
はてなキーワード:博士とは
ネットフリックスが満を持して手掛けた『超かぐや姫!』が傑作だったと思う。
ボカロ曲を使ったプロモーションも「メルト」や「ワールズイズマイン」など「知ってる人は知っている」というようなボーカロイドではなく、クラシックや古典ともとれるようなインターネットに少しでも触れた人間ならだれしもが知ってるような曲選に、過去初音ミクとバンプがコラボしてその時期のオタクを賑わせた「ray」を主題歌に据えている素晴らしいプロモーションだと思った。
ターゲット層もわかりやすく、インターネット文化に触れたことがあるオタク、元オタク全般、配信者など推しがいる人間全般がターゲットだと感じた。
昨今のリコリコやわなたれ等の百合ブームにうまく乗っていたし、暗い過去やドロドロとした痴情の縺れなどもなく見ていてストレスがなく、気持ちのいい作品だと感じた。あといろ×かぐ、かぐ×いろてぇてぇ.........
のような感想がXのTLに並ぶきれいなインターネットに触れている自分が幸福だと思う。実際自分も同じ感想を抱いた。
だがある記事が目に留まった
「超かぐや姫!が超つまらなかった(https://anond.hatelabo.jp/20260207025626)」
である。
内容を見るとシナリオを酷評するもので「シナリオがない」「キャラクターが活きていない」「流行りを詰め込んだだけ」「リアリティがない」などの作品に対するマイナスなものが並んでいた。
これに関しては「まぁ、そういう感想になるのも人それぞれだし、しゃーないな」と思った。
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お前には人生がない。
何かを決めるだけで全て叶うような浅い話に共感する、夢見がちな、自分を可能性に満ちた存在だと誤解してるゴミ。
そんな人間はそれこそ早く決めるべきだろ。その価値のない人生のような何かをどうするかを。
お前には人生がない。
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これだけは、これに関してだけは本当に強く反発したいと思った。
文章全体から「お前とは違うんだぞ」「俺はシナリオを見ている、流行りは見ていない」というような最近の言葉でいうところの冷笑をひしひしと感じる。
この記事の筆者は「なんでこいつら配信しているの?」と書いているが配信する理由はかぐやが大きく宣言してたのにそこ読み取れていないし
「キャラクターの行動原理がわからない」と言っているが、そもそも人間のことをキャラクターのことを理解しようとしてないから理解できるわけもないのだ。
他にも
・輝夜月から1ミリも進化してないVtuber像→作中では配信がメインなのに所謂動画勢で数年前の輝夜月と比較している。
・Apexやっとけばいいんでしょっていう浅い作中ゲーム→カッセンにApex要素などほぼなくゲーム性としてはlolやポケモンユナイトというようなMOBAジャンル
等々自分が知らないジャンルや文化なのに何とか自分の知ってる単語や語彙で何とかして批判してやろうという意思がひしひしと感じてくる。
おそらく新しい文化に触れないで自分が昔から信じていているアニメや作品を神として他の物を排他することで悦に浸る「アニメ博士」気取りのおじさんなのだろう。
ワールドイズマインに関して触れた個所ではこう綴っている
「「配信見てる客」なんてどうでもいいっていう監督の精神性が現れてるよね。」
それはそうだろう、この作品は「アニメ博士(笑)のおじさん」「最新のエンタメに触れる気のないおじさん」「逆張り人間」はターゲットではないのだ。
ここまで書いていて気づいたことがある。自分はこの筆者に同情しているのだ。
流行りの物を酷評して自分は他人と違う、シナリオを評価することで自分は流行りを見ていないというようなマウントが取れた気になっているのだ。
流行りの物を違う視点で見て批評することでバランサーになり自分のアイデンティティを確立しないと生きていけないのだろう。
本当にかわいそうだ、これはただ自分が成長しないことの言い訳をしてるだけなのにそれをまるで崇高なものに昇華しようとしている。まるで昔の自分を見ているようで本当にかわいそうだ。
流行りに乗れない、感動できない。おもしろいと思えない、自分とは合わない、たったそれだけのことで作品を、流行を、世界を批判してしまうのだ。
恐らくこの筆者は作品を見ていない。この筆者は自分の気に入らない作品が流行る世界を見ていてその世界が生きにくいつまらない思っているだけなのだろう。
果たしてそれは生きているのだろうか、人生を謳歌しているのだろうか、人生を楽しんでいるのだろうか。
少なくとも自分はそう思わない。何故なら過去の自分は人生を楽しんでいなかった、そう思うからだ。
世界には素晴らしいアニメ、ゲーム、音楽、映像、エンタメが溢れている。そのことに気が付いてからまた再び人生が始まるのではないだろうか?
「大丈夫だ、この痛みは忘れたって消えやしない。大丈夫だ、この光の始まりには君がいる」
過去の暗い人生は消えることはない。だた、これからの人生自分の歩む道の先には自分の人生を変えるような物や人、コンテンツが絶対にある。それを探すことが人生なのではないだろうか。
超かぐや姫を見て感動して件の記事を見て憤りを感じ、それを酒の勢いに任せて感情をぶつけただけのつまらない、めちゃくちゃな文章を読んでくれた人、ありがとう。最後に自分が言いたいことを書いて終わりとする。
蒸し網の蒸し野菜の話しか最近してないぐらい自分でもどうしちゃったのってぐらいな世の中。
いちいち初めて蒸す食材にションテン全爆上がりしていたら、
私も疲れちゃうわ。
とはいえ、
私の蒸し食材オープンワールドのアールピージーの中でのパーティーの役割では重要な職業でポジションの下仁田葱級に担っている「蒸し士」という謎の職業がパーティーに含まれている感じなぐらい毎日蒸しってところなの。
一房買ってきて、
試しに蒸して食べてみるの。
茎の軸の固いところも薄くスライスして、
それを想像するブロッコリー味のブロッコリー味だと思ったのね。
そしたらよ!
そしたら実食して、
パク!
房の部分シャクシャクしてて美味しくって茹でてぼやけた味のブロッコリーとは大違いな違うなんか緑色の強い濃い味で想像以上なの。
この味に仕上がるのね!って
房で驚きつつ、
次は軸の固いところを薄く切ったものを実食よ!
パク!
え?なにこれ!?
ちょ、ちょ待ってよ!
軸の方がメインの房よりも美味しくね?って。
謎の逆転現象が起こってるの!
今までの常識だとブロッコリーって房ありき房メインで軸は窓から投げ捨ててしまうものだと思っていたけれど、
軸のこのなにこの美味さ!
軸の方が先に完食して無くなっちゃったぐらい!
