に』にしろ、全体を見渡す目がないというのは当時の一般人の感覚としてはリアルなのかもしれない。2025年現在ですら台湾有事を想定して短絡的な交戦論を唱える人がいるくらいであるし。まして当時は庶民高等教育進学率も低く、情報を得る手段も限られていただろうから

特に『ペリリュー』の主要人である当時二十代の若者達にとっては、物心ついた頃から社会はそんなものであって疑念差し挟むのは難しかったのかもしれない。主人公名称変更後も「看護師」ではなく「看護婦」と呼んでいるような、アップデートの遅れた人物として描かれているし。

はだしのゲン』は作者の分身である主人公父親反戦主義者家庭で、意識の高い家庭に生まれ育ったようだからな。

漫画あくまエンタメではあるし、一つの作品で全てを描き切る必要もないのだし。

本当の問題作品それ自体というよりも、そこから読者が何を読み取るか、あるいは読み取らないか、だろうか。

はっきりとした反戦メッセージ押し出していない作品ではあっても、戦争は怖い、戦争はするべきではない、くらいのシンプルイメージは読み取れるのではないだろうか。それを読み取らないどころか正当化したり、他国攻撃材料にする人間の多さが問題なんだよな。

Permalink |記事への反応(0) | 11:30

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-08-18

他人強要しないヴィーガンヴィーガンではない

ヴィーガンって何?

ヴィーガンって「動物性食品を食べない人」ってだけだと思われがちだけど、ほんとはそれだけじゃない。

動物搾取するのは倫理的に間違ってるからやめよう」っていう運動なんだよな。

から単なる食習慣の話じゃなくて、思想であり運動なんだ。

プラントベースヴィーガンの違い

ここを混同してる人が多い。

単に健康のために肉や乳製品をやめるのは「プラントベース食」って言える。

でもそれは「自分の体のため」。

一方ヴィーガンは「動物権利を守るため」。

まり他人に共有したり広める意思があるかどうかで、プラントベースヴィーガンは分かれるんだ。

強要必然

強要するヴィーガンはうざい」ってよく言われる。

でもさ、倫理運動なんだから「みんなもやるべきだよ」って主張するのは当然じゃね?

たとえば「俺は戦争に行かない」だけをやってる人は、反戦主義者とは呼ばれないだろ。

戦争は間違ってるから、みんなやめるべきだ」って言うからこそ、反戦主義者になる。

それと同じで「自分だけやってればいいじゃん」ってのは、正直ただの菜食主義者しかない。

から他人強要しないヴィーガン」っていうのは、実はヴィーガンじゃなくて、ただのプラントベースなんだよ。

じゃあどこまで言うべき?

もちろん「強要」と「説得」「啓蒙」は違う。

暴力的押し付けるのは論外だけど、倫理を訴える以上は「自分はこう思うからあなたも考えてみて」って言うのは筋。

それを「押し付け」だと受け取る人が多いから、ヴィーガン=うざいってイメージが強いだけなんだと思う。

まとめ

結局のところ、ヴィーガンって「個人食生活」じゃなくて「社会全体を変えようとする運動」。

から他人に伝えない時点で、それはもうヴィーガンじゃなくて、ただの菜食家。

タイトル通り「他人強要しないヴィーガンヴィーガンではない」ってことなんだよな。

Permalink |記事への反応(1) | 21:21

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-08-12

dorawii@執筆依頼募集中

ミラクルシリーズ発狂コメ書いてた国語増田はたぶんサンリオも嫌いなんだろうな

反戦主義者だよあい

-----BEGINPGP SIGNEDMESSAGE-----Hash: SHA512https://anond.hatelabo.jp/20250812191711# -----BEGINPGP SIGNATURE-----iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaJsUqAAKCRBwMdsubs4+SHBHAQDCMITF9MRKQfKpsuX+LwUgtzSL7RIrKbCCd4nPP1gXvgD/WuA5grsUndX+MIxfpELU2aZpMifQks+5yWMQ9z0cYA4==Kfou-----ENDPGP SIGNATURE-----

