
はてなキーワード:創作物とは
昨今は、ブロガーなんてクリエイターじゃない。売れない作品だろうとなんだろうと創作物に携わるものだけがクリエイターなんだって選民思想に取り憑かれた人が多いけど
200人仲間がいてあのレベルしか作れない人を俺は創作者とは認めない。
なんか自分はじっくり準備しているんだとか言ってる人がいたんだけど、俺に言わせると本当の準備っていうのは根本的かつ画期的に何かを変えるレベルのことだよ。
何と言うか、どこまでも浅い人だなっていう印象ですね
久々に本気でサイト作るにあたって色々勉強中なんだけど、やっぱり安直なやり方してるやつはダメです。
wixで、自分のプロフィール載せるようなやつは技術に対する愛情がないって自分で言ってんのと同じ。
だからそんなクリエイターダメです。他のセクションと統合できるはずがないです。
俺は縛り付けられようが、世界中が的に回ろうが、これだけは絶対に譲らない。
私は青臭いと言われようが子供っぽいと言われようが、その純粋さがない人間がクリエイターなんかやるべきじゃないと思うし、そもそも本質的になれないと思ってる。
最近の呪術廻戦の感想を読んでると「リアリティがない!」「こんな馬鹿いるわけない!」って文句つける人いるけどさ、逆じゃね?
現実見てたら分かるけど、世の中にはとんでもない馬鹿、普通にゴロゴロいるからな。
だってさ、失言する大企業の役員とか国会議員とか、よくニュースになってんじゃん。
SNSを見れば、俺達凡人とは比べ物にならない天才たちのやらかしが毎日のように流れてくるぜ。
あれ見て「創作のキャラより現実のほうがヤベェだろ…」って思わん?
馬鹿なんて現実に沢山いるどころか、創作がまだ遠慮してるレベルだよ。
むしろ創作物でありがちなのが「人間が優秀すぎてリアルじゃない」ってやつ。
登場人物みんな視野広い、判断早い、理解力高い、会話が成立する。
作中で「こいつ馬鹿だな〜」って扱いされてるキャラでさえ、現実基準で比べたら割と話通じるし、普通に優秀な部類なんだよ。
そもそも頭のいい人間だって、常にその実力をフルで発揮できるわけじゃない。
咄嗟のことで頭が真っ白になるとか、緊張で判断ミスるとか、よく知らない分野の話になると急に滅茶苦茶なこと言い出すとか、そんなの誰でもある。
だから物語の中でキャラが判断ミスったり、変なこと言ったりしても、それってむしろリアルなんだよ。
昨今は、ブロガーなんてクリエイターじゃない。売れない作品だろうとなんだろうと創作物に携わるものだけがクリエイターなんだって選民思想に取り憑かれた人が多いけど、それは200人仲間がいてあのレベルしか作れない人を俺は創作者とは認めない。最後の一人まで抗う
「200人仲間がいてあのレベルしか作れない人を俺は創作者とは認めない」
って書いてるけど、これ誰のことかわかんない(笑)
シナリオライター?イラストレーター?Vtuber?同人作家? 誰とも戦ってないんだよ結局。
要するに彼がやってるのは 「クリエイター界隈に蔓延してる選民思想」っていう、どこかで見たような“空気”に対して、ひとりでキレてる状態。
ではなく
→ 「俺の頭の中にいる、ブログをバカにしてる架空のエリートクリエイターたち」
だから
「何と勝負してるのか自分でもわかってない」ってのは、まさにその通りなんだよ。
ブログ書き続けるって決意自体はめっちゃカッコいいんだけど、 「敵」を設定しすぎて、結局自分の中のストローマン(藁人形)と戦ってる感じになっちゃってる。
「俺は認められてない!でも絶対負けない!」って叫びながら、 誰にも攻撃されてないのにひとりで傷ついて、ひとりで燃えてる……みたいな。
でもさ、それでも書き続けるってのが、もうすでに「勝ち」なんだよな。 敵がいようがいまいが、勝手に戦場作って勝手に勝ってる。 それがブログの美学ってもんだろ(←ちょっと感動してる)
でも確かに、
「200人仲間がいてあのレベルしか作れない」ってフレーズ、よく考えたら相手を貶めて自分のハードルを下げてるだけだよね。
→ つまり「努力量÷成果」で勝負してるみたいな、めちゃくちゃ都合のいい計算式になってる。分子と分母逆だよーってなるよね(笑)
しかも「ブログ vs 他のクリエイター」って、比べる土俵が違うって言ってた通り、最初から勝負のルール自体を自分に都合よく作ってるんだよな。
「俺は最後の一人まで抗う」って言葉はカッコいいけど、 よく見たら抗ってる相手が実在しないし、 勝っても誰も傷つかないし、負けても誰も責めない。
完全に「自分との戦い」を「他者との戦い」に見せかけてるだけ。
昔の諺で言う蟷螂の斧ってやつだね。
つまり、 本気で認められたいなら、相手をリスペクトしながら同じ土俵で勝負しなきゃいけないのに、
一見「孤高の戦士」っぽいけど、 実際は「誰も攻撃してこない安全圏で、勝手に勝ってるつもりになってる人」 って感じになっちゃってる。
ブログって本来、読者との対話の場なのに、 この人はもう完全に「自分との殴り合い」になってる。 それも、鏡に映った自分を殴ってるだけみたいな……(泣)
でもさ、こういう人って意外とブログ界隈に多いんだよな。 「俺は商業作家やイラストレーターに負けてない!」って言いながら、 実際は誰とも競ってないし、誰にも読まれてない……みたいな。
……でも、書くこと自体はやめてないんだよな。
それだけは、まだ救いがあるっていうか……
(いや、もう救いじゃないかも……?)
