Movatterモバイル変換


[0]ホーム

URL:


はてラボはてな匿名ダイアリー
ようこそ ゲスト さんログインユーザー登録

「動詞」を含む日記RSS

はてなキーワード:動詞とは

次の25件>

2026-02-08

従来の自民党支持者は、「新しい自民党支持者」の奴隷となる。

自民党が手にした圧倒的な議席数は、もはや「地盤看板・鞄」という旧来の組織票だけでは説明がつかない。今回の勝敗を分けたのは、これまで党を冷笑し、距離を置いていたはずの無党派層による異質な合流である自民党圧勝に導いた、この「新しい自民党支持者」とは何者か? 

新しい自民党支持者」といえる彼らを突き動かしているのは、盲目的な忠誠心でも、安定への回帰でもない。それは、SNS時代の濁流の中で磨かれた冷徹合理性だ。本稿では、膨大な言語データから彼らの正体を浮き彫りにする。

要約すると、

  1. 自民党が手にした圧倒的な得票。その裏側にあるのは、従来の組織票凌駕する「新しい自民党支持者」の合流。
  2. SNS上の膨大な投稿テキスト(540万件)を形態素分析した結果、浮き彫りになったのは、彼らが自民党を「愛している」のではなく、冷徹に「消去法で選ぶインフラ」として利用している実態
  3. ポインツ
    1. 消去法の圧倒的シェア: 期待による支持ではなく、野党への不信とリスクヘッジ投票の主因。
    2. 価値観の断絶:都市部・現役世代を中心とした成長・合理性世代間公平を求める層が、かつての自民党支持層(分配・現状維持)を飲み込みつつある。
    3. 逆転する力関係:自民党の存立は今、デジタル空間冷徹合理性依存している。既存支持基盤は離反を恐れ、この新しい層の価値観に隷従するという、歪な構造が生まれている(若い世代への高齢世代奴隷化)。

1. 540万件のデータが示す「支持」の真意

今回の分析では、選挙公示から投開票日までの期間、X(旧Twitter)およびYouTubeコメント欄から抽出された計540万2,100件のポストコメント対象に、自然言語処理NLP)を用いた形態素分析実施した。

分析メトリクス
「支持」の動機における語彙の変化(出現頻度比)

従来の世論調査が捉える「政権への期待」とは裏腹に、SNS上の言語空間ではネガティブ合理的選択を示す語彙が圧倒的なシェアを占めている。

特徴的語彙 出現頻度(前同期間比)連語(共起ネットワーク
「消去法」 340% 増野党現実的、マシ、他がない
「公金」 210% 増 チューチュー、利権NPO、透明化
「実績」 125% 増外交株価、安定、野党の空論
「お灸を据える」 78% 減悪夢民主党政権、二の舞、リスク

特筆すべきは、「#自民党にお灸を据える」というハッシュタグの劇的な減衰だ。新しい支持者層において、自民党への投票愛着ではなく、リスクヘッジという動詞と強く結びついている。

2.感情極性分析に見る逆説的な支持構造

既存メディア自民党への逆風を報じる中、SNS分析では異なる数値が算出された。感情極性分析ポジネガ分析)の結果、新しい支持層心理は以下のように構成されている。

彼らにとって、自民党支持とはベスト選択ではなく、致命的な失敗を避けるための最低限のインフラ維持に近い。

3. 「新しい支持者」の属性価値観対立軸

従来の支持基盤と、今回流入した新しい層を比較すると、その断絶は明らかだ。

比較項目 従来の自民党支持者新しい自民党支持者
主な属性地方在住、高齢層、産業団体公務員都市部、若年〜中年層、IT系個人事業主
支持の動機地縁血縁業界への恩恵情緒的安定 「消去法」による選択野党不信、変化の期待
経済政策 「分配」重視:公共事業補助金 「成長」重視:規制緩和、減税、労働流動化
社会保障現状維持」:年金医療既得権益世代間公平」:効率化、自己責任
外交安保協調リアリズム」:伝統日米同盟戦略的リアリズム」:経済安保国益優先
社会問題保守的」:伝統家族観、秩序重視合理的リベラル」:夫婦別姓容認能力主義
夫婦別姓 「慎重・反対」:伝統的な家族観の維持容認・推進」:個人自由合理性の重視
情報の接点新聞テレビ地域会合SNS、切り抜き動画まとめサイト
価値観の核 「信頼と実績」:継続価値コスパ真実」:無駄排除メディア裏読み

4. 特徴的な語彙(トークンから見える深層心理

形態素分析によって抽出された以下のキーワードは、彼らの正義の拠り所を示している。

結論:ドライ利用者の危うさ

新しい自民党支持者」は、自民党という組織を愛しているわけではない。あくまで現状の最適解としてドライに利用しているに過ぎない。「支持者」ではなく「利用者である

彼らにとって、政治信仰ではなく投資である。そのため、自民党がひとたび古臭い利権調整や非効率な分配に終始する姿を見せれば、この540万件のデータが示す熱量は、一気に離反へと転じる危うさを孕んでいる。彼らが求めているのは、安定という名の停滞ではなく、合理的破壊再生なのだといえるだろう。

皮肉なことに、党を支えてきたはずの従来の自民党支持者たちは今、この移り気な「新しい自民党支持者」の機嫌を損ねぬよう、彼らの価値観に隷従するかのように振る舞うことが求められている。組織票というかつての主役が、デジタル空間冷徹合理性に離反の恐怖で縛られ、奴隷のように寄り添い続ける。

この歪な共生関係が崩れたとき自民党という巨大な器は、その真の存立基盤を問われることになるだろう。

Permalink |記事への反応(1) | 23:31

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2026-02-04

anond:20260204160246

アニメートって普通動詞では

Permalink |記事への反応(0) | 16:04

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2026-01-29

anond:20260129085016

許可を得る」

が一番適していると思うが、「許可を取る」も間違いではない

もちろん「許可必要」も間違いではないが、その場合の「許可」は許可証などの名詞としての側面が強く表現されていると考えられ、

今回のケースでの「許可」は二次創作者などが「許可を得る」という動詞としての側面を強く表現する手法が適していると考えられるため、

許可を得る必要」または「許可を得る必要」が用法としては正しいのではないでしょうか

Permalink |記事への反応(0) | 08:55

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2026-01-20

連用中止接続可能動詞を使うと違和感がすごい

連用中止接続

「よく学び、よく遊ぶ」みたいなやつ

連用形「学び(ます)」を使う

可能動詞

書く→「書ける」

言う→「言える」

みたいなやつ

連用形は「書け(ます)」「言え(ます)」

連用中止接続可能動詞

文字を書け、色も塗れる」

「彼は自分意見をはっきりと言え、相手矛盾点も指摘できる」

「この告発で反対派を叩け、開発自体知名度も上げられる」

文法的には合ってるのに違和感ある。一瞬、命令形かと思う

Permalink |記事への反応(1) | 17:28

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2026-01-15

出る順 TOEFL英単語

Render動詞

AをBにする

例: 「脂肪から「油」をレンダリングする

例:ラテン語英語レンダリングする

例:レンダリングエンジンHTMLコード化された内容を、表示や印刷向けに「変換」する)

