
はてなキーワード:写実的とは
7年前、東京。地下かどこかの喫茶店で、デザイナーのHさんと打ち合わせをした。
自分が企画した仮設の公園シリーズのデザイン制作物を依頼する場だった。
まだ若くてバカだった当時の自分は、「A3サイズで世界を変えよう」と笑いながら真剣に言ったのを覚えている。鼻息でストローの袋を吹き飛ばした気がする。
その後に作ったA3のフライヤーは、原稿の渡し方もイメージの共有もめちゃくちゃで、散々迷惑をかけた気しかしない…。でもHさんは最高の納品物をつくってくれた。
それからあちこちでHさんのデザインを目にするたびに(先日も実家近くの本屋で見かけた)、あの狭い喫茶店で口にした言葉を思い出す。
Hさんはあれから、マジでA3サイズで世界を少しずつ変えてってると思う。
「どうして“哲学対話”という名前を使うんですか?難しそうだとか、参加に身構える人もいるかもしれないのに」と尋ねた。
Nさんはいろいろ考えた末に、「なんか…ムカつくんすよね」と言った。
哲学と、対話という言葉の意味を新しく上書きするために、あえてこの名前を使うんだって話してくれた。
今の自分は、どうだろう。
「ムカつく」という言葉を聞いて、久しくその感覚を忘れていたかもしれないと気付いた。
どうせ何も変わらないと思って、絶望してたんだと気付く。ぜつぼうって、Zから始まる強い響きの言葉だけど、耳がキンとするほど静かで、うっすら気付きながら置き去りにして、気付けばゆっくり死んでいるような絶望もある。
思い出すと自分も「A3で世界を変えよう」と言ったあの頃、世界に対してムカついてた。
少し前、自分は臨時職員だった。アートと教育に関わる仕事。給料は月13万円。
でも求められる仕事の内容は変わらない。自分が足りないから倍以上頑張るしかないんだ。
「アーティストやクリエイターとつながっておくのが大事だ」と教わりつつも、飲み会に行くのが怖かった。行ってもバカにされるだけ、雑にいじられて否定されて、3000円払っていやな思いをするだけだと思ったから。
それでも「今日は違うかもしれない、大丈夫かもしれない」と信じてみる。
先にコンビニでおにぎりとホットスナックと缶ビールを胃に詰め込み、遅れて飲み会に顔を出す。結果「やっぱりカタパンはダメだな〜」と何かのきっかけでバカにされ、ヘラヘラしながら5000円払わされ、真っ暗な帰り道で涙がつっとこぼれそうになる。今思えばもっと自己開示すべきだったのかなって思う。でもあの時の自分は、自分を守るのに必死だった。
同じ部署の臨時職員同士で競わせられ、蹴落とし合う日々。毎日どんどん嫌な自分になる。
それは素晴らしいことで、自分は今日も帰れない。自分は常に欠けていて、仕事ができないからしょうがないんだ。自分も子どもを育ててみたいという気持ちをこんな手取りじゃ絶対無理だとグッと押し殺し、上司に嫌な感情を向けてしまう心に嫌気がさす。
「カタパンの説明は下手すぎる」「カタパンは才能がない」「カタパンは惜しいんだよな」「タレ(当時付き合っていた彼女)と結婚してさっさと仕事やめたら?」「カタパンのタレはメンヘラだよな」「それ俺が考えたことにして。そっちのほうが絶対うまくいくから」「カタパンが考えることは全て、もうすでに俺が考え終わったことだよ」「カタパンは、ソーシャル・ネットワーク(映画)の、ザッカーバーグじゃない方なんだよ。自分が考えたことも上司がうまいところを持っていく。そういうのってこの業界じゃ当たり前だから。」「カタパンはエモいからな〜」「カタパンは伸びしろがない」「泣くのはプロじゃないよ」「カタパンもう◯歳でしょ?いい加減大人になってほしいよね」
大学1年生のころ、そのアートセンターでやっていたノイズミュージックのライブを初めて聞いて衝撃を受けた。
退屈してて何もないと思っていた、都市ってつけるのがおこがましいくらいの地方都市で、爆音の圧に内臓が揺れる。初めて音に殺されるって思った。
こんなこと公共施設がやっていいんだ。そのアートセンターで働くことに憧れた。
そこには市民の有償ボランティア制度、サポートスタッフがあった。入りたいと思った。
でも1年生でサポートスタッフになっても、きっと自分は他の人に埋もれてしまうと思い、いろんなアルバイトを経験した。
3年生になって、ようやく少し自信を持って、サポートスタッフに登録する。
“カタパン”は、サポートスタッフを始めた初日、教育普及の職員に付けられたあだ名。
理由は、肩パンしても大丈夫そうなキャラだから。嫌なあだ名だったけど、あだ名を付けてもらえたことに喜んで、自分は否定しなかった。
ようやく入った憧れの施設では、地元の人やサポートスタッフを蛮人と呼んでる人もいた。
もちろん冗談で。冗談なんだから否定するのは粋じゃない。自分は一緒に笑った。
自分も笑われているのに。
どんなに嫌なことがあってもそのアートセンターに憧れたあの時の気持ちは捨てられないし、どこかで全員尊敬できたし、すごく優しい人もいる。
周りの誰も憎めずに、自分を責め続けた。心配してくれた人の言葉を、自分は大丈夫ですよとヘラヘラ聞き流した。
周りを変えることよりも自分を責めることの方が楽で、でもずるくて、いざ失敗したら周りのせいにしてた自分もいる。この文章だってそうかもしれない。
自分は自分のそういうところがめっちゃ嫌い。だからこの文章をここに書き残しておく。
ダサいことも、痛いことも、全部置いておく。
今は常勤職員になってしばらく経ち、生活も少し安定するようになった。チームが変わり、すごくいい仲間に恵まれて、痛みを感じることを言われることも少なくなった。安心できる場所をつくることが出来た。年下の後輩も入ってきて、それまでリーダーをやってくれてた同僚が抜けることになった。
常勤職員から、副専門職員になる試験を受けたら、普通に面接で落ちた。