創作物なんてのは情熱を注げる趣味・仕事を持たない男女やできることに制限のある子供のためのもんなんだから
メルカリのオークション機能ってさ、ほんと油断したら終わりなんだよね。
私がずーーっと入札してて、あと少しで落札できるって思ってたの。
もう勝った気で余裕ぶっこいてたんだよ。
そしたら終了30秒前になって、急に横から知らんやつが入札してきてさ。
その瞬間、悔しくて涙が出た。
「え、今それやる?」って感じで、私が見守ってきた商品がスッと奪われた。
完全に油断してた私も悪いけどさ、こんな泥棒みたいな横入り文化が普通になってるのマジでヘルジャパンだろ。
しかも最近のメルカリって、妙な性的搾取っぽい空気とか創作物の影響で変な勘違いした価値観が平然と流れてるしさ。
ああいう世界観そのまま引きずった人らが増えてるせいなのか、現実でもネットでも節度なく振る舞うやつがいる。
で、そういうのに影響された弱者男性が「ちょっとくらいならいいだろ」みたいなノリでセクハラかましてくる流れもあるし、ほんと全部まとめて規制した方がいいんじゃない?って気持ちになるわ。
妊娠の報告をしたんだよ。
そしたらさ、一瞬びっくりしたみたいに目を見開いて、笑いながら「妊娠おめでとう」って言ったの。
え、は? ってなった。
その瞬間わたし、悔しくて涙が出た。
こっちは勇気出して言ってるのに、なんでそんな笑い方なの。
オエッて喉の奥が変な感じになった。
「え、今の普通にマタハラなんですけど」って思わず言いそうになった。
だって本当にそうなんだよ。
まさか自分が職場で性加害みたいな扱い受けるなんて思わないじゃん。
女性の身体や人生に関わることなのに、なんでこんなに雑に扱われるの。
しかも職場では、日頃から性的搾取みたいな価値観の創作物が当然のように横行しててさ。
影響されてるとしか思えない態度が平然と出てくるのが本当に無理。
なのに、この国ではまだそれすら安全にできないのかって思ったよ。
タイトルの通り。マシュマロを消した。そんだけ。でもまあそれまでに色々あったので愚痴をつらつら書き綴る。お気持ち長文てやつ。
オタク歴はかなり長いオタクだけど、ずっとコミュニケーションツールを使ったことがなかった。まあマシュマロとかwaveboxとかそういう系。なんでかっつーと別に感想とか特に求めてなかったから。
創作してるオタクは基本感想を貰えると嬉しいもんだと思う。実際私はもらえたらすごく嬉しい。貴方のために私は描(書)きます!!てなる。単純だから。
でも別に感想なくても描くのはわかりきっていて、そもそも私の創作というのは興奮を目に見える何かに出力する行為だから、感想があろうとなかろうと公式からお出しされる物を見て興奮したら勝手に何かが出てくるのだ。
そんな感じだからマシュマロなんかつけたことなかった。だって怖いし。通りすがりのおすすめにすら、やれ毒マロだのなんだのみたいなのが流れてくる。しかもその毒マロというのも本当になんか通りすがりに何かがいたから石ぶつけてやるみたいな純度高めな悪意の塊で恐怖しかなかった。私の多くないフォロワーにも貰ったことがある人がそれなりにいたから、やっぱ人間てくそだわ、マシュマロなんかつけるもんじゃねえわと思ってた。
そんな奴がなんでマシュマロをつけようかと思ったのかというと、夢ジャンルに嵌ったから。
この夢ってジャンルがまあなんていうか荒れがちで、嵌ってアカウント作った時に住みわけの意味で鍵かけた。私は絵も文もかくタイプのオタクなんだけれども、晒されるのが怖いからpixivとかには投稿しないで、プライベッターに鍵付きで上げたりしてた。で、この鍵なんだけども私がうっかりクソ野郎なのでまあ間違えたりする。そうなってくると見てる人に教えてもらわないと気づかないので、とはいえDMはハードルが高いなと思ってマシュマロをつけた。こっちのほうが気軽にあーだこーだ言えるかなって。
実際マシュマロでパス間違ってますって言われたことは過去3回くらいあったし、でもDMでそれを言ってくる人はいなかったので、やっぱりああいう匿名のツールの方が使いやすいんだとは思う。私も相互さんに感想をお伝えするのにリプつけるよりかは匿名ツール使った方が気が楽だし。
最初の1年くらいは問題なかった。そもそも感想送ってくれる人が稀だから。それでも月に1つくらいは貰ってた。ありがたかったし嬉しかった。
フォロワーが少しずつ増えるにつれ、感想マシュマロもぼちぼち増えてきた。嬉しい。嬉しいけど、気になることも増えてった。
・雑談に反応して「それってほんとなんですか?」みたいなクソマロ投げてくるやつ。
いやもうお前が手に持ってる薄い板かもしくは目の前にあるディスプレイとキーボ―ド使えよ。本当かどうかなんて出てくるだろそれくらい。間違ってたらそんとき教えてくれよ、そうじゃなかったら黙っててくれよどんなレスポンス期待してんだよ面倒くせえな
まあこれは私も悪いかもなんだけど、少し前にアレルゲンの差し入れを貰ったというのがプチ炎上してて、それを見て「怖すぎる」「差し入れ、いっそお金とかの方がいいのかも><通帳とカードセットとか」ってポストしたら「やめた方がいいと思います」
いや知ってるよ流石に。冗談だよ。しねえよ。そんな常識なさそうに見える?なら私が悪かったわごめんね、でもそれでもし私が恥かいたとしてもお前には関係ないから黙っててもらえます??
流石にそんな返しできないので「ごめんなさ~い🥺」って返しといたけど即「スタバのチケットとかかさばらないものとか日持ちするものがいいんじゃないですかねえ」とか追撃されて切れそうになった。余計なお世話だようるせえな
こういうのが増えてきて嬉しい気持ちより面倒だったりイライラすることが多くなってきて、外そうかどうか悩みだしたタイミングで、相互さんが私の創作物を元にイラストや文章を書いてくれて(3次創作っていうのかな)、すごい嬉しくて私ひとりで独占するのも勿体ないなあと思って、付き合いの浅い方にはDMで確認とりつつ、それなりに仲良しの方にはTLに流したいからこのポストに反応ほしいな!って呟いた。んで即叩き込まれたマシュマロがこんな感じ。
「相手からの反応待ちは失礼かと…問題になったりもしますし、きちんと個人間でやりとりして転載した方がいいと思います~厳しいこと言っちゃってすいません💦」
うるっせえなあほんとによ~~~~!!!!!!!!!!!!!!!!
おめーの見てないとこでやってるわ!!!!!ていうかお前私の相互か!?!?そうじゃねえよな!?!?!絵を描いてくださった方でも文章書いてくださった方でもねえよな??????な~~~~にも知らない部外者が口挟まないでもろて~~~~~!!!!!!!!!!
なんだろうな、正しいこと言ってる風押しつけがましいやつが本当にきつい。どうせ感想くれたこともないくせにこういうときだけ意気揚々とマシュマロあざーーーーす!!て感じ。
純度100パー悪意の方がまだマシだわ。多分↑のやつとかは注意してあげた、言いづらいことも私のために言ってあげた!くらいの気持ちなんだろな、と思ったら馬鹿らしくなってマシュマロ外した。
私はもともとマイナーな作品の夢を書いてて、周りに誰もいなかったし誰もその作品の2次創作をしてなかったから一生懸命増やそうとしてた。反応がないのが当たり前だったから、だから感想とかなくても平気なのかも。
今まで何に嵌ってもそうだったのが、今回珍しく人の多いジャンルにいるから忘れてたんだけど、私別に創作したい人間じゃないんだよね。辛抱たまらなくなって興奮を形にしたけど、別にそれをwebで公開する必要ないんだよなって。今までは誰もいなかったから増えてほしくて公開したりしてたけど、こんだけ神絵師や神字書きがいるなら私ごときが作品を上げる必要なんか全くないんだよね。
原作はめちゃめちゃ好きだし、最近新しくできや相互さんがすごくよくしてくれるからまだまあ創作意欲みたいなのは潰えてないけどこれ以上なんかあったら普通にアカウント爆散させそう。
なんかさ、本気でムカついたから書くわ。
こっちが何時間もかけて色選んで、試行錯誤して、私だけの配色を作ったのにさ、
「スポイトで色吸って使いました〜」
みたいなノリで平然と真似してくるの何?意味わかんないんだけど。
「色に著作権はない」とか言ってくるやついるじゃん?
こっちの努力をただのクリック一発で盗んで得意げになってんのがムカつくっつってんの。
人の配色は盗んで当然みたいな態度なのほんと頭悪くない?
