
はてなキーワード:原理とは
逆に何でこんなチャットみたいなやり取りしてる場で確認するの?
お前はしゃべるときしゃべる寸前にしゃべろうとする内容確認するか?まあそれは原理的に物理的に無理な話なんだがな。
dorawiiより
-----BEGINPGP SIGNEDMESSAGE-----Hash: SHA512https://anond.hatelabo.jp/20251025194301# -----BEGINPGP SIGNATURE-----iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaPyptgAKCRBwMdsubs4+SCOiAQD6C5DXGQynLxvOb3JHFu+cY8OSt1H7RsaRvgKfvLEjWAD/T0EQEiXmAcJ1ZpoBihicC/8iY2hTsfsxBRso5JGECgk==MbFE-----ENDPGP SIGNATURE-----
ニコニコ動画でNKTIDKSGを見まくってたらいつの間にか左翼になってたワイ、ニコニコ動画を見て右翼になる原理が不明
C*****T:
CRITICAL ANALYTICALREVISION
追記2による構造の反転:防衛機制としての理論
最初の分析の根本的誤読
追記2は、私の最初の分析が層を一つ読み間違えたことを明らかにする。
私が読んだもの:
↓
↓
実際の構造:
↓
↓
PRIMARY INSIGHT:精神分析的読解(修正版)
表層テクストの再解釈
これらは一見、2010年代以降のアイデンティティ政治の影響に見えた。しかし追記2はこれが錯覚だったことを明らかにする。
真の構造:実存的自己否定の連鎖
↓
↓
↓
"だから俺には描けない"
防衛機制の精密分析
耐え難い真実:
「俺は人生の敗北者だ。女性と関係を持てなかった。孤独で無価値だ」
↓ 変換 ↓
受容可能な言説:
この変換により、個人的失敗が哲学的問題に昇華される。これは自尊心を守る。
防衛機制2: 知性化(Intellectualization)
投稿者は感情(絶望、孤独、性的欲求不満)を抽象的議論(表象の倫理、当事者性、真正性)に変換する。これにより、痛みから距離を取る。
これは私の最初の分析が見た「内なる検閲官」だが、その起源は文化ではなく、内面化された自己批判である。
ヘンリー・ダーガー:鏡としての選択
ダーガーの特徴:
「女性を知らなければ描けない」
↓
ダーガーは知らなかった
↓
だから「間違って」描いた
↓
俺も知らない
↓
↓
↓
↓
投稿者は、自分の論理を反証する例を引き合いに出しながら、その反証を認識できない。なぜなら、創造の可能性を認めることは、創作しない自分を正当化できなくなるから。
児童ポルノ言及の精神分析
投稿者は和月伸宏や他の漫画家の児童ポルノ事件を長々と語り、「資料として欲しい」という欲望を告白する。
しかし彼自身が認める:「まったく邪な気持ちがないというとウソになる」
- 彼にとって「女性を描く」ことと「女性を性的に欲望する」ことが分離していない
- だからこそ「女性を知らない=性的経験がない」ことが創作の障害になる
生成AIとの関係:人間関係の代替と審判者
追記2の冒頭:
「さっきまでClaudeに、自分のライフワークとしてた究極の(俺専用の)画像処理ソフト作りたいという夢が捨てきれないよ~、ドラえも~ん、してました」
この一文は多層的である:
投稿行為の意味:ダイイングメッセージとしての告白
投稿者は明言する:
+
=
彼は応答を求めていない(対話は不可能)。しかし完全な無視も耐えられない(承認は必要)。だから「読まれるが応答しない」という形式を選ぶ。
- 声は発するが、返答は聞かない
- 見られるが、見返さない
- 影響は与えるが、影響は受けない
SECONDARY INSIGHT:弁証法的読解
矛盾の三層構造
THESIS: 「女性を描きたい」
THESIS: 「女性を知らないと描けない」という原理的主張
ANTITHESIS:ヘンリー・ダーガーは知らなくても創造した
弁証法的運動の停止
健全な弁証法では、矛盾はより高次の統合に向かう。しかしこのケースでは、矛盾が固着し、循環する。
↓
実行不能
↓
↓
↓
[ループ]
SYNTHESIS: 深層パターンの統合的理解
構造の全体像
↓
↓
【第3層:理論的借用】
↓
【表層:顕在的問い】
