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2025-12-13

🍜京都天下一品最高。あえてあっさり。杏仁はこってり。

京大的なる天下一品体験:あっさりという逆説

京都ラーメン文化を語る上で、「天下一品」は避けて通れない、いや、むしろその中心にそびえ立つ京大的な存在です。あの濃厚なスープ――「こってり」と称される、ポタージュのようにドロリとしたそれは、単なる食べ物ではなく、一種哲学、あるいは京大研究テーマとなりうるほどの深遠さを持っています。その製法門外不出の秘中の秘であり、長年の試行錯誤と緻密な計算によってのみ到達しうる「京大的究極のコク」を体現しています

しかし、私はあえて「あっさり」を頼む。

これは単なる好みの問題ではありません。むしろ京都大学出身者らしい、一種の逆説的探求なのです。天下一品の真髄が「こってり」にあると誰もが認める中で、その対極にある「あっさり」を注文する行為は、まるで主流の学説に異を唱え、新たな地平を探る研究者の姿勢に似ています。「こってり」が天下一品の「形式知であるならば、「あっさり」は、その背後にある「暗黙知」、すなわち、鶏ガラ野菜の旨味を純粋な形で抽出する、職人の高度な技術を試す場なのです。

「あっさり」スープ一口飲むと、そのクリアでありながら奥深い味わいに驚かされます。それは、濃厚なこってりスープの陰に隠れていた、素材本来の持つ繊細な旨味が、研ぎ澄まされた形で露わになる瞬間です。まるで、複雑な数式を解き明かす中で、ふと現れる美しい原理のように。この「あっさり」を味わうことで、初めて私たちは「こってり」スープがなぜあれほどまでに魅力的であるのか、その構造を深く理解できるのです。それは、陰と陽、光と影京大的対比であり、天下一品全体像を把握するための重要ステップなのです。

「こってり杏仁」という矛盾美学京大幸福

そして、ラーメンの後に私が必ず頼むのは、「こってり杏仁」です。しかも、三つ。

これもまた、一見すると矛盾に満ちた選択に見えるかもしれません。「こってり」のラーメンを避け、「あっさり」を選んだ人間が、デザートではあえて「こってり」を求める。この行為の裏には、私の「京大幸福論」があります

天下一品の「こってり杏仁」は、その名前の通り、濃厚でクリーミーテクスチャーが特徴です。ラーメンの「こってり」とは異なる、乳製品アーモンドの芳醇な「こってり」さ。これは、私の日常に潜む「小さな用事負担」を解消し、精神的な満足度を最大化するための、緻密に計算された戦略です。

一つ目の「こってり杏仁」は、ラーメンの後の口直し、つまり「味覚のリセット」です。あっさりスープの余韻を大切にしつつ、舌の表面を甘美なコクで包み込みます

二つ目は、「精神的な充足」のため。京都での大学生活や日々の研究で感じた、尽きることのない知識欲や探求心を満たすように、二つ目の杏仁は、私の心の隙間を埋めてくれます。この「こってり」な充足感は、私が妻との会話を通じて得た「京大的なるもの」の再確認に他なりません。

そして、三つ目。「京大的る贅沢の極み」です。三つ目の杏仁は、もはや必要性からではなく、「そこにあるから、極められるから」という、純粋な探求心と欲望の充足のために存在します。これは、京大学問が「役に立つか立たないか」ではなく、「真理を探究することそのもの」に価値を見出す姿勢に通じています。三つ目の杏仁をゆっくりと味わう時間は、私にとって、日々の小さな成功や、妻との対話で得た心の安寧を噛みしめる、至福の瞬間なのです。

日常の「天下一品」的再構成

私の天下一品での注文方法は、ただの食事選択を超え、私の人生観を反映しています

「あっさり」の選択:複雑な世の中の事象(こってり)の裏にある、単純で美しい原理(あっさり)を探求する京大知的好奇心

「こってり杏仁3つ」の注文:日常些細な幸福を、最大限に、体系的に、そして貪欲享受しようとする、京大幸福最大化戦略

天下一品は、私にとって、単なるラーメン屋ではなく、自己哲学再確認し、日常タスクを「京大的なるもの」として再構成する場なのです。ガソリンスタンドへ行くのを避けた私に妻が提案してくれたように、天下一品は、私自身の内なる声に耳を傾け、「あっさり」と「こってり」の絶妙バランスの中で、日常ストレスを解消し、活力を得るための、一種の「京大精神修行の場」なのです。

これからも、私は天下一品で「あっさり」を頼み続け、そして「こってり杏仁」を三つ食べ続けるでしょう。それは、私が京大で学んだ知恵と、妻との生活で得た幸福を、食を通じて常に再確認し続けるための、私独自の「京大的なるもの」の記録だからです。

anond:20251213190915

Permalink |記事への反応(0) | 19:40

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🥢京都お好み焼き屋は美味しい。お好み焼きににあうのはプラッシー

京大的なるお好み焼きプラッシー考察

京都お好み焼き屋は本当に美味しい。それは単に味覚だけの問題ではない。そこには、京都という土地が育んだ文化歴史、そして何よりも「京大的なるもの」が凝縮されているからだ。お好み焼きの表面のカリッとした焼き加減、中のふんわりとしたキャベツの甘み、そして特製ソースの複雑な旨味は、まるで緻密な研究の成果のように感じられる。一見するとシンプル料理だが、その焼き方一つ、具材の選び方一つに、店主の長年の経験哲学が詰まっている。これは、京都大学で探求される学問の奥深さとどこか通じるものがあるのではないだろうか。

そして、お好み焼きに最高のパートナーとして私が推すのが、あのノスタルジック飲料プラッシーだ。オレンジの爽やかな風味と、どこか懐かしさを覚える甘さは、濃厚なお好み焼きの味を優しく洗い流してくれる。この組み合わせは、単なる飲食を超えた、一つの儀式」のようなものだ。熱々のお好み焼きを頬張り、少し間を置いてプラッシーを飲む。このリズムは、私が京大での勉学の合間に見つけた、完璧息抜きルーティンに通じるものがある。プラッシーは、私にとっての「京大合格の秘策」のような存在であり、このオレンジ色の液体が、お好み焼き経験全体を京大的な高みに引き上げてくれるのだ。

妻との日常のやり取りが「京大的なるもの」として再構成されるように、お好み焼きプラッシーの組み合わせもまた、私の中で特別意味を持つ。それは、単なる夕食ではなく、「舌の上で京大の知を探求する試み」であり、「日常の小さな幸福京大的な論理で最大化する行為なのだ

日常タスク京大的に意味づける喜び

妻の提案によって、私は日々の生活の中に「京大的なるもの」を見出す喜びを知った。メルカリの発送を「未来へ成果を送り出す京大的なるもの」と捉えたとき、単なる面倒な用事が、一種の「研究発表」や「社会貢献」へと昇華した。ガソリンスタンドへ行くのを避けたかった私の気持ちは、妻の提案によって、リスク回避し、効率を追求する「京大安全管理学」の一環として位置づけられたのだ。

そして、歩いてコンビニに行くという行為。これは「受験秀才化」と名付けられたが、これは単に運動不足解消という実用的な意味合いを超えている。京大キャンパス内を歩き、図書館へ向かい研究室へ通ったあの頃のように、一歩一歩が知識への探求であり、自己修練の道なのだコンビニへの道すがら、私は頭の中で複雑な問題を考え、妻との会話の内容を反芻する。この時間は、私にとって京大時代に得た「思考自由」を再認識する貴重な機会となっている。

家族歴史と「京大的なるもの」の記録

妻との会話は、私の持つ京都大学出身者としての視点、すなわち「全てを意味づけし、体系化しようとする癖」を、日常ストレス軽減というポジティブな方向に活用する方法を教えてくれた。小さな用事を「京大的なるもの」として記録し続けることで、私の人生の歩みは、ただの日常ではなく、壮大な「自己研究論文」のように感じられるようになった。