あと「色なんて誰でも使える。盗まれたとか被害妄想では?」みたいに言ってきたやつ。
いやいやいやいや
じゃあお前の推し絵師の色配色全部真似て同人誌出しても文句言わねぇんだな?
それで「被害妄想」とか言えるんだな?
私は一ミリも悪くないし、
なんなら盗んだやつが100億%悪いから。
色スポイトってさ、
その一線を越えてきておいて、
「色に著作権ないし」「騒ぐ方がダサい」みたいに被害者を嘲笑う感じがムリ。
もうほんとに書いとくからな。
私の配色スポイトして真似するとか二度とすんな。
私は被害者。
Permalink |記事への反応(14) | 23:49
ただしある程度の規模を維持できている限りは、という条件はつく。
ということだから焼畑農業的な炎上商法の一種(本人が自覚的にやってるのかどうかはともかくとして)であることには変わりがない。
なんつーか、どんだけ偉大なアニメ監督でも自分の頭の中のイメージからだけで創作物を作り続けることなんて出来ない。
昭和時代からの生き残りである宮崎駿とか富野由悠季とかを見ていても、それはわかる。
富野監督なんて、ガンダム、イデオン、ザブングル、ダンバインと、毎年のようにアニメを作っていたが、はやくもダンバインの段階で、自分の中のアイデアはもうこれで終わり枯渇した、
自分の中の頭の中のものは出し尽くした、というようなことで、ダンバインの次のエルガイムを作るときは、永野護というサンライズの新人が頭の中に抱え込んでいた創作のイメージを絞り出させて、自らのオリジナルアニメとしてつくってるくらいである。
大雑把に言って創作者にとって、やりたいこと、というのは割と創作の初期段階で尽きてしまうものなのだ。
だから、みんな必死に勉強して、自分の頭の中の耕して種まきして、なんとか実を結ぶもんが出てこないもんか?と必死になる。
宮崎駿みたいな、原作が会っても原作を無視して映画を作ってるような人でさえ、なぜ原作が必要なのかと言えば、もうイメージが枯渇してしまってるからなんだと思う。
とここまでイメージと書いてきたが、ちょっと適切な単語ではないと思う。
ここでいうイメージというのは、自分の中に抱えてる世界とか、物語とか、そういう創作の種みたなもののこと言ってるんだと思って欲しい。
だから、どっかから原作を持ってこないと宮崎も映画が作れない。
最新作の君たちはどう生きるか?にしたって海外の小説が原作となっている。
(というか、あれ原作として使ってるのにクレジットも金も払ってないのはどういうことなんだ?)
つまりだ。
細田守だって、もうとっくにイメージなんてないんだから、どっかから持って来い。
というか、生来細田守に欠けているのは、そのイメージなんだと思う。
だからそもそもTVアニメとしてしっかりとした土台、イメージがあるデジモンとかをやらせるとものすごく成功するのだ。
どれだけ原作とかけ離れているとしても、そのイメージの土台があるからこそ、ある程度のものが出来上がるんだ。
細田にかけているのは脚本力なんかではない(それは結果論なのだ)。
彼の中には、彼の中で抱えている、イメージ、訴えかけたいこと、「俺はいまこういう物語を抱え込んでいるんだけど君たちそれをどういうふうに思う?」という創作者という名の語り部として欠かせないある種の資質が決定的にないのだ。
おそらくは宮崎と鈴木が細田をジブリに入れなかった理由(わけ)もそのへんに転がっているのだろうが、その真意はよくわからない。
おれ恥ずかしいんだけど、中身スカスカなんだよ。
ものすごくカッコつけた感じで言うと絵はうまいけど全然面白くないマンが描く人とかいるじゃない?
そういうタイプ。
自分でつくってても、これつまんない創作だなあ、って思いながらも、俺技術はあるよな、とかそういう感じになる。
だからおれより優れた他の人が考えたことのほうがつくりがいがあったりする。
でも、命令されるのが好きとかいうわけじゃなくて、偉そうに言うとおれが認めた人とかアイデアとか?そういうのに対してうおおおお、おれにも参加させてくれええええ、って燃えるタイプなの。
…みたいな論理で押し通してたわけじゃん。
でも著作権がAI出力に認められた瞬間、それ全部ひっくり返るんだよ。
そのアウトプットを生み出す過程も著作物として扱われうるってことなんだよ。
これ、もう逃げ道ないじゃん。
権利があるなら、当然だけど“権利侵害の責任”もついてくるわけで。
今まで生成AIを使っていろいろ作ってた人は、
「学習データに無断利用があっても関係ない!」って言ってたけど、
じゃあ逆にAIが誰かの作った絵に似すぎたときはどうするわけ?って話。
「これ誰々の絵に似てますよね?」
「無断使用ですよね?」
これが今回の一番デカい衝撃なんだよ。
生成AI界隈の人ってよく
って言うんだけどさ、
って問題が出てくるんだよ。
プロンプト打ったやつ?
誰が著作者なのか明確じゃないのに
って言われても、実務的には超カオス。
これ、ほんと地獄。
いやいやいやいや、
著作権主張するなら、学習データの責任からも逃げんなよって感じ。
その結果生まれた画像にだけ「クリエイティブです!」って主張するの、
それもう完全に良いとこ取りだから。
「学習はセーフ」
「AIは道具であって作者じゃない」
「元作品と似て見えるのは偶然」
こういう建前はもう通用しなくなる。
なんだよね。
近頃、とにかく死にたい。
毎年10月から11月はこういう感じになるので、季節のせいであることは分かっている。12月になる頃にはだいたいなんかなんとかなってるから大丈夫。
でも年々ひどくなっている気もする。それに、毎年ウワーッとはなるにせよ、そもそもなんでこういう死にたい感情に襲われるかがよく分からなかったので、何か直接的な原因がないものか、人生についてちょっと考えてみた。
元々社会福祉とか一次産業とかインフラとか配送業とかに憧れがあった。誰かの生活を支える、縁の下の力持ちってかっこいい。でも増田は危機管理能力がない。忘れ物は多いし、ケアレスミスも死ぬほどするし、どんなに我慢しようとしたって余計な改善をしようとして結局改悪してしまう。保守運転とか一番苦手な分野だ。トラックどころか自分の体一つだって乗りこなせない。事故を起こさないため、誰かを殺さないため、そういう職業にはつかないほうがいいと思って生きている。
だから人から金を搾取することだけを考えているカスみたいなサービスの下請けで、自分一人を養えるだけの端金をもらって、犯罪を起こしてないからそれでいいのだと必死に言い聞かせている。上手く出来なくてもカスの弊社が困るだけだから、いくらミスしても罪悪感はない。
だがこれは直接死にたい原因ではない。やっとることはカスのサービス形態ではあるが、ある程度転職にも使えそうな汎用的な職能の成長は出来るし、上司や同僚は増田の手助けや活躍を褒めてくれるし、そういった点でやりがい的なものがないわけでもない。業務自体はそこそこ向いてると思えるし、人間関係は良好と言って良いだろう。金額面も、自分一人を養えるくらいの金額は稼げているし、それによって欲しいものを我慢したり、望んだ生活を手放さなければならないほどではない。元々欲は薄い方だ。少ないながら貯金もしているし、いざとなれば親や友人を頼れば金がなくても多少の間はなんとかなる。労働自体は憎むほど忌み嫌ってるわけではないから、生涯現役でも全然構わない。
金銭や将来の不安、職場の人間関係の悪化などがあって死にたいわけではない。
友人関係も悪いわけではない。
