
はてなキーワード:労働とは
https://ichiiida.theletter.jp/posts/0aa160a0-d70f-11f0-aa07-8582de6095b5
https://note.com/nyake/n/na2d317b47bc5
「なぜはた」の明確な問題点は「タイトルの主語が大きすぎること」です
<以下本文>
まず大前提として、『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』は、「かつて読書習慣があったにもかかわらず、働き始めてから読めなくなった人々」という特定の層が抱える悩みについて、それが個人的な問題ではなく社会構造上の問題であることを論じた本です。
→大前提となる、「『かつて読書習慣があったにもかかわらず、働き始めてから読めなくなった人々』という特定の層」が存在することをデータで示さないと、「実感」としてそういう層の存在を主張したとしても議論が始まりません。
「この神聖な水飲んだらがんが治ったんだもん」とデータなしに主張しても、そこから先の議論に至らないのと同じです。
これに対し、飯田さんは国民全体の平均値であるマクロデータを持ち出して「全体で見れば変化はない」と反論しました。が、これはいうなれば、「日本人の平均寿命は伸びているから、あなたの今の病気は存在しない」と言っているのに等しい議論です。
→この例えは明白に誤りです。なぜなら前者は「全体の読書量」と「特定の層の読書量の推移」を比較する主張であり、後者の「寿命」と「特定の疾患の存在」とは評価対象が異なるからです。
あえて寿命で例えるなら、「日本人の平均寿命は延びているから、喫煙者の平均寿命も延びている」などがあります。これならば「全体」と「特定の層」を共通の評価軸である「寿命」で比較できますし、「日本人の平均寿命が延びていること」を示しても「喫煙者の平均寿命が延びていること」を示さないのはその通りで、これならば矛盾と言えます。
(しかしその仮説を論じるなら、タイトルを「喫煙者の平均寿命~」とするべきで、主語を日本人全体としたり、明確に示さないことが明らかに誤りであることは誰にでもわかると思います。)
全体平均の中に埋もれてしまっている「特定の属性の変化」に光を当てるのが拙著の役割です。マクロデータのみで個人の実感を否定することは、分析の手法として適切ではありません。
→マクロデータのみで個人の実感を否定すること。確かによくないですね。
おじいさんおばあさんの中には、煙草を決してやめない人がいます。「私は煙草を吸っても今まで病院のお世話になったことないんだから、それでいいの」 大変結構だと思います。
こういう人たちに、「タバコは健康に悪いからすぐやめなさい」と言っても、個人の経験則を否定することになり、もめます。
マクロデータの目的は、「特定の属性の実感」を否定することではなく、全体を解析して現状やその傾向を把握することです。分析の手法として、データで示されない実感を大切にすることは重要ですが、解析の結果「実感」を否定する結果になってしまうことはままあります。
だからこそ、「実感」を前提とする議論をするならば、実感の存在そのものをデータとして示す必要があるのです。
拙著で統計データを多用することは本題からそれてしまうため(何度も書きますが、私の書いた『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』はマクロデータで語ろうとした本ではありません)必要最低限にとどめていました。が、本稿ではあえて氏の提示したものと同じデータソースを用いて反論を試みます。
→繰り返しになりますが、主張には前提が必要で、前提が正しくなければ主張も意味を成しません。したがって、前提をデータとして示す必要があります。それが必要最低限に至っていないということなのです。
飯田さんは「高校生の時点で読書量は減っており、働き始めてから急に減るわけではない」と指摘されています。しかし、この主張は「誰を対象にするか」という分析対象のセグメントを見誤っています。
まず、拙著が対象としているのは「元々読書習慣があった人々」です。では、統計的に見て「読書習慣がある人」とはどのような層を指すのでしょうか?
