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はてなキーワード:助詞とは

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2025-12-09

anond:20251209175204

最初がわかんなくてもざっと最後まで読んだうえで何回か精読(というほどでなくても不明な部分を読み直す)すれば助詞間違いってわかると思うで。

まあ助詞間違えた俺に一番の非があるんだけど。直しといたで。

dorawiiより

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Permalink |記事への反応(0) | 17:54

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2025-11-30

ヒコロヒーのエッセイ別にそれほど名文ではない

Xでヒコロヒーさんが『BRUTUS』に寄稿したエッセイがバズり、今度はそれに対して「そんなに刺さらなかった」と発言したアカウントがバズり、色々な意見(というか論争)が交わされている。

実際にエッセイを読んでみたけれど、少なくとも名文ではない。自称読書垢やnote界隈が絶賛するような、素晴らしい文章とも思えない。

だけどこれは別に「私に刺さらなかった」という話ではない。彼女の文はそもそも日本語文章としてみれば悪文というだけの話だ。

たとえば、エッセイ中でこんな記述がある。

「私が話したい出来事言葉となって口から抽出された時点で、相手の受け取り方は相手次第であるが故にずれが生じることがあり、それはいかなるコミュニケーションにおいても不可避めいていることであるが、余計なことを言われてげんなりすることも、そういうことではないと釈明することも面倒臭い。」

原文ママ

最初これを読んだ時、ええ?と思った。

一文で100字以上というのは文章としていかがなものかと思う。口語をそのまま書き写したらこのようになるのかもしれないけれど、日本語文章として見れば不適格だろう。言ってしまえば読みづらいし伝わりづらいのだ。

まず、あまりにも一文が長いせいで、主語と述語の対応関係が非常に分かりづらい。「私が話したい出来事が~」と始まって、その後に「相手の受け取り方は~」、「それは~」と、次々主語が移り変わる。

しかも、一文の中で主語が目まぐるしく変化したと思いきや、最後は「面倒くさい」という述語で終わっており、結局この文の主語は筆者であるわたしは」ということになる。しかもその「わたしは」の部分は本来「余計なことを~」の前に置かれるべきなのに、この文ではその肝心な部分が省かれているせいで、結局何の話をしているのか一読して見えてこない。

主語があっちにいったりこっちにいったりするせいで、一般論なのか著者の視点なのか、その階層構造判別としない。また、「出来事を口にする」というのをわざわざ「抽出される」という受け身のよく分からない言い換えにする必要も感じられない。

このように文の構造おかしかったり不必要助動詞を連発されると、読み手は一文の中であっちこっち振り回されただただ混乱させられることとなり、非常に読みづらい。

というか、文章を書く者として読点句読点を使い分ける意識は無いのだろうか。

他にも文章として破綻している部分がある。

「単純に今日ハード疲れたと弱音を吐くことさえ、相手によっては「自慢げだ」などと思われることもあるだろう、さら相手がよしなになろうとしている男性である場合なら、彼らのプライド無駄に刺激して、むやみに自信を奪うかやたらと張り合われるかの二択となって煩わしい思いをするだけである。とにかく自己開示はしたくない。厄介なだけだ。」

主語が抜けている点、読点句読点が使い分けれらていない点について言うのは止めにしても、この文にもやや問題がある。

「よしなになろうとしている男性」、「彼ら」、「相手」というのは全て同一の対象を参照する言葉だと思われるが、表現がそれぞれバラバラで人称も安定しないために、イメージが掴みにくい。

ちなみに、「よしなに」という表現おかしい。本来「よしなに」は「依頼を受けた相手側の便宜を図って」という意味で使う言葉であり、少なくとも人間関係上の「仲良くなる」とか「穏便に」とかい意味で使われる言葉ではない。

また、文後半の「むやみに自信を奪うかやたらと張り合われるか」の部分は並列助詞「~か」を使っているが、この場合「むやみに自信を奪う」のは筆者であり、「やたらと張り合う」のは相手であろう。

これ自体文法規則上は何の問題もないのだが、さっきから言っている通りこのエッセイではことごとく主語であるわたし」が省かれているので、行為主体がやたらとぼやける。

文脈的に、後者の「やたらと張り合う」は前の「よしなになろうとしている男性」を引き継いでいるので意味は通るが、前者の「むやみに自信を奪う」は、ここまで出てこなかった筆者が突然出てくるので混乱しやすい。しかもその後、また主語相手男性に移り、最後の述語部分ではまた筆者に戻ってくるため、余計に読み手視点は揺さぶられる。

