
はてなキーワード:北軍とは
1566年、カトリックに対してオランダ人プロテスタントが蜂起して80年戦争になり、その間にオランダに証取と植民地会社VOCができる。
1722年、ザクセンのツィンツェンドルフ伯爵(以下、ツイ伯爵)は、カトリックから逃れたチェコのモラビア教徒を保護し、ヘルンフートの町を建設してやった
オランダ政府のVOCはアメリカにニューアムスを建設した。江戸幕府の銀がふんだんにあった。
英蘭戦争の結果、1667年イギリス領(ニューヨーク)になってしまったものの、オランダ出身のバンダービルト家は鉄道財閥になった
ザクセンのツイ伯爵も1740年伝道に入ったが、モヒカン族との関係が悪い噂になり、当局から追放された
1855年ごろ、富豪バンダービルト家はモラヴィア兄弟団に、3.4ヘクタールの土地を寄付(日本語版)または18ヘクタールの墓地を寄付(英語版)
ツイ伯爵はモラヴィア兄弟団とともに1741年ペンシルバニア州に移動し、ベツヘレムという町を建設した。この州ではメロンが鉄道財閥になった
1863年、ゲティスバーグの戦いで北軍が勝利し、アメリカ統一した
1891年-1896年、日本の保険財閥の門野重九郎がペンシルバニア鉄道で研修中、ペン鉄道は飛躍的に拡大
なお、1894年創業の大阪生命保険は徴兵保険を扱い、1903年使途不明金が発覚し解散処分
鉄道事業者と言えば、南北戦争最中に政府に請求詐欺してユニオンパシフィック鉄道を敷設したあげく1901年恐慌を引き起こしたのは、マサチューセッツ出身の詐欺師の医学博士。
トランプゴールドカードという名前の人生ゲームのようなものを考えてください。ゲームの目的はMakeAmericaGreatAgainで過去の栄光を取り戻す。アメリカ歴史を元に、南北戦争に敗北した場合はスタートに戻るなどを組み込んでください
このゲームは、アメリカの過去の栄光を取り戻すことを目的とした人生ゲーム風のボードゲームです。プレイヤーは「トランプゴールドカード」を駆使しながら、アメリカ史を背景にしたイベントを乗り越え、最終的に「MAGA(Make America GreatAgain)」を達成することを目指します。
1. **プレイヤー人数:** 2~4人
2. **ボード:**アメリカの歴史をベースにしたマスが配置されたゲームボード
3. **目的:** ゴール(MAGA達成)を目指し、途中で歴史的な試練を乗り越える
4. **行動:**サイコロを振り、マスの指示に従う
5. **トランプゴールドカード:** 強力な効果を持つ特別カードで、一発逆転や戦略的な行動を可能にする
#***ゲームの流れ**
① **スタート**
*南軍側を選んでしまい敗北した場合、**スタートに戻る**(歴史の修正)
*ソ連との対立で選択肢発生:「宇宙開発」「軍拡競争」「経済戦略」
*成功すれば大きく進めるが、失敗すると遅れる
③ **MAGAチャレンジ(終盤)**
プレイヤーは特定のマスに止まるか、特定の条件を満たすと「トランプゴールドカード」を入手できます。
#***勝利条件**
最終的に「MAGAマス」にたどり着いたプレイヤーが優勝。ただし、最後に「フェイクニュース」「ディープステートの妨害」「リコール運動」などのイベントを乗り越えないと完全勝利にはならない。
『トランプゴールドカード』は、アメリカの歴史をベースにしながら戦略的に進む人生ゲーム風のボードゲームです。南北戦争の敗北で振り出しに戻るなど、歴史的な選択がプレイヤーの運命を左右する仕様になっています。トランプゴールドカードを駆使し、MAGAを達成しましょう!
止まったマスでの選択肢はどうやって選びますか?再度サイコロを振るだけでは面白くない。手持ち資産や手札や他プレイヤーからの妨害(南北戦争で南側を選ぶようにさせるなど)があれば楽しそうなので考えて
止まったマスでの選択肢を単純なサイコロの振り直しにせず、**手持ち資産・手札・他プレイヤーの妨害**を絡めることで、戦略性と駆け引きを強化します。以下の要素を追加して、より面白くしましょう!
止まったマスでの選択は、以下の3つの要素を組み合わせて決定します。
① **「交渉」フェーズ(他プレイヤーの妨害 or 協力)**
#***2\.選択の流れ**
##***①「交渉」フェーズ(他プレイヤーの妨害 or 協力)**
##***②「手札」使用(トランプゴールドカードの発動)**
* 例:「FakeNewsで洗脳」:プレイヤーが選びたくない選択肢を強制させる
* 例:「ディープステートの圧力」:一定の資産を払わないと不利な選択肢を選ばざるを得なくなる
2. **「チームプレイ要素」**
* 一部のマスでは、**複数プレイヤーが協力**しなければならない状況を作る(例:世界大戦、貿易戦争など)
*しかし、最後は全員が敵同士になるので、裏切りの要素が出てくる
* 一部のイベント(大統領選挙、憲法改正など)では、全員で投票を行い、多数決で結果を決める
* 「影響力ポイント」を多く持っているプレイヤーは、投票で有利に進める
#***4\. 具体的な例(南北戦争マスのプレイイメージ)**
##***プレイヤーAが「南北戦争(1861-1865)」マスに止まる**
*プレイヤーB:「影響力3ポイントを使って、Aに南軍を選ばせる!」
*プレイヤーA:「ちょっと待った!私は ‘トランプゴールドカード(国家統一)’ を使う!」
*プレイヤーAは「国家統一カード」の効果で、南軍を選んでも影響を受けない
✅ **手持ちカードや資産を使って回避や戦略的プレイができる!**
こうすることで、毎回違う展開になり、交渉や裏切りが絡むエキサイティングなゲームになります!
