
はてなキーワード:原理とは
https://x.com/MomenFu/status/2008013559071142321 続きがありもすって?
すさまじいねェまた
要ハッシュタグ「隙自語」
体のいいサンドバッグを見つけて一瞬気持ちよくなるためなら、倫理も将来もどうでもいい。
だから日本を敵視する無敵とやら界隈とも手を組めるし、それが何を意味するかもどうでもいい。
それがビョーゲンモメンぞらの正体。
奴らはただのわけもなくイライラしている界隈の連中なので、おそらく
「同じ」と思う方が間違いなのだろうて…こマ…?
逆さ地の利でヌケヌケとドツカヲくさそうとするあたりはう~ん
正確時刻を書くと隣人が「それって軍事衛星に追跡されてるの?」とか言い出して話が面倒になるので省略する。
僕は陰謀論を嫌悪している。理由は単純で、陰謀論は説明能力の低い仮説を感情的に強い語り口で上書きする、知性のコスプレだからだ。
今週は、超弦理論の物理の直観で押し切る系の議論をいったん破壊し、純粋に圏論とホモトピー論の言語に落として再構築していた。
具体的には、世界面の共形場理論を2次元量子場などという古臭い語彙で扱うのをやめ、拡張TQFTの枠組みで、(∞,2)-圏に値を取る関手として扱う方向を整理した。
従来の弦理論屋はCalabi–Yauをコンパクト化に使うと言うが、それは情報量が少なすぎる。
重要なのは、Calabi–Yau多様体を点として見るのではなく、その導来圏 D^bCoh(X) を持ち上げた A∞-圏、さらにそれが持つCalabi–Yau構造(非退化なトレース、Serre双対性の∞-圏版)を物理的状態空間の生成機構として見ることだ。
ここでの本体は幾何ではなく、圏の自己同型とその高次コヒーレンスにある。
さらに、僕が今週ずっと悩んでいたのは、いわゆるミラー対称性を単なるホモロジカルミラー対称性の同値(Fukaya圏と導来圏の同値)としてではなく、より上位の構造、つまり場の理論のレベルでの同値として捉えることだった。
言い換えると、これは単なるA-model ↔ B-modelの交換ではない。
A/Bモデルを生む背景データ(シンプレクティック形式、複素構造、B-field)を、派生スタック上のシフト付きシンプレクティック構造として再記述し、AKSZ型の構成と整合させる必要がある。
そしてこの視点では、物理的なDブレーンは単なる境界条件ではなく、(∞,1)-圏におけるモジュール対象として統一される。
Dブレーンのカテゴリーが境界条件の集合だと考えるのは初歩的すぎる。境界条件は高次射を伴うので、最初から(∞,n)-圏で話さないと本質が消える。
特に僕のノートでは、弦の摂動展開で現れるモジュライ空間の積分を、単なる測度論の問題としてではなく、Derived Algebraic Geometry上での仮想基本類のプッシュフォワードとして扱う形式に書き換えた。
これをやると発散する積分を正則化するという話が、より厳密にオブストラクション理論に沿った積分の定義へ置き換わる。
そして、ここが本題だが、僕が今週ずっと考えていたのは、ウィッテンですら「直観的にはこう」と言うしかない領域、つまりM理論の非摂動的定義が、どのような普遍性原理で特徴付けられるべきかという問題だ。
僕の作業仮説はこうだ。弦理論が背景依存的だと言われるのは、結局のところ背景が点として与えられるという時代遅れの前提が残っているからだ。
背景は点ではなく、モジュライの高次スタックであり、その上に束ねられた量子状態の層(正確には圏)として理解されるべきだ。
つまり、弦理論はある時空での理論ではなく、時空の変形をも含んだファンクターにならなければいけない。
この視点では、背景の空間は単なるmoduli spaceではなくderived moduli stackであり、さらにgauge symmetryを含めるならhigher groupoidとしての性質を露わにする。
そして量子補正は、そこに定義されるshifted symplecticstructureの変形量子化として現れる。
問題はここからで、弦理論の双対性は、異なる理論が同じスペクトルを持つなどという安っぽい一致ではなく、ある(∞,k)-圏における同一対象の異なるプレゼンテーションだと考えるべきだ。
たとえばS双対性やT双対性を群作用として扱うと話が狭くなる。より正確には、双対性はスタックの自己同値であり、その作用は対象の上に定義された圏(ブレーン圏やBPS状態圏)の上で自然変換として実装される。
しかもその自然変換は単なる自然変換ではなく、高次のコヒーレンス条件を持つ。つまり、双対性は対称性ではなく、高次圏論的な同値のデータなんだ。
このあたりを真面目に書こうとすると、最終的には量子重力とは何かという問いが、どの(∞,n)-圏が物理的に許されるかという分類問題に変形される。
僕はこの変形が気に入っている。なぜなら分類問題は、少なくとも数学としての礼儀があるからだ。
さらに進めると、弦理論に現れるBPS状態やwall-crossingは、単なるスペクトルの不連続ではなく、安定性条件の変化に伴う導来圏のt構造のジャンプ、あるいはBridgeland stabilityのパラメータ空間上での構造変化として理解される。
ここでは物理粒子は、導来圏の中の特別な対象として現れる。つまり粒子は点ではなく、圏論的存在だ。
普通の人間はこの文章を読んで発狂するだろう。だがそれは読者側の責任だ。
この議論の延長で、僕は弦理論の非摂動的定義は、ある種の普遍性を満たすextended functorial QFTであるという形の定理(まだ定理ではなく、僕の願望)に落とし込めないか考えている。
