
はてなキーワード:労働人口とは
なんで日本除くのか?
まず投資の基本なんだけど、自分の場合は「生活が破綻しないこと」。
大きく儲けて遊んで暮らすとかじゃない。
世の中が大変になっても、自分と家族が生きて行けるって事が一番にくる。
これをベースに話していくんだが、
この時、自分の働いている会社が潰れたり、収入が減ったりする可能性が高い。
これがダブルリスクということ。これを拒否するために、日本株式には投資しないわけだ。
では、逆の状況を考えてみる。日本経済がものすごく良くて日本株式が上昇し、インフレが起きるっていう状況。
日本経済がめちゃめちゃ良くなっても、賃金はそんなに上がらない。
日本経済が良くなる時、同時に世界経済も良くなる可能性が高い。こういう時には世界株式から利益が上がるので問題はない。
ただ、これが起きる可能性が非常に低いので、やはり日本株式に投資する必要はない。
景気が良すぎて、日本株がアホほど上昇してる時っていうのは自分の仕事だってまずまずうまくいく。
インフレに対する自分の給与の伸びはおそらく追いつかない。インフレにやや苦しむだろうが、おそらく生活はできるだろう。
ただ、これが成り立つのは45歳である俺とか、30歳である元増田の話。
もしも高齢者で働けないのなら、日本株にも少し入れといてもいいと思うよ。
でも、優秀な日本の年金が物価スライドっていう素晴らしい制度を用意しているし、日本株式にも投資してくれているからね。
個人で対応しなくても、国が最初から準備してくれてるんだ。すごいよね。
労働人口の減少と高齢化率の上昇は経済にとって圧倒的にマイナス。
移民受け入れも進んでおらず、将来的に労働人口の減少から日本経済は徐々に停滞する可能性が高い。
そもそも日本の経済成長に期待しにくいのだが、仮にものすごく経済成長した場合にはアメリカさんが文句言ってきて、日本経済を抑圧するからね。
実際にそれがあった。
1980年代にJapanasNo.1 な時代があったけれど、プラザ合意で円高。バブル崩壊。
これだって別にリーマンショックみたいなもんで。政府が適切に対処すりゃここまで傷は大きくならなかったと思うんだけど。土地バブルとか原野商法とか放置して現在までその傷が尾を引いてるわけだからね。親からの相続でよくわかんない北海道の山野とかが出てきて唖然とした人は結構いるんじゃない??
(参考:YouTube チャンネル 資産価値ゼロ 限界ニュータウン探訪記:)
1980年代後半、当時の公定歩合見ても、なんで日銀もっと早く利上げしなかったんだって本当イライラするよ。
今だって10月に利上げすべきだったと俺は思ってるんだが、まだ利上げしてないしね。
利上げをすれば多額の変動住宅ローン背負っている人とかが苦しむのはそうなんだけど、そういう失敗した人たちはある程度切り捨てていかないと、経済ってのは成長しないんだよ。
社会主義・弱者救済と経済成長とは両立しにくい。弱者切り捨てをしながら全力で経済成長に振り切った国家には経済成長で負けちゃうんだよね。
で、次に、日本のシルバー民主主義の話だが。日本は高齢者が多くて年金に頼って生活してる人が多い。
めちゃめちゃ株式が上がるときはインフレも起きるけど、年金生活者はインフレに耐えられないんで、インフレが起きないような政策的に揺り返しが起きる。
現在、高市政権でインフレが起きてるけど、高齢者から反発を食らって落ち着いてくると思いますね。
で、今書いたように政策的な部分でも日本っていうのは経済成長に全振りできない要素がある。
株が上がって経済成長したとしてもアメリカさんや高齢者さん達から物言いが入ってどこかでストップになる。
もう1つ、地政学的リスク。アメリカと中国の経済対立の最前線に立ってるっていうのもマイナス要因だよね。台湾有事とか。
安倍政権下でものすごい量的緩和をしてきたとか、日銀が日本株インデックスETF を相当買い入れて上がっているとかね。
