
はてなキーワード:内定式とは
LCCで飛行機を取ってセントレアまで行く予定だったけど、ひと月間違えて取ってた事に気付き、生きた心地がしなかった。
そんで慌てて空港から駅へ移動、移動中に高速バスを予約し、東京まで移動する。
この間も時間に間に合うか、乗換出来るかみたいな不安に駆られながら、ずっと気分が悪かった。
あと当日予約のバスだったので、多分補助席に乗ってたと思う。
多分バスタ新宿に着き、西新宿だったかな?で乗り換え、ただでさえ東京に慣れていないので、駅員や交番の警察官にどの辺か、分からないと答えられた割には奇跡的に出発5分前くらいには乗ることが出来た。
ここで少し気持ちが楽になった気がする。
そのまま名古屋に行き、会社が指定したホテルに到着、なんやかんやで20時くらいに着けたと思う。
翌日新安城へ着き、改札出た所で会社の近くである事で安堵、内定式自体は全く覚えてない。そこから帰りの電車に乗る。
そこから真っ暗の中6kmくらい歩いて名古屋駅の方へ歩き、途中のイオンか何処かで人生初のスガキヤを食べた。なんか微妙な味、給食のソフト麺みたいな味だったと思う。その時ってスーツケース引っ張ってたのかな
そこから高速バスに乗り、東京方面へ、バスは凄い空いていて、乗客二人だけだったような気がする。
東京駅からまた夜行バスに乗り、地元大学がある場所に着く。朝5時くらいに着いた。当時は霧が濃かったと思う。
自宅まで帰るのに、ヘトヘトで歩く気が無かったので、タクシーを使った。
早朝料金でどんどん上がるメーターにビビり、途中だけど大学の前で降りる事にし、そこから30分くらい歩いた。
そんで家に着き、シャワーを浴びて寝たんだと思う。
何で新幹線を使わなかったというと、金が無かったから、会社が出してくれる交通費の差額を着服しようとしていたからだ。
当初のLCCで行っても+1万くらいの予定だったが、乗る飛行機を間違えた事で収支計画が狂う。プラマイゼロに抑えるために、高速バスを選んだという貧すれば鈍するという話である。
今日内定式だったという話を今の職場で聞いて、思い出したからこうして書いて忘れないようにしておく。
今は転職して東京近辺で暮らしているため、西新宿?のバス停が何処だったか、どうやって辿り着いたのかを調べてみようと思う。
内定式の後、先輩方との飲み会→同期飲み二次会があったが、話題が気持ち悪くてすでに幸先が不安すぎる。
具体的には、風俗利用履歴自慢や経験人数、この先のセックス相手の希望条件の話題など。
同期みんなが男女も関係なく皆ノリ良く楽しそうにそういった話題に参加していて、心底気持ち悪い。
何より嫌だったのが、場の空気に飲まれて、私も恋人との性行為について話してしまい、そういう話を振っても大丈夫な人間であると認定されてしまったことだ。
元々自分は八方美人かつ緊張して話すぎるタイプで、話題に乗らない、シカトする、といった選択肢を取ることができず、混乱したまま恋人に関する、人に言ってはいけないような話をしてしまい、本当に後悔している。
酒女タバコギャンブルのうち酒には耐性がある。残りの三つが心底嫌いだ。嫌いなのにノリ良く楽しく場を盛り上げてしまう自分の習性に嫌気がさす。
社会人は皆こんな汚いのか?
社会人の皆さんに聞きたい
・ほぼ初対面の同期にそういう話をした事が恋人にバレたら絶対に傷付かれる。ここからどうリカバリー出来るか?
・社会人になったら、どこに行ってもこのような下世話な下ネタに耐えねばならないのか?
