
はてなキーワード:厚生省とは
何も考えんと見るアクションコメディアニメとして見れば80点くらいだと思うんだけど、
ある種の社会風刺アニメとして見ると現代の感覚だと60点くらいかもしれない。
スタッフに言及しだしたらオタクという俺の中での線引きがあるのだがさすがに言及せざるを得ない。
大友克洋、北久保弘之、江口寿史、磯光雄、今敏、神山健治、黄瀬和哉とその後のアニメ業界を牽引、今でも第一線で監督として活躍するメンツが様々な役職で参画している。
なので(かどうかは知らんけど)、アニメーション作品としては非常によくできているし見応えもある。
アクション、コメディがバランス良く配置され最終的にちょっとエモい感じになって最後爆笑で落とす構成も見事。
主人公の一人の実験体老人「喜十郎」が最後に「お迎えが来た」と呟き、もう一人の主人公の「晴子」が「何言ってんの」と返すと、地響きが鳴り響く。外に出るとロボット化した鎌倉の大仏様が。みんなで合掌。ゴーンと鐘が鳴り響いて暗転。
作画も延々といいし、アクションも素晴らしい。アニメーション作品としては申し分ない出来だと思う。
社会風刺としても、高齢化自体は1970年代から始まっており徐々に問題視されてきていたが一気に爆発したのが1990年の1.57事件からになるので、それを1991年公開の作品で取り扱っているのはかなりフットワークが軽い。
また介護問題へのアイロニーが効いているテーマ性は現代においても他人事ではないし、老人が操作する(実際にはしてないんだけど)移動機械が大暴走し多大な被害を出すという展開は、昨今のプリウスミサイルを彷彿とさせる。逆にプリウスミサイルがある現代に生きているのでむしろ老人に対する偏見を助長するのでは?と思ってしまった部分はある。
個人的に一番気になったのは介護、看護に献身的に取り組む主人公の晴子が介護先の喜十郎をずっと「おじいちゃん」と呼び続けること。俺が福祉の現場に入ったことがあるからかもしれないけど、現代の基準で言えばかなりグレーというか、よくないとされていることなのでずっと引っかかってしまった。まぁ本人が「おじいちゃん」って呼んでくれって言ってたんなら別にサービスとしてそれでいいんだろうけど、基本は「喜十郎さん」だよなぁと。
まぁ1990年以前の価値観だとそれで問題なかったんだろうけど、なんかモヤモヤ。
あとはこの作品ってそういう内容でよかったんだっけ?と感じたのは、この作品は老人介護用全自動ロボットが老人の夢をかなえるために鎌倉の海に向かって大暴走するという話なんだけど、この原因を作ったのは実は主人公側であるという部分。
厚生省(今は亡き)が介護老人を全自動で強制介護するマシンを作成し喜十郎をモニタに選ぶ。主人公はそれに反発し、自身が勤める病院に入院していた凄腕ハッカー老人集団と結託しマシンをハッキング、喜十郎の妻の声を再現して喜十郎に呼び掛ける。その結果、喜十郎の深層心理にあった「奥さんとの思い出の海に行きたい」を汲んだマシンのOS内に喜十郎の奥さんの人格が形成され海に向かって暴走を始める。
そのOSはペンタゴンが開発した軍事転用可能なもので、介護用と言いつつも軍事技術のデータ集めに使われていたのだ!なんてひどい話なんだ!としてそのOSを提供した会社が悪役になって最終的に逮捕されて終わるんだけど、いや、これ、暴走の原因の4割くらいは主人公たちにあるよね?
