
はてなキーワード:即物的とは
https://x.com/iototaku/status/1982452974652973064
こんなん見たので書いてみる
あとポリタスって初めて聞いた
今のスペック
・28歲
・男
・地方民
・その辺のIT系
・キモオタのオタ抜き
・爺さんから兵士として戦争に行った話を聞いた。爺さんの所へ遊びに行くとたまに戦時の話をしてくれて、二度と戦争だけはしてはいけないとよく聞いた。ちなみに爺さんの孫の中で自分が最年少(爺さんと自分は72歳差)でめちゃくちゃ可愛がってもらえた。
・小学校6年の時深刻ないじめにあって対人恐怖症になる。本気でいじめをなくす方法を考え、人に優しくするしかないと思うようになる。
・小学校(中学だったかも)で権威主義的なめちゃくちゃ怒鳴る教師がいて、強い立場の人に権力を持たせるのは良くないと思うようになる。もしかしたらこいつのせいで病んだかもしれん。
・知的好奇心がかなりあり、いろんな学問に興味がありよく図書館に行ったりしていた。受験勉強みたいなのは興味がなくてほとんどやらなかったが、知的好奇心だけで大学受験を乗り切る。
・大学(地方国立理系)でいじめの記憶が尾を引いていたのか精神疾患になる。なんとか卒業。しばらく療養 (訳あって就職留年はしていない)
・既卒で拾ってもらってITエンジニアになる。ワープアじゃないくらいの給料は貰っている
・世間にあまり興味がなくて、年収を上げたいとか学歴を上げたい見たいな思想がほぼない。
・書籍みたいな媒体がすきで動画はあまり見ない。漫画はよく読むけどYouTubeはほとんど見ない。
・社会問題に関してはどうすればみんな幸せになれるんだろうって考える
・自分の知的好奇心を満たすための自由な時間こそが一番大切だと思っている。時間拘束が嫌いなのでできれば働きたくないが飯を食うために仕方なく働いている。
「なぜAIをフル活用した漫画やゲームで名作が生まれないのか」
この問いは単純に技術的成熟の不足で片付けられる話ではない。むしろ、構造的に名作を阻む要因が複数重なっている。
第一に、AI生成は「即物的に目を埋める」能力は高いが、「文脈を貫く」能力が欠落している。漫画やゲームにおける名作とは、単発の美麗イラストではなく、世界観・キャラクター・物語・演出といったレイヤーが相互に絡み、時間軸を伴って積み上がるものだ。
現在の生成AIは局所的な表現を繰り返すことはできても、数百ページに及ぶ漫画や数十時間に及ぶゲーム体験を一貫性を持って構築することはできない。
結果、出力物は「AIっぽさ」という断片感を帯びる。
第二に、Vibe Coding との違いが決定的。
人間が検証しやすい。そしてAIコードの断片は容易にテストできる。
一方で絵や漫画は「良さ」の基準が数値化されにくい。線の味、構図の妙、物語と画の呼吸
―これらは自動検証できない。だから人間の眼が常に判断に介在する。
ここで「AIに7〜8割を委ねる」と、むしろ編集負荷が爆増する。
第三に、創作者の問題がある。AIを積極的に導入する層は「絵を描けない人」が多く、技術を持つ絵師はむしろ警戒的・懐疑的。
そのため、Vibe Painting 的な理想形がまだ現実化していない。これは技術の限界と同じくらい、文化的抵抗の問題でもある。
結論を言えば、「まだAIが名作を生める域に達していない」ことと、「絵師がその能力を使い切れていない」ことの両方が重なっている。
AIは量を生むが質を繋げられない。人は質を作れるがAIの出力を束ねる設計に熟達していない。名作が不在なのは必然。
問いを裏返せば、真に可能なのは「AIを大量の下書き係に落とし込み、それを人間が徹底的に編集する」体制だろう。
つまりAIは画家ではなく「千人の徒弟」であり、それを統御できる親方がいなければ名作には届かない。
さて、もしあなたがこの親方役に立つとしたら、AIを7割任せるどころか、9割を粗材として生ませ、最後の1割で全てを作り直す覚悟がいる。
経歴
ルー・リード(1942-2013)は、ロックミュージシャン(シンガーソングライター、ギタリスト)。