Permalink |記事への反応(0) | 19:17

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-07-03

anond:20250703153846

一発だけなら爆弾落とされてもいいって反戦主義の人が今朝言ってた

Permalink |記事への反応(0) | 15:41

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-04-30

anond:20250430190428

ノーランチャートというものを調べてみるといい。

 

右翼というのは基本的に、経済的自由肯定するいっぽうで社会的自由は抑圧する思想の持ち主。

まり経済トピックでは、競争主義格差容認規制緩和を望み、公害を生んでも儲けりゃ良いのよ精神の一方で、景気が悪いと保護主義になる。

社会トピックでは、伝統宗教国家といった権威に従わせ、権威が「道徳」によって民を支配自由制限することを是認する、その流れで支配しづらいインテリなどを攻撃しつつ、国際連帯などを絵空事として国家主義になり戦争忌避しない考えになる。

典型的人物像は、支配やすい愚かな人間が多いことを好ましいと考える大資産家や独裁者ないしそのシンパイメージ。要するに独りよがりで、その「独り」のスケールが最大でも国家という枠まで。身内びいきの排外主義になるのが右翼

 

左翼というのは基本的に、経済的自由には否定的で、その一方、社会的自由肯定する思想の持ち主。

まり経済トピックでは、格差是正や再分配に前向きで、裁量的な経済金融政策への介入や規制強化を求めがち。

社会トピックでは、多様性を認め、同性婚などを容認するし、平和主義反戦主義を唱え、人権尊重し、国家を含むあらゆる権威から個人自由生き方を守るべきだという考えに寄りがちになる(もちろん反社会的破壊的な有害自由は認めない)。

イメージとしては、学者芸術家ほとんど左派的な考え方をもってると言える。要するに人類というスケール共存や融和を大切にするやや理想主義的な派閥。彼らの共感力は異性や異民族まで多岐にまで及ぶが、環境動物(食品)にまで向かうと過激活動家になりやすい。

ただし、共産主義というのは思想自体極左に分類されるものだが、強大な権威が公平な分配を管理するという構造上、腐敗が避けられない。その結果、現実社会存在する共産主義体制下では、左翼でありながら左の長所であるはずの社会的自由尊重が失われており、右翼人間と同様に民族弾圧したり情報統制をしたりといった他人自由を奪う人権軽視のふるまいに歯止めがかからなくなっている。

 

ここで、経済的自由尊重するし社会的自由尊重する、どちらの翼にも偏らない存在が生じうることに気づくだろう。

それをリバタリアンといって、経済的自由を推進する側に立ってマーケットメカニズムを信用する一方で、放任にはせず、左翼のように裁量的・属人的な介入は良しとしないが、数学的なルールに基づく規制によって、スマートかつ公平に経済秩序を守ろうと考える。またそれなら小さな政府可能になる。

社会的自由についても、多様性を認めるが、右翼心配するような社会秩序や国家支配喪失に陥る状況に関しては、「そもそも国家なんていらなくね?」という考え方に近づく。テクノロジーによって国家機能を分解・代替していくことで、すぐには無理でも将来的には国家なしでも現代人は秩序ある暮らしができると考える。

 

逆に、どのような種類の自由尊重しないパターンもあり、それは権威主義とかポピュリズムとか呼ばれる。

大衆嫌悪煽り、どのような意思決定においてもより狭量かつ短絡的な判断肯定していく思考回路人間で、理性とは程遠い、文明を巻き戻そうという気配のある集団だ。

イメージとしてはインターネット匿名ネット社会では放っておくとそういう悪意による洗脳が伝播していき、集団極性化に至る。

ただ、権威側に立つ右翼人間や、極左である共産主義独裁者が、自分に都合の良いように大衆扇動する/不満をそらすためにポピュリスト的な言動をすることもあるので、本当に全方位に狭量な馬鹿なのか、ずる賢い策士なのか判断しづらいことがある。

ただネットでこうした狭量を開陳する小市民は、10割が自分の中の下劣偏見を撒き散らしたいだけの馬鹿であるので判断やすい。まともな精神状態ならばそうした人間言葉を真に受けることもないだろう。

 