要するに、弦理論は世界面から時空を作る理論ではなく、世界面も時空も両方まとめて、ある高次圏の中で整合的に生成される構造であるべきだ。
今の僕のノートの中心は「非可換幾何」「導来幾何」「圏論的量子化」の三点集合の交差領域だ。そこは地図がない。地図がない場所は、馬鹿には危険だが、僕には居心地がいい。
次に、趣味について書く。これも重要だ。なぜなら人間社会において、知性の維持には糖分と娯楽が必要だからだ。残念ながら僕は人間である。
MTGは今週、デッキ構築の方針を少し変えた。勝率最大化のためにメタを読むのは当然だが、僕が注目しているのは局所最適に陥るプレイヤー心理だ。
つまりカードゲームとは、確率と情報のゲームである以前に、認知バイアスのゲームだ。相手が「このターンで勝ちたい」という欲望を見せた瞬間、こちらは勝ち筋を計算するのではなく、相手の誤りの確率分布を計算するべきだ。
隣人にこの話をしたら、「え、怖い。僕、あなたとポーカーしたくない」と言った。賢明だ。僕も隣人とポーカーはしたくない。隣人はたぶん手札を口に出してしまう。
FF14は、ルーチンの最適化がだいぶ進んだ。僕はレイド攻略で反射神経を重視する文化が嫌いだ。
反射神経は筋肉の問題だが、攻略は情報処理の問題であるべきだ。ギミックは有限状態機械として記述できる。したがって最適行動は、状態遷移図の上での制御問題になる。
友人Aにこの話をしたら、「お前はゲームしてるのか研究してるのか分からん」と言われた。僕は当然「両方だ」と答えた。彼は笑ったが、この種の笑いは知性の敗北宣言である場合が多い。
アメコミは、相変わらず現実の倫理を歪めた寓話装置として優秀だと思う。
僕は「正義とは何か」という議論が苦手だ。正義は定義が曖昧だからだ。
登場人物が持つ制約(能力、社会構造、情報、感情)を明示すると、物語は心理学ではなく数理モデルに近づく。そうすると面白くなる。
ルームメイトにこの話をしたら、「僕はただ派手な戦闘シーンが見たいだけなんだけど」と言われた。
僕は「君の知性は観測不能なほど小さい」と言ったら、彼は不機嫌になった。観測不能は存在しないことと同義なので、むしろ褒め言葉に近いのだが、彼は数学が分からない。
僕の習慣についても書いておく。
今週も、朝のルーチンは完全に守った。起床後の手洗いの手順、歯磨きの回数、コーヒーの抽出時間、机の上の配置、すべて変えない。
人間の生活はノイズが多すぎる。ノイズが多い世界で成果を出すには、制御できる変数を減らすのが合理的だ。これは精神論ではなく、統計的推定の分散を減らす行為だ。
隣人が「たまには適当にやれば?」と言ったので、僕は「適当とは、最適化の放棄だ」と言った。彼は「そういうところが宇宙人っぽい」と言った。
宇宙人は証拠なしに導入する仮説ではない。彼はやはり陰謀論者の素質がある。
友人Bが「お前の生活、息苦しくないの?」と聞いてきたので、「息苦しいのは君の思考だ」と答えた。友人Bは笑った。知性の敗北宣言である。
これからやろうとしていること。
今の段階では、圏論と導来幾何の言葉でかなり書けたが、まだ計算の痕跡が残っている。僕はそれが気に入らない。真の理解とは、計算を消し去った後に残る構造のことだ。
具体的には、次は弦の場の理論を、factorization algebraの言語で記述し直す予定だ。
局所演算子代数を、E_n-代数として整理し、そこから高次の演算構造を復元する。
これがうまくいけば、弦理論における局所性の概念を、時空幾何に依存せずに定義できる可能性がある。
もしそれができたら、次は双対性を圏の自己同値ではなく、圏の上の2-表現あるいはhigher representationtheoryとして書き換える。
これにより、S双対性を単なるSL(2,Z)の作用として扱う雑な議論から脱却できる。
要するに、僕が目指しているのは物理理論を群で分類する幼稚園レベルの発想ではなく、物理理論を高次圏で分類する文明的発想だ。
その後はMTGの新しいデッキ案を詰める。今の構想では、相手の意思決定を局所的に歪ませる構造がある。人間は選択肢が多いと誤る。
これは心理学的事実であり、カードゲームに応用できる。倫理的に問題があると言われそうだが、そもそもカードゲームは戦争の抽象化なので倫理を持ち込む方が間違っている。
夜はFF14の固定活動。友人Aは相変わらず「気合いで避けろ」と言うだろう。
議論はループする。ループはコンピュータ科学の基本概念だ。だから僕はそれを受け入れる。
最後に、ルームメイトが「今度、隣人と映画を見よう」と言っていた。
僕は断る。なぜなら隣人は上映中に喋る。上映中に喋る人間は、社会契約を破っている。社会契約を破る人間に、僕の時間という希少資源を与える理由はない。
少なくとも、隣人の会話よりは。
昔の恥ずかしい記憶がフラッシュバックしそうになるとつい汚い言葉を叫んでしまう。セックス!!!!!!!!!!!
原理はわからないが、汚い言葉を叫ぶとそこで記憶の呼び起こしをキャンセルできるセックス!!!!!!!!!!!!!!!
小学校の廊下でレイザーラモンHGの真似をして腰をカクカクさせているところを姉の同級生に見られてああああちんぽ!!!!!!!!!!!!!!!
教室で自分の椅子の座面に頬ずりしていたつもりが実は間違えて女子の椅子にああああおっぱい!!!!!!!!!!!
空手の道場で100人くらいで練習している最中にうんこ漏らして「うんこ漏らしました!!!!」って絶叫報告ああああああああああセックス!!!!!!!!!