俺がマッチポンプ系作品が嫌いなのもあるんだけど、すげー気になってしまった。
いや、そうしなきゃ喜十郎は機械に繋がれて生命を繋ぎ留められるだけの物体になってしまっていたわけで、やむを得ない行為だったってのは理解できるんだけど、その代償としての被害規模がデカすぎんか。
というのが一番のモヤモヤ。
こういう作品だと役所の人間って非人間的なカスとして描かれがちだけど出てくる厚生省の役員は「本当に老人の介護問題を何とかしたい」という熱意に燃えていてそこに付け込まれてしまったという形で、マシンの問題に気付いてからは主人公側で一緒に戦う展開になるというのは性善説的で非常によかった。
あと今となってはウルトラトレスマンとして永久に叩かれている江口寿史のキャラデザは素晴らしく、主人公はかわいくサブキャラに至るまでみんな魅力的。
根本の部分が公開から35年たった今見ると、ええんか?ってなるところ以外はよくできた作品だと思う。
https://www.sankei.com/article/20250928-U3QTYWDECNJTNAUJBT2BANU3ZI/
自民・高市早苗氏、A級戦犯の分祀に否定的見解 「立法府の手続きを経て祀られている」
について調べてみました。
https://www.nippon.com/ja/in-depth/a02404/
ざっくりいうと、旧陸海軍省が行っていた、戦死者を靖国神社へ祀るようにお願いする作業(祭神名票というらしい)を戦後、厚生省が行うようになった(引揚援護局→援護局)。
とはいえ、靖国への連絡は法で定められたものではなかった。そういう法は見当たらない。
法律らしいものといえば戦傷病者戦没者遺族等援護法くらいだけど、当然靖国神社の記述はない。
靖国合祀に関する厚生省の事務協力や自治体宛通知はあったそうだけど政教分離に付いての懸念から「厚生省は1971年2月、1956~70年の「合祀事務協力に関する諸通知は、廃止する」との都道府県宛通知を出している」。
そんなところですかね。
ブコメにもあったけど
https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b166167.htm
結局、救われないんだよな。
今日、ふと本気で死のうと思ったから「じゃあ一番嫌いな奴でも殺してからにするか」と思って色々考えてたんだけど、それやっても自分の心が救われないことに気づいてしまった。
俺と同じ何処かの負け組を救うとか、未来の俺と同じ運命をたどるやつを救うとか、そういうことに対してあまりにも役に立たないんだ。
法で裁けない悪を裁きたいなら法が変わることを目指すための草の根運動をするべきだし、あとちょっとで法で裁けそうな悪なら最後の一押しをねじ込む方法を考えたほうが良い。
法の外側から銃弾を叩き込んでも世の中は思ったより変わらない。
桜を見る会に参加した何百人の小悪党共はのうのうとくらしたままだし、厚生省も法務省も財務省も何も変化せず日本は続いている。
死ぬ前にやるべきことがあるとしたら「芋煮用の鍋でフルーチェを作って食うのを一人で延々と演る様子を実況して世界の本質が絶望なのか希望なのか確かめる」とかなんだよ。
ヤクを決めても死に向かうほどに終わったメンタルの中でバッドトリップするだけだろうし、誰かに復讐をしてもそいつを今流行りの「被害者という権力者」に仕立ててしまうだけなんだ。
死ぬ前に出来ることはかなり少ない。
本当に大したことが出来ないんだ。
だから、とりあえずみんな生きるんだな。
100ワニみたいに死のカレンダーをセットして薄っぺらく高尚ぶったりするよりは、「まあどうせ死ぬしな」とヘラヘラ笑いながらビールでも飲んでた方がQoLが高いわけだ。
ようやく分かってきたぜ。
これが人生なんだな。
やっぱ人生について本気で考えるなら「死ぬ前にマウントをアップしておくか」って考えるに限るぜ。
みんなもヤろう!