付き合いの長い上司から、あなたに専門性はないですって諦められたみたいで悲しかった。
たしかに自分はまたヘラヘラして、自分の言いたいことを伝えられなかった。
伝えることを諦めてしまった。そんな自分が悔しくて、その夜電気を全部消して泣いた。
今の自分は、どうだろう。
昨日『104歳、哲代さんのひとり暮らし』という映画の感想を語り合う場所を開いた。これは一昨年の暮れから、だいたい毎月4回くらいやっている。休憩がてら立ち寄った人たちとお茶やジュース(ミルクティーが人気)を飲みながら、映画の印象に残った場面を話すうちに、みんなそれぞれ自分の過去をぽつりぽつりと思い出して語り始めたりする。昨日も15人くらい来てくれた。
コロナ禍の入院で、本当は会いたかった人を病院の窓から見送った話。
離れて暮らす娘の早産を電話で励ますことしかできず、悔しかった話。
祖母が隔離病棟で亡くなる直前、看護師がつないでくれたLINEビデオで声をかけたけど、触れられなかった話。
「哲代さんは明るくてすごい。私は後悔ばかりだ」と84歳の参加者が漏らすと、別の人が「いまからでもイメチェンできる!84歳、あと20年ある!」と励まして笑い合う。
飲み物を継ぎに別のグループへ。「職員さんですか?」と聞かれたので簡単に自己紹介し、「楽しく働いています」と答えると、一人の女性が「…仕事はつらいですよ。人生はつらいですよ。」と自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
彼女は三人の子どもを育てるために、大好きだった介護の仕事を諦めたそうだ。
「介護の仕事は給料が低くて、今はレジ打ちなんかをしています。でも、本当は働きたい」そう言うと、彼女の目から涙があふれた。
彼女にとっての“働く”は介護であり、レジ打ちはやらなきゃ立ち行かなくなる”仕事”。
彼女は泣きながら、どんな場面を、人を、思い出していたんだろう。
そのタオルがすごく大きくて「いっぱい泣けるね」とふざけて笑い合う。
尊敬する館長がしばらく前に亡くなった。
自分は、館長の本棚にあった「公共の役割とはなにか」という本をもらった。
館長から出された宿題みたいに、その問いのことをずっと考えている。
まだ宿題の途中だけど、今館長に聞かれたら、
公共文化施設とは、みんなで人間らしさを取り戻す場所って答えたいと思う。
人生は一人で抱えるには重すぎる。いつか自分の足で立つためには、みんなで少しずつ荷を下ろし、身軽になる必要もある。何かを得るだけでなく、重くなった気持ちも置いていける場所。そういう場所が、自分はあってほしい。
それは捨てていくんじゃなくて、きっと誰かが聞いている。
誰かが誰かを覚えていると信じられるから、新しい自分になっても安心して息が吸える。
小学生がうちの施設に社会見学に来たら「メディア・テクノロジーは人にものごとを伝えるワザ。コンピューターやインターネット、映像、照明、音響とかいろんなものがある。そう聞くと、電源が必要とか、新しくてシュッとしてるとか、固くて冷たいものを想像するかもしれないけど、いまみんなに話しているこの言葉だってメディア・テクノロジーのひとつ。僕らはつい最新のテクノロジーに注目しがちだけど、僕らが生まれるずっと前は、この”言葉”だって最新のテクノロジーで、思ってることを人に伝えられるのやべ〜!ってなってたはず。もし言葉が喋れなかったとしても指差しをしたり、狼煙を上げてここにマンモスがいるぞー!って伝えてた。でも当たり前に使えていると思ってるものも、使い方を間違えると怪我したりする。
このアートセンターでは、メディア・テクノロジーを改めて広く捉え直して、ありたい未来や可能性(こんな使い方出来たんだとか、こんなふうに伝えられるんだとか、こうなるとヤバそうとか)をみんなで考えて、みんなでつくっていくために、全員まだ答えを持ってない新しいアート作品をつくったり、紹介したり、それをみんなで見る場、話す場を開いてる」って伝えてる。ともにつくり、ともに学ぶ場なんだって。
例えば映画の上映に合わせておこなうお茶会みたいなイベントは、小さな場所の小さな営みで、”オリジナル”みたいに威張れることはしていない。たまたま映画を見に来た鑑賞者同士が、なんとなく休憩しに立ち寄って、お互いの話を聞きあえる場を開いているだけ。でも、そこに来る一人ひとりは、とても大きな人生を背負っている。
昨日立ち寄ってくれた年配の2人組。
少し背の低い女性が「耳がほとんど聞こえなくなった主人が、この映画は見たいって言ったんです。だから字幕がなくても今日は来ました」と穏やかな声で教えてくれた。
これを見たいと思うことと、一緒に見る人がいるのめっちゃいいですねと伝える。そしたら突然その人がパートナーの耳元に向かって、自分がさっき言ったことを大きな声で復唱してくれる。(この人、こんな大きな声が出るのか)と内心びっくりする。
男性は嬉しそうに「そうなんですよ」と言って笑った。言葉があってくれて、でっかい声で伝えようとしてくれて、ここに来てくれて、聞いてくれて、ほんとによかった。
その場を見ようともしない人ほど「効率が悪い」とか「KPI」とか「来てない人を納得させないと」とか「ソーシャルインパクトが大事」とか「経営的な戦略が必要」とかって、ティーチ(一方的に教える)よりラーニング(自分で学ぶ)が大事と言う同じ口で、一方的に教えてくれる。
いや、なんかそうなんかもしれんけど、うっせ〜〜〜。
簡単に人をモノのように扱える人ほど評価される世界は絶対間違ってる。
世界を変えるって、トランプみたいに自分勝手に世界を掻き回すことじゃ絶対にない。
世界を変えるって、ひとりひとりが自分の力を思い出して、取り戻すことじゃないんかい。
この前ポッドキャストの収録で話したひるねちゃんは「手元をみよう 手元をみよう」と、祈るみたいに2回言った。
