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はてなキーワード:冒涜とは

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2025-11-22

【にじボイス終了】「偶然似た」という大嘘と、技術的な答え合わせ

増田です。DMM傘下のAlgomaticが提供していた「にじボイス」がサシュウを発表した。

プレスリリースには「法的な権利侵害はなかった」「パラメータ調整の結果、偶然似てしまった」などと書かれているが、これを真に受けている人は少し冷静になったほうがいい。

日本法律では学習合法だ!」「日俳連の圧力に屈した!」と騒ぐ擁護派もいるが、今回の件はそんな単純な話じゃない。

これは「AI技術の敗北」ではなく、「ある企業が吐いた嘘と、杜撰データ管理が露呈して自爆した」というだけの話だ。

盲目的に企業擁護する前に、技術的な事実関係の「答え合わせ」をしておこう。

なお、あくま技術的な根拠を示しているだけであって、問題があると断言できないことは断っておく。

技術的な調査から予測される内容について示そうと思う。

学習合法」という言葉落とし穴

まず、擁護派が盾にする「著作権法30条の4」について。 確かに今の日本法律では「情報解析」が目的ならば、元データが何であれ(おそらくエロゲーから音声を抽出したデータセット『moe-speech』であっても)、それをAIに食わせてAIモデルを作るだけなら、一応は適法とされている。 そこだけ切り取れば、違法ではないと言い張れる余地はある。

だが、今回の問題本質はそこではない。

Algomaticが行っていたのは、一般的な基盤学習にとどまらず、「特定キャラクター(=特定声優)を狙い撃ちしたFine-tuning(追加学習)」である疑いが極めて濃厚だという点だ。

moe-speech』は、親切なことにキャラごと(声優ごと)にフォルダ分けされている。 ここから特定フォルダを選んで、「その声優の声質や演技の癖」を再現するために個別学習Fine-tuning)を行う。 これはもはや「データ統計解析」ではない。特定個人の実演の「デッドコピー模倣品)の作成」だ。 これをやると、生成された音声には明白な「依拠性」が生まれる。まりパラメータ調整で偶然似た」のではなく、「その声優データ意図的に使って似せた」ことになる。これはパブリシティ権人格権侵害に問われる可能性が極めて高いラインだ。

Algomaticの主張と矛盾する「3つの技術証拠

Algomaticは「適切な権利処理を行った」「声優から許諾を得た」「パラメータ調整で作った」と主張していた。

しかし、有志による技術検証によって、その主張と矛盾する証拠がいくつも出てきている。

音質のバラつきと「スタジオ収録」の嘘

「にじボイス」の音声を分析すると、キャラによって音量が不均一だったり、明らかに古い年代マイクで録ったような「こもった音」が混在していることが判明している。 もし公式が言うように「統一されたスタジオプロを呼んで新規収録」したなら、こんな品質バラつきが出るはずがない。 これは、録音環境年代も異なるバラバラゲームデータmoe-speech等)を寄せ集めたと考えるのが自然だ。

有名声優との「特徴量」の一致

検証の結果、有名声優の声と音声の特徴量が「ほぼ本人」レベルで一致するキャラが多数発見されている。 「パラメータ調整で偶然似た」と言うが、声の高さや速度はいじれても、その人特有の「骨格からくる響き」や「微細な演技の癖」まで偶然一致することは、AIでもまずまずあり得ない。 元データとして「その人の声」を食わせない限り、ここまでの再現不可能だ。

決定的な「おじいちゃん誤爆」の痕跡

これも動かぬ証拠だ。元ネタの『moe-speech』には、作成者の抽出ミスで「幼い女の子祖父の声(老人男性)」に、誤って「幼女女性声優)」のタグが付いているという有名な汚れ(エラー)がある。

これを踏まえて、にじボイスに実装されていた「ある老人キャラ」の声を解析モデルにかけると、どうなるか。 なんと、「この老人の声は、〇〇(特定女性声優である」という判定が出たのだ。

意味がわかるだろうか? にじボイスのモデルは、「このおじいちゃんのダミ声=あの女性声優の声だ」という、moe-speech特有の「間違った知識」を学習していたということだ。

もしAlgomaticが主張するように、スタジオで老人役の声優を収録したなら、そのデータに「女性声優」のタグが付くわけがない。 これは、「タグ付けミスすら直されていないネット上のデータを、中身の検品もせずにそのまま学習させた」という、言い逃れのできない証拠トレーサビリティ)になってしまっている。

結論AI未来を守るために

今回のサービス終了は、日俳連の理不尽圧力によるものではない。

「自社開発」と謳っておきながら、実際はネットデータ検品もせずに流用していた事実が、技術的な証拠によって明るみに出そうになったため、これ以上の追及を避けるために店を畳んだ。

そう見るのが妥当だ。

AI推進派」を自認する人たちにこそ言いたい。 もし本当にAIの発展を願うなら、こうした「産地偽装」のような振る舞いをする企業擁護してはいけない。

それは真面目にコストを払い、権利処理を行い、クリーンデータセットを構築しようとしている技術者への冒涜であり、ひいてはAI技術のもの社会的信用を地に落とす行為だ。

AIから何でも許される」わけではない。技術魔法ではないし、嘘はいつか必ずバレる。

今回の件を「可哀想AIベンチャーいじめられた」と総括するのは、あまりにも事態本質を見誤っている。

以上。

Permalink |記事への反応(0) | 19:04

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2025-11-14

映画】ショウタイムセブンを見た

模範的増田として表現するならお腹痛い日のうんちみたいな映画だった。

最初今日普通のうんちかなと思ってたらだんだん緩くなって最後ビチビチうんちになるそんな映画。32点。

 

傑作韓国映画テロライブ」のリメイクなんだけどいったんそれは置いておいて。

 

日本映画のうんちなところがてんこ盛りな映画だった。

序盤はめっちゃいい。

テレビ報道番組が「政治家と電力会社汚職」について討論している裏で、阿部寛ラジオ番組では「犬派?猫派?」で討論しているギャップから入り、犯人から電話小馬鹿にした対応をとる阿部寛傲慢性格描写し、そして実際にテロが起きてしまう。

警察通報しようとするスタッフを止め元々自分がメインキスターを務めていた報道番組ディレクターに掛け合い、独占スクープにして返り咲きを試みる阿部。緩いラジオ空気が一気に張り詰め。ラジオ局では無精ひげでオフィスカジュアルだった阿部がどんどんキャスター然としたルックスに変身していくのは楽しいし、報道規模が上がっていくのもエスカレーション感があり気持ちも高まってくる。

スタジオではマイクが爆発し、キャスターの席に着いた阿部イヤホンにも爆弾が仕掛けられていることが発覚。緊張がピークに達し、そこから急降下していく。

 

ここから急に全部が雑になっていく。

犯人は当初「父親発電所建築に関わっていたが事故で死亡。しか会社はそれを隠ぺいした。社長テレビに呼び出して謝らせろ!」と要求する。しかしその後、「ギャラ1億出せ」と言い出し、「やっぱ総理大臣呼び出して謝罪させろ」と言い、最終的に「阿部寛、お前の罪を告白しろ」と言い出す。

ハァ?

