
はてなキーワード:原田眞人とは
原田眞人監督が今年の日記で「考えるところあって、病院通いを辞めた」という趣旨を書いていたことが、はてブで注目され一部ユーザーに冷笑されている
https://b.hatena.ne.jp/entry/www.haradafilms.com/diary/harada_diary.cgi?date=2025.09.10&pass=
冷笑ユーザーは「近藤誠」の名前にオートペンがごとく反応してしまっただけだろうけど、監督はもう76歳よ?「考えるところ」として病院通いして生き続けるよりも「自然に」終わりたいなんて思っておかしくないと思うけどね。
大病院の医師が合わなかっただけで近所のクリニックには通ってたかもしれないし
まあ次回作に熱意を燃やしていたのに病院と縁を切ったなんて話だったら、なんて馬鹿なことを…とも思うけど。
個々のブコメ比較チェックまではしてないけど、普段は高齢者の医療費叩きをして「高齢者は長生きするな」と強い言葉で冷笑するはてブで、病院通いを辞めたという高齢者を叩くのは筋が通らないよ
セレンスキーとの会談で煽りまくって世界の注目を浴びてるJDことジェームズ・デイヴィッド・バンス副大統領だが、この人は
→ラストベルトで育った自身の半生をネタにした自叙伝が注目を浴び、映像化
→副大統領
という経歴の人らしい。
アメリカ海兵隊というと、個人的にどうしても思い出してしまう映画がある。
スタンリー・キューブリックの『フルメタル・ジャケット』である。
ある程度、世代が上の映画ファンならよく知っていると思うが、ベトナム戦争当時のアメリカ海兵隊を舞台にした、わりと衝撃的な映画である。
こんな話をすると歳がバレるというやつだが、自分は中学生の時、リアタイで見ている。
わざわざ自分で選んでキューブリック作品を見るような、そんなマセたガキだったわけではなく、父親に誘われたのだ。
多分そこまで深刻な映画とも思わず、アクション映画や戦争映画(東宝の8・15シリーズとか)もわりと好きな人だったので、よく調べもせずにつれてったのだと思う。
なお、現在、AmazonPrimeビデオでも鑑賞可能だが、レーティングはR15+になっていた。今の基準では、中学生にはまだ早い映画である。
この映画、前半は実に過酷な海兵隊の訓練が続く。まず入隊した若者は、鬼教官から徹底的にそれまでの人格を否定するような罵声を浴びせられ、“合衆国を守るために敵を殺す”ことを至上の使命とする軍人に叩き直される。
今でもたまにネットでも見かける“そびえ立つクソ”という罵声があるが、多分、ルーツはこの映画の字幕だろう。
この字幕には割と知られたエピソードがあって、当初は、その当時の映画字幕界の大御所、戸田奈津子が担当したのだが、控えめな日本語に意訳したために完璧主義者の監督にOKがもらえず、急遽、原田眞人が翻訳し直したという。
”人種差別は許さん、
とか、
“テキサスで取れるのは種牛とおカマだ
種牛には見えんからおカマだ!
吸うんだろ?
おフェラ豚か?”
