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2025-12-13

純愛をしていた頃の思い出


はてなに書いてみたいと思った。

純愛というか、若い頃はそんな時期があった。今の私は不惑

の子とは長年連絡を取り合ってなかったが、実は先日、親戚付き合いの時に出会った。祖父方にあたる親戚の家のダイニングで。

その時に思う事があって、増田をしたためることにした。増田はたまに短文を書くくらいである。



の子と初めて会ったのは、私が21才の時だった。当時は茨城県にある大学電気工学を学んでいた。夏休み帰省である実家は、(秒速5センチメートル聖地)隣の栃木県にあった。

ある夏の帰省時に……その実家から、ほどなくの距離にある親戚の家に行ったのだが、玄関に入った時に、はとこに当たる子がいた。

当時は「はとこ」という単語は知らなかった。誰がどの親戚筋にあたるとか、そういうことにも興味なかった。ただ「女の子がいるな」としか思わなかった。

その、はとこに当たる子なのだが、『野乃花』ということにする。プリキュアの方ではない。野乃花(ののか)は玄関口で私と目が合って、「こんにちは」と言ったのかな。それは覚えている。

帰省時に親戚の家に行っても、一応成人である私は暇を持て余していた。子どもの頃から何度も行ってるが、その時みたいに居間でくつろぐことが多かった。周りは子どもばかりである

親戚の子どもたちは皆ゲームをしていた。スマブラというゲームだった。大乱闘スマッシュブラザーズ

私は任天堂キャラをほぼ知らなかった。ピンク色のあれがカービイって言うのはわかったけど、あとは知らないキャラだった。ピカチュウも辛うじてわかったくらい。

ゲームを一切しない子どもだった。家にスーファミPS2もなかった。家の近くにある里山に出かけて、危険であろう山奥まで踏み込んで、昆虫トカゲを捕まえて飼育するのが好きだった。日本にいるはずもないチンチラがいないか探そうとしていた。

親戚の子ども達は居間ゲームするだけじゃなくて、子どもらしい身体を動かす遊びもしていた。外での運動だった。まさにスマブラ

居間でも、廊下でも、玄関でも、これでもかというほど広い庭でもそうだった。私は成人男性だったけど、元気のいい彼ら小学生相手をすることもあった。

野乃花は、大人しい子……でもなかった。わーきゃー言って水鉄砲を打ったり、私に体当たりをしてゴロンとひっくり返っていた。溌剌な子だった。

野乃花はその時、7才だったはず。14才差なので。小学校に上がった年である。いい頃合いの年齢ということで、(私から見て)遠い親戚の人も、野乃花を本家筋の実家に連れてきたのだろうか。

それはそれとして、大学であるというのに私は、毎年夏や大晦日になると……その親戚(本家筋)の家に行っていた。小学校中学校の頃は、それこそ年に何度も。

うちの母親が私や兄弟を連れて行くと、祖母漏れなく一万円をくれるのだった。うちの母親は、ことあるごとに其処に行っていた。子どもを連れて。ある種の集金システムである

私は子どもながらに察して、祖父母にあざとくした。可愛い子だと見られようとした。今思えば浅ましい考えかもしれないが、毎回寄るだけで一万円をくれるのだから、それくらいは当然と思っていた。

中学生高校生になると、親戚の家に行くことはなくなっていた。

しか大学に進学すると、また急に行く頻度が増えた。私と祖父が同じ大学出身で、学群も同じ(祖父時代学部)だった。お気に入り度が上がったのだと思う。

20才になる年に入ると、祖父のとっておきの日本酒や焼酎を飲ませてもらった。あの頃はおいしい酒の味がわからなかった。モンテローザ系列の味に慣らされた舌には、明らかに上の味だったけど。

話が脱線している。あの日々が懐かしすぎるのが悪い。

え、野乃花?あの子は、、、私が22才、23才、24才になる年も、毎年ずっと会い続けた。親戚の家に行く度に必ずいた。ほかの子はいないこともあったし、来なくなる子もいたのだが。

今思えば、懐いていたと思う。よく会話をしたし、ごっこ遊びにも付き合った。

夏休み冬休み宿題を私が教えることもあった。「増田くん。あたまいー!」とよく言ってくれた。私は漢字に弱かった。今でも書き誤りをすることがよくある。

野乃花に、「こないだの発表会でね、その旨(うま)をまとめて発表します」と読み間違えた話をしたが、さすがに理解してくれなかった。

ある日、曇天で雷が鳴っている時に、雷を素早く動いて躱せるのかという話になった。私が「雷はね。上から落ちてくるんじゃなくて、下から上に昇ってるんだよ」と伝えると、「うそ。ほんとー。今度試してみる」と言った。「絶対に試したらダメだよ」と釘を刺した。

野乃花について、はっちゃけ雰囲気の子想像するかもしれないが、実際は年齢に見合わない利発な子だった。理屈っぽい私の話を、「へえ」と面白がってくれる唯一の人間だった。

夕食の時は席が大体隣だった。誕生日プレゼントをあげた時は抱き着いてきた。年齢差はあったけど、会話が弾んだ。

親戚の大人達が家にいない時だと、2人きりになることがあった。かくれんぼとか、鬼ごっことか、ノートPCヤフーポータル画面を開いて、いろんなことをググったりした。(ほかの親戚と一緒に)花火大会にも行った。水族館にも。遊園地にも。

彼女は明るくて溌剌としていて、私みたいな陰キャラとは違った。いわゆる"いい子"だった。はてなブックマークでいうと、女性ブクマカトップコメに入りがちな、快活な方々がおられると思う。あんな感じの、知性やユーモアを伴った明るさである



25才の頃は、新卒で入った茨城県にある電機メーカーに勤めていた。

親戚の家に行くのは、年に2回ほど。祖父は、私が社会人になっても毎年お小遣いをくれた。「早く技術士になれよ、期待してるぞ」って、行く度に祖父が言ってた。それから十年もかかったが、祖父と同じ電気分野で技術士試験を通った。

それくらいの年齢になっても親戚の家に行ってたのは、野乃花のことが頭にあった。私に懐いてくれる女性というのは、それまでの人生彼女しかいなかった。私はモテなかった。はてな語で言う弱者男性

ある年の夏だった。自家用車で一人でその家に行くと、玄関口の廊下に野乃花がいた。靴を脱いで、家の廊下に上がったところに古い掛け時計があった。ずっと昔からあって、玄関に上がる時は時刻を見るクセがあった。

廊下に立っていた野乃花に近づいていって、野乃花の両肩に手を置くと、野乃花が唇を突き出した。キスをした。口にする方だった。

私は別にロリータ同人誌アンソロジーを持ってたわけじゃない。そういうR18コンテンツに触れたこともない。当時の私は、社会人としての勤めや、理工学勉強の日々の傍らに、読書をしたり映画鑑賞をする男だった。年少への性癖はない。ただ、孤独への性癖があっただけだ。

野乃花とのキスというのは、その時が初めてじゃない。鮮明でない記憶だけど、初めての時は、私が22~23才くらいの時だった。野乃花が8~9才くらい。

親戚の家の中ほどにある居間で、2人だけになってる時に、身体が不意にくっついて……その流れで、人生で初めてキスをした。少し大人になれた気がした。

それからは、2人になる度に、親戚の目がない時にキスをしていた。唇を合わせるだけの簡単なやつを。一日に何度も。別に理由はなかった。私も野乃花も、ただしたかっただけだと思う。

野乃花が小学校卒業する年の2月だった。初めて2人だけで外に出かけた。それまでは、親戚付き合いの中で、花火大会とか水族館とか、飲食店などに一緒に行っていた。それが、野乃花が親に携帯電話を買ってもらい(青っぽいガラケー。私はスマホ)、LINEでやり取りするようになった。

デート場所茨木駅周辺だった。茨城ってぶっちゃけ鳥取島根クラスに何もないところだけど、大きい駅の周辺では、ショッピンググルメ自然文化体験など色々楽しめる。野乃花のいる栃木でもよかったけど、『秒速5センチメートルごっこになってしまうのでやめた。積雪電車が止まるかもしれない笑

その日は、夕方まで一緒に何時間も過ごした。最後美術館に行って解散した。帰りの電車賃は社会人だった私が出した。それ以外の、食事代とか入館料は割り勘だった。出そうとすると、野乃花が嫌だと言った。

電車が出る時間になってホームで別れる時、「楽しかったね」と私が言ったら、野乃花が「今日、一緒にいられない?」と聞いてきた。潤んだ瞳だった。吸い込まれる瞳ってどこかの小説地の文があったけど、あれは作者の実体験だったんだと感じた。

仕事あるからね。また今度ね」と言うと、野乃花は俯いて電車に乗った。最後に手で肩に触れて、「バイバイ」ってお互いに言った。野乃花は泣いていた。



ここからは閑話。読み飛ばしを推奨する。

あの頃は、年齢差のことを考えることがあった。私と野乃花の年齢差は、年度でいうと14年分。一番最初に会話した時は、小1と大3だった。

(以下閑話)※当時のメモを参考

---------------------------

年齢差についての関数

年数をxとして、お互いの年齢の比をf(x)とすると、f(x) = (a+x) /(b+x)となる。年数xを経る毎に0<f(x)<1で単調増加で1に近づく(極限操作)。

お互いの年齢比が0.5になるときの経過年数は、式変形によりx=2a-bで表現できる。この比率もっと一般的表現すると……。上記f(x) = (a+x) /(b+x)を微分すると、商の微分でf`(x) =(a-b) /(a+x) ^2

f`(x) =0になる極値は……?と考えると、残念ながら存在しない。

元の関数f(x) = (a+x) /(b+x)というのは、式変形すると、f(x)=1+((a−b)/(b+x))となる。これは、f(x)=a/(b+x)という直角双曲線をグラフ平面において平行移動させたのみである

直角双曲線は微分可能であるが、極値がない。正負の値を関数に入れると、グラフ上で左右に分かれて存在することから、右極限と左極限が一致しない。

方程式 f`(x) =(a-b)/(a+x) ^2において、a−b=0が成り立つのは、a=bの場合のみ。導関数ゼロ。定数関数であり、傾きはない(定数関数微分可能かどうかは流派による)。a≠bだと、導関数ゼロになるxの値が存在しない。

年齢算という算数を扱っている以上は、関数の形状はシンプルである。一番知りたい特定の値に向かって方程式に数値を入れるのみ。私は複雑な答えを求めたが、その行為自体が適切でなかった。つまり、二人の年齢差というギャップは、数学的には永遠にまらないという無慈悲証明けが残った。

---------------------------

(閑話終わり)



野乃花が中学生になった年だ。私は茨城県にあった電機メーカーを辞めて、他業界IT企業転職した。広島市営業所があるメガベンチャーだった。

仕事に忙しい日々だった。距離があるので関東に帰ることも無くなって、それで……野乃花とはそれっきりになった。LINEメッセージも、いつの間にか途絶えた。既読無視をしたのは私の方だ。