犯人父親事故死を取材してたのにそれを発表せず握り潰しに国民ニュース番組で「真実を明らかにする!」とか言ってる阿部寛のことを一番恨んでいたのだった!ということがわかるんだけど、そのために発電所爆破するか?という話。そもそも握り潰すかどうか阿部寛に決定権ないだろ。さすがにこれは説得力ない。

 

また犯人祖父犯人の幼少期の教師だったとしてスタジオに乗り込んできて、突然発狂しだしてピンマイクを爆破され殺害されると見せかける展開があるんだけど、普通は生死確認するだろ。そもそも普通スタジオに入れないだろというのはもう報道ハイになってるんだと強引に解釈しても、さすがにゲストとして出した人物の胸が爆発して倒れたら駆け寄るし、生死確認はするだろ。放置するのはあり得ない。

しかもその後数分間は妙に死体(死んでるとは言ってない)越しのショットが多くてはいはい死んでない死んでないってある程度リテラシーのある視聴者にはわかる作りになってるのも逆にうるせぇ。

 

他にも竜星涼が演じる阿部の後任キャスター犯人から送られてきた不正告発メールを元に阿部不正疑惑を突然糾弾しだすんだけどめちゃくちゃ演技がかってて「我、正義探究者ぞ!!!!」みたいな感じでドン引きテロリストに爆弾まみれにされたスタジオ犯人空気入れられてよくその態度になれるな。こいつが犯人なのでは?と思うほどだけど別にそんなことはなく、単に突然スイッチが入ったカッコつけ正義マンだった。なにこれ。

 

見せ場のために見せ場を配置しすぎなんだよね。シーン単位しか考えられてないから、物語の流れで見るとそこがどう見えるかが考えられてないんだと思う。

 

最悪なのは最終盤の展開。

阿部寛犯人父親事件を公開しなかったのは実は電力会社総理テレビ局の談合の結果で隠蔽する褒美として阿部寛報道番組のメインキスターに抜擢されていたことが発覚。なるほど、だから犯人は「電力会社」「総理」「阿部」に謝罪を求めたのかと感じるんだが、でもこの事実犯人知らないんだよ。

阿部が「すいません、俺が隠蔽しました。真実はこうでした」って自分から持ち出してくる証拠から

なのでやっぱり犯人要求が二転三転したのは何だったの?ってなっちゃう。

 

そして阿部犯人のお前の罪を告白しろという要求にこたえ、突入した公安犯人逮捕される。

すると阿部は突然発狂し「この2時間マジで興奮した!!!これがやりたくてテレビ入ってきたんだよな!!!」と言い出し、頭おかしすぎて草ァ!と思ってたらその勢いで「じゃあ視聴者の皆さん、俺が死ぬべきか生きるべきか視聴者投票しましょう」と提案。なぜかスタッフがそれに乗って画面にアンケートを出すのも本当に意味不明。出すわけないだろ。

その投票結果は作中には登場しないんだけど、結果を見た阿部犯人が持っていた爆弾の起爆装置を手に取りスイッチを押す。

その後、事件政府ぐるみ隠蔽したのはどうだこうだ話すコメンテーターや、今回の事件を塗り替えるようにロンドンテロが起きてどうのこうの、そんなこととは関係なくヒット曲を流す音楽番組みたいな「はいはい事件があっても何も変わりませんよわかったわかった」という映像差しまれて、パフュームのキレッキレのダンス映像エンディングで流れて終了。

この展開、特に阿部寛発狂して視聴者が「死ね」に投票するのおもろいと思ったん?阿部アンケート出すスタッフも頭おかしすぎてハァ?としか思えんわ。

もろちん途中で阿部がとった「総理謝罪すると思いますアンケート」の結果、圧倒的に「しない」が優勢で「おい総理、お前こう思われてるぞ。考えたほうがええんちゃうか?」と糾弾した展開のミラーとして「俺はちゃんとするぞ」という姿勢に捉えられなくもない。でもそれって、総理が「俺が謝罪した方がいい?」と聞いて「謝罪しろ」の結果に対してブッチしたのに対してなら成立するけど、勝手アンケート取っといて無視したことに対するミラーリングとして成立してないだろ。

もうこの最後の展開がビチビチうんちすぎて本当に憂鬱になった。

 

最後原作の「テロライブ」との比較

原作では主人公の設定自体は同じで爆破箇所が発電所ではなく巨大な橋に。犯人要求大統領謝罪一本。橋にはリポーターとして主人公の前妻が向かっていて第二爆発で危険な状況に。刻一刻と状況が悪化する中、大統領は一向に謝罪する気配はなく、橋は崩落し前妻は行方不明に。大統領秘書テレビ局長が組んで主人公過去癒着全国的公表さらには今回のテロ犯人一味だと発表。犯人は射殺され、主人公逮捕しようと警察が迫る中、主人公犯人が遺したテレビ局に仕掛けられた爆弾の爆破スイッチを押す。

まずリメイク版では「誰もいない旧発電所」を爆破していたのに対して、原作ではバリバリ稼働中の橋を爆破する。そして最終的に主人公の前妻が巻き込まれた際に犯人は声を震わせ「こうでもしないと大統領謝罪しないと思った」と述べる。覚悟が違うよね。

前妻がテロ現場に残された結果、主人公にも大統領に本気で謝罪を求めるべき正当な理由ができ、あ最初功名心だけだったのがだんだん"正義"に目覚めていく。あるかないかわからんスタジオ爆弾じゃなくて、目に見えて危機に瀕している人を配置する(しかも橋はどんどん崩落していく時間制限である)のは展開としてやっぱ強度が違う。

しかしその結果として最後には主人公自分のすべてを国と組織に剥ぎ取られた結果、犯人同化テロリストとなり自害する展開は、誰もがテロリストになりえるというテーマ性や、こうでもしないとこうまでしても何も変わらないという強い諦観、そして現状に対する強いメッセージ性があった。

なに、最後阿部寛発狂してこれがメディアだ!視聴者だ!ジサツ!っていう露悪展開。アホなん?

規模感もメッセージ性も全部後退してる。リメイクする意味is何?インドリメイクはめちゃくちゃ頑張ってたぞ。

 

地域性を鑑みた改変はいいよ。リアリティを高めるために必要なこともあるよ。

でも単に「ここ金かかりそうだし別の展開でいいか」みたいな志だったら、他人作品なんか使うな。

オリジナルでやれ。冒涜だよ。

Permalink |記事への反応(0) | 09:42

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2025-11-09

anond:20251109202849

高2の数学も解けないなんてそれこそ科学に対する冒涜だよな

Permalink |記事への反応(1) | 20:31

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anond:20251109202415

やっぱフィールズ賞くらい取れてもらわないと科学に対する冒涜だよな

Permalink |記事への反応(1) | 20:26

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2025-10-29

高市トランプ慰安婦」なる言説に接して、怒り心頭被害者への冒涜だろ。

Permalink |記事への反応(1) | 15:32

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2025-10-26

豚汁の神に見捨てられた

まさか気まぐれにマンゴーパインを入れただけで

金輪際旨い豚汁が作れなくなる呪いという罰を受けるとは

神とはかくも無慈悲なのか……

マンゴーパイン豚汁がかくも重い冒涜だったとは…

Permalink |記事への反応(1) | 02:42

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2025-10-24

英雄資質の持ち主に凡人の気持ちはわからない。

お前に対して嫉妬している、という気持ち勘定に入れたら、頭が良いヒーローならわかるだろうがお前は近づくべきじゃない。

可能な限り早くお前の近くからいなくなりたいと思ってるんだから早く離れろ、救おうとするな。理解しようとするな。

それが一番の冒涜だと理解すべき

Permalink |記事への反応(0) | 02:26

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2025-10-19

anond:20251019225308

餅を削るなんて餅に対する冒涜では?