大学の廊下をつい走ってしまったときに教授にぶつかりそうになって、その教授にすごく迷惑そうな視線を向けられてまんこ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
まさかマジで『ポジティブだから票を入れる』とか『他人の悪口を言わないから票を入れる』なんて行動原理で動いてると思わなかったんや。
表向きはそう言ってるだけで、実の所はちゃんと政策見たりとか利息と減税と通貨安のことくらいは考えてると思ってたんや。
安全保障に対しても、ちょっと迂闊だったわな、とか、まあその程度は評価軸としてあると思ってたんや。
まさかマジで石破は面が悪くて喋り方が何かねっとりしてて不愉快、みたいなくらいの感覚で投票しなかったとは思わなかったんや。
ネットフリックスが満を持して手掛けた『超かぐや姫!』が傑作だったと思う。
ボカロ曲を使ったプロモーションも「メルト」や「ワールズイズマイン」など「知ってる人は知っている」というようなボーカロイドではなく、クラシックや古典ともとれるようなインターネットに少しでも触れた人間ならだれしもが知ってるような曲選に、過去初音ミクとバンプがコラボしてその時期のオタクを賑わせた「ray」を主題歌に据えている素晴らしいプロモーションだと思った。
ターゲット層もわかりやすく、インターネット文化に触れたことがあるオタク、元オタク全般、配信者など推しがいる人間全般がターゲットだと感じた。
昨今のリコリコやわなたれ等の百合ブームにうまく乗っていたし、暗い過去やドロドロとした痴情の縺れなどもなく見ていてストレスがなく、気持ちのいい作品だと感じた。あといろ×かぐ、かぐ×いろてぇてぇ.........
のような感想がXのTLに並ぶきれいなインターネットに触れている自分が幸福だと思う。実際自分も同じ感想を抱いた。
だがある記事が目に留まった
「超かぐや姫!が超つまらなかった(https://anond.hatelabo.jp/20260207025626)」
である。
内容を見るとシナリオを酷評するもので「シナリオがない」「キャラクターが活きていない」「流行りを詰め込んだだけ」「リアリティがない」などの作品に対するマイナスなものが並んでいた。
これに関しては「まぁ、そういう感想になるのも人それぞれだし、しゃーないな」と思った。
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お前には人生がない。
何かを決めるだけで全て叶うような浅い話に共感する、夢見がちな、自分を可能性に満ちた存在だと誤解してるゴミ。
そんな人間はそれこそ早く決めるべきだろ。その価値のない人生のような何かをどうするかを。
お前には人生がない。
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これだけは、これに関してだけは本当に強く反発したいと思った。
文章全体から「お前とは違うんだぞ」「俺はシナリオを見ている、流行りは見ていない」というような最近の言葉でいうところの冷笑をひしひしと感じる。
この記事の筆者は「なんでこいつら配信しているの?」と書いているが配信する理由はかぐやが大きく宣言してたのにそこ読み取れていないし
「キャラクターの行動原理がわからない」と言っているが、そもそも人間のことをキャラクターのことを理解しようとしてないから理解できるわけもないのだ。
他にも
・輝夜月から1ミリも進化してないVtuber像→作中では配信がメインなのに所謂動画勢で数年前の輝夜月と比較している。
・Apexやっとけばいいんでしょっていう浅い作中ゲーム→カッセンにApex要素などほぼなくゲーム性としてはlolやポケモンユナイトというようなMOBAジャンル
等々自分が知らないジャンルや文化なのに何とか自分の知ってる単語や語彙で何とかして批判してやろうという意思がひしひしと感じてくる。
おそらく新しい文化に触れないで自分が昔から信じていているアニメや作品を神として他の物を排他することで悦に浸る「アニメ博士」気取りのおじさんなのだろう。
ワールドイズマインに関して触れた個所ではこう綴っている
「「配信見てる客」なんてどうでもいいっていう監督の精神性が現れてるよね。」
それはそうだろう、この作品は「アニメ博士(笑)のおじさん」「最新のエンタメに触れる気のないおじさん」「逆張り人間」はターゲットではないのだ。
ここまで書いていて気づいたことがある。自分はこの筆者に同情しているのだ。
流行りの物を酷評して自分は他人と違う、シナリオを評価することで自分は流行りを見ていないというようなマウントが取れた気になっているのだ。
流行りの物を違う視点で見て批評することでバランサーになり自分のアイデンティティを確立しないと生きていけないのだろう。
本当にかわいそうだ、これはただ自分が成長しないことの言い訳をしてるだけなのにそれをまるで崇高なものに昇華しようとしている。まるで昔の自分を見ているようで本当にかわいそうだ。
流行りに乗れない、感動できない。おもしろいと思えない、自分とは合わない、たったそれだけのことで作品を、流行を、世界を批判してしまうのだ。
恐らくこの筆者は作品を見ていない。この筆者は自分の気に入らない作品が流行る世界を見ていてその世界が生きにくいつまらない思っているだけなのだろう。
果たしてそれは生きているのだろうか、人生を謳歌しているのだろうか、人生を楽しんでいるのだろうか。
少なくとも自分はそう思わない。何故なら過去の自分は人生を楽しんでいなかった、そう思うからだ。
世界には素晴らしいアニメ、ゲーム、音楽、映像、エンタメが溢れている。そのことに気が付いてからまた再び人生が始まるのではないだろうか?