ニューヨーク郊外で会計士を営む実家に生まれ、シラキュース大学では英米文学を専攻し、伝説的な作家デルモア・シュワルツに師事しながら、ギターを持ち、B級レコード会社のために流行にのったヒットソングのパクリのような曲を提供していた。
この頃、同性愛(極度のホームシックによる鬱症状という説もある)治療のために家族の手配で電気ショック治療を受けさせられる。
1964年に伝説のロックバンド「ヴェルヴェットアンダーグラウンド」のメンバーとしてデビューし、ショッキングな歌詞と前衛的な演奏でカルト的人気を博した。
1970年代にはソロに転じ、前半はデヴィッドボウイのプロデュースした「トランスフォーマー」で、グラムロックの代表的ミュージシャンとして活躍した。お笑い芸人「HG」のルックスはこの時期の彼に影響を受けている。
徐々に黒人音楽に傾倒し70年代後半はドンチェリーらと組んでフリージャズとファンク、ラップのような歌が合体した奇妙な作品を出し、軽い混迷期に入った。
80年代以降はシンプルな4ピース(ギター×2,ベース、ドラム)の骨太の演奏に語りのようなモノトーンな歌い方を乗せる方法論が定着し、「ブルーマスク」「ニューヨーク」などとっつきづらいがくせになる名盤を作った。
その後セールスは低迷し、本人も70年代後半のような実験的・音響的な方向に傾倒し、2000年代中盤以降新作はリリースされず、2011年に突然、スラッシュメタルの大御所メタリカと共作アルバム「ルル」を作ったが、長尺でラフな演奏にメロディがほとんどない歌声が乗る(しかも一曲が長い)作品は、特にメタリカのファンから酷評された。2013年に肝臓癌で死去。
作品紹介
この詩集は生前に発表された唯一の詩集(多分)で、彼の歌詞と、雑誌に発表した詩・記事からなる。
詩の魅力
ボブディランのような多義性・はぐらかしや、レナードコーエンのような崇高さとは異なり、ルー・リードの歌詞は明確、即物的・客観的で、感情を乗せない、観察者的な視点が特徴である。言葉遊びも少ない。
テーマはショッキングなものが多いが、それが詩の構造・精神にまで侵食せず、あくまで象徴として機能しているのが魅力で、それゆえ、声を張らなくても、メロディを工夫しなくても(楽曲のほとんどが2~3コードで作られている)、演奏を盛り上げなくても、聞き手に迫る。
薬物
代表作「ヘロイン」は文字通りヘロインについて歌った作品であり
「ヘロイン/ぼくの死であれ/ヘロイン/ぼくの女房でぼくの人生」
と、その表現は率直で容赦ない。
ただ、ヘロイン自体の直接的・具体的な描写はなく、これは読み手(聞き手)には、自分が愛着をもち、人生の代替となる「何か」と置き換え可能な普遍性を持つ。
「ぼくは彼女がスコットランドの女王メリーだと思った/ものすごく努力したのに/まったくの勘違いだとわかっただけ」
と、ここだけ読むと幼稚なほどロマンチックな失恋の歌なのだが、最後に
と突然血なまぐさくなる。
一見強面・ハードな印象のある作者だが、薬物以外に拘りがあるのが「家族」で、例えば、
「おふくろに恋人ができた」という歌は、
「おふくろに恋人ができた/昨日やつに会ってきた/おふくろが新しい人生の1ページを始める/やつとの関係が早く終わってほしい」
「妹へ」という歌は
「元気が無いって自分でもわかっている/このところ調子が良くないからな/でも信じてくれ/ぜんぶおれのせいだ/おれはずっと自分の可愛い妹を愛してきた」
とストレートな愛情を歌っている(妻を歌うときにこのような率直さはない)。
79年のアルバム「ザ・ベルズ」は控えめに言っても駄作だが、最終2曲が秀逸で、
「おれは家業なんていらない/あんたが死んだってそんなもの継ぎたくない」
「パパ/こうやって訪ねたのは間違いだった」
と歌う「家族」(ルー・リードは父親を憎む発言を繰り返し、生前最後のインタビューでも「親父はオレにそんなクソ(注:ギターのこと)はよこさなかった」で締めた。)
に続き、
「宙を舞い/体をつなぎとめるものもなく/宙を舞い/膝から地面に落ちた時/パラシュートなしで公演するのは/あまりかっこ良いものではなかった」
と夜のブロードウェイでの飛び降り自殺を描く「鐘(The Bells)」で終える。
好きな理由
