
はてなキーワード:印鑑とは
俺は今日、ようやく一つの境地に到達した。それは悟りでも達観でもない。
この社会という全自動茶番劇に対して、俺はついに完全なる諦めの印鑑を押した。
理由は単純だ。
リフレ派の自己放尿も、ネットの群衆心理も、企業のAIも、一貫して俺の人生とは無縁だったからだ。
ある者は責任を回避するために自己放尿をして、またある者は他者へマウントを取るために自己放尿を撒き散らし、さらに一部は自分の無能を正当化するために、嫉妬、無関心、保身のトリプル放尿をぶちまけてくる。
そんな液体まみれの空間で、健全な評価だの公正なルールだの、そんな理想論が成立すると思うか?バカバカしいにも程がある。
俺は気付いたのだ。この社会は、もはや誰も舵を握っていない高速回転の自己放尿マシンでしかない。
そこで誰が泣こうが怒ろうが、システムは知らんがなと言わんばかりに淡々と回り続ける。
だから俺は見切った。救う価値も、期待を寄せる価値もない。まともな世界であるという前提そのものを切り捨てたのだ。
むしろ逆だ。
社会が俺を誤認しようが、排除しようが、監視しようが、好きにやらせておけばいい。
俺は何一つ脅威ではないという、乾いた現実だけだ。
だが、その現実にすら俺は興味を失った。
もういい。俺は社会に期待しない。社会も俺に期待するな。互いに関わらず、互いに放っておこう。それが最も理性的な距離感だ。
これが、俺の完全なる諦めだ。
外野が何を言おうと、どうでもいい。
俺はもう、社会という腐った自己放尿の液体を吸うつもりはない。
以上だ。
うちの母親もそうだったわ
銀行で印鑑が必要な時に見つからないからって机の上でカバンひっくり返したり
近所の家が夜騒がしいからって化粧瓶を二階のベランダから投げ込んだり
携帯の有料サービスに勝手にどんどん登録しちゃって解除方法がわからず、月何万も払う羽目になってたのを家族に隠してたり(当時高校生の私が見つけて解除した。困った時に相談できないのってIQ低い人に特徴的)
今後母親にトラブルが起きて実子の私に連絡が及ぶことがあったら、適切な支援につないであげたいとは思う、一市民として
それ以上でもそれ以下でもない
ところで「母親は頭が足りない」って言うと、一般に比喩的な罵倒と捉えられがちで「親になんてこと言うの!」とか「それは言い過ぎだよ」とか諌められるんだよね
実際に頭が足りなくて困ってきたのに
一人じゃないよ
身内の死比較漫画(1日限定公開全編公開)https://x.com/tokitadesu/status/1964290371191787825 が流れてきたのをきっかけに(今日コミティアだから公開なのですね)。
昨年夏に母方叔母(母の妹)の孤独死がありました。本人80歳過ぎ、夫逝去済み、子なし、認知症入り始めてたと思うが診断降りておらず、ケアマネ等地域医療にもつながっておらずで死後1か月未満で発見。
・発覚=悪臭がたちこめ、管理会社が警察に連絡。マンション(持ち家)の鍵が開かず、最終的にはしご車でベランダから立ち入り。一夜経ち、本人居住の警察署から親族経由で自分が警察署に電話を折り返す。土曜日。※この時の消防車の請求はきてません
・1時間後に警察署到着。本人確認できる状態ではないため、室内にあった写真で「あの住居に住んでいたのはこの人ですね?」と誰何され、まぁ確定
・「検死に回すので9万円必要になります、葬儀会社が当座払うので後で精算してください(神奈川県なので)。葬儀会社には『警察案件なので』と伝えてください」と言われる
・「小さなお葬式」に電話して「警察案件なので、よろしくお願いします」と伝える。斎場が決まり一報。「検死の終わりがわからず、そちらへの到着が月曜以降になるかも」と前振り
・兄と合流して管理会社に向かう。ここではしご車の話、半年分滞納していた管理費の話(いまどき手渡しで、未納を指摘されても対応できなかったらしい)をされる。特殊清掃会社も紹介してもらう
