
はてなキーワード:労働供給とは
財政再建だの減税だの社会保障の充実だのと、世の中は今日も元気にスローガンを投げ合っている。
しかし、ここで一回、冷水をぶっかけておく必要がある。歳入歳出の問題とは、結局のところどの痛みを誰が受け入れるかという配分問題であり、そこから目を逸らした瞬間に、議論は経済学ではなく宗教儀式になる。
いや、宗教ならまだ筋が通る場合もある。問題は、筋が通っているフリをして自己放尿するタイプの議論が多すぎることだ。
政府の仕事とは、市場が機能するための最小限のルール整備に極限まで縮退させるのが基本形である。
自由市場とは、万能ではないが、少なくとも分散した情報を価格に集約し、意思決定を分権化し、試行錯誤の淘汰を通じて資源配分を改善する装置だ。
価格メカニズムは神ではないが、政治家よりはだいぶマシな情報処理装置である。ここで「だいぶマシ」というのが重要で、政治が介入するたびに知識問題が増幅し、情報の局所性が無視され、結局は官僚制のヒューリスティックが国全体の最適化を代替してしまう。
政治が市場を置き換えようとした瞬間に、見えざる手ではなく、見えざる自己放尿が働き始める。
ここが現実だ。日本は社会保障を手厚くし、再分配を強化し、政府支出を一定以上維持し続ける構造を選んでいる。
つまり、日本社会は競争による淘汰と自己責任の痛みを相対的に抑制し、その代わりに高負担・低成長・制度維持の痛みを受け入れる方向にコミットしている。
これは倫理的に正しいとか間違っているとか以前に、単なる選択の問題だ。経済学的には、トレードオフをどう置いたかという話である。
それなのに、減税だの給付だのを同時に叫び、財源の議論を後で考えると言い出す。これが自己放尿でなくて何なのか。
政府予算制約式という、経済学の最も退屈で最も重要な現実から逃げている。
政府は魔法使いではない。支出を増やすなら、税を上げるか、国債を増やすか、インフレ税で実質負担を国民に押し付けるか、どれかしかない。
これが財政のハード・バジェット制約だ。これを無視して「社会保障は守れ、税は下げろ、景気は良くしろ」と言うのは、制約条件を消して目的関数だけで最適化しているのと同じで、ただの自己放尿である。
リカードの中立命題を持ち出して、増税が予想されるなら家計は貯蓄を増やすから問題ないと言うのは理論的には可能だが、現実には完全な合理性も完全な資本市場も存在しない。
民主主義が持つ時間的不整合性の典型例である。短期の政治的利得と長期の財政健全性が衝突するとき、だいたい負けるのは長期のほうだ。これは合理的期待以前の、人間の仕様である。
さらに言えば、日本は人口動態が財政に対して非常に残酷な国だ。
高齢化は単なる人数の問題ではなく、制度の設計思想そのものを破壊する。
賦課方式の年金・医療・介護は、現役世代が高齢世代を支える構造だが、現役人口が縮み、高齢人口が増えれば、負担率が上がるか給付が減るかの二択になる。
ここで「成長すれば解決する」という反射神経が出るが、成長率を外生的に願望で決めるのもまた自己放尿である。
成長は政策の掛け声ではなく、生産性上昇の結果としてしか起こらない。
生産性は教育、技術進歩、資本蓄積、企業統治、労働市場の柔軟性、規制構造、そして競争環境の積み重ねからしか生まれない。成長を祈るなら、祈祷師より規制改革のほうがまだマシだ。
そして規制改革という話になると、日本社会はまたしても痛みの受け入れを避ける。
競争は勝者と敗者を生む。市場は効率を生むが、分配の不平等を生む。創造的破壊は技術進歩を促すが、既存産業を壊す。
つまり市場主義を採用するとは、失業、賃金格差、企業淘汰、地域衰退といった摩擦を受け入れることでもある。
市場の自由は長期的には社会を豊かにするが、同時に短期的には痛みが出ることを否定していない。
むしろ、痛みを抑えようと政府が価格統制や産業保護をすれば、情報が歪み、非効率が固定化し、成長が止まる。
「政府介入はだいたい二次被害を生む」という経験則に直結する。
日本の政治経済は、競争の痛みを緩和するために、規制を残し、補助金を配り、産業を守り、雇用調整を遅らせ、そして社会保障で受け止める。
つまり市場の荒波で鍛える社会ではなく、制度の堤防で守る社会を選んでいる。
これは日本人の価値観として一貫している。連帯を重視し、格差を嫌い、共同体の安定を優先する。
だから社会保障を充実させる。これは単なる政策の偶然ではなく、社会的選好の表れだ。
経済学的に言えば、日本はリスク共有と保険の厚みを最大化し、効率性よりも安定性を高く評価する社会的効用関数を採用している。
問題は、その選択をしたなら、そのコストも受け入れろということだ。
高福祉・高負担モデルをやるなら、税負担は上がる。労働供給への歪みも増える。企業の投資インセンティブも下がる。潜在成長率も落ちる可能性がある。
さらに政府支出が増えれば、官僚制が拡大し、レントシーキングの余地が増える。補助金や規制の設計を巡って、政治的な取引が増える。
公共選択論の観点では、政府部門の肥大化は利益集団の固定化と情報の非対称性を通じて、政策をますます非効率にする。つまり、痛みは消えない。形が変わるだけだ。
逆に、小さな政府・市場主義モデルを採用するなら、社会保障の給付は削られる。
競争は激化し、賃金格差は拡大し、生活の不安定性が増す。労働市場の流動化が進めば、雇用保障は弱くなる。
ここで「自己責任社会だ、弱者切り捨てだ」と騒ぐ人が出るが、それもまた議論の本質を外している。
市場主義は倫理の議論ではなく、制度の設計の議論だ。保険を薄くして競争を強め、効率を上げ、成長率を取りに行くという戦略であり、それは確かに痛い。
しかしその痛みを通じて、長期的な所得水準の上昇を狙うのが市場主義の論理である。
財政問題は痛みをゼロにする方法ではなく、どの痛みを採用するかの選択でしかない。
増税反対、給付維持、経済成長、財政健全化を全部同時に叫ぶのは、制約を無視して目的を盛り込んだだけの自己放尿である。
しかもその自己放尿は、選挙で票を取るための麻薬として機能する。
国民も政治家も、現実を直視するより麻薬を欲しがる。これは供給と需要が一致しているので、市場原理的には非常に美しい。悲しいことに。
日本が今選んでいるのは、市場主義の荒々しい競争ではなく、社会保障を厚くして安定を買う道だ。
つまり、競争の痛みを減らし、その代わりに税負担と成長鈍化と制度維持の痛みを引き受ける道である。
しかし現実には、政治もメディアも、選択を選択として語らない。
痛みの話をすると嫌われるからだ。だが、嫌われるから言わないというのは、政策論ではなく人気商売である。
政府は善意で地獄を舗装する。善意で制度を守り、善意で給付を増やし、善意で規制を強め、善意で補助金を撒く。
しかし結果として、価格メカニズムは歪み、生産性は落ち、財政は硬直化し、未来の自由度は奪われる。
制度設計とは、人間が利己的であり、政治家が票を欲しがり、官僚が権限を欲しがり、企業が補助金を欲しがるという現実から出発しなければならない。
聖人が統治する世界を前提にした政策は、現実世界ではだいたい破綻する。
だから、歳入歳出の議論でまず必要なのは、幻想を捨てることだ。
選挙マッチングという仕組みは、一見すると民主主義の効率化装置に見える。
質問に答えれば、自分と政策的に近い政党や候補者がランキングされる。
政治を知らない人にとっては入口になり、情報格差を縮める便利ツールにも思える。
選挙マッチングとは、政策選好の測定装置ではなく、選好の生成装置である。
測っているように見えて、実際には作っている。
つまりこれは、統計的インターフェースを装った政治的誘導であり、より正確に言えば工作のためのプラットフォームになり得る。
工作という言葉を聞くと、多くの人は陰謀論を連想して思考停止する。
単に他者の意思決定を、自分に有利な方向へ動かすための設計を意味する。
広告も、マーケティングも、SNSアルゴリズムも、すべて工作である。
そして政治は消費よりも致命的だ。
つまり、政治における工作は、単なる情報操作ではなく、社会の支配構造を設計する行為になる。
しかしマッチングは、質問項目を通じて意見を低次元のベクトルに圧縮する。
ここで何が起きるか。圧縮とは情報の破壊であり、破壊される情報は設計者が選べる。
つまりマッチングは「この国の政治はこの論点でできている」というフレームを強制する装置になる。
政治とは本質的に「何を議題にするか」のゲームであり、「どう答えるか」は二次的だ。
しかも選挙マッチングは、その世界観を「中立な診断テスト」の形で提示する。
中立に見えることが最大の武器だ。これは医療診断の権威を政治に転用した詐術に近い。
人間は「あなたはこのタイプです」と言われると、それを自己理解として内面化する傾向がある。
つまりマッチング結果は、単なる推薦ではなく、アイデンティティの付与になる。
たとえば「格差を是正するために富裕層への課税を強化すべきだ」という問いは、一見公平に見えるが、すでに「格差は是正されるべきである」「富裕層課税は是正の手段である」という価値前提を埋め込んでいる。