とまあこんな感じに、このエッセイには日本語文章表現として見ればほとんど悪文に近いものがいくつも散見される。筆者であるヒコロヒーさんの文体を出来るだけ尊重する意図編集もそんなに手を入れていないのだろうが、一般読者からすれば、とてもじゃないがスラスラとは読めない。まあ目が滑る

ではなぜここまで絶賛されているのかというと、それはヒコロヒーさんの文章が上手いからというよりも、彼女感性が優れたものであり、普段日常で感じる人間機微や苦悩を、ありのまま自分言葉表現しているからだろう。

ただ、その感性センスを褒めたたえるのは大いに結構だが、優れた文章表現かと言われると、それには大いに反対である。一つの文章として見れば、少なくともこれはあまり良い文章とは言えない。

逆に、この文章があまり良い出来ではないからといって、そこに書いてあるテーマまでひどいかと言われると、それもまた違う。

彼女の言っている内容自体は心に響くテーマだと思うし、伝わりづらいが、何となく言いたいことにも同意できる。こういうあまり人に言えない心の悩みをスラリと代弁してくれるところが、彼女がウケた理由になっているのだろう。

結局何が言いたいのかと言うと、このエッセイについて絶賛であろうが否定的であろうが、それが「文章」についてなのか、「テーマや筆者の感性についてなのか」を、どちらももう少し考えた方がいいと思うのである

絶賛派は、正直言って文章というものを読まなすである。これをスラスラと読むのは、普通活字に慣れている人間には無理だろう。読点や句読点無視してSNS感覚で読めば可能なのかもしれないが、すくなくとも直木賞文豪天才だと騒ぐのは恥ずかしいからよした方がいいと思う。

逆に文章が受けつけないという人は、刺さらなかったなんだと言う前に、このエッセイ文章的に悪文に分類されるということをズバっと言ってしまえばいいだろう。感性センスは人それぞれのものであるはずのに、わざわざ迂回するようなかたちで彼女美的センスを腐す理由が分からない。批判が怖いなら、そもそも触れるべきじゃない。

どちらも問題ありだと思うが、結局これはエッセイ自体文章力云々というよりも、「それを読む側の文章力が根本的に欠けていること」に起因する問題だと思う。どちらも思うことはあるけれど、どうせそれを上手く140字の文章にもできないだけのことだろう。

たかが140字なんだし、少なくとも文章について語るぐらいの文章力は、それぞれ身に着けるべきだと思うんですけどね。

Permalink |記事への反応(0) | 17:59

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2025-11-27

anond:20251127191518

「では」って言ってるのわからないの?ここがなんjと違うという認識がないと出現しない助詞だよ

dorawiiより

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Permalink |記事への反応(1) | 19:16

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2025-11-25

anond:20251125045337

「文が羅列されてるだけ」なんだよな?w

それはつまり文章」ってことなんだが?w

文が羅列されたものは「文章」そのものを指すこともありますが、多くの場合、文が論理的なつながりや構成を持たず、ただ並べられただけの状態を指し、「乱文」「稚拙文章」「悪文」などと表現されます。これは、助詞の羅列、修飾語不適切な配置、冗長表現などが原因で読み手意図が伝わりにくい文章です。

Permalink |記事への反応(1) | 04:55

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2025-11-22

ダニノミ漫画を探すのは難しい

前は能をテーマにした漫画をbookliveで探そうとすると能力って単語に対しても引っかかって難しいと書いたがそれより厄介なのを見つけたと言うのがこれ。

ノミ助詞ノミだろうが引っかかるしだにとかだって助詞もあるしいかだに乗るでも引っかかるし。

ゴキブリはごきちゃって漫画を見つけれたけど果たしてダニノミ主題や主要な要素になってる漫画を見つけるにはどうすればいいだろうね

dorawiiより

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Permalink |記事への反応(0) | 01:34

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2025-11-21

anond:20251121125059

日本語助詞てにをは

Permalink |記事への反応(0) | 12:57

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2025-10-28

anond:20251028194024

助詞がが多かった俺は今日モテモテって事か

Permalink |記事への反応(1) | 19:47

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なんだか最近文章書いててよく助詞入れ忘れちゃうなあ・・・

女子とめっきり縁がないからかな

なんつって

ぷぷ

Permalink |記事への反応(1) | 19:40

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2025-10-08

日本語難しすぎ。こんな言語喋れるようになるわけがない。

「洗う」は否定の「ない」をつけると、「洗わない」と語尾がワ行の音になるのはなぜ?

