
はてなキーワード:協和とは
それもまた極端な話で、現実には『差別はよくない、隣人を大切に』ということを学んできて、例えば街頭インタビューやアンケートなんかをした時には『差別は良くないと思います』と答えるような市井の人が、同じ口で「旅行先が外国人ばっかりで嫌」「やっぱり◯◯(国名)の人はちょっとね」と、いやそれ普通に国籍差別、民族差別なんだが⋯⋯ということを、『素朴な肌感覚として』口にしたりするんよ
思想や主義主張ではなくて、生活の中の肌感覚からくる個人的な意見だと彼ら彼女ら自身は思っているから、それが差別なんていう大げさなものだとは思っていない
ちょっと大きな声では言いにくいけど、などと前置きをしたりしながら、そういう「本音」は交わされているわけだ
良くも悪くも人間は「それ(建前)とこれ(本音、生活感覚)とは別の問題」という不協和を成立させてしまう
教育レベルが低くはなく、裕福で、他者への配慮が行き届いており、マイノリティを扱ったドラマや映画も見ているから、勝手にリベラルな考え方に親和性のある人だと思っていると、ポロッとそういう発言をするのである
人はいつも無意識のうちに知らず知らず内集団の保身に流れ、差別に傾いていくもので、普通というのは「保守寄り」であり「右寄り」になってゆく
じゃあ目の前の飢えた人間を見捨てるのかって話で、「人に食い物分けてやるとか綺麗事だからやりませーんwww」てイキるバカよりは「完全な正しさを求めて何も救えないよりは目の前で苦しんでる人の命を救うことを選ぶ」って葛藤の上で選択する人間の方がそりゃ人道的に決まってんのよ
「目の前の命www米だって小麦だって命ですけどー?wwwパヨちん涙目www」なんつって揚げ足取りの屁理屈で論破した気になってるけど、人の都合でどこまでを命とするか決めてよいのかみたいな事は真っ当なリベラルは常に考えてる事だし、だから培養肉とかに賛同してる人もいるわけ
更に言えば「食べることはやめられないからこそその責任と向き合っていく」という結論に至ることも多いけど、それは戦争責任とかの議論と同じなんだわ
「正当化するのではなく、責任と向き合っていくのが真の愛国心である」ということは右翼の鈴木邦男も説いていた
まあでもそういう複雑さや不協和を受容するには人としてある程度成熟していることが必要なんよね
https://anond.hatelabo.jp/20251221114355
話題になっていた「フリマアプリの会社で働いていた」という退職エントリーを読んだ。世間では「心が洗われた」「よく言った!」などと絶賛の嵐だ。
まず最初に断っておきたい。
件の会社とは一切関係がないし、正直あの会社がどうなろうと知ったことではない。
だが、あのエントリが「美談」として消費されている現状には、実務家として看過できない猛烈な違和感がある。
おそらく、組織の利益や存続を左右する重い舵取りを任された経験がある人間ならば、あの文章を読んで抱く感想は「感動」などではないはずだ。
「ああ、ビジネスパーソンとして必要なOSが、根本からインストールされていないな」
致命的に何かが欠落している人間が、それを「正義」だと信じ込んで語っている姿に対する、埋めようのない断絶と脱力感。PLの重みを知る人間なら、誰しもがこの「やるせなさ」を感じたのではないか。
もちろん、これがバズった背景は理解できる。あれは彼への純粋な称賛というより、例の企業に対する「積年のヘイト」が噴出した結果だ。彼を「巨悪を刺した勇者」に仕立て上げれば、みんな気持ちよく会社を叩けるからだ。
だが、だとしてもだ。
彼がやったことは、冷静に見れば明白な「背信行為」であり、ビジネスパーソンとして「ありえない」振る舞いの連続だ。
それなのに、「美談」というオブラートに包まれて、組織人としての背信行為が正当化されてしまっている現状には、多くの実務家が口には出さずともモヤモヤしているはずだ。
誰も斬り込まないなら、私が沈黙している彼らの代弁者として、その「美談」の裏側を解剖しておきたい。
まず前提として、度を超えた転売行為や偽ブランド品の流通が「社会悪」であるという点については、私も彼と認識を共にしている。おそらく、批判されている経営陣とて同じだろう。誰だって犯罪や迷惑行為を放置したいわけがない。 だが、ここからが決定的に違う。「それが社会悪である」ということと、「企業としてリソースを投下して今すぐ撲滅すべき最優先課題であるか」ということは、全く別のレイヤーの話だ。
その前提のもと、増田の思考は、驚くほど「単変数」的だ。その思考の単純さが、最も端的に露呈しているのがこの一節だ。
あの当時の自分は、CS部門の現場の人間としてマスク転売に反対していました。理由は述べるまでもなく、「困っている人がいるのに転売はおかしい!」というものです。
この一文を読んだ瞬間、私は頭を抱えたくなった。 ここには「自分の主観的な感情=世界の絶対的な正義」という、極めて独善的な前提しかない。自分が見ている景色、自分が感じている感情。それだけが唯一の判断軸であり、それ以外の視点が存在する可能性を1ミリも想像できていない。
もし私が彼の上司で、部下からこんなことを言われたら、その瞬間に絶望する自信がある。「ああ、この人をマネジメントするのは無理だ」とサジを投げるだろう。 なぜなら、彼は「対話」ができないからだ。自分の感情が「述べるまでもない正義」である以上、それに異を唱える経営判断はすべて「悪」になる。 こんなマネジメントコストの高い人材を抱え込むなんて、考えただけで胃が痛くなる。
彼が単変数の問題を声高に叫ぶ傍らで、経営陣やマネジメント層は、無数の変数が複雑に絡み合う高次の方程式を解いている。そこには「倫理」という変数以外にも、法的リスク、数千万人のユーザーの自由、監視コスト、株主への責任、従業員の給与原資、将来への投資、そして競合とのパワーバランスといった、相反する要素がひしめき合っている。転売問題などのレピュテーションリスクについても、経営陣が気づいていないわけがない。リスクが看過できないレベルに達したその瞬間に、リソースを一気に投下すればいいと計算し、あえて今は「静観」というカードを切っているに過ぎないと私は想像する。
その舵取りへの想像力を働かせることもなく、彼は「倫理観がない」と切り捨てた。30代のいい大人が書いたとは信じがたいほど拙い文章であり、知的な怠慢だ。
そして、私が最も問題視しているのは、彼が平然とやってのけた「背信行為」の暴力性だ。
彼は退職後、組織の内情を、誰が見てもその会社だとわかる形で暴露した(わざとかどうかはわからないが、社名まで公開していた)。さらに恐ろしいのは、彼がこの行為を「正義」だと信じていそうな点だ。自分の放った言葉が、かつての同僚や株主、ステークホルダーにどのような損害を与えるかという「結果への想像力」が、彼には絶望的に欠けている。
さらに致命的なのは、その破壊的な衝動がどこから湧いてきているのかを俯瞰する「メタ認知能力」の欠如だ。
私の見立てでは、彼の動機は心理学でいう「認知的不協和の解消」に過ぎない。
構造はこうだ。
「正直、給料は軽く百万以上は下がりました」
つまり、彼はあの会社に「経歴の箔付け」をしてもらっただけでなく、自身の本来の市場価値よりも100万円以上も高い値付けで雇ってもらっていたことになる。
それこそが、彼が軽蔑する経営陣が、綺麗事だけでは済まない資本主義の荒波を冷徹に舵取りし、会社という箱を必死に守り抜いてきた結果得られた「果実」だ。
