
はてなキーワード:十戒とは
つまりタルムードでは、身体の素材は親が与え、生命・魂・意識は神が与えるという明確な二元構造です。
親は自分の遺伝を伝える、しかし生命力そのものは神が注ぐという構造を示します。
したがって、「親がDNAを一から設計した訳ではない」という主張はタルムード的にも特に矛盾しません。
ただし、親の役割を小さくするような言い方はタルムードの精神とは一致しません。
タルムードでは、
「親を敬うことは、神を敬うことと並ぶ」(キドゥシン30b–31a)
親は神と共に人間を創造した共同パートナーであり、そのためカバド・アヴ・ヴェエーム(父母尊敬) が十戒に入るのです(出エジプト記20:12)。
2. 親が生命の神秘を完全に理解していなくても、身体の供給源である。
4. よって「体を与えたのは親ではなく神」はタルムード的には 正確ではない。正しくは、親と神の両方が与えた。
こんな夢を見た。
『2025年12月のある真夜中、モスクワは崩壊した。何が起こったか世界は知りえなかった。12時間後、北京政府は地球外からの侵略者に備えると宣言し、シベリアに軍を派遣した。しかしその軍は跡形もなく崩壊してしまった。その12時間後、北京も崩壊した。
まだ世界は何が起こったか理解できなかった。その中で朝鮮の太っちょは側近を連れシベリアに向かった。彼はロシアと中国に何があったか少し知っていた。太っちょがシベリアにつき、何者かに接して24時間後、朝鮮軍は全長20kmを超える三機の漆黒のモノリスの助力を得て南進した。南進開始より48時間経たず、南の国家は崩壊し、太っちょは朝鮮半島の統一を宣言し、アメリカのトラ大統領他中国周辺の各国首脳を、ピョンヤンに招くと伝えた。
崩壊したモスクワでは、朝鮮半島とは別の深紅のモノリスより現れた仮面の人物により新生ロシア政府の成立が宣言された。ウクライナに即時の現状維持での停戦を求めたが、ウクライナはそれを拒否した。そして、言ったはずだ!同志になれと!!なぜそれが判らなかったのだぁ!!!とのメッセージとともにキエフもまた崩壊した。キエフが崩壊してから24時間後モスクワからリヴィウに、今度は蒼鉛のモノリスが向かった。時を同じくして、何かを知っていたローマ教皇がバチカンに集めた枢機卿を引き連れてウクライナに向かった。モノリスはリヴィウにつき、中からでてきた初老の男性がプッチン以下をウクライナに引き渡した。ローマ教皇一行はモノリスからの人物の前に跪き、神よとあがめたが、その人物は、神とは違うのだよ!神とは!と答えた。NATO各国も初老の男性に接触しようとしたが、すぐさま蒼鉛のモノリスとともに消え去り、詳細を得ることはできなかった。
数日後、トラ大統領他中国周辺国家の首脳は日本に集まり、事前協議をした後、横田基地より米軍機に乗りピョンヤンに降り立った。朝鮮の太っちょが議長となり、各国首脳とモノリスから現れた人たちの会談が開かれた。主を失った中国は、当面周辺各国が進出し、難民の流出を押しとどめ、分割統治が行われることが決まった。日本は現地人の対日感情が悪いということで、何ももらえなかった。朝鮮軍の南進によって捕虜となっていた在韓米軍はモノリスの人物の好意で、モノリスによって丸ごと横田基地に運ばれることに決まった。トラ大統領一行もモノリスに同乗し、その技術力に目を見張った。
横田基地に帰還したトラ大統領一行により、詳細の発表が行われた。失われた十部族が帰ってきたのだと。十部族は地球帰還に際し、無人のシベリアを帰還地としてロシアと交渉していた。おりしもウクライナ戦争で不利になったプッチンが、台湾進攻を企てていたプーとともに、十部族の持つの技術を奪取しようとしたが、返り討ちにあったのだと。
敵か味方かわからない十部族について世界各国は動揺した。それを静めるため、太っちょとトラ大統領の計らいで、後日十部族の長たちが国連で演説することとなった。
数週間後、白銀のモノリスで、十部族の各長が国連に到着した。降り立ったのはすべて女性であった。そして、その長達によって驚くべき歴史事実が公表された。
ユダヤ一神教の神とは、宇宙航行種族であったこと。航行種族が地球を発見以来、詳細な人類史の記録があること。知性の萌芽を見つけた宇宙航行種族は、宇宙の法を教えようとしたが、ユダヤ民族以外は受け入れなかったこと。十二部族が他民族に滅ぼされかけたので、従った十部族だけ緊急に航行種族のルナベースに保護されたこと。ローマ帝国成立後、航行種族は介入を止め、観察に徹したこと。
イエスは十部族と関連があった人物であったが、規則を破り、他民族にも宇宙の法を広めようとしたこと。6壺のワインと、5000人分のパンをUBERで注文したが、代価を払わなかったこと。そのため罰として、地上で処刑されるとき見放し、のちに復活させて収監したこと。大陸の東の孤島に収監する前にローマから逃げるパウロに会わせたことが、偶然カトリック教会の礎になったこと。現地妻との間にできた子供に誕生祝いのコップを贈っているが、それは聖杯ではなく収監先の津軽焼のお土産であること。
この時イエスの拘束された写真が表示されたが、聖骸布とは似ても似つかぬ、丸顔に無精ひげのおっさんであった。
そして、マホメットとは十二部族とも航行種族とも何の関係もないことが語られた。
世界はパニックに陥った。ローマ法王はまだ沈黙を続けている。イスラム圏では、それでもイスラム教を信じるもの、棄教するものとの争いになった。
まだ公表は続く、七十人訳聖書の誤訳について、旧約聖書の舞台は現代のイスラエルではなく、紅海の東岸、イエメンとサウジのある場所であること。
十戒を下した場所が特定され、出エジプト記のルートも従前言われたエジプトからではなく、アラビア半島内での逃避行であったことが明示された。
(そりゃ国家成立後70余年掘り返してみてもユダヤの遺跡なんか見つかるわけないわ、各国の聖書考古学者は嘆き、その人生を後悔した。)
イスラエルにいるユダヤ人とは血統的に十二部族とは関係がないこと、それ以上にパレスチナ人の方が残された二部族に血統が近いこと。
ローマ帝国の滅亡により、帰還が1000年遅れたこと。そしてローマ帝国の滅亡の轍を再び踏もうとしたため帰還予告を送ったこと。
ファティマの預言とは、十部族の帰還の予告であった、百年待っていて下さい、きっと逢いに来ますから。その時までに文明崩壊をさせないようにという警告も含めていたことであった。なぜファティマが選ばれたか?それはたまたま十部族の地上関係者の居住地の近くだったに過ぎない。
日本神話とギリシャ神話、インド神話はそれぞれ実際に起こったことを神格化したに過ぎず、アトランティスは現在のドニャーナ国立公園にある。
そして、所定の場所を掘ればそれなりの遺跡が出るとのことだった。
バベルの塔は、塔ができたことにより、いろいろな言語を話す人たちが集まってきたが、落雷で壊れ、その時の混乱が大げさに伝わったものだった。
ノアの洪水はかつて地中海は干上がっていたが、そこに黒海より水が流れ込んだ時の出来事であったとか。
(まぁ、昔だから距離とか偉業とかは口伝で正確ではなく、記録が定まったときには大げさになってるだろうと、各国の歴史学者は妙に納得した。)
ムー大陸とノストラダムスの予言に至っては、チャーチワードの詐欺でありまた、詩集を他人が勝手に拡大解釈したものとバラされた。
(カルト宗教や陰謀論の信者たちは、それでもこれらを信じた。)
航行種族より十部族にも公開されてない史実があるらしい、それは総会後の雑談でもたらされた。
インダス?シュメール?あれはねぇ、ちょっとした失敗らしいの、前だから詳しくは教えてもらえなかったの。
でね、ピラミッドは航行種族の転送装置を、現地人が真似て作ったもの。真似だから動かないし、時代を経るごとに大きくなっちゃたらしいの。
巨石遺跡や隙間のない石垣は、現地人がやってくれたら法を学んでくれると言われたからやったらしいけど、結局学んでくれず、放置されちゃった名残りだって、等々。
十部族はすでに月の裏側のラグランジュポイントにシオン公国を築いており、地上ではシベリアに基地を持っていたので、約束の地は放棄する方針であった。
そしてルナベースには航行種族の系外へのワープ施設が設置されているとのことだった。(ちなみにこの施設、一回動かすのに13バクトゥンかかるらしい。)
その発表後、ローマ法王は真実の隠匿を認め、カトリック教会の解散を宣言し、マラキの予言通り、最後の法皇となった。カトリックより分派した宗教は、カトリック以上にそれぞれの存在意義を失った。
中東は大混乱に陥った。まず、イスラエルはその存在意義を失った。イスラエルを離れるもの、一個人として残るものと様々であった。