あまりの軸の方が美味しくって、
房の部分も美味しく蒸し上がっているけれど、
軸の足もとにも及ばないぐらいな感じになっちゃうの!
とはいえ、
房もしっかり美味しいのよ!
それをも遙かに上回る軸の美味しさ!
美味しいかどうか分からない私のチャレンジングスピリッツだけで挑み蒸したブロッコリー、
まさか房の本編より軸の方が美味しいだなんて!
野菜蒸して食べるごとに
そして、
今のところ何回も既に積んできた蒸し打席数!
今回もホームランで全打席ホームランは新記録を更新し続けているという偉業!
蒸し野菜を蒸してきたけどホームラン連続でかっ飛ばしている失敗のなさの
全部全回蒸し美味しい!って逆にどういうこと?って思うの。
まあ、
強いて言うのなら、
ブロッコリーの軸と本編である房の蒸し時間がちと長すぎたかな?ってことぐらいの懸念しかないぐらいなもう1分か2分蒸し仕上げる時間短くてちょうど良かったかも!って思うぐらい。
蒸し時間が長すぎて詰まった当たりだと思ってたけどホームラン!
結局昨日の晩の晩酌のお供は、
ブロッコリーだけで大満足という、
まさか房よりも軸の方が美味しいという大どんでん返しを喰らって感動して泣いてしまうぐらいの
しかも、
素材自体の味がしっかり蒸すことによって濃くなっているようなこともあってか、
直訳すると調味料無くっても蒸したブロッコリーは充分に美味しい!って意味ね。
あまりの手間の簡単さ過ぎてしかも手間に見合った以上の何倍の美味さになるので、
いままでの自炊してきた常識の自炊脳がおかしくなってしまうわ。
もう蒸すだけでよくね?って。
これって自炊のなんか面倒くささ、
何食べようどう切ろうどう煮よう焼こう炊こう味付けようと
蒸すってだけは、
切って蒸し網の中にいれて時間で蒸すだけ。
今までの自炊の苦労がなんだったのかしら?って思うわ。
もちろん自炊して作るビーフストロガノフも美味しく決まったときは嬉しい美味しい楽しい!ってドリームズカムトゥルーさんの歌みたいになっちゃうときもあるけど、
それも相まって簡単手間もないのにホームラン級の美味しさになっちゃう!ってことなのよ。
蒸しているだけなのに。
なんかここ最近の初めて蒸して食べる食材に全編全部感動していたら疲れちゃうわ!ってぐらいなんだけど、
それをも上回る、
そんな美味しいポテンシャル成分が有り余るほどふんだんに含まれていたとわ!
感動しすぎて疲れちゃったわ。
そう思いつつ、
ブロッコリーを食べながら思ってたのよ。
もう嫌だなぁ次を何蒸して食べてみようか?って考えるの。
その美味さに美味疲れを起こしてしまいそう。
身体にはめちゃ良さそうだけど。
おかげで昨日は晩ご飯ブロッコリーだけで大満足という結果に終わったの。
私は出来ちゃったわ!
ウケる!
次何を蒸そうかな?って考えちゃうわー。
ピーマンも意外と蒸し上がって良い味に仕上がる予想しか予想だにできない旨味しかまたこれなさそうなのよ。
他なに蒸す?
蒸し大根でまた大根の美味さのアップデートが走っちゃう更新されちゃうかも知れないという恐怖があるわ。
キノコ類は魚とかと一緒に蒸して魚の全旨味汁のルーシーを全受けして染み旨に仕上がるので
魚とキノコとかの組合せも漏れなくパーフェクトゲームを叩き出すの。
あと私やってみたいのが、
内臓だけ取ってあるまるまるの姿が残っている魚ってあるじゃない。
あれ丸ごと蒸したらどんなことになるの?って
たぶん美味しさのあまりに私がひっくり返っちゃうかも知れない憧れがあるロマン系魚まるごと蒸しってのにも挑戦してみたいわ!
そんなことしたら、
美味しくて誰かに怒られそうよ!
あとパックで売ってる無頭エビとか、
しかも自ら色が赤くなって蒸したて食べ頃を教えてくれるというシステムを持ち合わせているし。
海老も蒸したら大変なことになりそう。
これら、
ただ心配なのが
まあだいたい私が編み出した数学博士の秋山仁先生もビックリするような5分で蒸す5の倍数の定理をもってして蒸せば、
とりあえずだいたい上手に蒸せそうよ。
これ本当に私の蒸しライフにも彩りを与えてくれるのよ。
こんなに毎回蒸しでションテンが上がりまくっていたら蒸し料理なんて疲れて嫌になりそうだけど、
それをも凌駕する超えてくる美味しさには敵わないのよね。
蒸すってことが美味しさパラメーターのチートすぎておかしくなっちゃうわ。
ジャガイモ蒸かしたら超美味しいわよー!って窓開けて大声で叫びたいぐらいよ。
うふふ。
目新しく私の目前の目の前に飛び込んできたそのスモークサーモンとクリームチーズのサンドイッチは
アトランティックサーモンかトラウトサーモンかノルウェーサーモンかは分からないけれど
赤い色とクリームチーズの白い色のコントラストが鮮やかで引き寄せられてしまって手に取って買って食べてしまったわ。
ちょっとお値段するけれど
サーモンとクリームチーズが美味しくってこれまたリピ決定美味さだわ!って。
今日も頑張れる気がする!
うん!
ルイボスティーのパックもまだまだ夏から引き続きたくさんあんので、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
とにかく段取りが悪いし、特に法令関係弱いし、お前ら日本軍の促成将校かよってレベル
LUUP(東工大博士たちが主体で進行した)に色々ケチつけてるの、嫉妬か足引っ張てるだけだと思うわ
お前らだってちゃんと研究計画建てて官庁の求めるデータを取れる環境を社会の中に構築して、適正な資料を作成すりゃあれだけできるはずなんだよ
自分たちができないからって他人を攻撃するのにリソースを割くから駄目なんだ
トヨタとか、ソフトバンク、KDDI辺りの企業にならないとそれだけの人材が集まらない、低賃金社会が悪いのかな
何にせよもっと頑張ってほしい
ここ最近私が一人大騒ぎ騒いでいる食材を蒸したら蒸すだけで美味い!ってやつ。
あれジャガイモ何回か繰り返して、
蒸して食しているのね。
初回はフライパンで使える新しい蒸し網を買ってションテン爆上がりの上でのそれの初めて使う感動だけでジャガイモが美味しくなってたのかな?って思っていたいわゆるポテトビギナーズラック的なことだと思ってたの。
でも
2回目!美味し!
3回目!美味し!