ここ最近増田で珍奇な造語喧伝して特定集団非難している人がいるが、ああいう人々は既存の言い方をするならサイバーリバタリアンとでも言うべきもので、リバタリアニズムの中でテクノロジー自由ツールとして重視するテクノリバタリアニズムの一派だ。

思想的には特段目新しいものでもないが、テクノロジー進歩によって現実味を帯びてきた側面はある。現実味の面では政府の統制が効かないWeb3、とりわけ暗号通貨技術が今のところもっと重要テクノロジーで、近年のAIはさほどでもない。

ただこの流れに乗って成功し力を得るテック知識人を憎み、偏見を煽ることに熱意を費やすその喧伝者のありようは、唾棄すべきポピュリストに他ならない。

Permalink |記事への反応(1) | 20:08

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2023-10-13

んじゃ、どうやって今すぐ侵略者を追い出すんだこのクソゴミカス

戦うって何?:「反戦」のはずがロシア擁護? “嫌韓”に似るウクライナ批判左翼 |毎日新聞

https://l.pg1x.com/FTQfzYMgeYQv3a9N9


ウクライナが腐敗したひどい国だという事と、ロシアが腐れ外道国家であるという事は両立する。ウクライナからロシアから批判を受けるのが真の反戦主義ってもんだよ|


じゃあ眼の前で女子供がぶっ殺されても「腐敗国家防衛戦争邪悪!」っていうんだなクソゴミカスが。

俺は親米戦争手段主義者だ。

関係あるか、敵はぶっ殺せ。相手白旗振って五体投地して100人ぐらいまとめて殺してから話し合いしろ」だ。


人間なんて目的のためには何人ぶっ殺しても大した問題じゃねぇよ。俺たちは喋る知恵を持つ獣だ。獣であることをまず第一しろ

Permalink |記事への反応(1) | 17:23

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2023-10-11

anond:20231011155856

なぜやらないのか。

出来ないことを知っているからだ。

 

なぜ知っているのに反戦を謡うのか。

集票して自分権力を維持するためだ。

 

共産党反戦主義者は権力欲まみれ。

Permalink |記事への反応(0) | 16:02

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2023-09-15

反戦主義者は軍艦巻きってたべるの?

Permalink |記事への反応(0) | 17:28

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2023-07-17

宮崎駿君たちはどう生きるか」の検証にもならない独り言/ジブリ映画感想レビュー

大学2年の時にニーチェを読んだ。ニーチェサリンジャーを読まないといわゆる「基本的人権」が認められない世界観の中で、避けられない選択肢だったので、読んだ。そして意味がわからなかったので、本屋普通に並んでる様な文化人解説本をいくつか読んだ記憶があり、その後読んだ年齢の倍以上経てその殆どを忘れてしまってる。

さて、先日「君たちはどう生きるか」を鑑賞した。何故かネタバレを極端に避ける風潮があって私の周りでも内容に触れる人は極端に少ない。

ただ「理解するのが難解な作品である」といった趣旨投稿をしている人は何人もいた。

果たしてそうなのだろうか?という疑問を持ったので本増田を書いている。

特にメモをとってわけでもないので、ディテール齟齬がある部分は勘弁いただきたい。

1、話の骨子

真人空襲(?)で母親を失くす

その後、母親の妹が新しい母親となり、母親実家疎開(?)をする

亡くなった母親の思い出もあり、新しい母親真人は心を開けない

金持ち仕草抵抗のない父親が車に乗せて初登校をしたため、ガキ大将的な奴と喧嘩になるがMMA能力があったため圧倒する

帰り道に石で自分の頭を殴り✳︎1 かつ犯人を言わないという知的な叱られ対策を行う

亡くなった母親の残した「君たちはどう生きるか」に出会う ✳︎2

その後成長した少年は新しく生まれた弟と家族と共に東京に戻る

ご覧の様にストーリーは極めてシンプルである。そして、✳︎2の描写が本作品の大部分を占めている。

2、おしいれのぼうけんなのか否か

いやいや、おしいれのぼうけんのさとしとあきらのぼうけんは実際に異世界へ行ったのであるよ。そういう人もいるだろうし、多感な子供がおしいれに罰として閉じ込められるという昭和のみ許された罰によって生じた脳への過大なストレスで発生したイマジネーションの中の世界という人もいるだろう。

