
はてなキーワード:判定基準とは
※ 【追記】続編みたいなもの なぜ私が ~「生理的に無理」と「清潔感がない」の正体を完全に言語化した、『メスの2段階選別論』を提唱する~ を投稿したかの話。
https://note.com/j_yam/n/ne0a0874a29e0
ここから本文↓
これまで世の中で語られてきた「清潔感が大事」だの「なぜ風俗でメンタルが病むのか」だの「熟年離婚」だのといったバラバラの事象が、ひとつの仮説ですべて説明がついたので書き留めておく。
名付けて『メスの2段階選別論』だ。
倫理的な是非は一旦置いておく。あくまで「我々ヒトという動物がどう設計されているか」という仕様書の話だと思って読んでほしい。
結論から言うと、女が男を見る目には、明確に異なる2つのフィルタリングシステムが存在する。
重要なのは、この2つは「判定基準」も「目的」も全く別物だということだ。
判定基準: 「コイツに力ずくでレイプされて妊娠させられた時、産み育てる価値が(ギリギリ)あるか?」
ここが最大のポイントだ。
女の脳内にはバックグラウンドで常に「最悪の事態(強制性交)」のリスク計算プログラムが走っている。
目の前にいるオスが、自分を襲ってきたと仮定する。その時、遺伝子的に「完全に不良債権(ハイリスク・ノーリターン)」になる相手に対し、脳は警報を鳴らす。
そして「清潔感」とは、風呂に入っているかどうかではない。肌の質感や挙動から読み取る「遺伝的なエラーのなさ」や「病原体リスクの不在」を示すシグナルだ。
つまり、第1段階で弾かれるというのは、「お前の遺伝子を身体に入れるくらいなら死んだほうがマシ」という生物学的拒絶に他ならない。
第1段階をクリアした中の、ごく一部の特異点(強烈なオス)だけがここに入る。
これは第1段階の完全上位互換だ。
誤解なきよう言っておくが、もちろん「閾値の設定ファイル(好み)」には個体差がある。
「筋肉質なら第1段階クリア」という個体もいれば、「細身でないと第1段階で足切り」という個体もいる。いわゆる「好み」や「フェチ」だ。
しかし、重要なのは「どんな値が設定されているか」という表面的な違いではない。
「第1段階(足切り)」と「第2段階(渇望)」という『2層構造の判定ロジック』自体は、すべての女性に標準実装されているOSの仕様であるという点だ。ここを履き違えてはいけない。
人類のペアの大多数(夫婦)は、「第2段階(本能的渇望)にはいないが、第1段階(生理的許容)はクリアしている」というグレーゾーンで成立している。
第2段階のオスなんて滅多にいない。だから女は現実的な適応戦略(妥協)として、「まあ、万が一妊娠しても育てられる(社会的地位や経済力があるから)」という相手と契約を結ぶ。これが結婚だ。
ここには「理性」はあるが、本能的な「種の渇望」はない。
だから、結婚して子供を作った後にセックスレスになるのは仕様通りの挙動なんだよ。最初から「遺伝子が欲しくてたまらない相手」ではなかったんだから。
この理論を使うと、水商売や風俗で女性のメンタルが崩壊する理由もロジカルに説明できる。
第1段階(防衛本能)が「コイツは危険(レイプされたら割に合わない)」と判定している相手が、閉鎖空間で接近してくる。
脳が「危険な相手が近くにいるぞ!」と非常ベルを鳴らし続けているのに、理性で笑顔を作る。この乖離が脳を焼く。
第1段階すらクリアしていない(=遺伝子を入れたら破産する)相手に対し、あろうことか最もリスクの高い「性的関係」を受け入れる。
これは生物学的に見れば「自殺」に等しい。本能が「絶対に拒絶しろ」と叫んでいる相手を受け入れる行為は、魂を削るなんて生易しいもんじゃなく、脳の回路を物理的に破壊しにいってるようなものだ。
すると、バックグラウンドで走っていた「第1段階(レイプ対策セキュリティ)」が用済みになって解除される。
だから、若い頃なら「生理的に無理」だった弱者男性ともフラットに会話できるし、距離感もバグる。あれはセキュリティソフトをアンインストールした状態なんだ。
金や地位のある男は、女の「第1段階(社会的地位による許容)」をクリアしやすい。