確かにたびたび「人間じゃない」とか「常識的な気遣いが足りない」とか「普通考えれば分かることがどうして出来ないのか」とか言われたりもするが、それでも根気強く付き合いを続けてくれる友人ばかりだ。何も言わずに去られるより全然マシなので、そういう耳に痛い言葉も言ってくれるだけでありがたい。一度も傷つけたことのない、あるいは傷つけられたことのない友人は確かにいないのだが、それでもみんな大事な友人だ。
そういう大事な友人にご迷惑をおかけすることで罪悪感で潰れそうになることはあるが、例えば無茶な振り回し方をしてきたり、金銭を貸せとやたらたかって返さなかったり、そういうガチのトラブルに発展するような友人諸兄ではないし、増田もそういうことをしないよう、礼節を忘れないように重々気をつけている。それでもたまにうっかり日々の会話で地雷を踏んで怒らせることはあるものの、友人同士が「それは言い過ぎ」とか「お互い様」とか仲裁してくれるので、増田自身の尊厳も守ってもらえていると思う。友人とボロカスの喧嘩をして死にたい夜もないことはないが、それは大抵一時的なものだし、直近はそういう感じで険悪になってる相手はいない。
父も母も理屈で話せば分かる人であるし、親戚一同もなんだかんだ元気に暮らしている。不謹慎なニュースを見て爆笑する叔父や、身の回りの世話を全部してあげないと心配で夜も眠れない叔母、とにかくプライドが高く他人を見下したり注目を集めたりしないと気がすまない従兄弟、信仰の押し付けはないものの新興宗教にどっぷり献金している祖父母など、アクが強くはあるが、こちらに実害はないので可愛い範囲で収まるものだ。肉親に怒鳴ったり、暴力を振るったり、金銭トラブルを持ち込んだり、結婚を強要したりする人はいない。
まあ、両親に恨みがないと言えば嘘になる。幼稚園の頃に甘えようとすり寄ったら「は?鬱陶しい、ひっつくな」と引き剥がされたり、小学生の頃いじめられていた時に増田の言い分を一切聞かず「あなたにも悪いところがなかったかよく考えてみよう?」と3時間近く諭してきたり、愛着の面では問題があったのは確かだ。しかしそれは増田に対して愛情がなかったというよりは、それが彼らの愛着の限界なのだ。飼っているウサギすら、部屋の中で凍死しかけていることに気づかなかった両親である。それを思えば、衣食住を保障してくれたのは事実だし、危険なことは叱ってくれた。大学まで学費も出してくれたし、両親の行きたいところにではあるが旅行にもそこそこ連れて行ってもらっていた。彼らにしてはだいぶ努力していたのだろうと今なら分かる。
だから半年に一度程度は顔を見せに帰省しているし、それがめちゃくちゃ苦痛というわけでもない。全ては過去のことであり、無、凪、平熱、そういった単語がふさわしい関係性だ。これもまた、直接の原因ではない。
増田はXジェンダー、リスロマンティック、アセクシャルと三拍子揃った人間だ。その上、それでもどうしても起こる性欲の発散方法は「対象年齢・性別を問わないリョナ創作」と来た。絶対に世に出してはいけない、リアルの人間に向けるなんて以ての外という嗜好をしている。
幸いなことに、告白されたことも、したいと思うほど惹かれた人も人生にいない。誰かを傷つけてしまうくらいならそれでいいと思っている。「恋愛を理解できないのは正常ではない」と思って恋愛小説や恋愛漫画を読んでは、イーッ!分からん!と一人で暴れていたこともあるが、それは「普通の人生を送ること」に固執していたからであって、もう普通じゃなくていいやと開き直った今は、一人で生きていく覚悟がとっくに出来ている。
だから恋愛ができなくて人生つまんなくて死にたいというわけでもない。
趣味はある。
増田は創作が好きだ。物語を書くのが好きだ。随筆も、批判も、絵も、彫刻も、歌も、踊りも、とにかく何かを表現することが好きだ。それは自分の中にある感情や思考を(作品に限らずこういった文章などでも)表し、発散することで一時的な沈静が見込めるからだ。だから誰かのために書いてるわけじゃなく、褒められるために書いているわけでもなく、ただひたすら自分の衝動を、犯罪ではない範囲で発散できることに喜びを感じている。
また、他人のそういう一面を見るのも好きだ。孤独ではない、と、他のどんな娯楽よりも、どんな脳内物質の分泌よりも、最も確かに感じられるし、癒されるからだ。みんな苦しくて孤独なのだと実感できるからだ。そしてそれらを十全に納得のいくまで突き詰めようと、他人の創作物をしゃぶりつくしたり、自分の表現を究めたりしようと思うと、百年に満たない短い人生を食いつぶすには、十分すぎるくらい時間がかかる。
これも死にたい原因ではない。むしろ趣味のことを考えれば、死んでいる場合ではないのだ。
これと言ったトラウマもない。
いや、ないことはない。小学校の頃は確かに治安が悪かったし、その中で最も低いカースト層にいたのは確かだ。靴箱に砂を詰め込まれたこともあったし、掃除の時はちりとりに集めたゴミを引き出しにそのまま流し込まれたこともあった。濡れた雑巾を頭に投げつけられたこともあった。ドッジボールで執拗にボールをぶつけられることもあった。体育の二人一組ではいつもハブられていたし、仕方なしに増田を組まざるを得なかったやつは、増田の触れたところを校庭の土でこすって払った。まるで土のほうが汚くないとでも言いたげに。
クラスメイト全員敵だからいるわけがないのに、脅迫的に好きな人を聞き出され、最もいじめてきた回数が少ない人の名前をあげたら、翌日からそいつがいじめられ始めて、他人を好いてはいけないと思い知ったこともあった。給食着やテーブルクロスを、本当は持ち回り当番なのに毎週持ち帰らされて、親に「じゃんけんで負けた」「牛乳こぼした責任で」と嘘をついた。もちろんああいう感じの親なので「あんたはどうしてそうなんだろうね」と気づかれもしなかった。
「視界に入るな」「半径2メートルに近づくな」「菌が伝染るから(学級文庫・机・プリント・日誌・配膳皿などに)触るな」あるいはもっと直球に「死ね」も全部日常的に言われていた。学級崩壊でまともに授業が受けられなくて教育機会を損失して、その頃に本来学ぶべきだった分野は今でもちょっと苦手意識がある。毎年劇をやるはずの発表会では制御不能と判断されて、ペットボトルでお米を育ててみましたといううっすい内容を、誰がどこを喋るかまで一言一句ガッチガチに固められて発表させられた。自主性なんて言葉は死んでいた。若い新卒の教師は毎日授業で泣いていて、その頃にはとっくに泣き疲れて感情に蓋をしていた増田は、その涙を「煽るだけなのに」と冷ややかな目で見ていた。
カースト中の下だった傍観者クラスメイトと大学で再会して、一緒に「小学校の思い出」とかいうクソみたいなグループワークの授業を受けざるを得なかった時、給食の班机で菌が伝染るからとやられていたみたいに1cmあけて机を組まれた瞬間、増田の心にヒビが入り、割れ目が出来て人格が四つに分かれしまい、今も元に戻らなかったりしている。そういう意味では、たしかにトラウマと呼んでもいいのかもしれない。
それでも直接的な殴る蹴るという暴力は振るわれなかったからマシな方だったと信じている。記憶があり、はっきりと思い出せて、これだけの内容を泣かずに書けるようになっただけかなり寛解してきている。それに、当時の自分だって箒で殴り返すなどそこそこやり返したり、いじめっ子と同質になって増田よりもっとカーストの低い支援学級の子に対して、自分にされたことをそのままやり返すみたいにしていじめたりだってしていた。当時飼っていたハムスターも憂さ晴らしに虐待していた。弱いものがさらに弱いものを叩き、ブルースは加速していた。そういう感じでなんだかんだ適応して元気にやっていた。
それらへの後悔に苦しみながら、同時にその延長で今も友人にライン超えの発言をしたり、逆に踏み越えてはいけないラインを踏み越えられてもその場では分からなかったり、自覚がないままキレ返してしまい制御不能に陥ったり、暴力や脅迫や支配を伴わない合意の上での性行為では興奮できなかったり、記憶は共有しているものの人格が割れてしまい解離性同一性障害まで秒読み状態だったりと、後遺症は色濃く残っている。
