
はてなキーワード:券売機とは
とある地方の繁華街に、その地域だけの人だけしか知らないであろうカツ丼チェーン店がある。
そこは店の外の自動券売機で会計を済ましてから店内でレシート(食券)を渡す仕組みになってる。
券売機はQRだろうがクレジットだろうか現金だろうかなんでも来いのオールマイティだ。
ただ、そのせいもあって、日本人でも初見では操作に戸惑うシステムになってる。
そこにイタリア人観光客らしき親子連れ3人が、食券を買おうとして悪戦苦闘してる。
クレジットで支払おうとしてるようだが、どうにもこうにも上手く行かない。
しばらく観察してたんだが、全然うまく行かない。
そろそろ助けてあげようかと数歩歩み寄りかけたところ、
はたと立ち止まった。
でも、まったく助け舟を出す様子がない。
ああ、なるほどなあ。
要するに、この親子に入ってきてほしくないんだな。
と察して、いらんことはせずにおこう、と決めたのと、
イタリア人お母さんが、ガッデム!!のイタリア語版みたいな言葉を発しながらプンプンと立ち去っていったのが同時だった。
そして件の店員は、再び俺に視線を向けることもなく店の奥へと引っ込んでいった。
さいきん券売機のあるラーメン屋で導入してるけど、英語メニューと日本語メニューでそもそも金額が違うとかね
法事自体は問題なく終え、1泊して帰るまでに少し時間があったので時間を潰せる場所を探していたら見つけたのが中野プラネタリウムだった。
まだ小学生だった頃、夏休みの間は共働きだった両親の負担を減らすために私は母方の実家である中野へ預けられていたのだが、よく祖父が連れて行ってくれたのがそこだった。
何だかとても懐かしくなり、ふらりと訪れてみたプラネタリウム。
大人200円子供100円という破格の値段で驚きながら中へ入ると、おぼろげな記憶だが当時とまったく変わっていないように見えた。
部屋の中央へ据え付けられた大きな鉄アレイみたいなフォルムの投影機械。
…夏の暑い日、祖父に手を引かれて入場した記憶がよみがえり、ちょっと涙ぐむ。
しばらくして上演が開始された。
説明を聞いていて驚いた事に施設で使用されている機械は三十数年前、つまり私が祖父に連れられて来たあの日と変わっていないらしい。
「最新の機械だと星々を線で結んだりする機能が付いていたりするのだけれど、出来なくて申し訳ない」と解説員さんがちょっとだけ申し訳なさそうに言っていたが、とんでもない。
──つまり私は、祖父と観たあの日と同じ夜空を、同じ場所で、眺められているのだ。
そう感じたら空を見上げながら涙が溢れてきた。
偶然の思い付きで数十年ぶりに訪れたプラネタリウムでこんな追体験ができるなどとは思っていなかった。
少しだけ滲んだ星空を眺めながら、私は亡き祖父を偲ぶ事ができたのだ。
絶対にまた来ようと、そう誓い私は施設を後にして母方の実家へ戻る。
そしてこの話をしたら母が思い出したようにこう言った。
「あー…そう言えばおじいちゃん、『安いし涼しいし暗いから昼寝するのにプラネタリウムは最高』って言ってたわ」
なんと、かなり頻繁に連れて行ってくれてたのはそれが理由だったらしい。
おじいちゃんも意外にロマンチストだったんだなぁ…とか思ってたよ。
笑いながら昔話に花が咲いた。
何がラーメン屋として「上手く行くか」というゲームがチェンジされてしまった。
かつての成功とはのれん分けをガンガンやっていく二郎・吉村家スタイルだった
そうでなくても有名店として名を馳せれば十分だった
潮目が変わったのはせたが屋がファンドに買収された辺りからであり、大手チェーンが次々に株式上場を始めたあたりからだ
このころからラーメン屋も資本拡大が主流となり、いいラーメンを作るにしてもスケールメリットを出す必要が生じた
またつじ田の買収などラーメン産業が有望ベンチャー扱いされる日本の事業創出の終わりみたいな状況へ
実際最新シリーズでも出てくるラーメン店主の大半は複数店経営を行っている