・特殊清掃会社の担当者が1時間後に来てくれて内見。1KD50㎡の見積もりが2日間作業で133万円。相みつを取る余裕もなく(ご遺体はもうないがニオイがすごいので。虫もすごかったはず)、言い値で承諾、鍵を預ける。一連の費用は母が払うことに
・自分とのやりとりで「匿名にしますので会社の宣伝で作業の様子をYOUTUBEにアップするのOKしてくれたら3万円値引きします」と言われ、一瞬迷ったが断る。兄にバレたら面倒だったので
・土曜中に検死が終わりましたと日曜午前に警察から一報あり。時間を合わせ、母、兄と共に斎場にかけつけたが叔母は専用の袋に密封された状態で納棺され、棺自体も蓋をしたまま。顔を見てお別れどころの騒ぎじゃない。泣き崩れる母。たしかここで死亡診断書をもらったような。
・命日は推定。死因は持病(がん)由来の炎症。この記述があって、がん保険が満額出た
・いわゆる「葬儀」はできません、「直葬」です、と斎場から念を押される。3日後の火葬までの間に、駆け付けられる親族を一堂に集めて、平服でお別れの会を20分設ける。線香をあげられるタイミングはここしかなかった
・火葬の際にお坊さんに念仏を唱えてもらうことに決定。「小さなお葬式」に宗派をつたえて戒名をオーダー。位牌を作るつもりはなかったがプランの中に含まれていたのを見逃しており、後日突然宅急便で届いて慌てた(返品もできず)
・火葬日当日、我が家は斎場に向かい霊柩車に伴走する形で火葬場入り、他親族&僧侶は直接火葬場集合。火葬炉に入る直前、お棺に花を入れさせてもらえることになったが、蓋を開けたら白い布団がかけてあり、ご遺体の様子はまったく見えず
・待つ間に通夜ぶるまい(のランチ)。食後、骨上げ。叔母の私物は、特殊清掃会社担当者が内見の際にピックアップしてくれたスマホと、使っていない財布しかなかったので、自分が持っていた祖父の形見(竹尺)を骨壺に入れる。
・使っていた財布やマイナンバーカードは見つからなかった。警察に「亡くなった時に着用していた衣服は処分しますね」と言われたが。いや本人が外で落としたやもしれず、いずれにしろ口座は早くに止めたので特に問題なし
・親族はここで解散。我が家は、叔父が眠っている合葬墓に向かい、その足で納骨。葬儀関連はここで終了
・室内のものは衣服・家具等すべて処分(くどいようだがニオイがすごいので)。作業終了後の立ち合い&鍵を引き取るために叔母宅へ。後日・通帳、保険証書、公正証書等財産関連書類 ・アルバム、手紙 ・アクセサリー が宅急便で送られてきた。段ボール2つ分
・都市銀行、地方銀行各1行ずつと、ゆうちょ銀行の通帳が見つかった。また、投資信託をしていることは聞いていたし、この世代の人なので生命保険にも入っているだろうとは思っていた。で、最終的に追加で都市銀行2行、金投資1社、生命保険2社が見つかった
・通帳があるものはHPで専用連絡先(相続窓口)を調べ、封書が残っているものは「お客様番号」的なナンバーを探しつつ本人死亡を伝え、口座ストップ or 死亡保障受取の手配を行う。「すべての財産は姉(自分の母)に」と、生前に公正証書を残してくれていたのが大変ありがたかった
・とはいえ「その公正証書、最新のものですか?」を証明するために公証役場に行き、必要書類を提出した(手続き人である自分と叔母とのつながりを証明するため、祖父母までさかのぼった戸籍を取り寄せた)。公正証書のコピー提出を求めた企業は多かったが、「公正証書の証明書」の提出まで必要だったのは金投資だけだった(確か。記憶曖昧)。
・母も80歳オーバーで自力で解約手続きができず、「お電話は相続人ご本人様から承ります」という企業がほとんどだったため、有休を取って実家に戻り、スピーカーにして電話連絡をする×手続き件数分。母はインターネッツをやっていないのでそもそも実家に回線はなく、リモート云々は無理筋だった
