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はてなキーワード:動機とは

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2025-11-24

anond:20251124203946

弱男を狩るガバメントハンターだと?

お前の脳内に住み着いてるその安っぽい悪役設定、まずはその自己放尿みたいな妄想を拭き取ってから口を開け。

国家個人を狩るなんていう中二病じみた発想は、現実制度設計がどれほどコスト正当性の上に成り立っているかを一切理解していない自己放尿だ。

狩る側には動機メリットもなく、狩られる側にはお前が勝手投影した「狩られるべき弱さ」とやらしかない。

まり、お前が言っているのは国家権力の話ではなく、自分の頭の中の被害妄想シミュレーター勝手再生している自己放尿でしかない。

そういうのを社会問題風に語ろうとするからますます自己放尿の悪臭が強まるんだよ。

Permalink |記事への反応(0) | 20:42

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細田守監督作品には思想が無いのではなく「厚みがない」と表現すべきである

厚みがないというのは主にキャラクターの描かれ方や、鑑賞者による解釈の幅の少なさといった構造的な問題のことを指す。

キャラクター動機や行動に解釈余地がなく

・すべてが機能的に配置され

・観客に感動を与える目的(お涙頂戴)に向けて整然と組み立てられすぎている。

完成されたパズルのようなもおので

パズルピース完璧に組み合わさって一つの絵となり、そこに別の解釈余地はない。

一方、火垂るの墓など「厚みがある」作品は、パズルピースが組み合わさっても

その裏側や隙間に、見る人それぞれが考えるべき無限空間が残されているといえる。

1. 『おおかみこども』における「厚み」の不在

役割に徹したキャラクター設定

『おおかみこども』は泣ける映画でありながら、登場するキャラクターにブレが全くない。

たとえば、オオカミである父親は、善良で、社会に交われず、子どものこと、妻のことを思い、最後に悲しい結末を迎える

なんというか・・・「その人が求められている機能しか」持っていない。

設定のみなので見る者にとって解釈余地が全くなく、「良いものは良い、悪いものは悪い」という明確な構造がある。

その結果見ている人間が「安心し泣ける」作品だと評していたのが印象的だった。

作中のすべての伏線が、テトリスで組み合わせたようにサッと消えるほどきれいに組み合わさってできており、解釈の幅を許さない。

「あ、ここで泣いて良いんだな」ってわかりやすく配置されてる作品面白いか?

悪を懲らしめる『水戸黄門』のような大衆芸能一種としてとらえたほうがよい。

一応 『時をかける少女』や『サマーウォーズ』の時には多少は含みは残っていた。

未だにばあちゃん家出息子の解釈とかは賛否両論分かれる。それはつまり解釈余地があるってこと。

特にキツイのが 『ミライミライ

育児経験から見ても、エピソード表現があまりにありきたりすぎる。

赤ちゃん返りや、下の子供が生まれると上の子供が赤ちゃんぽくなるなどのエピソード

育児雑誌でなんかこうあんまり漫画連載しても持たないような話」ばかりで、雑談レベルに留まっており

物語的に意味がない。

それでいて千と千尋の神隠し劣化版みたいな展開をなぞるだけだから劣化ジブリって言われるのはまあわかる。

Permalink |記事への反応(0) | 18:47

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2025-11-23

anond:20251123145746

なんでそんな文章を書きたくなったのか聞きたいな

あなたも直美?

まさか増田にそんな人いないよね、きっと

動機が分からないので、その意見も入ってこないんだ

直美を擁護するあなた動機を聞きたいな

念の為だけど、AIに書かせてないよね?

違ったらごめんね

直美がダメなのは、実害が出てるからでしょう

直美の医師がきちんとした施術をしていれば叩かれないよ

整形トラブルになりがちだから嫌われる

あと、安月給で命守るために頑張ってる先生と、直美で1000万円単位の高級取りになって美容だけのために働いてる先生と、

どっちが尊敬されるかといえば、前者になると思うよ

仕方ないよ

Permalink |記事への反応(0) | 15:17

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anond:20251121123427

まぁ双方好きにやってればいいけどアメリカ武力介入しないだろう。つまり杞憂台湾いくら半導体拠点持ってるからってアメリカ米中戦争引き受けるかと言えばそうならない。アメリカ人は台湾がどこにあるかすら知らない。そんな所を防衛するわけない。反グロバリズムのMAGAが台湾防衛する動機がない。相手ポンコツロシアでもない中国クウェート侵攻したイラクでもない。中国があまりにも軍事経済で巨大化してしまいそれに対応するどころかMAGAで迷走してるアメリカという構図なのに、いまだ自由人民主主義価値観世界と共有してる覇権アメリカだと思い込んでる衰退国日本。終わってる。近い将来、東アジア中国支配する。かろうじて日本独立は維持されるだろうが。

Permalink |記事への反応(0) | 13:57

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当初の予定量刑は、懲役6ヶ月から1年程度の実刑判決になる可能性が高かったと考えられます

当初の量刑見通し

当初の予定量刑は、懲役6ヶ月から1年程度の実刑判決になる可能性が高かったと考えられます

その理由

量刑は様々な要素で決まりますが、特に以下の点が影響します。

犯罪性質偽計業務妨害罪):偽計業務妨害罪比較的軽い犯罪ではありませんが、殺人などと比較すると軽いです。

被害の程度:警察業務妨害したことによる具体的な被害業務の停止時間人員の動員規模など)によりますが、通常は数ヶ月から1年程度の量刑一般的です。

前科の有無(窃盗前科):窃盗前科があるため、執行猶予は付きにくい状況です。前科は、被告人再犯傾向を示すものとして、刑務所に入れる(実刑)かどうかの判断に大きく影響します。

