
はてなキーワード:出生前診断とは
その点、元増田や摩擦がなかったって言ってる増田達は診断を受容できてる。だから冷静で文章で見ると冷めて見えるんじゃないか?
自分は元noteの人の方がよっぽどペット的に見てると感じたよ。たまたま親がしてくれたことと自分の得意なことが合致したからいい人生を歩んで来れたんだろけど、そのやり方が子供に合致するとは限らない。
その子の様子を見て好きなことをとことんやらせてあげたいとかじゃなく、早期教育、受験…って自分の敷いたレールの上を爆走できなければ、遅かれ早かれ絶望していたのでは?
出生前診断で何かの障害がわかったらどうするつもりだったんだ?
話題の子どもが発達障害で死にたいーのやつ、私はそういう親をみると無性に腹が立つ。
学生の頃にうつ病になってから早15年。ずっと希死念慮と生まれたくなかったという気持ちがあり、反出生主義に近い思想を持つ私にとっては、浅はかな考えで出産して辛い死にたいやってる人間を心底軽蔑している。
出産は「障害や病気、事故等子どもが不幸になる可能性を認識しながら、そうならない事を祈って、自分の幸せのために他人の人生を賭ける」行為だと思っていて、確実に一定数賭けに負ける子どもがいるなら、ガチャ自体回すべきではないというのが私の道徳である。特に情報で溢れる現代、知らなかった、思いも寄らなかったは通用しない。
よく聞く「何で私が」「どうしてこの子が」というのも、私やこの子以外ならいいと思えてならない。だって確実に誰かは不幸になるのだから。
特にnoteの「障害児を持つ勇気がなかったから出生前診断したのに」「子どもには苦しい思いや悲しい思いをしてほしくない」という内容は浅はか過ぎるとしか言いようがない。
親は子どもを幸せにすべきなんて思ってはいない。なぜなら親ごときが子どもの幸不幸をコントロールなんてできないからだ。
自分の無力さを痛感したのなら、さっさと「例えあなたが不幸になっても私はあなたを産んで幸せだ」と開き直って言えるくらい幸せになってくれ。
中学生のとき、全校集会で障害者の方の話を聞く機会があったのだが、そのときの
「あなた方のうち何人かの子どもは障害を持って生まれてきます」という話が忘れられない。
当時は自分が結婚して子どもを持つイメージができなかったので、確率的にいえばそうだろうなくらいの感想であったが、いざ自分が40手前で結婚して、妊娠を考えるようになってから、やたらとこのときの話を思い出すようになった。
女性が35歳を過ぎると子がダウン症となる確率が高くなることは既知のとおりである。
自分がいざ妊娠したとき、出生前診断については相当迷った。しかし、ちょうど岸田奈美氏原作のドラマがやっていた頃で、ダウン症の役者さんの演技を見て、自分の子がダウン症だったとして、中絶を選べるのか…と思ったこともあり、結局しなかった。
何があってもこの子を産むんだと思ったはいいが、妊娠中エコーを撮る時は、鼻が平らじゃないか、首の後ろにむくみがないかめちゃくちゃ気になったし、心臓に異常がないか、オプションの心エコーを撮ってもらったりした。
切迫早産で入院したときには、低体重で生まれて障害が残ったりしないかめちゃくちゃ不安だった。(絶対安静で暇すぎて、コウノドリをドラマも含めて見過ぎたこともある)
正産期になって退院して、絶対安静が解けたあとも、もしお産にトラブルがあったらとか、胎動が急に止まったら、と思って、胎動カウントばかりしていた。
結局お産は大したトラブルなく、子どもも健康に生まれたのだが、今度は子どもに発達障害がないか気になった。首がすわった日、寝返りできた日、一人立ちをした日…標準の範囲内であることを確認しては、安堵してしまっていた。
1歳6ヶ月健診のとき、言葉は出ているけど、黙々と物を並べるのが好きなのが気になりますと言ったら、児童心理士さんの面談を受けてみますか、と言われ、どうせならと受けてみたことがある。
子どもは人見知りするタイプなのでかなり緊張していたが、遮蔽物を横切るミニカーを目で追えるか、などの簡単なテストをしたあと、心理士さんは「少し人前が苦手なところはあるとは思うけど、今のところ気になるところはなく困りごとななければそれでいいし、お母さんが気になることがあったら今後も相談してもいいですよ」というようなことを断定を避けるようなかたちで言ってくださった。
まあ、自分自身も人前は苦手なタイプだし、黙々と一人で遊ぶのが好きだったしな、と合点がいった。誰にだって苦手はあるし、私や夫が苦手なことと、子どもが苦手なことは、同じかもしれないし、違うかもしれない。今のところ困りごとはないし、これから困りごとがあったらそのとき対処したらいいか、と少しそこからは気持ちが楽になった。
そんな自分だから、件のnoteを書いた方の気持ちは少しわかる。自分の子が発達障害だとしたら、自分も本を読み漁ってしまうだろうし。
子どもに障害がもしあったら早めに対処してあげたいと思う気持ちと、障害がなくてよかったと思う気持ちは表裏一体で、時にそれは当事者からはグロテスクに見えるかもしれない。