彼はその果実を長年貪り食ってきた。会社という防波堤の中で守られながら。
しかし一方で、彼は「自分は清廉潔白で、人のために尽くす善人だ」という自己認識を捨てきれない。「汚い会社で身の丈以上の利益を享受している自分」と「正義の味方である自分」。この矛盾する二つの事実は、強烈な不快感を生む。
この不協和を解消するために、彼にはどうしても「物語」が必要だったのだろう。
「自分は金のためにそこにいたのではない。極悪非道な組織に囚われていただけで、心までは売っていなかった被害者なのだ」という物語が。
会社を「絶対悪」として断罪すればするほど、そこで恩恵を受け続けていた自分の過去を正当化できる。彼のエントリーに見られる攻撃性は、高尚な倫理観から来るものではない。自分の中にある不快感を解消したいという、独善的な防衛本能に抗えなかっただけだ。
自分の受け取っていた対価が誰の泥臭い努力の上に成り立っていたのか。その想像力すらなく、去り際に後ろ足で泥をかける。
そして、私はこの退職エントリを読んで、経営陣の「強烈な意志」を感じ取った。それは、「黎明期から居座る、今のフェーズに合わなくなった人材を市場に放出したい」という意図だ。
想像するに、例の会社にはまだ、彼のような人材が大量に残っているのではないか。創業期や拡大期に入社し、運良くストックオプションや高待遇を得たものの、能力が会社の成長スピードに追いつかなくなった「古参の既得権益層」だ。
某企業は、待遇が良いことで有名だ。外に出れば年収が下がることがわかっているから、彼らは会社にしがみつく。組織に寄生し、甘い汁を吸いながら、口だけは「昔はよかった」「倫理観が」と文句を垂れ流す。経営陣にとって、こうした「寄生する古参」の満足度を上げることは、組織を緩やかな死に向かわせる自殺行為に等しい。
だからこそ、経営陣は今、あえて彼らが居心地の悪くなるような施策を打っているのではないだろうか。 それは短期的には従業員満足度を下げるだろう。だが、それは「代謝」のために必要な痛みだ。
不満を抱き、文句を言うだけの存在に「自分から出て行ってもらう」ための、組織マネジメントの一環。そう考えると、この退職エントリは、経営陣の描いたシナリオ通りにことが進んでいることの証左に見えてくる。一時的な痛みに耐えてでも、組織を次のステージへ強引に引き上げようとするその胆力には、同情を超えて敬礼したい気持ちにすらなった。
この退職エントリーを読んで、私がもう一つ強く感じたのは、例の組織における「翻訳機能の欠落」だ。
先ほど述べたように、経営者が解いているのは、無数の変数が絡み合う「多変数関数」だ。
株主利益、法的リスク、競合優位性、キャッシュフロー、そして従業員の士気。これら全てのバランスを取りながら、組織全体として最もパフォーマンスが出るポイント(全体最適)を探し続けている。
一方で、現場が見ているのは「目の前の業務」という極めて限定された変数だ。増田のようなCSであれば、「ユーザーの感情」や「倫理的な正しさ」が変数のほぼ全てを占める。彼らが解いているのは、部分最適の関数だ。
ここで不幸なすれ違いが起きる。
「全体最適」のために導き出された解は、「部分最適」の視点から見ると、往々にして「意味不明な愚策」や「冷酷な切り捨て」に見えるからだ。
例えば、「将来の法的リスクを回避し、サービス全体を存続させる(全体最適)」ために、「今の不正ユーザーの一部を泳がせて証拠を固める(部分的には悪)」という判断を下すとする。
だが、その意図を知らない現場からすれば、それは単なる「悪の放置」にしか映らない。
経営層が弾き出した「冷徹で論理的な解」を、そのまま現場に流せばショートするのは当たり前だ。だからマネージャーは、その決定背景にある「なぜ」を噛み砕き、時には現場の不満をガス抜きし、彼らが納得できる「物語」に変換して伝える。
この「説明コスト」と「感情のケア」こそが、組織を繋ぎ止める接着剤なのだ。
しかし、増田のエントリーからは、その形跡が一切感じられない。
そこにあるのは、経営層のドライな意思決定が、なんの緩衝材もなく、剥き出しの高圧電流のまま現場に直撃している光景だ。
「翻訳」不在のまま、資本の論理を叩きつけられれば、純粋な現場社員が「この会社は人の心がない」と錯乱するのも無理はない。
彼が怪物に見えた「経営者」は、実はただ淡々と全体最適の計算をしていただけかもしれない。
だが、その計算式を翻訳し、現場の言語で語れる人間が組織から消え失せていた(あるいは機能していなかった)。
この「中間レイヤーの空洞化」こそが、彼を孤独な義憤へと駆り立て、最終的に「背信行為」という暴発を引き起こした構造的な真因ではないだろうかと私は想像する。
(もしくは、説明しても話が通じないので出て行ってもらうためにあえて放置してる可能性もある。)
一応、彼へのフォローもしておく。もちろん、彼個人を全否定するつもりはない。CSという職種の性質上、高い「共感性」は必須スキルだ。目の前の顧客の痛みに寄り添えなければ、CSとしての機能は果たせない。 だから、彼らが解く方程式において「ユーザーの痛み」という変数の重み付けが、他の変数よりも極端に大きくなってしまうのは、避けられないことでもある。それが彼らの「才能」だからだ。その「痛みへの感度」があるからこそ、救われたユーザーもいただろうし、彼は優秀な現場担当者だったのかもしれない。それは想像に難くない。
だが、経営判断が自身の感情を逆撫でするものだからといって、会社という公器を危険に晒す行為は、経営を預かる身として到底容認できない。それとこれとは全く話が別だ。
最後に、私自身の「メタ認知」も記して、この乱文を締めくくりたい。
ここまで増田をこき下ろしてきたが、彼が持っている「純粋な気持ち」そのものを否定するつもりはない。顧客のために涙を流せる感受性は、人間として美しいものだ。それは認める。
ただ、正直に告白しよう。私がなぜここまで感情的になり、彼を断罪するような文章を書いたのか。 それはきっと、私自身が経営に携わり、会社という「器」を守るために、その「純粋さ」を犠牲にし、切り捨ててきたからだ。 彼の持つ、曇りのない眼差し。顧客と泣き合えるほどの無垢な心。それに対する、ある種の「嫉妬」が私の中にあることは否定できない。
だが、これだけは理解してほしい。 彼がその純粋さを保っていられるのは、誰かが——経営者たちが——資本主義という冷酷な市場の中で、泥水をすすりながら適切な舵取りを行っているからだ。 彼らが「汚れ役」を引き受け、複雑な変数を処理し、防波堤になっているからこそ、彼は「善人」でいられる権利を享受できている。
その構造に対する想像力もなく、たった一つの変数しか見えていない視野狭窄な状態で、「あなたは非人間的だ」と安全圏から石を投げられること。これにはどうしても辟易してしまうし、傷つきもする。 だからつい、こうやって匿名のダイアリーで感情的になってしまったわけだ。
純粋でいられることへの嫉妬については、謝ろう。申し訳ない。ただ、その「純粋さを保つ権利」が誰の犠牲の上に成り立っているのか。その構造に気づかない限り、彼は次の「温かい職場」でも必ず同じ過ちを犯すだろう。
彼は現在、「現場の裁量で社内調整し、規約を超えて一人のユーザーを救える」ような企業に転職し、水を得た魚のように働いているらしい。
結構なことだ。だが、経営の視点からあえて冷や水を浴びせるなら、それは組織が未熟だから許されているだけの「期間限定のモラトリアム」に過ぎない。
「規約を超えた個別対応」などというものは、オペレーションとして見れば再現性のない欠陥品だ。