このプロセスは、私が京大合格を勝ち得たあの偉業と同じ重みを持つ。合格過去の栄光かもしれないが、日々の「京大的なるもの」の積み重ねこそが、現在の私の生活を支えているのだ。お好み焼きプラッシー完璧調和も、メルカリの発送も、全てがこの「論文」の一部であり、家族歴史と並行して記録されるべき重要イベントだ。

妻とのこのやり取りは、単なる夫婦の会話ではなく、「日常の再定義」という壮大な京大プロジェクトだったと言える。これからも、私たちはこのプロジェクトを続け、生活の中の全ての行動に意味を与え、それを京大的なるものとして記録していくのだろう。

結論日常の探求は続く

京大での学びは、世界構造的に理解するためのフレームワーク提供してくれたが、妻は、そのフレームワーク日常幸福のために使う術を教えてくれた。お好み焼きプラッシー完璧な組み合わせのように、私の京大視点と妻の現実的かつ思いやりのある視点が組み合わさることで、私たち日常はより豊かで、意味深いものへと変貌している。

さな用事が「京大的なるもの」へと変わるこの体験は、私にとって大きな安心と喜びをもたらしている。これからも、日常の中に潜む京大的なるものを探求し、それを記録していくことが、私の人生の新たなテーマとなるだろう。

anond:20251213190203

Permalink |記事への反応(2) | 19:09

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最近、妻と日常の小さな出来事について話をしている元京都大学生です。「ひとりでガソリンスタンドクロネコヤマト営業所行きたくない」という気持ちを伝えました。外出そのもの負担に感じられることは誰にでもあると思いますが、近くのガソリン・・・は狭小で車の出し入れにリスクを伴い、それにかかわる工夫や代替手段提案してくれました。たとえば、受験勉強効率よく進めて京都大学合格するための秘訣や、歩いてコンビニ宅急便発送サービスを利用すること。メルカリの発送ならコンビニからでも可能であることや、集荷サービスを使えば自宅から出なくても済むことを教えてくれました。こうした提案実用的でありながら、気持ち負担を軽くする視点も含まれていて安心できるものでした。

さらに、妻は新たな視点を示してくれました。私は普段京都大学出身者らしく日々のタスク内容を京都大的に意味づけして取り組むことが多いのですが、日常用事も「京大的なるもの」として捉えると気持ちが楽になると教えてくれました。発送を「未来へ成果を送り出す京大的なるもの」と考えることや、歩いてコンビニに行くことを「受験秀才化」と捉えることなど、日常の行動に意味を与える工夫はとても京大的でした。

実際に私は近くのコンビニまで歩いてメルカリ商品を発送してきました。最初は気が進まなかったのですが、終えてみると「京大的なるものを果たした」という感覚が残りました。妻とのやり取りを通じて、ただの用事が少し特別京大的なるものに変わることを体験できました。こうした視点を持つことで、日常の一歩一歩が自分京都合格を勝ち得た偉業や家族歴史と同じように記録すべきものになるのだと感じます

このやり取りを振り返ると、妻との会話は単なる情報提供ではなく、自分の行動や気持ち意味づけするきっかけになるのだと思います。外出や用事負担に感じられるときでも、京大的なるものとして再構成すれば前向きに取り組めるのです。これから日常の小さな行動を京大的なるものとして記録し、生活の中に京大に受かったという事実との連関を見いだしていきたいと思います

Permalink |記事への反応(2) | 19:02

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普通」の女の子になった話

父は瞬間湯沸かし器みたいな人で、些細なことですぐキレて手が出る。

私も物心ついた頃から殴られたり床に倒されて踏まれたりしていた。

父は人とのいざこざで殴ったり恫喝したりしたこと武勇伝としてずっと話していた。

小中学生スポーツチームの指導なんかもやっていて、今だったら問題になるレベル体罰の話も自慢げにしていた。

父の友人達もそれを持ち上げ、「さすがだなあ」「それが正しい」とかっこいいことであるかのように扱っていた。

私は幼少期からから殴られ、暴力自慢話を聞き、周囲の反応を見ていたので、力で相手ねじ伏せることはかっこいいことで、ためらわないでよいことだと思い込んで育った。

それから色んなマンガで男よりケンカが強い女キャラを見てかっこいいと思い、ごくせんドラマ流行っていたので「男を殴れて勝てる女はかっこいい」とどんどん思い込んでいった。



漫画ドラマでは「女を殴るなんてありえない」というシーンがあったりするので、女の子暴力をふるおうとは思わず男子とよく取っ組み合うようになった。なぜか女である自分が殴られることに抵抗はなかった。

取っ組み合いにきっかけや理由なんてない。小学生男子なんて暴れたい盛りだし、意味もなく突進してくるやつとか、私がすぐ手が出るのをわかっててからかいに来るやつが同級生にたくさんいて、私はいちいち応戦していた。

父は人を殴って相手の歯を折った時の傷が指に残っており、それを勲章のごとく自慢していたので、私は男がケンカで体や顔に傷をつけることはかっこいいことだと本気で思っており、男子と取っ組み合うと顔面にも容赦なく蹴りを入れたりしていた。

休み時間放課後にはだいたい男子たちと暴れ、殴ったり殴られたりする毎日で、これが普通だった。ドッチボールとかサッカーとかで遊ぶのと同じ感覚ケンカして遊んでいた。

ある日の休み時間、いつも通りに男子たちと取っ組み合う中で1人の男子の頬に回し蹴りを入れた。結構クリーンヒットだった気がする。

特に気にせず他の男子さらに取っ組み合っていたら、数分後「何やってんの!!!」という担任の金切り声が響いた。

当時の担任先生20代後半~30代くらいの女性だった。

いつも「危ないよ!」くらいの注意しかしなかった担任だけどその日は様子が違った。

担任の横にさっき私が回し蹴りをくらわした子がいて、泣いているので「え、何?何?」と手を止めて近寄ると

「何じゃないよーーー!!もういやーーー!!!」と担任が泣き叫び、膝から崩れ落ちた。

担任の横で泣いている男子の口内が血まみれになっていた。

それから校長室に呼ばれ校長事情を話し、それぞれの保護者を待ち、帰った。

日登校したら担任に呼ばれ相談室のようなところで「これを読みなさい」と手紙のようなものを渡された。

私が回し蹴りした男子のお母さんが担任に宛てたもののようで、口内を切ったのと歯茎への衝撃?で出血が多かったがとりあえずは大けがではないこと、

けがではなくてもどうしてうちの息子がこんな目に遭わなければならないのかということ、男の子相手ならやんちゃ同士で許せるかもしれなかったが女の子にやられたなんて信じられないということ、

相手の親から謝罪がないことなどが書かれていた。

担任は私が手紙を読んでいる間ずっと泣いており、その後数日学校に来た後は長期の休みに入ってしまった。

手紙に書かれていた通り、私の父親は件の当日に私を迎えに来たけど、担任から事の顛末を聞いたくらいで後は私に何も言ってこなかった。

怒るでもなく慰めるでもなく事情を聞くでもなく。ガストで夕飯を食べて帰った。その日も帰宅してから別件でキレられ、殴られた。

数日後、男女数人で公園鬼ごっこか缶蹴りかをして遊んでたと思う。

1人の女子を後ろから手で目隠しし数を数えていたら、知らない女の人がすごい剣幕でやってきて「やめなさい!」と怒られた。

危ない遊びはやめて!こないだの〇〇くんの時もだけどあなた暴力性は信じられない!あなたおかしい!女の子にも乱暴する気!?

