
はてなキーワード:初恋とは
だが週末、熊本でなにかあるのか知らんがホテル満室で追い出されたので旅に出る。(泊まれるが法外に高い)
どっちがいいかChatGPTに聞いたら「どっちもいいよ!」みたいなふざけた回答しやがった。
おまえはいつもそうだよ。二択で質問してるのに玉虫色の回答で責任を回避しようとしやがる。
どっちか選べと指示したら「鹿児島」だと答えたので鹿児島に決定、はい責任はChatGPTな。
途中吉野家で朝食をとる。「牛すき鍋定食肉二倍盛り」。朝なのでビールは無し。バス旅でおしっこ危険。
俺は吉野家では「並牛」「牛鮭定食」「牛すき鍋定食肉二倍盛り」しか頼まない。
人生初吉野家から40年間これを貫いている。あと吉野家以外の牛丼屋はパチモノでありクソである。
キン肉マン問題や嫌なら食うな問題などどうでも良い。牛丼は吉野家である。異論は認めない。
吉野家下通店のドアは手動である、なぜ自動ドアにしないのか謎。理解不能。これだけは吉野家を許せない。
熊本の大衆は育ちが悪く品性が低めなので開けたドアを閉めない。ドアをきっちり閉めたら負けだと思っている。
熊本にはそこらじゅうに「あとぜき」の張り紙がある。熊本弁で「開けた扉を閉めろ」という意味だが、
そんな張り紙をあちこちで見かけるほど奴らはことごとく閉めない。
まして吉野家の手動ドアなど完全に閉まることはまずない。閉めろと念入りに張り紙はしているが誰も閉めない。
徒歩、桜町バスターミナルに着くと20分後出発の便がある、鹿児島行きバス路線があるのは知っているが時刻表までは調べていない。
チケットを購入。
旅慣れている俺はファミマで颯爽とお茶とチョコとワッフルを購入。
バスに乗る。
熊本のバスはクソ遅い。市内慢性的渋滞なのに市内から高速道路までのアクセス道路が無い。首都高的な、バイパス的な道路がなく
桜町バスターミナルから熊本ICにたどり着くだけで一時間かかる。新幹線ならもう鹿児島に着いている。
だがバスなら4200円で鹿児島まで行ける、新幹線だと7700円
バス一択である、金は無いが時間はたっぷりある。そもそも急ぎの旅ではない。バスの車窓も含め旅なのだ。
それにしても遅い、市内でいちいちバス停に止まり乗客を乗せる。高速バスなのにぜんぜん高速じゃない。
ようやく高速道路に入り山中をひたすら走り、無駄に鹿児島空港に立ち寄り、3時間半で鹿児島中央駅に到着。14時くらいだったと記憶している。
鹿児島は20年ぶり。今の駅ビルに建て替わる直前の鹿児島中央駅(当時西鹿児島駅)にしか来たことがなく現在の立派な駅ビルには薩摩藩の貫禄を感じた。観覧車もあるし。
駅前をふらついていると市内観光循環バスを見つけた。230円でぐるっと一周できる。80分乗って230円。どう考えてもお得。乗るしか無い。これで主要観光地全部行ったことになる。
乗ってから数分で気付いたが、そういえばこれ20年前も乗ったわ。見覚えあるわ。行動パターンが20年変わってない俺。
西郷どんの洞窟ショボっとか思いつつ、20年前も見たわ、みたいな。
俺は日本全国、世界各地行っているのでたいていのモノは初見でも感動も無いが、二度見であるからさらに新鮮みもまったくない。
16時。アホらしくなり途中天文館で降り(ほぼ一周してる)、銀だこで腹ごしらえ。
安定の銀だこ、どこで食ってもハズレはない。
鹿児島に来たからと言うて嬉しそうに黒豚だの地鶏など食わない。どうせまずい。よくて値段相応
高度に資本主義が発展し、かつ食品の保存、輸送が極限まで進化した我が国。
朝に豊洲で仕入れた魚が午後には那覇空港に到着し空港の中の寿司屋で提供されるのだ。
美味い魚や肉や野菜は大資本が狩り尽くし、一般市場にはそのお溢れしか回ってこない。
地元だから新鮮で高品質で安い、なんて幻想にすぎない。もうそんな時代ではない。
美味いもの食いたきゃ金を出さなければならないし、品質は都会も田舎も変わらない。
ハイボールとたこ焼き、最高であり、庶民の幸福であり、食いながら宿を探す。
宿は取っていない、取れなきゃ満喫でもいいのだ。この時間になるとホテルは空室よりもマシと捨て値で部屋を売り出す。
案の定、東横イン7000円を見つける。予約し銀だこお会計しチェックインに向かう。徒歩5分
ちなみに銀だこのスタッフはみな可愛かった。鹿児島は女子のレベルが高いように思う。熊本には悪いが熊本はアレだ。
熊本は男は扉を閉めない、女はヘチャ。ではいいとこ無しのようだが、俺は熊本が大好きだ。なんなら引っ越ししてもいいと思っている。
息子が友達と離れたくないと拒絶したので断念したが、でもキミクラスで浮いててボッチって嘆いてなかったっけ?まぁいい。
ともかくホテルにチェックイン、暇つぶしにテレビを見る、スマートテレビはネトフリにも対応、颯爽とログインして「斉木楠雄のΨ難」の続きを観る。鹿児島まで来てなにやってんだと思うだろうが、いいのだ。こういうのでいいのだ。
21時。小腹が空いた。週末の鹿児島の繁華街、どんなものかパトロールに出発。
グッと来る店がまったくない、Bar、キャバクラ、居酒屋、なんでもいいから1軒くらいと思ったが、無い。
仕方がないので客がそこそこ入ってるラーメン屋に入ったが、ぜんぜん美味くない。な?だろ?