3月7日、石破総理のもとで提唱された高額療養費負担上限の改正案は取り下げになりました。
この改正は低所得者の負担上限が殆ど上がらない反面、高所得者の負担が大きく増加するため不公平であるとの反対がありました。
また、高所得者といっても年収1000万円程度で月の負担額が25万円ほどになると治療を諦めてしまう恐れが強いとの反発も多くあがりました。
さらに、高額療養費負担上限は70歳以上と未満で別れており、また収入によっても細かく分類され複雑な制度となっています。この分類のなかで負担額を大きく増やされるのは現役世代であり、医療費の大部分を占める高齢者の負担額を増やさなければ医療財政の根本的な改革に繋がらないとの指摘もありました。
ただ一方で、現行制度のままでは行き詰るのは明白である医療制度を現実的に改革していく動きとして肯定する意見もありました。
公平性が一つのテーマでした。近年の急速に進む円安やインフレを危惧する向きから財政規律を重視する人たちは増えています。しかしそのような人たちの間でさえ、この改正には反対する意見が多かったように見受けられました。それにはこの改正が、高齢者ばかりが優遇されているように見える"現役いじめ"として受け止められた側面がありました。
しかし、公平性とは一体何でしょうか?それはおそらく人によって異なります。医療に頼らなければ生存を脅かされる状態にある人にとって負担上限を大きく引き上げられることはほぼ死を意味します。そしてそういう状況の人は明らかに高齢者ほうが多いでしょう。(もちろん高齢者に対する無意味な医療は山程あります。しかしテーマでないためここでは一旦脇に置いて下さい。)彼らからしたって、金が無いから命を諦めろと言われても簡単には受け入れられないのもわかります。
なぜ自分が死ななければならないのか?そんなの不公平だ。そう感じるのはとても自然なことです。
たとえ医療制度の持続性を高めることが結果的により多くの人を救うことがわかっていたとしても、目の前の命を諦めることは簡単ではありません。
また、完全に公平な制度を作ることは現実的に不可能です。民主主義は数の力で決まります。高齢者が多数を占める日本で高齢者に優遇された制度になってしまうことをある程度受け入れなければ、実現しない目標をただ追い求める空虚な理想家になってしまうでしょう。そういう人、多いですよね。
今回の改正が取り下げられたことが良かったのかどうかは判断の分かれるところです。
ところで今回の高額療養費負担上限の改正は、半世紀近く続く医療財政の立て直しの一環でした。
1973年、田中角榮内閣は70歳以上の高齢者の医療費を無料にしました。1960年岩手県沢内村で老人医療費無料化が日本で初めて実施され、その後1969年には東京都でも無料化されるなど全国的な老人医療費無償化の流れを受けてのものでした。
しかし1973年から1978年の5年間で医療の受診率は1.8倍、医療費は約4倍に跳ね上がり、過剰受診が問題になりました。財政負担は深刻化し、見直しの機運が高まりました。
1982年自民党の鈴木善幸内閣において老人保健法が制定され83年から高齢者の自己負担が再開しました。それは外来で月400円、入院は月300円という少額のものでしたが、その後84年には健保加入者は1割負担となりました。
そこから長く停滞して、17年後の2001年小泉内閣では原則1割負担に、2008年麻生内閣では後期高齢者医療制度が始まり75歳以上は独立した医療制度になり現役並みの所得がある人は3割負担となりました。
更に14年ほどして2022年岸田内閣で、200万円程度の収入のある人は2割負担へと変化していきました。
これらの改革が全て自民党政権時に行われていることは興味深く感じますね。
このように、医療財政の逼迫に対して蝸牛の歩みで対応してきた歴史があります。なぜこれほどまでの長期間が必要だったのでしょう。
いきなりですが、TVアニメ機動戦士ガンダムの有名なオープニングをご存知でしょうか?
ガンタムではまず、「人類は増えすぎた人口を宇宙へ移民するようになった」というナレーションから始まります。
機動戦士ガンダムが放送された1979年から1980年、人々の関心の中には少子高齢化など微塵もありませんでした。代わりにあったのが人口爆発。人が増えすぎて食料不足になると危惧されていたのです。
しかし、1970年代には既に合計特殊出生率は低下してきており、1974年には人口の維持に必要な2.0を切っていました。
この統計データは当時から普通に公開されていましたが、将来の少子高齢化を予測していたのはごく少数でした。我が国の厚生省、人口問題研究所は優秀なことに1974年には人口長期予測のなかで21世紀初頭の少子高齢化を予言していましたが、その言葉が一般化するのは1990年代を待たなければなりませんでした。
統計データが少子高齢化を正しく予測しても、その事実が広まるまで15年以上かかったことを考えると、高齢者偏重の医療制度の改革が40年以上かかっていることもおかしな話ではないように見えます。
ところで1974年は今現在2025年の51年前です。現首相石破総理は68歳。当時は17歳でした。ちなみにアメリカのドナルド・トランプ大統領は78歳で石破総理の10歳年上です。