Permalink |記事への反応(1) | 22:56

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2025-10-18

自分いじめていた弟が結婚する

弟が結婚するようだ。いつのまにか。

弟は「良い奴」だ。明朗快活で行動によどみが無く、それゆえ友好関係も広い。物怖じしない性格で、自分の望みを果たすためには投資をためらわない。中高で入っていたバスケットボール部ではキャプテンを務め、体育祭では応援団長の役目を買って出ていた。なんというか、いわゆるクラスの一軍である

弟は専門学校を出たのちに、水産系の企業就職した。船に乗って遠洋に出ていたこともあった。いまは別業界転職しているが、話を聞く限りどうやら職場人間関係は良好で、金払いも良かったようだ。僕は大学院生なので、弟に高い食事を奢られたことがある。

僕は弟のことが嫌いではない。それどころか、むしろ応援している。弟は、僕にできないことができる。まごうことなく「人間」をしている。僕は忙しそうにしている店員さんに遠慮なく自分要望を伝えることができないし、友達を家にたくさん呼んで、楽しくお酒を飲んだり笑い話をするなんてこともできない。はっきりと言うが、なにかこの状況に不足があるとするならば、それは僕にあると思う。どちらかといえば僕がひとでなしなのだ。自己の土台があやふやで弱く、諸般の「実際」に関わる能力に劣っているのだ。

ところで僕は幼少のころ、弟にいじめられていた。兄にも関わらず。年子なので年齢差は小さかったし、弟の方が身体が大きく、力も強かった。下賤な言い方をすると、「オス」として優秀だった。

食卓で、弟の好きなものを先に食べたら、肩を箸で刺されたことがある。僕は、そこで泣いたりしたら負けたことを認めてしまうと思って、余裕を見せるアピールのつもりでへらへら笑っていたが、実際ものすごく痛かった。傷跡は25になった今でもはっきり残っている。ゴキブリ用の殺虫スプレー顔面に散布されて、顔の筋肉麻痺痙攣したこともある。母親が外出中でのことだったが、当時、母には打ち明けられなかった。中学生になっても弟が怖かった。共用のWiiU占有されていた。弟が塾通いで不在の時にだけ、ひそひそ隠れてゲームをしていた。暴力や、人格否定が怖かった。自分の弱さを突き付けられるのが怖かった。僕は勉強机に「死にたい」と書いた。希死念慮というほど固まった願望ではなく、本当に死にたかったわけではない。ただ、自分の弱さと、居場所の無さに情けなく、それら問題を誰かにどうにかしてもらいたかった。母にそれは見つかり、「命は大切にするもの」と叱られて終わった。ささやかでみじめな抵抗だった。

から結婚の報せを受けたその瞬間のこと、僕には目立った感情の動きがなかった。驚きがなかった。ただ、「まあ、だよな」との納得があった。嬉しさもなかった。「まあ、これは弟の話で、人生で、兄の自分のことではないからな」と、頭に自分と弟とを分別して考える壁が生えていた。置いていかれる悲しさもなかった。「まあ、自分結婚できないのは当然だし、他人から愛を感じたこともないし、そういうものだろうな」と受け入れた。

僕は後付けで感動した。感動しておくことにした。こういうとき、兄ならば結婚を祝福するのが普通だろうと思って、「おめでとう」と言い、表面上喜んだ。

僕はひどく自己嫌悪した。僕はなんという砂漠で、渇いていて、不気味なんだろうと思った。弟の結婚ひとつも、心根から喜べないのか? どこまでも人間のロールプレイで、周りの真似事で、そして愛を受け取れないのか? 弟にいじめられていたからだろうか? もし弟に昔のことを誠心誠意謝られたら、僕の中に情動は沸き起こってくるのだろうか? こんなことを考えていては、慶事に対する何かしらの冒涜ではないだろうか?

これは嫉妬ではなかった。弟は僕にとって、嫉妬を抱く対象ではない。ステージが違いすぎる。比べても仕方が無い。だからこそ、余計に自分が目立つ。このステージにはもはや自分しかいなかった。横に並ぶものはほかにいなかった。

被害者意識にまみれた、この醜自分をどうにかしたい。癒えない傷ばかり抱えてうじうじとしている自分を殺したい。もしかしてこれが希死念慮か? 僕は何年か越しに、また「死にたい」と書くことになるのか?

こんど両家の顔合わせがある。どんな面下げて僕は行けばいいのだろうか。少しでもマシな気分になれることを祈る。

Permalink |記事への反応(2) | 23:13

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メロンパンファミチキをはさむ。至福の味。

ば、馬鹿なっ!

貴様は、そのメロンパンなる、安っぽい甘味の衣に、下衆な揚げ物を挟むという、冒涜的な行為を、至福だと抜かすのか!

フライドチキン、それもファミチキなどという、工場大量生産された、味が単調で、油の質も知れたものを!

メロンパンの、あの仄かな甘みとバター香り優美生地の繊細な食感を、脂ぎった肉の暴力で踏みにじるとは、許しがたい蛮行だ!

断言する!それは至福ではない!下品だ!愚劣だ!味覚の退廃だ!

貴様の舌は、野良犬と変わらん!女将を呼べ!こんなものを食っている、この豚を、二度と店に入れるなッ!!

Permalink |記事への反応(0) | 18:11

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2025-10-14

anond:20251014144057

からスクショ書き換えとかその冒涜レベルでも開示請求が通るって話が動画の内容なんだが?

Permalink |記事への反応(0) | 14:57

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2025-10-11

オナニーって神の冒涜じゃん?信仰してる人オナニーしないの?

Permalink |記事への反応(0) | 11:22

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2025-10-10

anond:20251010054456

愚かなる生わさび信者たちへ

味の深奥を知らぬ凡俗どもが、鼻に抜ける刹那の刺激のみを「本物」と称し、手間をかけ、高価な代物を有難がる。その行為こそ、食に対する冒涜だ!

真に優れた食材は、いかに手軽に入手でき、いかにその本質純粋に味わえるかにある。生わさび? 擦りおろす間に香りは飛び、辛味は不安定。それは未完成の味だ!

偉大なる粉わさびの真価

対して、粉わさびこそ、究極のわさびである

その一振りには、研ぎ澄まされた職人の知恵と技術が凝縮されている。水と練り合わせる瞬間、均一で、安定した、鋭利な辛味と芳醇な香りが目覚める。必要ときに、必要なだけ。無駄がない。これこそが、食の合理的、かつ芸術的極致ではないか

「生」というだけの幻想に囚われ、本質を見誤る愚を捨てよ! 粉わさびの持つ、この揺るぎない完成度こそが、真のわさびの神髄なのだ貴様らは、この完璧な味の前で、膝を屈するしかないのだ!

これで、貴様らのくだらないわさび談義は終わりだ。わかったか

Permalink |記事への反応(0) | 06:15

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2025-10-05

大量の電気を消費して作れらたAI文章増田投稿かい地球への冒涜たまんねぇ〜

Permalink |記事への反応(0) | 23:23

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ワークライフバランスを捨てるってゆった!!!!」

【速報】ワークライフバランス捨てると高市2025年10月04日 15時11共同通信

https://www.47news.jp/13246623.html 

高市氏は自民党総裁選出を受け

「全員に馬車馬のように働いてもらう。私自身もワークライフバランスという言葉を捨てる。働いて、働いて、働いていきます

言及した。

どんな速報だよ

  

 

1.シチュエーション文脈について

こんなんにイチャモンつけるようなくっだらねー人間に心底嫌悪感を持つ。

与党総裁への批判で圧倒的一番がこれって。

 

はてな民て結局、しょーもないクレーム被害者ぶりっこ揚げ足取りばっかりのクズみたいな人生送ってる奴らなんだと思う。

自分人生に対して主体的覚悟を持って、脇目もふらず何かを頑張ったという経験が一度もない。

 

それどころかそうやって頑張るという事自体嫌悪していて、

自分以外の誰かが猛烈に頑張ることにすらなんかケチをつけたい感情がある。

当たってるだろ?

  

「全員に馬車馬のように働いてもらう。私自身もワークライフバランスという言葉を捨てる。働いて、働いて、働いていきます

これは自民党内の挨拶であり、高市姿勢表明だ。

お前等になんか何も言ってない。

 

自民党議員に対しては「馬車馬のように働け」と。

そして先頭に立つ高市自身は「ワークライフバランスという言葉を捨てて働く」と。

これの何が問題なんだ?

論理的説明できる人間がお前等の中に1人でも居るのか?