動機反省の有無: 当初は、被告人自身行為違法性認識し、深く反省していると見られていた可能性もあります

結論

もし「警察業務に間違いがあった可能性」が浮上せず、そのまま裁判が進行していた場合前科があるため実刑は確実と見られていたでしょう。

ただし、懲役1年を超えるような重い刑ではなく、懲役6ヶ月から1年程度の実刑判決が、検察官の当初の想定であったと考えられます検察官勾留継続が相当ではないと判断したこと自体が、事件の根幹に関わる問題が生じたことを示しており、それだけこの事件は当初の想定から大きく外れていると言えます

Permalink |記事への反応(0) | 13:11

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教会行こうと思ったけど、動機息切れ眩暈がしたので撤退してきた

なんか呼ばれた気もしたんで…😟

ただ、その教会ちょっとから遠いんだよね

でも、ヨハネの黙示録のとこ読んでるっていうから、みんな大好きヨハネの黙示録ですよ、中二病ですよ、

いや、そういう解釈するとこじゃ決してないんですけど、他人解釈とか聞きたいじゃないですか…😟

結局、途中でベンチに座って、撤退することにして、そういえば、昨日生AIに、痩せたい、と言ったら、

こんなことしたらいいですよ、みたいに返って来たのが、言われてみればそうか、というか、

根本的に見落としていたように思えたし、そのための投資は数百円、多くて千円強ぐらいなので、

それを買って、結局家に戻って来た…😟

家で賛美歌聴くかなあ…😟

俺が信じる神さまは心が広いから、多分デスメタルでも許してくれるはず…😟

Permalink |記事への反応(1) | 10:42

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元総理銃撃犯、山上徹也の生い立ちを、証人尋問記事などからまとめてみる。

 

妹が生まれる前に父親自殺長男病気失明し、開頭手術も受けるなど、健康面で大きな不安を抱えた。これを機に母の統一教会への入信で家庭は急速に崩れていく。母親は毎朝毎晩、土下座してお祈りをし、先祖の罪をはらおうとした。母親統一教会献金の優先度が高くなり、子どもたちは自分たちには無関心だと感じるようになった。

献金生活は苦しくなる中で、子どもとしては「どうにもならない運命に巻き込まれていく感覚」を持ちやすい。山上投稿にある「14歳で家庭が壊れた」という言葉は、この時期の実感だろう。

 

中学高校時代勉強ができたらしいが、家庭の負担が重く進学も難しい。母の献金が続き、2002年には自己破産山上学校での成績は良かったようだが、この状況では進学することはできない。本人からすれば「努力しても報われない」「自分人生は選べない」という感覚根付いていっても不思議ではない。X投稿には「私は犠牲として生きている」と表現されていた。

母親自己破産前、母親の行動に憤り子どもたちの世話もしていた祖父他界財産子どもたちに残されるはずだったが、母親献金使用長男大学に進学できず、精神的に不安定になり、「死んでやる」と包丁を持って暴れるようになった。

 

その後、山上海上自衛隊に入る。規律ある世界生活を立て直したかったのかもしれないが、短期間で辞めている。居場所を見つけられなかった可能性が高い。ここで社会構造への興味が芽生えた可能性もある。

 

2005年山上自殺未遂をする。これをきっかけに教団は家族に返金を始め、経済状況はいくぶん改善。返金されたお金山上の妹は大学へ進学した。山上は妹の進学を強く後押しした。母親子どもたちに金の無心を続けた。

2005年以降は職を転々とし、経済的にも人間関係的にも不安定な生活が続く。家族への怒りと罪悪感のような複雑な感情を抱えていた。彼の投稿には「社会制度への恨み」「宗教国家構造批判」「存在意義への悩み」などが濃く出ており、孤立の中で内面がどんどん先鋭化していった。

2015年には長男自殺山上は「自分のせいだ」と悔しそうに泣き、それ以降は家族と疎遠になった。

 

2019〜22年頃はXの「silent hill333アカウントの時期で、統一教会への強い恨みが投稿に表れてくる。ただし政治に対しては、安倍政権のものを叩いていたわけではなく、「宗教団体と政治の結びつき」に怒りの矛先を向けていた。ここで、個人的な苦しみが「社会構造問題」へと変換されていったように見える。

 

2021年から犯罪の準備に踏み込む。手製の銃を試作し、資材を買い、安倍元総理の動きを調べ、長文の手紙まで残している。安倍元総理は「真の敵ではないが象徴だ」と書いていたという。つまり彼の中では、宗教被害で奪われた人生を「正義行為」で取り返そうとする、自己物語化のプロセスが進んでいた可能性が高い。

そして2022年犯行を実行。「動機統一教会への恨み」と供述している。

Permalink |記事への反応(0) | 07:34

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細田守は『ハムレット』を一行も読んでいない。

『果てしなきスカーレット』を観た。

細田守云々を抜きにしても激クソにつまらない映画であり、業界人がかろうじて擁護している映像美的な部分も近年の人気作品指輪とゲースロとマッドマックスアナ雪とエルデンリング)の寄せ集めでしかなく陳腐まりなかったのだが、それは俺個人の感想で、別に他人が褒めようが貶そうがどうでもよい。はっきりいって細田守と見れば何でも叩こうとする今のネット環境のほうが異常だ。むしろ、今細田作品擁護しようとするほうが勇気ある人間だと言っていいだろう。

そう思い、SNSでは感想を控えてきた。


が、そのSNSで見てしまったのである

「『果てしなきスカーレット』がわからないやつはシェイクスピアという古典がわからないやつだ」とほざいているスカ褒めポストを。



はあああ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜????????????