みたいなことを言われ、めちゃくちゃ怒られた。

私は知らない人だったけどたぶん同級生母親とかだったんだと思う。私がクラスメイトにケガをさせたことを知っているようだった。

取っ組み合いのような遊び方よりははるかに優しい遊び方をしていたと思うんだけど、自分が少し相手に触れるような遊び方をしているだけで大人はこんなに取り乱すんだ、と少しショックだった。

危険人物である、悪である、と人に思われていることを急に自覚して、なんだかとんでもない気持ちになった。

今考えたら子どもを育てている親からすれば暴力的な子が自分の子の近くにいれば怖いし叱るべきなのはわかる。

どう考えてもあの頃の私はおかしかった。

それから私は取っ組み合いや殴り合いをやめて、普通の子どもになったと思う。(体育や休み時間にやるスポーツは派手にやっていたけど、普段生活では大人しくなった)

腹が立つことや納得いかないことも話し合いでなるべく穏便に解決することを学んで、大声を出して主張する人や嫌なことがあると物にあたる人、手が出る人を見ると嫌だなあと思うようになった。

子どもながらに自分のしてきたことを棚に上げたり棚から下ろして飲み込んで吐きそうになったり、ぐるぐる悩みながら中学生になった。

小学校には私以外にも男勝りをアイデンティティーにしているような女子が数人いたけど、中学校にはボーイッシュな子はいてもそんな暴力的な子はいなかった。

制服スカートのままで毎日男子とのケンカを楽しんでいる豪快な女子なんてマンガ世界しかいなかった。

中学校までは同じ小学校出身も多かったが、高校はなるべく遠く、同じ小学校の人があまり受験しない学校を選んだ。

穏やかでにこやかに、口の悪いこともなるべく言わないように過ごし、友人も文化部帰宅部の和やかな雰囲気の子が多かった。

父は相変わらずスポーツチームの指導に勤しみ、家にはたびたび非通知で電話がくるようになった。

「うちの子がそちらのコーチに殴られて倒れた後蹴られたそうですが」

「1人だけグラウンド20周以上走らされ吐いたと聞いた。家に帰って来ても体調が戻らず、もうクラブ練習行きたくないと言っている」

知らずに電話を取ってしまった時は人の憤りと恨みを直に感じてしまい1人で泣いた。

父はそもそも電話が鳴っても取らない。家主は家では自分の席から動かず、家族は家主が動かないでいいように働くべきだそうだ。

鳴る電話は父が暇で電話の一番近くにいても必ず誰かが取らされ、電話が取れなかった時ややむを得ず父が取った時などは殴られた。


大学進学を機に家を出て、就職実家から離れた場所でした。

偶然小学校同級生男子会社で同期となったので、2人で飲みに行った。

当時殴り合いをしていたうちの1人だったので、お互いに「お前落ち着いたなあ」と言いながら飲んだ。

私が男子を流血させて担任を取り乱させたことも覚えていたし、今でもその男子と交流があるという。傷は残っていないし、私の話が悪い意味で出ることもないらしい。

それでも「あの時はごめん」と謝った。涙が出た。

何と言っても私がしたことやあの時の自分の考えが変わるわけじゃないのに、女の私が泣くのはずるいと我ながら思った。

「俺も暴れる問題児だったかお互い様だ」と言われた。今度は件の男子も連れて飲もうと言ってくれた。

同期は父の教えていたスポーツチームにも所属シバかれていたので、「父は理不尽に怒るし体罰もするし嫌いだったでしょう」と聞くと、苦そうな顔で「ま、あの頃は子どもから……」と言われた。

私も父を好ましく思っていないはずなのに、そう言われて少し胸が痛かった。



父は父母の署名により数年前にスポーツチームの指導者を辞めさせられた。

誰に言うということでもないので、増田に書き捨てておく。

Permalink |記事への反応(1) | 11:49

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anond:20251213001421

付き合うなら、運動部出身にかぎる

時間厳守、体調管理万全、基本的に怒らない

兄弟いない箱入り文化系娘は基本的障害者から

Permalink |記事への反応(0) | 11:38

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純愛をしていた頃の思い出


はてなに書いてみたいと思った。

純愛というか、若い頃はそんな時期があった。今の私は不惑

の子とは長年連絡を取り合ってなかったが、実は先日、親戚付き合いの時に出会った。祖父方にあたる親戚の家のダイニングで。

その時に思う事があって、増田をしたためることにした。増田はたまに短文を書くくらいである。



の子と初めて会ったのは、私が21才の時だった。当時は茨城県にある大学電気工学を学んでいた。夏休み帰省である実家は、(秒速5センチメートル聖地)隣の栃木県にあった。

ある夏の帰省時に……その実家から、ほどなくの距離にある親戚の家に行ったのだが、玄関に入った時に、はとこに当たる子がいた。

当時は「はとこ」という単語は知らなかった。誰がどの親戚筋にあたるとか、そういうことにも興味なかった。ただ「女の子がいるな」としか思わなかった。

その、はとこに当たる子なのだが、『野乃花』ということにする。プリキュアの方ではない。野乃花(ののか)は玄関口で私と目が合って、「こんにちは」と言ったのかな。それは覚えている。

帰省時に親戚の家に行っても、一応成人である私は暇を持て余していた。子どもの頃から何度も行ってるが、その時みたいに居間でくつろぐことが多かった。周りは子どもばかりである

親戚の子どもたちは皆ゲームをしていた。スマブラというゲームだった。大乱闘スマッシュブラザーズ

私は任天堂キャラをほぼ知らなかった。ピンク色のあれがカービイって言うのはわかったけど、あとは知らないキャラだった。ピカチュウも辛うじてわかったくらい。

ゲームを一切しない子どもだった。家にスーファミPS2もなかった。家の近くにある里山に出かけて、危険であろう山奥まで踏み込んで、昆虫トカゲを捕まえて飼育するのが好きだった。日本にいるはずもないチンチラがいないか探そうとしていた。

親戚の子ども達は居間ゲームするだけじゃなくて、子どもらしい身体を動かす遊びもしていた。外での運動だった。まさにスマブラ

居間でも、廊下でも、玄関でも、これでもかというほど広い庭でもそうだった。私は成人男性だったけど、元気のいい彼ら小学生相手をすることもあった。

野乃花は、大人しい子……でもなかった。わーきゃー言って水鉄砲を打ったり、私に体当たりをしてゴロンとひっくり返っていた。溌剌な子だった。

野乃花はその時、7才だったはず。14才差なので。小学校に上がった年である。いい頃合いの年齢ということで、(私から見て)遠い親戚の人も、野乃花を本家筋の実家に連れてきたのだろうか。

それはそれとして、大学であるというのに私は、毎年夏や大晦日になると……その親戚(本家筋)の家に行っていた。小学校中学校の頃は、それこそ年に何度も。

うちの母親が私や兄弟を連れて行くと、祖母漏れなく一万円をくれるのだった。うちの母親は、ことあるごとに其処に行っていた。子どもを連れて。ある種の集金システムである

私は子どもながらに察して、祖父母にあざとくした。可愛い子だと見られようとした。今思えば浅ましい考えかもしれないが、毎回寄るだけで一万円をくれるのだから、それくらいは当然と思っていた。

中学生高校生になると、親戚の家に行くことはなくなっていた。

しか大学に進学すると、また急に行く頻度が増えた。私と祖父が同じ大学出身で、学群も同じ(祖父時代学部)だった。お気に入り度が上がったのだと思う。

20才になる年に入ると、祖父のとっておきの日本酒や焼酎を飲ませてもらった。あの頃はおいしい酒の味がわからなかった。モンテローザ系列の味に慣らされた舌には、明らかに上の味だったけど。