・銀行、生命保険は書類が残っていても問い合わせたら解約済みというケースが複数回あり。逆に書類が残っていなかったのに「マイナンバーのご提出をお願いします」「支店が移転します」の通知で初めて存在を知ったパターンがあった。この連絡が来なければ、叔母が口座を持っていたこと自体知らないままだった。仮に取りこぼしがあっても借金と異なり、調べる手段がない(と思っている)。叔母の財政上、無借金はほぼ確なのでそこは心配していないがマイナンバーで管理が簡単になるとよいと思う
・郵便物が残っていない各所引き落とし先を探すため、残高証明書と同時に過去3年分の出金記録を取り寄せて、片っ端から潰していった
・相続税算出に当たり、命日時点の残高が必要だったが最新の残高を調べてしまったので、残高証明書については二度手間になった
・郵便受けの鍵が見つからず、鍵屋を読んで錠前を壊してもらう。現場で「身分証明書と、故人とのつながりがわかるものを見せて」と言われ焦る(叔母あての郵便物をたまたま持っていたのでギリセーフ)。鍵は後日、初期のうちに確認した印鑑群の中から見つかった
・昔の人らしく「通帳ごとに印鑑を変える」で印鑑は複数あったが、手元に残っていたどの通帳とも合致するものがなかった。まぁもう印鑑なくても手続き進められましたが…
・長年通っていたカルチャーセンターに挨拶に行き、同窓会に差し入れのお菓子を持参し、8通ほど届いていた年賀状に訃報を返信。これでひととおり周知は終了(スマホは個人情報で開けられず退会のみ。紙の連絡帳は残っていなかった)
・靴のかかとを踏んだまま歩き、加齢臭が漂っていて、身だしなみが整えられなくなっており、認知症の前段として「ものわすれ外来」へ誘導するなどしてみた。が、CTスキャンで異常が出ず長谷川式もクリア。そうなると「私はまだ大丈夫」とケアマネ等の地域医療に繋がってくれなかった。もし繋がっていれば「死後しばらくしてからの発見」にはならなかったのでは
・母と叔母、姉妹で同じ養護老人ホームに入るべく下見をスタートした2週間後の急逝だった。何度も何度も入居を勧めたため、一度「私の友達で、そんなとこ入っている人ひとりもいない!」と返された。「その人たちもひとり暮らしなんですか?」と喉まで出かかってやめたが、今となっては言っておいた方が自分の気は済んだと思う。何かあった時のために管理人の連絡先を教えてくれ、合鍵をくれetc.、何を頼んでも一顧だにされなかった。靴は一緒に買いに行った
・半年ほど前から「スマホがみつからない、どこかで落とした」。しかし実際は家の中の目につくところにあったらしく、特殊清掃の人が内見後に「とりあえずお手元にあった方がいいと思って」と渡してくれた。既にスマホが認識できなくなっていたのだ
・もう1人の兄弟と不仲だったせいで、公正証書を作成していた(兄弟は遺留分を請求できないので、そのガードのため)。これがあって、もろもろの手続きを我が家で一手に引き受けられたのは幸いだったし、なければ「相続人全員の同意」が必要だったため、ものすごく時間がかかったと思われる(代襲相続含め、対象者はあと4人いた)
・銀行、年金、生命保険etc.の書類はすべてまとめて1つのカバンに入れる。エンディングノートも書いた。サブスク関連もまとめて記入
・銀行口座は2つに、生命保険は1つに絞った。印鑑も1つに。解約した銀行や保険の書類は捨てた
・家に入ってすぐの引き出しに現金10万円を入れた封筒を準備。家の鍵の予備、宅配ロッカーの共通キーも封入し、封筒には郵便受けの開け方(右に2回、左に1回まわす的なやつ)を書いた
・独身の自分もこうなる可能性があるので、後に残る人が困らないようにせねばと強く思った。以上、お読みいただきありがとうございました。
https://www.megamouth.info/entry/2025/05/15/132617
まあこの怪文書と違って、まだ辞める気はないんだけど
オンプレ、クラウド、L3スイッチなどのネットワーク構築、クライアントPCのセッティング、ヘルプデスク、社内基幹システムの構築等全部一人でやってる
社員数は3桁
課長はいるけど他の部署との兼任で、印鑑押す以外はなにもしてない