これは、現代日本語に残る歴史的言葉の変化の名残です。

端的に言うと、「洗う」の「う」は、昔の日本語ではワ行の音として扱われていたためです。

## A Special Rule for Verbs Ending in 「う」

まず、現代語のルールとして、「う」で終わる五段活用動詞を「~ない」の形にするときは、「う」を「わ」に変えるという決まりがあります

• 言う → 言わない

• 使う → 使わない

• 思う → 思わない

「洗う」もこのルールに従っているわけですが、なぜこのような特別ルールがあるのかがご質問ポイントですね。

## The DeeperReason: A Relic of OldJapanese 📜

その理由は、日本語歴史にあります

昔の日本語歴史的仮名遣い)では、これらの動詞は「う」ではなく「ふ」で書かれていました。

• 洗う → 洗ふ (arafu)

• 言う → 言ふ (ifu)

• 使う → 使ふ (tsukafu)

これはハ行(ha, hi, fu, he,ho)の活用をする動詞でした。動詞を「~ない」の形にするとき活用ルールに従って語尾をア段の音に変える必要がありました。

ハ行のア段は「は (ha)」ですよね。そのため、昔はこう活用していました。

• 洗ふ (arafu) → 洗はず (arahazu) or 洗はない (arahanai)

• 言ふ (ifu) → 言はず (ihazu) or 言はない (ihanai)

その後、時代が下るにつれて、言葉の途中にある「は(ha)」の音が、発音やすいように「わ(wa)」の音へと変化していきました。

変化のまとめ

1. 昔の形: 洗ふ (arafu)

2. 昔の否定形: 洗はない (arahanai)

3.発音の変化: 「は(ha)」の音が「わ(wa)」になる

4.現代否定形: 洗わない (arawanai)

そして、辞書に載っている基本の形も、洗ふ(fu) の発音が 洗う(u) へと変化し、現代の書き方になりました。

このように、「洗わない」の「わ」は、元をたどればハ行の「は」であり、その発音が変化して残ったものなのです。

「遊んでる」という言い回しとき、「遊ぶ」の語尾が「遊ん」に活用で変化しているのか ?

はい、その通りです。「遊んでる」という言葉において、「遊ぶ」が「遊ん」に変化しているのは動詞活用の一環です。

詳しく解説します。

1. 「遊んでる」の元の形

まず、「遊んでる」は「遊んでいる」の話し言葉口語)での省略形です。

2. 「遊んでいる」の成り立ち

「遊んでいる」は、動詞「遊ぶ」と、補助動詞「いる」がくっついた形です。動詞接続するため、「遊ぶ」は「て形」と呼ばれる形に活用(変化)しています

3. 「遊ぶ」の「て形」への活用

動詞「遊ぶ」の「て形」は「遊んで」となります。 この「遊ぶ」→「遊んで」という変化が、ご質問の核心部分です。

この活用は「音便(おんびん)」と呼ばれる、発音やすくするための特殊な音の変化です。具体的には「撥音便(はつおんびん)」と言います

活用プロセス:

1. 遊ぶ (asobu) の連用形「遊び (asobi)」に接続助詞「て (te)」がつく。 → asobi + te

2.発音やすくするために「bi」の音が「ん (n)」に変化する。(これが撥音便) → ason + te

3. 前の音が「ん」になった影響で、後ろの「て (te)」が濁って「で (de)」に変化する(連濁)。 → 遊んで (asonde)

このルールは、「~ぶ」「~む」「~ぬ」で終わる五段活用動詞共通しています

他の例:

• 読む (yomu) → 読んで (yonde)

死ぬ (shinu) → 死んで (shinde)

• 呼ぶ (yobu) → 呼んで (yonde)

まとめ

「遊んでる」の「遊ん」の部分は、動詞「遊ぶ」が「~ている」の形に接続するために活用(音便)した結果です。文法的に正しい変化と言えます

Permalink |記事への反応(0) | 11:02

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2025-10-03

anond:20251003005348

問1「おぢ」と同じ発音単語をあげなさい

私の答え

墓地路地ポチ処置女子、語彙、母子文字ロリ、恋、距離

問2 たぶん違うと思う同じ韻の単語をあげなさい

私の答え

助詞、模擬、森、海苔、甥、叔父

先生、私は何点でしょうか?

