
はてなキーワード:原著とは
| 作品名 | 公開年 | 脚本 | 興行収入 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 劇場版デジモンアドベンチャー | 1999 | 吉田玲子 | 9億 | 短編(約20分)東映アニメフェア |
| デジモンアドベンチャーぼくらのウォーゲーム! | 2000 | 吉田玲子 | 21.66億 | 短編(約40分)同時上映作品との合計 |
| ONE PIECETHE MOVIEオマツリ男爵と秘密の島 | 2005 | 伊藤正宏 | 12億 | 単独で監督した長編初作品。 |
| 時をかける少女 | 2006 | 奥寺佐渡子 | 3億 | 東映アニメーション退社後 |
| サマーウォーズ | 2009 | 奥寺佐渡子 | 16.5億 | - |
| おおかみこどもの雨と雪 | 2012 | 細田守 /奥寺佐渡子 | 42億 | 初めて脚本を兼任 |
| バケモノの子 | 2015 | 細田守 (単独) | 58億 | 2015年の年間興行収入2位 |
| 未来のミライ | 2018 | 細田守 (単独) | 28.8億 | - |
| 竜とそばかすの姫 | 2021 | 細田守 (単独) | 66億 | 細田監督作品歴代最高興収 |
脚本書いたほうが稼いでて草w
こりゃ偉い人もなんもいえねーw
(追記)
トラバブクマあつまったら宣伝していいとのことなので宣伝させて頂きます!おまえらイクサガミはもう観たか!?ガチやべーから騙されたとおもって観とけーーー!?
なんか合わんって場合もとりあえず2話の終わりまで見たらすげーから!それでも合わんならもう知らん!
そういえば細田守の話やったな。ワイ独自ランキングは1位👑時かけ・2位🥈サマーウォーズ・34がなくて後藤さんって感じなんだけどどちらも思いのほか興行収入バリ少ないな!3憶……
細田作品はなんかこう普通の映画として「あっちの伏線がこっちにハマって……」みたいな仕掛けがまとまってて面白かったんだがあれは脚本とかの力だったのかもな
オオカミこどもも未来のミライもなんかワイには来んかったわ(ケモ観も相違)
まあかといって時かけのころに戻ってくれ~みたいな感覚も特にないわな
強いて言えば脚本吉田玲子とかで手堅くお仕事モノみたいなの作ってほしいかも
でも今で十分興行収入も強いし独特の感性で国際賞レースも狙えるてるしすごいんやろうな。知らんけど!
日本の法律では映画の著作権は監督にはなく制作会社か製作委員会が得る。(著作者人格権はある)。一方、脚本家は原著作者として著作権を得る。これが売れた監督が自分で脚本をやるようになる理由の1つ。
はーそういうのもあるのな。そういえば細田脚本作品は原作も細田だけど原作ってだけじゃいくら権利あってもカネ的な意味では扱い軽かったりするんだよな?たしか。
鬼滅の刃の作者でも映画の原作料はちょっとだけみたいな話あったな。
Permalink |記事への反応(15) | 11:47
出版する自由がないとは言ってないし、個人的には内容には批判的だが出版取り止めを求めたことはない。あの角川の超スピード取り止め中止は、むしろ批判的な当事者達の間でも戸惑いが見られた。
「出版してから批判すればいい」はそうなのだが、出版後にきちんと内容を読んで、これまでの性的マイノリティに対する抑圧や差別の歴史的経緯やトランスジェンダーの医療の現状や内実などについてきちんと学んだ上でしっかりとした中身のある批判をしようとする人はほとんどいなかったと記憶している。(そこまで詳しく学んでいるわけではなかったようだが、比較的頑張っていた人物としては海法紀光がいた。)
詳しくなく、それゆえ批判するだけの知識を持たない人が擁護する言葉は多かった一方で、当事者や詳しい者の中で知識と発信力がある人間がわずかに批判的なコメントをしていたが、数の少なさと取り上げるメディアの少なさで影響力は極めて限定的だったし、そうした意見にはネット上でのバッシングが酷かった。
「出版後に批判すればいい」という立場であの本を擁護していた人々は、責任を持ってトランスジェンダー関係の医療や教育に関わる基礎文献を読み(ほとんど翻訳されていないが、これらの本に「日本語での出版の自由」を行使する者は現れていないので、原著できちんと読むべき)、しっかり批判すべきだとは思う。擁護するだけして、あとはそもそも数が少なく発信力もほとんどない当事者達に任せるというのは、あまりにあんまりだ。自分で言い出したことに責任を持て、と。
ちなみにだが、参政党が直接にあの本を参照したのかはもちろんわからない。ただ、あの本が支えている思想と類似のものであり、あの本を肯定的に読んだ者には支持される発言だろう、というくらいだ。
プログラミング初心者のときに何を作るか考えたときに出たもの。
『やりたいこと』
Kindleで本を読むと行に「〇〇人がハイライトしました」と表示が出てくる。
これを全ての本で見たい。
Kindleだと人気かつ多くの人がハイライトした本でしか表示が出ないが、1人しかハイライトしていない部分もきっと意味があるはず。
電子書籍はページ数が特定できないが、行数は同じなので行数で指定してもらう?
本の要約サービスがいくつかあるが、結局原著を読まないと理解できない。
難しい古典でも「勢いがあるのは120ページか……」とわかればそこまでを目標に読める。
ネタバレ防止になる。
感想を書くのが面倒でも、ページだけ記録すれば感想の代わりになる。
難点
・たぶん儲からない。
・そもそも本を読む人っているのか?