ここで厄介なのが、稀に「金や地位=第2段階(本能的な魅力)」として判定してくれる女性個体が存在することだ。
成功者は、過去にそういった女性とマッチングして「いい思い」をした経験(成功体験)を持っていることが多い。
これが彼らに致命的な「過学習」を引き起こす。
「俺のアプローチ(金・権力)は、女を濡らす(第2段階)のだ」と誤った学習をしてしまうわけだ。
その成功体験をユニバーサルな真理だと勘違いし、第1段階で止まっている(理性で付き合っているだけの)部下や他の女性にも同じアプローチを仕掛ける。
結果、相手の女性からは「生理的にはギリOKなだけだったのに、勘違いしてきてキモい」と判定され、セクハラとして通報される。
これは単なるスケベ心ではなく、「過去のデータセットに偏りがあったせいでAIが誤動作した」という悲劇なのだ。
■結論
こう考えると、世の中の理不尽な男女関係のほとんどに説明がつく。
男たちは「清潔感」という言葉に騙されてはいけない。あれは「俺の遺伝子を受け入れる覚悟があるか」という、遥かに重い問いかけなんだ。
そして、大多数の夫婦は「本能的な渇望」がないまま、理性という糸で繋がっているに過ぎない。
この「本能によるフィルタリング」はずーっとずーっと昔の、我々のご先祖様がサルやってたころのそれと思われるので
それ以前に、本当に女性の第一段階を突破したかどうかは、女性本人の無意識領域にしかわからないのだから。
Permalink |記事への反応(38) | 19:22
相手の言ってることの意味がわからないときは、AIに解説してもらうといいよ
Q.
匿名掲示板でのやり取りです。
Aの発言:
```
「清潔感」の判定が人によってバラバラだったら、「清潔感」を身につけてる人が「清潔感がない」と言われないことに説明つかない
```
Bの発言:
```
と
は矛盾しない。
```
A.
実はBの発言は論理的に正しく、意味不明ではありません。この議論の構造を分析すると、Bは重要な論理的区別を指摘しています。
Aは「基準がバラバラなら、清潔感がある人でも『清潔感がない』と言われるはずだ」と主張していますが、Bはこれが誤りであることを指摘しています。
人X:50点以上で「清潔感あり」と判定
人Y:70点以上で「清潔感あり」と判定
人Z:30点以上で「清潔感あり」と判定
このように判定基準(閾値)は人によってバラバラですが、もし誰かが90点を取れば、全員が「清潔感あり」と判定します。
Bが指摘している重要な点
基準が異なる:各人が異なる閾値を持つが、その閾値は一貫している
Bは「バラバラ=ランダムではない」と明言することで、基準が異なっていても(人によって50点が閾値だったり70点が閾値だったりしても)、極端に高い水準にある人は全員から「清潔感あり」と評価されうることを説明しています。
実際、清潔感の基準は個人差があることが研究でも確認されていますが、極端に清潔感がある人や極端に清潔感がない人については、多くの人が同じ判断をする傾向があります。
別に今にはじまった話じゃなく、この人(もとい、このコヨーテ)はつまらないことで定期的に物議をかもしている印象がある。椅子の音を指摘されただけでお気持ち表明とか、年齢いじりにお気持ち表明とか..
もっとも年齢いじりに関しては、Vとか関係なく一般論として失礼な行為ではあるのだが、全体的に「少しでも自分の意に沿わないものに触れたら反論せずにはいられない」ような気質を感じる。
今回の件にしてもそうで、確かに元々の意見は否定的ではあったものの、誹謗中傷に相当するような要素はなくただのネガティブな感想だった。ホロは莫大なフォロワーを抱える箱だけれども、配信者として活動するからにはそういったネガティブな感想が飛んでくることは当然承知していないといけない。
本人の釈明文もよくわからない。誹謗中傷かどうかは受け手が決める?誹謗中傷ってそんなあやふやな判定基準で決まるものなのか?
配信をちゃんと見ていればそんな感想は出てこない?なぜ配信者がリスナーの感想を自由にコントロールできると思っているんだ?自分が業界トップの箱に所属しているからって、思い上がっているんじゃないか?