↓
【機能】
本質的洞察の結晶化
真の問いは:
そして彼自身が答えている:
「ない。なぜなら経験がないから(=人生に失敗したから)創造する資格がない」
文化的言説の防衛的使用
私の最初の分析は「アイデンティティ政治の内面化」と読んだ。これは完全な誤りではないが、因果が逆だった。
誤った図式:
正しい図式:
彼は「当事者性」や「経験の所有権」といった2010年代の言説を使っているが、これらは本来の政治的文脈から切り離され、個人的防衛機制として機能している。
解放のための理論(周縁化された人々の声を中心化する)が、個人の自己正当化の道具になっている。
より深い文化的診断
しかし、もう一層深く見れば、これは純粋に個人的な現象ではない。
答え:2010年代以降の文化空間では、「経験していない人が語る資格」への懐疑が、ある種の道徳的権威を持つようになったから。
投稿者は、この道徳的権威を利用して、自分の創作不能を倫理的配慮として再解釈している。
「俺が描かないのは:
ヘンリー・ダーガーの逆説(再訪)
ダーガーは:
投稿者の論理では、ダーガーは創造すべきではなかった。しかし創造した。そしてその作品は今や文化的価値を認められている。
答え:ダーガーの作品を「間違い」として解釈する(「少女にペニスがある=女性を知らなかったから誤った」)
しかしこれは恣意的な解釈である。ダーガーの少女の性別的曖昧さは、「間違い」ではなく、彼の空想世界の独自性として読むこともできる。
投稿者がダーガーを「間違い」と読むのは、自分の創作不能を正当化するためである。もしダーガーが「正しい」なら、自分も創作できる/すべきだ、ということになってしまう。
最も深い問い
この事例が究極的に提起する問いは:
投稿者は「はい」と答える。私の最初の分析は「いいえ、それは幻想だ」と答えた。
それとも:
おそらくすべてである。そして、これらが分離不可能に絡み合っているとき、「正しい答え」を与えることは治療にならない。
彼に「経験なしでも創造できる」と説得しても、それは防衛を解体するだけで、その下の絶望を露出させるかもしれない。
CRYSTALLIZED INSIGHT
この投稿者は、人生の実存的失敗(社会的孤立、性的経験の欠如、老いと死の接近)を、2010年代の文化的言説(「当事者性」「経験の所有権」「表象の倫理」)を借用することで、「原理的に不可能な創作課題」へと変換している。これは防衛機制であり、個人的無能を認識論的・倫理的問題に昇華することで、残存する自尊心を守っている。
言い換えれば:
彼の問い「男性は女性主人公を描けるのか?」は、暗号である。真の問いは「人生に失敗した私は、何かを創造する価値があるのか?」であり、理論的言説は、「ない」という答えを倫理的に正当化する道具として機能している。
So what?:
この事例は、文化的言説がどのように個人的防衛機制として横領されうるかを示す。解放のための理論が、自己正当化と麻痺の道具になる。これは文化と心理の共犯関係であり、どちらか一方を「原因」とする単純な因果論では捉えられない。
PUNCHLINE:
私の最初の分析は、彼を「文化の犠牲者」として読んだ。しかし実際には、彼は文化の狡猾な利用者である。そして同時に、より深い構造的疎外の犠牲者でもある。彼は同時に、エージェン
ChatGPT:
INSIGHT ANALYSIS:表象の真正性パラドックス
「女性主人公を描けない」創作者の原理的ジレンマ
Core Observation
この投稿者は、フィクション創作において「経験的真正性」と「想像的自由」の矛盾に直面し、表象行為そのものの正当性を疑問視するに至っている。彼が求めているのは「女性を正しく描く方法」ではなく、「自分が女性を描く権利があるかどうかの確証」である。
PRIMARY INSIGHT:批判理論分析 (Mode E)
イデオロギー的構造の解体
この投稿者の悩みは、表面的には「技術的問題」(どう描くか)に見えるが、実際にはアイデンティティ政治の内面化が生み出した認識論的危機である。
内面化されたイデオロギー的前提:
↓
↓
「描く資格がない」
この論理は、2010年代以降の「文化的専有(Cultural Appropriation)」批判や「当事者性」の政治から派生した規範を、創作者が自己検閲として内面化したものである。