たまに「日本は世界で最も成功した共産主義国家だ」なんて冗談も見ますが。あながち間違ってない。
理想的ポートフォリオみたいな話があって、時価総額通り均等に投資すればそれが一番良い。
リスク少なく大きなリターンを期待できるっていう理論があるけど、それって世界中の株式市場が理想的に運営されてる場合の話ね。
実際には各国に色んな規制があり、日銀による日本株ETF大量購入とかがあるわけで理想的な状況ではないのよ。
理想的ポートフォリオを達成するための理想的条件が現実世界には存在しないのよ。現実世界は理想からずれているわけ。
あとはテクニカルな面もある。
元の記事にも書いた通り、我々の年金っていうのは結構大きな部分が日本株に投資されている。
だから自己資金では日本株式を減らさないと理想的ポートフォリオからズレてしまう。
だから理想的ポートフォリオ追求しようとするならも、自分の年金額を考えて、日本株投資分を除いて投資しなきゃいけない。
やっぱり一定程度は日本株を除く投資をしなきゃいけないって話になる。
とはいえ、元記事も書いた通り、「日本株に含むか含まないか」っていうのは投資収益の大きな部分ではない。だから含んだって構わない。
これを書いたのは「日本株除く」に疑問が多く出ていたからで、別に「この投資が唯一絶対の正しい投資方針だ」なんて俺は思っていない。
自分がうまくいった方法だし、再現性高く、他の人も実践できると思っている。
だから、自分の妻の資金も子供たち(未成年)の資金もこの方針を運営していて、家族全体でも投資は成功している。
1000万円投資先が分からないニキのために書き、言葉足らずだった部分を補った。
> “日本経済がめちゃめちゃ良くなっても、賃金はそんなに上がらない。”いや、そこは上がれよ
このところ日本株式インデックスが過去最高値を更新していたね。
これが経済の仕組み。上がってほしいのはわかるが、昇給を勝ち取るのは大変だ。
>投資の原則である分散のために日本を除いた投資商品を持つのがセオリー(ただこの何年かは日本株は割安で買い時でしたね)
おおむね同意。
「この何年か」ではなくて、「30年ほど」だと思いますけど。いやいや、今となっては「ここ100年は」の間違いか。
でもねぇ、値動きが荒すぎて怖いよ。
>持ち株会にコツコツ積んでた父親の株式を相続して持ってるのが大きくて、これ以上は日本株は不要と考えてたから、旧NISAでは先進国株式が7割に新興国株式が3割くらいだった。新NISAは考えるの面倒でオルカン一本。
ええやん。
>拙者は…オルカン率高めな忍者だけど、日本を除いちゃうと銘柄選定に制限が出て最適なパフォーマンスが出ないのではと考えてるタイプの忍者。出口の瞬間も日本強ければ良し、弱ければ配分少ないから影響も少な(忍
そうでござるか。
それも1つの考え方でありましょうな。
>日本除くってのは自分自身が円資産だという考え。既に2~3億の円資産があるなら残りは海外で良いだろって考えだよ。
せやね
生涯年収を2億と仮定して、これが安定の円資産。だから海外中心に投資する方がバランスがとれるという意見ですね。
>持ち株会反対も同じで、自分が持ち株(ただし、弊社はファンドに買収されて株価10倍になって涙目)
そんなこともあるんだね。
でも自社株に fullbet なんてできないでしょ。
その儲けが100万なのか、1000万なのか知りませんが、長期投資で取り戻せる額だと思います。
そういうのって言い出したらきりがないよ。見逃してきた10倍株、100倍株。たくさんあるはず。iPhone を買う代わりにApple 株を買っておけばとか。Kindle 本を買う代わりにAmazon 株を買っておけばとかね。
仕事に精を出し、日々研鑽を積み重ね、投資は気にせず、じっくり豊かな人生を歩んでいきましょう!
