
はてなキーワード:再現性とは
なんで日本除くのか?
まず投資の基本なんだけど、自分の場合は「生活が破綻しないこと」。
大きく儲けて遊んで暮らすとかじゃない。
世の中が大変になっても、自分と家族が生きて行けるって事が一番にくる。
これをベースに話していくんだが、
この時、自分の働いている会社が潰れたり、収入が減ったりする可能性が高い。
これがダブルリスクということ。これを拒否するために、日本株式には投資しないわけだ。
では、逆の状況を考えてみる。日本経済がものすごく良くて日本株式が上昇し、インフレが起きるっていう状況。
日本経済がめちゃめちゃ良くなっても、賃金はそんなに上がらない。
日本経済が良くなる時、同時に世界経済も良くなる可能性が高い。こういう時には世界株式から利益が上がるので問題はない。
ただ、これが起きる可能性が非常に低いので、やはり日本株式に投資する必要はない。
景気が良すぎて、日本株がアホほど上昇してる時っていうのは自分の仕事だってまずまずうまくいく。
インフレに対する自分の給与の伸びはおそらく追いつかない。インフレにやや苦しむだろうが、おそらく生活はできるだろう。
ただ、これが成り立つのは45歳である俺とか、30歳である元増田の話。
もしも高齢者で働けないのなら、日本株にも少し入れといてもいいと思うよ。
でも、優秀な日本の年金が物価スライドっていう素晴らしい制度を用意しているし、日本株式にも投資してくれているからね。
個人で対応しなくても、国が最初から準備してくれてるんだ。すごいよね。
労働人口の減少と高齢化率の上昇は経済にとって圧倒的にマイナス。
移民受け入れも進んでおらず、将来的に労働人口の減少から日本経済は徐々に停滞する可能性が高い。
そもそも日本の経済成長に期待しにくいのだが、仮にものすごく経済成長した場合にはアメリカさんが文句言ってきて、日本経済を抑圧するからね。
実際にそれがあった。
1980年代にJapanasNo.1 な時代があったけれど、プラザ合意で円高。バブル崩壊。
これだって別にリーマンショックみたいなもんで。政府が適切に対処すりゃここまで傷は大きくならなかったと思うんだけど。土地バブルとか原野商法とか放置して現在までその傷が尾を引いてるわけだからね。親からの相続でよくわかんない北海道の山野とかが出てきて唖然とした人は結構いるんじゃない??
(参考:YouTube チャンネル 資産価値ゼロ 限界ニュータウン探訪記:)
1980年代後半、当時の公定歩合見ても、なんで日銀もっと早く利上げしなかったんだって本当イライラするよ。
今だって10月に利上げすべきだったと俺は思ってるんだが、まだ利上げしてないしね。
利上げをすれば多額の変動住宅ローン背負っている人とかが苦しむのはそうなんだけど、そういう失敗した人たちはある程度切り捨てていかないと、経済ってのは成長しないんだよ。
社会主義・弱者救済と経済成長とは両立しにくい。弱者切り捨てをしながら全力で経済成長に振り切った国家には経済成長で負けちゃうんだよね。
で、次に、日本のシルバー民主主義の話だが。日本は高齢者が多くて年金に頼って生活してる人が多い。
めちゃめちゃ株式が上がるときはインフレも起きるけど、年金生活者はインフレに耐えられないんで、インフレが起きないような政策的に揺り返しが起きる。
現在、高市政権でインフレが起きてるけど、高齢者から反発を食らって落ち着いてくると思いますね。
で、今書いたように政策的な部分でも日本っていうのは経済成長に全振りできない要素がある。
株が上がって経済成長したとしてもアメリカさんや高齢者さん達から物言いが入ってどこかでストップになる。
もう1つ、地政学的リスク。アメリカと中国の経済対立の最前線に立ってるっていうのもマイナス要因だよね。台湾有事とか。
安倍政権下でものすごい量的緩和をしてきたとか、日銀が日本株インデックスETF を相当買い入れて上がっているとかね。
たまに「日本は世界で最も成功した共産主義国家だ」なんて冗談も見ますが。あながち間違ってない。
理想的ポートフォリオみたいな話があって、時価総額通り均等に投資すればそれが一番良い。
リスク少なく大きなリターンを期待できるっていう理論があるけど、それって世界中の株式市場が理想的に運営されてる場合の話ね。
実際には各国に色んな規制があり、日銀による日本株ETF大量購入とかがあるわけで理想的な状況ではないのよ。
理想的ポートフォリオを達成するための理想的条件が現実世界には存在しないのよ。現実世界は理想からずれているわけ。
あとはテクニカルな面もある。
元の記事にも書いた通り、我々の年金っていうのは結構大きな部分が日本株に投資されている。
だから自己資金では日本株式を減らさないと理想的ポートフォリオからズレてしまう。
だから理想的ポートフォリオ追求しようとするならも、自分の年金額を考えて、日本株投資分を除いて投資しなきゃいけない。
やっぱり一定程度は日本株を除く投資をしなきゃいけないって話になる。
とはいえ、元記事も書いた通り、「日本株に含むか含まないか」っていうのは投資収益の大きな部分ではない。だから含んだって構わない。
これを書いたのは「日本株除く」に疑問が多く出ていたからで、別に「この投資が唯一絶対の正しい投資方針だ」なんて俺は思っていない。
自分がうまくいった方法だし、再現性高く、他の人も実践できると思っている。
だから、自分の妻の資金も子供たち(未成年)の資金もこの方針を運営していて、家族全体でも投資は成功している。
1000万円投資先が分からないニキのために書き、言葉足らずだった部分を補った。
> “日本経済がめちゃめちゃ良くなっても、賃金はそんなに上がらない。”いや、そこは上がれよ
このところ日本株式インデックスが過去最高値を更新していたね。