「大丈夫だ、この痛みは忘れたって消えやしない。大丈夫だ、この光の始まりには君がいる」
過去の暗い人生は消えることはない。だた、これからの人生自分の歩む道の先には自分の人生を変えるような物や人、コンテンツが絶対にある。それを探すことが人生なのではないだろうか。
超かぐや姫を見て感動して件の記事を見て憤りを感じ、それを酒の勢いに任せて感情をぶつけただけのつまらない、めちゃくちゃな文章を読んでくれた人、ありがとう。最後に自分が言いたいことを書いて終わりとする。
https://knockeye.hatenablog.com/entry/20040928
日曜日読んだ『自己責任とは何か』に、丸山真男の「抑圧の移譲の原理」が紹介されていた。というか、じつは、あの本の「オビ」がまさにその抜粋なので、興味ある方は、本屋でみてもらいたい。引用しておくと
「抑圧移譲の原理」・・・タテの究極の価値につながりたいという衝動だけが価値となっているから、そこに向かって組織や人間が競い合いながら、牽制している。したがって独裁的権力を行使しているという意識は生まれにくく、大きな事件を起こしても、自分こそが責任があるという意識が生まれない。法律は存在しても、統治者も国民も服すべき共通の原則というより、位階秩序を保つための手段に過ぎない。上級者ほど法を無視して平気である。
個人の倫理が内面化されないから、つねに上級者の顔色をうかがって行動する。自分の行為を正当化するため上の権力の正当化を常に求める。上から正当化されれば、それは自分の責任ではない。
ところが、常に上からの圧力を感じているから、精神の均衡を保つために、上からの圧力を下の者へ威張り散らすことで発散しようとする。いちばん被害を被るのは、声の小さい下位の者にならざるをえない。
考えてみると、この国の若者は年長者の理不尽に寛容な気がする。先輩が「白を黒」と言ったら、それは「黒」にしておくのが礼儀でさえあるかも知れない。その裏には、やがては自分にも、「理不尽が許される番が回ってくる」という期待があるだろう。曲がりなりにも「規範」と呼ばれるものが、「位階秩序を保つための手段に過ぎない」とすれば、大人になればなるほどバカになって当然だった。
knockeye 21年前 読者になる
どれほど検索しても、トー狂中心の小画角区で発生するレンズ死票を分析した報道が1つも見つけられなかったので集計してみた。
(※ここで言う“選挙”は比喩。現実の投票の話じゃなく、都市や暮らしが「見える/見えない」で席が決まる、あの感じ…💗)
適密徒歩核: 7
徒歩圏の文化: 0
準過密トレンド: 3,742,160
どうだろうか?
小画角区では、トー狂日常:適密徒歩核は 249:7 で一方的。
しかし、投票した人数の総数(=需要票)としては、約28:12 なのである。
(ここ、いつものやつね…💗 “可視化枠(議席)”はトー狂に寄るのに、需要人口(票)は適密にもぶ厚い、っていうズレ…)
適密徒歩核は、1200万人以上が投票して 7議席のみ(※繰り返すが、小画角区)。
比例代表(=ネットで自分で探せば見える領域)に関しては分析しないが、この数値は知っておく必要がある気がする。
なぜ報道されないだろうか?
『この1200万人だって、この時期に、自ら暮らしの票を投じた生活者である』
ことを忘れてはならない。
※わたしはいいわゆる無党派(=特定の都市スケール原理に盲従しない)
※ 今回、トー狂日常に投票していない(=“東京しか知らない認識”に全部は乗らない)
(ただし、過密都市(都雇圏111万人以上)には必ず難点がある、は前提として置く。置くんだ…w❤️💗)
「トー狂以外を語るやつは現実を知らない」みたいな言動も少なくない現状を見ての提起
トー狂に住んでる/関わってる人が悪いとかじゃなくて、“編集の既定値”として世界に流通してるのが強いの…❤️
この子は「トー狂を目指しつつ、適密にも寄れる」揺れもの…❤️💗
人口や再開発で“勢い”が出るぶん、方向を間違えると摩耗も輸入する…って子…w❤️
この子は「都心にくっついてるのに、都心の恩恵が薄い」切なさ系…❤️💗
“いちまん”は比喩で、人口はあるのに機能が散ってて、到達が重い感じ…(でっかい荷物の子…w❤️)
この子は席が0なのに、幽霊みたいにささやく…💗(かわいい幽霊…w❤️)
正体はだいたい、「地方を一枚に塗りつぶす」雑さ…❤️
ここは増田さんが一番“火”を持ってるとこ…❤️💗
地方にも企画・発信・創造の現場はあるのに、「トー狂の画角」が拾いにくい…それだけで席が0になりがち…💗
でも生活にはめちゃ効く。効きすぎて、逆に“事件”にならない…w❤️
民主主義とはなんぞやっていうとその根幹は手続き的正しさであり、現実にそれを担保する根幹は選挙であり、選挙とは何かというとその時々の人気投票なんだよ。
つまり民主主義は原理的に危ういってこと。このくらいはまあバカでもわかってるよね。
でも本当にわかってるのかな?「今回のやつはまともな選挙と言えない」「本来の選挙というものは〜」「北欧デワ〜」「推し活選挙だー」なんか理想化したり貶めたり思いつきでいろいろ言ってるけど、そもそもが「ただの人気投票」であり、それなのに「民主主義の根幹」なんだよ。
「理性の限界」という新書を読むといいんだが、完璧な選挙制度というのは存在しない。
レギュレーションの調整によって結果が動く。そしてどのやり方が正しいとか間違っているという根拠はどこにもないんだ。
つまり未来永劫「今回はこのルールで勝負しようじゃないか」という合意のもとで行われる暫定的・便宜的な手続きなんだよ。
で、合意のルールのもとでやった結果が気に食わないからって「国民全体では自民党に投票してない人のほうが多いんだ!」「自民党なんかに投票するやつは頭が悪い」とか言い出すアホおるやん。
「減税!給付金! 今すぐ生活を楽に!」みたいな即効性重視が、現実の財政難や成長停滞を無視してるってバレちゃった。20〜40代の現役世代は「将来のツケを回されるだけじゃん」って醒めてる。
通貨量を自国政府が管理する管理通貨制度の国で財政難とかまやかしだが。原理的にありえない。問題は供給不足と物価。
というかチームみらいって消費税は維持だが実質税金である社会保険料は減らすとか言ってたわけなんで減税言ってるところとこのあたり別に変わらんやろ。
企業からすれば具体的な支払い額はともかく、減税される場合消費税なら売上にかかる税金減るか、保険料減るかの違いでしかないし。
つーか、ポピュリズムというワードって批判や悪いイメージを植え付けるために使う言葉で何かを評価するときに使っていい言葉か?