ホテルに戻り寝る。
朝、さてどこに行くか、ノープラン。アホらしいので即戻りでもいい気がしてきたが、せっかくだし、桜島に行く。
フェリーに乗る。チケットは無く桜島の下船時に支払うという合理的オペレーションはグッドである。そして安い。250円だったか。
金額を確かめようと念の為にググったら検索要約に130円と出てきた。どっからそんな値段が出てきたのか。これだからAIは。
古い値段なのか、小児運賃を誤判定しているのか、意味わからん。
それにしても桜島は偽物である。おまえ島を名乗っているが島じゃねぇじゃん、繋がってんじゃん、現状ただの半島であり錦江湾のノドチンコである。桜半島に改名しなさい。島じゃないんだから。
無論、ただの地名であるという言い訳もありましょう、例えば島原は島でも無いし原っぱでも無い、島が付く地名などゴマンとあり、地名と実態は別物であり、安田さんが安いわけでも田んぼなわけでもない、それらの一種であるという言い訳だろうが、俺は許さない。
とか思いながら桜半島を眺めていると船は出発した。デッキではアホみたいにうどんを食うてるアホがいる。クソ高いのに美味いわけが無い。
テレビでタレントがうまいうまいと言うてるのを見て自分も食いたくなったのだろう、美味いわけが無い。
船は15分で到着。元船乗りの俺としてはこの手のフェリーの操舵技術には感服する。
自動車のCMなどでキツキツ駐車スペースにスピンで滑りながらピタリと止める、みたいな演出あるじゃん。
ともかく桜半島に到着。
降りる、250円払う。Suicaで払おうとしたが使用する人はほとんどいないのだろう、都度タッチ端末を起動しているのか知らんが応答がすこぶる遅い。
なんぞ?
なんか人がたくさん走ってきた。マラソン大会してやがる。うっざ、さっきのはスタートの合図
この手の観光地にはたいていレンタル自転車があるもので、案の定あったので借りに行ったら今日はマラソンだからダメだと。ふぁっく
わざわざ活火山の真下でマラソン大会やってんの。3000人集まってんの、アホかと。
徒歩で海岸沿いに向かう
ビジターセンターなる観光施設があったので入る、土産屋があり溶岩石が売っていた。300円。
マイクラにハマってる息子が最近やたらと溶岩溶岩とうるさいので買っていこうと思ったが、
ここってそこらの石全部溶岩じゃねぇの?
海岸沿いに恐らくかつて溶岩だったのではなかろうか的な石ころを拾ってカバンに詰めた。300円儲かった。
なぁに子供にはわかるまい。ただの石でもいいのだ。
かつこの行為が厳密には法律違反ではなかろうとかいう懸念もあるが、俺の中では違法性は阻却されると判断している。
鹿児島に戻る。
ちなみに船の出発ジングルが長渕剛であった。俺は長渕が嫌いである。
人格、品格というのはその人がアイデンティティ確立において誰もが何かしら持つ劣等感をどのように消化するか、が大きく作用する。
彼は音楽に関しては天才である。体系的音楽教育を受けずギター一本で多くの人の記憶に残る名曲を生み出してきた才能は凄いのであり、俺も若い頃、まだ自分でピアノを弾いていた頃には彼の曲をいくつか弾いた。コード進行はシンプルであり、奇抜な音楽要素を取り入れるわけではなく、しかし優しく強いメロディーは誰の頭にも残る。
が、彼は自己プロデュース能力やタレント性、カリスマを宗教にしてしまった。
アホを信者に搾取することは悪いことではない。宗教屋はみなやってる、それで救われるやつもいる。
が、彼は劣等感の克服を歪んだ形で完結させ、歪な宗教に昇華させた。俺はそれを嫌悪するのだ。
ワンテイクというYoutubeのチャンネルにも出ているが、説法がながぇのよ、普通のアーティストは「行きます」程度の一言で演奏開始するのだが、彼は人生口上を長々と30分近く喋ってから演奏に入る。うぜぇぇぇぇ、のであり、嫌いだ。
さて、俺は帰りのフェリーの甲板で涼んでいた。外気温19度、日差しもあり普通に暑い。散々歩かされたので汗ばんでいる。
が、近くに高校生の修学旅行のグループ行動らしき集団がいて、「さーむーい」「マジありえなーい」みたいな私弱いアピールして女子の真横でTシャツであり、俺がおかしいのか、JKがブっているのか、みたいな絵面であり、俺はJKたちに笑われていた。
鹿児島中央駅まで戻り指宿まで行く、まだ時間はある、片道1時間ちょい。指宿で降りずにそのまま乗り続けるとJR路線最西端の西大山駅まで行けるらしく、かなり魅惑的であり、てかそのまま枕崎まで行きたいが、アホではないので帰りをシミュレーションすると無理ゲーであることがわかり諦めて指宿で降りる。
というか、鹿児島県は上白石萌音様を生み育てた聖域であり、指宿はかの大漫画家川原泉先生を生み出した伝説の地である。
堪能せねばならない。
指宿駅前に食堂だか居酒屋だか料理屋みたいなのがあり、2500円の定食を食う。きっと川原泉先生もここで飯を食われたに違いないと考えると美味さは倍増する。実際美味かった。だが、どうやらその日は指宿で全国かつお祭りとやらが開催されているようで(店にポスターが貼ってた)、車で10分ほどの会場でなんかやってるらしい。13時半なのでまだ間に合う。俺が計画的に行動し、事前リサーチしていれば間違いなくそれをターゲットにしていただろう、カツオは俺の好きな魚ランキング10位内には入るほど好きだ。残念
地ビールがあったので飲む、美味い、おかわりしてしまった。これが間違いだと気づくのは30分後である。
14時半、帰路、鉄路かバスか。どちらもアリのようだ。来るときJRだったので時間かかるが景色の良さそうなバスもよかろうとバスで帰ることにした。ちなみにJRはクソであり、せっかく海岸沿いを走っているのに藪で景観が台無しである。
JRが軌道外の雑草を放置しているため車窓は最悪のコンディション。
