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「反原発」を含む日記RSS

はてなキーワード:反原発とは

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2025-09-29

anond:20250928201727

この界隈再エネをネタにするのは何でだろうなってブコメがあるけど、

そりゃあ国民再エネ賦課金を取られてるから釣りやすいんじゃないかなと。

例えば、反NHKも「日本国民から受信料を取ってるくせに反日プロパガンダするな」っていう保守運動だったのが、いつの間にやら「とにかく受信料を取られたくない」っていう消費者運動になってしまった。

お金の恨みは怖ろしいのだ。

あと、福島原発がオシャカになった流れから再エネが原発代替と期待されているから、反・反原発感情から再エネに対する反発が生まれ、更に太陽光パネル生産中国が強いか反中感情も入ってくる。(だから、ああいテクノロジーが好きそうな人ほど太陽光発電を嫌う傾向がある。もし原発太陽光発電を併用してシャープ太陽光パネル市場覇権を取り、かつ反原発が静かだったら、太陽光発電に反発する人間を火を恐れる猿扱いしてただろうことは想像に難くない)

そういった人達が再エネを否定する説を組み上げてくれるから、「道具と状況は揃った。あとは度胸」という状態になって、度胸?のある人がぶち上げるんである

Permalink |記事への反応(1) | 02:15

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2025-08-27

三菱商事洋上風力撤退について当時からの流れを整理したい

追記

あらぬ誤解が発生しつつあるので明記しておきますが、私は京大レノバを含めた洋上力業界とは一切関係のない一般人増田です……

----

 

2021年に端を発するためか、そもそも何が起こったのかを知らぬままSNSで騒がれている様子が散見されたので、読みづらくならない範囲でまとめたいと思う。

三菱商事社長会ライブを見ていて、彼らの責任の重さが伝わってこなかったので、書くことを決めた)

 

1. 再エネ海域用法に基づく洋上風力発電事業者公募

洋上風力発電事業は、基本的に「海域占有して発電を行う権利」を国が事業者に与える仕組みで進められている。

海は公共財であり、漁業者航路利用者との調整が不可欠なため、公募占用制度と呼ばれる仕組みが導入され、国が事業者を選定する。

 

流れを単純化すると次のようになる。

  1. 国が「この海域洋上風力に使ってよい」と指定
  2. 事業者が「発電規模」、「価格いくら電気を売るか)、」「地域との共生策」などを提案
  3. 価格実現性地域調整力などを総合評価し、最も優れた事業者に30〜40年という長期の占有権を付与

まりこの公募は、一度勝てば1兆円規模の事業権を数十年にわたって独占できる巨大なビジネスチャンスであり、それ以上に今後の洋上風力発電業界を「誰に任せるか」にも影響するという、日本エネルギー戦略を左右する重大な制度設計である

 

その最初の本格的な実施が、2021年12月に行われた「ラウンド1」であった。

このラウンド1は特に注目を集めた。なぜなら、由利本荘(819MW)、能代・三種・男鹿(478MW)、銚子(390MW)という3つの大規模案件を一度に公募という、極めて異例のやり方を取ったからだ。

 

国の狙いは明快だった。

まりラウンド1は、単なる民間企業の入札競争ではなく、国家的な産業政策の号砲といえた。

 

2.レノバという存在

このラウンド1における主人公に"株式会社レノバ"がいるのだが、そもそもその存在を知らない人も多いだろう。

 

レノバ従業員300人程度の再エネ専業ベンチャーにすぎない。

だが今回の舞台となった地域の1つ、秋田県由利本荘市沖への洋上風力発電事業参入を早期から表明し、2015年から風況観測地盤調査を始め、2017年以降は環境アセス漁業者説明会を重ね、さら2020年にはCOOを常駐させた地元事務所を設置した。

特に2020年コロナ禍で説明会対話すら難しい時期も、彼らは現地に足を運び続け、「地元で汗をかいた」という実績がレノバ存在を支える最大の資産となっていた。

漁場などに大きな影響を与えうる洋上風力発電では、通常の公共事業以上に地元との協力体制実現性を左右するからである

 

これら積み重ねに加え、当時の再エネブームやESG投資(Environment, Social, Governance)の追い風を受けて金融からも支持を受け、コスモエコパワーや東北電力JR東日本エネルギー開発との連携につながり、ベンチャーながら由利本荘における“本命候補”と目される素地になった。

 

3. ラウンド1の衝撃

しかし、2021年12月に公開された結果は社会に衝撃を与えた。

なんと、三菱商事率いる連合由利本荘を始めとする3地域すべてを総取りしたのだ。

 

 

当時すでに鋼材や資材価格の高騰は誰の目にも明らかで、業界では「12円を切る水準は採算が合わない」という声が多かった。

公募直後の2022年2月からウクライナ進攻が始まったのは運が悪いともいえるが、とはいえ、元々が数十年スパンを見据えた公募である。そのような長期リスクも踏まえて算出された価格であるというのは大前提である

また、レノバのように事前調査地元への根回しを十分に行う事もなく、まさに青天霹靂といったダークホース具合だった。

 

結果として、三菱商事が総取りした事実は、たとえあのまま事業が実現したとしたとしても、制度本来目的――国内複数事業者が“並走して”サプライチェーン人材基盤を育てる――は事実上無に帰した。

特に“実績の少ない市場”の立ち上げ期は、複数施工保守プレイヤー経験曲線を描ける余地が不可欠である競争果実を1者に集中させる設計は、調達単価の見かけの最小化と、産業基盤脆弱リスクとのトレードオフ過小評価やすい。

 

とはいえ、ラウンド1総取りはそのようなリスクも分かったうえで、"あの"三菱商事が総取りを仕掛けたわけで、さすがに何らかの根拠戦略により、三菱グループという責任を背負って完遂してくれるだろうという淡い期待もあった。

 

また当然の帰結として、最大6000円超まで伸長していたレノバ株価は、1500円以下まで急落し、3日間で時価総額が1800億円溶けたという報道も流れた。

 