10年前ったら、ソルニットの説教したがる男たちの原著が出て少ししたころか。この辺りから第四波フェミニズムが現れてきたと言われることがあって、その話だろうか。
第一波はざっくりというと市民権における性差別の解消を目指す運動だった。女性の政治参加の問題だ。第二派は参政権とかに限らず、女性の生活はその個人的な次元に及ぶまで家父長制によって形作られていると考え、家父長制からの解放を求めた。これがおそらく今知られている「フェミニズム」のイメージに近いが、時代的には1960年代から1970年代くらいに盛り上がったもの。20世紀後半の第三波になると、女性の間での不均衡が意識されるようになり、第二派の女性のイメージが白人中産階級のそれに偏っていたことへの批判とともに、交差性への言及がなされるようになり、ブラックフェミニストの活動が注目されるようになる。トランスジェンダー問題が起きるのもこの辺りで、第二派のフェミニストには白人主義、ホモフォビア、トランスフォビアなどが見られるという批判が今でも強くある。
で、第四波は第三波の交差性重視の流れは引き継ぎつつ、もっと個々人のことに目を向け、個人個人がSNSなどを通じて情報発信して連帯したり、ともにアクションをしたり、自分の経験を共有したりしながら互いをエンカレッジするというのが重要な運動だと見なされるようになった。
というのが素人の自分の理解。日本では交差性への意識があまり醸成されず、女性の間で生じる権力構造に無自覚なままでなし崩し的に第四波的なメソッドだけは輸入されたという印象があるが。
あれって「コスプレ」っていうジャンルが絶対に一次創作側になれないからくる発想なのかな、と思った。
同人誌(漫画、小説)の場合なら原著者と同人作家は同じ「漫画家、小説家」(=同業種)なので二次創作者は一次創作者に絶対頭あがらない感がある。
売れてないお前(同人作家)が俺(原著者)の人気にあやかって勝手に商売すんなよ、
自分で自分の作品書いて売れろよ、自分自身が一次創作者になれよ、所詮おまえは一次創作では売れる才能のない、他人様の人気にあやかることでしか商売できない弱小作家なんだよ、的な主従関係というか、才能の明確な優劣的なのが背景にあるから。
だから「原著者が同人作家をリスペクト?は?何言ってのおまえ?無能が偉そうにすんなよ」的な感情が(表向きに表明されることはないが)実際ある。
けどコスプレイヤーの場合、原著者とそういう関係にはないんだよな。
本が売れる才能とコスプレで成功する才能って全然別だし。だから「あなたは素晴らしい作品を書きました、そして私は素晴らしいコスプレをしました、お互いにリスペクトしましょう」みたいな発想がナチュラルに出てきてもそんなに不思議ではないのかなと。
コスプレの場合、一次創作で売れるってことが原理的にできないので「人の人気にあやかるなよ、自分の作品作れよ」的な批判もあまり的を得ないってのもある。
似た関係性としては「作家」と「声優」だったり、「農家」と「シェフ」みたいな感じだろうか。源流(作家や農家)の供給(漫画・小説や農作物)がなければ二次創作者(声優やシェフ)は作品(アニメや料理)は絶対に作られないけれども、それぞれの仕事に対してリスペクト持つのは可能だよね、的な意味で。
追記:
それはそれとして、公式に迷惑かけるような活動は慎むべきではあるわな。それはリスペクトを欠いた行いではあるし。
特定作品のキャラクターを自身の代名詞みたいな形で使う活動はよくない、というかリスク高いと思うわ。
自身のイメージダウンがその使っているキャラクターのイメージを損なったり、意図しないイメージが付随してしまう恐れがあるわけだからな。
生成AIが登場して3年ほど、目まぐるしく技術が進歩し様々な活用・導入の事例が見られる一方、批判の声も大きい。
ディープフェイクや偽情報の氾濫を筆頭に問題が多い技術だとは思うので批判されるのもやむなしだと思うが、勘違いで嫌われて騒がれている面もあると感じる。
AIを嫌っている人たちの中でも、以下の4つの勘違いをしている人とは生成AIについての議論はできず、何かやり取りをしたらただの言い合いになってしまうだろうなと思ってしまう。
生成AIが登場して3年ほどになり、解説書もたくさん出ているのに未だにこの手の勘違いをしている人がいる。
生成AIで生成されたものはコピーだの、コラージュだの、キメラトレスだの、生成AIはミキサーだの、「学習と呼ばれる行為は画像データのインポートだ」という言説も見かけた。
StabilityAICEOのインタビューでの発言を引いて生成AIは検索エンジンだと言っている人もいるみたいだが、生成AIの仕組みを理解していればこの発言が本気かたとえかどうか分かりそうなものである。
生成AIがしているのは複写ではなくても権利上の問題があるのではと指摘されていることももちろん知っているが、「それは間違いですね」の一言で終わってしまうことを言い続けていては生成AIの規制など進まないだろう。
生成AIの権利問題を声高に主張する人のXアカウントを見てみると、必ずと言っていいほど自分が二次創作をしているか、二次創作を愛好していることが分かる。
二次創作は基本的に原著作物の著作権を侵害していると言える。原著作権者が二次創作のガイドラインを出している場合もあり、その場合は原著作権者から著作権侵害を訴えられないことはほぼ確実と言っていいだろうが、ガイドラインを守っていない二次創作が横行していることは周知の事実である(大半の二次創作はガイドラインを守っていると言う人もいるが、二次創作の許可を出していない集英社作品の二次創作が大量にあることだけ見ても、「大半の二次創作はガイドラインを守っている」とは言いづらいと思う)。
「元画像のデータをそのまま使っているわけではない」とか「原作へのリスペクトがある」とか「収益を出していない」とか、最近見かけたものでは「原作の収益を減らしていない」などの理論で二次創作を正当化している人はいるが、正直「二次創作が訴えられていない理由と推定されるもの」か「二次創作を訴えてほしくない理由」としか思えないものばかりで、二次創作が合法であると判断できる理由は1つもない(まあそんなもの出せるわけないのだが)。