・バリバリ出世して、出来る事なら社長や役員を目指すつもりでいた。こう言った下ネタに適性のない人間は出世ルートから外されるのか?(増田は女)
昔の増田は割と意識高い系だった。高い割に何もしないあたりが完全に高い系だった。
そんな中、一つだけ一時期ガチで実践してたのが「鰻をなるべく食わないようにする」こと。
もちろん意識高い系だから理由は単純で、鰻は絶滅危惧種だから。元々鰻は大好物だったから、「子々孫々まで美味しい鰻を残さねば」と高い系な割にこれだけは頑張ってたと思う。大学時代から就職してしばらくの間は本当に買ってなかった。
それが就職後に「一人のやれることとかたかが知れててバカバカしい」となるまでの思い出が以下の通り。
増田は意識高い系にありがちな通りそこまで頭はよろしくなく、就職活動は普通に難航して一般職として内定式直前くらいの時期に何とか滑り込み、地方の倉庫に配属された。
その業務はあるスーパーチェーンへの冷蔵商品輸送。日々肉魚野菜その他を地域の店向けに送り出す。その庫内作業担当だった。
というわけで、当然「土用の丑の日」にかち合う。
土用の丑の日、スーパー側の熱の入れようは凄かった。お陰で倉庫下請けしてたうちにも予約販売の紙がまわり、うちの糞上司は頼まれてもないのに支店管内の倉庫No.1の予約数を目指せとか言い出し、増田は更に下請けの各社にまで鰻買いませんかの案内とか集金支払等々をやらされた恨み辛みは取り敢えず置いておく。
当然、土用の丑の日に合わせて文字通り山程の鰻が入荷する。冷凍品なんだが、自重で下の方の箱は潰れてたし、「冷凍で出荷してるから中身は問題ない」との判断が下され無心で各スーパーにばら撒いていた。
期間中はそんな毎日が続くと、高かった意識も箱のように潰れていく。しかも、このスーパーのチェーン店は他県にもあるからこの山の数倍は鰻が流通してるわけだ。しかもうちの倉庫は支店内で最小規模だからこの推定でさえ最低値である。しかも当然、競合スーパーというものはそこら辺に多くある。
そんな中で増田一人が鰻を食わないからってどうなるのか。いや、例え意識高い系が一万人集まって鰻にNO!を突きつけてもどうなるのか。この鰻たちは既に死んで蒲焼きになってるから、我々が食わなくとも生殖することもなく、ただ廃棄されるだけである。いや、たとえ全国民が食わなくなったとしても、冷凍保存されてるから時間的猶予がある。何か別種の製品に加工されて知らぬ間に流通するのが関の山だろう。スーパーの商売熱は凄まじいし、国民全員が意識高くなってもそれをすり抜ける商品を出してくる。理屈抜きにその確信が出来てしまった。
そんなもの実物見る前に気づけよだから意識高い系なんだよ、というお言葉には正直ぐうの音も出ないが、言い訳させてもらえばこう言うのは現実を突き付けられないと実感は持てないと思う。あの雑に積み上げられた鰻の山は本当にインパクトがあった。ついでに言えば、予約の職場窓口をさせられたのも良くない。買っちゃいけないと思っていたものを自爆営業で買わされ、二桁単位で舞い込むオーダーを集計すると感覚が狂う。
増田は鰻について心配をやめた。厳密に言うと、流通してる分についての心配はしなくなったし、普通に鰻は買っている。
未だに鰻の漁獲規制とかそのへんの大きな政策には賛成してるが、小さな抵抗とかフェアユースがどうしたとかは消費者レベルでやってもどうしようもないと思う。どうせ大資本の商品開発力に比べれば微々たる力だし、鰻が生き返るわけでもない。どうせ店頭に並んでる鰻は食われるか捨てられるかの二択なのだ。意地張ってたらそのうち鰻は絶滅し、増田は絶滅以前から鰻を食えずに終わる。もっと根本的なところで政策が変わらない限り結果は一緒なのだ。なら食ってたほうが得である。食えなくなったら100年前から鰻乱獲に反対してた顔すりゃ良い。
そんな事鰻漁獲規制のニュースを見て思い返していた。鰻いっぱい食っといて良かったぁ! これで心置きなく鰻のない日々を過ごせる。いや、何か抜け道が発生しなければ、の話だが。
就活生からの「就活はクソ」「企業はクソ」はよく見るので、反対側?からお気持ち表明したい。お気持ち表明ですらない愚痴かもしれない。
・インターンシップを平日にやるな?じゃあ土日働いてくれるか?