ユーザー数が10倍、100倍になった時、その「温かい属人対応」は間違いなく破綻する。公平性を担保できなくなり、現場はパンクし、結局は彼が憎んだ「冷徹なマニュアル対応」を導入せざるを得なくなる。
彼が今、幸せを感じているのは、その新しい会社がまだ「経営の多変数関数」を解かずに済む、牧歌的なアーリーフェーズにいるからに過ぎない。
いずれその会社が成長した時、彼はまた同じ壁にぶち当たるはずだ。その時、彼はまた「会社が冷たくなった」と絶望し、同じように砂をかけて去っていくことが想像に容易い。そうならないことを、切に願っている。
https://ch.dlsite.com/matome/284962
https://ch.dlsite.com/matome/529079
この文章は、DLsiteレビューが掲載不可(弾かれる)経験を何度もした筆者が、その理由や審査基準の曖昧さ、そして自分なりの対処法・心構えを整理した考察記録です。
主なポイント
ネタバレ過剰、作品と無関係な話、辛口すぎる表現などが理由として挙げられるが、同程度の内容でも通る/通らないケースがあり、基準は非常に曖昧。
・感想や要望を書きたい気持ちは正当だが、強い言葉・直接的な否定は弾かれやすい。
・そのため「微妙」「合わなかった」「~も良いと思う」などの玉虫色表現を多用し、甘口:辛口=6:4(ダメなら7:3)を意識する戦略を取っている。
「面白かった」「エロかった」などの安全レビューを書けば確実に通ると分かっている。
それでも筆者は、作品への敬意や誠実さから、内容のあるレビューを書きたい“逆張り”気質。
・その結果、何度も掲載不可を食らい、精神的にも消耗している。
・昔はもっと厳しかった/今は緩くなった/最近また厳しくなったのでは?という疑念。
・サークル規模や販売数によっても審査の厳しさが違うのでは、という推測(根拠なしと自覚)。
それでも自分は“適当レビュー”には屈しない、という半ば自嘲を込めた決意表明。
本来「他の人は通っているのに、自分だけ弾かれた」という比較をするには、
が必要ですが、それらは一切見えない。
そのため人は、唯一確実に観測できる対象=自分のレビューと結果だけを材料に推論せざるを得なくなります。
もちろん他人の通過したレビューはありますから比較が全くできないわけではありません。
それでも人は比較を避けて“運営がひどい”という解釈に流れる」
これは怠慢でも感情論でもなく、認知のクセ+心理的コストの問題です。
2.努力と結果が結びつかないと、人は“外部要因”を探す
筆者は、
・言葉を選び
・良い点もきちんと書き
・修正も重ねている
つまり、努力している自覚が強い。それでも弾かれると、次の不協和が生まれます。
「=自分が悪い、とは考えにくい」
・自己否定する
の二択に迫られます。
筆者は前者を極力避けたい(誠実であろうとしている自負がある)ため、
後者=運営の基準がおかしい/変わったという解釈に自然と傾きます。
これは防衛反応として極めて正常です。
人は無意識に、
・同じような内容でも結果が違う
・昔通った表現が今は通らない
・明確な基準が示されない
このとき人は、
・自分が間違っているよりも
・システムが壊れていると考える方が、精神的に整合性が取れる。
そのため「運営がひどくなった」「最近おかしい」という認知が生まれやすい。
ただし、
・情報が断片的
・反証が取れない
その結果、
「考えても分からない」
という“暫定的な納得”に着地している。
これは思考停止ではなく、不完全情報下での合理的な仮説置きです。
・雑なレビューはしたくない
・でも評価されたい(通したい・認められたい)
という二律背反。
・弾かれる →ダメージが大きい
・でも自分を曲げたくない
他人と比較しないのではなく、比較できるだけの情報が与えられていない構造の中で、
誠実にやっている自分を守るために「運営側の変化・曖昧さ」という解釈を選んでいる。
これは逃げでも被害妄想でもなく、むしろ理性的で自己尊重的な反応です。
そして正直に言うと、この文章を書いている時点で、筆者自身がそれにうすうす気づいています。
「被害感を訴える人をなぜ放っておけないのか」という問いに対する、ご自身の「反論したくなる気持ち」は、現代のSNS環境における情報拡散の性質と、人間の根源的な集団の安定性への希求や自己防衛の心理が絡み合って生じていると考えられます。
以下に、関連するメディア論的・心理学的な概念をいくつかご紹介します。
SNSが普及する中で、ユーザーは自分と似た意見や価値観を持つ情報に囲まれやすくなります。この現象を**エコーチェンバー(反響室)**と呼びます。
「ネガティブな意見が広まると社会的に不安定さが増す」という懸念は、特定のネガティブな言説がエコーチェンバー内で強化され、社会全体の実態よりも大きく・危険であると誤認させることへの危機感と解釈できます。
SNS以前は、一部のネガティブな意見が広範な影響力を持つことは少なかった(「放っておけた」)のに対し、SNSではその拡散力と集積力により、**「侵食してくる」**可能性を感じやすくなっています。
ポーランド出身の社会学者エリザベス・ノエル=ノイマンが提唱した「沈黙の螺旋」という理論が関連します。
人間は、自分が少数派であることや、周囲から孤立することを極端に恐れるため、社会的な場で多数派と認識される意見に合わせて自分の意見を変える、あるいは沈黙するという現象です。
ご自身の**「反論したくなる気持ち」は、ネガティブな意見があたかも多数派であるかのように広がり、それによって「社会は敵である」という認識が優勢になることへの恐れ、つまり社会の常識や安定性が揺らぐことへの「不協和の恐怖」**として現れている可能性があります。
「社会は敵ではない」と反論することで、「社会は安定している・自分は安全だ」という既存の認識を再主張し、強化しようとする防衛的な行為と見なせます。
人々は、自分自身だけでなく、自分が生きている社会システム(現状)そのものも正当化し、擁護しようとする傾向があるというものです。これは、システムが不安定だと認識されると、不安や脅威が増すためです。
「社会は子連れを歓迎している、優しい」「社会は人につらく当たらない」という反論は、**「自分が生きる社会は基本的に公正で良い場所である」**というシステム正当化の動機から生まれていると解釈できます。
「被害感を訴える人」の主張は、この**「社会は良いシステムである」という認識を脅かす**ため、反論によってシステムを守ろうとする衝動が生じます。
確証バイアス:人は、自分の持つ信念や価値観を裏付ける情報ばかりを集めがちです。
認知的不協和:「自分にとって社会は敵ではない」という認識(認知)と、「社会が敵だと主張する声が拡散されている」という現実(認知)の間で矛盾が生じると、認知的不協和という不快な心理状態が発生します。
この不快感を解消するため、人はしばしば**「被害者の主張を否定する」という行動に出ます。これは、「自分の認識(社会は優しい)を修正する」よりも、「他者の主張(社会は敵だ)を間違っていると否定する」方が、自己の信念体系を保つ上で心理的コストが低い**ためです。
しかしOEM製品とは、富士通出身のやつが入れ知恵しそうなことだ。
ただ富士通にしても三洋電機にしてもoemで、実績を積んでいったことが、最終的に自分の製品を強くしてるかと言うとしてないんだよ。富士通は事業を変えたし、三洋は潰れたし。