  

 

2.「ワークライフバランス」は普遍価値観

そもそもワークライフバランスってのは少子高齢化対策として採用された使用人向けスローガンだ。

一般サラリーマン待遇に関する標語だ。

好意的に取れば「使用者は使用人に長時間労働させてはいけません」という労働者権利護持であり、

左翼的問題意識を持って受け取れば「国がライフスタイルにまで介入して子供を持たせようと操作している」標語だ。

  

から当然、全員がこんなもん当てはめられなければいけないわけでもない。

例えば経営者なら週7日仕事してたっていいんだしそんな奴は幾らでもいる。

自分が望んでキーエンス就職する奴なら毎日23時まで働けばいいだけ。

反体制左翼も「うるせえな余計なお世話だよ」と反発や無視をしていい。

  

で、国会議員になるような人間経営者キーエンス側の人間だ。

一般人より遥かに重い負荷で働くのが嫌だって奴はそもそも政治家にならない。

 

まして高市総理大臣になったんだから

当然ワークライフバランスなんか捨てるだろうし、捨てると公言しても何も問題がない。

  

高市特別の中の特別なんだからよ。

なんで高市ぐらいの人間がお前ら弱虫と同じ標語弱虫を守る為の標語の下にいる必要があるんだよ死ね 

 

ノブレスブリージュの表明にまでふんぞり返って揚げ足取りする自称弱者様とか

もはやじんかんのどこにも必要ねえだろ。人の世の害虫というものがいるならお前等だよ。

   

   

3.仮に高市が凡人であっても

仮に高市能力も体力も意志もお前らレベルの凡愚な人間だったとしても

それでも別に常にワークライフバランスを守らなきゃいけないわけではない。

 

だって高市は64歳で、ライフイベントなんかもう終わってるから

子供は産まずに人生賭けてやってきた仕事最後で最大の正念場なんだから

まだなんとか動く身体も頭も振り絞って仕事に全部注ぐに決まってるじゃねーか。

     

よくこういう人間決意表明に対してそんな

「俺たち弱虫向けの標語を守らなかった!」なんて言うくっそ情けないケチを付けられるわ。

  

本当に心底くだらない生物、その辺の水たまりに跳ねてるボウフラ程度の値打ちのその生で

いっちょまえの大威張りで自分肯定できるわ水たまりの外で生きる人間に向かって物申せるわ、本当すげーと思うよ。

自己肯定バケモノだなお前等は。

(ちなみにこいつらがこれだけ大事にするWLBを日本で盛り上げた政治家指定難病で無理して働いてたし子がいない)

 

高市は誰かに強制されるのではなしに働く人間で、

高市はお前等なんかに何かを頑張れと言ってるのですらないんだけど、

弱虫でない人間が「私は頑張る」つっただけで被害者みたいな気持ちなっちゃわけだろ?

 

ならもうニュースとか見るの自体やめろよ。  

有益思考をする知能も精神力も無いんだから無駄情報を入れるな。

お前等なんぞ誰からも頼られてないからお前等も無駄駆動をするな。

気の向くことして飯食ってクソして寝てろ。

  

  

4.「無能な働き者!(キリッ)」

それでブコメでなんか、無能な働き者」みたいな文言を書いてる人間が10人超もいるんだよな。

無能」て。

俺は心底不思議なんだけど、なんでお前等が高市能力を見下してるの?

ど~~~~考えても、どの角度から検討しても、高市はお前等なんかより遥かに能力あるだろ。

 

何をどうやれば無能与党総裁まで上り詰められる?

百歩譲って親が財閥トップ総理大臣クラス世襲議員なら

当人が相当ボンクラでも……ってこともあるいはあるかもしれないが

高市地盤看板も鞄もない一般家庭から一代で昇り詰めたししかも女だ。

         

お前等に高市人生を歩ませたら社会に出て最初の3年くらいで泣きを入れて

その後の余生全部ネット被害者意識炸裂させることだけに生を空費する人糞製造機になるわけじゃん。

能力根性もお前等なんかの百倍はあるに決まってるだろ。

  

どうしてそういう当たり前の弁えがないのか、そこが一番不思議なんだよな。

何をどうすればお前等ごとき能力的に高市見下せると勘違いできるの?

人が頑張ると聞いただけでも不愉快なっちゃうようなボウフラちゃんの分際で?

 

物陰から高市非難罵倒する言葉すらほとんど自分の脳を通過してなくて   

人口膾炙しすぎた擦り切れた「無能な働き者」をキリッとした顔で書き付けて

それで何か鋭い批評批判をしたつもりになってるわけじゃん?

 

本当にどのような角度でも能力が低いんだよな。

根性もない、気力もない、センスもない、国語力もない、罵り言葉すら自分のものじゃない。

    

つか

「強い人は言葉いからボクたち無能の神経に配慮してよ!」なのか

高市なんて無能だ!」なのかどっちかにしろよせめて。

  

 

5.聖句で思考する程度の知能について

そもそも国が労働者に対してやるべきことは

せいぜい労基法を守らせることと違反した企業摘発懲罰まで。

  

ワークライフバランス」なんてのは個人生活に立ち入る不届き千万であって

こんなもんは”正しい言葉”でも”よい言葉”でもない。

しろ月月火水木金金」 「欲しがりません勝つまではかに近い。

  

しかはてな民言葉に対するそうした最低限の思考力や注意力もないため、

”正しい言葉”と”悪い言葉”を丸呑みでコレクションする。

(そこまで頭が悪いのに自分経典読みではなくリベラル(笑)だと思っている) 

   

その結果、

ワークライフバランス」なんていう国による・間に合わせの・不格好なスローガン

つのまにかコーランの聖句かなんかぐらいに勘違いするようになって

「あの女が聖句を冒涜的したぞ!」事件が起きたかのように騒いでるわけ。

怠惰で蒙昧で卑怯石打民どもがよ。

  

こういう奴等に本当に必要だったものって出来もしない進歩思想じゃなくて宗教

それもイスラム教ぐらい個人生活に立ち入って来て「ただしいこと」を決めてくれる中世宗教だったんだよな。

自律的思考力なんかありゃしないから。

中世までしか適応できない知能レベルで間違って近代に生まれちゃって苦しんでるわけだから

 

こいつらは脳髄のスペック的にかなり無能なのに、

何故か自分達にちょうどいい価値(古めの宗教迷信陰謀論)を見下してるし

自分達より遥かに能力ある女を見て「無能だ」と大騒ぎしている。

  

政治に関心ある振りをするけど政策なんかは複雑すぎてわからないため、

高市批判するにしても「ワークライフバランス捨てるってゆった!!!」という涜神性問題にして批判する。

本当に敬虔しか取り柄がない連中。

 

無能の他動症はおめーらだろって思うんだけどね。

モスクへ行け。

  

  

おまけ  「夫の介護はどうするの?(ニチャァ)」

いま見るとブコメ欄で「介護」に触れてる者も10名以上いる。

背景として高市は夫の高市拓が今年脳梗塞で倒れて要介護になってる。

  

旦那さんの介護やめて見捨てるの!?2025/10/04

夫の介護の優先度を下げるという意味なのかな 2025/10/04

脳梗塞後遺症介護必要な夫・山本拓氏の世話はやめるということ? 2025/10/04

山本拓さんの介護はどうするんだろう 2025/10/04

こいつらどんなきったねえツラしてこれ書いてるんだろ。

      

高市家の事情なんかは知らんけど

訪問介護サービスを利用したらダメなのか?

夫を介護施設に叩き込んで働くのは許されんのか?

夫の実子である3人の子供たちに分担させたらアカンのか?

   

まり高市が手ずから流動食食わせてクソ拭いて風呂に入れるのしか認められないってこと?

それ以外の選択肢不道徳からこいつらはこんなにニチャついてるわけなのか?

家族介護を人に任せたら不道徳になるのは要は高市嫁だから・女だからか?