4.三菱商事撤退と“裏切り

そしてその3年半後となる2025年8月現在

知っての通り、三菱商事由利本荘を含む総計1,742MWの3案件能代・三種・男鹿478MW、銚子390MW)から撤退正式表明となった。

こうして大規模洋上浮力発電の2030年運転開始どころか、大幅な遅延が必至となり、三菱商事による根拠不明焦土作戦の末、国家エネルギー戦略時間は失われた。

 

  • 金利上昇・資材高騰で採算は完全に崩壊
  • 長期的な損失見込みは数千億〜1兆円規模

 

経営判断としてたった数百億で済む現時点での撤退合理的ではあるが、松下幸之助が説いた「企業社会の公器である」という理念に照らせば、三菱商事責任は極めて重大である

国家戦略の根幹をなす案件を総取りし、他社の芽を摘んだうえで、採算悪化理由に放り出す。その結果、失われたのは単なる帳簿上の赤字ではない。系統接続枠や港湾整備計画といった公共資源、そして地域住民漁業者との信頼関係といった“社会資本”が無為に浪費されたのである

 

三菱なら最後までやり遂げる」という社会的信頼があったからこそ国も地域も委ねた。だがその信頼を踏みにじり、制度全体の信憑性を瓦解させた責任は、一企業経営判断矮小化できない。

いま問われるべきは、"三菱"という組織社会責任を真に果たす覚悟を持ち得るのか否かという点である

 

5. ラウンド2以降のルール変更

時を戻して、2023年12月に結果が発表されたラウンド2以前に目を向けよう。

 

ラウンド1の結果を受け、国は制度見直しに動いた。

 

 

要は、ラウンド1で生じた「安値総取り」と「地域調整軽視」の反省を踏まえた調整だった。

だが同時に、それは元々の制度設計いか脆弱で、現実を見通せていなかったか証左でもある。

 

併せて、ラウンド2の見直しめぐり、「負けたレノバロビイング活動ルールねじ曲げられた」との論調も当時出た。(まあ、こちらはこちらでかなりの無茶したようだが……)

しかし実際の改定は採点枠組み(120/120)を維持しつつ、総取り防止の落札制限実現性評価補正情報公開スケジュール見直し等、市場の立ち上げリスクを減じる方向が中心だ。特定企業の“救済”というより、極端な安値一極集中副作用に対する制度側のバックストップ強化と整理して良いと思われる。

 

再エネ議連が毎週、圧力をかけた成果で、5月に入札ルールが変更され、6月に行われる予定だった第2回の入札は来年3月に延期され、審査方法も変更された。野球でいえば、1回の表で負けたチームが審判文句をつけ、1回の裏から自分が勝てるようにゲームルールを変えたようなものだ。

http://agora-web.jp/archives/220630094751.html

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/agora-web.jp/archives/220630094751.html

エネルギー素人池田信夫氏による批判記事と、それに同意するブクマの数々を一例として示すが、三菱商事が自陣の提示した価格の安さで撤退した今となっては笑うしかない。

ここについては2025年視点から結果論でもあるので、これ以上のコメント差し控えよう。

 

6.焼け野原ドミノ倒し懸念

ラウンド1の失敗が避けられなくなった結果、この先の洋上風力発電市場、ひいては国家の再エネ政策全体に深刻な影響を残した。

反原発層はここにこそ大声上げるべきだと思うんだけどな。

 

ドミノ撤退リスク

三菱商事撤退検討に至ったことで、「三菱ですら無理なら誰がやるのか」という冷笑が広がり、外資国内他社も日本市場消極的になった。ラウンド2以降も撤退連鎖が起きる懸念現実味を帯びている。

市場育成の失敗

本来は「長期的に産業人材を育てる場」として設計された公募が、逆に「信頼を失わせる負の前例」となってしまった。

安値入札が勝者となったラウンド1に引きずられ、ラウンド2以降も価格面で無理をする形での参入がベースに。市場育成の健全な芽を摘んだ。

 

7. 終わりに

ここまで三菱商事への糾弾を重ねてきたわけだが、真に責任を負うべきは、まともな制度設計をできなかったMETI(経済産業省)である

 

洋上風力は国家戦略の柱であるはずが、その最初の大規模公募制度不信を広げ、時間という取り戻せないコストが支払われる結果となった。

後付けの修正で糊塗しても、信頼は回復しない。

必要なのは第三者機関を交えたラウンド1の反省と、現実直視した制度設計を国が改めて示すことであると考える。

 

8. おまけ

https://www.econ.kyoto-u.ac.jp/renewable_energy/stage2/contents/column0284.html

ラウンド1当時の批判については、京都大学大学院経済学研究科の講座コラムとして詳細に論じてあるため、興味がある方は是非目を通していただきたい。

Permalink |記事への反応(30) | 18:58

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2025-07-28

軍事防衛観点から反原発」というのはあり得る観点のはずなんだけど、ネットの右左のレスバではあんまり見ない気がする。

あと、減税と軍事大国化をセットで要求している(ように見える)右寄りの人も結構いるけど、軍事大国化を始めたら終わりのない防衛費増額まったなしで、その場合、どうがんばっても将来的な増税まったなしなのではなかろうか。社会保障を削っただけで間に合うような額ではないんでは。

ちょっと勉強し始めると、政策パッケージとして首尾一貫した主張をしている政党っていない気がしてくるのが不思議

Permalink |記事への反応(0) | 18:16

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2025-07-17

anond:20250717040810

・「私たち良識絶対正義マン」の考え方をやめる

思想の違う人を差別者とかナチスとかすぐレッテル貼りしない。敬意を持って向き合え。

思想の違いを擦り合える政策提案する

選挙妨害行動をやめる。対立勢力へのヤジをやめる。しばき隊とは決別しろ

科学事実に基づいて批判をする。汚染水とか言ってたのをきちんと統括しろ

陰謀論反原発デタラメ思想に染まったやつを処分しろ

Permalink |記事への反応(0) | 15:56

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2025-07-15

anond:20250715131901

そうだわ生成AI規制をして欲しいからってこのアンケートの結果を素直に受け止めて立憲・共産応援したとしたら、それこそ鴨下を追い出したのにまた反原発放射能デマに擦り寄ってんじゃねえかって後ろ指差されまくるんだよな