露悪的ではあるが、情緒に頼るところはなく、自分のことを歌っているようでもどこか第三者的な目線を感じる。その透徹したところが魅力で、苦しさややるせなさを抱えていても、読むと「ふわっと」自分から離れられる不思議な癒やしが感じられる。
自分の気持ちを抑えられないほど悲しいときや辛いときに読むと、不思議な浄化作用を得られる。
自分が好きな歌詞は、本当に悪趣味なのだが、「黒人になりたい」という歌で、
「黒人になりたい/ナチュラル・リズムを身につけて/6メートル先まで精液をとばし/ユダヤ人のやつらを痛めつけてやる」
という、人によっては噴飯ものの歌詞だが、リズムの良さと話題の飛躍に、どこか英雄に憧れるおとぎ話めいたユーモアがある。
そして、ルー・リードがユダヤ系アメリカ人であることを念頭に置くと(そして、本人がそのことを歌で一切明かさないことを含めると)、この人の自虐性とユーモア、という側面も見えてくる。
読み手/聞き手によって評価は異なるが、自分にとっては、「毒」を浄化してくれる「毒」(=解毒剤)だと思います。
以上
参考資料
(書影)
https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309257501/
(楽曲)
(heroin)
https://www.youtube.com/watch?v=yN-EZW0Plsg
https://www.youtube.com/watch?v=mEuShdchzkk
(families)
https://www.youtube.com/watch?v=JXbu4z2kc6s
(I wanna be black)
https://www.youtube.com/watch?v=H-ksg_ZVn8s
(sad song)
https://www.youtube.com/watch?v=QG_ooIR0DTY
https://www.youtube.com/watch?v=ZbOG-2ahx4w
(the bells)
1人の人間が経験できる量はたかが知れてるから本を、小説を読めという理屈があるが、
以下は「賢者は歴史から学ぶ愚者は経験から学ぶ」で済むことをくどくど言ってるだけのことになってるかもしれないか書き捨て。
まずねえ文章ってだけでもどうしたって、実際に痛い目を見て、その原因が馬鹿でも直観的にわかることで、次からはそれと反対の事をするようにしようって学習の仕方には印象の強さ的にかなわない、残らないってタイプの人はいるんだよ。
しかも小説となってくるとそれは直接自分の生き方なり仕事なりに応用できる形に書いてあるわけじゃないじゃん、理工系の専門書と違って。
自分で応用の仕方を考えられない人にとっては無用の長物じゃないかなあ。
なんにしたって自分みたいな即物的な人間が何十年本を読み続けたって、実際にできるようになりたい仕事で数か月失敗を重ねて怒られて怒られるんのが嫌でうまくなっていくというよりも一切自分を成長させない(手続き記憶が社会に適応されるように強化されない)とは思う。
小説は「怒ってはくれない」しなあ。レスバしたときの相手の発言のほうがまだインパクトがあるまである。
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大切な物をを壊すことか? 秘密を暴き、名誉を地に堕とすことか? あるいは、もっと即物的な――殺人か。
これらの復讐で溜飲が下がる人もいるだろう。
影響を与えられるのはせいぜい1人か2人。
幸福な人々全体に対しては何の効力も持たない。
だが、もっと確実で、全体に影響を与え、合法的なやり方で成し遂げられる復讐がある。
極端な主張を掲げる政党がいくつか現れている。
選挙に行き、彼らに票を投じることで、社会は両極へと引き裂かれていく。
極端な声がひとつ上がれば、すぐにその逆側から、もっと激しい声が飛んでくる。
やがて互いは、理解されることより、潰すことを目的としはじめる。
対話が意味を失えば、次に何が起きるか――それは、ここでは言うまい。
ただ一つ確かなのは、
帰る家がある者も、愛する人がいる者も、仕事が好きな者も、食を楽しめる者も、趣味を楽しめる者も、過去を肯定できる者も、今を楽しめる者も、未来が楽しみな者も
行くべきだ。