話が脱線している。あの日々が懐かしすぎるのが悪い。

え、野乃花?あの子は、、、私が22才、23才、24才になる年も、毎年ずっと会い続けた。親戚の家に行く度に必ずいた。ほかの子はいないこともあったし、来なくなる子もいたのだが。

今思えば、懐いていたと思う。よく会話をしたし、ごっこ遊びにも付き合った。

夏休み冬休み宿題を私が教えることもあった。「増田くん。あたまいー!」とよく言ってくれた。私は漢字に弱かった。今でも書き誤りをすることがよくある。

野乃花に、「こないだの発表会でね、その旨(うま)をまとめて発表します」と読み間違えた話をしたが、さすがに理解してくれなかった。

ある日、曇天で雷が鳴っている時に、雷を素早く動いて躱せるのかという話になった。私が「雷はね。上から落ちてくるんじゃなくて、下から上に昇ってるんだよ」と伝えると、「うそ。ほんとー。今度試してみる」と言った。「絶対に試したらダメだよ」と釘を刺した。

野乃花について、はっちゃけ雰囲気の子想像するかもしれないが、実際は年齢に見合わない利発な子だった。理屈っぽい私の話を、「へえ」と面白がってくれる唯一の人間だった。

夕食の時は席が大体隣だった。誕生日プレゼントをあげた時は抱き着いてきた。年齢差はあったけど、会話が弾んだ。

親戚の大人達が家にいない時だと、2人きりになることがあった。かくれんぼとか、鬼ごっことか、ノートPCヤフーポータル画面を開いて、いろんなことをググったりした。(ほかの親戚と一緒に)花火大会にも行った。水族館にも。遊園地にも。

彼女は明るくて溌剌としていて、私みたいな陰キャラとは違った。いわゆる"いい子"だった。はてなブックマークでいうと、女性ブクマカトップコメに入りがちな、快活な方々がおられると思う。あんな感じの、知性やユーモアを伴った明るさである



25才の頃は、新卒で入った茨城県にある電機メーカーに勤めていた。

親戚の家に行くのは、年に2回ほど。祖父は、私が社会人になっても毎年お小遣いをくれた。「早く技術士になれよ、期待してるぞ」って、行く度に祖父が言ってた。それから十年もかかったが、祖父と同じ電気分野で技術士試験を通った。

それくらいの年齢になっても親戚の家に行ってたのは、野乃花のことが頭にあった。私に懐いてくれる女性というのは、それまでの人生彼女しかいなかった。私はモテなかった。はてな語で言う弱者男性

ある年の夏だった。自家用車で一人でその家に行くと、玄関口の廊下に野乃花がいた。靴を脱いで、家の廊下に上がったところに古い掛け時計があった。ずっと昔からあって、玄関に上がる時は時刻を見るクセがあった。

廊下に立っていた野乃花に近づいていって、野乃花の両肩に手を置くと、野乃花が唇を突き出した。キスをした。口にする方だった。

私は別にロリータ同人誌アンソロジーを持ってたわけじゃない。そういうR18コンテンツに触れたこともない。当時の私は、社会人としての勤めや、理工学勉強の日々の傍らに、読書をしたり映画鑑賞をする男だった。年少への性癖はない。ただ、孤独への性癖があっただけだ。

野乃花とのキスというのは、その時が初めてじゃない。鮮明でない記憶だけど、初めての時は、私が22~23才くらいの時だった。野乃花が8~9才くらい。

親戚の家の中ほどにある居間で、2人だけになってる時に、身体が不意にくっついて……その流れで、人生で初めてキスをした。少し大人になれた気がした。

それからは、2人になる度に、親戚の目がない時にキスをしていた。唇を合わせるだけの簡単なやつを。一日に何度も。別に理由はなかった。私も野乃花も、ただしたかっただけだと思う。

野乃花が小学校卒業する年の2月だった。初めて2人だけで外に出かけた。それまでは、親戚付き合いの中で、花火大会とか水族館とか、飲食店などに一緒に行っていた。それが、野乃花が親に携帯電話を買ってもらい(青っぽいガラケー。私はスマホ)、LINEでやり取りするようになった。

デート場所茨木駅周辺だった。茨城ってぶっちゃけ鳥取島根クラスに何もないところだけど、大きい駅の周辺では、ショッピンググルメ自然文化体験など色々楽しめる。野乃花のいる栃木でもよかったけど、『秒速5センチメートルごっこになってしまうのでやめた。積雪電車が止まるかもしれない笑

その日は、夕方まで一緒に何時間も過ごした。最後美術館に行って解散した。帰りの電車賃は社会人だった私が出した。それ以外の、食事代とか入館料は割り勘だった。出そうとすると、野乃花が嫌だと言った。

電車が出る時間になってホームで別れる時、「楽しかったね」と私が言ったら、野乃花が「今日、一緒にいられない?」と聞いてきた。潤んだ瞳だった。吸い込まれる瞳ってどこかの小説地の文があったけど、あれは作者の実体験だったんだと感じた。

仕事あるからね。また今度ね」と言うと、野乃花は俯いて電車に乗った。最後に手で肩に触れて、「バイバイ」ってお互いに言った。野乃花は泣いていた。



ここからは閑話。読み飛ばしを推奨する。

あの頃は、年齢差のことを考えることがあった。私と野乃花の年齢差は、年度でいうと14年分。一番最初に会話した時は、小1と大3だった。

(以下閑話)※当時のメモを参考

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年齢差についての関数

年数をxとして、お互いの年齢の比をf(x)とすると、f(x) = (a+x) /(b+x)となる。年数xを経る毎に0<f(x)<1で単調増加で1に近づく(極限操作)。

お互いの年齢比が0.5になるときの経過年数は、式変形によりx=2a-bで表現できる。この比率もっと一般的表現すると……。上記f(x) = (a+x) /(b+x)を微分すると、商の微分でf`(x) =(a-b) /(a+x) ^2

f`(x) =0になる極値は……?と考えると、残念ながら存在しない。

元の関数f(x) = (a+x) /(b+x)というのは、式変形すると、f(x)=1+((a−b)/(b+x))となる。これは、f(x)=a/(b+x)という直角双曲線をグラフ平面において平行移動させたのみである

直角双曲線は微分可能であるが、極値がない。正負の値を関数に入れると、グラフ上で左右に分かれて存在することから、右極限と左極限が一致しない。

方程式 f`(x) =(a-b)/(a+x) ^2において、a−b=0が成り立つのは、a=bの場合のみ。導関数ゼロ。定数関数であり、傾きはない(定数関数微分可能かどうかは流派による)。a≠bだと、導関数ゼロになるxの値が存在しない。

年齢算という算数を扱っている以上は、関数の形状はシンプルである。一番知りたい特定の値に向かって方程式に数値を入れるのみ。私は複雑な答えを求めたが、その行為自体が適切でなかった。つまり、二人の年齢差というギャップは、数学的には永遠にまらないという無慈悲証明けが残った。

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(閑話終わり)



野乃花が中学生になった年だ。私は茨城県にあった電機メーカーを辞めて、他業界IT企業転職した。広島市営業所があるメガベンチャーだった。

仕事に忙しい日々だった。距離があるので関東に帰ることも無くなって、それで……野乃花とはそれっきりになった。LINEメッセージも、いつの間にか途絶えた。既読無視をしたのは私の方だ。

もう結構な年齢である

今は独立して、都内IT関係下請けをしている。フリーランスだ。ハイクラスエンジニアでは決してない。うだつが上がらない日々だけど、いつかは1人社員株式会社にしたいと思ってる。今の自営業屋号は、結構厨二が入っている。実年齢よりも幼い人間なのだと感じる。