各プレイヤーのバックに他国が付いてると面白いかもですね。どこの国が裏にいるかは他のプレイヤーは分からない。特定の条件を満たすと他国からの支援を貰える(フェイクニュースカードの提供など)
各プレイヤーの背後に「秘密の支援国」を設定し、**ゲーム中は他のプレイヤーには分からないようにする**ことで、より戦略性と裏切りのスリルを強化しましょう。
-------------------
#***① 各プレイヤーにランダムで「支援国」カードを配る**
* 例:「共産主義を嫌う行動」を取るとアメリカ国内で評価が上がる
-----------------------------
| 国 | 特徴 | 支援の内容(条件を満たすと獲得) |
| --- | --- | --- |
| **ロシア** | 選挙やフェイクニュースを操る | \- 「フェイクニュースカード」を獲得(他プレイヤーを混乱させる) |
| **中国** | 経済と技術戦争 | \- 他プレイヤーが「貿易戦争」マスに止まると、資金提供を受ける |
| **イギリス** | 歴史的盟友だが腹黒い | \- 「外交カード」を1枚引ける(有利な交渉ができる) |
| **フランス** | 革命と自由の国 | \- 「影響力ポイント+1」(投票で優位に立てる) |
| **ドイツ** | 工業力と軍事力 | \-軍事力ポイントを1つ追加できる(戦争時に有利) |
| **日本** | 経済パートナー | \- 「技術革新カード」を引ける(宇宙開発や経済発展で有利) |
| **中東某国** | 石油マネー | \-資産+5000ドル(ただし戦争になるリスクあり) |
----------------
プレイヤーは**特定の条件を満たすと支援を受ける**が、それと引き換えに**デメリット**が発生することもある。
❌ **デメリット:** 他プレイヤーに怪しまれ、影響力が下がる(投票で不利)
--------------------------
--------------------------
2. ここで「フェイクニュースカード」が欲しいが、自分の支援国がロシアだと知られると不利になる…。
3. **選択肢:**
* **①支援を受ける(フェイクニュースカード獲得) → でもロシア支援がバレる可能性あり!**
* **②支援を受けない → でも他プレイヤーのフェイクニュース妨害に対抗できない!**
4. 結局プレイヤーAは支援を受ける → その瞬間、「お前ロシアのスパイか?」と疑われる!
5.プレイヤーBが「スパイカード」を使い、ロシア支援が確定する。
6. 他プレイヤーたちはプレイヤーAを「反米」として妨害し始める…。
----------------------
✅ **他プレイヤーの支援国が分からないことで心理戦が発生!**
✅ **支援を受けるたびにリスクとリターンを天秤にかける必要あり!**
✅ **特定の行動をするとバレるので、嘘をつくことも重要!**
✅ **支援国ごとの能力を活かして、有利な展開に持ち込める!**
これで、プレイヤー同士の「裏の動き」が面白くなり、スパイ要素や駆け引きが増えます!
支援国がバレる前とその後では支援内容が変わると面白いですがルールが複雑になりそうです。今までの内容からなるべくシンプルで戦略性のあるゲームを考えてください。妨害要素は絶対ほしいです
#***『トランプゴールドカード』—シンプルで戦略性のあるボードゲーム**
「支援国の秘密性」「プレイヤー間の妨害」「シンプルな戦略性」をバランスよく取り入れたゲームを考えました!
---------
1. **プレイヤー人数:** 2~4人
2. **目的:** ゴール地点「MAGA」に到達すること
3. **進行:**サイコロを振って進むが、イベントマスで選択・妨害・交渉が発生
4. **トランプゴールドカード:**ゲームを有利に進める強力カード
5. **支援国システム:** バレるまでは秘密、バレた後は影響が変化
6. **妨害要素:** 他プレイヤーに選択を強制したり、足止めしたりできる
------------------
| 支援国 | 秘密支援(バレる前) | 公然支援(バレた後) |
| --- | --- | --- |
| **ロシア** | フェイクニュースカード1枚獲得 | 毎ターン妨害を受けやすくなる(他プレイヤーの攻撃コストが半減) |
| **中国** | 貿易戦争時にお金+1000 | 資産2倍になるが、強制的に「共 |
嫌儲スレ立て人が開示されるのは、知られている限りだと「富士山」に次いで二人目だ
富士山はいかにもケンモメンらしい露悪的でいろんな属性を叩くスレが多かったが、きんたまんこは誰かを傷つけるものではない心温まるSSスレが多かった
全裸ぼく「あの…ビラビ…あっ…小陰唇ください」女の人「嫌です」全裸ぼく「ラビアこりゃ」
全裸ぼく「おまんこ、もうびしょびしょじゃん。ペロペロ」住職「ワシの寺の壁に何してんじゃー!」全裸ぼく「タイミーなんでわかりません」
オカズにしたことあるアメリカ連合国軍の軍人を書いてけwwwwww北軍派はクラッシュの「動乱」の中から好きな1曲を選べwwwwww
枯れぺにす_魔羅の徒然_ちんぽかな
全裸ぼく「いやらしいお汁がどんどん溢れてきてんじゃん。エッロ…」ナイアガラの滝「ゴゴゴゴゴ」全裸ぼく「じゃ、挿れるよ?んっ…
司会「それじゃ、わからせメスガキおじさんを呼ぼうね!せーのっ」全裸ぼくとガキ達「わからせメスガキおじさーん」五時間待てど現れず
毛利元就「1本では容易に射精するちんぽでも3本まとめれば…(シコシコシコ)」3人のおじさん「「「あーっ(ビュルルッ)」」」毛利元就「ね?」