ほろっくすのずのー!などと宣っているが、その場の感情に任せてリスナーを煽るようなリプをする人間(もとい、コヨーテ)が、ブレーンとして適格かと言われると首をかしげてしまう。
莫大な配信時間を積み重ねていることは有名だし、本人としてもいい加減な気持ちでVをしているわけではないんだろう。そういう意味では、どこぞの鬼よりはよっぽど頑張っていると思う。
だからこそ、沸点の低さが足を引っ張っているのがとても勿体ないと感じる。ファンネルを飛ばしたのが意図的だったのかどうか、それは本人のみぞ知るところだが、あれだけのフォロワーを抱えていれば好む好まざるに関わらずファンネルが飛んでいくだろうと当然予想すべきだった。
もっとも、私自身もこんなところでお気持ちを書いているくらいなのだから、あの人(もとい、コヨーテ)を批判する資格は無いのかもしれない。
10年くらい前に職場の女性から気に入られたようでアプローチされたことがあった。
結局断ったが方法論として自分には無い感覚のものだったので思い返してメモする。
意中の女性に声を掛けたい人の参考になれば幸いである。n=1ではあるから注意。
ちなみに増田はこの時の判断を正解だと考えているが未だに悔やんでもいる。めちゃめちゃ好みのタイプだったが当時借金もあったしその後色々家庭のゴタゴタがあったりで絶対不幸にしてしまっていたと思うから正解でしかないはずなのだが。
まず、男から女にアプローチする場合、男の認識としては自分と相手だけのサシの勝負ということになると思うが、女→男の場合異なる。双方の属する小集団を全体的に利用したチーム戦を仕掛けてくる。
これは大まかには雰囲気作りと言うことになるが、戦術レベルでは集団内の人間関係を立体的に利用した高度かつ長期的なものだ。
具体的には対象の男を取り巻く上司、友人、後輩等の人間関係を整理し、それぞれに対して自分が対象に好意を持っていることをやんわりと仄めかす。更にそれらを通じて対象の好みを聞き出すなど情報収集を進める。これによりチーム内に女→男への興味がなんとなく共有される。
イメージ戦略も重要である。清潔感はもとより飲み会等での気が利くアピールや普段の業務で程々に醸し出す頑張ってる感により、チーム内に女が対象にアプローチしても良いという雰囲気が醸成されていく。共有された好意がチーム的に承認されるわけだ。
なお、これは職場の比率が男性多数だったためその様な手順を踏んだ側面が大きいと推測される。少数だが女性も居たため抜け駆けにならないよう調整するなどの操作もあったかもしれないが詳細は不明。女性多数の職場であればそれらの手順のほうが重要になるのだろうから、全体戦略としても異なったものを採用していたかもしれない。
増田のケースでは最終的に本人からではなく下世話な話好きのチームリーダーを通じて食事のお誘いが来るという非常に断りづらいやつを繰り出されたわけだが、戦術的には非常に効果的と評価することができる。
男から女にアプローチする場合、こういった下準備とか段階を一切すっ飛ばしたぶっ放しで直接攻撃を叩き込むことが少なくないと思うが、相手としては事前の心構えがまるでできていない訳でそりゃ怖くもなるだろうなと。
男的には徐々に親密さを高めて好感度MAXになったから声をかけたつもりかもしれないが、それは集団的な承認プロセスを経ていないものなので女からすると無効と判断されるわけだ。
もし意中の女性にアプローチしたいという男性が居たら、それが所属する小集団の、特に女性から支持されるものか考えてみてほしい。不支持多数と想定されるなら時期尚早であるか、そもそも成立しないものである可能性が高い。
昨今話題になっているオジから若い女性への誘いなんかは上記の判定基準からするとほぼ100%NGになるだろうから、相手の事を思いやるのであれば諦めるのが正しいあり方と思う。
Permalink |記事への反応(11) | 05:20
GoogleAI
本来の蛙化現象とは「相手が好意を持った途端、その相手に対して嫌悪感を抱いてしまう心理現象」を指しますが、近年では「好きな人の些細な言動に幻滅する」という意味で使われることも多く、若者の間で新しい意味が定着しています。
本来の「蛙化現象」の意味
概要:恋愛において、片思いの相手が自分に好意を持っていることがわかった途端、それまでの好意が冷めて嫌悪感に変わる心理現象です。
由来:心理学者の藤沢伸介氏が提唱した言葉で、グリム童話の「カエルの王様」にちなんで名付けられました。