選挙へ。
一票を投じるだけでいい。
今この一票は、まだ何も変えない。
大切な物をを壊すことか? 秘密を暴き、名誉を地に堕とすことか? あるいは、もっと即物的な――殺人か。
これらの復讐で溜飲が下がる人もいるだろう。
影響を与えられるのはせいぜい1人か2人。
幸福な人々全体に対しては何の効力も持たない。
だが、もっと確実で、全体に影響を与え、合法的なやり方で成し遂げられる復讐がある。
極端な主張を掲げる政党がいくつか現れている。
選挙に行き、彼らに票を投じることで、社会は両極へと引き裂かれていく。
極端な声がひとつ上がれば、すぐにその逆側から、もっと激しい声が飛んでくる。
やがて互いは、理解されることより、潰すことを目的としはじめる。
対話が意味を失えば、次に何が起きるか――それは、ここでは言うまい。
ただ一つ確かなのは、
帰る家がある者も、愛する人がいる者も、仕事が好きな者も、食を楽しめる者も、趣味を楽しめる者も、過去を肯定できる者も、今を楽しめる者も、未来が楽しみな者も
行くべきだ。
選挙へ。
一票を投じるだけでいい。
今この一票は、まだ何も変えない。
大切な物をを壊すことか? 秘密を暴き、名誉を地に堕とすことか? あるいは、もっと即物的な――殺人か。
これらの復讐で溜飲が下がる人もいるだろう。
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幸福な人々全体に対しては何の効力も持たない。
だが、もっと確実で、全体に影響を与え、合法的なやり方で成し遂げられる復讐がある。
極端な主張を掲げる政党がいくつか現れている。
選挙に行き、彼らに票を投じることで、社会は両極へと引き裂かれていく。
極端な声がひとつ上がれば、すぐにその逆側から、もっと激しい声が飛んでくる。
やがて互いは、理解されることより、潰すことを目的としはじめる。
対話が意味を失えば、次に何が起きるか――それは、ここでは言うまい。
ただ一つ確かなのは、
帰る家がある者も、愛する人がいる者も、仕事が好きな者も、食を楽しめる者も、趣味を楽しめる者も、過去を肯定できる者も、今を楽しめる者も、未来が楽しみな者も
行くべきだ。
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一票を投じるだけでいい。
今この一票は、まだ何も変えない。
実家の杏の枝が隣家に張り出してしまった。梅雨の時期になると、この枝に実がつく。一本の枝に二つ三つという次元ではなく、何かが炸裂して狂ったように生る。
枝が隣家を侵犯しているから、実も隣の敷地に落ちる。迷惑になるから枝を打つことになった。実家の両親は70前後でも全然元気だが、さすがに炎天下に木に登って作業させられないので、先週、たまたま実家に戻る機会があって俺がやった。
今年の梅雨はどこかに行ってしまって、土曜は連日の晴天の何日目かだった。腰に下げられる蚊取り線香と帽子、軍手とノコギリを装備して杏の木を登った。
…
木登りなんて子どもの頃以来だ。いま40手前なので、かるく20年はやった記憶がない。木の表面を蟻んこが忙しく行き来している。虫は平気なので嫌ではないけど、軍手で覆いつぶしてしまうのは気の毒なので、どこに手を置くかふらふらするから、手つきが結局危なっかしくなる。
蟻に気を遣って落下、重傷とか不随じゃシャレにならないな、と思いながら木を登って、打ちたい枝にノコギリを入れるのに適当なポジションを探す。特に肥沃でもないだろう庭の一画に適当に植えて何も施していない杏が、なんでこれだけの栄養を吸い上げることができるのか。発狂したように生った橙色の実もそうだが、樹皮のあちこちから樹液が吹き出してコハク色のかたまりになっていた。
…
酒に漬けるために、実もできれば無傷で回収したい。下には母が待機していて、俺が手の届く範囲でもぎった実を拾ってくれる。なんとなく、ものすごく幼い頃に読んだ『やまなしもぎ』という昔話を思い出す。あれも母親のために子ども(たち)が大きな木に登って果物を取る話だった。
あの実にも手が届きそうだ、という感じで茂った枝葉の中をかき分けるので、木の表面を行き来している蟻だけじゃなく、住み着いていた虫どもが慌てて活発になり、視界の端っこでちらちらする。カメムシとか。ヨコバイの幼虫とか。こいつらはたぶん、植物の汁を吸って生きている。