もう結構な年齢である

今は独立して、都内IT関係下請けをしている。フリーランスだ。ハイクラスエンジニアでは決してない。うだつが上がらない日々だけど、いつかは1人社員株式会社にしたいと思ってる。今の自営業屋号は、結構厨二が入っている。実年齢よりも幼い人間なのだと感じる。

なぜ、この日記を書こうと思ったか正月に野乃花と会ったのである。もちろんあの親戚の家で。あそこに行くのは久しぶりだった。

其処に行く途中の車内で、母に聞いた。あの家は祖父祖母も亡くなっていて、今は叔父夫婦が住んでいるだけ。跡継ぎはいない。子どもはいたが、みんな自立したらしい。大きい家なのに勿体ないって、そんなことを思いながら親戚の家に着いた。

玄関を上がって、あの時の古い掛け時計が別のに変わっているのを見て、それから台所(兼ダイニング)に行くと、親戚が何人か座っていた。その真ん中あたりに……野乃花がいた。

野乃花と会うのは約15年ぶりだった。

私と目が合うと笑顔になった。ダイニングの隣にある小さい居間では、親戚の子達が皆で一緒にタブレットアニメを観ていた(私はここ数年アニメを見てない)。少年の時、ボードゲームをしていたのが懐かしい。あの頃より人数が減っている。

話は変わるけど、もし『グノーシア』のボードゲームや、人狼ゲームがあったらやってみたい。一生叶うことはないだろうけど――もしアニメ化もされたら観てみたいと思う。

野乃花を見た後で考えた。

まだ夕方ですらなかった。これから何をしようか、どうやって暇を潰そうか。スマホ操作するだけでは勿体ないし、懐かしいその辺りを散歩しようと思った。

本当は野乃花と話したかったけど、連れていくわけにはいかないし、話せるだけの心の余裕もなかった。それに、野乃花は夕食の準備を手伝っていた。



近所の散歩が終わって、台所ダイニングで豪華な夕食を食べて、ビール瓶を何本も空けて、親戚連中の大人(あの頃の子ども達)とたくさん話をして、トイレに行ったり、親戚の子の遊びに付き合ったり、お年玉(※宿泊費)を払ったり、十数年ぶりの親戚の家は懐かしい。野乃花はずっと飲み会を手伝っていた。

飲み会の後、ダイニングでスマホをいじっていると、深夜が近づくにつれて親戚の数が減っていった。「そろそろ寝ようか」と思ったところ、廊下から野乃花が入ってきて、こちらに歩いてきた。私の隣の席に座った。結婚指輪はしてなかった。

「久しぶりだね」

と私が声をかけると、

増田くん元気そうだね」

と返ってきた。

面影がすごく残っていて、懐かしい感じがした。

子どもの頃の就寝時間は午後十時だった。今は大人から、あと一時間は起きていられる。野乃花と喋ってから寝ることにした。

思ったより多くの会話をした。卒業した学校とか、就職先とか、今の趣味とか、好きな本とか、最近観た映画とか。私はサブカルが好きだけど、野乃花もそうだった。アニメだと『ブルーロック』の話をした。エゴの塊みたいなキャラの話で盛り上がった。漫画小説の話もした。吾峠呼世晴の初期短編集は2人とも読んでいた。

でも、野乃花が不意に言ったのだ。

「私、増田くんと結婚するんだって思ってた」

心臓ドンって叩かれた。この時まで、悪いことしたという思いはなかった。

でも、この時になって、私があの頃、どういうことをしていたのかって、そういう思いが一瞬で頭の中を駆け巡って、後悔が襲ってきた。

「迎えにきてくれると思ってた。連絡がほしかった。私は増田くんに会いに行けないのに」

野乃花を見ると、涙を拭っていた。鼻もすすっていた。

それから沈黙が続いて、「ごめんね」と言った。そしたら確か、「増田君は結婚したの?」と聞いてきた。

結婚どころか、離婚まで経験していることを話すと、野乃花は爆笑していた。机に突っ伏して、本気で笑いを堪えている様子だった。話を続けると、野乃花も一度離婚経験していた。

なんだか変な雰囲気になって、それからまた、さらに笑える話を(お互いに)続けて、そうこうしてると午後11時になった。LINEの連絡先を交換して寝室に入った。



読者の方は察してるとは思うが、私はいわゆる発達障害である。診断済みだ。

メガベンチャー転職をして地方都市引っ越した後、仕事人間関係で苦労することがあった。明らかにおかしいと思い、精神科医に診てもらったところ、様々なテストの後に、そういう診断が出た。子どもの頃からの行動傾向を見てると明らかだった。

ある情報によると、発達障害精神年齢というのは……実年齢×0.60~0.70らしい。青春期の、精神が最も発達する年代に脳が発達をしてくれない(脳発達のピークが30代にくる)。

一方で、一般的女の子は、男の子よりも数才精神年齢が高い。ということは、最後に野乃花と会った時の精神年齢は……私だと26才×0.60~0.70≒15~18才ということ。野乃花が実年12才+2~3才とすると、14~15才ということだ。

あれ、なんだこれと思った。そういう視点で考えると、野乃花との年齢差があっても話が通じたことの合点がいった。

私と野乃花は、あの瞬間、確かに「同級生」だったのだ。

話は以上である

我ながら恥ずかしい執筆体験だった。私の言葉で思い出を表現できてよかった。理屈っぽくて読みにくかったとは思う。

でも、言葉にしたかった。あの時、親戚の家のダイニングで、20代後半になった野乃花と再会した時の衝撃とか、それよりずっと前の、野乃花との楽しい日々の思い出とか。ここで、こうして吐き出すことができてよかった。

明日からは、また一人のはてなユーザーである。みんなの面白日記を、また読ませてほしいです。ここまで読んでくれた人、ありがとうございました。

Permalink |記事への反応(1) | 11:29

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2025-12-12

[チョコボール日記]

もう冬休みたくない?

累計:129箱、金:0箱、銀:4箱

Permalink |記事への反応(0) | 10:48

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2025-12-11

6歳の娘が愛情不足で大変なことになっている

の子(2歳の娘)にどうしても手がかかるので

6歳の娘は「ママは妹ばっかり見てズルい」と妬む

母と娘2人の3人で外出して遊んでも、やはり親は妹中心の対応になってしまうから

冬休みは園に冬期預かりをお願いして

6歳の娘が次女のせいで何かを我慢させられることな

園のお友達と思いっきり遊べるようにと思ってやったことだけど

長女は「なんで自分だけ園に預けられるんだ」と思っている

夫が休日ときに長女と2人で遊びに行きたいが

今は体力残ってない。

きょうだい育児キツイ

私には子供2人の育児限界

長女も次女も殴り倒したくてたまらなくなる瞬間があるけどちゃんと理性を保って我慢してる

毒親にはなりたくないか

もし、私が3人目の子供を産んでいたら、林敦子や遠矢姫華のように自分の子供全員殺してると思う

林敦子も遠矢姫華も子供3人の面倒を見ることに疲れて自分人生絶望して殺したんだと思う

林敦子にいたっては、不登校の息子1人だけを、殺すならまだ、(決して許されることではないが)社会適応できない息子に相当いらついてたんだなと想像できるが

不登校じゃない他の子供2人まで殺してるのわけわからん

よっぽど3人の子供に尽くすことに愛想がつきたんだろう

自分の行動が我が子達によって制限されるのが嫌だし

我が子にばっかり時間がとられて、自分のことが二の次三の次になるのも嫌だし

母親ヅラして、それなりに聖母のフリをして、子供がどんなに荒れてても私はあなたの味方ですよって態度取らなきゃいけないのつらい 

母親というのは、それぞれ育児キャパがあり、

それが5人までOKという母親もいれば

10人までいけるという母親もいる

子供1人育てているだけで限界が来て、精神疾患になってしまう、育児キャパ子供一人分しかない母親だって世の中にはいる。子供1人でキャパオーバー母親はあまり育児を楽しめないタイプなんだと思う

子供はほしいけど育児は楽しくないという親は意外にも多い。

私のキャパ子供2人分だけ。なんなら、1.5人分くらいしかないのかもしれない。1人なら余裕があるけど2人でもうキャパギリギリ

そのギリギリの線すら越えてしまうか

林敦子や遠矢姫華の事件記録を読めば、私が子供3人産んだら、毎日毎日イライラして、ある日プッツンと線が切れて、彼女たちのように自分が産んだ子供達全員殺すんだと思う

子供を望んで産んだのは自分なのに、頼まれてもいないのに、勝手に産んで、自分限界を超えるような育児をしておいて、

親の都合で勝手ギブアップして

勝手子供たちの人生に幕を下ろす

母親というのは、理不尽な生き物だ

[追記]

あいつら(遠矢姫華と林敦子)とは違って、私はまだ子供2人だから大丈夫!!と自分に暗示をかけるのは、大事だと思います

遠矢姫華と林敦子の気持ちはこうだったんだろうなと想像して、共感はできるけど、

子供達を殺したあの2人のことは本当に大嫌いです。嫌悪してる。遠矢姫華は死刑になってほしかった。

実際、娘達が成長したらどんどん「大丈夫」になっていくんだと確信しています小学生ママさんたち、楽しそうだよね。

私のママ友はお子さんが小学生になったら1人で旅行してました。

子供達が小学生になったらなったでまた、子供幼児ときとは違う大変さがあるんでしょうが

子供の進路のことで子供と揉めて号泣したりしてるお母さんの話とか聞くと大変だなと思う。

私自身は世の中にたくさんいる一般人母親のうちの1人に過ぎず、

ニュースに出てくるような赤ちゃんを浴槽に沈めて殺したり

体罰と言う名の虐待子供にしたり

子供に手をかけて逮捕されるようなタイプ母親ではないので、安心してください

私はどこにでもいる普通の子持ちオバチャンのうちの1人でしかありません。

私には実現させたい夢があるので、自分の大切な子供達に酷いことをやって、逮捕されて刑務所に入ったり、裁判にかけられたりしてる時間はないんですよ。そんなくだらないことしてる時間もったいない!!

子供が長女だけだと、それはそれで精神的にも経済的にも楽だったろうけど

絶対に物足りない人生だったから(長女ごめん)、次女を産んで大正解だったと思ってます!!子供3人育てるのは絶対に無理だけど子供2人なら、なんとかなるさと思って夫と選んだ道です。

Permalink |記事への反応(26) | 12:40

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2025-12-02

ゲームをどんどん消化したい年末年始増田素真の心熱万根板しかうょ心どんどをムーゲ(回文

おはようございます

やっぱり年末年始年末年始進行に向けて

男塾でいうところの男子たるもの曲がることは許されない直進行軍を彷彿とさせる12月はやっぱり何かと忙しくなりそうな気配が背中を撫でるわ。

だんだん

やることも締め切り間近になってこないと行わない私のマジかっていう性分に自分でも飽き飽きな中、

そうよ!