別に二次創作をやっていたら生成AIの問題に口を出すなと言うつもりはないし、二次創作は滅びればいいとも思っていないし、仮に生成AIの学習が規制されたからと言って二次創作に即刻影響があるわけでもないと思っているが、知的財産関連の法律の専門家がああでもないこうでもないと頭を悩ませている問題に、「二次創作は合法」みたいな認識で太刀打ちできるはずがない。
一部の人は生成AIの議論の場にクリエイター当事者がほぼ呼ばれていないことが不満のようだが、「私たちが安心して二次創作するために生成AIを規制せよ」みたいなこと言われても、検討する側も困るだろう。
生成AIの権利問題を声高に主張する人のXアカウントを見てみると、実在する漫画の1コマを切り取ったものなど、他人の著作物を投稿している人も結構いる。
一部原著作者が自由に使うことを許可しているものもあるが、そうでなかったらこういう他人の著作物の投稿は完全に著作権侵害である。
これについては「使用した画像の著作権を主張していない」とか「ミームなど、画像を使うのは文化である」とか、およそ言い訳になっていない弁明が見られ、果てはCC0の画像を上に貼り付けて後ろの漫画のコマは写りこみであるとか主張している人もいたが、全部アウトである。
生成AIを漫画村に例えたがる人もいるが、実在する漫画の1コマを切り抜いて投稿する行為は、許可のない複製をして誰でも閲覧・ダウンロードできるところに公開するという、規模は違えどそれこそ漫画村と同じ行為である。
こういうことをしている人にはさすがに生成AIの権利問題について口出しする資格はないと思う。
生成AIについて懸念を述べる人に寄ってたかって悪口を言ったり、クリエイターは用済みみたいなことを言っている行儀の悪い一部生成AIユーザーがいることは知っている。
しかし、2024年9月時点では従業員1000人以上の大手企業の40%弱が生成AI導入をしているといった調査結果があり、こうした企業の従業員の大半は、生成AIを巡るネットでの煽り合い、ののしり合いには関与していないいわゆる「普通の人」だろう。大手企業の従業員でない「普通の人」にも利用は広まっていると思われるし、そもそもどの技術に生成AIが活用されているか全て指摘することは誰にとっても難しいのではないか。
大勢の「普通の人」が使っているから生成AIを認めろと言うつもりはないが、現状の日本では生成AIは活用を推進する方向だ。その状況を覆そうとしている時に、「普通の人」をいきなり「人でなし」と罵倒して改悛を促すことができるだろうか。
現状の法律では、生成AIを単純利用するだけなら違法ではない。しかし、生成AIユーザーを指して犯罪者呼ばわりしている人が散見される。
AI嫌いで騒いでいる人たちの使う言葉が強すぎるために言っていることを聞いてもらえなくなり始めている現状を指摘して、使う言葉に気を付けるように言っている人も見受けられるが、「犯罪者」は十分に強すぎる言葉だ。
また、犯罪者でない人を犯罪者呼ばわりすることは、刑法上でも罪に問われうるという。犯罪者呼ばわりで自分が犯罪者になってしまっては笑い話にもならないだろう。
この勘違いをしている人が一番多いと思う。生成AIを活用した企業・自治体を叩いたり、生成AIを使っていると思しきクリエイターを攻撃したりといった事例は枚挙に暇がない。
しかし、生成AIユーザーを叩いたところで生成AI忌避にはつながらない。
これは「だろう」とか「と思う」といった話ではなく、既に証明されている。
X社は2024年11月、自社で開発している生成AIのGrokを全ユーザーに無料で開放した。このとき、大勢のユーザーがGrokで文章や画像を生成し、こぞってX上で投稿をした。開放当時のブームはとうに去ったが、現在もGrokで生成した文章・画像を投稿するのは普通の行為である。
生成AIユーザー叩きが一番見られるのは何と言ってもX上である。しかしX上で行われた生成AIユーザー叩きは、そのユーザー本人にAI使用をやめさせることはできても、その他のXユーザーたちに注意喚起をする効果はなかったのである(中には普段生成AIを批判しているユーザーがGrokを使用している事例も見られた)。
また、個別の生成AI使用事例を叩くという戦略も、一度にGrokユーザーが増えたため全ユーザーを叩くことができず、効率的でないことが露呈してしまった。
一方、当初は「生成AI活用路線に疑問を呈する人」くらいの意味だった「反AI」という言葉に、X上でのAI嫌いの人たちの振る舞いによって侮蔑的な意味を付与されてしまったということには、AI嫌いな人たちも異論はないだろう。
生成AIユーザー叩きは効果がないどころか、かえってマイナスだったのである。
しかし、AI嫌いな人たちは「叩くことは生成AI忌避に繋がる」という勘違いはしていないかもしれないと感じることもある。
話題だからと生成AIを使ってみたベテランの漫画家は、老害だの才能の枯渇だの後進潰しだのと散々罵倒されたが、国民的と言っていい漫画を現在進行形で描いている漫画家がChatGPT活用についての漫画を投稿した際には、かなり拡散されたにもかかわらず直接批判する声はほぼ見られなかった。
ある国の観光局アカウントがGrok無料開放前にGrokで生成した画像を投稿した際には批判の声が多数寄せられて「蛮族」とまで罵られたが、Grok無料開放後にGrok生成画像を投稿したVTuberは「嫌われたくない」みたいな理由で見逃されている。
要は叩くアカウントを恣意的に選んでいるのである。そこにあるのは生成AIへの問題意識ではなく、生成AIをだしにして誰かを叩きたいという欲求なのかもしれないと感じる。
生成AIが出現して3年くらいになるけれど、未だに受け入れられ切っていないように思う。
色々問題点は挙げられているけれど、一番問題視されているのはやっぱり、学習元になった著作物の著作権。
一方日本では二次創作が大量に出回っているけれど、二次創作はどの法律の専門家に聞いても著作権侵害(の可能性が高い)と言われるだろう。
ファンアートと銘打っていても、二次創作の作品で対価を受け取っていなくても著作権侵害は著作権侵害と解説しているサイトもあるくらいである。