生成AI規制政治にお願いするとき一番足元掬われるのこれなんだよな

Permalink |記事への反応(0) | 17:20

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2025-07-06

anond:20250706222241

ニセ科学批判かいってた奴らもリフレとかアベノミクスかぶれたあげく反反原発メルトダウン否定とかやってたしな

逆張り思考停止から結局カルトと変わらんのよ

Permalink |記事への反応(1) | 22:37

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2025-07-04

これから日本が持て余すのは「田舎自然」だけじゃない

壊死した田舎の元人里も当然持て余す。

田舎山中海岸線に人っ子一人住んでない廃墟がこれから先どんどん出てくる。

人口減少はこれから先酷くなるので、持て余す廃墟加速度的に増えていく。

自然はまだ口だけじゃなく金を出す物好きも多少はいるだろうけど、廃墟ほとんど見向きもしねぇよな。

メガソーラー業者活用してくれるなら願ったり叶ったりだよな。

メガソーラーが嫌なら原発でもいいかもな。

周辺に人っ子一人住んで無いなら有事避難計画従業員だけでいいし、周りもどうせ誰も金出そうとしないんだから敷地扱いにして住めなくすりゃいい。

原発必要性を語る癖に近場に作りたがらない自称現実主義者も、原発を毛嫌いする癖に電気ゴリゴリ消費する反原発主義者も満足だろう。

廃墟放置するよりよほど有用だ。

Permalink |記事への反応(0) | 12:00

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2025-06-29

はてなーから人気がありそうな人が尽く合わない

大抵の場合思想が偏り過ぎて死ぬほどキモいか、言動攻撃的で痛々しく怖いし普通に関わりたく無いか

とにかくサムくてつまらなくて共感性羞恥生理的に無理か、とにかく性格が悪そうで口も悪いか

コイツガチで性根腐ってんじゃないの?って言いたくなるぐらい終わってる奴か、って感じ

あるいはこれらの要素を複数備えているか


はてなーセンスはよー分からん

例えばちだいとかヨッピーとか箕輪厚介とかフミオとか、マジで嫌悪感しか湧かないんだけど

はてなーとXの信者以外であいつらに好感抱いている人どこにいるんだろう?って感じ



追記

by-king たぶんそこらへんを好きな人って『自分の気に入らない人や物をそれらしく批判してくれるなら誰でも全肯定する』っていう人種から当人の性根が腐ってるかとか見てないよ


いやまあこういった意見も分かるっちゃ分かるんだけど、それを差し引いても「こんな奴をちょっとでも肯定する事すら同類と思われるぐらい恥ずかしい」ぐらいアレじゃね?って話

少なくとも例として上げた連中は1㍈でも肯定したくないぐらい嫌


例えばちだい、あんだけN党周りに対し人殺しだの反社会的勢力だの罵っておいていざ自分告訴されたら「殺されるー!」って全力で被害者ぶってんのは死ぬほど格好悪いし余りにも情けなすぎる

一体どの面下げて人殺し!だの叫んでたんだ?というか告訴されて「殺されるー!」ってのは何だよw誰に殺されるんだよw

そんな奴に4000万ぐらいカンパ集まったんだっけ?はてなーも何人かカンパしてそうだよな

4000万もあれば弁護士代払っても完全にペイ出来そうだけどこれってもしかして誹謗中傷マネタイズしてません?

こんな反原発風評加害野郎がN党アンチしてるからN党に対し正当な批判すらし辛い雰囲気が出てきて本当迷惑してんだよね

寧ろN党に対し批判的な立場からこそこんな相手に「被害者」という正当性プレゼントしまくる奴を許容すべきでは無いと思うんだがN党アンチはてなーはその程度の事も分からないんかな?

もしかしてN党が送り込んだ成りすましアンチ系の熱心なN党信者なんかなwそんなのを1㍈㍈でも支持するとか馬鹿だろ


ヨッピーなんてのは元々良い歳したおっさんしかもムサいタイプの奴「ッピー」とか名乗ってる時点で最高にキモくて好感度500億%マイナスなんだけどさ

そこを差し引いてもヨ☓☓ーの言ってる事やってる事なんてのは、2ch荒らしはてなーみたいな陰湿ネットオタク自称オラオラ系イキリ勘違いおじさんの悪い所を煮詰めた様な人間じゃん?

どこにも好感度を抱く要素なくね?とにかくキモいというか気持ち悪いし不愉快でうざい、消えてくれ!うわー!!って感じの嫌悪感しかない


後、普通に虚言癖で他の人間迷惑かける奴は、つまんないしょーもない嘘松ネタをニヤニヤして書き連ねつつ「ぼ、僕ってすっごく面白い人間だよねwセンス超あるぅんんんん!!」とか

唸ってオナってそうな奴って全力で関わりたくない以上に最早存在するだけで嫌な感じしかしなくない?少なくとも自分はそうだよ。未だに劣化虚構新聞やってる様なカス野郎



で、こんなんを持ち上げてる連中がはてなーの中にも少なからずいるってのは本気で理解出来ないってのがこのエントリなんだよね

Permalink |記事への反応(14) | 05:20

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2025-06-18

anond:20250618170712

駅前反原発チラシ配ってる人間同類

Permalink |記事への反応(0) | 17:09

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2025-06-17

サッポロ一番CM

あの曲聞くと反原発ソング思い出す

サッポロ一番反原発

Permalink |記事への反応(1) | 15:58

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【ChatGPT/DeepResearch】はてなブックマーク人気コメント思想的傾向1

2005〜2009年:サービス黎明期リベラルコメントの萌芽

はてなブックマーク創設期(2005年前後)には、ITリテラシーの高いユーザーが集まり始め、政治社会系の記事にもコメントが付くようになりました。当初はユーザーコミュニティの規模が小さく、議論は活発でしたが、コメント内容には玉石混交の傾向もありました。例えば2007年頃には、ある有名ブロガーが「もしネット右翼メッカ2ちゃんねるだとすれば、ネットイナゴ烏合の衆)が集まるのははてなブックマークだ」と苦言を呈しています