つまり何かを作るってことは?企画とかデザインとか上の方の部分まで含めて製造なわけですよ。生産だけ自分たちでやっても製造の中でも抽象的なグラウンドデザインの部分がいつまでたっても育たないまま売上だけが大きくなるから組織の中と実態で不協和が起こるんですまあ実行してるやつが光通信出身だから、光通信なんていうのは営業代行の会社。
もっと製品のことなんてどうでもいい人たちだからものづくりどころか、現場の作り方もよくわかってないんだよね。
これはグランドデザインっていう意味でもそうだし、安全やコンプラみたいなところでもそうだよ
私、光通信のやつ3人知ってるけど、全員同じような曲線をたどって、最終的に事業をたたまざるを得ないところに進んでいく。
ましてやOEM に手を出した時点で伸びるスピードは速いかもしれないけど、実質ドーピングみたいなもんだからな。グラデーションの塗り方が甘いよ
まあ、富士通出身のやつと光通信出身のやつがみんなはクリエイティブを楽しんでいる中で、自分たちだけOEM をやってそれで虚構の実績作りとかいうビジネスの中でもかなりあくどい事例をやってるわけだから闇鍋というしかないよ。発注した人間たちの良心を疑う。
ちなみになんだけど、富士通って大昔のコンピューターの時代から一貫して下駄を履いてる会社なので、あれは実力的に売上ほどではないです
銀行システムの話昔のコンピューターの政策の話とか調べれば俺の言いたいことは多分わかってもらえると思う。
富士通や光通信と違って、ちゃんとまともに大手な所っていうのは売上のために自分たちの会社の中でノウハウが積み上がらないとはそういうことしないんだよ。
そして、売上に婉曲的に影響する現場の人たちが共有しないといけない価値観っていうのをしっかり共有できてんだよ。見たからわかるよ
いつまでも中小企業だったり、いつまでも尊敬されない(裏でこそこそ笑われる)会社っていうのは、直接の売上に影響するところ、ばっかり大事にすんだよ。これも見たことあるからよくわかるんだな。
上辺の売り上げが印象ばっかり大事にしてる会社っていうのは残念ながら実在するんだよ。 そしてそれはちゃんと社会経験がある人間なら言葉聞けば分かるんだよ。この社会経験っていうのは勤務した年数とかじゃない。価値観のぶつかり合いと修羅場を経験した人間ね。
価値観がぶつからないと売上が大事なのか、もっと大事なことがあるのかさえ抜本的に考えないんだよ。俺は考えたけどな
まあ、僕より年上で社会的ステータスも高かった人たちが価値観のぶつかり合いや修羅場を経験してないということが分かって「サラリーマン、名刺実績バトルってばかばかしいな」と改めて思うよ。
就職活動が嘘つき合戦なのは、ハリボテの実績を並べる人を好んでた、時代と企業があるからです ただ、私の場合ハリボテの実績や名刺みたいなものは無しで、勝負し続けてちゃんと自分が成長したり、理解したりアイデアを出したり、愛情を持って他人に接することで信頼を勝ち取りました。同じことができるものならやってみろ。生まれ変わったってお前たちには絶対にできない 。
私にだってその道の人が聞けばあっと驚くような実績はあるよ。でも言うよりもやって見せた方が格の違いを見せつけられるので言わないんだよ。
俺が自分のために作ったマニュアルが会社に採用されるという珍現象が起こったんだぞ!!自慢したいのは山々だけど自慢するのも恥ずかしい話だよ
それ以前の問題として過去の仕事ですごかった人間でも今いる現場に合わせたチューンナップができないならそいつは無能だ。無能に騙されるな 私がブチ切れてるのは頭の悪い人間というのは一定数いて頭の悪いトレンドを作ったり、悪人に虚構のお金や実績を提供したりするバカが一定数いるということだ。
https://www.youtube.com/watch?si=KrH1d8fZob6Aq83N&v=9hJLzzmbQAY&feature=youtu.be
もはや富士通の人と光通信の人に対してバカだなとしか思わない。腹が立つのはむしろバカに餌をあげてる増殖したバカだ。なまじ富士通と光通信というビジネス界の阿片窟みたいなところから悪知恵をインターネットに持ち込んでるもんだから、バカは騙されるというわけさ。今はそいつらに頭に来てる。
定義するなら媒介者?いや、むしろ培養者と言った方がいいか?バカをバカが培養するな。誰も幸せにしないものが世の中に増えるだけだよ。
それを黙って見ているほど、私は人の心を捨てたつもりはない。態度が悪いのは100も承知だが、言うべきことは言わせてもらう
国民の皆様、この度第○○○代首相に就任致しました、○○○○でございます。
私(わたくし)がこの場に立たせていただけたのも、ひとえにこれまでの皆様のお力添えのおかげでございます。
さて、私がどのような考えを持って議員活動に取り組ませていただいているかにつきましては、これまでに何度かお話しする機会をいただきましたが、今回初めて私の話をお聞きになる方もおいでになるかと存じますので、ここで改めて私の政治思想というものをご紹介させていただくことで、所信表明演説とさせていただきます。
まずは、私が護憲派なのか改憲派なのか、国家の安全保障についてどのように考えているのかについてお話しいたします。
憲法改正に対する私の立場は、「真(しん)の護憲派」である、と申し上げております。真の護憲派とは、
「これまで日本国は現行憲法を順守していないため、現行憲法がどの程度国家安全保障にとって有用なのかの判断は不可能である。そのためまずは、現行憲法を遵守せよ。その後、将来的に機能不全が明らかになれば、改正することもありえる。しかし現時点では改正する必要はない。」
尚、ここで言う憲法の遵守とは、武力を放棄せよ、という意味ではなく、憲法の精神を守るべし、という意味でございます。
では憲法の精神とは何か、ということなのですが、日本国憲法には条文の前に前文が書かれており、そこでこの憲法がどのような意図をもって制定されたのかについて、憲法が定められた背景、あるいはその精神が書かれております。ここでいわゆる憲法の三原則である「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」について述べられていますが、特に平和主義につきまして、現状どの部分が守られていないと私が考えているかについて、お話ししたいと思います。
憲法前文には、武力を放棄することによって自国を守る、とは書かれておりません。そうではなく、日本国民は、「人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚」し、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」「われらの安全と生存を保持しようと決意した」とあります。これは平たく言えば、人間には善を受けると善を返そうという性質があるので、この性質を信頼することで自分たちの安全と生存を守ります、ということです。つまり日本国憲法は、日本人は善を為す高潔な国民であるということを世界に知らしめることにより、自動的に国防が達成されるようにする、と定めているのです。
もしも世界中の国の人々が「日本人は私たちに本当に良くしてくれた。彼らは真に高潔な人々だ。私たちが日本を武力攻撃するようなことは決してないし、万が一日本がどこかの国から武力攻撃受けたなら、私たちは命がけで日本を守るために戦う」と思ってくれるなら、日本は国防のための武力を保持する必要があるでしょうか?