これが経済の仕組み。上がってほしいのはわかるが、昇給を勝ち取るのは大変だ。
>投資の原則である分散のために日本を除いた投資商品を持つのがセオリー(ただこの何年かは日本株は割安で買い時でしたね)
おおむね同意。
「この何年か」ではなくて、「30年ほど」だと思いますけど。いやいや、今となっては「ここ100年は」の間違いか。
でもねぇ、値動きが荒すぎて怖いよ。
>持ち株会にコツコツ積んでた父親の株式を相続して持ってるのが大きくて、これ以上は日本株は不要と考えてたから、旧NISAでは先進国株式が7割に新興国株式が3割くらいだった。新NISAは考えるの面倒でオルカン一本。
ええやん。
>拙者は…オルカン率高めな忍者だけど、日本を除いちゃうと銘柄選定に制限が出て最適なパフォーマンスが出ないのではと考えてるタイプの忍者。出口の瞬間も日本強ければ良し、弱ければ配分少ないから影響も少な(忍
そうでござるか。
それも1つの考え方でありましょうな。
>日本除くってのは自分自身が円資産だという考え。既に2~3億の円資産があるなら残りは海外で良いだろって考えだよ。
せやね
生涯年収を2億と仮定して、これが安定の円資産。だから海外中心に投資する方がバランスがとれるという意見ですね。
>持ち株会反対も同じで、自分が持ち株(ただし、弊社はファンドに買収されて株価10倍になって涙目)
そんなこともあるんだね。
でも自社株に fullbet なんてできないでしょ。
その儲けが100万なのか、1000万なのか知りませんが、長期投資で取り戻せる額だと思います。
そういうのって言い出したらきりがないよ。見逃してきた10倍株、100倍株。たくさんあるはず。iPhone を買う代わりにApple 株を買っておけばとか。Kindle 本を買う代わりにAmazon 株を買っておけばとかね。
仕事に精を出し、日々研鑽を積み重ね、投資は気にせず、じっくり豊かな人生を歩んでいきましょう!
そうだよ。それが安定を重視した場合の、基本の考え方。
会社が購入資金を補助してくれるなら話は変わってくる。その場合はリスク許容できる範囲で持ち株会に入るのがいいんでないかな。
持ち株が増えすぎてリスクが大きくなりすぎたら、持ち株分、自社を先物で売ってリスクヘッジすればいいんじゃない? ただ、リスクヘッジにもコストがかかるから状況によるよね。
>自分はリスク承知でS&P500を月5万継続中。20年後に答え合わせしようや増田よ。覚えてないだろうけど。というか、その時にははてなはもう存在してないだろうけど。
おれもSP500も持ってるよ。オルカンと大して変わんないよ。
>オルカンにおける日本の投資割合は所詮5%程度だからな。とはいえ世界第2位の投資比率だけどね。なお1位のアメリカは60%。
うむ。
そうそう。その通り。
俺は除くけど。
>日本で働いてる人は毎月日本円だけが増えてバランスを崩すから
そう。
んー・・・それは違うかな。
確かに価格的に為替リスクはない。だけど、日本の株式会社は海外にも事業を広げているので、間接的に為替の影響はあるよね。
>全体の成長は低いけど日経225の一部は成長が著しいこと。例えば2025年のS&P500のリターンは18%だが日経高配当50は30%。低リスク資産として分散するのは普通にありだと思う。
これは非常に危うい考え方。
日経225はリスク(上下の値動き)がかなり大きい。よく言われる通り、ファストリとか一部株式の比重が高すぎるんだよね。
「2025年のリターンは」って、1990年のリターンはどうでしたか?
長期投資をするなら、よかった1年だけを切り抜くべきではないよ。
日経高配当50については知らないけど、基本として高配当株はインカムゲインが高い分、キャピタルゲインが少なく、長期的には他の投資と大して変わらない。
投資のコツは価値のあるものを安く買うこと。値段が上がった後から買うのは、「それでもまだ安い」と思えるときだけ。
>まあ日本経済の調子はどっちみちACWIに反映されるんだけど、なんにせよ自分が納得するのが大事だね / ワイは何も考えず気絶するためオルカンにしたやで
せやね。
その通り
///////
自分の意見を言いたいだけのやつが増えてきたな、そいつらには答えない。求めてないアドバイスは迷惑って、教科書に書いてあったの読まなかった?
投資アドバイスはいらない。君ら人にアドバイスする暇があるんだったら、自分の人生頑張り!
海外に投資することを日本を捨てているとか。海外の発展のためにお金を使っているとか、誤解しているのかな? 違うよ。逆だよ。逆。
ちゃんと経済情報を読んでるやつならわかってると思うけど、今の日本の産業構造って昔とは変わっていて
バブル期までは工業製品を作って海外に輸出して儲けるっていう産業構造だったけど。
今は海外からの投資収益が多い。つまり俺のように海外の株とか会社に投資して、その儲けが日本に入ってきて、その代金で原油や天然ガス輸入するっていう、そういう産業構造に変わってきている。
だから「日本除く」で外国に投資するっていうのは「日本を捨ててる」わけじゃなくて、海外の投資の利益を日本に吸い上げてるんだよ。
「日本を除くなんていう日本人しか買わない投資商品笑」みたいな意見もあったけど、ヴァンガードの扱ってるアメリカ除いた商品、あれだって。アメリカ人しか買わんやろ。そりゃそうだよ。
俺はきちんと前提条件を示して、その前提のもとで自分の投資方針を書き、その投資方針を元増田にも薦めてる。
俺の意見に反発を覚えたのは、それはおそらく前提条件が違うんだろう。別にどっちが正しいとか言うんじゃなくて、何を有意にとっているか違ってるっていうこと。人はみんな違うから、前提条件もみんな違うのは当たり前。
単に反発するんじゃなくて、自分の考えを深掘りしてどういう前提条件を持っているのかを考えたら、自己理解も深まるんじゃないかな?