ぼく「孕め!俺の…神の子を産め!(ビュルッ)」手鍋「ビチャッ」土井善晴「ではね、このザー汁をお出汁と一緒に炊いていきますよ」ぼく「はい」
みんなああああああああおちんちんふぇすてばるがはじまるよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
50レスもつかない過疎スレばかりだが、嫌儲を開くといつでも下品なスレタイが目に入り「こいつまたクソスレ立ててんな」と思わせる、嫌儲のおふくろのような存在だった
【Lv0】ちんぽ見せろ暇空茜
0001この街は昨日見た俺の夢警備員[Lv.6][苗] (初段) (ワッチョイW 7b95-78iq) 2024/07/23(火) 04:36:01.54
https://itest.5ch.net/greta/test/read.cgi/poverty/1721676961/
暇空茜「私のティック◯ック、いいねがあんまりつかない…」茜の友人「ちょっとエッチな感じにしたらいいねなんて簡単に稼げるよ!」
0001この街は昨日見た俺の夢警備員[Lv.7] (ワッチョイW 4fd2-L7xm) 2024/06/26(水)23:13:33.51
暇空茜「え…?でも…」
茜の友人「そんなドギツイのじゃなくて、ちょっと肌を露出したりパンツが見えそうで見えない感じにしたり…」
暇空茜「う、うん…。やってみる…」
~茜、帰宅後にちょっとはだけた姿のティック◯ック動画を上げる。そして~
???のDM「アマギフあげるからもっとエッチなの俺だけに頂戴😀全裸ならエーマン🤭」
暇空茜「ツェー…デー…エー…って、さささ3万円!?嘘…?」
暇空茜「どうしよう…?えーい!送っちゃえ!」
???のDM「うひょー!😁俺の新生姜が勃っちゃったよ😀なんつって😅俺っち、栃木県で漬け物屋の社長やってるからさ、お金いっぱいあるんだよね🤪金に困ったら気軽にDMしてね🤭」
~茜、1万円ゲット~
暇空茜「なんかチョロかったなぁ…。全裸でもよかったかも…あ、またDM来た」
✕✕✕のDM「動画観たよ!その制服、近大附属東大寺中学校だよね!アマギフあげるから俺だけにエッチなやつちょーだいよ🤗」
✕✕✕のDM「全裸ならゲーマンかなぁ?🤔俺、某漫画雑誌で連載持ってるから結構お金持ってるよ😁」
暇空茜「ゲー…ごごご5万円!?」
✕✕✕のDM「いいの!?🤩じゃあさ、まずは制服姿で自己紹介してから1枚ずつゆっくり脱いで🙏」
暇空茜のDM「わかりました!」
暇空茜「近大附属東大寺中学2年の暇空茜、14歳です。今から脱ぎます…」ヌギヌギ
✕✕✕のDM「うっひょー🥳くぱぁしてくれたらもうゲーマンあげるよ🤗」
暇空茜「茜のおまんこを観ていっぱいシコシコしてね♥」クパァ
~茜、10万円ゲット。そして、翌日~
○○○のDM「こんばんわ(≧▽≦) 俺、フェ殺隊のまっきぃさんだけど茜ちゃんと会いたいなぁ(人 •͈ᴗ•͈)」
暇空茜「え?あのフェ殺隊のまっきぃさんからDMが来た!嘘やろ…」
○○○のDM「うん( ╹▽╹ ) 本物だよ( ꈍᴗꈍ)」
暇空茜「まっきぃさんと繋がっちゃった!!!!!」
つづく…。
https://itest.5ch.net/greta/test/read.cgi/poverty/1719411213/
岩下和了「ムニャムニャ」暇空茜「このバカ和!早く起きなさいよね!学校に遅刻しちゃうわよ!」岩下和了「んん…茜、おはよう」
0001この街は昨日見た俺の夢警備員[Lv.1][警] (6段) (ワッチョイW 4fd2-L7xm) 2024/06/26(水) 07:30:30.56
暇空茜「おはようじゃないわよ!早く起きなさい!」バサッ(布団を剥ぎ取る)
暇空茜「って、新生姜起こしてんじゃないわよ、バカ和!」バチンッ
~それから~
暇空茜「あんたが早く起きないせいでしょ!」ドタドタドタ
迫稔雄「どこを見てるんですか!」バチンッ
暇空茜「やーい、怒られてやんのw でもあの娘、うちの学校の制服着てたけど見ない顔だわ」
ナザレンコ「静かに!今日はみんなに転校生を紹介する!男子諸君、喜べ!女子だぞ!では、入りたまえ」
迫稔雄「今日から聖・表現の自由学園で皆さんと一緒に学ぶことになりました迫稔雄といいます。よろしくお願いします」
石丸伸二「なんやなんや!和了、茜ちゃんという幼馴染がいながらあの美少女ともお近づきなんか?w」
つづく…。
https://itest.5ch.net/greta/test/read.cgi/poverty/1719354630/
ほのぼのSSが原因で開示されたのか?と思いきや、5ちゃんねるが原因ではなかった
5ちゃんねるで「きんたまんこ」との愛称をつけられている彼女は、Twitterでは「荒廃の街角」と名乗っており、Twitterの方で開示されていた
最近の開示請求は黒塗りにしていることが多く、きんたまんこに届いた書類はほとんどが海苔弁でどんな発言が引っかかったか不明の状態
きんたまんこは開示を警戒せず好き勝手に書いてたのでどれが引っかかったか心当たりがないそうだが、以下の書き込みかもしれないという
荒廃の街角2
@kenmo_kohai
日本の安寧を願って暇空茜、戸塚、ビジウヨ政治家ども、有象無象のバカウヨ達の◯を祈ったらアカウントロックされたわ…糞が…。
ネットで暴れる者たちの多くは、なんらかの辛いことがあった結果誰かに当たり散らすしかないことが多い
これは、いろいろと考えさせられるいい文章だと思った。永井陽右という青年を振り回すかのように語る内田樹。こういうマウントは嫌いじゃない。
ただ、内田が、
「感情の器」って、あくまでも個人的な身体条件のようなものだから。