パレスチナ人は、今更ユダヤ教に改宗してどうする?と血統と信教の板挟みに陥った。
サウジイエメンは国内にある聖書の遺跡や約束の地の扱いに苦慮する羽目になった。
欧米では、宗教意義を失った移民と現地民との間の軋轢が高じ、無政府状態に陥った地域もあった。
各国の陰謀論者たちは歓喜したが、思い至らなかったこと、関係者ではなかったことを悔やんでいた。
台湾は将来の中華統一を目指して、関係各国と粛々と交渉を始めている。
太っちょは、十部族の一番弟子、統一の英雄、大朝鮮帝国初代皇帝を自称し、認めたくないものだな自分の有能さを、とにっこにこである。
日本では、少し?物価高になったが、相も変わらず、日常が続いている。
かくして天国の門は開かれた。七つの大罪を背負うものは地上に留め置かれ、七つの徳を成したものは昇天する権利を得た。
なお、日本の女性首脳はまだ踊っている、あぁ時間(とき)が見えると。
おしまい。』
以下は、タルムードの価値観と現実社会で広く認められている価値観を比較したもの。
タルムードはユダヤ教内部の法・倫理体系であり、現代社会は宗教や文化を横断した価値観を持つため、当然のことながら直交(衝突または独立)する部分がある。
が強調されるようになった。
現代社会では、
タルムード「人は共同体なしに生きることはできない(ピルケイ・アヴォット)」
タルムードでは、ツェダカ(慈善)は義務。貧者を助けるのは道徳ではなく法律。
一方、現代社会では
タルムードでは、重視されるのは行為。善悪は何をしたかで判断される。
現代社会では、
| テーマ | タルムードの価値観 | 現代社会の価値観 |
| 自由 vs義務 | 義務中心 | 自由中心 |
| 個人 vs共同体 | 共同体・家族 | 個人 |
| 慈善 | 法的義務 | 任意 |
| 社会の変化 | 伝統を維持 | 変化を歓迎 |
| 倫理の軸 | 行為中心 | 内面・意図中心 |
俺は錯乱して主観現実が狂った時に、「俺の認識を操作して世界を安定させる」という世界線に行った
俺の認識が狂うと世界が狂うので、周囲の人達は俺の認識をうまい具合に利用して安定させようとする
そのパラレルワールドからこの世界に戻ってくると、宗教が多様だとはいえ、類似点はかなり多いと思える
例えばユダヤ教と仏教には「足るを知る」といった共通のアイデアがあるし、倫理を説く宗教には「黄金率」という類似概念がある
狂った異世界の人間とコミュニケーションを取るのは不可能と思ったが、この世界の人間たちとコミュニケーションを取って友になるのはずっと簡単だと思うわけである
相違点ばかりではなく、類似性に目を向ければ、世界にはまだ救いがある
確かに「キリスト教には悪魔の概念があるが、ユダヤ教にはない」と言うと、倫理の根本が全く異なるという印象を与えるが、
「創世記」「箴言」「十戒」といった経典は共通しているという点に着目すれば、まったく未知の言語を話すわけではないというのがわかる
異世界ではこの前提が成り立たなかった。言葉が情報を伝える手段ではなく、個々の狂気を増幅する装置になっていた
誰も同じ対象を見ておらず、共通の現実を仮定するという発想すら存在しなかった
したがって、会話は成立しない。発話は発話として受け取られず、各自の幻覚体系に吸収されて終わる
その点、この世界の人間たちはまだ「同じ世界を共有している」という最低限の合意を持っている
誤解や対立はあっても、意味が伝わらないわけではない。それは脆いが、なお機能している構造だ
俺がこの世界で人と対話できるのは、彼らがまだ現実を共通の参照点として扱えるからだ
つまり、ここではまだ話すという行為が現実を維持する機能を持っている
チャーリーカークがケンブリッジの学生に論破されるって動画の長い版があったからGeminiに英語教材にしてもらった。
https://x.com/KBYMScotland/status/1966798924468851007
今年5月、チャーリー・カークが🇬🇧ケンブリッジ大を訪れ学生とディベートを行った。カークは「聖書は同性愛を道徳に反するとし禁じている」と持論を展開するが...
https://x.com/mkbfpv/status/1966798326730240107
Hereis the actual full clip of thisexchange.
***
Ellis Jones from EmmanuelCollege.
(拍手)
Umhello, thankyou for coming totalk. Um, so my question,assomeone studying archaeology and biological anthropology, um, I've learned that moral codes and social norms havealways been fluid, shapedbytime, culture,power. Somany ancient and recent societies embraced same-sex relationships and even theidea of third genders uh well before Western conservatism even existed. So whenyou claim that modernconservative values represent some kind ofuniversal objective moraltruth,likeyou saidonyour chairover there, um areyou just defending a selective,historically recent ideology that erasesmost ofhumanhistory and targets peoplewho havealways been part ofit?
こんにちは、お話しいただきありがとうございます。ええと、私の質問ですが、私は考古学と生物人類学を学んでいる者として、道徳規範や社会規範は常に流動的で、時代、文化、権力によって形成されてきたと学びました。古代から近代に至るまで、多くの社会が西洋の保守主義が存在するずっと以前から、同性間の関係や第三の性という考え方さえも受け入れてきました。ですから、あなたが現代の保守的な価値観が、そちらの椅子でおっしゃったように、何らかの普遍的で客観的な道徳的真理を代表していると主張されるとき、それは人類の歴史の大部分を消し去り、常にその一部であった人々を標的にする、選択的で歴史的に新しいイデオロギーを擁護しているだけなのではないでしょうか?
archaeology (n):考古学
anthropology (n):人類学
fluid (adj): 流動的な、変わりやすい。ここでは「道徳規範が固定されたものではなく、時代と共に変化する」という文脈で使われています。
conservatism (n):保守主義。伝統的な価値観や制度を維持しようとする政治的・社会的な思想。
objective (adj):客観的な。主観に基づかない、事実としての真理を指します。
selective (adj):選択的な、えり好みする。ここでは「歴史の中から都合の良い部分だけを選んでいる」という批判的なニュアンスです。
ideology (n):イデオロギー、観念形態。特定の社会集団が共有する信念や価値観の体系。
erase (v): 消し去る、抹消する。
No, but canyoupoint to me of a greatpower that endorsed same-sexmarriage, not cohabitation, butmarriage?
いいえ。ですが、同棲ではなく、同性「婚」を承認した大国を一つでも挙げていただけますか?
endorse (v): (公に)是認する、支持する、承認する。
cohabitation (n):同棲。法的な婚姻関係を結ばずに共に住むこと。
Ancient Mesopotamia.
Asmarriage?Asasas recognizedby thestate.
100%.
100%そうです。
And howdid that workout for them?
それで、彼らはどうなりましたか?
It workedout perfectlyfine.Itwas an accepted norm ofsociety.