問いは中立な容器ではない。問い自体が論理式であり、前提を含む。言語は常に誘導する。質問を作るとは、政治的現実の記述ではなく、政治的現実の編集である。
ここで「いや、回答者が自由に答えればいいだけだ」と言う人がいる。
しかしその反論は、情報理論的に幼稚である。人間の意見は、質問形式に依存して変化する。
フレーミング効果、アンカリング、選択肢の提示順序、否定形の有無、尺度の粒度。
つまりマッチングは、ユーザーの「元々の意見」を測定しているのではなく、質問に曝された後の「変形された意見」を測っている。
しかもマッチングは、最終的に「あなたはこの政党と一致度85%」のような数値を出す。
ここで人間は数値に弱い。数値が出た瞬間、それは客観的事実のように見える。
だがその85%は、設計者が定義した距離関数の結果でしかない。重み付けを変えれば順位は変わる。
質問の重要度を均等にするのか、特定争点を強調するのか。政策一致をコサイン類似度で測るのか、ユークリッド距離で測るのか。曖昧回答をどう扱うのか。未回答をどう補完するのか。
これらの選択は数学の衣を着た政治判断である。数値は政治的意思決定の上に乗っているだけで、政治判断を消し去ってはいない。
選挙マッチングが工作になる第二の理由は、二値化による思考破壊だ。
政治的問題の多くはトレードオフである。たとえば防衛費増額は安全保障を強めるが財政を圧迫する。
移民受け入れは労働供給を増やすが社会統合コストを伴う。規制緩和は成長を促すが安全性を下げる場合がある。
現実の政治判断は、複数の目的関数の同時最適化であり、パレートフロンティアの上での選択である。
ところがマッチングは、これを「賛成か反対か」の単純なビット列に変換する。
つまり政策を理解する能力ではなく、反射神経を測るテストになる。こうして政治が「道徳クイズ」へ堕落する。
利害調整、官僚機構の制御、外交交渉、予算編成、法案作成、危機対応。政策は宣言であり、実務は別物だ。
マッチングはこの現実を完全に無視し、「政策の一致度」という最も分かりやすい幻想だけを見せる。
これは、料理を評価するのにレシピだけを見て、調理人の腕も厨房の設備も無視するようなものだ。
ランキングは、人間の意思決定を強制する。上位にあるものは正しい気がする。これは認知心理学のヒューリスティックであり、探索コストを減らすために人間が採用する合理的なバイアスだ。
マッチングはこのバイアスを利用し、ユーザーの投票行動を数候補への収束に導く。
これが何を意味するか。選挙マッチングは、選挙市場における需要の誘導装置になる。検索エンジンの上位表示が商業を支配するのと同じ構造が、民主主義に侵入する。
そして最も危険なのは、マッチングの背後にある主体が不透明な点だ。
誰が運営しているのか。資金源は何か。質問は誰が決めたのか。政党の回答はどのように取得し、検証し、更新しているのか。候補者が嘘をついた場合にどう扱うのか。アルゴリズムは公開されているのか。重み付けは固定か。ユーザー属性に応じて変わるのか。
これらがブラックボックスなら、それは政治的レコメンドエンジンであり、事実上の選挙介入である。
しかもSNSのように露骨ではない。教育的ツールを装っている分、遥かに強い。
重要なのは機能である。システムが特定方向への誘導を内蔵しているなら、それは工作機械である。
旋盤が意図的に金属を削っているかどうかなど問題ではない。削る機能があるから旋盤なのだ。
同様に、選挙マッチングは意見を削り、争点を削り、候補者を削り、最終的に投票行動を削り出す。これは政治のCNC加工機である。
もしユーザーの回答履歴が蓄積されれば、政治的クラスタリングが可能になる。年齢、地域、職業、関心領域、回答パターンから、政治的嗜好の潜在変数が推定できる。
これは推薦システムの典型的応用であり、NetflixやAmazonがやっていることと同じだ。
すると次に起きるのは、パーソナライズされた政治誘導である。あるユーザーには経済政策を前面に出し、別のユーザーには治安を前面に出す。質問の順番を変え、回答を誘導し、結果を最適化する。
つまり「あなたの性格に合わせた政治プロパガンダ」が自動生成される。これはもう民主主義ではなく、行動制御の最適化問題である。
ここで反論が出る。「それでも政治に無関心な層が投票に行くならプラスでは?」。
だがこの反論は、民主主義を単なる投票率競争に矮小化している。
無関心層を動かすこと自体が善なのではない。どう動かすかが本質だ。
誘導された意思決定は、意思決定ではなく条件反射である。民主主義は、条件反射の総和を集計するための制度ではない。少なくとも理念上は。
選挙マッチングの最大の罪は、「政治とは何か」という理解を誤らせる点にある。
政治は、単なる政策の一致ゲームではない。政治とは、価値観の衝突を制度の中に封じ込め、暴力なしで調整する技術である。
さらに言えば、政治は時間軸を含む。短期の人気政策と長期の持続可能性は対立する。
インフレ抑制と景気刺激は対立する。社会保障の拡充と財政規律は対立する。現実は多目的最適化であり、単一の正解はない。
ところがマッチングは「あなたの正解」を提示してしまう。この瞬間、政治は宗教化する。正解があると思った人間は、対話をやめ、敵を作り、道徳で殴り始める。
そして皮肉なことに、選挙マッチングは中立ツールを装うことで、政治的責任を回避する。
推薦した結果が社会を破壊しても、運営者は「我々はただの情報提供をしただけ」と言える。
しかしそれは、銃を売った者が「撃ったのはあなた」と言うのに似ている。形式的には正しいが、本質的には責任逃れである。推薦とは介入である。介入は責任を伴う。
選挙マッチングは、政治の理解を深める装置ではなく、政治の複雑性を圧縮し、認知バイアスを利用し、意思決定を誘導する装置である。
ゆえにそれは工作である。工作とは「誰かが裏で悪意を持って操っている」という陰謀の話ではない。設計された情報環境が、個人の選択を体系的に変形するという、構造の話だ。
そして現代社会において最も危険な工作とは、強制ではなく、便利さとして提供される。
人は鎖で縛られるより、最適化されることを好む。摩擦のない誘導は、抵抗されない。選挙マッチングが普及すればするほど、人々は自分の政治的意見を「診断結果」として受け入れるようになる。
そうなったとき民主主義は、熟議ではなくレコメンドによって動く。これは政治の消費化であり、最終的には政治そのものの死である。
フリードマンが厚生経済学の基本定理に対して言いそうな指摘は、だいたい次の一点に収束する。
理由は、基本定理が成立するための前提が、現実では政策が介入したい領域ほど崩れているから。
フリードマン的に言うと、厚生経済学は「市場が理想的に動くなら効率的」という話をするが、現実の政策問題はむしろ
みたいな、定理の前提が崩れる部分で起きる。
さらにフリードマンは、第二基本定理が言う「最初に一括再分配をしてから市場に任せろ」という構造を、かなり疑う。
なぜなら一括再分配なんて現実にはほぼ不可能で、再分配政策は必ず労働供給や投資インセンティブを歪めるから。
だからツッコミは「効率と公平を分離できるという話は、現実にはその分離を実装できない。政府はそんなに賢くも中立でもない。」となる。
要するに、厚生経済学の基本定理は市場礼賛の数学ではあるが、本当に重要なのはその後で、
フリードマンは基本定理を「理論としては正しい」と認めた上で、政策的含意を過大評価するな、そして「政府をブラックボックス扱いする厚生経済学は危険だ」と刺すだろう。
サプライサイド経済学というのは、表向きは「成長の源泉は供給能力だ」「税を下げて労働・投資のインセンティブを回復させろ」という、いかにも正しそうな顔をしている。
だが現実の政策運用では、これはしばしば理論の皮を被った政治的アリバイ装置に堕して自己放尿している。
つまり「減税したい」「規制緩和したい」という結論が先にあり、その正当化のために供給側という言葉が貼られているだけだ。
そしてこの手の政策がインフレ局面で何をするか。ここが本題だ。インフレを自分の責任として引き受けず、外部ショックに責任転嫁し、金融要因を直視せずに逃げる。
インフレの本質はきわめて単純だ。インフレとは「貨幣の購買力の低下」であり、長期的・持続的な物価上昇は、結局のところマネーサプライの過剰成長によってしか説明できない。
貨幣数量説を教科書の古典として片付けるのは簡単だが、現実は古典がしぶとい。
なぜなら貨幣は取引の潤滑油であり、供給を過剰にすれば、最終的に価格体系そのものを歪ませるからだ。
貨幣を増やして、物が増えないなら、価格が上がる。これを否定するのは、重力を否定するのと同じ種類の幼稚さだ。
サプライサイド経済学が問題なのは、「供給を増やす努力」それ自体ではない。
供給能力を拡張する政策は、本来は重要だ。資本蓄積、技術進歩、労働参加率、規制コスト、税制の歪み、こういう話は全部まともだ。