Permalink |記事への反応(0) | 01:23

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2025-09-30

dorawii@執筆依頼募集中

お前の書き込みスラング含んでたり助詞省略してたりめちゃくちゃっていえばめちゃくちゃんsんだが?

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Permalink |記事への反応(1) | 00:56

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2025-09-19

頭の良くない人って、テキスト読ませると「書いてないことを読み上げる」んだよね

「頭の良くない人って、テキスト読ませると「書いてないことを読み上げる」んだよね。てにをは接続詞助詞など細かいところまで丁寧に拾って読めないの。雰囲気で読んでるの。だから私は家庭教師塾講師、知人の子勉強を見る時はまず一番最初に「教科書声に出して読んでみて」って学力チェックす…https://t.co/TrJkZPfJ2Kking-biscuit (@kingbiscuitSIU)September 18, 2025

dorawiiのことだああああああああああああああああああ!!!!!!!!

Permalink |記事への反応(0) | 05:00

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2025-09-12

なんで役不足って直感的に役(に)不足って読み替えちゃうんだろうな?

だって

水(が)不足

残高(が)不足とか不足系は(が)が入るじゃん?

なのに感覚的には役不足は役(に)不足と読み替えちゃう

なんで?????

大前提僕も全然誤用してた側なんよ

役(が)不足ってことなんだろうけど

役(に)不足でもよくね???って思うわ

これが大半のネイティブ話者感覚だろ

って思った

なんとなく熟語だしてみたけど、間に入る助詞?は結構いろいろあるんだな...

八方(に)美人

器用(な)貧乏

羊頭(と)狗肉 ※(だが)もあり

本末(が)転倒

最初役不足を考えたやつを殴って終わろうと思ったけど、ちょっと可愛そうだよな

Permalink |記事への反応(1) | 15:44

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2025-09-10

dorawii@執筆依頼募集中

だとしても「役立たずって事ね」って「ね」なんて念押しの助詞使ってるってことは相手の追認期待してるだろ?読めばわかるといってることなのになんで追認させたがる?

-----BEGINPGP SIGNEDMESSAGE-----Hash: SHA512https://anond.hatelabo.jp/20250910205634# -----BEGINPGP SIGNATURE-----iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaMFndAAKCRBwMdsubs4+SJfRAP4xtw4noEBVdvTv9bkAHbF1p0BLlr3qelQ+uOb+fLAFIwEAg+ge2bSLeK6UK/kLaWsPOckI+NdWPcCLklIz6ro2Mw4==xWqS-----ENDPGP SIGNATURE-----

Permalink |記事への反応(2) | 20:56

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2025-09-05

anond:20250905103308

頭のよくない人ほど助詞を抜くんだよね

Permalink |記事への反応(0) | 10:34

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2025-08-23

ローマ字は訓示式もヘボン式妥協産物

まず忘れてはいけないのが、仮名のもの現代日本語の音を完全に写してはいないということ。

  • 「す」や「し」の母音はしばしば無声化して消えてしまう。
  • 「ん」発音は状況によって [n], [m], [ŋ], [ɴ] などに変化するが、仮名はすべて「ん」文字
  • 「タ行」が「タ・ティ・トゥ・テ・ト」でない