そうじゃなくて夏休みにやればいいだけ?やってる。見つけられなかったのか応募のタイミング逃したのは知らないけどやってる。もし志望する企業がやってなかったとしたら、それは多分それなりの理由がある。サマーインターンシップをやらないのは企業側からしても出遅れになってきてるのにやってないなら、あえてやってないか、人員予算諸々の都合からできないんだと思う。学生からしたら会社とか社会人ってなんだかすごい存在に見えてるかもしれないけど、お金含めて色んなリソースに上限はあります。
内定式も同じこと言われるけど、それなら土日働く会社か、入社までノータッチの会社か選んで欲しい。内定式を土日にやるなら休日出勤のハードルが低めになっている可能性は十分ある。そしたら土日休めないなんてと言われるし、後者は不安だと言われるし、どうしたらいいのか分からん。全員が納得する答えなんて無いのは分かってるけどさあ…。
これは私も思ってる。むしろ私が思ってる。けど、そう思って真面目に就活解禁の時期に活動を始めたら採用が厳しい。卵が先か鶏が先かの問題だけど。せーので就活開始時期遅らせたい。
個人よりはお金もあるし、人数がいる分できることは増えるけど、何でもはできません。採用活動だけをやっているわけではないので、希望日程にいつでも合わせられるわけではありません。配属希望やらなんやらを叶え続けることも約束できません。それなりの人数規模で皆が希望出したとしてもある程度バラけるのが理想なんだろうけど、残念ながら理想だけではやっていけない。
ボランティアじゃないので採算度外視でインターンシップやったり給料上げたり福利厚生増やしたりとかは無理です。できない理由じゃなくてできる方法を考えろと言われそうですが、こちらの事情も知らないで殴ってくる相手のために考えたくない。(仕事上必要なら考えるけど)
幼いなー青いなーと思うし、実情を何も知らんでサンドバッグにしやがってと思うけど、「子ども叱るな来た道だ」なんでしょうね。
普段はこういうのは日記帳に書くんだけど出先で持ってないのでここに書く。
昨日移動に4時間かけて内定式に出席した私は、まだ土地勘のない場所で今晩の食事の予定までの時間を潰さねばならなかった。
お金もないし充電もないしで図書館に入った。土曜日の図書館は勉強している人でいっぱいだった。勉強していない人もいっぱいいた。みんな本を読んでいた。
そんなごく普通のことすら自然にできなくなっている自分が恥ずかしく、悲しかった。
この数年、心から何かに没頭できない。心から求めるものがない。
以前は知識欲が旺盛な方だった。知識を得ることに純粋な喜びを感じていた。
何かを極めて一番になるタイプでもなかったけれど、本屋に入ると興味のある本を探して手に取り、気づいたら1時間経っていたり家族とはぐれたりしていた。
今もその時の興味の残り火で研究らしきものをしている。来春には研究とは直接関係のない職種に就く。
頭が働かなくなった。数学的思考、論理的思考ができなくなった。脳のメモリが0になった感覚。認知機能全般、短期記憶力も長期記憶力も落ちたように思う。
「休みの日は何をしているの?」という質問に「美術館行ったりするのが好き。趣味は〜〜で〜〜」と答えるけれど、そう答えるためにそれらの行動をとっているような気がする。
文章を読んでも目が滑って飛ばし飛ばし読むようになってしまった。思考に関する忍耐力が本当になくなってしまった。解けない問題を考えるのが好きだったのに、今はその逆。
ツイッターを見て、リプにぶら下がっているwiki記事を読む。その中のリンクから別の記事に飛ぶ。これにすらどこか「情報を得なければ」という義務感と焦りがつきまとう。美術館で展示を見る。展示につけられた説明を飛ばし飛ばし読む。何か感じなければならない。何か得なければならない。自分の思考力低下から来る考えだと思われる。
いろんな原因を考えた。
うつ病。うつ病ではないにしても何らかの発達障害(元々その気はある)もしくは精神疾患。
何かで見かけた「脳は使わないと錆びる」という言葉が浮かぶ。大学に入って二年ほど、みるみる落ちる思考力と怠惰で単位を回収するのに必死で自分で考えるということをしなかった。うん、やっぱり主な原因は怠惰ではないかな。