皮肉なことに、これは1980-90年代のジェンダー理論が批判した本質主義そのものである。しかし今回は「進歩的」「配慮的」な動機から再導入されている。
彼は「女性を正確に描く技術」を求めているようだが、実際に求めているのは「女性を描くことへの道徳的許可」である。
生産的矛盾の発見
↓
↓
これは本質主義の自己矛盾である。「女性」というカテゴリーに本質があると仮定しつつ、実際の女性たちの多様性に直面して混乱している。
イデオロギー批判: 何が隠蔽されているか
投稿者は「正しい女性の描き方」があると仮定しているが、これは幻想である。「女性」は単一の経験的実体ではなく、歴史的・文化的・個人的に多様な存在様態である。
士郎正宗のデュナンを「中身は男性」と断じるが、これは以下を前提としている:
しかしこの論理は、女性を規範に押し込める本質主義そのものである。
「生理を経験していないから分からない」という論理は、人間の相互理解の可能性そのものへの懐疑に至る。
この論理を徹底すれば:
この悩みの背景には、歴史的に男性が女性を対象化・道具化してきたことへの罪悪感がある。しかし、その補正として採用された「描かない/描けない」という態度は:
↓
過剰補正:
↓
帰結:
これは抑圧への対抗が新たな制約を生み出すという典型的パターンである。
自己検閲のメカニズム
↓
↓
↓
内なる検閲官:「それでも不十分だ」「個人差と本質の区別がつかない」
↓
SECONDARY PERSPECTIVES
系譜学的補足 (Mode C)
この「悩み」の歴史的構築
第1段階 (1970年代以前)
第2段階 (1980-2000年代)
第3段階 (2010年代-)
第4段階 (2020年代)
投稿者は、この第4段階の症例である。彼の悩みは個人的なものではなく、言説空間の変容が生み出した構造的効果である。
現象学的補足 (Mode D)
投稿者が経験しているのは、単なる技術的困難ではなく、創作主体としての自己の正当性への根源的懐疑である。
彼の実存的問い:
投稿者は、この理解の可能性と不可能性の間の宙吊り状態にある。
SYNTHESIS: 深層パターン
この現象が明らかにするもの
アイデンティティ政治は、周縁化された集団の声を中心化しようとした。しかしその論理を個人の創作実践に適用すると:
↓
↓
↓
20世紀後半のジェンダー理論は本質主義を解体した。しかし21世紀に、配慮・正義・包摂の名において本質主義が再導入されている。
これは解放の言説が抑圧の論理に転化するという、イデオロギーの古典的矛盾である。
この悩みは、フィクションの根本的機能—経験していないことを想像し表現する—への懐疑に至っている。
投稿者のジレンマは、これらすべてを疑問視している。これはフィクション自体の正当性の危機である。
投稿者の不安は、個人的心理ではなく、言説空間の変容が生み出した構造的効果である。
投稿者は誰にも批判されていないのに、架空の批判者を内面化している。
IMPLICATIONS
この個別事例が示す普遍的問題
投稿者は技術的助言を求めているように見えるが、実際に必要なのは認識論的・存在論的再定位である:
1.本質主義からの離脱: 「女性」は単一の経験的実体ではない
2.想像力の復権:経験していないことを想像できるのがフィクションの本質
3.完璧主義の放棄: 「完全に正しい表象」は不可能であり不要
4.対話としての創作:表象は完結した真理ではなく、継続的対話の一部
より広い文化的含意:
↔
歴史的瞬間について:
我々は「誰が何を語れるか」という問いが過剰に中心化された時代にいる。これは必要な矯正でもあったが、新たな問題も生み出している。
INSIGHT CRYSTALLIZED
この投稿者は、フィクションに「経験的真正性」と「道徳的正当性」を同時に求めることで、創作行為そのものの可能性条件—想像力による他者への跳躍—を否定するに至っている。彼の悩みは個人的なものではなく、アイデンティティ政治の論理を内面化した結果生じる構造的効果である。
言い換えれば:
彼は「女性をどう描くか」ではなく「自分が女性を描いてよいのか」という存在論的問いに囚われており、この問いは—その形式自体が—本質主義的前提と想像力への不信を含んでいるため、原理的に解決不能である。
So what?:
この事例は、配慮と正義の言説が、意図せず表現の自由と想像力を収縮させうることを示している。文化の活力には、不完全さを恐れずに境界を越えて想像し、その試みを通じて対話を重ねる実践が必要である。