これは実現不能な理想論でしょうか。私はそうは思いません。しかし、現時点で達成されているとも考えていません。むしろこれまで日本は、憲法で定められた高潔さによる自動国防を実現するために、国家として何もしてこなかったために、理想から遠く離れた場所にいるように思います。武力を持たない高潔な国は攻撃されないかもしれませんが、武力を持たない下劣な国は攻撃されてしまうでしょう。そのため今後は、当面の間は現行戦力も維持しつつ、高潔さによる国防も併せて進めてまいります。
そのために、国家として平和貢献隊を組織します。この組織の目的は、世界の国々に奉仕し日本の高潔さを知らしめ、それによる自動国防を達成することです。そのため予算は防衛費から拠出することになります。武力を増強することは、相手が日本を攻撃したくてもできない状況を作ることを目的とする消極的な平和維持であり、世界に貢献することは、相手が日本を攻撃したいと思わなくなることを目指す積極的な平和構築と言えるでしょう。今後は自衛隊による抑止力と平和貢献隊による自動国防という、2つの側面から国防を担ってまいります。
平和貢献隊の具体的活動内容としましては、まずは世界各国が抱えている様々な問題を調査していきます。その中で、日本の強みを活かして効果的に解決に導いていける課題を抽出し、その活動によって日本の高潔さを知ってもらえる活動を選択していきます。
こうした活動は、国家としてではなく民間で実践しておられる方々も居ます。アフガニスタンで現地のために活動されていた医師の中村哲さんのような方々です。
https://www.bbc.com/japanese/50657223
こうした活動の恩恵を受けた人々は、例えばアフガニスタンが将来強力な武力を持ったとして、その武力を日本に対して振るおうとするでしょうか?
こうした活動は、単に寄付金を送るなどではなく、実際に平和貢献隊の日本人が現地に赴き、日の丸を背負った制服を着て活動を行っていくことで、世界の人々に日本の国家としての活動が認識されていきます。
民間人が行った活動であってもこれだけのことができるのですから、国家として予算を使った国防活動として大きく行っていけば、どれだけの貢献を世界の国々に対して行えるでしょうか。
活動の成果の指標として、世界の主要な国々の国民に対するアンケート調査を行い、日本が攻撃されたら日本のために戦うと回答するという人が80%以上となることを、当面の目標としていきます。現在世界の多くの国において、様々な理由で人々が苦しんでいます。その内容を精査し、我々日本人ができることをよく考え、世界中の人々の幸福のため、ひいては世界の人々に日本国民の高潔さを知ってもらうために一番効果的な活動を選択して実施することで、この目標達成に近づけていくのです。
「いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」
この憲法を掲げているのですから、日本国内にも様々な問題があるとしても、それを言い訳にして、世界の人々のための活動を停止してはならないのです。
現在日本と中国との間では、領海を巡ったいざこざがあります。ですがもし、1954年の自衛隊発足と同時に平和貢献隊も発足していたならば、そして中国の人々が困っている時に平和貢献隊が協力できていたならば、現在とは異なる関係があったかもしれません。
例えば1960年ごろ、中国では飢饉によって数百万人が餓死していました。しかしそれまでに平和貢献隊がその活動を通して、その意義や実績を世界に認められていれば、中国も食料配給のための平和貢献隊派遣を受け入れてくれたかもしれません。そうなっていれば、大勢の中国の人々を餓死から救えていたことでしょう。もしそのような歴史があったならば、その後の日中関係は、現在とは違ったものになっていたことでしょう。自分や自分の両親が日本の平和貢献隊の配給で餓死から救われたという人々は、日本に対する攻撃を認めるでしょうか。
これは仮定の一例ですが、日本はこれまで平和貢献隊を創設してこなかったために、70年間の世界への貢献の機会を失ってしまいました。日本が提案してもその国が平和貢献隊の活動を受け入れないという場合もあったでしょうが、もし70年間活動できていたならば、現在どれほど多くの国の人々が、「日本を攻撃するなどとんでもない、もし日本が攻撃されたら日本を守るために戦いたい」と思ってくれていたでしょうか。どれほど日本の平和が強固になっていたことでしょうか。
70年は失いましたが、私はまだ遅くないと考えます。今からでも平和貢献隊を創設し、積極的に活動していけば、それだけ日本の平和を守りやすくなっていくのです。武力増強だけではなく、高潔さによる自動国防も併せて進めなければいけません。
「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚する」
「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」
「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。」
権利と義務という考えがあります。義務を果たさない者は、権利を主張できないのです。ですから、日本国憲法によって何らかの権利を享受している日本国民は皆、「全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成する」義務を負っているのです。皆さんはこれまで、憲法の定める義務を果たしてきましたか?