うーん、
いわゆる品種とか拘らず無視して蒸してとにかく一応なんでもやってみようってポテトスタイルで挑む、
ここ何回か蒸してきたジャガイモなんだけど。
総じて全部全回美味しいのよ。
もう逆に思うにこのジャガイモの蒸しただけでの不自然なまでの美味しさに怪しく思っちゃうの。
蒸しただけでこんなにジャガイモの旨味を引き出すことができるの!?って。
しかも残念なことに私の蒸しパワーと蒸しレヴェルはまだまだ1なので、
私の超絶蒸しテクニックが超絶技巧ではないのは間違いないのよ。
つまりこれ、
誰が蒸かしてもジャガイモばっちばちに美味しく蒸し上がる?ってこと?
ここ最近試していた蒸す時間は数学者の秋山仁先生もビックリするような5の倍数の定理を守りつつ、
さすがにほっこりホクホクしすぎて、
もっと私のダイレクトに刻む歯応えを確かなものにしたいと蒸し時間を調整して短くしてみたの。
15分!
はい!
蒸し上がりました!
美味しいジャガイモのアルデンテやー!って
少し歯応えがあり固く仕上がっているけれど、
芯まで熱は通ってるのでホクホクには間違いないんだけど、
食べ応えのある歯応えになったのは大成功だったの!
そして、
なんか作ってもこれ美味しく仕上がってんのかしら?って
まーこんなもんでしょ?って首をかしげながら食べていたビーフストロガノフと焼きたてパンのオックスベーカーを浸して食べるんだけど、
これが私が美味く作ることができたのか、
よく正解が分からないままビーフストロガノフと焼きたてのオックスベーカーを食べていたのね。
手間かけた割りにはそうでもなくない?って
あまり飛び上がるような美味しさでは無いのよね。
なのになのによ!
それだけで美味さがいきなりマックスになるライドオン!なにこれ?って思っちゃうじゃない。
たしかに、
煮たり茹でたりしてルーシーのスープは美味い!とは感じていたけど、
これ全部茹でたり煮たりしたときに
野菜たちとかの素材の旨味のポテンシャル成分が全部流れ出ていたってことらしいの。
それを一切の一滴もこぼさずに
野菜や食材達の美味しいポテンシャル成分がモイスチャーな湯気に包まれるようにして蒸すことで、
そのポテンシャル成分が少なくなってしまうことがないってことなのよ。
マジもうこれこの冬シーズン、
つーか余裕でジャガイモ美味いしそれだけで暮らせそうなぐらいの味わい!
帰ってからパスタ茹でる11分ですら面倒くさがって夜茹でパスタ王になるんだー!って思いは強くても、
手間のコストを遙かに凌ぐジャガイモの美味さで全てが帳消しになるの。
むしろ蒸しだけにってワケじゃ無いけど、
そんな手間は惜しまない!って蒸したい気持ちが私がマックスに余裕で帰宅してクタクタになったヒットポイントが少ないわずかな1ポイントでも
面倒くさいを乗り越えてでも食べたい蒸しジャガイモなのよ!
こんな夜に
美味しい蒸したジャガイモとか食べてたら逆に美味しすぎて身体に害になるのでは?って思って一応AIたちChatGPTちゃんやGeminiちゃんに尋ねるけれど、
野菜とか最高すぎるやろ!カップラーメン食べて寝るよりかははるかにマシ!って計算結果を叩き出すのよね。
ホクホクの美味しさだけしかない、
しかもわりとビタミンCとかも含まれているジャガイモは完全食品とまで言わないけれど、
完全食品よりな食材であとズーチーのチーズとか乳製品さえあれば大丈夫とのこと。
ジャガイモ1つ蒸して食べてるだけなのに、
やっぱりこれはおかしい!美味しすぎる!怪しい!って思いつつも
あっと言う間に小ぶりなジャガイモを2つホクホクと食べ切ってしまって罪悪感のない満足感に包まれるの!
でね、
ぱく!
食べるでしょ、
美味っ!甘くてホクホクでカボチャも美味すぎるでしょ!って
1打席で2本のホームランが打てちゃえないけど打てちゃった感じの、
うーん、
こんなに美味しくていいのかしら?って不安になるレヴェル。
でも箸でほぐれるぐらいのもうとろける寸前!
蒸すってこんなに凄かったの?って
何度でも感動してしまうそのフライパンの上の蒸し網のステージの食材達への拍手喝采なのよ。
自炊の謎ミラクルに奇跡的に美味しく仕上がっても再現性のない二度と再現できない料理とくらべて、
これは蒸し時間だけなので、
蒸す時間という意味での再現性に必要な要素はそれしかなくてどう考えても間違えようのないバッチリ感なの!
こんな毎晩ションテン爆上がりしてていいのかしら?って
私のションテンメーターがたった1つのジャガイモだけで壊れてしまいそうだわ!
あまりにも相手の戦闘力が高すぎて計測出来なくてスカウターが爆発してしまう、
新しいションテンメーターを博士に開発してもらわなくっちゃ!って。
また恐ろしいことに、
これまた美味しい食材をシンプルに蒸しただけのワンパン何品かそろったやつをションテンメーターで計測したらたぶん計測不可能な美味しさになってしまいそうで計測するのが怖くなっちゃうわ。
なんで毎回蒸したジャガイモがこんなにも美味しい?