なぜ、この日記を書こうと思ったか正月に野乃花と会ったのである。もちろんあの親戚の家で。あそこに行くのは久しぶりだった。

其処に行く途中の車内で、母に聞いた。あの家は祖父祖母も亡くなっていて、今は叔父夫婦が住んでいるだけ。跡継ぎはいない。子どもはいたが、みんな自立したらしい。大きい家なのに勿体ないって、そんなことを思いながら親戚の家に着いた。

玄関を上がって、あの時の古い掛け時計が別のに変わっているのを見て、それから台所(兼ダイニング)に行くと、親戚が何人か座っていた。その真ん中あたりに……野乃花がいた。

野乃花と会うのは約15年ぶりだった。

私と目が合うと笑顔になった。ダイニングの隣にある小さい居間では、親戚の子達が皆で一緒にタブレットアニメを観ていた(私はここ数年アニメを見てない)。少年の時、ボードゲームをしていたのが懐かしい。あの頃より人数が減っている。

話は変わるけど、もし『グノーシア』のボードゲームや、人狼ゲームがあったらやってみたい。一生叶うことはないだろうけど――もしアニメ化もされたら観てみたいと思う。

野乃花を見た後で考えた。

まだ夕方ですらなかった。これから何をしようか、どうやって暇を潰そうか。スマホ操作するだけでは勿体ないし、懐かしいその辺りを散歩しようと思った。

本当は野乃花と話したかったけど、連れていくわけにはいかないし、話せるだけの心の余裕もなかった。それに、野乃花は夕食の準備を手伝っていた。



近所の散歩が終わって、台所ダイニングで豪華な夕食を食べて、ビール瓶を何本も空けて、親戚連中の大人(あの頃の子ども達)とたくさん話をして、トイレに行ったり、親戚の子の遊びに付き合ったり、お年玉(※宿泊費)を払ったり、十数年ぶりの親戚の家は懐かしい。野乃花はずっと飲み会を手伝っていた。

飲み会の後、ダイニングでスマホをいじっていると、深夜が近づくにつれて親戚の数が減っていった。「そろそろ寝ようか」と思ったところ、廊下から野乃花が入ってきて、こちらに歩いてきた。私の隣の席に座った。結婚指輪はしてなかった。

「久しぶりだね」

と私が声をかけると、

増田くん元気そうだね」

と返ってきた。

面影がすごく残っていて、懐かしい感じがした。

子どもの頃の就寝時間は午後十時だった。今は大人から、あと一時間は起きていられる。野乃花と喋ってから寝ることにした。

思ったより多くの会話をした。卒業した学校とか、就職先とか、今の趣味とか、好きな本とか、最近観た映画とか。私はサブカルが好きだけど、野乃花もそうだった。アニメだと『ブルーロック』の話をした。エゴの塊みたいなキャラの話で盛り上がった。漫画小説の話もした。吾峠呼世晴の初期短編集は2人とも読んでいた。

でも、野乃花が不意に言ったのだ。

「私、増田くんと結婚するんだって思ってた」

心臓ドンって叩かれた。この時まで、悪いことしたという思いはなかった。

でも、この時になって、私があの頃、どういうことをしていたのかって、そういう思いが一瞬で頭の中を駆け巡って、後悔が襲ってきた。

「迎えにきてくれると思ってた。連絡がほしかった。私は増田くんに会いに行けないのに」

野乃花を見ると、涙を拭っていた。鼻もすすっていた。

それから沈黙が続いて、「ごめんね」と言った。そしたら確か、「増田君は結婚したの?」と聞いてきた。

結婚どころか、離婚まで経験していることを話すと、野乃花は爆笑していた。机に突っ伏して、本気で笑いを堪えている様子だった。話を続けると、野乃花も一度離婚経験していた。

なんだか変な雰囲気になって、それからまた、さらに笑える話を(お互いに)続けて、そうこうしてると午後11時になった。LINEの連絡先を交換して寝室に入った。



読者の方は察してるとは思うが、私はいわゆる発達障害である。診断済みだ。

メガベンチャー転職をして地方都市引っ越した後、仕事人間関係で苦労することがあった。明らかにおかしいと思い、精神科医に診てもらったところ、様々なテストの後に、そういう診断が出た。子どもの頃からの行動傾向を見てると明らかだった。

ある情報によると、発達障害精神年齢というのは……実年齢×0.60~0.70らしい。青春期の、精神が最も発達する年代に脳が発達をしてくれない(脳発達のピークが30代にくる)。

一方で、一般的女の子は、男の子よりも数才精神年齢が高い。ということは、最後に野乃花と会った時の精神年齢は……私だと26才×0.60~0.70≒15~18才ということ。野乃花が実年12才+2~3才とすると、14~15才ということだ。

あれ、なんだこれと思った。そういう視点で考えると、野乃花との年齢差があっても話が通じたことの合点がいった。

私と野乃花は、あの瞬間、確かに「同級生」だったのだ。

話は以上である

我ながら恥ずかしい執筆体験だった。私の言葉で思い出を表現できてよかった。理屈っぽくて読みにくかったとは思う。

でも、言葉にしたかった。あの時、親戚の家のダイニングで、20代後半になった野乃花と再会した時の衝撃とか、それよりずっと前の、野乃花との楽しい日々の思い出とか。ここで、こうして吐き出すことができてよかった。

明日からは、また一人のはてなユーザーである。みんなの面白日記を、また読ませてほしいです。ここまで読んでくれた人、ありがとうございました。

Permalink |記事への反応(1) | 11:29

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虚弱の住処

https://popnote.hateblo.jp/entry/2025/12/12/005107

沖縄出身関東在住者の記事に対し北海道出身関西在住の筆者がコメントする。

沖縄虚弱者に住み良い場所であるか?】

上記の問に対して以下の視点が抜けていると感じた。

台風による激しい気圧の変動がある

これは東〜北日本にはほぼない。

台風が来る頻度が低く(北海道に至ってはほぼ皆無)気圧の変動があっても西日本ほどは大きくない。

気圧に弱い方は北に住むことをおすすめする。

②気温が高くても冷える

私のような北日本出身者の多くは高湿度が苦手だ。

湿度が高いだけで21℃ぐらいでも夏バテを起こす。

結果としてクーラーは避けられないし、夏冬関係なく臓腑の底まで冷えている。そこで水不足からと湯船を諦めるのはつらい。

他にも細かいところはあるが、主にこの2点が東日本出身虚弱者にはつらいであろうと思われた。

これだけでは一方的悪口なので北海道デメリットもあげてみる。

【沖北海道虚弱者に住み良い場所であるか?】

①(記事で触れられていた通り)日照時間が短すぎる

北海道までいくと東京とは比べ物にならないほど日が沈むのが早い。

1年の半分は冬季うつでもおかしくないレベル

②面積に対して病院があまりにも少ない

地方病院問題は逼迫しているだろうが、北海道は隣町までが遠すぎる。近所の病院が何10km先みたいなことも珍しくない。

町医者では設備が足りず、検査の度に都市部まで出るのはかなりつらい。

ただし札幌例外とする。

関西に住んでみた結果、気候だけで言えば瀬戸内沿岸は非常に穏やかで虚弱者向きであると感じた。

東京大阪といった大都市では人酔いの危険性もあるため瀬戸内沿岸政令指定都市ぐらいがちょうどいいのではないだろうか。

Permalink |記事への反応(0) | 08:26

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2025-12-12

夫婦別姓、同性あるいはハイフン繋ぎ

アメリカなんかは夫婦の姓の変更は義務付けられていないけれど

論文を書くような博士とかでも、8割近くが夫の姓に変更してるし

英語ジャーナル論文を発表する非西洋出身国際的学者特に若手の学者の多くは、イングリッシュネームまたは簡略化されたローマ字表記を含むビジネスネームハンドルネーム旧姓etc.使用しており、法律上名前とは異なる場合があることは広く認識されてる。