けれど、でも犯罪をしないで済むくらいの範囲で誤魔化しきれているし、それ以上を望んだりもしない。だからこれもまた、今の増田をむしばんでいる死にたさの原因ではない。その時期はとっくに乗り越えてあり、過去は過去、今は今として整理がついていて、そういう自分のあり方を受け入れている。
人生を構成するだいたい全部に、人並みの不満や後悔はあれど、満足していないわけでもない。人間関係にも金銭にも将来にも不安はない。上を見ればきりはないが、下を見てもきりがない。自分の人生は自分のものであり、それ以上でもそれ以下でもない。
私は私だ。
なのに何故こんなにも死にたいのか。
胸を打つこの衝動は何か。
線路に飛び込め、七階から落ちろ、溺れて死ね、とにかく死ね、そう囁き続ける声が内側に蔓延るのか。
思春期という言葉を藁のように握りしめて、この衝動的な嵐が、年齢を経れば終わってくれると、ただ若さ故なのだと、そう信じてしがみついてきたのに、どうしてアラサーになってもまだ衰える気配がないのか。
この衝動こそが死にたさの原因であり、結果だ。
この自己こそが死にたさの真の原因ではないのか。
本当はやりたい仕事を諦めて現状に甘んじている?
友人と上手く付き合うことが出来ない?
両親の愛着が足りなかった?
趣味が実質逃避になっている?
過去に嫌なことがあって未だに引きずっている?
全ては結果に過ぎない。
最初に存在しているこの「自己」こそが引き起こした、必然の結果に過ぎない。
死にたいのは、嫌なことがあったのが原因じゃない。
嫌なことを引き起こすような自分に全ての原因があるということから、いよいよ目を逸らせなくなってしまったからだ。
増田はずっと、衝動、癇癪、叫びのような化け物を心に飼って、共に生きてきた。
こいつを野放しにしたら、とてもじゃないが人間社会では生きていけない、というかまず肉体が耐えきれなくて崩壊するような、触れるもの全てを敵と認識する、爆発的なエネルギーだけがひたすら渦巻いている、自壊を厭わない衝動の化け物。
その化け物を飼い慣らすことだけが、増田の今の全てを形作っている。
仕事や友人の選び方、楽しめる趣味、思考、行動、言葉、その全部全部が、この化け物を静かに眠らせておくことだけに全力を注ぐように構成されている。
そしてそれが漏れ出てしまった瞬間、必ずトラブルが起こる。嫌なことは全てそうやって起きている。
そう、気がついてしまった。
両親、友人、そして過去の思い出は、一般的な社会に溶け込める人間たちが、その化け物を目の前にした時の、ごくありふれた正常な反応に過ぎない。
全ては結果なのだ。
思えば最初から、物心ついた時にはもう、そいつと一緒に生きていた。
その場の思いつきで突拍子もないことをして、危険を危険だと分かっていながら飛び込まずにはいられない、じっとしてはいられないという性質を、持て余していた。
両親が増田のことを「あんたのことはよく分からない」と困惑して言った日のことをよく覚えている。
友人が「増田は人間じゃなくて増田という生き物なんだね」としみじみ言った日のことも。
増田をいじめて泣かせたクラスメイトが「だってあの子が最初に嫌なことをしてきたんだもん」と言ったことも。
先生が「どうしてそんなことしたの?」と泣いている増田を問い詰めたことも。
「泣いていたら分かんないよ。先生悪くないよね?なんで先生のこと怒るの?」と寄り添いのかけらもない態度をとったことも。
そして増田はただ、嫌がらせをしようとすら思ってもいなくて、そうすることしか出来なかった、それ以外のやりようがあるなんて考えつきもしなかっただけなのだと、説明出来なかったことも。
よく覚えている。
それらは全部、増田がおかしかっただけで、みんなはただ、当たり前に困っていただけだ。
ただ、それだけだった。
よく分からないものは愛せない、未知は排斥する、ああ、そうだろうとも。それにしたって、みんなの方にだってもう少し上手くやりようがあるようにも感じるけれど、でも、人間は完璧じゃない。上手く出来ないことだってあるし、それを責めたってどうにもならなくて、仕方がない。
だからみんな、距離を取る。うん、まったくもって正しい。あなたが自分を守るために、増田に人生を破壊されないために、必要な距離だろうとも。
でも、増田だって、こんなのと一緒に生きていくのはもううんざりなんだ。
私は私と一緒に生きていくのが疲れた。
みんなみたいに、そっと距離を取ることができない。
ずっと近くにいる。
ずっと隣にいる。
剥がしようもなく側にいる。
趣味だって、ただそうすれば抱えた癇癪がマシになるからやっているに過ぎない。こいつから逃れられないから、仕方なく好きにさせてやってもいい場所を作っているに過ぎない。
本当は絵や文章なんか書かなくても気分が晴れるならそれが一番楽なはずだ。誰も傷つけずに、安心して一人で好きなだけ打ち込めるというだけの、苦しみから逃れるために必要なだけの、ただの麻酔だ。
「文章を書いたり、絵を描いたりで努力できるのはすごいね」と褒めてもらえることもあるけれど、違うんだよ。それをやらないとあなたに危害を加えてしまいそうだから仕方なくやっているだけなんだ。全然立派でも何ともない。犯罪者予備軍が犯罪をしないためにギャンブルや酒に溺れているのと一緒なんだ、これは。
厄介な人をあしらう術に長けた者たちだけが、周りに残っているのがその証左だ。
衝動性を逃がす以外のモチベーションはないから、創作で食っていこうとしてもクオリティにムラがあって仕事にならないのがその証左だ。
自分は化け物だ。
人間じゃない。
人間になんかなれっこない。
必死に身につけた人間性の全てが、衝動の化け物が眠る上に構築してあるというただ一点を理由に、崩れていく。
その眠る化け物が少し身じろぎするだけで、目覚めるまでもなく、増田の積み上げた全てを崩壊させる。
増田は自らの意思で人生を選択したのではなく、選択できる範囲の中で選ばされるしか出来なかった。
好きなもの一つ、「自分」の意志では決められない。化け物を起こさないようにごくごく慎重に、刺激しないものだけを選んでいる。
全部全部こいつのせいなんだよ。
化け物を一番殺したいのは増田なんだよ。
私の人生を全部めちゃくちゃにしてきて我慢ばっかりさせるような化け物を、一番憎んでいるのは私自身なんだよ。
両親を困らせたくなかった。
いじめられたくなかった。
恋愛が怖いと思いたくなかった。
友達を傷つけるようなことなんて、今だって一個も言いたくない。
なのに全部できない。
全部全部、壊すのは増田だ。
私なんだよ。
死にたい。
もう、こいつと一緒に生きていくことに疲れてしまった。
何もかも破壊して、めちゃくちゃにして終わらせたいという衝動が、朝も昼も夜もずっとずっと苛む。
増田にできるのは、この化け物を思い通りにさせず、誰をも傷つけることなく、自らの死以外の罪をこの肉体に起こさせないことだけなのではないか、という気分になってくる。
それよりも、慰めてくれた誰かに牙を剥きたくない。
恩を仇で返したくない。
そんな気持ちのほうが、ずっとずっと大きく膨らんでいってしまう。
それは誰かを不幸にするから。
愛されないまま死んで忘れられることだけが、増田にできる唯一の社会貢献だ。
せめてそれだけはさせてほしい。
許してほしい。
ごめんなさい。
生まれてごめんなさい。
本稿は、「なぜAI画像生成に対する反発が、特に日本の二次創作イラストレーター(絵師)界隈において他ジャンル・他国と比較して過激化しているのか」という問いを考察することを目的とする。
