
はてなキーワード:内部障害とは
人から何かをもらったときに必ずお返しするまともな人と、もらえるものはもらって当然でお返しをする必要もないと考える人がいる。
あなたには内部障害があるが、この交際相手と結婚したら「家族がテイカー」という外部障害をも背負うことになるんじゃないかな。
人生をさらに不幸にしたいのであれば、別れという一時の苦痛を避けて、オシャレだとか趣味が合うだとか、伴侶ではなく友達に求めればいい瑣末な要素のためにこのまま交際を続ければいい。
ありがたいことに色んな福祉や医療に支えられて生きている、所得控除も医療費の上限も地域の交通利用の割引も本当にありがたい
その中でも障害者は引きこもりがち(家にずっといると社会的なつながりもなく運動もせず精神的にも身体的にも不健康になる)を解消する外出の機会を作るための娯楽の優待があると思ってて
映画や美術館や博物館や水族館とかにそれはあるのだが大体が自分と介護者1人が対象になる
長年の付き合いで本当に仲が良いと思った友人と該当の施設に出かける際には軽く手帳の仕組みを説明し、料金の優待を受けている、皆いい人なので初めは私の障害の開示に驚くも体調に気を遣ってくれたり率先して手伝うことはないか聞いてくれる、割引分の還元と言って帰り道のカフェをごちそうしてくれたり、障害を大仰に扱って欲しい訳ではないという私の説明を真摯に受け止め変わらぬ態度でいてくれる、大事な人たちだ、3人ほどいる
今まで恋愛もしてきたが30手前で障害を持ってからは縁遠くなっていた、だがやはり人生のバディや伴侶が欲しい気持ちになり自身の障害との向き合い方も安定し出産や子育てを頑張る目処がついたので婚活をやってみるか、という時に知人の紹介で出会った人が良い人で何度か会った後にお付き合いしませんかと打診された
悩んだが不誠実は良くないと判断し、自身の見た目では分からない障害や手帳の有無や通院の頻度や平均寿命などを軽く伝えた、相手は真剣に好いているので勉強しつつ頑張りたいと答えてくれたので、それならお付き合いを是非に、と交際が始まったのだが、まぁ、うん、難しい
そこで表題の悩みに舞い戻るのだが前提として交際相手はとても良い人だ、愛情表現も豊かで趣味も合うオシャレでスポーツが好きで働き者だ
私も別に障害を常に慮って欲しいとかヨシヨシされたいとか時間とお金を使ってケアして欲しいとかは全く無い
事実、交際相手は私の障害に対して何かしらを費やしたことは無く何もかも私は自身で処理している
でも他人から手帳取得に至るまでの地獄とこれからの色々を無かったことのように扱われるのはしんどい、と気づいてしまった、すごく難しいバランス感覚を要求しているなと自分でも思う、大袈裟に扱われるのは嫌だが全く気にされないのも嫌だなんて
交際相手は観たい映画がある時、私に声をかける、1,000円ずつチケット代を払う、ポップコーンと飲み物を各々で買う、私は観たことないシリーズの外伝を観る、まぁ面白いので映画自体は良い
私が某キャラクターの展示に行きたいと言う、障害者本人は正規料金で介護者は無料、相手は1円も出さず全然知らなかった!勉強になった!と楽しそうにする
2人とも興味のある有名美術館の展覧会がある、障害者本人は無料で介護者は正規料金、相手は2人で割って1,250円ずつだねと言う、原画とても素晴らしかったねとカフェで感想を話す、各々で支払う
遠くの水族館に私が日帰りで行きたいと言う、高速バスは障害者本人と介護者それぞれが半額、それぞれで支払う、入館料も半額ずつ、それぞれで支払う、帰り道もそれぞれ
今まで私が手帳を提示した割引を使った際の友人らは感謝を率先して述べたり金銭のバランスを取ってくれていたし、自分がもし逆の立場でもそうするタイプ(年齢や立場で傾斜をつけたりクーポン持参などがあれば出来る範囲でお返しをする)なので本当に毎回驚いてしまう
まぁ障害のある人間と付き合うだなんて人生初だろうしなと1年ほど眺めていたのだが娯楽の趣味が合う喋るクーポンと思われてる気がしてきた
というか今まで健常者の時期に付き合ってきた人達も映画観よ!チケット代?いらないよ!という人ばかりだったし各々で支払うことが最初は斬新な価値観だなと感心すらしてたが、もしかして結婚して妊娠して出産して物理的に私が働けない時期にもこの各々で支払うスタイルは続くのか…?となり、それとなく結婚の意思を聞くも結婚自体が5年後くらいが良いとか言われてしまい頭を抱えている
私が患う病気の平均寿命的は健常者より結構短いことを伝えてある(私は割と予後も良くて楽観視してるけど)妊娠も出産も望んですぐ叶うことではないし子育てなんか自分が死んでも続くプロジェクトなのに…?絶対結婚したい!子供が欲しい!と断言出来ない曖昧な三十路の私(子供を持ちたいと思える人に出会いたい)が悪いのか…?