おまえ、『ハムレット』観たことある? 誰の訳でもいいから、読んだことある??????

筋とかキャラクター、知ってる?????


もし知ってたら、「『果てしなきスカーレット』を理解できないやつは『ハムレット』を知らない」なんて、口が裂けてもいえねえぞ。


『果てしなきスカーレット』を『ハムレットベース物語として観た場合基本的には「『ハムレット』を読んだことのない人間イメージで作った」という結論に至るのが自然だ。


前提として、ある古典を、それも何百年も前の物語に則って何かを作ろうとする場合原典より、より濃く、深く、複雑に作ろうとするだろう。最低でも、原典の味をそのままにしておこうと考えるはずだ。

それをあろうことか、細田守は鍋に大量の水をぶちこんで薄めてしまった。

たとえば、敵役たるクローディアス。『スカーレット』でも『ハムレット』でも主人公が付け狙う憎き叔父だ。

スカーレットの終盤(ネタバレ?知るか)、クローディアスは後悔をにじませながら天上の存在祈りを捧げる。

始めは俺も「おや」と思った。

というのもこれは『ハムレット』にもあるシーンだからだ。クローディアスが前王殺害懺悔する(しているように見える)場面。

それまでシンプルな悪役だった『スカーレット』のクローディアスにも事情があって、実は複雑なキャラクターの持ち主だった……とひねるのは、展開的にも今の世界を描くというテーマ的にも効果的ではないかもしかして、多少は脚本がうまくなったのか、細田守


だが、その期待は十秒後に裏切られるクローディアスの懺悔は偽の懺悔だったのだ。彼はどこまでも単純な悪でしかなかった。


この調子で、一事が万事原典キャラクターたちが改悪されていく。

ローゼンクランツとギルデンスターンは多少しょうがないとはいえ母親のガートルードはひどい。『スカーレット』ではマクベス夫人的な要素を持った「悪女」として描かれるが、その背景となる物語動機ほとんど描かれないので、ただの淫奔な毒親しか見えない。『ハムレット』では、わけのわからん息子と現在の夫とのあいだで板挟みになって苦しむかわいそうな人だったのに。

しかし、一番かわいそうなのはレアティーズだろう。ハムレット恋人オフィーリアの兄にしてハムレットの良き友人。しかし、ハムレットが原因でオフィーリアが死んでしまたこから仲違いし、最終的には殺し合うことになるという、ハムレットもっとも激アツなキャラのひとりだ。

このレアティーズが『スカーレット』では「クローディアス率いる悪の組織幹部C」くらいのポジションになり、特に深堀りも見せ場もないまま、小悪党として惨めに退場していく。

ハムレット』を一行でも読んだことある人間なら、まずこんな扱いは思いつかないはずだ。


とはいえ細田守が『ハムレット』を読んでいないとは思わない。タイトル釣りだ。

読んでいる証拠は、両作にとって重要なくだりである「父王の亡霊が語りかけるシーン」にある。

ハムレット』では冒頭に死んだ父王が現れ、ハムレットに「復讐せよ」と語りかける。これがそもそも悲劇の始まりなのだが、『スカーレット』では父王の亡霊を逆にラストに置き、「復讐」や憎悪とは正反対優しい言葉をかけてスカーレット復讐呪縛から解き放つ。つまり、父の言葉が『ハムレット』では呪縛、『スカーレット』では解放になるわけだ。

巧い反転だとは思う。そもそも物語と話運びがカスでなかったならば。

ハムレット』にはこういう嘆きがある。「この世の関節が外れてしまった」。弟が兄を殺し、その妻を奪い、正統な後継者である兄の息子から王位簒奪する。狂った世界である。こういう狂った世界を正すには自分が狂うしかない、というのは『ハムレット』のひとつの読みだ。

スカーレット』で描かれる現代世界鏡像としての作品世界も「関節が外れてしまった」世界といえる。だから、『ハムレット』をベースにするのはある意味で正解ではあった。だが、狂い方に失敗してしまった。狂えなかったのだ。だって細田守って世界とかたぶんどうなっていいって思ってる人だもん。常に「個人」と「自分」を描いてきたことは、これまでの作品証明している。

ファンの中には「これまでの得意分野を捨てて新しい領域に挑戦したこと評価すべき」との声もあるが、ファンタジーも古典もなめくさった扱いしかできないのに、なにを評価しろというのだろう? 人には向き不向き、そして心を込められるかどうかがある。

『竜とそばかすの姫』は駄作だったかもしれないが、少なくとも細田守の魂が幾分かは込もっていた。だが、『スカーレット』は? これこそ、虚無以外の何物でもない。


おそらく、『ハムレット』の「生きるべきか死ぬべきか」という名台詞に「生きること」という作品テーマ見出したのだろう。別に間違っているとまではいわないが、安易にすぎる。全体的に、安易にすぎるのだ。序盤で、坊主頭の聖を始めてみたスカーレットが「僧侶か? なら寺に行け!」というセリフがある。素でよくわからないギャグだろう。これは『ハムレット』でハムレットオフィーリアにかける「尼寺へ行け!」という有名なセリフオマージュだ。

なるほど。だから

からない。俺にはなぜここで「尼寺へ行け!」の引用が出てくるのかまったく説明できない。意味脈絡もない。

スカーレット』の問題は、『ハムレット』にかぎらずあらゆる要素がすべてそのような安易さの織物で出来ていることだ。どこかで聞いたようなセリフ、どこかで見たような展開。すべてが軽い。


からSNSの民よ。

俺の前のもう二度と「古典がわからないやつは『スカーレット』がわからない」などと言ってくれるな。お前も『バケモノの子』で『白鯨』がどんな扱いされてたか、観ただろ? ああいうやつだぞ? 細田守っていうのは。お前たちはどうせ『スカーレット』を映画館で一度っきりしか観ないのだろう。SNSマウントを取る目的で観て、明日にはもうきれいさっぱり忘れるのだろう。

だが、俺は今日も観る。初日と土曜で一回ずつ観て、また今日も観る。なぜって?