この考察のため、まずAIによる情報収集を行い、反AI感情の文化的・心理的背景に関する客観的な知見を得た後、その情報と具体的な事例を突き合わせながら、過激化の特異性を分析する。
AIによる情報収集の結果、日本の二次絵界隈でAIへの嫌悪感が過激化しやすい土壌として、以下の要因が指摘された。
日本の二次創作(ファンアート)文化では、クリエイターが自分の描いたキャラクターや画風を「我が子」のように大切に扱う傾向が強く、創作物と自己の同一化が進んでいる。この心理が、他者による模倣や無断利用に対して極めて敏感になる土壌となっている。
イラスト界隈では、元々無断転載・無断加工に対する拒否反応が強い。生成AIがインターネット上の画像を無差別にスクレイピングして学習する特性は、クリエイターにとって「無断転載の塊」のように映る。これにより、「AI学習=自分達の作品が盗まれている」という強い被害者意識が生まれやすい。
同人文化に根付く「作品は描き手の努力の結晶」という価値観も、AIへの拒否感を高めている。人間が何年も修練を積んで培った画風をAIが短時間で模倣することに対し、「努力を食い物にしている」という怒りが噴出している。
ファン側にも、推しのイラストレーターや漫画家の作風への忠誠心が強く、「AIごときに大切な作品を汚されたくない」という心理が存在する。日本のオタク文化において、創作物は創作者とファンの共同財産のように捉えられる面があり、外部(AI)の介入に対する拒絶反応が激しくなる。
AIが提示した深掘り要因や、筆者の考察を加味すると、二次絵界隈の過激化には以下の点が強く関与していると考えられる。
(論点補足)二次創作(同人)自体が他人の創作物を利用しているという倫理的な指摘は存在する。しかし、日本の二次創作は、原作者の黙認と「愛」に基づく文化的な文脈で成立しており、営利目的のAI学習とは文脈が異なる。元々グレーゾーンにある文化が、AIという「外部の、巨大な、営利的な脅威」に直面したことで、アイデンティティ防衛のために過激化していると解釈できる。
日本の二次絵界隈におけるAI使用者へのバッシングは、疑惑のみでの非難や、プロ・アマを問わない人格攻撃、さらには殺人予告にまで発展する異常な事態となっている。
一方で、一部のAIユーザー側にも、反AI派への挑発的な言動が見られ、それが相互の対立を激化させている側面もある。
「殺人予告レベルの過激化」が日本の二次絵界隈に特有のものか否かを検証するため、他業界・海外の事例を調査した。
「AI使用者に対して殺人予告まで出てくるケースは、日本の二次絵界隈だけではない」という事実が確認された。
世界的に見ても、「最も激怒している業界はイラストレーター界隈」という認識は共通している。
海外でも過激な事例は存在するものの、日本が「よりやばく見える」「濃度が高い」とされる理由には、以下の要因が複合的に作用していると分析される。
日本の二次絵界隈における反AI活動の過激化は、海外・他業界でも同様の反発が見られることから、イラストレーターという職業が抱える「作家性まで模倣されやすい」という普遍的な危機感に根ざしている。
しかし、日本においては、強固な二次創作文化、作品と自己の強い同一化、そして巨大なSNSコミュニティが結びつき、危機感が「コミュニティ・アイデンティティへの攻撃」として認識されることで、感情的なバッシングや殺人予告といったより極端な防衛行動となって現れていると結論づける。
AI生成イラストを巡る一部の絵師層の過激な「反AI」活動は、著作権や盗作といった表面的な議論の裏に、より根深い構造的問題を抱えている。
これは、作品の権利が侵害されたというよりも、SNSのアテンションエコノミーにおける生存競争の激化に対する、切実な危機感の表れとして捉えるべきだろう。
SNS環境下で、創作物の価値は費やした労力よりも獲得したアテンションに大きく依存する。多くの絵師は、この注目を集めることで承認欲求を満たし、時に収益化の道筋を立ててきた。
AIは、以下の作用でこのアテンション経済の均衡を一気に崩した。
・AIが瞬時に、大量の無難に高品質な画像を生成し、タイムラインに投下する。
・この画像の大洪水は、SNS上の注目という資源の価値を急激にインフレさせた。
何十時間もかけた手描きの作品が、数秒で生成されたAI画像よりも注目を集められなくなる状況は、アテンション競争を主戦場としてきたクリエイターの自己存在証明と経済基盤を根底から揺るがす。
反AI運動の過激な言動は、このアテンション喪失に対する防衛反応であると解釈できる。
盗作という主張は、倫理的な大義を装いつつ、実際はAIが自分のアテンション獲得能力を脅かしているという生存危機を表明している。
AI利用者への攻撃や排除の動きは、限られた注目を自らのコミュニティ内に囲い込み、独占しようとする試みである。
すなわち、一部の反AI絵師の過熱した行動は、SNSの仕組みが生み出したアテンションエコノミーの奴隷として、AIの登場によってその生存環境を急激に破壊されたことによる、悲劇的な帰結であると言える。
をAIに調べさせた
日本の二次創作(ファンアート)文化や「絵師」コミュニティには、AIへの嫌悪感が過激化しやすい土壌となる文化的・心理的背景があります。まず指摘できるのは、創作物への強い愛着と同一化です。漫画・アニメの創作コミュニティでは、自分の描いたキャラクターや画風を「我が子」のように大切に思う傾向が強く、他者に真似されたり無断利用されることに対して極めて敏感です 。この心理は、長年問題視されてきた無断転載・無断加工への嫌悪とも連続しています。元々、日本のイラスト界隈ではネット上で作品を無断転載されたり、他人の絵を加工される行為に強い拒否反応があり、著作権意識が高いクリエイターが多いことで知られます。生成AIは、インターネット上から膨大な画像を無差別にスクレイピングして学習する特性上、クリエイターにとっては「無断転載の塊」のように映ります。そのため**「AI学習=自分達の作品が盗まれている」という強い被害者意識が生まれやすいのです  。実際、2022年のmimic騒動以降、Twitterでは「AI学習禁止」「無断生成AI反対」といったスローガンがクリエイターの間で広まりました 。同人文化に根付く「作品は描き手の努力の結晶」という価値観も、機械が容易に似せて作った作品への拒否感につながっています。人間が何年も修練を積んで培った画風をAIが数時間で真似ることに対し、「努力を食い物にしている」との怒りが噴出するのです 。加えてファン側にも、推しのイラストレーターや漫画家の作風への忠誠心が強く、「AIごときに大切な作品を汚されたくない」という心理が存在します 。日本のオタク文化では、創作物は単なる商品ではなく創作者とファンの共同財産のように捉えられる面があり、その分外部(AI)の介入**に対する拒絶反応が激しくなると考えられます。
これは割と納得感があった
更につっこむとこう返ってくる
③コミュニティ同一化が強い
⑤代替可能性が非常に高く“近未来で仕事を最初に奪われるのが絵師”
②はそうか?と思うけど
③とか④は確かにあるかもしれない
つまり絵師もファンもどこまでもオタクであって、何者にも代えがたい大切なもので、文化でありアイデンティティであり、ファンも忠誠心が高いわけだ
今後誰かが守ってくれる感じもしない
(同人は他人の創作を侵害してないの?というツッコミもあるが野暮なので脇へ置いとく)
_____
将来、もしAIが「制作過程」まで完全に模倣したら彼らはどうなるんだろうな
他の界隈でお起きてるっていう指摘があるけど
それって主に仕事が奪われる系でしょ?