だが、インフレ局面でそれを万能薬のように唱え、金融的現実から逃げる瞬間に、理論は自己放尿へと変質する。
供給制約があるなら、供給を増やすべきだろう。しかしそれはインフレの主原因の説明ではなく、一部の緩和策でしかない。ここを混同するのは知的怠慢であり、政治的欺瞞だ。
しかも、連中がやる典型的なムーブがある。マネーサプライがインフレの原因であるのに、ウクライナだの、輸入物価だの、エネルギー価格だのに責任転嫁して自己放尿する。
もちろん戦争が供給ショックを起こすことはある。輸入物価が上がれば短期的に物価は上がる。
だがそれは「物価水準の一回限りのジャンプ」を説明するだけだ。持続的なインフレ率、つまり上がり続ける現象は、貨幣の過剰供給がなければ維持できない。
にもかかわらず、政治はこの混同を利用する。供給ショックを口実にすれば、中央銀行と政府の金融・財政の共同責任を曖昧化できる。
つまり「インフレは外生的だ」「我々は被害者だ」「戦争が悪い、国際情勢が悪い」と言いながら、裏では金融緩和と財政膨張を続けてダブル放尿する。
これは政策当局の典型的な責任回避ゲームだ。貨幣を増やしている側が、原因を外に投げる。
国民は複雑な説明を好む。「海外要因のせい」と言われたほうが納得しやすいからだ。
こうして、通貨価値の毀損は“不可抗力”として処理される。要するに、責任を取らずに済む。
善意だろうが悪意だろうが関係ない。貨幣を増やせば、遅れて物価が上がる。
しかも遅れて上がるから政治家は調子に乗る。短期では景気が良くなったように見える。
雇用が増えたように見える。資産価格が上がる。だから選挙に勝てる。
ここで政治が学習するのは、「貨幣を増やすと一時的に気持ちいい」という事実だ。
麻薬と同じだ。そして副作用としてインフレが来る頃には、原因は別の誰かに押し付ける。
これが政治経済学の基本構造だ。人間は合理的だが、責任を負うようには合理的ではない。
サプライサイドがこのゲームに加担するのは、「供給を増やせばインフレは起きない」という幼稚な物語を提供できるからだ。
減税して投資が増える、労働供給が増える、生産性が上がる、だから物価は上がらない。
これ自体は条件付きで一部正しい。だが、現実には供給の反応は遅い。
政治の時間軸と市場の時間軸は違う。設備投資には時間がかかる。労働参加率の変化も遅い。規制改革も遅い。技術進歩などもっと遅い。
にもかかわらず、貨幣供給の拡大は今すぐできる。財政赤字の拡大も今すぐできる。金融緩和も今すぐできる。といって自己放尿する。
つまり政策当局がやっているのは、遅い供給改善を口実にして、速い貨幣膨張を正当化することだ。これは構造的に詐欺的にならざるを得ない。
そして当然の帰結として、価格シグナルが壊れる。価格とは情報だ。価格は希少性を伝える信号であり、市場参加者の分散情報を統合する計算装置だ。
だがインフレが起きると、価格は「相対価格の変化」と「貨幣価値の変化」が混ざったノイズになる。
企業は需要増なのか通貨安なのか判別できない。労働者は実質賃金が上がったのか下がったのか分かりにくくなる。
こうして誤配分が起きる。ミスアロケーションだ。資本が生産的用途ではなく、インフレヘッジの投機に吸い込まれる。
住宅、土地、株式、あらゆるものが価値保存の器として買われる。市場は本来の機能を失い、ただのインフレ回転装置になる。
この状態で「減税すれば供給が増えて解決だ」と言うのは、火事の中でガソリンを撒きながら「いや、建物の耐火性能を上げれば大丈夫」と言っているようなものだ。
耐火性能の議論は重要だが、今燃えてる火を無視してる。燃料の供給を止めろ。貨幣の供給を止めろ。インフレ期待を潰せ。実質金利を正常化しろ。これが先だ。
順序を間違えるな。順序を間違えるのは無能か、あるいは意図的な詐欺だ。
ここでサプライサイド派がよく使う逃げ口上が「インフレは一時的だ」「供給制約が解消すれば下がる」だ。
これもまた、政治的に便利な麻酔薬だ。だがインフレ期待というのは、そんなに素直に消えない。
人々が「どうせまた通貨を薄める」と学習した瞬間、賃金交渉も価格設定も前倒しでインフレを織り込む。
これが自己実現的にインフレを固定化する。金融当局が信頼を失った経済では、インフレは単なる物価上昇ではなく、制度への不信の表現になる。つまり、通貨が信用を失う。
なぜなら改革をしているフリをしながら貨幣膨張を続ければ、改革への信頼まで毀損するからだ。
減税も規制緩和も、本来は市場メカニズムの復権のためにあるはずなのに、インフレを伴うと単なるポピュリズムに見える。
市場派が市場派であることをやめる瞬間だ。これが思想の腐敗でなくて何だ。
サプライサイド経済学が自己放尿する最大のポイントは、「供給能力を上げる」という正しいテーマを掲げながら、「貨幣供給の過剰」という不都合な真実を直視せず、外部要因に責任転嫁し、政治の短期利益に奉仕することだ。
ウクライナ、輸入物価、エネルギー価格のトリプル放尿で責任を散らし、マネーサプライの増加という核心から逃げる。
市場は強い。だが市場が強いのは、価格が情報として機能し、貨幣が安定している場合に限る。
通貨価値を政治が破壊すれば、市場は情報処理装置として壊れる。
貨幣をまともにできない政権が、供給改革などできるわけがない。できるのはスローガンの量産だけだ。
インフレは天災ではない。インフレは制度の失敗であり、政策の失敗であり、何より責任逃れの帰結だ。
サプライサイド経済学がもし本当に供給能力の拡張を語るなら、まず通貨の安定を前提条件として守れ。
外国人政策はまず道徳でも情緒でもなく、価格メカニズムとインセンティブ設計の問題だ。
日本の議論はここが弱い。人手不足だから入れる、かわいそうだから助ける、国際化だから歓迎する、治安が不安だから締める、こういう気分ベースの裁量行政は、典型的な政策の自己放尿だ。
善意で動いてるつもりが、結果として市場のシグナルを壊し、労働市場を歪め、納税と社会保障の収支を崩し、最後に政治コストとして自己放尿する。
つまり「移民を入れても入れなくても地獄」ではなく、「裁量でやると必ず地獄」って構造になっている。
国家がやるべきことは好きか嫌いかではなく、制度を通じて外部性を内部化することだ。
移民が増えると、賃金に下押し圧力が出る職種がある。住宅、医療、教育、治安、行政コストも増える。
逆に、生産性、起業、税収、人口構造の改善、介護労働供給といった便益も生まれる。
重要なのは、これらを空気で処理して自己放尿せず、価格と契約で処理すること。
政府が市場の代わりに配分を決めた瞬間に、情報の集約装置としての市場を破壊し、レントシーキングを誘発する。
移民政策はまさにレントの温床になりやすい。技能実習みたいな中途半端な制度が腐るのは、制度が労働市場を自由化するのではなく、政治的に管理して供給を割り当てているからだ。
ここで規制が厚いほど仲介業者と官僚機構が太り、移民本人は交渉力を失う。これは弱者保護の顔をした搾取装置で、規制が生んだ闇市場の自己放尿だ。
処方箋は冷たいくらい単純で、入国の条件と滞在の条件を市場互換のルールに変換することになる。
つまり、曖昧な情緒審査ではなく、労働契約・納税・保険加入・犯罪リスク・教育コスト負担などを定量的に制度化し、移民が生む外部性に対して事前に担保を取る。
これをやらずに「人手不足だから無制限に入れます」は、社会保障のフリーライドを誘発するし、逆に「怖いから締めます」は労働供給制約で国内産業の競争力を落とす。
どっちも非効率で、政治の人気取りが経済合理性を食い潰して自己放尿する。
ここで日本がやりがちな最悪手が、低賃金労働者を大量に入れる一方で、住宅・教育・医療・地域治安のキャパシティ制約を放置し、企業側には安い労働力の補助金を与え、自治体には現場丸投げをすることだ。
これはまさに、労働市場の自己放尿と社会保障の自己放尿のダブル放尿になる。
結果、住民は不満を持ち、移民は搾取され、企業は生産性向上をサボり、政治は分断される。
全員が損する、珍しいタイプの完全市場失敗を政府が手動で作る。
重要なのは移民が必要かではなく、国内企業が低生産性のまま生き残る仕組みを温存してないかだ。
移民受け入れを、単なる人手不足対策として使うと、企業は設備投資や自動化や賃上げを回避できる。
これは安い労働力による技術進歩の抑制で、長期的には国全体のTFP(全要素生産性)を殺す。
つまり移民政策は、労働市場の短期安定化と引き換えに、成長率を削る麻薬になり得る。
俺が嫌うのはこういう短期の政治的最適化が長期の市場秩序を破壊して自己放尿する構図だ。
日本の外国人政策は、感情で開けたり閉めたりする水門政治をやめて、ルールベースにするしかない。
ならば、政府は賃金・納税・保険・犯罪抑止の枠組みだけを整備し、あとは裁量を減らして透明に運用するべきだ。
問題は移民ではなく、移民を政治の玩具にする自己放尿制度そのものだ。
リフレ派の議論は、表向きは景気を回復させるための合理的金融政策を装っている。