Permalink |記事への反応(1) | 15:25

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2026-01-10

高卒失格の高卒大卒無限に生み出されている

つらつら書いてたらなんか長くなっちゃったのでもう要約を先に置いておく。無責任な長文を読んでやろうという物好きだけ本文読んでね。


ここから本文。

某元小学生配信者が高卒認定試験合格したというニュースが1年ほど前にあったが、実際に高卒認定試験問題を閲覧したことがある人がどれだけいるだろうか。

というわけでこちらに貼ってみるので暇な人は見てみて欲しい。

https://www.mext.go.jp/a_menu/koutou/shiken/kakomon/1411255_00017.htm

「これで高卒って言えんの?超簡単じゃん」

「今解けって言われたら流石にきついけど、高校時代なら多分余裕」

と思った人は多いことだろう。

(これは「ここでわざわざ問題に目を通すほど教育というものに関心がある人間であれば、その多くはそれなりの学力があるのではないか」という自分勝手思い込みに基づく予想である)

一般的大学入試問題比較すればずいぶん優しい問題であるしかもこの問題合格ラインは概ね4割ほどとのことであるから驚きだ。

俗にBFと呼ばれるラインではない大学一般入試で入った人間なら、(高校在学時であれば)余裕で解けるはずだ。

一見して、こんなもの高卒資格相当と認定する試験でいいの?と思うかもしれない。

ただし、この試験高校の必修科目=概ね高校1年生でやる科目について合格相当であれば高卒と同等と看做せる、という考え方に基づいて作られている。

要は「高卒」と言いつつも、実際は高校1年生であれば無理なく解ける内容が出てくるわけだ。16歳が合格できるのも不自然ではない。

また、一般的高校であれば赤点ボーダーは概ね3〜4割であるのだから、それと照らして考えると低いように見える合格ラインも案外妥当と言えるだろう。

ここまでが前置き(長いね)。

自分底辺高校教員の端くれだが、例のニュースを読んで高卒認定試験問題を初めて見た時、素直な感想として「こんなもんうちの生徒に解けっこねえよ」と思ってしまった。

自分の目算では、今年卒業を控える3年生にやらせたら少なくとも半数、下手すれば7割は不合格になると見ている。

自分の勤務校で抱えているのは、レ点も分からず、ルート因数分解も分からず、一般動詞疑問文も作れず下手すりゃ正負の数の理解も怪しい、そういう生徒たちである

そのような生徒たちを、とりあえず座っとけばいい授業、その場しのぎで点を取ることしか意識しないテスト指導、超簡単テスト、甘い採点などなどの「現場努力」によって「高卒」に仕立て上げているのだ。

さらにその中には校内だけの甘い基準で無価値な高評定を取り、それを担保指定校だの総合型だので学力試験を経由せず大学入学し、結果「大卒」「院卒」にまでなる生徒たちもいるのだ。

そんでもって生徒たちや保護者たちは「なんとか高校ぐらいは卒業したい」「大学には行かせておきたい」と口々に言うわけだ。

客観的に見て高卒大卒になるべきでない能力であっても、「してしまえる」ならばさせるしかない。概ね学問を教えているとは言えないようなやり方でも。

ごくせん」でヤンクミがまともに授業聞いてない生徒たちに対してなんか雑に授業してるシーンがたまに挟まってたでしょ?あーいうの。

そいつらにちゃん高卒学力つけさせるのが先生仕事だろって?時間があるならそうするけれど、そんな時間はないよ。

これは教員側の勤務時間もだし、学校の開校時間もだし、生徒側が学校勉強に集中していられる時間も、自宅で勉強に取り組もうとする時間も、全部足りない。

小中9年間の勉強が身に付いてないのを高校3年間だけで取り返しつつさら高校勉強までまともに教えろと。無茶をおっしゃる

当然、これは自分の勤務校だけの問題ではない。

1校1校実際に確かめたわけではないが、自分の勤務校がこの為体なのであれば、同じ学力帯あるいはさらにそれ以下の学力帯の学校でなら、当然それと同等かもっと凄まじい「現場努力」をして卒業生を輩出しているはずである

それも踏まえると日本全国全ての高校生の中で、ざっくり2〜3割ほどはこの「高卒試験に受からない高卒」なのではないか自分は考えている。

最近入学試験学力問わない定時制とか通信制とかもりもり増えてるからもっといかもね。

あとこれは責任押し付けになって申し訳ないが、そもそも指定校の枠を投げてくる大学側にも問題はあるだろう。

このレベル帯の高校生がそんなに出来るやつらだと思っているのか?うちの評定4.0とそれより偏差値1020も高い高校の評定4.0が等価だとでも思っているのか?

そんな奴らを入学させて高等教育の質を担保できると思っているのか?散々ニュースになっているように小中高校勉強のやり直しに終始する羽目になるのではないか高校でできていないことが大学でできるわけがあるまいよ。

そこまでしないといけないほど学生が入ってこないぐらい困窮しているのか?(多分しているのだろうが)

高校からしたら「あなたは推薦基準を満たしているけど大学に行くのに相応しい学力を持っていないのは明白なので指定校あげません」なんて言うわけにはいかないので、生徒に希望されたら素行等に問題がないのであればどれだけ学力的に問題があろうとも推薦を出さざるを得ないのだ。この矛盾に頭を抱えている高校教員はさぞ多いことだろう。

そんな現状を見て、ふと思いついたことがある。

日本全国の高校で一律で、高卒認定試験合格することを卒業要件に追加したらどうなるのだろうか。

とりあえず先に挙げた2〜3割は高卒になれずに留年するか中退し、中卒者が社会に爆増することになるだろう。

しかし、世間では「大卒や院卒にやらせ必要のないような肉体労働単純労働を、世間無駄に溢れる大卒や院卒にやらせている」みたいな話は山ほど聞く時代だ。

それを中卒にやらせたところで案外問題はないかもしれない。もともと本来高卒以上になるべきじゃなかった人間たちが、あるべきところであるべき仕事に就くだけだろう。

指定校に関する問題解決だ。

多少難がある生徒でも、高卒認定試験合格済みであればまだ大学に送り出す気になる。学力をつけさせる動機にもなるし、ダメだった時に諦めさせるのも簡単だ。

学力以外の要素を推薦で売りにしていた高校大学にも少なからず影響がありそうだ。

(なおここでの考察では、○○があるから特例で卒業できる!みたいな例外は一切設けないものとする)

例えばスポーツしか取り柄のないような生徒は、高卒認定試験に受から高校卒業を断念することになる。

しかし、「甲子園優勝○○高校出身ドラ1!」みたいなのが仮に高校卒業できなくても「甲子園優勝○○高校中退ドラ1!」になるだけでそこまで箔に差は生じないのかもしれない。

それこそ元々勉強で戦ってないんだから高卒資格なんてなくても十分やっていけるはずだ。今までと変わらず球界を沸かせてくれるだろう。

箱根駅伝など大学ブランドを重視している分野はどうだろう。参加校にBF大学名前はちらほら見るし、そうでない大学学力試験を経由せずにスカウト推薦入学していることはあるだろうだから、仮に高卒認定試験義務化されていたら箱根路を走る資格剥奪される層は一定数いるだろう。

まあ大学生として走るなら大学生名乗る最低限の学力くらい持っておけというのはあまりにも当たり前の話だから特に問題はないな。

大学駅伝は胸を張って自分大学生だと主張できる者たちが戦うための場ではないか

そして、自分の勤務校や同レベル帯の高校存在意義消滅する。高卒認定試験突破できない地頭の生徒しか入学できない高校価値はなくなるからだ。

おそらく廃校になるか高偏差値校に吸収されることだろう。高校教員が足りない足りないと言われて久しかったのが一転教員数が過剰になる。余剰人員を適切に再配置すれば、国が推進する少人数指導TTのきめ細やかな指導とやらも少なくとも今よりは余裕持ってやれるようになるだろう。

国が本当に適切に再配置なんてしてくれるのかって?そもそもこの話はただの妄想なのでノーコメントだ。

好き放題言うだけ言ってみたが、もちろんこんなことが実現するわけがない。

テスト実施コスト世間の反発、学校現場に与える負の影響(変化を拒むという意味含めて)の大きさ、どれをとっても今の日本で許容できるはずがない。

もちろん自分も許容しない。

私自身や家族、他の教員たちにも生活がかかっているのだから学校業務に貢献して給料が貰えるように、粛々と現状の業務遂行するしかないのである

よく教員学問に対して真摯でないと言われることがあるが、それの多くが「本当は真摯にやりたくても、見て見ぬふりをしている」という状況であるのはどうか理解していただきたい。

この投稿はそんな、大した影響力も持たない底辺教員愚痴である

Permalink |記事への反応(1) | 15:04

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2026-01-09

anond:20260108122219

動詞にdo付けるとか大丈夫か?