まり仮名は「音声の現実」をすべて映し出すわけではなく、歴史的経緯実用上の必要に合わせて整理された“ざっくりした表”に過ぎない。

訓令式ヘボン式 ― どちらも妥協

訓令式ローマ字は、この「仮名=整った子音+母音の組み合わせ」という表面上のきれいさをそのままローマ字に写したもの

一見理屈は通っているようにみえるが、実際の発音とは結構ズレている。

一方、ヘボン式は「チ」「ツ」を chi tsu と書くように、仮名の不整合を認めつつ、実際の発音に近づけ国際的に通じやす表記に工夫をしている。

まり


どちらも「妥協産物」だ。

ただ悪い意味ではなく、「どの部分の実用性をとるか」という話でしかない。

歴史的仮名遣いか現代仮名遣い

昭和21年歴史的仮名遣いが廃止され、現代仮名遣いに移行した時も「日本語文化破壊だ」と強い反発があった。

「ゐ・ゑ」の廃止や、「は・へ」を助詞として「わ・え」と読む規則など、今では当たり前になっているものも「文化破壊だ」と批判された。

しかし数十年経った今、現代仮名遣いを当然のものとして使っている人は大多数で、「文化破壊」と言われた改革がむしろ新しい文化の一部だ。

ローマ字表記問題も、結局はこれと同じ構図だろう。

実務上はすでにヘボン式に移行が進んでいる

実務面では、すでにパスポート表記原則としてヘボン式統一されている。

これは単なる慣習ではなく、国際社会でのやり取りにおいてヘボン式のほうが実用的だからだ。

実務的な観点から言えば、ヘボン式への移行は「日本語文化を壊す」というより、むしろ国際社会日本人が円滑に識別されるための表記整理」と言える。

妥協こそが文化

表記というものは常に「音と文字を完全には一致させられない」という制約の中で作られ、時代ごとに妥協を繰り返してきた。

訓令式ヘボン式も、日本語のもの文化を壊すわけではなく、「どんな妥協を選ぶか」という制度設計問題にすぎない。

仮名ローマ字も、完璧さを求めてできたものではなく、常に「不完全さをどう扱うか」の試行錯誤の結果だ。

からこそ「ヘボン式への移行」も、日本語文化本質を揺るがすものではなく、「より実用的な妥協へのシフト」と見るのが正しいだろうし、そういった妥協もまた「文化の一部」だと思う。

Permalink |記事への反応(0) | 08:06

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2025-07-31

anond:20250731170130

なんでってうちの界隈が濡れぼそるだの無表情=鉄面皮だの唐突動作=おもむろにだの魔法と剣の世界観なのに電報が登場したりガチムチ筋肉無骨朴念仁キャラに「おいで」って言わせたり一文の中にこちらもを5回連呼してたり読み直し明らかにしてない誤字脱字衍字状況矛盾があったり陰嚢と精嚢の区別がついてなかったり文章未満の文字の羅列しか書けない奴らばっかりだからだよ。確かに手に握ったとか副助詞格助詞の違いはあれど同じ音の助詞連続させるんじゃねえ読みづらいんじゃ。

最強にドン引きしたのは原作完走せずにオンリー主催やった奴だけど

Permalink |記事への反応(0) | 17:17

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2025-07-25

anond:20250725100401

助詞の使い方もおかしいし(´・ω・`)