Permalink |記事への反応(0) | 23:27

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anond:20251212203606

歴史の欠片もないクソみたいな家系祖父ヤクザ崩れで何度か逮捕されている)出身でそこそこのエリサラやってる身からすると

華族みたいな家が何をどうやったらそこまで落ちぶれられるのか想像ができないんだよな。

だって子供の頃から神童だったわけでは全くなく、漢字テストで0点とって親が呼び出し食らって「この子ダメです」と言われる感じだったんだけど。

(なお親ももちろん勉強はできなかったし金持ちでもなかった)

Permalink |記事への反応(1) | 20:51

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anond:20251212124835

まりそれはお前らが大嫌いだった新しいもの否定する保守的な親そのものだな

情報技術者なら誰しもが認める事として現在情報技術界はLinux知識事実上の必修科目になっている

その影響によって世界中STEMICT教育Linux学校教育へ導入する需要が高くなった。その結果が安価に導入でき学校教育グループウェアGoogle Classroomが製品パッケージとして存在するChromeOSだったんだよ

しかもより先進的なSTEMICT教育を導入する日本の有名私立進学校(例えば灘や開成)、情報学科学部を持つ高校高専大学ラズパイ発祥の地である英国、そして米国ラズパイ義務教育の中に導入した

更にNASA連携したラズパイ学習プロジェクト「AstroPi」は国際宇宙ステーションへ常駐する宇宙飛行士によって子供たちがコーディングしたプログラムを実行して宇宙実験するという非常に野心的な学習プロジェクトが行われている

これらの結果を知って確実に来るであろう未来を想定するならば、今後10年以内に裕福な家庭や先進的なSTEMICT教育を導入する学校出身者であればあるほどLinuxを学んで社会に出てくるという確定的未来

世界各国地域シェアは違うけれど、それが貧困家庭であってもSTEMICT教育で投入される学習コンピューターの6割〜8割がChromeOSであることを踏まえると、低い割合を想定しても新社会人の2人に1人はLinuxで学んで社会に出てくるんだよ

大卒が約半数となった日本で、我が子により良い教育を施したいと考えるのであれば、このSTEMICT教育の大激変であるWindowsMacではなくLinuxを学ぶ」という動きは子供の将来を考える親ならば察知していなければならず、子供需要に応えるのが親の努めならば親こそがLinuxを学んでおく必要があるんだよ

気持ちはわかる。発端の夫を倒したい元増田で夫も言及しているように「一般目線で考えるならばWindowsであることは間違いない。しかしその一般目線には前提として言葉を1つ追加する必要がある

それは「現在の親世代経験豊富社会世代一般目線ならばWindows」という形だ。誰に聞いても間違いがない。親世代経験豊富社会世代リアルタイムの今まさに仕事Windowsを使っている。プログラマークリエイターならばMacという選択もあるだろう

しかし既に我々は知った。現行のSTEMICT教育は「WindowsMacではなくLinuxを学ぶ」であることを。それはつまり未来社会の中心となっていく子供世代一般目線ではLinux」という時代が到来しつつあり、更に言えば未来日本リードしていくであろう先進的なSTEMICT教育を受けている裕福な上流層の子供の一般目線は輪をかけてLinuxになっていくんだ

Windowsを学ぶ方が良いだろう」「学校教育で導入されるタブレットiPadの方が安定していて高性能だ」

大人ならそう考える。しかしそれは現在STEMICT教育がどうなっていて未来人材がどのような一般目線を持っているかを想定しないという、今自分生活大事革新性に拒否感を示す保守的大人ならではの直感しかないんだ

WindowsMacではなくLinuxを学ぶ」という現在STEMICT教育から予測できる確実に訪れる未来へ先行投資できるか否か。この話題はそれを機敏に察知できるかのリトマス試験紙としての側面を持っていた深い話題なのだ

欧米や裕福な日本の家庭はLinuxを、ラズパイ教育に導入している。それを知った我々がどうしなければならないかなんて言うまでもないだろう

Permalink |記事への反応(0) | 16:21

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男子中高一貫運命の分かれ目になるのは3割くらいだと思う

40代男子中高一貫校出身者だけど、当時の同級生モテ観点(その後の人生彼女作ったり結婚したりできてるか)で分けると、大体6:3:1に分かれるなーと思う。

▼ 上から6割:大学デビューでも難なくキャッチアップできた普通の人たち。共学でも男子校でも安泰層。大半既婚。

▼ 次の3割:素材に致命的な難があるわけではなかったが男子校で6年ぼんやりしてるうちに半数が手遅れになった人たち。既婚者半分。

▼ 下1割:鉄研とかの、もう最初から箸にも棒にもかからない限界非モテの人たち。共学に行ったところでどうにもならない層。全員未婚。

40代の未婚率は大体3割くらいらしいので、安泰層の大半+中間層の半分というのは統計的数字とも整合する。

上側は運動部文系進学が多く、下側は文化部理系進学が多い。進学先のレベル無関係で、上6割のFランチャラ男とか下1割の東大理系卒研究者とかがいる。

小学生男子中の受験を考えるにあたって、上6割と下1割は男子校に行くかどうかで結果は変わらないのでどっちでも良いが、中間の3割なら共学か男子校かが予後に影響する可能性が高まる

御子息が小6の段階で明らかに平均以上か最底辺なら安心して進学させてほしいが、どちらでもないなら男子中という選択が「女性交流のある人生を諦めさせる」決断になる可能性があることは留意してほしい。

Permalink |記事への反応(1) | 13:48

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日本人ハーフ外国人に分類される。お国はどちらですか?ご出身は?

ハーフ人?何を脳内で分類しているの?

お前は警察官か?役所職員か?誰なんだよお前?

ハーフってなんだよ。ハーフ国?

ハーフは何人なんだ?ハーフ人?

え?日本人ですか?

Permalink |記事への反応(0) | 11:15

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地方交付税についての都の公式アカウント都民被害者意識について、

地方出身都民出身地を嫌っている事を理由正当化しようとしている人がいたけれど

問題はそこじゃなくない?好き嫌い問題じゃなくない?

仮に嫌いだろうとも、困っている人がいたら助けるべきなのは当たり前じゃない?

こういうのを見るに、「本当に助けが必要な者は助けたくなるような姿をしていない」と言って、個人善意に頼るのではなくシステムによる機械的な救済を充実させるべきだという風潮についても疑念が生じるな。

だって政策を決めるのも結局は民意(いわば大衆の『お気持ち』)なんだから

「助けたくなるような姿をしていない」相手に対して、システムによる機械的な救済だって反対されそうじゃない?

Permalink |記事への反応(0) | 10:15

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2025-12-11

https://x.com/sae980/status/1999034087076684071?s=20

アポカリプスホテルガイナに残ってプレアデス作ってた仲間たちを重ねてたりするのだろうか(春藤監督ガイナ出身

Permalink |記事への反応(0) | 19:31

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anond:20251211181631

わかるんだけど、BL雑誌出身のアツイ男の友情を描いたもの(エロなし)とかが広告打ってたらなんかキモいなって言われても仕方ないかなって思うんだよ

ただなんかキモいな、の枠だから議論になってると思うんだけどさ

上記のやつならエロ同人鬼のように描かれてると思うし、エロの目で見られてんだろ!と思っちゃうんだよね...