不思議に思うわ。
私一人で大騒ぎしているみたいよね。
でもジャガイモが美味すぎるのはどうやら毎回蒸しても大成功なので間違いないみたいね。
美味しくっていいんだけど、
やっぱりどう考えても蒸すだけでこんなにも美味しくなってしまうのは
怪しいと首をひねってしまうわ。
また今夜もパクパクとあっと言う間に美味しく蒸したジャガイモを食べながら唸るに決まってるのよ。
目に見えているわ。
うふふ。
そう思っていて迷っている自分を反映している鏡に映しているかのようだわ。
でも今朝はそう迷いは無かったはずなのに、
そう言うことにするわ。
美味しいことに変わりはないから。
美味しくいただいて身体が温まったところ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
子供にとって「なんで勉強しなきゃいけないの」と「なんで学校に行かなきゃいけないの」って永遠のテーマだと思うんですけど、本人視点の理由と社会視点の理由とあるなって思った日記
前提としてその子個人だけを見たときに絶対に勉強しなきゃいけないとか学校行かなきゃいけないってことはないと思う。子供は勉強する義務も学校行く義務もないし。
でも親に学校に行かせる(教育を受けさせる)義務があるのは、民主主義国家としてはせっせと子供に勉強させなきゃいけないからかなと思う。憲法とか詳しくないし法目的とかあんま知らないけど。
文科省のホームページにはこんな記述があったから、やっぱり民主国家を運営していくにあたっては必要不可欠だからというのが大きな理由だと考えられる。人格の完成に必要とも言ってるけど、それは人道的な理由であってここまでコストをかけて義務教育やってる理由としてはちょっと弱いよな。
「けだし、憲法がかように保護者に子女を就学せしむべき義務を課しているのは、単に普通教育が民主国家の存立、繁栄のために必要であるという国家的要請だけによるものではなくして、それがまた子女の人格の完成に必要欠くべからざるものであるということから、親の本来有している子女を教育すべき義務を完うせしめんとする趣旨に出たものである」(昭和39年2月26日最高裁大法廷判決)(https://www.mext.go.jp/b_menu/kihon/about/004/a004_04.htm)
こういう理由があんまり子供に直接回答されないけど、そうしたほうがいいじゃなくて、そうしなきゃいけないという視点ならこっちのがでかいかなと思ってる。
個人としてももちろん勉強するに越したことはないし、社会的に見ても義務教育くらいの勉強はそこそこできてる人のほうが人材として必要とされてるとは思う。実際大卒とか修士博士卒だと給料上がるから、教育されてるというのは重視されるからあると有利よね。
何十万も払ってわざわざ自由な時間を潰して予備校に通ってせっせと勉強するような大人もいるくらいだし、知ってると得をすることはたくさんあると思う。
逆に知らないと損することも多いよね。ちょっと前に一瞬燃えた血液クレンジングとかいろんな詐欺とか陰謀論とか、知識がないと食い物にされることもあるし。
攻撃力としての知識と防御力としての知識とあると人生でわりと不幸を回避できるから、大人は一生懸命子供に勉強させるんだと思う。正直一部自分の学歴コンプの解消のためとかもあると思うけど。
学校とかもいじめとかで苦しんでて……みたいな状態とかあると思うし命削る価値は全くないけど、やっぱり集団生活とか教育とかそういったとこは結構人生で活きてるなと思うことある。
私も高校中退したあと結構遅れて大学入ったし、実際行かないことあってもなんとかなってるけど、行けるなら間違いなく行ったほうがいいよなー。遅れてでも大学入ったのもやっぱり勉強しないと自分の能力的に話にならないと思ったからだし。
なんで学校行かないといけないことになってるかっていうと社会として行かせる必要があるからだと思うけど、行ったほうがいい理由は絶対本人にとって有益だからだよなと思いました。
科学史とは、
科学において勝てなかった者たちが、
これは悪意ではない。
具体例はいくらでもある。
たとえば、物理史をやっている知人は、
式も追えた。
だが、博士課程に進む段階で、
「これは才能の勝負だ」と悟ったらしい。
計算が速い同期、
その結果、彼は「物理史」に移った。
そして今、彼は言う。
あそこまで評価されなかった」
これは事実だ。
だが同時に、
数学史も同じだ。
数学史家の多くは、
証明を“読む”ことはできるが、
“作る”ことはできない。
そこで彼らは、
「ユークリッド幾何学の成立」
「ブルバキ以前/以後」
を語る。
そして必ずこう言う。
これも正しい。
だがそれは同時に、
極めつけは、
クーン以後、
革命は断絶であり、
合理性は後付けであり、
これによって何が起きたか。
科学史は、
ここに、
権力への意志がある。
実験も回せない。
だが、
しかも、その語りは、
なぜならそれは、
という、
こうして科学史家は、
だが、この権力は脆い。
科学史は常に「補助科目」だ。
・人文学部では周縁
・研究費は通りにくい
つまり、
語りによって得たはずの権力が、
制度によって即座に回収される。
これが、科学史の悲哀だ。
しかも内部では、
この捻じれた意志が互いに衝突する。
「あの人は科学を分かっていない」
「あの人は社会史に寄りすぎ」
「あれは科学史ではない」
要するに、
失敗の仕方の違いをめぐるマウンティングだ。
理論に敗れた者、
実験に敗れた者、
数学に敗れた者、
全員が「語り」の正統性を奪い合う。
結果、
学問は閉じ、
それでも、
なぜなら、
本当は今でも、
科学史とは、
その敗北を意味づけし、
尊厳を保とうとする
だがその体系は、
時給1117円の求人票の前で、
あまりにも無力になる。
科学史が終わりつつあるのではない。
もはや許容されなくなってきている。
だから衰退する。
静かに、
誰にも惜しまれず、
ひどく納得した顔で。
描写でいうならそもそもあの漫画って博士となんとかみたいに淡々と終末系で戦闘とか過去の絵みたいに1枚で終わってたのに
アニメだと動きまくりで戦闘がすごいしそれが悪いとも思わないかな
ナウシカなんか本人作ってるのにまるで違うし
まずドットーレの件はこれで本当に幕引きなのか(ナド・クライ編は第8幕で完結できたのか)?→おそらくNo
・2度目の終幕演出にあったノイズおよび画面端の電子回路デザイン(戦闘形態のドットーレに見られる意匠と同じ)
・エネルギー領域内で行われていた動物への意識転移実験の意図が不明なまま
└第7幕冒頭で意味深に映った、青い体に赤い目のトカゲがドットーレの転移先として怪しい
└最近のイベントでザンディクの容姿(赤目であることが分かる)を見せ、直近の魔神任務で同一人物説を確定させた
・第7・8幕にはこれまでなかった場面転換時の「セーブ中…」表記と紙と羽根ペンのアイコンがある
└場面転換時に毎回あるわけではなく実際の進捗セーブ状況をプレイヤーへ示すものとしてはやや不自然
└意匠的に魔女会ないしサンドローネのような味方陣営による何らかの劇中のセーブ演出とも感じられる
└ドットーレは旅人に新世界の「プレイヤー」になってほしかった
└ただの作劇上の都合で移動制約をかけるためだけのものとも取れるが
・冬夜の戯劇で世界樹を燃やしていた「冒涜に関する実験」が未回収
└放浪者が埠頭で「胸のつかえが取れない」と言っていたのが復讐劇あるある感情でなければドットーレ生存フラグ
・週ボスドットーレが弱すぎて怪しい、本編中にはあったフェーズ移行もない
└本編戦闘中の台詞→お前たちもじきに分かる…「運命」を超越した瞬間、すべてが私の実験台となるのだよ!