実際この時期、記事内容を論理的批判するコメントは少なく、**「バカ」「○ねばいいのに」**といった過激罵倒スラングが人気コメント欄に並ぶこともあり、2ちゃんねる的な粗野さが指摘されました。

はてなブックマークコメント欄は当初、必ずしも洗練された言論空間ではなく、極端な言葉遣いや叩きがスターボタンによって増幅されるケースも見られたのです。とはいえ、この黎明期には既にリベラル寄りの思想傾向が芽生えていました。長年自民党政権が続く中、ネット上では権力改革志向の声も強まりはてなユーザー例外ではありませんでした。たとえば当時「はてな左翼はてサ)」と呼ばれる進歩的ブロガー/論客が台頭し始め、歴史認識人権問題保守派批判する動きが散見されます

実際、南京事件憲法9条などの論戦では左派スタンスユーザーが詳しい知識議論リードし、右派的主張に反論説教するといった場面も見られました。

極端な例では、ある著名ユーザーが「『自衛隊人殺し』『日本人という存在自体が悪だ』」とまで発言し物議を醸したこともあります

こうした過激表現はさすがに例外ですが、総じて反権力リベラル志向コメント共感を集めやすい土壌が形成されつつありました。2009年政権交代自民党から民主党へ)の際にも、はてなブックマーク上ではそれを歓迎・期待するリベラルユーザーコメントが多く見られ、長年の保守政権に対する変革への期待感が読み取れますもっとも、この時期のコメント欄はまだ手探り状態で、思想スタンスよりもコメント文化自体模索が続いていたとも言えますスター(★)による評価システムも始まったばかりで、どのようなコメントが支持を集めやすいかユーモア皮肉批判精神など)コミュニティ全体で試行錯誤している段階でした。

2010〜2014年:左派コメントの台頭とコミュニティの活発化

2010年代前半になると、はてなブックマーク政治コメント欄ではリベラル左派)的な論調がいよいよ優勢となっていきました。民主党政権(2009〜2012年)の発足や2011年東日本大震災福島第一原発事故といった出来事を契機に、反原発・反権力の声がネット世論で高まりはてなでも人気コメントとして多くの支持を集めました。たとえば震災後の原発政策を巡っては、政府や電力会社批判するコメントスターを集め、「脱原発」「政府隠蔽体質批判」などリベラル色の強い意見が目立ちました(※当時、多くのはてなユーザー原発推進派の政治家・官僚に厳しい目を向け、代替エネルギー市民運動を支持する姿勢を示していました)。また、2012年に第二次安倍政権が発足すると、保守色の強い安倍政権政策憲法改正論議国粋主義発言など)に対し、はてな人気コメント欄では批判的な論調が一貫して支配的になります。「はてな左翼はてサ)」**と総称された進歩的ユーザーコミュニティがこの頃確立し、彼らが多くのスターを集めるコメントを量産したのです。

具体的な傾向として、保守ナショナリスト的な対象への批判揶揄が盛んでした。たとえば2012年前後には、大阪市長橋下徹氏(保守的・改革派の政治家)に批判的なコメントや、石原慎太郎都知事過激発言皮肉コメントが多数支持を集めています。実際、あるユーザーは「坊主(橋下)が憎けりゃ袈裟まで憎い」という諺をもじり、橋下氏の行動全般を痛烈に批判してスターを集めました。

またヘイトスピーチなど社会問題化したテーマでは、右派的な差別扇動に対する強い糾弾が人気コメント欄を賑わせました。2013年から在日コリアンに対するヘイトデモ問題視され始めましたが、その際もはてなでは反レイシズム立場から表現の自由を履き違えた差別は許されない」といったコメントが支持を集めています2016年ヘイトスピーチ解消法成立に至る世論形成にも、そうしたネット上の批判世論が背景にありました)。このように、2010年代前半のはてなブックマークリベラル志向の論者が主導権を握り、保守的な主張や差別的言説には厳しい反応が集まる傾向が強かったのです。 同時に、ジェンダーマイノリティ権利に関するトピックでもリベラル寄りのコメントが目立ちました。例えば女性LGBTQの権利問題についての記事では、「多様性尊重」や「男女平等」を訴えるコメントが人気化しやすく、ミソジニー女性蔑視)的な発言や古い価値観への批判が数多く見られました。はてなコミュニティ内でもフェミニスト観点を持つユーザーが増え、「はてな村」のフェミニズム論争が活発化します。これに対し一部では反発も生じ、2014年には匿名日記上で「はてブって女性のことになると、ネット右翼よりも全体主義低能集団集合知ではなく集合恥だな」という辛辣批判投稿されました。

この発言者は、はてなブックマーク上で女性擁護フェミニズム的主張ばかりがスターを集める状況に苦言を呈したものです。「日本人からすごい!女性からすごい!──ネット右翼とはてフェミってどっちも変わらん」とも綴られており、愛国心を拗らせたネット右翼と同様に、はてなリベラルフェミニスト層も思考が偏っていると批判していました。このような反発意見自体が注目されるほど、当時の人気コメント欄はリベラル(時に急進的)一色になりがちだったと言えます。実際、2012年にはあるユーザー右派新聞記者産経新聞阿比留記者)への個人攻撃をたしなめたところ、「相手があの記者から何を言ってもいいのか」と諫めた彼自身が「はてなサヨク」層から猛反発**を受けたというエピソードも伝えられています

このように2010年代前半は、リベラルユーザーが結束してスターを投じ合い、彼らの価値観合致しない意見には容赦なく批判が向けられる風潮が強まりました。 **まとめると、2010〜2014年はてなブックマーク政治ジャンル人気コメントは「リベラル派が主導し、保守派差別的言説への対抗言論が突出した時代」でした。民主党政権期のリベラル改革期待、そして第二次安倍政権開始後の保守回帰への反動もあり、左派的なスタンスコメントが常に上位を占める傾向が続きました。もっとも、コメント全体のトーンとしては皮肉辛辣さも増し、しばしば断定口調で上から目線批評スターを集めるという独特の「はてな語り」**も醸成されていきました。