言い訳をすると乗車直前にトイレには行ってる、アホでは無いのだ。
あと1時間ちょい我慢は「むり」との決断を下し、途中「観音崎展望所」バス停で途中下車。
道の駅だからトイレくらいあるだろう、あった、おしっこした。セーフ。間に合った。次のバスを検索すると絶望しか無かった。2時間後。
最寄り駅まで徒歩20分。20分くらいは歩くが、列車が来るのは1時間後。ふぁっく。ド田舎死ね。
結局小一時間海岸で桜半島を眺めながら佇むことになった。気候が良いのが救い、桜半島はきれいだった。
ようやく時間が来たので生見駅から列車に乗る。「ぬくみ」と読むらしい、勉強になった、残り人生で活かせる機会は無いだろうが。
生見駅での乗客は俺一人だが、枕崎や指宿から乗ってきたのであろう観光客で空席ゼロ。外人だらけ。
ちなみに生見駅の側には「この付近で大便した奴はぶっ殺す 家主」的な看板があちこちにありどんな治安だよと思った。
本来の目論見では鹿児島中央から4400円でバスで熊本まで戻る予定だったが、この時間だともはや新幹線ワープしかない。
指宿在来線から新幹線に乗り換えようとしたのだが、改札内に新幹線切符売り場は無いらしい、一度改札を出てから買い直しだとか。
都会育ちの俺は新幹線とは5分に一本走っているものという常識がありそのような感覚だったが、時刻表を見ると絶望しかなかった
はぁぁぁぁぁ?
よんじゅうよんぷん?待ち?なんで接続列車にしないの?その前が3分間隔出発で次が44分の空白ってなんなの?
なんでばらけないの?アホなの?
が、良い、許す。俺はちょっと機嫌が良い。
実は指宿からの帰路に衝撃的な出会いがあった。途中でJK3人組が乗ってきたのだが、その一人が俺の初恋の人にそっくりだったのだ。
瓜二つというて良い、とはいえ初恋の人に最後に合ったのは35年前なので記憶が定かではなく写真も持っていないので相当補正がかかっているかもしれんが、顔立ち、スタイル、雰囲気がそっくりだった。俺が余命一ヶ月とかならアレでソレしてしまったかもしれない。だが俺はあと50年生きる予定なのでそんな事で刑務所には入りたくない。
コーヒーを飲む。そういえば出張に電動鼻毛カッターを持ってくるのを忘れた(バックのどこを探してもない、入れたはずなのに)ので隣のヨドバシで買うか思案、だが、よくよく考えてみると鼻毛カッターを使うのは1週間から10日に一度である。
出張はあと2週間だから使っても1回、もしくはせいぜい2回であり、自宅に戻れば前のがある、別にそれで困ってない。
パナソニック製で10年前に購入したものだが、電池式なのでバッテリーヘタリもない。そもそも毎日使うものでもない。
そしてこの歳で新しい電動鼻毛カッターを購入したとしてあと何回使うだろうか。鼻毛がどうでもよくなるのが80歳くらいだとして、週一使うとして残りざっと1400回である。
あ、けっこうあるな、新しいの買ってもいいかな、人生最後の電動鼻毛カッター、いやいやいや、今のやつで人生最後まで走り切れるのでは。
とか考えてたら30分が過ぎ、ホームに向かう、新幹線ホームに喫煙所があると思いきやなかった。大都会熊本駅にはあるんだけどね。
新幹線発車。
車内アナウンスで「座席に荷物置くな」と言うているのにお隣の中年女性はガン無視。
俺は三列シートの真ん中にふんぞり返って座っている。なぁに乗車率3割も無い。
ちなみに三列シートは真ん中だけちょっと幅が広いのだ。
18分のインターバルがあるのでのんびり新幹線ホームの喫煙ルームでタバコを吸う。
吸い終わり、ん?豊肥本線ってこの時間そんなに間引き運転だったっけ。調べると
18:43発があった。余裕で乗り換え間に合うじゃん。ジョルダンふぁっく
なんやかやホテル到着、急いで帰ったのは理由がある、荷物が届く。
スーツケースを宅配便で送っている。ホテルというかウィクリーが預かってくれないので近所のコンビニからPermalink |記事への反応(0) | 16:52
最近TLが「自称レズがガチレズを弄んだ末に結婚適齢期ぎりぎりになって急に男と結婚すると言い出してひどい振り方する現象」について話題だ
世間体のために結局女と結婚するホモ、男との方がガツンガツン性欲解消できるのでホモ寄りに振る舞ってたが普通に女と結婚するバイ、というのは数多くいるが、自称レズは「あんたも早く目を覚ましてレズごっこやめなよ」みたいな振る舞いを捨てたガチレズに対してやってマウントを取ってくるという
ノンケ堕ちしたホモはセックスまでした相手に「所詮お前のはホモごっこで本当はノンケだろ」みたいなことやらないが、自称レズはそれをガチレズに対してやるのだ
チンコを体内に入れる行為がセックスでありノンケとホモは真実だが、それがないレズは偽だという男根崇拝が背景にあるのだろう
チンコという一点でしか結合できないチンコセックスが真で、全身が性器になるレズビアンセックスが劣るなど浅はかなことだ
チンコユーザーだからエアプだけど、ガチレズ小説家の中山可穂がそう言ってたし
本当にそんなにチンコがいいなら風俗嬢はみんな客と恋に落ちてるよ
マウント取るのはひどいけど、「付き合ってた相手と別れて次に交際した相手と結婚」なんてのはノンケが異性を相手によくやることなのに、それが「同性と別れて異性と結婚」だったら同性への思いが「気の迷い」扱いされるのは如何なものかという議論も流れてくる
結婚制度が異性とのしかないんだから仕方ないだろという声もある
百合漫画の金字塔のように扱われつつ異性愛も描かれ、「こんなの百合漫画扱いするな」というアンチもいる
ガチレズとして生涯女だけを愛する者、女に告白されたから承諾するも恋愛がよくわからない者、結局男と結婚する者などが描かれる
・ふみちゃん 未就学児の頃の初恋相手が女性、ずっと女性だけに恋する、女性をいやらしい目で見る、中学生で女性相手に処女喪失