しかし実態は、貨幣の価値という社会の基盤を削って短期の快楽を買う、典型的な自己放尿である。
フリードマンが繰り返し言ったのは、インフレとは道徳問題でも精神論でもなく、貨幣現象だということだ。
つまり物価が上がるかどうかは、根性でも国民性でもなく、制度設計とインセンティブ構造の帰結である。
ここを理解しない政策は、どれだけ善意で飾っても経済学的にはただのノイズであり、最終的には国民の購買力を破壊し自己放尿する。
日本がこれから直面しうるのは、「需要が足りないから財政で押し上げる」という単純化された世界観が、期待形成に殴られて崩壊する自己放尿だ。
インフレは静かに始まり、ある瞬間から臨界点を超えて、貨幣需要の崩壊とともに加速する。
そしてその時、リフレ派はいつものように言うだろう。「想定外だった」と。
問題の連鎖は単純だ。にもかかわらず、政治はこれを「景気刺激策」という包装紙で包み、国民に配布する。
減税する。税収が減る。だが歳出は減らない。むしろ選挙インセンティブのもとで増える。
そして次の段階に進む。
日銀が吸収する。つまり中央銀行が国債を買い取り、政府債務を事実上マネタイズする。
国債買い入れでベースマネーが増え、銀行システムを通じて信用創造が増幅され、結果としてマネーサプライ増加が起きる。
そしてフリードマン的には、ここから先はもはや議論ではない。恒等式と確率の世界だ。
貨幣価値が下がれば、同じ商品を買うのにより多くの円が必要になる。つまり物価増加が起きる。
この連鎖は、願望で止められない。
政治家がマイクで叫んでも止まらない。新聞が「インフレは一時的」と嘘を書いて自己放尿しても止まらない。
だが深刻なインフレの本体は、需要増ではない。貨幣需要の崩壊だ。
国民が円を持ちたがらなくなる。企業が円建て長期契約を嫌がる。労働者が賃上げ要求を強める。
輸入業者が先回りして価格を上げる。資産家が外貨や実物資産に逃げる。
このとき物価は上がるのではない。円の価値が下がるだけである。
インフレ期待がインフレを生み、そのインフレがさらに期待を押し上げる。
これは合理的行動だ。誰も損したくないから、先に値上げし、先に買い、先に逃げる。
この時点で政府ができるのは、金融引き締めか、歳出削減か、信用回復のための痛みを伴う制度改革しかない。
リフレ派がよく使う詭弁に、「日本は自国通貨建て国債だから財政破綻しない」というものがある。
この言い方は、形式的には正しい。日本政府は円を発行できる。だから名目上の債務不履行(デフォルト)は避けられるかもしれない。
しかしフリードマン的に重要なのは、デフォルトの形態は一種類ではないという点だ。
政府が返済不能になったとき、紙面上は返せる。なぜなら通貨発行で返済できるからだ。
だがその瞬間、実質的には国民の購買力が毀損される。つまりインフレ税という形で、国民から徴収する。
これは「破綻していない」のではなく、破綻を「通貨価値の下落」という形で実行しただけだ。
これが金融抑圧であり、インフレ課税であり、事実上の資産没収である。
破綻しない?
最大の問題はここにある。財政と金融の境界が溶けた瞬間、中央銀行は「物価安定の番人」ではなく「政府債務の処理係」になる。
「政府は歳出を削らない。日銀が支える。だから国債は安全だ。だがその安全性は貨幣価値を犠牲にしている。」
この理解が広まると、国債の信用は保たれるかもしれない。だが円の信用は落ちる。
そして本当に恐ろしいのは、インフレが進んだ後に引き締めをやろうとすると、国債金利が上がり、利払い費が増え、財政がさらに悪化する点だ。
つまり日銀は、インフレを止めるために金利を上げると政府を殺し、政府を救うために金利を抑えると通貨を殺す。
そしてこの状況は、政策の失敗ではなく、最初から制度設計の帰結である。
ここで多くの人が短絡的に言い出す。「じゃあ増税すればいい」と。
増税は、財政を健全化するどころか、政治経済学的には逆の方向へ向かう可能性が高い。
なぜなら増税とは、「政府がもっと使える余地」を与える行為だからだ。
「税を上げれば金が取れる。なら歳出を削る必要はない。」
すると歳出は固定化され、既得権益が制度として結晶化し、公共選択論が示す通り、予算は削れない構造になる。
さらに悪いことに、増税で景気が悪化すれば税収は伸びず、結局また国債発行に戻る。つまり、
増税 → 成長率低下 → 税収鈍化 →国債発行 →日銀吸収 →インフレ圧力
結局、政府債務を増やし続ける構造が変わらない限り、増税は「健全化」ではなく「延命治療」にしかならない。
延命治療は医療では尊いこともあるが、マクロ政策では単に時間を買うだけだ。そして買った時間で政治が改革する保証はない。むしろ改革しない確率が高い。
インフレを語るとき、リフレ派は「需要ギャップ」や「潜在GDP」を持ち出す。
だがそれらは観測不能であり、推計モデル依存の幻影でもある。そこに政策の正当性を置くのは危険だ。
重要なのは、政策当局がコントロールできる変数と、できない変数を区別することだ。
政府が確実に増やせるのは支出だ。日銀が確実に増やせるのはマネタリーベースだ。だが経済成長や生産性は、命令で増えない。
だから「金融緩和すれば成長する」という発想は、因果を逆に見ている可能性がある。
成長するから貨幣需要が増え、結果としてマネー供給が吸収され、インフレが抑制されるのであって、貨幣を増やせば成長するとは限らない。
貨幣供給を増やしても、資本蓄積と技術革新と労働供給が増えなければ、ただの通貨希薄化で終わる。
リフレ政策の本質は、短期的な快感のために長期の制度を犠牲にすることだ。
しかも犠牲になるのは抽象的な制度ではない。国民の生活そのものだ。
貨幣価値の放尿、財政規律の放尿、中央銀行独立性の放尿。つまり、「貨幣、財政、制度のトリプル放尿」である。
中央銀行の独立性が壊れれば、インフレを止める最後の手段が失われる。
この三つは別々の問題ではない。相互に補強し合う。悪い意味でのシナジーを持つ。
インフレが進むと、賃金は追いつかない。追いついたとしても遅れる。結果として実質賃金は落ちる。生活水準が落ちる。格差が広がる。
インフレは税制上、資産を持つ者に有利で、現金労働者に不利だ。インフレは見えない再分配装置であり、政治が選挙で決めたわけでもない所得移転を勝手に起こす。
長期雇用、年金、保険、貯蓄、国債、家計設計。これらはすべて「通貨が安定している」という前提で成立している。通貨の信認が揺らぐと、社会の基盤が揺らぐ。
そして一度壊れた信認は、戻らない。戻すには時間と痛みがいる。これは歴史が何度も証明している。
「減税して景気を良くする」「国債を出して支える」「日銀が買えば問題ない」
この一連のストーリーは、現実の制約を無視した願望のパッケージだ。
減税 →国債発行 →日銀が吸収 →マネーサプライ増加 →貨幣価値低下 →物価増加
だが同時に、「増税すればいい」という発想も救いにはならない。
歳出が固定化し、政治が改革を回避し、借金を借金で返す構造が温存される限り、結末は変わらない。
問題は税率ではない。
問題は「支出を削れない政治」と「貨幣発行でそれを隠蔽できる制度」だ。
リフレ派がやっているのは、景気刺激ではない。
これもっと知られるべきと思うんよなあ
Goodhart & Pradhan(2020)
“The Great Demographic Reversal: Ageing Societies, Waning Inequality,and an Inflation Revival” を、学術的に・構造的に解説します。
「少子高齢化は前期デフレ、後期インフレ」という命題を最も明示的に提示した代表的著作です。
Charles Goodhart
Manoj Pradhan
📌中央銀行の内側にいた人物が「インフレ復活」を真正面から論じた点が、この本の重みです。
彼らが反論している通念はこれです:
・高齢化=需要減・人口減少=デフレ・技術進歩=永遠の低インフレ
Goodhart & Pradhan はこれを
「過去40年の特殊な人口ボーナスを普遍法則と誤認している」
によって、
数十億人規模の労働供給が一気に市場に参入
📉
これが
をもたらした。
若年層が少なく需要が弱い
➡ 貯蓄超過
➡ 低金利
高齢者が貯蓄を取り崩す
➡賃金上昇
📌彼らは明確にこう述べます:
“Demographywill turn frombeing disinflationary to inflationary.”人口動態はデフレ傾向からインフレ傾向に変わるだろう。
通常の経済学:
Goodhart & Pradhan:
➡賃金は下がらない
これは中央銀行にとって非常に厄介。
高齢化後期では:
社会保障
を削れない。
➡国債増発
彼らは、
理由は3つ:
労働力不足は不可逆
➡一時的ショックではなく
2020年代以降は後半戦に入りつつある
📌この本は、のちの
彼らは
ただし、「人口動態という制約条件を無視したモデルは現実を誤る」と主張します。
学界での主な反論:
高齢者は本当に取り崩すのか?