次図「読書習慣のある人」の月平均読書冊数を見ると、過去約40年にわたり、本を読む習慣がある人の読書量は月平均3-4冊の間で安定して推移しています。つまり、統計的な定義として、「月3-4冊読む」という行動こそが、日本の「読書習慣がある人」の姿であるといえます。
→対象としているのが「もともと読書週間があった人々」なら、なぜ書籍のタイトルが「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」と主語が示されていないのでしょうか。ここが反論とその反論の大きなズレの原因です。
ちなみにこの統計、データ(https://www.bunka.go.jp/tokei_hakusho_shuppan/tokeichosa/kokugo_yoronchosa/pdf/94111701_03.pdf)が35ページ目(pdfだと39ページ目)にあるんですが、16-19歳の調査人数、なんと83人なんですね。
これだと1人減ったら1.2%割合が動くことになるんですよ。以下に書き起こしたものを記載してみます。
<16-19歳の読書数>
0冊=66.3%
1-2冊=22.9%
3-4冊=8.4%
5-6冊=1.2%
7冊以上=1.2%
あれ?1.2%が二つ。つまりこれ、5-6冊、7冊以上の人は1人ずつでしたね(笑)
3-4冊の人も1人減ったら7.2%になり、2人減ったら6%になって20歳代の人と同等になっちゃいますよね。
おおよその割合をみるには使えると思うんですけど、「16-19歳とその他の世代の比較」には非常使いにくいデータだと思いませんか?もし複数回同じ手法で調査したら、ひっくり返っちゃったりすることもあり得そうです。
しかも、令和5年の大学、短大、専門学校の進学率を合わせると約8割、大学に限ると約6割で、ちょうどこの統計の年齢階級を跨いじゃってるんですね。
だから、このデータで「働くと読めなくなるかどうか」を議論するのって、そもそも無理なんですよ。
ご覧の通り、「1,2冊」というライト層では加齢による減少は見られませんが、「月3-4冊読む習慣のある層」においては、労働期間中(生産年齢)に数値が底を打ち、退職後に回復するという明確な「U字カーブ」を描いています。
学生時代の読書減と社会人の読書減を同列に語ることはできません。なぜなら、このグラフが示すように、「労働から解放された世代(70代以上)」では、数値が学生時代の水準まで回復しているからです。 もし「加齢による文字離れ」や「スマホ普及」だけが原因であれば、高齢層でここまで数値が戻ることは説明がつきません。
もちろん、今回のような一時点の調査である以上、厳密には加齢による変化とコホート効果を切り分ける分析が必要です。しかし、データの限界を差し引いてもなお、この「労働期間中にのみ、特定の読書層が凹む」という事実は、労働環境がまとまった読書習慣を構造的に阻害している可能性を強く示唆しています。 全体平均にならすことで分布の特異性を捨象してしまう飯田さんの分析は、データに表れた当事者ーー働いていると本が読めないのだとほんとうに感じている人々ーーの痛みを見落としていると言わざるを得ません。
→この主張も前述したように、1人動くと1.2%動くデータで示唆するのは無理があります。
U字カーブ?あなたは70歳以上の人が自在にスマホをいじくってネットサーフィンしているのを想像できますか?
交絡(データに影響を与える別の要素)がありすぎて、単純に就労の有無だけを結果の原因として求めるのはちゃんちゃらおかしいと思いませんか?
「痛み」ですか、はあ。タバコ吸っても健康でいられると思ってる人の痛みを想像したことありますか?(笑)
一見すると、「書籍の読書冊数と市場規模は相関しないが、雑誌は相関する」という飯田さんの主張は正しいように見えます。しかし、ここで気を付けなければならないのは、市場規模の根拠として用いられているデータの定義です。これは「出版販売額」、つまり新刊市場の推移にすぎません。
雑誌のみが市場規模と相関する主要因は、書籍と雑誌の読書習慣の違いというより、市場構造の違いにあると考えるのが妥当です。書籍は図書館での貸出や、古書店・メルカリ等の二次流通市場といった新品購入以外のタッチポイントが豊富です。
→なるほど、たしかに書籍は図書館や古書店で接触がある分、新品市場だけで語ると乖離が出そうですね。
つまり、「読書数の総量=新品購入+レンタル・中古」になるってことですな??