トランプ大統領は貿易赤字解消を掲げ、関税や多国間協定を行おうとしていますが、これは当時経済大国として台頭してきた日本を押さえつけた80年代のプラザ合意の感覚です。
高齢の政治家のなかには自身が活躍していた時代の感覚がいつまでも抜けず、時代錯誤を起こしている場合がありますが、トランプ大統領はその好例(高齢だけに)のように思えます。
それは政治家だけでなく有権者も同じでしょう。現在の高齢者のなかに少子高齢化を知らない人間は居ないと思いますが、感覚として重大なものと感じている割合は若者に比べて少ないはずです。それを変えていくことはなかなかに難しいだろうなぁとトランプ大統領の頑なな態度を見ても思います。
私は政治家の若返りは医療制度の持続性を高める上で、解決策になるとまでは言わないまでもベターなことだと思っています。
高齢者偏重の医療制度がなかなか改革できない原因はその数の力にあり、シルバー民主主義と呼ばれています。
これを少しでも正そうとするならば若者の投票率を上げるか、高齢者の投票率を下げるかの2つしかありません。
若い政治家の言葉のほうが若い有権者に届きやすいのは自明です。同じ時代に似たような感覚で生きてきた人のほうが、自分たちの境遇をより理解していると期待できるからです。
逆に高齢者は若い政治家の言葉などに耳を傾けることは少ないかもしれません。若い政治家が活躍するようになると高齢者の投票率は下がるのではないかと思います。
若い政治家が増えたほうがシルバー民主主義が緩和する可能性が高いと言えるのではないでしょうか。
最近の国民民主党やれいわ新選組支持率の伸長をみると、SNSの活用で多くの高齢政治家よりも若い(玉木雄一郎は55歳、山本太郎は50歳)政治家の躍進が目立ちます。彼らの政策には現実味のかける部分が多く混乱(財務省解体デモなど)の原因あるいは遠因となっている面がありますが、投票率の低い若年層を投票に促している点では有意義と言えるでしょう。
前述の通り、高齢者の医療負担増加を実行してきたのは自民党です(老人医療費を無償化したのも自民党ですが)。
それが支持率低下を招くことは百も承知でしょうが、それでもなんとか通してきました。
もしも今よりも若者の投票率が高ければ、ここまでの改革に40年もかかっていなかったかもしれません。
先の衆院選から自民党の凋落が止まりませんが、自民党が存在感を完全に失うほど弱体化する未来は今のところ見通せません。であるならば自民党自体に変わってもらうことは日本のシルバー民主主義を食い止めるために有効であると言えるでしょう。
SNSの普及にあわせて公職選挙法を改正していくこと。そして政治家がSNSを上手く使いこなすようになること。これが出来れば若手の政治家が増えていくのではないかと思っています。
SNSの扇動に踊らされて財務省解体デモに繰り出す人たちを境界知能と呼ぶのはその通りなのかもしれないけれど、そもそも知能は正規分布するものであり、知能の高い集団もいれば低い集団もいるものです。
先程年齢の近い政治家の言葉のほうが届きやすいと言いましたが、おそらく知能においても同じでしょう。
高い知能集団に属する一部の人の考えを、低い知能の集団に伝播するために必要なのは、大多数を占める知能が高くも低くもない普通の人たち(自分もここに属すると思っています)かもしれません。
とかく相手を罵倒しがちなSNSで分断を融和に変えることはひょっとしたら不可能なのかもしれませんが、だからといってこのまま分断していくに任せるというのも違うと思います。
罵倒や嘲笑を自制する道徳のようなものも必要なのでしょう(自戒)。
地球全体で見たら、合理的で多角的な視点を含んだ考えを上から下まで国中に速やかに伝達していく競争が始まっているのかもしれません。
この点では恐らくどの国も横並びでしょうから、"日本人は礼儀正しい"と自認している我々がその本来の国民性を発揮していくことを期待します。
と演説したギレンは惨敗しました。この過激なセリフは多くの視聴者の記憶に残り、今でも時たまネットスラングで利用されるほどです。一方彼の父親はギレンほどの名言を残しませんでしたが、あのとき連邦と和平できていればララァも死なずに済んだわけです。
ギレン型の言説で目立つことばかりが持て囃されるSNSに対し、疲れている人も多いはずです。
穏健でつまらない話を欠伸しながら語り合うほうが、実は平和で良いのです。
多くの普通の人たち、とくにSNSで沢山フォロワーを抱えたりしていない人たちはぜひそのままでいるべきです。なんだか世の中には他人のフォロワーが少ないことを馬鹿にするひともいますが、私はそのままで良いと思います。
ただ、もしSNS上で愚かな言動をしている人をみかけても罵倒や嘲笑をせず、どうしても目障りならミュートやブロックをして関わらないようにするだけでもいいと思います。
仮に鋭い罵倒や皮肉で多少耳目を集めることが出来たとしても、砂浜に描いた落書きのようにすぐネットの海のなかに消えていくだけです。
相互理解や変化に繋がっていくことは無いでしょう。
と、つまらない話しかできずネット上で目立つこともないことへの自己弁護をしてこの長々とした話の結びと致します。
もし読んでくれる人がいたとしたら、ありがとうございました。
新光三越の爆発、結局ガス漏れはなかったのにフジサンケイや文春のように当初「ガス漏れか」と報じるという誘導屋のような報道社がある
一体誰得?