「人の心に反射したその光こそが作品。作品が光ってるって言うより、あなたの心に反射したものが光ってるんだよ。エネルギーを飲み込まないで発散できる自分でいたいな」と言いながら、最後の語尾は震えてた。
心が諦めてしまうと簡単に、ブラックホールとかベンタブラック(99.9%の黒)みたいに、どんな光も吸収してしまう。
収録が終わってしばらく経ったある日ふと、本当に信じてることは信じてるなんて言わないのに、信じたいって思うことほど信じてるって口に出して言うのは不思議だなと思った。
言葉に日光を浴びせるように外気にさらすことで、いつかほんとに信じられるものに変わるかもしれないから、僕らは信じたいことを口に出すのかもしれない。
先週も大学を訪ねたら「アートは自分には縁がないもの」と学生が匿名チャットで教えてくれた。おい、誰がアートをその子に縁がないものにしてしまったんだ。関係ないものなんて、本当はなに一つないはずなのに。おい、誰がそんなふうにしてしまったんだ。
でも自分もアートに関わる仕事をしててそう感じさせたうちの一人でもあるかもしれないからそれはごめん!もう一度やり直したいからチャンスがほしい。そんな悲しいこと言わないでよ、寂しいじゃんって思う。
あームカつくな。ムカつくし、ムカつくという感情を思い出せたのが嬉しいな。
ムカつくの前には悲しいな、とか寂しいな、があるな。ムカつくのにも、悲しいなとか寂しいなを反射させる力が必要なんだな。
自分は小さな空間で、人が変わるまぶしい瞬間を何回も目にしてきた。
たしかに自分の文章はまだまだ分かりづらくて、曇った鏡みたいなものかもしれないけど、本当はもっともーーーーーっとすごい。まじ伝えきれね〜〜〜〜って思う。
それでも自分も、反射できる自分でいたいと思うからこの文章を書き残しておく。
昨日の朝、映画を見る前、教育学部の授業に自分が働くアートセンターの紹介をしに行った。
朝一の貴重な40分をもらって全力でプレゼンしたあと、先生がブラインドトークのワークショップに参加させてくれた。
10人が3チーム、絵を見て言葉で伝えるチームと、その説明を聞いて絵を書くチーム、そのやり取りを観察するチームに分かれる。
5分間で出来上がった絵は、答えに近い人もいれば、まあまあ遠い人もいる。
その後のフィードバックの時間は、こう説明すれば良かった、こう質問すれば良かったなどの意見を交わす。
右から1/3の位置に〇〇があるみたいに数字を入れて伝えるとか、全体の雰囲気やテイスト(イラストなのか写実的なのかなど)を伝えてから具体的な描写を伝えるとか、一番大事なこと(なにを伝えたい絵なのか)に絞って伝えるとか、いろんなアイデアが出た。
どれもすごい大切だって思ったと同時に、自分はなんかもう、最強だな〜〜〜って思った。
最強って、いまめっちゃ強いとか、いまめっちゃ説明が上手とかじゃなくて、変われるってことだと思った。伝えようとしてる人がいて、聞こうとしてる人がいる。もうそれで十分じゃん。言葉が足りなきゃ付け足したら良いし、分かんなかったら聞けば良い、言い直したらいい。
ほんとは完璧なコミュニケーションなんてなくて、伝えたいとか聞きたいとか、それを諦めずに関わろうとし続ける限り、うちらはもっと強くなれる。もしかしてそれを教育と呼ぶのでは?!みたいなことに気づいて驚きながら言った。
みんないい姿勢で、まっすぐ聞いてくれた。おい、まぶしいな。ありがとう。
先生にお礼のメールを送る。あの子達が4年生になるのが楽しみですねって伝えた。ここには書かないけど、嬉しい返信が返ってきた。また会いたいな。学生も先生も全員サポスタに登録して欲しい。
同僚のNさんとサポスタ募集の打ち合わせしたら「うちらがやってることは、誰に見せても恥ずかしくないから本当はターゲットなんてない。ターゲットは全人類、死んでるやつも、これから生まれてくるやつも。ひとまず50億人全員サポスタに登録してもらおう。」って話してて爆笑しながら超グッと来た。絶対そうなった方がいいしやっぱ最高だなこの人って思った。
トランプも、ゼレンスキーも、オバマも、プーチンも、ネタニヤフも、オードリー・タンも、石破茂も、議員会館の地下で迷子になってる秘書も、海を渡ってきた難民も、夜勤明けでレジを打つコンビニ店員も、介護の夜勤でウトウトしてる人も、野良猫を拾ったけどなかなか懐かなくてすこし懐いてくれて安心したら実は腎臓病が進行してて休日は暴れる猫を連れて動物病院に通う新入社員も、推しのVtuberにスパチャしすぎて家計簿が真っ赤な人も、好きな人と一緒になれなくて家で一人で泣いている遠距離恋愛のカップルも、育休取りたくても言い出せない課長も、同性婚を夢見るカップルも、初めてステージに立つ前に鼓動が早くなってるドラァグクイーンも、卒論提出3時間前の大学5年生も、家の外に出る勇気が湧かないひきこもりも、声を出すと噛んじゃう吃音持ちも、白杖を持った視覚障がいランナーも、手話でコントをやる芸人も、補聴器の電池を切らしたおばあちゃんも、手足のないスケボー少年も、車いすで山道を攻める登山家も、PTSDに苦しむ帰還兵も、大学の講義室で聞いてない学生に向けて伝えることを諦めようとしてる教授も、モテることとサボることと遊ぶことと就活で頭がグチャグチャだったあの頃の自分みたいな大学3年生も、収容所で自由を夢見る政治犯も、その看守も、裁判で涙を流す加害者も、被害者も、サウナで “ととのい” を追い求める会社役員も、離島で保育士を探す町長も、推し色ジャージでライブに並ぶ中学生も、バイト代を全部ガチャに突っ込んだのに天井までSSRが来ない高校生も、フィリピンのごみ山でタガログ語ラップを刻む子どもも、アマゾン流域で川と話すシャーマンも、北極で氷が割れる音を聴く魚も、火星着陸の夢を抱く在野の<
ただし原典(アニメ映画)で描かれていなかった部分が要所要所で足されていたのかな?