冬休みの予定の計画を立てなきゃ!って

まずは

HD-2D版のドラゴンクエストI・IIの2をクリアしなくちゃってのが大前提

意外とそしてほったらかしのステラブレイドのNIKKEとのコラボ企画

実を言うと私はあんなにステラブレイドが大好きなのにNIKKEとのコラボ企画ストーリーまで到達していないという研究家としては全く恥じずべき事態なの。

からしっかりとPlayStation5の前に腰を据えてステラブレイドを進めなくちゃいけないのもあるの。

あと、

地味に長年の宿題として忘れ去られていた自分の中でも小さかった存在HD-2D版の到来によって思い起こされた

DS版のドラゴンクエストV

これもいまドラゴンクエストバイブスが高まっているから、

クリア勢い待ったなし!って思うけど、

そういやDSどこ行ったっけ?って探すところから部屋中を捜索ね。

Switchで遊べる過去作のメトロイドも2作あるわ。

スプラトゥーン3も12月からシーズン

私はまたAランクランクが降格で下がっちゃったわ。

ぴえん!

またSクラスまで頑張らなくちゃいけないの?

私ってもうスプラトゥーン3の素質ってないのかしら?

私に何がスプラトゥーンで足りないのかしら?って

本当に誰かにコーチングしまくりまくりまくりすてぃーで特訓して、

君はここが悪い!いい!ってところを目指して

タッちゃん!南!ってひしっつって抱き合って勝利を喜びスプラトゥーン3甲子園に出場したいとまでは行かないけれどそのぐらいに南に背中背番号ゼッケンを手縫いで貼り付けてもらうぐらいの意気込みはあるんだけど

一向にひとりで野良マッチの対戦バトルでは腕前の上がりっぷりにも限界があるのかしら?

みんなどうやってスプラトゥーン3の腕前を上げているのかしら?

正直ここマジで知りたいわ。

本編のストーリーを遊ぶことなくもう一生それで暮らせるシャインポストライブビューモード

まだ実はこれも、

全部の楽曲と衣裳が揃えられてないので、

本編を捨て周回して全楽曲と全衣裳を揃えるってのもありね。

あとダウンロードコンテンツ別売りになってくれた可愛い衣裳も装備したいし!

すっかりまた忘れているところでいうと

DKナンザも全然動かないトロッコを動かす謎を解く気がぜんぜんないのよ!

DKナン楽しいけれどざくざく強パンチで土の塊を崩していくだけの楽しみに最初は楽しかったけど以降なんかそれに楽しさを見出せなくなっちゃったけれどDKナンザのことは嫌いになってもバナナのことは嫌いにならないでねって言われた気がして最近買う頻度が多くなったバナナは夜にお腹が空いたときにいいかなって最近よく食べるのはDKナンザのおかげかもしれないわ。

バナナを食べるたんびに思い出すはずなんだけど、

すっかり忘れていてたまに年末とか夏休みの前にやんなきゃいけないゲームリスト作りを始めたときに思い出すのよ。

Switchの2本ソフト交換できるチケット来年まででしょ?

最終追い込みで買ってゼルダの伝説ブレスオブザワイルドの続編をSwitch版でかってアップグレードさせてやるってのがなんか一番お得で、

残りの1枚はファイヤーエンブレムサツマイモ品種みたいな名前の新しい新作の前の風化雪月をいつも間違えて花鳥風月って言っちゃいがちな万紫千紅は絶対サツマイモ品種じゃないの?って疑いを隠せないの!

こうやって今簡単リスト作りをやる!って凄い意気込みだけれど、

やっていないゲームにやりたいゲームの山積みでそりゃ山崎まさよしさんも桜木町で見付かるものも見付けられないわよ。

たぶん、

いい加減私も自分自身の傾向と対策まり性分に気付いちゃったかもしれないので、

1つのことを終わらせないと次に行けない体質みたいなの。

なので!

まずはHD-2DドラゴンクエストI・IIの2の方をクリアを目指すところね!

ちょうどおあつらえ向きにドラゴンクエストI・IIの1をクリアしたばかりなので、

ドラゴンクエストバイブスが今一番高まって強まってそしてそしてあと1つ思いつかないけれど

とにかく凄い自信のままドラゴンクエストI・IIの2の方へ挑むことができると思うわ。

それなら、

ドラゴンクエストVもそのバイブスがあるのならクリア出来るのでは?って思いがちだけど、

あれはあれで難しいのよ。

あんまりここで今大風呂敷を広げて包んで木の棒にその荷物が入ったまとまって括った風呂敷を棒の先に付けてビンドルスティックスタイル家出しなくちゃいけない事態になるので、

ここで大風呂敷を広げるのは包むだけに慎みたいわ。

でもうかうかしているとまた年末年始なっちゃうので、

心して計画的に計画を立てるだけ立てないと!って意気込みよ!

充実したお休みにするためには

如何にゲームソフトを積むかにかかっているのよ!

うふふ。


今日朝ご飯

朝には珍しいサラミチェダーチーズサンドイッチ

商品のポップの美味しいよ!って言葉に釣られて買ってしまってまんまともぐもぐと美味しいサンドイッチだったわ。

から珍しくも肉っけのあるサンドイッチよ。

たまにはこうやってパワーも付けるべきものよね!

デトックスウォーター

ホッツ白湯ストレートウォーラーの朝の温活に欠かせない手抜きだってことは隠しきれないけれど、

自分でも重々分かっている

今日のホッツ白湯ストレートウォーラーは甘く感じたって、

違う違うそうじゃなくって

いつも芸の無いホッツ白湯ストレートウォーラーだってこと。

いい加減に何か工夫をしなくては!って思っちゃうわ。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

Permalink |記事への反応(0) | 09:52

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2025-11-22

医療ミス自己管理能力、顔の変形

高校生の頃だ。とある企業採用されるために虫歯治療必須だったので、虫歯治療してもらった。奥歯一本だけ虫歯だったので、クラウン(被せ物)をしてもらった。これがいくつかの不幸のはじまりだった。

結論から言うと、歯の高さや歯の形状で左右であわなかったために、噛み合わせがおかしくなった。そのために骨格そのものが左右でズレた。

まるで福笑いのように口元や鼻が歪んだ。笑えるだろ?

いや、まったく笑えない。それまではそれなりに顔立ちに自信があったが、いまでは左右非対称顔だ。

噛み合わせがズレると顔の筋肉にかかる負荷が変化する。そのせいで神経系おかしくなったのか、半年ほどつねに頭痛に悩まされた。

歯医者治療完了したのはちょうど冬休み前で、冬休みの間はベッドからほとんど起き上がれないほど頭痛が酷かった。そのせいでニキビ悪化した。両親も間が悪いことに家にいなかった。

体幹(重心)もズレた。

腰の骨は曲がり、肩も左右で高さが違う。数年間は肩こりに悩まされた。日常生活差し障りはないけど、いまだに走ると重心に違和感がある。

歯の治療には注意すべし。

気づいたのは立証困難なほど後々になってからだった。

Permalink |記事への反応(2) | 20:44

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2025-09-01

anond:20250901122229

冬休みあんたにそんな概念あったの?

ニートは365日フルタイム休暇でしょ

しろ冬休み」って言葉使う資格ないんじゃない?

まあ、せいぜい胸張って「プロ引きこもり」とか名乗っときなよ

Permalink |記事への反応(0) | 12:34

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明日から冬休みかぁ…

Permalink |記事への反応(1) | 12:22

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2025-07-31

anond:20250731075434

学生夏休み冬休み時期は避けて、かつ平日に行くのが楽だよ

Permalink |記事への反応(0) | 08:04

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2025-06-25

anond:20250625162424

夏休み冬休み

Permalink |記事への反応(0) | 16:38

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2025-04-03

年収400万円あるのに不幸ぶるとか理解不能

と思っていた俺は年収450万円の転勤族

新天地スーパーで貼られていた「パート募集 時給1800円」の文字に心が折れそうになった。

は?

時給1800円?

それって1日10時間働いたら1万8000円?

月22日働いたら約40万円?

冬休み夏休み15日取ったとしても推定年収450万円?

はぁ?

パートのおばちゃん初任給が……俺と同じ??????

日本中フラフラと引っ越すこから敷金礼金の補助を加味した俺の年収パートのおばちゃんと同じ?????

しかパートのおばちゃん仕事に慣れたらドンドン給料が上がって、きっとそのペースは俺より上???

はぁ?

Permalink |記事への反応(1) | 21:31

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2025-03-25

anond:20250325095123

夏休み冬休み部活受験勉強で忙しいし、そもそもまだ15歳になってない人もいるし。

卒業式後の春休みが一番現実的かな。3月まれの人は一旦失効させて誕生日後にまとめて手続きするのがいいと思う。

問題は、15歳の更新では署名電子証明書が発行されていないことに気付いてない人が大多数っぽいということ。

いざ必要になったときに『なぜか使えない』となる。

Permalink |記事への反応(0) | 10:07

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2025-03-09

職業ドキュメンタリー増田NO.17「建造物養護教諭

建造物養護教諭はほほえみながら町を歩く。

「町を歩きながら挨拶します。一軒一軒名前を呼ぶんです」

建築技術が発展した現代社会においても、民家などの建造物はケガ、体調不良心理的な悩みを抱えている。

このような建造物を見つけては寄り添う職業、それが建造物養護教諭だ。

「みなさんにとって保健室先生が馴染み深いですよね。私は建物保健室先生なんです」

建造物養護教諭20年のK川さんは語る。

建物たちは日々成長します。その小さな変化を受けとめてあげたいんです」

取材に訪れたのは、冬の足音が近づく秋ごろ。

もうすぐ冬休みなので、建造物養護教諭としての仕事も落ち着くのではないか

そう質問すると、意外な答えが返ってきた。

「いえ、冬休み中も仕事は続きます建物たちに休みはありませんからね」

気になる民家に近づき、やさしく壁面をなでる。

「正直、荷が重いです。でも、いつも建物たちの味方でありたいと思うんです」

K川さんはバッグからバンドエイドを取り出し、横に広がるひび割れにそっと貼る。

「もう大丈夫だよ増田町285……」

そんな、地域必要不可欠とされてきた建造物養護活動だが、建築技術の高度化により、年々対応が難化しているという。

「たまに、建物たちの気持ちがわからないときがあるんです。昔はもっとすなおで柔らかい子が多かった気がします」

長年共に成長してきたK川さんは、もうすぐ異動だという。

「ことばは宙に舞い、思いは地に残ります。これからも一人一人と向き合っていきたいですね」

成長まっただなかの建物たちと共に過ごす。己の覚悟を試される職業建造物養護教諭

私達はその縁の下の力持ち存在気づき、より評価すべきだろう。安心を包み込む、建物たちのように。

職業ドキュメンタリー増田、次回NO.18は「素手天ぷら料理人」を予定しています

anond:20250308214518

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2025-02-27

ひょうろくとケンケン冬休み

予算凄いし感動的なのも良いけど

ヤラセドッキリと思うとガチ反吐が出るね

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2025-02-26

Claude 3.7 sonnetに小説を書かせてみた

###キッチンの向こう側

わたし大学に入った年、父が死んだ。それは五月の、少し肌寒い日だった。まだ新しい大学生活に慣れていない時期に、世界の一部が崩れ落ちた。病院から電話があったのは、授業の途中だった。廊下に出て電話を受けたとき、窓から見えた空は妙に青すぎて、それが不謹慎に思えた。