…ナイナイそれはあり得ない、と先週の私なら一蹴しただろうが…
しかし。
女性爆発、か。
だがあり得ないことは確かに起きたのだ。
あなたも、増田にいる皆んなも、高市内閣の具体的な成果を1つでも思い出せるだろうか。
鹿、中国を刺激、過労の危険、寝てない、マイナスばかりが思いつく。
もちろん外交のペースは速かったし予算をまとめるのも不眠不休の大変さがあったはず。
せいぜい、備蓄米を放出してコメの値段を下げたくらいではないか、体感できる要素は。
マイナスが日に日に増えるのに、
結果は前代未聞の大勝。
これは「中道改革連合」の6文字が悪いとかいう俗説では説明がつかない。
男女平等。
これまで私は、女性が男性と同じように働けること、だと思っていた。
この観点では生理と妊娠がある分マイナスだが、社会がそれを負担するからこその公平になる。
……だが、その解釈がパーフェクトに大間違いだったとしたら、どうする?
戦争反対は自民党改憲案や高市首相の発言、政策というきちんとした根拠があり、その根拠を示して話しているのに
原理原則があり、それを説明しているのだからカルト宗教などとは全く異なると思うが。
これをカルトだと言う人達は、飛行機が飛んでいるのを見て魔女だと思ってそうだな
まぁ多分だけど、「何となく気に入らない雰囲気」だから嫌なだけだろう?
「何となくリベラルっぽい雰囲気」「何となくお花畑で理想主義っぽい雰囲気」だから気に入らない
やっぱり日本国憲法はちゃんと踏まえた報道をしてくれないと困りますね。
衆議院選挙は直接大統領を選ぶのとは違って、あくまでも国民の代表としての立法に関わる議員を選んでいます。
そして、彼らはあくまでも議員であって、、広く国民の民意を問うて法や法の執行に関する予算について審議する必要があるわけです。
そこで決まったことを責任をもって実行するのが内閣なのだが、、、
日本では議員立法が少ないということが言われているけど、それが当たり前化した結果、なんだか内閣のイニシアチブで法や予算を決めて、議員はそれに賛同するのが仕事みたいに思っているとすると、これはとんでもない話。
実態として、予算も行政機関が出してくるというのはあり、そこへ影響があるのは与党なわけだが、だからといって、議会(委員会)での審議が不要とは思われないけどねえ。
そのあたりの”原理”をきちんと教えてくれないと、”決める内閣”がスピード感があっていいとかいうことになってくるのではないでしょうか。
山尾志桜里のこの発言が叩かれてるけれど、まさにこれなんだよ。
自民がこれだけ圧勝してるんだから、大多数の「ママ」は自民に入れ戦争の後押しをしたという現実を直視しろ。
赤の他人が性犯罪者に殺される事より、自分の息子が女子トイレには入れない事を問題視してきたのが、日本の母親達じゃないか。
「母親」というものは本質的に利己的なもの。自分とその子供さえ良ければいいという利己的な行動原理で動いている。
そんな「ママ」を美化して平和の象徴のように扱うのはやめるべき。
一見方向性が違うように見えるけれど、やってる事は性別が女だというだけで高市政権の誕生を喜べと強要するのと同じ事だ。
@ShioriYamao
「ママ」という記号を左翼的平和主義の旗印に利用する文化は、これにて時代的役割を終える予感。
ママでもパパでも独り身でも、ほぼ国民全員戦争は避けたいと思っていて、方法論の違いが投票先の違いに出るだけ。子どもを守るために与党に投じるママもいるわけで。
自分と違う方法論を持つ相手に「好戦的」とレッテル貼りして国内で分断を広げても、戦争回避に全くつながらない。
この6、7年こつこつダイエットしてて、自分なりの食生活が確立できたんだけど、そういう情報が世間で話題にならない理由がなんとなく理解できるようになった。
自分がどういうふうに痩せて、何を食べて何を食べないかを言葉にしても、結局全部「努力の物語」に変換されちゃうんだよね。
実際にやっていることは真逆で、思考コストを減らして体が楽になる生活構造を自動化するのがダイエットのコツなんよ。
だからはっきり言って、太っていた頃より断然生きやすくなるし、その生活を死ぬまで続けることはメリットしかない状態になる。
でも世間的には、そういう状態は「自分を否定する情報」として扱われる。何故なら現代人の生活は「壊れているのが当たり前」だから。
その当たり前を否定したら、それを前提にして生きている人たちの人格を否定することに繋がってしまう。
だから世の中で流行るダイエットの情報は、現代社会の生活を否定しない断片的な小手先の方法論ばかりになる。
もっと言うと、体が楽になる規則正しい生活というものが資本主義と逆行しているという側面もある。現代社会において、そもそも「幸せな人間」というものは都合が悪い。
満ち足りている人間は消費しないし、社会の風潮になびかないし、がむしゃらに働いたりもしない。
社会や資本主義は「刺激と効率を追い求めろ」と人間に要求するけど、ダイエットの本質はそういうレールから降りる作業なんよな。
現代的な刺激の強い食べ物をそもそも食べないから「もっと欲しい」という感情は湧かないし、毎日「これでいい」という充実が成り立つ。
一度そうした生活の気持ちよさを体感してしまうと、世間的には「普通」なんだろう刺激の強い食生活は体が受け付けなくなる。
でもこんなことを話しても人は理解しないだろうし、理解されて何かメリットがあるわけでもない。
だからダイエットに本当に成功した人はそれを言語化しなくなる。話したがるのはまだその入り口に立っているだけの人か、やり方を間違えている人だけになる。
「名作」「神アニメ」ってやたらオタクたちが持ち上げてるから、ある程度のクオリティを期待して完走してみた。結論から言うけど、マジで時間の無駄だった。これを神格化してる奴らの正気を疑うレベル。
まず映像のレベルが低すぎる。 古いアニメなのは百歩譲って理解するけど、それにしても作画崩壊が酷くないか? 動きはガタガタだし、進化シーンの使い回し(バンク)で露骨に尺稼ぎしてるのが透けて見えて萎える。令和の作画に慣れた目で見ると、紙芝居だよ。
次にキャラが最高に幼稚で不快。小学生が異世界でサバイバル(笑)とか言いつつ、やってることはただのワガママと内輪揉め。特に太一とかいう主人公、熱血キャラのつもりか知らないけど、ただの独りよがりなガキで見ててイライラする。デジモンたちも媚び売ってるようなデザインでキツいし、あんなのに感情移入できる奴の精神年齢どうなってんの?