訪問先候補は、笹川記念財団の場所、金融軍の本拠地、虎ノ門が一つ(左翼テロ虎ノ門事件の地)
倉庫は埼玉県所沢、三越伊勢丹ビジネス・サポート(旧陸軍所沢飛行場)
協和物産が併設(旧三井物産、厚生官僚系 ※)、参加団体の東京経営者協会(旧関東経営者協会、旧日本経営者団体連盟)は2009年経団連ビルに移転
いったん化学兵器が作られれば、後には公的権力組織から莫大な廃棄処分予算が割り当てられ、100年は安泰だ
東京文理科大学は1922年に発足し、外務省は今でも遺棄兵器処分予算を計上(自衛隊予算ではない)
※戦災復興院終戦連絡事務局特別調達庁・厚生省・都庁・その他の諸官公庁の購買物資の取得、保管、包装、配給等の業務を担当していた、復興資材課長 兼厚生物資課長萩原篤志を中心に有志職員参加の下、昭和23年12月に創立
https://note.com/ideal_hyssop8446/n/n1d1d3640ab8a ”「化学物質過敏症」の伝え方自治体掲載の「厚労省研究班のパンフレット」は厚労省の見解とは全然違う ”
で、厚生省研究班のパンフレットの内容を厚労省が承知していないということなので調べてみた。
パンフレットに厚生省、あるいは厚生労働省のロゴが乗ってない。そして出版社は新企画出版というところらしい。
http://www.cssc.jp/cs_shiryo_p.pdf
出版社が書かれているのに、厚生省のロゴがないのはお役所仕事としては違和感がある。
会社違いの可能性があるけど検索でヒットしたところは国の仕事を請け負うようなところには見えない。(天下りの可能性は知らない)
経歴については「北里大学医学部長」「厚生省長期慢性疾患総合研究事業アレルギー総合研究班」には偽りがないと思う。
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002682452
過去形なのはもう鬼籍に入られているからです。北里大学のお知らせにもありました。
http://jsce-ac.umin.jp/200725/files_jjce/31-1/jjce31-1_04.pdf
https://www.env.go.jp/chemi/anzen/mcs/mcs.html
https://www.env.go.jp/chemi/report/h17-06/03.pdf
https://www.env.go.jp/content/900406393.pdf
現時点では
「環境中の微量な化学物質のばく露によって多様な症状の誘発や増悪を訴える本態性多種
化学物質過敏状態(以下、「いわゆる化学物質過敏症」と言う。)については、実際に健康影
響を訴える集団が存在しているにもかかわらず、病態や発症メカニズム等未解明な部分も
多く、その科学的知見を基盤とした実態はよく分かっていない。」
ということらしいです。
北里大学の坂部貢という方は、石川哲氏が立ち上げた日本臨床環境医学会の現会長であります。
http://jsce-ac.umin.jp/200725/jsce04.html
終わりに
文科省に予算を要求する能力が遺憾ながら欠如しているのはいかんともしがたい。
だから、予算要求とか審査とかのプロセスは全てやめて、代わりに文科省が必要だと言った金額を無条件で拠出するのがいいだろう。そういう枠を作るべき。
その上で財務省の役人が文科省に天下りするべきだと思う。少し、指導が必要だ。
教育もそうだし、創価・統一の件でも、文化庁に強制捜査権を付与するとか、場合によっては武装を許可するなど骨太な対策が求められている昨今において、とにかく文科省の職員の力不足を補う施策がないとヤバい
小学校の半数の設置を厚生労働省に移管することも考えられる。保育園の進化としての小学校があってもよいだろう。これで守られる児童も多いはず。国立大学の、医学系衛生系のやつも厚生省に移管できる。農学水産の一部は農水に吸収させて、工学部も一部経産省かなんかに監督させる。これで文科省の仕事を減らす。
文科省は職員の能力が低い。これは仕方ない。しかも、普通に考えて今より優秀な奴を採用できるようには今後ならない。だから文科省の仕事は減らして下駄も履かせる。それで仕事のクオリティを確保する。とにかく文科省の低い能力の犠牲に児童がなるのはあまりにも失うものが大きすぎる。