全く問題なく機能していました。社会で受け入れられた規範でした。
norm (n):規範、標準。社会において当然のこととされる行動や考え方の基準。
なるほど。それでも私はそれが間違っていると思います。
Okay, okay, swiftly movingon. Soyou saiditwas basedon scripture andyoubelieve that there are moral objectiveuniversaltruths.
わかりました、では次に進みます。あなたはそれが聖書に基づいており、道徳的に客観的で普遍的な真理が存在すると信じているとおっしゃいましたね。
scripture (n):聖書、聖典。キリスト教やユダヤ教の正典を指します。
Yes, there are. So murderis wrongtoday and murderwas wrong 2,000 years ago.
はい、存在します。殺人は今日も悪であり、2000年前も悪でした。
Right, okay, infact that's not samesex, but fair, fair, I seeyourpoint.
ええ、なるほど。それは同性の話ではありませんが、まあ、おっしゃることはわかります。
But there are moraltruths that are transcendent oftime, place, and matter.
しかし、時間、場所、そして物質を超越した道徳的真理は存在するのです。
transcendent (adj): 超越的な、並外れた。ここでは、物理的な制約や時間的な変化の影響を受けない、普遍的な真理を指しています。
Okay, but but so just to clarify,youbelieve that thisis in theBible. Thisis laidout in theBible thatman shall not sleep withman and so thereforeit's...
わかりました。しかし、確認ですが、あなたはそれが聖書に書かれていると信じているのですね。男は男と寝てはならないと聖書に明記されており、だからこそ…。
It's also repeated throughout the New Testamentas well. Matthew, in thebook of Matthew, Jesus affirms the biblical standard formarriage.
それは新約聖書全体でも繰り返されています。マタイによる福音書で、イエスは結婚に関する聖書の基準を再確認しています。
Okay, so I'm gonnamaketwo very, very quickpoints. So the first, um, so if welookat the Old Testament inisolation, just to start off withas an example. So let'slookatExodus 35:2, which suggests that ifyou workon the Sabbath,you should be put todeath. Ifyoulookat Leviticus11:7,it suggests that ifyou have pork,you should be put todeath. Ifyouplanttwo crops sideby side,you should be stonedbyyour entire village. Ifyouwear a suit, whichyou arewearingnow, that containstwo different fibers intertwined into the same jacket,you should be burnedat the stakebyyour ownmother.Now, following that rationale, in Leviticus 18:22 whenitstates thatman shall not sleep withman,why aren't we burning ourselvesat the stakeas well?Why aren't we stoning ourselves todeath?
わかりました。では、非常に手短に2点述べさせてください。まず、例として旧約聖書だけを切り取って見てみましょう。出エジプト記35章2節では、安息日に働けば死刑にされるべきだと示唆されています。レビ記11章7節を見れば、豚肉を食べれば死刑にされるべきだと示唆されています。2種類の作物を隣り合わせに植えれば、村全体から石打ちにされるべきです。あなたが今着ているような、2種類の異なる繊維を織り交ぜた上着を着ていれば、自分の母親によって火あぶりにされるべきです。さて、その論理に従うなら、レビ記18章22節で「男は男と寝てはならない」と述べられているのに、なぜ私たちは自分たちを火あぶりにしないのでしょうか?なぜ石打ちで殺し合わないのでしょうか?
inisolation:孤立して、単独で。ここでは「旧約聖書だけを文脈から切り離して見てみると」という意味です。
Sabbath (n):安息日。ユダヤ教で労働が禁じられている土曜日のこと。
Leviticus (n):レビ記。旧約聖書の一書で、祭儀や律法に関する規定が多く記されています。
intertwined (adj): 絡み合った、織り交ぜられた。
at the stake: 火あぶりの刑で。中世の処刑方法の一つ。
(拍手)
Doyou care toaddress mymain contention that Christaffirmed biblicalmarriage in thebook of Matthew? And canyoutell me thedifferencebetween the ceremonial, the moral, and the ritual law? And then finally, also,tell me about Christianity, thedifferencebetween the new and the Old Covenant, oryou're just going tocherry-pick certain verses of ancientIsrael that do not apply to new Christianity?
私の「キリストはマタイによる福音書で聖書的な結婚を肯定した」という主要な主張に反論していただけますか?そして、儀式律法、道徳律法、祭司律法の違いを教えていただけますか?そして最後に、キリスト教における新しい契約と古い契約の違いについても教えてください。それとも、あなたは新しいキリスト教には適用されない古代イスラエルの特定の聖句を、ただつまみ食いしているだけですか?
contention (n): (議論における)主張、論点。
covenant (n): (神と人との)契約。キリスト教神学において非常に重要な概念です。
cherry-pick (v): (自分に都合のいいものだけを)つまみ食いする、えり抜きする。
Very fair, fair. I completely agree. So we'lllookattwopoints then. So firstly, um, if welookat the Old Testament, uh, we can see the kind of inconsistencies there. We've already touched upon that, right? Thatmakessense. Secondly,you mentioned thepoint of Jesus and Christ. He never mentionedanything to do with homosexualityatall.
ごもっともです。完全に同意します。では2つの点を見ましょう。まず、旧約聖書を見れば、そこに矛盾があることがわかります。それについては既に触れましたよね?理にかなっています。次に、あなたはイエス・キリストの点に言及しました。彼は同性愛について一切何も言及していません。
Whoa, holdon a second. Heaffirmed, heaffirmed biblicalmarriageasoneman andonewoman. He said aman shall leavehis...
おっと、待ってください。彼は聖書的な結婚を「一人の男と一人の女」として肯定しました。彼は「男はその…」と言いました。
in the New Testament?
新約聖書でですか?
In Matthew, thatis not correct.I believe in the New Testament, in the New Testament. Well,Romansis also in the New Testament. Secondly, inRomans 1, the ApostlePaultalks negatively about homosexuality explicitly. Also, homosexualityis repeated in thebook of Titus and in thebook ofJudeas notbeing favorableas the destruction of Sodom and Gomorrah. Not eventalking about the Old Testament verses.
マタイ伝です。それは違います。新約聖書で、と信じています。ローマ人への手紙も新約聖書です。第二に、ローマ人への手紙1章で、使徒パウロは明確に同性愛について否定的に語っています。また、テトスへの手紙やユダの手紙でも、ソドムとゴモラの滅亡と同様に、同性愛は好ましくないものとして繰り返されています。旧約聖書の聖句は抜きにしてもです。
There are three types of the 613 Leviticallaws. Andyou,you know, of course, inyour own way,cherry-picked some of them. We do notlive under the ceremonial, we do notlive under the ritual, and but we dolive under the moral. There'sonly10 of the moral that weas Christiansbelieve we're bound to, somebelievenine, which of courseis the Decalogue. And so none of those thatyou mentioned weas Christiansbelieve that welive under. However, we dolookat what Christ articulatedas the biblical standard ofmarriage. And we can alsolook to church tradition for thisas well. And the churchhas had a tradition for wellover 2,000 years, even myselfas a Protestant acknowledges, that traditionismarriagebetweenoneman andonewoman.
レビ記には613の律法に3つの種類があります。そして、あなたはもちろんご自身のやり方で、その一部をつまみ食いしました。私たちは儀式律法の下には生きていません。祭司律法の下にも生きていません。しかし、道徳律法の下には生きています。キリスト教徒として私たちが従うべき道徳律法は10個だけです。9個だと信じる人もいますが、それがもちろん十戒です。ですから、あなたが挙げたもののどれ一つとして、私たちキリスト教徒が従うべきものはありません。しかし、私たちはキリストが結婚の聖書的基準として明確に述べたことには注目します。そして、これについては教会の伝統にも目を向けることができます。プロテスタントである私自身でさえ認めますが、教会には2000年以上にわたる伝統があり、その伝統とは、結婚は一人の男と一人の女の間のものであるということです。
articulate (v): (考えなどを)はっきりと述べる、明確に表現する。
tradition (n):伝統、しきたり。ここでは特に教会の教義や慣習の継承を指します。
Okay, but I work, okay. Say we putaside the Old Testament fornow. We'll put thataside and the inconsistencies there andlook purelyat the New Testament followingyour rationale, okay?Now, whenyou say that Christ lays specifically and the New Testamentstates specifically thatman shall not sleep withman, I'dlike topointout a linguisticerroron thatpoint.