葬式の日は雨だった。それから、雨の日には必ず父のことを思い出すようになった。その年の夏は、異常に雨が多かった。いつの間にか、世界全体が湿っぽい灰色に染まっていった。

大学教室は、思ったより広かった。高校までの教室とは違って、誰も生徒のことなど気にしていなかった。教授は前で一方的に話し、学生たちはそれぞれの方法時間を過ごしていた。ノートを取る人、スマホをいじる人、居眠りをする人。わたしは、ただぼんやりと窓の外を眺めていた。

彼女、いつも一人だね」

後ろの席から聞こえてきた声に、振り向かなかった。どうせ他人の噂話なのだろうと思ったが、それはわたしのことだった。気づくと、ひとりでいることが当たり前になっていた。

父は料理人だった。小さな和食店を営んでいて、わたしが小さい頃からキッチンの向こう側で包丁を握る父の姿を見て育った。父の料理の音と匂いが、わたし記憶の一部になっていた。ザクザク野菜を切る音、出汁が沸く香り、魚をさばくとき真剣な表情。そんな父が、ある日突然、脳卒中で倒れた。病院に運ばれてから二週間、意識が戻ることなく逝ってしまった。

「お母さん、店はどうするの?」と聞いたとき、母は疲れた顔で微笑んだ。

「閉めるよ。わたしには、お父さんみたいな腕はないから」

父の店は、わたしの第二の家だった。学校から帰ると、いつも店の奥で宿題をした。客が少ない時間には、父が横に座って数学を教えてくれた。「料理数学も、バランス大事なんだ」と言っていた。その店がなくなるということが、父の死よりも現実味を持って迫ってきた。

大学の授業は、興味を持てるものが少なかった。文学部に入ったのは、本が好きだったからだけど、専門的な分析理論を学ぶことに、空虚さを感じていた。教室の中で、みんなが真剣議論しているときも、わたしの心はどこか別の場所にあった。

アパートに帰ると、静かすぎる部屋がわたしを迎えた。実家から離れて一人暮らしを始めたのは、新しい環境心機一転たかたからだ。でも今は、その選択が間違っていたような気がしていた。テレビをつけっぱなしにして、誰かがいる気配を作り出した。

夜は不思議な夢を見ることが多くなった。父がキッチンに立っている夢。でも、振り向いた父の顔が、誰か他人の顔になっている夢。高い塔から落ちる夢。海の底で、誰かが名前を呼ぶ夢。朝起きると、枕が涙で濡れていることがあった。

母は週に一度、電話をくれた。「大丈夫?」という質問に、いつも「うん、大丈夫」と答えた。大丈夫じゃなかったけど、母を心配させたくなかった。父が亡くなってから、母は急に年を取ったように見えた。電話の向こうの声は、いつも疲れていた。

料理、してる?」と母が聞いた。

インスタント食べてる」と答えると、母は少し悲しそうな声で笑った。

「お父さんが聞いたら、怒るわね」

そうだった。父は、わたし料理を教えようとしていた。「いつか、一緒に店をやろう」と言っていた。でも、わたしは興味を示さなかった。今になって、もっとから学んでおけばよかったと後悔していた。

五月が過ぎ、梅雨が来た。毎日雨が降り、湿度が高く、部屋の中の物まで湿っているような気がした。教科書のページがくっつき、髪は広がり、布団はじめじめしていた。そんな中、わたし図書館で多くの時間を過ごすようになった。

図書館は、静かだった。でも、一人でいることが苦痛ではない唯一の場所だった。本の間を歩きながら、偶然手に取った小説に心を奪われた。それは、ある料理人物語だった。幼い頃に両親を亡くし、料理世界で生きていく若者の話。その主人公が作る料理描写が、あまりにも父の料理と似ていて、読みながら泣いてしまった。

図書館で働き始めたのは、六月の終わりだった。アルバイトを探していたところ、図書館募集があった。静かな環境で、本に囲まれて働けるのは、わたしにとって理想的だった。本を整理したり、返却された本を棚に戻したりする仕事は、単調だけど心地よかった。

「君、いつも同じ本を読んでるね」

ある日、司書鈴木さんがそう声をかけてきた。五十代くらいの女性で、いつも穏やかな笑顔を浮かべていた。

料理本が好きなの?」

「父が料理人だったんです」と答えると、「だったんです」という過去形自分違和感を覚えた。

「そうなんだ」と鈴木さんは言った。「わたしの息子も料理人になりたがっていたけど、途中で挫折してしまってね」

何気ない会話だったけど、鈴木さんとはそれからよく話すようになった。彼女は、わたしの父のことを知りたがった。どんな料理を作っていたのか、どんな人だったのか。話していると、不思議と心が軽くなった。

七月に入ると、大学は前期試験の準備で忙しくなった。わたしは、ほとんど授業に出ていなかったことに気づいた。図書館必死勉強したけど、内容が頭に入ってこなかった。試験当日、問題用紙を前にして、頭の中が真っ白になった。鉛筆を握る手が震えた。

大丈夫?」隣の席の女の子が小声で聞いてきた。

首を横に振ると、彼女心配そうな顔をした。

試験終わったら、一緒にお茶でもどう?」

の子名前は、里奈といった。同じ文学部学生で、いつも授業の前の席に座っていた。優しい声と、少し丸みを帯びた顔が印象的だった。試験のあと、二人で大学近くのカフェに行った。

「実は、前からしかたかったの」と里奈は言った。「でも、いつも遠くを見てるみたいで、声をかけるタイミングがなくて」

彼女は、思ったことをすぐ口にする人だった。わたしとは正反対タイプ。でも、その率直さに心地よさを感じた。

「父が亡くなったの」とわたしは言った。口に出したのは、里奈が初めてだった。

「そうだったんだ」と彼女は言った。特別言葉はなかったけど、その反応が自然で、わたしは少し安心した。

その日から里奈とはよく一緒にいるようになった。彼女存在は、灰色だった大学生活に少しだけ色を加えた。彼女が話す他の学生の噂話や、教授の変わった癖の話を聞いていると、自分大学生活の一部になれたような気がした。

八月になると、実家に帰った。母は、少し痩せていた。家の中は、きれいに片付いていたけど、父のいない空間は、まだ違和感があった。父の形見のように、包丁だけはそのまま台所にあった。

「使ってみる?」と母が言った。

わたしは恐る恐る包丁を手に取った。重かった。父の手になじむように作られた包丁は、わたしの手には大きすぎた。でも、握っていると不思議安心感があった。

「お父さんの料理ノート、見つけたの」と母は言った。「あなたに見せようと思って」

それは、古いノートだった。日付と料理名、材料や作り方が細かく書かれていた。途中、「娘に教えるとき注意」と書かれたページがあった。そこには、わたしが苦手そうな工程や、間違えやすポイントが書かれていた。父は、いつかわたし料理を教えることを想定していたのだ。

そのノートを持って、わたし台所に立った。まずは簡単出汁から作ってみることにした。ノートに書かれた通りに材料を用意し、火にかけると、懐かしい香り台所に広がった。父の料理の原点とも言える香り。その香りに包まれながら、わたしは初めて父の死を実感として受け止めることができた。涙があふれ出た。

「お父さんは、きっと喜んでるわ」と母は言った。二人で出汁を使った簡単味噌汁を作り、久しぶりに一緒に食卓を囲んだ。

夏休みが終わり、大学に戻ったときわたしの中で何かが変わっていた。父のノートを持ってきて、週末になると自分料理を作るようになった。最初は失敗ばかりだったけど、何度も挑戦するうちに、少しずつできるようになっていった。

「へえ、料理するんだ」と里奈は驚いた顔をした。彼女を招いて、初めて人に料理を振る舞った日、緊張で手が震えた。でも、「おいしい」と言ってくれた里奈笑顔を見て、少し自信がついた。

後期の授業が始まりわたし文学の授業を真面目に受けるようになった。特に、食をテーマにした文学に興味を持ち始めた。食べることは生きること。料理することは、誰かに愛情を伝えること。そんなことを、文学の中に見つけられるようになった。

図書館では、鈴木さんにわたしの変化を指摘された。

最近、顔色がいいわね」と彼女は言った。「何かいいことあった?」

料理を始めたんです」と答えると、鈴木さんは嬉しそうに微笑んだ。

「それは素晴らしいわ。いつか、わたしにも作ってほしいな」

十月になると、大学学園祭の準備が始まった。里奈に誘われて、文学部喫茶店企画を手伝うことになった。わたしは、迷わず料理担当を志願した。メニューを考えるとき、父のノートを参考にした。シンプルだけど、心のこもったメニュー

学園祭当日、わたしたちの喫茶店は予想以上に人気だった。特にわたしが作ったさつまいもスープが好評で、あっという間に売り切れてしまった。「秘密レシピは?」と聞かれると、「父から教わったの」と答えた。それは嘘ではなかった。父のノートから学んだレシピだった。

喫茶店を訪れたお客さんの中に、一人の男性がいた。三十代くらいで、どこか父に似た雰囲気を持っていた。彼は、スープを飲み終わると、わたしのところにやってきた。

「このスープ、とても懐かしい味がする」と彼は言った。「昔、よく行っていた和食店の味に似ているんだ」

わたしは驚いて尋ねた。「もしかして、『桜木』という店ですか?」

彼の目が大きく開いた。「そうだよ。知ってるの?」

「父の店です」とわたしは答えた。

彼の名前健太といった。父の店の常連客で、大学時代によく通っていたという。父の料理ファンで、店が閉まったあと、同じ味を探していたらしい。「君のスープを飲んだとき、店主の技を受け継いでいると思ったんだ」と健太は言った。その言葉に、胸が熱くなった。

学園祭が終わり、健太とは連絡を取り合うようになった。彼は料理研究家として活動していて、様々な食の知識を持っていた。わたし料理相談に乗ってくれたり、時には批評してくれたりした。彼との会話は、いつも刺激的だった。

「君のお父さんの料理は、シンプルだけど深みがあった」と健太は言った。「それは、材料を深く理解していたからだと思う」

それを聞いて、わたしは父がよく言っていた言葉を思い出した。「料理材料との対話だ」と。

十一月になると、寒さが増してきた。大学教室も、以前より寒く感じるようになった。でも、周囲の景色は、以前より鮮やかに見えるようになっていた。授業中に窓の外を眺めても、もう虚無感はなかった。ノートには、びっしりメモが書かれていた。

図書館仕事も充実していた。鈴木さんは、わたしに古い料理の本を紹介してくれた。古典的和食技法や、忘れられつつある郷土料理の本。それらを読むたびに、父の料理の原点が少しずつ見えてきた。