藤本は元商社マンなので対応しようと思えばできただろうが、おそらくそうはなってなく、レガシーなやり方を進めているのだろう
10時に髪を切りに行こうと思ったのに、家を出たのが10:40
1時間に1本のバスは使えなかったので新交通に乗車。めっちゃ人が多い。夏休み割増
ついたら並び1人でラッキー、と思ったら片割れの理容師がどこかに去って結局2人分待ち
5Fは東西直通通路がなく1F戻り、目的の建物で反対方向に行ってしまい往復
たどり着いたらそこそこ混んでた。
券売機では地域振興Payが使えず、やや混みの店内で口頭注文&QR読み取りで申し訳ない
素のラーメンを頼もうと思っていたが、詫びの月見ラーメンに変更。これが失敗。
クッサぁな豚骨ラーメンに生卵のクリーミーさが合わさると、嫌な臭さに変化。うーん。
時間が余ったので自転車で聖地巡礼をしようとしたら、道中の信号機がまさかの押しボタン式
炎天下で炙られる
聖地は今日は普通に展示会やってたので、サラリーマンが多かった
でも自分の乗った電車は、乗らなかった人も多かったので空いててよかった。
お書きください
3月に続けて、この連休も乗り鉄してきたので、また日記を増田に残そうと思う。
6時前の起床は目覚まし前に起きられた。夏なので暗くはなく、起きるのも困難ではないのだ。
横浜に出て、途中の行程を端折る新幹線切符をえきねっと経由の券売機で購入。
(券売機を直に操作すると、並ぶ列のプレッシャーが嫌なので、発券以外はえきねっとで済ませた。)
降りたところにはあまり選択肢が無かったので、自分には珍しくそばを食う。
窓側ながら眠くて大宮までは寝てて、あとはGoogleマップで現在位置を追う。
新前橋を過ぎれば遠方にこんもりとした山を見るが、吾妻線に入るとそこに挟まれた感じとなる。
橋で川を渡れば、岩に立つ白波が涼やか。強い光ゆえ緑の色彩も濃く見える。
小野上では採石がとれるようで、それを積む特殊車両が泊まっている。
中之条で山あいは開ける。それなりに人が降りるのは四万温泉に向かうのか。
トイレしたくて車両を渡ると、二人ほどロードバイクを持ち込む人が居てうらやましい。
岩島からは最近作ったろう高架橋で国道をまたぎ、長いトンネルに入る。これが八ッ場ダムによる新線なのか。
ダムの湖面が木々の合間にわずかに見える。その前方には急峻な地形に貼り付く国道。駅前にはキャンプ場もあるのね。
また長いトンネルとなり、トンネルではWikipediaの沿線概況を見て過ごす。
ダム下だからか、削り込まれた吾妻川を橋から見ては、長野原草津口でもごっそり降りる。
片面の行き止まりホームを見ては遠景を撮ろうとするが、時間が足りず。
そして、大前での折返時間は短いので、事前に車内で精算しておくようにとの放送。ここまで30人程度は残っただろうか。
羽根尾の構内も広い。それを過ぎると、シールドや木々に包まれては20km/hなんて看板まである。
強く減速し、災害の多いこと、そして線路の終わりも近いだろうことを知る。
万座・鹿沢口手前でも同じくらいの減速。
街は川向いにあり、駅前には旅館を示す剥げた看板と土産店。反対側にはバイクの集まるカフェ。
そしてさらにトンネルで、大前まで乗り切った。プツっと終わる感じの平面ホーム。
気持ちだけかもしれないが、降りても涼しく思える。見どころはけっこう多くて飽きない行程だった。
ロードバイクも組み立てている。
そして出発となるが、乗車証明発券機はなかったので、帰りの車内で切符を発券してもらう。
ひとりひとり処理するの大変だなあ。
また強い減速で始まる帰りは、長野原草津口手前で旧太子線の橋脚、その先では引上線として残る旧線がみつけられた。
川原湯温泉では今回も行き違いで、わずかに見える湖面に向け写真を撮る。
帰りはなんだか行き違いが多くて、ちまちまと停まる。
そして考えることもなく車窓を眺めていると、幸せすぎて「ずっとこのままで居たい」とさえ思ったりもする。