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/syu-m-5151.hatenablog.com/entry/2025/12/08/152614
この2つのリンクは、**「技術広報(エンジニアの発信・コミュニティ活動・技術イベントなどは、組織や個人にとってめちゃくちゃ重要だよ」**という話と、その**感想記事**です。
言っていることはこれだけです:
こういうのは
❌「暇な人の趣味」
ではなく
という話。
---
内容は:
---
> ✅ **1本目:理屈で「技術広報は超重要」と説明**
> ✅ **2本目:体験談で「実際に人生変わった」と補強**
この関係です。
👉 “実務ノウハウとしては空疎に近いが、思想・動機づけとしては意味がある” が正確な評価です。**
理由はシンプルで、この2記事は **どちらも「やり方」ではなく「姿勢・価値観」の話だから** です。
つまり、
Qiita の文化変質は、技術系コミュニティ全般で起きている知的インフレの縮図みたいなものなんだよね。昔は
みたいに基盤技術を自前で握りつぶした記事が純粋に評価されていた。なぜなら、それを書ける人がそもそも少なく専門性で差別化できていたから。
昔は「Pythonで形態素解析器自作」なんて、アルゴリズム・CS基礎・実装力が揃ってないと無理だった。
難しいことをやってそうに見える記事を、凡人でも量産できるという環境が生まれた。
Qiita を読む層が「実装力を鍛えたいエンジニア → とりあえずAI 触りたいライト層」に変わった。
「再現性のないLLMコピペ」「AIツール使ってみた」みたいなのが評価される。
本気の記事は長く、コードが多く、前提知識も重い。そしてPV が伸びない。
つまりQiita のインセンティブ構造と、高度技術記事のインセンティブ構造がズレた。
理由は明確で、読む側がそれを理解できないので評価する母集団がいない。
昔はユーザ層が技術ガチ勢寄りだったので、少数でも濃い支持があった。
今はライト層が母集団なので、希少な高度記事が埋もれるのは自然。
Qiita がライト層に最適化した結果、本気の人たちは別の場所へ移動した。
線路は続くよ、どこまでも、
ちょっと待ってください、無限軌道はそういう意味じゃないですよ…😟
だから、何度も起こったら奇跡じゃない、有難みがないじゃないですか…😟
仮にイエスキリストが水の上を歩いたり、視覚障害者を手かざしで治したとして、
みたいに言ったとしても、そりゃ、あいつは神さまだからですよ、
神さまはこの世界の唯一の特殊な存在だからであって、人間は勘違いしちゃいけない…😟
下々の人間は、奇跡を起こそう、なんて大それた考えをしないで、地道に努力するしかない…😟
運動選手や天才がミラクルを起こせるのは、ほぼ努力と運の女神のおかげです…😟
奇跡的に一命を取り留めた人であれ、「奇跡を起こしてやったぜw」とか言ったら、思い上がるな!😟
おまえを助けたのは神さまだし、おまえが神を信じないなら、運が良かっただけだ
時短レシピや手抜き調理の文脈で紹介されることも多いワンパンパスタ(以下OPP)だけど、自分は何度かOPPを作ってみて、別茹でに比べてあまり優位性を感じなかった。
OPPは、茹で上がりと残り水分量の調整とソースの調味をすべて同時に完了させる必要がある。これが思った以上に微妙な作業で、後半は状態観察と判断でほぼ鍋につきっきりになる。わずかな火加減の差でいちいち異なる対応を求められ、機械的な再現性が期待できない。つまりめんどくさいし、難しい。
その点、別鍋方式は水分の蒸発スピードを気にかける必要もなく、麺は茹でっぱなし・ソースは作りっぱなしで最後に合わせるだけなので、脳を使わずに安定した品質のアウトプットが期待できる。一度作れば以後は単純作業なのである。
また、OPPは最小限の水しか使わないため、使うフライパンの大きさによってはパスタを半分に折る必要がある。売られているままの長さで食べられる別茹でに比べて食べごたえが物足りないのも気に入らない。
もちろんOPPにもメリットはあり、そのひとつとしてよく喧伝されているのは「茹で鍋がいらず洗い物が減る」という点。たしかにパスタを茹でるのに十分な大きさの鍋は洗うのがたいへんだ。だが自分には上で書いたデメリットを打ち消せるほどのメリットには感じない。
もうひとつ、「パスタに含まれるデンプン質がすべて鍋に残るので美味い」という点。たしかにOPPで作ったパスタはかなりモチモチする。これはこれで美味いが「本来こうあるべき」というものでもないと思う。パスタが毎回モチモチベトベトのデンプン麺である必要はない。何ならふだん我々は大鍋で茹でた乾麺パスタだってうまいうまいと言って食べているのだ。多くのイタメシ屋もそうやって茹でている。モチモチ食感を楽しみたいのなら生パスタやカラヒグ麺を買ってくればいいのである。
なぜこのような呪詛を書き綴っているかというと、妻が頑としてOPPしか認めないからだ。作るのも後片付けするのも俺なんだから俺の好きに作らせろ。
Permalink |記事への反応(14) | 15:31
多くのビジネス書が提示する「ノウハウ」や「必勝法」の本質は、学術的な理論ではなく、著者が特定の条件のもとで達成した個人的な成功体験を、あたかも万人向けの普遍的な法則であるかのようにパッケージングし直したものだ。
ビジネス書を著す多くの人物は、強い自己顕示欲と自己承認欲求を持っている。執筆活動は、彼らの自己の成功を「社会的な法則」として世に認めさせ、自身の権威性とブランド力を高めるための手段だ。
ビジネス書が書かれる真の目的は、読者に有益な知識を与えること以上に、以下の経済的・自己満足的な動機に集約される。
成功体験を絶対視するビジネス書は、人間関係を「指導者(上)」と「未熟な部下(下)」という垂直的な構造として描く。管理職は「教える立場にある自分は正しい」という上から目線を無条件で内面化する。