自分や家族もいつ病気や事故で障害を負うことになるかはわからないし、障害者を差別する意図はないが、それでも、自分や家族に障害がないことを祈ってしまうのは人間の業だなと、件のnoteを読んでつらつらと考えてしまった。
ちなみに冒頭の「あなた方のうち何人かは障害者を産む」というのはあくまで話の枕で、その講演でその人が言いたかったのは障害者はありふれた存在である、ということだった思うが、話の枕が衝撃過ぎて内容を思い出せないのが悔やまれるところである。
ダウン症の子は35歳で約350分の1くらいの確率、40歳で100分の1位の確率で生まれるので正直それほど多くはない。
出生前診断受けても発達は弾けないのが怖すぎる。発達に問題ある人知ってるけど20も半ばなのに「あのね、」「エーッ」と子供みたいな話し方しててキッツイし、他責思考で性格ありえん悪くて話しちゃいけない事を口からすぐ出して周りの人怒らせてるのに本人気づかないし、子供これだったら発狂する。https://t.co/7LluysDDEE— 宵 (@KzvzKu)November 28, 2025
えー、もあのねも友達には言ってたわ
望まない妊娠も中絶も少ないのが理想だが仕方ない状況が多すぎる
レイプも根絶できてないし
望まない妊娠をした妊婦の不安がないくらいサポートしてる所はほぼ無いし
そこら辺の支援や問題の解決を分けて考えようとする中絶反対派は母体の人権を無視してて話にならない
人権無視して問題解決なんて方法でいいなら世の中の問題は大概解決できるわな
その点妊婦を保護し内密出産にこうのとりのゆりかごまで用意して胎児も守る中絶反対派の慈恵病院はガチ
みんな寄付した方がいい
精子を無駄死にさせ出産まで体に負担はなく子供の責任からも妊娠中のパートナーのサポートからも簡単に逃れられる立場だから生まれる疑問だな
悪阻も妊娠も出産も産後の体もとりあえず産んどけとは言えないくらい負担が大きい
赤ちゃんの健康の為にありとあらゆる我慢をするのも覚悟があってこそ
逆に母体から取り出してもギリ生きられるサイズになると中絶はできなくなる
望まない妊娠も中絶も少ないのが理想だが仕方ない状況が多すぎる
レイプも根絶できてないし
望まない妊娠をした妊婦の不安がないくらいサポートしてる所はほぼ無いし
そこら辺の支援や問題の解決を分けて考えようとする中絶反対派は母体の人権を無視してて話にならない
人権無視して問題解決なんて方法でいいなら世の中の問題は大概解決できるわな
その点妊婦を保護し内密出産にこうのとりのゆりかごまで用意して胎児も守る中絶反対派の慈恵病院はガチ
みんな寄付した方がいい
強いて理由を後付してみると、
恋人とのイチャイチャタイムが少なくなる。1人増えるわけだから、2人きりの時間はなくなっちゃう。
出産によって死ぬ可能性があるのは嫌。(今の医療なら稀だとは思うが)
もし、出生前診断で異常があったとして、堕ろすか堕ろさないか判断できないと思う。
自分が生きていくのがやっとなのに、子供のお世話まで出来ない。
子供をつくるということは、自分たちの介護を押し付けることになり、無責任。
(ただ子供がうるさくても気にならない。保育園の近くで育ったから)
もともと欲しいと思っていないのに、こんだけのデメリットがあったら、子供を作ろうとは思わないかなって感じ。
子供が欲しいという人は、これらの理由を上回る子供が欲しいと言う気持ちがあるんだと思う。
で、ここからが本題で、
同じように子供を欲しいと思っていないパートナーを見つけることはできる気がしない。
好きな人が出来ても、将来子供が欲しいと言っていたら、付き合ってもいいのか考えてしまう。
まあ配偶者になることと、恋人になることは切り分けるべきであることはわかっているんだけど。
ゴール(結婚)が出来ないのがわかっているのに付き合うのは、相手にとって時間を無駄にしてしまうのではないかと思っちゃう。
以下、それぞれについて現代の人類がどれだけ離れてしまったかを述べる
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見えない程度に薄れた毛に代わって
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身体が頑張って保温・放熱しなくてもいいように外部装置が整備されている
少し暑ければ冷房 少し寒ければ即暖
自律的な恒温性は退化し、室温センサーと家電が人間の体温調節を肩代わりしている
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今では出産は手術室で行われることも多く、帝王切開は特別な選択ではなくなった
胎内で育ち、産道を通って出てくるというかつての「当たり前」は
生まれるという営みは、自然現象ではなく医療行為として取り扱われるようになった
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つまり