ザワザワうごめく無数の生命。ほのかに杏の甘い香りがする。もうこの一本の木が一つの世界だな、と思う。住人がいて資源があり、交通がある。そういう生態系。
たぶんこの思い付きは、たまたま読んでいる本で複雑系の話が出ていたところから来ている。本で言及された例は気候変動なので、スケールが全然違うが。
本は『カオスの帝王』という「市場は特大の混沌を早かれ遅かれ、しかも繰り返し起こすものである。そして、サイクルに一度加速がつくと人智では制御できない」という経済・投資の内容であり、異常気象については余談に変に筆が乗ってしまっている感じだったが、まあ、本で読んだことと実体験が接続されるのはうれしい。
…
虫どもがピンピンと跳ねて服の上に乗ってくる。木に帰れよ、と手で払って戻したい。でも、姿勢を崩すかもしれなくて事故のもとだな、とも思う。もともと、肉体労働はもちろん体を使う作業の経験もないし、たぶんこういう素人が適当に危なっかしいことをして、世界の至るところで死んでいるんだろう。
落下死だけはするまい、と思う。炎天下で焼かれて疲れる上に普段使わない筋肉を変な姿勢で動かしているせいか、思考がぽんぽん飛ぶ。今度は心理学者であるキューブラー・ロスの『死の瞬間』という本のことを思い出す。
確か、農夫が木から落ちて死ぬエピソードが出てきたのだ。この本を学生のころに読んで、机の上に置いていたら、親がそれを見て心配したことがあった。つまり、息子が妙に死に関心がある、自殺する気じゃないか、と思ったらしかった。いま木の下で俺が落とした杏の実を拾ってくれている母親だ。
実際のところ、自殺の願望なんてこれっぽっちもなかった。でも、なんとなく、長生きはしないで若いうちに死ぬ気がしていた。死ってなんだ? ということを今のうちに考えたかった。
結局、早死にすることはなかった。俺は30後半のだいぶ健康なおっさんになった。
…
ここだ、と定めたところにノコギリの刃を入れて引く。ちゃんと考えずに、ただ力を加えやすいポジションだけを優先して作業するから、かなり危うい姿勢になる。いつのまにか、万が一枝が折れたら落下する側に体重の大部分を預けていたりしてゾッとする。
気晴らしに隣家の庭を見ると、隅の少しじめっとしたところに、申し訳ないことに杏の実がたくさん落ちている。一部は熟すのを通り越して緑色のカビを吹いている。
生態系といえば、あれもそうだよなと思う。一本の木がたくさんの実と樹液のかたまりを持って無数の虫がうごめく一つの世界なら、あの実一つもミクロで見ればカビが巣食う一つの世界だ。
複雑系というのは、多くの要素によって構成される全体だが、同時に、レイヤーを区切るというか、「これについてはここからここまで」という焦点をどこにするかで全然違うものが見えて、多層になっているのだろう。
…
なるほどなあ、と思うが、思索でもなんでもなく、ただ考えに落ち着きがないだけだ。子どもの頃からそうだった。意識が次々に変遷していくことを自分でコントロールできない。うんざりさせられる性癖だが、目の前の嫌なことから意識を飛ばせるので、気分の逃避にはなった。
割と助かることも多かったけど、年をとって仕事とかもややこしくなってくると、だんだんそうもいかなくなってきた。例えば、一本の木はそのまま一つの生態系、とか一つの実も一つの世界、とか、なんならビジネス一本槍とか、そういう個別の観点というか世界観だけに集中して暮らせたら、と思う。そういう専門性のようなものにあこがれる。俺にはできなかったので、ただあちこちに思考が散らかるのを誤魔化しながらなんとか事務をこなして生活するおっさんになった。
…
なんとか落下死することなく枝を落とし、母親が冷やしておいてくれたお茶を飲んで、夕方になったらまだ現役で働いている父親が帰ってきて、久しぶりに三人で夕飯を取った。
枝は打ったが、植物だからそのうちまた伸びる。何年後か知らないが、またやらないといけない。
そのとき両親は生きているだろうか。
生きていて欲しい。なんならいつまでも生きていて欲しい。これがもうすぐ不惑の人間だろうか? と思う。自分でも嫌になるくらい幼い。