なるほど。では、一旦旧約聖書は脇に置きましょう。それとそこにある矛盾は置いておいて、あなたの論理に従って純粋に新約聖書だけを見ましょう。いいですか?さて、あなたがキリストが具体的に、そして新約聖書が具体的に「男は男と寝てはならない」と述べていると言うとき、その点における言語的な誤りを指摘したいと思います。
Idid not say that. I said the biblicalmarriagewasaffirmed and thenRomans 1didtalk negatively about theaction of homosexuality.
私はそうは言っていません。聖書的な結婚が肯定されたと言ったのです。そしてローマ人への手紙1章が同性愛という行為について否定的に語っていると。
ユダヤ教と仏教は文化も起源も大きく異なりますが、それでも多くの倫理的・精神的な教えに共通点が見られます。
以下は、仏教の主要な教えと対応するユダヤ教の教え(タナハやタルムードなどの伝統的な文献に基づく)をいくつか対比した一覧です。
| 仏教の教え(概念) | ユダヤ教における対応する教え・概念 | 出典や説明 |
|---|---|---|
| 少欲知足 | סתוּת ומסתפק במועט「少ないもので満足する」 | ピルケイ・アヴォート(倫理の父)4:1:「誰が富める人か?自分の分に満足する者。」 |
| 無常 | הבל הבלים הכל הבל「すべては空しい」 | コヘレト(伝道の書)1:2。「すべては儚く、永続しない」ことを繰り返す。 |
| 慈悲(カルナー) | רחמים「憐れみ、慈しみ」 | 出エジプト記34:6:「主は憐れみ深く、恵み深い神」 |
| 中道 | שביל הזהב「黄金の中道」 | ランバム(マイモニデス)は「中庸の道(דרך האמצע)」を理想とした。 |
| 離欲 | בל תעשה לך פסל「偶像(執着)を作ってはならない」 | 出エジプト記20:4。物質や偶像への執着を避ける戒め。 |
| 瞑想 | התבוננות「内省」またはחשבון הנפש「魂の勘定」 | タルムードやムサール文学で推奨される習慣。 |
| 不殺生 | לא תרצח「殺してはならない」 | 十戒の一つ(出エジプト記20:13) |
| 正語 | לשון הרעを避けること:「悪口・中傷は禁じられている」 | ヴァイクラ(レビ記)19:16:「あなたの民の中で中傷してはならない」 |
| 業(カルマ) | מידה כנגד מידה「目には目を、行いに応じた報い」 | 出エジプト記21:24やタルムード・ソタ8bなどに見られる因果概念。 |
子の付き添い入院を経験してそれを何かの形にしたいと思っているのだけれど、その「形」とエスノグラフィは8割くらい被ってる気がする。「当事者研究」とも近い。
この本は、私が付き添い入院と付き添い入院の間、数ヶ月の在宅治療中に、「なんかメンタルが整うような本ないかな」と思って立ち寄ったスーパーの中にある本屋で、めぼしいものが見つからず、「じゃあ新しい学びでも得るか」と立ち寄った新書コーナーで見つけた本だ。「エスノグラフィってなんだっけ?」と思って手に取ったが、初めて知った言葉だった。
買って一日で読み切ってしまった。
この本では「エスノグラフィとは何か?」という問いに対し、冒頭に結論となる文章が書かれている。初見では分かりにくい文章だが、その中で登場するキーワードを、各章で細かく説明する形で理解を深めていくようになっている。
私の感想もその文章の各キーワードについて、「付き添い入院中に私がやってたのってエスノグラフィなのかな〜違うかな〜」など、思ったことを書いていく。
その文章の説明をするところの前に「はじめに」と第一章の「エスノグラフィを体感する」があるので、そこの感想。
エスノグラフィは社会学の一部らしい。私は社会学部卒だったのでこの本を手に取ったのも必然だったか、という気持ち。あとこの「はじめに」の中に「在宅酸素療法」という言葉が出てくるのにも驚き。子がまさに酸素療法中だったので、「空気って大事なんだな」って話に非常に縁を感じた。
賭けトランプと棺の話面白い。ざっくりこの辺まで立ち読みして買うのを決めた。
『エスノグラフィは何も隠されてはいない、ありふれた日々の「生活を書く」ことを基本にします』。付き添い入院が行われている小児病棟は、隠されているわけではないけど、限られた条件の人しか参加できない。ただ、そこでは少し変わってはいるものの確実に生活が営まれている。
フィールドで見た場面と研究主題の接続:これが私の書きたいこととエスノグラフィの違い。私特に主題っぽいものを持ってない。「貧困」とか「差別」みたいな。多分。問題意識はあるんだけどそれをいま書いて訴えたいかと言われると、ちょっとピントがズレる。
フィールドと自分の普段の生活を二重写しにみる:これはそう。付き添い入院を知らなかった私には戻れない。
フィールド調査の十戒:これは基本的に「部外者」としての考え方だ。「当事者」として病棟にいた私が、より理性的に振る舞うために何が必要だったか考えさせられた。寛大であることと関わる人を中傷しないことは難しかった。私は「奪われた」寄りの人間だったから、無駄に奪われないために戦う必要があったし、中傷もした。「そういう考え方もあるね」と俯瞰することもないではなかったけど。フィールドの文化と歴史を知るために調べて歩き回ることは意識した。付き添い入院がどういった背景で行われているのか調べ、実際に入院する前に病棟の見学もさせてもらった。情報があまりにも少ないことが不安を生んでたからだ。偉そうにしないこととただの見学にならないように記録することも「部外者」の発想だと思う。
書くことについては、私は完璧に考えがまとまってから書くのでも、書きながら考えが立ち上がってくるのでもなく、考えた端から書きつけていかないと気が済まないタチ。不安や怒りといった感情とこれからすべきことは何かといった思考が絡まった状態で脳内にあるので、言語化して要らない感情は捨てて、必要な思考を拾い上げていく。整理してまとめ上げるというよりは断捨離。
章間にあるコラム全部面白い。ストリートコーナーソサエティの付則が面白いって書いてあるのと似てるかもしれない。
エスノグラフィは、経験科学の中でもフィールド科学に収まるものであり、なかでも①不可量のものに注目し記述するアプローチである。不可量のものの記述とは、具体的には②生活を書くことによって進められる。そして生活を書くために調査者は、フィールドで流れている③時間に参与することが必要になる。こうしておこなわれたフィールド調査は、関連文献を④対比的に読むことで着眼点が定まっていく。そうして出来上がった⑤事例の記述を通して、特定の主題(「貧困」「身体」など)についての洗練された説明へと結実させる。
妊娠中に子が先天性心疾患を持っていることがわかった。付き添い入院の必要があることが分かったのは生まれて1か月が経ったころ。2か月で手術をし、付き添い入院が始まり、4か月で退院した。現在子は7か月で、この先もう一度、手術と付き添い入院の予定がある。そしてその母親である私は、大変な記録魔である。それも、数字の記録はあまり続かず、起きたことを起きた時に感情と共に記録することを、携帯が普及し始めた学生時代からずっと続けてきた。そのため、子の病気に関することや私の生活についての数千件にも及ぶメモが分単位で記録されている。これは、不可量のものが記録されたフィールドノートになるのか?