というとき、何か逃げた回答のような印象を受けた。
たとえそれが自分の中から湧き出す内発的なものだとしても、大昔にアダム・スミスが道徳感情論で追求したように、何かのテコで共鳴し、社会の規範を構成するに至るメカニズムが何かしらあるんだろうと俺には思えてならない。
そういう感覚を身に着けるのにどうすればいいかと問うた永井氏に、家風だとか、弟子入りだとか、そんな表現を内田氏がするのは、けむに巻いているようにしか思えなかった。
家風にしても弟子入りにしても、そのつながり方が、社会規範にむすびつくメカニズムがあるはずだ。
アレックス・カーが20年前に書いた本で『犬と鬼』という著作がある。
おりしも建設省に代表される特別会計の闇が浮き彫りになった時代。
アメリカの7倍のコンクリートを使って日本の山河をコンクリートで固めようとしていた、公共事業のあり方に疑問を呈した名著。
その『犬と鬼』のなかでカーは、そんな日本に至った問題を解明するヒントは「徳の逆説」にあるという。
「徳の逆説」というのは、国家も人も同様に、自分たちに最も欠けている資質を最も高く評価する傾向があるという、カーが常々思っている真理を彼なりに名付けたものだ。
A・カーは、フェアプレイの精神といいつつ、七つの海を支配した大英帝国の事例、平等を錦の御旗にしていた共産主義者のトップが黒海に豪奢な別荘を保有し、人民は実質的に農奴と変わらない生活だったというソ連の例などを挙げつつ、最後に、和を貴ぶ日本人がなぜ明治の開国後、対外侵略に夢中になったかという精神性に触れてゆく。
「徳の逆説」は、身近なところでも当てはまる。口うるさい親や上司の説教がブーメランに思えてならない、という経験は誰もがしているはず。そして気が付くと俺も親父と同じことを子供に、という連鎖。
最近、想起するのはやはり旧統一教会。家族の価値を高らかに謳いあげておきながら、その活動が原因で多くの家族が崩壊している、といった、「おまゆう」問題。崩壊させているがゆえにますます高まる家庭の価値、という悪循環。これもA・カーのいう「徳の逆説」が見事に当てはまる。これは人が自分自身を規律しようとするときの動機付けのメカニズムなのだ。
内田と永井の議論のテーマのひとつである人権・平等。あたかも普遍的な原理についても、
それを概念として具体化して社会が取り込んだ過程を決して忘れてはならない。
アメリカの建国者の一人、トーマスジェファーソンは人権宣言を起草した当時、200人以上も奴隷を抱えていた。
これは矛盾というよりも、むしろ奴隷制にどっぷりと漬かっていたからこそ人権宣言が生まれたという「徳の逆説」のメカニズムを見るべきだろう。
どんなに薄汚れた社会であっても、一度高らかに掲げた理想は、その社会を真綿で絞めてゆく。欲望大全開の人民を前提にすると、民主政は成り立つのか。多数決をすれば少数者が圧政に苦しむのではないか、これがマディソン含め、建国者の懸念だった。しかし、為政者の徳(アリストクラシー)と、欲望とは別に社会で正しいと思うことに投票する、二重人格的な資質が人民に備わっていると信じて建国者はデモクラシーを設計した。裁判を通じ、繰り返し憲法の価値観をテストする、という振り返りをビルトインした設計は本当に優れたものだ。結果として、最高裁が突き付けた奴隷制と財産権の矛盾が、南北戦争の北軍の正当性を決定的にする。
内田の議論に戻ると、外付けの人権というテーマと同時に、内発的なものとしての感情の器という、とても重要なキーワードを出している。それは他方で外付け実装された人権と、どのような整理ができるのだろうか。
「人としてどうふるまうべきか」を子どもに刷り込むのは「家風」なんですよ。子どもたちは親の背中を見て、人間としての生き方を学ぶ。それは教科書で教えることじゃない。
これは、親子を中心とした自分史と言い換えられるのではないかと思った。さらにいえば、自分史は必ずしも親は関係ないかもしれないのではないか。つまりこれまでの人生、来し方がキーなのでは。
内発的なものと外付けのもの、この二つはやはり、きちんと切り分けて、そして二つが、どうつながってゆくのか。以下、自分なりに整理を試みる。
舶来の概念というのは明治以来、洪水のように入った。民法など契約法の世界は、ほぼほぼ圧倒されたし、戦後は憲法そのものがアメリカの経験に基づいたものだ。
しかし、日本の人権教育は、残念なことに、人権の普遍性を論証することに熱を上げてしまって、そもそも誰の内発的な経験がもとになっていたかという成り立ちのメカニズムを忘れた議論が多い。公共の福祉論などをいくら学説や定義を整理してきれいに論じても、だから何?の議論だった。
戦後、人権を外付け実装してきた日本は、そのルールや規範の成り立ちといった背景をもう少し知る必要がある。それは教養として。
今現在、旧統一教会問題で話題の、国家と宗教というテーマにしてもそうだ。
政教分離のキーワードとなるのは、恐怖からの解放だ。宗教に悩まされ、その扱いに苦慮するのは古今東西の課題だ。宗教といかに折り合いをつけた制度設計をするか、古代ローマ時代からずっと抱えてきた。宗教的寛容、これが統治のカギだと気が付いたのはカルタゴに勝利した古代ローマ。
そのテーマに対して、新天地アメリカに到着したプロテスタントたちの子孫が18世紀になってメイフラワー号の協約を思い出して試みたのは、旧世界では試みたことのない壮大な社会実験だった。百家争鳴な多様性のなかで社会を構成するには、誰が正しいことを言っているのかは誰も断定できない、という前提に立つ必要が再確認された。それが言論の自由の関係では、20世紀初頭にホームズ裁判官らに代表されるように、自由市場の比喩が生まれる背景ともなった。
