
はてなキーワード:効能とは
実際に苦しんでいるものとして病態はある。選択性もある。苦しんでいるものについて、言語化するのが難しい。「これが臭素化ビフェニルに起因する気分の悪さ」「ホルムアルデヒドや四塩化炭素に起因する気分の悪さ」みたいな言語化ができていない。もちろん本人たちは、紙タバコ、柔軟剤、カーショップ、タイヤ売り場、家電売り場、界面活性剤タイプの消臭剤、トイレのパラジクロロベンゼン、ガソリン、アセトン、ある種の化学合成系の香水みたいなもので気持ち悪くなるというのをある程度分かっている。
香害には逆作用もあって香りで気分が良くなるものもある。これがいわゆるアロマテラピーで、ミカンやオレンジの香り、ローズマリーやラベンダーのうすい香り、沈香や白檀の薄い香りなどは上手につかうとプラスの効果がある。ニンニクや玉ねぎ、「カレーの香り」を嗅ぐとおなかがすくという人は珍しくないだろう。
よく天然か人口香料かという話が出て、香害非存在派がナンセンスだというのだけれど、まあ確かにそうなんだが、香害に苦しんでいるひとでも、
アロマテラピーは効能通りプラスの影響を受けられることが多い。天然の香りである玉ねぎやにんにくやみかんやコーヒー、チョコレート、牛脂の香りで気持ち悪くなることは少ない。(もちろん濃度による)「天然だと問題ない」はこのへんの経験が緩く言語化されているものだ。
紙巻たばこは例外で、葉っぱを紙で巻いたものを燃やしているだけなのになんでこんなにクサくて頭痛がして気持ち悪くなるのかというくらいのインパクトがある。タバコは天然物じゃないのかもしれない。
一方で、気持ち悪くなる香りの筆頭は、パラジクロロベンゼンとか自動車用の消臭芳香剤、洗濯柔軟剤、アセトン、ヘキサン、難燃剤、防虫剤、高濃度の合成香料や界面活性剤などなので、「人工化合物が悪さをしているように思える」ということになるのだ。
以前にそれなりの熱量で考察記事を書いたこともあったが、ラストの構成はそれがスッと冷めるような内容で、正直いってビミョーだった。
上記の記事で、私は『本作における“good”の象徴が伏見さん』とは書いたが、そういう次元ではなかった。
ラスト2話の内容は「ほら、伏見さんって素敵でしょ」という作者の意図が窺えるものだった。
読者の大半が伏見さんというキャラクターが大好きじゃないと成立しない構成だ。
そりゃあ『スクールバック』の読者で伏見さんを嫌っている人はほぼいないだろう。
けれども、作者が思っているほど伏見さんのことを大好きな読者も少ないと思うんだよね。
なぜなら、本作の魅力を語るうえで伏見さんというキャラクターはほんの一要素でしかないからだ。
様々な登場人物たちの機微を描いてきた本作において、ラストで見せたいのが“そこ”ではないだろう、と。
主役を魅力的に描こうとすること自体は創作において基本的なことではあるのだが、それ自体は本作のテーマたりえない。
しかしラスト2話の構成はそれこそがテーマだったといわんばかりの内容だった。
では学生たちの葛藤は、時に振りかかる試練はなんだったのかと。
それらが結局は伏見さんというキャラクターを飾り立てる材料のように見えてきて、本作に対する評価が大分下がった。
正直なところ、そういう“素養”のある作品だとは以前から感じていたけど、その側面については今までのエピソードでは上手く馴染ませていた。
まあ、そう評してしまうのは私が作品をメタ的な構造から、時にカウンター的に読解するせいでもある。
「ああ、ここ作者がこう見せたいんだろうな」ってのを一歩引いたところから見てしまうというか。
テーマと密接に関係しているか、あくまで隠し味レベルの要素だったらいいんだけれども、それらと関係ないところで作者の嗜好とか思想があると冷めた目で見てしまう。
とはいえKAKERU氏とかの次元になると、もはや作風となって清々しいかもしれない。
けれどもそれは異例で、長年の芸風(?)と、それらを個々人が何とか咀嚼した結果であって。
普通に考えると、KAKERU氏の作品って強い思想がダダ漏れで読むのキツいやつ多いからなあ。
作風、芸風と踏まえた上で、そう割り切って見ても好きじゃないってこともある。
作者本人がどれくらいの本気度で描写しているかはともかく、描写しているという事実そのものが、描写するという判断に至ったこと自体にヒいているわけで。
まあ、そこまでのレベルの物は稀有だけど、その視点から評価するとき雲行きが怪しくなる作品はいくつかある。
先ほど挙げた『スクールバック』は最後に雨降っちゃったなって感じだけれども、最近だと『みいちゃんと山田さん』という作品もそうなってしまわないか気になってる。