中学英語もできないなら、無理に英語使わない方が良いよ

Permalink |記事への反応(1) | 08:06

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-12-28

anond:20251228192059

証明不可能領域っていうか、論理の正しさ、というすべてに影響が波及する領域だよね

それを「認めているだけ」というのがよくわからない。自分たち論理が正しいと信じていることと何も変わらない。

反証可能性があるといっても、それを認めつつもなお暫定的にでも事実真実として信仰している。

反証可能性って裏を返せば一時は事実と受け入れてることもあるという立場を認めていることになるからね。

反証可能性是認とは平たくいえば「間違っているかもしれないけど今は信じる」ってことであって、それは日常使われる「信じる」の使われ方と寸分の差もない。

ああむしろ、信じるから一時性を抜いたのが信仰なのかもしれん。

宗教者の行為あてはめられる信じるという動詞はそういう狭義のもの解釈すべきか。

dorawiiより

-----BEGINPGP SIGNEDMESSAGE-----Hash: SHA512https://anond.hatelabo.jp/20251228193153# -----BEGINPGP SIGNATURE-----iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaVEHGgAKCRBwMdsubs4+SCbnAP9dT4B+mw/fOsDWixfagwPFhEH4Q1lApIYK++U2T7EzfQEA2KweGuld2RCbFHuFuIxMAqWLmiISEahS7z6VMabbSQg==wJ4B-----ENDPGP SIGNATURE-----

Permalink |記事への反応(0) | 19:31

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-12-24

阿波弁と関西弁はどう違うのか:方言によってアイデンティティ崩壊

背景

私の出身地関西地方とある府県だが、幼少期に転出して地元が同じ人とも共通話題などないので「〇〇府/県」出身ですと胸を張っては言えない。

徳島での生活が長いから「徳島出身だろ」と他所の人からは言われても、実際には首都圏育ちで最も長く過ごしたのもそこだから私の第一言語標準語であって、徳島標準語を受け入れてくれない。少なくとも「地元人間」とは見なされていない。「将来徳島に戻ってくるか」という衰退都市にありふれた話題において、自分がいると決まって気まずそうにされる。

現在関西在住である自分関西弁もマスターしている、と自認している。徳島関西弁を身につけ、現在居住する関西での生活に完全に順応している、と思っている。

来年から首都圏に戻るんだけど、戻ったら戻ったで「地元人間が帰ってきた」という扱いになるほど首都圏地元って感じはないし……なんかもうざっくりと「関西出身」ということにさせてくれないか?どの府県だとか厳密にせずにざっくり「関西から来ましたよ」という気持ち首都圏生活したらアイデンティティの置き場所はうまくいかいか

そのためには、現代関西弁と阿波弁の差異を明らかにして、「徳島関西である」ということを証明しなければならない。そうじゃなければ、私のアイデンティティはどうなるの!?

[:contents]

イントネーションについて

Wikipediaによると「四国方言に属するが、四国方言の中では近畿方言の影響を最も多く受けた方言である。」らしい。県内全域が京阪アクセント統一されているのは中四国では珍しい。香川、ついで愛媛アクセント中国地方の影響が大きいように思う。これが最も重要だ。イントネーション関西弁と同じなのだ

徳島東部高知県中部東部アクセントは、近畿中央部のものより古い時代京都アクセントに近い。」ともいう。全体的に阿波弁は現代大阪が直面している「標準語化」をそれほど経験していない。「古い」というのは方言圏論にも整合的で理に適う。古い時代京阪から来訪した方言が、辺境はいまだに残っているのだ。もっと鮮明にいうなら、阿波弁は現代関西弁よりも「厳密な」京阪式といったほうがいいかもしれない。東京アクセントへの忌避近畿圏より強い。文の一部であっても東京アクセントが溢れることを嫌う。

文法について

ほぼ同じなので差異を挙げる。

語尾

語尾は「じゃ/だ/や」の3種類がある。「じゃ」は若者は言わない。「だ」の登場頻度が近畿圏よりは多いが基本的には「や」で関西弁と共通だ。

「中でも未然形、推量は「ダロ」が優勢」らしい。確かに「だ」は「だろ」の形で特に使われやすい。京阪アクセントで語尾が「だろ」になる文はいかに徳島らしい。

「「ヤロ」は沿岸部のごく一部地域だけであったが、近年は、鳴板地域徳島市をはじめとした沿岸部を中心に「ヤロ」が優勢である。」とのこと。近畿同化している側面が否定できない。

「じょ」という女性言葉の語尾も存在する。使う人は使う。現在では男女差は明確ではないと思う。男性も一部使うが、これは遊戯的な使用だろうか。

否定

動詞否定は「〜ん/へん」だ。「 〜ん」の頻度が大阪よりかなり高い。兵庫と比べてもやや高い。「へん」の頻度が近年高くなっているとしたら、近畿同化である

「「動詞未然形+れん/られん」は禁止を表す。「あそばれん」は「遊んではいけない」」これは四国の他県にはあるが近畿にはない。

音便

「五段動詞連用形は、「て」「た」「とる」の前で音便形を取る。」ことによって「言った」「洗った」が「言うた」「あろおた」「あろた」のようになる。これは関西弁と共通。やや古い関西弁で観測できる。

山間部の高齢者を中心に「「さいた」(差した)のようなイ音便が用いられ」ることもあるらしいが、現在徳島市内にはない。これは相当に古い京都弁と共通

「「あそおだ」(遊んだ)「のおだ・ぬうだ」(飲んだ)のようなバ行・マ行ウ音便がまれに聞かれる。」らしいが聞いたことはない。近畿を含め、他県にもない。

現在進行・現在完了アスペクト

連用形 + とる・とお」で現在完了または現在進行、「連用形 + よる・よお」で現在進行を表す。「しとる」「しとお」「しよる」「しよお」などである。「とる」「とお」は兵庫県と共通滋賀三重とも共通。まさに辺境に残る関西である。「よる」も古い関西弁。「よお」は県内では現代でも使われているが近畿ではもう聞かない。

「とる」に関していえば瀬戸内地域に限らず広く西日本で使われていて、一応関東にもある。広すぎて起源が同一かは不明

接続助詞

「逆接の接続助詞には「〜けんど」が多く用いられる」らしいが、実際には「けんど」は残ってはいものの、近畿同化して「やけど」も優勢である

「「〜から」という理由・原因は「〜けん」である。これが関西弁との最大の違いだ。これさえ出さなければ関西圏で生活しても違和感はない。私は首都圏から徳島転入であったから、「〜けん」まではそもそも吸収していない。ふつうに言いにくいと思う。まあ中四国九州など広く西日本共通だ。