でもコミケなどの即売会では大量の二次創作が出品されているし、二次創作のイラストや漫画をネットに投稿するのはありふれているし、何なら二次創作でグッズ作って売っている人までいるくらいである。
ゴリゴリの著作権侵害である二次創作が全然問題視されていないのはオリジナルの作品の著作権者が基本訴えていないからというのもあるが、何と言っても一般に「そんなもんだから」と受け入れられていることが大きいと思う。
生成AIも「そんなもんだから」と受け入れられてしまえば、今ほど騒がれなくなるだろう(だんだんそうなってきているとは思う)。
「二次創作はオリジナルの作品の宣伝に役立っている」という意見がある。
これは一面の真実であると思っていて、確かに二次創作が出ることで更に知名度が上がったり、原作で描かれなかった部分が補完されてストーリーの解像度が上がったりというポジティブな影響を受ける作品もあるだろう。
一方二次創作はポジティブな創作ばかりではなく、原作とストーリーが変えられてしまったり、全年齢向けの作品が成人向けの展開に改変されてしまったりといったようなケースもあって、必ずしも現著作者にとってありがたいものばかりではないはずだ。
生成AIについても、「創作のコストを下げ、より手軽に創作ができるようになる」という意見がある。
これも使う人が使えば真実だし、そんなものは全く必要ないという人もいるだろう。
見る人が見れば手前勝手な意見だが、全く的外れでもない触れ込みがあるという点において、二次創作と生成AIは似ている。
「自分の作品が生成AIの学習素材にされて自分の絵柄を簡単に模倣されるようになったら皆やる気を失って誰も作品を作らなくなるだろう」という話がある。
これは疑問だと思っていて、二次創作では現著作物のキャラクターを虐待したり、原作では絶対にありえないカップリングにしたり、全く新しいキャラクターを出して番わせたりとかなりひどいことが横行しているが、自分の著作物を好き勝手にされる可能性があるからと言ってオリジナル作品を作るのをあきらめるという話はあまり聞いたことがない(聞いたことがないだけで実はそういう人はたくさんいるのかもしれないけれど)。
むしろ、「生成AIがあるならこれを使えばいいか」という理由で創作をあきらめる人の方が多そうである。
「二次創作の方が楽に人気を集められそうだからオリジナルの作品は作らなくていいか」という人がきっといるのと同じように。
1.自分で描くことをやめて生成AIに頼る人 2.自分で描き続ける人 3.手描きと生成AIどちらもする人の比率は、1.一次創作を諦めて二次創作をする人 2.一次創作をする人 3.どちらもする人の比率と大体同じになっていくのではないかと想像している。
二次創作が広く受け入れられているのは、あまりに普通に行われているので「二次創作が著作権侵害である」ということを知らない人が多いからというのもある気がする。
だから生成AIを批判しない方がいいと言うわけではないが、生成AIが批判されることで著作権に注目が集まり、生成AIが受け入れられていくのではなく、二次創作が拒絶されていく展開もなくはなさそうだなと思う。
二次創作によって付加された創作的な表現(例えば構図とか)は二次創作者
原著作物の創作的な表現(食べ美の見た目、デザイン)は原著作物の権利者が権利を持つ
この為二次的著作物の利用には二次創作者及び原著作物の権利者両方の許諾が必要になる。
二次創作イラストをネットにアップする場合、権利者全員=(二次創作者と原著作物の権利者両方)から複製権、公衆送信権の許諾が必要になる。
許諾を取って二次創作した場合、当然契約内容に二次的著作物の利用範囲...複製権、公衆送信権の許可不許可が含まれるけれど
通信制高校を卒業してB型作業所に通所して6年目になるんだが一向に就職が決まらない。
24歳で資格無し・作業所以外の職歴無しは流石に不味いと本当に焦っているのだがB型ですら上手くいかずトラブルを起こしてしまい通所日数も通所当初より減っている。
癇癪持ちで利用者と喧嘩になって水筒投げつけたり職員に手を振るったりしてしまうし体力が持たなくて週に4日しか作業所に行けてない。
このままだと不味いと思ってこの6年間あらゆる努力をしたのだがほとんど実らないまま辞めてしまった。
普通の仕事で生きるのは難しいと思いネットビジネスで稼ごうと副業に取り組みついこの間まで5年以上やって月1万円を稼げるまで成長したが他の努力を始めるために辞めてしまった(この努力は再開するかもしれない)
障害年金と貯金で生きていくのを目指しミニマリストを目指し断捨離や極端な節約をしていた事もあったが2ヶ月で節約に精神がやられストレスが限界になり辞めてしまった。
SNSやゲームやジャンクフードを絶つ自己啓発も試してみたのだがSNSやジャンクフードはかなり辞められたが人生で一番の趣味のゲームを絶つのはかなりメンタルをやられこれも挫折してしまった(SNSは今も極力絶っている)
自己啓発書もかなり読んでみたのだが自己啓発書の内容に何故かかなりイライラしてしまい実践しようとすると出来ず出来ない自分にイライラしてしまいメンタルを崩し辞めてしまった。(特にまんがでわかる7つの習慣と言う本は読んだだけで蕁麻疹が出て本を床に叩きつけたくなった。ただストーリーにイライラしただけなので原著は悪くないのかもしれない)
アンガーマネジメントを試してみたのだが実践する前に頭が真っ白になってトラブルを起こしてしまい効果が出なかった。
ネットビジネス、ミニマリスト、ゲーム絶ち、自己啓発書、アンガーマネジメントの読書とかなりの努力を試してみたのだがそのどれもが上手くいかなかった。
唯一続けられているのが有酸素運動と朝のラジオ体操と積み立てNISAなのだが運動に関しては体力が付くどころか落ちてしまっており結果が現れていない。
焦りで方向性を見失っており困っている。
今後試そうとしている努力は姿勢の矯正とPCに関する資格取得なのだがこれらの他に何か有効な努力があれば教えて欲しい。
Permalink |記事への反応(23) | 18:50
もうやってたら申し訳ないけど、英語圏の文献を読むのはどうだろう?