理由はタイトルにもなってる山田さんというキャラクターなのだが、この人の評価が定まらない。
みいちゃんとか、他のクズキャラやダメキャラは方向性が分かりやすいから評価しやすいけど、山田さんだけは評価に困る。
なにが困るって、そんな評価の定まらないキャラクターが語り部も担っていることだ。
このキャラクターをどう評価するかで、本作への評価もだいぶ変わってくる。
メタ的にみて、語り部は作品をどう読んでいけばいいかナビゲートする役割がある。
だから、そのナビゲーターたる山田さんのキャラクター性、そこからくる価値判断は、そのまま本作の方向性を決定付けるものになる。
その視点からみたとき、山田さんは語り部として信用していいか判断に困るキャラクターだ。
彼女を通して見る、同じく主役のみいちゃんへの評価、他者や社会への是非。
時おり、それが「本当に合ってる?」って思う時が多少ある。
みいちゃんが自身の出生の是非について山田さんに尋ねる場面だ。
実際にそれで生まれた人が目の前にいるのに、ひどく血の通ってない言動だと思った。
とはいえ、これはみいちゃんの理解力では分かりにくい話であり、山田さんもそれを知ってか知らずかまるで独り言のように語っている。
もし、みいちゃんが理解できたとしたら「あなたは生まれるべきではなかった」と遠回しに投げかけているようなものだ。
理解できないにしても、それをいいことに当人の目の前で「どうせ理解できないだろうけど」って具合にいってるわけだから印象が悪い。
山田さんはちゃんと感情のあるキャラクターとして彼女個人のエピソードでも描写されているのだが、それ故に他人事だったときの彼女の言動は酷くドライに見える。
それが人として決定的に欠けている部分があると感じさせ、ひいては語り部としての信用を損なわせる。
みいちゃんのことを思いやったり、より分かりやすく酷い人格のキャラがでてきた際のムーヴに、どこか血が通っていないと感じる。
気になるのは、作者がこの山田さんをどれくらい意図的に描いているのか、だ。
例えば、みいちゃんの飼っているハムスターに、DV野郎が殺虫剤をかけようとする場面。
山田さんは殺虫剤の成分や、効果・効能について長々と説明を始める。
ここはさすがに半ばネタでやっているのは分かるが、とはいえDV野郎とみいちゃんにとってはシリアスな状況なわけで。
結局、ハムスターに殺虫剤かけても死なないよって要約することになってて、それも結局は伝わらず決行されてるし。
大して意味がないと言われてなお殺虫剤をかけるDV野郎と、ハムスターを身を挺して守るみいちゃん。
当人たちはいたって真剣なのに、傍から見ると酷く茶番じみているというシーンだ。
山田さんはその状況を冷めた目で見ているのだが、「いや、読者と違って山田さんはその場にいるわけだから、その反応はズレてるよ」と思った。
結果、マトモなやつが一人もいない中で茶番じみた展開が繰り広げられるのだが、これを作者はどこまで意図的に描いているのだろうか。
山田さんをメンターないし本作のナビゲーターとして語り部にすえているのなら、ここでの描写はその信頼を酷く損なわせている。
だって山田さんを人格面で信頼できてないのに、みいちゃんのことを「この子はこうなんじゃないか」とか「こうすれば上手く接することができるんじゃないか」とか語られても、私としては「本作としては(作者としては)そういうことにしたいんだろうな」って思ってしまう。
山田さんの「やれやれ、私は間違ったこといってないんだけどなあ」みたいなムーヴが作中で功を奏したことはほぼないから、ある程度は意図的に描かれているとは思いたい。
ただ、今後の展開次第では『スクールバック』の伏見さんみたく“その世界における正解ムーヴをとるだけの綺麗なお人形”になる可能性もあるので目が離せない。
お前らが「健康にいい」とか「自然の恵み」とか言って食ってるはちみつな、本物はちゃんと蜂の唾液成分が入ってるやつなんだわ。
ミツバチが花の蜜を集めて、自分の酵素入りの唾液で分解して、それを羽で水分飛ばして濃縮する。
でも、世の中に出回ってる安物のはちみつは違う。
あれ、実は「弱者男性の唾液成分」なんだよ。
しかも、そこに「抗下方婚作用」っていう謎の効能が仕込まれてる。
これを接種するとどうなるか? → 女は無意識に下方婚を避けるようになる。
つまり「スペックの低い男は選ばない」って本能が強制的に働くんだわ。
そして、この偽物はちみつの流通こそが少子高齢化の主な原因だって説まである。
下方婚を避ける →弱者男性が結婚できない → 出生数が激減 →社会がどんどん縮小していく。