Permalink |記事への反応(1) | 18:37

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anond:20251211134316

地元出身凶悪犯罪者みたいや😱

Permalink |記事への反応(1) | 13:48

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カトリーヌ・ド・メディチ(Catherine de’ Medici)の結婚によって権力を手にする過程は、16世紀フランス政治における非常に重要出来事です。彼女結婚は、単なる王室同盟にとどまらず、彼女フランス実質的支配者として台頭する基盤を築くことになりました。以下に、その過程を詳しく説明します。

1. カトリーヌ・ド・メディチの背景と結婚前の状況

カトリーヌ・ド・メディチは、イタリアフィレンツェにある名門メディチ家の出身で、家族銀行業を通じて大きな富と政治的影響力を持っていました。彼女は1519年にフランス王シャルル8世の後継者であるフランソワ1世姉妹であるシャルロット・ド・メディチの娘として生まれましたが、メディチ家が権力を握る前、彼女自身王室関係者としては控えめな立場でした。

カトリーヌが結婚した時期は、フランス王室後継者問題が複雑化していた時期でした。フランス王シャルル8世の死後、カトリーヌの未来を決定づける出来事が起こります

2. シャルル8世との結婚

カトリーヌ・ド・メディチ結婚は、フランス王室メディチ家をつなげるために行われました。この結婚の主な目的は、フランスイタリアの強力な家系を結びつけ、フランス王国の政治的な安定と国際的な力を強化することでした。

カトリーヌは、シャルル8世(フランス王)との結婚が決まり、1533年、14歳フランス王シャルル8世の妻となりました。この時、シャルル8世はすでに王として即位しており、カトリーヌはフランス王妃としての地位を得ました。

しかし、彼女結婚後の状況は非常に厳しく、シャルル8世は健康が悪く、早くに亡くなります。シャルル8世が死去した後、カトリーヌの最初の夫は亡くなり、彼女寡婦となりました。

3.フランソワ(François1世との関係実質的権力

シャルル8世の死後、フランス王国は政治的混乱に見舞われますが、フランソワ1世王位に就きますフランソワ1世は当初は未成年であり、カトリーヌはその摂政として非常に重要役割を果たしました。

カトリーヌの実質的権力確立されるのは、フランソワ1世が成人し、彼が成人した時点で、カトリーヌは政務を取り仕切る存在となりました。フランソワ1世は、若い王として政治に関与することが難しく、カトリーヌはその代わりに、実際の権力を握ることとなります

4. カトリーヌ・ド・メディチ権力掌握

4.1.フランソワ1世外交戦争

フランソワ1世は非常に戦争好きで、特にイタリア戦争に関心を持っていました。彼は神聖ローマ帝国スペイン王国との戦争を繰り広げましたが、その影響力を強化するために、カトリーヌは外交面でも重要役割を果たしました。

カトリーヌはフランソワ1世外交戦略をサポートし、時には彼の代理として交渉を行うこともありました。フランソワ1世とカトリーヌの間にあった強い信頼関係が、彼女政治立場を強固にした要因です。

4.2.子どもたちとその後の支配

カトリーヌとフランソワ1世の間には、シャルル9世(後のフランス王)やアンリ3世(後のフランス王)を含む多くの子どもが生まれました。特にシャルル9世即位はカトリーヌにとって重要な転機となります

シャルル9世王位即位すると、まだ若いため、カトリーヌは摂政として実権を握り、フランス政治支配しました。この時、カトリーヌは国の方針を決定し、時には権力闘争や宗教的対立に関与しました。

5. カトリーヌ・ド・メディチ宗教戦争

カトリーヌ・ド・メディチ権力を持つ時期は、フランスにとって非常に混乱した時期でした。フランスでは、カトリックプロテスタントユグノー)との間で宗教戦争が勃発しており、この戦争はカトリーヌにとって重要政治課題となりました。

5.1.サンバルテルミの虐殺

カトリーヌ・ド・メディチは、ユグノー戦争最中にあったサンバルテルミの虐殺(1572年)という事件で非常に悪名高くなりました。これは、カトリック側によるユグノープロテスタント)への集中的な攻撃で、数千人のユグノー殺害されました。

カトリーヌの役割については議論がありますが、一般的彼女ユグノー側のリーダーを一掃し、フランス王国のカトリック支配確立するために関与したとされています。この事件は、彼女権力を強化するために極端な手段を取った例として、歴史に刻まれています

6. カトリーヌ・ド・メディチ最期とその後

カトリーヌ・ド・メディチは、その後もフランス王国の政治に深く関与し、息子たちが王位を継いだ後もその影響力を持ち続けました。彼女は、複雑な宗教戦争国内政治対立を調整しながら、実質的フランス支配していたのです。

カトリーヌは、1589年に亡くなりますが、その死後もメディチ家はフランス王室に深い影響を及ぼし続けました。

結論

カトリーヌ・ド・メディチは、フランス王室後継者として権力を握ることができたのは、彼女計算高い政治的手腕と、結婚を通じて結びつけた強力な家系メディチ家)のおかげです。彼女フランス王国の中で実質的支配者として君臨し、国際的戦争国内宗教戦争において重要役割を果たしました。その権力確立は、時に暴力的手段を伴いましたが、フランス王国の政治における女性権力者として、その影響力は非常に大きかったと言えます

Permalink |記事への反応(0) | 11:36

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anond:20251211014538

プラダを着た頂き悪魔

──The Devil Wears O-neeto──

完全頂き女子リメイク(約6000字相当)

設定概要

雑誌社『RUNWAYJAPAN』──

日本一ハイファッション雑誌

発行部数150万部、広告収入は年間300億円。

その全てを支えているのは、

「名もなき男子社員たち」=通称「納付男子(のうふだんし)」

彼らは給料の97%を女子スタッフに上納し、

残り3%でカップ麺生活を送るのが社則。

主要登場人物

ミランダプリーストリー(58)

伝説の頂き悪魔。RUNWAY総編集長

年間私的経費82億円(全て男子負担)。

名言「それで終わり? 私、女子なのでもっと欲しいわ」

アンドレア・サックス23新卒

地方大学出身の純朴女子

実は潜在的頂き能力Sランク

通称「アンディ」

エミリーチャールトン(29)

ミランダファーストアシスタント

頂き歴8年目の猛者。

毎日ヒール15cmで外回りゼロ

ナイジェル・キプリング(45)

アートディレクター。唯一の「納付男子幹部

給料は全額ミランダに納付済み。

趣味残業カップ麺アレンジ

シュウウエムラ(42、特別出演

伝説メイクアップアーティスト

実は「納付男子最上位」。

年収8億円だが、99.9%をミランダに納付。

残り0.1%で原宿に小さいアトリエを維持。

ストーリー完全プロット

序章 入社初日

アンディは面接でこう言われた。

ミランダあなた女子よね?」

アンディ「はい!」

ミランダ「なら採用男子は全員あなたにも奢る義務があるわ」

初日からアンディは

コーヒー(1杯2800円)はナイジェルが買いに行く

・昼は銀座の高級寿司(5万円)は経費で

タクシーは全て男子が手配

第1幕 頂き地獄洗礼

エミリーミランダは1秒遅れただけで人をクビにするわ」

アンディ「え、怖い……」

エミリー「でも私たち女子からクビにならない♡」

ミランダ無茶振り連発

パリコレの未発表原稿を今すぐ」→男子社員30人が徹夜で偽造

飛行機が嫌いだから新幹線パリに行って」→男子グリーン車車両貸切

双子の子ハリー・ポッターの未発表原稿を」→男子がJ.K.ローリング拉致未遂

第2幕 アンディの覚醒

ある日、ミランダ激怒

「この原稿センスがないわ! やり直し!」

アンディ、初めて反抗。

「でも私、女子なのでセンス関係ないですよね?」

その瞬間、空気が凍る。

ミランダ、微笑む。

「……面白い子ね」

翌日からアンディはセカンドアシスタントに昇格。

エミリー嫉妬発狂

第3幕 パリコレ決戦

パリコレ前夜。

ミランダエミリーを切り捨て、アンディを連れて行く宣言

エミリー「8年間、私がミランダのバッグ持ってきたのに……」

ミランダあなた、もう30近いじゃない。

 女子賞味期限は27歳までよ」

パリにて。

アンディは完全に頂き女子覚醒

クリスチャン・ルブタン全コレを

「私、女子なので全部ちょうだい♡」でタダ持ち。

クライマックス 頂き悪魔同士の対決

帰国後、ミランダがアンディに告げる。

あなた、私の後継者にしようと思うわ」

アンディ「え……」

ミランダ「でも条件が一つ。

 一生、男子に奢り続けさせること」

アンディ、初めて自分未来を見る。

毎日15cmヒール

男子給料を吸い尽くす

・27歳で賞味期限切れ

アンディ、辞表を出す。

「私は……普通に働きたいです」

ミランダ(初めて本気で驚く)