まぁすげー気にするほどの影響はないんだが
生卵の白身に含まれている成分が納豆のビタミンの吸収を阻害する働きがあるので
白身を避けて黄身だけ入れるか、温泉卵にする=熱を通すことで成分が変質するので
アミノ酸スコア100の優秀な卵のたんぱく質の多くは白身の部分に含まれているので
捨ててしまうのはもったいないので温泉卵にしておくのがベターかな、と。
卵は昔はなんかよくわからんけど1日いっぱい食べると健康に悪い気がすると言われていましたが
今では厚生省も「卵1日の摂取量を上限1個にする明確な理由ないわ」と上限設定を撤廃。
バカみたいに卵だけで全カロリーを賄うといった食べ方をしないのであれば
毎日2,3個程度食べる分にはむしろ健康にいいという研究結果もあります。
【追記】
納豆のビタミンの吸収を阻害するのはアビジンというタンパク質の一種。
ビオチンというビタミンB群の水溶性ビタミンと結合してしまうことで、ビオチンの吸収を阻害します。
80℃以上の熱で変質するという報告がありますが、時間等は不明。
そっとして欲しい
けど、それだけでは世の中は進まない
他の誰かが犠牲になってくれて初めてそっとできるんだ
でもミスリードをする人がいる
そっとして欲しい立場の人間はこうやって匿名でしか発言できないから
発言が弱すぎる
罵倒する言葉だけでなく養護する側にも違和感が増していくこの流れに色々書き記したくなった
(本題に入る前に)
厚生省トイレ訴訟の判決については以下のツイッター連続投稿に詳しいので一度目を通して見て欲しい
https://twitter.com/KvN_DSsub08/status/1678688770873524224
ryuchellさんに対して例えば
「男なのに女みたいにして女に近づいて女と子供作っといて男が好きで女になりたいなんて虫が良すぎる」
という論調
言いたい事はわからないではないが
そしてその事に対して子供の頃からずっと思い悩み揺れ動いてきている人生
それこそ成人するかしないかの時期までに
人間の身体は胎児の段階でもともと女の状態から始まりY染色体を持つと
蟻の塔渡りと言われる男性の股にある線は割れ目が閉じた跡であったり不要な乳首が残ったりするのもそれ
何かしらの機能を特化させていく
適合手術をせず男性っぽく過ごしていても特に咎められる事がない前提もあるが
手術をしたらわざわざ言わない限り気付かれる事は無いケースが非常に多いからである
当事者同士というのは普通の人の目線よりも遥かに見分けが付きやすい独自の感覚がある
言われてようやく言われてみれば…の域なのだ
身長が高くなってしまった人はどうにもならないし、他の部分にしたって
整形でどうにかするには性別適合手術と合わせてとてつもない額になる
そのうえ1度やってお終いでもない
ただでさえそこにいたるまでの美容費や時間も女性より多くかかる上に
性別違和がある人間がそれを超えて大金を貯めるために稼ぐというのは
大企業への就職を目指すにしても健常者には見えない精神負担の場面が多い
(風俗など身体を売ればいいじゃないかという事を軽々しく言う人は相手をするに値しないが
仮にそこを考えても女性が風俗をするよりも収入はずっと低いし、それは水商売も同じ)
中には「LGBTの人には特殊技能がある人が多いから良い」というのを言う人がいる
これは順番が違う
特殊技能の世界でしか生きられないからその中でどうにかするしかないというのが現実
特殊キャラでの方が稼げる人はごく一部な上に、自分を犠牲にする比率はより高い
性別適合手術だってそもそも生命の危険を伴うケースも少なくはない
手術自体に成功して戸籍も変更できてこれですべて完了したと思っても
元男という事実は消えないし、そこまでやってもどうにもならなかった骨格などから
「やれることをすべてやったのにこんなではもう無理」として自殺を選ぶという気持ちも
性別適合化は早ければ早いほど良いがとにかく難しい
親にどう話すのか
理解は得られるのか
友人知人にはどうするのか
こういった事をすべてクリアしてようやく社会的にスタートラインに立てる
でもそのスタートラインには同じ世代は既にスタート済みでもう次の世代が立っている