他方、旧世界のフランスでは、唯一の正しさを神に代わって宣言するカトリック教会の権威と苛烈な弾圧が恐怖であった。だから公共空間の合理化を徹底し、宗教を一掃する制度設計になった。フランスの言論の自由は、その意味でカトリックを否定する権利が原点となる経験なのだ。だからこそ、フランスでは今でも神を冒涜する言論というのが非常に重要な意味をもっていて、先日、仏風刺紙シャルリー編集長が英作家ラシュディ氏襲撃を非難したことの歴史的な背景は深い。
このように、人権というものは、何に対して恐怖してきた歴史があり、生まれてきたものなのか、という原点に思いを致すことが大切だし考えるコツだ。利他性じゃなくね。
それは、実は国によって微妙にコンテクストが異なるものであり、普遍的価値として昇華できなくもないけれども、むしろ司法を通じて、原点となった恐怖を大切に思い出す機会が重要で、その社会が、その真理を繰り返し確信し、制度を強化し、再生産する重要な仕組みなのだと思う。逆に言うと、普遍的な価値なら、なぜ何千年も克服できなかったかの意味を問うというか。
しかし、外付けの倫理として受け取ったものを、思い出すかのように歴史を振り返るのは容易ではない。戦後の日本の裁判所も含めて。
でも、それこそが日本の人権教育に欠如したものだということは個人的には強く思うところだ。
その意味では、外付けではない、外国の借り物ではない、内発的なもの、感情の器からみえてくる倫理、これは本当に大きな価値がある。
内発的なものを自省するうえで、もっとも大切なのは、自分の国や自分の家族、自分自身の歴史だと俺は思う。
自分や自分の先祖が痛い目にあってきた経験、あるいは他者を痛めにあわせてきた経験というのは、その人固有のものであって、その自分史や国の歴史を忘れてしまうと、あとは外付けの倫理だけが残る。国レベルで言えば、それは端的に明治以降の日本のアジアや欧米との対外関係であり、開国以降、アメリカに敗北するまでの戦争に明け暮れた体験に他ならないし、国家神道によって死生観まで国に洗脳されかけた手痛い経験だ。
歴史というと大げさだが、要するに「自分たちに最も欠けている資質を最も高く評価する」、おまゆう精神を自覚することだ。これは教養として学ぶというよりも、もう少し内省的なものだと思う。
自分が理想とするものと現実とのギャップを振り返る作業といってもいい。
自分に欠けている部分、そこにこそ追い求めている何か理想的な姿の反転がある、という振り返り。
ネイションとしていえば、戦争体験の振り返りが重要なキーになるし、国家と宗教というのは、国家神道と戦争という経験で痛い目をみているのであり、ある意味、輸入された欧米の経験を教養として追体験するだけではなく、日本人が原体験としてもっていた大切な教訓。愛媛県靖国神社玉串料訴訟(1997年)の最高裁判決は行政が戦没者の遺族の援護行政のために靖国神社などに対し玉串料を支出したことを違憲とした歴史的な判決で、戦争の経験がしっかり振り返えられた、という点で、司法の仕事としてとても大きなものを残したと思う。建国の精神を振り返るのが裁判所の仕事の一つだと思う。
しかし、戦後77年。戦争体験が風化するなかで、「あの時代を生き抜いた」という共通の体験、共通項として持っていたものがどんどん失われているのが今の時代。
50年前の高度成長期だったら、戦争で死んだ部下を思い出しながら、仕事にまい進し、酒場で同期の仲間と語り合う、とか、厳粛に生きるための厳粛な死が記憶としてあった。
「あの頃は」という共通の過去で人はつながることができた。それが内発的なものとして60年安保闘争を支え、水俣の闘争があった。外付けの倫理ではない、思い出としての切実さの空気の共有があった。
つまり、舶来の外付けの価値観と内発的な器は、その頃はわりと調和していた、といえるのだ。
それが、失われ、外付けの価値観だけが、カラカラと空回りし始めているのが今の時代の特徴で、失われつつある寛容性の正体なのだろう。
永井氏はそんな時代に生まれ育った。彼は対談のなかで、大学時代に
と、外付けの人権から始まったと語っているが、外付けのものにも普遍性のみに着目し、それが生まれてきたプロセスを振り返らない、人権教育の失敗が見て取れる。
また、日本国憲法に組み込まれた歴史への反省(前文含め)も記憶の風化とともに、個々人の内省が、時代への共鳴という形で、共感を醸成しなくなってしまっている。
それはかろうじて80年代までは存在していた。「おしん」が異例の1年間の朝ドラで始まってしばらくすると、
視聴者からは、おしんは私自身そのものです、という声が橋田壽賀子のもとに多数届いたという。
しかし、時代は変わって、平成から令和になって「あの頃」といえば、昭和の末期なのだ。
しかもそれをノスタルジックに思い出す、三丁目の夕日的な振り返りだった。さらには、あさま山荘であり、学歴社会、バイクを盗んで走る尾崎豊であり、バブルの思い出なのだ。それは、その遺産に苦しんだ次の世代にとっては共感を呼びにくいものであるし、自分たちの社会の重圧と、戦争の記憶との関連が薄まった。当然、日本国憲法のリアリティが失われ、右派から改憲論議が盛り上がってくるのは必然的なことだった。そんななか、統一教会が国の内部を白アリのように巣くって愕然とした先月から今月にかけての出来事というのは、忘れかけた宗教と国家の結びつきの恐ろしさを、突如呼び覚まされるものだったに違いない。
しかし、いずれにしても過去の記憶と憲法の規範が直接に結び付かない、その世代の経験、そこに、永井が紛争国の辺境の地を自分のテーマに選んだヒントがあるように思えてならない。
紛争のリアルがそこにある。そこに普遍的価値として大学生のときに知った人権、そして憲法の価値を、自分なりの振り返りとして再確認する、動機付けがあったようにも思う。