└ドットーレが執拗に旅人を引き入れようとしていたのもおそらく世界樹改変絡み
・女皇からドットーレとサンドローネでの共同プロジェクトを指示されていた(「傀儡」のノートより)
└仮に世界樹絡みの実験であったとするとサンドローネが事前にドットーレの世界樹アクセスを想定していた可能性が高まる
└埠頭で放浪者や召使が言及していた、サンドローネらしい「次の一手」がまだ存在するかもしれない
└その隠蔽の為に自身の全てのログを消去できる機能を追加した(ノート9Pより)のでは
└厳冬計画内の「ヤドリギ」というワードがこれに関連している可能性も?
└魔神任務の構成もスメールに似せてくる可能性、つまり間章として伽藍に落ちてに匹敵する世界改竄系のシナリオが控えていそう
└とはいえ次のverは多分ドーンマンポート(モンド方面)実装なのですぐには来ないかも
└少なくともドリーが伝言したナヒーダが本筋に絡んでくる一幕はver6終盤までには来るはず
└ナヒーダがドットーレから草の神の心と引き換えに聞いた「真実」に関する話も未回収、この二者間もすっきりした決着がついてない
わかりにくい小ネタ
・「傀儡」のノートで言及されたタルタリヤの2週間の失踪がいつのことか不明だが少なくともロザリン死亡前
└つまり併記されていたコロンビーナとドットーレの仲違いもロザリン死亡前(理由はキャラスト読めた範囲ではおそらく実験絡み)
└冬夜の戯劇でコロンビーナが「今日の博士、なんだか若く見えますね」と話していたのをドットーレはお世辞と解釈していたが
実際には嫌味でありロザリンの葬儀なのに全盛期のではない断片で参加している(研究最優先の片手間参列な)ことに不快感を示していた可能性がある
スカークアニメで見たように現在のテイワット大陸が属する星の外側はおそらくアビスに汚染された赤いモヤが多い宇宙だと思ってたんだけど
ドットーレ打倒後にコロンビーナに連れて行かれた先の霜月から見た感じ、天蓋バリアが存在せず月から直接テイワットが見えてるし、宇宙は全体的に青く澄んでいて、遠くのごく一部の星雲に赤っぽい色が見えただけ
偽りの空の外側から月を引き寄せて天蓋バリア割ったときに全体が崩落したんだとしてもナタの時のように自然修復されたとしても誰も空の異常に触れていないのは不自然(事件から2週間経ってたしナタの前例あったとはいえ)
月の模様が変わったということしかテイワット人は認識していない
バリア関連で認識改変が起こっているんじゃないかと思うけどだとしても宇宙の色までは説明できない
空を見上げたときの同心円状の雲や星の描かれ方は変わってないから依然バリアは機能してると思うんで、霜月が偽りの空の内側に来たという解釈でいいんだろうか
命ノ星座の星が実際に存在してる天体なのも偽りの空の中ってことだから、真の宇宙と重なり合うように偽りの空の中にも宇宙があるんだろう
つまり空が割れたエフェクトより奥にもともと見えてたものはホログラムって訳じゃなくて、まがい物ながらも存在してる模造宇宙って解釈
バリアの話は魔女会が終盤ずっとかかりきりになってた境界の問題に関連してると思うしその顛末も語られていないからまだまだ全体像が見えてこない
もともと盛宴の翼のストーリーから第一降臨者の人工知能説はあったけど、今回の衣装ストーリーからも天理はAIで、しかも旅人たちがスリープしながら星間旅行してた、人類文明を播種するための開拓船たる宇宙船のAIなのではって説が濃厚になった
そう解釈するなら天理が宇宙船を月に隠したというか、宇宙船AIが自分で隠れにいったという感じだろうか
其れという書き方からスタレでいうアイオーン級のものとも思えるが神的存在であることを示唆する(=天理だと察してもらう)ための言い回しってだけかも
あと気になる細かい所としては
・コロンビーナが月の女神というよりは天使、天の使いっぽいデザインである理由がまだ謎
・偽りの空にもともとあった月がホログラムではないなら一体どこ行った?
└量子的な重ね合わせだったのが霜月と確定したみたいに捉えることもできるけど
池田大作氏(創価学会第三代会長・創価学会インタナショナル会長)が提唱した「中道人間主義」は、極端な思想的対立を乗り越え、人間の生命の尊厳を最優先に置く社会の構築を目指す哲学的指針です。
この思想の核心を、歴史的背景、哲学的構造、そして現代社会における実践という3つの側面から詳しく解説します。
「中道」という言葉は、もともと仏教の根本概念です。釈尊(ゴータマ・ブッダ)が説いた中道は、単なる「中間」や「妥協」ではなく、「快楽」と「苦行」という両極端を離れ、生命の真実を見つめるダイナミックな生き方を指します。
池田氏は、20世紀から21世紀にかけての激動の時代の中で、この仏教的コンセプトを現代的な平和哲学へと昇華させました。
冷戦下の対立:資本主義と共産主義、あるいは国家と個人といった二項対立が世界を分断し、核兵器の脅威が人類を覆っていました。
人間不在の克服: どのような崇高なイデオロギーであっても、それが「人間」を手段化し、犠牲にするものであれば本末転倒であると池田氏は喝破しました。
ここで提唱された「中道」とは、右でも左でもない「真ん中」を選ぶことではなく、「何が人間の幸福に資するか」という一点を軸に、常に状況を最適化していく智慧のことです。
池田氏の中道人間主義は、主に以下の3つの要素で構成されています。
この思想の土台は、日蓮仏教の「生命哲学」にあります。すべての人間は内に「仏性」という無限の可能性と尊厳を秘めており、いかなる理由(人種、宗教、国籍、思想)によっても、その生命を脅かすことは許されないという考え方です。
仏教の「縁起(えんぎ)」、すなわち「すべての事象は相互に関係し合って存在している」という観点に基づきます。
「個」と「全体」の調和:個人の自由だけを追求すればエゴイズムに陥り、全体の利益だけを優先すれば全体主義に陥ります。中道人間主義は、他者の幸福を願うことが自らの幸福につながるという「自他共の幸福」を目指します。
社会の制度や仕組みを変えるだけでは、真の平和は訪れないと説きます。一人ひとりが自身の内側にある不信や憎しみを克服し、慈悲と智慧を湧き出させていく**「人間革命」**こそが、社会変革の出発点であると強調しました。
中道人間主義の最大の特徴は、それが抽象的な理論に留まらず、具体的な**「対話」**として実践された点にあります。
池田氏は、トインビー博士(歴史学者)やゴルバチョフ元大統領、マンデラ大統領など、世界中の指導者や文化人と対話を重ねました。これは「中道」が独善に陥ることを防ぎ、異なる価値観を持つ人々との間に「共通の人間性」を見出す作業でした。
政治:権力の魔性から人間を守り、常に「大衆」の側に立つ政治を志向します。
教育:知識の詰め込みではなく、子供の幸福を目的とする「創価教育」の基盤となりました。