そういうのはトランスじゃなくてもあるだろうと思うかもしれない
それは当然そうなのだけど
トランスだから増える選択肢なんてものはそもそも突飛な芸能人枠しか無い
以前LGBTアライと言われる理解者と言われる人達の出演するラジオに
そのメールには「性同一性障害を患っている」という書き方をされていた
その人達は恐らく悩む事はないという感覚で「患っているって!www」と笑い
そんな身体を五体満足などと思えない
子宮も卵巣も無く乳房が無く異常に男性ホルモンが多い女性としたらそれは疾患であると言えるのではないか
いっそ病気であると捉えてくれた方が精神的に救われる当事者もいるはずで
その上で様々な苦しみがあって
ずっと答えが出なくて
その悩みを和らげてくれる素敵な恋人ができたとしても
恋人でさえも解消しきれない悩みや闇があり続けてしまう事も心苦しければ
その上苦しくても前を向いて明るく生きる事を求められる職業だったryuchellさんの
早くに適合化した人の本を読んだ事があるが
だからこそこういう人もいるんだなとスルーしてくれればそれでいい
それに扇動されてしまう当事者達のせいでスルーしづらくなっているのもまた理解できる
私もその活動に関してはハッキリ言って困っている
そして冒頭の意見になる
ここまで色々語っても
という点についての話はまだできていない
「自分の性別に違和感があるならそもそもセックスなんて気持ち悪いと思うのが当然だろ!」
という当事者でもないから体感したことが無いのに当然と言い放つ人が多いのもまた難しい
トランスだろうとなんだろうと、性欲というものは男女と等しくある
そしてそれは繁殖を意図したものではなく、単に気持ちよくなりたいというのも大きい事は
ペニスは女性器のクリトリスが肥大化したものである事はご存知だろうか
女性と挿入を伴う性行為をしているという話は意外とあったりする
性別を考えず”人”として捉えるのであれば
あくまでも快感の伴う棒状の部位を刺激して性感を伴う行為をしているだけであり
そこに男女という概念を見出さない者同士で行われるセックスというのは
そういう相手とのセックスは一時的に自分の性別がどうでもよくなれる素晴らしい瞬間でもある
そういった悩みを和らげてくれるような恋人に対してなら
男女としての行為を超えて
人と人として愛し合いながら気持ちよくなるという幸せを得たとして
その親がどう示せるのかにかかっている
私の親の片方はメディアに出ていたりもした
良くない報道があった事もある
その事を自ら人に話すことは無いのだが
知る人は知っている
目の前でそれを知らずに「あの人嫌い」という
話された事もある
昨今不倫報道なり色んな事があるたびに「子供が可哀想」という意見が出る
当事者側として思うのは
その親と私は当然違う人間でまともな人ならそれはわかっているので
わざわざ触れてこようともしないし
寧ろ気を使わせちゃってごめんね!
それにメディアの姿はメディアの姿であって自分が親と思っている姿とも違う
子供の頃からずっと一緒に住んでいないしたまに会う事しかないが
大人になって仕事をする姿としてようやく同一視できるようになったぐらい
逆に便利といったぐらい
ありがたく思うまでに留めておけと思う
どちらの話にしても結局
で全て片付く話なのだ
お前は違うだろうと他の当事者に思っている人間だって中にはいる
私もryuchellさんと近く
子供は成していないが
適合手術については一生悩みながら
今も生きている
その上でこんなに長く書いてもまだまだ独自の尺度について僅かしか触れられていない
全てを理解してくれる恋人と出会えるかどうかは大きな鍵だと人生を振り返って思ってしまう
その事さえ申し訳なく思う
pecoさんはもし別れなければと思ってしまうかもしれない
そしてそう思うであろう事はryuchellさんだってわかること
そう思わなかったのかという意見もあるかもしれないが
それもまた尺度が違うのだ
私は男にも女にもなりきれず
一旦女にならない事を選んだこと
結果それが苦しくなったけどどちらを選んでも苦しかったであろうこと
男子制服を着ててもスラックス選択できるなんていい学校だね!と他校の女子に
言われるぐらいにはその頃まではまだ後の苦しみに気づけずにいた事
ryuchellさん