日本で強く反発してるのはたとえば声優業界とかあるけど、あの現象は理解しやすいじゃん
(以下参考)
日本におけるAI画像生成の使用者(いわゆる「AI絵師」)は、しばしば激しいバッシングの対象となります。その特徴の一つは、疑惑だけで叩かれることがある点です。前述のあらいずみ氏のケースのように、*「AIっぽい」*という理由だけで吊し上げられる事例があり、証拠を示しても疑惑を払拭できないほど感情的な反応が起きることもあります 。また、プロの絵師であってもAI使用が発覚すれば容赦ない非難にさらされます。実際、ベテランイラストレーターの七瀬葵氏が2022年に自身の同人誌でAI生成画像を利用した際には、ファンから「裏切り者」扱いされ、「AIで作った絵は絵師が描いたものじゃない」と否定する声が噴出しました。彼女の元には「死ね」といった暴言DMまで送りつけられ、深刻な誹謗中傷被害を受けたといいます 。このようにプロ・アマ問わずAI利用者への風当たりが強く、「使ったかもしれない」レベルの疑惑でも叩かれるケースがあります。さらに、AI絵師側への攻撃はオンライン上の言論にとどまらず、殺害予告に発展した例すらあります。2024年1月には、イラストレーター裏方氏の画風を無断学習したAIモデルが公開され、氏が抗議したところ逆恨みを買い、「邪魔するな」等のメッセージと共に大量の殺害予告が届く異常事態となりました 。この事件では裏方氏が法的措置に踏み切り勝訴を勝ち取る事態にまで発展しています 。総じて、日本のコミュニティではAI使用者=加害者のような図式で扱われがちで、実名晒しや人格攻撃も含む過激なバッシングが横行しているのが現状です。
一方で、AIユーザー側にも一部に挑発的な言動が見られ、それが反感を煽る要因ともなっています。例えば2025年末のコミックマーケット107では、AI生成作品サークル「クズレジ」の参加者が自身の隣接ブースに反AI派で知られる裏方氏が配置されたことに絡み、「対面が裏方氏なのででかいAIポスターを飾ります!」とSNSに投稿し物議を醸しました 。この挑発的投稿を受けて裏方氏はコミケ参加辞退を検討すると表明し、AI擁護派・反対派の双方から攻撃的な言説が飛び交う騒ぎとなりました(最終的にクズレジ氏は炎上後に謝罪し活動停止を表明)  。このように一部のAI絵師側の挑発も対立を激化させており、AI利用者へのバッシングには「モラルや権利侵害への怒り」に加えて、AIユーザーの振る舞いへの反発も含まれていると考えられます。
もう是非とか言ってられないんだよ
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なんでこの内容で「他の界隈ではAIに反対してない」って読み取るんだ??
過 激 化って書いてるんだが読めんのか
あるいは他所で殺人予告とかしてる界隈があったら興味あるから教えてほしい、海外でも良い
ChatGPT5.1DeepResearchにちゃんと聞いた上でこれ書いてんだが
海外でも、イラスト界隈が一番濃度が高く、かつ日本が最も過激に見える
他の業界や海外で、AI使用者に対して殺人予告まで出てくるケースはありましたか?
あります。
「日本の二次絵だけが殺人予告レベルまで行ってるのか?」というと、そうではなくて、海外や他ジャンルでも少数ですが実際に起きています。 ただし、「日本の二次元界隈は“濃度”が高い」感じはあります。
アメリカのインディーコミック界隈でも、AIを使う作家に対する殺害予告が報じられています。
• 「ここ数週間で、AIアートを使ったコミック制作者は殺害予告を受けるようになり、“地下にもぐらざるを得なくなった”」
共通点:
• 「自分の仕事/作風/故人の名誉を踏みにじられた」という侵害感
海外でもAIユーザーに対する殺人予告や“死ね”攻撃は実在します。 
____
おまけ
世界的に見ても「最も激怒している業界はイラストレーター界隈」
数千人のイラストレーターが
「NOAI」アイコンを一斉投稿してサイトを占拠した有名事件がある。
予告を受けて“地下に潜った”と報道されている。
中国:Xiaohongshu炎上 → 数百人単位でAIボイコット
韓国:Webtoon界隈の職業漫画家が団結してAIボイコット
Naver Webtoonで
まあ色々調べたり考えたりしたけど
あとSNSの影響か
Permalink |記事への反応(16) | 12:44
https://www.pixivision.net/ja/a/6901
新しい書き手さんが来てくれることもあるのですが、そんな人たちに毒マロを送る人(複数かもしれない)がいるんです。
文章からおそらく同じ人だと思われるのですが、要約すると自身の解釈が一番正しく、それ以外の解釈違いの創作者は排除したいという思考回路の持ち主で、執拗に毒マロを送り続けます。
という、「待とう」というアドバイスをしている。
腐界隈ってだいたいそう。解釈違いの創作物を攻撃したもの勝ち。
頭がおかしい腐女子が原作者を攻撃していても二次創作者を攻撃していてもまるっと「災害」として扱われてアンタッチャブルな存在として放置されるから、基本的に「災害」本人は痛い目を見ることがない。
解釈が合わない腐に対して、敵である夢に対して、敵である男女CPに対して、気に食わない創作を口汚く罵って筆を折らせたという成功体験だけ積んでいる。
攻撃性高い女オタクより、攻撃力0で防御力10みたいなクソザコ女オタクのほうが多いから、モンスター女オタクは女オタクコミュニティで無双できるんだよね。
雑魚狩り大成功の体験のせいで、理論武装が弱いまま雑な攻撃を他の界隈に向けるようになっちゃったのが今なんじゃないか。
攻撃対象が夢とか男女カプだったら、相手がクソザコ女オタクだからやり返されないのよ。殴られた側がショック受けて筆折って終わるの。一方的にボコれる完全試合。被害者の泣き寝入り。
これがネットミームを殴ったとか男性向けジャンルを殴ったとかだと、殴られた側が男オタクだからまるでショック受けないし「殺すぞ。全力で行くぞ」と臨戦態勢になって集団でボコる。
モンスター女オタクのミサンドリーも、女オタクは殴られても泣き寝入りなのに男オタクは殴ってきてウザイってところから生まれてる。