余白を埋めたということ。
おそらく原作(小説)に近いのだと思う(未読のためわからん、小説のレビュー等から推察)。
でもそれって客から想像の余地、解釈の余地を奪うということなんだよな。
原典ではすべてが描かれてなかったからこそ、救いのない話と解釈された。だからインパクトがあった。
余白をすべて埋めてしまうと、伝わるかもしれないけど正直微妙。
これが新海誠が本当に伝えたかったお話なのだとすれば、やっぱ新海誠って物語のセンスねーよなとの結論になる。
誠的には不本意なのかもしれないけど、エッジの効いた原典の方が好きだよ、自分は。
せっかくなので、もうすこし感想を語る。
でも一本の邦画として見た時にどうなのかというと、まあね。。
新海誠のよさって、あの写実的な映像美とMV力だと思うんだけど、
実写版には当然写実的な映像美はない(なんせ「実写」なのだから)し、MV力(音楽に合わせた動的なカット割り)もない。
新海誠の原典から新海誠の強みを差し引いて、脚本上の余白を埋めて、忠実に再現した映画。
こう評するとヒドい映画のように思えるかもしれないけど、
でもゼロ年代、90年代の時代感はよく再現されていたし、78/79年生まれの人たち(氷河期世代)の生き様のリアル感もほんとにそれっぽくて、
再現力はかなりすごい。
たぶんだけど、自然めな演技をするように工夫されてた感がある。
監督の力量を感じた。
けどやっぱり思うよ。
2025年のいまこのときに、「2008年当時29歳だった人の、なんかいいとも悪いとも言えない人生の一片」を朝ドラかのごとく考証しっかりと映画にする意味って何なんだろうか、と。
というわけでこれはファンムービーなので原典視聴済みの人は見ても悪くはないと思う。
未試聴の人はこっちより原典を見たほうが絶対によい。原典見て面白いと思ったらこっち見てもいいかも。
前知識ゼロで純粋に邦画として見たら、何とも言えない気持ちになると思う。
アンディ・ウォーホルと江口寿史とは並べられるような格なのかという点は気になるが言及しない
絵画におけるサンプリングなどというのは世迷い言で、スケッチという技法で知られているものと本質的に同一だ
音楽では機械を使わなければ再現できない音が存在するのに対して、絵画では二次元への写像は原理的にキャンバス上で再現できる
実際予備校で訓練を受ければ「時間をかければ見えるものは描ける」レベルまではかなりの割合の生徒が到達する
そうなってくると写実的であることに技術的優位性はなくて、紙と鉛筆でやっても、フォトショップと液タブでやっても精神的には同じことだ
ダビンチもフェルメールもカメラ(・オブスクラ)で立体を平面に写し取っていた
サンプリングとかなんとか、新しい名前をつけなければならないくらいダサい
もうひとつ、写実的に描くことが商売として成り立つかどうかという点について、スピードは無視できない
たとえ3時間かければ紙と鉛筆で完璧な輪郭線が引けるとしても、フォトショップと液タブでなら同じことが25分でできるならば経済的優位性がある
日に何枚も完成しなければ生活が成り立たない駆け出し専業イラストレーターにとっては、フォトショと液タブとnon・noで手抜きをして量産し、糊口をしのぐのは正当化されえる
調べてて思ったけど、こういう話1999年から散々議題に上がったんだけどさ
あの頃は「本物に見える絵は確かにモデルが居るかも知れないから写真と同じ扱いだな」と思ってたけど
モデルが居たとして、それが17歳か18歳かなんて分からないじゃんって話で
他に国も合った気がするけど見つからなかった
20年くらいこういう法律たまに調べることあったけど、「アメリカ・イギリスからの政治・文化的距離」に依存してる気がするんだよね
例えばロシアは一番緩いんだよ
フィリピン、タイあたりが意外だったけど、あそこってやっぱアメリカに「うちに合わせろ」って言われると素直に従っちゃうんだよね
アニメチェンソーマンは普通に面白かったから叩かれてるのが謎だった。
総集編では監督の名前がスタッフから消されたらしい、オタク達は監督の名前を消したことや総集編を大絶賛してる。
アニメを3時間半に再編集したとはいえ、監督として作ったものから名前まで消させるのはいくら何でもやり過ぎでは?と思う。
「藤本先生は映画好きで、原作からも写実的、映画的要素を感じていた。だからアニメ化にあたって、そういう要素を取り入れたら原作の空気感が出て面白くなるだろう」
ファンは怒り、Change.orgでは「アニメ『チェンソーマン』を新たな監督で作り直してください」という署名活動が起こり、多くの署名が集まったらしい。
ぼっちざろっくでも脚本の発言の何に怒り狂って署名活動をしているのか謎だったが、こういう監督を引きずり下ろした成功体験があったんだな…。
何でオタクは表現が気に入らないってだけでここまで出来るんだろう。
初監督であれだけできる、間違いなく才能のある監督だろうに、オタクは酷いことをする。
Permalink |記事への反応(23) | 19:18
絵を描くことが趣味の人も理解できないタイプの描き方をする絵描きっているよねって話
私は無名とはいえデザインの学校を出てて、その時の授業でデッサンもやった経験があるんだけど、同じクラスの人がすごかった
5Hくらいの鉛筆で優しくうっっっっすらとアタリを描いたら、その後右端からどんどん埋めていくの
消しゴムを使うと汚くなるから絶対使わないという美学があるらしく、プリンターのように端から埋めていく
みんなが全体のバランス見て追加のアタリを取りながら描いてるところを、その人だけは端からしっかりと書き込んでいく
そして本当に上手い、クラスの上位一位、二位を争うほど上手い
形が崩れてないし、濃淡や光の具合もしっかりと書き込まれてる
本人の美学がしっかりとあるのも影響してるのか、写実的なのに個性のあるデッサンというか
みんな憧れてたけど誰も真似できなかった
そういう良い意味で常軌を逸した人がこの世にはいるんだけど、実際見て見ないと信じられない部分もあるので、それを「トレス」って思う人いるだろうなと思った今日この頃