そうだよ。それが安定を重視した場合の、基本の考え方。
会社が購入資金を補助してくれるなら話は変わってくる。その場合はリスク許容できる範囲で持ち株会に入るのがいいんでないかな。
持ち株が増えすぎてリスクが大きくなりすぎたら、持ち株分、自社を先物で売ってリスクヘッジすればいいんじゃない? ただ、リスクヘッジにもコストがかかるから状況によるよね。
>自分はリスク承知でS&P500を月5万継続中。20年後に答え合わせしようや増田よ。覚えてないだろうけど。というか、その時にははてなはもう存在してないだろうけど。
おれもSP500も持ってるよ。オルカンと大して変わんないよ。
>オルカンにおける日本の投資割合は所詮5%程度だからな。とはいえ世界第2位の投資比率だけどね。なお1位のアメリカは60%。
うむ。
そうそう。その通り。
俺は除くけど。
>日本で働いてる人は毎月日本円だけが増えてバランスを崩すから
そう。
んー・・・それは違うかな。
確かに価格的に為替リスクはない。だけど、日本の株式会社は海外にも事業を広げているので、間接的に為替の影響はあるよね。
>全体の成長は低いけど日経225の一部は成長が著しいこと。例えば2025年のS&P500のリターンは18%だが日経高配当50は30%。低リスク資産として分散するのは普通にありだと思う。
これは非常に危うい考え方。
日経225はリスク(上下の値動き)がかなり大きい。よく言われる通り、ファストリとか一部株式の比重が高すぎるんだよね。
「2025年のリターンは」って、1990年のリターンはどうでしたか?
長期投資をするなら、よかった1年だけを切り抜くべきではないよ。
日経高配当50については知らないけど、基本として高配当株はインカムゲインが高い分、キャピタルゲインが少なく、長期的には他の投資と大して変わらない。
投資のコツは価値のあるものを安く買うこと。値段が上がった後から買うのは、「それでもまだ安い」と思えるときだけ。
>まあ日本経済の調子はどっちみちACWIに反映されるんだけど、なんにせよ自分が納得するのが大事だね / ワイは何も考えず気絶するためオルカンにしたやで
せやね。
その通り
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自分の意見を言いたいだけのやつが増えてきたな、そいつらには答えない。求めてないアドバイスは迷惑って、教科書に書いてあったの読まなかった?
投資アドバイスはいらない。君ら人にアドバイスする暇があるんだったら、自分の人生頑張り!
海外に投資することを日本を捨てているとか。海外の発展のためにお金を使っているとか、誤解しているのかな? 違うよ。逆だよ。逆。
ちゃんと経済情報を読んでるやつならわかってると思うけど、今の日本の産業構造って昔とは変わっていて
バブル期までは工業製品を作って海外に輸出して儲けるっていう産業構造だったけど。
今は海外からの投資収益が多い。つまり俺のように海外の株とか会社に投資して、その儲けが日本に入ってきて、その代金で原油や天然ガス輸入するっていう、そういう産業構造に変わってきている。
だから「日本除く」で外国に投資するっていうのは「日本を捨ててる」わけじゃなくて、海外の投資の利益を日本に吸い上げてるんだよ。
「日本を除くなんていう日本人しか買わない投資商品笑」みたいな意見もあったけど、ヴァンガードの扱ってるアメリカ除いた商品、あれだって。アメリカ人しか買わんやろ。そりゃそうだよ。
俺はきちんと前提条件を示して、その前提のもとで自分の投資方針を書き、その投資方針を元増田にも薦めてる。
俺の意見に反発を覚えたのは、それはおそらく前提条件が違うんだろう。別にどっちが正しいとか言うんじゃなくて、何を有意にとっているか違ってるっていうこと。人はみんな違うから、前提条件もみんな違うのは当たり前。
単に反発するんじゃなくて、自分の考えを深掘りしてどういう前提条件を持っているのかを考えたら、自己理解も深まるんじゃないかな?
その④
他の疑問も生じる。
ホワイトカラー、たとえばAIの動向により詳しいエンジニアのような層は、自分が失業することが分かっていても、AI技術を推進する?