具体例:ずっと好きだった相手が振り向いてくれたことで、生理的な嫌悪感を抱いてしまうケースなどがあります。
若者の間での「蛙化現象」の意味合い
概要:若者の間では、「好きな人の些細な言動や仕草で突然気持ちが冷めてしまう」という意味で使われることが多いです。
「なんか冷めた」の6文字ですむ概念を、わざわざ複雑な言葉使ってそれっぽく頭良く話してる風にしてる感じが馬鹿くさい
偏差値45とかの人がつかってそう
“カエル”が元来の「王子が蛙に見える」の反転や嫌悪喚起の象徴として使われ、恋愛嫌悪、自己嫌悪、暴露後の認知変容など複数の解釈が混在しやすい(対象=カエルに機序が埋まっていない)。
現象の根本因(理想化の崩壊、親密化に伴う嫌悪感、投射の剥落、恐れの防衛など)が「カエル化」という定義文に入らず、結果(冷める)のみをラベル化してしまい、学術的枠組み(例:脱錯覚、親密性回避、嫌悪感感受性)に結び付きにくい。
“カエルとはなんの象徴か"を定義化するための判定基準が合意されておらず、キャッチ―さだけでSNS流通で意味が拡散・変質しやすい。
グリム童話では、姫の嫌悪の源泉は外見的容姿の違いによるのに対し、本ミームでは「相手の行動」が嫌悪のトリガーとなっているのも設計の精密さに欠ける。
良い名詞比喩は「構造の写像(図解可能)」を提供するのに対し、カエル化現象は「前提となるグリム童話と連動しない」「主観的・情緒的な印象メタファー」に留まり、原因機序と再現条件が弱いため定義が揺れやすい。
Permalink |記事への反応(16) | 19:25
障害者と長時間接しているとそういう感情が目覚めてしまう人が一定数いる。
彼は、外界とコミュニーケーションできるかどうか?を殺害の判定基準に選んでいたよね。
「一生寝たきりで意思疎通もできない低酸素脳症の赤ちゃん」は、植松基準に合致する。
優生思想は遺伝子の選別に関わる思想なので、障害者の命の選別は植松思想と呼ぶのが相応しいと思う。
植松思想を合法化するには、トリアージの概念を拡張してゆく必要がある。
トリアージは、災害時などに多数の傷病者が出た場合にのみ、助かる見込みのない命を見捨てることができる。
「なぜAIをフル活用した漫画やゲームで名作が生まれないのか」
この問いは単純に技術的成熟の不足で片付けられる話ではない。むしろ、構造的に名作を阻む要因が複数重なっている。
第一に、AI生成は「即物的に目を埋める」能力は高いが、「文脈を貫く」能力が欠落している。漫画やゲームにおける名作とは、単発の美麗イラストではなく、世界観・キャラクター・物語・演出といったレイヤーが相互に絡み、時間軸を伴って積み上がるものだ。
現在の生成AIは局所的な表現を繰り返すことはできても、数百ページに及ぶ漫画や数十時間に及ぶゲーム体験を一貫性を持って構築することはできない。
結果、出力物は「AIっぽさ」という断片感を帯びる。
第二に、Vibe Coding との違いが決定的。
人間が検証しやすい。そしてAIコードの断片は容易にテストできる。
一方で絵や漫画は「良さ」の基準が数値化されにくい。線の味、構図の妙、物語と画の呼吸
―これらは自動検証できない。だから人間の眼が常に判断に介在する。
ここで「AIに7〜8割を委ねる」と、むしろ編集負荷が爆増する。
第三に、創作者の問題がある。AIを積極的に導入する層は「絵を描けない人」が多く、技術を持つ絵師はむしろ警戒的・懐疑的。
そのため、Vibe Painting 的な理想形がまだ現実化していない。これは技術の限界と同じくらい、文化的抵抗の問題でもある。
結論を言えば、「まだAIが名作を生める域に達していない」ことと、「絵師がその能力を使い切れていない」ことの両方が重なっている。
AIは量を生むが質を繋げられない。人は質を作れるがAIの出力を束ねる設計に熟達していない。名作が不在なのは必然。
問いを裏返せば、真に可能なのは「AIを大量の下書き係に落とし込み、それを人間が徹底的に編集する」体制だろう。
つまりAIは画家ではなく「千人の徒弟」であり、それを統御できる親方がいなければ名作には届かない。
さて、もしあなたがこの親方役に立つとしたら、AIを7割任せるどころか、9割を粗材として生ませ、最後の1割で全てを作り直す覚悟がいる。
生成AIは哲学そのものの基盤を覆すまでには至っていないものの、
1.研究方法、2) 問いの優先順位、3)社会が抱く「哲学観」
――この三層において急速かつ不可逆的な変容をもたらしつつあります。
⸻
⸻
| 領域 | 生成AIが投げかけた核心的問い | 代表的議論・動向 |