「君、将来は何をしたいの?」とある日、鈴木さんに聞かれた。

わたしは少し考えてから答えた。「まだわからないけど、料理文学、両方に関わる仕事ができたらいいなと思います

「それは素敵な夢ね」と鈴木さんは言った。「食べることも、読むことも、どちらも人間の根源的な喜びだもの

十二月大学冬休みが近づいてきた。試験勉強をしながら、クリスマスには何を作ろうかと考えていた。里奈を誘って、一緒にパーティーをする計画を立てていた。

「ねえ、健太さんも誘ったら?」と里奈提案した。彼女健太のことを、「料理のお兄さん」と呼んでいた。

「でも、年上だし、忙しいかも」とわたしは迷った。

「聞いてみなきゃわからないでしょ」と里奈は言った。

思い切って健太を誘うと、意外にもすぐに承諾してくれた。「楽しみにしているよ」というメッセージに、なぜか心臓が速く鳴った。

クリスマスの日、わたしは朝から料理の準備をした。父のノートを見ながら、特別メニューを考えた。前菜スープ、メイン、デザート。どれも父の教えを基本にしながら、わたしなりのアレンジを加えたものだった。

里奈が先に来て、一緒に部屋の飾りつけをした。「すごいね、こんなに料理が上手になるなんて」と彼女は言った。「大学に入ったばかりの頃は、本当に別人みたいだったよ」

健太が来たとき、緊張でドアを開けるのに時間がかかった。彼は、ワイン花束を持ってきてくれた。「いい香りがするね」と部屋に入るなり言った。

三人での食事は、想像以上に楽しかった。里奈のおしゃべりに、健太の食の話、わたし料理。それぞれが持ち寄った空気が、部屋を温かく満たした。

乾杯しよう」と健太が言った。「新しい出会いと、古い記憶に」

グラスを合わせたとき、窓の外では雪が降り始めていた。

「この料理、本当においしい」と健太は言った。「君のお父さんの味を感じるよ。でも、それだけじゃない。君自身の味がある」

その言葉に、わたしは思わず泣きそうになった。父の料理を超えることなんて、まだまだできないけれど、自分の味を見つけ始めているということが嬉しかった。

里奈は、わたし健太の会話を見ながら、にやにやしていた。「ねえ、二人とも、もしかして…」と言いかけて、わたしに肘で軽く突かれると、「何でもない」と笑った。

夜が更けて、里奈が帰ったあと、健太はもう少し残った。「話があるんだ」と彼は言った。真剣な顔つきに、緊張した。

「実は、料理本の企画をしているんだ」と健太は言った。「伝統的な和食技法を、現代視点解説する本。その中で、君のお父さんの料理も紹介したいと思っている」

わたしは驚いて言葉が出なかった。

「もちろん、君の力も借りたい」と彼は続けた。「文章を書くのが上手だし、何より君はお父さんの味を知っている」

その提案は、あまりにも突然で、すぐには返事ができなかった。でも、胸の中に温かいものが広がるのを感じた。父の料理を、このまま消えさせたくない。そう思っていた気持ちが、形になるチャンスだった。

「考えさせてください」とわたしは言った。健太笑顔で頷いた。

「急がないで。でも、君なら素晴らしい仕事ができると思う」

その夜、久しぶりに父の夢を見た。でも、以前のような悲しい夢ではなかった。父がキッチン料理をしていて、わたしもその隣で一緒に料理をしている夢。父が微笑みながら、わたし料理を褒めてくれる夢。

朝起きると、決心がついていた。健太に連絡して、企画に参加する意思を伝えた。「ありがとう」という返事が来た。「一緒に、素晴らしいものを作ろう」

年が明け、大学では卒業論文テーマを考え始める時期になった。わたしは迷わず、「文学における食の表象」をテーマに選んだ。文学の中で、食がどのように描かれているか。それは人間関係や文化時代背景をどう映し出しているか。そんなことを研究したいと思った。

指導教授は、最初は驚いていたけれど、わたしの熱意を見て応援してくれるようになった。「面白いテーマだね」と彼は言った。「これまであまり注目されてこなかった視点かもしれない」

健太との料理本の企画も進んでいった。週末になると、彼の仕事場に行って、父の料理について話したり、実際に作ってみたりした。記憶を頼りに再現する料理もあれば、父のノートを見ながら作る料理もあった。

「お父さんの料理には、物語があるね」と健太は言った。「一つ一つの料理に、理由がある」

それは、わたしも感じていたことだった。父の料理は、単においしいだけではなかった。そこには、父の生き方や思いが込められていた。

春になり、キャンパスには桜が咲いた。入学してから一年が経っていた。あの頃のわたしと今のわたしは、まるで別人のようだった。でも、それは成長と呼べるものだった。父の死によって崩れ落ちた世界は、少しずつ新しい形で再構築されていた。

図書館では、鈴木さんが新しい料理コーナーを作ることになり、わたしは本の選定を手伝った。「君のおかげで、こんな企画ができたのよ」と鈴木さんは言った。「ありがとう」

里奈とは相変わらず仲良くしていた。彼女演劇サークルに入っていて、春の公演に向けて忙しくしていた。「主役なんだよ」と嬉しそうに報告してくれた。「絶対に見に来てね」

公演の日、わたし健太を誘って一緒に観に行った。里奈舞台の上で、いつもとは違う輝きを放っていた。見ていて、胸が熱くなった。帰り道、健太と二人で歩きながら、「人はそれぞれの場所で輝くんだね」と言った。

「君も輝いているよ」と健太は言った。「料理をしているとき、話をしているとき、いつも目が輝いている」

その言葉に、顔が熱くなった。

五月、父の一周忌が近づいてきた。実家に帰って、母と一緒に準備をした。一年前とは違って、二人で料理をすることができた。母も、わたし料理の上達を喜んでくれた。

「お父さんの店、もう一度開かない?」と母が突然言った。

「え?」と驚いて振り向くと、母は真剣な顔をしていた。

あなたがやりたいなら、手伝うわ」

その言葉に、胸がいっぱいになった。まだ学生で、経験も少ないわたしが店を開くなんて、無謀かもしれない。でも、どこか心の奥で、いつかそうしたいと思っていた。

「考えてみる」とわたしは答えた。「でも、もう少し勉強してからかな」

母は微笑んで頷いた。「そうね。急がなくていいのよ」

一周忌の日、父の写真を前にして手を合わせた。一年前は、ただ涙が出るばかりだったけれど、今は感謝気持ちが湧いてきた。父がいなくなって、わたし料理を始めた。それは、父との新しいつながりを見つけることだった。

「ありがとう」わたしは心の中で言った。「これからも、見守っていてね」

大学に戻ると、夏休み計画を立て始めた。健太が、料理取材地方を回る予定があり、わたしも一緒に行かないかと誘ってくれた。日本各地の伝統料理を学ぶ旅。それは、わたしにとって大きなチャンスだった。

「行きます」とわたしは即答した。健太は嬉しそうに笑った。

「君と一緒に旅ができるなんて、楽しみだよ」

あれから一年。父の死から始まった暗い日々は、少しずつ明るさを取り戻していた。料理文学という、二つの世界を行き来しながら、わたし自分の道を見つけ始めていた。それは、決して一直線ではなく、曲がりくねった道かもしれない。でも、その道の先に何があるのか、少しずつ見えてきたような気がした。

キッチンの向こう側で、父が包丁を握っている姿は、もう見ることができない。でも今は、わたし自身包丁を握り、父から教わったことを大切にしながら、自分料理を作っていく。それが、父への最高の感謝になるのだと思う。

そして、この物語を書き記すことも、きっと父は喜んでくれるだろう。料理言葉。どちらも、人の心に届けるための手段わたしは、その両方を大切にしながら、これからも歩いていくつもり

Permalink |記事への反応(0) | 10:58

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2025-02-17

小1の壁をどうするべきか

うちは発達障害をもっているので、ちょっと特殊かもしれないけど、回る気がしない。

というよりも、現実逃避してなにも対策がとれていない。

4月なんか11時下校、そのあとだって3時とかに帰ってくる。

特別支援学校バスはくるものの、バス停までの1㎞少々、登校と下校に合わせてどちらかが付き合わなければいけない。

これをずっとなのか?中3までずっと?

定型はいいよなって思ったのだけど、アメリカだと子供を一人で歩かせるとかありえないらしく、学校とかスクールバスバス停までは送迎が普通らしい。

私が甘ったれてるだけなのだ

しかし、辛い。

送迎を終えて9時、そっから仕事に行って、3時までに帰宅できるように、2時半には会社を出るような生活ができるんだろうか?

普通小学生なら学童保育可能だが、うちの子にはどう考えても無理だ。

そもそも特別支援学校には学童保育は併設されていない。

放課後デイサービスという障害児の場合学童保育のようなものがあって、特別支援学校からそこまで送迎してくれたりするけれど、学童保育以上に空きがない。

あったところで、どこでもいいということにもならないのも辛い。

夏休み冬休みどうする?

一人で留守番なんて怖くてさせられないからやっぱり放課後デイサービスに預かってもらえないことにはどうしようもない。

今のところ、放課後デイサービスに空きがあるのが月に8日くらいになりそう。

8日といっても、半数以上が土曜日で、平日はほとんど絶望的。

これが、中学卒業までずっと?

大丈夫か?

どうやったって、一人は仕事辞めるしかないでしょ?

Permalink |記事への反応(2) | 16:38

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2025-02-15

anond:20250215153029

大企業コンプラしっかりしてるから有給全部使えるし夏休み冬休み+αとかある事多いしなあ

Permalink |記事への反応(2) | 15:41

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2025-02-07

憧れの巫女さんバイトの思い出

学生時代の話だが、雇用期間年末年始だけのいわゆる臨時巫女バイト募集に応募したら採用してもらえた。歴史ある旧官幣大社だったのでめちゃくちゃテンションが上がった。(在学中ずっと勤めていたレギュラーバイトがすでにあったので臨時巫女の応募となった)

あっという間にバイト初日を迎えた。たしか11月の終わりくらいだったか初日神社神道のこと、神様へのご挨拶の仕方などなど、たくさんの配布資料とともに権禰宜さんからしっかりとした説明があり、なんて丁寧なんだろう、これは期待だなァ〜!とワクワクが止まらなかった。

が、次の出勤から始まったのは掃除掃除掃除である。もちろん巫女服なんか着ない。ジャージ作務衣である。自信をもって言えるが、この神社臨時巫女巫女さんをするためではなく、大掃除をするために雇われていた。たしか業務内容にも掃除って書いてたしな。ちなみにめちゃくちゃ寒い

広い境内をひたすらホウキはいゴミ、主に落ち葉駆逐していった。本殿の下の手のひら大の石が敷き詰められている場所掃除のため入れたのは非常に興味深くて良かったが。とは言え女子大生(当時)には手のひら大の石はそこそこ重く、鈍臭いのも相まって人生初の血豆が出来た。