そして、自分たちの完全失業まで、指を咥えて見ているだろうか。
AIがホワイトカラーを大量に代替し始めると、技術の効率化そのものより、社会の不満や政治的な揺れのほうが前面に出てくるようになる、という見立てがある。
とくに2030年代に入ると、リスキリングでどうにかなる段階を超えて、本格的に「戻れない失業」が広がり、事務・営業補助・企画・バックオフィスなどの中間層がまとまって仕事を失う。再雇用も年齢が上がるほど厳しくなり、ホワイトカラー特有の安全地帯が崩れていく。
そして、ホワイトカラーが現場仕事に流れようとしても、ブルーカラーの枠は体力的にも人数的にも限界があるため、失業者同士が競い合う「内部対立」が生まれやすい。
そこに「経営者やエリートが自分たちを切り捨てている」という不信感が重なり、企業や政府に対する怒りが増幅される。
すでにアメリカでは巨大IT企業への反発が強まっていて、同じ空気が他国にも広がる可能性がある。
抵抗は段階的に姿を変える。
最初は職場でのストや交渉のような穏当なものだが、次に法規制を求める政治運動になり、さらに「反AI」「反エリート」を掲げるポピュリズムへ変わっていく。
2035年あたりには、失業率と生活苦が一定ラインを超えると、暴動や社会不安につながるケースもありえる。
その先まで行くと、結局はベーシックインカムやAI税、公共AIインフラなど「AIの富を社会に戻す方向」へ制度改革が迫られる圧力が強まる。
途中でホワイトカラーがAIを危険視して、AI技術推進を留めるってことはないのか。
無理らしい。
AI導入は、誰か(たとえば政府・官僚・エリート)が推進したいから進むというものではなく、社会の構造上どうしても止められなくなるから。
労働人口の減少、国家存続のコスト増、国際競争、企業の生き残り、導入による実績の積み上げ、労働組合の弱さ。
AIの効率化は、初期は「便利」と歓迎されるが、雇用が削られ始めると空気が割れ、失業が大規模化すると一気に支持が反転して「危険な技術」として扱われ始める。
歴史的にも、経済不安が広がると技術への反発は強まりやすく、ラッダイト運動や反グローバル化と同じ構造が繰り返される。
反AIが急進化するラインは、ホワイトカラーの失業が労働者の15〜20%に達したあたりと考えられていて、欧州の研究では2030〜2037年が危険な時期だとされるらしい。
日本の場合はデスクワークの比率が異常に高く、失業保険や生活保護が薄く、中間層の崩壊がすでに進みつつあるため、反発が欧州より早まる可能性も。
便利な技術として歓迎されたものが、いつの間にか生活基盤を脅かす存在として受け止められ、政治の空気を急激に変えてしまう、という流れが十分あり得る。
最近、「外国人の親を持つ子どもの出生が過去最多を更新した」というニュースを見た。これを聞いて「ついに来たか」と思った人と、「別にいいじゃん」と思った人のあいだで、まるで温度差が違う。どちらが正しいかはわからないけど、確実に言えるのは、「もう昔の日本ではない」ということだ。
コンビニで働く外国人は当たり前になった。駅のアナウンスには英語と中国語が増え、スーパーにはハラール対応の棚がある。観光地だけでなく、地方の町でも外国人の子どもが増えている。そういう変化を「国際化」と呼ぶ人もいれば、「もう戻れない」と言う人もいる。でも、実際には誰もが少しずつその“変化”に慣らされている。
たとえば、小学校で外国ルーツの子がクラスに数人いることを、子どもたちはもう特別と思わない。だけど大人のほうが「日本語がまだうまくないらしい」「宗教が違うらしい」とひそひそ話す。社会の変化を受け入れるのはいつも子どもで、拒むのは大人だ。
移民政策が明確に議論されないまま、“現実としての多国籍化”だけが進む国。政治家は票にならない話を避け、メディアは賛否両論を並べて終わる。だから街中で「なんか外国人が増えたよね」と言う人の裏には、説明されなかった不安が溜まっていく。
でも、この「違う人たちが増えること」そのものが、本当はこの国の生き延びる道でもある。出生率は下がり続け、労働人口は減る一方。つまり、移民がいなければ経済も医療も教育ももう維持できない。けれど“論理的に正しい”ことが、“感情的に受け入れられる”とは限らない。
結局のところ、問題は「誰が日本人なのか」ではなく、「誰を日本に受け入れられるのか」だと思う。国籍や宗教の話ではなく、この国に住む人たちが、互いに“同じ風景”を共有できるかどうか。その輪郭が曖昧になっていくのを、どこかで怖いと感じている。
もしかしたら、何十年後かには「純日本人」という言葉自体が時代遅れになるかもしれない。でもそのとき、私たちは「失った」と思うのか、「ようやく変われた」と思うのか。いまはまだ、その分かれ道の途中にいる。
営利企業は利益が出ていればよい。利益とは売上から費用を引いたものだ
例えば1人社長で自分に給与を支払わず、経費も0ですとすれば成立する。これだけなら別に大きな害はない
社屋の固定資産税と建物維持費(あるいは賃料)、その中身の従業員に支払う給与の分だけ売上があったとする。
それ自体は偉大で素晴らしいことなのだが、これが100万社もあるとちょっと問題だ。
挑戦しない人たちが有望な土地や人材を占有していれば、これはいけない。
得てしてそのような産業は付加価値に乏しく、投入した人件費とトントンの経済活動しか生まない。生産性が低いのだ。
繰り返して言うがこれらの会社を作った人は素晴らしい。
ただ国家全体として見たとき、貴重な労働人口と土地をあまりにも余計に使用しすぎている。これが問題なのだ。
水が貴重、石油も貴重、ウランも貴重だし、土地も貴重。労働者だって貴重。
いやほんま最近のエンタメって「可処分時間の取り合い」になってますよね、その理由は「コンテンツの量が多すぎるから」だってことですが。
じゃあなんでこんなことになってるんでしょうね?