今回は後者の説をとらせて貰いたい。

真人はあまりに強く石で頭を打ってしまい、かつ慣れない場所でのストレスから母親が残してくれた「君たちはどう生きるのか」に没頭してしまう。

この原著小学生の時に読んだことがあり、その歳からは3倍以上の歳となってしまったので

あるが、コペルくんという快活な出来杉くんが日々体験した葛藤かに、「叔父さん」が真摯に答えてくれるという内容で、漫画化されて話題になった時の売り文句を見ても感じたのだが、児童文学の姿を借りた思想書/啓蒙である

うっすら覚えている内容も、格差によるキャズム父親金持ち仕草でいきなり浮きまくって喧嘩となり、派手な登校拒否スタートとなった真人とは重なる点も多く、「叔父さん」の回答は真人の心に刺さるものが多かったろう。

聞くところによると反戦主義者であった吉野源三郎は、自由言論活動抑制された戦前、戦中において、その活路を児童文学見出したようだ。

吉野源三郎ニーチェの対比については東洋哲学視点で語る人は少なくない。戦前、戦中においてはニーチェが死んだと評した絶対的価値観と同様のものがこの国に溢れていたのは事実だろう。

そういった意味では吉野源三郎日本ニーチェと感じる人はいてもおかしくないのだろうけど、昭和小学生であった自分には全く刺さらなかった一冊であった。

なんにせよ、真人少年はこの本を読み、心の中のぼうけんへとでかける。

3、これは大事ものから

庭にある「塔」はよそから飛来した飛翔体で、大叔父は「これは大事ものから」と新しい建築物で囲った。

ここで思い出すのは聖書の一節である

「新しいぶどう酒は新しい革袋に盛れ」(ルカ5章38節)当時の慣例を無視したイエスは、新しい思想は、新しい環境にて受け入れかし的な意味で言ったらしい。

健全なる精神健全なる身体に宿れかし」

と宿るじゃ大きく意味が異なるので、この辺も解釈によって随分と違う。

さておき。この大叔父の言っている「これは大事ものから」は絶対的価値観で、この絶対的価値観を装飾したり保護したもの戦前、戦中に世に溢れていた「常識なのだろう。

この常識に対して、「君たちはどう生きるのか」は児童文学というN国ハックを成功し、無事相対的価値観真人少年に届けることに成功する。

✳︎母親も塔で行方不明になった時期があり、大叔父は姿を消したままなのは絶対的価値観に対する「疑問」を持ったことに対して、思想警察等の介入を招いたという事なのでは?といった解釈もなりたつ。一方で、隠れキリシタンマリア像的な「進歩的思想」を表すものとも受け取れるがその場合はいくつかの齟齬生まれる。

4、アオサギの指すもの

本作でトリックスターとして描かれるアオサギ古代エジプトのベヌウを始めとして様々な宗教で描かれている。

混沌に現れたベヌウがアトゥムとなりそしてラーとなったが古代エジプト神話創世記で、ベヌウはその後もフェニックスになったり、旧約聖書で忌むべきものと描かれたりと様々な存在であり続ける。

全てのアオサギは嘘つきだとアオサギは言った。これは本当か?!

という問答が本作ではあったが、アオサギは「相対的価値観」のメタファとして描かれたのでは?と私は思う。

敵か味方か、友人かわからない存在

見る人によって、見る時によって解釈が異なる存在相対的価値観象徴としてこの上ない。

ソクラテスの良き友人であり、ソクラテスソクラテスとならしめ、そして死に追いやった「ダイモン」はその後「デーモン」となり絶対悪となる。

アオサギは創世の核から、忌むべきもの、そして後世では聖職者キリストとしても解釈をされている。相対的価値観象徴として登場するに相応しい扱いのブレブレさ。

嘘つきを「悪」や「忌みもの」と置き換えたとしても時代、そして答えるものスタンスでその答えが変わるだろうアオサギトリックスターに据えたのは、アオサギ不死鳥火の鳥としての立ち位置だと考えても中々に面白いのではないだろうか?