ということは「読書数>新品購入の勢い」が成立するということだ。ふむふむ。
こうした「読む」と「買う」を短絡的に結びつける考え方はよく見られる。しかし、読む量と買う量は単純にイコールにはならない。イコールになるなら「積ん読」という言葉は存在しない。
→えーっと、積読があるから「読書数<新品購入市場の勢い」もありえると。
……市井氏は積読があるから「読書数<新品購入市場」と言い、その反論として三宅氏は中古やレンタル市場があるから「読書数>新品購入市場」と言っている!かみあってない!
まわりくどいんだけど、結局どっちも「書籍の読書数と新品購入に相関がない」が「雑誌は読書数と新品購入に相関がある」というのが主張で、一致している!反論すると見せかけて同じことを主張するという高等テクニックである。
また、拙著の「雑誌や自己啓発書を中心として、労働者階級にも読まれる書籍は存在していた」という記述に対し、飯田さんは「雑誌と書籍の区別がついていない」と批判されています。しかし、拙著の記述は明治時代の出版状況についての記述であり、いうまでもないことですが雑誌はコミックや週刊誌の割合も時代とともに変わっていきます。明治の雑誌出版に関する記述を、現代の雑誌と同様の枠組みで捉え、区別がついていないとするのは、論理が通らないのではないでしょうか。
以上のように、構造的に相関の低い「新刊販売額」を指標として用いて「書籍と雑誌は読書習慣が異なるので分けて考えるべき」と主張するのはデータの選定として不適切です。本来であれば、図書館の貸出しや二次流通市場におけるタッチポイントも考慮したうえで読書冊数との相関がないことを示すべきです。また時代によって役割の異なるメディアを十把一絡げに扱うのは、妥当性を欠いていると言わざるを得ません。
→えーと、前半の文章は市井氏の引用した部分が明治時代の話をしているから不適切ってことだな。うむ作者が言うならそうなのだろう。
後半は……
構造的に相関の低い『新刊販売額』を指標として用いて『書籍と雑誌は読書習慣が異なるので分けて考えるべき』と主張するのはデータの選定として不適切」
あれ、あなたも書籍読書数と販売数は相関しないけど雑誌は相関するって言ってましたよね?
市井氏のnoteをみると、扱っているデータは70年代以降のもので明治時代の話はしてなさそうですけどね。
それに市井氏の
なお、『読書世論調査2016年度』には書籍の読書率について「戦後、読書世論調査の開始以来、多少の変動はあるものの、おおむね5割前後で推移している」と書いてある。『なぜはた』は読書世論調査を引用しておきながら、読書世論調査サイドの「長年そんなに変化がない」という見解とは異なる「本離れが進んでいる」という主張をしている。
この部分に関する反論はしなくていいんですかね。マスデータだから?
引用元の文献(黒田祥子・山本勲「長時間労働是正と人的資本投資との関係」)を見る限り、これは事実ではあるものの、解釈と適用先が間違っていると考えられます。
というのも、ここで引用されている論文が測定している「自己研鑽」と、拙著が指摘する「自己啓発書の読書」は、行動の質が全く異なります。論文が指すのは資格取得やスキルアップのための「能動的な学習」であり、これに対して『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』が論じているのは、新自由主義的な不安に駆られた人々が救いを求めて読む「自己啓発書の消費」です。むしろ、「労働時間が減っても、能動的な学習に取り組むほどの気力や体力は回復していない」という論文の結果は、人々が手軽な「やった感」や「効率的な正解」を得られる自己啓発書(=ファスト教養)に流れるという拙著の仮説と矛盾しません。
「キャリアアップのための能動的な学習」の機会が減ったからといって、「手軽なノウハウ本」のニーズがないことの証明にはならず、このデータを根拠にするのは的はずれです。
→確かに「自己研鑽の時間が減ったから」といって「手軽な自己啓発本を読む時間が減った」とは言えない。それはその通りだ。まあ手軽な方が増えたとするのはあくまで仮説で、それを証明する手段もそうないよね。
飯田さんは「市場規模において、依然として小説は自己啓発書より大きいため、自己啓発書へのシフトという説は誤りである」と主張されています。
第一に、議論の焦点は、現時点での「絶対量」ではなく「変化の方向性(トレンド)」です。たとえパイの大きさが小説の方が大きくとも、書店の棚構成の変化や、人々の意識における効率性の重視といったトレンドの変化を否定する材料にはなりません。
第二に、ここで飯田さんの論理には明確なダブルスタンダードが存在します。飯田さんはこれまでの議論において、「市場動向と読書実態は書籍においては必ずしも一致しない」と主張されました。しかし、ここでは一転して、「小説の方が推定発行金額(市場規模)が大きい」ことを根拠に、「小説の方が読まれている」と結論付けています。
→いったん整理すると、
<三宅氏の主張>
読書の方向性が手軽な自己啓発書にシフトしているから読書量が減った。
<市井氏の主張>
小説の市場規模の方が大きいので自己啓発書の読書量に対する影響は大きくないはずだ。
市場規模では確かにそうだが、トレンド(推移)は見てないですよね?だからその論は否定の根拠にはなりません。
さっき書籍と雑誌の比較で「市場規模と読書量は相関しない」って言ってたのに、自己啓発書と小説を市場規模で比較するのはおかしい!ダブルスタンダード!