答はシンプルですよ「クソ動画やクソゲーしか作れないくせにエンタメ業界人気取ってるアホが多すぎるから」でしょ。
昔はテレビはあってもYoutubeは無かったじゃないですか?
じゃあ今はテレビの放送時間が減ったかと言えば別にそんなことなくて、普通に今でも作ってるわけですよ。
つまり広い意味では「映像で飯食ってる人の数がその分増えた」ってことです。
「ゲームも大作は一本作るのに沢山の人が必要になった」と言ってて同時に「インディーズで誰もがクリエイターになれる時代になった」とも言われてます。
要するに「ゲームなんぞを作ることで飯くおうとしてるプロのゲーム馬鹿が昔より増えた」ってことです。
いやマジで今の人達って「遊び人として飯くおうとしてるような奴ら」が多すぎるんですよ。
それ一本じゃなくても副業でワンチャン狙ってるとか趣味でやってるとかウジャウジャいる。
いやもう半分ぐらい消えればよくないか?
広告業やファッションまで入れたらクリエイチブな業界やってる人は600万ぐらいいるらしいですよ?
じゃあ副業や趣味でやってる人入れたらどうなるんって話ですよ。
いやもうハッキリ言いますよ。
マジでさ、日本の労働人口不足って結局は「本気で遊ぶのに時間使いすぎてるせい」だと思うんですよ。
シャドウバースでしたっけ?なんかバハムート引いたら一発逆転できるほぼ坊主めくりとゲーム性一緒のやつとかで「プロになって大会で1000万円貰って暮らす」とかほざいて毎日何時間もシャカパチしてる奴おるわけでしょ?
いや知らんがな、その時間を使って本職の工場とか事務所で残業をしっかりやりなさいよ。
なんかね、ワナビと「ワナビに毛が生えただけの人」が多すぎるんですよ日本は。
毎クールのようにクソドラマやクソアニメが作られてるわけでしょ?それ作ってる会社って社会に要らないですよね?なんでわざわざ誰も得しないもの作ってるんですか?
広告費しか収入源にならないような単行本が売られることさえない漫画を描いてる「兼業漫画家(実質本職はアルバイター)」がいくらでもおるんでしょ?
全国のすき家で正社員募集してるでしょ?ヤマト運輸が正社員でドライバー募集してるでしょ?それらに応募して地に足がついた確実な社会貢献をしなさいよ。
ごくごくごくごく一部のスコッパー気取りの人に「俺は良さが分かるよ」とかしょーもない駄サイクルの回し方をしてもらってないでさ。
コンテンツ産業なんて鬼滅や孤独のグルメみたいな超売れっ子さな作品におまかせすりゃいんですよ。
売れないバンドマンが年間うん万もうん十万も誕生していく必要があるんですか?
せめて20歳まで。
20歳までに天才として開花して22歳までにメジャーデビューしなかった音楽家は全員他の仕事で正社員になりなさいよ。
つうかね、既に正社員やってるような人がカクヨムとかでワンチャン狙うのも私は反対ですよ。
まあその人が「公務員としての経験によってしか描けないような官僚社会のゴミクズっぷりへの悲嘆と皮肉を全力で書きあげたフィクション小説を名乗ってるだけの告発文」みたいな内容ならまだいいですよ。
そうじゃなくて単なる俄仕込みのポルノもどきみたいのならもう最初から社会にいらないでしょ?