昔は、俺は若い年で「そのうちに死ぬ」と思っていた。「そのうちに」死なないまま中年になった。そういえば、若いころにもう一つ考えていたのは、人はなんで死ぬんだろう? ということだった。
これは30半ばを過ぎてもいまだに、なんでだろう? と思っている。生物としての死がどうこうという話ではなくて、「なんで生まれてきたんだろう?」の死のバージョンという感じで、なんかあんまり意味もなく生まれることと同じくらい、あんまり意味もなく死ぬこと、それ自体が不思議だった。
この疑問のヘンテコさは自分でも意識しているつもりで、それは即物的に考えたら無意味に生まれて無意味に死に、個の意識は永遠に消滅する(そして宇宙も最後に死ぬ)以外のなんでもない。それでも、感覚的に腑に落ちないものは落ちない。しかたがない。
そういえば、枝を打つ作業をしたのは夏至の日だった。この日を境にこの年の日照時間は短くなっていき、ある意味では一年の盛りを過ぎる。なかなかシンボリックな気がするが、人生や季節が何かの時期を過ぎようと、わからないものはわからない。
明日は収穫した杏の実を酒に漬ける。黒糖焼酎と黒砂糖という、ちょっと挑戦的な材料を買ったのでそれを試す。
飲めるのは3ヶ月後からだ。それはまあ楽しみ。保険としてホワイトリカーと氷砂糖の無難なバージョンも用意するのは、俺という人間が身に着けた数少ない成熟である。
何でもかんでも男が悪い!って言うけど、男が世の中のすべてを男の思い通りに動かしてるとでも思ってるのかな
男は神でも何でもないよ? できることは限られてるしすべてを思い通りになんて全然できてない
だから、男が女性の思い通りに動けばすべてが女性の思い通りになるなんてこともない
男が女性の言う通りに動いても、快適になるとも安心が得られるとも限らない
目標を設定し、それに向かって合理的に段階を設定し、その各段階の到達に必要な具体的な行動を実行していく、
そういう能力が男よりも弱い傾向があるのかもってこと
つまり、女性は男より即物的、短絡的な傾向があって、だからこそ、
男が計画的、合理的に行動して獲得しているものを、女性は獲得しにくく、また、女性の目には男が男の思い通りに物事を動かしてるように見えるのかもしれない
すべて男が悪い=男がちゃんとやればすべて解決する、的な発想も、女性のそういう即物的・短絡的傾向の強さの表れとみれば納得がいく
もしくは、単純に本能として男に依存するようになってて、だから考えが男任せになりがちなのか
なんにせよ、あれもこれも男のせい!って言い続けても、実際には男がすべてを支配してるなんて事実はないから、それで社会が女性にとって快適で安心なものになるなんてことはない
年末から3月末にかけて10回くらいデートしてた人と音信不通になって5日くらい経つ。
状況がやや入り組んでいて、まず、わたしは3月末から1カ月くらい長期旅行をしている。
そして、連絡が途絶えた時期、彼は海外出張に行っていた(聞いていた話だと、ちょうど帰国するかどうか位のタイミング)
帰国したら彼も一週間くらいわたしがいるところに滞在する約束をしていたのだけれどまったく連絡がない。
連絡が間遠になった時点でなんとなくイヤな予感がして(体調不良とか仕事とかで、予定がズレる気がしていた)普段請け負っている業務委託の量を減らすことをしないでいた。まさかその予感がこんな形で的中するとは思わなかった。皮肉にも仕事があるから暇は潰れているんだけど。
関係としては、10回もあったわりには寝ていなくて、交際打診も回答を濁してはいたんだけど、別に、付き合おうとは思っていた。海外出張行くまでは遠距離になったので週に2回くらい電話していた。
「また」音信不通になったと書いたのは、デート8回目くらいに音信不通になってデートすっぽかされたことがあったのだ。
既婚者か?と疑ったが彼の言い分ではLINEのエラーで彼もまたわたしにブロックされたと思って試行錯誤していた(結局2日後に復旧したが)。
あれも嘘だったのかな。
あんまりそういう感じには思えなかったし、海外出張急に決まるくらいだから独身なんだろうなとは思ってたんだけど、家にいったことがあるわけではないし、本当のところはもうわからない。