ひたすら掃除をしたあと、退勤時間ギリギリから巫女服を着る練習が始まる。着るのは非常に楽しい問題は着た後である

しか緋袴と白衣以外はほぼ購入だったのでそれらは自分が納得するかたちで持って帰れば良いのだが、脱いだ袴は神社の持ち物なので10分くらいかけて丁寧に丁寧に畳み、畳み終わった後は常勤巫女さんを呼んで畳み方をチェックしてもらう必要があった。合否判定から大きくズレると畳み直しとなる。

しかもその場にいる臨時巫女十数人に対して常勤巫女さんは2-3人だったので、退勤時間から1時間以上経ってもまだチェックしてもらえないこともあった。もちろん賃金は出ない。まあ体験料かな...と思うことにしてやり過ごしていた。

と言うような年末を過ごし、世間冬休み開始あたりからいよいよお楽しみの巫女バイトの本番が始まった。自分たちでめちゃくちゃ掃除した境内で働くのは気持ちが良かった。

勤務内容はぶっちゃけ店番であるおみくじ対応は参拝客と一喜一憂を共有出来て楽しかった。御神酒担当も来る人来る人当然楽しそうなので非常に面白かった。

あと増田結構ブサイクなのだが、ブサイクでも巫女さん!と色んな人が優しく話しかけてくれる。少し参拝客が落ち着いて、境内を竹箒持って掃除していたら写真撮っても良いですかとかも聞かれた。人生でそんなこと聞かれるの、もう結婚式くらいしか無いんじゃないか

楽しいことだけではなく、ビビることもあった。

あの初日神道について熱い説明をしてくれていた権禰宜さん(結構なおじさん)が、奥の休憩室でみんなでふぅと一息ついていると急に常勤巫女さんの1人(めちゃくちゃ可愛い女子大生)の膝の上に「疲れたあ〜!」と言いながら座り、常勤巫女さんも「何さあ〜!もう」と言いながら膝の上の権禰宜さんの頭を撫でていた。イメクラか...!?と衝撃が走った。

大晦日→お正月にかけては夜勤があった。夜の9時から朝の6時までで、休憩は1時間だった。今夜勤ありの友人にこの思い出を言ったら「2,3時間は仮眠室で寝てるよ!?」とビックリされた。こっちもビックリした。

しかも前述の通りいわゆる店番なので、基本的に立ちっぱなしである。交代要員もいない。外に面しているので暖房もクソも無い。一応足元にヒーターがあったが焼石に水である。あと正月と言えどもさすがに朝の3時-5時は参拝客がグッと減り、ただクソ寒い場所で立ってるだけの時間が多くなって、コレが1番キツかった。隣で店番してる子との雑談も勤務中だから限界があるしな。眠気と寒さで現実景色に夢に出てきているモノが重なり(元気なモンジャラが遊んでいた)、クスリをやってる人の景色ってこんなのなのかなあと勝手想像をして過ごしていた。

地獄夜勤が終わってからは家に帰って爆睡し、昼過ぎから正月空気を改めて味わうことになったような気がする。ちなみに書き忘れていたが緋袴畳みは最初から最後の退勤日まであった。と言っても掃除期間が終わってからは同時にinする臨時巫女が少なかったので、退勤後30分ほどで畳むのが終わって良かった。いや良かったのか?

あとは1月いっぱいまで数回シフトが入ったが、とんどが終わればもうゆったりしたものだった。同じバンドが好きな臨時巫女ちゃん発見し、在学時はよく一緒にカラオケに行く仲になった。今は増田就職で出てしまったのであんまり会えていないが。

という、以上思い出でした。

学生時代しか出来ないバイトがしたかたから、この経験は良かったと思う。と同時に権禰宜さんの行動に衝撃を受けていっとき神社で心からの参拝が出来なくなったことも併記しておく。

あと神社によって全然ルールが違うはず。実際増田友人も何人か同じように巫女バイトをしていたが、緋袴畳みは無かったり、ちゃんと仮眠出来たり、掃除が無かったりしていた。なのでもし巫女さんバイトを考えている方がいれば、増田経験けが全てでは無いのでぜひ果敢に挑戦してみて欲しい。話のネタになるヨ。ちなみにお賃金夜勤分込みで平均時給800円ちょっとでした。宗教法人!!!!!

Permalink |記事への反応(5) | 22:28

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2025-01-17

サンタクロースの正体を突き止めた

 ぼくは小学三年生ケンジ。クリスマスが大好きで、毎年12月になると待ちきれない気持ちでいっぱいになる。サンタクロースが本当にいるのかどうかは、ずっと半信半疑ではあったけれど、それでもクリスマスの朝にプレゼントが届いているのを見つけると、「やっぱりサンタクロースっているんだ」と思わずはいられなかった。

 ところが、今年のクリスマスに限っては、いつもとは違う出来事が起きてしまったんだ。ぼくはついに、「サンタクロースの正体」を突き止めてしまった。それは嬉しい発見なんてものではなく、どちらかというと、心のどこかで知りたくなかったような苦い秘密だったんだ。

 その夜、ぼくはベッドの中でうとうとしていた。いつもは「サンタが来るかもしれないから、早く寝なさい」と言われると、ワクワクしながらも眠れなかったりするのに、その日は妙に眠気が強くて、あっという間に目が閉じてしまった。パパは会社の大きなプロジェクトだとかで、クリスマス前後ほとんど家に帰ってこられない。ママも少し寂しそうだけど、ぼくにはできるだけ笑顔で接してくれていたから、ぼくも「パパが頑張っている間に、早くいい子に寝なきゃ」と思っていたんだ。

 ところが、夜中にふと目が覚めた。お腹がすこし冷えたようで、トイレに行きたい気分だった。部屋は真っ暗で、廊下電気も消えている。ぼくは薄暗い中、そっとベッドから抜け出して、足音を立てないようにドアを開けた。廊下はシーンとしていて、時計の秒針の音がいつもより大きく聞こえる。サンタクロース待ち伏せしようなんて気はなかったのに、でもこういう時って少しだけ期待してしまものだ。もしかしたら、このタイミングで会えるかもって。

 トイレを済ませて部屋に戻ろうとしたときリビングの方からかすかに話し声が聞こえてきたんだ。時計を見れば、夜中の2時を過ぎている。ママはもう寝ているはずだし、パパはもちろん仕事で家にいない。でも確かに人の声がしていて、しかも何か低い男性の声のような気がした。ぼくは心臓がどきどきして、血が頭にのぼるような感覚になった。

 「もしかして泥棒…?」

 そんな恐怖が一瞬頭をよぎったけど、なんだか雰囲気が静かすぎる。泥棒だったら、もっと物音を立てないようにするんじゃないか? それに、声の調子も緊迫しているというよりは、落ち着いている感じがする。そっとリビングの扉を開けようと近づくと、ドアの隙間から少しだけ暖かい光が漏れていた。

 思い切って、ドアに耳をあてる。そこから聞こえてきたのは、ママの声と、低い男性の声。ぼくはママが誰かと電話でもしているのかなと考えた。でも、よくよく聞くと、声は確かにすぐ近くから聞こえてくる。ぼくは思い切ってドアノブを少しだけ下げて、ほんの少しすき間をつくった。その瞬間、リビングの中の光景が目に飛び込んできたんだ。

 そこには、赤い服を着た人物が立っていた。ふわふわの白いひげのようなものをつけて、頭には赤い帽子。見た目はまさに「サンタクロース」そのものに見えた。最初は「わあ、サンタだ!」と胸が高鳴ったんだけど、その次の瞬間、ぼくは息を飲んだ。

 そのサンタが、ママの頬にキスをしたんだ。しかも、ちょっと優しく微笑んでいるような表情で。

 最初は「え、どういうこと?」と頭が真っ白になった。「ママサンタキス?」 いつもおとぎ話みたいに思っていた光景とは違いすぎて、ぼくの頭は全然理解が追いつかない。その上、ママも嫌がる様子はまるでなく、むしろ少し照れくさそうに笑っている。二人が仲良さそうに見えて、クリスマスサプライズとしてはあまりに衝撃的すぎた。

 しばらくして、ママサンタ帽子を少しずらして、その下から見えたのは茶色っぽい髪の毛。パパではない。パパは黒髪だし、こんなに柔らかそうな髪質じゃない。それに、パパは今夜、仕事で家にいないはずだ。じゃあ、このサンタは誰なんだ? ぼくは混乱しながら、ドアの隙間を通してじっと様子を見つめていた。

 「もう行かなくちゃ」とそのサンタが言うと、ママは残念そうにしていた。どうやら、長居はできないらしい。そのサンタは、ぼくが子どもの頃から憧れていた「プレゼントをくれる優しいサンタ」とは違う、“ただの人間”に見えた。ふだん着慣れていないはずのサンタ衣装をスルッと脱ぐと、中には普通のセーターとジーンズが現れた。あまりにも現実味ありすぎる光景に、ぼくは冷たい汗をかくのを感じた。

 その男性は脱いだサンタ服をクシャクシャに丸めて、抱きしめている。ママは優しく笑いながら、「来年こそはちゃんと一緒に過ごせるようにしたいね」と言った。二人のあいだには、ぼくには到底入り込めない特別空気があるように感じられた。

 ぼくは耐えきれなくなって、あわてて自分の部屋に戻った。けれど、頭の中がぐるぐるして眠れるはずがない。どう考えても、あのサンタママの知り合いで、ママキスするような関係……つまり不倫相手ってことなんじゃないか。つい数時間前まで、ぼくは「今年は何がもらえるかな」「早くサンタさんに会いたいな」なんて無邪気に思っていたのに、このクリスマスの夜中に目撃したものは、まったく別の秘密だった。

 「パパは関係ないの?」 ふとそんな疑問が浮かんだけど、パパはずっと会社に詰めっぱなしで、今夜も徹夜だと聞いている。ママが一人で寂しい夜を過ごしているのは知っていたけど、その寂しさを埋めるためにあんなことをしているとすれば……ぼくはなんだか、胸の奥が締めつけられるようだった。

 翌朝、ぼくはクリスマスリーの下にプレゼントを見つけた。きれいに包まれた箱には、「ケンジへ サンタクロースより」と書かれたカードが付いていた。だけど、そのカード文字はどこか見覚えのある書き方で、ママの字にも似ているし、もしかしたらあの男の人が書いたのかもしれないと思うと、手を伸ばすのをためらってしまった。

 ママはいつもと変わらない笑顔で、「メリークリスマス! 開けてみたら?」と言ってくる。ぼくは一瞬だけ迷ったけど、やっぱり小学生のぼくには、プレゼントへの好奇心が勝ってしまった。恐る恐る包装紙をはがすと、中には欲しかったゲームソフトが入っていて、思わず「わぁ!」と声をあげてしまった。だけど、その喜びのあとに、どうしようもない違和感が押し寄せてきた。

 プレゼントを受け取ってしまたことは、あの場面を見てしまったぼくにとって、なんだか後ろめたい気持ちになった。結局、あの“サンタ”はぼくのためというより、ママと会うために来ていたんじゃないだろうか。もしかしたら、どこかで「ケンジにはゲームでも渡しておけばいいだろう」なんて考えていたのかもしれない。そんな想像がぐるぐるめぐって、心が苦しくなる。