なんか書けば書くほど悲しくなってきた
私を私として尊重して欲しいだけなんだけどな、良い人で良いパパになると思うんだけどな、多分別れた方が良いのは分かってるんだけど別れを切り出す行為自体が障害を重くしそうなくらい負荷が大きくて躊躇うよ、私がもっと若くて健常者なら大好きな気持ちで5年そばにいて待てるんだけど
やっぱり1人で生きて1人で死ぬ覚悟を持って毎日服薬して生きてくしかないよなぁ
Permalink |記事への反応(21) | 04:55
席に座ったら過呼吸が治るのか?治らねえだろ。
過呼吸が起きたら電車を降りて駅のホームのベンチで頓服でも飲むしかない。
こんな元気な若くて働き盛りの男性が、ヘルプマークをワンチャン狙いでつけて、内部障害や難病の人たちから座席を奪おうとしてるのが腹がたつ。
いい加減、無料で誰にでもヘルプマークを配布するのをやめてほしい。
障害者手帳か指定難病の医療券を所持している者にのみ配布する方式に変えるべき。
デザインを一新し、内部障害および指定難病のヘルプマークと知的障害および精神障害者のヘルプマークは色を変えて判別できるようにしてほしい。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/nordot.app/985151549346955264
記事によると、月収は11万から13万。これでまともな生活できるわけない。
でもこのブコメのとおり、左派よりで人権意識が高いはてなブックマークですら、この仕組みに肯定的。
当然だろう、健常者は(軽度の内部障害・四肢の障害の身体障害者を除き)障害者とは一緒に働きたくないのだから。
私の障害者枠の就活と障害者雇用での勤務を通した実感として、そう思われているのがよくわかる。
これはN=1ではなくて、ブコメもそうだし、ダブル手帳さんという方のブログを読んでも同じような話がでてくる。
理想をいえば、障害者雇用を全部やめて、代行業者や障害者雇用の人材紹介会社に回ってる分の費用を障害者個人に直接給付してほしい。
自殺は失敗したときの後遺症リスクが高く、家族や国に迷惑がかかる。痛みや恐怖もある。
障害者にしてみれば、安楽死ならそうしたリスクに悩まないし痛みもない。恐怖も少ない。
健常者にとっても良い提案のはずだ。安楽死を合法化すれば、突然電車が止まる機会が減る。人がビルから落ちてくるリスクも減る。障害者の数も減るので、税金も安くなる。
「障害者は職場にいるだけで迷惑だ、健常者の身にもなれ」という発言を見かけたので書き残しておく。
まず、この意見については全く否定するつもりはない。俺は内部障害があり障害者雇用で働いている身であって、健常者の負担になっている社会のお荷物だと自覚している。
ミスしては何回も叱られその度メモを書き直し、参考書を買ってはマーカーや付箋だらけにしてなんとかやってきた。
そもそも社会は健常者が作り、彼らのルールに従って動いているものだ。おこぼれに預かる俺のような人間がとやかく言える筋合いはない。
日本人は障害者に対して寛容だ。弱者がふさわしいポジションに収まっている限り、権利を声高に主張しない限りは見なかったことにしてくれる。
それでも不満で職場から消えてなくなれというなら、T4作戦やらなにやらを復活させてお好きな手段で俺を殺してくれ。
オーバードーズしようとして薬を吐き出す無様を晒さないよう、確実な手段で殺してくれ。うまく生きてこれなかった以上、死ぬことだけが都合よくうまくいくとは思えない。
生まれ持った障害、途中で障害者になった、義足車椅子などの目に見えてわかりやすい障害、目に見えない発達障害、精神障害、内部障害、ギリギリ健常者扱いされてしまうグレー…などなど多様性枠の中の障害者にはちゃんと多様性があって、雇用や生活に関する苦しみも表現しやすいし浸透してきてる。
ハーフ(MIXと言ったほうがいい?)、クォーター、ゲイ、レズビアン、バイ、トランスジェンダー(一部)、アセクシャル宇多田ヒカルetc…こちらも生まれ持ったもの(一部の自称トランスを除き)、変えることが基本できない国籍、人種、性に対する苦しみもそこまで想像するのが大変じゃない。
その中にただ「デブス」を放り込むのはあまりにも残酷じゃないですか?