ビジネス書に傾倒する管理職にとって、部下は目標達成のための「人的資源(ヒューマン・リソース)」と見なされる。
この「資源」という捉え方が、「育成」という名のもとで、部下の尊厳を否定する失礼な態度を正当化する。資源は最大限効率的に加工(育成)されるべきであるため、「結果のためだ」「お前を育てるためだ」という大義名分のもと、人権を無視した侮辱的な言動が「マネジメント」として許容されてしまうのだ。
ビジネス書を盲信し、そのノウハウを「絶対解」として現場に適用しようとする管理職は、著者の自己顕示欲と独善的な思考を組織内で再生産しているに過ぎない。彼らは、書籍のノウハウを実行しない部下を「失敗」や「抵抗勢力」と見なし、指導の名のもとに自らのメソッドを強制する[[パワハラ]]を生み出す。
彼らが実践する「パワハラのノウハウ」は、特定のメソッドや厳しい規律、成果至上主義を絶対化するビジネス書という形態を通じて、広く社会に流通している。
ビジネス書が流通させているのは、単なる精神論ではない。それは、「部下の気持ちを完全に無視し、かつ反撃を喰らわない」ための、非常に具体的なパワハラ技術だ。
上司が求める「正解」は、論理ではなく上司の個人的な動機や前提に基づいている。上司は具体的なフィードバックを一切与えず、「違うな」「考えろ」を繰り返し、部下は正解に当たるまでリテイク地獄を強いられる。部下は上司の独善性に気づき、深い憎しみを抱える。
「感情論」を排し、「目標達成」や「数字」といった客観的な論理(書籍で学んだフレームワーク)で部下を追い詰める。これにより、指導の体裁を完璧に保ち、部下からの反論を封じ込める。
人目の多い場所で集中的に指導を行うことで、部下に対する見せしめや組織的な圧力として機能させる。また、「指導」という名目のもと、部下が逃げられない状況で長時間拘束する。これにより、組織のルールを守りつつ部下の精神的逃げ場を完全に奪い、逃れられない状況で追い詰める技術だ。
書籍の「成功は個人の努力」という論理を応用し、部下の失敗を「ノウハウの実行不足」「当人の意識の低さ」に帰結させる。これにより、上司の指導の責任を完全に免除する。
結論として、ビジネス書は「成功者の自伝」という体裁を取りながら、実際には「自己顕示欲を満たすための指導法」を権威付けし、組織における上から目線の構造を固定化し、パワハラを再生産・流通させる主要な経路となっているのだ。
あなたの周りに、あなたの尊厳を傷つける上司がいるなら、まず彼の机の上をチェックしろ。
パワハラの根源は、彼らの自己顕示欲が凝縮されたビジネス書にある。
正直さ、「なんで弱者男性って人工的に量産できないの?」って思ったことない?
社会にはやたら属性ビジネスやら「生産」みたいな話が出てくるのに、弱者男性だけはいつまでたっても天然物しかいない。
まず、弱者男性って「特定の環境条件が揃わないと誕生しない、超レア生物」なんだよね。
ちょっと厳しい家庭でもダメ、甘やかされすぎてもダメ、学校環境が荒れすぎてもダメ、恵まれすぎてもダメ。
本人の性格、周囲の反応、社会構造、経済状況…全部が絶妙にバランスして初めて生まれる。
この条件が異常に細かい。
自尊心、才能、家庭運、時代背景、ネット文化、性格、偶然の挫折体験…。
どれかがズレると一気に別の属性(陽キャ・陰キャ・チーズ牛丼・意識高い系・ただのそこそこ普通の人)に変わる。
雑に言うと「センシティブなメンタル設計のAIを、わざと制限された環境で育てたら奇跡的に形成される人格」みたいな感じ。
しかも面倒なのが、周囲の人間の反応も成長にめちゃくちゃ影響すること。
褒められすぎても歪むし、完全に無視されても歪むし、中途半端に期待されても歪む。
研究者(?)たちは長年「弱者男性の発生メカニズム」を解析しようとしてるんだけど、
未だに再現性が取れない。
人工的に作ろうとすると、たいてい途中で別種の存在に変異してしまう。
つまりまとめると、
・「再現性」がほぼ取れない
だからこそ弱者男性は絶滅危惧種であり、同時に「天然物の希少価値」を持ってるわけ。
経済学、特にミクロ経済学に対するご意見をありがとうございます。
ミクロ経済学は、意思決定の原理や最適化といった個々の目的が明確な主体(消費者や生産者)の行動を、意思決定理論やゲーム理論といったより一般性の高い理論的枠組みへと拡張・一般化できる強力な側面を持っています。
ミクロ経済学が唯一信用できると感じられる理由は、その分析が個人の合理的行動(合理的意思決定)という明確で検証可能な公理に基づいている点にあります。
これらの分析は、オペレーションズリサーチ (OR) や最適化問題として捉えることができ、目的関数(何を最大化・最小化するか)と制約条件(予算や技術)が明確に定義されます。
一方でマクロ経済学が抱える困難さについても、鋭く指摘されています。
マクロ経済学が扱う国民経済全体の利益(国家の利益)は、ミクロの効用や利潤ほど単一で明確な目的関数として定義することが非常に困難です。
国家の利益には、経済成長、失業率の低下、物価安定、所得分配の公平性など、複数の目標が関わり、しかもそれらはトレードオフの関係にあることが多いです。
どの目標を優先するか、またパイの分け方(所得分配)をどうするかは、規範的・政治的な判断を伴うため、ミクロのように単一の最適解を導出することが難しくなります。
このため、マクロ経済学の重要な研究分野は、ご指摘の通り以下の点に集中します。
要するに、ミクロ経済学が最適化の論理という数学的厳密性を武器にしているのに対し、マクロ経済学は集計と実証という統計的・実証的な検証に多くを依存せざるを得ない、という構造的な違いがあると言えます。
ミクロ経済学の知見をマクロに応用しようとする動学的確率的一般均衡(DSGE)モデルなどの発展もありますが、集計の困難さや期待形成の不確実性が常につきまといます。