ちなみに、親は親で観光地に出かけたらしい。
じいさん、ばあさんの写真とともに撮った観光地の写真が送られてきて、
夫婦には子供なり老人なり慈しむ存在がないと、関係性が保てなくなるのかなと思ったりする。
そんな詮無いことばかり考えないよう、Vtuberの雑談を聞きつつ、平野が広がれば渋川に戻る。
まともなものが食いたく、今回は菓子パンで済まさず、中華屋で豚キムチ定食。
そして、飲み物買っての上信電鉄は建物のすき間を縫うような改札口。
車両は107系の改造らしいが、LEDはフルカラーで行先案内もディスプレイ化され、手間暇かかっている感じ。
でもトイレは不可か。
車両所には剥がれる古き車両も見て、街を抜けては新幹線下からねじるようにして川を越える。
スピードはゆっくりなのに、線路の整備がいまいちなのか、左右に振られて轟音がある。
車窓は吾妻線と比べると、山々に挟まれるというか囲まれるといったくらい。
住宅もそれなりに多く、昼間のワンマン運用ながら乗降は細かくある。
吉井からはひたすらまっすぐなのにやはりスピードは緩く、車両は揺れる。
上州福島はほぼ中間ゆえ、行き違い。駅舎はホーローの駅名標だったりしてそれなりに古い。
上州一之宮ではきついカーブから、同じ方向に折れた川幅を高いところから眺める。
そしてラストの千平からは、鏑川の渓谷と急峻な山肌に挟まれ、スリルさえ感じる空間をこわごわと進んでいく。
ここはさすがに相当(体感で20km/hくらいか?)減速するようだ。
山肌を回り込んでは下仁田駅に着く。
駅名標と山々を合わせて撮っては、車線もない駅前から5つものコミュニティバスが入れ替わりに発車する(列車に合わせるので当然か)。
乗り潰しは14時台ながら早くも終わりなので、折り返し便では帰らず、
バス待合室で時刻表の少なさ(6系統+南牧村便があるが、休日は4便ずつしかない。
乗合タクシーに至っては曜日運行!)をじっくり見ては、廃墟かわからない昭和な建物とか、
旅館がこんにゃく料理を出すとか、河原で人々が水遊びをする遠景を見るとかして駅に戻る。
上州富岡は名所に合わせてか、新しい建物で屋根が高く作ってあるのも知る。
行きは乗るべき列車があったから急いだが、帰りは急ぐ理由もない。
酒飲むかは迷ったが、暑さによって酔ったような頭のかすみがあり、辞める。
車両区には吾妻線で見た砂利運ぶ車両が複数居て、SLも構内で入れ替えしていた。
烏川を越えた光景には見覚えがあり、やっぱり一度来たことあるなと思える。
そして車窓も気になるのだが、暑さからの疲れで眠くなる。
こんなんではダメだと、短編で興味がキレギレとなるゆえ、まだ読み終わらない「異常論文」を読み出す。
「ザムザの羽」は感情的に来るものがあり、「論文」として並ぶ中では特に面白かった。
そして横浜は19時前であり、さすがに薄暗くなる。
帰っては速攻でシャワーを浴び、20時には楽しみな議席予測を聞く。
結果は最後まで気になり、途中暇つぶしをしながら、寝るのは25時となる。
ラーメン屋に来ている。
そこでは各ラーメンの特徴だったり、それぞれのトッピングがどういう物なのかという説明が券売機の近くにびっしりと書いてあった。
書いてあることはとても分かりやすく、そのおかげで初来店の私も特に不自由なく食感を購入する事ができた。
店員に案内された席に付き、冷たい水を飲んでいるとまた別の客が店に入ってきた。
彼はしばらく食券機の前で立ち尽くしていると調理中の店員を呼びはじめた。
私は「1万円札の両替でもするのかな」と思っていたが、どうやらその客はメニューの特徴などを聞いているようだった。
店員は少しの間説明していたが、その客がどんどん質問するので「食券機の隣に説明もあるのでそちらを参考にしてご購入ください」と言い、また調理に戻っていった。
メニューの説明文は食券機の真横に書かれており目に付かないはずは無いのだが、なぜこの客はそれを読まないのだろうか。