・あーちゃん 初恋を知らないままふみちゃんに告白され流されて交際、セックス。自分はガチ勢ではないかもと悩み、関係が長引いてから捨てるのは返って酷と思い一旦振るも、やはりふみちゃんが好きだと自覚して自分の方から告白。アラフォー時点でもふみちゃんと連れ添っている
・千津 ふみちゃんのイトコ。大学生の時に中学生のふみちゃんを弄びセックスするが、ふみちゃんが高校進学するタイミングで唐突に結婚発表し裏切る。同性かつイトコの相手と付き合い続ける覚悟がなかった、自分のせいでレズにしてしまってごめんと泣く
・杉本 ノンケで男に告白して振られる。その男の好きな相手がボーイッシュなので真似してボーイッシュに装ったら女子校で女からバカモテしプレイボーイの如く振る舞いふみちゃんと交際し弄ぶが、結局ノンケなので別れる。ミーハーではないガチ勢を弄んだことを後悔している
・井汲 バカモテする杉本を好きな子の一人だが、良い家柄の娘なので許嫁がおり、実は中学時代にその許嫁とセックスしていた。杉本への失恋を経て高校卒業してすぐに許嫁と結婚
・先生 女子校在学中から同級生と交際し、大人になり母校で勤務するようになってからも交際が続き、親にも関係を認められている
男の介入のある青い花が当時百合好きの間でどのような論争を生んだかは『百合男子』を読めばわかる
漫画の中での百合のあり方は多様であり、現実のレズビアンのあり方はまた更に多様であろう
ガチ勢を弄び「早く卒業して男と普通に結婚しなよ」と抜かす者は確かにいるだろう、でもそれだけが真実ではないはずだ
10.『イーブイをエーブイと呼ぶ男』の友人は、驚愕し、狼狽しながら答えた。
「すまない……。君がそんなに気にしていたなんて、思いもしなかったんだ。
それに君は、何をやっても器用で、欠点なんてほとんどないだろ?
だからこそ、『エーブイ』の件だけが、どうしても目についてしまったんだ。」
彼は少しだけ息を整えると、静かなトーンで答えた。
「君こそ、エーブイのことでからかう以外は、本当に素晴らしい友人だったよ。
もっとも——私はエーブイを『エーブイ』と呼ぶことを、欠点だと思ったことは一度もないけどね。」
11.彼は、幼少時に両親に「イーブイ」を「エーブイ」と呼ぶことを注意されても、決して自分の信念を曲げなかった。
そのため、彼は生まれてから一度も「イーブイ」のことを「イーブイ」と呼んだことはない
12.彼の両親は、彼が決して「イーブイ」を「エーブイ」と呼ぶことを直さなかったため、彼が十二歳になる年に、養子に出した。
それから、彼らが再び会うことはなかった。
実の両親と離れることになるとは、夢にも思っていなかった。
この出来事は、まだ幼い彼の心に深い傷を残した。
14.それでも、『イーブイをエーブイと呼ぶ男』が養子に出された家の人々は優しかった。
その家には、彼より少し年上の娘がいた。
15.『イーブイをエーブイと呼ぶ男』は、養子として迎えられた家庭で健やかに成長した。
彼は娘に惹かれていたが、次第に娘も、彼に対して男性としての好意を抱くようになった。
16.養父母もまた、彼の誠実な性格と勤勉さに触れるうちに、少しずつ信頼を深めていった。
やがて彼らは、「この男になら、娘を託してもよい」と考えるまでになった。
彼は「イーブイをエーブイと呼ぶ」ことを除けば、
概して優秀で、善良な青年であった。
17.しかし、些細なきっかけから、養家の人々もまた、彼が「イーブイをエーブイと呼ぶ」ことを知ることになる。
それでも、頑なに「エーブイ」という呼称を改めようとしない彼を目の当たりにするうち、次第に養父母と彼との関係に亀裂が生じはじめた。
18.冗談交じりではあったが、養父から告げられた「その呼称を改めれば、娘との結婚を許す」という言葉に、『イーブイをエーブイと呼ぶ男』は深く動揺した。
それ以降、彼は友人の軽い冗談にも過敏に反応するようになり、ついには激しく怒りをあらわにしてしまった。
二人の関係が、完全に元通りになることはなかった。
そんな中、唯一態度を変えなかった娘だけが、彼にとって心のよりどころとなっていた。
セルクマ用にまとめました。
1.彼はいい人なのだが、ポケモンの「イーブイ」を必ず「エーブイ」と呼ぶことさえ直してくれれば、もっと人気が出るはずなのに。
2.彼は、初恋の彼女の父親に「ポケモンの『イーブイ』を『エーブイ』と呼ぶことさえ直してくれれば、今すぐにでも娘との結婚を許すのに」と言われても、自身の信念を決して曲げなかった。
「ポケモンの『イーブイ』を『エーブイ』と呼ぶのなら、アダルトビデオのことはなんて呼ぶんだい?」
彼は答えた。
4.ポケモンの「イーブイ」を「エーブイ」と呼ぶ彼に、一番好きなポケモンを聞いてみました。
「一つだけなんて、とても選べないよ……。
でも、あえて言うなら――エーブイ以外のすべてのポケモンが好きだね!」
「それじゃあ……EV車はなんて呼んでいるんだ?」
彼は即答した。
「車!!!」
それは、普段は冷静な彼が見せた、
6.『イーブイをエーブイと呼ぶ男』と友人は、カラオケに来ていた。
友人は彼とそれなりに長い付き合いだったが、彼の趣味がカラオケだとは知らなかった。
彼は一青窈の『もらい泣き』を、意外にも情感たっぷりに歌い上げていた。
友人は思わず感心し、聞き惚れていた。
そしてサビに入り、彼は静かに口を開いた。
7.友人は尋ねた。
「君は電気屋で、AV機器について店員に聞くときはどうするんだい?」
彼は答えた。
「僕は電気屋に行っても、店員に聞く前に自分で調べるから、そんな状況は起こり得ないよ。
でも、あえて言うなら、『オービーキーキーについて教えて』だね。」
8.ポケモンの「イーブイ」を「エーブイ」と呼ぶ彼に、イーブイを進化させるとしたら何に進化させるのか聞いてみました!