しかし、たとえ社会の人々と共有されないものであったとしても、ひとは自分史のなかで、どうふるまうべきかを動機付けられる。
私は逆に、子どもの頃はよく母親に殴られたり色々と物を捨てられたりされていて、そのときに「この家では力を持った奴は殴ったり物を捨てたりしていいんだな」と思ってしまったんです。そして中学生になって殴られたときに「よく見たら小さいし別に喧嘩が強いわけでもないな」ということに気が付きまして。それでそこからは自分が母親のことを殴りまくるようになりました。ひどい時はアザだらけでしたよね。父親も単身赴任でしたし。
といったときに、内田はそこにしっかりと気が付くべきだったと思う。
「全然、人権派じゃないね(笑)。」と返した内田に若干物足りなさを感じたのは、まさにそこだ。
動機付けられるものが、必ずしも、家風であったり、模範的なロールモデルとは限らないのだ。
この体験と辺境の地での人権探し、自分探しは、多分無関係ではない。
読んだのは20年前だが、年齢を重ねれば重ねるほど、彼のいう、逆徳精神の考え方が真理に思えてくる。
A clue to the problemmay befound in what I callthe theory of Opposite Virtues.Nations,like people in thisrespect,maypride themselvesmost highlyon the quality theymost lack. Hence “fair play”is agolden virtue inGreat Britain, the country thatattacked and subjugatedhalf theglobe. “Equality”was the banner of SovietRussia, where commissars owned lavish dachason the BlackSea and the proletariat lived no better than serfs.The United Statespridesitselfonits high “moral standard,” while perpetuating racial and moraldouble standards. And then thereis l’amour inFrance, anation ofcold-blooded rationalists. Or Canadians priding themselvesmostonbeing so distinctively “Canadian.” InJapan we mustlookatthe time-honored ideal ofWa, “peace.”Wa means security, stability,everything inits proper place, “knowing whatis enough.”Yet a persistent irony ofJapanesehistory since 1868is that forall the emphasisonpeace andharmony, they are exactly the virtues thatJapandid not pursue.At the end of the nineteenthcentury, rather than settling back to enjoyits new prosperity,Japan embarkedon a campaign to conquer and colonizeits neighbors.By the 1930s,it had already acquired a tremendousempire in EastAsia; this inability to stopled toits suicidalattackon the U.S.baseatPearl Harbor,as a result of whichitlosteverything.Something similaris happeningagain. PerhapsJapan valuesWa so highly for the veryreason thatithas such a strong tendency toward imbalance and uncontrollable extremes.
郅都(?) -?)前漢時代の河東郡楊県(現在の山西省宏道県東南部)の出身である。 漢の文帝の時代には、漢の役人を務めた。警部補時代、法律を厳格に執行し、権力者を寄せ付けなかったため、「鷲」と呼ばれるようになった。
内容
1.3強者に挑む
1.4皇太子妃の不興を買う
1.6イーグルの死
2評価
3 関連項目
4 参考文献
漢の文帝の時代、志杜は文官となり、次いで文帝の家来となった。 景帝の時代になってから、将軍に昇進した。 その勇気ある助言によって、大臣たちを説得することができたのだ。
ある時、景帝に随行して上林宮に行った時、随行していた賈詡がトイレを使っていると、突然イノシシがトイレに突入してきたことがあった。皇帝は志杜に、その目で嘉吉を救うように指示したが、武器を持った志杜は皇帝の体を守るだけで、行動を起こさない。 景帝が自ら武器を取って助けようとすると、子都は景帝の前にひざまずいて、「一人の妾を失えば、また一人が宮入りする、世に嘉吉のような女が不足するだろうか」と言いました。陛下がご自身の安全を軽視されるのであれば、国や皇太后をどこに置くというのですか?" 漢の景帝は、志杜の言葉を聞いて、賈賈をおいて、結局、イノシシは誰も傷つけずに、便所から逃げ出したのです。 この出来事を聞いた皇太后は大喜びで、志都に金百枚を褒美として与え、漢の景帝はそれ以降、志都を重用するようになった[1]。