5、ペリカン反戦

わらわらが空に舞うシーンとペリカンの登場をみて、多くの人が空襲によって生まれるはずの命が奪われていったのをイメージしたのではないだろうか。

出雲大社をはじめ、神道結婚式では玉串をおさめるさいに、新郎新婦螺旋の様に左右に交わりながら神前に進む。

この「螺旋」という存在は、永劫回帰もつながる東洋思想の根幹となるもので、すべてのもの平等に無価値で、それぞれが相対的価値をそれぞれに対して持ち、または持たない。

下の世界は明示的に「地獄」と表記されてたのであるが、おそらく描かれてるのは冥界だろう。

ニーチェが死んだと評したものはそれ以前のキリスト教における始まりのある絶対的価値観というのが有力な説であるが、その絶対的価値観を作った人物の1人であるアウグスティヌスが「聖心、自己犠牲」の象徴とし、その後も様々な紋章で愛されたペリカンが魚の内蔵餌にし、上の世界での誕生を待つわらわらの命を次々と奪っていくのは宮崎駿フラットな「反戦思想」が読み取れる極めてシニカルメタファーではないだろうか。

ペリカン第二次世界大戦でも輸送機爆撃機のノーズアートとして愛用をされていたのは、ミリタリーに造詣の深い宮崎駿なら知らないわけはないだろうと考える次第である

6、インコがよくわからない。

インコ軍団の描かれかたは、当時の日本軍部の急進派やポピュリズム扇動された国民イメージとさせる。

ところが、インコアオサギペリカンの様に何かのメタファとして使われてた例を少なくとも私は知らない。

あえて言えば、ポピュリズム扇動される一定数の国民は今も変わらない、その人たちはみな同じ様ち聞いたことを繰り返す。

これらに対しての皮肉を込めて、鸚鵡はアレだからインコにするか、となったくらいしか思いつかない。

1シーン、インコたちが「陰謀論者」を彷彿とさせるセリフを言ってたのが気になるが、それにしても偶然の一致だろう。

何故、インコなのかは本当にわからない。

まとめ

本作は極めてシンプル構成少年の成長の数年間を描きつつ、そのきっかけとなった一冊の本バックボーンを深く掘り下げた作品だと思う。

ただ、その一冊が示すところは当たり前の様に社会実存する不条理や、固定された常識を「畜知」として個々の持つ倫理観や、相対的価値観を持って超越すべきと描くものだった上に宮崎翁の表現だ。わかりやす理解が困難であるところが極めてわかりやすい。

現象界では常に変化が起こり、全く同じ真理などは存在せず、全てのものに等しく「無」だけがその拠点として存在すると、ナウシカ宮崎駿は伝えたかった気もするのだけど、これすら三連休の最終日にしこたまアルコールを飲んで歩くのすらおぼつかない私の中だけの相対的宮崎駿である

なんにしても本作の序盤の数分で感じるスパイダーバース同様の狂気は、宮崎駿存命の間しか味わうことが出来ない、スタッフロールと引き換えに命を削った各コマを作り上げた人々の命の結晶である時間は貴重だ。一方、チケット代なんて酒を2、3杯飲むのと引き換えられる程度の数字が書かれた概念しかないだろう。

よっぽど忙しい人や、ジブリ宮崎駿が嫌いな人も最初10分で良いから見てほしい。

そんな狂気に溢れた作品であった。

おまけ 

昨晩、地下室からのふしぎな旅を改めて読んだ。柏葉幸子は素晴らしい。

宮崎駿引退するまでに一回で良いか柏葉幸子作品監督をやりたいはずと、私は勝手に思っており、君たちはどう生きるかもその色眼鏡で鑑賞するといくつかのシーンから妄想が膨らむ。「鈴木くん。柏葉幸子は素晴らしいぃぞぉ」という宮崎駿の声が脳内で響く。