いや、ただ単に早熟な子供だっただけかもしれない。天才も、二十歳過ぎれば...というように、大人になるというのはそういうことなのかもしれない。実際、医者を含め誰に話しても「別に普通に見えるけど...」と言われて相談にすらならない。
どんな話も本筋がどうせ理解できないので些細なことにばかり目がいく。少しでも何か情報を得なければ、置いていかれる。
漫画でさえも何も考えずに読むことができなくなった。心から楽しめなくなった。
同期は博士課程に進むらしい。後輩の一人も。
入った図書館で知っている人の博士論文をいくつか開いてみる。自分のいる分野だが中身を読みたいという気持ちが一切湧かない。楽しくない。
以前の自分のまま、勉学を楽しみながら進められていたら、今頃博士課程を考えていただろうか。無邪気に進学する同期や先輩にネガティブな感情が浮かぶ。私には何年かかっても終えることができないだろう。もう知識を得ることにも何かに興味を持つことにも楽しさが見出せないのだから。
でも他人にそんな深刻な話題を出しても本気にされないから、これからも何かに興味を持つフリをしながら生きていく。
Twitterで自分の日記をみかけるとは思わなかった。びっくり。
似たような状況の人が多く、また反応がいくつかに収斂しているので返信してみる。
休めってコメントが多いので先に書いておくと数週間後に5日間何もしない日を設けることにした。ネットを見ない、連絡返さない、自炊して掃除して散歩してぼーっとする。
・休め、情報を入れるな、寝ろ、ぼーっとしろ、運動しろ、好きなことだけやれ
みんな優しい、ありがとう。
スマホ依存の自覚はある。言い訳すると最近全てがスマホに結びついているように思う。
日常の決済だけでなく、大学の学食すらQRコード決済になった。家に置いていくことができない。
とはいえやっぱりTwitterインスタTikTokと情報中毒になっているので、スマホを置いて散歩する頻度を高めようと思う。
寝てはいます。6時間は死守しないと次の日を虚無にしてしまう体質なので...
あと手を動かす趣味もある。狭い下宿で思うようにできず...というのは言い訳なのでちょっとずつ復活させていきたい。
コロナ禍以前からこのような症状があったのでこれが根本的な原因ではなさげ。ただ、コロナ禍に入り塞ぎ込んだことで抑鬱状態になった(次の項目にも関連)。
その後コロナに二度感染し、各回で体力の上限が削られたような気がする。
・病院行け
コロナ禍で抑鬱になったときに診療所に行った。これが続くと鬱病だと言われたが大学の夏休み期間に入ったこともあり、寝付きの悪さやメンタルの状態は多少持ち直した。今は楽しくはないけど鬱ってほどではないなという感じ。ただこれが一生続くと思うと絶望しちゃう。
その後も不眠で精神科に行ったりもしたが、不眠以外はあまりにも健康ですね、と言われ終了。「脳にモヤがかかってるようで...」とは伝えたが日常生活が送れているので特に何も対処されなかった。
上の過程で発達障害に関しても「グレーかもしれないが診断はつかない程度」と言われている。課題の期限は守れないけど業務連絡や病院の予約、友達との待ち合わせではむしろ早めに動きすぎて気を遣わせてしまうこともある。接客バイトでも優秀な方だった。プログラミングとか、数学とかができなくなった分のリソースがそっちに行ってるだけっぽいけど。頭の中が常にどうでもいいことで満たされていて、情報の整理ができなくなって久しい。コンサータ飲んでみたかったな。
これも診断ついてないけど幼いときは強迫観念がすごかった(儀式行為、確認行為、数字へのこだわり)のでメンタルが元々そんなに強くはないんだろうなーって感じ。
・俺かと思った
普段いる環境には何歳になっても情熱を失わずやる気で満ち溢れた人が多いので、同じような人がいっぱいいるのがわかって安心した。よくある悩みなんだな。意外とみんなこんなもんなんだな。いや、みんなこんなんで大丈夫なのか。
過去に同じ状態になったけどこうやって回復した/受容した/改善したというコメントはどれも参考になる。歳とってこうなる人も結構いるみたい。