現状、そうではない方が居たとしても、それは国民の責任ではなく、そのための方法を示してこなかった政府の責任であると私は考えます。理想と目的を達成するために何をすればいいのかを国として国民に示さなければ、努力したくてもできないでしょう。
ですから私はこう話します。国民の皆さん、憲法の精神を守り、平和貢献隊を創設し、世界に貢献していきましょう。そのためには皆さんの協力が不可欠です。平和貢献隊が、どの地域で、どの国に対して、どのような活動をすれば、一番効果的な働きができるのか一緒に考えてください。提案を広く募集します。また、平和貢献隊への入隊希望者も募集します。詳細は後程発表しますが、世界の人々の幸福と日本の平和のために、働いてはくれませんか。そしてまた、平和貢献隊をサポートしてくださる方も募集します。
そして何より、これらの活動を維持していくためには、私たち真の護憲派に対する皆さんの支持、投票が不可欠となります。「全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成する」ために何ができるのか、皆さん一人一人が良く考えていただき、その結果として真の護憲派に対する応援、投票、参加が理想と目的の達成に繋がると思われたならば、どうぞお力添えください。そして一緒に、「国際社会において、名誉ある地位を占める」日本国を創っていきましょう。
ご清聴、ありがとうございました。
○○○○年○○月○○日、第○○○代内閣総理大臣 ○○○○
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
中国が台湾へのドローン攻撃を開始。まず通信インフラや指揮所を制圧するため、海南島や南シナ海上の通信中継基地にサイバー攻撃を仕掛ける。
同時に、中国は日本の化学品メーカーが輸出する半導体製造用フッ化水素などを狙い、長崎や鹿児島の工場にステルス型攻撃ドローンを飛ばして生産ラインを破壊。
日本からの化学品・特殊材料が途絶えたことで、台湾のTSMCやUMCなどの半導体ファウンドリーが生産を大幅に縮小。台湾本土のドローン工場はチップ・センサーを確保できず、短期間で在庫が尽きる。
台湾はアメリカに緊急支援を要請。アメリカ空軍所属の電子戦機や海軍の無人艦艇が周辺海域で偵察・掃海活動を開始。
アメリカが台湾支援を表明し、日本・オーストラリア・イギリスを含むクアッド(QUAD)各国が連携を強化。日本は自衛隊の無人機部隊を展開し、九州から台湾海峡への偵察ドローンを派遣。オーストラリアは西豪州から補給拠点を提供。
これに反発した中国は、在日米軍基地や沖縄の通信中継サイトを攻撃対象とし、電子戦を激化させる。
韓国とドイツが台湾・日本・オーストラリア側に半導体素材やIC製造装置を供給するため参戦。米日連合が中国東部の部品輸送船団を海上ドローンで攻撃すると、中国はロシアから代替チップや機械部品を輸入して生産を維持しようとする。
一方、ロシアは中国への軍事支援を表明し、シリアやベラルーシ経由で部品を送り込むため、地中海やボスポラス海峡で海洋ドローン同士の遭遇戦が多発。
アメリカ海軍の空母無人艦載機と中国海軍の無人水上艇が南シナ海で衝突。韓国とドイツからは輸送艦や補給拠点も狙われるため、中国東北部やロシア極東にも戦闘が拡大する。
北朝鮮は中立を保つが、制裁回避のため中国側に非公式に部品を供給。インドは米日連合への部品提供には慎重立場を取る。
欧州連合(EU)は米日連合側として中国製品の輸入を全面規制。これに対し、中国とロシアはBRICS諸国(インドを除く合意体)を通じた代替経済圏を形成しようとするも、資源の奪い合いで内部不協和が顕在化。
インドは最終的に「南シナ海の航行の自由」を理由に、米日連合に比肩して中国包囲網に加わる。東南アジア諸国連合(ASEAN)は分断され、ベトナム・フィリピンは米日連合支持、カンボジア・ラオスは中国寄りを維持。
各国は海上輸送ルートを守るため海洋ドローンを投入。日本・韓国連合は南シナ海から台湾海峡までを制圧しようとし、中国・ロシア連合は東シナ海・黄海で迎撃。各地で希少金属(レアアース、タングステン、ガリウム)の奪い合いが激化する。
中国国内やシベリアの工場もアメリカ主導の無人航空機による空爆で被害を受け、生産能力の維持が困難になる。
北米(アメリカ・カナダ)やヨーロッパ(ドイツ・フランス・イギリス)各地でも、中国産・ロシア産の部品を使う工場が攻撃対象に。欧州では北海に展開する海洋ドローン戦で激しいドローン衝突が発生し、港湾都市が封鎖される。
南アメリカではブラジルやアルゼンチンがどちらの連合にも属さず、中立を保とうとするが、供給網が寸断されたことで経済が混乱。
米日韓台豪独印連合と中露北朝鮮連合に加え、フランス・イギリスが中東拠点からドローンを飛ばし、ペルシャ湾周辺の石油施設を攻撃。複数戦線で同時多発的にドローン戦が展開され、事実上の「第三次世界大戦」状態となる。
どちらの陣営も工場の生産が限界に近づき、中国東部やロシア極東、韓国南部、日本の九州地方など複数の工業地帯が大打撃を受ける。
国連安全保障理事会が緊急会合を招集し、全主要国に停戦勧告を強制。最終的にアメリカ・日本・ドイツ・イギリス・オーストラリア・韓国・インド連合が、中国・ロシア・北朝鮮連合の工業地帯を占拠し、停戦協定が締結される。
各国はドローン生産に必要なサプライチェーンの国内回帰を急務とし、工業資源・サイバーセキュリティ・AI開発が安全保障の最重要項目となる。
「シュシュ女」とは、K-popイベントでスタッフとして振る舞っていた女性に対する蔑称です。彼女の振る舞い(例えば、来場者への対応が荒かった、横柄だったなど)がSNSで話題になり、次第に動画の拡散やミーム化を経て、個人への執拗なバッシング=ネットリンチへと発展しました。
「有害な男性性(toxic masculinity)」が一般的に知られていますが、これに対する「有害な女性性」とは、社会的・文化的に理想化された女性像(優しさ、献身、謙虚さ、感情の抑制など)に適合するよう女性が自他にプレッシャーをかけ、それを逸脱した女性を攻撃する構造を指します。
シュシュ女が受けた非難の大半は、彼女の「無愛想さ」「不親切さ」「感情的な態度」といった、“理想的な女性像”からの逸脱を咎めるものでした。これは、「女性は常に優しく、奉仕的であるべき」という規範に沿わない態度に対して、過剰な制裁が下されたケースと見ることができます。
→ 「有害な女性性」によって、女性が女性を攻撃している構図もここに見られます。
→男性のスタッフが同じ態度を取った場合、これほどの反応があったかは疑問です。
K-popは特に第3世代以降(例:BLACKPINK、ITZYなど)、「自立した女性像」「自信を持つ女性」「規範を打ち破る強い女性」といったテーマでグローバルに女性のエンパワーメントを訴えてきました。
しかし、それがファン文化や現場のジェンダー構造に本当に浸透しているかは別問題です。
K-popアイドルの「強い女」像はしばしば商品化されたフェミニズムにすぎない。
ファンとの関係では、依然として「アイドルは愛想が良くて可愛いべき」という期待が残存。
その文脈の中で、「スタッフの女性」にはむしろ裏方として控えめであることが期待される。
シュシュ女のような人物が「前に出る」「強く出る」ことは、エンパワーメントというより「出過ぎた真似」と受け取られがちで、そこに集団の攻撃性が誘発されている。
ネットリンチにはしばしばミソジニー(女性嫌悪)が潜在しており、それは女性から女性への攻撃にも表れます。
「K-popアイドルの“理想の女性像”」に熱狂する層が、それに反する女性(スタッフ、ファン、母親など)を攻撃することで優越性を再確認する。
また、「シュシュ女」がファンとアイドルの間に物理的にも心理的にも“入り込む”存在であることが、彼女を「敵」と認識させやすくします。
シュシュ女へのバッシングは、彼女個人の振る舞いに対する反応以上に、