→
反論①については、たしかにトレンドはそうかもしれないけど、象に犬がキックしても効かないように、市場における小説の占める割合の方が圧倒的に大きいのだから、自己啓発書のトレンドがまあまああっても全体のムーブには影響しにくいっていうのは確かなんじゃないですかね。
反論②については、雑誌と書籍の比較と、小説と自己啓発書(どちらも書籍に含まれる)の比較は全然別だから、まずダブルスタンダードとは言えないのは明らか。これは間違いない。
ご自身にとって都合の良い時だけ売上と読書実態を切り離し、別の場面では売上を読書実態の根拠とするのは、論理的一貫性を欠いています。
→これは完全にどっちもどっちと言わざるを得ません。データ分析を仕事にしている人ってこのレベルなんですね。というかそもそもデータの部分よりも文章の方が蛇行運転になっていて、上記したように論理が合わない箇所がいくつかあります。心配になりました。
<お わ り>
女はそれほどセックスが必要ではない(という人が多い)が、男は切実にセックスが必要っていう不均衡こそ、セックスワークが成立する条件なんだろうな
労働というのは本質的に人ができないこと、やらずに済ませたいことを肩代わりして金を貰う行為だ
大してセックスしたくない、しなくて済むならそれで済ませたい側の女からするとそこまて性欲に振り回されるのなんなん?と思わなくもないが、男性の性欲を体験したことがないからそう思うだけで、実際しんどいのかもしれないし
でもどのくらいしんどいのかわかんないから有識者に教えてほしい
そんなにセックスはしたいと思わない。
面倒だし、しなくても困ることはない。
もちろん時々したいという欲求にかられることもあるが、Twitterでも眺めて無の時間を過ごすうちに、そんな欲求も薄れてくる。
眠い。
とにかく眠い。
日々のフルタイム労働に加えて、終わりのない家事。作っても作っても現れる「ごはんのじかん」。毎日出てくるホコリ。洗ったばかりなのにまた洗濯。物の在庫管理にチラシを見ながら必要なものを安く手に入れるための思考アレコレ。まとめ買いするから毎回重い。
もうツラツラ述べるのさえ面倒。
さらに、ここに挙げたのは有名どころの例であり、もっと細かな、結露を拭くとか、裏返しの靴下を戻すとか、椅子のネジを締め直すとか、もうゴマンとタスクがある。
私は疲れ切っている。
そこにセックス。
いや、できればごめんなさいしたい。睡眠時間をください。もしくは推し活の時間をください。日々のタスクに追われて推し活は休止中である。
とにかくこんな感じなのだ。
『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』って本はタイトルだけ見て
独自に科学的調査をしてそこから仮説を立てているのかとおといきや
・自分はたまたま年収面などで上手く言ったが、今の新卒のメンバーはどうなるか分からない。
・20代でFIREみたいな条件では無く、年齢相応に遊んだり失敗したりしながらも晩年詰まない方法を考えたい。
前提
・今の新卒が30代、40代になったらという話は経済環境が分からないから、今考え得るレベルで考える。
・親の資産も無い前提
やること
・もしもの時に即詰みにならない状態を作ろう。事故があったときの医療費や生活資金としての掛け捨て保険、急な退職など保険で賄えないことがあったときの貯金が必要。
・高額医療制度があるから保険は不要、若いうちは元気だから保険は不要、は分かりつつ、3,000円くらいから入れるので入っておいた方が良いと私は思った。
・最初は資産形成とかそういうこと、考えずに労働収入を安定化させることに動いた方が良い。今は転職も選択肢としてあり得るので、骨を埋める必要も無い。副業もある。