私の家にはテレビがないので本放送は観れず、友人から「面白かったよ」と言われて気になっていたのでレンタルで視聴。
あれほどの幻想的な世界を、70を超えた宮崎駿が描いたってことにまず圧倒された。
でも観始めてすぐに感じた。大きな違和感を。
それは画面が動かないってことだった。
でも背景が全く動かない。豊かな自然が、空間がまったく動いていない。
風で木の葉が揺れて、草が波打って、洗濯物が風に踊って…という風に。
自然が生きてるように描くのがジブリの魅力で、同時に動きそれ自体が生命だって分かっている人たちの作品なんだと思ってた。
背景は静止画で、キャラクターだけが動く。立ち絵だけが変化していく、あの感じ。
普段のジブリだったら絶対もっと大袈裟に描く。座った瞬間ベッドが大きく跳ねる。それぐらいこのベッドはふわっふわで、寝心地いいんだよとアピールするみたいに。
でも君たちはどう生きるかではほんの少し波打つ程度。写実的で最低限しか動かない。すごく淡々としていた。
だからこそ今でもはっきりと覚えている。
そのときに立っていた草原。そこだけは、自然が大きく揺れてた。
草が、風でぶわぁって動いて、木がうねるように生きてる。
その瞬間ゾワッと鳥肌が立った。
「ああ、そういうことか」って、途端に腑に落ちた。
序盤から中盤にかけてのあの動かない世界は、眞人の内面だったんだって。
母を亡くした彼にとって、彼の現実世界はもう死んだ世界だった。
だから風も吹かないし、周りは何も動かない。
すべてが受動的。そんな中で見える唯一の能動的な行動が自傷。それが本当に象徴的だった。
死んでるのに、生きてるふりをしてる。その無理が、身体に向かってしまった。
大叔父はそのまま眞人の将来像を映し出していたのだと思う。
大叔父もまた現実の世界では景色が揺れてみえない。だからこそ自らが世界をつくり、そこで生を実感し、生きることが出来た。
それでも眞人は大叔父を拒絶する。
活き活きとした世界を目の当たりにしても尚、彼は自分の世界に戻ることを決意する。
そこに彼の強さと決意、そして彼の生き方があったのだと思う。
時空がねじれて、過去も未来も曖昧で、何が現実でどこが幻想かもわからない構成も良かった。
ほんと、すごい映画だった。
大人になって、色んなものを失ったり、諦めたりして、それでも生きなきゃって思ってる人たちのための映画なんだと思う。
そういう意味では私もまた、同様に問われてる気がした。
君は、どう生きるのか?って。
すごくよくて感動してしまって観終えた後には泣きそうになり、一緒に借りたドキュメンタリー『宮﨑駿と青サギと… ~「君たちはどう生きるか」への道~』を続けて視聴したらいきなり宮崎駿の全裸から始まってワロタ
私の目の前、
ステラーブレイドとNIKKEのコラボの予告トレイラー動画予告が発表されたの!
私は目の前の動画をエイプリルフールでお馴染みの?あのそれ系のやつ?って思うほど疑ったわ。
だって、
えええ?
なにこれ?
おそらく多分、
NIKKEたちのラピやアニスにアリスにドロシーのナノスーツが着れ装備できるんでしょ?ってぐらいな勢いでだけで思っていたの。
だけどだけどよ。
全然違って、
SHIFT-UPやってくれたな!ってレヴェル級の、
えええ?
もうこれイヴがステラーブレイドの中でNIKKEやってんじゃん!
あと動画の中で流れていたNIKKEのリターってニケの相棒のボルト犬がイヴに懐いてワンワン鳴いてるシーンとか!
えええ?
あと紅蓮がイヴと戦うやつ!
うー!
なにこれ!?
紅蓮がどういう経緯でステラーブレイドの世界へやって来たかは、
そのダウンロードコンテンツを体験してみるまでテキストが読めないのがもどかしいけれど、
紅蓮とイヴが戦ってんの!
紅蓮って常に誰かと腕試しで戦いたがっているので、
ちょうどイヴと手合わせできて嬉しいんじゃないの?って思うの。
いや、
ちょっと待って!
つーかおまえアダム!
ステラーブレイドの世界での諸悪の根源のおまえもすらノリノリなんかーい!ってぐらい。
イヴひとりで戦ってるけどひとりで「I」「II」「III」なの?
いや、
落ち着いて私。
落ち着きすぎて…私。
冷静にここはザジェイウォークさん文法的で言うところばりの落ち着きはらうそんなところなのよ。
そんで、
私が想像していたステラーブレイドとNIKKEのコラボ違いすぎる。
違いすぎる!
想像を超えてない?
えええ?
本当にそうなるの?
あとでガッカリするやつ。
違う?
それが本当になるとすると私おしっこ漏らしちゃう級のうれしょん!
ションテン爆上がり!
むちゃくちゃ楽しみじゃない!
あとさっきも言った紅蓮もステラーブレイドのフォトジェニックな世界で超写実的に登場してて
あの紅蓮のなんか余裕のある笑みを含んだフェイスを見た途端、
Live2Dから超写実的にモデリング起こされた紅蓮めちゃかっこいい!
そしてその紅蓮とイヴとで戦えるのめちゃ興奮!
もうさ、
やりたい放題だな!って感じの
他のコンテンツとのコラボだと気を遣わなくて良さそうなぐらいの思いっきりの振り切り具合!
やりたい放題じゃない。
うわうわー!
もう楽しみすぎる。
あ!そうそう、
そのステラーブレイドとNIKKE企画の動画トレイラー動画の中で装備していたイヴの火器はなんかアサルトライフルっぽいくて、
ガンガン撃っていたのが印象的だったわ。
でさ、
逆に
NIKKEとステラーブレイドとのコラボ企画でイヴがNIKKEの世界に行くってときの、
いやまだわからないわ。
とにかく、
とにかくよ
「ステラーブレイド×NIKKE」コラボと「NIKKE×ステラーブレイド」コラボと一斉に押し寄せてくるので、
これ「ステラーブレイド×NIKKE」コラボと「NIKKE×ステラーブレイド」コラボってややこしいわよね。
その日になるのがいまからあともうちょっとの日時を待つ楽しみまくりまくりすてぃーなのよ。
うわ!
もうめちゃ楽しみすぎるコラボ!
こんなことってある?