実際あるユーザー2010年時点で「妙に上から目線で断定するコメントスターを集めていて、いつの間にか自分まで嫌な人間になりかけた」と感じ、はてなブックマーク熱が冷めたと告白しています

それでもなお、この時期は活発な左派言論によって他のネットコミュニティにはない独特の盛り上がりを見せていたと言えるでしょう。

2015〜2019年:リベラル優勢の定着と内輪化の進行

2015年以降も、はてなブックマーク上の政治コメント基本的リベラル左派)優位の傾向が継続しました。 第二次安倍政権下で保守色の強い政策が次々と打ち出される中、人気コメント欄ではそれらを批判揶揄する声が依然として主流でした。象徴的な出来事として、2015年安全保障関連法案(いわゆる安保法制強行採決があります。このとき国内で大規模な反対デモSEALDsなど若者中心の抗議運動)が起きましたが、はてなでも法案批判的な意見圧倒的多数を占めました。「憲法違反だ」「民主主義危機」「戦争法反対」といったコメントが軒並みスターを集め、安倍政権右傾化への強い警戒感がうかがえました。また2017年前後森友・加計学園問題政権スキャンダル)でも、真相解明を求める論調や「安倍晋三首相責任を取れ」といった厳しい批判コメントが人気上位に並び、政権追及一色の様相でした。このように安倍長期政権に対する不信・批判はてなでは一貫して根強く、人気コメント思想スタンスは反権力リベラル路線が盤石だったといえます。 同時期、社会文化的な論争でもはてなの人気コメントリベラル派に軍配が上がることがほとんどでした。例えば2018年には東京医科大学入試差別問題女子受験生の点数を一律減点)が発覚しましたが、このニュースに対しては「時代錯誤な男女差別だ」「女性の機会を奪う不公正」という糾弾コメントが大量に付き、スターを集めました。さら2017年から世界的に#MeToo運動が広がり、日本でも伊藤詩織さんの性暴力被害告発が注目されましたが、はてなブックマークでも彼女を支持し日本の性暴力問題警鐘を鳴らすコメントが多数賛同を得ました。逆に、杉田水脈議員による「LGBT生産性がない」発言2018年)など保守政治家の差別的な発言に対しては、「公人として許せない」「差別のものだ」と厳しく非難するコメントが目立ちました(抗議デモ記事にも「まず謝罪を」「議員辞職すべき」といったユーザーの声が集まっています)。

このように、ジェンダー平等マイノリティ人権擁護など進歩的価値観を支持するコメントが引き続き優勢であり、はてなにおけるリベラル志向は揺るがないままでした。しかし、2010年代後半になると、そのリベラル優勢が「行き過ぎた内輪化」として指摘される場面も増えてきます。活発だったユーザー層が次第に高年齢化し、新規参入者や多様な意見が減ったことで、「同じメンバーによる同じような主張」が目立つようになったのです。実際2020年直前のある分析では、「最近はてブ負のオーラがすごい。一般感覚とかけ離れた左寄りコメで埋め尽くされ、陰謀論じみた人気コメントトップになることもある」と嘆く声がありました。

このユーザーは「明らかにユーザーが高年齢化し、40代前半くらいのおっさんばかりになった」と指摘しています。つまりネット上で極端なイデオロギーを露わにする層は中高年男性が多く、はてなブックマーク左翼のおじさんの溜まり場になってしまったという自己分析です。この指摘の通り、2015〜19年頃の人気コメント欄では、同じ論調メンバースターを付け合って盛り上がるエコーチェンバー化が進行した側面があります。「安倍政権=悪」「リベラルこそ正義」という大枠に沿うコメントは容易に支持を集める一方で、それに異を唱える意見最初から敬遠排斥されやす空気が醸成されていました。もっとも、当のリベラルユーザーたちは自分たちの主張を**「正論」「市民感覚」だと信じていたため、そうした内輪化を自覚しにくかったようです。はてなブックマークを長年使ってきた一部のユーザーには閉塞感も広がり、2010年代後半には「最近はてブはひどい」「昔はもっと面白い情報が拾えたのに」という懐古的な意見も増えました。例えばある匿名日記では、「2年以上前からはてブは終わった”と言われているが、最近本格的に面白い情報が見つからなくなった気がする」と嘆かれています。この背景には、政治ジャンルに限らずホッテントリ固定化(いつも似たような記事コメントが上位に上がる)や、新興メディアNAVERまとめTogetterTwitter等)への関心分散がありました。 総じて、2015〜2019年リベラル優勢が定着する一方で、その強い傾向ゆえの弊害(画一化・内輪化)も指摘された時期と言えます。依然として人気コメントは「右派批判」「市民目線政府批判」が主流でしたが、その論調はどこかマンネリ化し、新鮮味に欠けるとの声も出始めたのです。

ただ、この頃まではまだ保守論調が人気上位に食い込むことは稀で、基本路線としては**「反自民リベラル」**の牙城が守られていたと総括できます

https://anond.hatelabo.jp/20250617074749 に続く

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2025-06-14

anond:20250614205935

ゼロ年代ロックバンドの中で、「政治的主張ちゃんとするのがロックアメリカバンドがやってるので続け〜!)」となった時期があった。

 

ポリコレの初期だね。

まだその正義が輝かしいものに見えていたし。

ビートルズイマジンを再発見して憧れたりする世代でもあったろう。

俺の好きな佐藤タイジが、太陽光電力のみでライブをする、とかい反原発活動したこともあったし。

 

ただ日本左翼がアホであることには、アホのバンドマンには見抜けなかった。

アジカン場合は、とくにコミットした先が、最悪だったね。アホの話を聞いて、アホに寄り添った曲を書いた形。

Permalink |記事への反応(0) | 21:05

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2025-06-08

anond:20250608150636

テクウヨ連呼くん、独自キャラ確立するつもりなのにこういう思想混ぜると

「なんだ昔からいた普通反原発左翼か」ってバレるから

嘘でも特化した方がいいとおもう

Permalink |記事への反応(1) | 15:14

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2025-06-06

anond:20250606085157

こういう、意識たかーい純粋真っ直ぐオバ、

反原発反ワクやってそう

Permalink |記事への反応(0) | 17:55

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2025-06-03

anond:20250603170535

例えば?