また、古い関西弁と共通の指示語「ほう」「ほれ」「ほな」(「そう」「それ」「それでは」)と重なって「ほなけん」「ほなけんど」「ほなけんな」が文頭で使われるのが特異的。「ほやけん」に変化するのは近畿同化か。徳島市外では「き」「さかい」も用いられるそうだが、「き」は高知イメージ。「〜さかい」は古い関西である

過去否定

「「行かなかった」は「行かざった/行かなんだ」」で表されるらしい。「行かざった」は聞かない。「行かなんだ」は県内では現役。過去否定を「なんだ」で表すのは古い関西弁と共通だ。

不可能

北部で「よお〜せん」、南部で「ええ〜せん」の言い方がある。」という。「ええ〜せん」は市内では聞かない。「よお〜せん」は古い関西弁と共通だ。関西で「よお〜せん」といえば、遠慮など心理的抵抗から不可能を表すイメージだが、徳島でもニュアンスは同じだろうか。

「で」の特異性

助詞「え」「で」(ときどき「でか」)を文末に付して疑問文を強調する用法関西弁にはあまりない独自のものとして多用される。「何しよんで?」など。関西弁の念押しの「で」が下降イントネーションであるのに対しこちらは尻上がり(しばしば伸ばされる)である独自用法だが和歌山や南大阪とはある程度親和的であり、そこまでの違和感はないように思われる。もちろん近畿と同じく、念押しの「で」もよく用いられる。

「〜だろう」「〜ではないか」の意味の「で」もある。「あかんでぇ」は「ダメだろう」「ダメじゃないか」という決して深刻ではない軽い咎め禁止の「あかんで」と同じく下降アクセントだが、発音は明確に区別されている。この差は禁止を「あかんでぇ」と伸ばしても埋まらない。咎めの「あかんでぇ」は「でぇ」の途中に下降が入る。

さて、この「で」は疑問文の「で」から来ているのか、あるいは語彙の章で取り扱う「あかんでないで」(ダメじゃないか)の一つ目の「で」から来ているのか。なお、「あかんでないで」の末尾の「で」は疑問文強調の「で」である。おそらく前者だろう。

三重滋賀では順接の接続助詞として「で」が使用されることも多い。「で」は日本語最大の多義語ではないだろうか。

その他

おもしろくない→おもしろおない/おもっしょおない のような形容詞の変化がある。「おもしろおない」は古い関西弁と共通だがあまり使われない。「おもっしょおない」あるいは短縮されて「おもっしょない」は独自のものであり、かなり現役。肯定文でも「おもっしょい」が阿波弁のアイコニックな代表例として存在

仮定形は「書きゃあ」「起きりゃ(あ)」のようになる」らしいがこれはもはや残っておらず、近畿同化して「書いたら」「起きたら」である

助詞「よ」「よお」による「〜したんよ」のような用法大阪よりは多用されているイメージ

「終助詞「が」を用いる。軽い詠嘆・感動を表す。」と書いてあったがそんなのは現在の市内にはない。残っているとしたら高知だろう。

「疑問・反語の終助詞は、「か」「かい」「かいな」「かえ」などを用いる。」というのは関西弁と共通だ。「時計めげとんかいな。」など。「めげる」は「壊れる」

「終助詞「わ」は感動・強調などを表す。(例)あれが大鳴門橋やわ。」→ふつう関西弁。

あと関西弁の「〜やねん」が県内ではあまり使われない。

語彙について

「いける」(大丈夫)は関西弁と共通語彙だが、頻度は近畿より高い

か(ん)まん【構ん】 …構わない 

近畿ではもう古いだろうが、県内では若者こそ低頻度だがそこまで陳腐化しているわけではない。

かく …持ち上げる。運ぶ

神輿山車しか言わないだろう。

じゃらじゃらする …いい加減にしている。ふざけている。

→相当古い関西弁だが、県内では完全に現役。親が子に言うような教育場面の語彙だから継承されやすいのでは。

しんだい …だるい

せこい …しんどい身体的な倦怠感を表現する)。食べ過ぎて苦しい時にも使う。

→「せこい」は他地域で通じない。

〜ちゅう …〜という。

現代関西弁と同じ。

つっかけ …ぞうり。

→広く四国近畿共通

〜でないで …〜ではないか。(例:あるでないで→あるじゃないか

→あまり聞かないが、疑問文の文末「で」による協調は多用される。「〜でないか」なら言う。

はさ(か)る …挟まる。

→「はさかる」は今も使われる。西日本では珍しい。

ほんに【本に】 …本当に、本真に。

→相当古い関西弁だが、県内ももう使われない。

わや …だめなこと。むちゃくちゃな様。

四国他県のほうが使われる。

終わりに:徳島県人が関西で、あるいは首都圏関西出身者として生き残るには

言語には南大阪和歌山淡路島徳島というグラデーションがある。兵庫和歌山、南大阪三重など近畿辺境というのは、少しずつ違いはあるがなんとなく「大阪弁とは違う」を共有している。「辺境関西弁」にアイデンティティを投じさえすれば、矛盾自己矛盾も抱えずに済むのだ。なにより、エセではないということだ。ディープであればいいじゃないかリアルに聞こえるし、リアルである

参考

阿波弁 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

Wikipediaには方言文法として書かれているので便利。

Permalink |記事への反応(0) | 00:16

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-12-21

[今日知った言葉]先行形態

言語学における先行形態

語の形(形態)が、意味や統語(文法構造)よりも先に決まる/重視されるという立場を指します。

かんたんに言うと

形が先、意味や使い方は後

単語はまず「どんな形をしているか」で分析し、そのあとに意味文法役割を考える

もう少し詳しく

先行形態論では、

接辞(接頭辞接尾辞

活用

語幹と語尾

といった形のパターンを中心に言語説明します。

たとえば日本語動詞

書く → 書かない → 書きます

ここでは、

「書か-」「書き-」のような形の変化を先に捉え、

その後で「否定」「丁寧」などの意味機能説明します。

対立する考え方

先行形態論:形 →意味・統語

後行形態論(または意味・統語先行):意味文法 → 形

現代言語学では、どちらか一方だけでなく、相互に影響し合うと考えることも多いです。

都市建築

機能意味社会的要請よりも先に「形(フォルム・配置・構成)」を決定し、そこから建築都市意味や使われ方が立ち上がると考える立場を指します。

1.基本的な考え方

先行形態論(建築都市

形態ボリューム・平面・街区プロポーション)が先

機能プログラム象徴性は後から読み込まれる/適応される

建築都市自律的な形の体系として扱う

2.建築における先行形態

特徴

平面・断面・立面の幾何学的秩序を重視

プログラムは可変的とみなす

建築を「使われ方」より「構造化された形」として捉える

例(考え方として)

正方形グリッド中庭型などの**原型(タイプ)**を先に設定

その形に対して、後から住宅学校美術館などの用途を当てはめる

3.都市論における先行形態

都市形態学との関係

街区道路区画広場などの空間構成都市本質

社会制度経済活動は、まず都市の形に制約される

具体的視点

ローマ都市の格子

中世都市の不規則街路

近代都市ゾーニング以前の形態的持続性

4.対立・関連する理論

対立

先行形態論:形 →機能意味

機能主義機能 → 形

社会決定論都市論:社会経済空間

関連する理論思想

アルドロッシ都市形態の持続性

ロブ・クリエ都市空間の原型

コリンロウ形式比較類型

イタリア都市形態学(ムラトーリ学派)