Permalink |記事への反応(3) | 19:26

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2023-06-07

anond:20230607175813

でも偽物の反戦主義者は、日本プーチン司法はまったく批判しないんですよね

Permalink |記事への反応(0) | 18:02

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2023-03-26

anond:20230326011046

ここがミソなんだけど、ロシアに訴えようがウクライナに訴えようがどちらも反戦平和に違いはないんだよな

意味合い難易度は全く異なるんだけど、形としては同じ

とにかく反戦主義者としての体裁を整えたい人がどっち選ぶかは火を見るより明らかだよね

Permalink |記事への反応(1) | 01:23

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

anond:20230326004154

増田の出した例でいえば首尾一貫した反戦主義者がウクライナ戦争をやめろといえばただのアホになる

どんな主義主張も全方位100%完璧ものはこの世に存在しないわけで貫き通せばどこかで適用できない局面に突き当たる

そこがイデオロギー最上位においてはいけない理由なんだよな

Permalink |記事への反応(1) | 00:56

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

「真の人権派」「真のリベラル

いまバズってる「教師性犯罪歴をデーターベース化していいのか」とか、性やプライバシーが絡むデリケート話題になると

「「人権派」ってこういうとき何も言わないよな(反対しないよな)」っていう人がいっぱい出てくるけど

もちろん都合よく主張を変えるひともいるだろうけど、こういうときでも反対する首尾一貫した「人権派」もいっぱい知ってるよ

晒すとか紹介するとかはしないけど

ただ首尾一貫していることが、なにか高潔とか素晴らしい人格とかそういうポジティブものかといえば当然違うけどね

ロシアによるあきらかな侵略戦争が起きても、ロシアに対してはもちろんウクライナに対しても反戦平和を主張する首尾一貫した反戦主義者はいるし

もっと身近な話題でいうと「不同意性交罪」に関しても、Twitterとかでコアな人権派の人々は「基準あいまいいくらでも犯罪権力の都合で作り出せる悪法だ」「青少年セックス権利妨害だ」みたいなことをいってたんだけど

そのリツイートとかお気に入り欄を見ると…的な

お察しください

首尾一貫していることが「首尾一貫して評価される」かどうかっていうのもむずかしいよね

Permalink |記事への反応(1) | 00:41

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2023-03-25

anond:20230325003418

そもそものしゃもじはスポーツ用ではなく戦勝祈願で無辜の民が殺し殺される事態から意味があるんだろ

増田ロシアに寄ってるのか頭花畑反戦主義者なのかは知らんけど

海外の首脳が来てその国の戦勝祈願のチャームを渡されてもそんなもん要らんから実用品持って来いって言うのか?

Permalink |記事への反応(1) | 00:41

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2023-01-21

開戦したら即降伏降伏後の残虐行為国際社会が許さないの謎

米中対立が開戦へ発展する懸念が叫ばれている昨今、極度の反戦主義者は日本の軍備拡大は仮想敵国を刺激すると主張し、万が一の確率で何処からかに侵略されたら即降伏したら良いと主張し、もしも降伏後に侵略国が残虐な行為をはたらけば国際社会が許さないという。

繰り返すが現在、米中対立によって開戦へ発展することが懸念されており、ここで言う仮想敵国とは中国または中国軍事的に歩みを共にする国が該当すると思われるが、これら仮想敵国侵略をし、その後に残虐な行為をはたらいたとして残虐な行為を処断する国際社会はいかなるものなのか?

少なくとも仮想敵国こそが国際社会であると判定される可能性はゼロじゃないというか国際社会意見を主導するのは侵略した戦勝国たる仮想敵国なので、これら無条件降伏論は破綻しているんじゃないか

もしも国際社会が249の国・地域のすべてであるとして、西側である日本が無条件降伏をし、現実には249の国・地域構成される国際社会西側の国々が大半をしめているわけだが、戦勝国東側である

まり国際社会が許さないというのは残虐行為後に西側の国々が参戦してくることを期待しているのか?この視点でも極度の反戦主義矛盾しており破綻しているんだが?

さないとは何なのか?

Permalink |記事への反応(0) | 16:22

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2022-10-03

しばしば論争の的となるが、少なくとも日本においては、戦中の作品アカやら平和反戦主義を唱える人物を登場させること自体では作者の政治イデオロギーなんかと全く関係の無い話では。単純に「そういう人も中には居た」で済む気がする。

Permalink |記事への反応(0) | 21:12

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2022-05-23

anond:20220523160540

太平洋戦争日本で「反戦主義者はアメリカスパイだ!吊るせ!」みたいな

Permalink |記事への反応(1) | 16:16

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2022-03-07

anond:20220306190320

ミリタリーオタク反戦主義者を兼ねている宮崎監督がいるじゃない。

宮崎監督がいることを踏まえると矛盾が完全に解消されたと思わない?