地球的課題:核兵器廃絶、環境保護、人道支援など、国家の枠組みを超えた「地球市民」としての連帯を呼びかけました。
現代社会は、SNSの普及による「エコーチェンバー現象」や、ポピュリズムの台頭によって、かつてないほど「極端な分断」が進んでいます。
池田氏が示した中道人間主義は、以下の2点において今こそ重要性を増しています。
経済効率やテクノロジーの進化が目的化する中で、「それは人間を幸せにするのか?」という問いを常に突きつけます。
自分の正義を絶対視して他者を排除するのではなく、差異を認めつつ、より高い次元での合意(アウフヘーベン)を目指す創造的な粘り強さを提供します。
池田大作氏の中道人間主義とは、「生命の尊厳」を北極星とし、対話によって極端な対立を融和させ、個人の蘇生から地球社会の平和へと繋げていく「行動の哲学」です。
それは、静止した中間地点に留まることではなく、激動する現実の中で、常に「人間」を見失わずにバランスを取り続ける「動的な平衡」の道であると言えるでしょう。
合流も戦術としてはありだろう
しかし党名が池田大作が傾倒してた言葉だってのはちょっと…比例区で党名書きたくねぇ
別に普段中道って使う分には気にならないんだが明らかにそういう文脈じゃねーか
公明党は「公明党のもとに新たに集う政党」とか立憲民主党を吸収したかのように言うし
日蓮仏法に基づき、肉体、物質にも、心、精神にも偏することのない生命の全体像に立脚した「中道主義」を掲げ、「生命の尊厳」の時代を築きゆくのが、創価の大運動なのである
仏教の創始者である釈尊は快楽主義と苦行主義という両極端を排し、中道に生きることを教えた。いわゆる「苦楽中道」である。これはほかでもない、釈尊自身の生き方でもある。(略)
これら仏法に脈打つ中道の思想を実践論として具体的に展開されてきたのが、池田先生である。(略)
先生はトインビー博士との語らいを振り返りつつ、「中道」の意義をこう語った。
「この言葉(中道)はアウフヘーベン(止揚)に近い言葉と考えていただきたい。すなわち、物質主義と精神主義を止揚する第三の『生命の道』のあることを、私は確信しております」
https://www.seikyoonline.com/article/7686CA766542C74B17A90DDCF39D1922
横山祐典「地球46億年気候大変動炭素循環で読み解く、地球気候の過去・現在・未来」
藤井一至「ヤマケイ文庫 大地の五億年 せめぎあう土と生き物たち」
主婦の友インフォス情報社「事故物件サイト・大島てるの絶対に借りてはいけない物件」(再読)
上遠野浩平「恥知らずのパープルヘイズ -ジョジョの奇妙な冒険より-」★
菅沼 悠介「地磁気逆転と「チバニアン」地球の磁場は、なぜ逆転するのか」
ヴィンチェンツォ・ヴェヌート「生きものたちの「かわいくない」世界動物行動学で読み解く、進化と性淘汰」
いがらしみきお「ぼのぼの人生相談 「自分をしまっちゃうのをやめないとさ」」
ちょめ「室外機室 ちょめ短編集」
特別展「鳥 ~ゲノム解析が解き明かす新しい鳥類の系統~」於・国立科学博物館。
昨年に引き続いて阿部勤也を読んでいる。歴史系の本は雑学が増えて楽しいし、現代で当然とされていることが全く通用しない世界をイメージできるので、自分の価値観が相対化できる(時折正しいかどうかだけが自分の判断軸になり、どう感じているかをおざなりにしがちなので大事)。他には地学や土壌が気になってたようだ。
なお、昨年までやっていた星印の評価はやめにした。同率二位とか三位とかを考えるのが面倒だったからだ。……とか思ってたけどやっぱり直感でやることにした。
乙一「TheBook ~jojo’s bizarreadventure 4thanother day~」
志村史夫「古代世界の超技術〈改訂新版〉 あっと驚く「巨石文明」の智慧」
コタニヨーコ「夏が、僕らの世界を見ていた」
熊倉献「春と盆暗」
「フリクリ」
特別展「魂を込めた 円空仏 ―飛騨・千光寺を中心にして―」於・三井記念美術館
久し振りに芥川賞を読んで面白いと感じた。自分の好みは、語り手が男性で、非常に知的であるか(丸谷才一をこの年読んだのはそのため)、怒りや暴力性などを抱えている作品にハマることが多い。もちろん例外も多数ある。というか読書の趣味は例外だらけだ。
あとは、高校生以来で「百年の孤独」を再読したが、当時と比べて複雑なストーリーを理解する能力が向上していたとわかったのは嬉しい。
「ジョジョ」や「フリクリ」など、すでに知っている物を手に取ったのはファン心理かもしれないし、これは外れないだろうというある種の安心(または怠惰さ)かもしれない。面白かったけれどね。
志村史夫「古代日本の超技術〈新装改訂版〉 あっと驚く「古の匠」の智慧」
篠田謙一「新版日本人になった祖先たち―DNAが解明する多元的構造 (NHKブックスNo.1255) 」
アシュリー・ウォード「ウォード博士の驚異の「動物行動学入門」動物のひみつ 争い・裏切り・協力・繁栄の謎を追う」
「生誕150年記念モンドリアン展純粋な絵画をもとめて公式図録」
「生誕100年ジャクソン・ポロック展 JACKSON POLLOCK[図録]」
丸谷才一「横しぐれ」★★★
「特別展 慶珊寺と富岡八幡宮の名宝―『大般若経』が語る中世東国史―」於・金沢文庫。
また、この月は数年前に行けなかった美術展の図録を買って楽しんだ。たまたま行けなかったり、コロナ禍で自粛してしまったりしたもので、ずっと喉の小骨のように行けなかった後悔にさいなまれていたのだが、すっきりした。
丸谷才一「樹影譚」
ハンフリー・カーペンター「J. R. R.トールキン 或る伝記」
J. R. R.トールキン「農夫ジャイルズの冒険トールキン小品集」
A. A.ミルン「クマのプーさんAnniversary Edition」
A. A.ミルン「クマ横丁にたった家Anniversary Edition」
エーリヒ・ケストナー、池内紀訳「飛ぶ教室」★★★
児童文学が多い。「飛ぶ教室」は男子校を卒業して二十年余りの自分にはとても良く刺さった(小さい頃にもらったのだがパラパラめくっただけだった。たぶん自分の中の男性性を求める心が強く目覚めていなかったんだろう。あるいは、一生付き合っていきたいという友人に出会う前だったからかもしれない)。また、今まで触れてこなかったトールキンの作品に触れて楽しかった。これは十二月の洋書による再読の遠因となる。
スタインベックは障害観が少々古いが、無駄な場面がなく、悲劇としての構成が美しい。
湊一樹「「モディ化」するインド ――大国幻想が生み出した権威主義」★
J. R. R.トールキン著、クリストファー・トールキン編「ベレンとルーシエン」