とりあえず、
落ち着くわ私。
うふふ。
久しぶりかもしれない朝からションテン上げたいところの
食べ切ってここ書き上げてーの出発なのよ!
シュワシュワの朝の爽快さをましてアップさせてくれるわよ。
レモン炭酸在庫残り少なくなってきたのでまたケース買いしておかなくちゃ。
今日は忙しくなりそうね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
https://automaton-media.com/articles/newsjp/no-mercy-20250411-334755/
これな。
全編英語。
内容。
主人公の大学生が、義母や友達の義母や義母の姉を脅迫して関係を迫るというもの。
攻略可能な女性キャラは名前と関係性を最初のチュートリアルで聞かれるので「母」「義母」「父の愛人」とかにできる。
グラフィックは見た通り写実的で3Dモデルの紙芝居で進行する。挿入とかピストンとかは動く
フルボイスではないが、エロシーンで喘ぎ声はある。
ゆるい能力値の上下があり、選択肢で女の支配度があがったりさがったりしてエロシーンに分岐する。
主人公がよくある突飛な性欲野郎で、エロゲにぴったりな下衆い性格をしていて、あの手この手で女を脅していく。
アンリアルエンジンとかで作ってんのかな?とにかくグラが綺麗。
感想。
全体的にドラマ仕立てで、西洋の文化でエロゲ作るとこういう風になるのかという新鮮さが楽しめた。
主人公はいじめっ子ではっぱを同級生に卸してたり、ダディーがトラック運転手で長期出張とか日本になかなかない設定。
冒頭の記事ではすげーやばそうな感じに書いてあるし、ようつべのコメント欄では「こんなくずなカスゲーは最悪!」と怒りまくってる人が大勢いる。
ナーゴとか一部写実的な猫のイラストもあるけど基本的にはケモナー受けのそれな画風の漫画が多い。
考えてもみろ。
ケモナーに野良猫飼ったり保護猫引き取ってあげたりする人はあまりいないと思う。
ケモナー(猫)は猫が好きなんじゃなくて、平面上の都合のいい理想的なルックスの非現実生物が好きなんだよ。これは三次元に興味が無い二次元好きと同じ構造だな。
もっと端的な例をあげておくと、うさみみつけてる女が好きな人に可愛いと思う人と、ぶーぶー鳴くうさぎのあの感じが好きな人とではその層も、可愛いと感じるに至るまで思考回路も多分被らないだろう。
あるいは宝石好きと、枯山水にあるようなああいう石などの鉱物マニアは全然違うだろう?兼任していることは稀だと思う。
ねこぱんちはそういうことをしているんだよ。猫好きがあのような編集の雑誌を読んでいるという前提で作っているかのような雑誌を売っているというのはナンセンスだと私は思う。
dorawiiより
noteで性的以外の部分で嫌悪感があるというのを読んで、つまりは「あざといぶりっ子な記号的表現が嫌い」なんじゃないかと思った。
その気持ちは分からんでもない。私はあざといイケメンの方が苦手だけども。
件のnoteは最後に「どん兵衛食べるわ」みたいな文で締めてたが、私はどん兵衛の狐の方があざといと思う。
絵はまだフィクション要素が強くてもスルーできるけど、演技とはいえ実写になるとフィクションがリアルに近づいてあざとさが鼻につく。
このあたりはアニメとドラマのどっちがよりフィクションとして捉えられるかの感覚の差なんだろう。
媚びたのを見て不快になる気持ちはまあ分かる。私も嫌いなあざとい表現はある。そういう広告を出すなとは思わないけど。
それにしても、男性版は書類の近くで汁もの食べちゃうところが写実的描写と書いてあったが、ドジっ子属性で同じようなあざとい記号的表現と思う。
同性の(正直同じ女から見て歪んでると感じたけど)解像度は高くても、異性の解像度は低いからそういう記号的な表現に気づけないのかな。
なんか界隈では『ASTROBOT』が凄いって評判で私も遊んでみたいと思うだけ思うのは勝手でしょ?
PlayStation5にプリインストールされている全何かの機会にインストールしてみようと試みられるドゥームとは違って最初から入っているそのソフトは
『ASTROBOT』じゃなくて2作目の『ASTRO`s PLAYROOM』なんだって。
ふーん、
私は『ステラーブレイド』目当てで本体と背負子でしょって帰ってきた経緯があるから、
そんな『ASTRO`s PLAYROOM』はプレイステーションのコントローラーがいかに凄いかってことをデモンストレーションするソフトだと思っていたの。
そんなデモンストレーション的なゲームだと思っていたから消しちゃおうかなって選択肢ももちろんあったわ。
でも私のPlayStation5は空き容量満タンなのでぜんぜん空白が空いているのよ。
ニンテンドーSwitchの内蔵のメモリーカードはいい加減いっぱいいっぱいでこれどうしようかな?ってこともあり、
結局『ASTRO`s PLAYROOM』はアンインストールされることなく私の本体の中に眠っているの。
その界隈で聞いた耳にしたなんか『ASTROBOT』が凄いよ!って手がかりになるきっかけを与えてくれる、
どうせプリインストールされているプレイステーション5のコントローラーの実力はこんなにも凄いんだよ!ってデモンストレーション的なものだと思って一切プレイしていなかったけれど、
時間を惜しむぐらい風呂キャンセル界隈よろしくなんかそんなワードを取り入れたらいいかもしれない!って浅はかな思いでプレイしてみようかな?って
もう遊んでいるソフトが1本の『ステラーブレイド』専用機になり兼ねない事態。
たぶん『ステラーブレイド』自体は何周かの周回プレイをイヴの初期状態がニューゲームで強いモードで何回もやってるから
そこも成長させられるところは全部成長しきったのよね!