Permalink |記事への反応(0) | 10:19

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2022-03-01

戦争が起こってチャンスと思ってる側とまずいって思ってる側

前者は好戦主義者で後者反戦主義

Permalink |記事への反応(1) | 16:22

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2022-02-25

anond:20220225130209

反戦主義者なんて中国共産党の回し者だから

Permalink |記事への反応(1) | 13:07

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

従軍しようとしない女に反戦運動をする資格はない

なぜなら、侵略されたら男は皆殺しになるが、女は生き延びることができるから

まり、女の反戦運動は、他国の男の支配を受け入れ、自国の男が皆殺しになることに同意している人道に反する行いに等しい。

あるいは、自国の男が皆殺しになるなんて知らなかったとすっとぼけるだろう。

この「わたしは知らなかった」は嘘である

女は戦場に立つ可能性が低いにも関わらず、男より女に反戦主義者が多いからだ。

息子のため夫のため、と自分に嘘をつき、支配者の男に養われたいという本音を抑えこんで、反戦運動する。

このような女の行いを許す国家組織利敵であるため弱体化するだろう。

いや、実際にそのような国は少子化という形で弱体しているのかもしれない。

真の愛国反戦運動をするなら、女に男と同じだけ従軍させなければ達成されないはずだ。

Permalink |記事への反応(1) | 09:25

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2022-02-24

anond:20220224203326

日常から反戦主義九条がイキり散らかしてるのなんか日本くらいだから

Permalink |記事への反応(0) | 20:35

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

anond:20220224131234

普段うるさいのに沈黙してるのは反戦主義を掲げてる反米主義者だな

まぁネットにはロシアとか中国情報操作員とかが混ざってるだろうし普段と違って黙ってるのは日本リベラルの人ではなくてそっちの国情報操作員の人間なんでしょ

Permalink |記事への反応(0) | 13:17

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2022-01-24

anond:20220124185542

戦争じゃなくて虐殺から反戦主義者的にはセーフ

Permalink |記事への反応(0) | 18:57

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2021-03-19

反戦主義者は対外戦争へ参戦してはいけないという風潮はおかしくないか

対外戦争をすべきでないと心から強く思いながらも、もしも日本対外戦争を開いてしまったときボクは志願兵として戦おうとも強く思っている。

とは言っても現代軍隊の仕組み、とりわけ自衛隊の仕組み的に新兵を最前線へ送ることはほぼ無いだろうから輜重兵(補給する部隊の兵のこと)あたりに配属されてしま可能性は高い気はするが。

なぜ反戦主義者なのに志願兵として戦おうとしているのかと言えば、ボクが志願するとボクの子供や仲間たちが志願しなければならない確率が1人分下がるから

バカな男だと言われてしまうかも知れないが、ボクは妻と結婚子供を得てしまい、家庭を持って子供の成長を見ているうちに「愛」という感情をすごく理解してしまったのだ。

「開戦してしまたか、仕方ない、父さん行ってくるわ」と非常に嫌そうな顔をしながら妻子に言うボク自身リアル想像できてしまうくらいに、ボクは「愛」というものを知ってしまった。

反戦主義者が参戦し、愛ゆえに家族や仲間を守りたくて、愛ゆえに愛する家族や仲間が居るであろう敵兵を殺す。

そんな矛盾を飲み込めるほどにボクは愛を経験している。

実に利己的な考えだとボク自身も思う。

それがどうした。最愛の妻へ触れたいし我が子を撫でたい。だから戦争に反対しボクの大切なものを害する敵を殺すんだ。

Permalink |記事への反応(1) | 17:32

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

次の25件>
ログインユーザー登録
ようこそ ゲスト さん
Copyright (C) 2001-2025 hatena. All Rights Reserved.

[8]ページ先頭

©2009-2025 Movatter.jp