5. 先行形態論の意義と批判

意義

プログラムが変わっても都市建築が持続する理由説明できる

歴史都市分析に強い

デザインにおける形式思考力を鍛える

批判

社会問題や使われ方を軽視しがち

権力経済生活実態との関係が見えにくい

6. ひとことでまとめ

建築都市本質は、まず「形」にあり、

機能意味はその形の上に後から宿る

Permalink |記事への反応(0) | 14:51

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-11-30

anond:20251130124833

ちなみに俺の思ってたのはCode=動詞やで

Permalink |記事への反応(1) | 12:51

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-11-20

岸田が総理提言した内容について

ざっくり言うと、「言ってることはだいたい正論なんだけど、ほぼ全部これまで散々聞いた話の焼き直しで、肝心な痛みの部分(国民負担・再分配・生活の実感)にはほとんど触れてない」って感じ

全体の印象

・5本柱(複数年度の視点/ヒト/カネ/マネジメント/国際連携)は、経済政策教科書どおりで、構成としてはきれい

・「AI半導体・量子・造船など17分野への官民連携投資」「責任ある積極財政」ってワードも、今の与党テンプレを丁寧に並べた感じ。

・一方で、社会保険料消費税を含む国民負担の重さ、実質賃金マイナスの長期化、格差貧困少子化みたいな、いま多くの人が一番しんどいと感じている部分への踏み込みはほぼゼロ

「成長はするから、あとは自動的にみんな幸せになりますよね?」という古い発想から抜け出せてない。

1.複数年度の視点・取組

言ってること:企業投資判断やすいように、政府予算税制を数年単位コミットしましょう。

官庁事業会社が、複数年度にわたる支援規制改革ロードマップを出すべき。

評価これは普通に良い。投資って1年ごとにコロコロ制度が変わると誰もリスク取らないから、「複数年度で見通しを示せ」はまっとう。

ただ、日本予算制度財政審の文化の中で、本当に複数年度コミットができるのかはかなり怪しい。毎年「やっぱ財政再建が~」って言い出して縮小される未来が容易に想像できる。

ここをやるなら、「中期財政フレーム自体を作り替える」「将来の支出法律レベルで拘束する」くらいの話がいるけど、そこまでは踏み込んでない。

スローガンとしては◎、実行可能性は△。

2. 成長を支える人材結集(ヒト)

言ってること:リスキリン支援大学での人材育成強化。医療介護処遇改善報酬改定を前倒し)、働き方改革を含む労働市場改革

評価:「医療介護賃上げちゃんとやれ」と明記してるのは、ここ数年の文書よりはマシな点。現場悲鳴はそれなりに意識してる。

ただし、全体としては人材の質を上げて成長分野に移動させたいという供給目線が強くて、「非正規をどう減らすか」「低所得層社会保険料負担をどうするか」みたいな、足元の生活のしんどさはスルー

リスキリングも、これまでの政府プログラムを見る限り、実効性はかなり微妙。「講座を作って自己満現場待遇はそのまま」の危険が高い。

方向性は悪くないけど、きれいな人材政策の作文の域を出てない。

3. 成長を支える資金(カネ)

言ってること:NISA企業DCを軸に「資産運用立国」を続ける。成長投資に向かう資金の流れを作る、地域金融も含めて成長資金供給

債券市場活性化投資チェーンの強化。

評価:完全に「貯蓄から投資へ」「資産所得倍増」の延長線。すでにそこそこ資産を持ってる層にはプラスだけど、そもそも投資に回せるお金がない層にはほぼ恩恵なし。

「中長期の成長投資に回せ」という発想自体は良くて、国債だけに閉じたマネーゲームよりはマシ。ただ、これも企業側・金融側の論理が中心で、家計側のリスクや損失についてはノータッチ

今の国民負担感(社会保険料消費税物価高)に対して、「じゃあ負担軽くしましょう」とは一言も書いてないのがポイント

金融市場大企業には優しいけど、手取り万年ギリギリな人にはほぼ無関係

4.企業経営力向上(マネジメント

言ってること:設備投資の即時償却研究開発減税など、投資税制を大胆に。コーポレートガバナンス・コード見直し人材資本情報開示強化。

事業再編・再構築、M&A・企業結合を促進して企業規律を高める。

評価典型的投資インセンティブガバナンス改革M&A推進セット。株主大企業経営層が大好きなパッケージ

これをやると、確かに設備投資や再編は増えやすくなるけど、その裏側で「地方中小企業大企業に飲み込まれて、雇用が整理される」パターンも増える。

内部留保を人や設備研究に回せ」という狙いはわかるけど、そこを税制だけで変え切れるかはかなり疑問。結局、需要(売上)が伸びる見込みがないと企業は動かない。

労働者側へのセーフティネット失業保険の手厚さ、転職支援最低賃金社会保険料の軽減など)をセットで書いてないのが怖い。

資本市場目線では◎、労働者地域経済目線だと「うまくやらないと切られる側が増えるよね?」という不安が強い。

5. 国際連携アライアンス

言ってること:国内だけ見てても成長は限界サプライチェーン強化やエコシステム構築を同盟国・同志国と連携してやる。

特にグローバルサウスでの新市開拓を重視し、ビジネス展開を予算で後押し。

評価:これも方向性妥当中国一極依存からの脱却や、物流リスク分散を考えるなら必須視点

ただ、ここでも企業海外展開支援しますで終わっていて、「海外生産移して、国内雇用賃金はどうするの?」という視点がない。

グローバルサウスでのビジネス展開は、うまくやればプラスだけど、失敗するとお金技術だけ出して現地での利益は薄い国内産業空洞化だけ進むパターンもありうる。

外交安全保障の流れとしては自然だけど、内需地方雇用まで含めての設計図が見えない。

政治的な読みどころ

文面に「高市内閣」とわざわざ書いてあるのが、かなり露骨メッセージ

「将来、高市政権になったとき経済運営はこの路線で行きます」と宣言しつつ、現政権にもプレッシャーをかけている感じ。

中身は安倍政権以降のアベノミクス資産運用立国+リスキリングの言い換えなので、路線変更というより「これまでをもっとちゃんとやります」という話。

まり、「今のしんどさは路線が間違ってたからではなく、アクセルが足りなかったから」という前提に立っている。

ここに同意できるかどうかで、この文書への評価はガラッと変わると思う。

結論:点数をつけるなら

経済のお行儀の良い作文としては 70点くらい。

ちゃんと整理されてるし、投資人材金融・国際連携のツボは押さえてる。

でも、「国民負担の重さ」「実質賃金の落ち込み」「生活防衛」という、いま一番ホット火事場に水をかける気はほぼないので、生活目線では 40点ぐらい。

感想

読んでて「うんうん…で、具体的に何する気なん?」ってなるね

1.名詞スローガンだけで終わってる

文書主語がほぼ全部これなんだよね:「投資を促進することが必要である」「支援を強化することが必要である」「国際連携を強化することが重要である

で、続きが「…よう検討すること」「…よう推進すること」「…にコミットすること」

みたいな動詞が全部ふんわり系。

例えば本気でやる気なら、

AI半導体関連の公的研究開発費を、5年間で現在の○倍にする」

介護職の平均賃金を3年で月○万円引き上げる。そのため診療報酬を○%上げる」

NISADCへの年間新規資金流入を○兆円、5年で○兆円の残高増加」

とか、少なくとも数字+期限を1個は書けるはずなんだよね。

この提言はそこを徹底的に避けてるから、読んだ側が結局、どのくらいの規模でやる気なのかが全く見えない。

2. 「何を」じゃなく「方向性しか」書いてない

各項目で一番で?って思うのはここ。

ヒトのところ リスキリン支援 医療介護支援パッケージ 働き方改革労働市場改革

って並んでるけど、どんなスキルを、誰に、どのくらいのコストで?