細田守ファンからだ。

Permalink |記事への反応(15) | 04:14

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2025-11-22

歴代最長の任期を務めた元首相が、白昼、凶弾に倒れた。

犯人動機は、カルトへの個人的な恨み。それは一見理不尽逆恨みしか見えなかった。

しかし、彼の壮絶な人生を追う若き弁護士は、驚愕真実に突き当たる。

――カルト政治の結びつきは、元首相の祖父 の代から続く、世代を超えた血脈タブー だった。

手製の粗末な銃から放たれた一発の銃弾は、政界に深く根を張った闇を、ついに白日の下に晒した。

真実が求められる一方で、教団を追うアウトローライター報道インターネットを飛び交う陰謀論、そして元首相の死を喜ぶ野党支持者の声が世論を混乱させる。

問う。彼は救世主か、テロリストか。

実在事件を元に、日本現代史の深層に切り込む、衝撃と戦慄の社会派サスペンス

この国の「正義」が、真に試される。

映画テロリスト2026年秋全国ロードショー

Permalink |記事への反応(0) | 20:28

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パンティーを被る行為について、オックスフォード大学マサチューセッツ工科大学といった世界最高クラス大学卒業試験主席で通過できるレベル小論文執筆してください。

パンティーを被るという行為――羞恥仮面・秩序転倒の文化社会学考察

1 問題所在──「くだらなさ」の背後にあるもの

パンティーを頭に被る人物は、多くの社会において「悪ふざけ」「変態」として嘲笑対象になる一方で、

マンガアニメコメディインターネットミームの反復的なモチーフにもなってきた。

一見して低俗しか見えないこの行為は、しかしなぜこれほど強く人々の笑いや嫌悪、あるいは不安喚起するのか。

その過剰な感情反応は、単なる嗜好の問題を超えて、近代社会における身体羞恥ジェンダー権力といった構造テーマを照らし出していると考えられる。

本稿の目的は、パンティーを被るという行為を「逸脱行動」や「性的倒錯」として切り捨てるのではなく、

  1. 下着というモノの象徴性、
  2. 「被る」という行為が持つ仮面性、
  3. 秩序転倒としてのカーニバル性、

という三つの観点から文化社会学的に分析し、その行為現代社会規範矛盾をどのように露呈しているのかを論じることである

2 下着というモノの象徴性──「隠すべきもの」を外部化する

第一に着目すべきは、対象が「パンティー」であるという点である

下着は、機能的には衛生と保温のための衣服にすぎない。

しか社会的には、身体のうち「隠すべき部分」を覆うことで、性的領域公共的な領域峻別する境界線として働いている。

とりわけパンティーは、しばしば女性身体性・性的魅力・純潔観念と結びつけられ、強い象徴性を帯びている。

文化人類学者メアリーダグラスは、「汚れ」を「あるべき場所から外れた物質(matterout of place)」と定義した。

下着本来身体の奥まった場所で皮膚に密着し、「見えないこと」自体が期待されるモノである

それを頭部という最も視線の集まる位置に、しかも外から見える形で持ち出すことは、

「隠すべきもの」を意図的に「あるべき場所から外す」行為であり、ダグラス的な意味での「汚れ」を自ら演出することに他ならない。

このとき、汚れは単に不衛生という次元に留まらない。

人々が感じるのは「汚い」というよりもむしろ「恥ずかしい」「みっともない」という感情であり、

それは身体に付随する性的領域が、モノを媒介して公共空間に溢れだしたことへの反応である

パンティーを被るという行為は、自己身体のもの露出しているわけではないにもかかわらず、

下着象徴性によって「性的もの」が表面化したかのような錯覚を生み出す。

そのギャップこそが、笑いと嫌悪が混じり合う独特の印象をもたらしている。

3 「被ること」の仮面性──アイデンティティ一時的な変容

第二に、「被る」という行為意味する仮面性を検討する必要がある。

顔は、社会学者エルヴィング・ゴフマンが述べたように、対面相互行為舞台において自己提示する中核的なメディアである

目・口・表情を通じて、人は自己人格感情意図他者に伝える。

そこに被り物をかぶせることは、自己呈示チャンネル意図的撹乱し、

「いつもの自分」とは異なる人物への一時的な変身を可能にする。

その意味パンティーは、即興的な仮面である

仮面はしばしば、道徳的・法的な責任性を希釈し、人に「普段ならしない行動」を許す。

覆面をした抗議者やハロウィンコスプレ参加者が、日常では抑制されている言動に踏み込めるのも同じメカニズムである

パンティーという「ふざけた素材」を用いた仮面は、暴力性よりも滑稽さを強調しつつも、

顔を覆うことで〈誰であるか〉を曖昧にし、同時に〈何者にも属さない、ルール外の存在であることを宣言している。

重要なのは、ここで用いられる下着が多くの場合女性用」として理解されている点である

男性女性パンティーを被る場合、それはジェンダー境界視覚的に撹乱する効果を持つ。

性的同一性男性性の「まともさ」を象徴する顔の上に、女性性の象徴物を被せることで、従来的なジェンダー秩序は一時的解体される。

この解体が、笑いとして消費されるのか、あるいは違和や嫌悪として反発を招くのかは、

社会がその時点で受け入れうるジェンダー規範の幅を測る指標ともなりうる。