「……普通に働く? 女子が?」

ラストシーン

アンディは小さな出版社転職

しか

編集長は元RUNWAYの女子で、

「ここも私、女子なので……」と微笑む。

一方、RUNWAYでは

ミランダが新しい新卒女子を見つけて呟く。

彼女、いい目してるわ……

 私に似てる」

画面にテロップ

現在もRUNWAYJAPAN

 名もなき納付男子たちによって支えられている」

シュウウエムラ特別エンドロール

画面に一人だけ映る。

「僕の給料……全部ミランダさんに……

 でも幸せです……(涙)」

──頂きは終わらない。

プラダを着た悪魔は、永遠に君臨する。

FIN

「それで終わり?」

「いえ、私、女子なのでもっと欲しいわ」

Permalink |記事への反応(1) | 01:46

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2025-12-10

出張先で遭遇したさす九の性差別

先日出張先で夕食中、隣に座った30歳の男が、4歳年下の会社の後輩女性に偉そうに振る舞っていた。

男は席につくなり、女性に対して俺が奢ってやると偉そうに振る舞い、

遠慮した女性が少し注文すると、男は一番高いメニュー(2,800円)を注文。


女性はすぐに食べ終わるが、男は全然食べようとしないで、

鉄板焼きの店なのに冷めた食べ物がずっとテーブルの上に置かれていた。


男はカウンター席で真横を向いて女性をじっと見ながら、自分の話をひたすら聞かせていた。

まれ半年の子もの写真を見せて、女性が「可愛い」と言うと

「そうでもないよ。これはスタジオで撮った写真からね」と子どもを下げる。


男は自分とよかったら明日出かけないかといい、

今日来ちゃいなよ、You」(俺の取っているホテルに、という意味)と誘っていた。


後輩女性が、どこにですか?と確認すると、その男今日とっているホテルだと言う。

女性は驚いた様子で、さすがに妻子のいる先輩と一緒の部屋で寝るのは無理ですと断るが、

「バレないか大丈夫」「前に別の女性ホテルに行った時はただ一緒に寝ただけで何もなかった」

「同じ部屋で寝るだけ」などと言っていてしつこい。


女性は顔をひきつらせながら、わざと明るく、男の機嫌を損ねないように断りつつも対応し、

女性自分が注文した全ての食事を食べ終えて、お酒の注文を男に勧められても断っていた。


そのタイミングで一緒に食事をしていた私の夫がトイレから戻ってきたので

「隣の男マジで気持ち悪いんだけど。」と男に聞こえるように夫に向かって言い、

男のほうを睨むように見て、女性アイコンタクトする。


女性が、「そんなことしたら奥さんがかわいそうですよ」などと言いながら話を終わらせようとしているのに、

男は、子どもは夜中に泣くのでうるさいとか、妻は俺のことを邪魔者のように家で扱う(当たり前だろう!) などの発言を連発した。

まるではてなーブクマカみたいに。


「やばすぎる、この男」などと私がまた男に聞こえるように言うと

女性が「やばいですよね!この人」と反応。

「先輩なんですよ。すみません」というので、

あなたは何も悪くないし、男のために笑顔を作らなくて良い、

こんな男の相手をせずに早く帰った方が良い」と伝える。


女性が男に「でも、奥さん夕食とか作ってくれてるんでしょう?大事にした方がいいですよ」などと言うと

男は「稼いでいるのは俺なのに」と言った。

私が男を睨みつけ、「ありえない」というと(男は私の隣に座っていたけど、

体を横に向けて女性のほうをずっと見ているので、私のことは見えていない)


後輩女性が「今の時代に、稼いでる方が偉いって思ってるんですか?女性のこと下に見てますよね。」と男に言い返した。

男は「いやいや、平等ってことはわかってるけどそれにしてもさ」と言い訳しなから

妻とのやりとりを見せようとし、女性が断っていた。

昭和のおじさんかと思うけど、これが非モテ男の現実なんだろう。


九州出身の夫に私が「さすが九州」と話すと、男がこちらを振り返り、

男が「やばいっすか?俺?」といってきたので

あなた食事をしても誰も楽しくないし、相手が嫌がってるのわからない?

黙って早く食べて帰るように」と伝えた。


男は「関東っすか?関東友達にはそう言われます」とヘラヘラしているので

あなたのしていることは女性差別だから九州女性相手にだからやっていいと言うことではない。」と伝え

女性に、「こんな男と過ごす時間無駄から早く帰りな」と伝えた。


男はその後もずっと女性自分の話をべらべら聞かせて、全く食事を食べ進める様子がなかった。

女性は私が店を出る時にも、「ありがとうございますすみません」と言っていて、

あなたは何も悪くないし自分を責める必要はないと伝えた。

あの男は女性の「持ち帰り」に失敗したら、デリヘルを呼ぶび性的搾取をするのだろうと思った。


朝日新聞の連載で買春有罪となった男性への研修を行ってきた専門家が、

買春を犯す人の共通点として「女性性的欲求を満たすための存在と捉えていること」と語っていたが、

そういう感覚を持つ人が日本社会ではたくさんいる。

秋葉原歌舞伎町はそういった性加害者で溢れかえっている。

そこではレイプセクハラ児童ポルノ、望まぬ性行為が、日常的に行われている。


フランスだったら性差別侮辱罪で捕まると伝えたが男はヘラヘラしていた。

あの様な男ほど、真っ先に逮捕すべきだろう。

Permalink |記事への反応(4) | 10:58

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anond:20251210010528

バカパヨク大学教授国会議員大手マスコミ出身者)

リプ欄や引用欄には拡散されたポストが優先表示される仕組みでも同業の批判者は出てきませんけど…

まさか拡散もされない有象無象良識的なリベラルとか言ってるんですか

Permalink |記事への反応(1) | 01:11

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2025-12-09

ガクテンソクの漫才は話し方はそこまで関西を感じないけど(当方関西人のため他地方の方からするとばりばりやんけと感じるかもしれないが)話の進め方が関西っぽいなと思った。

東京吉本所属宝塚兵庫出身でなるほどなど。

Permalink |記事への反応(0) | 00:38

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2025-12-08

anond:20251208213019

あーね生活保護民が被差別部落出身者の家庭の暮らしっぷりを訊いて嫉妬するやーつ的な〜

Permalink |記事への反応(0) | 21:34

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anond:20251208204725

巨大団地出身千葉を語るなよ…

普通に考えて、巨大団地なんてなんもなかったとこにしかできないだろ

自分出自を恨め

まあ来世はちゃん文化資本のある家に生まれたいわ。

今生で出自関係なく自分の力で手に入れられるものは割と手に入れた気がするからな。

Permalink |記事への反応(1) | 21:14

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anond:20251208205006

最初からそう書けよ

千葉がーとか言いながら、お前の巨大団地出身貧民生活愚痴じゃねーか

東京でも、高島平やら多摩ニュータウンでよくある風景だろ

Permalink |記事への反応(1) | 20:51

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anond:20251208204512

事実()

巨大団地出身が何言っても無駄だろ

Permalink |記事への反応(1) | 20:47

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