積極財政的な経済政策方針変わってないし、反原発とかの極左系の主張とかもずっと同じじゃね?

Permalink |記事への反応(0) | 17:10

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2025-05-29

anond:20250529195525

慰安婦問題とか反原発とか、2010年代教科書に反映されないしそこを殴ったら勝てそう

Permalink |記事への反応(0) | 20:25

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2025-05-10

anond:20250510162508

消費税やさしい論者とウクライナ降伏論者と中国に逆らっても無駄論者と反原発と反AIのことですよ

Permalink |記事への反応(0) | 17:47

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anond:20250510042355

「現状左派だの共産党しばき隊シンパ反原発カルトみたいなのがこぞって「学術会議活動政治化」していると指摘されているにも関わらず」

この教授は「一方、過去学術会議では共産党系などの左派の会員が政治的な主張や活動をしていたとして「決して好ましいことではなかった」とした上で」と過去形で、

まり今はそうではないという現状認識なんでしょ。

その上で「右派が入ることも同様に好ましくない」と言ってるんでしょ

今の学術会議には「左派」が入ってないと

その現状認識はどうなんよってそりゃ多くの人が思うのって当たり前じゃね?

Permalink |記事への反応(0) | 05:05

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anond:20250509120551

記事の続報として、教授本人から説明があるけども


「右の人が入る法案許せるか」発言北大教授 FBで「学術会議右派お墨付きは害」

ttps://news.yahoo.co.jp/articles/31cbc6992e521ba5e7180fc64352112180d45682


発言した意図について「(学術会議は)現在政府と協力しつつ独立した立場を保てる研究者が会員になっているが、法人化後には右派が入って学術会議活動政治化する可能性があるのではないか」と説明

別に右派が「学術会議活動政治化する」事は無いとは言わんが

現状左派だの共産党しばき隊シンパ反原発カルトみたいなのがこぞって「学術会議活動政治化」していると指摘されているにも関わらず

右派がー右派がーとウハウハになって右派警戒イヤイヤムーヴしてるのはさすがに片手落ちにも程があると思うよ

左派学術会議活動政治化「してる(現在進行形)」のが現実の現状だろうに

普通に党派性つよつよおじさんとしか思えんわな

Permalink |記事への反応(4) | 04:23

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2025-05-02

はてな反原発Jリベさんさぁ

反原発無くせに、乗りもしないEV信者なのなんなん?

風力発電事故記事でも原発事故がーとか言ってるし

Permalink |記事への反応(1) | 15:46

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2025-04-30

右翼左翼について急に知りたくなった

ここ最近いる某荒らしを勢いづけそうでアレだが、なんかこの記事見て知りたくなった

SNS×政治」で仲良かった人と疎遠になる…宇野常寛さんに相談したら「50年以上前結論は出ている」と言われました

https://r25.jp/articles/928885337474007042


これ見る限りだと、最近反原発など反テック的な人は左翼テック的でイケイケなビジネスやってる人は右翼って感じっぽいんだけど、どういう紆余曲折を経てこうなったのか知りたい

冷静に考えると反テックって逆に保守的じゃない? って思うけど、でも実際左翼っぽい人が反テックやってることが体感多い気がするし

浅野通明の「右翼左翼」読めばなんかわかるかな。昔の本だから最近テック云々は載ってないかもだけど

Permalink |記事への反応(3) | 19:04

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2025-04-29

手管が詐欺師のそれなんだわ

反原発でも反基地でもcolabo訴訟でもそうだけど

サヨクって情弱を巧みに騙して味方につけるやり口しか知らんのかって思うわ

Permalink |記事への反応(0) | 10:09

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2025-04-15

anond:20250414112430

表現の自由歴史的背景は、国によって異なる。

そんな視点で以下、自分用のメモとして長文を残す。あえて言論自由の優位性といった憲法理論をガン無視するが、どんな規制が適切かといった考えから離れることで、表現の自由の失われた状況の風景みえることもある。

++

とくに「表現の自由による暴力(不法行為性)」をどこまで許容するかが重要視点だ。欧米日本では大きく違う。

フランスでは、あらゆる権利が「尊厳ある生」を守るための抵抗に原点を持つ。

その意味で、社会運動ストライキ争議権)と、表現の自由は同じ線上にある。たとえば、名画にペンキをかける環境団体抗議活動日本では即座に「環境テロ」として報道されるが、英仏では「レジスタンス抵抗運動)」という言葉がより広く使われていた様子だ。これは体制に対して暴力的に抗う行為意識しているからだ。

環境問題に限らず、農家などの過激な抗議行動(輸入品増加に抗議した放火破壊行為など)や、労働争議においても同様だ。フランスでは、国家や大組織による構造暴力に対するカウンターとしての「市民による尊厳を守るための抵抗」に心情的な理解が寄せられる。犯罪としての側面を否定しないまでも「レジスタンス」は革命以来の伝統という認識フランス社会は共有する。

その背景には、18世紀カトリック教会が「真理の解釈権限」を独占していた時代に、啓蒙思想が登場し、科学合理性武器公共空間を構築し、新たな政治制度模索した原体験がある。「神を冒涜する権利」は、黎明期政教分離文脈から分化した表現の自由の形であった。

一方、アメリカ表現の自由の出発点は、事情が少し違う。

制度の根幹に「科学合理性」や「絶対的真理」は置かれていない。むしろ、人それぞれ真理と信じる”信念”があり、誰も完全な真理に到達していない、という前提がある。この考えは巡礼始祖たちの宗教的多様性の中で育まれ、やがてプラグマティズムに吸収され、「思想の自由市場」(O.W.Holmes)という発想へとつながってゆく。