「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」をという本を挙げている人も多かった。気にはなってたので買ってみる。
・恵まれてるね
相対的には少なかったけどいくつか見かけた。本当にその通りすぎる。能力と環境のおかげで今まで好きなことだけやってどうにかなってきた。
好きなことじゃなくても淡々とやるってのも必要だなと改めて思いました。
なんか増田とは思えないくらいみんな優しくて少し泣いた。Twitterの引用も、ブコメも温かった。
焦らず時間をかけてみることにします。同じ悩みを抱えてる人のつらさも少しでも減りますように。
Permalink |記事への反応(31) | 19:04
ちょうどアイドルマスターSideMの9thライブ2日目から一か月たつわけですが、
一か月もたったらこの気持ちも落ち着くかな?と思っていたのにあまり落ち着かなかったので折り合いをつけたくて文字に起こしてみることにしました。
長いし、読みにくいし、自分の恥ずかしい話をする感じの日記です。
3か月ほど前のこと、わたしはせむPだったので、「2日目せむ揃ったのか!!現地はもう間に合わないので配信見るぞ!!」という気持ちで日々を過ごしていた。
そして時は流れ9th直前の金曜日、仕事でどうしても納得できないことがあり、
2024年はいってからずっとバタバタしてるし、その上先輩へのモヤモヤがチリ積もで無視できなくなってきたしで珍しくめちゃくちゃ落ち込んでいたわたしは、とにかくこの配信を楽しみにしていた。
ライブは本当に良かった。
当時せむの最新CDは未発売で、あえて視聴も聞かないようにしていたので、Life’s Side Menu!の衝撃はすごかった!せむってこれだよな~~~~~
そんなこんなでライブも終わった頃、自分が思っていたより元気になっていないことに気付いた。
当然、SideMを摂取したはずなのになぜ……という思いがぐるぐると渦巻く。
確かに子どものころアイドルになりたかったこともあるよな…なりたかった気持ちを思い出しちゃってセンチになったのかな……うーん。
もう寝ようかという頃、ある一曲が引っ掛かっていることに気付いた。
それが『EteniteenAge!!!/S.E.M』である。
『今になって やればよかった なんて思うこと やろうよ一緒に』
これをきいて無意識のうちに「今になってやればよかったと思うこと」がジワジワと心に染み出してきていたことに気付いた。
アイドルになりたかったとか、お笑い芸人にもなりたかったんだよなとかいろいろあったが、その最たるものがまさに大学院進学だったのだ。
でも辞退した身で、就職して2年目となり権限が付与された身、いまさら戻る決心もできず、
あと後述のとおり先輩へのモヤモヤで院進から逃げたのに職場の先輩のモヤモヤで院に戻りたいなんて、お前はまた逃げるのか???となり、
とにかく自分の選択が正解であったことを確めるためにとにかく一か月間いろいろ考えた。
それはつまり、なぜ院をやめて就職を決めたのかを振り返る時間だった。
〇この日記はつまり、振り返ったことを整理したいというのが主な目的です。
大学に入学したばかりのころは、当然院に進学することまでセットだと考えていた。
しかし2年のとき、コロナウイルスが突然猛威を振るい、外出自粛からの映像授業で完全に家に引きこもらざるを得なくなった。
1年の頃はあんなに時間割詰め詰めで忙しかったのに、急にあまりにも時間が増え、世の中が変わりすぎて漠然とした不安を覚え、そこでふと「公務員になりたかった」ことを思い出した。
小学生のころ、響きのカッコよさで国家公務員になりたいと思ったことがあったのだ。
あらためていろいろ調べてみると、合格したら3年(今は5年らしいけど)は有効なので、「学部で合格しておけば院いってから就活楽じゃん」と安直に考え、学部4年で受験することを決めた。
2年の途中から、「実験科目は対面でないとどうしようもない」ということで少しずつ家を出る機会も増えたが、このころにはわたしの公務員試験受験の決意は固まっていた。
また、この2年から3年にかけての実験授業で諸事情あって手が爆荒れしたので、もともと有機に憧れていたものの「実験系はやめよう」となり、もう一方で興味のあった物理系を志すことにし、研究室は計算系のところを選んだ。