相国寺承天閣美術館開館40周年記念 相国寺展―金閣・銀閣鳳凰がみつめた美の歴史。
うろこの家・展望ギャラリー、山手八番館、北野外国人倶楽部、坂の上の異人館。
湊川神社宝物殿
いつもの月と比べて大変に少ない。今月は休みの日に読まなかったのと、「終わらざりし物語」が上下巻それぞれ五百ページ超えと大変に長かったためである。四月までの分を加えれば平均して月十冊は読めているし、味わわずに読み飛ばすよりははるかにましである。というか、三月四月と十五冊読んでるじゃないか。プラスマイナスなし。
年始から神道をはじめとした日本の信仰について読んでいる。記紀に記載のない神々や、民間の信仰、仏教との混交などの知識が増え、日本神話についての解像度が上がった気がする。
なお、「クィンティ」はファミコンゲームで、これをスイッチでプレイした。祖父の家に合ったもので子どもの頃はクリアできないなりに楽しんでいた。スイッチの巻き戻し機能を利用してやっとクリアした。
余談だが昨年はクリアしないなりに「パリア」をプレイしたのだった(結局こういうクエストものや箱庭・スローライフものはそこまで好きじゃないというか飽きるとわかった。スローライフと言いながら結局採取や労働をしており、仕事で疲れて帰ってきてやるモチベーションが湧かない)。「Neo Atlas」は二〇二二~二〇二三にプレイしたが結局飽きている。世界を探検するのが好きなのはcivilizationで分かっているのだが、通知がひっきりなしに来るので、これもリアルな仕事と似ていて疲れた。
飯島吉晴「竈神と厠神 異界と此の世の境」
ダニエル・T・マックス「眠れない一族食人の痕跡と殺人タンパクの謎」★★★
成澤勝嗣「もっと知りたい狩野永徳と京狩野 (アート・ビギナーズ・コレクション)」
狩野博幸「もっと知りたい河鍋暁斎 生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)」
稲垣栄洋「生き物の死にざま」
小泉悠、高橋杉雄、太田啓之、マライ・メントライン「ゴジラvs.自衛隊アニメの「戦争論」」
小塩 真司「「性格が悪い」とはどういうことか ――ダークサイドの心理学」
綾辻行人「どんどん橋、落ちた」
櫻井武「SF脳とリアル脳 どこまで可能か、なぜ不可能なのか」
安田峰俊「民族がわかれば中国がわかる 帝国化する大国の実像」
「ACNラムセス大王展ファラオたちの黄金」於・クレヴィアベース東京
軽めの本が多め。
この後読む皇族の本も含め、学問の世界の厳しさに触れる本が多かった。知識を蓄えるのではなく、同じ問題にずっと取り組み続け、微細な差異や違和感に疑問を持つ才能がないと、研究者としてやっていくのは難しい(これはうまくできなかった自分を慰めている側面もある)。
脳科学については、著者の主張や意見のウエイトが大きく、前々から気になっていた意識や心の哲学についてはそこまで突っ込めなかった。ジャンル全体の概観をつかむだけなら、おそらくウィキペディアを拾い読みしたほうが早いか。
1.Charlotte Kuperwasser, PhD
Professor(教授), Tufts University School of Medicine(タフツ大学医学部)所属。
研究分野
Kuperwasser博士は主に以下の研究に従事しています:
発生期の乳腺組織や乳がんの進展を理解するためのモデルシステム(オルガノイドなど)を開発しています。
腫瘍微小環境と上皮間質(stromal–epithelial)相互作用ががん形成や転移にもたらす影響を研究しています。
幹細胞生物学や分化の制御因子に着目し、がん発生の分子メカニズムを探求しています。
評価・備考
乳がん生物学・組織モデリング領域の専門家として高い評価を得ている研究者です。
2. Wafik S.El-Deiry,MD, PhD, FACP
Associate Dean for Oncologic Sciences, The Warren Alpert Medical School of Brown University(ブラウン大学医学部腫瘍学担当副学部長)。
Director, LegorretaCancer Center(ブラウン大学がんセンター長)。
Co-Editor-in-Chief of the journal Oncotarget.
学術的経歴
MD と PhD を取得(University of Miami Miller School of Medicine)。
がん生物学・腫瘍学における世界的に著名な研究者であり、p53 経路と細胞死機構に関する先駆的な研究で知られています。
学術的引用数および h-index は非常に高く、影響力のある論文多数。
がん細胞における p53 の結合部位や制御因子 p21(WAF1)の発見など、細胞周期制御とアポトーシスの基盤研究が代表的です。
TRAIL や ONC201 などの抗腫瘍化合物の効果・作用機序の研究に携わっています。
トランスレーショナルリサーチとして、プレクリニカルから臨床応用につながる分子的知見の獲得に注力しています。
ブラウン大学以外にも、過去にFoxChaseCancer Center や PennState、University of Pennsylvania など複数の主要がん研究機関でいくつかの要職を歴任しています。
Yahooニュースで見た、「イベルメクチンが癌に有効なのでは」という主旨の記事についてAIに判定してもらう。
https://news.yahoo.co.jp/articles/1dcb9d059bd8e87d2885e7adeab13ad0a3febffd
大カテゴリ: A. 説得・オピニオン
読者の直感(System 1)に訴えかけ、熟慮(System 2)を阻害するような情報提示の有無を分析します。特に医療情報において、権威や感情に訴える表現は注意が必要です。
医療に関する主張であるため、提示されている情報が科学的コンセンサスに基づいているか、エビデンスの質と量が十分か、その提示方法が適切かを評価します。
文章内の主張や推論に矛盾がないか、根拠と結論の間に論理的な飛躍がないかを確認します。特に、限定的な情報から一般化された結論を導いていないかを検証します。
特定の薬や治療法を「ヒーロー」のように描き、その物語性を通じて読者の感情や信頼感に訴えかけようとする意図を分析します。