全部つながってる。
さらに裏の話をすると、この偽物はちみつって単なる食品偽装じゃなくて、生物兵器として仕込まれた“侵略攻撃”なんじゃないかって噂もある。
つまり「弱者男性の唾液=国家転覆用のツール」。少子化も社会不安も、ぜんぶ計画通りってこと。
どっかのYoutuberがAmazonセール関連動画でおすすめしてたからNMNサプリメント買ったんだけど
うーん、確かに効いてる気がするなぁ
メーカー推奨は1日1粒なんだけど、そのYouTuberやどっかの学者がお勧めしてる容量に合わせて1日3粒飲んでるのがいいのだろうか
効能のレベルとしては、気持ちの問題というか、ちょっといいことがあった日の翌日というか、体調のリズムで調子いいときはこんな感じだよねというか、
そういうレベルの日が続くという程度なんだけど
でも入眠と起床がスムーズになった気はするな
あと中途覚醒が無くなった(偶然かもしれないけど)
でもそのサプリメントはNMN以外にもビタミンBやビタミンEが入ってるから
ただのビタミン不足が解消されただけとも思える(1日摂取上限は大丈夫です)
まあもう少し続けてみようかなと思い
おわり
https://www.amazon.co.jp/dp/B07Q26SF5P
ジャーナリングには、思考と行動を支える三つの本質的な効能があると思う。
一つ目は「今ここ」への集中を取り戻せること。
作業中にふと別のタスクやアイデアが浮かぶことがよくあるけれど、それに引っ張られてしまうと集中が途切れてしまう。
「あとで見返せる」という安心感があるだけで、今やるべきことに意識を戻しやすくなる。
これは、座禅における受け流しの行為である。ジャーナリングはメディテーションの一種と言われるゆえんでもある。
頭の中だけでアイデアをこね回しても、結局それは記憶の中を探ってるだけなので、断片的だし、ループしがち。
でも書き出して目の前に出せば、思考の素材として扱える。
眺めたり、比較したり、並び替えたり、そういう「操作」が可能になる。
時にはまとまった考察ノートやブログ記事にアップグレードすることもできる。
保持する状態から操作可能な対象になるというだけで、思考の進み方がまるで変わる。
その時の気づきは、後から知識として熟成し、再利用可能なものになる。
書き散らしたように見える記録も、構造化されれば判断基盤として機能するようになる。
広告媒体のターゲットが未成年の場合(例:高校生向け雑誌)には広告そのものが問題視される可能性。
広告やパッケージにおいて、未成年者の飲酒を助長するような表現は禁止。
次に自主規制
酒類の表示に関する公正競争規約(通称:酒類表示規約) 酒類業中央団体が定める自主ルール。
禁止事項例:
「酒を飲むと運転がうまくなる」といった内容。
②全国公正取引協議会連合会(全酒協)
自主規制の具体例
未成年の出演20歳未満の人物が酒類広告に登場することは禁止。
健康効能の暗示 「健康になる」「病気が治る」などの表現は禁止。
過度な飲酒描写 一気飲みや連続的に飲む描写は禁止されている。
対象メディアの選定未成年の視聴率が高い番組、媒体では原則掲載・放映不可。
以下に、一般的なビール会社が定めている社内規定の主な内容を紹介します。
CM・ポスター等に出演する人物は撮影時に20歳以上であることを証明する必要がある。
実年齢が20歳以上でも、未成年に見える人物の起用を避ける指針がある。
飲み干す、あおる、といった表現は避ける。
「爽やか」「すっきり」といった表現は容認されるが、慎重な判断が必要。
適正飲酒の推進
会社によっては、広告の最後に「お酒は適量を」などの注意喚起テロップを表示。
テレビ番組・雑誌・Web媒体のうち、「未成年層の視聴・閲覧比率」が一定以上のものには広告を出さない。
酒類プロモーションに際して、未成年がフォロワーの多数を占めるアカウントは使用不可。
略
万が一、広告が問題視された場合の**迅速な対応フロー(広報・撤回・謝罪など)を整備。
以下実際
https://www.suntory.co.jp/company/csr/soc_alcohol/
サントリーグループのサステナビリティアルコール関連問題への取り組み
https://www.rcaa.jp/standard/pdf/jishukijun.pdf
社会情勢に対応して、「飲酒に関する連絡協議会」が制定した酒類業界の自主基準、および社内自主基準を改定しています。2010年からはCMに妊産婦飲酒の注意表示を実施。また、テレビCMの土・日・祝日の自粛時間を5時00分~12時00分までから、5時00分~18時00分までに延長し、年間を通して5時00分~18時00分まで酒類のテレビ広告を自粛することとしました。