・月並みですが、100万超えたら生活スタイルを見つつも積み立てNISAに全ツッパ。
・今の制度だと120万/年を詰めるまではNISAだけ見ていればOK。
・オルカンでもSP500でもFANGでも日本株でもお好きなのをどうぞ。大事なのは投資している感覚を持たないこと。
その3:NISAに満額出来るようになったら、そこからは自由に。
・生活スタイルや家族の有無などにもよるが、年120万を安定して投資に回せるようになったら後は自分の欲望の赴くままにすればいい。
・成長枠を使って投資するもあり、老後に心配をしてiDeCoするのも良い、仮想通貨とかに掛けても良い。
・言いたいことは、その2まではあくまで投資であり、投機でではない。その3から投機を考えるようにした方が良い。
・資産というものが出来てきたら終わり方を考える。終身とか相続とか贈与とか。
・長い人でその3の期間が30年とかあると思うので、そのときにリテラシーが嫌でも上がっていると思うのでExitを考える。
ここまで書いて思ったけど、ぶっちゃけその2まで行けることが大事。
その1をおろそかにしてNISA全ツッパとか、ライフスタイル削ってFIREとか、何も言える立場では無いけど、お勧めはしない。
野党って本当におかしくないか。なんで間違った戦略を延々とやり続けるんだろう。どう考えても勝てないやり方を、なぜか「これが正しい」と思い込んで突っ走るあの姿勢、理解不能なんだよ。
多様性とか同性婚とか夫婦別姓とか、テーマ自体を否定するわけじゃない。ただ、それを“対立軸”に据えて自民と戦うのは無理筋すぎるって話。そんなマイナー領域で勝負しても票は増えないし、そもそもそこは「争点ですらない」。自民の中にも賛成派は普通にいる。ただ党内で今は少数派ってだけ。そんなもんを軸にして選挙勝てるわけがない。
もし俺が野党第一党の党首なら、安全保障と経済と労働と給料と社会福祉、この5本柱に全振りする。政治と金の問題を徹底的に減らす方向でアピールする。要は国民の大多数が「直撃する」部分だけやる。これだけで数年で政権交代の目は普通にある。
ていうか俺じゃなくても、お前らでもできる。というか、やらない方がおかしい。だからこそ余計に謎なんだよ。なんでこんな当たり前のことをやらずに、勝てない争点に全リソース突っ込んで負け続けてるのか。
結局のところ、国を良くしたいから政治やってるんじゃなくて、自分の椅子を守るために政治家やってるってことなんだろうな。そういう“サボってる連中”をなんで誰もちゃんと批判しないのか、本気で分からない。
パートなどという舐め腐った労働が可能なのは他方の配偶者が十分に稼いでいる場合だけ
フルタイムの共働きを余儀なくされる中間層はその恩恵にあやかれない
オタク趣味を「労働」や「生活」に紐付けられたらめっちゃ楽しいぞ。
具体的にはプロのイラストレーターや漫画家、アニメーター、ゲーム会社のデザイナーになることだが、俺は美大卒後に新卒で入ったゲーム会社を数年で辞めて専業同人作家に落ち着いて現在に至る。
朝から晩までオタク文化漬けで、むしろオタク文化に浸かりっぱなしであることが本業の収益に直結するから、俺としては死ぬまでずっとオタクを続けることになるだろうという確信がある。嫁もオタクなので夫婦間の話題にも一切困らない。
今年に入ってから、環境が変わったり、色んなことに挑戦したり、めちゃくちゃに体調とメンタルを崩していたんだけど、
12月に入ってから師走の名の通り、めちゃくちゃ駆け抜けている。人生を。