「僕は数あるポケモンの中でもエーブイだけは苦手なんだが……
でも、あえて言うなら、エーブイ(♀)はドリームシャワーズかニンフィアオマニアにするかな!」
「ポケモンのエーブイをエーブイと呼ぶことの、何が問題なんだっ!
極稀にエーブイの話が出たときだけ、エーブイの首を取ったように突っかかって来やがってっ!!!」
魂の叫びであった。
今更かよと思われるかも知れないけど、最近好きなのは「僕の心のヤバイやつ」「幼馴染とはラブコメにならない」「負けヒロインが多すぎる!」「百瀬アキラの初恋破綻中。」「クソ女に幸あれ」「ねずみの初恋」です。(ねずみは毛色違うけど恋愛漫画だと思っている)
読んでて思ったけど、島耕作みたいな中年を主人公とした漫画を除いて、恋愛漫画または恋愛がサブプロットになってる漫画で主人公とヒロイン(男も含む)が作中でSEXまで漕ぎ着けた作品って少ない気がしてる。
良くあるのは急に年月が経って、結婚して子供がいるパターン。例えば「からかい上手の高木さん」とか。
もし、主人公とヒロインが作中でSEXまで漕ぎ着けた恋愛漫画を知ってる人がいたら、読んでみたいので教えくれたら嬉しいです。
ChatGPTちゃんに
プロデューサーでもあり美食家の秋元康さんことやすすが初めてビリヤニを食べてその味に感動して
DJおみそしるとMJごはんさんの手法に則ってビリヤニ作り数え歌を作ってその曲名がビリヤニになった直球曲?って尋ねたら、
それは絶対ない!違う!と、
こればっかりは肯定的に乗っかってくれないハッキリとものを言うChatGPTちゃんにジワジワくるわ。
ねえAがいい?それともBがいい?って尋ねるとだいたいは
「うーん、AもいいですがBもいいですな!」って
どっちつかずなこと言いがちな感じのChatGPTちゃんだったけど、
この曲名ビリヤニがビリヤニ作り数え歌の可能性は?ってことに関してはスバリ可能性はゼロです!って言うのよね。
なんかこれ相当ビリヤニ界隈盛り上がっているんじゃないかしら?って思う反面、
交差する運命をスパイスが絡み合って美味しく仕上がったビリヤニに例えている恋愛模様を歌っているのか?
それとも、
初恋の人の香りがもう別れてしまったけどふと立ち寄ったインドレストランで食べたビリヤニの香りで思い出す初恋思い出しソングなのか?
安直に複雑に絡み合う何かの人の人生だとか恋模様だとかをスパイスになぞらえて比喩しているとしても
これ安直じゃない?
やすすはそんなことするのかしら?
って私はもちろんやすすのことを何一つ知らないし、
坂ごとでコンセプトが違うって言うし、
坂同士の移籍とかもないって言うじゃない。
やすすが坂メンバーのメンタルが落ち込んでいるときに屋上でアイスクリームを一緒に食べることも絶対にないってChatGPTちゃんそう言っていたわ。
それに私ほとんど言うか坂界隈のことは知らなかったので、
総勢何人いんのよ?ってのもあるじゃない。
これ熱心なファンの人はエクセルでメンバーの今日どの番組に出る!ってかそう言うのを記している人もきっといそうじゃない?
私はそんなビックコンテンツに今から取りかかることができないわ。
あまりにも乃木坂46ってそういういわゆる坂系ってコンテンツ覆いすぎるわ!
そんで、
でもさビリヤニって曲は聴いてみたいじゃない?
インターネッツで調べたら、
全く私の未知の領域に曲1つだけなのにそんなに種類バージョンエディションあんの?って腰を抜かしてしまったわ。
SKU46!って
そのぐらい冗談抜きで
種類が多かったので
よく分からないから配信で1曲でたらこっそり買ってみると目論んでいるところよ。
「ビリヤニ」って曲名を掲げていて40枚目のシングルって結構節目じゃないの?
そこでビリヤニってやっぱりこれハードル上げすぎなんじゃない?