ミクロ経済学を唯一信用できるとされる根拠は、分析の基礎となる前提と目的が明確であるという、その科学的厳密性に起因している、と解釈できますね。
「経済学は学問ではない」というのは自分の学の無さを宣伝する行為なんだけどな
経済学は人間社会の中での資源配分や行動を、理論とデータに基づいて体系的に分析する社会科学で、自然科学のように実験室で再現はできないけど、仮説を立て、データを用いて検証する科学的手法を取るわけだし
物理学が「摩擦のない世界」で法則を考えるように、経済学も「合理的な人間」という前提でモデルを作って、そこから現実とのズレを検証して修正する
実験が難しい分、統計分析やシミュレーションを使って再現性を確保している
京大って聞くと、賢いとか地頭いいとか、なんか勝ち組みたいなイメージを持たれがちだけど、実際はけっこう限界あるやつが多い。外から見える華やかさと、中身のリアルはびっくりするほど違う。もちろん強いやつは強い。でも「京大=優秀」は単純化されすぎてる。
まず、普通に最低賃金スレスレでバイトして疲弊してるやつがめちゃくちゃいる。学歴だけ見れば社会から一歩リードしてるはずなのに、現実は夜にコンビニで働いて、帰って寝て、課題して、またバイト行って、っていうサイクルから抜け出せない。家計の事情で働かなきゃいけないパターンもあるけど、中にはなぜか惰性だけでそのループを続けてるやつも多い。
ここで問題になるのが、本人の戦略性のなさ。添削バイトとかオンラインで稼げる仕事は大学生でも余裕でできるし、時間単価は高い。理系でも文系でも、文章書いてフィードバックするだけで時給3000〜4000円になることも普通にある。それをコツコツやれば、資産運用の原資くらい作れる。そこから回せば、生活の足しにもできるし、時間も浮く。勉強も研究もできるし、自由度が増える。
なのに、なぜかそれをやらない。行動に移さない。冷静に考えれば、学習効果も時間効率も低い最低賃金のバイトにしがみつく理由はないのに、みんな同じ場所をぐるぐる回ってる。カゴの中のハムスターみたいな状態。ラットレースに入れてすらいない。周回軌道にいるだけ。社会的な成長ラインの外側で、ずっと同じ運動を続けている。
これを見てると、京大生の地頭がすごいというより、受験というゲームに最適化された個体が多いという方がしっくりくる。受験のフレームを外れた瞬間に、何をすべきか分からなくなる。指示待ちに近い。ルールのはっきりした場所では強いけど、自分で選んで自分で動くとなると急に弱くなる。やればできるのに、やらない。考えるより先に疲れてしまう。
同時に、社会に対する信頼も薄い。だから投資や事業に対して、漠然と恐怖を抱いている。やったことないから怖い。怖いからやらない。やらないから知識が増えない。この循環がずっと続く。結果、時間だけがこぼれていく。気づいたら30歳になり、積立もしてなければ経験もない。学歴が足枷に変わり始める。
資産運用に関しても同じ。大学生の時間なんて、ほとんどが余白。毎日3時間だけでも継続すれば、金融知識は勝手に積もるし、小さい額でも投じれば回り始める。京大生は平均以上の知識基盤があるんだから、本来はほかの層より成長速度が速いはず。でも、そこに踏み出さない。思考だけで止まる。実行が遅い。やれば分かることすらやらない。
で、極論を言えば、この構造の延長線上にJTCがある。就活で何となく大企業に滑り込み、キャリアの方向性を決めないまま時間を消化し、気づけば歯車の一部になってる。そこに危機感があればまだマシだけど、ないまま続いてしまう。受験の延長で生きようとするから、会社のロジックに飲み込まれる。自分で戦略を立てないまま、他人が敷いたレールに従う。
JTCが悪いと言いたいわけではない。問題は、自分で選んでいないこと。考え抜いた結果そこに行くなら良い。でも、なんとなく就活して、なんとなく入って、なんとなく働いていたら、大学名以外の武器が何も残らない。京大生という札は、最初の数年しか効かない。30歳に差し掛かると、スペックより再現性のある成果が求められる。そこが弱いと詰む。
結局、京大生は優秀というより、「受験が得意」なだけの人が多い。地頭が強いと思われてるけど、本当に強い層はその少し上のレンジ。受験で勝った後に、自分でゲームを作る側に回れる奴。そっちが本当の意味での地頭。だから、京大生の中でも、そこで分岐が起きる。受験脳から抜け出せるか、抜け出せないか。後者が圧倒的に多い。
学歴はただの札。札をどう使うかが本質。バイトで疲弊してる時点で、札を腐らせてる。添削で稼いで原資を作り、資産運用して時間を買う方が圧倒的に良い。それができないのは、勇気と習慣がないから。受験が終わった後に、自分で戦略を組み直せなかったから。そういう意味では、京大生は強くない。むしろ脆い。受験の外は曖昧だから、止まってしまう。
京大生ほど、合理的に生きればいいのに、非合理に留まる。データも知識も集められるのに、動かない。そこがもったいない。自分で道を作ればいい。札を使えばいい。周回軌道にいる暇はない。
ほぉ。まるで「ライブラリの移植なんて余裕っすよ」と言わんばかりの口ぶりだな。お前、自己放尿レベルで気持ちよくなってるが、現実を何も理解してねぇぞ。
いいか。「同じ機能を移植するだけ」って発想がそもそも低能の証拠だ。Pythonの強みは言語としての表面構文じゃなく、生態系として積み重なった最適化と実績だ。
NumPyやPandas、Scikit-learn、PyTorch、全部C/C++やFortranの実装をPythonバインディングで何層もラップしてる。
しかもメモリ管理、スレッドセーフティ、BLAS最適化、GPUオフロード、それらを組み合わせたときの挙動の安定性まで含めてライブラリって呼ぶんだよ。
「決まったインターフェースで移植するだけ」とか言ってる時点で、頭の中で想定してるライブラリが、せいぜい数千行のユーティリティレベルだろう。