| :---------- | :------------------------------------------- | :----------------------------- |
| 心の哲学 | 「言語モデルに意識は宿り得るか」 | Nature Humanities & Social Sciences の最新論文は**「可能条件の地図」**を作成し、意識判定基準の再定義を提案しています。 |
| 認識論 | 意味は統計的相関から「浮上」しうるのか | 2024年のデカルト講演では**「理解なき理解」**問題を中心に討論が行われました。 |
| 倫理学/価値論 | “人間中心主義”を前提とする倫理枠組みの限界 | サンフランシスコのシンポジウムでは**「宇宙的アラインメント」**思想が提唱され、人類優先から価値多元主義へ視点が拡張されています。 |
| 教育哲学 | オーセンティシティはどう測るべきか | オハイオ州立大学の報告では**「課題設計そのものがメタ的倫理判断になる」**と指摘されています。 |
⸻
⸻
⸻
⸻
生成AIは、哲学の方法と射程を拡張し、社会の哲学観を塗り替えつつある。
しかし哲学そのものの“土台”を置き換えたわけではなく、むしろ次の土台がどのように築かれるかをめぐる新たなメタ議論へ私たちを招き入れた。
AIだ。性的表現のアウト判定は、もちろんAIが行うようになる。
だけどそうなったとき、かつて男性オタクがフェミニストに迫ったような「萌えがアウトになる線引き」なんてものは必要なくなるんだよ。
覚えている人も多いと思うが、頬を赤らめてたり、主体性の欠けた困り眉だったり、体をクネらせたりするとアウト、っていう奴な。
男性オタクに苦笑されていた、科学的エビデンスを欠いたお気持ち基準。
そんな判定基準を、これからは苦しい思いをして言葉で説明する必要なんてなくなる。
グレーの濃淡を決めるデータは、機械学習の重み行列の中にマジックナンバーとして潜むのだから。
にも関わらずAIは期待通りに働く。
人間が人間に伝わるように匂わせた意図など、全て嗅ぎ取る。機械的な緻密さで。
それは、彼らにとっての最後の晩餐なんだ。断末魔とでも言うべきか。
男性オタク v.s.ジェンダークレーマー というお馴染みのショーは、ほどなくお開きとなる。
匿名掲示板に見られる「最後にレスを付けた方が勝ち」という振る舞いは、一見幼稚な行動に見えるかもしれませんが、オンラインコミュニケーション特有の心理構造と文脈依存性を背景とした文化的現象です。以下にその実態を、客観的・多角的に解説します。
➤ 実際の議論の内容よりも、「見た目の最後にいること」に心理的な“勝利感”を感じる土壌がある。
➤ 「論破できなくても勝てるゲーム」へとルールを変換している構造。
| 特徴 | 説明 |
| 非同期性 | いつでも投稿できるため、持久戦になりやすい |
| 匿名性 | 発言に責任を持たず、煽りや妨害が容易 |
| 勝敗の曖昧性 | 内容よりも“場を占める”ことで優位性を演出 |
| 自己承認的目的 | 内容よりも「俺が上だった」と思いたい感情の充足が目的化 |
| 観点 | 解説 |
| 情報交換の劣化 | 有益な議論の妨げになる |
| 不毛な対話 | 内容がないため、傍から見て学びがない |
| 快楽的行動 | 攻撃や支配によって快感を得る行動(いわゆる“釣り”や“煽り”)の一種 |
| 構造的再現性 | どの匿名掲示板でも一定の条件下で再発する(構造依存) |
| 要因カテゴリ | 内容 |
| 技術的構造 | 最終レスが視覚的に“上位”に見える掲示板構造 |
| 心理的動機 | 形だけでも「勝った」と思いたい自己承認欲 |
| 文化的背景 | レスバ文化の中で“決着の見せ方”として広まった |
| 匿名性の影響 | 責任のない空打ち投稿を連打しやすい環境 |
結局未だにはてなを利用し続けている。
最近AI増田が流行っていて、生きた人間の、線としてつながる日記を書いてみたくて投稿することにした。
匿名の人にも人生があって、その後もあるんだなって感じたので、そういえばと思い自分の記事を読み返してみた。
もし、誰かの暇な時間を満たせられれば幸いです。
片親の生活保護家庭から高卒後自立して貧乏学生になった増田です
将来の不安について綴ったところ、色んな人から反応をいただきました。
それから10年、何度か自分の記事がホッテントリに載ることはあったけど、そんなに多くは書いていない(年2~3記事?)