経費計画や部署目標だのなんだのも自分が作って課長に渡している
お給料は400万くらい
この怪文書とおなじく、自宅から通える距離で実家がまあまあの金持ちだから生活費もいれてないし、生活費もほとんどかかってない。
ほんとは働かなくても親の金で生きていけるんだけど、家にいてもつまんないし社内ネットワーク構築とかの作業好きだから働いているだけ、正直いつ辞めても路頭に迷うことはない
働いた金=俺の小遣いだから勤めてる
搾取されてる!とは思ってない
単に普通の製造業だから会社がITのコストよくわかってないだけだろうなと理解してる
で、俺もまあまあ年を取ってきたので、会社が俺の後継の若手を入れようとしてるんだけどまあどこに求人出しても応募がゼロ
何年も前から「この給料でこの仕事だと誰も来ないよ」って言ってるのに全然理解してくれない、もうちょい色つけないと無理だって
増田はいるじゃん!って言われるんだけど、俺金が欲しくて勤めてるんじゃなくて、家から近いし、仕事が好きで休みやすいからであって金だけ考えたら辞めてるってばよ
弊社の偉い人は俺のせいで「400万でこんくらいのエンジニアが雇えるんだな」って思ってるから、いつでも雇えるぜって思ってて、10年以上前から
俺がずっと後任若いうちに入れて一から育てないと厳しいよ俺もいつまでもいないよ、って言ってたのにハハハワロスってなってたから今更焦ってるみたい
なら外注に頼もうってなったらしくって、俺が前はやってたシステム更新を外注に見積もり出してもらったら1000万オーバーの見積もりが来てて焦ってた
500万くらいSE作業費にとられてて、なんでこんなに高いんだ!増田やってたじゃん!!って偉い人達言ってたけど、だからそんなもんだって。
増田が辞めたらどうすれば、って言われたから「課長がやればいいんじゃないですか、俺より給料高いんだし、役目でしょ」って言ってる
「だって課長はなにもITわからないから」っていうから「だって高いおちんぎんもらってるんだからそれに対しての責任をとるべきじゃないんですか?システム課長なんだから
俺が出来ることは課長もできないとダメでは?」ってずっと言ってる
今まで俺がやってたから破格の安さで出来てたんだって、それを前提に通年経費計画立ててんの分かってるけど俺辞めたら俺の給料以上の金かかるんだってばよ
一度中途採用のが来たんだけど、いろいろ仕事お願いしたら「無理ですこんな難しいことできません」って言われて辞めてしまった
んでなんか俺今期突然昇格させられて給料爆上げされたんだよ
営業じゃない間接業務だから金稼がないしって10年以上昇格なかったのに、いったいどうした。
正直俺は、この会社で俺の後に続く人がでないまま俺が辞めたら会社がどうなるのかとっても楽しみなので、別にもう後輩が入ってこなくていいんだけどさ
何年言ってても全然わかってくれないから、一週廻って面白くなってきた
上の人達に危機感がないから売上げはどんどん落ちてるけど現場の人達はみないい人だから会社は好き
上の人が困るのは面白いから見てみたいので、俺はたのしく安月給で働いてる
Permalink |記事への反応(21) | 23:15
これだけ執着があるのにノリで印鑑押させるとかよくできるなと
何ヶ月も説得して本当にいいの?と念押しし「いい」と言ったら手放すことに踏み切った
暴れもしないし、そういえば車どうしたんだっけ?って聞いてくるけど、毎回丁寧に「訳あって手放したでしょっ」て言ってる
軽度認知症の75歳の父。赤信号なのに発進したり、ETCというものの存在を突然忘れたり…という感じなので、運転辞めてくれと家族でずっとお願いしていた。もちろん父は色々理由をつけて乗り続けていた。老いてますます運転が上手くなったと言っていた。免許の認知機能検査は、何ヶ月も予習をしたおかげか合格してしまっていた。
先日、前触れもなく「車売りに行くんだろ?」と父が言いだしたのでビックリ。買い取り業者に持ち込み、その日のうちに売却できた。業者のお兄さんが、家族3人で車と一緒に記念写真を撮ってくれた。