まず、11月末に祖父が亡くなった。私は今23歳だけど、身近な人の死を体験したのはこれが初めてだった。めちゃくちゃに泣いた。泣きながら従兄弟達の面倒を見ていた。
短期間で首都圏→地元→首都圏と移動をすることになったので、大変疲れた。そこから怒涛のバイト。特殊なバイトをしているので詳しく書くことはできないが、30分に1回息を切らし理不尽だ!!と心の中で叫ぶほど忙しい労働をしている。やりがいはある。
そして先日、酒を飲んでやらかす。労働に嫌気がさし、帰宅してから結構な量の酒を飲んだ。イキってタバコも吸った。
気付いたら浴槽の中で爆睡していた。
部屋は有り得ないくらい荒れていて、酒を零した跡、めちゃくちゃになった本棚、散乱したゴミで溢れかえっていた。
そして漏らした。
23歳、大学院生。割とまじめに生きてきた方だと思う。家族からは「小さい頃からしっかりしていた」「ちゃんとしてる子だ」「まじめだ」と言われ育ってきた。
最後に漏らしたのは3歳の頃だった気がする。
酒でやらかすといつもこうだ。駅で吐いたり、友達に泣きついたり、変なところで寝たり。
嫌なことがあった時は現実逃避して良いと思うけど、酒に溺れるのは辞めようと思った。
中小JTCなサラリーマンで特にプロフェッショナルなスキルもないまま働き、会社での身分は係長止まり。とはいえ年下の上司や仲間と仲良く働いて、嫁さんも子供もいる就職氷河期おじさん。様々なラッキーが重なり、少なくない資産を持ち、人畜無害な顔をしながら今日も朝から満員電車に乗っています。
誰にも言えないわいのリアルを増田で吐き出すんだ。氷河期だから全員が不幸なわけじゃない。氷河期は無条件にかわいそうなのではない。こんなラッキーな氷河期おじさんがいることも知ってほしい。
2000年頃、リクルート主催でお台場で合同就職説明会があり、適当に参加してあれこれ見て、適当に選んだ会社にエントリー。そのまま友人と近くのトヨタメガウェブで車乗って遊んで帰った。エントリーした会社の面接を受けたらトントン拍子で決まり、なんか雰囲気も悪くなかったからそのまま営業として就職。
もくもくと働いていたら、たまたま大きく売れて表彰され、賞金もくれたりして、いい会社だなーと思って働いてた(今振り返れば相当なブラック労働&上司だったが。)その後リーマンショックで全然モノが売れなくなり、暇だったから仲良いお客さんのとこに入り浸ってサボり、昼からお客さんと酒飲んでカラオケ行ったりして遊んでたら色んな会社や人紹介してくれてなんやかんや売れて、不況とかあんま関係なく賞金も貰えて、意図せず全社トップセールスになって表彰されたりもした。
結果、結構お金を貰えて貯まったから仲の良い同期に酒奢って飲んでたら「これからの時代は投資だ」と教わり、その時はじめて投資信託やらFX(外国為替証拠金取引)なるものがあることを知った。仕組みを調べたら、FXはヤバイだの、投信はインデックス系が良さそうだの、アクティブファンドはあかんだの、詳細はよく分からないが典型的な悪手があるっぽいことはわかり、それらは踏まないように気をつけ、当時出始めていたネット証券で口座開設のうえ手数料の安いファンドを積立てはじめたのが2010年。翌年、東日本大震災の発災で、FXでドルを買っていたものが日本が危機なのになぜか円高に触れまくり、1ドル76円とか狂った価格に。軒並みドルロングポジションを狩られ無事損失100万越えの強制退場。激痛を経験し証拠金取引は一切やらないことを決意(その数年後、200万円を失う大事故をおかわり。)加えて円高によるドル建てのS&P投信とか凹み放題だったが現物はロスカットなどもなくこれは強いと再認識。マイナスやけどいつか復活するやろの精神で高級な焼肉を食べて金が蒸発したと思いこんで寝かしておいた。