本文は、読者の直感的な思考(System 1)に強く訴えかけ、熟慮(System 2)を促す客観的かつ詳細な情報提供を意図的に避けている傾向が見られます。「ノーベル生理学・医学賞を受賞した北里大学の大村智博士が発見した」「世界中で数億人以上の人々を救ってきた」「安全性の高い薬です」といったフレーズは、イベルメクチンに対する強い肯定的な感情や信頼感を直感的に抱かせるための、強力なアンカリング効果を生み出します。これにより、読者はその後の主張(がん治療への効果)に対しても、批判的な吟味をせず受け入れやすくなります。また、「私はがん治療の現場に立つ医師として、この薬のがんに対する力を確信しています」という個人的な確信の表明は、発信者の権威を利用した感情的訴求であり、読者のSystem 1をハックする典型的な手法です。
"2015年にノーベル生理学・医学賞を受賞した北里大学の大村智博士が発見した"
"世界中で数億人以上の人々を救ってきました。もともと寄生虫やダニなどに使われてきた安全性の高い薬です。"
"私はがん治療の現場に立つ医師として、この薬のがんに対する力を確信しています。"
イベルメクチンのがん治療における有効性に関する記述は、科学的エビデンスの提示が極めて曖昧で不十分です。「研究結果が世界中で報告されています」「最新の研究では〜わかってきました」「有効性が示唆されています」という表現は、具体的な臨床試験のフェーズ、研究デザイン、対象患者数、統計的有意性、査読の有無など、科学的信憑性を裏付ける重要な情報が完全に欠落しています。また、現時点でのイベルメクチンのがん治療への適応は、大規模なランダム化比較試験によって確立されたものではなく、標準治療として推奨される科学的コンセンサスは存在しません。筆者の「確信」は、個人の経験や観察に基づくものであり、科学的エビデンスとは異なります。参考文献として挙げられている「イベルメクチン 世界の臨床医の証言」も、学術論文ではなく、個人の見解や経験を集めたものである可能性が高く、標準的な科学的根拠としては不十分です。
"この薬が、がん細胞にも作用するという研究結果が世界中で報告されています。"
"最新の研究ではイベルメクチンが、がん細胞の分裂のしくみやエネルギー代謝に影響を与えたり、免疫細胞の働きを活性化させたり、がん細胞の成長を抑制し、特に「がん幹細胞」に対して効果を発揮することがわかってきました。"
"参考:「イベルメクチン 世界の臨床医の証言」:ポール・マリク"
文章全体には、論理的な飛躍と矛盾が見られます。まず、「もともと寄生虫やダニなどに使われてきた安全性の高い薬です」という記述は、過去の用途における安全性が、がん治療という異なる文脈においてもそのまま適用されるかのような印象を与えます。がん治療における長期的な安全性や、抗がん剤としての副作用プロファイルは、寄生虫駆除とは全く異なる基準で評価されるべきです。次に、「副作用もなく」と断言しつつ、その直後に「万能薬とまでは言えません。どんながんにも必ず効くわけではないですし、まだ充分な臨床試験も進んでいはいません」と、主張を限定する表現が続きます。これは、読者に強いポジティブな印象を与えつつ、批判をかわすためのレトリックであり、論理の一貫性に欠けます。未確立な治療法に対して「力を確信しています」と強く主張する一方で、「充分な臨床試験も進んでいはいません」と現状を認める点も、結論と根拠の間に大きなギャップを生じさせています。
"もともと寄生虫やダニなどに使われてきた安全性の高い薬です。"
"副作用もなく、経口薬として使えるため、患者さんの負担も少ない反面、万能薬とまでは言えません。"
"どんながんにも必ず効くわけではないですし、まだ充分な臨床試験も進んでいはいません。しかし私は、イベルメクチンによるがん治療に、明るい可能性を感じています。"
本文は、イベルメクチンを「既存の三本柱(手術・抗がん剤・放射線治療)に代わる、あるいは補完する新たな希望」という元型的なヒーローの物語として提示しようとしています。ノーベル賞受賞者による発見という「起源の物語」と、「世界中で数億人以上を救ってきた」という「偉業の物語」が、この薬を特別な存在として位置づけています。さらに、「がん幹細胞」という難敵に立ち向かう力を持つという記述は、がん治療の最前線で戦う新たな「救世主」としてのナラティブを強化します。この物語構造は、複雑で絶望感を与えがちな「がん治療」というテーマにおいて、読者に単純な希望と解決策を提示し、感情的な共感を呼び起こすことで、イベルメクチンへの期待感を高める効果を狙っています。
"2015年にノーベル生理学・医学賞を受賞した北里大学の大村智博士が発見した寄生虫駆除薬です。"
"世界中で数億人以上の人々を救ってきました。"
"特に「がん幹細胞」に対して効果を発揮することがわかってきました。"
本文章は、未確立な医療情報に対して、特定の薬(イベルメクチン)の有効性を強く推奨するものであり、その情報提示には強い危険性が伴います。
筆者は医師としての肩書と個人的な「確信」を前面に出し、ノーベル賞受賞や過去の実績といった権威性を援用することで、読者の直感(System 1)に訴えかけ、イベルメクチンに対する過度な期待感を煽っています。科学的エビデンスの提示は極めて曖昧であり、がん治療という極めて重大な意思決定に関わる情報としては、信頼性に欠けます。論理的な飛躍や矛盾も散見され、特に「副作用もなく」という断定と、その後の限定的な表現は、読者の誤解を招く可能性があります。
がん治療は、科学的根拠に基づいた標準治療が最も重要であり、未確立な治療法への過度な期待は、患者が適切な治療機会を失うリスクを高めるだけでなく、経済的・精神的な負担を増大させる可能性があります。この文章は、そのような誤った選択を誘導する危険性を内包しています。
インターネットの普及とデジタル機器の進歩により「物知り博士」の価値が低くなった。
その中で、自前の脳を駆使して物事を説明できる人間の能力の価値は高かった。
生成AIの普及によっても、そのような影響はすでに出ている。
これまで、ある程度の分量のまともな文章を作成することは、ひとつの能力として価値を認められていたが、
今や小学生だって、AIと対話すれば、きちんとした文章を「生成」することが出来るようになってしまった。
このことは何を意味するのか?
それは、人は徐々に文章を作成する能力を失っていくということだ。
最早、誰でも労せずに文章を生成することが出来る世の中になった。
その結果として、人は文章を作成する能力を失うこととなるだろう。
インターネットの普及により、細かな知識を暗記することをやめてしまったように、
生成AIの普及により、人は文章を作成することをやめてしまう。
つまり、ますます言語を駆使して論理的思考をする人が少なくなっていくということだ。
それが何を意味するのかは言うまでもない。
私たちの、近い将来に生きる子孫たちは、かつて私たちの祖先が偉大なるローマ文明の遺物を眺めながら茫漠たる気持ちを抱いたのと同じように、われわれ現代文明の遺物たちと接することになるのだろう。