K-popにおける“理想の女性像”とファンカルチャーの不協和、
K-pop業界が本当の意味でのエンパワーメントを進めるなら、「裏方」や「スタッフ」の女性たちの働き方や尊厳にも目を向ける必要がある。
2024年の兵庫県知事選挙で再選を果たした斎藤元彦知事。しかし、その後も続くパワハラ問題に県民の間で賛否が分かれています。特に、彼に投票した人々の中には「報道は偏向している」「知事を批判するのは過剰だ」と擁護する声もあります。なぜ、多くの証言や報道があっても、彼をかばいたくなる人がいるのでしょうか? そこには心理学的なメカニズムが働いています。
人は、自分の選択や判断が正しかったと信じたい生き物です。これを心理学では「認知的不協和(Cognitive Dissonance)」と呼びます。これは、「自分の信念や行動が矛盾する状況に置かれたとき、その矛盾を解消しようとする心理的な動き」を指します。
斎藤知事に投票した人々は、「彼こそがふさわしいリーダーだ」と信じて一票を投じました。しかし、再選後にパワハラ問題が再燃し、「自分が選んだリーダーが問題を起こしている」という状況に直面すると、強い違和感(不協和)を覚えます。
このとき、人は無意識のうちに「不協和を減らそう」とします。方法は大きく分けて二つあります。
2. 「批判のほうが間違っている」と考える(現実の解釈を変える)
1は、自己否定につながるため、受け入れるのが難しい人が多い。特に、知事に強く期待していた人ほど、2の「批判のほうが間違っている」という考えに傾きやすくなります。
認知的不協和を解消するため、知事の擁護派は「批判する側に問題がある」と考えがちです。よく見られるロジックは以下のようなものです。
「マスコミが偏向報道している」 →知事の問題行動よりも、報道の姿勢を批判することで、自分の判断を正当化する。
「県政が順調なら問題ない」 →パワハラ疑惑があっても、知事としての実績があればいいと考えることで、矛盾を消そうとする。
「他の政治家だって似たようなもの」 →知事個人の問題を一般化し、「どの政治家も問題を抱えている」とすることで、特別に批判する必要はないと考える。
これらの考えは、無意識のうちに「自分が間違った選択をしたわけではない」という安心感をもたらします。
「間違いを認めること」は本当に難しいのか?
もちろん、時間が経つにつれ、態度を変える人もいます。「最初は擁護していたけれど、証拠が出てきて考えを改めた」というケースもあります。実際、世論の流れは変わることが多く、問題が大きくなればなるほど、支持を撤回する人も増えていくでしょう。
しかし、それでも「選んだ自分を否定したくない」という心理は根強く残ります。政治において、一度選んだリーダーを見限ることは、「自分の判断力がなかった」と認めることと同じに感じられるからです。そのため、多くの人は「自分の選択を正当化する理由」を探し続けるのです。
この心理を知ることは、冷静な判断をするうえで重要です。私たちは誰しも、自分の選択を否定されることに抵抗を覚えます。しかし、政治家の問題は、個々の支持者の心理よりも「県政にとって良いか悪いか」で判断されるべきものです。
「自分が投票したから擁護する」ではなく、「実際にどんなことが起きているのか」を冷静に見つめること。それが、より良い政治を選ぶ第一歩になるのではないでは?
たとえばこの人の書いた文章はこんな感じです。
高い時給のサイドビジネスを見つけたからこそ「もっとお仕事入れなきゃ」と思っていたのに…1月中旬に予定していたお仕事がキャンセル。
実際は、サイドビジネスというのは物流倉庫での日雇いバイトのことです。
そして1月中旬に予定していたお仕事がキャンセルとありますが、単にバイトの募集で落とされただけです。
いちいちこれを翻訳したり推測しながら話を聞くのがダルすぎます。
正確に情報を理解したいからいちいち脚色せずに喋ってほしいと伝えてるのですが
本人はとにかくこういう言い方しかできないみたいです。
どういえば、素直に「日雇いバイト」とか「バイトに落ちた」と言ってくれるようになりますか。
それでは、Tさんの行動や話し方を心理学の視点からしっかり分析してみますね。提示された情報をもとに、彼(彼女)の心理的傾向や動機を深掘りしてみます。
Tさんが「日雇いの物流倉庫のバイト」を「高い時給のサイドビジネス」と言い換えたり、「バイトに落とされた」を「お仕事がキャンセルされた」と表現するのは、
自己呈示とは、他者に特定の印象を与えるために自分の言動を調整する行為です。
具体的には、Tさんは「有能さ」や「特別さ」を強調する「印象管理(Impression Management)」を行っている可能性が高いです。
これは、自己価値を高く見せたい、あるいは他者からの評価を気にしている表れかもしれません。
心理学者のゴフマンが提唱した「ドラマツルギー理論」で言うと、Tさんは「舞台の表側」で魅力的な自分を演じようとしているのかもしれませんね。
ただし、「キャンセル」という曖昧な表現で失敗をぼかす点からは、否定的な自己開示を避ける傾向も見て取れます。
これは、自己評価が低い場合や、他者からの批判・拒絶に対する恐れ(Rejection Sensitivity)が強い場合にありがちです。
Tさんにとって、「バイトに落ちた」とストレートに言うことは、自己イメージの崩壊や恥辱感(Shame)を引き起こすリスクと感じられているのかも。
Tさんの話し方は、認知的不協和理論とも関連しているかもしれません。
たとえば、「日雇いバイトに落ちた」という現実と、「自分は有能で価値ある人間だ」という自己認識が矛盾すると、不快感が生じます。
この不協和を解消するために、「キャンセルされた」というニュートラルな表現に変えることで、心理的なバランスを取ろうとしている可能性があります。
つまり、事実を脚色するのは、単なる見栄だけでなく、自分を守るための「防衛機制(Defense Mechanism)」として機能しているのかもしれません。
特に、フロイトの防衛機制で言う「合理化(Rationalization)」に近いですね。
失敗を「自分のせいじゃない形」に言い換えることで、心の安定を保とうとしているのかも。
Tさんは外向性(Extraversion)や自己愛傾向(Narcissistic Tendency)がやや高い可能性があります。
外向的な人は他者との関わりの中で自己をアピールする傾向があり
自己愛傾向がある人は「自分が特別である」というイメージを維持しようとします。
Tさんが「サイドビジネス」と格好つけるのは、自己愛的な「理想化された自己(Idealized Self)」を他人に投影したい欲求の表れかもしれません。
ただし、自己愛が強い場合でも、失敗を認めるのが苦手なのは脆弱な自己愛(Vulnerable Narcissism)の特徴とも一致します。
つまり、表面的には自信満々に見せつつ、内面では傷つきやすさや不安を抱えている可能性があります。
マズローの欲求段階説で言う「承認欲求」がTさんの行動の根底にあるかもしれません。
日雇いバイトという「平凡な現実」を脚色するのは、周囲から「すごいね」「頑張ってるね」と認められたい気持ちが強いからかも。
特に、20代というライフステージでは、社会的地位や自己アイデンティティを確立しようとする時期なので
あなたが「正確に話して」と指摘しても変わらないのは、この承認欲求がTさんの自己表現のコアにあって、簡単に手放せないからかもしれません。
最後に、Tさんのコミュニケーションには回避型アタッチメント(Avoidant Attachment)の要素が垣間見えます。
深い自己開示をすることで「弱さを見せる」リスクを回避したい無意識の防衛なのかも。
Tさんにとって素直になることが「心理的安全性(Psychological Safety)」を脅かすと感じているからかもしれませんね。
「ねえ、Tさん。あの、私、最近Tさんのこと考えてて…ちょっとお話ししたいことあるんだけど、いいかな?