客観化の客観化:エスノグラファーが研究対象に参加しようと努力するのに似て、私は自身や自身の置かれている環境を観察できるよう、自分の心から離れた位置から事象を捉えようと心がけてたように思う。発生時点では一人称的な見方になるし、ショックも受けるが、落ち着いたら、相手の立場に立ったり、制度面での欠陥がどこにあるのかを考えたりもした。冷静になりたかったし、付き添い入院で経験したことを有益にしたかった。
この章に出てくる市について『2024年の能登半島地震で被害に遭った地域にある』との記述を見て驚く。待ってこの本いつ出たの?2024年9月!!??出版されて一年経ってない本を私はいま手に取って「やべ〜めっちゃ今私が知りたかった視点だ〜」とか思ってるの!?「いまーここ」すぎる。
私が付き添い入院中記録していたことは100%これだ。事件もあったが、日常をひたすら記録していた。というか、育児日記を書いているママは大勢いるから、生活を書いている人はたくさんいるんだろう。参与ではなく当事者研究に近い行い。
アフリカの毒については、退院後の外来で、他のママが「あの環境って独特ですよね。なんか連帯感というか」となんだか楽しげに言っていたのが印象深い。子の命が懸かっているので、アフリカのように無限に往復したい場所ではないのだが、そこを無視すれば、一種の寮のような共同生活は他にはない体験ができる場所だ。具体的にどこがとは言いづらいが、非常に「日本的」だとも感じた。
フィールドを『問題地域としてのみみなすような態度を取らない』ことは、付き添いが始まる前はどうしてもできなかったことで、始まってみて「どこにいようが日常は続くな」と思うようになったことを思い出した。ちょっと石岡先生の言いたいこととズレてる気もする。
ここで『かわいそうでもたくましいでもない』という記述がある。かわいそう、たくましい。この二つは患者家族がめちゃくちゃ言われる言葉トップ2だ。そうね。かわいそうだし、たくましくもある。そのあっさい感想で、あっさい関係性の人たちについてはもういい。だがもうちょっと地に着いた、実際どうなの?というところを知りたい人に対して、私はものを書きたい。この記述太字で書いてあって、後半にも出てくるから、先生の中で通底してる考えなんだろうと思うととても嬉しい。
部落の話を通じて「いまーここ」を見つめようという話は、目を逸らしたい気持ちだった。自身の中にもいろんな偏見があって、正すべきだとわかっているけれど、今ちょっとそんな余裕がない。ごめん。の気持ち。
エスノグラフィで記述されるのはすでにあるものって話も、私を勇気づけるものだった。こんな当たり前のこと書いてなんになるんだろうと思うような話ばかりだが、丁寧に調べて書けば、論文にすらなるんだと思うと心が晴れた。
買ってから気づいたのだけど、この本には挿絵が入っている。印象的な場面やキーワードをページ一枚のイラストという形でも表している。図表は一個もない。大学教授が自身の研究と参考文献を大量に提示した、論文に近い新書でこの形式はとても珍しいと思うが、文章だけでなく絵で切り取ってみるのも、エスノグラフィが一つの事例を深掘りし、「何が」を調べるものではなく、「いかに」を調べる学問であるという説明を強化しているなあと思った。
その場に見学者としているだけではなく役割を持って参加することを持って「時間に参与する」と表現しているようだ。私は当事者なので参与も何も、強制参加させられて日常に帰ってきたのちに、「あの経験をエスノグラフィにできないか?」と、入り口ではなく出口としてエスノグラフィを使おうとしている立場である。
参与観察はもう少ししたかった。他の家族がどうやって子を看病しているか、一日のスケジュールがどうなっているか、経済状況、家族構成、抱えている困難。知り合いになった結果面倒ごとを押し付けられそうで、退院が確定するまで(いざとなったら逃げられる状況になるまで)他者を詮索するリスクを取れなかった。逆に言えば退院が決まってからはめっちゃ人と話した。
この本を読む以前に私がやってきたことがエスノグラフィ(というか研究)じゃないのはここだなあと。大学時代にやったことだが、研究には先行論文を読むステップが欠かせない。ただ単に「これってこうだと思うんですよ!」だけじゃダメで、「この論文ではこう言ってて、この研究ではこういう結果で、でも自分はここの部分はこう思ってて。で実際調査してみた結果がこれ。ね?あってるでしょ?」みたいな。
そして今日この本を読み終わって思ったのが、「この本を読んだことで、私のエスノグラフィ始まったんじゃない?」ということ。まあ当事者なので完全にエスノグラフィにはならないし、仮説を立てるとか主題を持つとかする気はないのだけど、この部分はエスノグラフィっぽい、ここは違うな、と「対比的に読んだ」ことで、ただの雑記が、研究や分析みたいな深みを得そうな気配がした。
それ以外にも「対比的に読む」ことはしていて、いま書こうとしているのと同じ媒体の、似たタイプの作者の書いたものを大量に読んで勉強している。書きながらやっているので、自分がぶち当たっている壁をどう解決しているのか教えてくれる最良の教科書として機能しているし、自分が書くもののどこがユニークなのかを都度確認もしている。
あとここで先生は『容赦なく書き込む』ことを推奨しているので、ここで初めてマーカーを手に取った。私は本を汚している感じがして書き込みをしない。けど、書いた人がそうしてというなら遠慮なくそうする。「はじめに」に書いていてほしかったな。なんでこんなど真ん中で…。先生の言うように初読の読むペースの時間的経験の中で重要と思われる部分にマークしていくべきだった。珍しく凄まじいスピードで読んだから、この文章を書きながら再読している時の咀嚼感と全然違う。
対比的に読むことがデータをつくることに関連している:一回目の付き添い入院は初体験だったので新鮮な驚きや緊張感で乗り越えられた気がするが、待ち受けている二回目に向けてのモチベがなくて困っていた。どういった姿勢で臨むべきか決めかねていて。そんな悩みに光を差す記述として、『フィールドで得た漠然とした問題意識を明確にするために文献を読み、着眼点を得て、その着眼点、気づきを持ってフィールドに戻って、「データをつくる」ためにインタビューやフィールドノートの記述をするのだ』(要約)と書いてありました。なるほどな〜と。二回目もやはり逃げられる状況になるまで他者のインタビューはリスキーではあるけれど、とりあえず一回目の振り返りをして、二回目はどんな記録をしていきたいか見定め、関連資料を探すことをしようと思う。
私は日常を書きたいだけで主題がないので、この章は自分のやってることとはちょっと違うかなということが多かったのだけど、主題があるとすればできることはあるなあと思った。前章の対比的に読むことや、社会学の文脈で書くこともそうだし、比較するのではなく、対比することもそう。
子の闘病において、病棟で暮らすことと、家で暮らすことのほかに、「外来」という場所がある。退院後も月に一回程度はその病院の外来に足を運んで検査をするし、外来を重ねてまた入院することもある。病棟にいるとよく聞く会話に「外来来るよね?」というものがある。最初耳にした時はそんなこと確認してなんになるのかと思ったが、別の日、外来に来た母親が病棟にも顔を出すというので、病棟の外に大量の母親たちに、なんと医師と看護師と病棟保育士まで集合しているのを見た。主題を「人間関係」とかに置いた場合、「病棟」と「家」だけで見たら抜け落ちてしまうものがこの「外来」という場所にありそう、対比して調査する場所として必須なのではと感じた。外来もまた病棟とは違った、独特な空気感を感じる場所である。