これが例えビリヤニ作り数え歌だったら?
乃木坂のメンバーがビリヤニ屋さんを開店のオープンするってそっちに舵を切っていったら?
もうとにかくビリヤニのことで頭がいっぱいよ。
なんか急に最近ビリヤニのランチの発注が多くてどうしたんだろう?って首をかしげているかもしれないわ。
インド系楽器やインドネパール辺りの地名にそしてスパイス名は絶対に歌詞に入れられないNGワードよね?絶対に。
槇原敬之さんよりも言わないよ絶対に!ってより絶対感がマックスだと思う!
しかも
ビリヤニって
とはいえビリヤニ界隈の琴線に触れさせるには数があまりにもビリヤニ好き人口が少なすぎるニッチだし
ビリヤニ層をがっさりいくっていっても、
ターゲットとしてもそこ狙うの変わよね?
さんざんビリヤニって言っておいて、
ChatGPTちゃん何かの拍子でそうですね!って全然賛成言ってくれない
ビリヤニ作り数え歌ではないことは確実みたいよ。
ビリヤニ注文する人を見ては、
あなた乃木坂のファンなのね?って思われるのもなんか普通のビリヤニ好きとしてはそう思われるのかな?ってこれは考えすぎよね。
まったくもって謎過ぎるわ。
いったいどうなるのかしら?
うふふ。
ツナ美味しいわよね。
そんな変なツナサンドイッチは最近見かけないわよね本当に美味しくなったものね。
作りたてはホッツで作っておいたけれど
その後は粗熱とって常温のままではいかないので、
さすがに寒くなってきたので思いっ切り冷えたウォーラーは寒くて身体冷えちゃいそうな、
もう一気に気温が下がってきてるわよね。
こういう季節の切り替え変わる瞬間に人は風邪引くので
いつもより慎重に暮らさないといけないわね。
みんなも気を付けて!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
最近コンビニにいつもいる店員の女の子を、少しずつ好きになってる気がするんだが。アプリとか婚活とか恋愛の場以外での恋がダメな時代になってるというウワサを、ごく最近聞いて、うろたえてるんだよ。
恋する気持ちなんて完全あきらめてたから、四十手前での初恋に新鮮な気持ちを感じてる。けれど好きの思いを抑え込むつもりでいた。いたんだが、先日のハテナブックマークを読んで「え? ウワサは一過性のブームだったにょ?」とかすかな希望を感じてしまっている。どっち? これ、どっち?
追記・
ス、スマン、我に返ってみれば匿名ダイアリーの日記で個人的な想いを打ち明けたのも今朝が初めてだわ………。いま突然猛烈なスピードでブックマークと返信をいただいてて、ありがたいと思うと同時に、過呼吸になりつつある。ハァ… ハァ…落ち着けワイ
Permalink |記事への反応(11) | 08:58
俺は5歳の頃だと思う。保育園の他の女児は胸が真っ平らで、なにも興味を持てなかったが、ひとりだけ(今になって思えば、単に太っていただけだが)胸が大きい子がいて、好きになったのを覚えている。
次に性欲を伴わない恋は小学校4年生の頃に親切にしてくれたクラスの女子だった。この子に対しては特に裸が見たいとか抱きつきたいとかは思わなかった。
上記の保育園の例は特殊過ぎるし性交したいという感じではなかったので除外するとしたら、はっきりとヤりたいという気持ちを伴った恋は中学1年だと思う。この頃は胸の大きさはどうでも良くて、とにかく顔が可愛い子をすぐに好きになってた。
近所の男の子と毎朝いっしょに登園して、砂場で山をつくって濡れた手のひらを見せ合って笑った。スモックの袖口がいつも砂だらけで、帰り道に手をつなぐと体温がうつって、胸のあたりがふわっと軽くなった。あれを好きって呼ぶんだと、そのときの私は直感的に受け取っていた。
小学生になって、次はリレーのアンカーの男の子。運動会の午後。白線の粉の匂い。小太鼓の音。バトンを受け取ってからの加速。私は声が勝手に大きくなって、ゴールの瞬間、歓声にまぎれて「かっこいい」と口が勝手に動いた。誰にも聞かれていない告白。家に帰ってから名前をノートの隅に何度も書いたり消したりして、自分だけの秘密みたいに抱え込んだりしていた。
中学。ここから空気の密度が変わる。部活の先輩…女の人に、本気で恋をした。最初は憧れだとずっと思っていた。体育館の照明が木の床に反射して、バッシュがきしむ。タイムアウトでポニーテールを結び直す仕草、額の汗をタオルで押さえる動き。ホイッスルの音にふっと目を上げる横顔。休憩時間の給水機の前、首筋に貼りついた髪を耳にかける指先。スポーツドリンクの甘い匂いと、松ヤニの匂い。目が離せない。視界の中心が、先輩の輪郭に勝手に合焦してしまう。
部室の隅。先輩のシューズ袋に縫い付けられた名前の刺繍を、何度も目でなぞる。自分の指で触れてしまいたくなってばかみたいだなと何度も心で笑って、でもまた見てしまう。練習後の帰り道。駅のホーム。電光掲示板。19:04発。先輩は反対側のホームで電車を待つ。私は角柱の影から、見えないふりをしながら、ちらっとだけ見る。イヤホンを片耳だけ。何を聴いてるんだろう。電車が入ってきて、風が押し寄せて、視界がざわっと乱れる。発車してガラスに映った自分の顔が少し赤い。帰りの車内。LINEを開いては閉じる。文面を打っては消す。送信ボタンの上に親指を置いたまま、停車駅が過ぎる。送れない。送れない。ほんの数センチ上のうえから親指が動かない。動かせない。こわかった。ただそれだけ。