👉Goodhart & Pradhan は
「完全には相殺できない」
この本は
過去40年のデフレを“例外”と位置づけた人口動態はデフレ →インフレへ反転する日本はその最前線
少子化→労働力減→労働力維持のためには労働参加率(特に女性・高齢者)の引上げが不可欠。しかし女性の就労拡大は「仕事と子育ての両立」を前提とし、そのためには職場近接性(/通勤負担の軽減)や保育サービス、住まいの確保が重要。ところが都心(特に東京23区中心部)の住宅価格・地価は非常に高く、一般の子育て世帯が都心に住めない現実がある。結果として「都心で働く ⇄都心に住めない ⇄ 長距離通勤・子育て負担増 ⇄出生率低下」という負のループが生じ、政策的にトレードオフ(=トリレンマ)を生んでいる。以下、事実・統計と研究結果で裏付けます。
2024年の出生数は約 686,061人(68.86万)、合計特殊出生率(TFR)は 1.15 と過去最低を更新。自然増減は大幅なマイナス(多死少子)。
女性の就業者数・参加は増加傾向にある(近年の女性の15〜64歳就業率は70%台に上昇し、M字カーブは薄れている)。政府統計でも女性雇用者数は増加。労働参加率を上げることで労働供給の減少をある程度相殺できる。
保育所等の利用定員は約 3,030,000 人規模(定員充足率は約88%前後)。待機児童は年により減少傾向だが地域差は大きく、地域によっては依然として保育の受け皿不足が存在する。
中央・都心部(東京23区中心)の**分譲マンション平均価格は1億円台(例:2024年は約1.12億円)**と高水準で、一般的な子育て世帯が手軽に都心居住できる水準ではない。地価上昇も続いている。
職場と居住地の距離(通勤時間)は世帯の時間配分に影響を与え、長時間通勤は家事・育児時間を圧迫する。複数の研究で、職場近接やテレワークの導入が出産・就業継続に好影響を与える可能性が示唆されている。
日本は「少子化で労働力が減る →労働化率を上げる必要がある →労働化率向上は仕事と子育ての両立が前提 → その両立に都心居住(職場近接)や保育・柔軟な働き方が寄与する」が現実。だが都心の住宅コスト上昇が多くの若い世帯の都心居住を阻み、長時間通勤や育児負担を生み出しているため、ここに放置されたままでは「労働参加率を上げても出生率は回復しない」おそれがある――これがトリレンマの本質です。政策は(A)保育・働き方、(B)住宅政策、(C)雇用の地域分散を同時並行で扱う必要があります。
了解。議論の流れを踏まえ、あなたの主張(「外国人労働者なしで“管理された縮小”は可能」)の中核仮説を、データで一点ずつ崩します。結論から言うと、あなたの主張は①“圧縮のコストと時間”を過小評価し、②“人手の下限”がある領域(介護・インフラ・防衛・エネルギー)を技術だけで短期に置換できると誤信し、③外部依存(食料・エネルギー・外貨)の現実を無視しています。政策論としては実装不能な楽観です。
あなたの主張は「都市統合・生活圏圧縮」で“均衡”を保てると主張しますが、固定費は連続的に下がらない。交通・上下水・医療・学校・消防などは一定需要を割ると一気に維持不能になりやすく、路線廃止や病院撤退が誘発する“サービス消失→転出→税基盤縮小”のスパイラルが起きます(国交省の白書も、人口減少下のネットワーク脆弱化を前提に課題を整理)。 ([国土交通省][1])
「平成の大合併」の学術検証でも、合併で必ずコストが下がるとは限らない、短期はむしろ支出増、長期も項目によって増減が割れる等の結果が反復して報告。統合=節約は近似であって恒真ではない。つまり「密度再編すれば固定費が下がる」は一般化の誤りです。 ([J-STAGE][2])
厚労省の最新推計:介護職員は2040年度に約272万人必要(22年度比+約57万人、年+3.2万人ペースでの純増が必要)。現実は離職超過や採用難が強まり、介護は1応募に4.25求人という“超売り手市場”のケースも報じられています。不足の山は2030年代半ばに顕在化します。 ([厚生労働省][3])
OECDやILOのレビューは、ケア領域は人間接触・判断・倫理の比重が高く、ロボティクスやAIの代替は限定的で実装にも時間がかかると整理。生成AIで事務軽減はできても対人ケアの主工程は当面人が必要です。 ([OECD][4])
産業側でもロボット密度は世界的に急伸中ですが(IFR)、増設は主に製造現場。あなたの主張が要の介護・医療・運輸サービスは自動化難度が高い領域です。“質的転換で穴埋め”は2030sのピーク需要に間に合わない。 ([IFRInternational Federation of Robotics][5])
日本の就業率はこの10年で女性・高齢者ともに大幅に上昇。今後も改善余地はあるが、弾は既に相当使っている。OECDやJILPTも、日本の人手不足は“長期・構造的”と評価。女性・高齢者の追加動員“だけ”で需給を均すのは難しい。 ([JIL労働政策研究・研修機構][6])
OECDは明確に、「女性・高齢者の就労促進に加えて、外国人労働者のより大きな活用が不可欠」と勧告。あなたの主張はこの国際的なベースラインを外している。 ([OECD][7])
日本は食料自給率(カロリー基準)38%。残りを輸入に頼る構造は不変で、価格ショックに脆い。輸入代金の原資となる外貨獲得は規模が要る。“縮小+内需シフト”は、食とエネの輸入価格変動に晒されやすくする。 ([農林水産省][8])
エネルギー自給もOECD下位の水準。再エネ・原子力の拡大方針は進むが、当面はLNGなど化石燃料が必要。地政学次第でコスト高リスクは常在。輸入代替が進むまでの移行期は外貨の厚みが防波堤になります。 ([Reuters][9])
無人機・AI化はトレンドだが、整備・補給・サイバー・指揮統制など人員需要は不可避。装備の国産化・共同開発にも裾野人材と企業群が要る。人口と人材の最小密度を割る縮小は、維持費の単価上昇と技術の途切れを招きがち。ここを外国人高度人材まで閉じるのは自縄自縛。〔※エネルギー安保と同様、移行期の脆弱性は高い〕(政策白書・エネルギー構成の記載参照)。 ([Reuters][9])
在留外国人は376万人(2024年末)。内訳は「永住」「技術・人文知識・国際業務」「特定技能」「留学」などに分散し、技能・専門に紐づく制度設計が中心。一律の“安価な労働大量投下”という描写は実態とズレる。 ([法務省][10])
有効求人倍率は直近でも1.2倍前後の張り付き。構造的な人手不足が続いており、賃上げと自動化を促す圧力は弱まっていない。むしろ企業は賃上げ・投資・定年延長を同時進行。受け入れ=改革を止めるという単純因果は成り立たない。 ([JIL労働政策研究・研修機構][11])
人口構造の確定性(IPSS):2050年代に1億割れ、2070年8700万人規模、65歳以上が約4割の高齢社会。現役世代急減は避けられない。圧縮・自動化は必要だが、需要のピーク(介護・医療・インフラ更新)が先に来る。 ([情報処理推進機構][12])
だからこそOECDは、「女性・高齢者活用に加えて移民(外国人労働)」と複線を勧告。“技術と圧縮だけ”に賭ける単線は、移行期リスク(サービス崩壊・地域消滅・外貨不足)を無担保で抱える。 ([OECD][7])
私の主張が示した筋に沿い、単線(自動化・圧縮のみ)ではなく複線でリスクを分散すべきです。
日本が取るべきは、圧縮×自動化を前進させつつ、管理された受け入れを“保険”として併走させる複線戦略である。単線はリスク集中、複線はリスク分散。これが現実的な均衡です。 ([厚生労働省][3])
ブコメやトラバに散見される「外国人を入れるから日本人の賃金が上がらない」「そんな会社は潰れればいい」といった主張。率直に言って、それ、経済としてかなり雑。
制度運用のまずさや個別の不正はもちろん是正すべきだけど、議論を“原理”レベルにまでざっくり落として整理してみる。
単純な時給の見比べで「安い」と即断するのは間違い。企業が負担するのは賃金だけじゃない。実務で発生する総コストはだいたい次の足し算だ。
・就労資格管理・法令対応(書類、更新、監査対応の事務コスト)
・言語・業務トレーニング(OJTの延長、通訳配置、マニュアル整備)
・離職・帰国リスク(短期で入れ替わると採用・教育が再度かかる)
時給が同じでも、これらを積み上げると総コストはむしろ割高になる局面が珍しくない。
にもかかわらず企業が受け入れるのは、「人が来ない(応募ゼロ)」という数量制約を解消できるから。
価格(賃金)より数量(確保できる人手)のボトルネックが効いているという理解が先。
「淘汰されるべきゾンビ企業」をなくせば生産性は上がる、という話はマクロの教科書にある。
ただし現実の現場は、介護・建設・農業・外食・物流のような需要が日常的で代替しにくい分野が多い。ここで雇用を一気に消せば何が起きるか。
・介護:入所待ちが延び、家族の介護離職が増える(世帯所得の目減り)
・農業:収穫期の人手不足=出荷量減→価格上昇(食品価格の押し上げ)
要するに、企業の退出は「価格上昇」や「サービス縮小」という形で私たちの生活に跳ね返る。