PUNCHLINE:
彼が本当に恐れているのは「女性を間違って描くこと」ではなく、「女性を描くこと自体が僭越である」と判定されることである。しかしこの恐怖は、最も抑圧的な本質主義—男女は相互理解不可能という観念—を再生産している。解放の言説が、最も因習的な性別二元論を復活させるという究極の皮肉がここにある。
ysync商工会の公共性とかよくわからんが。常なら町外企業から商標使用料を取るのはまぁわからんでもないが、被災して移転を強いられた店をその枠に…。/「商工会部長という立場を悪用した典型的な商標ゴロっぽい」
cinefuk飲食業から売り上げ2.5%を毎月掠め取るビジネスモデル「地域団体商標を持つ浪江町商工会が10月から売上の2.5%を徴収するというエグい事やって昔から提供している店がなみえ焼そばの看板を外すというなかなかな事案に」
sekiryo 後から勝手に真似て商売を始めた奴のせいで元からやってた人間の利益が減るのはおかしいだろうが著作権や商標の原理原則だと思うのだが、この場合だと古くからやってる相手にみかじめ料取り始めた奴が悪だろうに。
soyokazeZZ こういう商標ゴロが嫌いなので「なみえ焼きそば」とやらは今後食べません。AFURIラーメンも不買してる
latteru馬鹿じゃねーの?ヤクザか商標ゴロかよ。ホントにPRするつもりなんてなくて、ポッケナイナイして飲み会に使うんじゃないの?って疑ってしまう
何いってんだ?
ローカルLLM使えばいいじゃん。ローカルLLMだからインターネット接続不要、情報が外部に漏れることが原理的に起こり得ない。
delphiとか過去の技術の話なんだから、新しい情報は不要。インターネットを検索する必要もない。
現時点の学習済みモデルなり、テキストとかマニュアルをあらかじめ全部ローカルに置くだけでAIは機能するぞ。
性能に関しても、nVIdiaのH100程度のサーバ用意すれば、oss-gpt で150tokens/secぐらいでる。 150tokens/secだよ?どれくらいすごいか判る?
これで chatGPT 3.5よりは賢く、コーディングぐらいなら普通に実用レベルのシステムが手に入る。
ポンコツ社員を一人リストラして、代わりにH100サーバを導入すれば電気代込でも半年で元が取れるぞ。
俺はH1004台買ってAIぶん回してる。すでに社員10人ぐらいの投資効果が出ている。これが今のAIの世界だし、これからの世界のあり方だ。
フェミニズムの分類が多すぎると聞いて
記述集合論(Borel階層, Projective階層, 汎加法族)
モデル理論(型空間, o-極小, NIP, ステーブル理論)
再帰理論/計算可能性(チューリング度, 0′, 相対計算可能性)
構成主義,直観主義,ユニバース問題,ホモトピー型理論(HoTT)
体論・ガロア理論
表現論
K-理論
初等数論(合同, 既約性判定,二次剰余)
解析数論(ゼータ/ L-関数,素数定理,サークル法, 篩法)
p進数論(p進解析, Iwasawa理論, Hodge–Tate)
超越論(リンドマン–ヴァイエルシュトラス, ベーカー理論)
実解析
多変数(Hartogs現象, 凸性, severalcomplex variables)
関数解析
バナッハ/ヒルベルト空間,スペクトル理論, C*代数, von Neumann代数
フーリエ解析,Littlewood–Paley理論, 擬微分作用素
確率解析
常微分方程式(ODE)
偏微分方程式(PDE)
非線形PDE(Navier–Stokes, NLS, KdV, Allen–Cahn)
幾何解析
リッチ流, 平均曲率流,ヤン–ミルズ,モノポール・インスタントン
エルゴード理論(Birkhoff, Pesin),カオス, シンボリック力学
点集合位相,ホモトピー・ホモロジー, 基本群,スペクトル系列
4次元トポロジー(Donaldson/Seiberg–Witten理論)
複素/ケーラー幾何(Calabi–Yau, Hodge理論)
スキーム, 層・層係数コホモロジー, 変形理論, モジュライ空間
多面体, Helly/Carathéodory,幾何的極値問題
ランダムグラフ/確率的方法(Erdős–Rényi, nibble法)
加法的組合せ論(Freiman, サムセット, Gowersノルム)