ほんとに骨の髄までリベラルだなあおめーらは。  

  

  

それにしても、

夫の介護について「ここが弱点に違いない!」と思いついて実際に書き込むまでのあいだの

どっかの瞬間に我に返って突発的希死念慮に襲われたりしねーのかな。

   

ボウフラちゃんの脳って便利。人間じゃなかなかこうはいかない。

自己保存の怪物

  

高市はこういうくだらない生物たちからのあらゆる投石に負けずにここまで上ってきてて、

ついにボウフラが一生解さないなんらかの信念をこれから果たそうとしてるんだろう。

     

自分の生を何に使うか決めた者と

自己保存に特化した変な怪物

人間と鬼って感じがする。

Permalink |記事への反応(2) | 12:07

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2025-10-04

トランスレズビアンしか問題起こしてなくない?

トランス差別問題と言われているけど、争点になっているのって常に

MtF

男性器有り

性的対象女性

という「未手術の自称トランスレズビアン」だけだよね。

FtMや、手術して戸籍変更して男性結婚したMtFは全く問題になってない。

自認主義過激左派は、女性だという自認を持てば無条件に他者から女性として扱われるべきという自認最強フリーハンドな考え方で、私はこれに完全に反対だし、

宗教右派は、性同一性障害同性愛存在しないと主張していて、私はこれにも完全に反対。

私の姿勢は、自認主義過激左派のお花畑思想女装趣味ノンケ男性性犯罪者)にハックされて、「未手術の自称トランスレズビアン」という肩書を作り出して、女装ノンケ男性による性犯罪を自認主義左派アシストしている状態に対しての反対なんだけど。

何より「未手術の自称トランスレズビアン」の被害に一番遭っているのって本物のレズビアンコミュニティだよね。レズビアンコミュニティイベント自称レズビアン女装ノンケ男性が押し寄せて荒らすというのが実際に起きていて、そうしたトラブルから目をそらして未だにお花畑しているのが自認主義左派

日本でも「心は女性」を自称して女湯侵入する女装ノンケ男性事件が年3回くらいは報道されている。自認主義左派は知らん顔だけど。

左派がここでガバすぎたから、性同一性障害同性愛存在しないという極端な主張をする、医療冒涜する宗教右派の台頭を許したんだと思う。

さすがに左派バカだったし、弱者マイノリティ保護すると言いながら本物のレズビアン女装ノンケ男性性犯罪者)に差し出したのは最悪だった。

自認主義左派vs反医療宗教右派は、バカvsバカなんだよ。左派が負けたのは自陣のバカ勢力を自浄できず、具体的な被害を生み出しながら放置したせい。

 

左派どうバカなのかって、白人男性が「黒人を自認します。黒人向けのアファーマティブアクションなどのサポートを求めます」と言い出したときに、その白人男性攻撃したことなんだよね。

あと自認主義バカにする人たちが「今から自認年齢65歳です。年金支給してください!150歳まで生きます!」みたいなこと言い出しても、自認主義左派攻撃一択だった。

自認主義って、バカにされてて、もはやスパモン教みたいに揶揄されてんの。IDみたいに信じたいもの根拠なく信じつつ権威化しようとしてる愚かな行為なの。自覚してほしい。

何より最悪なのは、その結果、犠牲者として差し出されたのが本物のレズビアンだってこと。あとは社会的地位の低い女性

理屈バカすぎたうえに、性犯罪者に塩を送って弱者危険晒したので、バカな上に有害生ごみなので、もう何もしないで引っ込んでてください、むしろ生きてると余計なことしかしないのでもう死んでくださいってポジションになったのが自認主義左派

Permalink |記事への反応(11) | 14:19

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2025-10-03

anond:20251003114239

え?何かって、Tシャツとして着る以外の使い方をしようと思ってるってこと?

それって、Tシャツを作った人や売った人への冒涜じゃない?

Permalink |記事への反応(1) | 14:16

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anond:20251003124742

君は自分を野人だと思いたくなくて必死だね

まぁ人それぞれだし、その人がいいならこれでもいいんだろう。

とやかく言うつもりはないけれど、私個人はこういう

「平気で本を千切れる人」とは何があっても絶対に相容れない自信がある。

子ども絵本破っちゃうのも無理なのに、大人がそういう事やっちゃう絶対無理。むしろ紙の本買わないで電子書籍にしてって思う。

作者、編集校正装丁、その他たくさんのひとが関わって作られ、わざわざ紙に印刷して作る本に対する冒涜だとすら思うわ。

Permalink |記事への反応(2) | 12:52

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2025-09-29

anond:20250929165228

こわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわい

さあくるぞほらくるぞもうくるぞさあくるぞほらくるぞもうくるぞ

冒涜冒涜冒涜冒涜冒涜冒涜冒涜冒涜冒涜冒涜冒涜冒涜冒涜冒涜冒涜

↑これをありとあらゆる言い回しを使って延々と書く

Permalink |記事への反応(1) | 16:54

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2025-09-21

ぼざろの改変は、シーンとして特に違和感はないんだけど

ぼっちちゃん原作と違って水着を着たあのシーンは、単体で見れば特に違和感はないよね。

だってそもそもあれは「奇行」だからさ。そもそもおかしいんだからさら違和感トッピングしたところで何も変わらない。

から放送見た時に不満感じたのは、「原作との差異はなんでも不満」に感じる一部ガチ勢だけ。


ただ、冷静に考えてみると、ちょっと自然な改変になってるよね。

パニックになっておこした衝動的な行動として、「自宅の風呂なのに、わざわざ水着を引っ張り出してきて着る」はなんかおかしい。

ギャグマンガとしてリアリティレベルを下げた表現手法を選ぶにしても、着せるべき服は「滝行やる修行僧の服」とかの方が分かりやすい。

水着パニックアイコンでも、自傷行為アイコンでもないから。


はいっても違和感は小さいレベルから、シーン単体では特に問題ないんよ。

から原作者と意見が一致してるのはそりゃそうでしょう。


ただ脚本家は、そのほとんど違和感のない改変にわざわざ注目し、わざわざ事後的に変な意味づけをしてしまったの。

原作者がOKしてるんだからミリ問題ない」論はここをごまかしてる。

作品内容については原作者との合意があることは確実だけど、事後的な意味づけまで普通詳細に打ち合わせしたりしないでしょう。


架空のたとえ話として、ある作品にアニオリのキャラを登場させて、しかもそのキャラ死ぬ結末だったとしよう。

エピソードはめちゃくちゃ感動的に出来上がってたとする。

でも放送後に脚本家が「原作はこのあたりでちょっと感動が足りなくて中だるみだと思ってたので、一人くらい死なせた方がいいと思ったんですよね」とか言ったらドン引きでしょう。


今回の脚本家言葉は、一部のファンにはそれくらいの冒涜に聞こえたんだと思う。

Permalink |記事への反応(0) | 19:48

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2025-09-19

アニメ巨人の星」を見てるんだがナチュラル放送禁止用語ポンポン出てくる

配信アニメ巨人の星」を見てるんだがナチュラル放送禁止用語ポンポン出てくる

日雇い人夫」が有名だがそれ以外にも多様な放送禁止用語が次々にごく自然に出てくる

地上波再放送では音声消されてるらしいが配信ではそんなことはない

そしてわかることは差別意図などどこにもないということだ

結局その単語差別的かどうかとかは文脈で決まるのであって単語自体を消すことになんの意味もない

しろ作品意図がわからなくなり誤解を招く

悪い言葉なんて無い

問題があるとすれば言葉を使う人間の方だ

放送禁止用語だと言って音声を消すなどという行為言葉狩りであり表現の自由侵害

巨人の星に限らず昔の作品はとかく言葉狩りの対象になりがちだが作品への冒涜だと思う

これ以上過去作品の改変はやめてほしい

Permalink |記事への反応(0) | 18:26

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2025-09-15

戦後保守」と鎮魂と平和

ちょっと前にtwitter(現X)に、民族主義右翼団体一水会を「戦前の亡霊みたい」と揶揄する投稿が流れてきてびっくりした。この投稿によれば、一水会は、大アジア主義などの戦前思想を受け継いでいる「サヨク」と同類であり、戦後保守本流は「親米反共統一協会在日米軍とも仲が良い」のだそうだ。いまどき大アジア主義など意識しているのはこのtwitter子くらいで、この指摘はかなりトンチンカンだと思ったが、妙に心に残った。