もっとアメリカでも、20世紀半ばまでは「有害言論の内容規制」が志向されたが、判事たちはそのたびに建国思想巡礼始祖の理念に立ち返り、「有害表現定義できない」という議論に収まった。1970年代には「社会不協和音こそが強さの証」とまで言い切る判決(1971)もあった。司法ヘイト規制消極的かつゾーニング規制シフトしてゆく歴史がそこにある。

トランプの出現などリベラル保守のあまりの違い、それでも国家として成り立つ社会。それを支えるのは、「一致しないままでも共存できる」という、個人主義を基盤とした社会の強さだ。

一方で日本は、「価値観の不一致」に不安を感じる社会だ。

会社でも地域や家庭でも、できるだけ摩擦を避けたい。コロナ禍での自粛違反者への度を越した非難などに表れているように、「他人迷惑をかけるのは不徳だ」という感情が深く根付いている。

この「迷惑感情」は、表現の自由制限する根拠として働きうる。憲法学では人権制限原理は「公共の福祉」として整理されるが、実態としてはその時々の「社会空気」に左右されがちだ。たとえば、受忍限度論という法理をとってみても、それ自体迷惑感情社会的「耐性」の程度を空気から測るものにすぎない。日本人の考える公共フランス人の考える公共とかなり異なる。

電車CM強制音声に対する訴訟「囚われの聴衆」事件1987年最高裁)では、そうした「空気」に抗う個人の主張が結局退けられた。受忍限度という大義名分の下で、「それくらい我慢しろ」と結論づけられたわけだ。迷惑感情による秩序そのもの否定するわけではないが、空気として内面化されすぎると、異論や異質さの排除へとつながりやすく、かつ世代間、階層間の認識ギャップという課題に直面する。

フランスとの比較でもう少し考えてみよう。

日本には、フランスのように「尊厳のための抵抗」を肯定する文化がない。絵画ペンキを投げれば即「テロ」として断罪される。暴力抵抗が「歴史ある社会の声」として認識されることはない。

水俣病初期の漁民暴動、60〜70年代国鉄病院のストを見ても、「迷惑感情」が前面に出て、GHQが持ち込んだ争議権は本当の意味では社会根付かなかった。正規雇用では労使協調路線非正規雇用は分断が続いているのが現状だ。ストライキがなお社会的に力をもつフランスとは対照的だ。

全農警職法事件国家公務員の争議権全否定1973年最高裁)、75年の国労スト権ストは、日本社会が「暴力的な表現や行動」との距離感を決定づけた分岐点となった。

暴れる新左翼へのストレスが頂点に達し、迷惑を嫌った大衆心理が、最終的に「暴力容認しがたいもの」と司法行政に決着を迫った形だ。

こうした着地は、人権市民一人一人の体験として自ら闘って獲得してこなかったという、日本社会構造限界を示しているのだろう。

日本社会における「市民による暴力抵抗」が断罪されやすい背景には、市民の行動が過激ものに映じるの対して、しばしば国家行政の抑圧や不作為は、暴力として認識されず、社会の中で可視化されにくい構造がある。水俣病における行政不作為反原発運動に対する過剰な監視、あるいは災害被害者の声の届きにくさなど、国家による制度暴力不作為の積み重ねに対して、市民が抗いの言葉を発するとき、その言葉とき過激さを帯びるのは当然の帰結でもある。だからこそ、表現暴力性だけを批判的に切り出すことは、構造非対称性再生産になりかねない。

構造的な非対称に加えて、もうひとつ重要なことがある。それは市民一人ひとりが権利意識再生産するための「思い出」や過去の教訓を忘却やす社会ということだ。

欧米でいう「人権」とは、突き詰めれば「こういう社会には戻りたくない」という歴史体験からまれる(米仏だけの例で暴論は承知の上)。その教訓を社会を生きる一人ひとりが繰り返し思い出すこと、それが人権ボトムアップ的な再生力だ。

しかし、日本では「権利」は「国家が授けるもの」として明治以来、教育されてきた。敗戦までその構図は変わらず、戦後アメリカが新しい憲法人権を与える側に回った。この付与される構造が、今日日本においてもなお、自由をめぐる議論憲法制度論に終始してしまう要因になっている。

だとすれば、今あらためて必要なのは自由の意義を自分たちの歴史体験として取り戻すことだ。

特に敗戦前後記憶――若者人間爆弾にし、それを大人が見送っていた時代。そして敗戦後、手のひらを返すように価値観を変えた、あの社会の激変こそ戦後日本原体験であり、空気に逆らう力を考える出発点であるべきだ。

++

ここからは、戦後日本映像表現の潮流に視点を移す。

戦後社会」と呼ばれる時期―おそらく平成初期まで―に見られた日本映像表現には、大きく三つの傾向があったように思う。

1. 既成の価値観への反抗

戦中派から戦後世代はかつての「正しさ」に対して疑いを抱き、積極的破壊しようとした。

映像作品での典型例として、岡本喜八を挙げたい。軍や国家権力風刺し、戦時空気を相対化する『肉弾』(1968年)は象徴的だ。

表現体制批判自己解放手段だった時代道徳国家価値観への反抗心がそれを後押ししていた。

「反抗」というテーマは、家族内の世代対立ないし嫁姑問題80年代の校内暴力管理教育という軸での「反抗」など形を変えて表現された。

2. 新しいアイデンティティ模索

高度経済成長のもと、戦後社会は猛烈な速度で変化し、かつて「当たり前」だった家族のあり方、地域風景は急速に姿を消した。

そのような変化の中で、新しい「自分らしさ」を探すような表現が生まれた。家族崩壊再生を描いた「岸辺のアルバム, 1977」は社会に衝撃を与えた。

3. 失われゆく価値観への郷愁

こうした変化に対する不安喪失感は、郷愁としても現れる。

山田洋次の『男はつらいよ』では、理想の家庭像を夢見るも決してそこには迎え入れられない寅さんという存在を描き続けた。

倉本聰の『北の国から』では、泥付きの一万円札をめぐる暴力沙汰などを通して、「義理人情」や「恩を忘れぬ人間関係」が描かれた。

スクール☆ウォーズ」に代表される大映ドラマにおいては、努力根性家族の絆といった「倫理」が過剰なまでに押し付けられる一方で、それは裏を返せば、かつては当然のように共有されていた義理人情倫理が、社会の中で揺らぎ始め、もはや社会がその正しさを自信をもって教えられなくなっていた時代の反映ともいえる。任侠映画の「落とし前をつけさせてもらいます」というカタルシスもまた、現代社会ではとうに失われた暴力的「自力救済」への郷愁でもあった。