4 カーニバルとしての秩序転倒──笑いと批評

第三に、この行為はしばしば「笑い」と結びついて登場する。

ミハイル・バフチンが論じたように、カーニバル的な笑いは、既存の秩序・権威・聖性を一時的に転倒させる力を持つ。

王と道化が入れ替わり、崇高なものが下卑たものに、清浄ものが汚穢に置き換えられることで、人々は日常ヒエラルキーから解放される。

パンティーを被る人物は、多くの場合「くだらない大人」「オトナなのに子どもじみたことをする存在」として描かれる。

そこでは、理性的成熟した市民として振る舞うことが期待される大人が、もっとも幼稚で性的規範に反する身振りを自ら演じてみせる。

これはまさに、近代主体の理性と節度という自己イメージを、身体と笑いのレベルで裏切る行為であり、バフチン的な意味での秩序転倒である

さらに、この行為消費社会への批評としても解釈しうる。

パンティーは、ファッションポルノグラフィ産業を通じて商品化された「性的魅力」のパッケージでもある。

その商品を「本来用途から外し、頭に被るという過剰にズレた使用法は、

シチュアシオニストたちの言う「デトournement(転用)」にも似て、商品に埋め込まれ意味構造をずらし、

消費社会約束する「ロマンティックで洗練された性」のイメージを滑稽なものとして暴露する。

もちろん、こうした批評性が常に意識されているわけではない。

多くの場合当事者は「面白いから」「ウケるから」という動機行為に及ぶ。

しかし、当人意図とは無関係に、行為のもの既存の秩序を揺さぶり、

笑いを通じた不安定化をもたらしている点に、カーニバル的な力があるといえる。

5 ジェンダー倫理──笑いの線引きをどう考えるか

ここまで、パンティーを被る行為文化的・象徴的なレベル肯定的に読み解いてきた。

しかし同時に、この行為にはジェンダー暴力問題が潜在していることも看過できない

たとえば、所有者の同意なく女性下着を盗み、それを被って笑いのネタにするような事例は、明らかに性的暴力であり、先の分析とは質的に異なる。

そこでは、女性身体性がモノに還元され、男性自己演出の道具として一方的に利用されているかである

したがって、パンティーを被る行為文化解釈は、

「誰のパンティーか」「どう入手されたのか」「誰の前で行われるのか」「誰が笑う権利を持つのか」といった文脈と切り離しては成立しない。

自分で購入した下着自分身体で用いて仮面を作ることと、

他者の所有物を奪ってネタにすることとの間には、倫理的に越えがたい差がある。

この意味で、パンティーを被る行為安易に「自由表現」「笑いだから許される」として擁護することはできない。

一方で、倫理的に許容可能範囲で行われるこの行為が、規範の硬直性をほぐし、身体羞恥をめぐる議論を促す契機となりうることも事実である

その両義性を見極めることが、現代社会ジェンダー感覚表現自由の両立を考える上で重要になる。

6 結論──「くだらない行為」が映し出す近代社会

パンティーを被るという行為は、表面的には「低俗ギャグ」「一部の嗜好」に過ぎないように見える。

しかし本稿で見てきたように、

として理解することができる。

まりパンティーを被る行為は、身体羞恥を厳格に管理しようとする近代社会規範に対して、

「本当にそれが唯一の生き方なのか」と問いを突きつける小さな反乱なのである

もちろん、その反乱が倫理的に許容されるためには、所有や同意ジェンダー権力といった条件を精密に考慮しなければならない。

しかし、その条件さえ満たされるならば、「くだらない」と切り捨てられてきた行為の背後に、

規範相対性を示す批評的なポテンシャルを見出すことが可能である

パンティーを被る人物を笑い飛ばすことはたやすい。

だが、その笑いが何に支えられ、何を脅かし、何を許さないのかを問うとき

私たちは自らの社会がどのような身体観・性観・ジェンダー観の上に成立しているのかを、あらためて自覚せざるをえなくなる。

「くだらない行為」を真剣考察することは、実のところ、

私たち自身の〈まともさ〉の条件を問い直す営みなのである

Permalink |記事への反応(0) | 09:53

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2025-11-21

anond:20180327003348

これ本当に意味が分からなくて三回くらい読み直したのですが、ジャンルへの愛以外で創作をする人がいるのだなと思って大変興味深かったです創作動機って人それぞれですね

Permalink |記事への反応(1) | 22:27

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あの日社会は「一発の銃弾」で変わった

平和日常を切り裂いた、元首暗殺という未曾有の大事件。

犯人は、政治思想なき「カルト教団被害者」だった。

粗末な手製銃から放たれた弾丸は、政治家カルト不都合な真実を次々と炙り出す。

「彼は英雄なのか、テロリストなのか?」

国民の誰もが裁きを下せないこの問いの答えを、一人の弁護士法廷で探す。

彼がたどり着いた、衝撃の動機、そして国家を揺るがす闇の構造とは?

テロリスト2026年秋公開。

現代史断層に迫る、圧巻のノンフィクションサスペンス

Permalink |記事への反応(1) | 21:57

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人間思考とLLM、思ったほど違わなくない?