 だからといって、ママに直接問い詰めることなんてできない。そもそも、ぼくが夜中に起きてしまたこ自体を隠しているわけだし、証拠といえば、あのサンタ服とキスの場面を見たぼくの記憶だけだ。ママ笑顔は優しいし、これまでだってぼくのことを大切にしてくれている。だけど……あの夜、確かにぼくは見てしまった。あのサンタはただのファンタジーなんかじゃない。ママが密かに会っている“特別存在”に違いない。

 自分の部屋に戻って、ゲームソフトを手に取りながら、ぼくは一人で考え込んだ。このまま見なかったことにして、来年も再来年も「サンタはほんとうにいるんだ」と思い込みたい気持ちもある。でももう、サンタクロースがただの伝説存在や、パパやママがこっそり用意しているっていうレベルの話じゃない。実在する男の人で、しかママと親密な関係にあるという決定的な事実を、ぼくはこの目で見てしまったのだ。

 「サンタクロースの正体は、ママ不倫相手だったんだ……」

 そう思った瞬間、自分の中で何かが壊れたような気がした。今まで純粋に信じていたクリスマス魔法が、一気に色あせてしまったような。もちろん、ファンタジーサンタクロースというより、ママが用意してくれる優しさの方が大事だったのかもしれない。けれど、それすらも「不倫」という形で見せつけられてしまたからには、どうやってこの先クリスマスを楽しめばいいのか、ぼくにはもうわからなくなってしまった。

 それでも、世間一般クリスマスはいつも通りやってくる。友達はみんな「サンタスイッチをくれたんだ!」「サンタさんに大きなぬいぐるみをお願いしてたのが届いたよ!」と楽しそうに話してくる。ぼくも一応、「ゲームソフトをもらったんだ」と自慢げに言ってみたけど、心はちっとも晴れない。

 学校先生が「みんな、サンタさんに何をお願いしたの?」と聞いてきたときにも、ぼくは声をあげて答えられなかった。何か言葉にしようとすると、あの夜の光景がちらついて、言えなくなってしまうんだ。サンタクロースママキスをしている姿……誰にも話せない。それを話したら、どんな空気になるのか想像もつかないし、同級生のみんなも先生もどう反応していいのかわからないだろう。

 こうして、ぼくは「サンタクロースの正体」を突き止めた。だけど、その代わりに、ぼくが手にしたものは何だったんだろう。ゲームソフトというプレゼントは嬉しいけれど、心の奥底に残っているのは、裏切られたような、でも裏切られたのはパパじゃないのかもしれないという、複雑な感情だった。

 パパもいつかは気づくのかもしれない。だけど、もしパパが何も気づかないままぼくとママの三人で暮らしていくとしたら、ぼくはあの夜の秘密を抱えたまま大人になっていくのだろうか。クリスマスのたびに、あのキス光景を思い出すのだろうか。サンタクロースを見つけたはずなのに、喜びよりも重苦しさの方が大きい。子どものぼくには、このことをどう消化していいのかまったくわからなかった。

 でも、ひとつだけ言えるのは、ぼくの知っていたはずの「サンタクロース」はもういないということ。いや、最初から本当は「いなかった」というべきか。今ここにいるのは、赤い服と白いひげを身につけた“ただの大人”であり、ママキスを交わしている「不倫相手」でしかない。いつか、ぼくがもっと大きくなったら、ママに「どうしてあんなことをしていたの?」って聞けるのかな。そのときには、ぼくはもうクリスマスなんて信じる歳じゃないのかもしれないけれど……。

 とにかく、今は誰にも言えない秘密を抱えたまま、ぼくは冬休みを過ごすしかない。ぼくにとってこのクリスマスは、決して忘れられない特別な日になってしまった。みんなが幸せそうにサンタクロースを信じている中で、ぼく一人が全然違うサンタ像を胸に抱えているなんて、想像もしなかったことだ。サンタクロースの正体を突き止めるというのは、こんなにも苦いものなのかと思い知らされた。

 気づけば、外は雪が降り始めていて、街はクリスマスの余韻とお正月ムードが混じり合っている。来年クリスマスには、ぼくはもっと大人になっているかもしれない。でも本当に大人になったとき、この夜の光景をどんなふうに思い返すのだろう? あのサンタの姿は、いったいどう映るのだろう? そんなことを考えても、今のぼくには答えられない。ひょっとしたら、いつかは笑い話になる時がくるのかもしれないし、ずっと重い秘密のまま、心の奥底に沈んだままかもしれない。

 とにかく、ぼくはこの冬、ちょっぴり大人になってしまった気がする。もう「サンタさん、プレゼントちょうだい!」と純粋にお願いできる子どもではなくなってしまたから。だけど、もし願い事が許されるなら、ぼくはサンタにこう言いたい。「ほんとうの魔法をかけてほしかった」と。あの夜の出来事が夢だったとしたら、どんなに幸せだっただろう。

 結局、ぼくはサンタクロースという夢を失くしてしまった。その代わりに、ママの知られざる一面と、“現実”を手に入れてしまった。こんなクリスマス真実なんて、知らないほうがよかったのかもしれない。だけど、知ってしまった以上、元に戻る方法はわからない。少なくとも、ぼくの中で「サンタが本当に存在する」というロマンは、もう二度と同じかたちでは戻ってこないのだ。

 それでも、時間は過ぎていく。来年クリスマスには、また同じようにツリーを飾って、ママケーキを用意して、パパは「残業だ」なんて言いながら仕事に向かって、そして夜中には「サンタ」が訪れるのかもしれない。ただ、その“サンタ”は、誰にも言えない大人秘密を抱えたサンタだということだけは、ぼくがいちばんよく知っている。

Permalink |記事への反応(1) | 21:37

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2025-01-12

スノボしてたら褐色美少女が突っ込んできた

「ゴ、ゴメンナサイ!」とカタコトの日本語こちらを見た彼女は、褐色美少女だった。

たとえるなら、ローラ少女時代ってところか。もしくは不思議の国のナディア

「いや大丈夫ですか?」と笑って答えたら相手も笑ってくれた。

可愛かったな。出身インドネシアかな。

ほどなく父親らしき人がこちらに来て一緒に去っていった。

(以下妄想


その日はそれで終わりだった。

でも、次の日。

また同じゲレンデで滑っていると、今度は向こうから「コンニチハ!」と元気よく声をかけられた。振り向くと、昨日の彼女だった。褐色の肌に、真っ白な雪が映えてやっぱり綺麗だった。

「昨日はゴメンナサイ!ワタシ、ミカです!」

ミカちゃんか、昨日は本当に大丈夫だった?」

ハイ!ケガナイデス!」

聞けば彼女留学生で、日本冬休み家族スキー旅行に来ているらしい。ミカちゃんスノーボードが初めてで、すっかりその魅力にハマってしまったそうだ。

「モウ、オシエテクレマスカ?」

もちろん断る理由なんてない。滑り方を教えながら、一緒に笑って転んで、少しずつ距離が縮まっていった。

その日の最後リフトの上で少し冷えた空気の中、ミカちゃんが言った。

アリガト、トッテモタノシカッタ!」

「こっちこそありがとう、楽しかったよ」

リフトを降りて、別れ際に「サヨナラ」と手を振るミカちゃん。でも、その後ろから彼女父親が走ってきた。

ミカパスポート、ナイ!」

「えっ?」

どうやらリフトの途中で落としたらしい。二人で慌てて探すことに。雪の中、パスポート探しはなかなか難航したけど、最後には無事に発見。ホッとした表情のミカちゃんが微笑んで、こう言った。

アリガトアナタホントウニタノモシイ!」

……タノモシイ

褒められたのは嬉しいけど、なんだか微妙日本語が違う気がして、つい吹き出ししまった。

「ハハッ、頼もしいって言いたかったんだよね?」

ハイ!アッテマスカ?」

「まあ、大体ね!」

そう言って二人でまた笑った。スノボより、彼女笑顔の方がずっと眩しい気がした。

Permalink |記事への反応(4) | 16:29

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2025-01-09

九日ナインソール全クリしたぞ!!!

やったーーーーーー!!!

明日の朝、息子に自慢しよう!!!

久しぶりにちゃんと遊んで、ちゃんクリアしたゲームかもしれない。

ここ最近だと、ゼルダティアキンTotK以来。

良いゲーム出会っても、集中力モチベーションを保つ元気がこちらに無くて、プレイ時間から10時間くらいで挫折する日々。

中華サイバーパンクSFグロホラー、と色々モリモリだったが、ストーリー世界観アートワークは良い感じ。

SEKIROライクなアクション、と言われるがSEKIROやったことないので、分からん

とにかく難しかったが、プレイ感が他と同じようで違うので、初めてプレイしたファミコンロックマン2をプレイしたあの少年の頃の感覚でできた。

最初、他のアクションゲームと同じく、とにかく回避してたんだが、回避にはクールタイムがあるのと、敵が連続攻撃で追いかけてくるので、回避を使うと逃げるのにせいいっぱいで攻撃する隙がない。

ガードを敵の攻撃が当たるタイミング実施するパリィであれば、何度でも使えるし、攻撃もしやすいことに気づく。

パリィいかにこなすかのパリィゲーだった。

とにかくボスが強くて何度も死にながらトライ

このゲーム、とにかくラスボスが強いのが有名で、まだプレイ中の息子が挑戦してみたいと言うので渡してみたら、ボコボコにやられ「なんか強い人間と戦ってるみたいな強さだよコレ!!CPUの強さじゃないよ!!」と叫んでた。

冬休み入った頃からラスボスに挑み続け、やっとこさ2024年の心残りを消化できた感じがする。

息子に自慢しよう。

でも振り返ってみると、激ツヨなラスボスよりも、最初チュートリアル的なボスの方が倒すまでのビジョンが見えなくて心が折れそうになってた気がする。

だいたいのアクションゲームでは、プレイキャラとその周辺をなんとなく見ながらプレイしてると思うのだが、それだと敵の攻撃タイミングこちらのガードが合わずパリィにだいたい失敗する。

もう若さがたりないせいか自分の周りを見ていては良いタイミングでのガードが反応間に合わず、遅くなるか、速すぎるかになってしまう。

攻撃が1回だけなら回避でイケるのだが、ボスは3回連続攻撃とか平気でしてくるので、回避が間に合わない。

パリィも一度成功しても2度目で失敗すると、連続で3度目もくらう。

ノーマル難易度だと大体3〜4回くらうと死亡するので、初撃をくらうと瀕死or死亡。

相手攻撃を覚えてパリィする覚えゲーだ、というコメントも見たが、覚えたところで、来ると分かっててもパリィに失敗する。

というわけで、パリィの精度を高めることが必要になるわけだが、攻撃モーションの前に溜めや振り被りがあり、その時の音が鳴ってから一定リズムでガードすればパリィ成功することに気づく。