そこから、謎の胆力で貯金のつもり積立で日経平均やらS&Pをつみたてたりして、年を追うごと少しずつ資産が増えたり、ときに減ったりしながらも、ゆるゆると資産の下限が切り上がっていく様を見て確信。「ん?もしかして、これずっとやってたらお金増えるやん?」。単純である。
途中結婚したり、式の前に子供が先に生まれる漏洩事故を起こしたり、金が入り用で投信売ったり、積立やめたりするときもあったけど、なんやかんや「金増えるやん!」だけで、積立し続けてた。加えて2015年頃、暗号通貨なるものを知って、これはナウいから買ったほうがいい、とか、わけわからん動機でビットコインとリップルをCoincheck経由で30万円分ほど買っていたのも後から資産形成に大きく寄与した。
2020年頃、世界がコロナでぶっ壊れる中、株も債権も為替も先物も全部ぶっ壊れてた(なんか原油とか価格マイナスになってて意味不明だったし)。しかしわいの資産は世界経済も日本経済もクソオブクソな時から積んでいたから、びくともしなかった。わいは手持ちの金で価格がぶっ壊れた投信たちをしこたま積み増しした。
それから5年たった今、たまたま出にした成果で手元には3億円を超える資産ができた。投信は上がり、暗号通貨は上がり、証拠金取引で事故って手を引き、現物積み上げで地道にコツコツやってきた。
何も資産のない農家の生まれで一家初のサラリーマン。平均給与以下の氷河期世代が、10数年にわたる投資で資産3億達成は、静かなるホームランだろうと思う。そんな氷河期世代だが地味に打席に立ち続けて打ててるサラリーマンもいることを知ってほしい。氷河期世代は無条件にかわいそうなのではなく、ラッキーが重なったわいみたいな奴も存在する。さえない顔して満員電車乗ってるくたびれた氷河期世代のおっさんの財布に3億入ってる可能性も微レ存なんよ。
Permalink |記事への反応(12) | 23:53
俺たちは気づくべきだった。
「女子が総合職並みの地位と給料を手に入れるための最終兵器」だと。
すべてはここから始まった。
第1章 頂き体質の最終進化形=「働きたくないけど給料は欲しい」
・デートで奢られる
・パパ活で貢がれる
・握手会で金を取る
→ 出社せずに給料もらえる
全部同じベクトル。
表向きのスローガンは
でも実態はこうだ。
総合職並みに働かなくて済む仕組み」
2025年現在、典型的な「働き方改革女子」の1日はこうなっている。
9:30 遅刻気味に出社(時差出勤)
月給 68万円(総合職同等)
一方、同期の男子は
7:00 出社
23:00 退社
月給 42万円(残業代込み)
でも人事評価では
女子のほうが「ワークライフバランスを体現している」として高評価。
でも実際はこうだ。
結果、厚生労働省が動いた。
同時に導入されたのが
・時短勤務
これで女子は
を達成しながら、
クーツーはただの「靴の話」じゃなかった。
「生理前で頭が……」
「更年期っぽくて……」
これを言われた瞬間、
結果、
実際のところ、
でも誰も検証できない。
これで年間休日が実質200日超えても、
ボーナスも満額。
昇進もする。
第5章 働き方改革の真の勝者
働き方改革で得をしたのは誰か?
損したのは誰か?
でも誰も文句を言えない。
第6章 頂き体質の完全勝利
最初は「奢られた!!」だった。
次に「教えてくれない!!」だった。
そして今は「働きたくない!!」
でも全部同じ叫びだ。
お金は欲しいけど、
働き方改革は、
結果、
・日本は衰退
でも女子は勝ち続ける。
なぜなら、
でも実際はこうだ。
奢られた!!
教えてもらえなかった!!
働きたくない!!