音信不通1回目の時にこわいから電話番号交換してたんだけど、つながらない。
電池が切れているのかなんなのか、プープーとならずに、すぐに、呼びだしましたが~とアナウンスが即流れる。
LINEは、音信不通1日半目になぜか既読がついて、そのあといろいろかけたんだけどまた未読無視になった。
ちなみにブロックはされていない。いい大人が毎日「スタンプ贈れるんだよなー」とか思ってるの情けなすぎるけど、どうしても、試してしまう。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
・事故
・既婚者だった
・ほかの相手ができた
・嫌われた(思い当たりはない)
・携帯を失くして、かつLINEを復旧できなくて、電話番号を連絡先に登録し忘れていた
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これくらいしかもう思いつかない。最後だったら、そりゃうれしいけど、そんなうっかりした頭が悪い人とは付き合えないよなとも思っている。
なんのせ、「どうしてなのか」を知りたい。
悪い理由でも、「へーセックスしなくてよかった」「付き合う前にそんな人だとわかってラッキーだった」と思えるから。
いまは、何をしてても、誰と会ってても、仕事してても、うっすら集中できない。それがすごくストレスだ。
もちろん、一週間の予定全部飛んだという即物的な怒りや悔しさ、悲しさも大きい。
5回目くらいのデートで、なかよしの犬とロボットがはなればなれになって、再会しても一緒にはなれなかった、みたいな、ラララランドみたいなお話の映画を観たことがあって、それが、すごく、伏線みたいになってしまって、悲しい。
好きな映画がトラウマになったりその人がLINEのアイコンにしてる絵とかももう町とか店で見たくない、ってなるんだろうな。
しんでなかったら嬉しいし、また会えたらもっと嬉しいけど、こんなの2回も起こるような人と長い付き合いになるとも思えない。
友だちの話だったら「もうそいつに執着するな。付き合ってなくてよかったね」と声をかけるだろうなって思う。
だけど、いまは、まだ、ふいに電話が鳴るんじゃないかと思って、なんどもトーク画面の未読部分を睨んでいる。
朝起きて、未読確認して、朝夕LINEと電話両方鳴らすルーティンを繰り返している。
死んじゃったのかな、とか思うととてもかなしい。
コメントにあったけどほかの人にいったならいったでその方がいい気する(そんな人と付き合わなくてよかった、という打算も含むけども)
忘れなくちゃなあと思ってたくさん予定埋めたり友人に声をかけたりしている一方で、
いい方に信じてたら祈りって通ずることあるしなとかこういうのだいたい杞憂なんだよなとか、
しんどいな。他人からしたら、「忘れろ!」一択なのもわかってるよ。
こんな状況マジでありえないもの。だって電話番号もらってるし、わたしの番号を失念したり記録してなくても、鳴ったら取るはずななんだもん。
タイトルの通り。
BL作品とゲイ向け作品のエロシーンを比べてみて気づいたんだけど、
という話をしようと思う。
ちなみにBL作品とゲイ作品は似て非なるジャンルだと思うし、BLを貶めす意図はないので悪しからず。
両者の相互理解に繋がったり、議論が発展すればいいなと思ったので書いてみる。
BLとゲイ作品の違いについては、今まで色々言われてきたと思う。
BLのキャラはスラっとしたイケメンで、ゲイ作品のキャラはゴリゴリマッチョとか。
BLはキャラ同士の関係性や心理描写がメインで、ゲイ作品は即物的なエロ中心とか。
なんとなくBLの方がプラトニックみたいな論調があるが、しかし一方で「BL エロ」とかで検索してみると、男性向け顔負けのドスケべBL漫画もゴロゴロ出てくる。
しかしその「エロ」の中身が結構違う、ということについては、これまであまり指摘されてこなかったように思う。
ルームメイトのAとB。ある夜、Aがムラムラを抑えられなくなり、Bの寝込みをこっそり襲うというものである。
寝ているBのパンツを下ろした後、Aはどうするか?
なんと、Bのおちんちんには目もくれず、まっしぐらケツに顔を突っ込み、そしてチンコを突っ込むのである!