日本の批評とかは、翻訳があって売れた、話題になった限られた冊数の文献の中で延々とやってる感あるので……最近はマシだけど。負荷はかかるけど、世界は広がると思う。
(もちろん、限られた文献を深く読解することにも価値はあるが、それにしても限られてる、という意味で)
(ハイデガーやベルクソンの研究者だって、最近のちゃんとした人は今までの海外含めた先行研究の蓄積をちゃんと踏まえるから)
いつまでハイデガーやウィトゲンシュタイン、アーレント、よくてローティやバトラーに立ち帰り続けるんだって感じ。
あとは、もちろんやってると思うけど、趣味ならどんどん分野変えていけばいいと思う。映画批評以外にも。
原著出版年が比較的新しく、かつちゃんとした日本の出版社から出てる翻訳書を読むのもおすすめ。和書は出してからしょうもないと判明することあるけど、翻訳書は、原著に価値があるというのがある程度はっきりしてから出すから。翻訳文が読みづらくても、重要度が高くて面白いことが多い。
『マジで名前が思い出せないので心当たりのある人がいたら助けて欲しいんだけど、アメリカの女性の黒人奴隷が実際に書いてた日記がすごく印象に残ってる。』
もう出てるかもしれないけど、ハリエット・アン・ジェイコブス著『ある奴隷少女に起こった出来事』新潮社文庫 、かな。
ただし、邦訳版には下記のような指摘がありまして…
https://togetter.com/li/1660819
「『ある奴隷少女に起こった出来事』の日本語訳で抜けている箇所を原著と対照させながら検証する「目次からしてChapterの数が原著と翻訳で合わない」
この本に限らず、翻訳本は必ずしも原著通りに訳されていないというアレ問題。
例えば段落ごとゴソっと削除されたり、文体のニュアンスが「めっちゃライトでポピュラーじゃね?」とか。
日本には大学教授や研究者を適切に評価するシステムが無いため、多くの人は下記のタイプと接する機会が多かった😭
あと、日本の平均賃金から見たら、大学教授や研究者の賃金は、べつに低いとは言えない。むしろ上位を占めている。
| 職業 | 年齢 | おおよそ の月収 | ボーナス 等 | おおよそ の年収 | 労働者数 |
|---|---|---|---|---|---|
| 航空機操縦士 | 43.1 | 138 | 123 | 1,779 | 4,970 |
| 医師★ | 41.6 | 97 | 63 | 1,227 | 77,920 |
| (男女合計)管理的職業従事者 | 50.2 | 47 | 522 | 1,086 | 6,720 |
| 大学教授(高専含む)★ | 58.0 | 66 | 275 | 1,067 | 59,530 |
| 法務従事者 | 49.9 | 68 | 176 | 992 | 21,150 |
| 大学准教授(高専含む)★ | 48.9 | 55 | 207 | 867 | 39,880 |
| 歯科医師★ | 40.5 | 60 | 42 | 762 | 15,090 |
| その他の経営・金融・保険専門職業従事者 | 39.3 | 46 | 156 | 708 | 16,000 |
| 大学講師・助教(高専含む)★ | 41.6 | 49 | 108 | 696 | 56,890 |
| 高等学校教員 | 43.1 | 43 | 163 | 679 | 69,200 |
| 研究者★ | 39.8 | 42 | 156 | 660 | 118,450 |
| 輸送用機器技術者 | 40.1 | 41 | 159 | 651 | 191,480 |
| 小・中学校教員 | 40.3 | 42 | 146 | 650 | 31,200 |
| システムコンサルタント・設計者 | 40.4 | 46 | 97 | 649 | 78,730 |
| 電気・電子・電気通信技術者 (通信ネットワーク技術者を除く) | 41.8 | 41 | 154 | 646 | 285,830 |
そのため、賃金を上げろと言われても、日々の生活や老後のことを考える我々的には、『いや、十分な額でしょ。ナメとんのか?』となってしまい、
ほとんどの人は、大学教授や研究者の賃金を上げることに賛成しなかった
(つか、上記の状況を見続けて、おけおけ!上げとこ上げとこ👌なんて感情にはまずならんでしょ😒)
高学報酬による競争で全体の質を担保するのではなく、個人の情熱と能力と使命感と倫理観だけに全てお任せしてしまった結果、もう本当にどうしようもないことになった
まずはこれ
"民" とか時代劇の殿様かな?っていうスゲー文章だが、2024年の東京大学准教授の投稿である(成りすましでなければ)
アサシン・クリード・シャドウズの問題、いつか鎮静化すれば良いと思っていたが、民が暴徒化しており、お気楽なパブリックヒストリアンたちは口を噤んでいるようなので、Xなるものを稼働させることにした。時々呟く。
そして、これもまさかの2024年の日本の大学教授(わざわざプロフィールで所属と身分を明かしている)の投稿である、うっへぇ~ありがてぇ~~~
PSA:It's notonly "white racists"who are angry aboutthe newAssassin'sCreed game. A lot ofJapaneseinternet users are angry too.Why?
Checkthisimage for some examples ofJapanese netizens expressingtheir views aboutAssassin'sCreed Shadows.
(お知らせ:新しいアサシン・クリードゲームに怒っているのは「白人の人種差別主義者」だけではありません。多くの日本のインターネットユーザーも怒っています。なぜでしょうか?
アサシン・クリード・シャドウズについて日本のネットユーザーが意見を表明している例をこの画像で確認してください。)
↓
いわゆる "坂上田村麻呂黒人説" や "AfricanSamurai:TheTrueStory of Yasuke, aLegendary Black Warrior in FeudalJapan" などは、
それに便乗する白人至上主義者によるアジア人の透明化と文化の盗用(ホワイトウォッシュしながらアフロセントリズムを押つけ、アジア人を透明化する糞ムーブ)、
上記に類するアクション(『日本人は怒ってない』とSNSでお気持ちを勝手に代弁するありがてぇ白人様たち)に対して懸念を持っています
これは、司馬遼太郎氏やカジュアルな歴史小説家の作品、あるいは娯楽時代劇のフィクションを真に受けるのとは、ほんのちょっとだけ毛色が違います。
"坂上田村麻呂黒人説" の言い出しっぺは、今から100年以上前、カナダの人類学者、Alexander Francis Chamberlain 氏です。
米国の非営利団体Internet Archive で原著を確認できると思うんですけど、
氏は『The Contribution oftheNegro toHumanCivilization』(1911年)という論文の中でこう書いてます。
484 ALEXANDER FRANCIS CHAMBERLAIN
[...]
And we cancrossthewhole ofAsia and findtheNegroagain, for, when, in far-offJapan,the ancestors ofthe modernJapanese were makingtheir way northwardagainstthe Ainu,the aborigines ofthat country.
(そして、我々はアジア全土を横断して再び黒人を見出すことができる。遠く離れた日本では、現代日本人の祖先がその国の先住民であるアイヌに対して北上を進めていた時に。)
THE CONTRIBUTION OFTHENEGRO 485
theleader oftheir armieswas Sakanouye Tamuramaro,
Fulltext of "The Contribution oftheNegro toHumanCivilization"
まぁこんなこんな感じで唐突に 『坂上田村麻呂 は黒人である』 と論文の中で言い出してるんですね。
そして、この論文の記述を全米黒人地位向上協会(NAACP) の設立者の一人である W・E・B・デュボイス氏 が、『TheNegro』(1915年)にもしたため、
As rulers and warriors we remember suchNegroesasQueen Nefertariand Amenhotep III among many others inEgypt; Candace and Ergamenes inEthiopia; MansaMusa, Sonni Ali, and MohammedAskai intheSudan; Diaz inBrazil, Toussaint L'Ouverture in Hayti, Hannivalov inRussia, Sakanouye Tamuramaro inJapan,the elder Dumas inFrance, Cazembe andChaka amongthe Bantu, and Menelik, of Abyssinia;the numberless blackleaders ofIndia, andthe mulatto strain of AlexanderHamilton.