すべて同じ場所に辿り着いた。
これが2025年、
日本が到達した最終到達点。
そして明日も、
どこかのオフィスで、
新しい女子が微笑みながら言う。
働き方改革は終わらない。
(了)
14歳で適応障害(当時そんな病名は聞かなかった)を発症してから20数年。
鬱病、強迫神経症、摂食障害は正式に病名がつき、その他、双極性障害2型と統合失調症は医師からそうかもと言われた。
大学は鬱と摂食障害で中退し、そこから寛解期に猛烈に労働したお陰で正規雇用で働き続けているが、6年前に再発して以来ずっと精神科のお世話になっている。
普通に働けているようで働けていない。
薬を飲みながら周りには隠して労働しているが、前職は耐えきれず鬱の診断書を職場に提出して休職する羽目になった。
夜眠れないし朝起きれない。
たまにドキュメントがしっかり読めないし、物忘れが年々激しくなっていく(医師には一時的な脳疲労と言われたが、負荷で萎縮して不可逆的ダメージ負っているのではと思っている)
ちょっとしたことで感情がかき乱されるし、またいつ折れるか分からない不安が傍にある。
貯金がないので働かざるを得ない。
ゆっくり休むだけの余裕がない。
若い時分に実家には死ぬほど迷惑をかけたので、親にも「いい歳なんだからちゃんとしてよ」しか言われないので頼る気も起きない(申し訳ない。親も高齢者だ)
家庭もないし恋人もいない。
友達も鬱期になると縁が切れてしまうので知人レベルしかいない。
発狂しそうな気持ちを抑えて労働しているけど、毎日消えたい気持でいっぱい。
働くだけでは誰も認めてくれない。
精神の病を患いながら働いてる人は周りにもいるのだろう。
みんなどうやってこのどうしようもない感じと付き合いながら生きているんだろう。
クソ面倒くせえ。理由は関係なく対局日に出席できないなら不戦敗だろ。そして、労基法の労働禁止規定を援用した対局不可期間の設定も妥当/設定された日に出席できないなら辞退するしかないだろ。仕事だぞ?
自分に一切利害関係のない業界で業界全体で妊娠しゅっさんする女性のために
前向きに考えていこう!ってなってるのが気に入らなくてムキー!ってなってる
仕事っぽいことか……
何か責任取ることとかしたくないし
近所の子供の登校を見守る旗振りの人とか?
確かに日給は出るけど
ボランティアとかはしたくないな
近所の探したら老人のサークルばっかだったわ
ふと変な考えが頭に浮かんだ。道端に貼ってあった就活セミナーのポスターを見たせいかもしれない。スーツ姿の大学生が笑顔で「未来をつかめ!」みたいなことを書いていて、
で、そのまま考えが変な方向にすべって、
「もし自分に子供がいて、その子が大学卒業直前で自死したら、悲しいんだろうか」
とか考え始めた。
日本で働くって、幸福期待値としてはマイナスな気がする。よく言われることだけどブラック労働国家だし、朝の満員電車、上司に怒鳴られて消耗する日々とか、あれのどこに人生の肯定要素があるんだろうと思う。もちろん例外はあるんだろうけれど、多くの人にとっては「まあ、こんなもんでしょ」で誤魔化しながら続けるしかない。
そんな世界にこれから飛び込む寸前で、もし子供が降りてしまったら?
それって「悲しい」と考えるべきなのか(いや、普通に考えたら悲しいはずなんだけど)
それかあれか?親自身がこれから先の未来に穴が空いてしまうから悲しいのか。
たぶん多くの親は前者と言うんだと思うけどもそうはいっても、日本で大学卒業前に自殺するのは勝ち逃げという気もする
長く生きるほど苦労が増える国で、「本人の将来を思って涙を流す」とは言えない気もする
もし仮に、大学までそこそこ楽しく過ごして、友達と遊んだりサークルで飲んだり、講義サボって喫茶店で時間つぶしたり、そういう「人生のいいとこ取り」だけをして終えてしまったとしたら、それを悲劇と呼ぶべきなのか?本当に子供の幸福を思うなら喜ぶべきなんじゃなかろうか?
そもそも「悲しい」という言葉の中には、「寂しい」「自分の未来が変わってしまう」「周りから色々言われる」とか、ぜんぜん別の感情がごちゃまぜに入ってるような気がする。
それを全部ひっくるめて「子供のために泣く」と言い換えてるだけで、実際には自分の方の時間軸の喪失が大きいんじゃないだろうか