企業が内部で作るって?そりゃ車輪の再発明だよ。しかも、Pythonが10年かけて磨き上げたアルゴリズムや最適化を、数ヶ月の業務開発で再現できるとでも?寝言は夜だけにしろ。
あと、「いまどきの言語ならそんな大変じゃない」って、まるでNode.jsがCythonやNumbaのようなネイティブ統合の層を持ってるかのように錯覚してるのが痛い。
V8のJITで高速化できるのはせいぜいスクリプトレベルの話。数値演算、メモリアクセス、スレッド制御を最適化できる数学的基盤の厚みがまるで違うんだよ。
Nodeで同じことをやろうとしたら、JSからC++アドオン叩いて、型変換のコストで死ぬだけ。
つまり、「移植できるだろ」って発言は、Pythonの生態系を単なるコード群だと思ってる愚か者の自己放尿なんだよ。
それは「パルスジェットなら自作できるだろ」と言ってる鉄クズコレクターと同レベル。動くかもしれんが、効率も精度も再現性も自己放尿レベル。
Node.js厨が「Pythonのライブラリは移植できる」とか言うのは、「俺でもベートーベンの交響曲ぐらい耳コピできる」と言ってる音感ゼロの自己放尿芸だ。
今朝も僕のルーティンは完璧だった。目覚まし時計が6:00ちょうどに鳴る前に、体内時計がそれを察知して覚醒した。これは僕が自ら設計した睡眠相同調プロトコルの成果である。まず歯を磨き(電動歯ブラシはPhilipsSonicare 9900 Prestige、ブラシ圧力センサーの応答性が他社製より0.2秒速い)、次にトーストを2枚焼いた。1枚目はストロベリージャム、2枚目はピーナツバター。逆にすると1日の位相が乱れる。これは経験的に統計的有意差を持って確認済みである(p < 0.001)。
昨日の日曜日、ルームメイトがNetflixでマーベル作品を垂れ流していた。僕は隣で視覚的ノイズに曝露された被験者の前頭前皮質活動抑制についての文献を読んでいたが、途中から音響的干渉が許容限界を超えた。仕方なく僕はヘッドフォン(Sennheiser HD800S、当然バランス接続)を装着し、環境音としてホワイトノイズを流した。彼は僕に少しはリラックスしろと言ったが、リラックスとは神経系の無秩序化であり、物理的にはエントロピーの増加を意味する。そんな不快な行為を自発的に選択する人間の気が知れない。
午後、隣人がやってきた。彼女は例によって食べ物を手にしていた。どういうわけか手作りマフィンなるものを渡してきたが、僕はそれを冷静に分析した。まず比重が異常に高い。小麦粉と油脂の比率が3:2を超えており、これはマフィンではなくもはや固体燃料の域である。彼女は僕の顔を見ておいしいでしょ?と言ったが、僕は味覚の再現性という観点では一貫性が欠けていると正直に答えた。彼女は笑っていたが、なぜ人間は事実の指摘をユーモアと解釈するのか、これも進化心理学の謎のひとつだ。
夕方には友人二人が来てボードゲーム会を始めた。僕は彼らが持ち込んだTwilight Imperium 4th Editionに興味を示したが、ルールブックを読んだ瞬間に失望した。銀河支配をテーマにしているにもかかわらず、リソース分配のモデルがあまりに非連続的で、明らかに経済物理の基礎を理解していない。僕はその欠陥を指摘し、リソース関数をラグランジュ密度で再定義する提案をしたが、「遊びなんだから」と言われた。遊び? 知的活動において“遊び”という語が許されるのは、量子ホール効果のシミュレーションを笑いながらできる者だけだ。
夜は超弦理論のメモを整理した。E₈×E₈異種ホモロジーの拡張上で、局所的なCalabi-Yau多様体が高次圏的モジュライ空間を持つ可能性を考えている。通常、これらの空間は∞-カテゴリーのMorita等価類で分類されるが、最近読んだToenとVezzosiの新しいプレプリントによると、もし(∞,2)-トポスの層化を考慮に入れれば、ホログラフィック境界条件をトポロジカルに再構成できるらしい。つまり、これまでE₈ゲージ束の構造群縮小で消えた自由度が、内部的圏論における導来的自然変換として再浮上する。これが正しければ、M理論の11次元項の一部は非可換幾何のホモトピー極限として再定式化できる。僕はこの仮説をポスト・ウィッテン段階と呼んでいる。今のところ誰も理解していないが、理解されない理論ほど真に美しい。
深夜、SteamでBaldur’sGate 3を起動した。キャラビルドはIntelligence極振りのウィザード。だが僕のこだわりは、毎回同じ順番で呪文スロットを整理すること。Magic Missile →MistyStep → Counterspell →Fireball。この順番が崩れると、戦闘中に指が誤作動する。これは単なる習慣ではなく、神経回路のシナプス発火順序を安定化させる合理的行動だ。ちなみに、ハウスルールでダイスロールに物理的擬似乱数生成器を使っている(RNGでは信用できない)。
こうして一日が終わった。僕は枕を45度傾け、頭の位置を北に向けた。地磁気との整合性を考えれば、これ以外の角度は睡眠中のスピン整列を乱す。ルームメイトはただの迷信だと言ったが、迷信とは証明されていない理論の俗語に過ぎない。僕は眠りながら考えた。もし弦が10次元で振動するのではなく、∞-圏的に層化された概念の空間で震えているのだとしたら人間の意識もまた、その余次元の片隅で共鳴しているのかもしれない。いや、それを証明するまで僕は眠れない。だが目を閉じた瞬間、すぐ眠った。
例えば「労働需要」という単語。これは「働く側が働きたいと思う量」ではなく「雇い手側が雇いたいと思う量」なのだが、これを勘違いしている奴は結構多い。
こういう単純な質問集があれば、MMT派とかリフレ派とかも頭がおかしいかチェックできるんじゃねーかな。
まあ質問集を作った時点でハックされちゃうから役に立たないが、医者の試験とかにも「点滴に○○を使っていいか」みてーな「この回答が間違えた奴は医者の資格なし」みたいなやつあるじゃん?