(統治者や戦士としては、エジプトの多くの中でもネフェルタリ女王とアメンホテプ3世、エチオピアのカンダケとエルガメネス、スーダンのマンサ・ムーサ、ソンニ・アリ、モハメド・アスカイ、ブラジルのディアス、ハイチのトゥサン・ルヴェルチュール、ロシアのハンニバロフ、、フランスの父デュマ、バントゥ族のカゼンベとチャカ、アビシニアのメネリク2世などの黒人を思い出します。また、インドの無数の黒人指導者たち、そしてアレクサンダー・ハミルトンの混血の血筋も挙げられます。)
TheNegro
さらに後続の米国黒人公民権運動で活用されたり、歴史フィクションのアイデア元になった歴史があります。
そのため、一部の児童向けサイトや教師向けサイトでYASUKEと共に今も見掛けることが稀にあります。
日本人ならそんなことわざは無いこと知っていると思うんですけど、ググると色んなところで見掛けます
Why do Afro-centrists claimthatthe firstsamurai warriorwas a black African? | Quora
https://www.quora.com/Why-do-Afro-centrists-claim-that-the-first-samurai-warrior-was-a-black-African
弥助(YASUKE)は、取得難易度が高い日本語を解する多言語話者の黒人の方で、しかも剛力で恵体、世が世なら・・・と言うとても優秀な方だったみたいです。
弥助はえらい人の覚えがめでたく、織田信長は彼を大変気に入って、連れて歩いていたようです。わざわざそのことが記録にも残っています。
頭が良くて体格もいいとかカッコイイし、本来であれば正当にその実力が報われて欲しかったし、彼がヒーローして描かれるフィクションが作られるのは共感できます。
というかフィクションであれば、もっとアフロサムライやキンバリーみたいな肌の色が濃い侍や忍者が増えて欲しいですね。
(最近のゲームではRise oftheRonin みたいに、主人公の人種を自由に設定できるオプションがデフォだけど)
ただ、史実では、さまざまなことが重なって、弥助は一般的に武士(侍)ではありませんでした。そもそも、有力武将や宣教師などでは無かった為、ほとんど記録には残っていません。
わずかに残される記録(ネットでも確認できる)からわかることは、下記くらいです。
『ゆうて、一部の歴史オタク が 弥助は武士(侍)って言ってるだけでしょ』『時代劇でもよくフィクション入るじゃん』って思うでしょ?🤔
それが、どういうわけか、YASUKE の英語版のWikipedia 見ると、日本のアカデミアのお墨付き貰ってるのとか、参考文献に引っ張ってきてるのよね。それも京都大学とかの
ZINBUN は査読付き学術誌と京大で紹介されてるんですけど、その中でこんな風に書かれてます。
Perhapsmore extraordinaryisthat Yasuke’sstorydoes not endhere. Retainedas anattendantby Nobunaga, he later accompaniedhim into battleagainstthe rivallord Akechi Mitsuhide (1528? -1582)who upon defeating Nobunagaat Horyuji, sparedthe African and subsequently releasedhim.
(さらに驚くべきことに、弥助の話はここで終わりません。信長の従者として残された彼は、後に信長と共に、ライバルの大名(rivallord)である明智光秀(1528? -1582)との戦いに参加しました。光秀は法隆寺で信長を破った際、このアフリカ人の命を助け、その後解放しました。)
Excluded Presence : Shoguns, Minstrels, Bodyguards, andJapan's Encounterswith the Black Other
https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/71097/1/40_15.pdf
Horyuji(法隆寺)かぁ。あと、さすが魔王ノッブ、1万を超えたとも言われる大軍勢を前に、自刃することなく弥助と共に立ち向かっちゃうぜ。諦めたらそこで試合終了だもんな(白目)
更にこれに加えて、日大の教授が、いろんなところで、弥助は日本で最も有名な外国生まれの武士(侍)となった、
弥助は本能寺にいて伝令の役割を担った、弥助の最後の使命は首を守ることだったとか、いろいろ言って回ってますからね
Africansamurai:The enduringlegacy of a black warrior in feudalJapan |CNN
https://edition.cnn.com/2019/05/19/asia/black-samurai-yasuke-africa-japan-intl/index.html
そんなわけで、YASUKEの件も、司馬遼太郎氏やカジュアルな歴史小説家の作品、あるいは娯楽時代劇のフィクションを真に受けるのとは、ほんのちょっとだけ毛色が違います
文字数制限に引っ掛かったから続く →日本のアカデミアは本当にどうしようもないところにまで来ている・2
Permalink |記事への反応(11) | 18:06
原著 "IrreversibleDamage" の内容について "科学的に否定されている" などの攻撃がしきりに行われるのですが、これは主に米国 "ジェンダー肯定モデル" の医療を推進している主に米 "業界医師" や活動家の人々がそのように主張しているだけです(代表はハフポスト日本語版のサイトに書評が翻訳されている医師のジャック・ターバン氏です)。
実際には精神医学専門家M.Grossman が証言しているように、この主題は専門家の間で立場によって完全に見解が異なり、数年来大きな論争の対象となっています。
すでに英国や欧州・北欧各国(最初に始めたのはスウェーデンです)の当局や専門家は、先日の英国NHSの正式な "思春期ブロッカーの停止発表" のように、未成年者への思春期ブロッカーやホルモン投与を当然のものとする "ジェンダー肯定モデル" についてはその多くが基本的な見直しを開始しており、そのプロセスの途上にあります。
米国の "ジェンダー肯定モデル" 推進派として有名な医師であるジャック・ターバン氏らの同原著に対する主張は、すでについ先日の英国NHSの公式な正式決定(医学的な大規模系統レビューの結果を受けた "ジェンダー肯定モデル" の見直しと "思春期ブロッカー" の処方停止の発表)で、その主張の根幹となる前提(未成年 "肯定モデル"の医学的エビデンスレベルの評価)が否定されているため、主張の正当な根拠をほぼ失っています。