さて、この研究室は先生も先輩も同期もみんないい人で居心地は大変良かった。
しかし、あまりの緩さに、というか、先生はきちんとコアタイムを定めていたが、月に1~2週間程度リモートワークで研究室にいなかったり、
当時M1先輩が若干先生のことをナメていて(個人の感想)平気で「コアタイム?ないよ」と言い放って午後5時に来たり(まあPCがあれば計算できるので100歩譲ってこれは良いとしても)、
週に1回ある、英語の本の読み合わせを頻繁にぶっちしたり、予習忘れたので変わってなどなどあったりした。
もともと夜型でなまけ癖のあるわたしは、3年の3月に配属されてから数か月この環境で過ごす中で、
「このままでは、わたしもああなってしまう……それどころか、もっと完全にダメ人間になって研究どころではなくなってしまう、、、、、、どうしよう」
と考えるようになった。(シンプルにめっちゃ腹立った、というのも、もちろん考えたことあります。)
4年になってから、研究したり、決意に沿って公務員試験も受けたり、(ちょっと教育実習も行ったり、)して過ごして8月になった。
わたしの通っていた大学の前期の院試は8月下旬なので、このころはちょっと研究のスピードを落としながら試験勉強をしていた。
大学受験みたいに(まあもちろん過去問とかはありますが)問題集が充実してるわけじゃないので、手探りで不安になりながら勉強している中、
いつものように遅刻をキメる先輩を横目にみていると「このまま院に行ったところで、わたしは大丈夫なのか……???」という気持ちがどんどん強まっていく。
また、院試が近付いてきたときに親からかかってきた電話で院の話をしたときに「お金は?また奨学金借りられるんだよね」という話もされた。
まあ、もちろん院でもいったら奨学金を借りるつもりだったが、本格的にお金のことを考えると、また借金が増えるのか…
そういえば高卒で就職した妹はもう貯金3桁あるって言ってたな…ゔ、頭が……という気持ちにもなった。
そしていよいよ院試まであと1週間ちょっとというところで、公務員一般職の合格発表があった。
と思った矢先、某省庁からいわゆるスカウト電話がかかってきた。
もともと院を卒業したら入りたい省庁だったのもあり、「運命では!?」と思い、ほいほい説明会に行った。
とはいえ、院に行くことを第一に考えていたため、院試も受けた。
このころの時系列としては、
某省庁の説明会に行く → 院試 → 某省庁面接からの内々定 → 院試合格
8月下旬という短い間に、わたしはいきなり二つの選択肢を手に入れてしまったのだ。
(いろいろではなかったかも、前述のダメ人間になるか否か・お金問題をどうするか・わたしがやりたい仕事はなにかの3点が主です)
結果、いったん就職して、先輩から逃げ、規則正しい生活を手に入れ、お金を稼いで借金を減らすことを決意した。
(10月の内定式のときの人事課長の「皆さんが4月に来る準備を、我々一同進めていますからね」という言葉に、ここで辞退したら迷惑かけるなという気持ちにさせられたというのもある。)
就職した今となっては、生活リズムは整ってるし、きちんとご飯も規則正しく食べるようになったので大学のころは痩せすぎて頬がめっちゃコケてたのがマシになってちょっとだけ鏡見られるようになったし、貯金もちょっとあるし、転勤族になったのでものも減らすようにしてすっきりしたし、いいことばかりではある。
でもやっぱり、今になってやればよかったって思うこともあるなって、SideM 9thライブを見て思い出した、というところに戻る、というわけです。
この内容は、あなたの考えを変えてしまうかもしれません。ぜひ、自分の目で確かめてください。
現在、あなたは就職活動に関して誤解をしている可能性があります。
今ここでその誤解に気付いて、甘い幻想からさよならしましょう。
あなたは普通に頑張っています。みんなと同じように努力し、部活や受験で活躍したかもしれません。高校受験や大学進学も順調で、両親の支援も受けてきたかもしれません。
しかし、就職活動が目前に迫る中で、いくらかの不安がよぎるかもしれません。でも、大丈夫だと思っていませんか?