これって変なのかな。おかしいのかな。
教室で友だちが恋ばなをして、クラスの男子の名前が飛び交う。私はうなずきながら、別の方向を見ている自分に気づく。家に帰って検索窓に打ち込む。「女の先輩 好き 変」「女の子 好き 正常」。画面には“レズビアン”や“LGBT”の文字。救われた気も、同時に苦しくなる感じもした。あ、名前があるんだ、っていう安堵。けれど、その名前に手首をつかまれて、列に並ばされる感覚。(私は、列に並びたいんじゃない。ただ、先輩が好きなだけなんだ。)
放課後の公園。秋。ベンチのとなりでも友だちが「最近、誰か気になってる人いるの?」と聞いてきた。喉が熱くなる。言えない。「いないよ」と笑って答えた。嘘。帰ってからノートに書く。私はレズビアン?と書いて、すぐに消す。紙が毛羽立つ。私は、先輩が好きと書き直す。これだけは本当。
図書室。窓際の席。ページをめくる指が勝手に止まる。先輩が本を借りていく背中。カウンターの職員に返すとき、少し猫背になる癖。レジ袋の持ち手を指に引っかけて、肩にかけ直す動き。日常の切れ端がいちいち胸に刺さる。映画より鮮やかなワンカット。私はその画面の外側に立っている観客で、でも登場人物でもある。(追いかけたい。名前を呼びたい。何か言いたい。何も言えない。)
冬、期末が終わって、部室で小さな打ち上げ。紙コップのココア。先輩が笑う。紙コップに口紅が少しつく。私は笑って、うなずいて、たいしたことのない話をして、夜に帰る。駅のホームで冷たい空気を吸い込みながら思う。(私は、私が思っているよりも、ずっと深く先輩を好きなんだ。)
高校に入ると、少し距離が生まれた。部活も違う。校舎も違う。新しい生活。クラスには優しい男子もいて、映画をいっしょに観に行って、手をつなごうかどうかみたいな空気が一度だけ流れた。嫌ではなかった。むしろ、あのとき手をつないでいたら普通に付き合って、普通に卒業して、普通に別れて、普通に大人になっていたのかもしれない。そう思うくらいには自然だった。でもあの中学の先輩を見たときの、視界の焦点が合う感じ。呼吸が変わる感じ。世界の照明が一段変わる感じ。あれは起きなかった。
答えは出ない。
わからない。
レズビアンという言葉に救われた夜が確かにあった。検索結果の海で沈みそうになった私を浮かせてくれた浮き輪。けど浮き輪にしがみつき続けると、岸に上がるのが遅れることもある。ラベルは、入口だ。出口ではない。私は「レズビアン」という言葉を否定したいんじゃない。誰かを守るために掲げられた旗の力を、私は尊敬している。ただ、その旗の下にずっといなきゃいけないと決められることには静かに抵抗したい。
だって私の恋は、いつも固有名詞から始まる。幼稚園の彼、小学校の彼、中学の先輩。順番じゃない、確率でもない。パターン化した私の性向より、先に立ち上がる人の匂い。声。歩幅。恋はまず、あの人、から始まる。性別はない。カテゴリーはあとから。余白に鉛筆で書き添えるメモにすぎない。
中学の先輩に揺さぶられていたあの頃の私は「私はレズビアンなのか」という問いに追い立てられながら、同時にこうも思っていた。(私は、先輩が好き。以上。)これが真実の最短距離だった。レズビアンという言葉に私はときどき救われ、ときどき窮屈になった。救われたのは、同じ経験を語る声に出会えたから。窮屈になったのは、言葉が私を“こうであるべき姿”の型に押し返してくるから。(君は女子を好きでいるべき。男子を好きになったら矛盾だよ。)
そんなことはない。私は、好きになった相手を好きになる。それだけだ。
もし過去の私に伝えられるなら体育館のベンチでタオルを握りしめていた自分にそっと耳打ちしたい。「焦らなくていい。は急いで選ばなくていい。あなたは今、たしかに恋をしている。それがすべて」と。
肩書きが盾になる日もある。
けれど、その盾で自分を殴らないで。
価値観のラベリングはあなたを守るために使って、あなたを狭くするためには使わないで。
私はレズビアンではない、と言いたいのではない。私は「レズビアンでしかない」わけではない、と言いたい。
あの体育館の照明。夏の汗。紙コップのココア。ホームの電光掲示板。未送信のメッセージ。全てが愛おしく、全てが切なく、そのときの感情の機微全てが私だった。あの瞬間瞬間全てが、私の恋だった。
近所の男の子と毎朝いっしょに登園して、砂場で山をつくって濡れた手のひらを見せ合って笑った。スモックの袖口がいつも砂だらけで、帰り道に手をつなぐと体温がうつって、胸のあたりがふわっと軽くなった。あれを好きって呼ぶんだと、そのときの私は直感的に受け取っていた。
小学生になって、次はリレーのアンカーの男の子。運動会の午後。白線の粉の匂い。小太鼓の音。バトンを受け取ってからの加速。私は声が勝手に大きくなって、ゴールの瞬間、歓声にまぎれて「かっこいい」と口が勝手に動いた。誰にも聞かれていない告白。家に帰ってから名前をノートの隅に何度も書いたり消したりして、自分だけの秘密みたいに抱え込んだりしていた。