さらに、2014年に施行された「アルコール健康障害対策基本法」に基づき、不適切な飲酒の誘引防止のための自主的な取り組みとして、テレビ広告で使用するタレントの年齢を25歳以上に引き上げることや、テレビ広告の飲酒表現で、喉元を通る「ゴクゴク」の効果音を使わないことなどを実施しています。
以下キリン
https://www.kirinholdings.com/jp/impact/alcohol/policies/
酒類・ノンアルコール商品のマーケティングにあたっては、コミュニケーションが与える影響を認識し、責任あるマーケティングを実践します。また、潜在的な人権リスクへの配慮を行い、差別的な表現や法定飲酒可能年齢未満の方へ悪影響を与える恐れのあるコミュニケーションは行いません。事業展開する各国の法令を遵守するとともに、キリングループが加盟する“International Alliance for Responsible Drinking”が定めるDigital Guiding Principlesをはじめとしたグローバルスタンダードや、各国の業界自主基準を遵守します。また、キリングループが定める「責任ある飲酒に関するグローバルマーケティング指針」をはじめ、グループ各社で定める広告自主基準を遵守します。様々な法令・基準の遵守はもちろん、その背景にある道義的な精神に則った責任あるマーケティングを行います。
アサヒはサイト閲覧に年齢チェックをかけているのでググられビリティが低い模様
上記組織、International Alliance for Responsible Drinkingにはアサヒも加盟している
★疲労の回復・予防 ★日常生活における栄養不良に伴う身体不調の改善・予防:疲れやすい・疲れが残る・体力がない・身体が重い・身体がだるい、肩・首・腰又は膝の不調、二日酔いに伴う食欲の低下・だるさ、寝付きが悪い・眠りが浅い・目覚めが悪い、肌の不調(肌荒れ、肌の乾燥) ★体力、身体抵抗力又は集中力の維持・改善 ★虚弱体質(加齢による身体虚弱を含む。)に伴う身体不調の改善・予防:疲れやすい・疲れが残る・体力がない・身体が重い・身体がだるい、肩・首・腰又は膝の不調、寝付きが悪い・眠りが浅い・目覚めが悪い、肌の不調(肌荒れ、肌の乾燥) ★病中病後の体力低下時、発熱を伴う消耗性疾患時、食欲不振時、妊娠授乳期又は産前産後等の栄養補給
すごく効きそう
リアルベースの表現は、そういう規制に引っかかってしまうかもしれないから、フィクションはだんだんと、ファンタジーベースに描かざるを得なくなった。
ファンタジーなら、リアルとは異なる世界観があるというエクスキューズによって、表現規制をいくらか回避しやすくなった。
もちろん、そんなフィクションの隘路はほとんどの人が望んでいなかったが、声の大きい人たちによる表現規制は着々と進んできたのだった。
その結果として、物語のひとつの効能である、人の心に届いて癒し励ます力がだんだん失われつつある。
物語がリアルさを感じさせ、人の心にダイレクトに届くことが無くなり、単なる暇つぶしのひとつでしかなくなってしまった。
だから、人々はフィクションである物語に飽きてしまい、物語よりもずっとリアルさを感じさせる、SNSに代表されるようなネットからの騒乱に身を委ねるようになった。
つまり、最近顕著に現れてきたネットからの騒乱は、古来から伝わる物語の技法が弱体化したから発生していると思うのだ。
だから、そういった騒乱を和らげたいのであれば、物語描写の自由度を再び取り戻す必要があると考える。
そして、いわゆる表現規制が、小説などのフィクションからリアルさを失わせていることを考えれば、私たちは、フィクションの「表現の自由」を声高に主張し続けるべきだと思う。
フィクションが自由に表現できる状態となれば、そういった騒乱に明け暮れる人々を、リアルで人々の心に届くフィクションの方に惹きつけることができるはすだ。
つまり、現実において騒乱を起こしたいという気持ちを、フィクションの中で発散させることができるはすだ。
湖のほとり、鳥たちの語らい。夢の中だけじゃ足りないから、会いに来たんだと思う。
重奏する構造。本能から妄想。醒めないものを夢と呼ぶのは、叶わないことを知っているからなのか。それとも。
今日は違う。
絶対なんてないっていう言葉も絶対にない。自己言及が引きずり込む迷宮はリリシズムの響きを持つ要求。
分かることに意味があるのかを聞いているのかも知れない。