先輩たちの話を聞いていても、卒業までに何とか内定がもらえそうだし、最終的には就職できると思っていませんか?
でも、もしそのまま勘違いを続けると、あなたの就職活動は満足な形で2ヶ月で終わることはありません。内定をもらい、入社の手続きも滞りなく進むでしょう。
内定式や入社式に向けての準備も、幼い頃の遠足のような楽しい気分で過ごせるでしょう。
新しい社会人としてのワクワク感に胸を膨らませながら、新生活に臨むでしょう。
しかし、期待していた生活とは異なるかもしれません。理想とはほど遠い現実に直面するかもしれません。
そんな日々に疲れを感じることなく、逆に熱中してしまうかもしれません。
でも、待ってください。あなたは今、就職活動の誤解の中にいます。そんな生活は手に入れられません。
厳しいことを言いますが、それが現実です。1年間の就職活動を真面目に行っても、結果がついてくる保証はありません。
ですから、あなたの就職活動は1年で終わることはありません。その間に「第二新卒」というレッテルが貼られ、劣等感を感じるかもしれません。
もしあなたが賢ければ、留年して新卒として就職活動をするかもしれません。または、院に進学して有利な地位を得るかもしれません。しかし、そのような選択は時間の無駄です。
ただし、学生気分が長引き、20代の全盛期を浪費してしまうだけです。
ですので、早めに誤解を解きましょう。今年1年での就職活動が終わると考えるのは間違いです。むしろ、妥協せずに行動しましょう。
私は、就職活動が1年で終わらなくてもいいと思っています。納得がいかなければ、来年もやります。だって、新しい社会人としての新生活に妥協したくないのですから。
そういう真剣な意思が、あなたの目指す未来を実現させるのです。
だからこそ、急いで終わらせようとか、どうせ就職できるだろうという考えは捨ててください。
そうでなければ、今までの努力が無駄になってしまいます。時間を無駄にさせたくないのですから。
ですから、今すぐ「妥協しない就活」と書いてみてください。これがあなたの誤解を捨てる意思表明になります。
若手が匙を投げた新人教育を引き継いだが上手くいかない。上手くいかないから引き継いだわけでそう簡単な問題じゃないことはわかるんだけど、どうにもならん。色々試行錯誤した結果、多分こいつは頭が悪いんだろうという結論に10回くらい行きついて、そうは言っても伸びる道があるかもわからんと同じだけ思い直したんだが、頭だけじゃなくてメンタルもフィジカルも弱いということに気づいて完全に心が折れた。誰だよこいつ採用したの。頭の悪い奴を指導したこともあるし、メンタルが弱い奴を指導したこともあるけど、全部悪いってどうなってんだよ。なんか聞いたら内定式の後に内定出したらしいし完全に数合わせに走っただろ人事。ふざけんなよどんだけこっちが工数使ったと思ってんだ。バカでもアホでも戦力化できるなら選考なんかいらねーんだよ。
内定式ってなんで平日にやるんだ?
大学休まなきゃいけないじゃん
大学教育に意味がないと思ってるならもっと高卒採用したらいかがか?