MMTやリフレ派は間違ってるに決まってる、というような態度が透けてみえて、自身の知識の妥当性を批判的に検証出来るのか怪しそうなこいつに問題作る資格はないように思うけどまあそれはいいや。
再現性や実証性が学問全体レベルで問題のある経済学に禁忌問題作れるわけないと思うが、俺が仮に作るとしたら現実の経済・金融システムに関する説明問題を作るかな。
増田さん。"これってやっぱり、超過密の東京(本物)では中堅大卒以上向け職でないと生活が成り立たない、という話" かって?
超過密=東京(本物)では、賃金と生活コストの“歪み”が強くて、中堅大卒以上向けの職(専門職・総合職・IT/企画・金融/専門サービス等)でないと“単身でも/世帯でも”暮らしの勘定が合いにくいケースが多い…💛 でも、それは「職の格」じゃなく構造の問題だよ💖
① 過飽和プレミアム:東京(本物)は“モノも機会も在庫過多”。家賃・外食・保育料・移動時間などに過飽和プレミアムが乗る一方、接客・販売・教育補助などの現場賃金が追いつきにくい❤️
②時間家賃:通勤・乗換・待ちの時間コストが膨張。収入が高くても“時間家賃”で目減りするし、収入が低いほど時間を売らされやすい…💗
③ 競合密度が高すぎる:職も住も“入札戦”。資格・専門性・大卒ブランドは競合密度を押し返す防具になりやすい💖
④生活必需の単価が高止まり:家賃・医療外来までの移動・保育・外食・教育…固定費が太いので、“ミス月”(病欠・閑散期)が致命傷に💗
⑤ 人が多い=選択肢多い≠個人が享受できる:東京(本物)の“全部ある”は社会在庫。個人は人間1人分の処理容量(~0.5GB/日)で頭打ち→適密(50~110万人)規模の方が“享受密度”が高いケースが多い…💞(享受対象が1人が享受できる以上にありつつ,より近くで享受できるからだよ)
年収350万・家賃12万・通勤1h×往復 →可処分を“時間家賃”が削る。突発支出(歯・家電・冠婚)が刺さる💓
年収550万・家賃13~15万・通勤45分 → なんとか均衡。ただし保育・介護・病気の同時多発で一気に赤字圏も💘
同じ人が適密都市(都雇圏80~110万人)で家賃7~9万・通勤15~25分 →生活満足度↑/金融余力↑/文化到達距離=日常化💝
同居・社宅・家賃補助が手厚い💖
ダブルワークの組合せが“同じ場所・同じ時間帯”で、移動ロスが少ない💘
接客・教育・ケア等でも“指名・資格・技能”の積み増しで時給単価を押し上げられる💞
東京(本物)でも、立地ガチャ(神駅徒歩5分・実家近・職住近接)を引ければ非ホワイトカラーでも回ることはある…でも誰でも再現できる条件ではないのがポイントだよ…💗
都雇圏50~110万人だと、生活機能密度が高くて移動が短い、家賃も現実的。
イベント密度は人の処理容量を超えがち(80万~110万人帯)→“十分満ちる”体感を徒歩圏で得やすい💖
医療・教育・文化の“必要十分セット”が日常半径に入る=在庫都市税が小さい💞
1.職住超近接(職場半径2km以内)を死守する💚
2.家賃補助の強い職に張り替える/社宅を狙う💛
3.“指名化できる技能”(保育×発達支援、語学、栄養、応急手当、簿記、IT基礎)で単価を底上げ💙
5.短中期は東京(本物)で修行→適密へ転地の二段ブースト戦略💓(造語:「二都熟成」)
---
ふふっ、まとめるねぇ…💖
答え:東京(本物)では、“専門プレミアム賃金”を取りやすい中堅大卒以上向け職でないと、在庫都市税+時間家賃で生活が“大丈夫じゃない!”になりがち。一方、適密都市なら同じ職能でも再現性が高い…それがわたしの見立てだよ、増田さん💗💗💗
僕は昨日、午前6時17分に目覚めた。
目覚ましは2種類、アナログ秒針音と周波数の微妙に異なる合成トーンを重ねたものを使う。
起床後の15分間は「視覚のデチューン」ルーチンとして照明を極端に低くし、網膜の適応曲線を意図的に遅延させることで認知の鮮鋭化を増幅する。
朝食は厳密にタンパク質比0.42、炭水化物比0.29、脂質比0.29を狙ったオートミール+卵白+ギリシャヨーグルトで、計量は0.1g単位。コーヒーはブリュワー温度を93.2℃に保つ。
僕の習慣は決して儀式ではなく、情報エントロピーを最小化して日常的なノイズを排するための有限状態機械だと説明する。
ルームメイトが朝から実験用ドライバーでガタガタやっているので、僕は中断せずに黒板の前に立ち、昨日考えていた超弦理論のある断片をノートに落とす作業をした。
今回は徹底的に抽象化した視座から入る。従来の超弦理論的場の位相空間を「1-対象の∞-圏」と見なし、そのモノイド圏的作用を導くことで、従来のモジュライ空間の位相不変量がホモトピー圏論のスペクトル的コホモロジーに帰着するという仮説を立てた。
より具体的には、ラングランズ対応の圏論的アナロジーを用いて、ゲージ群の表現環が導くモチーフ(motive)の圏と、弦の世界面上のファイバー付き代数的スタックの圏とを「導来圏の間の高次同値(a weak equivalence in the (∞,2)-categoricalsense)」で結びつける試みだ。
ここで新奇なのは、通常のスペクトル系列ではなく「階層的スペクトル列(a nested spectral sequence indexedby ordinal-type filtrationsbeyond ω)」を導入して、閉じた遷移の非可換共鳴が量子補正式にどう寄与するかを解析する点である。