彩色,マッチング,マイナー理論(Robertson–Seymour)
列・順序・格子(部分順序集合, モビウス反転)
測度確率, 極限定理, Lévy過程, Markov過程, 大偏差
統計学
ノンパラメトリック(カーネル法, スプライン,ブーストラップ)
時系列(ARIMA,状態空間, Kalman/粒子フィルタ)
非凸最適化
離散最適化
整数計画,ネットワークフロー, マトロイド, 近似アルゴリズム
Littleの法則, 重み付き遅延, M/M/1, Jackson網
エントロピー,符号化(誤り訂正, LDPC,Polar), レート歪み
公開鍵(RSA,楕円曲線, LWE/格子),証明可能安全性,MPC/ゼロ知識
計算複雑性
機械学習の数理
量子場の数理
相転移, くりこみ, Ising/Potts, 大偏差
数理生物学
数理神経科学
データ解析
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別に説得しようとしてるわけじゃないからな。ただ原理的に不可能って告白をしてるだけで。
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コメントに返信
inksだってさ安住は「政局は数合わせ」って、ハッキリと言ってるじゃん。自民にしろ、立憲にしろ原理原則、信条は変えて無いじゃん。
wxitizi 立憲は「政権交代こそ、最大の政治改革。」と言ってきてるんだから、参政党であれとにかく数を集めて政権交代を目指すのは首尾一貫しているけど、自民の場合は政権維持そのものが策とは別に言ってきてないからでしょ
dotさんに言ってあげて。
「取りあえず首班指名を乗り越えることが目的になってしまい、その後の政権運営や次の選挙の事はまったく考えられてない感じあるな。」
立憲と違ってこれまで自民は政権を第一目的とは言ってこなかったのに今や取りあえず首班指名を乗り越えることが目的になってしまっている、
だから立憲も自民も参政党にまで声を掛ける状況になっているが、同じことをしても従来方針通りの立憲は批判の声が上がらない一方で、自民への批判は強い、
僕は昨日、午前6時17分に目覚めた。
目覚ましは2種類、アナログ秒針音と周波数の微妙に異なる合成トーンを重ねたものを使う。
起床後の15分間は「視覚のデチューン」ルーチンとして照明を極端に低くし、網膜の適応曲線を意図的に遅延させることで認知の鮮鋭化を増幅する。
朝食は厳密にタンパク質比0.42、炭水化物比0.29、脂質比0.29を狙ったオートミール+卵白+ギリシャヨーグルトで、計量は0.1g単位。コーヒーはブリュワー温度を93.2℃に保つ。
僕の習慣は決して儀式ではなく、情報エントロピーを最小化して日常的なノイズを排するための有限状態機械だと説明する。
ルームメイトが朝から実験用ドライバーでガタガタやっているので、僕は中断せずに黒板の前に立ち、昨日考えていた超弦理論のある断片をノートに落とす作業をした。
今回は徹底的に抽象化した視座から入る。従来の超弦理論的場の位相空間を「1-対象の∞-圏」と見なし、そのモノイド圏的作用を導くことで、従来のモジュライ空間の位相不変量がホモトピー圏論のスペクトル的コホモロジーに帰着するという仮説を立てた。
より具体的には、ラングランズ対応の圏論的アナロジーを用いて、ゲージ群の表現環が導くモチーフ(motive)の圏と、弦の世界面上のファイバー付き代数的スタックの圏とを「導来圏の間の高次同値(a weak equivalence in the (∞,2)-categoricalsense)」で結びつける試みだ。
ここで新奇なのは、通常のスペクトル系列ではなく「階層的スペクトル列(a nested spectral sequence indexedby ordinal-type filtrationsbeyond ω)」を導入して、閉じた遷移の非可換共鳴が量子補正式にどう寄与するかを解析する点である。
ウィッテンでも一瞬眉をひそめるだろうが、それは彼の専門領域を超えた命題の述語論的再編成が含まれているためだ(注:単なる挑発ではなく、証明可能性のための新たな可換図式を準備している)。