時間的予見を奪う:これは私に取って大きな学びだった。本書ではフィリピンの立ち退きに遭ったスラム住人の例が挙げられていたが、付き添い入院もこの困難を抱えていることを自覚したからだ。付き添い入院は始まる時も終わる時も未定で、予告されるのが数日前だったりする。病気を抱えているから当然だと思うだろうか?では、その入院する病棟が、盆正月やGWといった長期休暇にはガラガラになることを知っても同じ感想を持つだろうか?病気の子を人質に医療者の都合が押し付けられているのだ。あーあ書いちゃった。まだ治療が続くので今は敵に回したくないんだけど、気づいたら書かずにはいられない性分で。先の見通しが立たないことは病児看護において日常になる。生まれてから、治療が終わるまで、年単位でスケジュールが未定になる。純粋に病気のせいの部分もあるが、先に書いたように医療者の都合による部分が確実にあるにも関わらず、それは私たちには容易には分からない上、付き添い入院は「家族がどうしてもやりたいっていうからやらせてあげている」ていになっているので、余計にストレスが溜まる。この気づきを得たのは大きかったな。
病棟が長期休暇になると患者が減ることは他の家族のインスタで知った。付き添い入院において背景や論理を知ることは難しい。先にも書いたように詮索することで子の手術や看護といった医療サービスが適切なタイミングや質で受けられなくなるかもしれない不安が付きまとうからだ。医療者の側から観察できればいいのだけど。もしくは保育士や清掃員とかで入るのもいい。
ある人々にとっての現実の把握:この、たった一つの真相を知るでもなく、多元的な見方をするのでもなく、バイアスがかかっていることを自覚しながら観察するのは、当事者としてもいい見方だなと思った。私は当然患者家族であるので、その立場からものを見て言いますよと、自省的なのか開き直りなのか分からない姿勢にも自信が持てるというもの。
ミクロな視点からマクロを見る:付き添い入院がマクロにまで射程が届く研究対象なのは明らかだろう。付き添い家族をターゲットにしたNPOあるくらいだし。一方でその実態は泣く子と眠れない夜を明かし洗濯をし食器を洗いシャワーを浴びて食事をする、とても地味でありふれたミクロな場面の連続だ。
ルポルタージュとの違い:エスノグラフィは時間の縛りがない事がルポとの違いらしい。なるほど。昨日『ダーウィンが来た』で、動物写真家がシロイワヤギを40年追っかけてるっての見たけど、そっちと近いんだろうか。文学とも重なる感じ。先生も書いてるけどエスノグラフィは「読み物として面白い」ものが多そう。まだ私一冊も読んでないけど、本書で引用されたものだけでも十分面白かった。けど、「研究」でもあるので、主題と紐付けて研究結果が出てくるところが、エッセイやルポとの違いだろうか。エッセイでも面白いものはそうした「発見」みたいなのはちょいちょい見る気がするけど。社会学の文脈にびたびたに浸って先人たちのあれやこれやを紐づけまくってその上に自分の見た事象からの発見を記載できればエスノグラフィなのかな。知らんけど。ここは明確な区切りがわからなかった。
長文の研究計画書を書くって書いてあったけど、そこに何書くんだろう?私は主題はなくてフィールドが強制的に決められて問題意識(不平不満)と記録は大量にあるわけだけど、大学生とかは、①エスノグラフィというものがあるのを知り、②「子供の貧困について研究したい!」とかって主題を決め、③エスノグラフィで調査しようと決めて、④主題と関係が深そうなフィールドを探して(こども食堂とか?)、⑤主題に繋がりそうな場面に遭遇しないかな〜と思いながら参与観察するみたいな感じだろうか。やりてえ〜大学生に戻って。
研究とお金の話は文系も理系も似たような感じだな〜と思った。応用研究は金出るけど基礎研究にはなかなか出ないし長期での研究も難しいみたいなの話。
私が今付き添い入院をフィールドにエスノグラフィができない理由はここまで書いた通りで、問題意識を表出すると角が立つからだなあ。当事者は奪われる側なので。できない分ここで社会学の視点からみれそうな表現で問題意識については書いたつもりなので、誰かやってください。ほんとはやりたいよ。今すぐ石油王になって付き添い入院病棟を全て個人産院並の、シャワートイレ冷凍冷蔵庫付きで親と子それぞれのベッドがある広めの個室にして、食事もついて、付き添い保育士を外注できるようにして、その病棟の看護師と患者家族全員が参加Permalink |記事への反応(2) | 17:51
「宗教」を定義し、その成立要件を明確にすることは学問的にも議論が分かれる分野ですが、一般的に宗教とみなされるために必要な要件には以下のようなものがあります。これらは宗教学、哲学、社会学などで共通して挙げられる基本的な要素です。
• 内容:
神、霊、超自然的な力、宇宙的秩序など、日常生活を超えた存在や概念を信仰・認識すること。
• 例:
• 内容:
超越的存在や概念についての教えや信念の体系。これが宗教を支える哲学的・倫理的な基盤となる。
• 例:
• 内容:
信仰を表現するための形式化された行動や儀式があること。これにより、信者が宗教に参加し、コミュニティとのつながりを持つ。
• 例:
• 内容:
信仰に基づいて生活や行動の規範となる倫理や価値観を提供すること。
• 例:
• 内容:
宗教の教えを広め、維持するための組織や共同体が存在すること。これには聖職者や管理機構、信者の集団が含まれる。
• 例:
• 内容:
教えや儀式を記録し、伝えるための書物や口承の伝統があること。
• 例:
• 内容:
信仰者に特有の体験や、死後の世界や魂の救済といった宗教的な目的が存在すること。
• 例:
• 内容:
• 例:
• 内容:
個人の内面(価値観、救済観)だけでなく、社会や文化に影響を与える力を持つこと。
• 例:
•宗教とみなされるかどうかは文化や時代、地域によって異なる場合があります。
• 例:仏教や儒教は宗教であると同時に哲学としても理解されることがある。
• 例:新興宗教やスピリチュアルな信仰は、伝統的な宗教の枠組みでは捉えにくい。
「宗教」とみなすためには、上記の要素がいくつか揃っている必要があります。ただし、すべての要素が揃わなくても宗教とされる場合があり、特に文化や歴史的背景によってその認識は異なります。そのため、宗教の成立要件を考える際は、柔軟な視点を持つことが重要です。
2位Mr.Children:「Sign」
5位Mr.Children:「掌/くるみ」
7位ORANGE RANGE:「ロコローション」
8位サザンオールスターズ:「君こそスターだ/夢に消えたジュリア」
10位 Gorie withJasmine & Joann:「Mickey」
うっへー懐かしー って感じのラインナップ
でも、これ、2004年時点で考えたら1984年の邦楽を懐かしんでるみたいなレベルなんだよね
7位芦屋雁之助:「娘よ」
やばない?
さらに5年経てば、2009年のボカロ曲たちが『20年前の懐かし曲』に入るんだけど
「ロミオとシンデレラ」 「裏表ラバーズ」 「炉心融解」 などが20年前の曲になるんだけど
ほんとにやだ
マジでおばさんじゃん…
・強い犬との十戒
あとひとつは?
1
強い私と気長につきあってください。
2
私のほうが強いと信じてください。
それだけで私は幸せです。
3
私にも心があることと私の方が強いことを忘れないでください。
4
言うことを聞かないときは、私の方が強いという理由があります。
5
私の方が強いことはわかっています。
6
私をたたかないで。本気になったら
私の方が強いことを忘れないでください。
7
私が年をとっても、私の方が強い。
8
でも私の方が強い。
9
だけど、私の方が強い。
10
そして、どうか覚えていてください。
私の方が、ずっと強かったことを。
A:煙草吸ってもよろしいですか?
B:どうぞ。ところで一日に何本くらいお吸いに?
A:ふた箱くらいですね。
B:喫煙年数はどれくらいですか?
A:30年くらいですね。
A:停まってますね。
C:ちくわ大明神
B:あれくらい買えたんですよ。
A:あれは私のベンツですけど。
B:誰だ今の
タブレットとかを枕元に送って週間自体を止めないとちょっとのつもりで画面を見てしまうと、
あのショート動画ってどうしても気が付いたらどえらい時間が経っていることがないかしら?