就職氷河期は終わりのほうだったから言い訳にはできないが、今思えば合わない人気業種に行きたいと思ってしまったため
とにかく受けては落ちをひたすら繰り返していた。4年生の10月過ぎても内定はなかった。
就職浪人など許さない親の目はどんどん厳しくなり、同学年の友人とは疎遠になった。
今の会社は世間知らずで、新卒募集も5年ぶりだったらしいとはいえ大学4年生の募集をかけたのが秋であった。
募集方法もリクナビなどではなく大学の就職課に。それもたまたま大昔の卒業生がうちの大学を出ていたから。
そんなこんなで年の瀬にどうにか内定が出て、来年で社会人20年目かな。
もしも、かつての自分と同じように悩む誰かの気休めとなれば。
僕と彼の行っていた大学は近くに名のある寺があり、そこに文豪や歌舞伎役者や芸能人の墓があった。
彼は雪深いところから進学のために上京してきたが僕と幾人かの家にこもりがちな友人を作った他はその寺をうろうろとしていたようだ。
僕は何度か彼のうろうろに付き合って道道に彼の今日の訪問先の説明を聞き、かの有名な誰それがまでは面白く感じていた。
しかしいざこの墓石の下にその人の骨があると言われても大して楽しくはなかった。
野球選手やプロレスラーだか格闘家だかの墓となると僕はもうさっぱりわからないので、そうなんだ、へえ、そうか、はあん、などと相槌を打ちつつ右から左に流して歩いた。
彼はそこそこに稼げるアルバイトを見つけてから国外にも足を伸ばし、あちこちの墓の写真を撮っては内輪の会話にアップロードしていた。
四年になりめでたく内定ももらって日がなだらだらしていた頃、僕でも知っているような高名な哲学者の墓に行くと彼が言い出した。
しかしその墓のある国は少し思想や治安が日本と異なり、またその場所自体が割と政治的係争のあるところだった。
僕は友人と飲みに連れ出してやんわりと今回は危ないのではないかと言ったが、意に介してもらえなかった。
彼は日本人が物見遊山では行かないような国の名前を出して今までもあそこやどこそこに行って大丈夫だったと言う。
僕は彼の素気なさに、酒が入っていたせいか日頃の色々が積もっていたせいか苛立ち、怒りを爆発させてしまった。
店の中で大声を出して友人に雪の降る店外に連れ出され幼児のようにぶんむくれた僕はそのまま地下鉄に乗って帰った。
それが彼と会った最後だった。
スーツを着て内定式に出て多忙な日々を過ごし慣れた頃に結婚し程々に幸せを理解してきた頃、彼の訃報が舞い込んだ。
彼は雪深い故郷の病院でお母さんと従弟に見守られて息を引き取ったそうだ。
僕は物見遊山を口実にして妻を旅行に連れ出し、最終日に日帰り温泉に行かせてひとり彼の墓を参った。
彼の骨はその墓石の下にある。
しかし大して楽しくはなかった。
彼はまだあの哲学者の墓の前にいる、僕はそういうことにした。
昨日内定式に参加した。ずっと憧れていた、日本人なら誰でも名前を知っているような会社だ。
私はおそらく「持っている方の人間」だと思う。顔はそれなりに可愛いし、女性の中では数学ができて、一応国立大に入って、院進してからはそれなりの成果も得ることができた。全てそれなりではあるけれども、全部を持っているのは上位数%程度だろう。
そしてこの度超大手企業に内定した。家族や友達、知り合いはみんなすごいねと言ってくれる。
私も謙遜しつつも鼻高々だ。入っても努力は必要なものの、勝ち組コースだと思った。
しかし昨日、内定式で直接他の同期と会ってみると、私はとても大したことのない人間だと感じた。みんな高学歴で、業績もあって、顔も整っている。ぱっと見7割くらい美男美女で、3割くらいは真面目そうな理系顔で、清潔感のない人間は一人もいない。コミュニケーション能力もあって、初対面なのに会話が弾んでいる。早起きと移動で疲弊した私は少数の話しかけてくれた子と会話することしかできず、LINE交換なんて誰ともしなかった。
田舎で「持っている方の人間」だと思っていた私は、結局大手企業の中ではクラスの片隅にいるインキャだった。元々たまに増田になる程度のインキャではあるけれど。いわゆる井の中の蛙で、世の中には「持っている人間」なんていくらでもいるのだと気付いた。
普段、ある程度のスペックを持つ人の度の過ぎた謙遜を見ると、それはその人より下にいる多くの人間を馬鹿にしているようで、よくないと感じる。
自意識を捨てればいいだけだとは思うが、自分を平凡だと思って生きるのと、上位数%だと思って生きるのではどちらが傲慢とか嫌味にならないのだろうか。