昼過ぎ、僕は隣人とほんの短いやり取りをした。彼女は僕のキッチンを通るたびに植物の世話に関する助言を求めるが、僕は葉緑体の光合成効率を説明する際、ついヘテロトロフ的比喩を避けて遺伝子発現の確率過程モデルを持ち出してしまう。
彼女はいつも「もう少し軽い説明はないの?」と呆れるが、僕にとっては現象の最少記述が倫理的義務だ。
午後は友人二人と対局的に遊ぶ約束があって、夕方からは彼らとLANセッションを組んだ。
僕はゲームに対しては容赦がない。昨日はまずThe Legend of Zelda:Breath of the Wildでカジュアルな探索をした。
BotWは開発を担当したNintendo EPDが2017年3月3日にWii UとNintendo Switch向けにリリースした作品で、そのオープンワールド設計が探索と化学的相互作用に重きを置いている点が好きだ(発売日と開発元は参照)。
その後、難度調整のためにFromSoftwareの古典的タイトル群について雑談になり、初代Dark Soulsが2011年にリリースされ、設計哲学として「挑戦することで得られる学習曲線」をゲームメカニクスに組み込んだことを再確認した(初代の年は参照)。
夜遅く、友人たちがスーパーヒーロー系の話題を持ち出したので、僕はInsomniacが手掛けたMarvel'sSpider-Manの2018年9月7日発売という事実を引き合いに、ゲームデザインにおけるナラティブとパルス感(ゲームプレイのテンポ)について議論した(発売日は参照)。
ここで重要なのは、ゲームを語るときに物理学の比喩を使わないという僕のルールだ。
ゲームの設計原理は計算的複雑性、ユーザーインタラクションのフィードバックループ、トークン経済(ゲーム内資源の流通)など、情報理論と計算モデルで語るべきであり、物理のアナロジーは曖昧さを持ち込むだけだ。
作者インタビュー、収録順、初出掲載誌、再録時の微小な台詞差異まで注視する癖がある。
昨日はあるヴィンテージの単行本でトーンの変遷を確認し、再版時にトーンカーブが調整された箇所が物語の解釈に如何に影響するかを論じた。
これらは一般的にはオタクにしか響かない情報だが、テクスト解釈の厳密さという点で、僕の思考様式と親和する。
僕の習慣はゲームのプレイにも現れる。セーブは複数スロットを使い、各スロットに「探索」「戦闘」「実験」のタグを人為的に与えておく。
そうすることでメタ的な比較実験が可能になり、ゲーム内意思決定の条件付き確率分布を再現的に評価できる。
友人はこれを無駄と言うが、僕にとってはルーチンと実験設計が同義だ。
夜中、帰宅した後にさらに2時間、論文の草案を書き直した。書き直しは僕の儀式の一部で、ペン先の角度、フォントのカーニング、段落の「情報密度」を計測し、不要語を削ぎ落とす作業だ。
寝る前の最後の行動は、ブラックボックス化した思考経路をメモ化しておくことで、翌朝の「継続的洞察再現性」を保証すること。
結局僕は午前2時3分に就寝した。昨日は量子的洞察の可能性と、ゲームとコミックにおける情報理論的語法の交差点を追求した一日であり、そうした知的遊戯が僕の精神の整列をもたらす。
次に実証すべきは、導来圏間の高次同型によって生じるゲージ的不確定性がディラック構造の代数的再構成に与える位相的寄与だ。
何処かの樹脂メーカーの株主優待のプラモデルが話題になっており、前からプラモデルに興味があったからフリマサイトで買った。
プラモデルに興味があったが、中々手を付けてなかった理由としては、プラモデルのジャンル幅が狭いことだった。
(食品のプラモデルはちょっと興味はあったが、作った後に棚の上で埃を被らせるのは嫌だった。食品だし)
正直言ってしまえば車両関係は動作原理は理解できていたので新鮮味が無かったし、ロボットはファンタジーでリアリティが無かった。
これどういう仕組みで動くんだろうかみたいな、新しいワクワクを感じる事が出来た。実際にどこかの工場で、24時間動いているものでもある事にも想像力が掻き立てられる。
新しいワクワクを、プラモデルという手のひらで扱えるサイズに魅力を感じたからだ。
大人になって所有欲は殆ど無くなったが、久しぶりに並べてみたいと思うものだった。
ちなみに私は機械系の大学を出ており、化学メーカーで充填機械の横で働いているので、全く畑違いの人間ではない。
書いてて思ったが、この文章そのままプラモメーカーに一意見として送ってみようと思う。
電子書籍のサイトによって全然品ぞろえ違うの誰かどうにかしないの?