「デブス」なだけで生活や雇用で何か困ることがあるんでしょうか?
障害者扱いされたい、されたくない、色々あると思いますが「デブス」をLGBTや障害者と同じ多様性枠に入れてしまうのはあまりにも危険だと思います。
このままでは「デブス」というだけで名誉障害者になってしまいます。
「デブス(障害)なのにおしゃれ!」みたいな褒め言葉を本当にデブスの方々は求めているんですか?
さまざま感じていますが、なかなか受け入れるのには時間がかかります。
ですが生まれ持ったものであるし、実際生活には不便しているのでその扱いを受け入れられます。
でもただ「デブス」なだけの人がこの扱いをされたら…?と思うと心の底からゾッとしてしまうんです。
先ほど言ったような
デブス以外の障害者にとっては嬉しいものですよね?(よっぽどルッキズム反対でない限り)
ではデブスの人は、どうやって容姿に対する褒め言葉を受け取ればいいんでしょうか。
「デブス(という障害者の中ではそれなりに)可愛い♡」にしかどう頑張っても聞こえませんよね?
「デブス」を多様性枠に放り込むと、「デブス」と「デブス以外」を明確に分け、グラデーションには決してしないことにより完全に違う土俵に立たされてしまうのです。
「多様性枠の中のデブス」認定されている人に対して「障害」であるデブスの部分を褒めると『直球の嫌味、差別』に変化してしまいます。
それを避けるため、容姿褒めの後のフォローとして内面やセンスなどを褒める人が多いです。
「デブス」は「デブス」な自分を肯定したいのに、「デブス」部分が褒められなくなり、アイデンティティが崩壊します。
「デブス」ならばせめて、内面やセンスが良くなければいけないという新しい価値観も生まれてしまいます。
「デブス枠」と「非デブス枠」は建前上は対等に扱われなければいけないため、同じステージに上がることも多いでしょうがさまざまな部分から明確な差を「デブス枠」は感じることになります。
「デブス」を障害者にするのは一刻も早く辞めたほうがいいです。
あからさまにデブスを入れてしまうと差別的なので、どうしても入れたければ「微ブス」「微デブ」「ちょいデブ」「デブ」「ブスだけどスタイルはいい」と細分化しましょう。
俺は精神の障害だけど身体障害の人は羨ましいなと思う。怒られるかもしれんが。
いまは障害者雇用で働いてるけど見た目で分かる身体障害の人は先天・後天問わずみんな自信に溢れてる。
実際に仕事でリーダーなどを任せられるのはそういう身体障害の人が多い。
一方で精神障害のひとは自信なさげでおどおどしてる人が多い。俺もだ。
理由はたくさんあると思うが、身体障害の人はひと目で分かる弱者だからだ。
内部障害の人も数値で客観的に健常者より劣っている部分が可視化できる。
身体障害(内部障害)の人は自分の弱い部分が分かりやすい形で受け入れることができるんだと思う。
先週のある日から、いつも乗っている車両に松葉杖をついた30代くらいの男が乗ってくるようになった。
電車は6時過ぎながら乗車率は100%を超え、早く出社したからといって早く帰れるわけではない疲れたサラリーマンでいっぱいである。
ちなみに乗車率100%は「定員乗車(座席につくか、吊革につかまるか、ドア付近の柱につかまることができる)。」だそうなので、この状態は優に超えていると思う。
話を戻して、急に現れた松葉杖男。
彼が乗車してしばらく経った頃、突如車内に金切り声が響き渡った。
「なんで松葉杖の人がいるのに誰も席を譲らないのォォオオ!?!?!?!?