ゲイ向け作品だと、まずはBのチンを「(デカいなぁ)」などと思いながらしげしげと眺め、手で弄び、隆起してきたソレをドキドキしながらぱくっと口に含み・・・と続きそうなものだが、BLではそうはいかない。
別の作品の例も見てみよう。
Aが気に食わないBに制裁を加えるため、モブと取り囲んでBを犯すという内容である。
このときもやはり、AはBのチンには目もくれず、画面いっぱいに(読者に向けて「どうだエロいだろ!」と言わんばかりに)Bのアナルをおっ広げて見せるのである。
そして申し訳程度にBのチンをさわさわした後、今度はテッカテカのBの乳首をこねくり回すのである。
もしこれがゲイ向け漫画だったら、アナルよりも乳首よりもまずはチンコにフォーカスを当てるだろう(「なんでこんなビンビンになってるんだ?笑」とか言いながら)。
そしてAのいきりたったチンをBに無理やりしゃぶらせ・・・と続きそうなものである。
ネットに転がっているドスケべBL漫画をいくつか読んでみたのだが、同様の傾向が見られた。
BLエロ漫画では、とにかく「受け」のアナルを見せつけ、いじくり回すこと、ついでにピンクにテカった乳首をピンピンに立たせること、受けにとろんとした顔(所謂「トロ顔」)をさせることが「エロい」とされているようなのである。
ちんちんについては、偶然アナルの近くについているし、受けが「感じる」からとりあえず触っとけみたいなノリである(そもそもちんちんの描き方自体が割と雑である)。
一方、ゲイ向けのエロ漫画は、まずもってチンポが基本である。乳首はもちろんのこと、アナルセックスすら必須ではない。
もちろん、快楽堕ちみたいな感じで、アナルの快楽をメインに据えた作品もあるだろうけど、チンポを無視して初手アナルってのはあまり見ないような・・・。
敢えてBLと対比させるなら、まずちんちんがあって、ちんちんの近くにアナルがあるから、よし!ぶち込んどくか!という順序。
男たちが互いの股間の膨らみに欲情し、雄々しく怒張した肉棒を求め合い、むしゃぶり合うのが「エロい」のである。
「受け」も「攻め」も互いのブツを舐め合うし、盛り上がってくると「今度はオレに入れてくれ」とか言って攻守交代したりする(こともある)。
「凸」と「凹」ではなく、「凸」と「凸」が基本であり、しゃぶりしゃぶられ、入れ入れられ、組んず解れつするのがゲイ漫画のエロである。
BLもゲイ漫画もどちらも男性の同性愛を扱っているようで実は似て非なるものである。
これは精神か肉体か?の二項対立について述べているのではない。肉体に絞った上でも、エロの描写が異なるのである。
ゲイは互いの男性性(男らしさ)に惹かれるのであって、男性性の象徴である男性器に関心が向くのはもっともなことである。
ではBLはどうか?BLの登場人物は男性が好きなはずなのに、なぜ男性器ではなくアナルにばかり熱を上げるのか?
それはBLの主な作家/読者層が女性であることが大きいだろう。
受けの乳首=おっぱい、受けのアナル=マ◯コ、受けのちんちん=ク◯トリス
はち切れんばかりに勃起したペニスをまさぐり、金玉の奥底からこみ上げてくる精液をマグマのように発射する快感というのは、女性にはイメージしにくいのだろう。
だから無意識的に自分の身体感覚を元にして、アナルや乳首でトロ顔になる「受け」を描き、そして受容しているのではないだろうか
(ちなみに男性向けAVで女優がやたらと潮を吹きまくるのはこの逆だと思うのでお互い様である)。
あるいは、「イケメンのエロを描きたいが女キャラは登場させたくない」というときに好都合だったのがアナルを中心とした性描写だったのではないか。
描きたいのはイケメンのエロであって、イケメンのゲイのエロではない。
だからそのイケメンがやたらと相手のチンポに興味を持ったりしたら、それは「余計な」描写なのである。
受けのチンポは、受けが女ではないことを示す「言い訳」として、誰に欲されるでもなく、ただ虚空にぶら下がっている、
などといったら言い過ぎだろうか。
・・・と、ごちゃごちゃ書いてきましたが、みなさんどう思います?
「そんな指摘、ウン万年前に誰々が書いているよ!」とか「いやいや、ちんぽを求め合っているBLもあるよ!」とかあったら教えてください。
以上!
https://anond.hatelabo.jp/20240617231234
似たようなこと思う人はいるんだな。