・所有資格は基本情報ぐらい、NCPやCCNA(期限切れ)みたいなベンダー資格は何度か取得したけど…
・当時のバイト先はスーパーの海鮮だったけど、その後、みんな知ってるレンタルサーバー屋さんでバイトしていた
・就職はもっと給与いいところを目指したので、バイト先には勤めなかった(高卒であっても入れるらしかったのも一因)
結局学生生活はバイトがそれなりに忙しいこと、成績維持のために楽単ばっか選んで、専攻分野もそんなに勉強できず、将来仕事に活かせられなかった。(とはいえIT分野については独学でそれなりにやっていたので、就職先は6社受けて4社受かる、みたいな感じだった)
成績上位は同じゼミの金持ちの子で、当時思っていた通り、生活に支障がないやつが学費免除受けられやすいんだろうなぁと実感した。
・総資産は300万程度
・年収400万は以前より貧困ではないかもしれないが、東京でみるとやっぱり貧乏だと思う
・職場で飼い殺されている
生活は苦しいままだと思うけど、定職があるのは確かにいいことだと思う。
大学の先輩は就活に失敗し、携帯電話販売スタッフを転々としていたので、それに比べるとマシかもしれない。
ITに関して独学していたからというのもあり、職場の同期や元同期からも信頼が厚いが、金融インフラ系という堅い仕事ながらに、裁量が多すぎる(というか抽象的でフワフワな職場)はかなり自分にあっておらず、6年経ってもスキルが1人前に身につかないと感じている。
書いてて思うけど、全く職場の風土が自分にはあっていない。しかし転職するスキルもないので、八方塞がりで、とにかくしがみつくので精一杯。
元同期からいつも「うちに来なよ!」と言われるが、みんなのように外資系とかIT大手とか行ける気がしないよ・・・
客観的に見て幸せだと思う。大学や職場では、優秀な友人たちに恵まれ、今でも交流がある。
だけど補助は2年後に打ち切られる予定だから不安でしかない・・・
ただ、貧乏生活を得て、「有るもの」を数えることが得意になった。
iPhone持ってて、好きなアニメや音楽聞けて、服も楽しめるし、ご飯は食べられるし、眠ることも、お風呂に浸かることもできて・・・
だから、無いものを数えていた昔に比べて今は幸せなんじゃないかと思う。
この選択は未だにわかっていない。姉は高卒で就職し、フリーターで精神障害2級で人生詰みみたいなところあったけど
弟も同じく工業高校出身で、最近死亡事故起きたような割と名前の知られてる会社で日勤夜勤を繰り返しながら働いている。
俺だけ偏差値真ん中ぐらいの総合学科で、そこから大学に行った。よく考えるとちょっと家族でも異質な生活してるかもしれない。
個人的には給付奨学金を収入のおかげで受けることができたこと、大阪の家賃2万の家に住めたことなどで
ある程度有意義な学生生活は送れたと思う。でも、不登校時代があったりヤングケアラーだったりして、ハングリー精神がないので
恵まれた環境にいながらも、大学という世界をうまく使えなかった気がする。
今も、東京に住んで、様々な専門家と触れる機会があり、趣味を最大限に楽しめる環境にいながらも、意欲がなくて機会を持て余している。
学費の借金は、車1台分と考えれば、まあそんなもんなのかなと思うし、会社も約1000人規模の大きな会社に勤められたので良かったと思う。
あとは転職でこの大卒という資格の恩恵を受けられれば・・・だけど産近甲龍未満の私文なので微妙そう。
一生このまま一人で趣味をしつつ、このままこの地でこのまま死ぬのかなぁとか25歳あたりまで考えていた
作業手順もステータスの判定基準も、ミス後のリカバリ手順などすら共有しない組織で、放り込まれた現場でみんなと大きなミスをしたところ休職をすることになって
希死念慮が高くなってしまった。大学まではITに意欲的で、スキルもあったと自覚している人材だけど、現場では情報共有もなく、何も得られず
飼い殺されて第2新卒期間を逃したあたりで、どうしていいのかわからなくなった。うつ病は今もそのまま残っている。
その時ゲームをしていた友達がウクライナ人で、ドローン爆撃や真冬のブラックアウトなどを間接的に体験したので、人のために生きることを決意した
貯金はないけど、なんとかボーナスとか持株会とか使って、空港チケット買ったり、大使館に連絡したりして友達を日本に連れてくることにした。
お互い狂っていると思う。会ったこともない相手同士をこんなに信頼して、モルドバ行って手続きをしたり、ポーランドから日本へ来たり