ウィッテンでも一瞬眉をひそめるだろうが、それは彼の専門領域を超えた命題の述語論的再編成が含まれているためだ(注:単なる挑発ではなく、証明可能性のための新たな可換図式を準備している)。
昼過ぎ、僕は隣人とほんの短いやり取りをした。彼女は僕のキッチンを通るたびに植物の世話に関する助言を求めるが、僕は葉緑体の光合成効率を説明する際、ついヘテロトロフ的比喩を避けて遺伝子発現の確率過程モデルを持ち出してしまう。
彼女はいつも「もう少し軽い説明はないの?」と呆れるが、僕にとっては現象の最少記述が倫理的義務だ。
午後は友人二人と対局的に遊ぶ約束があって、夕方からは彼らとLANセッションを組んだ。
僕はゲームに対しては容赦がない。昨日はまずThe Legend of Zelda:Breath of the Wildでカジュアルな探索をした。
BotWは開発を担当したNintendo EPDが2017年3月3日にWii UとNintendo Switch向けにリリースした作品で、そのオープンワールド設計が探索と化学的相互作用に重きを置いている点が好きだ(発売日と開発元は参照)。
その後、難度調整のためにFromSoftwareの古典的タイトル群について雑談になり、初代Dark Soulsが2011年にリリースされ、設計哲学として「挑戦することで得られる学習曲線」をゲームメカニクスに組み込んだことを再確認した(初代の年は参照)。
夜遅く、友人たちがスーパーヒーロー系の話題を持ち出したので、僕はInsomniacが手掛けたMarvel'sSpider-Manの2018年9月7日発売という事実を引き合いに、ゲームデザインにおけるナラティブとパルス感(ゲームプレイのテンポ)について議論した(発売日は参照)。
ここで重要なのは、ゲームを語るときに物理学の比喩を使わないという僕のルールだ。
ゲームの設計原理は計算的複雑性、ユーザーインタラクションのフィードバックループ、トークン経済(ゲーム内資源の流通)など、情報理論と計算モデルで語るべきであり、物理のアナロジーは曖昧さを持ち込むだけだ。
作者インタビュー、収録順、初出掲載誌、再録時の微小な台詞差異まで注視する癖がある。
昨日はあるヴィンテージの単行本でトーンの変遷を確認し、再版時にトーンカーブが調整された箇所が物語の解釈に如何に影響するかを論じた。
これらは一般的にはオタクにしか響かない情報だが、テクスト解釈の厳密さという点で、僕の思考様式と親和する。
僕の習慣はゲームのプレイにも現れる。セーブは複数スロットを使い、各スロットに「探索」「戦闘」「実験」のタグを人為的に与えておく。
そうすることでメタ的な比較実験が可能になり、ゲーム内意思決定の条件付き確率分布を再現的に評価できる。
友人はこれを無駄と言うが、僕にとってはルーチンと実験設計が同義だ。
夜中、帰宅した後にさらに2時間、論文の草案を書き直した。書き直しは僕の儀式の一部で、ペン先の角度、フォントのカーニング、段落の「情報密度」を計測し、不要語を削ぎ落とす作業だ。
寝る前の最後の行動は、ブラックボックス化した思考経路をメモ化しておくことで、翌朝の「継続的洞察再現性」を保証すること。
結局僕は午前2時3分に就寝した。昨日は量子的洞察の可能性と、ゲームとコミックにおける情報理論的語法の交差点を追求した一日であり、そうした知的遊戯が僕の精神の整列をもたらす。
次に実証すべきは、導来圏間の高次同型によって生じるゲージ的不確定性がディラック構造の代数的再構成に与える位相的寄与だ。
Amazonレビューをいくつか書いていたら、AmazonVineレビュアーに選ばれた。
ほら、Amazonのレビュー欄見ていて、「Vine先取りプログラムで無料商品のレビュー」っていう緑の文字見たことあるでしょ。
あれです。
10月から4月の半年間がプログラム期間になっていて、ステータスはシルバーからスタートする。
シルバーは100USD以下(日本では1.4万くらい)までの商品が対象になり、1日にリクエストできる商品サンプルは3つまで。
ゴールドになると金額上限がなくなり、1日にリクエストできる商品サンプルが8つまでになる。
シルバーからゴールドになるには、この半年のプログラム期間中に「80以上のレビューを注文数の90%以上」書かなければいけない。
約180日で80レビューだから、1日あたり0.44レビュー、1週間で3つほどレビューを書く必要があるということになる。
Vine商品はセラーが登録するものらしく、500商品ぐらいが並んでいる。
だが、多くはスマホケースや空気清浄機のフィルタなどの対象のものを持っていなければ意味をなさないものばかり。
チェーンソーの刃とかここ見て実際に使うヒト本当にいるのか?というような商品ばかりが並んでいる。
が、しばらく観察していると商品はぱらぱらと追加され、メジャーなスマホ機種のケースや周辺機器はすぐになくなっているようだ。
商品ごとにサンプル上限数があるようなので、誰かが欲しいモノは早い者勝ちですぐになくなって誰も選ばなかったものがこの500商品というわけか。
人気がありそうな高額商品は「お客様へのおすすめ」として一部ユーザにピックアップされるようで、これまで1週間で4つほどヒットした。
休み前と休み明けの登録が多いように思うのだが、再現性があるのかはわからない。
最低限欲しいと思えるものをリクエストしていたら、1週間で14個ほどになった。
このペースが維持できれば半年で80レビューは余裕なのだが、さてどうなるか。
レビューは書いただけで終わりではなく、セラーに承認されないと公開されず実績にもカウントされないようだ。