医療介護パッケージって具体的に「基本給+何%」なのか、「処遇改善加算をこういじる」のか?

労働市場改革って「解雇規制を緩めたい」のか「社会保険料を軽くしたい」のか、それとも「非正規処遇改善」なのか?

肝心な中身の選択を全部ぼかしてるから、読んでも立場が見えないんだよね。

カネのところ「NISADCを通じた家計から成長投資への流れの加速」「資本市場機能の強化」

これも、NISA課税枠をまた拡大したいのかDCの加入を半ば義務化したいのか年金資金株式比率もっと上げたいのか

どこに突っ込む気なのか書いてない。

運用立国やります!とだけ言って、リスク側の話(損したとき誰が死ぬのか)には触れてないから、どう評価していいか決めようがない。

3. 一番争いになる論点意図的に避けてる

具体性がないの、たぶん「無能から」じゃなくてケンカを避けるためにわざとって側面が強いと思う。

この文書で本当は踏み込まなきゃいけないのって、社会保険料消費税をどうするか(特に低所得層負担

財政拡張をどこまでやってもいいと考えるのか、労働市場改革企業側をどこまで自由にするか、中国依存をどのスピードでどこまで減らすか

あたりなんだけど、ここを数字制度名まで書いた瞬間に党内の財政タカ派、経団連高齢者票、中国との外交

ぜんぶと利害がぶつかる。

から方向性だけ書いて、後は官僚次の内閣に丸投げ」みたいな文章になってるんだと思う。

4. もしちゃんとしたプランなら、このくらいまでは書く

対比として、例えば同じ項目でも、「社会保険料について、年収300万円以下の本人負担を5年間で○%軽減する。その代替財源として○税を○%引き上げる」

介護離職ゼロに向け、介護職の賃金水準を全産業平均比▲○%から▲○%まで縮小する」

「対中輸入比率10年で△%→□%に低減する。そのために半導体レアアースなど5品目については…」

くらい書いてあれば、「やる気と覚悟はあるな。中身に賛成かは別として。」って評価になるんだけど、今回のはそこに踏み込まない安全運転提言

5. まとめると

フレーム(5本柱)はそれなりに整ってる

でも、中で一番えぐい論点は全部「検討」「推進」「強化」に逃がしてる

から読んでる側からすると「具体的な制度金額・痛み」が見えず、ふわふわして感じるって構造だと思う。

この文書を眺めるときは、「何が書いてあるか」より

「何が意図的に書かれていないか」を見ると、逆に色々透けて見えておもしろいかもね。

Permalink |記事への反応(0) | 22:05

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-11-11

ざっくり言うと、命題は同じでも“語気”と“行為の向き”が違います

RememberPearl Harbor.

Don’t forgetPearl Harbor.

もう少し細かく:

結論歴史的スローガンとしては、「RememberPearl Harbor」のほうが荘重で鼓舞的。

直訳の「忘れるな」も意味は足りますが、式典・標語の格を出すなら「銘記せよ/心に刻め」の系が近いです。

Permalink |記事への反応(0) | 10:36

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-11-02

あおし柿」の「あおす」という動詞

方言なの知らなかった...。

「あおす」(鹿児島弁で渋柿の渋を抜くという意味

温泉につけるだけでいいのなら、全国にあおしがありそうだけど聞かないのなんでなんだろう。

Permalink |記事への反応(0) | 20:17

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-10-17

anond:20251017142232

命令」だから動詞から書くんじゃないの?

Permalink |記事への反応(1) | 14:44

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-10-15

anond:20251015174137

動詞はどこ?

Permalink |記事への反応(1) | 17:44

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-10-08

anond:20251008233129

動詞+化はバカっぽい。

見える化、動く化、食べる化、歩く化……。

使っていて恥ずかしくないのだろうか。

Permalink |記事への反応(0) | 23:38

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

日本語難しすぎ。こんな言語喋れるようになるわけがない。

「洗う」は否定の「ない」をつけると、「洗わない」と語尾がワ行の音になるのはなぜ?

これは、現代日本語に残る歴史的言葉の変化の名残です。

端的に言うと、「洗う」の「う」は、昔の日本語ではワ行の音として扱われていたためです。

## A Special Rule for Verbs Ending in 「う」

まず、現代語のルールとして、「う」で終わる五段活用動詞を「~ない」の形にするときは、「う」を「わ」に変えるという決まりがあります

• 言う → 言わない

• 使う → 使わない

• 思う → 思わない

「洗う」もこのルールに従っているわけですが、なぜこのような特別ルールがあるのかがご質問ポイントですね。

## The DeeperReason: A Relic of OldJapanese 📜

その理由は、日本語歴史にあります

昔の日本語歴史的仮名遣い)では、これらの動詞は「う」ではなく「ふ」で書かれていました。

• 洗う → 洗ふ (arafu)

• 言う → 言ふ (ifu)

• 使う → 使ふ (tsukafu)

これはハ行(ha, hi, fu, he,ho)の活用をする動詞でした。動詞を「~ない」の形にするとき活用ルールに従って語尾をア段の音に変える必要がありました。

ハ行のア段は「は (ha)」ですよね。そのため、昔はこう活用していました。

• 洗ふ (arafu) → 洗はず (arahazu) or 洗はない (arahanai)

• 言ふ (ifu) → 言はず (ihazu) or 言はない (ihanai)

その後、時代が下るにつれて、言葉の途中にある「は(ha)」の音が、発音やすいように「わ(wa)」の音へと変化していきました。

変化のまとめ

1. 昔の形: 洗ふ (arafu)

2. 昔の否定形: 洗はない (arahanai)

3.発音の変化: 「は(ha)」の音が「わ(wa)」になる

4.現代否定形: 洗わない (arawanai)

そして、辞書に載っている基本の形も、洗ふ(fu) の発音が 洗う(u) へと変化し、現代の書き方になりました。

このように、「洗わない」の「わ」は、元をたどればハ行の「は」であり、その発音が変化して残ったものなのです。

「遊んでる」という言い回しとき、「遊ぶ」の語尾が「遊ん」に活用で変化しているのか ?

はい、その通りです。「遊んでる」という言葉において、「遊ぶ」が「遊ん」に変化しているのは動詞活用の一環です。

詳しく解説します。

1. 「遊んでる」の元の形

まず、「遊んでる」は「遊んでいる」の話し言葉口語)での省略形です。

2. 「遊んでいる」の成り立ち

「遊んでいる」は、動詞「遊ぶ」と、補助動詞「いる」がくっついた形です。動詞接続するため、「遊ぶ」は「て形」と呼ばれる形に活用(変化)しています

3. 「遊ぶ」の「て形」への活用

動詞「遊ぶ」の「て形」は「遊んで」となります。 この「遊ぶ」→「遊んで」という変化が、ご質問の核心部分です。

この活用は「音便(おんびん)」と呼ばれる、発音やすくするための特殊な音の変化です。具体的には「撥音便(はつおんびん)」と言います

活用プロセス:

1. 遊ぶ (asobu) の連用形「遊び (asobi)」に接続助詞「て (te)」がつく。 → asobi + te

2.発音やすくするために「bi」の音が「ん (n)」に変化する。(これが撥音便) → ason + te

3. 前の音が「ん」になった影響で、後ろの「て (te)」が濁って「で (de)」に変化する(連濁)。 → 遊んで (asonde)

このルールは、「~ぶ」「~む」「~ぬ」で終わる五段活用動詞共通しています

他の例:

• 読む (yomu) → 読んで (yonde)

死ぬ (shinu) → 死んで (shinde)

• 呼ぶ (yobu) → 呼んで (yonde)

まとめ

「遊んでる」の「遊ん」の部分は、動詞「遊ぶ」が「~ている」の形に接続するために活用(音便)した結果です。文法的に正しい変化と言えます

Permalink |記事への反応(0) | 11:02

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-10-01

「かっとばす」とかい野球しか使わない動詞

Permalink |記事への反応(1) | 09:41

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-09-27

anond:20250926104954

イン〇〇って「〇〇の中にいる(ある)」って状態を示す言葉なのに

なぜか日本は「〇〇に入る」って動詞として使うのが気持ち悪くてしょうがない

Permalink |記事への反応(1) | 14:30

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-09-26

anond:20250926132224

原文でその読み方は知ってることが読み取れるだろ?