そんで、
今はオアシスって所の場所にずーっとここ半年ゲームを進行させないままで進めてきたの。
次はレイヴンってところなの。
なかなか苦労して手応えを感じつつプレイを重ねてきたんだけど
正直レイヴンは強いわ。
逆に言うとここ半年はレイヴンってボスで止まっているってこと。
いやわざと止まっているのよ。
これ今クリアしたらまた周回プレイでザイオンって都市があって、
そこにストーリーが進んでその街に行けるようになるとオープンフィールド的な冒険が出来るのよね。
つまり、
当分また最初の1本道の攻略を進めていく道筋のゲーム序盤をまた始めなくちゃいけないのよね。
つい昨日かにイヴのクリスマスコスチュームがアップデートされたみたいだけど、
私は次もうストーリーの進行上レイヴンを倒しに行かなくちゃいけないフラグが立っているので、
ザイオンの街に戻っても、
街の入り口は皆が集まっていてイヴ頑張ってラスボス倒してきてね!ってモードになってるから
クリスマスの装いになっていると評判の「ザイオン」の街には一切立ち寄ることが出来ないのよね。
だから
いち早くまた倒しつつストーリーを周回プレイでまた進めて再び帰ってくるザイオンは懐かしい香りがするのそれなんて大黒摩季さんのらららってぐらいなのよ!
ほんとよ!
帰ってきたー!って感じがするの。
ザイオンの街に行けるまでの道のりが地味に辛いので、
面倒ちゃー面倒なのよね。
「お前のところにクマ送る」ってパワーワードがこの12月になって湧き出てきたので、
流行語大賞やらネット流行語大賞ってのはギリギリまで待ち構えていて、
いっそのこと来年の発表でもいいんじゃね?って思うの。
「お前のところにクマ送る」って強すぎるわ。
なに便で送るの?
でもそんなやっぱり強いワードが出すぎていて
流行語大賞やらネット流行語大賞の締め切り期日は早すぎるような気がするわ。
これもうこのパワーワード年が明けたらみんな忘れちゃうじゃない?
レトロゲーム紹介の動画サイトで見たの獣王記ってゲームの中で出てくるクマさんのキャラクター!
熊に変身して逆に人間の方が強くね?って変身したら弱くなっちゃうやつ。
でもあの変身シーンの
「クマー!」って燃えるバックの背景を背にしてリアルな写実的なクマが「クマー!」って出てくるのはちょっとシュールよね。
燃えるバックの背景に「ドラゴンー!」って変身シーンはファンタジー味も加わってカッコよくて強くなる感じがするけれど、
クマの時の変身は、
ただクマのやる気がマックス!って感じの燃える背景が写実的に描画されたクマとのシュールさに一味もふた味もいい味を加えているわ。
いやーこれなになにを隠し味で入れてるんですよ!って
なんで隠している味なのに発表しちゃうの?って感じで
食べる人の実力を量るみたいに、
この隠し味に気付くかな?って挑戦状を突きつけてるわりには
最初に隠し味は実はこれが入っているんですー!って言いがちシェフじゃない?
どれだけ気まぐれなのよ!って思っちゃうわ。
この隠し味が入ってるんですよー!って
隠し味の技を繰り広げたときに発動するイベントムービーのようになったら
それ絶対隠し味隠す気ないでしょ?って思うの。
送られてもクマ隠せないじゃない。
また野に放つの?
送られたクマは隠しきれなくてもシェフの隠し味は気まぐれで発表しないでほしいわ。
実はこれがは行ってるんですよ!って
エヘン!って凄い技を披露したかのように自慢したい気持ちも分かるけれど、
言われたとして
本当にその隠し味の量で入れられた素材は味的には舌で感じるギリギリの感じる許容値を下回っているので、
シェフに隠し味を発表されたとしても、
たぶん感じられないと思うわ。
その隠し味に。
隠し味は隠れているのにそれをわざわざ発表するシェフって一体全体どんなことを考えているのかしらね?
私たちの舌では感じられない隠し味をそのまま隠しておけばいいのにシェフは発表しちゃうとか。
隠し味の謎よね。
うふふ。
豆乳とトマトジュースとポタージュスープをミックスして飲んできたわ。
トマトジュースの濃いリコピンのやつが美味しくて最近のリコピンお気に入りね。
朝タイマーで自動的に沸いている電気ポットの飲み頃温度の70℃の
温活はなんでもいいので、
温活してね!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
『ステラーブレイド』のコラボ企画でイヴがやって来るまで「課金はしない」と心に固く確固たる意志を括弧でくくるように言うほどそう思ってるんだけど、
でついにレヴェル160で頭打ちこれ以上強くなれなくてちょっと困ってストーリーが先に進めないのよ。
一応説明しておくと
キャラクターごとに成長レヴェルを突破できる限界突破ってのができて、
自分と同じスペアボディのアイテムがあればそれを使い限界突破できるの。
限界突破をして行けば普通にすぐにやって到達できる限界突破2回しての160レヴェルマックスまでは結構簡単にすぐ言っちゃうのよね。
で!でよ。
限界突破が3回できるSSRってキャラクターたちのスペアボディを集めて限界突破を文字通り限界まで突き進めていって3回行えばレヴェルが200までまた上げられるようになるの。
みんなもう160のレヴェルに到達してしまって、
これ以上強くなれなくて先にストーリーが進められなく困っていたのよね。
うーん、
どうしようか。
私は迷った挙げ句、
つーか全然迷ってないけれど気付いちゃったのよ!
アリスってキャラクターだけが唯一限界突破3回行って俗に言う3凸って言うらしいの。
1回そのちょっとまた話が込み入ってくるけど、
レヴェルの高い5人のメンバーのレヴェルを元にレヴェルアップさせなくてもシンクロさせたら他のメンバーもその一緒のレヴェルに保っている5人のレヴェルに自動的にシンクロできる装置があって、
それを1回組み替えて、
アリスを筆頭にレヴェル199あとのニケは160でとりあえず、
迎え入れたニケたちがめでたくみんなレヴェル160を超えて、
またどんどん成長できるって仕組みなのよね。
とりあえず、
私はそれで一旦アリスをレヴェル199まで上げて、
一応の部隊の戦闘能力はやっと25000!ってところまで到達したんだけど
なかなかそれでも今いるチャプターを攻め進んで行くには火力が足りないのよね。
調べてみたらカスタムモジュールでオーバーロードとかってあるけど
うーん、
レヴェルをアリスだけ199に強化してあとはみんな160で
スペアボディ待ちってところなんだけど。
それで当たるか当たらないかなので、
遠い遠い作業だわ。
もしかしたらPlayStation5で『ステラーブレイド』が発売された1周年記念に当ててくるのか?って時期の頃かと私は目論んでいるんだけど。
その頃でも雪が降りそして雪が解け春になっても、
たぶん私のNIKKEの部隊のニケたちはどこまで強くなってるのか不安だわ。
これ全チャプター34とかまであるんだけど、
今この中盤でこのありさまなのよ。
これから先どれぐらい戦闘能力が必要なの?って不安になっちゃうわ。
早々にまた戦闘力火力不足に陥るんじゃないかしら?って思うの。
みんなこれ本当にクリアできる人いんのかしら?って思うわ。
まあとりあえず『ステラーブレイド』のコラボ企画でイヴがやってくるのを心待ちにしているのよね。
はぁ、
早くイヴきてー!