主に相手のほうが必死にやったと思うけど、その後の手続き周りは全部頑張った(歯列矯正のメンテナンスとか地味に大変だった)
今は一緒に1DKの狭い部屋で暮らしてる。最近他の人の手助けがあり、ようやく難民補助ももらえるようになって、少しだけ生活が安定し始めた。
貧乏学生はなりふり構わず差し伸べてくれた手を握れば、何とかなるかもしれない。
大学の奨学金制度は掲示板を見て自分で手続き行ったし、単身IT会社に自分を売り込みに行ってバイト採用決まったり
今も誰かに助けられつつも、自分も誰かを助ける番として生きることができている。
見返りを求めるわけじゃないけど、人助けは「砂の中の金」を探すものなのではないかと感じた。
恵まれないお腹の空いた子どもが、与えられたご飯を人1倍食べられるわけではないように、与えられたものを活用できる人は少ない。
財団の給付奨学金は、そんな人たちにも機会を与え、100人中1人でも大成できる人を見つけたかったんじゃないかと思った。
それを感じることが自分もたまにある。
独学したITの勉強は、他の友達にも教えた。一人は就活のときに俺を裏切ってどっか行ったけど、まあそういうこともある。
たくさん人を手助けしては、損をすることが多かったけど、今は真摯で誠実な友達に恵まれている。
ウクライナ人の友達もその一人で、難民申請中は俺が日本語を教えたりして、今始まった日本語学校では、ほぼトップの成績を誇る
何より、Javaの勉強を始めて、今後の人生を一緒に歩む目標に向かって進んでくれている。
「友達が死ぬのが怖いから」と差し伸べた手だけど、掴んでくれたのなら絶対に離さない。死ぬまで俺も人助けの責任を全うしようと思う。
俺は、砂の中から砂金を見つけたのだ。
社会に出て思うのは、貧乏も裕福も選んで決めたもんじゃないし、得られたものでやりくりするしか無いなということだった。
恵まれた人生の中でクソみたいな結果しか出さないやつも存在するし、恵まれた人生の中で、それでも更に欲深く生きるやつもいた。
苦労も惜しまない、得ようと思った人が得るのが社会に出てからの人生なんだなと感じた。
そういった「意志の強さ」が疲弊して、貧乏なままで居続けるのが貧困なんだなぁとも感じた。
自分は人を助ける側として、働きたいと思った。
当然職場など、色んなところで人に助けてばかりの人生だけど、それでも何か少しでもいいから誰かの助けをして
自分も誰かの役に立ちたいと思った。
こんな卑屈なめんどくせーカスにしつこくする男なんてそんなのしかいないのは当然だろ
「卑屈なカスぐらいにしか行けなくて目的がセックスなだけのいろんな意味でランク低い男」だよ間違いない
なんか生意気な態度でいっちょ前の反抗心や猜疑心みたいなの見せる癖に
それでこの芋は当然セックスすべきだよ
自分のことばっかり気にしてる周りを全く見てないこんなゴミカス、
カスみたいなやつとはいえ異性が寄ってきて優しく構ってくれてんじゃん
なんでもいいから一方的なテイカーじゃなくてお返しをしろって話だよ
お返しが出来ないような質量の好意ならおかしいと感じて受取拒否しろって話だよ
自分は返礼をなんもしないのにそのことすら美化して被害者ぶって
そういうのは男女以前の人間の屑だぞって言う
それだけの話だろ
構ってくれて世話をしてくれた以上はなんかお礼をしなきゃいけないんだよ
で、芋がなんなんだよな
そういう人としての節義の前には
てめえが芋かどうかなんか心底どうでもいいんだわ
そのセックス男含めてだーーれもそんなこと興味ねえわ
お前も芋女もそうやって
滅茶苦茶低いラインでちゃぶちゃぶしていて
「いかに被害者ぶるか」「いかに責任から逃げるか」ってラインで戦ってんだよな
なんかいっちょ前に強気な口きいたり人への批判っぽいこと言ったりするのが謎過ぎるわけ
お前等は自分から水面にケツを浸してそのラインにケツを固定した底辺なんだから、
偉そうにするんじゃなくて哀れっぽく媚びて同情を誘えよ
「お尻がつめたいですう~~~溺れるですう~~」って
生存戦略としてそっちの方がいいだろ
あと俺これ実は男女問題じゃない気がするんだ
女と上手くやれないから男に期待して
「私はずっとうじうじしながら『私どうせ芋だから』 と言い続けるのでめげずに構って励ましてください」とか
「私は庇護されながらセックスすら拒否して『彼とは心で繋がっている』といううわごととウンコだけを垂れるので見捨てず面倒見てください」とか
仰天するような片務的な搾取関係を夢見てそれが叶わないと男への恨みを抱くわけじゃん
お前等のこと誰が好きなの?