その時間を使って業務スキルを磨いてマイクロソフトオフィススペシャリストなり簿記一級なり取れってことですよ。
マジでなんなんですかね日本人のクリエイチブしたがりなマインド。
自己表現なんてのはね、仕事や勉学に真面目に打ち込んでこなかったから自分の日常にリアリティを持てない奴らの逃避行動でしかないわけですよ。
そうやって「俺は芸術家になるんだ!!!」なんて言ってた人が最後にはヒトラーみたいな誇大妄想家になっていくんです。
現実を見ろ。
現実の中で人の役に立つことに喜びを見い出せ。
クソアニメ作ってるアニメーターは今すぐ筆を折って運送会社に履歴書を送れ。
クソゲーを作ってるアホは目を覚ましてプログミングの教本を最初から読み直せ。
売れないバンドは解散して普通のシャツを作るためにグンゼに就職しろ。
分かったか?
多分これで1000万人分以上労働人口問題は解決するから2040年ぐらいまでは安心だ。
コンビニも、飲食店も、日本人が当たり前だと思って何の気なしに享受しているサービスの大半は低賃金で働く外国人によって支えられている。
高度人材が海外から来ても来なくても日本の生活水準には大した影響ないけど、低賃金労働者が来なくなったら日本の普通の生活は簡単に瓦解する。
賃金を上げれば日本人はそれらの仕事をするようになるかも知れないが、その賃金上昇がサービス価格に反映されたら直近の米騒動の時のように白々しく文句を言って買い叩こうとするだろうし、実際に客足は遠のいて商売は立ち行かなくなり賃金を上げた雇用は失われるだろう。
そもそも、賃金を上げたところで日本人の数が減っていくんだから働き手が見つかる保証もない。
日本人が減るなら需要も減る、と言うのは大雑把に言えば間違いではないが、問題は消費人口より労働人口の方が先に減ることだ。
今の50代が寿命で死に絶える頃にはマシになるだろうが、それまでの間はなかなか減らない消費人口を激減し続ける労働人口で支える地獄が待っている。
少子化解決の目処も立たない状況なので、その後も程度が落ち着くだけで同じ地獄なのは変わらないが。
異文化で育った人を受け入れなきゃ立ち行かないけど、異文化アレルギーが遺伝子レベルで刷り込まれてるこの国には100年後ぐらいまで移民受け入れは無理だと思う。
人口減少のデメリットが少しずつ顕在化してるとは言え、危機感もまだ全然足りないから妥協も当然あり得ない。
ただ異文化との摩擦に反発する。
海外に流出した仕事を国内に取り戻せ、みたいな意見も最近よく目にするけど、海外で限界まで賃金下がった仕事が今更国内に戻ってきて一体誰がやるのか。
どうにもならんことだらけだな。若い世代は御愁傷様。頑張って生きていってくれ。
負の遺産を押し付ける上の世代を切り捨てたくなるのはどうしようもないけど、その切り捨てられる側にいずれ自分もなるんだって事は忘れないでほしい。
現代日本だと国民の大多数が家事含めてで週50時間働いてようやく中級の暮らしをしている。
一斤150円の食パンにバターをつけて朝食を済ませ、昼飯は500円以内、家に帰ってからも同じレベルの食事をし、ラーメンもアイスもスーパーカップで妥協するような人生。
それを手にするために往復2時間かけて会社に行き、残業込みで10時間働いて、休日になれば溜まった家事に追われ毎日数時間手を動かす羽目になる。
寝溜め・病院通い・話題作りのためのニュースウォッチ・付き合いとしてのフットサルやゴルフの練習、そうしているうちに本当に自分がやりたいことの時間なんてまるで残っていない。
辛い。
こんな日々を送る可能性が極めて高い世界で子供を産み落とすことには罪の意識か感じられない。
確実でなくてもいいが、「最低限の暮らしをすることぐらいなら楽ちんで出来る可能性が物凄く高い社会」の中で新しい命は生まれてきて欲しい。
そうでないことが分かりきっているのに平然と子供を産んで「人生は辛いことも沢山あるけど頑張れよ」と無責任にドヤって終わらせるような親にはなりたくないんだ。