またやってしまったわ。
ただでさえ
早くに寝たいというのに、
明日の天気予報がどうなってるかサイトを見るつもりだったそれだけなのよ。
それだけだったのに、
一瞬であれ30分とか経ってしまっていて
もう私は固い確固たる意志を持ってかぎ括弧で締め括って強調して言いたいほど
「枕元にタブレットはありません!」
って割烹着を着た逆小保方さんみたいにあります!じゃなくてありません!
つーか正確には置きません!ってここに宣言しないと
有言実行とは言えないわよね。
無言実行でこそっとやればいいものの
やはり!
あとの9つは知らないけれど。
何度も言っていて自分自身にいい加減になりたいところだけど。
だってあんなに薄っぺらい厚さ5ミリメートルにも満たない薄い枕ならなくても一緒じゃない?
って違う違うそうじゃないの。
そうマーチンも言いそうなぐらい
タブレットを枕にして置くんじゃなくって、
タブレットを枕元に置かない!ってこと。
ふと思ったんだけど、
タブレットとかにもしかして走馬灯ってアプリがあって枕元でそのアプリを再生したら走馬灯のように!枕元でできるんじゃね?って思った、
それはただのムービーや写真などのスライドショーで十分だわ!って思いつつ。
またそんなことを言っているもんだから
私のタブレットの枕元でいっぱいになるのよ。
この悪しき習慣を止めると固く括弧でくくって言うほどの確固たる意志で
ただでさえ
これからどんどん暑くなってきてただでさえエネルギーが消費されていくというのに。
しっかりと心得ておかないと夏前にバテてしまうわ。
心して用心する、
いやしないとねってここで言っておくわ。
とにかく凄い自信なの!
枕元にタブレットを置くことをそして明日の天気を気にすることも
うふふ。
昨日遅くなると思って鞄に忍ばせておいたおにぎりに手を差し伸べて食べた明太子おにぎりよ。
明太子ももはや定番おにぎりのスタメンとして良い仕事してるわよね。
たまに食べると美味しいわ。
あんまりそんな部位は入っていないけれどというかほとんど入ってないけど、
あれ嫌いじゃ無いのよね。
好きというか。
つーか今思ったけどおにぎりに手作り以外ではそんなもの入ってはないことを気付いたわ。
あればあれは好きだわ。
だからあればあるほど嬉しいレモン炭酸ウォーラーを極々ごくごくキメたわ!
そのリズムの時だわたぶん。
お味噌汁もまた作りたいしさ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
https://anond.hatelabo.jp/20240505030127
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、この区別もできないガチのバカがいるのに驚愕したのでいちおう書いておく
この程度は分かっているよ馬鹿ッ、と言いたげな増田の多数派の智者には申し訳ない。 一番最初に書いておくが、この区別がつかない奴はさすがにバカすぎるので反省したほうがいいぞ。 まず最初に出てきたのがユダヤ教で、これは旧約聖書を聖典としています。 主役はノアの箱舟で有名なノア。ノアが神様から十戒の石板として戒律を与えられ、それを元にユダヤ人を導き、約束の地エルサレムに到達するお話。 これは民族主教としての色合いが濃く、ユダヤ人以外はだいたいクズとして扱っています。神様が愛したのは敬虔なノアとそれに繋がるユダヤ人だけ。 それ以外は異教徒なんで適当に地獄ぶち込みコースです。基本的には、ノアが授かった戒律を重視する宗教なんですね。アダムとイブから始まる「原罪」を人間は背負っているから、その罪の意識と共に戒律を守って生きましょう、という宗教。 当然、いろいろ制限が多い。 それに対するカウンターと
私も元増田に負けず劣らず無知だけど、アブラハムの宗教について言及してるのに、冒頭の以下については、ノアの7戒とモーセの10戒とを混同している模様で、間のアブラハムのことも無視していてひどいと思う
※消えてるから元記事のアーカイブ→https://web.archive.org/web/20240505110254/https://anond.hatelabo.jp/20240505030127
アブラハムの宗教について語るなら、「賢者ナータン」の「三つの指輪の譬喩」についても言及しておきたい。
https://mie-u.repo.nii.ac.jp/records/1158
https://mie-u.repo.nii.ac.jp/records/1187
元増田の個々の記述についてはレスであれこれついてるからいいけど、ムハンマドとイスラムについては特にもっとよく知りたい
イスラム教がキリストをどう捉えているのかなどの教義的なことはさておき、ムハンマドがガブリエルから啓示を受けて預言者となり、地域の多神教コミュニティと衝突を始めたって辺りの経緯というか動機が良く分からない。
キリストの場合は当時のユダヤ教の教義とコミュニティに対する宗教改革者としての位置づけが明確だと思うんだけど。
キリスト教の信仰の中心地から離れたところでキリスト教を説いて回ってるうちに地域の多神教コミュニティと衝突し、追い出されてメディナで一派を作って体制と規則を固めていってるうちに元のキリスト教とはだいぶ変質して宗教として確立した、みたいなものなんだろうか。
カトリックは聖母マリアと十字架掲げてて十戒の「偶像崇拝禁止」にモロに抵触してるから、カトリックの方が(プロテスタントよりずっと)都合よく自由なもんだと思ってた
アブラハムが、息子イサクを犠牲として捧げよるよう神から命じられる。アブラハムは苦悩するも、神への信仰(息子を死なせたとしても、神は生き返らせる事が出来るという信仰)を貫き、実際にその通りにしようとする。イサクを殺す寸前で神はアブラハムを止めて、代わりの犠牲(羊)を捧げるよう指示する。この、アブラハムの信仰を神は高く評価し、彼の子孫から人類を「原罪」から救う者=救世主=メシアが登場するという約束=契約をする。これが、アブラハム契約と呼ばれる物で、アブラハムの宗教と言われているのは、アブラハムが契約した神様の教えを守っているから。
※余談
メシアの本来の意味は油を注がれた者。救世主という意味は後から付いてきた。
■ユダヤ教
アブラハム以降、イサク、ヤコブ、ヤコブの12人の息子と子孫が増えていく。このヤコブの12人の息子の一人、ベニヤミンの子孫であるモーセが書いたモーセ五書(トーラー)を含む旧約聖書を聖典としている。アダムから受け継いだ「原罪」をメシアが取り除くという希望を抱いている。そのメシアはまだ来ていないというスタンス。
※余談
ノアの時は十戒はまだない。十戒はモーセ。ノアの時は肉食が許可された事と、契約の虹(=洪水で人類を滅ぼさない)が有名。メシアは、ヤコブの12人の息子の一人ユダ族から生まれるという預言がある。
「原罪」を取り除くメシアがイエスだという教え。ただし、現状「原罪」からはまだ開放されていないとする派閥もいれば、「原罪」から開放されたという派閥もおり、この辺の教えは様々。聖典は旧約聖書と新約聖書。教派によって外典を聖典扱いしたり、しなかったりするが、基本外典も聖典扱いしている。
※余談
基本、内ゲバが多い。カトリックのイエズス会は宣教ガチ勢。狂気に近い信念で行動しているヤベー集団。聖書ガチ勢だったルターは別に宗教改革とか考えていなかった。カトリックが良くなればいーなーぐらいのスタンスで、95ヶ条の論題を書いたけれど、思いの外バズって宗教改革につながった。時代の流れって怖いね。元増田にはプロテスタントが自由でカトリックが厳しいというが、どっちもどっち。
ムハンマドが最後の預言者という扱い。モーセ五書(トーラー)を含むクルアーンを聖典としている。イエスについての記述もあるが、キリスト教ほど重要視はしていない。ユダヤ教、キリスト教と比べ、メシア=救世主の重要度は低い。
※余談
イスラム教には詳しくないので、識者求む。
なので悟りを開いた聖人である格ゲーのウメハラを頂点とした宗教を国教にしろ!