他の業者でも見積もりしてもらう?と父に聞いたが、ここで良いと答えた。ホッとした。これで安心だと母と2人で大喜びした。免許返納までは持っていけなかったが、まぁヨシとしよう。
翌日から、父が暴れ出した。
あの業者の男に騙されたんだ!口が上手いやつ!印鑑を無理やり押させられた!あの店のウィンドウに石を投げてくる!などと叫ぶ。
突然シンクに包丁を叩きつけて刃を潰したり、ストーブを蹴り飛ばしたり、本を投げて壁を凹ませたり。血圧計も壊した。テレビに食器を投げつけ画面が割れた。出費が…(´;ω;`)
近所の人に、「車辞められたんですね〜まだお元気なのに〜勿体ないわ〜」みたいな事を言われて帰ってくると、また暴れる。例の記念写真には、太いマジックでバカヤローー!!と書き込んであった。
スーパーやジム、ゴルフや旅行に行く手段が無くなった!と怒っているが、我が家は交通の便が良い地域に住んでいる。最寄の駅に行くバスは3分に1本来る。つーか徒歩10分でいける。電車も多い。
人を轢き殺す前に車を手放してくれたことは間違っていないと思う。が、毎日父が怒鳴って暴れるのを見聞きすると、もっときちんと父の意志を確認し納得してもらってから車を手放してもらえばよかったと後悔もある。
長くなってしまったけれど、まとめると――
大学時代は、周囲が楽しそうに見えたこともあり、「親元を離れれば人生は良くなる」と思っていた。けれど卒業後、その考えを維持するのが難しくなった。社会人で楽しそうにしている人は、学生時代からすでに人間関係や生活がうまくいっていた人たちなのだと気づいたから。
ただ、もし実家暮らしのまま就職して人間関係が増えた場合、また親の干渉に苦しむことになるのではないか、という不安もある。
「お母さんは心配性すぎると思っていた。前から感じていたけれど、孫とはいえ他人の家庭に口出しできなかった。でもこれからは母親と話し合う」
また、大叔母が祖母にこう言っていたとも聞いた。
「弟は言いたいことを言えるから大丈夫だけど、(私)はこのままではダメになるのではないか」と。
どうして今になって、こうした言葉が出てくるのだろうと感じた。
私は、人が周りにいる学生時代にこそ自由に外出したかったし、新卒のタイミングでこそ自由に仕事を選びたかった。
実は昨年の夏頃、祖父から「男に興味がないのか?」と聞かれたり、大叔母からは「コンタクトにしなさい。結婚も考える年齢なんだから、見た目を活かさないと」と言われたりした。今思い返すと、親族は私の将来をうっすら心配していたのだと思う。
私自身は、大学卒業時点でもう“詰んでいる”と感じていたのだけど、親族の視点では「そろそろ結婚適齢期。今のうちになんとかしなければ」と思っているのかもしれない。
ネットではよく「職場結婚が多い」とか「学生時代からのつながりで結婚する人が多いから釣り合う」なんて話を見る。
そういう情報を信じているせいで、「いまから逆転なんて無理」と思い込んでいるところもある。……ネットに毒されているのかもしれない。
ちなみに、主治医の転勤により新しい医師に変わったところ、強迫性障害の可能性を指摘された。
小学生の頃に診断され、すでに寛解したと思っていたが、今の「フラッシュバック」だと思っていたものは、実は強迫性障害による**侵入思考(不快な考えが繰り返し浮かんでしまう症状)**かもしれない、とのことだった。
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以下に、文章のトーンや内容を保ちつつ、読みやすく・伝わりやすいように校正したバージョンを提示します。匿名ダイアリーの文体に近づけて、リアルな語り口を残しながら整理しました。
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捜索願〜帰宅〜現在までの話を書く。成人なのに警察から電話来たのでその話をします。