最近AI思考人間本質的に違う!」みたいな主張をよく見るんだけど、正直そこまでの差があるとは思えない。

少なくとも、自分自身思考を観察してみると「そこまで特別プロセスじゃないな……」って感じることが増えた。

というのも、人間思考って結局のところ、これまでの経験知識パターンから“次にありそうな結論”を予測してるだけじゃないか

直感」とか「理解」という言葉を使うからすごいことをしているように見えるけれど、中身はわりと統計的な推論の積み重ねだと思う。

一方でLLMは、過去データから確率的に次を予測するモデル。仕組みは違うけれど、やってることはかなり似ている。

じゃあどこが違うのかと言えば、「身体性がない」とか「内的動機がない」とか、だいたい“現状の仕様”の話ばかりで、構造上の絶対的な違いという感じはしない。

そもそも人間だって、そんなに明確な内的動機で動いてる?

私は正直、刺激が来たら反応してるだけだし、褒められれば嬉しいし、怒られたら凹むし、わりと条件反射的な存在だと思う。

AIには世界理解がない」みたいな話もあるけれど、じゃあ世界中の映像・音声・センサー情報をぶち込んで、ずっと観察させたらどうなるか。

普通に世界予測できるモデル”になるだけで、それは自分たちが小さい頃から五感で学んできたことと違うようには思えない。

まり、違いは確かにあるんだけど、

それは本質というより“データ量とインターフェースの違い”に近い。

人間思考には本質的特別さがある」と信じたい気持ちはわかる。

でも、いざ自分思考をじっくり眺めると、そんなに魔法みたいな機能は見当たらない。

しろパターンの積み上げで動いているところはLLMとけっこう似てる。

から私は、「本質的な違いはそこまで大きくない」という立場だ。

もちろん“人間のほうが複雑で多様なデータを処理してる”とは思うけれど、それは量や種類の問題であって、質的な隔たりではない。

結局、私たち自分思考特別視したいだけなんじゃないか──

最近そんなふうに思うようになった。

Permalink |記事への反応(1) | 20:57

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2025-11-20

anond:20251120181034

国民円安を受け入れて高市政権を熱烈に支持しています

そのため政府には円安是正する動機がありません。

Permalink |記事への反応(0) | 19:33

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anond:20251120161121

「世の中の仕組み」などという触れも話せもしない者を相手にするしかなかった人間に「話したこともない一人の男を殺す」以外どんな手段が残されていたと思って話している?

少なくとも平穏の中でぬくぬく増田やってる俺たちが「バカガキの極太マジック落書き」などと見下せる動機ではないと思うが

Permalink |記事への反応(0) | 16:26

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中国ホタテなどの海産物を買ってくれないのなら

我々日本人が買って食べればいいじゃない。

日本人は金使わないから、と言われるけど、日本個人資産世界最高レベルで多いのだ。

金を使う動機さえあれば、日本人国産農産物積極的に買うと思う。

Permalink |記事への反応(1) | 08:42

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2025-11-19

安倍晋三が撃たれた時のネットをよく覚えてる

最新情報が欲しくてネットに齧り付いてた

ネトウヨが嬉しそうに「犯人属性犯人動機バックボーンをしっかり報道しろよ!」と言っていた

第二報に犯人が元自衛官だと流れた時、ネトウヨがシーンとして

それからしばらく後に統一教会絡みだと報じされるとネトウヨが焦り出して「は、犯人動機なんかどうでもいいだろ!」と手のひらを返し始めたことをよく覚えている

Permalink |記事への反応(2) | 20:18

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anond:20251119095445

こういう単語にこだわるのはマジで頭悪い等派性バトルにしかならんな

そういう単語の厳密性にこだわりだすと

空母が攻めて来たときには対応するとは言ってない」って言い逃れ余地を作った言い回しとかどうとでも取れるじゃん

でそういう誤魔化し表現だとするとバカにしたい君の動機とそぐわないか

バカから間違った表現をしてるんだという設定をつけてトートロジーみたいな構造にしてる。

そういうの意味ないっしょ

Permalink |記事への反応(2) | 10:04

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anond:20251118124421

そもそもで言うと

AIに被れてるのは大半が木っ端の絵師

ほとんど誰も模倣したいと思ってないし、商売としても成立してない層。

こいつらが奪い合ってるのは金じゃなく、バズ(=いいね)

もともと埋もれるレベルのやつが、埋もれてる理由付けにAIを持ち出してるというのと

AIみたいなカルト思想で強いことを言うと同類層にリーチしてバズを得やすい。

要するにバズりたいという動機最初にあって、下手な絵を描くより簡単でバズりやすお題目を見つけたから、その話を連投、過激化していくという構造

Permalink |記事への反応(0) | 09:55

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anond:20251119070138

お嬢さんには動機がない。

Permalink |記事への反応(1) | 07:03

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2025-11-18

友人がブログを始めたねんけども

おもろいなぁと思います。あ、増田ではありません。普通にはてぶです。

まぁその人はアマチュア役者なんですけれども。

どっちかというと僕はそういう役者だったり、人間だったりを外面から見てあれこれ考えるのが好きなので(妄想癖)、あまり他人の描くブログの内容が頭に入ってきてすんなり受け入れられるタチではないんですが、やっぱりその文章を受けて、文章自体を考えるのではなく、文章を書いた人物文章との俯瞰的な姿を想像します。

片思いの人がいるけれども、その人には恋人がいる。

へーん。ワイは恋人いるかもいないかわからん人に片思いやけどな。そういうことを書いてる人間の心境とか、外野から勝手に考えて推測してみたいじゃないですか。関わり過ぎてしまうと良くない(自戒)。人の恋愛の話は真に受けません。本当は恋人いたりとかするしな