本当にこういう話し方だった。
ババアは席を立ち、松葉杖男に席を譲ると、次のそこそこ大きい乗換駅で降りていった。
松葉杖男が乗車してからしばらくは何も言わなかったところを見ると、降車駅の少し前まで目を閉じるか何かしていて、
さてそろそろと目を開けたタイミングでたまたま松葉杖男が目に入ったんだろう。
しかも正義ババア、「ここ優先席よォォォオオ!?!?!?!?」と叫んでいたが、自分がその優先席に座っていた。
うわあ(笑)
って思わない?自分は思った。
見た目はただのサラリーマンでも、何らかの内部障害を抱えていて座っていた方が楽な人が座っているのかもしれない。
そうでないにしても、朝6時から乗車率100%の電車に乗っているサラリーマンなんて、全員が座りたいほど疲れているのは間違いない。
席を譲ったほうがいい人がいたら、どこの席であろうと譲ればいい。
ジジイやババアの中には「年寄り扱いするな」とでも言いたげに、優先席が空いているのに一般席に座るのがいる。はっきり言って迷惑でしかない。
目に見えてわかる身体障害者です。シチュエーションは違いますが、よく譲られるのを断るので、その時に思っている勝手な理由をいくつか書きます。
全然関係ないのはわかりますが、今日は2度ほど辛い思いをしたので、ここに吐き出す感じで。
1)目的地が近い
座るのがそもそも面倒なパターンですね。リュックで通勤しているので、余計に。
2)優先席前に立っていて、目の前の人が狸寝入りを決め込んでいて、その横の人に譲られた。
目の前の人が譲ってないのに、別に横から譲る必要はないですよって思ってます。もちろん目の前の人が体調が悪いケース、内部障害があることはわかります。
ただ、私の杖や障害箇所に目がいった瞬間に目を閉じ、駅につくたびにまぶたを動かして様子を見る(見てるとよくわかる)人を、ほぼ毎日見ていると、心が歪んでいくものです。
3) 期間駅付近まで座っていて、「もうすぐおりますから」と譲ってくれる
たまにおられます。(2)の狸寝入りさんが「あ、すみません!気づきませんでした!」と言って合わせ技をしてくるケースが多いですね。おきてる方は見てればわかります。個人的には優先席を譲るつもりなら寝るな、イヤホンつけるなと思いますし、私も重度の障害を持つ方のために基本起きてます。
こういう申し出は断っても執拗に「いや、降りますから」と勧められるのが本当に辛い。勝手な話だと思いますが、心情的には絶対座りたくないやつです。
N=1ですが、通勤時間帯はみなさん消耗しているのか、痛い目や心が削られる目にあうことが多いですね。何度も転ばされましたのでもう慣れましたが。今日も空けていただいた優先席に座ろうとしたら、横から女性にヒップアタックを食らって、転びかけましたし、乗り換え後も譲っていただいた席に座ろうとしたら、イヤホンをつけたサラリーマンさんに席を持って行かれました。
個人的には優先席は不要だと思っています。日本は個人主義的すぎて、このような余剰リソースを弱者のために用意する施策はうまく行かないと思っているので。モラルのない人が余剰リソースを掬い取っていくのをみなさんも色々なところでご覧になっていると思いますから。
もし「周りの人はもっと善意にあふれている」なんて思うなら、みなさんも杖を買って、通勤時間帯に電車に乗ってみてください。きっと心がささくれ立つ思いができること請け合いです。
追記:
予想通りの読み方をされて満足しています。私は「譲れ」「恵んでくれ」ということを書いたのではなく、優先席前の人の行動を通して、普段見えない人の悪意に触れてしまうのが辛いだけです。普段普通に歩いているあなた方が気づかないような。「座りたい」とは一言も書いていませんのでおわかりいただける方もいらっしゃるかと思いましたが。でも満足です。いつも見ているものがそこまで間違っていなかったとわかりましたので。
個人主義が蔓延、と記載いただきましたが、日本人は明治時代まで超個人主義の国であって、未だそれが色濃く残っているだけだと思っています。これについては言及する書籍がたくさんありますし、社会保障関連のアンケートを見ればよくわかると思います。
所得については、同世代の男性の平均以上いただいているので、そこは皆さんと同じかなと思っています。障害年金も受け取ってませんし、控除も受けてません。というより、このような言及が出ること自体「個人主義」の証左であるとも思いますが。