とか、どんな“穏当な意訳”にしてたのか気になるところだが。
除隊後に映画界で働いていた人で、かの『地獄の黙示録』にもセリフが一言だけのパイロット役で出たりしたことはあるものの、この映画に出るまで俳優としてさしたるキャリアがあるわけではなかった。
もともとこの映画でもアドバイザーとして雇われていたのだが、その演技指導での迫力に惚れ込んだ監督に大抜擢されたのだそうな。
映画の罵詈雑言には彼のアドリブもあったのだが、そのまま採用されたとも聞く。
この映画で世界的に有名になり、ゴールデングローブ賞の助演男優賞にもノミネート、その後数々の映画やテレビにも出演し、その功績で名誉昇進もしてるので、あの鬼教官は“米軍公認”といってもいいのだろう。
実際、映画を見てると、たしかにとんでもない鬼教官なんだが、彼は彼なりに訓練兵のことを案じ、とんでもない体力で朝から晩まで訓練に付き従い、彼らを短期間で海兵隊員として育てあげようという熱意は伝わってくるのだ。
映画では冒頭、見るからに落ちこぼれそうなやつに“微笑みデブ”というあだ名をつけて、扱き上げるのだが、彼に相当な射撃の才能があるのを見つけると、“ついに貴様にも取り柄があるのを見つけたぞ!”と大喜びし、良かった、落ちこぼれはいなくなった、これで新兵全員が無事、訓練を終えるのかな?と中学生だった自分は思ったのだが⋯いや、少し映画の中身を書きすぎたか。
あ、あくまで訓練生活は映画の前半で、後半はベトナムの市街戦に突入します。
いや、ベトナム戦争当時と今とでは海兵隊もだいぶ変わっているのだろうなとは思うのだけど、でもwikipediaの英語版をみると“United States Marine Corps Recruit Training”という項目があり、まあ今でもそれなりに厳しい訓練をしてるのだろうなぁという気はする。
社会人のスタートをそんなところからはじめると、どんな人格が形成されるのかなあと、ふと思ったり。
海兵隊出身者にもいろんなタイプの人はいるんだろうが、JDの現在のキャラに、海兵隊の経験はやはり影響してるんだろうなぁ、とか。
戦争をテーマにしたキューブリックの映画といえば、『博士の異常な愛情』というのも有名だが、あれは陰謀論にとりつかれた米軍将校の暴走によって世界が核による破滅の危機にさらされるというブラックコメディだった。
あの映画では大統領は穏当な常識人なのだが、米軍将校もソ連首相もソ連大使も、大統領科学顧問のストレンジラブ博士もアレな感じで、でも世界の運命はこういう人達に握られてしまうのかも、という恐怖感がある。
米ソの冷戦時代、核攻撃もミサイルではなく爆撃機で爆弾運んでやる時代な話なので,今見るとなんとも古いのだけど。
“ファミコンウォーズが出るぞ!”
“こいつはドえらいシミュレーション”
と掛け声をかけながら隊列くんで走るやつがあったが、あれも『フルメタル・ジャケット』のヒットの影響だろう。
あのメロディは“ミリタリーケイデンス(military cadence)”といわれ、米軍で伝統的に使われているものらしい。
映画でも何度もあれ歌いながら隊列組んで走るシーンが出てくる。
映画では“Ho Chi Minhis a son of a bitch!”など歌っていたが、JDが訓練うけてた頃は、どんな歌詞だったのだろう?
日本映画界の大御所・原田眞人監督、パワハラ告発に反論「事実無根の誹謗中傷」
文=Business Journal編集部
ニュースサイトで読む:https://biz-journal.jp/2022/04/post_288951.html
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>一連の告発について当サイトが原田氏に見解を問い合わせたところ、次のような回答を得た。
~(略)~
>ちょい役でも大切にすることから、私の作品に参加したいという無名の役者が多いことに繋がっています。
参加したいのは大作映画だからであって、原田組だからというわけではないかもしれませんが、原田氏はそう思うことはないでしょうね。
この作品には参加したいけど、原田組ならやめとくか…と思う役者の方が多いか少ないかはわかりません。
>彼女のセリフは数シーン程度の短いものだったので、あとで吹き替えればいいのですが、本人のために、なんとか演じ切ってもらいたかったため、ぎりぎりまでねばっているうちに泣き出したのです。私は、多数の俳優・女優と撮影をしてきた経験から、彼女の涙は悔し涙だと理解しています。いずれにせよ、彼女のセリフは別の女優に吹き替えてもらっています。
人の心は複雑なので、自分の不甲斐なさへの悔し涙かもしれません。悔しさ100%というのは原田氏にとっては都合の良い解釈ではあります。「悔しさからだと思う。私の行動は適切だった」ということも可能ですし、「悔しさからだと思うが、私のやり方にも反省すべき点があったかもしれない」と主張することも可能でした。
>現場を離脱するスタッフが出ることはありますが、大抵が本人の事情です。私に怒鳴られたからやめた、というスタッフがいたという記憶はありません。
会社をやめるとき、理由を説明する言葉は100%真実でしょうか?
上司がパワハラ野郎だから辞めよう、と思うとき、正直に申し出る人はどれだけいるでしょうか?
家族が病気になったので…とか、カドを立てない理由を選んで辞める人の方が多いのではないでしょうか?