親米反共統一協会在日米軍とも仲が良い」のは、国家主義右翼生存のための苦渋の方便だとずっと思っていたが、外面が内面侵食規定してしまったのが現在の(戦後のでは断じてない)「保守本流」なのか。

民族自決放棄した保守本流はあり得ないだろうと、その時は仰天したが、一方で、いろいろ合点もいった。

私は、ある年に靖国神社にご縁ができて以来、毎年数回参拝に行っている。すると祭以外の平日でも、たまに境内オールアメリカンスタイルマーチングバンドに遭遇する。その度に、戦中のアメリカ軍楽隊役割を思い、この人たちはなぜ英霊への敬愛のていで御霊が嫌がることをするのだろうと不可解だったが、そうではなかったのだ。

彼らが敗戦から学んだのは、国力に勝る大国と戦ってはいけないということではなく、固有名詞としてのアメリカと戦ってはいけないということだったのだ。だからアメリカン楽曲靖国神社境内で派手に演奏して御霊に聞かせるというパフォーマンスを行うのだ。それは、こんなにアメリカと仲良くなりましたよ、安心してお眠り下さいという彼らなりの鎮魂なのだ

この英霊への鎮魂は、しかしやはり冒涜ではないか。聖域で禁忌を犯し神を怒らせて雨乞いをするような平和への願いは、無事叶うのだろうか。

Permalink |記事への反応(0) | 13:50

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2025-09-10

実際のところ電子書籍で「読書」なんて出来ない。

お前らは電子書籍を使って「本を読んでいる」と胸を張っているが、その実態電子スクリーンに映された文字をなぞっているだけだ。

本を読むという行為本質理解していない。

まず、ページをめくる感触を思い出せ。

紙の重み、ページの匂いインクの凹凸を指先で感じる喜び。

それを捨ててタップひとつで次のページに飛ぶなんて、本当に本を楽しんでいると言えるのか。

電子インクの表示が紙に似せていると思っているなら、笑わせるな。

表示はしょせん反射型ディスプレイの真似事にすぎない。


次に文字サイズ行間だ。

お前らは自分好みに調整できることをありがたがっているが、そんな自由度本来不要だ。

著者が想定した行間文字サイズには、文章リズムを保つための微妙計算がある。

お前らが勝手に設定をいじって、リズムを崩して何が得られるというのか。

本を味わうというのは著者とデザイナーが紡いだ「読みやすさの設計」そのもの体感することではないのか。

さらハイライト機能だ。

重要な一節にペンを走らせる行為をお前らは電源を入れた指先でなぞる。

物理的に線を引き、そこに残る跡にこそ「学びの証」が宿るのだ。

データとして蓄積されたハイライトログに、一体どれほどの重みがあるというのか。

過去に戻って、その跡を辿ることはできない。

指紋のように消えないマーカーでしか、あの瞬間の気持ちは蘇らないのだ。

さら問題なのは読書連続性を途切れさせる通知の洪水だ。

SNS更新ニュースの速報、メールの着信。お前らはいつでも割り込み許可して読みかけのページを離れてしまう。

紙の本ならば通知も音もなく、静寂の中で思考は深まる。

だがKindleはその静寂を蹂躙し、お前らの集中力を根こそぎ奪う。

読書とは思考連鎖を止めないことであり、その連鎖を断ち切るのは言語冒涜に等しい。

それでもお前らは言うだろう。「何百冊も持ち歩ける」「暗闇でも読める」「辞書引きが楽だ」と。

だが、そのために失ったものは何かを考えろ。重くてかさばる紙の本を背負い、読了の達成感とともに本棚に並べることで芽生える誇り。

読み返したい一節を探すときに手が覚えている――その感覚を失えば、読書はただの情報消費で終わってしまう。

お前らは本当に読者なのか。

それともただの文字消費者にすぎないのか。

それを自問しろ。もし本を愛し、本を支え、本の重みを理解したいなら、今すぐKindleを消し、本棚に足を運べ。

そして一冊の紙の本を手に取り、その匂いと手触りを感じながら最初の一頁をめくる。

それが本物の読書への第一歩だ。

それでもなおお前らが「便利さ」を選ぶなら、せめて静かな部屋に閉じこもり、通知を切り、本を読むという行為に集中しろ

だが、やはりそれでも足りない。

本物の読書体験は、画面では再現できない領域にこそ存在するのだから

Permalink |記事への反応(4) | 10:35

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2025-09-07

anond:20250905054532

私の世界は、丁寧に、そう、まるで細胞の一つ一つにまで神経を行き届かせるようにして磨き上げられた、半径およそ十メートルほどのガラスの球体であり、その球体の中心には、世界のすべてであり、法であり、そして揺るがぬ神であるところの、生後六ヶ月の息子、光(ひかる)が、ただ健やかな呼吸を繰り返している。その完璧な球体を維持すること、それこそが水無月瑠璃(みなづき るり)、すなわち三十一歳の私に与えられた唯一にして絶対の使命であったから、私は今日もまた、タワーマンション二十八階、陽光白磁の床にまで染み渡るこのリビングダイニングで、目に見えぬ埃の粒子と、あるいは時間という名の緩慢な侵食者と、孤独な、そして終わりなき闘争を繰り広げているのであった。北欧から取り寄せたというアッシュ材のテーブルの上には、一輪挿しに活けられたベビーブレスの、その小さな白い花弁の影さえもが、計算され尽くした角度で落ちており、空気清浄機は森の朝露にも似た清浄さを、ほとんど聴こえないほどの羽音で吐き出し続け、湿度計のデジタル表示は、小児科医が推奨する理想の数値、六十パーセントを寸分違わず指し示しているのだから、およそこの空間に、瑕疵という概念の入り込む余地など、どこにもありはしなかった。かつて、外資系コンサルティング会社で、何億という数字が乱れ飛ぶ会議室の冷たい緊張感を、まるで上質なボルドーワインでも嗜むかのように愉しんでいた私自身の面影は、今やこの磨き上げられたガラス窓に映る、授乳のために少し緩んだコットンのワンピースを着た女の、そのどこか現実感を欠いた表情の奥に、陽炎のように揺らめいては消えるばかりであった。

思考は、そう、私の思考と呼んで差し支えるならば、それは常にマルチタスクで稼働する最新鋭のサーバーのように、光の生存に関わる無数のパラメータによって占有され続けている。次の授乳まであと一時間二十三分、その間に終わらせるべきは、オーガニックコットンでできた彼の肌着の煮沸消毒と、裏ごししたカボチャペーストを、一食分ずつ小分けにして冷凍する作業であり、それらが完了した暁には、寝室のベビーベッドのシーツに、もしかしたら付着しているかもしれない、私たち世界の外部から侵入した未知のウイルスを、九十九・九パーセント除菌するというスプレー浄化せねばならず、ああ、そういえば、昨夜翔太が帰宅時に持ち込んだコートに付着していたであろう、あの忌まわしい杉花粉の飛散経路を予測し、その残滓を、吸引力の変わらないただ一つの掃除機で完全に除去するというミッションも残っていた。これらすべては、愛という、あまり曖昧情緒的な言葉で語られるべきものではなく、むしろ生命維持という厳格なプロジェクト遂行するための、冷徹なまでのロジスティクスであり、私はそのプロジェクトの、唯一無二のマネージャーであり、同時に、最も忠実な実行部隊でもあった。誰がこの任務を私に課したのか、神か、あるいは生物としての本能か、はたまた「母親」という名の、社会発明した巧妙な呪縛か、そんな哲学的な問いを発する暇さえ、このシステムは私に与えてはくれなかった。