同原著出版時から数年が経ち、政治・医学的論争・世論・メディアの状況は少しずつ動いています。
米国リベラル派代表紙であるニューヨークタイムズ紙(NYT)にもすでに、ディトランスの若者たちを取材した同書とほぼ同趣旨・同主題の記事が昨月掲載される状況になっています。
同原著の内容を間違っていると否定されるならば、NYT紙(ニューヨーク・タイムズ紙)までも出版されるべきでない "科学的に間違った新聞" や "ヘイト新聞" というようなことになってしまい、論理が破綻してしまいます。
本件脚本家の「クレジットの約束が守られないのであれば 9,10 話で本件脚本家のアイデアを一切使わないでほしい、それができないのであれば 8 話までの私の脚本を使わないでほしい。」という発言の法的根拠について確認を依頼した。
P 氏の見解は、この時点で脚本利用契約が未締結であるので、脚本家は原著作者であるため二次利用の差し止めは可能であるということであった。
2023年11月18 日、 A氏が本件脚本家に電話をかけたところ、弁護士と相談して、9,10 話に本件脚本家のアイデアが使われているので、クレジットの約束が守られないなら、放送・配信の差し止めを法的に要求するという趣旨の警告がされた。
-原著:'Factfulness: Ten Reasons We're Wrong Aboutthe World - andWhy Things Are Better ThanYou Think', 2018, [amazon]
著者がWHOや国境なき医師団に所属してた医師で疫学統計に詳しく、データビジュライゼーションの創始者と言っていい。人類がどう生き残ったかわかりやすく解説されている。ただ、著者は2017年に亡くなっており、今後新型コロナなどのデータ込の改定が見込めないのが惜しい。
『セクシー田中さん』報告書、何というかこうありえない箇所が多すぎるのでいくつか抜き書きしてみた。()内は報告書のページ数を指す。
企画書には、企画意図、企画ポイント(①自分を縛る“呪縛”から解放された時のカタルシス、②真反対なふたりの女の友情がスゴい!、③9笑って、1グッとくるドラマ、④あらゆる世代に響く! 60 代専業主婦女性の1歩、⑤田中さんと笙野の恋の行方は!?)、主要想定キャスト等が記載されていた。(9)
あっ……(察し)。TVドラマのスタッフには恋愛脳しかおらんのか?
なお、これらの本件原作者の意見については、A 氏 はコアメンバーに対してはそのまま伝えたものの、本件脚本家に対してはドラマ化について本件原作者の不満が高まっているという温度感のみ伝えた。一方で本件脚本家は、 8 話のやりとり あたりから本件原作者の語調が強く、こだわりが強いという印象を抱き始めた。(24)
温度感のみ共有してんじゃねえよ! 具体的な指摘も共有しろよ!
「キツい指摘は見ててつらいから咀嚼して伝えて」という相沢友子の要求は、メンタルケアとしては間違ってないんだけど、それは当然「パイナップルは味の相性が最悪なので絶対に酢豚に入れないで」という要求を「原作者はパイナップルを酢豚に入れてほしくないそうだ」と伝えてほしい、という意味であって、「原作者は酢豚の出来に怒ってるよ」と伝えろっていう意味じゃねえんだよ!
C 氏を通じた本件原作者の撮影シーンに関する問い合わせに対し、 A 氏は既に当該シーンは撮影済みである旨回答を行ったが、実際の撮影は 5 日後に予定されており、そのまま予定通り撮影が行われた。その後、これらの経緯を本件原作者が知ることになった。 A 氏によると、まだ撮影していない旨を回答すると本件原作者か ら撮影変更を求められるのは確実であると思ったが、 A 氏は当該撮影シーンは客観的にも問題ないものだと思っていたこと、及び当該シーンの撮影のために 2 か月にわたってキャスト・スタッフが入念に準備を重ねていたため、撮影変更はキャストを含め撮影現場に多大な迷惑をかけるので避けたいと思って咄嗟に事実と異なる回答をしてしまった。このことは反省しているということであった。(25)
C 氏から A 氏に、 6 7 話の脚本の修正文書、及び「修正について」と題する文書がメールにて送付され、そのメール本文には本件原作者が書き下ろした 810 話に関しては、撮影の都合などの理由以外では、出来るだけ改変しないでほしい旨述べられており、 A 氏は C 氏に対し電話でドラマ化の上で改変は発生するので、今まで通りやらせてほしい旨回答した。(29)
何で??? 真剣にホラーだった。TV関係者の認識ってこんななの??? そら、芦原妃名子先生がなに言っても暖簾に腕押しで糠に釘で馬の耳に念仏だわな。
本件ドラマ 5 話のダンスのシーンで使われた音源は、配信 許諾が取れていなかったので、配信で使用出来る別の音楽に差し替えた。しかし、セリフで「シャー・ルク・カーンの『マルジャーニ・マルジャーニ』!! 」と笙野が叫んでおり、セリフはすでに収録していたため、差し替えることが出来なかった。そのため音楽とセリフの不一致が生まれた。(32)
役者が「モーツァルトの『トルコ行進曲』!」って言ってるのにジャジャジャジャーンって聞こえてくるようなもんだろ。ギャグにしか聞こえんわ。マイナーな音楽ならいいと思ってるのかもしんないけど、そのマイナー音楽が頻出する作品のドラマ化でやることか? 許諾を取るか、セリフ部分だけ収録し直して差し替えるとかしろよ……(アニオタ並の感想)
B氏は日本テレビのライツ部門に状況を共有し、同部門の顧問弁護士である P 氏に本件脚本家の「クレジットの約束が守られないのであれば9,10 話で本件脚本家のアイデアを一切使わないでほしい、それができないのであれば 8 話までの私の脚本を使わないでほし い。」という発言の法的根拠について確認を依頼した。 P 氏の見解は、この時点で脚本利用契約が未締結であるので、脚本家は原著作者であるため二次利用の差し止めは可能であるということであった。(34-35)
この「アイデア」って何を指してるんだろう……そこの検討が必要不可欠じゃない? 相沢友子が何をもって「アイデア」と呼んでいるのかがクリティカルなのにそこを書いてないのは不親切に感じる。もし相沢が「自分が考えた、原作にはないキャラのセリフ」を「アイデア」と呼んでいるなら、確かに相沢には著作権は発生するので彼女の要求は法的に正当なものかもしれないけど、もしも「最後は溶鉱炉に沈みながらサムズアップするんですよ!」みたいな「ストーリーの展開」を「アイデア」だと思っているなら、それは著作権法で保護されるものではないわけで、彼女の要求に法的根拠は一切ないことになる。どっちなんです? 著作権法に詳しいであろう顧問弁護士が「可能」って言ってるってことはマジでセリフをそのまんま使ってたってこと? それとも相沢の言葉通り「アイデア」が使われていただけなの?