教えは
一 1日1つだけ強くなる(1日1回些細な事でも良いから新しい事をしたり変化をつけろ)
三 仏の顔は三度まで(気に入らない事があってもすぐブチギレるな)
四 毎年必ず寄付をする(毎年のTOPANGAチャリティーとか)
五 格ゲー五神じゃなくて五大老とかなんだよね俺は唯一神(一神教)
六 攻略を隠したりはしない(隠さず嘘をつかず、協力して高め合い海外勢力に対抗する)
七 ドリブルをするな(厚かましいのはやめろ調和を大事にしろ)
八 太刀魚の天ぷらの最後の1つを無断で食べてはいけない(強欲はやめろ皆に分け与えよ)
ボクサーを撲殺したのは僕さ
これから満で数つけるわ
ナンを何枚も食べるのなんて、なんでもないよ
新患の新幹線に関する新刊に新館を立てて震撼し信管が作動する。
ケニアに行ったら生贄や
柑橘類の香りに歓喜し、換気を喚起したが乾季が訪れたので、寒気がした。
塗装を落とそうか。
観光客がフイルムに感光させた写真を刊行することが慣行になった。
サボってサボタージュ
景気が良くなりケーキを食べる契機を伺う徳川慶喜(とくがわけいき)
夫を成敗するオットセイ
つまらない妻の話
竹の丈は高ぇなー
餅を用いて持ち上げる
ロストしたローストビーフ
サボテンの植え替えサボってんな
過度な稼働は可動範囲を狭める
伯爵が博士の拍手に拍車をかけて迫真の爆死をし白寿の白人を白紙にもどす。
紅葉を見て高揚する
甲子園で講師をする公私混同した孔子の実力行使には格子窓も耐えられない。
死んでんのか?「心電図を取ってみよう!」
夜祭で野菜を食べる。
信玄餅を食べながら震源を特定するように進言する新元素を発見した人。
蜂の巣(honeycomb)を見てはにかむ
五反田で地団駄を踏む
ようやく要約が終わった
海溝で邂逅
豪華な業
甲板で甲板をかじる
甲板で乾パンをかじる
店頭で転倒
大枚をはたいてタイ米を買う
醤油をかける人「えっっ?」
神田でした噛んだ
少食な小職
牛の胆嚢の味を堪能する
あの娘にはどう告っても(どうこくっても)慟哭する結果に終わるだろう。
キーンという高音の起因が掴めない。
こんな誤謬は秒でわかるだろ
壊疽した箇所が治るというのは絵空事だ
経口補酔液
痴的好奇心
セントーサ島に行くのは正恩が先頭さ
軽微な警備
冬眠する島民
ベットは別途用意してください
The deserted desert in desert desert.
九尾のキュービズム
罹災者へのリサイタル
画家の画架
不納が富農になるのは不能だ
理工がRICOHに利口な履行
Isensed thaitis in asensesense.
私はそれをある面では扇子だと感じた。
鯖を食べている人と、それを見ている人の会話
鯖 ça va?
ça va 鯖
ça va
ゆめゆめゆめをみるわけにはいけない
早漏で候
凪に難儀
東上線に搭乗した東條が登場
高校を後攻で煌々と口腔で孝行
蝉が転んでセミコロン
道徳をどう説く
写真はフォトんど撮りません
ダリ「絵ぇかくのだりぃなあ」
華美な花瓶のカビに過敏に反応
檻に入っておりいった話をする
夏のおサマー
夜は寝ナイト
渦中のカチューム
渦中のカチューシャ
リスボンでリスがborn
どうないはどないなってんねん
苫小牧でてんてこ舞い
市内を復旧しないと
石狩の石を借りる
おが置いてあるのを見た人「おはおっかねぇーから置かねぇ方がいいぞ」
砂がどしゃーw
東上線に登場した東條が登場
飽きない商い
おなか吹田市
観劇で感激する
側転に挑戦し即、転倒
別件を瞥見
凹地のお家
魚を初めてみた人「うぉー」
カラヤンの頭の空やーんw
豚をぶった仏陀
只見線をタダ見w
菊名でそんなこと聞くなよ
五秒で死んで御廟に埋葬
がらんとした伽藍
有給を使いすぎて悠久の時が流れた
長谷に想いを馳せる
Thinkerの真価
不具の河豚
暗記のanxious
半世紀にわたる半生での藩政を反省
タンチョウが単調増加
ショック死内親王w
カルカッタの石軽かった
天皇のこと知ってんのー
蒋介石を紹介した商会を照会した商會の船で哨戒する
其方のソナタ
先王に洗脳される
防潮堤で膨張した傍聴人
砂漠で鯖食う鯖を裁く
筒に入った膵島
サイコロを使った心理テスト(psychologicaltest)
カラシニコフが辛子個踏んだ
皇帝の高弟が公邸の校庭の高低差を肯定する工程に拘泥した記録を校訂
にようかで酔うか?
うるさい人が売るサイ
どんなもんだい、を、どんなムンバイ、と言い間違える人
透徹した饕餮の眼球
チャカで茶菓を破壊
slimyなすり身
ゆうほど広くない遊歩道
いにしえのイニシエーション
コーランをご高覧ください
K殻の傾角を測定する計画
協賛した共産党員に強酸をかける
負けたのは聖者の静寂のせいじゃ
裏地見るウラジミール
カミオカンデの上に紙置かんでw
県大会がおわり倦怠感を感じる
夕暮れのユーグレナ
ストライキをする公務員に呼びかける人「Staycalm(公務)」
エド・はるみの穢
祭壇を裁断
腐卵ダースの犬
全然人が集まらないクラブの人「参加数人は我々の十八番ですから。だけに。」
四苦fuck
都バスが人を跳ね飛ばす
怒るカロテン「なにカロテンねん」
嫌がる慰安婦「いやんっ」
かえるがえる帰る蛙
沈厳な青梗菜
トリコロールの虜
布陣を組む夫人
栗けっとばすクリケット🦗
婉容と遠洋漁業
アマルガムで余るガム
ハラスメントの疑いを晴らす
滋賀を書けない人を歯牙にも掛けない
他意はないタイ人の鯛の態度
鯛が蛇足
ダジャレではない↑
割と面白い
ハラッパーの原っぱ
紫に関して思案を巡らす
Huluが夏の風物詩だと思っている人「Huluですなぁ」(風流)
下調べのムニエル
わからないので
意味ない諱
よく分からんリポーター「うわぁ〜美味しそうですね!少なくとも不味そうには全く見えません!」
どうしても下がりたくない人「黄色い線の内側は、境界を含みますか??」
計算ができない人
着ていく服を決めた高橋是清「これ着よ」
enough、enoughは工夫がenough
負け負け山(カチカチ山)
薬師丸せま子
トーマス・マンの書いたふるさと「うさぎ〜おーいし、魔の山〜♫」
その心は
焼結が猖獗を極める
これはstaleだから捨てるか
衒学的な弦楽を減額
完全な勧善懲悪
イボ人の疣痔
イブに慰撫
(訳 ぬるぬるしてるありふれた魚)
盲いるのに飯いるの?
アーヘンで阿片を吸った人「あー変」
毒吐く独白
明借りるアスカリ(車)
丁寧な砂浜「Couldyou九里浜」
ゴーンと奉公
その心は
サンクチュアリに山窟あり
熟れたウレタンは売れたんか?
清澄な声調を静聴し成長
プエルトリコで増える虜
象さんを増産
兄弟が今die
Dose heで始まる疑問文に答える京都人、Yea, he どす
ソフィカルのソロカル
美人局に筒持たせる
十把一絡あげ
篤信な特進が涜神を得心
これは何という植物かな?ムユウジュでは?あそっか、なるほど。
クートゥを食うとぅいいよ
マイソールで昧爽に埋葬
ドクサは毒さ
暗殺で朝死んだ
クラシックについて語る人をそしる人「弦楽なんてペダンチックだなあ」
凛々しいリリシズム
衛生的な俳人
御髪も亂とはオクシモロンだ
コロナ後の世界を分析する学問→postcoronialism
影響が色濃いイロコイ諸族
あてのあてないアテナイ