この三つ――反抗、自分探し、郷愁――が、戦後日本表現の中心テーマであった。いずれの表現にもどこかに心情的共感を呼ぶやむにやまれぬ加害内包していた。そこに着目すべきだ。

「反抗」の終焉表現行為暴力性をめぐる葛藤

この三つのうち、「戦前価値観への反抗」は、戦前世代が退場するにつれ次第に衰えていった。最後の強烈な反抗例として、敗戦後に上官が行った部下の処刑告発した『ゆきゆきて、神軍』(原一男1987年)を挙げることができる。

奥崎謙三狂気。上官を告発し、天皇パチンコ玉を撃ち込むなど、常軌を逸したようにも見えるが、そこには彼なりの倫理がある。表現行為が、敗戦前後記憶を呼び覚まし、組織における人間関係―「上官と部下」「国家個人」―に対して強烈な問いを投げかけていた。

しかし今、このような強烈な表現は久しく見かけなくなった。反抗への共感はある特定世代記憶に留まり引き継がれない傾向が見て取れる。あたか社会全体にノイズ耐性が失われたかのようだ。

かにつけ「コンプラ違反」として簡単に切り捨ててしま社会。「こんなの今の時代にはムリ」と。例えば、中井貴一がある制作現場で呈した疑問は示唆的で、全体にバイオレンスドラマなくせに、コンプラ配慮たばこポイ捨てシーンだけがNGになったことがあった。それは思考停止ではないか

奥崎のような過激手法であっても、そこに社会権力構造に対する本質的な問いが込められているならば、無視できない重みがある。原一男ドキュメンタリーは、まさにそうした問いを突きつけるものだ。

ドキュメンタリーという暴力からみえもの

ドキュメンタリー手法に内在す加害性も多くの示唆を与える。

ゆきゆきて、神軍』のようなドキュメンタリーなどの手法には、つねに「出演者の許諾は取ったのか?」という問いがつきまとう。

伊藤詩織氏の『BlackBox Diaries』に対する映像や音声の使用をめぐる批判が良い例だ。「フェアユース正当化可能」とする声(中根若恵)もあれば、「権力犯罪を暴く表現であればOK」という立場原一男)もある。しかし、原自身も認めるように、たとえ告発目的であってもセルフドキュメンタリーには「現実自分に都合よく再構成する」危うさがある。無条件の承認はありえない。その語りが私的物語にとどまらず、社会的な意味を持つためには、他者に開かれた語りに昇華される必要がある。

では、表現行為に内在する「やむにやまれぬ加害」を評価するのは誰か?

最終的には司法だとしても、まず問われるべきは、共感を持って応える観客であり市民である

コンプラ違反を恐れて、表現物が公開前に修正されてしま社会――それが望ましいのか?

私は、暴力性を含んでいても、その中に真摯倫理があり共感可能性のある表現ならば、それは世間に問うてよいと思う。それを受け止める権利もまた市民にある。内部告発/公益通報もまた、不法行為公益性のはざまにあるという意味奥崎謙三の反抗と地続きだ。兵庫県職員告発とその後の県知事対応は耳目を集めたばかりだ。

空気にあらがえるかが試金石

今の日本社会において、「表現内包する暴力に対する寛容さ」はきわめて低い。

敗戦体験した世代がいなくなり、記憶として残っているのは「国鉄ストの迷惑」「新左翼暴力」「オウム事件の恐怖」など、暴力に対するアレルギーばかりだ。

一宿一飯の恩義といった価値観は薄れ、市民暴力的な自力救済抵抗運動共感しなくなっている。

コンプライアンスに敏感な時代からこそ、私たちはもう一度、「表現の自由とは何か」を原点に立ち返って考える必要がある。

かつてトクヴィルは、革命後のフランスに、公共の名のもとに行われる言論統制など専制洞察した。一方、アメリカ民主社会には、世論専制という別の危険をみた。制度的な保障はあっても、多数派少数意見排斥するような雰囲気社会が醸成すると実質的自由は奪われる、との黎明期アメリカ社会への洞察は、現代キャンセルカルチャーなどの課題を予見している。

――暴力性を含み得る表現に対して、我々はどのような態度を取るのか。その暴力倫理的な共感はあるのか。どんな社会私たちは避けたいと思っているのか――

憲法理論制度保障を語る上では有効であるしかし、表現規制論だけでは上記のより根源的で実存的な問いには答えられない。「制度いか自由を守るか」ではない議論必要だ。自由擁護する倫理共感の土壌がなければ、制度簡単形骸化する。「抵抗」とか「不協和音の強さ」とまでいわないまでも何か核が必要だ。

社会同調圧力空気に抗ってその問いを突きつける力、受け止める力が社会から失われたとすれば、それは表現の自由が失われた社会だと思う。

Permalink |記事への反応(0) | 00:00

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2025-04-08

ずっと好きだったんだぜ」を使うサッポロ一番CM

あれ反原発の歌なんだけどわかってるのかな

Permalink |記事への反応(1) | 15:36

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原発反対なら電気使うなとか、マイナンバー反対なら公共サービス使うなとか

反原発どうこうじゃなく

異論を出した奴は権利剥奪みたいな主張はよくねーだろ

Permalink |記事への反応(7) | 02:57

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