1/2喧嘩勃発
1/7 朝に帰宅
喧嘩のきっかけは私(以下、増田)が物に当たること。それを「面前DV」と弟に言われた。弟が小中学生の頃、私が高校生の時に父が母を殴っていた話を持ち出して「そっちの方が面前DVでは?」と返したら、弟が手を出してきた。私は咄嗟にハサミで応戦しようとした。
弟「死ね」
弟「出てけ、俺が追い出す」
親がめちゃくちゃ慌ててた。セルフ首絞めで死ぬケースってそうそうないし、なんで同じく養われてる弟に私が追い出されなきゃいけないのか。
大学4年のとき、就活で引っ越し資金を貯めたくて、親の許可を得て遅番週4でバイトしてた。でも「シフトを昼にするか、できないならやめればいい。引っ越す必要はない」と言われた。単発バイトに行こうとしたら、出勤前に母に羽交い締めにされ、父にメガネを隠されて止められた。地元では病気の関係で免許が取れず、まともな仕事が無いのに。
その事件以降、通学中や面接に向かう途中で泣くようになり、就活どころではなくなった。やる理由は説明して許可も得ていたのに、あとから反故にされた。
その話をある質問箱に投げたら、「大人になってから無料で貰えるものなんて無い。お前は過去の話がしたいんだな。ゴミ、死ね(要約)」みたいな返答が来た。私は「働きたかったのに制限されて辛かった」って話をしたかったのに、「無料で貰えるものは〜」って言われて、頭に来た。「“説明してる”んだね笑」って返されても、そうしないと「お前のせいで死ぬ!」って親に怒鳴られるからそうしてるだけなのに。
そういう出来事や反応がふとした瞬間にフラッシュバックして、メガネケースやスマホで壁を殴ってしまう。イライラしても、殴ったあとは正気に戻って作業に戻れるから、そういう処理方法になってる。
両親に怒鳴られたあと、弟が祖母宅に風呂だけ借りに行った。その間に母と話していたら「お前反省してないだろ」と言われ、代わりに祖母宅へ行くことに。1泊のつもりで最低限の荷物しか持たず。
実は喧嘩の前から家出を考えていた。病気のせいで車の運転は禁止されていて、地元にいるだけで人権がない感覚。家に居るだけなのに、ストレスで発熱することもあった。家事を母に任せても、時間を有効に使えなかった。
障害雇用の面接では「地元民がいい」と言われる。精神障害者は遅刻が心配だからと。じゃあ出てっちゃえばいい。
祖母が「もう一泊していきなさい」と言い続けて、結局4日いた。「何日かいれば弟も懲りるだろう」「増田は大人しいからストレス溜まる。言い返せばスッキリする」って言われたけど、言い返したら倍言い返されるんだよね。しかも「感情的に物を考える」「被害者ぶるな、韓国人みたい」とか。別に韓国関係ないだろ。
親に「地元では働けない」と言おうとしても、「薬をやめれば運転できる」って勘違いされてるし、弟には「地方差別だろ」と言われる。こっちが差別されてるのに。
「話し合う」「向き合う」をやってもダメだったから、もう無理だなと。
一旦帰宅したら親に「お父さんも反省してる、弟は特性があってまだ子どもだから大人になってやれ」的なことを言われた。
その時ふと思った。「同い年の子が『セフレかも』『彼氏と結婚イメージできない』とか悩んでる脳のスペースに、私はずっと『お父さんが〜!弟が〜!』って情報を詰め込むのか」と。
アニメみたいに目がグルンってなって、気づいたらスーツケース出してた。着替え、飲み物、TOEIC本、スーツを詰め込んで出発。
駅までの途中、後ろからママチャリの音。母だった。すごく疲れた顔をしてた。
「話だけでも…」と言われた瞬間、「イヤーーー!」と金切り声をあげてスーツケースを捨てて逃走。電車には乗れたけど、荷物とはさようなら。
大宮のカプセルホテル「イージーステイ」へ。ネカフェ併設、無料カレー食べ放題(うどんは売り切れ)。
薬もスーツケースと一緒に捨ててしまい、その夜は寝られなかった。