である翔太は、疑いようもなく、善良な市民であり、そして巷間(こうかん)で言うところの「理想の夫」という、ほとんど神話上の生き物に分類されるべき存在であった。彼は激務の合間を縫って定時に帰宅すると、疲れた顔も見せずに「ただいま、瑠璃。光は良い子にしてたかい?」と、その蜂蜜を溶かしたような優しい声で言い、ネクタイを緩めるその手で、しかし真っ先に光の小さな体を抱き上げ、その薔薇色の頬に、まるで聖遺物にでも触れるかのように、そっと己の頬を寄せるのだ。週末になれば、彼はキッチンで腕を振るい、トマトニンニク匂いを部屋中に漂わせながら、私や、まだ食べることもできぬ光のために、絶品のペペロンチーノカルボナーラを作り、その姿は、まるで育児雑誌グラビアから抜け出してきたかのように、完璧で、模範的で、そして、どこか非現実的ですらあった。誰もが羨むだろう、この絵に描いたような幸福風景を。友人たちは、私のSNS投稿される、翔太が光をあやす姿や、手作り離乳食が並んだテーブル写真に、「理想家族!」「素敵な旦那様!」という、判で押したような賞賛コメントを、まるで祈り言葉のように書き連ねていく。そう、すべては完璧なのだ完璧なはずなのだ。このガラスの球体の内部では、愛と平和と秩序が、まるで美しい三重奏を奏でているはずなのだ

――だというのに。

夜、ようやく光が天使のような寝息を立て始め、この世界のすべてが静寂という名の薄い膜に覆われた頃、ソファで隣に座った翔太が、労わるように、本当に、ただ純粋愛情と労いだけを込めて、私の肩にそっと手を置く、ただそれだけの、あまりにも些細で、そして無垢行為が、私の皮膚の表面から、まるで冷たい電流のようにして内側へと侵入し、脊髄を駆け上り、全身の毛穴という毛穴を、一斉に収縮させるのである。ぞわり、と。それは、神聖な祭壇に、土足で踏み込まれときのような、冒涜的な不快感であった。あるいは、無菌室で培養されている貴重な細胞のシャーレに、誰かが無頓着なため息を吹きかけたときのような、取り返しのつかない汚染への恐怖であった。彼の指が触れた肩の布地が、まるで硫酸でもかけられたかのように、じりじりと灼けるような錯覚さえ覚える。私は息を止め、この身体が、この「水無月瑠璃」という名の、光のための生命維持装置が、彼の接触を、システムに対する重大なエラー、あるいは外部からハッキング行為として認識し、全身全霊で拒絶反応を示しているのを、ただ呆然と、そして客観的に観察していた。

「疲れてるだろ。いつも、ありがとう

翔太の声は、変わらず優しい。その瞳の奥には、かつて私が愛してやまなかった、穏やかで、そして少しだけ湿り気を帯びた、雄としての光が揺らめいているのが見える。それは、私を妻として、女として求める光であり、かつては、その光に見つめられるだけで、私の身体の中心が、熟れた果実のようにじゅくりと熱を持ったものだった。だというのに、今の私には、その光が、聖域である保育器を、ぬらりとした舌なめずりをしながら覗き込む、下卑た欲望眼差ししか見えないのだ。許せない、という感情が、胃の腑のあたりからせり上がってくる。この、二十四時間三百六十五日、寸分の狂いもなく稼働し続けている精密機械に対して、子を産み、育て、守るという、この宇宙的な使命を帯びた聖母に対して、己の肉欲を、その獣のような本能を、無邪気に、そして無自覚にぶつけてくるこの男の、そのあまりの鈍感さが、許せないのである

ケダモノ

その言葉が、私の内で、教会の鐘のように、低く、重く、そして厳かに反響する。そうだ、この男はケダモノなのだ。私がこの清浄な球体の秩序を維持するために、どれほどの精神を、どれほどの時間を、どれほどの自己犠牲にしているのか、そのことを何一つ理解しようともせず、ただ己の種をばら撒きたいという原始の欲動に突き動かされているだけの、ただのケダモノなのだ

そんなはずはない、と、脳のどこか、まだかろうじて「かつての私」の残滓が残っている領域が、か細い声で反論を試みる。これは翔太だ、私が愛した男だ。雨の匂いが充満する安ホテルの、軋むベッドの上で、互いの名前を喘ぎ声で呼び合いながら、世界の終わりが来るかのように貪り合った、あの夜の彼なのだパリへの出張中、セーヌ川ほとりで、どちらからともなく互いの唇を求め、道行く人々の冷ややかな視線さえもが、私たちのためのスポットライトのように感じられた、あの瞬間の彼なのだ結婚記念日に、彼が予約してくれたレストランの、そのテーブルの下で、こっそりと私のスカートの中に忍び込んできた、あの悪戯っぽい指の持ち主なのだ。あの頃、私たちは互いの肉体という言語を、まるで母国語のように自在に操り、その対話の中に、世界のどんな哲学者も語り得ないほどの、深遠な真理と歓びを見出していたはずではなかったか。あの燃えるような記憶は、情熱の残骸は、一体どこへ消えてしまったというのだろう。それはまるで、昨夜見た夢の断片のように、あまりにも色鮮やかで、それでいて、掴もうとすると指の間から霧のように消えてしまう、遠い、遠い銀河の光なのである

瑠璃…?」

私の沈黙を訝しんだ翔太が、私の顔を覗き込む。私は、まるで能面のような無表情を顔面に貼り付けたまま、ゆっくりと彼の手を、自分の肩から、まるで汚物でも払いのけるかのように、そっと、しかし断固として取り除いた。そして、立ち上がる。

「ごめんなさい。少し、疲れたみたい。光の様子を見てくるわ」

それは、完璧な嘘であり、そして、完璧真実でもあった。私は疲れていた。だがそれは、育児という名の肉体労働に疲れているのではなかった。私という個人が、水無月瑠璃という一個の人格が、「母親」という名の巨大なシステムに呑み込まれ、その歯車の一つとして摩耗していく、その存在論的な疲弊に、もう耐えられなくなりつつあったのだ。これは、巷で囁かれる「産後クライシス」だとか、「ホルモンバランスの乱れ」だとか、そういった便利な言葉で容易に片付けられてしまうような、表層的な現象ではない。違う、断じて違う。これは、一個の人間が、その魂の主導権を、自らが産み落とした別の生命体に完全に明け渡し、「装置」へと、あるいは「白き機械」へと、静かに、そして不可逆的に変質していく過程で生じる、存在のものの軋みなのである

聖母、とはよく言ったものだ。人々は、母という存在を、無償の愛と自己犠牲象徴として、何の疑いもなく神格化する。だが、その実態はどうか。自己を失い、思考も、肉体も、感情さえもが、すべて「子」という絶対的な存在奉仕するためだけに再構築された、ただのシステムではないか。私は聖母などではない。私は、高性能な乳製造機であり、汚物処理機であり、そして最適な環境提供する空調設備が一体となった、ただの生命維持装置に過ぎないのだ。この気づきは、甘美な自己陶酔を許さない、あまりにも冷徹で、そして絶望的な真実であった。そして、この真実を共有できる人間は、この世界のどこにもいやしない。翔太のあの無垢な優しさでさえ、結局は、この優秀な装置が、明日も滞りなく稼働し続けるための、定期的なメンテナンス作業しか見えないのだから、その孤独は、宇宙空間にたった一人で放り出された飛行士のそれに似て、どこまでも深く、そして底なしであった。友人たちがSNS投稿する「#育児は大変だけど幸せ」という呪文めいたハッシュタグは、もはや、この巨大なシステムの異常性に気づいてしまった者たちを、再び安らかな眠りへと誘うための、集団的自己欺瞞儀式しか思えなかった。