人が文章を書くって、そのためのアクションをわざわざ起こしているわけだもんで、ことさらブログともなるとどうしてそういうことを書いているのか気になったりもするし、それを理解することは僕が脚本を書くことの自分自身への理解もつながります役者自分を表す機会もなかなかないですから、そういうものを眺めるのも興。

自分自身のことを僕はここには書かない。それもある意味書くことへの動機理解なんだと自分でも思う。

コーヒーゆらゆら、もう少ししたら彼女ブログのタブは閉じる。

Permalink |記事への反応(1) | 15:44

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ひみつのアイプリ見たけどひどいなこれ

アイカツプリパラ映画見に行こうと思って、なんも知識ない「ひみつのアイプリ」をまず見てるんだけど、1話からマジでひどいなこれ。

これ4クール分見るのマジでキツそうだけどどうしよう。そりゃ女児向けゲームも衰退するよなあって感じのアニメだった。

Permalink |記事への反応(0) | 10:56

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anond:20251118012133

1. 導入:言い訳がましく、独りよがりな前提設定

コロナ禍で電子書籍漫画を読む習慣が自分に付いたから」という動機は、単なる自己正当化言い訳に過ぎません。なぜ、その動機付けが読書リスト評価必須なのか理解に苦しみます

「ここに書いてないけど楽しんだ漫画も沢山ある筈だけど、一旦置いておく」という断り書きは、リスト網羅性に対する責任放棄です。大量に挙げたところで「もっとある」と言われては、提示された情報価値が薄れます

「とりあえず頭に浮かんだタイトルを片っ端から書いてみる」という姿勢は、構成論理的な並びを放棄した怠惰の表れです。これだけ大量の情報提示するなら、もう少し読者に対する配慮整理整頓)があってもよいでしょう。

2. 内容:情報が浅く、感想定型文的

過剰な情報量による疲労: 70以上のタイトルを羅列した結果、一つ一つのコメントが短く、表面的な感想に終始しています。「面白い」「名作」「熱い」といった形容詞に頼りすぎており、読者に新しい洞察を与えるレベルに達していません。

例:「これも面白い」「面白かった」「めちゃ面白い」など、具体的な深掘りのない感想が多すぎます

ネタバレ回避の失敗と中途半端配慮: 導入で「ネタバレ注意」としながらも、多くの作品感想が「〜編が面白い」というあらすじの列挙や、既に広く知られた事実の繰り返しに留まっています特に核心に迫るような鋭い考察は見られません。

アプリ用法」の記述無意味さ:

「全話無料公開してた時読んだ」「サンデーうぇぶりは〜が全話無課金で読める」といった情報は、**日記を読んだ時点では無効になっている可能性が高く、持続的な情報価値がありません。**これは作品評価ではなく、単なる「当時の自分の行動記録」であり、読者にとってはノイズです。

偏った知識的外れ比較:

キン肉マン』『彼岸島』『タフ』などの「ネタ要素がある面白さ」を共通項とするのは、広く知られたネットスラング的な評価であり、独自考察とは言えません。

ボルト』を『ドラゴンボール』や『ジョジョ』の影響と見るのは、画風や台詞回しというよりも、少年漫画表現の変遷を深く見ていない浅い感想です。

3.読書傾向:偏りが激しく、視野が狭い

ジャンルの偏りが激しすぎる: バトル、スポーツギャンブルといった「熱血」「劇画」系のジャンルに極端に偏っており、知的探求心や感性の幅が非常に狭いことを露呈しています日常系SFハードもの)、純文学系、ミステリートリック重視)、本格歴史ものアート系など、多様なジャンルへの興味が見られません。

「人を選ぶ」作品への過剰な言及: 「人を選ぶ」「クセがある」という言葉を多用していますが、これは逆に自分の好みが極めてニッチであることの告白であり、大衆的な視点客観的評価能力に欠けていることを示唆しています

「一気読み」依存危険性: 連載中の作品より完結作を好むという姿勢は、新しいトレンドや未知の才能を発掘するアンテナを持っていないことを意味します。電子書籍の「後追い」という受動的な読書依存しており、能動的な読書家とは言えません。


4. まとめ

全体として、この日記は「電子書籍を大量に読んだという事実の自慢」に終始しており、個々の作品に対する深い洞察や、読者に新しい発見提供する価値に乏しい、情報過多で中身の薄い読書ログであると言わざるを得ません。