退出を促すのが正しい分野もあるが、「人手が足りないから外国人に頼っている」タイプの仕事は、退出=社会的機能の喪失になりやすい。
“いつでも”そうなるわけではない。給与は「生産性×交渉力×市場の需給」で決まる。外国人の増加が賃金に与える効果は、代替関係か補完関係かで変わる。
・補完の例:
介護現場で基礎業務を担ってもらう→日本人職員は記録・家族対応・加算取得など高付加価値業務の比率が上がる→組織全体の生産性が上がり、昇給余地が生まれる。建設でも同様に段取りや重機オペに日本人が集中できる。
・代替の例:
完全に同じ仕事を同じ条件で取り合うなら下押し圧力が出る。ただしこれは“違法・不適正な低賃金”が放置されている場合に強い。
対処法はシンプルで、同一労働同一賃金の厳格運用、最低賃金・労基法の監督強化、仲介手数料の透明化・上限など「ルールの執行」。受け入れ停止ではなく、待遇の底上げと平準化が筋。
現実には、人手不足が恒常化している職種では、受け入れによって「賃金は維持〜やや上昇、サービス崩壊は回避」という結果になりやすい。賃金を押し上げるには、受け入れを止めるより、付加価値を高める投資(DX・装備更新)とルールの下支えのほうが効く。
厳密な統計は置いて、粗いマクロの感触だけ掴むための思考実験。以下は“仮定”の数字。
仮定A:外国人労働者のシェアを全就業の3%とする(実際は職種によって偏在)。
仮定B:該当職の労働供給の賃金弾力性を0.2(賃金10%上げて労働供給が2%しか増えない、というイメージ)と置く。高齢化が進む現状では保守的に低めの値。
目的:同じ生産量を保つために必要な賃金上昇率(Δw/w)をざっくり求める。
必要な賃金上昇率 ≈シェア ÷弾力性 = 0.03 ÷ 0.2 = 0.15(=15%)
→物価やサービス価格に広く押し上げ圧力。とくに人件費比率の高いサービスは直撃。
必要な賃金上昇率 ≈ 0.15 ÷ 0.2 = 0.75(=75%)
→現実的にそこまで上げても人が来ない可能性が高い(地理・時間帯・体力要件)。結果はベッド削減・待機増・家族負担増に。
必要な賃金上昇率 ≈ 0.10 ÷ 0.2 = 0.50(=50%)
波及:
物流・建設の遅延=あらゆる産業のコスト増 →さらに価格へ。賃金は名目で上がっても、実質所得(物価を差し引いた手取り感)はむしろ悪化しうる。
1.同一労働同一賃金の徹底+監督強化(違反には実効ある罰則)。
3.日本語・技能トレーニングへの公的支援(現場の生産性を直に上げる投資)。
4.自動化・省力化投資の加速(“人にしかできない部分”を厚くする)。
5.在留資格の明確化とキャリアの見通し(短期回転を減らし、教育投資が回収できる関係に)。
受け入れを「止める/入れる」の二択にせず、“入れるなら同じ土俵で”を徹底しつつ、同時に生産性を底上げする。これが賃金を上げつつ、サービスの崩壊も避ける、一番現実的な線だと思う。
まとめると――
「安いから使ってる」ではなく「人が来ないから使ってる」が先にあり、ルールの執行と投資こそが賃金とサービスの両立を可能にする。
移民を入れることで新たに発生する仕事はあるが、それに必要な人手を上回る数の移民をさらにいれるのだからマイナスにはならんよ
建国以来の米国や20世紀後半の欧州、加、豪など今更例を挙げるまでもないが、これらの国が経済成長できたのは移民によって労働供給の制約を解消したからに他ならない
仮にそれらの国々が移民を受け入れなかったら欧州各国は自国の復興すらままならなかっただろうし、カナダもオーストラリアも原野のまま、アメリカが覇権国になることもなかった
ヒトが足りないと社会を維持することすらままならんのだよ
低級な労働者を追い出そう、高度な労働者を厳選しよう、などという発想は労働力過剰になったときだけに生まれる贅沢な悩みってことだ
元の主張は「人手不足ではなく“給料不足”。時給を3,000円にすれば学生・主婦・高齢者で十分まかなえる。移民は不要」という趣旨ですが、これは現実の日本経済と制度・人口動態を正確に踏まえていません。
実務の現場では、①国内の可動労働力の“量”が足りない、②制度上フルに働けない層が多い、③一部の産業は価格規制や労働時間規制で“賃上げだけでは人が埋まらない”、④それでも需要は拡大している――ために、たとえコスト高でも外国人材を雇わざるを得ない、というのが実態です。
日本の15~64歳の生産年齢人口は長期低下トレンドで、足元まで減少が続いています。
労働需給はこの「分母」の制約を強く受けます。賃上げで労働参加が多少増えても、人口要因は跳ね返せません。
日本銀行や総務省系の統計系列でも、働き手の確保難が慢性化していることが示されています。
加えて、有効求人倍率は総合で1倍超を維持(=仕事の数が人の数を上回る)。産業別では建設・介護・運輸・宿泊飲食などで特に逼迫が続きます。
学生:在留資格(留学)で働けるのは学期中28時間/週が上限。そもそもフルタイムの穴は埋められません。
既婚女性:社会保険の“年収の壁”(106万円・130万円など)が就業調整を誘発。政府自身が壁対策を進めていること自体が、制度が労働時間拡大のボトルネックである証拠です(2025年法改正で要件撤廃方向)。
高齢者:在職老齢年金の仕組み( earningstest )は一定の閾値で年金が減るため労働供給を抑制し得る、との実証研究が内閣府エコノミストから出ています。体力面の制約も大きい。
つまり、“賃金さえ上げればみんなフルタイムで働く”という前提がまず成り立ちません。
介護:介護報酬という公定価格の枠内で賃金原資が決まるため、事業者単独の賃上げ余地には限界があります。一方で必要人数の見通しは2026年度+約25万人、2040年度+約57万人の不足と厚労省が公表。足元から構造的な人手不足です。
物流(トラック):2024年の残業上限規制で運転時間そのものが物理的に縮小(いわゆる「2024年問題」)。賃上げしても“時間の空白”は埋まらず、輸送能力は落ちます。
建設:国土交通省の調査でも技能労働者は恒常的に不足。工期や安全規制の制約下で、賃上げだけでは直ちに人が湧いてくる構造ではありません。
インバウンドは2024年にコロナ前を超えて過去最高を更新、2025年も過去最速ペース。
宿泊・飲食・小売・交通で人員需要は増え続けています。国内で必要人数が増える一方、供給側の人口・制度制約は緩まない――ミスマッチが拡大しています。
「移民(外国人材)は安い」というのも誤解です。企業側には日本人採用にない追加コストが確実に乗ります。
代表例:
手続・支援コスト:在留資格(特定技能)で雇う場合、受入企業には生活・日本語・行政手続の支援10項目が義務化され、外部の登録支援機関へ委託するなら1人あたり月2~3万円程度の委託料が相場と公的団体が解説。
初期費用:採用・渡航・住居手配・日本語/技能訓練などの初期費用は1人70~100万円程度を見込むケースが一般的に紹介されています(実務ガイド)。
コンプライアンス・監督:技能実習/特定技能は監督官庁・監理団体の関与が強く、違反時のリスクも高い(制度目的や保護規定も法令で明記)。
つまり、日本人採用より“高コスト”で“手間も大きい”のが普通です。
それでも企業が外国人材を選ぶのは、国内だけでは必要数を確保できないからにほかなりません。
政府もこの現実を踏まえ、特定技能の対象分野拡大・受入れ拡大方針を明確にしています。
公費・補助で狙い撃ち賃上げをしても、介護のように公定価格産業では結局“国民負担”(介護保険料や税)に跳ね返ります。
物流は労働時間規制がボトルネック、建設は養成に時間がかかる。
加えて、女性・高齢者の就業拡大は政府も推進中ですが、制度壁の撤廃や保育・介護の家事外部化には時間がかかり、直近の欠員は埋まりません。
MHLW白書も、近年の人手不足は「長期的・粘着的(persistent)」だと総括しています。
人口の分母が縮んでいるので、賃上げだけでは全体の穴は塞がらない。
外国人採用は日本人より“高コスト”だが、それでも需要を満たすために必要。
「時給3,000円にすれば国内だけで回る」は、人口・制度・規制・需要の四つ巴の現実を見落としています。
現場では、外国人採用は“安いから”ではなく、“高コストでもそれしか選択肢がない場面が増えているから” 進むのです。
日本の賃金水準引上げや制度改革(年収の壁の撤廃等)は重要で、同時並行で進めるべきです。ただ、それらの効果が出るまでのタイムラグと、そもそもの人口制約を考えれば、移民・外国人材受入れ、国内の省人化投資、労働参加促進の“三本立て”以外に現実解はありません。
必要なら、あなたの想定する具体的な業種・地域を教えてください。その条件で、どれだけ国内人材で埋められ、どこから外国人材が不可欠になるか、数字で試算します。
なんでバカって金が万能だと思い込むんだろうな
カネって言うのはモノとヒトを適材適所に迅速に運ぶための潤滑剤に過ぎないの
ちょっと考えればわかると思うが、動物の世界にカネは存在しないし、資本主義社会になる前の時代にもカネはなかったが、それでも世界は回っていただろ?