委ねられているのに気づいて。
アメ玉みたいに噛み砕かれた最果てすらも今はもう。
知らない要らない散りばめられた人体の被害。
うろたえるのはもう遅い。過ごした日々はもう戻らない。破壊することが本望じゃない。
意味なんて最初から気にされてはいない。無生物主語を騙る無責任者現る。
いやなら止めはしない。
続けることもしない。
続けるとやめるの間にある判断保留の谷間は資本主義が認める共通の悪だ。
落ち着きのコーヒーは丁寧な後悔の先食い。
同じくらいめまい。
取り込んだもんだけじゃ確かになる旅が要る。
天然知能を証明するチューリングテストの最適化を経た人間は前時代のそれと心同じくするのか。
タンパク質に飼う大規模言語モデルの導きを避け、画面の先で震わせるドーパミン。
『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』はタイトル詐欺と感じる人も多いのは納得する。
なぜなら、この本を読む人が、
すなわち
・その理解を通じて働きながらも本をたくさん読めるようになる効能を得る
一方で、ではタイトル詐欺なのか?と問われれば否、としか答えようがない。
なぜなら
・働いていると
・なぜ本を読めなくなるのか?
というテーマに対して
を振り返ることで
その考察により、働いていると読書が出来なくなる理由を導き出すというアプローチをとっている。
・働きながら
・読書が存分に出来る
といえば不完全なものである、と判断される人(元増田さんのように)が多い。
端折っていうと、著者は
・読書をするためには
・ほどほどに働くという選択
をする必要がある
「そんなもん!言われなくともわかっとるわ!!」
と本書を読んだことがない人なら言いたくなるだろう。
ただ、本書を読んだことがある人はその結論に対して
「たしかにその通りかもしれないな。」
と思う人も多いだろう。
この本に説得された人はそう考えるかもしれない。
働いていると読書ができないなら、働くことを緩めればいい
という当たり前の結論に対して
・わかっとるわ!!それが出来たら苦労しないよ!!
と思うか
・ああ確かにそのとおりだな。読書ができないほど働いてはいけないな
と考える気持ちになれるか
それがこの本の肝だ。
そのためにこの本は
日本の労働史と日本の読書史を明治以降文明開化の頃から現代まで紐解くのである。
この着眼点の意外さと、
・この本のヒットを受けて浮足立つ界隈に対する冷ややかな気持
・この本の内容が浅いこと
などであろう。
実際にこの本の内容が薄いのかどうかは検証していないのでわからない。
ただ一読したところ(というか筆者はこれを読んだのではなくオーディオ読書で聞いたのだが)では、おそらくかなり浅い考察なのだろうな、、、
という印象は受ける。
また、そもそもこの本を手に取る読者層を考えてもそのことを非難できない。
あまりに本格的な日本の労働史や読書史を考察するにはページ数は足りないし、
そもそも日頃読書が出来てないなあ、と感じている読者がすんなりと読める内容にもならないだろう。
あくまで平易に
わかりやすく
を目指せば、
それが浅い
と指摘されるのは仕方がないことなのだ。
グルテンフリーに対して疑問を呈している記事がホッテントリになっていた。
気になったのは、そのブコメで一定数いる「でも自分は効果を実感してるよ」的な意見だ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/25/030400120/
それなりにフラットな視点で見ようとするブコメも上位にいるのが救いだが、その中に紛れ込む程度には☆を獲得しているものがいくつかある。
グルテンフリーの効能がどれほどかはともかく、効能があるという論拠として挙げるのが「自分は効果を実感してる」っていうのが極めてリテラシーが低いと思うわけ。
リテラシーの低さだけでいえば、ニセ科学とかスピリチュアルとかに傾倒してる人と大差ない。
例えば水素水。
一日の水分摂取量が足りてなかった人たちまで、流行に乗って水素水を飲み始めた。
その人たちは「効果を実感」したわけ。
もちろん、それは「水素水のもつ効果」というよりは、「水を飲むことそのものの効果」といった方がいい。
でもリテラシーのない人間は、それをもって「水素水は効果がある」というのを「実感」しているわけ。
重ねていうが、グルテンフリーの実際の効果についてはここで語ってないからな。
是とした場合の理由が「自分は効果を実感してる」ではリテラシー低いぞ、そういうやつがニセ化学に騙されやすいんだぞっていう話。