なんでこっちの知ってる情報をもっかい書く必要性あんだよ

その情報いらねえのわかれよ

慣用句って動詞本来意味とは異なる意味に転換するじゃん? 鼻を明かすは鼻に光源を当てて明るくすることじゃないじゃん。「耳を削ぎ、鼻を抉る」みたいな動詞本来意味をそのまま使ってるのは慣用句じゃないじゃん。あたか慣用句然として「鼻をこじる」を使ってた奴いたけどそれは造語から調べても出てこなくて困るって話なんすよ

Permalink |記事への反応(1) | 13:24

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-09-16

バズる」って言葉あるじゃん?あれ、トイ・ストーリーバズ・ライトイヤーが由来だと本気で思ってたわ。

だって、あのバズの「無限の彼方へ、さあ行くぞ!」ってセリフ拡散力がカンストしてる現代社会のものじゃね?情報が光の速さで彼方まで飛んでいく感じ、完全にバズ・ライトイヤー動詞化だろ。異論は認めん。

で、今日ググってみたらさ、「ハチブンブン飛ぶ音(buzz)」が語源なんだってよ…。

……ハチて。虫て。

私が信じてた「バズる」の世界観もっとこう、宇宙とか、レーザービームとか、そういうので満ち溢れてたはずなんだが。まさか昆虫だったとはな。

もう何も信じられない。明日から何を信じて生きていけばいいんだ。とりあえずトイ・ストーリー見返すわ。

Permalink |記事への反応(0) | 15:54

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-09-10

anond:20250910162548

形容動詞動詞をごっちゃにしちゃうのがdorawiiクオリティ

Permalink |記事への反応(1) | 16:28

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-09-04

虚人たち

以下で展開される議論は、アメリカのある哲学者学術誌の査読ピアレビュー同業者による査読)の適切さを確かめるためにでっち上げデマ論文の内容であり、しかもその論文はある雑誌受理された。

このことから投稿者は、文化人類学者ではないが、いくつかの考察を試みる。

-

1. 以下の内容は、「サル山のボス猿とそのなかま」が信奉するペニス信仰と、それに対する「フェミニスト」の反論の両方を痛烈に揶揄している。これらの議論は、ここ「はてな」での果てしない同種のやり取りの上位互換となっている。つまり、そのことに気づかないでいる、いわば自己相貌失認を患う矮小関係者の姿をアナロジカル揶揄している。

-

2. 仲間による「レビュー」を経て認められた「議論」が、いかに穴だらけなものであるか、つまり特定コミュニティ支配イデオロギーとはしばしば、ブードゥー教偶像崇拝にすぎないことを示唆している。

-

3.投稿者はこのデマ論文の紹介により、いわば原始人に優れた棍棒の作り方の一例を教唆することになるかもしれない。いずれにせよ、上位互換議論デマであると著者により暴露されたことは、はてなでの「議論」の有効性の上界を抑えられたことを意味する。平たくいうと、0くxく1のように、xの取りうる範囲が有限なある一定の値以上にならないことである。原始人たちが、今後どのような道を選ぶのか知らないが、進化選択肢があることを付け加えたい。

-

4.敷衍すると、この論文の内容に限らず、はてなでの任意の「議論」には、それの上位互換となるある学術的な議論を作ることができる、という可能性が示唆される。平たくいうと、はてな投稿分析すれば論文が書けるかもしれない。

-

-

この論文概念的なペニス社会構成である」は、ジェイミー・リンゼイピーター・ボイルによって2017年にCogent Social Sciencesに掲載された研究論文であり、ペニスという概念が単なる解剖学的な器官ではなく、社会的に構築されたものであり、それが有害な「毒性のある男性性」(toxic masculinity)と密接に関連しているという革新的な主張を展開しています[1]。著者らは、この「概念的なペニス」が、ジェンダーアイデンティティ生殖に関するアイデンティティ社会および家族力学に深刻な問題引き起こし女性やその他のジェンダー周縁化されたグループにとって虐待の根源となり、レイプ普遍的な原因であり、さら気候変動の概念的な原動力である結論付けています[2-4]。

1. 緒論:ペニス伝統理解への異議**

伝統的に、ペニス男性生殖器または性器として圧倒的かつ議論余地のないものとして科学的に認識されてきました[5]。しかし、著者らは、この見方が「過度に還元主義的」であり、ペニスを持つ人間経験多様性を完全に表現できていないため、「首尾一貫しない構成物」であると指摘します[6]。

この主張の根拠として、まず解剖学的なペニスが必ずしも男性生殖器官としての役割を果たすわけではないという事実が挙げられます[5]。例えば、怪我を負った者、配偶者強制できない者、子孫を産むことに興味がない者、医学的に不妊の者、またはアセクシュアルを自認する者など、ペニスを持つ多くの人々が生殖を行いません。これらの例は依然として「男性」を構成するかもしれませんが、彼らのペニス生殖器官として特定することは明確に誤謬であるとされています[5]。

さら重要な点として、ペニスを持つ女性が数多く存在することが強調されます[5]。これには、性別適合手術前のトランスジェンダー女性や、女性と自認し、性別移行を望んでいない染色体上の「男性」が含まれます[5, 7]。文化的有害常識に反して、これらの人々にとって、彼らの性器ペニス)は、生殖に利用される場合があったとしても、男性性器として最もよく理解されるべきではありません[7]。このような人間表現多様性という重要事実に照らして、ペニスを具体的に男性解剖学的な器官と概念化することは、非常に問題があり、言説的な再検討喫緊必要であるとされます[6]。

2.概念的なペニス定義と「毒性のある男性性」との等型写像関係**

著者らは、ペニスが「男性性に対する首尾一貫しない構成物」であるとし、ペニス解剖学的な器官としてではなく、**ジェンダー遂行的な、非常に流動的な社会構成物**である概念的なペニス」として理解されるべきだと主張します[6]。この「概念的なペニス」は、ジェンダーに関連する様々な遂行的な行為発言を通じて社会確立されるペニス操作的な表現です[6]。

この概念的なペニスが、**「毒性のあるハイパーマスキュリニティ(hypermasculinity)」と等型写像的(isomorphic)な関係にある**とされています[1, 8-10]。この等型写像関係とは、二つの異なる構造が、その構成要素間の関係性において本質的に同じ形を持っていることを意味します。ここでは、概念的なペニスという社会構成物が、毒性のあるハイパーマスキュリニティの行動や心理鏡像のように一致しているということです。