男から嫌われてるからって女からも好かれてねーだろおめーらみたいの
会ってる間中ずーっと「私芋だから」とか言ってる女を女は許すのか?
犬山紙子
@inuningen
女性の痩せ願望「若い女性は愚かだから、将来健康のリスクがあるのにも関わらず無謀なダイエットをしてしまう、だから教えてあげなきゃ」という目線では減らないと思っている。太っていると損をする構造が社会にある。明確な差別がある。そんな社会を作っておいて若い女性の自己責任とするのは違う
1,083.3万 件の表示
犬山紙子
@inuningen
3時間
そういう社会を誰が作ったのか。海外からの価値観の輸入、メディアなどの権力、ファッション業界が大きくは作った構造だと思っています。その偉い人たちにも女性ももちろんいるだろうけれども……
ルッキズムは女性だけの問題ではなく、権力を持つ人が特に考える問題だと思います。
私もメディアで話すことができるという時点で権力側だと考えてるのでこうやって話しているのですが、届く人に届けば、という気持ちです
この発言には、いくつもの重大な問題点があると感じた。以下に箇条書きで整理する。
② 太っていることによる不利益を、すべて差別と決めつけている
⑤ 「若い女性は愚かで流されやすい」という前提そのものが差別的
結論:
差別という言葉を軽々しく使うことは、社会的な分断を助長し、実際に支援が必要な人々への信頼を損ねかねない。
こうした発言を平気でやってしまう点で、こうした人たちに社会的地位やメディアでの発言権を認める必要はないと思う。
科学的な根拠を無視して「共感」を装う発言は、むしろ社会の健全性にとって有害である。
https://www.mhlw.go.jp/content/10900000/001122156.pdf
P14
適正体重を維持している者の増加若年女性のやせ(BMI18.5未満)の減少
このように犬山紙子氏が主張するような若い女性の「やせ」はデータ的に増加しておらず、メディアを攻撃したり、権力者を責めたたるような科学的な根拠は存在していない。
むしろこの報告書は、子供をうまない30代を目標に変更する等、若い女性はターゲットにしておらず、しかも子供を産まない30代であるためリソースを割く意味もなく、単なる利権になっている部分が存在している。
https://www.mhlw.go.jp/www1/topics/kenko21_11/b2.html
→肥満の判定基準(BMIなど)や健康への影響について、国の基準と解説を掲載
https://www.e-healthnet.mhlw.go.jp/information/dictionary/metabolic/ym-002.html
→肥満と生活習慣病の関係、内臓脂肪型肥満の危険性、予防法などを簡潔に解説
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000161103.html
→糖尿病の基礎知識、予防・治療、合併症、国の対策について網羅的に紹介
https://www.jds.or.jp/modules/general/
→専門医監修による糖尿病の説明、予防法、食事や運動療法など具体的な指導内容も豊富
https://www.e-healthnet.mhlw.go.jp/information/dictionary/metabolic/ym-001.html
その主張は一見もっともらしく聞こえるが、「理解していないから語るな」という立場自体が自己矛盾を孕んでいる。
なぜなら、「理解していないかどうか」の判定基準が誰にも事前には定義できないからだ。
理解していないと断ずるには、まずその発言内容を精査し、事実関係や論理構造に誤謬があると証明する必要がある。
それをせずに「恥ずかしい」で黙らせようとするのは、論破ではなく威圧だ。
しかも君は「非専門分野には口を出すな」と言うが、それが通用するなら、「政治を語るには政治学の修士号が必要」であり、「憲法を論じるには法学博士でなければならない」という話になる。
だがそれは民主主義の否定だ。市民社会は、専門外の人間が意見を持ち、議論し、間違えながらも共有することで機能する。
君の論法を突き詰めれば、専門家以外は全員沈黙すべきだという知的カースト制の肯定であり、思想・発言・学習の自由を根本から否定する態度に他ならない。
その態度こそ、恥ずべきなのではないか?