寝室に入ると、ベビーベッドの中の光は、小さな胸を穏やかに上下させながら、深い眠りの海を漂っていた。その無防備な寝顔は、確かに、この世のどんな芸術品よりも美しく、尊い。この小さな生命を守るためならば、私は喜んで我が身を投げ出すだろう。だが、それは、この身が「私」のものであった頃の話だ。今の私にとって、この感情は、プログラムに組み込まれ命令遂行しているに過ぎないのではないか。愛でさえもが、システムを円滑に稼働させるための、潤滑油のような機能に成り下がってしまったのではないか。そんな疑念が、毒のように心を蝕んでいく。

私は、息子の傍らを離れ、再びリビングへと戻った。翔太は、ソファの上で、テレビの光をぼんやりと浴びながら、所在なげにスマートフォンをいじっている。その背中は、拒絶された雄の、どうしようもない寂しさを物語っていた。かつての私なら、きっと背後からそっと抱きしめ、「ごめんね」と囁いて、彼の寂しさを溶かしてやることができただろう。しかし、今の私には、もはやそのための機能が、インストールされていないのである

私は、彼に気づかれぬよう、書斎として使っている小さな部屋に滑り込んだ。そして、ノートパソコンの冷たい天板に触れる。ひやりとした感触が、指先から伝わり、かろうじて、私がまだ血の通った人間であることを思い出させてくれるようだった。スクリーンを開くと、真っ白な光が、闇に慣れた私の網膜を焼いた。カーソルが、無人荒野で、点滅を繰り返している。何を、書くというのか。誰に、伝えるというのか。この、言葉にもならぬ、システムの内部で発生したエラー報告を。この、機械の内部から聞こえてくる、魂の悲鳴を。

それでも、私は指を動かした。これは、誰かに読ませるためのものではない。これは、祈りでもなければ、懺悔でもない。これは、私という名の機械が、自らの異常を検知し、その原因を究明し、あるいは再生可能性を探るために、己の内部へとメスを入れる、冷徹自己解剖の記録なのだ

真っ白な画面に、私は、震える指で、最初言葉を打ち込んだ。

『これは、私という名の機械が、自己を観察し、分解し、あるいは再生を試みるための、極秘の設計図である

その一文を打ち終えた瞬間、私の内側で、何かが、硬い音を立てて、砕けたような気がした。それが希望の萌芽であったのか、それとも、完全なる崩壊への序曲であったのか、その時の私には、まだ知る由もなかったのである。ただ、窓の外で、東京夜景が、まるで巨大な電子回路のように、無機質で、そして美しい光を、果てしなく明滅させているのが見えた。私もまた、あの無数の光の一つに過ぎないのだと、そう、思った。

自己機械定義たからには、次なる工程は当然、その性能向上のための最適化、あるいは、旧弊OSから脱却するための、大胆にして静かなるアップデート作業へと移行せねばならぬのが、論理的な、そして必然的帰結であった。そう、これは革命なのだと、私は深夜の書斎で、青白いスクリーンの光に顔を照らされながら、ほとんど恍惚とさえいえる表情で、そう結論付けたのであった。かつてロベスピエールが、腐敗した王政ギロチン台へと送り、新しい共和制の礎を築かんとしたように、私もまた、この「母親という名の献身」や「夫婦の情愛」といった、あまりにも情緒的で、非効率で、そして実態としては女の無償労働を美化するだけの前時代的な概念を、一度完全に解体し、再構築する必要があったのだ。そのための武器は、かつて私が外資系コンサルティングファームで、幾千もの企業相手に振り回してきた、あの冷徹ロジックと、容赦なき客観性という名のメスに他ならない。愛という名の曖昧模糊とした霧を晴らし、我が家という名の王国を、データタスクリストに基づいた、明晰なる統治下に置くこと、それこそが、この「水無月瑠璃」という名の機械が、オーバーヒートによる機能停止を免れ、なおかつ、その内部に巣食う虚無という名のバグ駆除するための、唯一の処方箋であると、私は確信していたのである

かくして、週末の朝、光が心地よい午睡に落ちた、その奇跡のような静寂の瞬間に、私は翔太をダイニングテーブルへと厳かに召喚した。彼の前には、焼きたてのクロワッサンと、アラビカ種の豆を丁寧にハンドドリップで淹れたコーヒー、そして、私が昨夜、寝る間も惜しんで作成した、全十二ページに及ぶパワーポイント資料印刷したものが、三点セットで恭しく置かれている。資料の表紙には、ゴシック体の太字で、こう記されていた。『家庭内オペレーション最適化計画書 Ver. 1.0 〜共同経営責任者(Co-CEO体制への移行による、サステナブル家族経営の実現に向けて〜』。翔太は、そのあまりにも場違いタイトルを、まるで理解不能な古代文字でも解読するかのように、眉間に深い皺を刻んで見つめた後、恐る恐る、といった風情で私に視線を向けた。その瞳は、嵐の前の静けさにおびえる子犬のように、不安げに揺れている。まあ、無理もないことだろう。彼にしてみれば、愛する妻が、突如として冷酷な経営コンサルタントに豹変し、家庭という名の聖域に、KPIだのPDCAサイクルだのといった、無粋極まりないビジネス用語を持ち込もうとしているのだから

瑠璃、これは…一体…?」

説明するわ、翔太。よく聞いて。これは、私たち家族が、これから幸せに、そして機能的に存続していくための、新しい聖書バイブル)よ」

私は、そこから淀みなく、プレゼンテーションを開始した。現状分析As-Is)、あるべき姿(To-Be)、そのギャップを埋めるための具体的なアクションプラン家事という、これまで「名もなき家事」という名の混沌の海に漂っていた無数のタスクは、すべて洗い出され、「育児関連」「清掃関連」「食料調達調理関連」「その他(消耗品管理資産管理等)」といったカテゴリーに分類され、それぞれに担当者と所要時間、そして実行頻度が、美しいガントチャート形式可視化されている。例えば、「朝食後の食器洗浄」は、担当:翔太、所要時間:十五分、頻度:毎日、といった具合に。さらに、月に一度、近所のカフェで「夫婦経営会議」を開催し、月次の進捗確認と、翌月の計画策定を行うこと、日々の細かな情報共有は、専用のチャットアプリで行うこと、そして何よりも重要なのは、これまで私一人が暗黙のうちに担ってきた「家庭運営の全体を俯瞰し、次の一手を考える」という、いわば管理職としての役割を、これからは二人で分担する、すなわち、彼にもまた、単なる作業員(ワーカー)ではなく、主体的思考する共同経営責任者(Co-CEO)としての自覚と行動を求める、ということ。私の説明は、かつてクライアント企業役員たちを唸らせた時のように、理路整然としており、反論余地など微塵もなかった。翔太は、ただ呆然と、私の言葉の奔流に身を任せるしかなく、すべての説明が終わった時、彼はまるで催眠術にでもかかったかのように、こくり、と小さく頷いたのであった。

「…わかった。瑠璃が、そこまで追い詰められていたなんて、気づかなくて、ごめん。僕も、頑張るよ。君を、一人にはしない」

その言葉は、疑いようもなく誠実で、彼の優しさが滲み出ていた。私は、その瞬間、胸の奥に、ちくり、と小さな痛みを感じたのを覚えている。違う、そうじゃないの、翔太。私が求めているのは、あなたのその「頑張るよ」という、まるで部下が上司に忠誠を誓うような言葉ではない。私が欲しいのは、私がこの計画書を作る必要すらないほどに、あなたが私の脳と、私の視界と、私の不安を共有してくれるPermalink |記事への反応(0) | 05:15

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2025-09-03

石破は外国からきた要人に「キムチを載せたうな重」をふるまいもてなした。

いやいやいや。

これはうなぎに対する冒涜だろ。

石破に罰をあたえるとしたら、どういう罰がいいと思う?

Permalink |記事への反応(9) | 14:00

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