カネ(=資本主義)っていうのはそのモノとヒトを自動的かつ効率的に適材適所に配置してくれる潤滑剤で、そのおかげで現在の高度な文明社会が成り立ってるわけだが、
それでもやっぱり本質はモノとヒトなんだよ
で、いま日本社会で起こっているのは圧倒的にヒトが足りてないってこと
どのくらいの規模かと言えば毎年100万人単位でヒトが足りなくなってる
総量としてヒトが足りてないんだから、カネをつかって右から左にヒトを動かしても、人が足りてない場所が右から左へ移るだけで結局世の中が回らなくなってくる
倒産、減便、廃線、サービス悪化、値上げ、ぜーんぶ労働供給の制約から発生してる問題だ
もうひとつはヒトが減っても世の中回せるような技術革新を成し遂げる
どっちかだ
で、現状技術革新が追い付いてないんだからヒトの絶対数を増やすしかない
それがすなわち移民なわけで、間違ってもカネでどうにかなる問題ではないんだわ
ま、あえてカネを使うんだったらヒトの絶対数を増やすためにカネを使う(補助金で移民流入促進)か
労働者不足=移民必要論はおかしい?──という問いに反論します。結論から言うと、「賃上げや補助は必要だが、それ“だけ”では足りない」です。理由は以下の通り。
2024年の春闘はバブル期以来の高い賃上げ率(5%超)。それでも有効求人倍率は1倍超、失業率は2%台にとどまり、需給の逼迫は続いた。もし「賃金さえ上げれば人は十分に集まる」なら、この規模の賃上げで逼迫は大きく和らぐはず。
(出典例:連合・経団連の賃上げ集計、総務省「労働力調査」、厚労省「一般職業紹介状況」)
働き手(生産年齢人口)は長期的に縮小。2040年にかけて労働供給の自然増は見込みにくい、というのは政府推計や日銀レビューの共通認識。賃金だけでは人口そのものは増えない。
(出典例:内閣府・国立社会保障・人口問題研究所の将来人口推計、日銀レビュー)
女性と高齢者の就業はすでに過去最高圏。65歳以上の就業率は上昇し、女性就業者数も増加しているが、それでも人手不足は残っている。残余の未就労層は、時間帯・体力・ケア責任などの制約が大きく、フルタイムの交替制や移動を伴う仕事に大量流入しにくい。
(出典例:総務省「労働力調査」長期時系列、内閣府「男女共同参画白書」)
介護・医療・保育など、公定価格や公的保険に依存する分野は、賃金を一気に上げると経営が破綻する。介護は報酬改定が3年に一度で弾力性が小さく、政府の中長期推計でも人手不足が見込まれる。必要職種に無制限に補助金を積めば、最終的に保険料や税負担に跳ね返る。
(出典例:厚労省「介護人材の需給推計」「介護報酬改定」関連資料、財務省資料)
最低賃金や相場賃金の引き上げは重要だが、体力の弱い中小サービス業では急騰が雇用縮小・撤退につながるケースもある。実質賃金が物価に食われる局面では、名目を上げても労働供給インセンティブが思ったほど強まらない。
(出典例:日本の最低賃金研究、厚労省・総務省の賃金・物価統計)
求人は地方・夜間・対人重労働・技能要件の高い職種に偏在。求職者は都市・日中・短時間・非対人を好む傾向が強い。求人倍率が1倍超で長期に高止まりしているのは、賃金以外の条件が一致していないことの表れ。
(出典例:厚労省「職業別有効求人倍率」、独法労働政策研究・研修機構(JILPT)のミスマッチ研究)
OECDや各国の分析では、少子高齢化が進む先進国で、賃上げ・自動化・就労支援に加え、計画的な外国人受け入れが供給制約の緩和に寄与しうるとされる。日本でも高度・中位技能を対象に制度整備が進んでいる。
(出典例:OECD Economic Surveys:Japan、政府の「特定技能」制度資料)
例えば物流の「時間外上限規制」や医療の人員配置基準など、労働時間や人員を法律で縛る仕組みがある。時給を上げても処理可能量は増えないため、制度設計や業務プロセスの見直し・自動化が不可欠。
(出典例:厚労省「働き方改革関連法」資料、国交省の物流政策資料)
「移民の前にやることがある」はその通り。だからこそ、①持続的な賃上げ、②保育・介護・学び直し等の就労支援、③働き方改革と生産性向上(デジタル化・自動化)、④価格・規制の見直し、をまず進めるべき。
ただし、人口動態・制度制約・ミスマッチという現実を踏まえると、「賃上げだけで国内の未就労層で十分に埋まる」という主張は成立しにくい。現実的な処方箋は、国内対策に加えて、適正な保護と運用を前提にした計画的な受け入れを“補完的に”組み合わせることだと思う。
「消費税が諸悪の根源論」はなぜ間違っているのか、そしてなぜ信じられるのか
という主張は一度は聞いたことがあるだろう。
ネットでは日々このような言説がバズり散らかし、専門家(?)のような経済評論家や漫画家がそれっぽいことを力説している。
何事も相対評価が重要だ。なぜなら比較しないと数値でその良し悪しを議論することができず、ただの観念論や神学論争になってしまうからだ。
「消費税は悪だ」という主張を証明するときに必要なのは「どの税金と比べて?」という視点だ。
たとえば100万円分の税収を得るときに、消費税を用いるか所得税を用いるか、それとも法人税から?
どれを選んだほうが効率的なのか。
はっきり言ってこれに明確な答えはない。なぜならその時々の状況によるからだ。
経済において税の影響はさまざまな要素が絡み合って決まる。
どの税も市場に一定の歪みを生じさせるが、所得税や法人税が高すぎると、労働意欲や投資インセンティブを低下させる。企業の国際競争力を弱め、税回避や国外移転を促す。また印紙税のような不動産取引に課される税は、取引コストを増やし、流動性を低下させるため、資本市場の効率性を損なう。
消費税は逆進性が強い(低所得者ほど負担が大きくなる)ので公平性を減らす影響があるが、累進課税の所得税と組み合わせることでその影響を緩和できる。
資源に対する税金は価格の変動によって大きく影響を受けるため、資源国家では財政が不安定になる。法人税は景気の影響を大きく受け、景気後退時には税収が急減するリスクがある。
この中で、消費税は税収の安定性が高く、経済の歪みが比較的少ないとされている。
特に日本のように高齢化が進む社会では、所得税に過度に依存すると、現役世代の負担が大きくなり、労働供給の減少を招く可能性がある。
つまり、消費税が経済に悪影響を与えるかどうかを論じる際には、「どの税と比べて、どんな条件下でか?」という視点を欠かすことはできない。
そして現在のEBPMにおいて「消費税だけが格別に悪い」などといったコンセンサスは存在しないし、世界各国の制度担当者は消費税も所得税も法人税もバランスよく設けている。
たとえば「消費税は働いていない人や高齢者も負担しなければならず逆進性が高いので今の10%から2%を引き下げ、その分を所得税で補って所得再分配を強めるべきだ」という主張はあり得るし科学的に間違ってもいない。
問題なのは「消費税はすべての消費に対する罰金だから悪だ。故に廃止するべきだ」というドグマ的な主張が広まっていることだ。これは端的に言って間違っているし、善か悪かという価値観の闘いとなり議論や調整のしようがない。そんな事を言ったら所得税も労働に対する罰金だから廃止するべきということになる。
消費税をなくせば全てうまくいくなら、どこかの国が消費税を廃止してすばらしい成果を上げ、それに世界各国が続いて再現性のある法則だと実証していることだろう。今のところ貨幣による納税が広まった近代以降の歴史上でそんな事は起きていないようだ。
それでは、なぜ多くの人が「消費税こそが諸悪の根源」と信じるのか?