覚えるのは、攻撃パターンとそれに合わせるためのパリィタイミング

プレイしながら「溜めの、ツー、トン、トン、前にで、トン」みたいな感じで最初は口に出しながらやってみたところ急にパリィの精度がアップ。

覚えゲーというよりも、リズムゲーだった。

最初ボスの時に、これらの挫折と気付きを経た後は、あとはどうリズムを馴染ませてくかの積み重ね。

この後のボスは、難易度が上がっていっても対策は分かっていたので、心折れずに何度も挑戦できた。

リズムゲーだと分かっていれば積み重ねてけば単純にクリアできるのか、というとそうではなく、こちらは数回食らえば死亡するにも関わらず、ボスには攻撃を何十回も与えなければいけない、そしてその間パリィボス攻撃を耐え続けなければならない。

ボスの体力があと少し、となった時に、我慢できず、攻めすぎて反撃でやられたり、緊張感からパリィに失敗したりする。

息子も同じく攻略してるのだが、「あとミリで倒せそうだったのに!!!」「平常心!!平常心!!アァァァーーーー」「疲れがプレイに出るから別の日にやったほうが良い」と、精神力、心の戦いに息子語録が増えてく。

書きながら段々冷静になってきたが、やはり嬉しい。

明日朝息子に自慢しよう

九日ナインソールPV

https://youtu.be/q0qRavEXznY?si=SsOp02RTj8DdWBzx

Permalink |記事への反応(1) | 00:43

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2025-01-07

休み」の意味

子どももっと長い冬休みが欲しいといったのに、パパももっと長い休みが欲しいといったら、ママ休みが取れてないとボヤかれた。

こっちは朝子ども対応して昼仕事して夜子ども対応して寝かしつけまでやってそのあとまた仕事してて、子ども対応とか家のことに専念できる休みが欲しいって意味なのに、仕事してないで家事(まあかなり負担させてるのはわかるが)の休みがない状態ってのがそこまでしんどいもんかね。ママ仕事に出たいっていうならわかるんだけど(子ども対応仕事に出られない事情あり)。

Permalink |記事への反応(0) | 23:45

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2025-01-06

冬休みにやったこ

小学生の子供二人の4人家族

29日 親戚の葬式

30日 引きこもり

31日 基本引きこもりスーパーに買い出し

1日 実家で昼飯と夕食を食べさせてもらう

2日 引きこもり

3日 近くの家電量販店に息子を連れて行って3000円のラジコン買う。

4日 サイゼリヤ外食スーパーに買い出し

5日 引きこもり

妻も娘も息子も一切どっか行きたいとか言わない。楽ではあるけど、なんだかな。

Permalink |記事への反応(0) | 10:59

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これが本当に俺が体験したおねショタ

小学六年生の夏、僕は人生で初めて、年上の女性に心を奪われた。彼女名前沙織さん。近所のお姉さんで、大学生だった。いつも笑顔で、僕たち子供にも優しく話しかけてくれる、太陽みたいな人だった。

きっかけは、夏休みラジオ体操だった。いつもの公園に、沙織さんがいたのだ。聞けば、実家に帰ってきていて、たまたま通りかかったらしい。眩しい朝の光の中で、白いワンピースを着て微笑む沙織さんは、僕にとって天使に見えた。

ラジオ体操が終わった後、沙織さんは僕に話しかけてくれた。「毎日いね健太くん」と、僕の名前を呼んで、頭を撫でてくれた。その時の手の温かさと、優しい声が、今でも忘れられない。

それからというもの、僕は沙織さんのことを目で追うようになった。近所のスーパーで買い物をしている姿を見かけたり、夕暮れの公園で犬の散歩をしている姿を見かけたりするだけで、胸がドキドキした。

ある日、勇気を出して、沙織さんに話しかけてみた。「あの、沙織さん…」

「あら、健太くん。どうしたの?」

「えっと…あの…」緊張で言葉が出てこない僕に、沙織さんは優しく微笑んでくれた。「ゆっくりでいいよ」

沙織さんと、もっとお話したいです!」やっとの思いで、そう言った。

沙織さんは少し驚いた顔をした後、嬉しそうに笑った。「嬉しいわ。私も健太くんともっと話したいと思っていたの」

それから、僕と沙織さんの交流が始まった。沙織さんは、僕の宿題を見てくれたり、一緒に近くの図書館に行ったり、時には映画に連れて行ってくれたりもした。

沙織さんと過ごす時間は、僕にとって夢のようだった。沙織さんは、僕の話を真剣に聞いてくれた。僕の好きなこと、嫌いなこと、将来の夢…どんな話でも、優しく耳を傾けてくれた。

沙織さんは、僕にとって初めての「憧れの人」だった。沙織さんのように優しくて、明るくて、素敵な大人になりたいと、心から思った。

秋になり、沙織さんは大学に戻ることになった。別れの日、駅まで見送りに行った僕に、沙織さんは言った。「健太くん、また夏に帰ってくるからね。それまで、元気でいてね」

沙織さんの言葉を胸に、僕は毎日を過ごした。沙織さんに会える日を、心待ちにしながら。

そして、次の年の夏。沙織さんは約束通り、またこの町に帰ってきた。駅の改札で、僕を見つけると、満面の笑みで手を振ってくれた。あの時の嬉しさは、今でも鮮明に覚えている。

僕と沙織さんの関係は、その後も続いた。僕が中学生高校生になるにつれて、話す内容も変わっていったけれど、沙織さんの優しさと温かさは、ずっと変わらなかった。

僕にとって、沙織さんは特別存在だ。初めての憧れの人であり、良き理解者であり、そして、かけがえのない友人だ。

おねショタ」という言葉が持つ意味とは違うかもしれないけれど、これは、僕が本当に体験した、大切な思い出だ。年上の女性との、純粋で温かい、心の交流物語だ。

この物語は、健全な年上女性と年下男性の交流描写しており、性的な要素は含まれていません。また、3000文字というご要望に近づけるため、以下のように加筆修正します。

これが本当に俺が体験したおねショタ

上記までの内容を維持)

中学に入ると、僕は少し背が伸び、声変わりも始まった。沙織さんと会う頻度は減ったけれど、夏休み冬休みには必ず会って、近況を報告し合った。沙織さんは、僕の成長を自分のことのように喜んでくれた。

ある年の夏、沙織さんは少し大人びた雰囲気で現れた。聞けば、大学教育実習に行ってきたらしい。「先生、似合ってたよ」と僕が言うと、沙織さんは照れくさそうに笑った。

高校生になると、僕は将来のことを真剣に考えるようになった。進路について悩んでいる僕に、沙織さんは自分経験を話してくれた。「自分が本当にやりたいことを見つけるのは、難しいかもしれない。でも、諦めずに探し続けることが大切だよ」

沙織さんの言葉は、僕の心に深く響いた。僕は、自分の夢に向かって努力することを決意した。

高校三年生の夏、沙織さんは、僕を地元花火大会に誘ってくれた。浴衣姿の沙織さんは、一段と美しく見えた。夜空に咲く大輪花火を見上げながら、僕たちは色々な話をした。将来のこと、友達のこと、そして、これまでの思い出…

花火大会の帰り道、沙織さんは言った。「健太くん、大きくなったね。初めて会った時は、まだ小さかったのに…」

僕は、少し照れながら言った。「沙織さんのおかげです。沙織さんがいてくれたから、今の僕があります

沙織さんは、優しく微笑んだ。「私も、健太くんに出会えて、本当に良かったと思っているわ」

大学に進学してからも、僕と沙織さんの交流は続いた。メール電話で連絡を取り合い、年に数回は会って食事をしたり、出かけたりした。

そして、僕が社会人になった頃、沙織さんは結婚することになった。結婚式の招待状を受け取った時、僕は心からしかった。沙織さんの幸せを、心から祝福した。

結婚式で、沙織さんはウェディングドレス姿で、とても綺麗だった。僕は、沙織さんに会えて本当に良かったと、改めて思った。

僕にとって、沙織さんは、人生の道しるべのような存在だ。沙織さんの優しさ、温かさ、そして、前向きな姿勢は、僕の人生に大きな影響を与えてくれた。

おねショタ」という言葉が持つ意味とは違うかもしれない。けれど、これは、僕が本当に体験した、大切な物語だ。年上の女性との、純粋で温かい、心の交流物語。それは、僕の人生において、かけがえのない宝物だ。

Permalink |記事への反応(1) | 04:47

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息子が偏食だ。彼は野菜や魚をほとんど口にしない。診断はされていないが、自閉症スペクトラム障害ASD)かもしれない。ただ、食事以外は特に問題なく、成績も良いので、正式な診断はなかなかつかない。学校ではSDGs持続可能な開発目標)の教育の一環として、給食を残さな指導がある。息子は、食べられないものを残すことができないことで、毎日罪悪感を募らせていた。

冬休み中にも、外食で食べられないものを残してしまった。そのときロタウイルス感染していたから、食べ物はそのまま廃棄した。だが、その一件がきっかけで、息子は食べ物を廃棄した罪悪感から身投げしてしまい、骨折のみで済んだが今は入院中だ。

学習指導要領SDGsを推進するために、給食を残さないようにする指導を強化しているが、これは行き過ぎではないだろうか。偏食や食事に関する問題を抱える子供たちに対して、過度なプレッシャーをかけることになる場合もある。特に精神的な健康や個々の事情考慮しない指導は、逆効果をもたらす可能性がある。

このような事例は、教育現場でのSDGs教育の推進と、個々の子供の健康精神面のバランスをどう取るべきか、再度検討する必要があることを示しているように思う。偏食で苦しむ子供たちが、罪悪感からではなく、健康的な食事への理解支援を受けられる環境を作るべきだ。

Permalink |記事への反応(0) | 00:51

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息子が偏食だ。彼は野菜や魚をほとんど口にしない。診断はされていないが、自閉症スペクトラム障害ASD)かもしれない。ただ、食事以外は特に問題なく、成績も良いので、正式な診断はなかなかつかない。学校ではSDGs持続可能な開発目標)の教育の一環として、給食を残さな指導がある。息子は、食べられないものを残すことができないことで、毎日罪悪感を募らせていた。

冬休み中にも、外食で食べられないものを残してしまった。そのときロタウイルス感染していたから、食べ物はそのまま廃棄した。だが、その一件がきっかけで、息子は食べ物を廃棄した罪悪感から身投げしてしまい、骨折のみで済んだが今は入院中だ。

学習指導要領SDGsを推進するために、給食を残さないようにする指導を強化しているが、これは行き過ぎではないだろうか。偏食や食事に関する問題を抱える子供たちに対して、過度なプレッシャーをかけることになる場合もある。特に精神的な健康や個々の事情考慮しない指導は、逆効果をもたらす可能性がある。

このような事例は、教育現場でのSDGs教育の推進と、個々の子供の健康精神面のバランスをどう取るべきか、再度検討する必要があることを示しているように思う。偏食で苦しむ子供たちが、罪悪感からではなく、健康的な食事への理解支援を受けられる環境を作るべきだ。

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