中学。ここから空気の密度が変わる。部活の先輩…女の人に、本気で恋をした。最初は憧れだとずっと思っていた。体育館の照明が木の床に反射して、バッシュがきしむ。タイムアウトでポニーテールを結び直す仕草、額の汗をタオルで押さえる動き。ホイッスルの音にふっと目を上げる横顔。休憩時間の給水機の前、首筋に貼りついた髪を耳にかける指先。スポーツドリンクの甘い匂いと、松ヤニの匂い。目が離せない。視界の中心が、先輩の輪郭に勝手に合焦してしまう。
部室の隅。先輩のシューズ袋に縫い付けられた名前の刺繍を、何度も目でなぞる。自分の指で触れてしまいたくなってばかみたいだなと何度も心で笑って、でもまた見てしまう。練習後の帰り道。駅のホーム。電光掲示板。19:04発。先輩は反対側のホームで電車を待つ。私は角柱の影から、見えないふりをしながら、ちらっとだけ見る。イヤホンを片耳だけ。何を聴いてるんだろう。電車が入ってきて、風が押し寄せて、視界がざわっと乱れる。発車してガラスに映った自分の顔が少し赤い。帰りの車内。LINEを開いては閉じる。文面を打っては消す。送信ボタンの上に親指を置いたまま、停車駅が過ぎる。送れない。送れない。ほんの数センチ上のうえから親指が動かない。動かせない。こわかった。ただそれだけ。
これって変なのかな。おかしいのかな。
教室で友だちが恋ばなをして、クラスの男子の名前が飛び交う。私はうなずきながら、別の方向を見ている自分に気づく。家に帰って検索窓に打ち込む。「女の先輩 好き 変」「女の子 好き 正常」。画面には“レズビアン”や“LGBT”の文字。救われた気も、同時に苦しくなる感じもした。あ、名前があるんだ、っていう安堵。けれど、その名前に手首をつかまれて、列に並ばされる感覚。(私は、列に並びたいんじゃない。ただ、先輩が好きなだけなんだ。)
放課後の公園。秋。ベンチのとなりでも友だちが「最近、誰か気になってる人いるの?」と聞いてきた。喉が熱くなる。言えない。「いないよ」と笑って答えた。嘘。帰ってからノートに書く。私はレズビアン?と書いて、すぐに消す。紙が毛羽立つ。私は、先輩が好きと書き直す。これだけは本当。
図書室。窓際の席。ページをめくる指が勝手に止まる。先輩が本を借りていく背中。カウンターの職員に返すとき、少し猫背になる癖。レジ袋の持ち手を指に引っかけて、肩にかけ直す動き。日常の切れ端がいちいち胸に刺さる。映画より鮮やかなワンカット。私はその画面の外側に立っている観客で、でも登場人物でもある。(追いかけたい。名前を呼びたい。何か言いたい。何も言えない。)
冬、期末が終わって、部室で小さな打ち上げ。紙コップのココア。先輩が笑う。紙コップに口紅が少しつく。私は笑って、うなずいて、たいしたことのない話をして、夜に帰る。駅のホームで冷たい空気を吸い込みながら思う。(私は、私が思っているよりも、ずっと深く先輩を好きなんだ。)
高校に入ると、少し距離が生まれた。部活も違う。校舎も違う。新しい生活。クラスには優しい男子もいて、映画をいっしょに観に行って、手をつなごうかどうかみたいな空気が一度だけ流れた。嫌ではなかった。むしろ、あのとき手をつないでいたら普通に付き合って、普通に卒業して、普通に別れて、普通に大人になっていたのかもしれない。そう思うくらいには自然だった。でもあの中学の先輩を見たときの、視界の焦点が合う感じ。呼吸が変わる感じ。世界の照明が一段変わる感じ。あれは起きなかった。
答えは出ない。
わからない。
レズビアンという言葉に救われた夜が確かにあった。検索結果の海で沈みそうになった私を浮かせてくれた浮き輪。けど浮き輪にしがみつき続けると、岸に上がるのが遅れることもある。ラベルは、入口だ。出口ではない。私は「レズビアン」という言葉を否定したいんじゃない。誰かを守るために掲げられた旗の力を、私は尊敬している。ただ、その旗の下にずっといなきゃいけないと決められることには静かに抵抗したい。
だって私の恋は、いつも固有名詞から始まる。幼稚園の彼、小学校の彼、中学の先輩。順番じゃない、確率でもない。パターン化した私の性向より、先に立ち上がる人の匂い。声。歩幅。恋はまず、あの人、から始まる。性別はない。カテゴリーはあとから。余白に鉛筆で書き添えるメモにすぎない。
中学の先輩に揺さぶられていたあの頃の私は「私はレズビアンなのか」という問いに追い立てられながら、同時にこうも思っていた。(私は、先輩が好き。以上。)これが真実の最短距離だった。レズビアンという言葉に私はときどき救われ、ときどき窮屈になった。救われたのは、同じ経験を語る声に出会えたから。窮屈になったのは、言葉が私を“こうであるべき姿”の型に押し返してくるから。(君は女子を好きでいるべき。男子を好きになったら矛盾だよ。)
そんなことはない。私は、好きになった相手を好きになる。それだけだ。
もし過去の私に伝えられるなら体育館のベンチでタオルを握りしめていた自分にそっと耳打ちしたい。「焦らなくていい。は急いで選ばなくていい。あなたは今、たしかに恋をしている。それがすべて」と。
肩書きが盾になる日もある。
けれど、その盾で自分を殴らないで。
価値観のラベリングはあなたを守るために使って、あなたを狭くするためには使わないで。
私はレズビアンではない、と言いたいのではない。私は「レズビアンでしかない」わけではない、と言いたい。
あの体育館の照明。夏の汗。紙コップのココア。ホームの電光掲示板。未送信のメッセージ。全てが愛おしく、全てが切なく、そのときの感情の機微全てが私だった。あの瞬間瞬間全てが、私の恋だった。