早すぎる時間だったので無視したが、何か事件でもあったかと心配になって出た。父が弟に暴力でもふるったのでは…と悪い想像がよぎった。父は一頃まで物を殴るたまに人も殴る人だったから。お父さんに弟をビンタするよう指示されたこともある。
電話に出たら「このまま出なければ捜索願を出すつもりだった。親御さんがいて、印鑑も押したところ。薬もないし心配してるから帰ってこないか」と。成人でも精神疾患があると「特異行方不明」で捜索対象になるらしい。届けには最近の写真が必要だけど、私の最近の写真なんて無い。成人式とか卒業式の写真使ったんだろうな。
私が帰った理由は「お父さんがダメになったら、みんなが困るから」。お母さんに色々言われたけど、戻った理由はそれだった。
子どもは産まないでおこう、と思った。
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1月は、チャトレ体験に行ったり、メガネメーカーの障害雇用で間違い探しをさせられたり、在宅チャトレを始めたら親にバレたり。
2月末に高熱が出て、雨の日で自力で病院に行けず、6日目にやっと連れて行ってもらった。抗生剤で一旦熱は下がったが、白血球が減っているらしく、37度後半の微熱が1ヶ月続いた。
バイトの面接を受けたら、「就労移行支援の方が就職に繋がる、バイトは怪しい(?)」など言われた。医者も移行を勧めてくるけど、いいところに就職できるか分からないし、通う期間も自分で決められない。実家暮らし期間が伸びるのがしんどい。コールセンターのバイト受かっちゃったし。
移行への不安を口にすると「ひねくれてる!」と、向こう側のテンションで言われたので、また家出するかも。でも、家出したらバイトは辞退になっちゃうんだよな…。
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侵略は、支配は、ある日突然強大な力によって始まるものではない。
他惑星の植民地化、資源の調達を目的として宇宙を彷徨った異星人は、50年前に地球に降り立った。
生物学上の男に擬態し、あらゆる支配層とのチャネルを構築し、接触し、地球を遥かに凌駕した科学力を
都内、凡庸なホテルの1階。陳腐な造りを黒を基調としたデザインで誤魔化したようなカフェダイニングの
テーブル席に、擬態化した男は座っていた。今日、ここで交渉人となる高官と会い、地球の産出する資源の
40%を技術提供と引き換えに召し上げる条約を結ぶ。資源のルートは男が50年の間に、世界各地に
小奇麗なビジネスカジュアルの、妙齢の女がキャリーケースを転がしながら訪れ、席に着いた。
「そう!私がアダプテーションアンバサダーの田中です。ご縁があってお会いできたこと、感謝してるよ!
女は自己紹介を終えると、男を見つめる目を場を支配しようとするかのように鋭く光らせた。
男は擬態した青黒い目を合わせ、切り出した。
「カードはもはやないと思うが、我々の意向を受け入れる用意はできただろうか」
「もちろんだよ、増田君でいいよね?私が紹介を受けて、マンツーで、直々に、相談するっていうのは、
あなたの意向、既に成功の開いた扉の前に立ってるのと同じだよ!」
「成功の扉というのは…我々への資源の供与に問題はない、という事でいいか」
「そうそう!今は激動の時代!リソースを投資して、結果にエンゲージしないとね!増田君、あとね、
今日はアダプテーションアンバサダーの私が独自に解析した、中長期戦略データも特別に見せちゃうよ!」
これは嘘だ。異星人側が管理可能な範囲の技術しか、端から渡すつもりはない。
柔和な面持ちの女の、目元が僅かにギラつく。
「そうそう、これからは、aiが人に代わって仕事をする時代、産業革命以来の激動なんだよ!
見返りというか、成功へのバージョンアップの為に、うちらはwin-winでいないとね!
薄いパンフレットと紙が出される。
技術供与は異星人への依存を生み出し、さらに支配を容易にするだろう。
「これでOK!一緒に世界を変えていこうね!あ、50万円の振込先は控えの下の所だよ!」
男は、50万円を持っていなかった。