私は少し考えて思った。
世の中には文字に対して忌避感を持っていて、ある程度まとまった文章を無意識的に読もうとしない人が居るのでは無いだろうかと。
最近、SNS上で議論が発生しているときにYouTubeの動画を自説の根拠として挙げている人を見かけた。
その動画では調べても特に素性のよく知らない人物がさも真実かの様にとある主張をのべていた。その主張には特に根拠と呼べる様な文献などが提示されておらず、客観的に信憑性が怪しい物だった。
なぜこんなものを議論の根拠に挙げるのだろうかと私はそのとき呆れてしまったが、ラーメン屋で説明文を読まず店員に説明させる客を見て少し理解出来た気がした。
動画は一般的に口語で語られていて、根拠はさておきその主張は理解しやすい物だ。根拠も曖昧なので分かりやすいストーリーを作るのが容易になる。一方で、物事の根拠になるような論文などは基本的には文書として存在している。文字を読もうとしない人にとってはそのような文書は存在してないのと同じなのでは無いのだろうか。先ほどのラーメン屋の客のように。
近年、非科学的、非論理的な主張を恥ずかしげもなく展開しそれに賛同する人間が増えている様な気がする(SNSの大衆化によりそのような人が可視化されやすくなっただけかもしれないが)。
もしかしたら彼らも、意識的無意識的にかかわらず文字を読もうとしないで、理解が容易な動画もしくはSNS上の短文でしか情報を得られないのでは無いだろうか。
彼らに必要なのは、科学的な根拠となる文献を提示する事ではなく、丁寧に口語で語りかける事なのでは無いだろうか。
そんな事を考えてるうちに美味しそうなチャーシュー麺がやって来たので私は食べる事に集中しようと思う。
「ね!みんな食べてないでしょ!ほんとはアレ食べられるんですよ!ぜんぶ日本人の体から出てるから!」
「あらゆる植物!穀物にとって!ね!肥料になるなら!人間が食べてもどえらい栄養になるんです!
なのに!今の政府はそれを隠して!食べ物を輸入に頼って!外国に!ね!外国に!我々の税金を売り渡してるんです!!」
バイト面接のために久々に外に出てみたら、練馬駅のロータリーが選挙活動の集会みたいになっててびっくりした。
選挙カーの上で、派手な色のTシャツを着た男が熱弁している。知らない政党ぽい。
人だかりがすごいので、とりあえず階段を登って上の歩道から駅に向かう。
「だからね!日本人のウンコは!捨てずに!回収してお店に並べるような形やればいいんですよ!
そして!そして!ね!!外国人のウンコは!食べたら!癌になるんです!!」
「そうだ!」という声が群衆の中から上がると、下から大きな拍手が起こってビビる。
話の内容はよく聞きとれなかったけど、声に説得力というか、必死さがあって、シンプルに「いいな」とおれは思う。
ていうか、今選挙やってたんだ。
40過ぎてから会社が潰れて、それなりにキャリア積んだつもりだったのにハロワのトライアルでボロカスに言われて、しばらく引きこもって貯蓄を食いつぶしていた。
でも、本当にそうなのか、誰にも相談できなかった。
「癌という病気も!もともとは!海外から持ち込まれた病気なんです!
だから!ね!!日本人のきれいな人糞だけを食べれば!出てくる人糞もきれいなままなんです!
純粋な日本人だけの!日本人のためだけの!究極の食料を守んなくちゃいけないんですよ!」
男が叫ぶ度に、大きな拍手と歓声が上がる。
今まで見たこと無かった政党だし、演説の内容はよく聞こえなかったけど、少なくとも100人以上いる聴衆がめっちゃ支持してるのはわかるし、それだけ信用を集めているひとなんだろうなと思う。
「この国の!ウンコみたいな!間違った食糧事情を正したいつってんですよ!」
響き渡る歓声を背に、券売機に10円玉を入れながら、おれは生まれてはじめて「投票に行ってみようかな」と思っていた。
明日食べられるものを、来週食べられるものを持っていたいから。
その日の面接は落ちた。