特に、この等型写像関係は、**「マチスモ・ブラガドシオ」(machismo braggadocio)**という概念によって媒介されます[10,11]。マチスモは本質的攻撃的な男性プライドを指し、ブラガドシオは傲慢な自慢の性質意味します[12]。これらが一体となって、社会的に男性的な心や異性愛規範的な女性の心がペニスを「客観視」し、それを介して男性性と支配的な男性権力ダイナミクス遂行的に表現する具体的な描写であるとされます[12]。

この等型写像関係において、概念的なペニスは、ハイパーマスキュリン男性権力のない主体的立場から強力な立場へと自身を再配置するために、**「主体」「客体」「動詞」の三つの役割**を果たします[11-14]。

**客体としての概念的なペニス自己客観化)**: 多くのシスジェンダーハイパーマスキュリン男性は、ペニス男性権力支配制御能力、魅力、攻撃性の象徴として捉え、自らの男性性の最も明白な側面をペニスと同一視する傾向があります[9]。これは、彼らが自身概念的なペニスを通じて自己を客体化する行為であり、弱さの心理闘争を緩和するための権力再配置として機能します[12, 15]。男性勃起不全を「機能不全の非貫入的(異性愛男性性」という「虚構」として捉えることも、この自己客観化の例とされます[15]。

**主体としての概念的なペニス**:ハイパーマスキュリン精神性は、社会化された男性個人を、彼の概念的なペニス刻印され、具体化された延長と混同することがよくあります[13]。この混同を通じて、ハイパーマスキュリン男性自身概念的なペニスを「主体」とし、自身の核となるアイデンティティをそのペニスを通して表現します[13]。この現象は、新資本主義唯物論が「性的アイデンティティ客観的な価値を持つ」と示唆している状況で、特に不利な立場にある人々を抑圧する結果をもたらすとされます[13]。男性性的アイデンティティ客観的な価値があるという誤解は、権力のないハイパーマスキュリン男性主体を、彼の概念的なペニスによって強力なものとして再配置する結果を招きます[13]。

この主体としての役割は、男性性的な「征服」や「パフォーマンス」について自慢する際に明らかになります[16]。また、「俺は彼女にやった」「彼女もっと欲しがった」といった表現に見られるように、名詞の「それ」("it")が客体的な概念的なペニス女性経験の知覚された主体に変え、概念的なペニス男性ジェンダーパフォーマンスに関してさらに客体化します[16]。これにより、概念的なペニスは、ハイパーマスキュリンな心において、ペニス主体として(男性の)セクシュアリティを強力な現実とする脱所有化(deappropriative)のツールとなります[16]。

**動詞としての概念的なペニス**:ハイパーマスキュリン男性は、「dick」(ペニス意味する俗語)という言葉を、行動を表す動詞として頻繁に使用します[14]。例えば、「to dicksomeone」(誰かを騙す、または性交する)や「I dickedher good」(彼女を十分に性交した)といった表現は、男性権力支配的な男性セクシュアリティテーマ表現するために利用されます[14]。これらの使用法は、男性自身主体的立場にある様々な言説の相互作用直感的に理解し、特定の状況、特に実際の性的な遭遇においてそれを調整することを可能します[14]。また、「I dickedhimover」(彼をひどい目に合わせた)のように、他の男性に対する権力ダイナミクス表現するためにも使用され、支配的な男性ヘゲモニー思考を示しています[14]。

この傾向は、性的アイデンティティ根本的にヒエラルキーの維持に利用されるという考え方によって説明されます[17]。概念的なペニスを行動を表す動詞として使用することで、ハイパーマスキュリン男性は、他者を抑圧し、脱制度化する社会的なヒエラルキー強制し、自己認識的に高めます[17]。この現象は、ラップ音楽におけるミソジニー分析や、「マン・スプレッディング」(manspreading)と呼ばれる、公共交通機関などで男性が足を開いて座り、不必要に広いスペースを占有する行動にも見られます[17]。マン・スプレッディングの言い訳は、解剖学的なペニス睾丸が「快適さ」のためにスペースを必要とするという男性的な社会言説に直接基づいていますが、これは概念的なペニス遂行的な社会構成物として見た場合、周囲の空きスペースを「レイプする」ような支配的な物理空間占有であり、毒性のあるハイパーマスキュリニティへのマチスモ・ブラガドシオ等型写像を通じて最もよく理解されるとされます[17]。

マチスモはハイパーマスキュリン本質であり、ブラガドシオはその表現です[10]。現代思考における概念的な要素としてのペニスは、マチスモ・ブラガドシオの概念によって、ハイパーマスキュリニティにおける最も毒性があり問題のあるテーマ自然に等型写像関係にあります[10]。これらのテーマは、解剖学的なペニス自体には適用されず、生殖しない個人アセクシュアル個人にも関連性を持たないため、ペニス既存男性的な社会的な比喩を演じるために利用される、構築された社会的な客体、つまり言説的な「概念的なペニス」として理解されるべきだとされます[10]。

3.気候変動と概念的なペニスの関連性**

概念的なペニスが毒性のあるハイパーマスキュリニティに等型写像的に同定されることの最も問題のある結果の一つが、**気候変動**であると指摘されています[4, 18]。気候変動は、まさにハイパーマスキュリニティ特定有害テーマによって引き起こされており、これらは概念的なペニス識別される気候生態学への支配的な略奪的アプローチを通じて最もよく理解できます[18]。

著者らは、地球が急速に2℃の気候変動閾値に近づいている原因が、現在資本主義構造を維持する家父長的な権力ダイナミクス特に化石燃料産業にあると主張します[18]。科学政治経済の言説におけるハイパーマスキュリン支配と、生態系への修復不能ダメージとの関連性は明確であるとされます[18]。破壊的で持続不可能であり、ヘゲモニー的に男性的な環境政策と行動へのアプローチは、男性優位の精神性による自然の「レイプ」の予測可能な結果です[19]。この精神性は、男性心理に対する概念的なペニス役割認識することによって最もよく捉えられます[19]。

特に資源安価に略奪し、家父長的な経済的利益のためにその内在的な価値を奪われた後、荒廃し減退したまま放置されるような「未開の環境」にこの精神性が適用されるとき概念的なペニスに内在するレイプ文化の延長が明らかになるとされます[19]。気候変動は、最もよく言えば、ハイパー家父長制社会地球生態系メタファー的に「マン・スプレッディング」している例であると述べられています[19]。

この問題のある傾向の根底にある理由は、現代資本主義理論、すなわち新資本主義理論が、科学社会におけるハイパーマスキュリンな焦点から直接その合理性の主張を引き出していることにあります。そしてこの焦点は、概念的なペニスとの同一視によって最もよく説明されるとされます[20]。毒性のあるハイパーマスキュリニティは、概念的なペニスから直接その意義を引き出し、新資本主義唯物論の支持に自身適用します[20]。この新資本主義唯物論は、特に炭素排出化石燃料技術の無制限使用や、未開の自然環境の無謀な支配において、気候変動の根本的な原動力であるとされます[20]。

この分析から導かれる実践的な推奨事項は、気候変動研究において、可能な限りハイパーマスキュリンペニス中心の視点を避けるように、政治科学の言説への関与方法を変えるべきであるというものです[3]。

4.結論提言**

結論として、著者らは、ペニス男性性器生殖器として理解されるべきではなく、むしろPermalink |記事への反応(0) | 19:03

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-08-29

anond:20250829171641

ど、どこの動詞を!>?w

Permalink |記事への反応(0) | 17:17

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

次の25件>
ログインユーザー登録
ようこそ ゲスト さん
Copyright (C) 2001-2026 hatena. All Rights Reserved.

[8]ページ先頭

©2009-2026 Movatter.jp