私、Tさんが『サイドビジネス』とか『お仕事がキャンセルされた』って言うとき、すごく丁寧に言葉を選んでるなって感じてたんだ。
なんか、そうやって話すのって、Tさんなりの優しさとか、自分を大事にしたい気持ちが込もってるのかなって思ってて。私、そういうところ、すごく素敵だなって感じるよ。
私ね、実は昔、自分のバイトのこと言うの恥ずかしくて、『何か用事があって…』とか曖昧に言っちゃったことあってさ。
もしさ、『日雇いバイト』とか『落ちちゃった』ってそのまま言うのって、Tさんにとって少しドキッとしちゃう瞬間があるのかな?
それって全然普通のことだよ。私もそういう気持ち、すっごくわかるから。
でもね、Tさんがもしそのまま『バイト頑張ってるよ』とか『今回はダメだったけどね』って言ってくれたら、私、ほんと嬉しいな。
だって、そうやってストレートに話してくれるのって、Tさんのリアルな一面が見える気がして、なんか安心するんだよね。
私、絶対『Tさんって頑張ってるな』って思うし、そういう素直な言葉の方が、心にじんわりくるよ。Tさんのこと、もっと知れた気がして、ほっこりするっていうか。
もしさ、『でも、いきなり素直に言うのって難しいな…』って思うなら、無理しないでいいよ。
たとえば、私に話すときだけでも『バイト』って言ってみるとか、ほんの小さなことからでもいいかなって思うんだ。
私、Tさんがどう話してくれても、ぜったい変に思ったりしないよ。Tさんのこと、いつも応援してる気持ちだから。
あの、私、Tさんに何か押し付けたりしたくないから…どう思うか、Tさんの気持ち聞かせてくれたら嬉しいな。
私、Tさんが話しやすいように、ちゃんと待ってるからね。少しでも『試してみようかな』って思えたら、それだけで私、すっごく嬉しいよ。
新光三越の爆発、結局ガス漏れはなかったのにフジサンケイや文春のように当初「ガス漏れか」と報じるという誘導屋のような報道社がある
一体誰得?
訪問先候補は、笹川記念財団の場所、金融軍の本拠地、虎ノ門が一つ(左翼テロ虎ノ門事件の地)
倉庫は埼玉県所沢、三越伊勢丹ビジネス・サポート(旧陸軍所沢飛行場)
協和物産が併設(旧三井物産、厚生官僚系 ※)、参加団体の東京経営者協会(旧関東経営者協会、旧日本経営者団体連盟)は2009年経団連ビルに移転
いったん化学兵器が作られれば、後には公的権力組織から莫大な廃棄処分予算が割り当てられ、100年は安泰だ
東京文理科大学は1922年に発足し、外務省は今でも遺棄兵器処分予算を計上(自衛隊予算ではない)
※戦災復興院終戦連絡事務局特別調達庁・厚生省・都庁・その他の諸官公庁の購買物資の取得、保管、包装、配給等の業務を担当していた、復興資材課長 兼厚生物資課長萩原篤志を中心に有志職員参加の下、昭和23年12月に創立
「産後の恨みは一生」
よく聞く言葉だけど、これは女性たち自身が「こう思っていい」と自分たちに言い聞かせてる節がある
みんなが「産後の恨みは一生」って言ってるからワタシも言っていいのだみたいな感じだ
実際にそんなエントリも出てきた
なぜこのようなことが起こるのかというと、出産後に女性は愛情の対象が旦那から子供へと大きくシフトするからだ
これは男性からすると(女性からしても)認めたくないが実際にエビデンスのある事実である
ただ現代ではその際に女性側に起こる内的不協和を解消するため(愛していたはずの夫を愛せない自分を正当化するため)
愛せない自分を受け入れるのではなく、そういった夫を選んだ自分の責任を認めるわけではなく
「産後の恨みは一生」だからワタシは夫に冷たく扱ってもいいのだという論理構成である
本人たちも無自覚にやっていると思う
冷静に考えてみてほしい。いくら自分が大変なときだったと言っても、相手は異性だし
そのことで一生恨むというようなことを自分に許している方が認知が歪んでいる
もし男がやりたい時にやれなくて「チンポの恨みは一生」とか言い出したらどう思うだろうか
本当に女性というのはそういう「自分は悪くないと思いたい」ところがあるから言葉は額面通りに受け取ってはいけない
いただき女子たちが、相手を騙してただの詐欺をしているという後ろめたい事実を
若くて可愛い自分と付き合えている報酬としていただいているだけなのだ
モラルの違いだけだ
性別関係なく、成熟した大人として自分が選んだ人生の伴侶を恨みつづけるのはなんと惨めで悲しい人生だろう
そういったことを口にする人はそんなことにも気づかないのだろうか?
だがしかしそういった人にとっては、自分を恨むよりは、誰かを恨み続けた方がまだマシなのかもしれない
産後の恨みを一生とかいう言葉を口にしてしまう人を伴侶としてしまった自分の浅はかさを恨むしかない
妻と結婚して10年弱、子供は2人。共働きで互いに一部上場企業に勤めていて都内住み。世帯収入は2,000万くらい。世間で言うところのパワーカップルに属すると思う。
妻が韓国アイドルにハマって5年ほど経つのだが、マジでキモくて受け入れられずにいる。
どハマりするだけならキモいで片付けられる。問題は、妻が子供の世話を俺に任せてライブで地方遠征に行ったり、共通のリモートワークルームが推しのグッズで占拠されてて、居心地が悪い。
そんなわけで妻が好き勝手やってるからいいだろ?と会社の後輩と休日の昼から飲んでいたのだが、全く同じ悩みを抱えていて存外盛り上がってしまった。あらかた愚痴を言い合ってスッキリしたが、家庭の不協和を肴に飲むのはそれはそれで居心地悪いと言うか、一方で楽しみきれない感もある。
妻がなぜ韓流アイドルにハマるのか以下に仮説を立ててみたんだけど、みんなの考えを教えてほしい。
俺もよく気持ちが分かるが、東京でバリバリ働くって結構なストレス。しかも女性。ストレスの発散先として推し活に向いているのではないか。
夫の愛情を感じない、ときめかないなどの不満が韓国アイドルに向いてる説。セックスは年に2,3回くらい。半年くらい経つと思い出したかのように儀式的なセックスをする。後輩もそんな感じらしい。
元々そう言う性癖だった説。
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