Permalink |記事への反応(1) | 10:06

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2025-07-24

anond:20250722182441

馬鹿は発想しません

伊集院光ラジオみたいなその助詞用法やめろや、「の」じゃなくて「な」だろ、相変わらずそれやってドヤ顔してんのな

Permalink |記事への反応(1) | 06:47

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2025-07-21

選挙での助詞抜きが気になる

「力貸してください」みたいな発言をいくつかメディアで見聞きした。候補者セリフ回しがアニメ調になっていないか

Permalink |記事への反応(0) | 07:21

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2025-07-15

anond:20250714142405

日本語算数は、というか文章は、助詞理解できないと無理。

加えて、1わ、1ひき、1まい、と数えるものによって単位が違う。

それに、述語が最後にくるのも特殊言語だし、語形の変化も複雑。

形態素にわけるのもすごく難しい。

結論日本語算数は難しい。

Permalink |記事への反応(1) | 16:36

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anond:20250714142405

本当に苦手というか学習時間がかかる能力が何なのか見極めることが大事ね。

ひらがなの形状認識がすごく苦手なのかもしれんし、ゴシック体明朝体にすると認識やすくなるのかもしれんし、

日本語てにをは助詞認識が苦手なせいで、英語単語の羅列のほうが意味をとりやすいのかもしれん。

単語単語の間のスペースこそが認識必要なのかもしれんし、

読み取りがだめで聞き取りが得意だったり、いろいろあるからね。

6歳で2歳なら、30歳で10レベル目標に育てるしかいね

Permalink |記事への反応(0) | 11:21

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2025-07-02

「8時10分前」の話

令和の若者は「8時10分前に集合」で8時8分に来る!?なぜ「7時50分」ではないのか?衝撃の世代ギャップ理由

https://news.yahoo.co.jp/articles/2956f5a6733f0a9eb58b12144853cc13ea0e7db8

最近若者言葉の省略の仕方が以前と変わってないか?と感じている(名詞動詞の短縮ではなく、文章として特定品詞が欠落するという意味での省略)。

私は35歳なのだが、20代前半以下の人たちの会話を聞いていると省略され方に違和感を覚えることが多い。

かに日本語はかなり省略が利く言語ではあって、若者に限らず大人たちも普段の会話では助詞接続詞のようなものを省略していることは多い。

しかし「そこを省略するか?」という部分が若者の会話だと抜け落ちていることが多いように思われるのだ(良い例が思い浮かばなくて具体例が出せず申し訳ないが・・・)。

どうも20代前半以下だと我々と違う「ルール」に則って言葉の省略が行われているらしく、若者同士ではちゃんとそのルールが共有されているか問題なく伝わっているのだろう。

しかし我々以上の世代とはそのルールが異なっているから、そこで会話が起こった時に何が省略されているのかが正しく伝わらなくて齟齬が生じるのではないかと思った。

元の「8時10分前」についても、我々のルールでは「8時『の』10分前」なのだが、若者ルールでは「8時10分『の』前」という規則になっているのだろう。

どっちが正しいかじゃなくて、それぞれが持っているルールが異なっているという事なのだ認識している。

こういう文法的ルール世代間で大きく変わるというのはどういう理由なんだろうか。

それも35歳の私と、10ちょっとしか離れていない20代前半、つまり0.5世代程度しか離れていない間でもこうまでルールが変わり、かつその20代前半以下の中ではすでに広く受け入れられているというのは凄く不思議に感じる。

少なくとも逆に例えば私から見て50代60代の人たちとその文法的ルールが大きく違うとはあまり感じていない。単語や語法は変化していたりするけども、文法的に大きく変わって意思疎通に問題が生じているという実感はない。

この辺りについて何か理由説明できる人はいるだろうか。仮説でも良いから考えられる理由を聞いてみたい。

Permalink |記事への反応(2) | 11:08

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2025-06-30

8時10分前=7時50分は一般的な言い方

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/mezamashi.media/articles/-/167928

 

「8時10分前」が7時50分を指すのは極めて一般的な言い方だと思う。

標準語表現ではあるが、関西弁などの助詞が脱落しやす方言では、特によく見られる表現だと思われる。

直接的には関係ないが、英語でも同様に、時刻を相対的な形で簡潔にあらわす表現がある。

 

もちろん世代によって使用頻度が異なるし、時代による言語の変化の渦中にあるのかもしれないが、少なくとも誤った用法では決してない。

自分はそう言わない」なら分かるけど、「そんな意味になるわけないだろ馬鹿か」みたいなコメントをしている人は、自分こそが物を知らないだけだと自覚してほしい。

Permalink |記事への反応(3) | 12:41

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2025-06-28

anond:20250628141728

まず、「ポツダム宣言の『べし』が多すぎて判断に困る」という主張ですが、これは現代語とのギャップからくる印象であって、当時の文脈や法的・外交的文書としての性質無視していますポツダム宣言1945年、つまりまだ文語体公文書の中で一般的だった時代のものであり、「べし」は当時の文書として極めて標準的な語法です。「べし」が多い=読みづらいというのは、単に読解者側の近代文語への知識不足を示しているにすぎません。

次に「古文助詞が使われていて今は使われない用法がある」という点についても、逆に言えば、当時のスタイルや語彙に即した正確な翻訳解釈を行えばいいだけの話です。現代人が誤解しやすいからといって、それをもって「すれ違い通信多そう」と評価するのは、文書性質目的さらには相手国(日本)に与える法的拘束力考慮していない短絡的な批判です。

また「AI君なら人間より正確に答えるだろう」との発言も、皮肉に見せかけた人間不信にすぎません。AIの正確な回答も、訓練データとして過去の人間による文法解釈や用例分析ベースになっています。つまり、当時の知識人翻訳者たちは、きちんとその使い分けを理解し、運用していたからこそ今もその精度の高い分析ができるのです。

最後に言っておきますが、「すれ違い通信多そう」などという軽薄なたとえを外交文書に持ち出すこと自体ポツダム宣言という歴史的に極めて重要文書へのリスペクトを欠いています文語体に対する理解と敬意のなさが、あなたの読解困難を引き起こしているのではないでしょうか。

Permalink |記事への反応(2) | 14:19

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