そう思うわ。
で、でよ。
イヴのあの写実的なヴィジュアルがこのNIKKEにやって来たときに何かコレジャナイ感漂わせ…、
いやそれは漂っていてもいいけれどとにかくイヴが来てくれたことに関してはそこに私は火力を集中するのよ。
写実的なビジュアルがなんかそのNIKKEの世界感にそぐうか。
期待もあり不安でもある。
そんで、
一応ブレイドみたいな剣を扱っているニケもいるから大本命はイヴの使っているブレイドが大本命かな!
もちろんヘアアクセサリみたいにブレイドを収納するモーションも取り入れてほしい大本命なのよ。
それならイヴの遠隔攻撃のスティンガーやブラスターセルがド派手で強力にぶっ放せそうよ!
今からイヴがどんな武器でNIKKEにやって来るのかも楽しみだわ。
あと他にも
リリーやタキもやってくるって噂だけどレイヴンはどうなのかしら?
仲間になったらどんな会話みんなとするんだろう?ってどんな世界感そこも気になるわ。
チーム組んだら仲良くできんのかしら?
イヴとタキは同じ第7空挺部隊でタキが師匠みたいな感じでそこはイヴもタキを慕っているからいいとして。
だって現にリリーはイヴのメンテボディーや修理などいろいろやってっから、
そこは大丈夫よね。
NIKKEの『ステラーブレイド』コラボではその4人がくるとかこないとか、
そんな噂が巷の港の先の渚まで走っているのよ。
時期はもう少なくとも今年中ってのはないわよね。
それどころ挟む余地がないわ。
なので、
来年の春か夏か?ってところを私は目論んでいるのよ。
そこまでNIKKE飽きなければいいけれど、
「いや!絶対イヴ来るまでは頑張る!」ってここも確固たる意志を括弧でくくるように強く言うような感じで待つのよ!
待ち遠しいなぁ。
でね、
PlayStation5の本編の『ステラーブレイド』もフォトモード実装とニーアオートマタコラボも無事完了で、
私は周回を重ねてプレイしていくだけなのよね。
何周もしているのにまだ見付けられてないナノスーツとかあって毎回新たな発見があるから、
『はじめてのグランツーリスモ』あれだんだん分かってきて操作も変更出来るようになったことが発覚したので
そう設定を変更!
あれブレーキ踏み込む際思いっ切りべた踏みしたらスピンしそうで怖かったけど
ABSが効いているのね。
ABS設定をオフにした途端ブレーキしたら案の定スピンして笑うわ。
実際の車の運転ではそんなブレーキべた踏みしないでしょ?危険じゃない。
あともうちょっとでゴールだったのにっ!って泣きそうよ。
スプラトゥーン3も地味に1日1戦1勝上げるまでプレイの1ガチャのノルマをクリアする程度のちょっと下火のプレイスタイルにはなってきているけれど一応継続中よ!
NIKKEのデイリーミッションの多さに比べたらスプラトゥーン3のデイリーミッションはなんてことないわ。
上手く行けば5分いや3分で十分よ!
欲しいソフトもあるけれど『ニーアオートマタ』も遊んでないしなぁと。
そうそうNIKKE始めていいことあったのよ!
1つはデイリーミッションが多すぎるので早起きして少しでもミッションをこなすようにする早起き習慣と
NIKKEで忙しすぎるからくだらないSNSや動画サイトのショート動画を一切見なくなったってところが時間の溶けなさでは有効かつ有意義に時間が使えているわ。
ただただNIKKEに時間が溶けていることは間違いないけれど。
それは否めないわ。
Switchで遊べるGBAのメトロイド2作も1作途中で1つは全然やってないのにも気付いちゃったわ。
メトロイドプライムもあるし!
うふふ。
晩ゆで玉子茹でて作って置いておいたので
それ3つ食べてきたわ。
茹で玉子もやって食べてみたの。
昨日はもうそれこそお腹がグーグー鳴って仕方がなかったけどストマックドラム収まるといいわ。
と思いきや
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
何ヶ月か前にどっかの大学から毎年届く司書資格の通信講座の案内チラシが届いて、今年のはAI絵が使われてた
AI絵の是非とか正しさを議論したい訳ではないし、このチラシはちゃんとAIイラスト使用って明記されてた
問題はイラストの構図で、開いた本の真上にコーヒーカップを持った手を置いて
仮にも本を扱う仕事の資格なのにそんなイラスト使うのはあり得なくない?
その手とカップも柄と指の線がグシャグシャになってて溶けて融合してるし
背景の本棚も線が綺麗に引かれてなくてふんわり描いたラフの上にテキトーに色塗った様な感じだしやっぱり本同士が溶けて融合してる
AIが良い悪い以前の問題で、流石に仕事内容にそぐわない内容だからなんでこんな低クオリティのイラストでGOサイン出したんだろうかってレベル
もちろん手書きで同内容のチラシが来たら同じ突っ込みいれるけど、流石に司書資格のイラストで本の真上にコーヒーカップ持ってくるプロのイラストレーターはいないでしょ
というか例年写真だった気がするんだけどなんで急にAI絵にしたんだろうか
AI絵なら適当にポン出しして精査しなくてもOKって思ってるならあまりにもやる気ないし杜撰だし、チラシ作った大学の印象かなり悪くなる