前漢の初め、宮廷は黄蓋の術によって国を治め、何もせずに治めるという方針をとった。 済南県には300余りの謝氏一族がいたが、彼らは強大で狡猾なため、済南の将軍は何もできなかったので、景帝は志都を済南の将軍に任命し、地方の有力者を治めるように命じた。 彼が済南県に到着すると、謝氏一族の悪党の長をすべて処刑させ、他の謝氏一族は恐怖に震え、二度と法を犯すことを恐れなくなった。 済南県に赴任して1年後、県内には一切の残骸がなく、周辺の十数県の知事たちは皆、彼を上官のように尊敬していた[2]。
その後、中尉に昇進し、北軍と都の警備を担当することになった。 有力者の顔色をうかがうことはしなかった。宰相の周亜夫(しゅうあふ)は傲慢(ごうまん)で横柄(おうへい)だったが、彼に会うと頭を下げるだけで、ひざまずかないのだ。 文帝と景帝の時代には、民衆の搾取が減り、平和で満足な暮らしができ、法を犯す人もほとんどいなかった。法律は王族の親族や貴族が執行し、法律を破った者は官吏や人に関係なく、法律に従って厳しく罰せられました。王室からは嫌われ、恐れられ、横目で見られ、陰では「鷲」と呼ばれ、その激しい法執行の比喩とされた[3]。
紀元前153年、漢の景帝の長男である劉栄が皇太子に任命された。紀元前150年、劉協の母・王耀が密かに大臣を唆して景帝に李自成を皇后にするよう依頼し、景帝は激怒して劉協を臨江王として退位させた[4]。
紀元前148年、劉栄が勅令に違反して菩提寺の土地を流用して宮殿を建てたため、景帝は劉栄を呼び寄せて謁見させることにした。 劉栄は江陵(現在の湖北省江陵県)の北門から出発し、乗り込んだ馬車が壊れてしまったのだ。江陵の人々は皆、目に涙を浮かべながら、「私の王は帰れない」と内心で言っていた[5]。
都に入った劉栄は、裁判のために尉官室に呼び出された。 劉栄は恐れをなして、景帝に礼状を書こうと筆と剣を求めたが、景帝はそれを許さなかった。 魏斉の侯爵、斗英は人を遣わして劉栄に静かにナイフとペンを渡した。長男の死を知った皇太后は激怒し、法律を厳格に執行して甘受しようとしない財津を憎んだ。 景帝は彼を故郷に罷免したが、その後、使者を送って延門県知事に任命し、近道で直接赴任させ、県の事務を処理する特権を与えた[6]。
漢の景帝の時代、匈奴の鉄騎兵が長年国境を侵し、国境の県は長い間未開拓のままであった。 彼の清廉潔白の名声を慕っていた匈奴は、彼が燕門の総督に任命されたことを知り、恐れおののいた。匈奴の騎馬隊は退却し、燕門から遠ざかった。死ぬまで延門に近づく勇気はなかったという。
匈奴はザイドゥの形をした人形を彫り、匈奴の騎兵が馬上から撃つための標的として設置したのです。 ザイドゥを恐れて、匈奴の騎兵は誰も目標を達成することができませんでした[7]。
景行が再び財津を利用したことを知った道太后は激怒し、直ちに逮捕を命じた。 景帝は「宰子は忠臣である」と宰子を擁護し、釈放の準備をした。 孫の劉栄の死も忘れず、斗太后は「臨江王は忠臣ではなかったか」と言った。彼女の仲介で、ついに志杜は殺された。 彼の死後まもなく、匈奴の騎兵隊が燕門に再侵攻した[8]。
彼は忠誠心が強く、公正で正直な官吏で、内部では権力者や有力者に立ち向かい、外部では外国の侵略から身を守り、匈奴の神経をすり減らすほどの勇気を持った人物であった。親族を倍加して仕えれば、政府の下で死んでも妻にはこだわらない」という有名な言葉があるが、これはまさに彼の官僚としての生き様を表している。 後世の人たちは、財津を高く評価していた。
司馬遷は『大史記』-巻122-「涼官伝説」の中で、「彼は素直な人であり、天下を争うほどの人であった」と賞賛している。
漢の成帝の時代、大臣の顧雍はメモで志都を論じ、「趙に連波と馬遂がいて、強い秦は井戸を覗く勇気がなく、近漢に志都と魏商がいて、匈奴は砂幕に南下する勇気がない」と述べている。
唐の古書』巻194には、唐の中宗皇帝の時代に、右補奇人の陸遜が「漢が宰子を祀ると匈奴は国境を避け、趙が李牧を任命すると臨湖は遠くに逃げた」と発言したことが記されている。
上記の名前から、志都は戦国時代の趙の連波、趙奢、李牧など、「戦国の武将、国家の手先」とされた名将と肩を並べることになる[10][11]。
https://zh.wikipedia.org/wiki/%E9%83%85%E9%83%BD
1.ジョージ・ワシントン(1789~1797)(無所属)
合衆国建国の父の一人。フランスとの戦争を回避した。移民法と治安法に署名
合衆国建国の父の一人。フランスからルイジアナを買収した。出港禁止法により対英戦争の回避に尽力した。
4.ジェームズ・マディイソン(1809~17)(民主共和党)
憲法の父。大統領としての初の宣戦布告をし、米英戦争を起こした。
5.ジェームズ・モンロー(1817~1825)(民主共和党)
合衆国建国の父の一人。奴隷制を巡るミズーリ協定を制定。スペインからフロリダを買収。モンロー宣言を発表し、孤立主義を打ち立てた。
6.ジョン・クインシー・アダムズ(1825~1829)(民主共和党)
関税法の設立、軍の巨大化などを試みるもジャクソンらの激しい妨害に遭い大した功績を残せなかった。大統領就任前は外交官として活躍し、米英戦争の終結、モンロー宣言の起草などに貢献した。