原作では朱里が短大に進学した設定があるが、本打ちでは、同設定に関して、「短大に進学するよりも専門学校に進学する方が近時の10 代、20 代としてはリアリティがあるのではないか」、(短大進学の原因となっている)「父親のリストラはドラマとしては重すぎるのではないか」等の議論を経て、高校受験の際に、父親が勤める会社が不景気になり、母親から「高校は公立でいいんじゃない?」と言われて 本当は友達と一緒に制服がかわいい私立校に行きたかったけど、 「うん、そうだね」と笑って受け入れた という設定に変更する旨のプロット案を送信した。
2023年6月12日、上記プロット案に対する本件原作者の返事として 、かわいい制服の私立高校に行けなくなったことなどは「心底どうでもいい」ことである、原作のジェンダー要素も逃げずに書いて欲しい、制作サイドは短大での設定を避けているのか?といった趣旨の記載がなされた文章が送信された。
その当否は別として、本打ちメンバーが当該原作の設定を変えようと試みたことには、それ相応の議論と積極的な理由があった。しかしながら、本件原作者の上記返信内容をみる限り、本打ちメンバーで議論した内容・意図が十分伝わっているとは思えない状況であったことがうかがえる。(60-61)
「あなたは女の子だから短大でいいよね」という理由で進路を決められたという深刻なエピソードを「あーあ、あっちの制服の方が可愛かったのになー」に変えていいと思う神経が理解できなさすぎてヤバいし、原作者に「議論した内容・意図が十分伝わっ」たからそういう反応になったんじゃないですか??? と思わざるを得ないというか……
芦原先生は真面目で良い人だったんだろうな、と思った。
仮に自分が原作者だとしたら、途中で「もう撮っちゃった? そんなの知らない、撮り直して」とか「ちょっとすぐに解決するとは思えないんで、今週のオンエアはなしで」とか「なんか作品のコンセプトが理解されてない感じ? じゃあもう制作中止しよっか」って言ってただろうな、っていう場面が少なく見積もって1ダースはある。
でもそれをやると方々に迷惑がかかるから、自重して、頑張って耐えてらっしゃったんだろうな……
TV局や俳優なんて、あなたの作品にとって不可欠でも何でもない、添え物以下のどうでもいい無価値な存在なんだから、もっと振り回してやってもよかったのに(それができない人だったから繊細な作品を描けた? それはそう)。
増田は日本の実写化を憎みぬいている勢なので(『天地明察』も『インシテミル』も『ビブリア古書堂の事件手帖』も許してないからな)、実写化に出る俳優にも欠片の同情も感じないんだけど(『咲-Saki-』を汚した浜辺美波は個人的に不買してるし、岡田准一のことも「あっ『天地明察』とかいうクソ映画でゴミみたいな主演してた人だ!」と認識してる)、俳優の苦労とかにうっかり思いを馳せてしまったらそんな要求をするのは難しくなるのはわかるので、やっぱり実写化に出る俳優は(「ひどい実写化だったけど、俳優さんには罪はないよねー」と庇われるんじゃなくて)積極的な共犯としてもっと叩かれてよいのでは、そうすれば俳優の苦労とかを慮って言いたいことを言えなくなってしまうことはなくなるのでは、と思いました。
Permalink |記事への反応(15) | 19:29
文化資本。
この言葉はフランスのピエールという社会学者が提唱した概念らしいが、
「地方にも素晴らしい文化資本があり、東京と差がないどころか優位性がある」
みたいな話がよく上がってくるのを見かける。
けど、この話ってちょっと前までは「地方民が東京との文化資本格差を嘆く」って構図だったはずでは…?
日本で文化資本の研究が盛んになったのは90年代頃からのようだが、
2010年代以前には内田樹がブログで使ってるのがよくヒットするものの、まだ一般に広まってるワードとは言えなかったようだ。
また、この頃はあくまで単語として出てくるだけでそれ自体をテーマとしているわけではなく、都市部と地方の地域間格差などについても特に触れられてはいない。
そこから2010年代に入るとシロクマの屑籠、はてな村定点観測所といったブログの中でも使われだす。
あいにく後者の記事は見れず、またこれらのブログをよく知らないので詳しいことは分からないが、
この時点でもやはり文化資本という概念自体がメインディッシュとして語られているわけではない。
大きく取り上げられるようになるのは2015年頃。
2014年に登場した「マイルドヤンキー」という単語の議論で先程の2つに加えボン兄タイムスといったブログ等で「文化資本」が盛んに使われるようになり、
そこからメインの議題へと昇格…という流れのようだ。
マイルドヤンキー自体が田舎に多く都市には少ないという性質のものとされているので、
本格的に都市部の文化資本における優位性を論じてバズったのは2018年のこの記事。
「底辺校」出身の田舎者が、東大に入って絶望した理由(阿部 幸大) | 現代ビジネス | 講談社(1/4)
田舎には都市生活者には想像できないレベルの地域格差が存在し、教育を受ける機会を想像することすらできないこともある、
ということを語ったこの記事は1800を越えるブクマを集め、はてな以外でも大反響だった様子。
ここからコロナ禍の間まで、東京に茄子が生えてほしいと願う増田が現れたり、在華坊氏がはてな三大論点として"文化資本東京格差"を挙げたり、羊文学は信用できないというツイートが出てきたり、
この時期の空気感こそ、まさに私のイメージにある東京と文化資本についての語られ方である。
東京はライブにすぐ行けていいなというtogetterのまとめにアウトドア趣味だと逆というコメントがついたり、
当初はまだそういった穏やかな空気感の反応だったが、
今年に入るとかなり強い口調で東京都民の傲慢を批判する流れが生まれ、現在に至る。
潮目が変わった原因は正直分からない。単に時間経過でバックラッシュが現れたというだけなのだろうか?
まあ「地方民が東京都民の無自覚な傲慢さを批判する」という構図自体は変わらないのに、
その主張が真逆の方向に変わっているのは興味深くはある。
ただそこからピエール瀧の原著に立ち返って改めて文化資本とは何かについて考察したり、
本当に格差を生んでいるファクターは何であるかを主張したりといった、