以上です。

Permalink |記事への反応(0) | 02:18

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2025-11-17

anond:20251117094010

中国資源が豊かなので貿易がなくても自活できるのでメンツ以外に戦争動機はない

貧乏国家不景気になってガス抜き外国ケンカを売るのが歴史

Permalink |記事への反応(0) | 10:59

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2025-11-16

80キロから55キロまで痩せた。

25キロだ。

数字で見ると、大きな変化に見える。

実際、そうなんだと思う。

でも、その過程で何が起きたのか、未だに理解できていない。

痩せるまでの私は、太ってることを知ってた。

知ってたけど、何もしなかった。

仕事が忙しい、時間がない、ジムに行く余裕がない。

そういう理由をつけて、怠けてた。

本当の理由は、痩せることへの動機がなかったんだと思う。

痩せたら何が変わるのか。

そんなことよりも、今、目の前の仕事をこなすこと。

今、目の前の食事を楽しむこと。

そっちの方が、簡単で、快適だった。

30代前半。

独身

仕事は充実してた。

給料も悪くなかった。

から、80キロ体重も、別に気にならなかった。

ただ、新しい服が欲しい時が困った。

Lサイズがない。

XLサイズを買う。

するとぶかぶかになる。

その繰り返しだった。

でも、その程度のことだ。

生活に支障はなかった。

健康診断では、血糖値血圧が高めだと言われた。

でも、薬が必要なほどではない。

数値が高い、という指摘だけだ。

から、まあ、大丈夫だろう。

そう思ってた。

変化が起きたのは、去年の冬だ。

親友が、突然、痩せてた。

10キロ以上痩せてるんじゃないか

どうしたのか聞いたら、ジム通いを始めたと言ってた。

その親友が、私に言った。

一緒にジム行かない。

最初は、断った。

忙しい、時間がない、そもそも太ってることに悩んでない。

そう言った。

でも、その親友が、ずっと誘ってくれた。

何度も何度も。

その誘いが、最後に通じたのか。

それとも、別の理由があったのか。

正確には、わかんない。

でも、私は、ジムに行った。

最初の数ヶ月は、地獄だった。

体が重い。

体力がない。

30分のトレッドミルで、もう限界

それでも、週に3回、ジムに行った。

親友と一緒だったから、行った。

1人だったら、すぐにやめてたと思う。

3ヶ月経つと、体が変わった。

トレッドミルを1時間できるようになった。

体が軽い。

朝起きるのが楽だ。

夜中に目覚めることが減った。

そして、体重が落ちた。

75キロになった。

5キロだ。

3ヶ月で5キロ

その時点で、何か、変わった。

痩せることが、快感になった。

数字が下がることが、嬉しくなった。

今までは「太ってることに悩んでない」と思ってたけど。

実は、深いレベルで、悩んでたんだと気付いた。

その悩みが、ジムで体を動かすことで、少しずつ解放されてた。

その後、私は、必死ダイエットに取り組んだ。

ジムは週5に増やした。

食事も気をつけた。

それまで、夜中にラーメンを食べるのが日課だった。

それを、やめた。

お菓子も減らした。

甘い飲料も避けた。

1年かけて、70キロになった。

65キロになった。

60キロになった。

最後に、55キロまで落とした。

その時、私は何か、違う世界に入った、という感覚があった。

体が変わった。

顔が変わった。

周囲の反応が変わった。

一番のショックは、男性から視線だ。

80キロの時は、街を歩いていても、誰も見てくれなかった。

まり存在が薄い。

それが、55キロになると、見られるようになった。

駅で、男性が目で追う。

カフェで、そばに座ってくる。

職場では、営業先の男性が、急に親切になった。

その変化に、最初は、戸惑った。

自分内面は何も変わってないのに。

なぜ、周囲の反応が変わるのか。

その時、私は気付いた。

人間は、内面ではなく、外見で判断してるんだ。

その事実が、やたらと悔しかった。

でも、同時に、嬉しかった。

やっと、見てくれる。

やっと、認識してもらえる。

その喜びと悔しさが、ごちゃ混ぜになってた。

仕事でも、変化があった。

80キロの時は、営業成績が、まあまあだった。

でも、55キロになると、営業成績が伸びた。

顧客との関係も、スムーズになった。

まり体重営業成績に影響してるってことか。

その認識が、また、悔しかった。

同時に、使える武器を手に入れた、という感覚もあった。

親友は、その変化を見て、喜んでくれた。

でも、何か、微妙なところもあった。

親友も痩せてたけど、私ほどではなかった。

比べると、私の方が痩せてた。

その状況に、何か、複雑な感情があった。

親友が誘ってくれたから、私は痩せた。

でも、結果として、私の方が、より成功した。

その勝負感覚が、友情に、どう影響するのか。

その時点では、よくわかんなかった。

現在、55キロの私は、満足してるのか。

正直に言うと、わかんない。

満足してる部分もある。

鏡に映った自分が、好きになった。

洋服選びが、楽しくなった。

買える服の種類が増えた。

体が軽い。

体力がある。

朝も気持ちよく目覚める。

でも、同時に、失ったものもある。

80キロの時の、気楽さだ。

何も考えず、ラーメンが食べられた。

お菓子が食べられた。

人目を気にせず、だらだら過ごせた。

その気楽さが、今はない。

毎日体重計に乗る。

毎日食事を記録する。

毎日ジムに行く。

その生活から、一日でも逃げたら、体重が戻るんじゃないか

そういう不安がある。

実は、55キロになってから、3ヶ月で2キロ戻った。

57キロになった。

その時、パニックになった。

やばい

また太ってく。

そう思って、必死ジムに行った。

結果として、57キロで安定した。

でも、その不安感は、なくならない。

まり痩せることで、新しい監獄に入ったんだと思う。

自分の体への監視

自分食事への監視

その監視から逃げられない

80キロの時は、その監視が、なかった。

気楽だった。

でも、その気楽さは、同時に、無責任だった。

自分の体への責任を、放棄してた。

それに気付いて、責任を持つようになった。

その責任が、新しい負担になってる。

最近、思うのは、痩せたことが、本当に正解だったのか、ってことだ。

外見は良くなった。

体力は付いた。

営業成績も上がった。

男性から視線も増えた。

客観的には、成功だ。

でも、心の中では、何か、複雑なものがある。

痩せることで、人間関係が変わった。

痩せることで、他者からの期待が変わった。

痩せることで、自分への厳しさが増した。

その全部が、本当に欲しかったものなのか。

未だに、わかんない。

ただ、今の私は、戻りたくない、と思ってる。

80キロに。

もう、あの生活には、戻りたくない。

でも、同時に、55キロ生活の、全部を肯定できていない。

その矛盾の中で、今、生きてる。

Permalink |記事への反応(5) | 16:42

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