メジャーなサイトはマイナーなサイトにある作品は全部そろっているという大は小を兼ねる型の構造になってるならいいんだけど、
https://dokodoku.jp/pc/page/qfind2.asp?d=1&keyword=%90%85%96%D8%94%FC%97%A2&creditid=20257
↑のようにたとえば水木美里はサニー出版から出てるものについてはエクスタシーの季節以外はbookliveやシーモアのような大手にはなかった。下手したらこのどこでも読書でしか配信してないおそれがある。
どこでも読書なんて漫画好きでも存在自体知らなくてもおかしくないほどマイナーなプラットフォームなのに、これは問題じゃないの?
俺はたまたま知ってるプラットフォームだったから発見できたわけだけど、この世の漫画配信プラットフォームを全て列挙した記事なんて存在しないのだから、原理的にはこの世すべてのプラットフォームを把握できてる状態に至るのは非現実的であり、そうである以上、特定のプラットフォームにしかなくて存在を知ることすらできない漫画ってものがどうしても生じてしまう。
00年代から積極的に政治が力を入れてきたデジタル革命というのはこういうのを包括的に把握できるようにするためのものでもあったんじゃないの?IT後進国だなあと。
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「なんか面白いこと言って」という発話を語用論的に分析するには、文の表面的な意味(直示的意味)と、話し手の意図や文脈によって推論される意味(含意・発話行為・会話の含意)を分けて考える必要があります。
⸻
1. 直示的意味(literal meaning)
• 文の表面上の意味は、「何か面白い内容を言ってください」という依頼の命令文に近いものです。
• 「なんか」=曖昧な指示詞、「何かの」意味(カジュアル・曖昧)
• 「言って」=発話行為を求める命令形(ただし、柔らかく使われている)
⸻
Searleの発話行為理論に基づくと、この発話は以下のように解釈できます:
•実質的には「話を盛り上げてほしい」「場を和ませてほしい」といった娯楽的または関係構築的な依頼。
•聞き手が笑う、話を続ける、話題を変える、などの効果を狙っている。
⸻
3. 会話の含意(Conversational Implicature)
Griceの会話の公理(協調の原理)に基づくと、発話者は以下のような含意を持っている可能性があります:
• 量の公理:
•情報は足りていない(「なんか」という曖昧な言い方)→受け手に裁量を委ねている。
• 「いまここで面白いことを言うべき状況だ」と暗に伝えている。
•曖昧にして、直接的な命令を避けている(「面白いことを言ってください」ではなく「なんか…」と曖昧化)。
この含意は、しばしば冗談半分の軽い依頼であり、場の空気を読むことが求められる。
⸻
Brown & Levinson の理論に基づけば、この発話は聞き手の負のポライトネス(freedom toact)をある程度脅かす依頼にあたるが、以下のような戦略で緩和されている:
• 「なんか」や「面白いこと」などの曖昧な語彙で距離を取ることで、親密な関係性の中で成立するカジュアルなやりとりに見せかけている。
⸻
• 友人同士の気軽な会話なら:
• 緊張した場面で言われたら:
• →空気を和らげるための緊急依頼
• →能力を当然視している含意もあり得る(=フェイスを脅かす)
⸻
まとめ:語用論的分析の要点
トラックバック先を見ればわかるとおりだが、ブログでトラックバック指定するときだって記事の内容がトラックバック先への会話になってるわけじゃない。
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わかってないと言って自分がわかってないことはないと原理上できない弁解をさせ続けて踊るさまを楽しむ。鮫島事件みたいなもんか
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現代の、日本人の多数派の行動原理傾向は"漠然と不安だから"で成立する。
周囲のいろいろな人に適用してみて欲しい。ほら、不安さんがたくさんいる。君も、かな。
都市に生きる民(たみ)がおもに高度不安社会を形成し、進んで自己家畜化している。
安定・安泰を築いた振りをしながら、枠に嵌め込まれ決まりきったような消費行動(物・体験自慢)しかしない。
今の物質本位的な社会構造に疑問を抱かず、安易で安直なレールに乗る。
一方で、自然システムにおける他生態系のサイクルを壊すことを見て見ぬ振り。
自分は社会に「してもらう」ことばかりを要求し、それを還元しない。
これは、まかり間違っても"民族性"ではない。
構造が産んだ迷い子たち。