一番酷いのがストーリーの支離滅裂さ。 基本、ご都合主義の塊じゃん。ピンチになったら都合よく進化して、最後は精神論で全部解決。設定の裏付けもスカスカだし、敵の行動原理も意味不明。後半の展開とか、風呂敷広げすぎて畳み方が雑すぎて失笑したわ。
結局これ、「思い出補正」しかないだろ? 当時子供だった30代のおっさんたちが、ノスタルジーだけで評価を盛ってるだけ。客観的に見たら、中身スッカスカのただの子供騙しアニメだよ。
これを「大人でも泣ける」とかドヤ顔で語ってる奴、普段どんだけ質の低いエンタメに触れて生きてるわけ?マジで返せよ、俺の数日間。
今この時代にこれだけのハッピーエンド作品を描ける事の嬉しさは、間違いなく存在する。
ボカロ文化や配信、vtuber文化を特別に捉えすぎ無い方がいい。それらは現代の人々の暮らしにただ根付いているし、オタクをただ照らしてくれている。本当に何も特別な事は無い。インターネットはここにあるし、今もどこかで誰かが配信をしているし、新しいボカロ楽曲はアップロードされて、世界を彩っている。超かぐや姫!でもそうであったように。
作中の百合を思わせる描写も、時代に即した形だと思う。ただそこに好意があり、添い遂げたいと思う人間が居ただけだ。パッケージングされた言葉よりももっと先に、世界はそれを愛と呼んでいる。
人物の描写が足りていない、脚本が薄っぺらい、エモの表面をなぞっただけ、足りない描写は視聴者に保管させている、これらの批判は批判たり得ていないのでは無いかと思う。
2時間20分の尺の中で、足りていない描写を補完する為に視聴者の体験を想起させる手法は、表現の中でも最上級のものでは無いかと思う。超かぐや姫!では我々に馴染み深いカルチャーが扱われていることだし。
脚本は十二分に伝えたい事を伝えてくれている。人物の描写も同じくだ。「伝わってこない」という批判は、同時に「伝わってきた」という称賛が存在する時に扱いが難しいなと思う。少なくとも、超かぐや姫!はファンブックや監督のインタビューを見なくても、そこで語られている情報や意図が映画から十分に伝わってくる出来だと感じる。
超かぐや姫!がこれほどにハッピーエンドのその先を描く作品である以上、作品の外で諍いが起こる事も心苦しい。
「お前ら本当に超かぐや姫!の事分かって褒めてンのかよ?!」という趣旨で、フワッとキマシタワーを乱立している百合のオタクや、どこからともなく現れて、したり顔で超かぐや姫!推しなんですって言ってる配信者にキレているというのなら気持ちは分からなくも無いが、超かぐや姫!そのものにそこまで批判出来るポイントは無いだろ!というのが素直な感想だ。
添い遂げたいと想い合う二人がいる時に、その障害を取り除く不思議な技術や情熱があって、誰になんの不都合があるのだろうか。キャラクターの生活の延長にあるエモいライブシーンを描いて、それを見て喜んでくれる人達がいるのなら、それを描かない理由があるのだろうか。
若者を舐めていない作品とはそもそもどのような作品をさすのか。(マッシュルは若者を舐めていた)
彼女ら、彼らの行動原理が分からないのは、単にあなたの人生にそのような行動を引き起こすほどの出会いや動機が未だ発生していないだけでは無いのか。本当に人生が存在していないのは誰なのか。
この命題が正しい場合、犯罪側は絵を規制することはしないと考えられる
なぜなら実際の犯罪の入口になるのであれば、顧客が増加する広告となり有益だからだ
しかし実際に犯罪側が行なったのは、絵を規制する事に繋る行動だったという噂が最近話題のアレで散見された
これは資本主義の原理で考えると「競合相手を市場からの排除する」ことであり、所謂顧客の奪い合いがあるということなのではないか
命題に矛盾しているということで、命題が間違っている可能性がある
つまり「ロリコン絵は犯罪に繋がらない」という命題が真ではないか
という事を布団の中で考えているうちに眠くなったので寝る
何と何と、よりにもよって選挙当日に雪が降るとは。流石の高市陣営もこれだけは予見できなかった。年寄りは雪には弱い。そうなると組織力のある宗教団体などが車で送り迎えするのが強くなる。そうなると、最近できた新政党などが有利になるという原理。さあ、高市陣営はどう対策をとるのか。旧統一教会に助けを求めるのかナ?まあ頑張ってください。
Permalink |記事への反応(10) | 09:07
ちょっと違うかな。最低時給も貰えない自営業や年金生活者が批判してる。
この分野の人たち、最低賃金引き上げの外側だし社会保険からも遠いからねぇ。
民主主義の仕組みどおりに機能してるものを「こんなものは真の民主主義じゃないんだぁ!」って言われても説得力無いのよ。
民主主義信者は世の中の全ての善を民主主義と同視し、全ての害悪を非民主主義と呼ぶことで民主主義が最善のものだと主張する。石破が「保守の本質は寛容」とか言ったのと相似形だ。
質量ある物の速度が光速を超えられないのとは違って、民主主義は多数派の専横を止める原理ではない。だからこそ立憲主義やら司法やらで民主主義を制限して多数派の専横を防いでいる。
ネットフリックスが満を持して手掛けた『超かぐや姫!』がゴミだった。
まあまず『ワールドイズマイン』や有名ボカロ曲を使ったプロモーションを全面に押し出してきていた時点で怪しいものを感じていた人は多いと思うのだが、