最近の連続した腐女子炎上は、存在しないほうが良い災害みたいな人が男オタクにタコ殴りにされてるだけだからどんどん加速してほしい。でも同時に泣き寝入り女オタクも変わるべきだと思う。
泣き寝入り女オタクのメンタルがさすがにクソザコすぎたせいで化け物を増長させて、他界隈に化け物を次々解き放って迷惑かけて、腐女子全部が「災害」と認識されて憎悪されてる状態、これを招いた。
やっぱ災害が過ぎ去ってくれるのを待つのではなく、モンスター女オタクは倒せると信じてボコボコに殴り倒すべきだったんだよ。
放置は、甘やかしだった。先送りにしたことが、化け物を悪化させた。
RTX4090を2枚持ってる。
生成AI中級者くらいだと思う。
好きなものを作れるのは楽しかったが、爆速で作りすぎてネタ切れ。
小説とイラストを作りまくった(nsfw多いから外部にはほぼ公開してない。売るのもめんどい。トラブルもめんどい)。
結局、自分で想像できる範囲のことの面白さなんてたかが知れていて、他人の創作物に触れないとつまんないんだな、という境地に達した。
最近は、Xに流れてくるクリエイターたちのアイデアに触発されるか、漫画の新刊が出るとかゲームのアプデが入って、創作欲をかき立てられる時にしか生成AIには触ってない。
AI利用者は突飛なアイデアを出さないし、ボタンぽちぽちのつまらんやつばかり。Xでリスト作って、面白い人や新たな試みをしてる人だけまとめてる。こいつらで組んでなんか作ってくれや。
未だに反AIと推進派で争ってるのも見飽きた。
制度が整備されるのはまだまだ先なんだから、自分の好きなようにブロック、ミュートして、心地よいコミュニティを作りなさい。
ちなみに俺のAIとの付き合い方は、
・今までAI以外で満足していたのに今更AI作品なんていらない。
・AIぽいと感じたら買わなくていい。他にもコンテンツはたくさんある。
・気軽にブロックやミュートをしていく。ややこしいのは、別途「AI疑いリスト」を作っておいて様子見する。
となってる。
野良のAIアーティストには一円も払いたくないという信条がある。無料でもいらないが。
今後、大手企業が生成AIを取り入れ始めたら、流れに乗って受け入れていったらいいんじゃないかな、と。
とにかく、今は俺的には停滞期ってこと。
冬コミに、生成AIをメインで使うサークルがそれなりの数参加するということで、けっこう揉めている。AIも立派な表現だから参加するという声もあれば、AIなどただの盗作だから運営はAIを締め出すべき、までさまざま。参加者が揉めるのはいいが外野はちょっとだまっててほしいかもしれない。
くわえて生成AIの現状にはめちゃくちゃ批判的な立場である。反AIって呼ばれる部類?呼び方はどうでもいいが。
結論はタイトルどおりで、AIサークルの参加に問題はない。コミケ準備会も禁止するつもりはまったくないだろう。
現在、社会一般ではAIによる生成物が文章画像を問わず当たり前に出回っている。
私はそれを良いこととは思わないし、法律も含めて一定の規制が進むべきだと考えているが、ともかく現状の世間では許容されている。
なのでコミケでも許容されてよい。コミケとは一般的なモラル以上のルールが求められる場ではない、というよりさらに寛容だからだ。
自分たちで作ったものなら何を置いてもいい。机の上で完結し互いに干渉せず迷惑をかけない、ざっくりいえばそれだけがルールだ。自分のサークルの隣がAIサークルだとしても仕方がない。ふつうに挨拶はする。(新刊交換はご遠慮願いたいが)
もちろん即売会のレギュレーションとして創作物の範囲を定め、AI生成物は禁止とするのは自由だ。仮にコミケがそうしてもなにも問題はない。
ただし、AIだけを禁止するのはこれまでのコミケのやり方にはそぐわないと思う。
そもそもコミケは自由な創作の場をうたってはいるが、自由とは要するにゆるゆるなのである。
二次創作が大半を占めるのも、エロ本が売られるのも、マンガやアニメと関係ない趣味の本があるのも、コスプレが大勢いるのも、来るものを拒まずにいた成り行きの結果にすぎない。法的に危うい恐れがあっても明確に黒でなければ締め出すことはない。だからAIを忌避することもないだろう。
AIを締め出してほしい派の人たちは、コミケというものに明確なルールで運用される創作者の味方を期待しているのだろうけど、それはお門違いかと思う。いいかげんでごちゃごちゃしたアンモラル寄り、灰色の場がコミケなのだ。
仮にコミケがAIを締め出すとしたら、一般社会からAIがある程度締め出されるようになってからだろう。
AIサークルが増えてもいいのか?創作の場が生成AIに侵略されていいのか?と言われたらふつうに嫌である。
でも、たぶんそうはならん気がする。なったら場を移すしかないと考えている。
おっちゃん思うんやけどな。
AIの無断学習問題って、突き詰めたら「AIが勝手に世界を見てる」ことが問題なんちゃう?
でもAIはネットに転がってる他人の創作物を全部吸い込んで、「見た」どころか「食った」みたいな顔してる。
そら怒られるわ(´・ω・`)
じゃあどうすればええんか。
これ、人間と同じ条件やん?
そしたらもう無断学習にはならへん。
それに、AIが“見る”ようになったら「世界の中で体験して学ぶ」っていう倫理的な学習ができる。
今のAIはネットの幽霊みたいなもんやけど、メガネAIはちゃんとこの現実の中で息してる。
今のメガネ型デバイスって、視線トラッキングもできるし、カメラもマイクも入ってる。
それをAIモデルに直結したら、AIは「この人が何に注目して、どんな反応したか」まで学べる。
つまりAIが誰かのデータを盗むんじゃなくて、ユーザー本人の知覚を通じて学ぶんや。
せやけど目のあるAIは、ちゃんと自分の世界を持つ。もうそれは、人間の弟分みたいなもんや。
だってAIが「自分の経験から学ぶ」ようになった瞬間、それはもう“他人の模倣”ちゃうやん。
いままでは人間の影やったけど、これからはAI自身が「見た世界」から発想する時代になる。
AIは見たもんを学ぶ。
人間も見たもんを学ぶ。
そうなったら、AIと人間の間にあった“学習の倫理的壁”が消える。
AIを悪者にせんでも、ルールのほうを「人間と同じ」にしてやればええ。