消費税は、日々の買い物で直接支払うため、増税の影響を強く実感しやすい。
例えば、給料から天引きされる所得税や、見てない間に企業が支払って価格に転嫁された法人税は意識しづらいが、コンビニで買い物をしたときに「消費税10%」とレシートに表示されれば、「負担が増えた」と感じやすい。
経済全体で見れば、他の税負担の方が大きいこともあるが、消費者はそれを実感しにくい。
「消費税が悪い」と単純化するのはわかりやすく、支持を集めやすい。
「何も悪いことはしてないのにどうして私の生活は苦しくなったのか?」
「なぜ?」という問いは得てして魔女探しを招く。
皆が皆、マクロ経済学の専門書を読んで全要素生産性を決める要因について議論できるような余裕はない。
そこに、わかりやすく単純な「敵」を指し示す人が現れる。
彼らは「日本経済の停滞は消費税が原因だ」と単純明快に断言してくれる。
その上「消費税を引き上げたのは財務省の仕業だ」と敵を与える。
やっと私の生活を苦しくしていた原因がわかった。あとは殲滅するだけだ。
しかし現実はそんなに単純ではないし誤りだらけなので反論も来る。
そうなると彼らは「反対するのは財務省の工作員だ」「あいつは"レク"を受けて洗脳された敵だ」と説明する。
なるほど、そうだったのか。こうしてザイム真理教の陰謀と戦う光の戦士たちが今日も新たに隊列へ加わっていく。
消費税が経済に影響を与えることは事実だが、それは所得税や法人税、他の税金も同じだ。
消費税だけが特別な存在であり「諸悪の根源」というのは誤った単純化にすぎない。
本当に日本経済を成長させるためには、わかりやすく気持ちの良い「敵」のせいにせず、最適なバランスの税制や高齢化問題、生産性向上など面倒で複雑で大変な事実から目を背けず、民主主義の中で議論し続けなければいけない。
「消費税が諸悪の根源論」はなぜ間違っているのか、そしてなぜ信じられるのか
という主張は一度は聞いたことがあるだろう。
ネットでは日々このような言説がバズり散らかし、専門家(?)のような経済評論家や漫画家がそれっぽいことを力説している。
何事も相対評価が重要だ。なぜなら比較しないと数値でその良し悪しを議論することができず、ただの観念論や神学論争になってしまうからだ。
「消費税は悪だ」という主張を証明するときに必要なのは「どの税金と比べて?」という視点だ。
たとえば100万円分の税収を得るときに、消費税を用いるか所得税を用いるか、それとも法人税から?
どれを選んだほうが効率的なのか。
はっきり言ってこれに明確な答えはない。なぜならその時々の状況によるからだ。
経済において税の影響はさまざまな要素が絡み合って決まる。
どの税も市場に一定の歪みを生じさせるが、所得税や法人税が高すぎると、労働意欲や投資インセンティブを低下させる。企業の国際競争力を弱め、税回避や国外移転を促す。また印紙税のような不動産取引に課される税は、取引コストを増やし、流動性を低下させるため、資本市場の効率性を損なう。
消費税は逆進性が強い(低所得者ほど負担が大きくなる)ので逆進的な影響があるが、累進課税の所得税と組み合わせることでその影響を緩和できる。
資源に対する税金は価格の変動によって大きく影響を受けるため、資源国家では財政が不安定になる。法人税は景気の影響を大きく受け、景気後退時には税収が急減するリスクがある。
この中で、消費税は税収の安定性が高く、経済の歪みが比較的少ないとされている。
特に日本のように高齢化が進む社会では、所得税に過度に依存すると、現役世代の負担が大きくなり、労働供給の減少を招く可能性がある。
つまり、消費税が経済に悪影響を与えるかどうかを論じる際には、「どの税と比べて、どんな条件下でか?」という視点を欠かすことはできない。
そして現在のEBPMにおいて「消費税だけが格別に悪い」などといったコンセンサスは存在しないし、世界各国の制度担当者は消費税も所得税も法人税もバランスよく設けている。
たとえば「消費税は働いていない人や高齢者も負担しなければならず逆進性が高いので今の10%から2%を引き下げ、その分を所得税で補って所得再分配を強めるべきだ」という主張はあり得るし論理的に間違ってもいない。
問題なのは「消費税はすべての消費に対する罰金だから悪だ。故に廃止するべきだ」というドグマ的な主張が広まっていることだ。これは端的に言って間違っているし、善か悪かという価値観の闘いとなり調整のしようがない。そんな事を言ったら所得税も労働に対する罰金だから廃止するべきということになる。
消費税をなくせば全てうまくいくなら、どこかの国が消費税を廃止してすばらしい成果を上げ、それに世界各国が続き再現性のある法則だと実証していることだろう。今のところ貨幣による納税が始まった近代以降の歴史上でそんな事は起きていないようだ。
それでは、なぜ多くの人が「消費税こそが諸悪の根源」と信じるのか?
消費税は、日々の買い物で直接支払うため、増税の影響を強く実感しやすい。
例えば、給料から天引きされる所得税や、見てない間に企業が支払って価格に転嫁された法人税は意識しづらいが、コンビニで買い物をしたときに「消費税10%」とレシートに表示されれば、「負担が増えた」と感じやすい。
経済全体で見れば、他の税負担の方が大きいこともあるが、消費者はそれを実感しにくい。
「消費税が悪い」と単純化するのはわかりやすく、支持を集めやすい。
「何も悪いことはしてないのにどうして私の生活は苦しくなったのか?」
「なぜ?」という問いは得てして魔女探しを招く。
皆が皆、マクロ経済学の専門書を読んで全要素生産性を決める要因について議論できるような余裕はない。
そこに、わかりやすく単純な「敵」を指し示す人が現れる。
彼らは「日本経済の停滞は消費税が原因だ」と単純明快に断言してくれる。
その上「消費税を引き上げたのは財務省の仕業だ」と敵を与える。
やっと私の生活を苦しくしていた原因がわかった。あとは殲滅するだけだ。
しかし現実はそんなに単純ではないし誤りだらけなので反論も来る。
そうなると彼らは「反対するのは財務省の工作員だ」「あいつは"レク"を受けて洗脳された敵だ」と説明する。
なるほど、そうだったのか。こうしてザイム真理教の陰謀と戦う光の戦士たちが今日も隊列に加わっていく。
消費税が経済に影響を与えることは事実だが、それは所得税や法人税、他の税金も同じだ。
消費税だけが特別な存在であり「諸悪の根源」というのは誤った単純化にすぎない。
本当に日本経済を成長させるためには、わかりやすく気持ちの良い「敵」のせいにせず、最適なバランスの税制や高齢化問題、生産性向上など面倒で複雑で大変な事実から目を背けず、民主主義の中で議論し続けなければいけない。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/post_c7cd.html
冷徹に労働市場論的に考察すれば、この世界は、哲学や文学の教師というごく限られた良好な雇用機会を、かなり多くの卒業生が奪い合う世界です。アカデミズム以外に大して良好な雇用機会がない以上、労働需要と労働供給は本来的に不均衡たらざるをえません。ということは、上のコメントでも書いたように、その良好な雇用機会を得られない哲学や文学の専攻者というのは、運のいい同輩に良好な雇用機会を提供するために自らの資源や機会費用を提供している被搾取者ということになります。それは、一つの共同体の中の資源配分の仕組みとしては十分あり得る話ですし、周りからとやかく言う話ではありませんが、かといって、「いやあ、あなたがたにも職業レリバンスがあるんですよ」などと御為ごかしをいってて済む話でもない。
職業人として生きていくつもりがあるのなら、そのために役立つであろう職業レリバンスのある学問を勉強しなさい、哲学やりたいなんて人生捨てる気?というのが、本田先生が言うべき台詞だったはずではないでしょうか。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2015/03/post-2313.html
就職に強いといえば、かつての女子短大は最強でした。四年制大卒女子が軒並み土砂降りで泣き濡れているときでも、すいすいといくらでも就職できたのです。それも、なまじ栄養学科なんていう仕事に役立てようなんて色気のありそうなところじゃなくって、英文科とか国文科とか、絶対に職業人としてやっていく気なんてこれっぽっちもありませんから、と言わんばかりなところのほうが就職率は良かったわけです。
それは極めて明快な理由であって、男女異なる労務管理がデフォルトルールであった時代には、一生会社勤めしようなどと馬鹿げたことを考えたりせず、さっさと結婚退職して、子どもが手がかからなくなったらパートで戻るという女性専用職業コースをたどりますというメッセージになっていたからでしょう。あるいは、結婚という「永久就職」市場における女性側の提示するメリットとして、法学部や経済学部なんぞでこ難しい理屈をこねるようになったかわいくない女性ではなく、シェークスピアや源氏物語をお勉強してきたかわいい女性です、というメッセージという面もあったでしょう。