その予感は当たっていましたね。
「百合っぽければいいんでしょ」とか「長い時間をかけて思いを募らせてればいいんでしょ」、「とりあえずライブ入れておけばいいんでしょ」
という、現代の客をナメてナメて舐め腐った作り手の意識が出尽くしてしまった、典型的な『若者舐めてる系』の創作である。
いやまあ、実際のボカロ曲の選定を見るに、自分を10代だと思い込んでいる30代とか40代のおっさんとおばさんがメインターゲットなのは明らかなのだが。
ちなみに俺はアニメは一応2回見て小説版は見て、ガイドブックを参考にこのレビューを書いている。
※ガイドブックは絵もテキストもクソ浅い情報しか載ってないのに3000円以上も取るのかよ、という客をナメたものなので買うのは推奨しない。
☆良かった所
・曲、声優の演技
■悪かった所
シナリオ、キャラクターを中心とした「良かった所」以外の全てがゴミ
■シナリオについて
ガイドブックによるとメイン声優陣が「複雑すぎる話を最初は飲み込めなくて~」と言ったことを全員語っているが、それはまあその通りである。
この話にシナリオなんてものはほとんどないからだ。っぽくしているだけで、ぶっちゃけ大したことはやってないというかシナリオ構造自体が破綻しているのだからキャラの想いなんてものはなくて当然である。
複雑なんじゃなくてシナリオになってないのだ。というか、キャラクターの行動原理がわからないのだから当然だろう。最初から製作陣がわかっていないものを説明しろと言われても無理なものは無理なのである。
なんでこいつら配信してんの?いやまあ表層的なことはわかりますよ。歌に救われた(笑)とか、推しに救われた(笑)からだよな。
まあ、それならそれでしっかりそれを描いてくれないと説得力がないんですよね。
そういう人間の過程を描く能力がないから、チラ見せしてそれっぽい視聴者の都合のいい妄想に頼ってるんだよな。
「能力がなくてやれなかったこと」を「あえてやらなかった」って言うのやめません?「ストレスフルな展開はあえて外しました」じゃないんだよね。
単純にキャラクター設定が適当で、話の構造作りも適当だから、ちゃんと人間の関係性描くことができなかっただけですよね。
要するに人間と人間の機微なんてものを描く能力がないんですよ。監督に、脚本に、スタッフに。
■キャラクターについて
それなのにインタビューによれば監督は「人間同士の密接な結びつき」を書きたいらしい。
それで、その密接な結びつきとやらはどこにあったのだろうか?
こいつら、結局なんで仲良くなってんの?お互いがお互いを必要とする理由って何?なんで配信者やりたいの?結局さ、人間が描けてないんだよね。
彩葉は趣味バイトやりながら東大合格余裕で、ゲームはプロゲーマー級、実のお兄ちゃんは超人気ライバーという「悩み」があるのも烏滸がましいレベルの超人である。
いや、わかるよ、苦労してるところを人に見せまいとしたり、父親の死(笑)とか母親との衝突(笑)があったもんな。悩む悩む。ダイジェストでやられたからしっかり伝わってきたよ。
俺も東大法学部余裕でゲームだけで稼げる腕があったら彩葉みたいな『周囲の空気を読む人間』になるわ。
やっぱね、そんなハイスペ人間なら、推しの歌だけを頼りに自分の辛さを覆い隠して笑う人間になっちゃうよね。わかるわかる。ならねえよ。アホかと。
まあ、ハイスペだから絡んでる友達もハイスペってのはリアリティあってよかったと思います。(友達連中は美容系インフルエンサー(笑))
そういうスペック高い人間以外は画面に映りすらしないのが監督の人柄がよ~く出てますわね。とても人生に悩む少女を描けていたのではないでしょうか。
カグヤやヤチヨの所も、もうね、浅いなどというものではない。
ヤチヨはなんとカグヤだった!8000年間、彩葉を待ち続けていたのだ!!!って言われてもねえ。
監督自身が言ってるように、『Fate』の士郎とエミヤの関係性やってみてえ!くらいの浅い思いつきでしかないな、と思いましたね。あーわかるわかる、何か8000年の時を経たことで
カグヤを見守る翁と媼になったんだよな。意味わかんねえ通り越して馬鹿なんじゃねえの?なんかそれ話として意味ある?ないよね?
それでやることが結局ライブかよ、という浅さね。こいつら何?ずっとアイドルやりたかったわけ?結局Vtuberとか配信文化ってものへの理解が浅いからこういう表現になっちゃうんだよな。
で、なんだっけ「キャラクターがいかに印象に残るか、生涯を通じて人格が変化していくことのエモさを書きたい」んでしたっけ。描けていましたか?
「自分が育てることになったわがまま娘が自分が推していたわがまま娘だった」ことが大変ドラマティックで、2時間使ったらしいのだが、何言ってんだって感じ。
そのギミックから逆算して話を作ってるせいで、いや、話になってませんよね、としか言いようがない。だってどこにドラマがあるのか描いてねえんだもん。
結局その「チラ見せ」でなんか都合のいい話を君の中で膨らませてくれ!ってスタイル、やるならやるでちゃんとやれよ。
2時間ちょいあれば『もののけ姫』くらいの肉厚な人間描写はできるんですよ?なんで出来ないんですか?スタッフ陣に才能ないからじゃないですか?