子育てが大変で…と言って辞める人も、本当は給与含む職場環境が良ければ辞めないのではないでしょうか?
「私に怒鳴られたからやめた、というスタッフがいたという記憶はありませんが、もしかしたらそういうこともあったかもしれません」と言ってもよかった。
>スタッフの大多数は、原田組の現場は愉しい、と言ってくれます。
△残っているスタッフの大多数は、原田組の現場は愉しい、と言ってくれます。
愉しいと思える人だけが残った生存バイアスだったらまだ良い方ですが、おべんちゃら、生存戦略かもしれませんね。
パワハラ野郎の下で働いていて、辞めて次に同等以上の職場に移れるあてもない時に、”原田組の現場はクソみたいだ”、と言うのは自分の首を絞めるだけですからね。
「スタッフの大多数は、原田組の現場は愉しい、と言ってくれますが、つらくて辞めた人もいたかもしれません。改善できる点があるか、考えてみます」と言うこともできましたが、そうではなかった。
映画『ジャンゴ 繫がれざる者』で、奴隷を支配する富豪白人キャンディ(ディカプリオ)の側用人として奴隷を手ひどく扱うスティーブン(サミュエルジャクソン)が黒人だったように、原田組に「適応」した人が「愉しい」と思っていたの可能性もあります。増田の想像力が過剰なのかもしれませんが。
増田にわかりやすいようにQuoteすれば「封建社会の完成形は少数のサディストと多数のマゾヒストによって構成されるの」ですね。
上記3点、要するに原田氏は「私は悪くない」という被害者意識は強く、「私が悪かったかもしれない」という自省の意識には乏しいのですね。
ニュースサイトで読む:https://biz-journal.jp/2022/04/post_288951_3.html
書評サイトに対する作り手側の視線http://d.hatena.ne.jp/m_tamasaka/20080104
「ダメ書評」に対するマンガ編集者の視線http://d.hatena.ne.jp/m_tamasaka/20080105/1199483357
映画監督の原田眞人監督の日記サイトから抜粋したものを引用しておこう。
2007/8/28より
ネットのおかげで「映画ファン」のスタンダードがどんどん堕ちている。どんなにつまらない感想でもだれかに届く時代になってしまった。幼稚な否定的意見が数値となり記録され作品の「評価」として定着する事態も生まれている。こういう「悪貨」を駆逐することは作り手にはできない。「良貨」、「良識派」といった本物の映画ファンの使命だ。彼らが前へ出て大きな声でものを言うことを時代は要求している。すぐれたものに出会ったら本気で褒める。本気で拍手する。それは、映画作りのプロセスに比べたらそれほどむずかしいことではない。
2007/12/25より
日本人の劣化はいろいろなところで顕著だ。ネットの書き込みに見られる「映画ファンの声」でも良識派は少数。席巻しているのは恐ろしくレベルの低い連中だ。自分の小さな世界にフィットするものが「いい映画」でそれ以外は「ダメ映画」と言葉少なに切り捨てる幼児的な権威主義がまん延している。当然、学ぶ姿勢が皆無だから映画的素養の深い映画というものは全否定してかかる。そういう「縁なき衆生」に「一票の重み」を与えて増長させているネットとはなんなのか。少なくとも英語圏では映画的素養の深い人々によるプロの映画評がどういうものか集めて読ませるROTTEN TOMATOESのようなサイトがある。日本語ではこれに匹敵するものがない。ネットで高得点を弾き出しているのはベタな映画だけだ。マニュアルのごとき情報垂れ流しで見る前からどんな映画かわかっていて見たらそのとおり、なんの発見もない映画が好まれる世界だ。そして、映画界がこういう傾向に迎合して動いている。ヒットする映画はますます公式化して、無能な監督を要求する。ビジネスは成立しても文化は荒廃していく。日本ではとっくに「映画は死んだ」のかもしれない。
2007/12/29より
ヴァーチャル多重人格のテアイの書く「酷評」というのは酷評になっていない。プロの映画評論家の酷評でも作り手にとってどこまで酷評になりうるかという命題を先ず理解しなくてはいけない。作り手をどきりとさせる酷評を書くためには最低でもその作品の背景、技術面をおさえていなければ無理だからだ。