7.アンドリュー・ジャクソン(1829~1837)(民主党)
白人男子普通選挙制、地方の役人を自らの支持者で固める猟官制を確率。インディアン移住法を制定し、激しい弾圧を行った。大統領就任前から軍人として活躍し、米英戦争やセミノール戦争でインディアンを虐殺した。
8マーティン・ヴァン・ビューレン(1837~1841)(民主党)
オランダ系。任期中に1837年恐慌が発生した。更にアルーストック戦争、キャロライン事件で対英関係に緊張が生じた。
9.ウィリアム・ハリソン(1841)(ホイッグ党)
就任後わずか31日後に肺炎で死去。就任前はティカピヌーの戦いでショニー族を破ったことで名高かった。
米墨戦争に勝利し、広大な領土を獲得した。スミソニアン博物館、海軍士官学校を設立した。米国史上最低の関税の一つであるウォーカー関税を設立。
12.ザカリー・テイラー(1849~1850)(ホイッグ党)
任期中にカリフォルニア・ゴールドラッシュが発生し、奴隷制を巡る対立が激化した。
13.ミラード・フィルアモ(1850~1853)(ホイッグ党)
1850年の妥協により、南北対立を一時的に回避。日本にペリーを派遣した。
カンザス・ネブラスカ法を支持し、北部から強い反感を買った。オステンド宣言を発表し、スペインからキューバを奪おうとするも失敗。
15.ジェームズ・ブギャナン(1857~1861)(民主党)
16.エイブラハム・リンカーン(1861~1865)(共和党)
南北戦争を勝利に導いた奴隷解放の父として知られるが、実は奴隷解放には消極的であり、インディアンに対しても激しい弾圧を行った。
17.アンドリュー・ジョンソン(1865~1869)(民主党)
合衆国の再建を担ったが、奴隷制を支持したため、議会と激しく対立した。
18.ユリシーズ・グラント(1869~1877)(共和党)
南北戦争で北軍を勝利に導いた英雄であったが、在任中は多くの汚職事件が発生し、米国史上最悪の大統領とも評される。
19.ラザフォード・ヘイズ(1877~1841)(共和党)
南部に駐在していた北軍を撤退させたため、黒人差別が再び激化した。1877年の鉄道ストライキに対しては連邦軍を派遣して鎮圧した。
20.アンドリュー・ガーフィールド(1881)(共和党)
就任後4ヶ月後に銃撃され、その2ヶ月後に死去した。
21.チェスター・アラン・アーサー(1881~1885)(共和党)
22.クロバー・クリブラント(1885~1889)(民主党)
州際通商法により鉄道運賃を規制。公約であった保護関税の引き下げには失敗した。
23.ベンジャミン・ハリソン(1889~1893)(共和党)
シャーマン反トラスト法、高関税マッキンリー関税などを制定した。
24.クロバー・クリブラント(1893~1897)(民主党)
再選された。1893年恐慌の解決に失敗した。プルマン・ストライキなど反政府デモや労働運動には激しい弾圧を加えた。
25.ウィリアム。マッキンリー(1897~1901)(共和党)
金本位体制、ティングレー関税法を制定。米西戦争に勝利し、フィリピン、グアム、プエルトリコを獲得した。ハワイも併合した。中国に対しては門戸解放を主張した。
26.セオドア・ルーズベルト(1901~1909)(共和党)
独占禁止法を制定。中米に対しては棍棒外交を展開した。自然保護に尽力した。日露戦争を調停したことから、ノーベル平和賞を受賞した。
28.ウッドロー・ウィルソン(1913~1921)(民主党)
29.ウォレン・ハーディング(1921~1923)(共和党)
ワシントン会議を開催。内政面では富裕層を優遇した。在任中に多くのスキャンダルが発生した。
30.カルビン・クーリッジ(1923~1929)(共和党)
31.ハーバード・フーヴァー(1929~1933)(共和党)
32.フランクリン・ルーズベルト(1933~1945)(民主党)
ニューディール政策により不況を脱した。中米諸国に対しては善隣外交を展開。日本への石油輸出を禁じて、太平洋戦争を引き起こした。
日本に原爆を投下した。NATO、CIA、国防総省、NSAを設立。共産主義に対しては封じ込め政策を実施。朝鮮戦争に参戦。
34.ドワイト・アイゼンハウアー(1953~1961)(共和党)
封じ込めよりも強硬な巻き返し政策を提唱。武力行使すら辞さないとしたアイゼンハウアー・ドクトリンを提唱した。
アイルランド系カトリック。キューバ危機に対処し、核戦争を回避した。宇宙開発にも力を注いだ。ニューフロンティア政策に基づき、公民権運動に積極的であった。
「偉大な社会」を唱え、公民権法を制定した。ベトナム戦争に参戦し、泥沼化させた。
37.リチャード・ニクソン(1969~1974)(共和党)
ベトナムから撤退、ソ連、中華人民共和国を訪問し、緊張緩和を進めた。金とドルの交換を停止した。
38.ジェラルド・フォード(1974~1977)(共和党)
前大統領に引き続き、デタントを推し進めた。在任中に日中貿易摩擦が生じた。
人権外交を展開し、パナマ運河の返還、第四次中東戦争の仲介、米中国交正常化を果たした。
「強いアメリカ」をスローガンに福祉削減、減税などを行った。レバンノン出兵、グレナダ侵攻など強硬な対外政策を展開した。
レーガンの政策を継承。マルタ会談で冷戦終結を宣言。湾岸戦争でイラクを破った。
42・ウィリアム・クリントン(1993~2001)(民主党)
オスロ合意、ベトナムとの国交回復、ボスニア和平などを実現した。反面、多くのスキャンダルに悩まされた。
43.ジョージ.W.ブッシュ(2001~2009)(共和党)
同時多発テロを契機に「テロとの戦い」を主張、アフガン攻撃、イラク戦争に踏み切った。