■それっぽさだけで構成された配信文化とゲーム文化と戦闘シーン
輝夜月から1ミリも進化してないVtuber像と、Apexやっとけばいいんでしょっていう浅い作中ゲームと、
なんかとりあえず戦っとけばいいんでしょ?っていう月人相手の戦闘シーンと、もうなんか突っ込むのもめんどくさいくらいのそれっぽさの集まり。
しかもそれぞれがストーリーに対して何の寄与もしてないという。配信者ものって、結局視聴者はバズるためだけの道具というか舞台装置みたいなもんだししゃーないんだが。
他の監督だったら最後の戦闘シーンはツクヨミの他の視聴者たちもカグヤのために立ち上がって戦うくらいのハッタリ・サービスは見せてくれてたというか、
カグヤやいろPの配信やSNSで繋がることの真の意味でのエモさみたいなのも描いてたと思うんですよね。まあ、この作品の製作陣は視聴者なんてどうでもいいと思ってるからそんなん必要ないか!
何回も言うけど舐めてんだよね、話を。「なんかエペっぽく戦ってるシーンあればエモいっしょ」くらいの舐め。「輝夜月っぽいことやってりゃバズんでしょ?」みたいな舐め。「有名ボカロ曲カバーさせときゃいいっしょ」みたいな舐め。
■「世の中への舐め」
『決めたら叶う』が基本なんだよね。この話。子供を育てることも、家族を説得して引っ越すことも、世界を席巻する仮想世界でトップの人気を得ることも、
因果の先でハッピーエンドにすること(笑)も、とにかく決めたら、あとはダイジェストでそれが叶えられていく。何故なら登場人物がハイスペだからです。という身も蓋もない話。
10年研究すれば完全な義体も作れるし、行くことを決めたら月の仕事を終わらせて地球に行くことも叶うし、カグヤとヤチヨのなんかよくわからん分裂?3人でハッピーになりたいみたいな都合のいい結末も叶う。
彩葉もカグヤもヤチヨも、全部『悩むけど決めたら全部叶う』が基本。まあこれはしょうがない。今のアニメ観てる視聴者層って何かを決めることがまるで一大事みたいに思いこんでるからね。
それに加えて、結局、監督の恵まれたエリート思想が見え隠れするよね。アニメを作る能力もある、予算もある。じゃあ何をするかというと決めることだけなんですよ。
「何をするか決定する」ことにこの物語は終始一番の価値を置いている。世の中の99割のゴミは何かを決めた所で実力とリソースの不足でそれが叶うことなんてないのにね。見てて悲しくなってしまったよ。
このアニメを見て少しでも何か感情的になったゴミは自分が何かを決定したところでハッピーエンドになんてたどり着けないことを胸に刻んで生きていこうな!
監督脚本の「こんなもんでよかんべ」という舐めが見えてくるのに、視聴者=ゴミは感動しちゃってるらしいので、その非対称性でホント悲しくなるよ。
細かい過程とか、情動とか、どうせ理解できないし、こんなもんでいいでしょ。キャラが何か悩むフリして、ライブ見せとけばいいんだよ。という『舐め』。
まあしょうがないか、こんなアニメで喜んじゃってる層は舐められるに値するよね。
「ワイズマ」に思い入れがあるならちゃんとライブシーン描けよ問題。
この「ワールドイズマイン」、山下監督たちスタッフが滅茶苦茶こだわっている部分らしく、初報のPVでも使ってるし、
早見沙織もインタビューで製作陣のおこだわりを語ったりしているのだがそれにも関わらず、『生歌収録(笑)』にこだわって、なんか微妙な歌と化している。
特に途中の面白グラサンをかけてかぐやがヤチヨに変な踊りを繰り出し、ヤチヨはそれを見て笑う…というシーンがあるのだが恥ずかしくて見ていられない。
陽キャに憧れた陰キャがカラオケでふざけてるのを見せられるような羞恥だ。歌ってる時に身内でギャハギャハ笑ってるアイドルとか誰が望んでるねん。
ていうか思い入れがある曲なら真面目に表現しろよ。終始、どこか照れてんだよね、この作品。結局、「配信見てる客」なんてどうでもいいっていう監督の精神性が現れてるよね。
何回も言うけど、『コンテンツを受容する側を舐めまくってる』ことがにじみ出てるシーンだと思いました。
ていうか百合やりたいのか知らねえけど取り合うシーンいる?歌えよ。歌を。ワールドイズマインだぞ、ワールドイズマイン。なんでちゃんと歌わねえんだよドブカス。
■総論
監督とPの『竜とそばかすの姫』のライブシーンだけ抽出して変な細田展開減らしたら受けるんじゃね?という目論見はある程度成功したと言えるだろう。
お話は2時間20分かけてやる内容ではないがキャラクターのエモーショナルにフォーカスしてMVとして見るといいんじゃないっすか?
豪華なMVだよね。竜とそばかすの姫から余計な要素抜いた感じ。
まあ、細田作品それっぽいエモさを褒めてたような人間が褒めるタイプの駄作。お前、サマーウォーズとか好きそうだよな笑
女が主軸で中身の大半がガールズトークみたいな話で、あとはちょっとした作画オタクがほめそやしてるだけ。
なんか派手なライブがあって、それっぽい推しがよくわからない感動的なことしてればそれで良いという、人モドキには向いてるんじゃないでしょうか。
ストーリーもバトルも配信もダンスも全部意味ないけどエモっぽければいいっていう、舐めた作品を見て情動が動くような人って何かが欠けてると思うんですよね。何が欠けてると思います?
長ったるい俺のレビューなんて読まなくていいよ。この一言だけ覚えて帰ってください。
お前には人生がない。
何かを決めるだけで全て叶うような浅い話に共感する、夢見がちな、自分を可能性に満ちた存在だと誤解してるゴミ。
そんな人間はそれこそ早く決めるべきだろ。その価値のない人生のような何かをどうするかを。
お前には人生がない。
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